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Home >  Interviews > interview with OTO - オト──Jagatara2020の新曲の背景を語る

interview with OTO

interview with OTO

オト──Jagatara2020の新曲の背景を語る

取材:野田努    写真:西岡浩紀   Feb 20,2020 UP

今回の“れいわナンのこっちゃい音頭”は、じゃがたらが音頭を手掛けるとしたらというテーマがまずあった。で、アフリカのハチロクだったり、12/8という言い方をしたりするけど、そういうリズムと音頭との融合を考えたんです。

いまのお話を聞いて、新曲2曲のなかにはすごくいろんなものが集約されているんだなと思いました。メッセージもそうだし、サウンド的なところもそう。そのサウンド自体がひとつのメッセージになっていることも改めてわかりました。“ナンのこっちゃい音頭”で言うと、アフリカのハチロクと日本の音頭をミックスする。そこはOTOさんがずっと追求しているリズムの実験がいまも継続されているってことですよね。新曲の2曲を聴いてぼくが良いと思ったのは、曲がまったくノスタルジックじゃないってことなんです。たとえば昔のファンが好きそうなアフロ・ファンクやもっと泥臭いファンクを繰り返すのではなく、進化した姿をちゃんと見せている。これはすごいことだと思います。とくに世界のいろんな土着性をどうやって他の文化とミックスして、発展させていくかということは、いまの音楽シーンではグローバル・ビーツという括りで活況を見せています。

OTO:大石始さんが制作した音頭的なものを集めたコンピレーション(『DISCOVER NEW JAPAN 民謡ニューウェーブ VOL.1』)にサヨコオトナラの“アワ”を入れさせてくれないかという依頼があって入ったんです。そのCDでいろんなバンドが音頭にまつわるミクスチャーを作っているんだけど、音頭の跳ねたリズムにウワモノとして和的なものがのっかったり、あるいはそうじゃないものがのっかったりしているぐらいのミックスで、それだと踊りが新しい踊りにならないんです。腰から下は相変わらずただの日本的なリズム感で、ひどく言うと凡庸な音頭感。上だけ好きなように手振りしているような感じで、下半身があまり変わらない。つまり、1曲のなかで腰とステップが変わるようなリズムになっていかないんですよね。自由度がなく、腰から下はずいぶん固定された感じになっていた。だから音頭のミクスチャーはまだまだやり切れていないんじゃないかと思います。

いっぽうで“みんなたちのファンファーレ”はスピリチュアルな曲とも言えますよね。

OTO:さっきバジャンのことを話したけど、やっぱりロマの音楽でも人間界のことを歌う歌はあるけど、バジャンはもともと神に向かって祈る歌なので、インドだと神様の名前をコールするだけのシンプルなものもあるし、もっと長く意識的なバジャンでスロウなドローンから入って、瞑想的な時間を15分から20分くらい経て、そこからじょじょに自分の思いを神様に天に近づけていく、捧げていくというバジャンもある。そこでは踊りと歌がミックスされる。いろんな形式があるんです。
 去年、東京ソイソースに出演した時に、南はすごく頼もしくセンターを仕切ってくれました。彼女の資質はもちろん女性だし、江戸アケミの存在とは違いますが、じゃがたらの音楽のセンターになっていました。南は南なりにアケミが亡くなって以来30年間アケミの気持ちと対話して、朝起きたらアケミの写真と話をしてから1日の仕事をはじめるということをやってきた。これはもう立派なバジャンだと思う。自分のやっていることが良いかどうかとか、困ったときもあれば苦しんだときもあれば救いを求めたときもあるだろうし、いろんな思いで南はアケミと対話をしてきたんだなと思います。
 そんな頼もしい南がじゃがたらを自分のバンドだと言えるように “みんなたちのファンファーレ” は最初からじゃがたらのフロントマンに捧げるつもりで作りました。南が歌うキーで南に合う歌いやすいかたちで、メロディを作ったんです。南も詞を書くときにバジャンだからといって、神に祈るとかそういうことを歌う必要もないし、でも今回こういうタイミングで出すから、南が毎日アケミと会話してきたその日々のそのままを描いたんだと思います。
 バジャンはその対象である神の存在に対しての愛を表すことなのですが、そもそも人間には祈るということが大事なんだと思うんです。宗教に入っている人だったら、神様に祈るということをするだろうし、家に仏壇がある信心深いおばあちゃんだったら毎日手を合わせてご先祖様だったり、亡くなった夫と会話したりしてきているんだと思います。南には、彼女がこれまで祈ってきた会話してきた思いそのままでいいんだと伝えました。メッセージを向ける先は、世俗の人たちではなくて、生きている人も含め、亡くなった人も含めて、そこに生かされていることを感謝するつもりで天に歌う気持ちの歌にしたいんだと言ったんです。そこがバジャンの本質だから、天に歌うということを条件に詩を書いてとリクエストしました。すごく悩んでいたけど(笑)。

それだけ言われて悩まないほうが(笑)。

OTO:「たとえばどういうこと?」とか言われて(笑)。「南は毎日そういうふうに過ごしてきたでしょ?」って。そのときの自分の気持ちだったり、毎朝アケミの写真と会おうとするときの気持ちとか、その気持ちそのままでいいんだよと言ったらすぐに書いてきてくれました。

メロディがじゃがたらにしてはすごくわかりやすい。みんなが口ずさめるような。それはあえてそうしたんですよね?

OTO:バジャンはみんなが歌えるようなシンプルで歌いやすいメロディーが特徴です。その形式自体もともと音頭取りみたいなもので、ひとりが歌ったら次は同じ歌を全員で繰り返すんです。トゥアレグの人たちの歌もそうだし、インドもロマの人たちの音楽も通常の形式は8小節のAメロディ、8小節のBメロディがあったら、8小節を2回繰り返して、Bメロの8小節を2回繰り返して、1番ができる。2番があるものもあるけど、1番だけのものが多いですね。歌い手が1番を歌ったら、次はそれを全員が合唱で歌うという感じ。1番をひとりが歌って2番を全員で歌って、また2番をひとりで歌って、2番を全員が歌ってという繰り返し。全員が歌うときはなるべくシンプルで聴きやすいメロディがいいので。

このモザイクレインボーは水戦争を民主運動で戦ったヴェオリアたちに勝利したボリビアのコチャバンバの旗なんです。水戦争があちこちで起きて、インドでも水戦争があるし、南米ではとくにチャベス以降は激化している。日本も麻生が国民には相談しないで勝手に水道を民営化することを決めてしまった。

曲名を“みんなたち”にしたのはなぜですか? そして“ファンファーレ”にしたのは?

OTO:ファンファーレはもともと83年の“日本株式会社”という『家族百景』のカップリングで出たアナログ盤のB面の曲なんです。その曲はちょっと講談風と言いますか、そんな語り口調で、ベタな和風ファンクを弥次喜多道中的なおもしろさのあるコミカルなファンクでやっています。それは株式会社ともいえるような経済繁栄だけが目的の日本をちょっとおちょくった感じです。最後にはアケミの「虹色のファンファーレが聞こえるかい、それがご機嫌の合図だ」という叫びがあるんですよね。それがすごくぼくにとって印象的だった。
 アケミのメッセージはだいたいかりそめの日本及び日本人に対してですよね。外国からいろんな条件を与えられて、その属国になってしまっているかのような、支配されているかのようなシステム。しかもそのなかで、悲しいかな、人びとは一度は過去に反対とかして抵抗しているのだけど、じょじょに染まっていってしまう。システムのなかにどんどんはめ込まれてしまう暮らしに対して違和感もなくしてしまった日本、とくに80年代のバブルに無防備に劣ってしまって。そのことに対して、アケミはそんなわけにはいかないぞ、そんなことが続くわけないじゃないかという警告をよく発していた。「虹色のファンファーレが聞こえるかい、それがご機嫌の合図だ」というのはそういうことに染まらないで、アケミ的に言うと毒されないで、自分の魂にもっと正直になって自由に生きていく道があるよということが言いたかったと思うんです。そのヴィジョンからの呼びかけのサインを“ファンファーレ”という言い方でアケミは言ったんだろうし、それがご機嫌の合図だというのもそのシステムのなかで埋没させられてしまう世界ではなくて、それらからエクソダスして自分の力で脱出したところで、もっとひとりひとりがご機嫌にいこうぜということを言葉は少しずつ変わりつつも彼はずっと言っていた。それは彼の一貫したメッセージだったと思うんだよね。
 ぼくは「虹色のファンファーレ」というのをいつか使おうかなと思っていたんです。13回忌のときまでは「業をとれ30:07」というのがキーワードだったり、“クニナマシェ”というのをタイトルにしていたりしたんだけど、13回忌が終わった時点で、自分の心のなかではじゃがたらの仕事はここで整理が終わりましたというかたちにさせてくださいと。そこから自分自身のことをやらなきゃと思った。でも30回忌にもしも自分が何かできるような状態だったら、「虹色のファンファーレ」でやろうと決めていました。

“虹色”をなぜ“みんなたち”に変えたんですか?

OTO:そこは鍵だね。ぼくはいま奥山で森に入る暮らしをしている。ライヴの本編のいちばん最後にやった“夢の海”の最後のリフレインは「雨が上がれば日はまた昇る」というんだけど、その前は「飛び出そう緑の町へ」というんだよね。江戸アケミのバトンを受け取ったぼくなりのキーワードが「緑の町へ飛び出そう」なんです。ぼくの場合は町ではなくて山のドンツキだし、森の方に入っていった。そして、森のなかの農園の暮らしで、自分のエゴを取るというか、みうらじゅん的に言うと「自分なくし」というコンセプトがありました。
 自分、自分というような考え方って、この世の成功報酬が神への愛の証しだというある種プロテスタンティズムな考え方でもあって、そのトリックが経済繁栄というトリックに繋がっていく。もっと豊かな生活、自己実現しようという、それがエサみたいになって巨大な支配を望む。そういうパラダイムをぼくは甘い罠だったなと思った。じゃがたら的に言うと「ちょっとの甘い罠なら」というところだね。
 じゃあ、それに代わる次のパラダイムは何かなと考えると、いまの社会が強制する働かざる者食うべからず的な自分というものを取ったもの。それともうひとつ、ヒエラルキーの社会構造から外れているものたち。たとえばベスト10の世界。勝ち残る、競争をさせて経済効果を上げるというシステムのなかで、ベスト10に入らないものは落ちこぼれだというような切り捨てをするんですけど、ベスト10やベスト100よりも面白いものがあるという、ロングテール的な存在を認める多様性のある価値観も良いと思う。だから“ファンファーレ”は誰か特定の個人ではなく、“みんなたち”であり、共存していくフォーメーションがぼくはすごく大事だと思っていたんだよね。競争でないし、ヒエラルキーのなかの自己を探すのでもない、輪になっていくお互いが共存しあっていける関係性が大事。お互いがエクステンションになれる存在。人と張り合う必要がなくなる、比べる必要がないコミュニケーション。そういうのを目指していた。

すごくユートピア的なものですね。OTOさんはアケミさんのメッセージについて、エクソダスというキーワードを昔から言っていましたよね。

OTO:“みちくさ”のうたはもろそれだから。飛び出せって “ゴーグル、それをしろ”にもあるし。
 今回の新曲でもうひとつ重要なことは、たまたま南が農園にひょっこり遊びに来たんです。それがやっぱり大きなきっかけだった。ぼくは、いままで話したように、自分だけが変なところにパラダイムシフトを求めて、みんなから外れて変なことをしはじめているんだろうなと思っていた。理解されないだろうと思っていたところに南がひょっと現れて。南はどういう理由で農園までいきなり来たのかわからないけれども、OTOをちょっと脅かしにいこうとか思って、無邪気な笑顔でぼくの誕生日に現れたんですよね。
 このことがぼくには大きくて……わざわざ来るのは大きな意味があったんだと思う。宇宙的なレベルではどんな意味なんだろう、何が南をこうさせているんだろうと思って、久々に顔を合わせてからはずっと考えた。晩御飯を食べて、夜お酒を飲みながら南と話をすると、「私はいままで自分の踊りを作りたい、自分の踊りを完成させたいとか、そういう自分のやり方でかたちづくりたいと思っていたんだけど、3日前くらいに、もう自分というものはいらないんだな、自分の踊りの「自分」はもういらないなということに気がついた」とかいきなり話はじめたんですよ。自分なしの、自分というものがない踊り。つまり宇宙的レベルの踊りなんだよね。そのことを南が言ったときに、あぁ宇宙的レベルの意志はこのセリフだと思った。ぼくはその南の意識に共振して、ぼくは南と新たに出会っているんだって彼女にも言ったんだよね。今日のこれは新たな出会いだと。ぼくはそれまでバンドではひとりきりだと思っていた。ぼくはひとりだし、30回忌は大変だなと思っていたの。でも意識がずれた人とやりたくないし。意識が同じ人でなるべくやりたいけど、そのときは果たしてじゃがたらのメンバーかなという思いもよぎっていたんです。でも南が訪ねてくれたときにこれで30回忌は少なくとも南とは一緒にできると思った。そして南にぼくは背中を押されたような感じで、じゃがたらのメンバーとやろうと思ったんだよね。
 もともとインドでは、宇宙の創始のエネルギーのブラフマンに対しての祈りがバジャン。そのときに自分というものはないんですね。エゴを取って、地上で肉体を持って生かされていることに、宇宙からのエネルギーに感謝する思いがバジャンだから、「みんなたち」なんです。南の場合は直接ブラフマンということを意識してないし、宗教ということではなく、信仰心というものかもしれませんが、それはあっていいとぼくは思っているから。

じゃがたらは、みなさん個性があってバラバラですよね(笑)。南さんが言っていたけど、まとめるのが本当に大変って。同じタイプの人間ばかりが集まる集合体ではなくて、いろんなやつがいていいんだというところもじゃがたらなんですよね。だからまさにカオスであり、それも含めてのみんなたちであり、天に対する祈りであり。すごくいろんな意味がある。この曲を聴いたときに平和的で、でも薄っぺらな曲ではなくて、すごく不思議なパワーがあると感じました。じゃがたらにしては耳障りがシンプルだし、歌いやすい。これは深い曲なんだと思っていたんですけど、いまのお話を聞いてすごくよくわかりました。
 これはスタジオでOTOさんに教えてもらったことですが、ギターはマリのトゥアレグのフレーズから来ているんですよね。あれは反政府のゲリラ兵士の音楽ですよね。

OTO:そうそう、ウォリアーズです。もちろんそれも意識しています。ティナリウェン(http://www.ele-king.net/review/album/005558/)もそうだし。タミクレストたちもそうだし、みんなグローバリズムに対しての反発で、それをメッセージにしたくて、戦いのために立ち上がっている。そのアフリカ産のファンクにアメリカ産のプリンスのファンクをミックスしています。EBBYのギターのカッティングとテイユウのハイハットはプリンスの曲”kiss”のリズムです。少しハネているファンクです。このスウィング感がポイントです。

リアルな戦士ですよね。

OTO:ぼくはギターをクワに変えた(笑)。向こうはシリアスに銃ですよね。ギターと銃が同じレベル。厳しい現実です。
 ちなみに今回のジャケットのアートワークは、エンドウソウメイ君の絵を使っていますが、この絵は“ナンのこっちゃい音頭”の歌を歌っているアケミなんです。今回の作品名が「ナンのこっちゃい音頭」だったらぴったりだったんだけど、タイトルを『虹色のファンファーレ』にしたので、アートワークにもう一工夫必要になった。そこでモザイクレインボーを入れたんです。
 このモザイクレインボーは水戦争を民主運動で戦ったヴェオリアたちに勝利したボリビアのコチャバンバの旗なんです。水戦争があちこちで起きて、インドでも水戦争があるし、南米ではとくにチャベス以降は激化している。日本も麻生が国民には相談しないで勝手に水道を民営化することを決めてしまった。水の民営化は、10年以上も前に南米を襲っていて、そのときにプリペイドカードを持たないやつは水なんか飲むなってヴェオリアが言っているんですよね。たぶん日本もこれからそうなる。麻生たちが利権をすでに手にしてこれから大搾取が起きてくる。
 それで、コチャバンバは闘争のこの旗を持って、ボリビアの帽子とマントをかぶって、大デモをやって勝利を収めたんです。『虹色のファンファーレ』のジャケットは、厳しいことがこれから日本で起きるから、そのときはみんなの力で戦っていこうという願いです。

取材:野田努(2020年2月20日)

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