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日本のジャズを彩った音楽家たち

日本のジャズを彩った音楽家たち

第一回(前編):服部良一と小西康陽の奇妙な縁

 今年の春先からずっと図書館にこもって服部良一について調べていた。その成果がようやく形になったので、思い切って圧縮し、2回にわけてここに発表したい。服部良一といっても若い方はピンとこないかもしれないが、国民栄誉賞も受賞している日本を代表する作曲家/編曲家/指揮者である。なぜ服部良一か。来年刊行予定の、日本のジャズを筆者なりに総ざらいする単著を執筆するにあたって、劈頭に置くのは、彼以外に考えられなかったからだ。そして、連載という形で(その一部を)アップするにあたって、序曲として服部良一論をしたためたかったからだ。その理由はおいおい説明してゆくことになると思うが、まずは、彼の遺伝子が小西康陽や雪村いづみのようなミュージシャンに引き継がれていることを知って欲しいと考えたのである。やや長くなるが、最後までご一読頂ければ幸いである。

文:土佐有明 Written by Ariake Tosa Aug 21,2025 UP

 服部良一について記す前に、あるアルバムに触れたい。元ピチカート・ファイヴの小西康陽が選曲を手掛けた『ハットリJAZZ&JIVE』というコンピレーションである。“ハットリ”とは言うまでもなく、戦前戦後に活躍し、紫綬褒章や国民栄誉賞も授与された作曲家/編曲家/指揮者・服部良一(1907-1993)のこと。同コンピレーションにはクラシック畑から流行歌手に転身した淡谷のり子が唄う「おしゃれ娘」から笠置シヅ子の名唱で知られる「東京ブギウギ」まで、計24曲が収録されている。ライナーノーツで小西は、DJのクボタタケシが服部の作曲による「買物ブギー」をカリプソやアフロ・キューバンから繫いだところ、ダンスフロアが騒然となり、キメのフレーズでコール&レスポンスが起きたと記している。

 「買い物ブギー」は複雑極まりない歌詞が特徴で、希代の天才歌手と謳われた笠置も“ややこしくて覚えられない”と不平を述べたのだが、服部はそれを面白がって“ややこしややこし”という歌詞を取り入れたという。能弁な笠置のヴォーカルは、今でもDJで喝采が起こるほどなのだから、1950年(昭和25年)の発表当時も相当なインパクトだったに違いない。特にスキャット。戦後になると美空ひばりが台頭してくるが、戦前に笠置ほど奔放にスキャットで自己表現を成し得た歌い手はいなかったと断言できる。


『東京の屋根の下~僕の音楽人生 1948~1954』(ビクター)

 2024年2月21日には『世紀のうた・心のうた – 服部良一トリビュート-』というアルバムがリリースされている。真心ブラザーズ「ヘイヘイブギー」、スチャダラパー「おしゃれミドル(Contains samples of 「おしゃれ娘」)」、小西康陽 feat.甲田益也子「東京の屋根の下」、曽我部恵一と井の頭レンジャーズ「買物ブギー」、T字路s「別れのブルース」などを収録。お気づきの通り、ここにも小西康陽の名前がある。小西がここまで服部にこだわる理由はピチカート・ファイヴのラスト・アルバム『さ・え・ら・ジャポン』(01年)を聴くと分かるだろう。小西は同作のインタビューでこう話している。

 ぼくは自分のことを、日本のポピュラー音楽作ってる作曲家の末端の一人だと思ってるんですけど、そういうポピュラー音楽的な作曲家の人が日本に対してあえてアプローチするのって、それこそ服部良一さんの「山寺の和尚さん」とか「流線形ジャズ」(原文ママ、正しくは「流線型ジャズ」)とか、ああいうのから始まって、みんな必ずやるんですよ。わりと誰でもやることだし、僕も遂にそれをやる時が来たんだなと思ったんですけどね。(『ミュージック・マガジン』2001年2月号)

 小西が言及している「山寺の和尚さん」(1937年)は服部の作曲家としての本質が凝縮されたような曲である。この曲を予備知識なしに初めて聴いた人は、昔からあった日本の俗謡や手毬歌だと勘違いしても不思議ではないはず。それくらい、懐かしさを感じさせる和風のメロディが際立っている。だが、これは正真正銘、服部良一による作曲。服部の名を世に知らしめることになる原点/起点となった傑作だ。同曲は確かにジャズの和声感覚に影響を受けているのだが、日本人はもちろん、海外の人が聴いても極めて日本的だと感じるだろう。普通だったら結びつかないものが入り混じることで、世界中でここにしか存在しないオリジナルな音楽が生誕したのである。

 服部の音楽性の核となるものはなにか。思い切り端折って結論から言うと、それは繊細かつ大胆な手つきによる和洋折衷の極み、ということになるだろう。早くからアメリカのジャズに敏感に反応した服部は、フレッチャー・ヘンダーソン楽団やポール・ホワイトマン楽団といったビッグ・バンドのスウィンギーなサウンドを自家薬籠中のものとし、それを日本の民謡や小唄と掛け合わせることに成功した。小西康陽の発言の「みんな必ずやるんですよ」「わりと誰でもやることだし」の“みんな”“誰でも”とは、山田耕筰や武満徹や和田薫や大瀧詠一のことだろう。例えば、大瀧詠一がプロデュースした『LET'S ONDO AGAIN』を想いだしてみればわかると思うが、そうした作曲家の源流に服部がいたことを今一度確認しておきたいのである。

 ただし、難しいのが何をもって“日本的”とするのか、そして、その“日本的”とはどうやれば掬いだせるのかである。明治維新の際に中国を源流とする文化の流れを一度断ち切った日本人にとって、琴や尺八を採り入れることがそのまま自身のルーツの表明になるわけではない。そうした現象をあるライターは〈ルーツを断絶されたような感覚〉と呼んでいる(『文藝』00年秋季号)。こうした現状にひとつの回答を示したのが、1997年に発表されたコーネリアスの『ファンタズマ』などだと思うが、これは別所で詳細に検討し、論じよう。

 日本思想史の泰斗である丸山眞男(1914-1996)が『現代政治の思想と行動』で興味深いことを述べている。丸山は〈日本の多少とも体系的な思想や教義は内容的に言うと古来からの外来思想である。けれども、それが日本に入って来ると一定の変容を受ける。それもかなり大幅な『修正』が行われる〉という。この〈思想〉や〈教義〉を“音楽”に置き換えてもある程度論が成り立つだろう。特に服部の場合、アメリカ産のジャズを輸入しながらも、日本の民謡や俗謡と接ぎ木する形で〈かなり大幅な『修正』〉を行った。筆者は両者の邂逅を肯定的に捉えたい。ひとつわかりやすい論を例示しよう。生態学者/民族学者の/情報学者/未来学者・梅棹忠雄(1920-2010)『文明の生態史観』の一節だ。

 日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感が常につきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を反映している、一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。
 おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開してきた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうとおもう。

 服部の音楽は、現在の視点から見ると、こうした劣等感の呪縛に侵されることなく、もっと奔放で自由闊達に音楽に向かい合っているように思える。つまり、戦前戦後には梅棹のいうような劣等感を克服した音楽が服部の手によって生まれていたのではないだろうか。

 一方、大学教授で文学者の内田樹は『日本辺境論』の中で、〈日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮する(後略)〉と書いている。確かにその通りなのだが、服部の行き方は単なる摸倣の域を超えている。それこそ日本の俗謡や歌謡をジャズにアダプテーションするという離れ業をやってのけているのだから。一方、長年ジャズの現場に関わってきた音楽評論家・相倉久人(1931-2015)は、『相倉久人にきく昭和歌謡史』で、〈日本の民謡を素材にすれば日本のジャズになるのかというと、そんな単純な問題じゃないですよね〉という松村洋の問いにこう応答している。

 音楽ってとくにそうで、じつは体質的ににじみ出す色のほうが大切なんです。メロディの作り方やリズムみたいな、そういうものだけで出そうとしても無理なんです。(中略)例えば、原信夫がシャープス・アンド・フラッツを率いて、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出るときに、日本の民謡なんかも使ったんですけどね。彼がアレンジャーに注文したことがあるんです。(中略)絶対に日本調のアレンジはしてくれるなと。(中略)非常に国際的なものを作っているつもりだけども、向こうの人が聴くと「日本的だねえ」と言われることがよくある。武満徹さんですら、そういう体験があるわけですからね。(中略)(引用者補足、服部は)そういうものを追求するために、民謡を使ったりブルースを作ったりなんかしてやってる。服部さんがそういう試行錯誤をいっぱいやるもんだから、普通だったら結びつかないものが、ぐじゃぐじゃに入り混じってオリジナルな音楽ができた。そういう功績は大きいですね。

 更に本質に迫る発言として、松村は、1925年にアメリカで発表された人気曲の「ダイナ」が日本でも独自の解釈で歌われていることを例に挙げ、こんなことを述べている。

 外の文化は何らかの変形なしには入らない。変形されるかた入るんですね。どういうふうに変形されていくかは、地域や時代ごとに違う。だから、文化が伝わっていくと、行った先でいろんなバリエーションが生まれる。文化がそのまま西洋化される、西洋文化が100パーセントそのまま入るということはないでしょう。異なる文化のせめぎあいの中で、勘違いも含めて変形が起こり、地域独特の新しいものが生まれるというのが、基本的な図式です。「ダイナ」を聞いていると、そういうことが感覚的に、非常によくわかります。

 また服部は、戦前からブルースが気になっていたそうで、タイトルに「〇〇ブルース」とつく曲をいくつも書いている。例えば、淡谷のり子が歌った「別れのブルース」は、オーケストラ/ビッグ・バンド・スタイルの服部流ブルースを日本に根付かせることに成功した。 また、あまり有名な曲ではないが、二葉あき子「丘の細道」などは、エノケンこと榎本健一がそうだったように、服部独自のブルース解釈が応用されたポップスとなっている。

 では、『さ・え・ら・ジャポン』を聴いてみよう。オープナーの「一月一日」は元旦にちなんだ歌曲で1892年に発表された。〈東京の屋根の下/どこかで流れる/いかしたsweet soulmusic〉というフレーズで始まる「東京の合唱~午後のカフェで」は、小西が〈服部先生みたいな「東京の屋根の下」とか「胸の振り子」みたいな曲を作りたかった〉と先出の『ミュージック・マガジン』のインタビューで述べている。松崎しげるが歌う「nonstop to tokyo」もホーンが服部のアレンジを律義に踏襲しているように聞こえる。ダバダバダバというスキャットで曲が終わるところも、服部及び戦前のジャズ・コーラスとの連続性が窺えるだろう。『キモノ・マイ・ハウス』という名盤があるアメリカのバンド、スパークスをフィーチャーした曲のタイトルはずばり「キモノ」である。

 「さくらさくら」も伝統的な日本の歌曲。元々は江戸時代に子供用の箏の手ほどき曲として作られたもので、作者は不明。いわゆる“詠み人知らず”だが、日本の代表的な歌として国際的な場面で歌われることも多く、「荒城の月」と並んで欧米人によく知られている。ヴィブラフォンとアコーディオンが印象的なアレンジで、ジョン・ルイス率いるMJQ風のモダン・ジャズやタンゴが影響源のひとつだろうか。「アメリカでは」はミュージカル映画『君も出世ができる』の挿入歌。マンボを導入して昭和期に流行した日本のリズム歌謡を意識したようなアレンジだ。「君が代」はバート・バカラック作曲でボサ・リオのカヴァーも有名な「サン・ホセへの道」を換骨奪胎したような小品である。日本をテーマにしたアルバムなのは間違いないが、「ポケモンいえるかな?」「グランバザール」のようなノヴェルティ・ソング色の濃い楽曲も収められており、学究的な印象はまるでない。むしろ、ユーモアと機知に富む歌詞が微苦笑を誘うのだ。

 なお、『さ・え・ら・ジャポン』には1953年にデビューし、江利チエミ、美空ひばりと共に“3人娘”と呼ばれた雪村いづみが参加している。そして、雪村は74年に発表された『スーパー・ジェネレイション』で、服部の楽曲をカヴァー。編曲は服部良一の息子である克久が中心となって行い、1曲目のインストゥルメンタル「序曲」のみ、作曲家/編曲家/プロデューサーの村井邦彦が担当している。同作のプロデューサーである村井は「翼をください」「エメラルドの伝説」「夜と朝のあいだに」などの作曲で知られ、ザ・テンプターズ、ザ・モップス、ザ・タイガース、ピーター、赤い鳥、辺見マリ、トワ・エ・モワらのヒット曲でも有名な才人だ。

 村井は、荒井由実をシンガー・ソングライターとしてデビューさせた張本人でもある。そして、その荒井のファースト・アルバム『ひこうき雲』(73年)は、キャラメル・ママ(鈴木茂、細野晴臣、林立夫からなるミュージシャン集団、1974年にティン・パン・アレイに改名)を迎えてレコーディングされた。なお、服部の曲をファンク調にアレンジした『スーパー・ジェネレイション』はシティ・ポップの文脈でも再評価されることにもなる。02年には、1953年から62年までの雪村の代表曲を網羅した『フジヤマ・ママ』という3枚組の豪華ボックス(必聴!)が発売されており、このブックレットにも小西は野宮真貴らと共にコメントを寄せている。

 ところで、服部の息子である服部克久もパリ国立音楽高等音楽院(コンセルヴァトワール)で学んだ作曲家/編曲家だが、多くの読者には克久の息子である服部隆之のほうが馴染み深いかもしれない。隆之は小沢健二、椎名林檎、山崎まさよしらの曲で編曲を担当しており、特に小沢健二に関しては『LIFE』(04年)や『So kakkoii 宇宙』(2019年)に全面的に関わっており、小沢が全幅の信頼を寄せているからである。

 この原稿を書くにあたって服部良一の自伝や評伝を渉猟したが、これらの事実に触れられている書は皆無に等しかった。だが、重要なのはこうして彼の遺伝子が現在にも受け継がれているという事実のほうだろう。彼の音楽はハイカラ……いや、今聴いてもモダンそのものである。


『服部良一生誕100周年記念企画 ハットリ・ジャズ&ジャイブ』(日本コロムビア)

 渋谷系まで余波の及んだ服部良一の音楽が、どの程度人口に膾炙していたのか、いくら国民的音楽家といっても今の若い世代にはピンとこないかもしれない。だが、例えば1980年にTBSが“歌謡曲と日本人”というテーマで、全国3000人を対象に行われたアンケートでは、服部が作曲した「青い山脈」(1949年)が堂々1位を獲得している。それも、支持率51%という驚くべき数字をたたきだしているのだ。 同曲が石坂洋次の小説を脚色した日本映画『青い山脈』のヒットと同期していたことを考慮しても、なかなかの数字ではないか。

 ちなみに余談めくが、先述の「山寺の和尚さん」が発表されたのは盧溝橋事件が起きた1937年。この年、日本の歌謡曲は俄かに盛り上がりをみせている。ざっとヒット曲を挙げると、淡谷のり子「別れのブルース」、林伊佐緒・新橋みどり「もしも月給が上がったら」、上原敏「妻恋道中」、上原敏・結城道子「裏町人生」、岸井明・平井英子「タバコ屋の娘」等々……。むろん、戦時下ということで「海ゆかば」のような官製軍歌も作られていたわけだが、『相倉久人にきく昭和歌謡史』によれば、そこまで国民的のメンタリティは切迫していなかったらしい。この辺りの事情は井上寿一『理想だらけの戦時下日本』に詳しく記述されているので参照して頂きたい。 今回はとにかく、ジャズと歌謡曲が地続きだった時代の空気と、その象徴である服部良一の存在の重要性を知ってもらえれば幸いである。

後編に続く

Profile

土佐有明/Ariake Tosa土佐有明/Ariake Tosa
ライター。音楽評の他、演劇評、書評なども執筆。3月にDU BOOKSから『イカ天とバンドブーム論』を上梓。現在は日本のジャズ史を網羅するディスクガイドを準備中。今年の春から、知見を広めるべく大学の授業にこっそり通ったりしています。

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