Home > Interviews > interview with AO - はじめにダブありき
いま日本の若い子は、逆に現実を知りすぎていて、僕らの若い頃なんかよりはシビアな思いをしてるという気がするんですよね。色気づいた頃にはすでに景気も悪いわけで。これ聴いて「バカやってるな」と思ってもらえたら、嬉しいですけどね(笑)。
AO INOUE Arrow ビート |
■AOちゃんの作品はいわゆるダブステップではないけど、底辺にあるのはダブだなって思うんですよね。さっきも言ったように〈ON-U〉っぽいんです。雑食性が高い。いろんなものが混じってるから、強いてジャンル分けするならベース・ミュージックと言うしかないだろうな、って思ったんですけど。
AO:そうですね。
■でも、UKのベース・ミュージックとはぜんぜん違うんですよね。
AO:そうですね、感情表現の延長でしかないのかなって思うんで......。
■でもダンス・トラックが多いし、グルーヴィーじゃないですか。
AO:ははは。踊れるってのはいいですよね。踊れる曲にしたいなっていうのはたしかにあったんです。
■ベース・ミュージックって、いまや国際的なジャンルでしょ?
AO:ベース・ミュージックの、誰もがそこに参入できるという、そういう自由な雰囲気は感じとってはいたと思うんですよね。そこの土地土地のリアリティでグッとなっていって、それがバーンと広がる瞬間みたいなものっていうのはたぶんレゲエでもあったと思いますし。そういう動きみたいなものっていうのは、UKガラージとかにも感じてましたし。
■作品のなかでトースティングを入れなかったっていうのは?
AO:そうですね。というかまったくはじめからインストですね、これは。
■1曲目のMCはサンプリング?
AO:あれサンプリングですね。基本、自分の声は入ってないです。口笛は入ってますけどね。ヴォーカル・アルバムにするっていうのはまったく考えてなかったので。インストでやりたかったんです。
■いや、誰もがこれ、「まさかAOちゃんってあのAOちゃん?」っていう風に思ったでしょうね(笑)。
AO:そりゃあそうですよね、普通に考えて(笑)。ただ、たとえばダブステップはサウスロンドンとか、ジャングルもロンドンの公団住宅とか、その地域地域の特殊性みたいなものがあるじゃないですか。日本でもそれができないかと思ったんですよね。自分のリアリティを素直に表したインスト作品っていうか。
■自分でトラックを作りたいっていう欲望があったんですね。
AO:衝動というかね。7~8年前、ドラヘビがメインって考えると、メインの活動とは関係なくやっていたとはいえ、わざわざサンプラーを買ってシンセを買ってやってるわけですから。
■機材を揃えるのって勇気いるよね。僕も20代のときにサンプラーを買ったんだけど、男の36回ローンだったもん(笑)。
AO:はははは。僕もそんなようなもんです。何だろう、音楽が好きだし、もともと機械をいじるのも好きなんです。僕の場合は2000年代の初頭に、MPCも小さくなって、シンセも小型になって、運良くハードディスク・レコーダーも借りられて。いろいろ偶然があったんですね。
■やっぱり自信があったでしょ(笑)?
AO:いや、自信はほんとにないんですよ! マジで。
■はははは。
AO:ですし、はっきり言って、まわりに止められてましたからね。
■「やめてくれ」って?
AO:そうですよ、ほんとに。「絶対こんなのはやらないほうがいいよ」とか「向いてねえ」とか、いちばん近しい人たちに言われてましたから。
■はははは!
AO:聴かせたりすると「拷問だね」って言われて。
■それは逆説的な愛情表現でしょう(笑)。
AO:僕はそれをけっこうそれを素直に受け止めてしまって、しかも自分は痛い目見ないと気づかない性格だっていうのも大きくあるんで(笑)。それで、まあ、昨年、それまでの自分を振り返ったときに、「バンド活動と女とドラッグと借金と、他に何がある?」ってね(笑)。それで自分と向き合って、自分の曲を客観的に聴いてみようって。昔自分が作ったものをいま聴くと、何て言うんですか、すごく怖いもの、怖くて暗いものだろう、っていうイメージがあったんですけれども。
■自分の作品が?
AO:しっちゃかめっちゃかだろうし、ダメなんだろうなって思ってたんですよね。でも、聴いてみたら「意外と大丈夫かもしれない」って思えたんです。
■いや、でもホントに格好いい作品ですよ。ポスト・ダブステップのテクノ感覚みたいなものと近いのかなと僕は思ったんだけど。
AO:基本は感情表現なんです。少しの衝動みたいなものと、心象風景みたいなものを込めているつもりではあるんですけど。何かやっぱり、そういうものがすごく自分にとってはいいんだなと思います。ダンス・ミュージックを聴いてても思うものもありますし。
■ちなみにDJはどれくらいの頻度でやってるんですか?
AO:えっと、いまはもうずいぶん少なくなっちゃって、月1回2回ですけど、ピーク時はやっぱ年に100箇所以上やっていましたね。
■へえー。
AO:で......沖縄や北海道の方まで。海外はなかったですけども。
■何年間ぐらい?
AO:ピークだったのが2、3年間ぐらいですね。それは2003年、2004年、2005年ぐらい。あとは自分で皿をかけて自分で歌うっていう、そういうセットでもけっこう回ってました。だから秋本っちゃんがやめてからのドライ&ヘビーっていうのは個人の課外活動っていうのも盛んな時期であって。
■ソロ活動ね。
AO:そうですね。それは積極的にやってきた部分もあったんですよね。ちょっと個人的にも思うところがあって。
■そういう風にDJで回った影響っていうのがきっとあるんだろうね。
AO:すごくありますね、それは。いろんな場所で、規模にかかわらず現場で受けた印象、すごい瞬間っていうのがたくさんあったので。北海道でもどこでもいいんですけど。けっこういろんなジャンルのイヴェベント呼んでもらえたんで、何か......そうですね......まあ言葉にうまくできないんですけど(笑)
■『アロー(ARROW)』ってタイトルにしたのは何でなんですか?
AO:「矢」っていうのは現状を打破していくとか、一本の意志みたいなものの象徴にしたいなって思ってですね。「三本の矢は折れない」って日本の言い伝えがあるじゃないですか。今年震災と原発事故がありましたよね。それがいま、矢は折れちゃってるような状況だと思いますし。あと、『ブロークン・アロー』って映画にもなったんですけど、アメリカ軍の作戦コードで核兵器がなくなっちゃったときのコード・ネームが「ブロークン・アロー」っていうのがあって。だから矢が折れちゃってるっていうネガティヴなイメージと、それと「これからもう、ほんと何とかしていくしかねえんだよ」っていう状況なので、これはもう希望を込めて、いいかもしれないと。
■なるほどね。僕はそこにもうひとつ、ドライ&ヘビー的ながむしゃらさを付け加えたいですけどね。
AO:そうですね。
■まあ、ドライ&ヘビーよりソロのほうが自由を感じますけどね。
AO:はははは。レゲエって、ジャマイカ風にやってみたりとか、ラスタにのっとってみたりだとか、ルーツではこれしちゃいけないとか、いろんな道を踏んで行く楽しみ方もあると思うんですけど。そういうのは、まあひと通りけっこうやってきて。今度は自分のなかで生まれたものだけを出したいと思ってこれを作ったわけで。若い世代に言いたいのは「俺みたいな奴でもできるんだぞ」ということですよね。
■イギリスのインディ文化なんて「他人からどう思われるか」じゃなくて、「俺でもできるんだぞ」と「俺はこれが好き」の集積だもんね。
AO:そうですね......いま日本の若い子は逆に現実を知りすぎていて、僕らの若い頃なんかよりはシビアな思いをしてるという気がするんですよね。色気づいた頃にはすでに景気も悪いわけで。
■こういうときこそジャマイカン・ザムライの出番だね。「俺を見ろ!」的な。これやったらバカと思われるかもしれないけどやっちゃうっていう。
AO:そうですね、ひょっとしたらそうかもしれない。まあ何か、これ聴いて「バカやってるな」と思ってもらえたら、嬉しいですけどね(笑)。
■そうだよね、バイリ・ファンキだもんね。
AO:そうですよ!
取材:野田 努(2011年12月08日)