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PLASTICZOOMS CRITICAL FACTOR felicity |
プラスティックズームスのフロントマン、SHOには大きな借りがある。出会いは2010年。大学を中退したばかりの僕は、気分を晴らすためにますます音楽に没頭していた。失ったものの穴を埋めるために必死だったし、いろんなライヴハウスに通った。しかし、やりたいことは定まらず、時間だけが過ぎていった。ライヴハウスに知り合いはいなかったし、常に不安で、孤独だった。
そんなときに唯一話しかけてくれたのがプラスティックズームスのSHOだった。スタイル・バンド・トーキョーのイヴェントでDJを終えた彼に、僕は自分がライヴ・イヴェントをやりたいことや音楽に関わりたい気持ちなどを素直に話した。彼は純粋な笑顔で、僕に「絶対に出来るよ。なんでも力になるし、僕でよければ手伝うからさ」と言ってくれた。
あれから3年が経った。僕は去年、初めて自分のイヴェントを開いた。少しずつだが音楽の現場に関わる機会も増えてきた。そして今回は、取材という形で、SHOへの感謝を伝える機会も得た
3枚目のニュー・アルバム、『クリティカル・ファクター』がリリースされる。レーベルは七尾旅人や前野健太、やけのはらや快速東京などのリリースで知られる〈フェリシティ〉。
プラスティックズームスのダークウェイブを参照したスタイリッシュでアグレッシヴなサウンドは、ボー・ニンゲンやサヴェージズとも通じるところがある。いまっぽい音なのだ。が、とはいえ、このバンドにはロマン主義があって、それは、1枚目のアルバム『チャーム』の頃から、SHOの優しさのように変わらない。
高校時代、僕は教師にどうして髮を染めてはいけないのかきちんと説明して欲しいと詰め寄ったことがある。教師は「それが決りだから」とだけ言い残して、教室から出て行った......そして僕はジョイ・ディヴィジョンの『アンノウン・プレジャー』をTシャツを着るようになった。
ゴシックは、たとえば19世紀末、西欧が近代化を果たしたときに盛り上がっている。電気と機械が生活のなかで普及し、店の照明や街灯によって夜でも世界は明るくなった。そうした変化に違和感を覚えた人は、暗闇や不合理な世界のほうを向いた。ゴシックは、新しい技術や明るさの氾濫のなかで息詰まる人たちの逃げ場だった。ポストパンク時代にゴシックが流行ったことも、インターネットと明るさに翻弄されている現代にゴスの妖しい炎が燃えることも理解しがたい話ではない。ファッショは、マルコム・マクラレンが言うように、つまはじき者たちが変身するための術なのだ。真っ黒な服装に身を包んで、取材場所にもばっちりメイクをして登場したSHOに、彼のゴシック精神について訊いた。
いやもうボコボコだし、ヤンキーのバイクに敷かれたりしましたね(笑)。そういうのは余裕でありました。自分が好きなファッションをしたりパンクを聴くっていうのはある種自分を守ることでもあったんです。
■えー、なぜいまゴスなのかっていうところからお話を伺いたいんですけども。
SHO:なるほど、そこですか。
野田:僕なんかはゴス、リアル・タイムだったんだけど、かれこれ30年も昔の話で、だからなんでいまゴスなの? 僕もそこがすごく気になるんですよね。
SHO:はじまりはゴスじゃなくって70's パンクだったんですけどね。中学のときに70's パンクに触れて、80'sハード・コアだったり、ニューウェイヴにハマってゴシックにたどり着きました。でもいまはゴシックも通り越したと僕は思ってます。
ファッションに関してはそのトータルが黒に繋がったっていう感じです。実際その質問よくされるんですけど、ゴシックのあの雰囲気が自分の性格に合うんです。ファッションにしてもデザイン性が高いし、そういう繊細な部分が自分にフィットするんですよね。
■どういうきっかけで70's パンクに出会ったんですか?
SHO:これに関しては親ですね。僕の親がレコードで、ビートルズとかキンクスとかプレスリーなど、いわゆるオールディーズと呼ばれるものもよく家で流れていたんです。他にもクラシックだったりジャズだったり。その反発でもないんですけど、小学生のときにバスケットボールをやってた影響で80~90年代のヒップホップを聴きはじめたんです。で、それのまた反発でパンクに目覚めました(笑)。
一同:(笑)。
野田:でも、オッド・フューチャーとかも、ちょっとゴスっぽいしな。
■ちなみにヒップ・ホップってなにを聴かれてたんですか?
SHO:なんでも聴いてましたよ。ランDMCも聴いたし、ビースティー・ボーイズとか。バスケットボールの選手とかがラップをやってたりもしたんで、シャキール・オニールとか。
■サウンドもスタイルも全然違うじゃないですか?
SHO:全っ然違う。
■パンクに関してはどこにいちばん魅力を感じましたか? サウンドですか? スタイルですか?
SHO:どっちもですね。
野田:いちばん好きなバンドってなんですか?
SHO:うーん、いちばん好きなのか......
野田:じゃあ3つで(笑)。
SHO:えっと、バズコックス、あとは......、たくさんいるんだよなー(笑)
野田:バズコックスはどの時代が好き? ピート・シェリー? それともハワード・デヴォード?
SHO:『シングルズ・ゴーイング・ステディ』が好きで。ピート・シェリーも好きなんですけど、"テレフォン・オペレーター"が特別好きって感じです。ネオン・ハーツとかザ・マッドとかも好きですね。ザ・マッドはスクリーミンング・マッド・ジョージっていうニューヨークで特殊メイクやってる人がやってたバンドなんですけど。でも、音楽とファッションを一緒に考えるきっかけを与えてくれたのはセックス・ピストルズ。マルコム・マクラレンの仕掛けかたとか。ヤバいなと思いました。
野田:ピストルズっていろんなものが詰め込まれていたからね......。彼らのなかで、いちばんピンときたファッションってなに?
SHO:デストロイのガーゼ・シャツですね。基本的に76年のセディショナリーズが好きです。
■それって何年の話ですか?
SHO:何年だろ? 中1だから......
野田:完全に変な人だよね。
SHO:僕それで町追い出されたんですよ。
野田:それは追い出す町が間違ってるよ。
SHO:町で問題になってるって母親から聞かされたときはびっくりしましたね。子供に悪影響だからって理由で追い出されたんですよ。
野田:どこですか?
SHO:水戸の下のほうの町です。中学のときはずっとそういう格好をしてましたね。でも高校は転入して通信行ってたので服装も自由だったんでやりたい放題やってました。安全ピンたくさんつけたり、メイクもして。キャット・ウーマンの髪型したり。西暦でいったら2000年の頃とかですかね。
■友だちはいました?
SHO:中学の頃はほぼいないです。ひとり暮らしをはじめてからは水戸のパンク軍団と知り合いましたけれど。でもそんな友だちのこと考えたことないです。実際、つい2~3年まえまで誰も信用してませんでしたからね。
自分は独りで死んでいくんだって思ってました。作るっていう作業を死ぬ準備だと思ってましたね。やっぱり作品を作っていくと同時にいろんな人が集まってくるじゃないですか、自分を必要としてくれる人だったり。でも僕は必要としてくれるっていうところに意識がなかなかいかなくて、むしろそこに偽善みたいなものを見いだしてしまっていたんですけど、今回のアルバムは初めてそこがクリアになった状態で作れた作品なんです。
野田:音楽性なんかは全然違うけど、アウサイダーっていう点では、君は下津君(踊ってばかりの国)のゴシック・ヴァージョンだね!
SHO:ああ!
野田:そんなの格好で地元を歩いてたらオラオラ系とかヤンキーに絡まれたでしょ?
SHO:いやもうボコボコだし、ヤンキーのバイクに敷かれたりしましたね(笑)。そういうのは余裕でありました。
■でもそんなことされて、なおさらそこにとどまることって難しいですよね?
SHO:自分が好きなファッションをしたりパンクを聴くっていうのはある種自分を守ることでもあったんです。僕、自分にジンクスを作る癖があったんですよ。とにかくこうじゃないとダメとか、自分はこれじゃないと自分じゃないみたいなものを作りやすい人間だったんで、たぶんそれが自分を変えない理由で、ここまでこういう風にきた理由なんだと思います。でもひとりで追求するのが好きだったんで、レコード掘ったり、画を描いたりしてました。でもそれはいまも変わらないかな。
■ずっと洋楽を聴かれていたんですか?
SHO:ずっと洋楽なんですよね。スーパーとかでかかってたJ-POPとかは自然に耳に入って来てしまいますけれど(笑)。
■日本でいま自分たちと似てるなぁと思ったり、なにかしらシンパシーを感じるバンドっていますか?
SHO:ザ・ノーヴェンバーズとリリーズ・アンド・リメインズですね。あとはもう解散してしまったんですけどサイサリアサイサリスサイケとか。あとパープル。サイサリアサイサリスサイケのトオル君とかはいまでも注目してます。あとボー・ニンゲン。ボー・ニンゲンのメンバーもかっこいいなと思います。それこそさっき名前が出た踊ってばかりの国の下津君だったりとかね。
■いま挙げてくださった人たちのどういう部分にいちばん惹かれますか?
SHO:まっすぐなところ。そこでしかないです。自分もそうでしかないと思っているし、見ためというよりはその人の目、ですね。僕絶対に人の目を見るようにしてるんですけど、実際ファッションってごまかせるじゃないですか、でもファッショに見合う目をしてたらそれは本物だと思うし、それに似合う音楽をやって、トータルでバランスをとれてる人に魅力を感じるし、僕はそういう人が好きです。いま挙げた人たちは全員そういう人たちだと思います。日本人にはあんまりいないなって思いますけどね。僕そういう意味で安全地帯とかすごい好きですけどね(笑)。
野田:いまのは聞かなかったことにしとこう(笑)。
一同:(笑)
SHO:初めて聴いたときとか超ニューウェイヴじゃん! って思いましたけどね。あとウィンクとか、カイリー・ミノーグのカヴァーですし。リリーズのケント君とそういう会話良くします。
野田:日本の音楽が聴けないんじゃなくて、日本の文化のある部分がすごい嫌で遠ざけてしまうみたいな感じはわかるけどね。自分もそうだったから。
SHO:いまは理解していますよ。プラスティックズームスが英詞な理由なんかも日本人のコンプレックスとかじゃなくて、ただ自分が作った曲に合うのが英語だっただけで、とくにそこに理由なんてないんです。
■これから作っていく曲で、日本語に合うサウンドが出来たら詞は日本語っていう場合もありますか?
SHO:かもしれないですね。僕やっぱりほとんどのJ-POPはかっこいいと思えないし、かっこいいと思えるもの以外はやらないですけどね。
野田:だけど、白い人たちの多くはこういうことを言うのね、「黄色い人がロックな服装で英語で歌うのだけはやめてくれ」って。俺らが歌舞伎をやってたらお前らもおかしいと思うだろ? って。そういうことを言われても英語で歌う?
SHO:歌う。僕の価値観でいうと、逆に外人が歌舞伎やってたら美しいと思うもん。
野田:それはいい見解だね(笑)。
SHO:僕は黒人が歌舞伎やってても美しいと思いますけどね。それがたとえ下手でも、その人が好きな気持ちを表現したいものであれば美しいと思います。まぁでもそれをお金とか汚い誘惑のためにやったらダメですけどね。
取材:菊地祐樹(2013年10月01日)
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