Home > Interviews > interview with Neo Sora - 映画『HAPPYEND』の空音央監督に(主に音楽の)話を訊く
『HAPPYEND』
新宿ピカデリー、 ヒューマントラストシネマ渋谷ほか、絶賛上映中
監督・脚本:空 音央
撮影:ビル・キルスタイン
美術:安宅紀史
音楽:リア・オユヤン・ルスリ
サウンドスーパーバイザー:野村みき
プロデューサー:アルバート・トーレン、増渕愛子、エリック・ニアリ、アレックス・ロー アンソニー・チェン
製作・制作: ZAKKUBALAN、シネリック・クリエイティブ、Cinema Inutile
配給:ビターズ・エンド
日本・アメリカ/2024/カラー/DCP/113分/5.1ch/1.85:1 【PG12】
ファスビンダーはゴダール作品の多くに複雑な感情を抱いていたが、『女と男のいる舗道』だけは例外で、27回も観たそうだ。まあ、映画には音楽ほどの身軽さはないけれど、好きな映画はたしかに繰り返し観たくなる。空音央は、喩えるなら、ひとりの人間が20回以上は観たくなる映画を目指している、と思われる。それにデビュー作というものには、かまわない、やってしまえ、という雑然としたエネルギー(そこには政治性も内省も含まれる)があるものだ。そしてその熱量は、彼のモンタージュを吟味するような余裕を与えない。ぼくはもういちど、『HAPPYEND』を観に映画館に行かなければならないのである。
高校を舞台にアナキズムを突き刺した作品といえば、ぼくの場合は真っ先にリンゼイ・アンダーソンの『If もしも……』、日本では相米慎二の『台風クラブ』が思い浮かぶ。もっとも『HAPPYEND』は、当たり前のことだが、それらのどれとも違っている。映像作家、空音央の長編映画デビュー作は、近未来のSFと言いながらも現在を語っている寓話だ。生々しい現実を「リアリズム」ではなくフィクションによって表現する手法は、音楽ファンにはアフロ・フューチャリズムを想起させるだろう。ブラック・ユーモアもふくめ、それは「テクノの聖地であるデトロイト」が得意とするやり方だ。
しかも興味深いことに、『HAPPYEND』ではテクノと岡林信康という、集団のための機能的な音楽と60年代のプロテスト・シンガーの歌が重要な意味を持つ。このじつに妙な組み合わせは、いま、我々の日常生活を支配する「リアリズム」に抵抗したマーク・フィッシャーの思想ともリンクしている、とぼくには思える。
というわけで、読者諸氏のために、空音央監督が本作制作中に聴いていた音楽のプレイリストを掲載しておこう。クラブ・カルチャーが映画で描かれるときは、ドラッグとセックスというあくびが出るようなお決まりのパターンばかりだが、『HAPPYEND』はまったく違っている。
それこそマーク・フィッシャーが言うように未来がなくなること、そのアイロニーと距離を持って世界と接することであって、フィッシャーが言う「メシア的な希望」、それともう新しいものはなにも生まれないという資本主義、ネオ・リベラリズムの絶望をつねに反復しているみたいな。
■質問に入る前に、まず、最初にひとつお伝えしたかったのが、「デトロイト、テクノの聖地」、まさかこのセリフを(日本の)映画で聞けるとは思っていなかったです。あの場面で、涙腺が緩みましたね(笑)。
空:コアですね(笑)。
■ほかにも印象的なシーンがいくつもあったんですけど、いちばん笑ったのは、楽器屋で働く無愛想なおばさんがおもむろに店内のDJブースの前に立って、テクノを爆音でプレイしはじめる場面。
空:あの楽器屋さんのモデルって、じつはPhewさんなんです。最初Phewさんにお願いしたんですが、タイミングが合わなくて。でも今回演じてくださった方もとても良かったです。
■Phewさんだとかっこよすぎるんじゃないですか(笑)。
空:そうなんです。Phewさんっぽいけど、もうちょっと普通の人みたいな感じにしたくて、あれをやってもらった感じです。
■あの、DJをやっている姿がさまになってしまっているんですよね。
空:あれ本当に一日で習得してもらったんですよ。全然DJとかやったことない方でしたけど。
■そうでしたか、あれは見事でした。それにしても、高校生を主役にした青春ドラマはたくさんありますが、「テクノが好きでDJもやる高校生」という設定はないと思います(笑)。このアイデアはどういうところから来たんですか?
空:自分が好きだから、それだけでしかないんですけど。自分の高校時代は、テクノにドハマりしていたわけではなく、ファンクの方が好きだったんですけど、大学時代にかなりテクノにドハマりして、クラブに行くようになったんです。それで、近未来だったら高校生でもテクノぐらいやってるかなとか(笑)。自分の好きなものを入れたいから、そのために設定を紛れるみたいな。自分の趣味でしかないです。
■行松(¥ØU$UK€ ¥UK1MAT$U)くんが出てるのもすごく嬉しかったですね。
空:僕も嬉しいです(笑)。
■行松くんとはどんな繋がりで?
空:行松さんはめちゃくちゃシネフィルで、エリック・ロメールの映画とかを観に行くといたりするんで、それでだんだん仲良くなったんです。蓮見重彦の本を渡されたりとか、そういう感じです。
■じゃあ映画を通じて友だちになったという?
空:そうですね。友だちですね。ニューヨークに住んでたころから一方的にファンで、Keep Hushっていうイベントの日本編に観にいって、話しかけたこともありました。そのあと、やけに映画館でよく遭遇するようになったり、自分も「GINZAZA」という短編上映シリーズをやっていたんですけど、それを観に来てもらったりとか、普通に家に遊びに来たりとか、そういう感じです。映画の趣味が合うんですよ。それで、「映画作るんだけど、ちょっと出てくれませんか」みたいな感じで言ったら「はい」みたいな感じで。
ニュー・ジャーマン・シネマでいまいちばん好きなのは、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーです。『八時間は一日にあらず』という未完成のテレビ・シリーズも好きだし、まあでも、いちばん好きなのは『マリア・ブラウンの結婚』ですかね。
■もともとファンクが好きだったということですが、音楽遍歴を教えてもらえますか?
空:子どものころからいろんな音楽を聴かされていて、ピアノとか、ヴァイオリンとかも子どものころは弾かされてたんですけど、ぜんぜん下手で練習も好きじゃなくて。最初にハマって、自覚的に自分からCDとか買いにいったのがレッド・ホット・チリ・ペッパーズかな。あとはゴリラズとか。
■10代前半とかのことですか?
空:そうですね、中学生ごろです。そこからベースを弾きはじめたら、だんだんファンクが好きになり、ジャコ・パストリアスとかそこらへんを通りつつ、同時進行でレディオヘッドやポーティスヘッドを好きになったりとか。同時期に現代音楽とかもいろいろ聴いてたりとかして、大学に上がっていったら、テクノにハマったっていう。
■おー、なるほどね。
空:ちょうど僕が大学にいたときに、〈ナイト・スラッグス〉が流行ってたんですよ。そこらへんをどっぷり浴びて。
■〈ナイト・スラッグス〉かぁ、若い(笑)。ニューヨークですか?
空:ウェズリアンっていって、コネチカット州なんで、ちょっと違うんですけど、近いです。うちの大学はすごく、まあユニークなのかな、なんか生徒主体のコンサートを企画するクラブみたいなのがあって、大学からお金をもらってコンサートを企画するんですけど。で、僕が最初、大学に到着した日とかかな、僕の大学のなんかこう寮みたいなところで、ビーチ・ハウスやグリズリー・ベアがコンサートしてたり、〈ナイト・スラッグス〉のDJ、アーティストが来たり、でかくなる前のケンドリック・ラマーがいたり、そういう感じの環境だったんです。だから、そこで本当にいろんな音楽を吸収しましたね。
■じゃあ、もうかなりの音楽好きなんですね。
空:そうです。大学を卒業した後はブルックリンに住んでたんで、ブルックリンのクィアなクラブ界隈によく遊びに行きました。
■〈Mister Saturday Night〉周辺とか、アンソニー・ネイプルスとか。
空:アンソニー・ネイプルスは交流があって、前にPV撮ったこともあります。アンソニー・ネイプルスの曲も、編集中にちょっと入れたりしてました。
■じゃあ、DJパイソンなんかも。
空:大好きです。その界隈には本当によく遊びに行きました。で、楽器屋の店長がぶち上げる曲は、まだデビューもしてないんですけど、友だちの曲です。
■ああ、なるほど。あの曲も、2010年代のNYのアンダーグラウンドな感じがありますね。で、そんな空さんが映画という表現を考えるきっかけになったことってなんなんでしょうか?
空:生活のなかに映画を観るという習慣がありまして、友だちとつるむときも映画を観ていたし、両親と一緒にも観ていた。高校のころは通学路に映画館があって、普通のシネコンなんですけど、そこで友だちと一緒になんでも観るみたいな。高2、高3ぐらいになってくると、友だちのカメラを使ってみんなで映像を作ってましたね。まだ出たばっかりのYouTubeに載せたり。それで、大学に行って映画の授業をとってみたら、面白いなと思ったんです。自分がけっこう映画作品を観ていたこともわかったし。僕は多趣味で、絵も描いて、写真も撮って、音楽も好きだった。遊びで演奏もしていました。でも、まあ全部趣味で、下手くそなんですよ。全部平均よりちょっと上ぐらいな感じのレヴェルで、突出したものはなかったんです。
■謙遜じゃないですか(笑)。
空:そんなことはないです。高校ではいちばん絵が上手かったんですけど、大学に行ったら一番下手になるみたいな感じのレヴェルです(笑)。ただ、その全部が好きだったっていうのがあって、それで、映画だったらそのすべてをまとめてできるようなメディアじゃないかなっていうのがあった。しかも、映画の歴史の授業を最初に取るんですけど、そのときにやっぱり面白いなって思いました。で、体系的に学んでいくとさらに理解が深まったりもするんで、だんだん好きになっていきましたね。
■とくに大きな出会いは?
空:『アギーレ/神の怒り』ですね。クラウス・キンスキーが最後に猿を掴んで投げるやつとか、もう頭から離れないですよ。猿を掴む感じ、なんだこれは? みたいな。リュミエールから順に見ていくみたいな授業があって、それでニュー・ジャーマン・シネマにたどり着いて。ニュー・ジャーマン・シネマでいまいちばん好きなのは、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーです。『八時間は一日にあらず』という未完成のテレビ・シリーズも好きだし、まあでも、いちばん好きなのは『マリア・ブラウンの結婚』ですかね。
■ある意味もっとも過激な人ですね。あの人も音楽を効果的に使いますよね。『ベルリン・アレクサンダー広場』だって、戦前ドイツが舞台なのになぜかクラフトワークがかかる(笑)。
空:それこそ、大学ではクラウトロックとニュー・ジャーマン・シネマの関係性の論文を書いたりしてました。
■ヴェンダースの『都会のアリス』(音楽はCAN)もあります。いつか自分の作品を撮りたいって思ってたんですね?
空:はい、ずっと思ってました。大学生のころから、2011年、2010年、そのぐらいからです。
■じゃあもう、今回の作品の構想みたいなものもあったんですね。
空:7年ぐらい前にはありました。メモ帳を見ると、最初に出てくるメモが、2017年なんです。たぶん言葉にする前の段階では、2016年ぐらいからだったんじゃないかと思うんですけど、そのぐらいからずっとこれを作りたいと思ってたんです。
■自分の第一作目を青春映画、学園ドラマというか、そういうものにしようと思ったっていうのは、なぜなんですか?
空:たぶん多くの監督のデビュー作って成長や青春、まあ、カミング・オブ・エイジと言われるような、そういうものになると思うんですけど、それは比較的、自然なことなんじゃないかなと思っています。なぜなら、最初に作るものには、それまで、自分が生きてきた体験を詰め込みたくなるからだと思います。まさに自分もそうで、高校〜大学、卒業した後に渦巻いていた僕のなかにあったものを全部このなかに入れたみたいな感じです。
■なるほど、じゃあ実体験も入ってるんですか?
空:リミックスしてはいますけど、めちゃくちゃ入ってますね。ジェンガ(※積み木ゲーム)もやってましたし。
■青春映画を作るにしても、とくに学校を舞台にしなくてもいいわけですけど、それを選んだのは?
空:つまらない答え方だとなりゆきっていうか。友情の物語が核なんですけど、最初の方はもっと広い話で、学校外のこともいろいろ入ってたんですが、やっぱり物語を凝縮していって無駄なものをだんだん削っていくと、結局学校が舞台のメインになってきましたね。さらに予算のこととかも考えはじめると、最終的に(物語を作るうえでの)必要な場所が学校だったっていうのが正しいかな。
■学園ドラマではあるんですけど、ひとつの寓話ですからね。
空:そうですね。まさにその通りです。
■空さんの、いまの社会に対しての強い気持ちが、いろんな場面に現れていて、内的な葛藤みたいなものもふたりの主人公を軸に描写しているように思いました。で、空さんが最終的に何を言いたかったんだろうっていうのを考えるわけですけど……。
空:まあでも、伝えたいこととかはとくにないんです。(取材で)観客に対しての社会的なメッセージみたいなことをよく聞かれるんですけど、どういうメッセージなのかみたいな。映画とは、別にメッセージを伝えるものではないと思っています。メッセージを伝えるのは、プロパガンダ映画なんです。僕がこの脚本を書きたいって思うぐらい強い衝動が、2016年ぐらいに結実して書きだすんですけど、それは本当に溢れてくるから書くんですよね。書きたいという気持ちと、自分のなかで抑えきれない感情みたいなものが溢れてきて、それが合わさって映画になっていくみたいな感じでした。どちらかといえば、日記のように自分のなかの政治的な思いや社会に対する怒り、もしくは自分が経験した友人たちへの愛なんかを描いていくような。まあ実際に政治性をもとに人を突き放したり、突き放されたりっていう経験があって、その深い悲しみみたいなものだったりとか、まあそういうのが渦巻いてるわけですよね。とくに2016年にはトランプが大統領になってしまった。
■なるほどね。
空:というのもあるんですけど、まあ、いろいろ渦巻いていて。自分は映画を、まあ練習してきたし、勉強していたんで、そうしたものを映画にするのがすごく自然だったんです。だから作ったという感じで、社会についてのメッセージを人びとに伝えたいっていう気持ちはむしろなかったですね。まあでも、映画を通して発言する機会を与えられるのであれば、言いたいことっていうのはいくつかあります。関東大震災のときの朝鮮人虐殺を忘れるな、っていうのと、いま起こってるジェノサイドに対して声を上げろっていうのを、どうせ発言の機会を与えられるんだったら、それを言いたいなってぐらいのことなんです。でもそれは別にこの映画とはある意味関係ないっていう。
■ただ、ひとりの人間として言いたい、と。
空:映画ってすごい特異な場所で、劇場って何百人ぐらいの人が観るわけですよ、こっちのことを。しかもこんなに自分の脳内をさらけ出してるみたいな映画を観たあとに、監督本人が、質疑応答で出る機会があると、その人たちに対してなにか言える機会があってですね。そういう機会をくれるんだったら、そういうことは言いたいけど、でも、映画を通してそれを伝えたいかどうかって言ったら、違います。
映画を通して発言する機会を与えられるのであれば、言いたいことっていうのはいくつかあります。関東大震災のときの朝鮮人虐殺を忘れるな、っていうのと、いま起こってるジェノサイドに対して声を上げろっていうのを、どうせ発言の機会を与えられるんだったら、それを言いたいなってぐらいのことなんです。でもそれは別にこの映画とはある意味関係ないっていう。
■僕が今年見た映画で一番ショッキングだったのが、この『HAPPYEND』にコメントを寄せている濱口竜介監督の『悪は存在しない』なんですね。で、あの映画は説明をしない。一方で空さんの映画には、説明しようとしているものを感じるんですよね。良い悪いでも、説明的という意味でもないですよ。
ああ、ただ設定が設定なので、説明しないと描ききれないというのがあるんです。
■たしかに、未来が舞台なので、ある程度の説明は避けられませんからね
空:もっとも大変だったのは、友情が崩壊していくさま、その理由として政治性が芽生える。で、それを描くためには、政治性が芽生えるきっかけと社会の部分を描かないと描ききれない。それを描くには、左翼的な人たちが出てくるシーンも描くんですけども、難しかったのが、そういう人たちの会話の自然な台詞みたいなものを考えると、説明的になってしまうんです。なぜなら左翼は、めちゃくちゃはっきりとセオリーを言ってしまうから。資本主義はこうで、権力はこうでみたいなのを言うじゃないですか。で、そこをリアルに描いたヴァージョンもあったんですけど、そうすると映画的には非常につまらないものになってしまう。試行錯誤した結果、いまの形になってるんですね。座り込みのシーンもそうです。それを説明的に描いたらつまらないものになってしまったから、ああいうふうになってる。でも、本当はなるべく説明は避けたいと思っていますね。
■なるほど。あと、これは音楽の話にもリンクするんですけどね、もうひとつ面白いなと思ったのは、未来の高校生たちが岡林信康の歌を歌うこと。あれはなんで岡林なのかっていう。
空:歌詞がすごくテーマとリンクしているっていうのもあるんですけども、単純にあの曲が好きです。プロデューサーの増渕愛子が教えてくれたんですけど。森崎東の『喜劇 女は度胸』っていう映画で歌われているのを増渕が発見して、YouTubeで聴かせてもらって、めちゃくちゃ面白いじゃんみたいな感じになって。それでしばらくして、脚本についてふたりで話し合ってたとき「合唱してるシーンって映画的だよね」みたいな話になって、そういうシーンを入れようとしたとき、ちょうどいいじゃんみたいな感じで。
■未来の学園、テクノでDJで、岡林信康……。
空:いまってそういう感じじゃないですか。たとえば60年代70年代だったら時系列順にローリング・ストーンズ聴いて、ビートルズ聴いて、みたいな感じになってきますけど、いまはやっぱりもうTikTokの時代とかっていうストーリーですから。
■まあそうですね、たしかに。
空:だから、新しい音楽と遭遇したのと同じように、岡林も発見したりするのが、たぶんいまの音楽や文化との接し方っていうか。新しいものを時系列に追うという感じじゃなくなって、まあモノ・カルチャーじゃないっていうことですよね。自分の興味にそそられるまま、ネットを通して、どの時代も、どの文化のものにもアクセスできるようになっているという。
■なるほど。
空:この映画のなかには裏設定があって、DJっていうものがそんなにポピュラーじゃなくて、コアな変な人たちがやるものっていうふうにしたくて。この近未来の設定では、大衆が聴く音楽というのは、AIが生成して、自分のムードを検知したりとか、あるいは入れたりしたら、それを生成して聴かせてくれるみたいな時代になっている、と仮定しているんです。そのなかで昔の、——マーク・フィッシャーじゃないですけど——、古いものを再発見して、それで楽しむっていうのがユウタの癖というか、性癖というか。だけどそれって悲しいことであって、まあAIもそうなんですけど、結局古いものを融合させて、新しくないものをまた作り変えるみたいなことしかできない。それこそマーク・フィッシャーが言うように未来がなくなること、そのアイロニーと距離を持って世界と接することであって、フィッシャーが(『資本主義リアリズム』のなかで)ベンヤミンを引用して言う——英語でしか読んだことがないんですけど——「メシア的な希望」という、それともう新しいものはなにも生まれないという資本主義、ネオ・リベラリズムの絶望を常に反復しているみたいな。でも、「メシア的な希望」みたいなものを持ち合わせてないと革命は不可能なので、そのふたつの対立をここにいれたというような。だから、まさにマーク・フィッシャー。
■(笑)
空:ユウタが、楽器屋の面接のシーンで言う、「新しいモノってないじゃないですか」っていうのもまさにそれで(笑)。
■この映画をの作品名を『HAPPYEND』にしたのはなぜですか?
空:もともとは「アースクウェイク」、「地震」っていう仮タイルだったんですけど、で、考えていったときになぜか『HAPPYEND』っていうのに惹かれて。「ハッピー」が持っている語感のエネルギーみたいなものと「終末」を感じさせるエンディングが合体することによって、この映画の雰囲気っていうか、若者が発している、はつらつとしたエネルギーなんだけれども、それと対比して世界が、絶望的な世界がバックグラウンドにあるという、両方兼ね揃えたような雰囲気を醸し出しているかと思ってつけました。なので、有名なバンド名や曲名などとは関係はありません。
■深読みされたりするんですか?
空:されます。本当に関係ないです。たまたまつけたっていう。シンプルでいいと思いました。聞いたことあるフレーズだし、本当に誰でもわかるような言葉だけれども、独特のフィーリングみたいなものがこの映画とマッチしているんじゃないかなと。
■『悪は存在しない』もそうだけど、映画のタイトルは、作品を見終わったあとに考えるうえでのヒントになるというか、『HAPPYEND』もそうですよね。そこには、アンビヴァレンスなんだけどどこか清々しさがあるっていうか。
空:それはそうかもしれないですね。映画を観終わったあとにまた、劇場を出て『HAPPYEND』ってタイトルを見たら、たぶん入る前とだいぶタイトルの印象は変わるし、含みもありますよね。でも意外とつけたのは直感的というか。自分もバッチリな選択でしたね。
■空監督が今回の作品のなかでとくに気に入ってる場面ってどこでしょう。
空:たくさんあります。毎回笑ってしまうのが座り込みのシーン。窓がコンコンって鳴って佐野さんが開けて、寿司があってそれで何事もなかったかのようにカーテンをシュッて閉めるっていう。あの本当になんでもないように閉めるみたいな佐野さんのシーンがもう毎回爆笑しちゃって、すごい好きなんです(笑)。
■なるほど(笑)。
空:でもなんでしょうね、全部好きですよ。どのシーンもうまくいったなって。あと、もうひとつすごい地味なんですけど、機材が盗られてしまって、職員室に北沢って先生と5人が並んで、奥が深くて、っていう。あのシーンはワン・カットなんですけど、めちゃくちゃうまくいったなと思っています。カメラも動かないし、本当に引き画だけなんですけど、事務員が入ってきて鍵を渡すタイミングと、それが全部終わったあとに後ろでタイラがひょこって出てくるタイミング、リズム感が完璧だったんですよ、あのテイクは。ひとつのシーンで本当にミニマルにすべてができたなっていうのが、職業病的に見るとうまくいった実感があって。リズム感がいいんですよ(笑)。
取材:野田努(2024年10月18日)