Home > Reviews > Album Reviews > Beach House- Bloom
歌はつねにパフォーマンスであり、歌の言葉はつねに声に出して発せられる――声を運ぶものなのだ。(略)歌は詩よりも劇に近い。(略)
ポップ・ソングでは、明瞭さではなく不明瞭な発声が歓迎される。そしてポップ歌手の価値は、歌詞にではなく、サウンド――歌詞にまつわる雑音――にかかっている。日常生活では、もっとも直接的で強烈な感情の表現は、あえいだり、うめいたり、笑ったり、泣いたり、などなどの、たんなる雑音と関わっている。感情の深さや真正しさは、言葉を見つけられないことによって計られる。「怖い」とか、「愛している」のような言葉になった表現だけでは、説明しようとしている心の状態には不適切に思えるのだ。これこそが歌がうたわれる第一の理由だ。そして、日々の生活で人びとは、雄弁家、女たらし、政治家、セールスマンなど、多舌の才に恵まれた人に不信を抱く。詩的であることでなく、不明瞭さこそ、ポピュラー・ソングの作詞家の誠実さの徴なのだ。
サイモン・フリス『サウンドの力』(細川周平、竹田賢一訳)
ヴィクトリアの歌は、まさにそのパフォーマンス、その不明瞭さにおいて圧倒的な生命力を持っている。彼女の声は中性的で(二コやマリアンヌ・フェイスフルの系譜)、そして実にありふれた、たわいものない主題を、しかし力強い、何か特別なものに変換する能力を持っているのだ。
重厚なストリングス・サウンドがその感情の起伏をうまくサポートする。『ティーン・ドリーム』が出た2010年の1月、個人的に人生の崖っぷちに立っていた時期でもあってので(まあ、つねにそうだとも言えるが)、僕は新幹線のなかで、流れる景色を追いながら初めてそのアルバムを聴いたときに、おそろしく深い感動を覚えたのである。ポップにおいては「何が歌われるかではなくいかに歌われるか」が重要だというサイモン・フリスの分析は、我々日本人が長いあいだ洋楽に親しんでいることの根拠でもある。だからといって、『ティーン・ドリーム』を『ラヴレス』と比較しようとは思わないけれど。
とにかく、『ティーン・ドリーム』はドリーム・ポップの代名詞となった。『デヴォーション』の薄明かりの憂鬱は、"浜辺の家"というバンド名のちょっとした逆説の延長線上にあったに過ぎなかった......が、『ティーン・ドリーム』は海から遠く離れて、いわば夢のなかを自由に歩くソウルだった。自分の感情を抑えずに行動することが自由と呼べるのなら、ビーチ・ハウスの3枚目のアルバムにはそれを誘発する力がある。"ゼブラ"、そして"ウォーキング・イン・ザ・パーク"......これらある種凡庸な主題も、しかしヴィクトリアの歌とストリングスによって、不明瞭さのなか、何か別の意味をふくらませるのである。
我々がラヴ・ソングを好むのは、動物的な本能から来る性愛もさることながら、愛の告白にマニュアルがないように、求愛という行為が創造的でなければならないからだ。優れたポップスはときとしてそうした生活のなかの創造を後押しするものだが、2010年において『ティーン・ドリーム』はその行為におけるエースだった。最強のカードであり、切り札だった。鳴っていたら耳に入ってくる音楽であり、大衆操作や商業的戦略に支配されたポップスを本来の無垢な姿に戻すという意味においても、それは正真正銘のドリーム・ポップだった。
買ってからまだ10日ほどしか経っていない現時点で、『ブルーム』を批評するのは難しい。基本的には『ティーン・ドリーム』の方法論の焼き直しと言える。たしかに魅力的なドリーム・ポップではある。憂鬱やためらい、それら説明しづらい感覚は、"神話(Myth)"や"時間(The Hours)"といったビーチ・ハウス節と呼べる曲からズキズキと伝わってくる。"野生(Wild)"の気だるく甘美なメランコリーも自然と耳に、いまもなお、無垢に入ってくる。彼らは自分たちの良さをわかっているし、おそらく、ファンの期待にも応えているのだろう......が、完成度という点で前作を上回っているとは言い難い。
『ブルーム』の重大な欠点をひとつ挙げるなら、センチメンタリズムの王道が少なからず混在していることだ。とくに"他人(Other People)"のような、テレビのコマーシャルにでも使われそうなほどのMORには違和感を覚える。いわゆる「前作以上にポップになった」というクリシェで説明されるのだろうが、たんなる迎合的なメロディにも思える。
とはいえ、まあ、たとえば1枚のアルバムを買って、そのなかに3~4曲、胸がときめくようなポップスがあれば充分に満足できるのであれば、『ブルーム』は間違いなく良いアルバムだ。2曲であれば先に挙げた"神話"と"時間"。3曲であれば"アイリーン(Irene)"。俗事におけるささやかな夢が待っている。夜、街が静かになったときに再生しよう。
野田 努