「ZE」と一致するもの

 2025年1月、ロサンゼルス(以下、LA)を襲った山火事は現地に住む多くの音楽家たちの生活を奪い、コミュニティを離散させた。そんななか、LAの音楽シーンを支えてきたインターネット・ラジオdublabの日本ブランチであるdublab.jpは、支援と連帯を示すためのチャリティ・コンピレーションを制作。『A Charity Compilation in Aid of the 2025 LA Wildfires -resilience-』と銘打たれた作品には、岡田拓郎、王睘 土竟(荒内佑 + 千葉広樹)、食品まつり a.k.a. FoodmanBUSHMIND、Daisuke Tanabe、Albino Sound & Daigos (D.A.N)、SUGAI KEN、優河、Ramza×hotaru、TAMTAM嶺川貴子、白石隆之など、主に日本の有志たちによる楽曲が収録されている。

 ここまでジャンルレスに多彩な顔ぶれが揃うコンピレーションも珍しいが、それこそがLAの音楽文化の豊かさを表しているとも言える。そして、あまりに豊かで横断的であるがゆえに、シーンを俯瞰的に観測することは容易ではなく、相関図を作ってみたところで線が入り組みすぎてしまうだろう。

 では、現地の事情に詳しい人たちに、彼らの視点でシーンを切り取って語ってもらおうというのが今回の鼎談企画だ。語り手は、コンピレーションにも参加している岡田拓郎、dublab.jpの発起人であり自身のレーベル〈rings〉から現行LAシーンの作品もリリースしている音楽評論家の原雅明、そしてコンピレーションのプロデューサーでありdublab.jpの現代表の玉井裕規。なぜ私たちはLAの音楽に惹かれるのか、その答えが朧げに見えてきた。

LA的感性の根底にある「リスニング」志向

レコードが好きな人たちが好む音楽と、プレイヤーがやりたい音楽、クラブ・カルチャーの人が聴きたい音楽とが全部交差してシーンとして成立しているというか。(岡田)

玉井:今年1月にLAの山火事が起こった当初、報道からは断片的な情報しか入ってこなかったので、dublab.jpではLA現地のdublabやその周辺のコミュニティから状況を教えてもらって、よりリアルな実態を把握するための記事や支援団体に繋げるための記事を出したりしたんです。
それから、現地のメンバーと定期的に連絡をとるなかで、現地でも報道が減って風化していたり、保険金や支援金を受けるのにも複雑で長期的な対応を迫られるだとか、家を失った人たちのその後の生活とか、それこそ壊滅状態になってしまった音楽シーンのことなど、たくさん課題をたくさん聞いていて。
大金を集められるわけではないけれど、我々から現地の音楽コミュニティに対して、音楽によって支援できることはないかと考えてチャリティのコンピレーションを作ろうということではじまったのが今回の「A Charity Compilation in Aid of the 2025 LA Wildfires -resilience-」です。準備期間も要しましたが、結果として発生から5ヶ月が経ってからのリリースになったことは、ニュース性よりも長期的な支援を訴える上では良かったんじゃないかと思っています。

 参加アーティストは、dublabと関係があったり、LAの音楽カルチャーに影響を受けている方々に声をかけていった結果、本当に幅広い顔ぶれになりました。昨年LAでレコーディングされてらっしゃった岡田拓郎さんもその参加アーティストのひとりです。


玉井裕規(dublab.jp)

岡田:僕がLAに行ったのは2023年の5月が初めてです。Temporal Drift の北沢洋祐さんとは繋がっていて、元々2020年にちょろっと行ってみようと予定していましたがパンデミックになってしまい、ちょうど渡航のためのPCR検査などが必要なくなったのがそのタイミングでした。アメリカに行くのもそのときが初めてで、パンデミックが落ち着いてきて、生きてる間にいろんなところ行ってみよう! みたいな気持ちで向かったので、特にレコーディングのために行ったわけでもありませんでした。
 現地に着いたら、たまたまいろんなミュージシャンに会えたり、集まれば演奏したり録音しはじめたりみたいな感じで、もう音楽の生活への根づき方にびっくりして。
 Yohei(鹿野洋平)さんのことも知っていたので連絡して自宅にお邪魔したら、ちょうどPhi-Psonicsのセスさん(Seth Ford-Young)が「近くにいるから遊びに行くよ」ってことでコントラバスを持って来てくれて。
 Yoheiさんの家は庭がスタジオなんですよ。そこでせっかくだからセッションして録音しようよって、旅の写真を撮るような感じで半日ジャムって遊んでもらいました。そのときの録音のひとつが今年リリースした「The Near End, The Dark Night, The County Line」に収録されてます。


岡田拓郎

玉井:LAでは庭にスタジオを構えることは珍しくないですよね。Yoheiさんは素晴らしい作曲家でありプロデューサー、かと思えばローディーとしてブレイク・ミルズや斉藤和義、ロバート・プラントのツアーに参加していたりと、すごくフットワーク軽く活動している人で僕も正体がつかめていないのですが(笑)、元々はレコードの再発レーベルをやりたくてアメリカに渡った人なんですよね。

岡田:僕が個人的に好きなLAのシーンに対して抱いているイメージって、レコードが好きな人たちが好む音楽と、プレイヤーがやりたい音楽、クラブ・カルチャーの人が聴きたい音楽とが全部交差してシーンとして成立しているというか。そういう場所って世界を見てもあまりないと思うんです。すごく実験的なことをやったとしても、最終的にはリスニング・ミュージックとして楽しめる録音物に落とし込むというか。
 エクスペリメンタルと呼ばれるような音楽も僕は好きですが、そういった音楽は例えばインディ・ロックやポップス好きにはときに厳し過ぎる側面があると言いますか。LAではそういう音楽でも、あくまでリスニング作品として楽しめるものが多いように感じます。LAのいまのシーンで活躍している人たちが持っているおおらかなムードが、そういう作品づくりを可能にするんじゃないかと思います。ああいう空気感があると、出てくる音楽は当然変わってくるだろうなと。

原:dublab.jpで放送をスタートさせた2013年当初、LAのメンバーからは「どんな放送でも必ずアーカイヴしろ」としつこく言われたんですよ。まだ慣れないなかで内容がグダグダな番組もあって、こんなの残したくないよって言ったんですけど(笑)。当時はすべてのデータをLAのサーバーに保存する決まりになっていたので、提出しないわけにはいかなくて。渋々やっていたけれど、続けていくうちにアーカイヴすることの価値の大きさがわかってきました。LAには、必ずレコーディングして残す、という習慣のようなものが根付いているように感じます。例えば、カルロス・ニーニョは即興的なセッションをやったとして、その素材を使ってあれこれ編集したものをプライベートプレスでもいいから必ずレコードとして残すんですよ。そういう、リスニングの楽しみがわかっているというか、リスナー側のことをしっかり理解している人が多いなと思いますね。
 ミュージシャンって、どうしても演奏することがゴールになってしまいがちな節があると思うんですが、LAでは演奏とレコーディングが対になっている。その大切さをよくわかっているから、優れたレコーディング・エンジニアが育つし、質の高いスタジオが維持されてるんではないでしょうか。


原雅明

コロナ禍以降、ひとりで音楽を作ったりクラブでの演奏以外の活動が模索されたなかで、競争から離れるミュージシャンが増えて、その受け皿としてLAがあったという面もある気がします。(原)

そういう文化の源流になっているものは何なんでしょうか?

玉井:まずLAにはジャズやポップスなどのシーンと平行して、映画産業に紐づいた音楽産業がありますよね。

岡田:映画の(劇伴などの)仕事があることで、ミュージシャンたちがクラブ回りをする以外の食い扶持を得ることができたというのはLAらしい環境ですよね。

玉井:譜面が読めるミュージシャンが圧倒的に多いエリアとよく言われてたそうですからね。

原:仕事があるからLAにいる、ということは大いにあると思います。いまだったら、例えばNetflixから仕事をもらえるとか。コマーシャルなものとインディペンデントなもの、両方があって往来できるから、ネイト・マーセローやブレイク・ミルズみたいな人たちが大きい仕事もしながら実験的な作品も自由に作れているわけですよね。
日本でもそういう状況がもっとあればいいなと思うんですけどね。そうすれば、それこそ岡田さんみたいなアーティストがもっと活動しやすくなる。

岡田:そうですね。シカゴ時代のジム(・オルーク)さんのように、自分の作品を作りつつ、プロデュース、エンジニア業を行ったり来たりできたらなあとこの10年間やってきたところはあります。僕みたいなタイプのミュージシャンはLAにいけばいくらでもいると思いますが、日本の土壌だとまあまあ大変ですね(笑)。
 LAはコミュニティという単位で動くという意識も強いと思うので、コマーシャルなところにもクリエイティヴなまま関わることができている気がしますね。例えばプレイヤーはその現場に合わせてスタイルをいろいろ変えて合わせていくというよりは、そのプレイヤーのカラーが欲しいからその現場に呼ばれ、集まると言いますか。ジェイ・ベルローズとかメジャーな人とやっても、小さなクラブでプレイしても全然スタイルは変わらない。これって当たり前のようでいて、いざ自分の国のプロダクションの仕組みを省みるとなかなか難しいことだったりもする。これはLAに限ったことではありませんが。

原:なぜLAに音楽家が集まるのかということについては、気候が温暖で居心地がいいこともやっぱり大きいと思いますね。古くはストラヴィンスキーやマイルス・デイヴィスもキャリアの晩年はLAに移住していたりするわけですけど。ニューヨークのような場所は緊張感があってそれはそれで良いけれど、それが辛くなってきた人はLAの穏やかな環境に移っていくという動きが、近年のアメリカのジャズシーンでも現れていますよね。

岡田:LAとニューヨークで、やっぱりミュージシャンのカラーの違いは明らかにありますよね。

原:ありますね。ニューヨークはヒエラルキーがあって、ランク付けがつねにされているようなところがあります。それが収入にも直結していくような緊張感がある。それがやりがいと感じられる人もいるけれど、疲弊する人も当然いるわけです。それがコロナ禍以降、ひとりで音楽を作ったりクラブでの演奏以外の活動が模索されたなかで、競争から離れるミュージシャンが増えて、その受け皿としてLAがあったという面もある気がします。スピリチュアルな方面に目覚めるミュージシャンも多かったですし。

玉井:そういうムーヴメントやコミュニティも、今回の山火事で破壊されてしまったわけですよね。火災発生直後から、多くのアーティストたちは「GoFundMe」というクラウドファンディングのプラットフォームを使って各々が支援金を募る動きが活発だったんですけれど、いま、そういう形で資金を得ていた人々が政府からの補助金を受給しにくいという事態になっていたり、申請作業自体が非常に煩雑でそのやりとりだけで相当の時間を要するということも言われていたりするんですよ。
 そうなってくると、人材がどんどんLAから出ていってしまうんですよね。例えば、日本でもファンが多いファビアーノ・ド・ナシメントなども。LAの音楽産業から人材や頭脳の流出がすでにはじまってしまっている気がします。

岡田:僕が面識のあるLAの人たちは、みんな直接火災の被害は受けていなくて家屋も無事なんですけど、灰の被害がひどすぎて結局土地を離れてしまっている人が結構いますね。Tenporal Driftのパトリック(Patrick McCarthy)さんは火災の直後、しばらくは家を離れなくてはならなかったと言っていました。

原:マッドリブの家も焼けてしまって、機材やレコード・コレクションも失われたらしいですが、ちょっと信じられない損害ですよね。

岡田:ジェフ・パーカーとよく一緒にやってるポール(Paul Bryan)も、同じくスタジオの機材が燃えてしまったと聞きました。

原:この火災が今後どういうかたちで、どれくらいの損失を出すのか、まだ全く予想がつかない。

玉井:にもかかわらず、現地でも山火事に関する報道はほとんどされなくなってしまっているらしく、支援の動きが盛り下がってしまうことが心配です。

改めて振り返る、2000年代〜2010年代のLAシーン

そういうムーヴメントやコミュニティも、今回の山火事で破壊されてしまったわけですよね。LAの音楽産業から人材や頭脳の流出がすでにはじまってしまっている気がします。(玉井)

原さんがLAのシーンを意識したり、関わりはじめた当初のこともお聞きしたいです。

原:LAのdublabが立ち上がるのが1999年ですが、それよりも前に、dublab創設者のフロスティ(Mark “Frosty” McNeill)とは知り合っていたんです。彼はその頃から日本のアンダーグラウンドな音楽をやたら掘っていて。そういう作品のリリースに僕が携わっていたからか、直接コンタクトしてきたんですね。Rei Harakamiを聴かせたらのめりこむようにファンになってた。dublabがスタートしてからは、すぐに竹村延和を出演させたり。

玉井:それ、99年の放送ですよね。当時聴いていました。

原:その後、コーネリアスが初めてアメリカ・ツアーをしたときにもdublabに出てましたね。
LAに初めて行ったのは2008年。当時雑誌だったTOKIONからの依頼で、世界の各都市の音楽シーンを巡る企画の一環でした。僕はLAを希望したら行かせてもらえた。良い時代ですよね(笑)。ちょうど「LOW END THEORY」がスタートした年で、J・ディラが亡くなってから2年経っていたタイミングですね。そのときに行った「LOW END THEORY」には〈Warp〉からリリースする前のフライング・ロータスが出ていました。ほかにも、ラス・Gが働いていた〈POO-BAH-RECORDS〉やdublabのスタジオに行ったり。
 そこから 2010年になると、いろいろなことが爆発的に生まれていくわけです。フライング・ロータスの『Cosmogramma』が出て、それまでも盛り上がっていたビート・ミュージック・シーンから、アリス・コルトレーンのようなスピリチュアル・ジャズの源流につながっていくものも現れて。一方で、カルロス・ニーニョはジェシー・ピーターソンと『Turn On The Sunlight』を出して、ビート・シーンとは離れた場所でアンビエントやフォークっぽいアプローチに行く。
 『Turn On The Sunlight」は僕がレコードも出したんですが、カルロスいわく「ジョン・フェイヒーとブライアン・イーノが出会ったらこんな音楽になる」って言っていて、当時はそれがよくわからなかったというか「これはどこに向かっている音楽なんだろう?」と思ったりしました(笑)。でも、そこからほどなくして、ニューエイジ・リヴァイヴァルと言われる音楽に注目が集まり、『I Am The Center: Private Issue New Age Music In America, 1950-1990』のようなコンピレーションが〈Light In The Attic〉から出るようになった。
 そして、そういう動きと並行して、カマシ・ワシントンとかオースティン・ペラルタとか、ジャズ・ミュージシャンたちも当時はビート・ミュージックのレーベルだった〈Brainfeeder〉からジャズのアルバム(2015年にカマシ・ワシントン『The Epic』がリリース)を出すということも起きはじめる。
 さっき岡田さんが言っていたような、プレイヤー的な音楽もリスナー的な音楽もすべてが混ざり合っていくような土壌は、こういう動きのなかで完成されていったように見えるんですよね。

アンビエント的なものを内包したジャズというのは確実に出てきていますよね。こういう潮流が現行のLAシーンから生まれたということと、さらにその源流にはアリス・コルトレーンが1970年代に建てたアシュラム(僧院)があるんじゃないかと思います。(原)

そういうクロスオーヴァーな動きを牽引するようなミュージシャンたちは、どんな現場で育成されているのでしょうか?

原:例えば、LAジャズのメッカといわれるレイマート・パークにあるThe World Stageという老舗のジャズ・クラブはワークショップもおこなうコミュニティ・スペースでもあって、カマシやテラス・マーティンなんかも演奏していた。カマシたちが台頭したことで、The World Stageが綿々と続けてきたことにスポットライトが当たるようになりました。その後も、新しいプレイヤーを輩出し続けていて、いまのLAシーンで活躍している人たちにもここで地道に演奏してきたミュージシャンがいます。

玉井:THE PAN AFRIKAN PEOPLES ARKESTRAもThe World Stageのあるサウス・セントラルという地域で生まれていて、そうしたローカルなコミュニティからジャメル・ディーンのような新しい才能が出てきていますよね。

原:The World Stageはコミュニティをサポートして、教育の場になっているイメージですね。UKのトータル・リフレッシュメント・センターにも近い感じかな。

玉井:THE PAN AFRIKAN PEOPLES ARKESTRAのメカラ・セッションというドラマーのドキュメンタリー作品をdublabのフロスティとアレ(Alejandro Cohen)がプロデューサーとして制作しているんですが、ジャズ・スピリットがどうやって継承されていくか、みたいなことが語られていて。その系譜のなかにカマシやジャメル・ディーンたちがいるんだということがわかります。

https://www.pbssocal.org/shows/artbound/episodes/the-new-west-coast-sound-an-l-a-jazz-legacy
The New West Coast Sound: An L.A. Jazz Legacy

音楽が静かになっていく、その心とは?

昨今のLAのコンテンポラリーなジャズ・ミュージシャンたちは、一見オーセンティックでストレートアヘッドなジャズをやっていても、カルロス・ニーニョが提示したような感覚を持ってやっているというのは感じます。皆、極めて静かな演奏をしますよね。(岡田)

原さんから語られた2010年代の動きがその後向かった先のひとつが、昨今のジャズとアンビエントが接近したようなサウンドということにもなるわけですね。

原:「アンビエント・ジャズ」という呼称が適切なのかはわからないのですが、アンビエント的なものを内包したジャズというのは確実に出てきていますよね。象徴的だったのはやはりアンドレ3000がカルロス・ニーニョたちと作った『New Blue Sun』です。ヒップホップ・アーティストがスピリチュアル・ジャズやニューエイジにアプローチしたような作品で、もうこれが決定打になった感じがします。

 こういう潮流が現行のLAシーンから生まれたということと、さらにその源流にはアリス・コルトレーンが1970年代に建てたアシュラム(僧院)があるんじゃないかと思います。80年代にはLA郊外のさらに広大な土地に移って、商業的なリリースに背を向けてヴェーダ聖典を学ぶ人びとに向けて音楽活動をおこなっていた。
 フライング・ロータスや、アンドレ3000のバンドでキーボードを弾いているスーリヤ・ボトファシーナなんかは、アシュラムに出入りしていた人たちなんですよ。スーリヤはアリスの愛弟子で、アシュラムで育ったあとに名門のニュースクール大学に行ってジャズを学んでもいる。彼のようなミュージシャンも登場していて、カルロス・ニーニョと当然のようにつながっているわけです。
 『Cosmogramma』もそのきっかけのひとつだけど、アリス・コルトレーンのような音楽が再評価されて、一般的なリスナーにも聴かれるようになったことというのが、大きな流れのなかで影響を及ぼしているんじゃないかと思いますね。

岡田:クラブ・ジャズの文脈でスピリチュアル・ジャズの再評価がされた時代がありましたけれど、今日の視点は少し異なりますよね。それこそアリスの音楽はそこからも漏れてしまっていたと思いますし。

原:カルロスがビルド・アン・アーク(Build An Ark)をはじめたときはそういうクラブ・ジャズの流れで評価されていたわけだけど、それ以降のカルロスはビートを外す方向に行くわけです。おそらくですが、カルロス本人の考えとして、ビートを外さないと次にいけないと思ったんじゃないかと思うんですよね。ビルド・アン・アークはミュージシャンの集まりで、カルロスはほとんど演奏しないけどバンド・リーダー的な影響力があって、例えるならキップ・ハンラハンみたいな存在でもありました。でも、そのままプロデューサーに進むのではなく、プレイヤーとリスナーの中間みたいな居場所を見つけようと模索していたんではと思います。だから、ニューエイジやアンビエント的なものに振り切れば、いろいろなことができると思ったんじゃないかと。

玉井:カルロスが『ユリイカ』のインタヴューで語っていたことですが、「人は成熟するにつれてビート・ミュージックから離れていくものなんだ」みたいな、なかなか過激なことを言っていましたね(笑)。フィジカルに高揚するものではなくて、より自由な音楽の形を自己の内側に求めていたということなんでしょうね。

岡田:アンビエント・ジャズのようなサウンドは、まさにリスニング視点から生まれたものとも言えますよね。例えばマイルス・デイヴィスの黄金クインテットなんかは流動的に伸縮する身体性が注目される印象です。ですが、スタジオ作品においては抑制されていると言いますか、非常にプロデュース的な作品であったりもします。言わずもがな黄金クインテットのライヴは極上ですが、ここにおけるある種のプレイヤーズ・ミュージック的なセッションの部分がその後のプレイヤーや評論家に過度に注目され語られ引き継がれていった部分も少なくないように感じています。
 カルロス・ニーニョがビートを外したっていうのは、こうしたジャズにおけるこういった意味での火花が散るようなプレイヤーズ・ミュージック的なセッションへの再考と実践でもあるように感じています。そしてこれは必ずしも身体性との訣別というわけではありません。ビートこそありませんが、近年の彼の音楽の持つ身体性や自然環境のような流動性は作品を追うごとに増しています。熱を必ずしも外側に放射するのでなく、内的な熱にフォーカスすることもできる。前者が熱を帯びた会話や議論だとするなら、後者は会話もするけど、そんな大きな声も出さなくても会話ができるしそのなかにはビーチベッドでチルしてる人がいても良い感じと言いますか(笑)
 昨今のLAのコンテンポラリーなジャズ・ミュージシャンたちは、一見オーセンティックでストレートアヘッドなジャズをやっていても、カルロスが提示したような感覚を持ってやっているというのは感じます。皆、極めて静かな演奏をしますよね。大きい声を出さなくても会話ができる環境といいますか。

玉井:そういうアプローチはウェストコースト・ジャズでは昔からあるように思っていて、例えばジミー・ジュフリーがやっていたような絶妙な均衡で成り立っているアンサンブルのサウンドって、静謐で、ともすれば眠たくなるような演奏だけれど、それこそ現代のアンビエント・ジャズ的な耳で聴くとすごく良い。そういう音がジェフ・パーカーとか、いまのLAのジャズ・ミュージシャンに継承されているんじゃないかという気もしますね。

岡田:思えば、ジェフ・パーカーがETAでやっていたような(ETA IVtetの)セッションって、チコ・ハミルトンとかガボール・ザボのような、ドローンが基調にあってハーモニー的な起伏はできるだけ何も起こらない、当時のジャズ好きからしたら退屈とされてしまった音楽を思い起こさせますね。そしてこのミニマルな感覚は現代のLAジャズに通底するトーンを想起させます。

原:ジェフ・パーカーのソロ・ギター作品について「フリー・インプロヴィゼーション」ではなくて「フリー・コンポジション」とプレスリリースで説明されていた。即興演奏ではなくて、作曲しながら即興演奏しているんだと。それは言い得て妙ですよね。

岡田:これは本当に面白いですよね。カルロスがビートを外したことを踏まえて、その上で再びビートを取り入れ、複数人でお互いの演奏に耳を傾けながら即興的に組み立てていく。一見静かだけど、本当にスリリングで刺激的なサウンドだと思います。

ベーシックな文脈の上に、新たな行き先を提示する

僕はジョシュ・ジョンソンですかね。作品はもちろんですが、彼が去年dublabの番組に出た際の選曲がすごく良かったんですよ。それこそアンビエント・ジャズを俯瞰するような内容で。(玉井)

みなさんがいま追っているLAのアーティストやコミュニティについてもお聞きしたいです。

玉井:僕はジョシュ・ジョンソンですかね。作品はもちろんですが、彼が去年dublabの番組に出た際の選曲がすごく良かったんですよ。それこそアンビエント・ジャズを俯瞰するような内容で、ジョシュア・エイブラムスの新譜とかもかけていて、ジョシュのルーツにシカゴ音響派と呼ばれたような時代の音楽もやはりあるんだろうか、とか。

https://www.dublab.com/archive/frosty-w-josh-johnson-celsius-drop-10-10-24

岡田:トータスをはじめシカゴの音響的な音楽を聴いていたジャズマンがミニマルなジャズをやったら絶対おもしろいじゃん、とかそういうことを考えている人が当たり前にいる世界なんですよね。ゴリゴリにジャズができるけど、タウン・アンド・カントリーも吉村弘も好きみたいな人がたくさんいる。僕もそういう話だけをしていたい……(笑)。

玉井:(ジョシュの選曲のなかで)あとはダニエル・ロテムとかもかけていて。

岡田:多重録音で作ってるひとですよね。すごく良かった!

原:ダニエル・ロテムの作品を出している〈Colorfield Records〉というLAのレーベルはすごく良いですよね。アンビエント・ジャズっぽいものも出しているレーベルなんですが、例えばマーク・ジュリアナやラリー・ゴールディングスの作品も普段の作風とは異なる音響感になっていたりする。レーベルのプロデューサーがピート・ミンという人なんですが、彼は必ずアーティストとマンツーマンでスタジオに入って一緒に作品を作り上げるというスタイルらしくて。

岡田:理想的ですよね。優れたジャズ・プレイヤーにこんな演奏をしてほしい、っていうコミュニケーションをしながら作品を作っていくというのは。ジャズの人たちはみんな演奏力が高いから、言ったことをなんでも体現してくれる。

原:プロデューサーとして正しいことですよね。とりあえず一緒にスタジオ入ろう、っていうのは。

岡田:一対一の〈ECM〉みたいな。

玉井:マンフレート・アイヒャーとマンツーマンは怖いですね(笑)。

最後に、岡田さんが注目しているアーティストは誰でしょうか。

岡田:ディラン・デイというギタリストですね! 彼は本当に面白いギタリストです。日本にはサム・ウィルクスのライヴで来ていましたけど、やばい音を出す人だなと思ってステージの足元を見に行ったら、チューナーしか置いていなかった(笑)。いわゆるデレク・トラックス的な上手さもある人なんですが、マッチョな演奏ではなく、すごく抑制が効いていて。スライド(・ギター)のプレイも時にサイン波の電子音のように聴こえたり。

 プリミティヴなアメリカーナがルーツなんだと思うんですけど、サム・ウィルクスみたいな未来的な志向のあるサウンドにエフェクターなしで入り込めちゃうというのは、ちょっとショックですらありますね。Phi-Psonicsの次の作品にも参加しているらしく、自分のかたちを変えないでどんな音楽にでも入っていけるというのは、いまの時代に珍しいスタイルだと思います。
 ディラン・デイしかり、SMLなどに参加しているグレゴリー・ユールマンとか、ジャクソン・ブラウンの来日公演で観たメイソン・ストゥープスとか、すごく面白いギタリストがLAからたくさん出てきている。トラップが全盛だった2010年代というのは、多くのギタリストはギターの役割について向き合わなくてはいけない時代で、自分もそういうことを考えていた。いま一度、ギターという楽器を楽曲のなかでどう位置づけるか、どうやって新しいサウンドを見つけるかという模索を、彼らもこの10年してきたんじゃないかという気がします。それを経て2020年代に入って新しい可能性を提示しているんじゃないかと。

彼らに共通している特徴を見出すことはできますか?

岡田:いまはエフェクターでできることが拡張しているなかで、テクノロジーを使ってどんな音を出すかを模索するうちに、どんな変わった音を出すかというペダリストに陥ってしまいがちな時代だと思います。ときに鳥の鳴き真似合戦になってしまっていないか、とか(笑)。彼らはユニークな音も扱うけど、極めてギターをギター的に弾くことで勝負できる人たち。ブルース、ジャズ、カントリーというベーシックなアメリカの音楽史の流れのなかでのエレキ・ギターが、ギターについて本当によく知っていますし、現代の音楽に対してこの古典的な楽器でどうアプローチすれば、どこに向かっていけば面白いのか、について本当によく考えていると思います。そういう文脈がないと、音楽自体がどこへ向かっていけばいいかわからなくなってしまうようにも思う。文脈がないと、結局ペダリストになってしまうとも言えるし。だから彼らのことは、120%支持したいですね。

Susumu Yokota - ele-king

 横田進の7枚組のボックス・セットが8月1日にロンドンの〈Lo Recordings〉から発売される。これは、横田の没後10年を節目とした同レーベルの企画で、1998年に始動した横田のレーベル〈Skintone〉から2012年までにリリースされた14作品がCD・アナログ両フォーマットにて復刻される。その第一弾として、今回は以下の人気作がセットに入っている。
『Magic Thread』(1998) 『Image 1983-1998』(1998) 『Sakura』(1999) 『Grinning Cat』(2001) 『Will』(2001) 『The Boy and the Tree』(2002) 『Laputa』(2003)
 
 全作品はリマスタリングされ、アナログ盤ではカラー・ヴァイナル(全13枚の12インチの盤)仕様、各アルバムのカヴァーアートは新しくデザインされ、彼の詳しいバイオグラフィーが綴られたブックレットも封入されている。CDが1万5千円弱、アナログ盤は5万強と高価な商品だが、ファンには嬉しい企画だ。限定発売なので、早めに予約しよう。

Susumu Yokota
Skintone Edition Volume 1

Pulp - ele-king

 1995年という年は、いまとなっては当時の1965年と同じくらい遠い過去になった。1995年、グラストンベリー・フェスティヴァルのメインステージに、ストーン・ローゼズの代役として突如ヘッドライナーとして登場したパルプにとって、それはバンドの飛躍を意味したものだったが、同時に、イギリスのポップ・カルチャーにおける決定的な出来事でもあった。当時リリースされたばかりのシングル「Common People」は、その瞬間にして90年代を象徴するポップ・ソングとしての地位を確立したのだった。
 あのときの勝利は、周縁に追いやられてきた人びと、置き去りにされてきた人びと──インディ・キッズ、労働者階級、学校でいじめられ、スーパーマーケットの駐車場で暴力を受けていたような“変わり者”たちにとっての正当性の回復のようにも感じられた。
 あれから30年──2025年に(あまりうまく隠し通せなかった)シークレット・セットとして同じステージに戻ってきた彼らは、明らかに年齢を重ね、白髪も混じった風貌のバンドとなっていた。もっとも、ジャーヴィス・コッカーはもともと“老けた若者”のような佇まいで、彼の身体がようやく年齢に追いついただけとも言える。その意味では、彼の佇まいはあまり変わっておらず、2025年のパルプのライヴは、驚異と美しさに満ちたものだった。90年代の楽曲がひとつずつ演奏されていくにつれ、時間が逆流していくような錯覚を覚える。ジャーヴィスの表情や身振りが、いつしか過去の写真のなかの彼自身と重なっていき、ひとつひとつの曲が、ふたたび若さを帯びながら息を吹き返していくのだ。

 パルプの新作アルバム『More』は、こうした熟年期の彼らが生み出した作品である。そこには人生の静かな失望や諦念が、擦り切れた袖口のように滲んでいる。だがこのアルバムは同時に、過去の断片や未完の思考と緩やかにつながりながら、それらを現在へと開かれた「連続体」の一部として再構築している。過去と対話を重ねることで、それをいまなお生き続ける何かとして復活させている。

 オープニング曲 “Spike Island” は、1990年にザ・ストーン・ローゼズが敢行した伝説的な野外コンサートを参照している。この公演は、音響の不備や場当たり的な運営が問題視された一方で、インディ・カルチャーが時代精神を掌握した象徴的瞬間であり、パルプが1995年にグラストンベリーのメインステージに立つまでの流れを形成する上でも、重要な踏み石となった出来事だ。 “Slow Jam” に登場する「Cos I’m the resurrection man(だってぼくは復活の男だから)」という一節もまた、ザ・ストーン・ローゼズの代表曲 “I Am the Resurrection ” を想起させつつ、彼らが生み出した時代の空気がパルプの台頭を後押ししたという文脈をほのめかしている。
 アルバムにはその他にも、ポップ・カルチャーへの言及が点在している。 “Tina ” のなかの「Your lipstick on my coffee cup(コーヒーカップについた君の口紅)」という台詞は、90年代UKポップスの寵児テイク・ザットへのウィンクとして響く。そしてラスト曲 “A Sunset” では「I’d like to teach the world to sing(世界中に歌を教えたい)」というフレーズが繰り返される。これは、1971年に放映されたコカ・コーラのCM──海辺の夕焼けを背景に、若者たちが合唱するあの映像──に記憶の起源をもつかもしれないが、同時にオアシスの初期代表曲──ロジャー・クックとロジャー・グリーナウェイによる原曲 “I’d Like to Teach the World to Sing ” のメロディを流用していたことで知られている── “Shakermaker ” をも想起させる。

 もちろん、このアルバムにはパルプ自身の歴史も随所に織り込まれている。 “Got to Have Love ” でジャーヴィスが綴る「L-O-V-E」の綴り方は、1995年の名曲 “F.E.E.L.I.N.G.C.A.L.L.E.D.L.O.V.E. ” を明確に呼び起こすし、 “Grown Ups” における「Are you sure?(本気かい?)」という一言は、 “Common People” での印象的な語り口をなぞる。そして “Background Noise ” で告白される「Don’t remember the first time(最初のときのことは覚えていない)」という一節は、1994年の出世作『His’n’Hers』に収録された名曲 “Do You Remember the First Time? ” への静かな応答でもある。過去と現在、記憶と再演──それらはこのアルバム全体を通して繰り返し響き合いながら、パルプという存在の継続性を、静かに、しかしたしかに証明している。

 とはいえ、こうした過去のポップ・カルチャーにまつわるイースターエッグ[*復活祭に飾られるカラフルな卵/復活の象徴]の数々は、どちらかといえば時間の経過を示す通過点のようなものであり、このアルバムの核心にあるのは、ジャーヴィス自身による老いについての私的な黙想にほかならない。そしてそれは、かつて彼の楽曲を特徴づけていた、性的欲望や覗き見るような痛みを描いた物語の精緻な語り口とまったく同じ文体で遂行されている。
 2曲目 “Tina” は、 “Something Changed ” の構造を逆転させるような楽曲だ。あの曲では、語り手はまだ出会ってもいない女性との未来を夢見ていたが、 “Tina” では(おそらく既婚の)男が、実現しなかったもうひとつの人生──ある女性との長年にわたる幻想の関係──を回想するというかたちをとる。いや、より正確には、電車やカフェでふと目にする女性たちに向けて日常的に抱く、現実とは切り離された空想の象徴といった方がいいかもしれない。
 この曲の核心にあるのは、「老い」がいかにして人間から「別の人生」の可能性をひとつひとつ奪っていくか、という痛切なメタファーである。そしてそのメタファーは、女性の名前に込められた言葉遊びによって強調される。 “Tina” とは、マーガレット・サッチャーがかつて語った有名なフレーズ──「There Is No Alternative(他に選択肢はない)」──の頭文字なのだ。

“My Sex ” は、より近過去の記憶を反映している。ギリシャ悲劇のコロスを思わせる鋭く語りかけるようなバッキング・コーラスは、ジャーヴィス・コッカーが2019年に始動させたプロジェクト《Jarv Is...》の作風と語り口を彷彿とさせる。一方、 “Got to Have Love” は、別の興味深いアプローチを取っている。2000年前後に書かれたが一度はお蔵入りとなった楽曲を再構築し、いまのバンドの状況にふさわしいかたちで蘇らせているのだ。ディスコ的な律動が執拗に反復されるこの曲は、バンドの絶頂期の痛切な渇望──とりわけ “She’s a Lady” に通じるもの──をもっとも明示的に喚起するものだが、同時にジャーヴィスは、当時と現在とのあいだに広がる時間の隔たりを自覚的に見つめている。「It cannot be denied, I waited far too long / To believe, to believe in the words, I once wrote to this song(否定できない、ぼくはあまりに長く待ちすぎた/かつてこの曲のために綴った言葉を信じるために)」
 しかしながら『More』は、ブラーの近作『The Ballad of Darren』と同様、強いポップ性を前面に押し出すよりも、静かなテンポと内省的な憂いに重心を置いた作品である。ブラーのデーモン・アルバーンが“ダレン”という誰でもない架空の存在を媒介に老いについての思索を展開したのに対して、ジャーヴィス・コッカーはより直接的で、感傷に浸ることなく語りかけてくる。曲そのものも、しっとりとしたトーンのなかに、どこか切迫した緊張感を保っている。
  “Partial Eclipse” は、パルプがこれまで録音してきたなかでも屈指の名曲のひとつと言ってよいだろう。そしてアルバムを締めくくる “A Sunsets” は、すでにライヴでのハイライトとしての風格すら漂わせている。録音ではブライアン・イーノとその家族がバック・ヴォーカルに加わっているが、その響きはまるで、イーノの名作『Before and After Science』のB面に収められていても不思議ではないような、静謐かつ奥行きある余韻を残す。
 『More』に欠けているのは、作品全体を貫く強固な「音の輪郭」だ。少なくとも、それが『His’n’Hers』にあったような、きらめくシンセとグラム・ロック的華やかさで構築されたウォール・オブ・サウンドであったり、『This is Hardcore』のような、コカインの幻覚と偏執的閉塞感、そしてオーケストラルなギター・ノイズが渾然一体となった不穏な音響的スープであったりするような形では、ここには存在していない。

 もっとも、『More』も『This is Hardcore』と同じく、管弦楽的アレンジへの愛着を共有してはいる。だが本作を特徴づけているのは、むしろ過剰さを排した端正なプロダクション──それぞれの楽曲に必要な空間だけを与え、個々の曲が独立した輝きを放てるように配慮された、ミニマルで清潔な仕上げである。その意味で、アルバム全体の印象は『Different Class』に近い。じっさい、この『Different Class』との関係こそが、本作について考えるとき何度も立ち返ってしまう視点である。『More』は、90年代のあの名作の、老いを経た鏡像のようにも感じられる。年月に磨耗しながらも希望を失わず、どの曲も同じように独自性をもち、洗練され、控えめなながらしっかりとした自信をたたえた、もうひとつのポップの結晶としてそこにあるのだ。


Ian F. Martin

1995 is is distant in the past now as 1965 was then. When Pulp stepped onto the main stage at Glastonbury in 1995 as last-minute replacement headliners for The Stone Roses, it was a breakthrough moment for the band and a defining event in British pop life, cementing the position of their then-new single Common People as the iconic pop song of the decade. It felt like a triumph and vindication for the outsiders and the left-behind: the indie kids, the working class, the weirdos who got bullied at school and beaten up in supermarket car parks.

When they stepped onto that same stage for a (not very well kept) secret set in 2025, it was as an older, greyer, more weathered group. Jarvis Cocker always looked to me like an elderly man just waiting for his body to catch up, so he inhabits this ragged state well. This also means that he is remarkably unchanged, and Pulp live in 20205 is a thing of wonder and beauty: as the songs from their 90s unfold, time seems to flow backwards through them, Jarvis growing impossibly younger as the set goes on and one by one he begins to inhabit those photographs of another time.

Pulp’s new album, More, is a creature born of this older band — music that wears the quiet disappointments of life on its worn sleeves — but throughout, it connects to and runs with loose threads from the past, turning the past into part of a still-living continuum, in conversation with its older self.

Opening song Spike Island references The Stone Roses’ legendary 1990 outdoor concert, notorious for its poor sound and slapdash atmosphere but a key moment in indie culture’s seizing of the zeitgeist and an important stepping stone on Pulp’s route to that stage in Glastonbury. The line “Cos I’m the resurrection man” on Slow Jam also perhaps calls back to The Stone Roses and the role they had in shaping the atmosphere that enabled Pulp’s rise. Other pop cultural reference points dot the album too. The line “Your lipstick on my coffee cup” from Tina gives a wink in the direction of Take That. Meanwhile, closing song A Sunset repeats the line “I’d like to teach the word to sing”, which perhaps has its roots in a childhood memory of a 1971 Coke advert, featuring a choir of youngsters singing the line against the backdrop of a seaside sunset, but also summons the memory of Oasis’ early hit Shakermaker, which stole the melody of Roger Cook and Roger Greenaway’s original song.

Naturally, Pulp’s own history extends through the album too. The way Jarvis enunciates the letters “L-O-V-E” in Got to Have Love echoes F.E.E.L.I.N.G.C.A.L.L.E.D.L.O.V.E. from 1995, The line “Are you sure?” on Grown Ups nods to his famous delivery of the same phrase in Common People, and his confession of “Don’t remember the first time” in Background Noise calls back to Do You Remember The First Time? from Pulp’s 1994 breakthrough (and best) album His’n’Hers.

But all these little easter eggs from past pop moments are more like waypoints to symbolise the passage of time, while the heart of the album is Jarvis’ own personal meditations on growing old. This he does with all the storyteller’s attention to detail that characterised his early tales of sexual frustration and voyeuristic heartache. Second track Tina inverts the structure of Something Changed, where instead of the narrator dreaming of a future with a girl he hasn’t yet met, it takes the form of a (possibly married) man loking back over a decades-long fantasy of a life he never had with another woman — or more likely an avatar for all the other women he idly fantasises about in trains and cafés. The song underscores its metaphor for the way age closes down one alternative life path after another by making the woman’s name an acronym for Margaret Thatcher’s famous declaration of cancelled futures everywhere: “There Is No Alternative”.

My Sex reflects the more recent past, with its sharply delivered Greek chorus backing choir recalling the style and tone of Cocker’s 2019 Jarv Is project. Meanwhile, Got to Have Love takes another interesting approach, resurrecting an abandoned song from around the turn of the millennium and retooling it for the band’s current circumstances. With its insistent disco pulse, it’s the song that most explicitly summons the painful longing of the band’s heyday, particularly She’s a Lady, but with Jarvis noting the distance between the song’s roots and the band’s current lives as he sings “It cannot be denied, I waited far too long / To believe, to believe in the words, I once wrote to this song”.

Like Blur’s recent The Ballad of Darren, though, More leans less on bold pop statements and harder on its downtempo, melancholy side. Where Damon Albarn wrapped his own musings on advancing age in the distancing device of everyman Darren, though, Jarvis is more direct, less mournful, the songs still crisp and urgent in their own way. Partial Eclipse might be one of the best songs Pulp have ever recorded, and closing song A Sunset already feels like a live showstopper, the recorded version recruiting Brian Eno and most of his family on backing vocals for a tune that already feels like it could have sat comfortably on Side B of Before and After Science.

What More doesn’t have is a strong overarching sound of its own, or at least not in the way His’n’Hers did with its shimmering, glittering, synth-glam wall of sound or This is Hardcore did with its paranoid, claustrophobic brew of cocaine-sleaze and orchestrally-augmented guitar noise. While it shares the latter’s love of orchestral arrangements, the overall sound it’s characterised more by a tidy, unfussy production style that gives each of the songs what they need to shine individually, and in this way it more closely resembles Different Class.

It’s that relationship with Different Class that I keep coming back to with this album, and in many ways it feels like an older mirror to its 90s counterpart: worn down by the years but still hopeful, and each song every much as unique, elegantly crafted and quietly confident a piece of pop in its own more understated way.

ディランの想像力を刺激した音楽を最もよく理解している書き手による独創的な書物。
――『ニューヨーカー』

長編探偵小説のような文化批評であり、音楽的なラヴストーリー。
――『Rolling Stone』(2022年のベスト・ミュージック・ブックに選定)

マーカスのディラン論は、ボブ・ディランその人と同じくらい不可欠なものだ。ディランの幻視的な創造力というプリズムを通して、マーカスは現代アメリカの魂の驚くべき歴史を浮かび上がらせる。
――オリヴィエ・アサヤス(映画監督)

マーカスの洞察と叙情が冴え渡った一冊。ディランとその音楽についての豊富な情報、回想的な筆致と霊感に満ちた批評との見事な融合。最も独創的な音楽家を、最も独創的な音楽批評家が語るにふさわしい本だ。
――ジョイス・キャロル・オーツ(作家)

 ロック・ジャーナリズムの巨匠によるディラン研究の集大成。
 ディランの創造的・文化的発展の全体像、七つの楽曲を軸にディランの軌跡を語りつつ、アメリカという国とその歌の歴史の省察を織り込んだ、濃密かつ豊穣な書物。
 ディランが自らの楽曲を書きはじめたとき、そこに新たな命を吹き込んだ伝承歌の系譜も本書のなかで生き生きと甦る。
 ディランの楽曲について語るとき、どうしても言葉が反復的になりがちだが、著者は新鮮な視点を提示し、ディランの音楽の源流に関する深甚な知識を押しつけがましさもなく披露する。
 これは単なるディランの伝記ではない。ディランが自身の歌に新たな命を吹き込んだ、アメリカのフォーク・ソングの豊かな歴史そのものである。
 たとえば、“風に吹かれて” は、ディランが21歳のときに書いた曲だが、じつは “No More Auction Block(もう競売台などごめんだ)” という南北戦争時代の自由の歌がその根幹にあると、著者は語る――
 過去と現在を往復しながら展開する本書の、最後の一文を読んだときには、読者は少なからず、思いも寄らなかった何かを思うだろう。
 表紙および挿絵を手がけたマックス・クラークのヴィジュアルも、マーカスの、そしてディランの言葉と絶妙な呼応を見せている。さあ、2022年の刊行当時、多くのメディアから絶賛された名著の日本版をどうぞ。

 ●より詳しい内容紹介および解説はこちら→ 『グリール・マーカス『フォーク・ミュージック——ボブ・ディラン、七つの歌でたどるバイオグラフィー』』刊行のお知らせ

[著者]
グリール・マーカス(Greil Marcus)
 1945年カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。1963年にカリフォルニア大学に入学、『ローリング・ストーン』を創刊するヤン・ウェナーと知り合い、ロック評論家の第一世代の最前線として活動。1975年には、いまもなお読み継がれている『ミステリー・トレイン』の初版が上梓する。
 未訳だが1989年に出版された『Lipstick Traces』は、セックス・ピストルズの源流としてシチュアシオニズムやダダ、はては中世の千年王国論宗派にまで遡り、パンクを民衆の抗議詩の文脈のなかで論じた重要作として知られる。
 また、これも未訳ながらディランとザ・バンドが趣味で録音した「The Basement Tapes」からアメリカを論じた『Invisible Republic: Bob Dylan 's Basement Tapes』も影響力ある一冊。
 ほかにも多数に著作があるが、日本では以下の翻訳書がある。『ロックの「新しい波」 パンクからネオ・ダダまで』(三井徹 訳、1984年、晶文社)、『ミステリー・トレイン ロック音楽にみるアメリカ像』(三井徹 訳、1989年、第三文明社)、『デッド・エルヴィス』(三井徹 訳、1996年、キネマ旬報社)、『ライク・ア・ローリング・ストーン――Bob Dylan at the Crossroad』(菅野ヘッケル 訳、2006年、白夜書房)。

[本文より]
二〇〇一年にローマで、ボブ・ディランは記者団に対し「他の人々の中に自分の姿が見える」と述べた。そのはじまりから現在に至る彼の作品の謎を解く手がかりがあるとしたら、この発言がまさにそれかもしれない。彼の歌のエンジン部に当たるのは共感だ。つまり他の人々の人生の中に入ってみたいという欲求とそれをやってのける能力のことであり、異なる結末を求め、既に他者にやり尽くされたドラマを再現・再演することすらある。(…)それはまた、ボブ・ディラン自身が宿ってきたコスチューム、顔、髪型、情動の数々の変容のように、自らでっち上げた、あるいは発見した別の人生とアイデンティティの中に入っていくことも意味する。次なるウディ・ガスリーかと思えば最新版のランボーになり(…)と。

四六判/368頁

目次


バイオグラフィー
他の生き様の中で

Blowin’ in the Wind――風に吹かれて(一九六二)
The Lonesome Death of Hattie Carroll――ハッティ・キャロルの寂しい死(一九六四)
Ain’t Talkin’――エイント・トーキン(二〇〇六)
The Times They Are A-Changin’――時代は変る(一九六四)
Desolation Row――廃墟の街(一九六五)
Jim Jones――ジム・ジョーンズ(一九九二)
Murder Most Foul――最も卑劣な殺人(二〇二〇)

著者註釈
謝辞
索引

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〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉 - ele-king

BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025

 ele-kingで絶賛執筆中のデジさん(緊那羅:デジ・ラ)、音楽活動も精力的にやっています。7月20日に東京のアンダーグラウンドの牙城、幡ヶ谷 FORESTLIMITにて、〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉を主催します。とても面白そう。参院選の日、夜は幡ヶ谷に集合です!

〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉
Artists :
Heejin Jang
Taro Aiko from M.A.S.F.
Kinnara : Desi La
DJs : Moemiki
Deadfish Eyes 2025/07/20
幡ヶ谷 FORESTLIMIT
adv ¥2300 w/1D /// door ¥2500 w/1D
Open 18:00

2025/07/10迄——予約はaimaidebakuzen@yahoo.co.jp
2025/07/10以降——当日券(door)になります。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf7KdhsC8wMDdjymQtYj9MKyDc2ahmMig0ibbD8gwOy0jqVEw/viewform

 みなさん、こんにちは。お知らせがあります。7年ぶりにBEAUTIFUL MACHINEが帰ってき ます——その名も「BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE」。2013年に初開催し、6年間 続けてきましたが、様々な限界にぶつかり、沈黙していました。
 ノイズ・ミュージックとレイヴ・カルチャーの融合、そして「マシン」そのものへのオマー ジュという二重の意図から生まれたBEAUTIFUL MACHINEは、クラブ・シーンで活躍する DJたちと先鋭的な電子音楽アーティストたちをつなぎ、日本の2つの強力なアンダーグラ ウンド文化を11回以上にわたりクロスオーヴァーさせてきました。

 〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉では、韓国から電子音楽アーティストHeejin Jangをヘッドライナーとして迎えます。彼女の来日は2018年以来初となります。さらに、 ノイズペダルメーカーTaro Aiko (M.A.S.F.)、ジューク・シーンやGqom愛好家のMoemiki、そ してイベント〈Ximaira〉よりロマンティックなインダストリアルセレクションを届ける Deadfish Eyesが出演。そして最後に、緊那羅 : Desi Laが、新作「Demons to some, Angels to others」からの最新セットを披露します。

 After a 7 year absence, BEAUTIFUL MACHINE is back — this time as BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE. First launched in 2013, the event ran for 6 years straight before going dark. Inspired by the idea of fusing noise music and rave culture with the parallel dual intention of paying tribute to the "machine" itself, Beautiful Machine brought together DJs active in the club scene and seminal electronic artists, cross mixing two of the strongest underground cultures in Japan over 11 times.
BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025 is bringing together headliner electronic artist Heejin Jang from Korea in her first visit to Japan since 2018 with noise pedal creator Taro Aiko of M.A.S.F., heavy hitting djs juke and Gqom enthusiast Moemiki and Deadfish Eyes of event Ximaira serving up a romantic industrial selection, and lastly Kinnara : Desi La, playing a brand new set from his upcoming release ”Demons to some, Angels to others”.

■Heejin Jang
 ヒジン・チャン(Heejin Jang)は、韓国・ソウルを拠点に活動する アーティストです。彼女のライブサウンドパフォーマンスでは、即 興のコンピュータ音楽を披露し、日常的で些細な音の要素から着想 を得て、それらを再構成し、瞑想的な体験やデジタルによって引き 起こされるパニックのような現象的な空間を創り出します。ヒジンは、ザ・ラボ(The Lab)、ヤーバ・ブエナ芸術センター (Yerba Buena Center for the Arts)、ムムック・ウィーン(mumok Vienna)、ハーベスト・ワークス(Harvestworks)、ライズームDC (Rhizome DC)、ハイ・ゼロ実験音楽フェスティヴァル(High Zero Experimental Music Festival)、センター・フォー・ニュー・ミュー ジック(Center for New Music)、ダブラブ(DubLab)などでライヴパフォーマンスや作品展示を行ってきました。彼女の音楽は、 『The Quietus』、『NPR』、『The Wire』などでも取り上げられて います。
Heejin Jang is an artist based in Seoul, South Korea. In her live sound performance, Heejin presents a set of improvised computer music. She arranges and synthesizes sonic spaces that draw from the everyday and the trivial, re-forming them into phenomenal situations of meditation or digitally induced panic.
Heejin played live and exhibited her pieces at The Lab, Yerba Buena center for the arts, mumok Vienna, Harvestworks, Rhizome DC, High Zero Experimental Music Festival, Center for New Music, DubLab, and many more. Her music has been reviewed on The Quietus, NPR, The Wire and more.
Music:Bandcamp: https://heejinjang.bandcamp.com/
Website: https://heejinjang.com/

■ Taro Aiko from M.A.S.F.
 ノイズ・シーンから圧倒的な支持を得る音響ブランドM.A.S.F.の開発者にしてエレクトロニクス奏者。自身が設計制作した発振器やエ フェクターを用いた独自のハードスタイルを追求・展開してきた。 近年はモジュラーシンセサイザーを用いた演奏を取り入れ、より過 剰な音響演出を試みる。節度や常識を一切考慮しないそのオリジナ ルな創作は、音を生成する瞬間に演奏者と聴き手の境界を溶解させ る、自己生成する生物としてのノイズである。
A developer of the highly acclaimed sound brand M.A.S.F., which has earned overwhelming support from the noise scene, and an electronics performer. He has pursued and developed a unique hardstyle using self-designed and built oscillators and effects units. In recent years, he has incorporated modular synthesizer performances, pushing toward even more excessive sonic presentations. His original creations, unconcerned with restraint or convention, generate noise as a self-generating organism that dissolves the boundaries between performer and listener in the very moment of sound creation.

■ Deadfish Eyes
 ポスト・パンクやニューウェイヴ等の音楽から強く影響を受け、インダストリアルミュージックやノイズを織り交ぜた、耽美主義的な表 現を得意とするDJ。 マイノリティのためのクィアパーティー「Ximaira」を主催し、レジデントも担当。
A DJ heavily influenced by post-punk, new wave, and known for their decadent expression that blends industrial music and noise. They are the organizer and resident of "Ximaira," a queer party for minorities.

■Moemiki
 トリップ・ホップからクラブ・ミュージックの世界に入り、フットワークの洗礼を浴びて2018年よりパーティオーガナイズと DJ活動を開始。エクスペリメンタル/ゴルジェ/フットワークを行き来す る呪術的なアプローチが持ち味。好きなBPMは160。
Entering the world of club music through trip-hop and baptized by juke/footwork, she began organizing parties and DJing in 2018. Her signature style is a shamanic approach that traverses experimental, gqom, and juke. Preferred BPM: 160.

■Kinnara : Desi La(緊那羅:デジ・ラ)
 緊那羅:デジ・ラは、電子音楽家、3Dモーションアーティ スト、グラフィック・デザイナー、クリエイティヴコーダーとしてジャンルを 横断しながら活動する多才なクリエイティヴ・アーティストです。新たなテク ノロジーと建築的世界のリズムを芸術を通して表現することにフォーカスし た未来派のアーティストでもあります。緊那羅:デジ・ラは、ライヴ・パフォーマンス作品であるオーディオ・ヴィジュアルパフォーマンス《CHROMA》やアンビエントAV作品《SPHERE OBJEKTS》、漆黒の中で行われる没入型電子音響体験《DARK SET》、多層的なテーマを持つ音楽リリース、そしてWeb3上に構築された抽象的なミクス トメディアによる空間的ゲーム/ギャラリーなど、幅広いメディアと表現形 式を行き来しながら活動しています。
 彼のヴィジョンの核心にあるのは、「未来主義」であり、社会の進化を積極的 に受け入れること。それは、過去のすべてを再解釈・再構成・再構築し、現 在そして未来の世代のために進化させるという考えに基づいています。保存 ではなく、再構成こそが重要なのです。
緊那羅:デジ・ラのヴィジュアル作品は、渋谷や銀座のアンダーグラウンドな 空間で展示されたほか、シンガポール、マレーシア、インドネシアなど海外でも発表されています。彼の代表的イベント《BEAUTIFUL MACHINE》は 2013年に始まり、6年間で11回開催された後、いったん幕を閉じましたが、 現在《BM》は再び蘇りつつあります。
Kinnara : Desi La is a versatile Creative prolific as an electronic musician, 3D motion artist, graphic designer, and creative coder working across genres. A futurist focused on expressing the rhythms of the new technological and architectural world through his art. Kinnara : Desi La bridges his art between live performance works like his audiovisual performance CHROMA and ambient audiovisual SPHERE OBJEKTS, pitch black DARK SET explorations in intense electronic listening, multi-thematic music releases and his abstract mixed media spatial game / gallery in web3. Kinnara : Desi La`s total vision embraces futurism, the embrace of advancement in society as a cornerstone of his world view. All things of the past should be reinterpreted, remixed, reconstructed, and rebuilt for the advancement of our current and future generations. Reconfiguration versus preservation.
Kinnara : Desi La`s visuals have been shown in the depths of Shibuya and Ginza and internationally in Singapore, Malaysia, and Indonesia.
Kinnara : Desi La`s flagship event BEAUTIFUL MACHINE began in 2013 and continued for 6 years over 11 times before going dark. Now BM is resurrected.
https://kinnara-desila--afrovisionary-creations.bandcamp.com/

Hazel English - ele-king

 ヘイゼル・イングリッシュの音楽は記憶の中で鳴っているみたいな音がする。あるいはそれは2010年代に差しかかった時代のUSインディの音の面影なのかもしれない。オーストラリア出身で現在LAを拠点に活動する彼女の音楽は初期のビーチ・フォッシルズにオールウェイズの輝きのフレバーを振りかけたみたいなもののように感じられるのだ。柔らかい光の投影のようなそれは最新作のプロデューサーDay Waveの音楽にも重なって感じる部分でもある。2枚のEPを合わせるようにして作られた最初のフルレングスの編集盤『Just Give In/Never Going Home』以来、再び彼と共に制作したという『Real Life』を聞いているとほんの少しだけ世界が色づいたような感覚に陥る。メロディアスなギターのフレーズに優しく憂いを帯びたヴォーカル、記憶のフィルターみたいなシンセの音、それは世界を変えるみたいな大げさなものではなくて、家に帰った後にお気に入りのTVが始まるみたいな子供の頃の帰り道のワクワク感や待ち合わせをしている友達のもとに向かっている時に感じる心地よい胸の高鳴りに近いのかもしれない。
 そんなことを考えながら2025年のヘイゼル・イングリッシュの来日ツアー、最終日のライヴに向かう。夏のような暑さが続く6月後半の日、最新アルバムの曲をたくさん聞けたらいいななんて思いながらの道にやはり胸が高鳴っていく。こんな穏やかな興奮を味わえるのもきっと彼女の音楽の魅力だろう。

 新代田のFeverの壁にヘイゼルの名前を見つける。入場を待つ会場も心なしかワクワク感に包まれているような気配がある。オープニングアクトは浮。始まった瞬間に会場の空気が変わる。静かに、心に波紋を描いていくギターの弾き語りはひんやりとした神社の石段の冷たさを感じながら聞く童歌のようだと思った。クーラーの風が冷たく沁みて思わず目を閉じたくなる。

 そうしてしばらく置いて20時45分、バンドと共にヘイゼル・イングリッシュが登場する。シンセ・プレイヤーの姿はなく2本のギターとベースにドラムのベーシックな編成、だけどもドラム・セットがマーシャルのギター・アンプの横、ステージの端に置かれるというちょっと変わった配置。出囃子はなし。スゥっと入ってスッと始まる。そして70年代風のワンピースを着た小柄な彼女がギターを構えた瞬間、想像の世界の夏が訪れる。それはきらきらしていて柔らかな、ほんの少しだけ重力がなくなった世界の日々の思い出なのだ。オープニングトラックの “Make It Better” にしても続けて演奏された “More Like You” にしても憂いを帯びていて、いわゆるインディーポップの曲としてはしっとりしている。しかしその塩梅がなんとも心地良い。まるで雨上がりの水滴混じりの街のように、憂いを含んだ歌声がギターの輝きを反射してノスタルジックに曲を染める。

 進行ミスすら愛おしく思える会場全体を包む暖かな空気もまた格別だ。バンドは曲を間違えてやり直す。でもそれすら嬉しく感じる。ゆるいのではなく暖かい、それは彼女の音楽が格式ばったところではない、何気ない日常と接続される場所から来ているからなのかもしれない。友達との会話で噛んだり言い間違えたりしたときにちょっと笑ってネタにしてそのまま話を続けるのと同じように、笑顔で一言声をかけてなにごともなくそのまま音楽が続いていく。そうやって演奏された “Other Lives” はオリジナルよりもずっと柔らかく優しいアレンジで、まるで硬さのあった初対面の出会いから気心の知れた仲になったみたいに思えて、日常からほんの少しだけ抜け出した幸福をそこに感じた。

 ライヴ中盤、ギターを置き60年代のポップ・ミュージックに影響を受けたようなアルバム『Wake UP!』(赤い帽子と服が印象的なやつだ)から “Five and Dime”、“Shaking” と2曲続けて披露される。スタンドからマイクを外し、控えめに彼女は踊る。マイクを片手にゆらゆらと体を揺らす姿はこれ以上ないくらい曲にフィットしている。まるでレトロなテレビに映るポップ・スターみたいな様相で、だけども派手に主張することはなく曲に寄り添い音の隙間に入り込むように揺れていく。
このセクションの流れの中で披露された “There She Goes” もまた素晴らしかった。瑞々しくスッと突き抜けるようなラーズの原曲と比べて、厚みを出さずほとんどギター単独でゆったりと余白を作るみたいに演奏されるヘイゼル・イングリッシュ・ヴァージョンはやはり憂いを含み、そこに広がる空間に思い出を浮かばせているような雰囲気があった。こうやって聞くとこの曲は60年代的なフィーリングを多分に含んでいる曲なんだなと思わせられる。

 そしてヘイゼル・イングリッシュには郷愁がある。「今日この辺りを散歩したんだけど凄く良かった。東京はいつも違った印象を与えてきて、訪れる度に探検してるみたいな気分になる」なんて言葉の後に演奏された “All Dressed Up” に強いノスタルジーを感じる。頭の中のアルバムをめくるようにして思い出が映し出されるタイプのノスタルジー。街には知らない誰かの記憶が刻まれている。ヘイゼル・イングリッシュの音楽の中にある憂いは失われた、あるいは遠く離れてしまった場所との距離なのだ。そうした感情がインディ・ポップ/ドリーム・ポップの淡い光の中に接続されて小さな幻想を生み出す。それこそがきっとこの心地よさの正体だ。

 そんな風にしてこの理想の夏は終わりに近づいていく。待たせることなくすぐさま出てきてのアンコール。会場から「5モア」「10モア」の軽口が飛んで(あぁここからも会場を包む暖かい空気を感じる)ちょっとはにかんで「まだ私に飽きていないんだ」なんて言ってから演奏された最後の2曲はまた格別だった。不安に対処することについての曲だという “I'm Fine”。オリジナルとは違ったアレンジ。シンセの同期に頼らずにシンプルにギターを効かせ歌を聞かせる。そうやってギターと声の曇り空に切なさが滲み出す。構造的には “There She Goes” のカヴァーと同じような作りだけれど、 やはりヘイゼル・イングリッシュの声は奥行きがあって特別だ。
 そして最後はダンスで終わる。再びギターを置き、バンド・メンバーを紹介した後「次で本当に最後の曲。日本のショーの本当に最後」と言って “Wake UP!” が演奏される。派手に飛び跳ねるような渦の中、笑顔を浮かべて別れてく。インタヴューで彼女は自分の曲を時間の小さなスナップショットみたいに捉えていると言っていたけれどこの日のライヴはまさにそれだった。暖かく優しくほのかに幸せ、ヘイゼル・イングリッシュの音楽は感情を撫で上げて頭の中に心地の良い日々の記憶を残していく。

これまでいろんな活動をしてきた「VINYL GOES AROUND」ですが、昨年はレコードプレス工場を立ち上げ、そして年末にはレコード専用アプリもローンチしました。アプリはまだベータ版ではあるものの、すでにたくさんの方に使っていただいており、大変感謝しております。

さて、前回のコラムでも紹介しましたが、「どんなアプリなの?」という方のために、もう一度少し説明を。ざっくり言うと、“レコード版のInstagramとメルカリが合体したようなアプリ”です。
Instagramのように、自分のレコードジャケットの画像をきれいに並べて、コレクションを管理したり、ほかのユーザーと共有したり、交流したりできます。さらに、アプリ内でレコードの売買もできるようになる予定(こちらはまもなく公開予定!)です。
この、自分の持っているレコード・ジャケットをずらっと並べていく機能を、私たちは「ギャラリー」と呼んでいます。ただ並べているだけでも、けっこう楽しいツールです。自分のコレクションを眺めて優越感に浸りながら、酒が呑めるこの感じ。これにはレコード好きのロマンが反映されているなと自負しております。
そんな中で、この「ギャラリー」機能をとても活用してくれているユーザーさんを、こちらでピックアップしてインタビューさせていただくことにしました。
その第1弾として今回お話を伺ったのが、現在の投稿数トップ5に入っているであろう「Kamiroquai」さん。なんとその投稿数、1500枚超え!?私たち自身もコツコツ投稿していますが、1500枚という数字はなかなか到達できないボリューム。それをあっさりやってのけたKamiroquaiこと、神谷国俊さんに個別でコンタクトを取り、インタビューをお願いしたところ、なんと二つ返事で快諾してくれました。
岐阜にお住まいとのことで、今回はZoomでお話を聞かせていただきました。

VINYLVERSEチーム(以下、V):神谷さん、本日はお時間いただきありがとうございます。

神谷: こちらこそ、よろしくお願いします。

V:少しずつユーザー様が増えてきた中で、頻繁にお使いいただいているユーザー様の生のお声を聞いて、サービス改善に生かしたいなということと、私たちが考えた以上に様々なレコードコレクターの方が集まってくださっていて、そのコア・ユーザーの一人でもある神谷さんに、VINYLVERSEの使い方やレコードライフについて色々とお話を伺いたくて、お時間をいただきました。実はこのインタビュー企画、第1回目なんですよ。

神谷: そうなんですか。それは光栄です。

V:まず、VINYLVERSEを知ったきっかけを教えていただけますか?


神谷: えっと、Wooden GlassのPHYGITAL VINYLを購入した時に案内のフライヤーが入っていて、それでアクセスしてみたのが最初です。

V:ありがとうございます。その時にアプリの存在を知っていただいたんですね。

神谷: 登録してみたら面白そうだったので、ちょっとずつレコードをアップし始めた感じです。新譜を買ったり、中古のレコ屋で何か買ったらアップしてます。でもまだ全部はアップできてないので、まぁ、ちょっとずつアップしてますね。

V:そもそもレコードを集め始めたのはいつ頃からなんですか?

神谷: 高校の頃ですね。僕、1974年生まれなんですが、当時レコードって安くて。本屋の隅に段ボールで500円くらいで売っていて。お小遣いも限られてるし、いろんな音楽をたくさん聴きたかったので、自然とレコードに手が伸びたって感じです。

V:最初に買ったレコードって覚えてます?

神谷: たぶん、ディープ・パープルの『マシン・ヘッド』か『BURN』ですね。どちらも500円とかでした。

V:なるほど。結構長い年月レコードコレクションされてると思うんですけど、大体何年間ぐらいコレクションされているんですか?

神谷: 高校1年か2年の時に買ったので、かれこれ35年ぐらいですかね。

V:すごいですね。

神谷: いやいや、まあ、その頃はまだそんなにバンバン買ってなかったので。で、大学に入ったらフリーソウルのブームとかレアグルーヴの流れがあって、そういうものに影響を受けて、中古のレコード屋さんに行くような感じでした。まぁでもその頃もすでに高値がついてるレコードもたくさんありましたね。

V:岐阜にお住まいとのことですが、レコード屋さんってけっこうあったのですか?

神谷: 当時は5〜6軒くらいはあったかな。小さな個人店がほとんどでしたけど、今はもう1店舗くらいじゃないかな。名古屋まで足を運ぶことも多かったですね。バナナレコードの隣でバイトしてたんで、休憩時間によく覗いてました(笑)。店長さんはロック好きなんですけど、セレクトは幅広かったですね。僕は今はブラックミュージックやシティポップが好きなんで、今でもよく掘ります。

V:今はお店よりもオンラインで購入する方が多いという感じですか?

神谷: そうですね、オンラインが7割、リアル店舗3割って感じですかね。

V:なるほど。参考になります。ありがとうございます。ところで、アプリの使い方についてお伺いしたいのですが、今はどんなふうに使っていただいていますか?

神谷: 新譜や中古盤を買ったらアップしています。全コレクションはまだアップしきれていないですけど、時間を見つけて登録していますね。

V:今後、アプリにあったらうれしい機能はありますか?

神谷: 並び替え機能、特にアーティスト名順がほしいですね。あと、他のユーザーさんとの交流がもっとできたらいいなと思います。コメント機能とか。

V:ちょうど今後のアップデートで、レコード投稿へのコメント機能が入る予定なんです。1対1のダイレクトメッセージではないですが、他のユーザーとオープンなやり取りができるようになります。

神谷: それは面白そうですね。ちょっとした交流ができるだけでも、使い方が広がると思います。

V:ご家庭をお持ちとのことですが、レコード収集についてご家族から、レコードばかり買っていて怒られたりとかしないんですか?(笑)

神谷: めちゃくちゃ言われます(笑)。子どもは15歳と9歳なんですが、「またレコード届いてる」って言われますね。

V:それでも買い続けている原動力はどこにあるんですか?

神谷: 音楽が本当に好きなんですよね。あと、広告の仕事をしていたのでジャケットのデザインも好きで。CDのサイズじゃなくて、レコードの大きさで見るアートはやっぱり魅力です。サブスクも使いますけど、流し聴きになりがちで。レコードの「手間」がかかる感じがいいんですよ。

V:思い入れのある1枚ってありますか?

神谷: BUDDHA BRANDの『人間発電所』ですかね。日本語ラップの印象を変えた1枚でした。あとは、ナイキのCMで使われた、Dev Large、Zeebra、Twigyの『PLAYER'S DELIGHT』も。若野桂さんのジャケットで、それがきっかけで彼の作品も集めてました。

V:逆に「今欲しいけど持っていない」レコードは?

神谷: (ジャケットを手に取りながら)今ちょうど手元にあるんですけど、井上順の『プレイボーイ講座12章』っていうレコードで、語りと音楽が融合した企画盤ですごく昭和な雰囲気があって好きなんですよ。演奏もちゃんとしていて、ピチカート・ファイブの小西さんが関わっていて。
で、その元ネタがあって。円楽師匠の『プレイボーイ講座12章』っていうレコードなんですけど、これがめちゃくちゃ欲しいんです。昔から探していますが、これは本当にレアで見つからない。

V:これは珍しそうですね。知りませんでしたが前田憲男がやっているんですね。良さそうですね。

神谷: CDは出ているんですけどアナログの再発がないので。是非、Pヴァインさんでやってください(笑)

V:そうですね、ちょっと調べてみますね。ところでPHYGITAL VINYLについてはどう感じましたか?

神谷: ワクワクしました。特典で送ってもらった10インチもとても嬉しかったし、毎回あれは大変かもしれないけど、特典は楽しみですね。

V:特典として、例えば「制作中の別テイクを所有者にだけ配信」とか、「ライブ会場での限定アイテム」とかはどうでしょう?

神谷: 面白いと思います。あと以前、NasとMF Doomのアナログで「2枚そろえると完成する」みたいなパッケージがあったんです。そういうコレクション性もアリだなと。

V:今、1500枚ぐらいギャラリーにレコードをアップしていただいてますが、何かこだわりのポイントってありますか?

神谷: もう全然なくて、目に映って「あ、これあげてないな」ってのをあげてる感じですね。後から見返して、自分で「こんなにレコード持ってるんだな」って再認識するのはとても楽しいです。

V:今レコードがすごく高いじゃないですか。それについてどう思いますか? 不満とか、色々あるとは思うんですけど。

神谷: まあ、そもそも世の中の物価が上がってるから仕方がないかなとは思うんですけど、最近は無駄な買い物をしないように、「10年後に果たしてこれをまだ聴いてるかな」って常に自分に問いかけて選ぶようにしています。最近はあんまりたくさん買えないので、今、売れているからっていうだけのものにあまり飛びつかずに、本当に自分が聴くのかどうかってところで吟味しています。でも、もうちょっと安いと嬉しいですね。たまに新品で8000円のLPとかありますよね。5000円ぐらいまでだとありがたいなと思うんですけど。

V:神谷さんにとって、ズバリ、レコードの魅力は何でしょう?

神谷: ジャケットですかね。やっぱり“物”として見えることですね。あとはやっぱり封を開ける時のワクワク感。中学校時代、CDを買ってきた時にビニールを開けるのがすごくワクワクしてたんですよ。今はあの頃みたいなワクワク感はなくなってしまいましたけど、それは年を取ったのもあるかもしれない。でも、当時は限られたお小遣いの中で1ヶ月に1枚買うのが限度だったので、その1枚を悩んで悩んで買って、開ける時の喜びって、サブスクでは味わえないと思うんです。そういう意味では、開ける時にワクワクするし、盤をプレイヤーに載せる時も“儀式”みたいなもんじゃないですか?レコードって。

V:ふるまいが一つの作法みたいな部分はありますよね。

神谷: それがやっぱり魅力かな。「めんどくさい」って思っちゃうと、もうダメなんでしょうけど、でも見ても楽しめる。音楽が“見ても楽しめる”って、サブスクにはないですよね。針を落とすと、盤の溝に沿って進んでいくのが見られる。それってすごいなって思います。本当に、盤に刻まれた溝を針がなぞるだけで音が出るって、すごい発明だなと思います。

V:見て、触って、楽しめるっていうのはやっぱり大事な気がしますよね。

神谷: うん。そうですね。そこから生まれてくる音って、感動が違う気がしますね。

V:最後に、今レコードブームが来ていて、若い人がレコードを初めて買うということが増えていますが、何か若いコレクターにメッセージがあったら、ぜひ。

神谷: やっぱり、結婚して子どもが生まれると、レコードを買うのをやめてしまう方って多いですよね。でも、1ヶ月に2〜3枚でもいいので、買い続けてもらって、お子さんと一緒に親子でレコードを楽しんでほしいです。子どもは意外とレコードを楽しむので。

V:いいお話です。本当にそうですね。

神谷: やっぱり実際に触って、音がリンクするって、子どもにとってはすごく面白いんでしょうね。自分が触った手で、音が止まったり再生したりするって、こういうメディアはなかなかない。サブスクも僕は使いますけど、両方うまく使っていけたらいいなと思いますね。

神谷さんとの対談は、レコードに対する深い愛情とそして生活に根付いた音楽との向き合い方が伝わってくる貴重なお話しでした。PHYGITAL VINYLの企画を含め、私たちVINYLVERSEチームがレコードカルチャーを次のステージに進めていく上で、まさに理想のユーザー像を体現されているお一人だと感じました。

次回のアップデートやリリースにも、ぜひご期待ください。

神谷さん、本当にありがとうございました!

VINYLVERSE アプリ

Jakob Bro & Midori Takada - ele-king

 この冬に日本公開された映画『ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン ――ジャズが生まれる瞬間――』で、その活動がドキュメントされていた〈ECM〉のギタリスト、ヤコブ・ブロ。なんと、同映画にも出演していた高田みどりとの共作がリリースされることになった。題して『あなたに出会うまで – Until I Met You』。フォーマットはCDで、9月12日に発売となる。また本日より、表題曲の先行配信も開始されている。それぞれ異なるバックグラウンドをもつ音楽家同士のコラボレーションがどのような成果を生み出しているのか、注目しておきたい。
 

Jakob Bro & Midori Takada
『あなたに出会うまで – Until I Met You』
2025.9.12 CD Release

デンマーク出身、新たなECMの看板ギタリストとして活躍するヤコブ・ブロが、世界的に活躍する打楽器奏者で、日本のアンビエント/ミニマルミュージックの代表作『Through The Looking Glass』('83)などで知られる高田みどりとコラボした初の作品が、国内盤CDでリリース! 映画『Music for Black Pigeons』での共演シーンでも話題になった2人の、無限に広がる音世界。

ヤコブ・ブロと高田みどりの音楽は、真の融和を聴かせる。これまでに幾度かヨーロッパでコンサートを行ってきた二人が、東京で初めて集中的にレコーディングを実現した。日本語で交わすコミュニケーションと、親密で深い理解の伴った演奏の記録であり、継続的なコラボレーションの始まりでもある。まるで生態系のように音が折り重なり、響き合う瞬間に、環境音楽とジャズの記憶も美しく流れていく。(原 雅明 ringsプロデューサー)

【来日情報】
10/4, 5 EACH STORY

【リリース情報】
アーティスト名:Jakob Bro & Midori Takada
アルバム名:あなたに出会うまで – Until I Met You
リリース日:2025年9月12日
フォーマット:CD
レーベル:rings / Loveland Music
品番:RINC133
JAN:4988044131712
価格:¥3,300(tax in)
レーベル:rings
オフィシャルURL:http://www.ringstokyo.com/?p=972

【Track List】
1. あなたに出会うまで / Until I Met You (7’37”)
2. A Brief Rest Of Sisyphos (3’27”)
3. Landscape Ⅱ, Simplicity (7’44”)
4. Infinity (3’57”)
5. Landscape Ⅰ, Austerity (5’00”)
6. Sparkles (3’41”)
7. Floating Forest (2’50”)

アルバムのタイトル曲となるシングル「あなたに出会うまで – Until I Met You」の先行配信が、本日より開始となりました。

Jakob Bro & Midori Takada / あなたに出会うまで – Until I Met You
https://ringstokyo.lnk.to/p3g0ZEvp

7g classic’s - ele-king

 山梨と長野の高原地帯から、またしても透明感があって、しかも洒脱なポップスの詰め物が届いた。7g classic’s(ななぐらむくらしっくす)は、八ヶ岳南麓に暮らすナナマリ、長野市で暮らすgee2wo(RCサクセションの第二期におけるキーボード)のふたりからなるユニットで、2022年に『くろすけ』でアルバム・デビュー。ボサノヴァを吸収したナナマリのギターと歌、gee2woによるメロウなピアノ演奏による7g classic’sは、音楽リスニングを生活になかに取り入れている大人たちのあいだで評判を呼んで、2023年にリリースされたセカンド・アルバム『みそしる』によって、さらにその評判は広がったようだ。いま、この穏やかな音楽は多くの人たちに必要とされているのだろう。
 そんなわけで、早くもサード・アルバム『タイムマシン』が登場した。ブラジル、ジャズ、ポップス、ファンク、そしてダブまで……さまざまな音楽を咀嚼しながら、かんぜんに独自な空間を創出している。表題曲“タイムマシン”をはじめ、“Dub & Peace”や“The Treasures”、アンビエント・ボサ“Moon”、ジャジーな“長い夢”、ブルージーな“My Birthday”など創意工夫ある曲が7g classic’sの新境地を見せている。。
 聴いてみよう。この暑い夏の夜を涼しくしてくれること請け合いです。

〈アーティストからのコメント〉
 いろんなジャンルの良いとこ取りといったコンビニ弁当のような楽曲作品は世の中に腐るほどあります。我々の楽曲制作は多種多様なジャンルに存在する独自の論理に基づいた制作方法です。
あふれる情報やAi などにより人間に備わっていた第六感はほぼ消滅し、五感も退化を始めています。特に聴覚にそれを感じます。インターネット上の情報なんて殆ど嘘ばかり、どんどん思考停止が進行しています。これは現代人への警告です。情報に惑わされず純粋に音楽を聴けているか、はなはだ疑問を感じます。
 当たり前の事ですが演奏時間が1時間の楽曲を聴くのに最低でも1時間、何度も聴くのならそれ以上の時間が必要です。そういう大切な時間は自分自身で作り出すものです。それはお金で買えない貴重な財産です。時短なんて貧しい考え方です。我々の作り出す音楽は、決して通勤通学時や、スポーツ、ダンス、などのB.G.M.ではありません。できれば1人で心を落ちつかせてお聴きください。
 ってこと〜!

7g classic's
3rd アルバム『タイムマシン』CD版

2025年6月4日発売
販売元 Forest Group
FOGP-0003 定価¥3000(税込)
購入は通販サイト各種またはライヴ会場にて
Amazon購入サイト
https://www.amazon.co.jp/dp/B0F4R6VVPP

『タイムマシン』試聴動画

【サブスク配信情報】
7g classic's
3rdミニアルバム『プチタイムマシン』配信版
2025年6月28日配信開始
https://big-up.style/mA2U2Mtwhr

【ライヴ情報】
7g classic's Tour 2025
6/27(金)Apple Jump(東京)
6/28(土)カフェシングス(東京)
7/4(金)Booze Shelter(長野)
7/6(日)月下草舎(山梨)
7/13(日)open house(名古屋)
7/14(月)もっきりや(金沢)

詳細は7g classic’sウェブサイトで
https://nanamari.com/7g

【プロフィール】
ナナマリ (Vocal, Guitar, Composer etc.)
高校生の時にギターと出会い、ロックやポップスバンドを組んで音楽活動をスタート。独学で音楽理論を学び、TV番組や舞台、メジャーアーティストなどへの楽曲提供を行う。2004年に八ヶ岳へ移住後は、ブラジル音楽に傾倒し、ギター弾き語りスタイルでのライヴ活動を開始。2008年1st Album「雨粒」をはじめ、カヴァー作品を含む計5枚のCDをリリース。

gee2wo (Piano, Keyboard, Composer etc.)
1980年代ロックバンドRCサクセションのメンバー(キーボード担当)として活躍。RC退団後は世界(主に中東)を旅し、のちに自然豊かな信州に移住。ジャズ、ブラジル、ロック、レゲエなど様々なジャンルの音楽を追求し、新たなスタイルの確立を目指す。2020年長野市内に念願のプライベートスタジオが完成し、制作に没頭する日々を送る。

Nazar - ele-king

 ナザールはこの7年間で、もっとも躍動的な新世代ブラック・エレクトロニック・ミュージックのプロデューサーのひとりとなった。彼は、インダストリアル・ノイズとアフリカン・ビートの神学とが直感的に衝突することに熱烈な愛を抱いている——それは、論理、政治、宗教、そしてアフリカ大陸の歴史の深層に根を持つものだ。ナザールの音楽的探求は、1980年代にアンゴラで生まれた大衆ダンス音楽クドゥーロの土壌から芽吹いている。アンゴラ発のクドゥーロはこの数十年のあいだ、地元アンゴラの無数のプロデューサーたち、あるいは欧州へと渡った移民、またはナザールやDJナルシソのような第一世代の息子や娘たちによって、鮮やかに再構築され、変容を遂げてきた。
 ナザールの眼を通して見れば、彼のクドゥーロは混成的なものだ。それは独自の領域にあり、伝統的なプロデューサーならば恐れて足を踏み入れぬような新たな環境のなかを、彼は自由に歩んでいる。「Enclave」EPと初のフルアルバム『Guerrilla』は、ヨーロッパ各地のダンス・ミュージック・プロデューサーのなかにおいて、彼独自の声を確固たるものとして示した。彼のアイデンティティにおいて決定的だったのは、アンゴラの戦争、そしてその戦争における家族の関与と、それに対する音楽を通じた内省だった。彼のデビュー作では、そのテーマ性と鋭利なビートが健康的に融合していた。

 あれから5年が過ぎ、ナザールは『Demilitarize』で再び姿を現した。これは明らかに、彼の出世作『Guerrilla』への「呼応」であり、前作同様にタイトルは声明である。ただし今回は、目の前の風景を予見するのではなく、むしろ内なる精神の解放を指し示している。ナザール自身もこれはより「個人的な」アルバムだと述べており、サウンドスケープはまさにそれを裏づけている。

 『Guerrilla』をパンデミック初期に発表し、続いてCOVIDの合併症により1年近く死の淵を彷徨うような病に苦しんだナザールは、すべてを経て自ずと別の視座に至った。オープニング・トラック“Core”は、彼の新たな美学への温かく誘うような導入部である。かつてのような耳を刺す粗さは影を潜め、厚みのある音像はなおも跳ねるが、より空気のように、スピーカー越しに漂い出る異質さが、アルバムの最後まで全曲を貫いている。『Demilitarize』は、非常に統一感のある、一貫したアルバムである。
 大きく異なるのは、ナザールが「個人的な」方向へと向かうなかで、アルバムの大半において自ら歌うという選択をした点だ。この選択こそが、『Demilitarize』の印象を大きく変えている。とりわけ印象的なのは、その歌声のほとんどが意味を捉えがたく、にもかかわらず前面に出て美しいアレンジを背景へと押しやることで、音像が平坦に感じられる点だ。楽曲の構造は主にヴォーカルを支えるものとなり、ビート・アルバムとは異なる時間感覚——より速く過ぎていくような印象——をもたらす。全体の尺が短く感じられるのはそのためだろう。

 これは、現在の「男性の感情の脆さを表現する」ソーシャルな波に対する、ひとつの参与とも読める。ビートは引っかかり、途切れ、また唐突に現れては消える——まるで時間自体が不安定になっているかのように。だからこれは、ダンス・レコードではない(踊りたくなる瞬間はあるとしても)。これはヘッドフォンで聴く音楽であり、よりポップへの希求に傾いた作品だ。歌詞はしばしば時間を攪乱する——旋律だけではなしえない方法で。歌詞、あるいは歌声の感触は、時間そのものを変容させる。このアルバムがインストゥルメンタルのみで構成されていたならば、印象はまったく異なっていたに違いない。
 そして、それが聴き手の求めるものであるならば、この作品はすばらしいだろう。ただし全体の尺は36分30秒。この簡潔さは、音のなかを浮遊したり、潜り込んだりする快楽に逆らう——というのも、身体がようやくその中に安住しかけた頃には、すでに音は過ぎ去っているからだ。『Demilitarize』は繰り返し聴くに値する作品だが、同時に、より大きな作品へと至るための「通過点」としてのアルバムでもあるのではないかと私は考えてしまう。デジタル的な音響の美しさは豊潤だが、2曲目以降、アルバムの流れは容赦なく突き進み、ほとんど呼吸の余地を与えない。36分30秒の終盤、9曲目“Heal”においてようやく、それまでの圧力から抜け出すように音楽は水面へと浮上する。海の底から現れるクジラのように——ここでようやく、楽器そのものが主導権を握る。アルバムのラストは、音楽のなかでの苛立ちと不確かさに対する、意図された吐息のようだ。

 けれど、私はまだ問いを抱えている。というのも、5年ものあいだ大きなリリースがなく、ようやく届けられた作品がEP程度の分量であることが、やはり気になるのだ。そんなふうに思いを巡らせていたら、ふと1920年へと思いが跳んだ。
 『春の祭典』が初演された年だ。あの伝説的な上演——新しい音響に対して聴衆が激しく反発したあの出来事。ストラヴィンスキーがこの全楽曲を書き上げるのにかかったのは、わずか1年半である。コンピュータなどなかった時代、すべての楽器パートの譜面を手書きしなければならなかった。しかも、まったく未知の楽曲の力学を、オーケストラに教え込まねばならなかった。そして、その演奏時間は33分だった。


Nazar has become one of the best producers of kinetic new black electronic music in the last 7 years. Fervently in love with intuitive clashes of industrial noises and African beat theology rooted deeply in the core of the continent`s history, logic, politics, and religion, Nazar grows his musical explorations from the soil of Kuduro, an Angolan popular dance music that began in the 1980`s. The music of Kuduro from the country of Angola has been over the last couple of decades vibrantly recalibrated and mutated by the numerous local Angolan producers and those who immigrated to Europe or were first generation sons and daughters such Nazar or Dj Narciso. Through Nazar`s eyes, his Kuduro is a hybridity, in its own realm, surrounded by new environments that free him to walk down new roads traditional producers would fear. The “Enclave” ep and his first full album “GUERRILLA” firmly established his voice among other producers of dance music across Europe. Key to his identity at this time, was the back drop of the war in Angola, his family`s participation in it, and reflections on it through his music. The subject and constant sharp beat merged healthily together with his debut.
5 years have passed and Nazar has re-emerged with Demilitarize. An obvious “response” to the “call” of his breakthrough album Guerrilla, the title is again a statement like his last but this time pointing toward the release of the inner psyche rather than forecasting the landscape before the eye. He has stated that this is more of a personal album and the soundscape of the release proves that true.
Nazar, having released Guerrilla directly at the start of the pandemic, having survived an almost year long near death sickness due to COVID complications, came out of all that naturally out with a different perspective. “Core”, the first track, is an inviting warm introduction to his new aesthetic. Previous abrasion lacking, soundscapes are still thick bouncing but more ethereal through your speakers emitting an otherness that connects all the tracks til the very end. Demilitarize is a very united consistent album.

What is different is that in turning toward the “personal” Nazar made the choice to sing throughout the majority of the album. This choice makes Demilitarize feel different. Namely cause most of the vocals are mostly unintelligible, the vocals take centerstage and end up pushing the beautiful arrangements to the background, and feel monotone. The music mainly supports the vocals and time itself feels different, faster than a beat album. It feels remarkably shorter. This is a push toward inclusion in the current social wave of expressing male vulnerability while beats jerk and stop, jerk and stop. Sometimes disappearing totally before they mysteriously reappear.
So to be clear, this isn`t a dance record (though you may be inclined to do so at times), it`s a headphone listen. And a lean toward more pop yearnings. Lyrics often disrupt time in ways pure melodies cannot. Lyrics or the feel of lyrical vocals changes time. This album would be viewed vastly differently if only instrumental.
And all this is good if that is what you are looking for. But the whole album is 36:30 minutes. The brevity works against the beauty of the floating and diving that you do when surfing on all the sounds cause they are over before you can relax within them. Demilitarize is worthy definitely of many listens but I also wonder if it is a stepping stone album, an album that is needed for an artist to reach an even greater work. The digital sonic beauty is luscious but from the 2nd track, the flow of the album plows right ahead not allowing for much breathing room. The tail end of the 36:30 feels more like a whale arising to the air. This emerging from the depths of the ocean in the 9th track “Heal” lets the instrumentation take charge. The end of the album a purposeful exhale for the frustration and uncertainty in the midst of the music.
But I still have questions. Because fives years of no major releases is a long time to only get a ep`s worth of music. Because in wondering many things, I have to ponder back to 1920 when

“The Rite of Spring” was performed. A quite legendary performance. Fierce discontent by the audience from the new sonorities. It`s a fact that it only took Stravinsky a year and a half to write all the music for the composition. There were no computers so all the sheet music for each instrument had to be painstakingly written to perform. And the orchestra had to be taught the dynamics of the unknown composition. And it was also 33:00 minutes.

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