Home > Columns > LAでジャズとアンビエントが交わるに至った変遷をめぐる座談会- 岡田拓郎×原雅明×玉井裕規(dublab.jp)
取材・序文:三木邦洋
photo by Akari Matsumura
Jul 09,2025 UP
2025年1月、ロサンゼルス(以下、LA)を襲った山火事は現地に住む多くの音楽家たちの生活を奪い、コミュニティを離散させた。そんななか、LAの音楽シーンを支えてきたインターネット・ラジオdublabの日本ブランチであるdublab.jpは、支援と連帯を示すためのチャリティ・コンピレーションを制作。『A Charity Compilation in Aid of the 2025 LA Wildfires -resilience-』と銘打たれた作品には、岡田拓郎、王睘 土竟(荒内佑 + 千葉広樹)、食品まつり a.k.a. FoodmanやBUSHMIND、Daisuke Tanabe、Albino Sound & Daigos (D.A.N)、SUGAI KEN、優河、Ramza×hotaru、TAMTAM、嶺川貴子、白石隆之など、主に日本の有志たちによる楽曲が収録されている。
ここまでジャンルレスに多彩な顔ぶれが揃うコンピレーションも珍しいが、それこそがLAの音楽文化の豊かさを表しているとも言える。そして、あまりに豊かで横断的であるがゆえに、シーンを俯瞰的に観測することは容易ではなく、相関図を作ってみたところで線が入り組みすぎてしまうだろう。
では、現地の事情に詳しい人たちに、彼らの視点でシーンを切り取って語ってもらおうというのが今回の鼎談企画だ。語り手は、コンピレーションにも参加している岡田拓郎、dublab.jpの発起人であり自身のレーベル〈rings〉から現行LAシーンの作品もリリースしている音楽評論家の原雅明、そしてコンピレーションのプロデューサーでありdublab.jpの現代表の玉井裕規。なぜ私たちはLAの音楽に惹かれるのか、その答えが朧げに見えてきた。
LA的感性の根底にある「リスニング」志向
レコードが好きな人たちが好む音楽と、プレイヤーがやりたい音楽、クラブ・カルチャーの人が聴きたい音楽とが全部交差してシーンとして成立しているというか。(岡田)
玉井:今年1月にLAの山火事が起こった当初、報道からは断片的な情報しか入ってこなかったので、dublab.jpではLA現地のdublabやその周辺のコミュニティから状況を教えてもらって、よりリアルな実態を把握するための記事や支援団体に繋げるための記事を出したりしたんです。
それから、現地のメンバーと定期的に連絡をとるなかで、現地でも報道が減って風化していたり、保険金や支援金を受けるのにも複雑で長期的な対応を迫られるだとか、家を失った人たちのその後の生活とか、それこそ壊滅状態になってしまった音楽シーンのことなど、たくさん課題をたくさん聞いていて。
大金を集められるわけではないけれど、我々から現地の音楽コミュニティに対して、音楽によって支援できることはないかと考えてチャリティのコンピレーションを作ろうということではじまったのが今回の「A Charity Compilation in Aid of the 2025 LA Wildfires -resilience-」です。準備期間も要しましたが、結果として発生から5ヶ月が経ってからのリリースになったことは、ニュース性よりも長期的な支援を訴える上では良かったんじゃないかと思っています。
参加アーティストは、dublabと関係があったり、LAの音楽カルチャーに影響を受けている方々に声をかけていった結果、本当に幅広い顔ぶれになりました。昨年LAでレコーディングされてらっしゃった岡田拓郎さんもその参加アーティストのひとりです。

玉井裕規(dublab.jp)
岡田:僕がLAに行ったのは2023年の5月が初めてです。Temporal Drift の北沢洋祐さんとは繋がっていて、元々2020年にちょろっと行ってみようと予定していましたがパンデミックになってしまい、ちょうど渡航のためのPCR検査などが必要なくなったのがそのタイミングでした。アメリカに行くのもそのときが初めてで、パンデミックが落ち着いてきて、生きてる間にいろんなところ行ってみよう! みたいな気持ちで向かったので、特にレコーディングのために行ったわけでもありませんでした。
現地に着いたら、たまたまいろんなミュージシャンに会えたり、集まれば演奏したり録音しはじめたりみたいな感じで、もう音楽の生活への根づき方にびっくりして。
Yohei(鹿野洋平)さんのことも知っていたので連絡して自宅にお邪魔したら、ちょうどPhi-Psonicsのセスさん(Seth Ford-Young)が「近くにいるから遊びに行くよ」ってことでコントラバスを持って来てくれて。
Yoheiさんの家は庭がスタジオなんですよ。そこでせっかくだからセッションして録音しようよって、旅の写真を撮るような感じで半日ジャムって遊んでもらいました。そのときの録音のひとつが今年リリースした「The Near End, The Dark Night, The County Line」に収録されてます。

岡田拓郎
玉井:LAでは庭にスタジオを構えることは珍しくないですよね。Yoheiさんは素晴らしい作曲家でありプロデューサー、かと思えばローディーとしてブレイク・ミルズや斉藤和義、ロバート・プラントのツアーに参加していたりと、すごくフットワーク軽く活動している人で僕も正体がつかめていないのですが(笑)、元々はレコードの再発レーベルをやりたくてアメリカに渡った人なんですよね。
岡田:僕が個人的に好きなLAのシーンに対して抱いているイメージって、レコードが好きな人たちが好む音楽と、プレイヤーがやりたい音楽、クラブ・カルチャーの人が聴きたい音楽とが全部交差してシーンとして成立しているというか。そういう場所って世界を見てもあまりないと思うんです。すごく実験的なことをやったとしても、最終的にはリスニング・ミュージックとして楽しめる録音物に落とし込むというか。
エクスペリメンタルと呼ばれるような音楽も僕は好きですが、そういった音楽は例えばインディ・ロックやポップス好きにはときに厳し過ぎる側面があると言いますか。LAではそういう音楽でも、あくまでリスニング作品として楽しめるものが多いように感じます。LAのいまのシーンで活躍している人たちが持っているおおらかなムードが、そういう作品づくりを可能にするんじゃないかと思います。ああいう空気感があると、出てくる音楽は当然変わってくるだろうなと。
原:dublab.jpで放送をスタートさせた2013年当初、LAのメンバーからは「どんな放送でも必ずアーカイヴしろ」としつこく言われたんですよ。まだ慣れないなかで内容がグダグダな番組もあって、こんなの残したくないよって言ったんですけど(笑)。当時はすべてのデータをLAのサーバーに保存する決まりになっていたので、提出しないわけにはいかなくて。渋々やっていたけれど、続けていくうちにアーカイヴすることの価値の大きさがわかってきました。LAには、必ずレコーディングして残す、という習慣のようなものが根付いているように感じます。例えば、カルロス・ニーニョは即興的なセッションをやったとして、その素材を使ってあれこれ編集したものをプライベートプレスでもいいから必ずレコードとして残すんですよ。そういう、リスニングの楽しみがわかっているというか、リスナー側のことをしっかり理解している人が多いなと思いますね。
ミュージシャンって、どうしても演奏することがゴールになってしまいがちな節があると思うんですが、LAでは演奏とレコーディングが対になっている。その大切さをよくわかっているから、優れたレコーディング・エンジニアが育つし、質の高いスタジオが維持されてるんではないでしょうか。

原雅明
コロナ禍以降、ひとりで音楽を作ったりクラブでの演奏以外の活動が模索されたなかで、競争から離れるミュージシャンが増えて、その受け皿としてLAがあったという面もある気がします。(原)
■そういう文化の源流になっているものは何なんでしょうか?
玉井:まずLAにはジャズやポップスなどのシーンと平行して、映画産業に紐づいた音楽産業がありますよね。
岡田:映画の(劇伴などの)仕事があることで、ミュージシャンたちがクラブ回りをする以外の食い扶持を得ることができたというのはLAらしい環境ですよね。
玉井:譜面が読めるミュージシャンが圧倒的に多いエリアとよく言われてたそうですからね。
原:仕事があるからLAにいる、ということは大いにあると思います。いまだったら、例えばNetflixから仕事をもらえるとか。コマーシャルなものとインディペンデントなもの、両方があって往来できるから、ネイト・マーセローやブレイク・ミルズみたいな人たちが大きい仕事もしながら実験的な作品も自由に作れているわけですよね。
日本でもそういう状況がもっとあればいいなと思うんですけどね。そうすれば、それこそ岡田さんみたいなアーティストがもっと活動しやすくなる。
岡田:そうですね。シカゴ時代のジム(・オルーク)さんのように、自分の作品を作りつつ、プロデュース、エンジニア業を行ったり来たりできたらなあとこの10年間やってきたところはあります。僕みたいなタイプのミュージシャンはLAにいけばいくらでもいると思いますが、日本の土壌だとまあまあ大変ですね(笑)。
LAはコミュニティという単位で動くという意識も強いと思うので、コマーシャルなところにもクリエイティヴなまま関わることができている気がしますね。例えばプレイヤーはその現場に合わせてスタイルをいろいろ変えて合わせていくというよりは、そのプレイヤーのカラーが欲しいからその現場に呼ばれ、集まると言いますか。ジェイ・ベルローズとかメジャーな人とやっても、小さなクラブでプレイしても全然スタイルは変わらない。これって当たり前のようでいて、いざ自分の国のプロダクションの仕組みを省みるとなかなか難しいことだったりもする。これはLAに限ったことではありませんが。
原:なぜLAに音楽家が集まるのかということについては、気候が温暖で居心地がいいこともやっぱり大きいと思いますね。古くはストラヴィンスキーやマイルス・デイヴィスもキャリアの晩年はLAに移住していたりするわけですけど。ニューヨークのような場所は緊張感があってそれはそれで良いけれど、それが辛くなってきた人はLAの穏やかな環境に移っていくという動きが、近年のアメリカのジャズシーンでも現れていますよね。
岡田:LAとニューヨークで、やっぱりミュージシャンのカラーの違いは明らかにありますよね。
原:ありますね。ニューヨークはヒエラルキーがあって、ランク付けがつねにされているようなところがあります。それが収入にも直結していくような緊張感がある。それがやりがいと感じられる人もいるけれど、疲弊する人も当然いるわけです。それがコロナ禍以降、ひとりで音楽を作ったりクラブでの演奏以外の活動が模索されたなかで、競争から離れるミュージシャンが増えて、その受け皿としてLAがあったという面もある気がします。スピリチュアルな方面に目覚めるミュージシャンも多かったですし。
玉井:そういうムーヴメントやコミュニティも、今回の山火事で破壊されてしまったわけですよね。火災発生直後から、多くのアーティストたちは「GoFundMe」というクラウドファンディングのプラットフォームを使って各々が支援金を募る動きが活発だったんですけれど、いま、そういう形で資金を得ていた人々が政府からの補助金を受給しにくいという事態になっていたり、申請作業自体が非常に煩雑でそのやりとりだけで相当の時間を要するということも言われていたりするんですよ。
そうなってくると、人材がどんどんLAから出ていってしまうんですよね。例えば、日本でもファンが多いファビアーノ・ド・ナシメントなども。LAの音楽産業から人材や頭脳の流出がすでにはじまってしまっている気がします。
岡田:僕が面識のあるLAの人たちは、みんな直接火災の被害は受けていなくて家屋も無事なんですけど、灰の被害がひどすぎて結局土地を離れてしまっている人が結構いますね。Tenporal Driftのパトリック(Patrick McCarthy)さんは火災の直後、しばらくは家を離れなくてはならなかったと言っていました。
原:マッドリブの家も焼けてしまって、機材やレコード・コレクションも失われたらしいですが、ちょっと信じられない損害ですよね。
岡田:ジェフ・パーカーとよく一緒にやってるポール(Paul Bryan)も、同じくスタジオの機材が燃えてしまったと聞きました。
原:この火災が今後どういうかたちで、どれくらいの損失を出すのか、まだ全く予想がつかない。
玉井:にもかかわらず、現地でも山火事に関する報道はほとんどされなくなってしまっているらしく、支援の動きが盛り下がってしまうことが心配です。
改めて振り返る、2000年代〜2010年代のLAシーン
そういうムーヴメントやコミュニティも、今回の山火事で破壊されてしまったわけですよね。LAの音楽産業から人材や頭脳の流出がすでにはじまってしまっている気がします。(玉井)
■原さんがLAのシーンを意識したり、関わりはじめた当初のこともお聞きしたいです。
原:LAのdublabが立ち上がるのが1999年ですが、それよりも前に、dublab創設者のフロスティ(Mark “Frosty” McNeill)とは知り合っていたんです。彼はその頃から日本のアンダーグラウンドな音楽をやたら掘っていて。そういう作品のリリースに僕が携わっていたからか、直接コンタクトしてきたんですね。Rei Harakamiを聴かせたらのめりこむようにファンになってた。dublabがスタートしてからは、すぐに竹村延和を出演させたり。
玉井:それ、99年の放送ですよね。当時聴いていました。
原:その後、コーネリアスが初めてアメリカ・ツアーをしたときにもdublabに出てましたね。
LAに初めて行ったのは2008年。当時雑誌だったTOKIONからの依頼で、世界の各都市の音楽シーンを巡る企画の一環でした。僕はLAを希望したら行かせてもらえた。良い時代ですよね(笑)。ちょうど「LOW END THEORY」がスタートした年で、J・ディラが亡くなってから2年経っていたタイミングですね。そのときに行った「LOW END THEORY」には〈Warp〉からリリースする前のフライング・ロータスが出ていました。ほかにも、ラス・Gが働いていた〈POO-BAH-RECORDS〉やdublabのスタジオに行ったり。
そこから 2010年になると、いろいろなことが爆発的に生まれていくわけです。フライング・ロータスの『Cosmogramma』が出て、それまでも盛り上がっていたビート・ミュージック・シーンから、アリス・コルトレーンのようなスピリチュアル・ジャズの源流につながっていくものも現れて。一方で、カルロス・ニーニョはジェシー・ピーターソンと『Turn On The Sunlight』を出して、ビート・シーンとは離れた場所でアンビエントやフォークっぽいアプローチに行く。
『Turn On The Sunlight」は僕がレコードも出したんですが、カルロスいわく「ジョン・フェイヒーとブライアン・イーノが出会ったらこんな音楽になる」って言っていて、当時はそれがよくわからなかったというか「これはどこに向かっている音楽なんだろう?」と思ったりしました(笑)。でも、そこからほどなくして、ニューエイジ・リヴァイヴァルと言われる音楽に注目が集まり、『I Am The Center: Private Issue New Age Music In America, 1950-1990』のようなコンピレーションが〈Light In The Attic〉から出るようになった。
そして、そういう動きと並行して、カマシ・ワシントンとかオースティン・ペラルタとか、ジャズ・ミュージシャンたちも当時はビート・ミュージックのレーベルだった〈Brainfeeder〉からジャズのアルバム(2015年にカマシ・ワシントン『The Epic』がリリース)を出すということも起きはじめる。
さっき岡田さんが言っていたような、プレイヤー的な音楽もリスナー的な音楽もすべてが混ざり合っていくような土壌は、こういう動きのなかで完成されていったように見えるんですよね。

アンビエント的なものを内包したジャズというのは確実に出てきていますよね。こういう潮流が現行のLAシーンから生まれたということと、さらにその源流にはアリス・コルトレーンが1970年代に建てたアシュラム(僧院)があるんじゃないかと思います。(原)
■そういうクロスオーヴァーな動きを牽引するようなミュージシャンたちは、どんな現場で育成されているのでしょうか?
原:例えば、LAジャズのメッカといわれるレイマート・パークにあるThe World Stageという老舗のジャズ・クラブはワークショップもおこなうコミュニティ・スペースでもあって、カマシやテラス・マーティンなんかも演奏していた。カマシたちが台頭したことで、The World Stageが綿々と続けてきたことにスポットライトが当たるようになりました。その後も、新しいプレイヤーを輩出し続けていて、いまのLAシーンで活躍している人たちにもここで地道に演奏してきたミュージシャンがいます。
玉井:THE PAN AFRIKAN PEOPLES ARKESTRAもThe World Stageのあるサウス・セントラルという地域で生まれていて、そうしたローカルなコミュニティからジャメル・ディーンのような新しい才能が出てきていますよね。
原:The World Stageはコミュニティをサポートして、教育の場になっているイメージですね。UKのトータル・リフレッシュメント・センターにも近い感じかな。
玉井:THE PAN AFRIKAN PEOPLES ARKESTRAのメカラ・セッションというドラマーのドキュメンタリー作品をdublabのフロスティとアレ(Alejandro Cohen)がプロデューサーとして制作しているんですが、ジャズ・スピリットがどうやって継承されていくか、みたいなことが語られていて。その系譜のなかにカマシやジャメル・ディーンたちがいるんだということがわかります。
https://www.pbssocal.org/shows/artbound/episodes/the-new-west-coast-sound-an-l-a-jazz-legacy
The New West Coast Sound: An L.A. Jazz Legacy
音楽が静かになっていく、その心とは?
昨今のLAのコンテンポラリーなジャズ・ミュージシャンたちは、一見オーセンティックでストレートアヘッドなジャズをやっていても、カルロス・ニーニョが提示したような感覚を持ってやっているというのは感じます。皆、極めて静かな演奏をしますよね。(岡田)
■原さんから語られた2010年代の動きがその後向かった先のひとつが、昨今のジャズとアンビエントが接近したようなサウンドということにもなるわけですね。
原:「アンビエント・ジャズ」という呼称が適切なのかはわからないのですが、アンビエント的なものを内包したジャズというのは確実に出てきていますよね。象徴的だったのはやはりアンドレ3000がカルロス・ニーニョたちと作った『New Blue Sun』です。ヒップホップ・アーティストがスピリチュアル・ジャズやニューエイジにアプローチしたような作品で、もうこれが決定打になった感じがします。
こういう潮流が現行のLAシーンから生まれたということと、さらにその源流にはアリス・コルトレーンが1970年代に建てたアシュラム(僧院)があるんじゃないかと思います。80年代にはLA郊外のさらに広大な土地に移って、商業的なリリースに背を向けてヴェーダ聖典を学ぶ人びとに向けて音楽活動をおこなっていた。
フライング・ロータスや、アンドレ3000のバンドでキーボードを弾いているスーリヤ・ボトファシーナなんかは、アシュラムに出入りしていた人たちなんですよ。スーリヤはアリスの愛弟子で、アシュラムで育ったあとに名門のニュースクール大学に行ってジャズを学んでもいる。彼のようなミュージシャンも登場していて、カルロス・ニーニョと当然のようにつながっているわけです。
『Cosmogramma』もそのきっかけのひとつだけど、アリス・コルトレーンのような音楽が再評価されて、一般的なリスナーにも聴かれるようになったことというのが、大きな流れのなかで影響を及ぼしているんじゃないかと思いますね。
岡田:クラブ・ジャズの文脈でスピリチュアル・ジャズの再評価がされた時代がありましたけれど、今日の視点は少し異なりますよね。それこそアリスの音楽はそこからも漏れてしまっていたと思いますし。
原:カルロスがビルド・アン・アーク(Build An Ark)をはじめたときはそういうクラブ・ジャズの流れで評価されていたわけだけど、それ以降のカルロスはビートを外す方向に行くわけです。おそらくですが、カルロス本人の考えとして、ビートを外さないと次にいけないと思ったんじゃないかと思うんですよね。ビルド・アン・アークはミュージシャンの集まりで、カルロスはほとんど演奏しないけどバンド・リーダー的な影響力があって、例えるならキップ・ハンラハンみたいな存在でもありました。でも、そのままプロデューサーに進むのではなく、プレイヤーとリスナーの中間みたいな居場所を見つけようと模索していたんではと思います。だから、ニューエイジやアンビエント的なものに振り切れば、いろいろなことができると思ったんじゃないかと。
玉井:カルロスが『ユリイカ』のインタヴューで語っていたことですが、「人は成熟するにつれてビート・ミュージックから離れていくものなんだ」みたいな、なかなか過激なことを言っていましたね(笑)。フィジカルに高揚するものではなくて、より自由な音楽の形を自己の内側に求めていたということなんでしょうね。
岡田:アンビエント・ジャズのようなサウンドは、まさにリスニング視点から生まれたものとも言えますよね。例えばマイルス・デイヴィスの黄金クインテットなんかは流動的に伸縮する身体性が注目される印象です。ですが、スタジオ作品においては抑制されていると言いますか、非常にプロデュース的な作品であったりもします。言わずもがな黄金クインテットのライヴは極上ですが、ここにおけるある種のプレイヤーズ・ミュージック的なセッションの部分がその後のプレイヤーや評論家に過度に注目され語られ引き継がれていった部分も少なくないように感じています。
カルロス・ニーニョがビートを外したっていうのは、こうしたジャズにおけるこういった意味での火花が散るようなプレイヤーズ・ミュージック的なセッションへの再考と実践でもあるように感じています。そしてこれは必ずしも身体性との訣別というわけではありません。ビートこそありませんが、近年の彼の音楽の持つ身体性や自然環境のような流動性は作品を追うごとに増しています。熱を必ずしも外側に放射するのでなく、内的な熱にフォーカスすることもできる。前者が熱を帯びた会話や議論だとするなら、後者は会話もするけど、そんな大きな声も出さなくても会話ができるしそのなかにはビーチベッドでチルしてる人がいても良い感じと言いますか(笑)
昨今のLAのコンテンポラリーなジャズ・ミュージシャンたちは、一見オーセンティックでストレートアヘッドなジャズをやっていても、カルロスが提示したような感覚を持ってやっているというのは感じます。皆、極めて静かな演奏をしますよね。大きい声を出さなくても会話ができる環境といいますか。
玉井:そういうアプローチはウェストコースト・ジャズでは昔からあるように思っていて、例えばジミー・ジュフリーがやっていたような絶妙な均衡で成り立っているアンサンブルのサウンドって、静謐で、ともすれば眠たくなるような演奏だけれど、それこそ現代のアンビエント・ジャズ的な耳で聴くとすごく良い。そういう音がジェフ・パーカーとか、いまのLAのジャズ・ミュージシャンに継承されているんじゃないかという気もしますね。
岡田:思えば、ジェフ・パーカーがETAでやっていたような(ETA IVtetの)セッションって、チコ・ハミルトンとかガボール・ザボのような、ドローンが基調にあってハーモニー的な起伏はできるだけ何も起こらない、当時のジャズ好きからしたら退屈とされてしまった音楽を思い起こさせますね。そしてこのミニマルな感覚は現代のLAジャズに通底するトーンを想起させます。
原:ジェフ・パーカーのソロ・ギター作品について「フリー・インプロヴィゼーション」ではなくて「フリー・コンポジション」とプレスリリースで説明されていた。即興演奏ではなくて、作曲しながら即興演奏しているんだと。それは言い得て妙ですよね。
岡田:これは本当に面白いですよね。カルロスがビートを外したことを踏まえて、その上で再びビートを取り入れ、複数人でお互いの演奏に耳を傾けながら即興的に組み立てていく。一見静かだけど、本当にスリリングで刺激的なサウンドだと思います。
ベーシックな文脈の上に、新たな行き先を提示する
僕はジョシュ・ジョンソンですかね。作品はもちろんですが、彼が去年dublabの番組に出た際の選曲がすごく良かったんですよ。それこそアンビエント・ジャズを俯瞰するような内容で。(玉井)
■みなさんがいま追っているLAのアーティストやコミュニティについてもお聞きしたいです。
玉井:僕はジョシュ・ジョンソンですかね。作品はもちろんですが、彼が去年dublabの番組に出た際の選曲がすごく良かったんですよ。それこそアンビエント・ジャズを俯瞰するような内容で、ジョシュア・エイブラムスの新譜とかもかけていて、ジョシュのルーツにシカゴ音響派と呼ばれたような時代の音楽もやはりあるんだろうか、とか。
https://www.dublab.com/archive/frosty-w-josh-johnson-celsius-drop-10-10-24
岡田:トータスをはじめシカゴの音響的な音楽を聴いていたジャズマンがミニマルなジャズをやったら絶対おもしろいじゃん、とかそういうことを考えている人が当たり前にいる世界なんですよね。ゴリゴリにジャズができるけど、タウン・アンド・カントリーも吉村弘も好きみたいな人がたくさんいる。僕もそういう話だけをしていたい……(笑)。
玉井:(ジョシュの選曲のなかで)あとはダニエル・ロテムとかもかけていて。
岡田:多重録音で作ってるひとですよね。すごく良かった!
原:ダニエル・ロテムの作品を出している〈Colorfield Records〉というLAのレーベルはすごく良いですよね。アンビエント・ジャズっぽいものも出しているレーベルなんですが、例えばマーク・ジュリアナやラリー・ゴールディングスの作品も普段の作風とは異なる音響感になっていたりする。レーベルのプロデューサーがピート・ミンという人なんですが、彼は必ずアーティストとマンツーマンでスタジオに入って一緒に作品を作り上げるというスタイルらしくて。
岡田:理想的ですよね。優れたジャズ・プレイヤーにこんな演奏をしてほしい、っていうコミュニケーションをしながら作品を作っていくというのは。ジャズの人たちはみんな演奏力が高いから、言ったことをなんでも体現してくれる。
原:プロデューサーとして正しいことですよね。とりあえず一緒にスタジオ入ろう、っていうのは。
岡田:一対一の〈ECM〉みたいな。
玉井:マンフレート・アイヒャーとマンツーマンは怖いですね(笑)。
■最後に、岡田さんが注目しているアーティストは誰でしょうか。
岡田:ディラン・デイというギタリストですね! 彼は本当に面白いギタリストです。日本にはサム・ウィルクスのライヴで来ていましたけど、やばい音を出す人だなと思ってステージの足元を見に行ったら、チューナーしか置いていなかった(笑)。いわゆるデレク・トラックス的な上手さもある人なんですが、マッチョな演奏ではなく、すごく抑制が効いていて。スライド(・ギター)のプレイも時にサイン波の電子音のように聴こえたり。
プリミティヴなアメリカーナがルーツなんだと思うんですけど、サム・ウィルクスみたいな未来的な志向のあるサウンドにエフェクターなしで入り込めちゃうというのは、ちょっとショックですらありますね。Phi-Psonicsの次の作品にも参加しているらしく、自分のかたちを変えないでどんな音楽にでも入っていけるというのは、いまの時代に珍しいスタイルだと思います。
ディラン・デイしかり、SMLなどに参加しているグレゴリー・ユールマンとか、ジャクソン・ブラウンの来日公演で観たメイソン・ストゥープスとか、すごく面白いギタリストがLAからたくさん出てきている。トラップが全盛だった2010年代というのは、多くのギタリストはギターの役割について向き合わなくてはいけない時代で、自分もそういうことを考えていた。いま一度、ギターという楽器を楽曲のなかでどう位置づけるか、どうやって新しいサウンドを見つけるかという模索を、彼らもこの10年してきたんじゃないかという気がします。それを経て2020年代に入って新しい可能性を提示しているんじゃないかと。

■彼らに共通している特徴を見出すことはできますか?
岡田:いまはエフェクターでできることが拡張しているなかで、テクノロジーを使ってどんな音を出すかを模索するうちに、どんな変わった音を出すかというペダリストに陥ってしまいがちな時代だと思います。ときに鳥の鳴き真似合戦になってしまっていないか、とか(笑)。彼らはユニークな音も扱うけど、極めてギターをギター的に弾くことで勝負できる人たち。ブルース、ジャズ、カントリーというベーシックなアメリカの音楽史の流れのなかでのエレキ・ギターが、ギターについて本当によく知っていますし、現代の音楽に対してこの古典的な楽器でどうアプローチすれば、どこに向かっていけば面白いのか、について本当によく考えていると思います。そういう文脈がないと、音楽自体がどこへ向かっていけばいいかわからなくなってしまうようにも思う。文脈がないと、結局ペダリストになってしまうとも言えるし。だから彼らのことは、120%支持したいですね。