「PAN」と一致するもの

R.I.P. Mark E. Smith - ele-king

 1990年代にイギリスで大きくなった人間として、僕はザ・フォールのことをただ「そういうバンドがいる」という程度にぼんやりとしか認識していなかった。ザ・フォールとマーク・E・スミスは影の集団のような存在だったし、ポップ・カルチャーの背後で不可解に動き回っては、たまにそのスクリーンを突き破ってこちらをまごつかせる超俗的な何がしかをカルチャーの中へとすべり込ませていた。

 スミスの声はインスパイラル・カーペッツの“アイ・ウォント・ユー”での電話を通してがなり立てるようなかすかにアメリカ英語っぽいマンチェスター訛りのヴォイスとして、そしてエラスティカとの共演曲“ハウ・ヒー・ロート・エラスティカ・マン”でおなじみだった。

 コメディアンのステュワート・リー&リチャード・へリングのコンビはザ・フォールの“キュリアス・オレンジ”を自分たちのテレビ・コメディ番組(*1)のテーマ曲に使い、同番組に出てくる「ザ・キュリアス・オレンジ」なるへんてこな常連キャラもその曲が元にしていた(キュリアス・オレンジは人間の顔をした巨大なオレンジで、回答には興味がないくせにもったいぶった質問を発し、どういうわけか人間の肉が好きなキャラでもあった*2)。

 ラジオ界では元ザ・フォールのメンバーのひとりのマーク・ライリーがDJとしてレギュラー番組を抱えていた。一方でザ・フォール最大のファンのひとりとしてもよく知られていたジョン・ピールは、BBCのお恥ずかしい番組編成のごたつきのせいで番組の時間枠をあっちこっちに動かされても必ずザ・フォールの曲はかけてくれる頼りになる存在だった。

 ポップ・カルチャーに走ったひびを縫って入り込んでくる、こうした混乱を招くようなザ・フォール(:転落)の断片の数々は面白可笑しく不思議に思えたものだったが、同時に彼らは常にどこか少々ダークで危険でマジカルで、何かしら魔法めいた(hexen)ところも備えていた。心をそそられるとはいえ、それらの断片を踏み越えていざ実際にザ・フォールの世界へと歩を進めるのは、もっと難易度の高い行為だった。その世界というのは当のバンド側もあっぱれな自覚と共に既に「素晴らしくも恐ろしい」(*3)と称していた世界だったわけだが、実はその形容の上をいくものだったし、90年代のイングランドには彼らを手っ取り早く押し込められるような場所が存在しなかった。

 90年代のブリテン島におけるポップおよびロック音楽に関するメディアの論調というのは、オアシスのようなバンドに代表される「労働者階級、英北部出身でリアル」とブラーが都合のいいステレオタイプを提供することになった「中流階級、英南部出身で気取り屋」のふたつの間に存在する、極端に単純化された二次元的な分かれ目に特徴づけられていた。

 マーク・E・スミスはそうした安易な時代に向いてはいなかったし、メディアの側も彼を分類し、彼を人びとの口に合うように仕立て、彼の魔法の技を中和するのに四苦八苦していた。その結果、彼は有名人のキャラを表現する形容詞のいくつかにまとめられてしまった。「気むずかしい」、「怒りっぽい」、「強情な」。時間が経つにつれて陳腐なクリシェにまで使い古されていったこれらの形容詞によって、マーク・E・スミスは気むずかしい年寄りのカリカチュア、支離滅裂でとりとめがなく風変わりな、でもそのエキセントリックさで愛すべきおじさんへと変えられていった──そうやってあの、もっともグロテスクかつ害のない文化的な概念である「人間国宝」というやつに取り込まれてしまったのだ。こうした単語の数々は彼の周囲を魔法陣で囲むことで彼をイギリス人にとって安全な存在にし、彼に備わっていた本当の意味での危険性からイギリス人を保護する役割を果たした。

 イギリス文化は労働者階級出身のインテリという概念への対処の仕方に常に頭を抱えてきた。ワーキング・クラスの人びとは素朴な民で、地に足が着いていて、気取りがなく(これは「想像力に欠けている」という意味合いを持つ)、読書をはじめとする文化エリート主義めいた匂いを放つものには何であれ懐疑的な態度をとるものとされてきた。労働者階級はその点を誉めたたえられるわけだが、と同時に彼らはその点ゆえに見下されてもいる──彼らが分をわきまえおとなしくしているように仕向ける、それは支配階級側のやり口のひとつだ。その一方で、芸術、詩、知的な野心は中流のリベラル人が追求するものとされる──中流リベラルとは僕のような人間のことであり、ワーキング・クラス側は僕らのことを(概して正しい見方なのだが)軟弱な、現実は見て見ぬふりのリアリティと接点を持たない連中として考えるよう促されている。

 マーク・E・スミスはイギリス文化を理解するためのこうした類型を脅かしてみせた。70年代終わりから80年代初期にかけて「労働者階級の音楽」という概念をもっともすんなり定義してみせたのはポール・ウェラーとザ・ジャムのキッチン・シンク型リアリズム(*4)だった。それに対してスミスは詩人だったし、彼の詩は謎めいたオカルト調な飛躍を見せ、ナヴォコフやラヴクラフト、実存主義作家コリン・ウィルソンらを引用し、またバンド名そのものもアルベール・カミュを踏まえていた(*5)。

 彼のソングライティングはまたポストパンク時代に備わっていた芸術学校あがりの知性偏重主義に耳ざわりな風穴を開けるものでもあって、否定しようがない偉大な同期生バンドだったギャング・オブ・フォーやザ・ポップ・グループの表したラディカルな情趣、同じくカミュ好きだったザ・キュアーといった連中すらザ・フォールに較べると取り澄まし抑制されたものに聞こえるほどだった。

 作詞家としてのスミスは知性、神秘主義、下品さと辛辣な観察眼を併せ持つユーモアとを組み合わせ、そしてそこに言語の持つ美的価値観に対する本能的でまったくもって彼特有な理解も混ぜ込んでいた。スミスは「プロレタリアートによるアートへの威嚇」(*6)であり、その威嚇はがっちり形成されていた労働者階級に対する偏見、そしてブロジョワによるアート独占状態の双方に向けられたものだった。

 言葉の面ばかりではなく、スミスがザ・フォールと共に作り出した音楽そのものも同じくらい重要だった。仮に、基本的にザ・ダムドとザ・セックス・ピストルズは「ストリートにたむろす音才のないごろつきの誰にでもロックンロールは演奏できる」ことを証明したバンドだったとすれば、ザ・フォールは同じく音才のない輩にもひとつの音楽世界を生み出せると証明したバンドだった。反復型で、雑然としていて執拗な彼らの作品の多くはシンプルなパンク・ロックあるいはガレージ・ロックのコードやリフを基本に据えていたが、そこにはまたスカスカで現実離れした、ノイ!とCANのインダストリアルな亡霊も漂っていた。彼らの音はどんなパンク・ロックにも引けを取らないくらい直観的かつ直接的だったとはいえ、あの寓話的な要素、真の意味でもっとも霊感に満ちた音楽的な幻視者だけが掴むことのできる、あの転位してバランスがずれた現実の感覚も備えていた。

 僕からすれば、ザ・フォールをあれだけ重要なバンドにし、またマーク・E・スミスをあれだけ素晴らしいフロント・マンにしていた要素のすべてはアルバム『ヘックス・エンダクション・アワー』収録曲の“アイスランド”でひとつになっている。ピアノの鍵ふたつがえんえんとループしながら前景で叩かれていき、曲が進むにつれ増していくドラムスと引っ掻かれたギター、さまよう右手が弾くピアノから成る不協和音を曲の背景に流れる質感へと抑えていく。その間スミスは我々に向かって「最後の神聖なる者たちを目撃せよ(witness the last of the god-men)」、「さあさあ寄ってらっしゃい、男性下着ショウですよ(roll up for the underpants show)」、「祈禱書を引っ掴め(make a grab for the book of prayers)」、「己の魂に向けてルーン文字を投げかけよ(cast the runes against the self-soul)」とけしかける──無意味そうでいて、しかしやはり何かを心に喚起する一連のイメージ群であり、魔法(hex)は1980年代のイギリスのポップ・カルチャーの地平のそこかしこに無差別にばらまかれ、その後の数ディケイドに神秘的なマジックをにじませ続けている。

 30枚以上にのぼるアルバム群を通じてマーク・E・スミスとザ・フォールは充分なだけの足跡を残してきたし、彼らの与えた影響の大きさをこれ以上証明する必要もない。それでもやはり、彼らのかけた魔法がまだ効果を発揮しているのを知ると励まされるものだ。

 これは興味深くも悲しい偶然だが、スミスの死とほぼ時を同じくして日本人ラッパーのECDが亡くなった。彼もまたスミスと同じようなバックグラウンドから出てきたカテゴライズしにくいアーティストであり、ユニークな詩の感覚で愛され、そしてその影響がさりげなくもパンクに地下音楽、ヒップホップ・シーンからそれを越えた場所にまで浸透している人だった。

 2017年を振り返るレヴューを書こうと思い、去年出会った日本のインディおよびアンダーグラウンド界発のベスト・アルバムをいくつか聴き返す作業をしていたところ、そこにもザ・フォールの残響が流れ続けていた。ボストン・クルージング・マニアの『アイデア』の奇妙なガレージ・ロックとうねうねしたわめき声、トリプルファイヤーの『ファイヤー』に響く反復性リズムのミニマリズム、世界的なバンドの『ニュー』およびWBSBFKの『オープン・ユア・アイズ』に鳴るドライで不満を抱えたポストパンクなどにそれらを聴き取ることができるはずだ。

 昨年発表された『ニュー・ファクツ・イマージ』がおそらくザ・フォールの最後のアルバムになるであろう状況で、あの魔法を未来の世代にまでかけ続けていく任はいま名前をあげたようなバンドたちや他にももっといる連中たちにかかっていくことになるだろう。

<補記>
「hex」という言葉について。この言葉を僕は文章の中で何度も繰り返しているが、それはマーク・E・スミス自身が歌の中で多く使った単語だったからだ。「hex」というのは英語の中でも変わった言葉で、普通は「magic」、「sorcery」(いずれも魔法/魔術の意味)、「enchantment」(魔法/魔法にかかった状態)といった単語を用いるものだし、場合によっては「curse」(呪い)もありかもしれない(それがどういう類いの「hex」なのかによるが)。このかなり耳慣れない単語の方を彼が好んだ事実は大事なことだと思うが、この文章を日本語に翻訳した際にその微妙な違いを表現するのが難しいのではないかと察するので、短く説明を加えさせてもらった。

<註>

*1:BBCが90年代末に放映したコメディ番組『This Morning with Richard Not Judy』。

*2:キュリアス・オレンジのコーナーは番組内で進化し、映画『エイリアン』に登場するチェストバスターそっくりな人肉好きキャラ=キュリアス・エイリアンに取って代わられた。

*3:『The Wonderful And Frightening World Of The Fall』は1984年発表のザ・フォールのアルバムのタイトル。

*4:戦後イギリスで起こった社会主義リアリズムを備えた演劇•小説•映画他の風潮で、恵まれない庶民や労働者階級の暮らしぶりを実直に描いた。

*5:カミュの小説『La Chute』(1956年:邦題『転落』)の英語タイトルが『The Fall』。

*6:ザ・フォールのエP『Slates』(1981年)収録曲のタイトル(“Prole Art Threat”)。

interview with Nightmares On Wax - ele-king

 ダンス・ミュージックがもたらしたリズムの発明は、フィジカルな肉体の運動を促すものだけではない。ある種の、甘美なる怠惰のためのBGMというか、リラックスのためのビートも生み出している。ある種のヒップホップの手法だったブレイクビーツから派生したダウンテンポと呼ばれる音楽は、リラックスのための最良のグルーヴを生み出した(もちろん、そのリズムであなたがゆったりと体を動かすことは自由だ)。ジョージ・エヴリン(DJ E.A.S.E.)を中心としたプロジェクト、ナイトメアズ・オン・ワックスとは、その名前とは裏腹に、心地よいその手のサウンドのイノヴェイターとしてUKの音楽史に30年近く君臨してきたアーティストだ(そういえば、LFOのマーク・ベルが2014年に死去したことを考えれば〈WARP〉の最古参アーティストでもある)。

 1995年にリリースしたセカンド・アルバム『スモーカーズ・デライト』が、そのアーティスト史的には転機と呼べる作品であり、音楽史に残るある種の発明でもある。ソウルやファンク、R&B、そしてレゲエ/ダブなどを吸い込んだ、ヒップホップ的なサンプリング・センスと、ザ・KLFの『チルアウト』のコセンプトを掛け合わせたというそのサウンドは、まさにヒップホップのある種の“チルアウト性能”を極限まで音楽的に増大させた。それはダウンテンポ(もしくは当時の流行り名でいえばトリップホップ)と呼ばれる音楽の雛形のような作品となった。そのタイトルが象徴するようなある種の実用性(むろん、そこから離れた単なるリラックスした空間での実用性も含めた)のなかでのサウンドトラックとして増殖し続け、フォロワーも星の数ほどいるジャンルとなっている。


Nightmares On Wax
Shape The Future

Warp / ビート

DowntempoR&B

Amazon Tower HMV iTunes

 前置きが長くなったが、ここにナイトメアズ・オン・ワックスの実に5年ぶりとなる8作目の新作『シェイプ・ザ・フューチャー』が届いた。野太いベースとソウルフルなサウンドに支配されたダウンテンポ──基本サウンドはもちろん『スモーカーズ・デライト』から変化がないと言えるかもしれない。しかし、もはやそれは彼の作品を貫く美学でもある。もちろん、これまで以上に熟成したサウンドが展開されてもいるし、そして新たな変化もある。ひとつ新作の特徴を挙げるとすれば、それは歌にフォーカスしたアルバムと言えることだ。これまでの作品にも参加してきた、モーゼズ、LSK、クリス・ドーキンス、JD73、シャベルといったシンガーに加えて、サディー・ウォーカー、ジョーダン・ラカイ、アンドリュー・アショングなど新世代のシンガーも参加しており、アルバム全体としてはR&Bへとそのサウンドの舵をきっているとも言えるだろう。彼のサウンドの長年のファンに説明するとすれば、どちらかといえば近作2作のファンキーなビート・サウンドの作品よりも、『マインド・エレヴェイション』や『イン・ア・スペース・アウタ・サウンド』といった、歌モノが心地よい、よりチルな雰囲気のシルキーでソウルフルなサウンドを思い浮かべてもらえればいいかもしれない。甘美な怠惰のためのビートはソウルフルに鳴り続けるのだ。

メディアの言うこと、政治、他人が言ったことではなく、自分のフィーリングや自分と誰かの会話から生まれるものに従って世界を見て、未来を作っていくという意味さ。

現在もリーズに住まわれているんでしょうか? それともイビサですか?

ジョージ・エヴリン(George Evelyn、以下GE):イビザだよ。もう11年になる。

制作はどのくらいの期間で行われたのですか?

GE:3~4年くらいかな。はっきりとは言えないんだけどね。というのも、俺はアルバムを作ろうと決めて作品を作り出すわけではないから。常に曲を作っていて、ある程度の数ができあがったときに、それにアルバムとしてのまとまりを感じれば、そこで「お、これはアルバムになるな」と思うんだ(笑)。

〈WARP〉の他のアーティストもそうだと思いますが、リリース・サイクルは自由なんですね(笑)。

GE:そうだよ。あまり「なにかを作らなければいけない」という考えに縛られるのが好きじゃないんでね。自分のなかから自然に出てくるものを活かしたいんだ。締め切りとかに制限されず、自分の音楽には自由なスピリットを取り入れたい。そっちの方が、誠実な作品を作ることができるからね。

資料には本アルバムの制作をして「肉体的にも精神的にも新しい旅をした」と書かれていますが具体的にはどんなところでしょうか?

GE:肉体的というのは、もちろんツアーで旅をしていたこと。そして、その旅を通じて様々な文化を体験したし、国を訪れる度に、現地の人たちに聞いて、その土地の社会や経済、政治、音楽シーンについて学んだんだ。それによって、世界をまた違った角度から見ることができた。様々な問題や崩壊したシステムが存在することがわかったし、俺は、それに興味を持ったんだ。精神的というか、内面的にも様々なものを見て、感じたんだよ。その経験を通して、世界の見方について考えるようになった。多くの人々は、自分の目で世界を見ていないと思う。外部からの情報に影響されていて、その情報は正しいものでなかったり、ポジティヴでないものが多いんだ。そこで、もし自分たちがそういうものに左右されず、情報、政治、宗教がなく、自分たち自身の見解で未来を考えたらどうなるだろうと考え始めた。世界をどう見るか自分たちにはどんな未来にするかを選ぶ選択肢があるということ。それに気づき、それを表現したいと思ったんだ。

それでアルバムのタイトルが「Shape The Future」なんですね?

GE:その通り。メディアの言うこと、政治、他人が言ったことではなく、自分のフィーリングや自分と誰かの会話から生まれるものに従って世界を見て、未来を作っていくという意味さ。

本作はこれまでのあなたのキャリアで最も“歌”に注力したアルバムではないかと思うんですがいかがでしょうか? もしそうであれば理由も教えてください。

GE:結果的にはそうだね。でもさっきも話したように、俺は計画して作品を作るわけではないから、たまたまそうなったんだ。ただそれくらい、今回は伝えたいメッセージがあったんだろうね。俺の音楽は作っている時の自分の状態が映し出されたものだから。

Little Ann “Deep Shadows”をカヴァーしたのはなぜですか?

GE:アルバムに女性のミュージシャンをフィーチャーしたらいいんじゃないかという話をマネージャーとしていて、マネージャーが送ってきた曲の候補の中にあの曲があって、いいなと思ったんだ。誰かと親しくしていても、その関係の中でなにかが満たされないというか。ひとつの方向にとらわれず、複数のアングルから人間関係を見ているのが面白いと思った。そういう曖昧な部分に惹かれたんだ。

これまでの作品にも参加してきたシンガーに加えて、ジョーダン・ラカイ、アンドリュー・アショングといったシンガーも名を連ねています。彼らはどのように起用したのでしょうか?

GE:ふたりとも、俺のイベント《Wax Da Jam》に参加してくれたアーティストなんだ。アンドリューとは、曲を作って、去年EPとしてリリースしたんだけど(註:2016年のEP「Ground Floor」のこと)、その作品の出来が良かったからまた彼を招くことにしたんだ。さっき話したイベントのクロージング・パーティーでジョーダンはプレイしたんだけど、その次の日に俺の家でバーベキューをやって、それに彼が来て、その流れで一緒にスタジオに入ってレコーディングした。その曲をアルバムに入れることにしたんだよ。

ベースは、暖かい毛布のようなもの。そう考えればいいのさ(笑)。寒かったら、俺のレコードを聴けばいい(笑)。

また今回はウォルフガング・ハフナーなど、ジャズ・ミュージシャンの演奏も多く取り入れている模様ですが、このあたりはどういったコンセプトがあったんでしょうか?

GE:いや、ないね。さっきも話したように、あまり何かを決めて作品を作ることはないから。これまでもジャズ・ミュージシャンたちとはたくさん共演してきているから、俺は特に多いとは感じていない。アルバムに参加してくれているミュージシャンたちは、皆友だちなんだ。彼らのような素晴らしいミュージシャンに参加してもらえたのはすごく嬉しいね。

全体の何割ぐらいをミュージシャンの生演奏を使っているのですか?

GE:50%くらいだと思う。このアルバムに限らず、俺は常にアナログとデジタルの融合を意識している。

やはりいまでもサンプリングという作曲方法にマジックを感じていますか? それはどんな部分ですか?

GE:もちろん。サンプリングは俺にとって主要な表現方法だからね。サンプリングに自分のアイディアを混ぜ、新しいものを作る。俺のバックグラウンドはヒップホップだから、サンプリングは俺をここまで連れてきてくれた基本。曲作りにおいてだけでなく、曲選びのスキルもサンプリングで鍛えられたと言ってもいい。サンプリングの魅力は、ある曲のわずかな数ミリの瞬間をもとに、そこにアイディアを加えて混ぜることで、全く新しい作品が生まれるところだね。

あなたやJ・ディラといったアーティストが切り開いたブレイクビーツ・ミュージックが逆に新世代のジャズ・アーティストに影響を与えるという状況もでているようです。こうした事態に関してあなたはどう思いますか?

GE:興味深いと思うよ。インスピレーションの循環のひとつだと思うし、それがナチュラルに起こっているならより良い。意識してやってしまうと、それはコピーになってしまうからね。インスパイアされることによって自分の作品がより深いものになるなら、それは素晴らしいことだと思う。

最近のジャズやR&Bのアーティストでおもしろいと思うアーティストはいますか? たとえばハイエイタス・カイヨーテやロバート・グラスパーなどはどう思いますか?

GE:Electrio っていうイギリスのグループで、彼らはすごく面白いよ。それからニック・ハキム。ハイエイタス・カイヨーテもロバート・グラスパーも素晴らしいと思うよ。ハイエイタスはアルバムも良かったし、去年フェスで一緒になったからパフォーマンスを見たけど、あれは素晴らしかった。あと、カマシ・ワシントンも最高だね。

アラン・キングダムはなぜ起用したのでしょうか?

GE:すでに作っていた曲があって、そこにもっと若いエナジーを加えたいと思いつつそのままになっていたんだ。でも、あるときアランがスタジオに来る機会があって、彼がピッタリだと思った。彼はコンテンポラリーなヒップホップ・アーティストだし、アルバムにダイナミックさをもたらしてくれると思ったんだ。

この作品に限らず、いくつかの例外はあるにせよ、あなたの作品は基本的にある種のベース・ミュージックだと理解しています。とても心地よいヘヴィーなベースがずっとなっていて、それが楽曲全体を印象づけていると思っています。

GE:どうだろう(笑)。心地よい音楽を作っているつもりではあるし、暖かいベースを作りたいとは思っているけど(笑)。暖かくもありながら、セクシーな気分になったりダンスをしたくなるベースでもあり、かつハッピーにもなれるベースが最高だね(笑)。

ベース・ミュージックをうまく作る秘訣を教えてください!

GE:ハートで音楽を作ることさ。頭ではなく、ハートで作ること。ベースは、暖かい毛布のようなもの。そう考えればいいのさ(笑)。寒かったら、俺のレコードを聴けばいい(笑)。

あなたの音楽は『Smokers Delight』という作品の名前が象徴的ですが、スモーカーたちを喜ばせ続けるようなサウンドをリリースし続けています。歳をとるとやめてしまう人もいますが、あなたはいまでも優秀な“スモーカー”ですか?

GE:今は若い時ほどは吸わないね。例えば、今も3日間吸ってない。自分にとって前ほど必要なものではないよ。


超プロテスト・ミュージック・ガイド - ele-king

自分の人生に対して
政治的インパクトを持った音楽について
考察する、註釈つきのプレイリスト集!!

日本版コントリビューター
荏開津広、木津毅、栗原康、桑原茂→、坂本麻里子、
ブレイディみかこ、松村正人、三田格、行松陽介

私は、音楽において、“ポリティカル”な側面こそが、営利主義のメカニズムや“耳あたりのよさ”といったものの幅を利かせた支配力によってとかく頻繁に脇に追いやられるものだと考えました。音楽は、おそらく、それが自由とか社会的正義に対する私たちの政治的願望を形にして見せてくれるとき、あるいはそれらと同調するときに、最も説得力を持つものになり得るのですが。 (序文より)

contents

本書について

序文
イントロダクション
音楽とアジテイション:ある曖昧なカテゴリー、そしてそれがよい

Agit Disco 1 DJ クラウトプリーザー (DJ / 映写技師)
Agit Disco 2 ジョニー・スペンサー (アーティスト)
Agit Disco 3 トム・ヴェイグ (雑誌『Vague』主宰)
Agit Disco 4 マーティン・ディクソン (写真家)
Agit Disco 5 ピーター・ヘイニング (アート研究)
Agit Disco 6 ステュワート・ホーム (アーティスト / 作家)
Agit Disco 7 トム・ジェニングス (ライター)
Agit Disco 8 ハワード・スレイター (ライター / ソーシャルワーカー研修生)
Agit Disco 9 メル・クラウチャー (デザイナー / ライター)
Agit Disco 10 サイモン・フォード (ライター / アーティスト)
Agit Disco 11 ルーム・13・ロッキーサイド (アート・センター併設学校の小学生たち)
Agit Disco 12 シャーン・アディコット (写真家)
Agit Disco 13 ピーター・コンリン (アーティスト / ライター)
Agit Disco 14 ルイーズ・キャロリン (レズビアン雑誌編集)
Agit Disco 15 アンディー・T (DJ)
Agit Disco 16 サラ・ファルーン (ベルファスト在住のアクセサリー制作者)
Agit Disco 17 ミシュリヌ・メイソン (活動家)
Agit Disco 18 ロジャー・マッキンリー (アーティスト / ライター)
Agit Disco 19 ステファン・ジェルクン (アジット・ディスコ創始者)
Agit Disco 20 ニール・トランスポンタイン (音楽ライター)
Agit Disco 21 ルーカ・パーチ (詩人)
Agit Disco 22 ジョン・イードゥン (音楽ライター)
Agit Disco 23 トレイシー・モーバリー (アーティスト / 作家 / ラジオ番組ホスト)

セレクター紹介
『アジット・ディスコ』ジャパニーズ・エディションに寄せて

Japanese Edition Bonus Playlists

Agit Disco 24 荏開津広
Agit Disco 25 木津毅
Agit Disco 26 栗原康
Agit Disco 27 桑原茂→
Agit Disco 28 坂本麻里子
Agit Disco 29 シンドストラン・ラヴ+鈴木孝弥
Agit Disco 30 ブレイディみかこ
Agit Disco 31 松村正人
Agit Disco 32 三田格
Agit Disco 33 行松陽介

日本版セレクター紹介

訳者あとがき

Lemzly Dale - ele-king

 UKでは怒濤の勢いで成長を遂げているグライム。そのムーヴメントの一端を担うブリストルの〈Bandulu〉から、幅広い音楽性でシーンを支えるレムズリー・デイルが来日、東京と福岡を回るツアーを開催する。グライムを中心にUKの音楽にスポットライトを当てたイベント《Mo'fire》の一環として催される東京公演では、〈SVBKVLT〉からの新作も好評の Prettybwoy をはじめ、Double Clapperz や UNSQ、1-drink らが出演。Double Clapperz と UNSQ は福岡公演にもゲスト出演するとのこと。UKアンダーグラウンドの息吹に触れる格好の機会をお見逃しなく。

■東京
2/17 (土) 23:00 -
Mo'fire pres. Lemzly Dale
@CIRCUS TOKYO

ADV: 2,000yen
DOOR: 2,500yen

Lemzly Dale
Prettybwoy
1-drink
Double Clapperz
UNSQ
+ More

イギリスの若者に影響を与え続けているグライムを中心にUKミュージックに焦点をあてるクラブ・ナイト《Mo'fire》。
3回目となる今回は、イギリスはブリストルを拠点にグライム、ダブステップなど様々なムーヴメントを起こしてきた〈Bandulu Records〉より、Lemzly Dale を招いて開催される。
ハードなインストゥルメンタルから、R&B やヒップホップをサンプリングしたメロディックな音まで、作風の幅を見せながらも一貫した音作りでシーンの支持を得てきた。
また、〈Sector7〉や〈Pearly Whites〉といったグライム・レベールを運営するなど様々な角度から音楽シーンに貢献している Lemzly Dale 初の海外ツアー。
プロデューサー、レーベル・オーナーと様々な一面を持つ Lemzly Dale を迎えるゲストは、上海のレーベル〈SVBKVLT〉からのリリースも好評のUKガラージ・アーティスト Prettybwoy、ジャンルを自在に横断する DJ 1-drink ら。
UKグライムの進化と深化を体感する一晩。

CIRCUS Tokyo
3-26-16, Shibuya, Shibuya-ku, Tokyo 150-0002 Japan
+81-(0)3-6419-7520
info@circus-tokyo.jp

■福岡
2/16 (金) Start 21:00
BLOCK PARTY SP
~Lemzly Dale Fukuoka Tour~
@The Dark Room

Charge: 2,000yen

SP Guest DJ
Lemzly Dale (Pearly Whites / Sector 7 Sounds)
from Bristol UK

Guest DJ
Double Clapperz from Tokyo
UNSQ from Tokyo

DJ
IGB (GLOCAL COMBO)
CRANK (BLOCK PARTY)
Nishiura (DSA DUB)
Lo-P (AVALANCHE MUSIC)
svv (AVALANCHE MUSIC)
Gonorrhea (AVALANCHE MUSIC)

Guest MC
ONJUICY from Tokyo

MC
NINETY-U
BOOTY
脳発火
NAB

Live Paint
MSY

SNAP
KURA1985
Nanako


interview with Marina Kodama - ele-king

「音は電気なんだよ」と言われたのがものすごく衝撃で、セミの鳴き声もじつは電気なんだよって教えてもらったんですね。


児玉真吏奈 - つめたい煙
Pヴァイン

ElectronicaSSWPop

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 スモーキーというわけではない。でも、どこかから煙の漂ってくる気配がある。その不思議な感覚はおそらく、彼女のブリージィな歌声に起因しているのだろう。児玉真吏奈による初の全国流通盤『つめたい煙』は、そのタイトルに示されているように、えもいわれぬもくもく感を携えている。けれど、同じくタイトルに示されているような「冷たい」印象は与えない。“Dark Element”などはその曲名とは裏腹に、むしろ温かみを感じさせる。とはいえぬくぬく・ぽかぽかしているわけでもないのがこのアルバムのおもしろいところで、キュートかつストレンジなIDMポップが鳴らされたかと思えば、シンプルなピアノの弾き語りが挿入されたり、アンビエント調のトラックが浮遊感を紡ぎ出したりと、なんともつかみどころがない。まるでゆらゆらと辺りを漂い、やがては空へと消えていくはかない煙のようだ。児玉真吏奈は煙なのだろうか?
 難波ベアーズを中心にライヴ活動をおこない、あふりらんぽなど関西アンダーグラウンド・シーンとの接点を保つ彼女だが、本人的にはそれは「覗いている」感覚なのだという。その帰属意識の薄さや居場所のなさはこのアルバムにも強く表れ出ている。児玉真吏奈は「外」にいるのだ。だからこそ、“飲み物”や“oyasuminasai”のような繊細なリリックを紡ぎ出すことができるのだろうし、またそれが同じような感情を抱いたことのあるリスナーにそっと寄り沿う力を持つこともできるのだろう。
 このように不思議な魅力を放つアルバムを作り上げた児玉真吏奈だけれど、はたして彼女の真意はどこにあるのか? それを確かめに行ったインタヴュワーはやはり煙に巻かれてしまったのだろうか? その顛末を以下よりお楽しみください。


私、「真吏奈」って名前なんですけど、Fのコードってファの音から始まるから、私に「F」を足したら煙だ! と思って(笑)。

幼少期からピアノを弾いていたとお聞きしたのですが、それが音楽をやるようになった原点ですか?

児玉真吏奈(以下、児玉):家にアップライト・ピアノがあって、たしか5歳くらいの頃にピアノを習い始めました。でも習い始めたらすぐに先生が旅に出ちゃって(笑)。おもしろい方だったんですけどね。だからちょっとだけ習って、あとは自分で模索する日々が始まりました。

5歳にして独学なんですね(笑)。

児玉:はははは。そのとき自分でやっていろいろ発見して、ということがいまに繋がっているのかもしれないですね。

ピアノということはクラシック?

児玉:そうですね、クラシックの教材を弾いていました。でも(レッスンの教室が)おもしろい環境で、(教材以外にも)「悲しい音を出してみて」って言われれたりして弾いていましたね。それが日常だったので、小さい頃からアウトプットすることは多かったです。

いわゆるポピュラー・ミュージックに触れるようになったきっかけはなんだったのでしょう?

児玉:昔から家でラジオがかかっていたので、Jポップはよく聴いていました。小学生の頃はまだジャンルのことはよくわかっていなかったんですが、民族音楽とかもいろいろと聴いていましたね。私が小学生の頃に流行っていたのはUAさんやEvery Little Thingさん、あとは椎名林檎さんとかで、よく『Mステ(ミュージックステーション)』に出ていたので録画して観たりしていました。

そういうJポップと同時に民族的なものも聴いていたの? 誰かからの影響?

児玉:ラジオを聴いているとそういう特集があったりしたんですよね。知り合いにもそういう音楽が好きな人がいて、それで聴いていました。

その頃にはもう自分でも作り始めていたんですか?

児玉:そうですね。これはライヴでもよく話すんですけど、5歳くらいの頃に初めて歌を作ったんです。人生で初めて作った曲は、飼っているワンちゃんの歌。ワンちゃんって「散歩」ってワードを言うと昂奮するじゃないですか。その昂奮がすごくかわいくて愛おしくて、もっと昂奮させたいと思ったんですね。なら「散歩」というワードをたくさん使った歌を作ればすごく昂奮させられるんじゃないかと思って(笑)。それで散歩へ行く前に歌うために作ったのが“散歩のテーマ”という曲で、それが初めての作曲ですね。(相手が)犬だから反応もすごくピュアで、それがすごく嬉しかったのは覚えています。

電子楽器に触れるようになったのはいつ頃からなのでしょう?

児玉:たぶん親が好きだったからだと思うんですが、幼い頃にキング・クリムゾンを聴いたりしていて、そういう電子楽器とかを触ったりはしていました。でも、いまのようにシンセサイザーを使うようになったのはじつはけっこう最近で、20代に入ってからなんです。それまではずっとアップライト・ピアノで弾き語りをしていたんですが、もっと違う部屋があるような気がしていて。そうして方向性を模索していたときにモジュラー・シンセを演奏する方に出会って、そこで初めてアンビエント・ミュージックを知ったんです。その方に「音は電気なんだよ」と言われたのがものすごく衝撃で、セミの鳴き声もじつは電気なんだよって教えてもらったんですね。

セミの声が電気?

児玉:セミが「ミーン、ミーン、ミーン」と言っているのを木の下で聴いたら電気だってことがよくわかるよって言われて、実際に聴きに行ったんですけど、たしかに電気のノイズ音というか、たとえばテレビが点いていると(音量がミュート状態でも)すぐにわかるりますよね。

別の部屋にいてもわかったりしますよね。あれ不思議ですよね。

児玉:(セミには)それを力強くしたような感じがあったんですよね。それでその頃にシンセサイザーのお店も紹介してもらって、そこで(楽器を)触らせてもらえたんです。そのときに、いまも持っているコルグのクロノスというシンセサイザーを見つけて、すごく高いんですけど、「これがあったら児玉さんの言っていることがいろいろできるよ」と言われて。知り合いがそのシンセサイザーを使わせてくれたりして、そういう出会いが大きかったですね。

ピアノの弾き語りから電子楽器へ移行するときに、違和感などはありましたか?

児玉:ピアノをやっているときもよく(ピアノの)蓋を空けてなかを覗いたりしていて、いわゆる「ピアノを弾く」というよりは「打楽器や弦楽器をやる」ような感覚で、(ピアノのなかの)弦を弾いて音を出したりしていたんですね。そういうふうに(ふつうの)使い方をしていなかったから自然に(シンセに)行けたのかもしれないです。

アルバムの1曲め“Fio2:60%”の終盤に顕著なのですが、子音を打楽器や効果音のように使っていますよね。

児玉:あれは、スタジオに入ったときに、ミュージシャンのあいだで回っているルーパーをいただいたんですよ(笑)。それを使いたくて、何回か即興テイクを録ったんです。遊んでいる感じですね。だから(意識的に)素材として使おうとして使ったという感じではないですね。あとで聴いてから使おうと思いました。

児玉さんのヴォーカルは、おそらくよく「ウィスパー系」と言われるかと思うんですが――

児玉:言われます(笑)。

ご自身ではどう思われますか?

児玉:空気が多いんだろうなとは自分でも思うんですけど……でもどちらかというと「ウィスパー」って透き通った綺麗なイメージがあって、私はウィスパーのなかでも透き通っているというよりかは曇っているような気がしています。「燻製の声だね」と言われたことがあるんですが、それがいちばんしっくりきたんですよね。けっこうしゃがれたりもするので、それはたしかにそうだと思いました。

児玉さんにとってヴォーカルは特別なものですか? それとも、ほかにもいろいろある楽器のなかのひとつですか?

児玉:すごく特別です。めちゃくちゃ特別ですね。自分といちばん近い気がします。自分の声なんですけど(笑)。(ほかの音の要素が)それぞれバンド・メンバーだとしたら、(ヴォーカルは自分に)いちばん近い存在な気がします。いろんな声が出たりするのもおもしろい。たとえば裏声で歌うと、同じ人でも違う声になったりするのがすごくおもしろいと思いますね。

「私すごく病んでます」って言えるのはすごく幸せなことなんだと思います。

3曲めの“Dark Element”は展開がおもしろいです。これはあらかじめこのようにしようと考えていたんですか?

児玉:ライヴをやるときって、自分のなかであらかじめ決めておく部分と決めない部分があるんですが、それと同じように、(“Dark Element”の)始めの歌がある部分ではちゃんと(展開を)作っているんですけど、(展開が)自由になる部分も残しているんです。あれも大阪のスタジオで一発録りしたものですね。

このタイトルは、児玉さん自身のダークな側面ということでしょうか?

児玉:はははは。シンセサイザーのセットにいろんな名前がついているんですが、そのセットの名前が「Dark Element」なんですよ。それで調べてみたら「ダークな側面」という意味だったのでピーンと来て、これにしようと思いました。

その次の“私にFを足してみて”というのも不思議なタイトルです。森博嗣の小説を思い浮かべたんですが、それとは関係ありますか?

児玉:それって『すべてがFになる』ですか? 最近よく聞かれるんですよ(笑)。その小説は知らなかったので、逆に気になっているんですけど、それじゃないんですよ。

これは連想しちゃいますよ(笑)。では「F」ってなんなんでしょう?

児玉:ちょうど1年くらい前に、初めて高知にライヴで行ったときにできた曲なんですけど、その高知で過ごした時間がすごかったんですよ。旅をしないとわからない空気というか、靄のような霧のようなものがかかっている神秘的な場所があったんです。そのときは自分で車を運転して行ったんですけど、徳島から高知に近づくにつれてどんどん煙とか霧とか自然が溢れていって、着いてから見た景色も「回想シーン」みたいにちょっとぼんやりしているというか。そのイメージがあったので、大阪に帰ってきてすぐに曲が書けたんです。でもタイトルだけ決まらなくて、どうしようかなと思っていて。そのときたまたま長野県で大麻で捕まった人たちのニュースを見て……私、「真吏奈」って名前なんですけど、Fのコードってファの音から始まるから、私に「F」を足したら煙だ! と思って(笑)。とくに深い意味はないです(笑)。これに気づいてくれたら嬉しいなと思って。

なるほど(笑)! 「マリナ」に「ファ」を入れてみる、ってことですね(笑)。でもドラッグ・ソングというわけではないですよね(笑)。

今村(A&R):そこは誤解されないよう(笑)。

この曲に出てくる「夜をひっぱり貼り合わせる」というフレーズがすごく耳に残ったんですが、詞を書くうえで影響を受けているものはあるのでしょうか?

児玉:詞はじつはいちばん苦手なんですよ。昔から絵本とか写真集とか絵画集とかはすごく好きだったんですけど、文字にはあまり触れてこなかったんですよね。だからこそそういう歌詞になっているのかもしれないです。自分の持っているもので料理しないといけないってなったときに、代わりのもので間に合わせるというか(笑)。たとえばごはんを作るときの、「これを作りたいけど材料がないから、代わりにあれを使う」みたいな感じで、自分の持っている少ない言葉を当てはめていったら、本来の意味じゃない意味になったりすることがあって。でも影響を受けているものとなると……高校生のとき、古典はおもしろいと思いました。和歌とかって、文字の数は少ないのにすごく意味が込められていますよね。あれには衝撃を受けました。想像を膨らませるのが好きで、百人一首はよく読んでいましたね。それはもしかしたら(影響が)あるかもしれない。あと、こういうミュージシャンのインタヴューも好きで、よく読みます。だから文字を読むこと自体は嫌いではないと思うんですよね。これからもっといろいろ読んでいきたいです。これまでは言葉のないものにばかり触れてきたので。

言葉が苦手なのに、自分で歌詞を書くことを選択したのは少し不思議な気がします。

児玉:そうですね。いまもなんですけど、ふだんから(相手に何かを)伝えるときにすごく苦労しますね。こういう(取材の場で)意思を伝えるのも。幼いときの「悲しい気持ちを音にして」というふうに、音で感情を出すほうが自然ですね。言葉でとなるとすごく難しい。

その幼い頃の「悲しい気持ち」って、どのようなものだったのでしょう?

児玉:幼稚園生の頃は暗黒期でしたね(笑)。みんな遊具とかで楽しそうに遊んでいるのに、私はあんまり幼稚園が好きじゃなかったのか、毎日が憂鬱でした。幼稚園から帰ってきて、ふうって一息ついてピアノを弾くという日々でしたね。

それは小学生のときも?

児玉:好きな女の子とか友だちもいたんですけど、漠然としたダーク・エレメントはありましたね(笑)。でも人間関係はごくふつうの、幸せな感じでした。ただ好奇心がすごく大きくて。習い事とかもたくさんしていて、昔からいろんな世界を見ていたんですよね。通っていた小学校だけじゃなくて、水泳(教室)でほかの学校の友だちができたり、地域の鼓笛隊に参加したり、「外の世界」みたいなものの感覚は昔からありましたね。

5曲め“飲み物”や6曲め“oyasuminasai”で表現されている「自分の気持ちに蓋をする」ような感覚は、そういう経験から来ているんでしょうか?

児玉:そうですね。それはもしかしたらあるかもしれないです。

このリリックは、学校や会社で仮面を被って過ごしている人たちが共感できるような表現だと思いました。これは、他人のそういう状況を描いたというよりは、ご自身の感覚なのでしょうか?

児玉:自分で自分のことをさらけ出せるのはすごく幸せなことだと思うんです。私はたぶん昔からいろいろと感じるタイプだったと思うんですけど、身近にもそういういろんな人がいますよね。友だちが悩んでいることとか、自分の家族の複雑なこととか。でもそれは、自分自身のことじゃないから言えないというか。でもいろいろ感じることはあって。自分から生まれる煙じゃないけど(笑)、自分の出来事だったらさらけ出せますが、他の人の出来事だったら言えないというか。私は家庭環境もとくにめちゃくちゃな感じではなくて、すごく幸せな家庭だったんですが、じつはおじいちゃんが結婚を3回していているんです。1人めとはふつうに結婚して離婚したんですね。2人めが私の本当のおばあちゃんなんですけど、30代のときに亡くなっちゃって。それで3人めの新しいおばあちゃんが来る、という感じだったんです。でもぜんぜん深刻な感じではありませんでした。その3人めの、いまいるおばあちゃんも大阪のファンキーな感じのおばあちゃんで。でもそのおばあちゃんのお兄さんはちょっといろいろあって、自殺しているんですね。家族内ではそういうことがあって、家族のなかでいろいろあると一緒に暮らせない時期もでてきたりして。そういうところで生まれるさびしさみたいなものが、おじいちゃんとおばあちゃんの家で生活するときにもちょっとあって、でも「楽しいよ」ってふつうに過ごしてきたんです。そういうふうにいろんな感情を持ったまま生活しないといけないというのは昔から思っていました。だから逆に、「私すごく病んでます」って言えるのはすごく幸せなことなんだと思います。

アルバムの前半はビートがあったりエレクトロニカっぽかったりしますが、後半はアンビエントっぽかったり弾き語りが目立ったりします。この構成には何かストーリーがあるのでしょうか?

児玉:(アルバムの)テーマが「夜明け」だったので、大きな流れとしては(ストーリーが)ありますね。

少しずつ夜が明けていく感じですか?

児玉:そうですね。“oyasuminasai”が夜の寝る時間なんですけど、そこでいつも終われないので、その先の夜明けで終わるという感じですね。夜明けのちょっとグレイがかった空の感じですね。

昼よりも夜のほうが好き?

児玉:夜のほうが元気になりますね。最近になってやっと昼も元気になりました(笑)。

ヴァンパイアみたいですね(笑)。

児玉:でも早朝はすごく好きです。夜がちょっと残った朝は好きですね。

これからどんどん明るくなってしまう悲しさというか。

児玉:その感じはすごくあります。

今回はほぼすべての曲に歌が入っていますが、前作の『27』のようなアンビエント的な方向性ももっと聴いてみたいと思いました。たとえば声と具体音でドローンをやる、みたいなことに関心はありますか?

児玉:やっぱり歌がすごく大事で、歌いたいという気持ちが大きいんですよね。あの『27』も、「歌わずにどれだけ歌えるか」ということをやってみたかったんです。だからアンビエントをやろうという人たちからするとちょっと違うのかもしれない。でもああいうのはまたやりたいと思いますね。

詞を入れずに声を音として使ってみたいと思うことはあります?

児玉:じつは、いつも歌の原型がそれなんですよ。まだ言葉になっていない言葉で歌っているので。曲の生まれたてのかたちはいつもそうですね。

その最初の段階と、最終的に詞がついた段階でイメージが変わった曲ってありますか?

児玉:日本語ってけっこうはっきりしちゃうというか、意味を限定しちゃう感じがあると思うんですね。たとえば「海」と言うとみんなの頭のなかにはあの「海」が広がっちゃうんだろうけど、英語とかだったらほかにも何通りも捉え方があったり。そういう意味では、(イメージが変わった曲は)ぜんぶかもしれない(笑)。“けだるい朝”もフレンチ・ポップなイメージで作っていたんですけど、日本語を付けるといわゆる歌モノって感じになったんですよね。“私にFを足してみて”もけっこう変わりましたね。適当に歌っているときは本当に洋楽みたいな感じだったんですが、日本の歌モノって感じになりました。

ちなみにフィオナ・アップルって聴いたことありますか?

児玉:めちゃくちゃ好きです。

そうだったんですね! 音楽的には違うんですけど、児玉さんの曲を聴いていたら思い浮かべてしまって。

児玉:嬉しいです。すごく好きですね。フィオナ・アップルとかフアナ・モリーナとか、国の違う女性にすごく刺戟は受けていますね。

ギリギリの人っていっぱいいると思うんですよ。だから、刺戟物になるというか、私が煙になってみなさんを燻製できたらいいなと思いますね(笑)。

帯に七尾旅人さんがコメントを寄せていますが、彼とはどういう経緯で出会ったのでしょうか?

児玉:旅人さんのライヴの感想を書いたことがきっかけで、SoundCloudに上げていた“けだるい朝”を旅人さんが聴いてくださったみたいで、SNSに「チラッと聴いたけどすごくいいね」というようなことを書いてくださったんです。そのときはびっくりしてやりとりもさらっと終わっちゃったんですが、そのあと大阪で旅人さんのライヴを観に行ったときに、たまたまゾウのネックレスをつけていたら、旅人さんとすれ違ったとき、「そのネックレスすごくいいね」って話しかけてくださったんです。

そこだけ聞くとナンパみたいですね(笑)。

児玉:ぜんぜん違うんですよ(笑)! 私も「ライヴ素敵でした」みたいなことを話しかけたと思います(笑)。でも気が動転しちゃったのか、そのときは「“けだるい朝”を歌っているの、私です」って言えなかったんですよね。でも歌で知り合っているから、また歌で知り合えたらいいなと思ったんです。とくに向こうに連絡したりしなくても自然なかたちでまた会える気がして。そしたら2年後くらいに旅人さんからメッセージが来たんですね。旅人さんもその歌(“けだるい朝”)がずっと頭に残っていたらしく、でも誰が歌っていたのか忘れちゃっていたそうなんです。その時点ではもう私のことも(SNSで)フォローしてくださっていたんですが、旅人さんのなかで私が誰なのか判明したらしく、「改めて聴くといい歌だね」と言っていただいて。そのときに「ライヴをやっているの?」と聞かれて、その頃は音楽は作っているけどライヴ活動はほぼしていない時期だったんです。それで「また(ライヴが)できるといいね」と言ってくださって、そのあとにワンマンに呼んでいただいたのが「初めまして」でしたね。グッケンハイム(旧グッケンハイム邸)のワンマン・ライヴで初めてちゃんと挨拶させていただきました。
 ちなみにそのときはいまみたいに音楽をやっている友だちがいなかったので、母にドラムを叩いてもらいました(笑)。

お母上はドラマーだったんですか?

児玉:高校生の頃にドラムが好きでちょっと叩いていたそうなんですが、それ以来30年ぶりくらいに叩いてもらって(笑)。母がドラムをやっていたことは知らなかったんですけど、たまたま頼んだら「じつは好きなのよ」って(笑)。私が頼んだことでまたドラム熱に火が点いちゃって(笑)。それでいまは菅沼孝三さんに習ってますね。七尾さんとはそういうお話もしました。

七尾さんの作品では何がいちばん好きですか?

児玉:初期の『雨に撃たえば...!disc2』も好きですし、『リトルメロディ』もすごく好きですね。ぜんぜん違うんですけど、それがまた素敵だなと思います。

七尾さんは政治的・社会的な発言もされていますが、そういったことにも関心はあるのでしょうか?

児玉:ありますね。音楽でテロしたいなって思ってます(笑)。それもゆくゆく旅人さんにお話しできたらいいなと思っているんですけど。

「音楽でテロ」というのは?

児玉:危機感のスイッチがある人もいれば、ない人もいて。そのスイッチを押したい気持ちはあります。いろいろ戦争のことなどを調べたりしたんですが、私はやり出すとのめり込んでしまうので、やばいところまで見ちゃったりしちゃうんですね。でも逆に見ないとだめだと思って。トラウマにもなったんですけど、悲惨な写真とかも目を逸らさずに見ちゃうタイプで。いま何が起こっているのか考えたいという気持ちはありますね。だから、スイッチが動いていない人たち(のスイッチ)を押したい気はします(笑)。ライヴで「考えてよ!」って直接的に言うことはないんですが、「ちょっと押しにいきたいな」という気持ちはあります。

あふりらんぽのPIKAさんも帯にコメントを寄せていますよね。彼女とはどういう繋がりなのですか?

児玉:1年くらい前に和歌山で、遠藤ミチロウさんと、アナログエイジカルテットという地元のバンドと、PIKAさんと私が一緒に出演するイベントがあって、そのときにお会いしました。やっぱり歌がすごく素敵で、歌の話をしたのを覚えています。私の曲にゾウとラクダの歌があるんですけど(“Dark Element”)、PIKAさんの曲にクジラとライオンの歌があるんですよ。“くじらとライオン”というタイトルが聞こえなくて、知らずに「あの歌すごくいいですね」と言ったら、PIKAさんもそれ(“Dark Element”)に引っかかってくれていて(笑)。そんな話をしました。すごくパワーのある方で、惹きつけられましたね。そのあとPIKAさん主催のイベントにも呼んでもらったり、一緒にスタジオに入ったりもしました。

関西のアンダーグラウンド・シーンに属しているという感覚はあるのでしょうか?

児玉:じつはあんまりないんですよね。覗いている感覚というか。ベアーズとか京都とか、それぞれの界隈にファミリーがあって、私もベアーズには出ているんですけど、浮いているというか、あんまり馴染めていなくて(笑)。ベアーズでやったら「ベアーズっぽくないね」って言われるし、京都でやると「ベアーズに出ている子だよね」って言われたり。でもそこに蓋はしないで、扉を開けたいという気持ちはありますね。

今回の新作は初の全国流通盤とのことで、おもにどういった人たちに聴いてもらいたいですか?

児玉:さっき話したように複雑な感情を持ったまま、生活しないといけない方たちや、これまでは音楽が好きでライヴ会場に足繁く通ってくださるような方たちが聴いてくださっていたんですけど、今回はふだんぜんぜん音楽を聴かないような友だちの子が買ってくれたりして。ギリギリの人っていっぱいいると思うんですよ。だから、刺戟物になるというか、私が煙になってみなさんを燻製できたらいいなと思いますね(笑)。

interview with Kojoe - ele-king


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 Keep on movin’、動きつづけることで存在を証明していく。曲をつくりウェブにアップし、CDやレコードというフィジカルを制作し、ライヴをこなす。とにかく動きつづけていないとあっという間に忘れられてしまう。特にいまのヒップホップの世界は目まぐるしい。そんなシビアな世界でKojoeはエネルギッシュに動き、自身の表現を更新しつづけてきたアーティストのひとりだ。そして、今年の11月に最新作『here』を完成させた。

 Kojoeについて少し説明しておきたい。彼はラッパーであると同時にシンガーであり、ビートもつくる。プロデューサーでもある。そんな彼は10代のころにNYクイーンズにわたり、2007年にアジア人としてはじめてNYのインディ・レーベル〈ローカス〉と契約を交わしている。2009年に帰国後は日本を拠点に活動を展開してきた。SEEDAとともに参加した、5lack(当時はS.L.A.C.K.)『我時想う愛』収録の“東京23時”で彼をはじめて知った人も多いかもしれないが、タリブ・クウェリやスタイルズ・P、レイクウォンらとの共演曲も発表している。その後、『MIXED IDENTITIES 2.0』、『51st State』といったソロ・アルバムをリリースする一方で、OLIVE OILAaron Choulaiとの共作も制作してきた。

 日本語ラップとブラック・ミュージックとしてのヒップホップをいかに折衷するか。『here』には、そんな問いへのKojoeなりの現在の答えがあると僕は感じた。日本とアメリカというふたつのホームに引き裂かれていたアイデンティティを統合した結果が『here』ではないか、というのはあくまでも僕の解釈だが、多彩なゲストで構成された全18曲にはハードコアでソウルフルでエモーショナルなKojoeの多面的な魅力があふれている。

 このインタヴューは、Kojoeがホストを務める番組「Joe’s Kitchen」(〈Abema TV / FRESH!〉で毎週木曜に放送)の放送後に、その日のゲストであるPUNPEE、GAPPER、WATTERらが見守るなか、彼のスタジオ〈J STUDIO〉でおこなわれた。Kojoeはすでに2時間しゃべりっぱなしだ。だが、まだまだいける。Keep on movin’、彼の体力を舐めてはいけない。




俺は俺のようにしか歌えないという気持ちで良い意味で力抜いてる。本気なんだけど本気出してないから本気が出せた、みたいな。それを今回見つけた。


『blacknote』(2014年)リリースのときのAmebreakのインタヴューで次のように語っていましたね。「例えば向こうのヤツに聴かせて『スゲェ良い』って言われるような、ブラック・ミュージックとして認められるようなモノが、逆に日本では全然分かってくれなかったりとか、そういうフラストレーションはスゲェあるよね」。僕なりに要約すると、日本語ラップとブラック・ミュージックとしてのヒップホップのあいだで葛藤していた、ということかなと思います。そして、日本に移り住んでから数年間の経験を経て、『here』でKojoeさんなりのいまの答えを見つけたのかなという感想を持ちました。

Kojoe(以下、K):作っているときにそれをねらったり意識していたわけではなくて、それよりも意識したことのひとつは、俺の経験や葛藤を歌ったり、メッセージを訴えることはいままでやってきたから、このアルバムではこういう曲をこういう面子でやったら聴く人が喜ぶだろうなとかブチ上がるだろうなとか、いたずらを仕掛ける子供のような視点で作ったね。だから、日本語ラップとブラック・ミュージックの両方を良いバランスに混ぜてみようとかは考えていなかった。いま言われて逆にうれしいっていうか、そういう風に受け取られるんだって実感してきてる。

ゲストのラッパーやシンガーも多いですよね。たとえば“Prodigy”というフックなしのマイクリレーの曲がありますけど、このラッパーたち(OMSB, PETZ, YUKSTA-ILL, SOCKS, Miles Word, BES)のマイクリレーは他では聴けないですよね。

K:うん。TR-808でビートを鳴らして、ベースも強いトラップはやっぱり魅力があって人の心をつかむと思う。いまのヒップホップの流行のひとつのトラップを俺も好きだし、そういうモノと90年代のサンプリング・ヒップホップを合わせたらかっこいいんじゃないかって思ってこの曲を作った。BPMも90ぐらいだから、ブーム・バップが得意なラッパーはいつも通りフロウすればいいしね。MilesとかYUKSTA-ILL、BESくんとか、こういうビートで歌わなさそうなラッパーと、いまのトラップでもラップするPETZやSOCKSにマイクリレーしてもらったら面白いと思った。混ざらなさそうで、結果的に混ざったよね。

それと、これだけ充実した、制作/録音環境が整った〈J STUDIO〉ができたのも、ゲストが多数参加する『here』を作る上で大きそうですね。多くのラッパーがここで録音しましたか?

K:それはいろいろだね。ただ、このスタジオができたのはデカいよ。1月から作りはじめて3月ぐらいに完成した。それからAaronとの自主制作のやつ(ピアニスト/作曲家/ビート・メイカーのAaron Choulaiとの共作『ERY DAY FLO』)をスタジオのテストランも兼ねて作って、「ここで録れるな」と確認した。で、今回のアルバムを作りはじめた。ここに常に人が集まるようになったから、作っている途中で俺以外の人の耳に聴かせて反応を見たりできるようになった。いろんなヤツに「これどう?」って聴かせて感想をきいたりしてた。それもけっこう大事だった。

18曲と曲数も多いですし、ヴァリエーションも豊富ですよね。ハードコアな“KING SONG”からはじまり、“Prodigy”のようなマイクリレーがあり、またKojoeさんがラップだけじゃなく歌も歌う“PPP”のようなソウルフルな曲も際立っています。

K:良い意味で力を抜けた結果だと思う。運動するときも力が入っている状態だと動きって鈍いじゃん。それと似てるんじゃないかな。『51st State』に入ってる“無性に”みたいな曲は「歌手にも負けねぇぐらいに歌いてぇ!」という気持ちで歌い上げていた。もちろん今回もそういう情熱がないわけじゃない。ただ俺は当然、アンダーソン・パックやBJ・ザ・シカゴ・キッド、ダニー・ハサウェイのようには歌えない。だから、たとえば“PPP”とか“Cross Color”とかのソウルフルな曲も、俺は俺のようにしか歌えないという気持ちで良い意味で力抜いてる。本気なんだけど本気出してないから本気が出せた、みたいな。それを今回見つけた。そういう力の抜き方でヒントをもらったのはそれこそ(インタヴューの場にいたPUNPEEに視線をやりながら)PUNPEEや5lackだよね。あいつらには、「わざと力抜くのかっこよくないすか?」みたいな感じがあるじゃん。PSGとかも歌のメロディがすっげぇイケてるけど、いい感じに力が抜けてる。それが逆に研ぎ澄まされて、すごいソウルフルに聴こえる。

そうですね。わかります。

K:ある程度スキルを求めて動いたヤツにしかたぶんできないことなんだろうけどさ。俺も自分にたいしてそうやって楽しみな、みたいな気持ちになれたんだろうね。

Kojoe“Cross Color feat. Daichi Yamamoto”

俺がどの土地にいて、どこに立っていようと、音楽でつながっている場所が俺の居場所だって気づいた。音が居場所なんだって。だから、『here』というタイトルになったんだよね。

そういう力の抜き方によってソウルフルに歌うというのをPUNPEEや5lackから受け取ったのは面白いですね。ラッパー、シンガーという側面だけでなく、ビート・メイカー、プロデューサーとしてのKojoeさんの個性がより際立っているようにも感じました。

K:そこはちょっと意識したかもしれない。ただ、曲順に関してはそこまで深く考えず、ここ以外は置く場所はないっていうところに曲を入れていった。序盤はゲストのラッパーがたくさんいて、スピットしまくってるラップを並べて、途中で女性について歌う“Mayaku”とか“PPP”なんかを持ってくる。そうやってセクションを分けて、最後は自分について歌って終わる。そういう構成になってるね。ビート・メイキングは、ニューヨークにいた17年前ぐらいにMPC2000XLを手に入れてはじめた。ちゃんとしたビート・メイカーみたいにコンスタントに作り続けてきたわけじゃないけど、ずっと好きだったからいままでに3、400曲ぐらいは作ってると思う。前の嫁がラッパーだったからさ。

アパニー・Bですよね。

K:うん。彼女がプレミアとか俺の超憧れのいろんなビート・メイカーからビートをもらってて。そういうビートを横で聴いていたから自分のビートがダサ過ぎると思ってたね。でもこのスタジオを作ったときに、2000年ぐらいから作っていた自分のビートのCDがいっぱい出てきて久々に聴き直したら、「あれ?! けっこうイケてんじゃん!」って。2周ぐらいしてMPCで作ってたイナたいビートがすごいいいなあって。いちばん最後のRITTOとやってる“Everything”で11、2年前ぐらいに作ったビートを使ってる。

レゲエ・シンガーのAKANEと今年大躍進したラッパーのAwichを客演にむかえた“BoSS RuN DeM”(12月11日に5lack, RUDEBWOY FACE ,kZmが参加したリミックスがYouTubeにアップされた)もKojoeさんがビートを作ってますよね。この曲は突き抜けていますね。かなりの自信作なんじゃないですか?

K:超好きだね。ヒップホップよりヒップホップで、トラップよりトラップで、レゲエよりレゲエで、いろんなジャンルの人が「おわ~!」とブチ上がってくれるんじゃないかな。クラブのソファで女にセクシーな格好をさせて、男が彼女たちをはべらかしてる、みたいなMVは日本のヒップホップにも多いよね。でも俺は強い女のほうが色気があると思うし、そういう強い女性を見せたかった。“ボスって”、頭張ってやってる男と女を両方鼓舞するような歌にしたかった。「みんなボスれー!」って。そういうコンセプトはできていて俺が先にサビも録っていた。で、俺がいまいちばんイケてる女性で、俺が一緒に曲をやりたいと思うAKANEちゃんとAwichに声をかけた。イケイケなAKANEちゃんを見られたし、Awichもすごいハマってくれた。

Kojoe“BoSS RuN DeM Feat. AKANE, Awich”

Kojoe“BoSS RuN DeM -Remix- Feat.5lack, RUDEBWOY FACE, kZm”

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世界でも日本人の英語のラップがかっこいいって言われる時代が絶対来るってことなんだよね。たとえばジャマイカのパトワみたいに日本人の発音の英語がかっこいいって50年後ぐらいにはなると思う。









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このアルバムで大フィーチャーされていると言えば、18曲中6曲のビートを作っているillmoreですね。どういう方ですか?

K:こいつはもともと大分の人間で、OLIVEくんがすごい薦めてくれたビート・メイカーなんだ。〈OILWORKS〉のイベントか何かでいっしょの現場になって、ビートが超ヤバかった。他の若いビート・メイカーもいたけど、illmoreは突出していた。超真面目なくせにドープな音も作るし、耳がすごく良くて器用でどんなタイプの曲でも作れちゃう。EDMもトラップもブーム・バップも作るし、超オシャレなジャジーな曲も作れる。ゴリゴリの“KING SONG”みたいなビートも作れるからさ。あと、ベースの乗せ方が上手い。BUPPONとやってる“Road”のネタはMFドゥームも使ってるから(MFドゥームとマッドリブが組んだマッドヴィレインのある曲と同ネタ)、そこってビート・メイカーにとって勝負どころじゃん。他のビート・メイカーと同じネタ使っているからにはフリップしたり工夫しないといけない。その上でこのビートはすげぇ良かった。

“Cross Color”に参加しているDaichi Yamamotoさんはどういう方ですか?

K:京都生まれのジャマイカ人のお母さんと日本人のお父さんがいて京都で育ったヤツで、大学のあいだ3年半から4年ぐらいUKに行ってたんだけど、最近また日本に戻ってきた。いまAaronともいろいろ作ってるし、JJJとやったり、水面下でいろんなヤツとつながってるね。


フックアップの意識はあったりしますか?

K:そういうのはない。俺、フックアップは絶対しないもん。瞬発的に良いタイミングに出くわしてノリが良かったからやっちゃうっていうのはあるとしてもヤバいと思うヤツとしかやりたくない。illmoreは仕事がすごいできてビートが超かっこよかったし、Daichi Yamamotoもそう。俺はイケてりゃ何でもいいかなって思う。

なるほど。ところで、『here』っていうアルバムのタイトルに込められた想いについても語ってもらえますか。

K:俺はガキのころからずっと転校とか多かった。で、10代でニューヨークのクイーンズに行ったから俺の人生でクイーンズがいちばん長くいた場所なんだ。だからニューヨークのクイーンズが地元っていう感覚もあったけど、こっちに戻ってきて7年ぐらい経つから、もちろんいままで自分がいた場所はレペゼンしていきたいけど、クイーンズをレペゼンするのもちょっとナンセンスだなって思うところがあった。居場所を探していたのもあったし、日本に戻ってきて『MIXED IDENTITIES 2.0』(2012年)を出したときは、「ここはけっきょくアメリカじゃねぇかよ!」って文句を言ってみたりもしていた。

自分のアイデンティティについての葛藤みたいのがあったということなんですね。

K:うん。そうだろうね。無意識に苛立ちがあったのかもしれない。そういうのが落ち着いてきたから、『here』というタイトルにした。俺がどの土地にいて、どこに立っていようと、音楽でつながっている場所が俺の居場所だって気づいた。音が居場所なんだって。だから、『here』というタイトルになったんだよね。

やっぱりそれは、5lackやOLIVE OIL、Aaron、このアルバムに参加しているラッパーやビート・メイカー、アーティストたちとの出会いも大きかったのかなって感じます。

K:デカい、デカい。面白いヤツは世の中にはいっぱいいるけれど、そいつの音楽をリスペクトできて、さらに人間も面白いヤツとなると少なくなるよね。俺は運良く素晴らしいアーティストたちに出会って、そういう人間が周りにいてくれるから、多少、自分が開けた部分は絶対あるよね。

最初の僕の感想に戻してしまうんですけど、Kojoeさんが日本のラップ、ヒップホップとニューヨーク、クイーンズで体験してきたブラック・ミュージックとしてのヒップホップのあいだで産み落とした作品なのかなという気がします。

K:俺が10年以上前から言っているのは、世界でも日本人の英語のラップがかっこいいって言われる時代が絶対来るってことなんだよね。たとえばジャマイカのパトワみたいに日本人の発音の英語がかっこいいって50年後ぐらいにはなると思う。日本人の発音のままフロウやリズムに関してはケンドリックだったり、(ブルーノ・)マーズだったり、レイクウォンみたいにできるようになっていく時代が来ると思う。いつになるかわかんないけど、最近の10代とか20代前半のヤツのほうがやっぱ敏感で、昔の日本語ラップみたいにこうじゃなくちゃいけないみたいなのがなくなってきて、日本語と英語が混ざったりしててもオッケーみたいな世代がやっぱり出て来てるから。そういうヤツらが逆に俺の音楽を聴いて、「ヤベェ!」って思ってくれたら面白いと思ってる。若いヤツの耳も脳みそも進化してるよね。受け皿が広いというか、柔軟というかさ。いずれにせよ、世界中のヤツらが日本のヒップホップがヤベェっていう時代はいつになるかわからないけど来ると思うよ。

『here』はとにかくオープンな、開けたアルバムだなって今日の話を聞いてさらに感じましたね。

マサトさん(KojoeのA&R/JAZZY SPORT):この作品はKojoeくんが日本のシーンにたいしてフラットでいられる環境で作れたのがいちばんデカいと僕は思います。日本に帰ってきてから数年は周りからの“英語を使う日本人のラッパー”という先入観も強かっただろうし、いろんな意味でコンプレックスもあったと思う。ここ数年は徐々に変わってきてるけど、日本語だけじゃないとサポートされない土壌が日本にはあったと思うので。それがいろんなアーティストとの出会いを通じてKojoeくんがフラットになってきたのがやっぱり大きい。

なるほど。それは僕も感じました。今後の予定はどうですか?

K:うん。とりあえず、来年1月13日の安比高原でやる〈APPI JAZZY SPORT〉でのライヴを皮切りに、1月後半、2月ぐらいからがっつりツアーをはじめようと思ってる。来年はツアー以外でもできるだけライヴはやっていこうと思ってるね。こんな感じで大丈夫?

はい、番組のあとで疲れてるでしょうし、ばっちりです。

K:俺の体力ディスってんの?

いや、ははは。それ、使わせてもらいます(笑)。今後のライヴ、楽しみにしてます!


[イベント情報]

J presents 『bla9 marke2 #4』
日程:12/29 (Fri)
会場:中野heavysick ZERO
OPEN:23:00
¥2,000+1D
W.F ¥1,500+1D
24:00まで ¥1,000+1D


SUMMIT Presents. AVALANCHE 8
日程:12/30 (Sat)
会場:代官山UNIT
OPEN:23:30 / START:23:30
ADV ¥3,000
Diagonal & AVALANCHE 8通し券 ¥4,800
DOOR ¥3,500


ele-king vol.21 - ele-king

 2017年も残り僅か。今年もこの季節がやってまいりました。紙版『ele-king』年末号刊行のお知らせです。

 特集は「2017年ベスト・アルバム30/ベスト映画10」。端的に、今年もっとも優れたアルバムはなんだったのか? 編集部がなんども聴き直し考えに考えて選出した30枚を一挙にご紹介。また、さまざまなジャンルごとに2017年の動向を俯瞰、信頼のおけるライターの方々に執筆していただいております。映画もまた悩みに悩みぬいて選出した10本を紹介しつつ、こちらもコラムで『トレスポ』や『ブレードランナー』など2017年の話題作を振り返ります。

 そしてロング・インタヴューは、表紙のDYGL(デイグロー)と水曜日のカンパネラの2本立て。まったく“日本”を感じさせないDYGL、かたや“桃太郎”の水曜日のカンパネラ。いまの日本を切り取ってみました。いずれもカラーで、撮り下ろしの写真も多数掲載。

 さらに、特別対談も2本ご用意。登美丘高校のダンスやブルゾンちえみを通して、バブルのリヴァイヴァルからリア充の変容までを語りつくす、さやわか×三田格 対談(「もしかして、またバブル?」)。座間の殺人事件や共謀罪を題材に、中動態論の功績を検証する、白石嘉治×栗原康 対談(「セックスしてとりみだせ!」)。

 これら複合的な視点を通じて「じゃあ自分にとってのベスト・アルバムはなんだったのか」「私の見た2017年はどういう年だったのか」などなど、読者の皆様が何かを考えるきっかけとなれば幸いです。発売日は12月25日。ぜひお手にとってみてください。

contents

●ロング・インタヴュー:DYGL 大久保祐子+野田努/写真:当山礼子

●2017年間ベスト・アルバム30枚
(大久保祐子、木津毅、小林拓音、坂本麻里子、沢井陽子、髙橋勇人、野田努、松村正人、三田格)
・ post-punk / jazz rock 野田努
・ ambient 小林拓音
・ untrue 髙橋勇人
・ electronic / experimental デンシノオト
・ techno 行松陽介
・ grime 米澤慎太朗
・ us hip hop 吉田雅史
・ house 貝原祐介
・ jazz 小川充
・ indie rock 大久保祐子
・ neo classical 八木皓平
・ avant-garde 細田成嗣
・ japanese rap music 磯部涼
・ ny 沢井陽子
・ london 髙橋勇人
・ japanese indie イアン・F・マーティン
・ fashion 田口悟史
・ gadget / technology 渡辺健吾
・ politics 水越真紀

●特別対談:もしかして、またバブル? さやわか × 三田格

●ロング・インタヴュー:水曜日のカンパネラ 野田努+三田格/写真:押尾健太郎

●特別対談:セックスしてとりみだせ! 白石嘉治 × 栗原康

●映画ベスト10
(坂本麻里子、木津毅、水越真紀、三田格)
・ 『ブレードランナー2049』 木津毅
・ 『T2 トレインスポッティング』 野田努
・ 『哭声/コクソン』『クローズド・バル』 三田格
・ 『ツインピークス The Return』 坂本麻里子
・ 『Fate/Apocrypha』『Fate/stay night [Heaven's Feel]』 坂上秋成

●REGULARS
・ サマー・オブ・ラヴから50年 三田格
・ アナキズム・イン・ザ・UK 外伝 第12回 ブレイディみかこ
・ 乱暴詩集 第6回 水越真紀
・ 音楽と政治 第10回 磯部涼
・ ピーポー&メー 最終回 戸川純

interview with YOSHIDAYOHEIGROUP - ele-king


吉田ヨウヘイgroup
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 聡明さで名高い編集部小林氏から「YYGの原稿どうですか?」とメールが届いた。はて、私はヤング・マーブル・ジャイアンツの原稿などたのまれていたであろうかと小首をかしげたが略称の綴りがちがう。「来週レコ発なのでそこにまにあうようにアップしたいです」とも書いてある。ああなるほど、YYGとは吉田ヨウヘイgroupのことね、とピンときたが、どうもYYGと聞くとフェラ・クティの「J.J.D.」が頭のなかでながれだすからいけない。「ようこそ、カラクタ共和国へ」フェラの口上とざわめき、パーカッションの乱打とポリっていくリズム――それらはむろん本稿とは関係ない。とはいえ完全に明後日の方向ではないのかもしれない。YYGこと吉田ヨウヘイgroupは前にも増してグルーヴィになった。以下の原稿をお読みいただければおわかりのとおり、本人はあまり自覚していないようだが、ヴォーカルとコーラス、ギターと鍵盤、ベースとドラム、シャープな各パートが集約する音の像の輪郭はより明確になった。アレンジに耳を転じると、2017年のサウンド・プロダクションをみわたしたエレクトロニックなニュアンスを端々にのぞかせながらホーンを巧みにちりばめたアンサンブルは吉田ヨウヘイgroupらしさを忘れない。指先とギターとアタッチメントで何重もの音の層を織りなすギターは肌理細やかな楽曲に多様性をもたらし、“ブールヴァード”や“新世界”や“ユー・エフ・オー”やそのほかもろもろにつづく新たな代表曲の誕生を予感する、吉田ヨウヘイgroupの道のりはけっして平坦だったわけではなく、4枚目の新作『ar』まではさまざまな紆余曲折があった。2015年6月リリースの『paradise lost, it begins』以後におとずれた活動休止と8ヶ月後の再開。バンドは生き物だが、休眠中の彼らになにがあり、動き出したあとは以前とどうちがうのか。吉田ヨウヘイと西田修大にその顛末と『ar』にいたる過程を問うロング・インタヴュー。
 諸般の事情でレコ発にはまにあいませんでしたが、彼らの演奏をみる機会が今後減ることはないだろう。吉田ヨウヘイgroupはいま心身ともに充実している。
 すごいぞ吉田ヨウヘイgroup、ようこそニューYYGワールドへ。

 

次のアルバムはめちゃくちゃいいものにしなければいけないという覚悟が自分たちのなかにあったので、そこに向き合っていたあいだに、いまの自分たちだとこれは達成できる気がしないぞ、ということになったんですよね。 (西田)

メンバーにがんばれといっていいものなのか迷う機会も増えてきていたんです。俺らはがんばろうと思っているけど、そういうことをするのに迷いが生じてきた。 (吉田)

去年の暮れ『別冊ele-king』でアート・リンゼイの原稿を依頼したときがちょうどライヴ活動を再開したころでしたよね。

吉田:ライヴの直前に原稿をお渡しして、そのあと観にきていただきましたね。

率直なところ、活動を休止した事情はなんだったんですか。

西田:結果論なのかもしれないけど、自分は休んだことも休んでからの状態もそんなにネガティヴには思っていないんです。2015年に『paradise lost, it begins』をつくって、あのアルバムはみんなで合宿するくらいけっこう根を詰めてつくったんですが、そのあとの10月にO-EASTでワンマンライヴがあって、そこまではなんとかムリしても駆け抜けようという感じだったんですね。

O-EASTも私拝見しました。

西田:『paradise lost~』という自分たちのなかでのいちばんの力作をつくったけど、FUJI ROCKに出たかったけど出られなかったり、届かないところがあったり、ほかのバンドに対して自分たちのほうが絶対にイケたという確信を得られていなかったところもあって、そのぶん迷いがあって、迷いがあるから余計にがんばっていたんですね。迷いをふりきるためにもとにかくいいものをつくらなきゃならないという状態がO-EASTまでつづいて、次をみなければならないという話になって、まためっちゃがんばったんですよ。根を詰めに詰めて(笑)。

それが2015年?

西田:休む前だから2015から2016年にかけてですね。ですごいやっていて、そうなるとこう(両手で視界を狭めるポーズ)なるからできないこととかみえないことが自分たちのなかに増えてきて、しかもそれが一朝一夕に解決するようなことではなかったんです。次のアルバムはめちゃくちゃいいものにしなければいけないという覚悟が自分たちのなかにあったので、そこに向き合っていたあいだに、いまの自分たちだとこれは達成できる気がしないぞ、ということになったんですよね。一回考え直さなきゃいけないんじゃないか、このままだと全員どんどん疲弊してしまうんじゃないかという状態になったんです。俺の認識としてはそんな感じですね。

吉田:フルートの若菜ちゃんが辞めちゃったというのがひとつのきっかけではあるんですが、メンバーにがんばれといっていいものなのか迷う機会も増えてきていたんです。俺らはがんばろうと思っているけど、そういうことをするのに迷いが生じてきた。最初はなんの迷いもなくがんばれといっていたんですが、それをどうしようかなと思いつつ、メンバーも僕と西田も迷ってつかれてきちゃっているなと思ったときメンバーが辞めてしまって。全体が疲弊しているといえる状況があるなら休んだほうがいいんじゃないかという認識だったと思います、当時は。

西田:うんうん。

メンバーのあいだに温度差があった?

吉田:難しいのはみんなそれぞれが音楽にしっかり強くやる気があって、ただぼくや西田のやる気とメンバーのそれには方向の違いみたいなのも感じたりして、でも僕自身も自分たちのやる気の出し方が正しいとは思えなくなっていたところもありました。こうがんばるのが本来のがんばる姿でしょといったりするのはムリがあるという気にもなっていたということですね。

ある種の閉塞感ですね。

吉田:そうですね。ほぼ全員のメンバーに、仮に自分たちとバンドやるのをやめても音楽をつづけるだろうなという感覚もしっかりあったし、その場合それががんばっていないとは全然言えない、ただの押しつけだなと感じていたというのもあります。

西田くんの話を総合するとバンドの理想像に到達するには各人のボトムアップが必要だということですか。

西田:完全にそうです。

ひとつの結論が出ていったん休止することになったあいだおふたりはなにを目標にしていたんですか。

西田:俺はバンドを休止するとき、自分のなかでもいろんなことをすごく考えたんですけど、いまに較べると迷いがすごく多かったです。それに気づけていないところがある一方で、自覚している課題もけっこうあった。みんなで楽しく自然にやればいいものができるんだよというのを俺は大正解だけど大間違いだとも思っていたんです。そのとおりだけどそれを音楽のなかでやるとき、絶対にできなきゃいけないことがでてきたり、根性出さなきゃいけない場面が出てきたり、逆に根性を出そうとするあまりできないことが出てきたりすると思っていました。そこらへんがすごいグチャグチャになっていて、それを整理したいとは思っていました。

西田くんっぽいね(笑)。

西田:(笑)。音楽をどのようにやるのが自分とバンドにとって最良なのかということですね。音楽にどういうふうに向き合うのかということを考えていました。

ことギターに限定していうと自分もスキルアップしなきゃいけないし、ということですか。

西田:それはずっと思っていました。ギターをスキルアップしなきゃいけないという悩みはいまのほうがポジティブに強いですけどね。

吉田くんはどうですか。

吉田:休止に入った直後に思ったんですが、自分の作曲がメンバーのプレイヤビリティを活かすようにつくっていた意識があったんですが、それはほんとうにそうなのかと考えました。打ち込みでいいならプレイヤビリティのシバリがなくなるじゃないですか。そのときにつくるものはちがうのかとか、自分がほんとうにつくりたいものがあるとして、いままで作った曲はそれに適合していたのか、それとも制限がかかっていたのか、どっちなんだろうとか考えました。ほんとうにいい曲を書けるようになりたいという話を(西田と)いちばんしていたので、自分がほんとうにいい曲を書けるようになりたいと思っていた気がします。

西田:ひととどういうふうにやっていくかというのは、休んでいるあいだふたりとも考えていたんですよ。俺たちにとってずっと大きな悩みだったから。

吉田:そうだね。

とりあえずの結論というかこういうふうにやっていこうというのが出たのがいつくらいで、どういう方向性をとると決めたんですか。

吉田:ふたりでは休止中も一緒にやってもいたんですが、10ヶ月ぐらいして吉田ヨウヘイgroupをもう一回やりたいなとなったときに、どういうふうにひとを誘うかというのにあらためて悩みました。もう一回やろうというのは、昔の曲をやろうとか、この延長線上でもっといいものをつくりたいよねという話が自分たちのなかで高まったので、ぼくももう一回やろうと思ったんですけど、前に思っていたメンバーとの関係だったり、どういうふうにバンドをやっていけばいいのかという悩みには答えが出ていなかったので、とりあえずベースとドラムはサポートで、やっているうちにかたちを見つけようとなりました。心の通い合いのようなものがあったほうがいいのかどうかもわからなくなっていたんです。すごく巧くて一回でやってくれるひとがベストなのか、そうじゃなくて融通の利くひとがベストなのか、どっちもあるひとじゃなきゃダメなのか、それにあてはまるひとがいてもそのひとがやってくれるのかもわかっていなかったんです。これはついこないだまで相談していたことでもあるんですよ。だから悩みつつスタートしたんです。

それで4人で再スタートすることになった。でもベースとドラムがいないのはバンドにとっては大きな変化ですよね。

吉田:今後かかわってもらう人との関係をどうするべきかには不安がありましたが、こと演奏に対しては、どういう演奏をしてほしい、どれくらいの水準であってほしいという理想のイメージはすでにあったんで新しい試みにわくわくしてもいました。

そのころはのちに『ar』につながる音楽の青写真はあったんですか。

吉田:なかったよね(と西田氏に)。

西田:あったけどなかったというか。俺はとにかく“ブールヴァード”とか“ユー・エフ・オー”とかやりたかったんです。吉田ヨウヘイgroupの曲は自分のなかではずっとやっていかなきゃならない曲、そうだよね吉田さん? とふたりで話してがまんできなくなって再開したんですよ。いろんな作り方があるけど結局、自分たちが目指していたもののつづきを見なきゃいけないよねということだったんです。それでメンバーに全員声をかけてひとりひとりと話し合って、いまのメンバーがのこって、じゃあどうしようかとなったときに、サポートのひとを呼んだらどうかとか、4人だからこそできるサウンドがあるかもしれないとなったり、それを一個一個悩みながら進めることだけを目標に再開したので『ar』のイメージはないままスタートしたのが実情です。

ダープロのリーダーのデイヴ・ロングストレスは今回のアルバムでソロみたいになって、生バンドでもなくなり女声コーラスもなくなり、自分の好きだった要素はごっそり抜けたはずなんですけど、あれ? いままでよりいいんじゃない、という衝撃があったんです。 (吉田)

アルバム制作に本腰をいれはじめたのはいつですか。

吉田:断言するのは難しいのですが、アルバムにはいっている“分からなくなる前に”は休止前にできていて、体制も決まっていないので音源をつくるのはきついから一曲だけデモを録ってそれをYouTubeに公開するのを、2016年9月に再開だったから、2016年の内にやろうと目標を立てました。

そういえば“分からなくなる前に”のソロ裏のコード進行はデートコース(現dCprG)の「ミラー・ボールズ」を参照した?

吉田:ああデートコースもそうですね! あのとき考えてたのはスライでした。

元ネタのほうだったんですね。『フレッシュ』の――

吉田:“イフ・ユー・ウォント・ミー・ステイ”です。

“分からなくなる前に”ができたら数珠つなぎに曲ができた?

吉田:それまでの3ヶ月ぐらいのあいだにフランク・オーシャンが話題になっているのを耳にしたりダーティ・プロジェクターズの今年出たアルバムのMVを見たりして、いままでとちがう音楽が出てきたんだなと思っていたときだったので、“分からなくなる前に”のデモを録り終えた2017年の1月あたりにそのへんをとりいれるべきか否か、自分たちで煮詰めていくところからはじまりました。

西田:あの時期毎晩のようにその話していたよね。

ダーティ・プロジェクターズは吉田くんの座右のバンドだもんね。

吉田:そうですね。ただダープロのリーダーのデイヴ・ロングストレスは今回のアルバムでソロみたいになって、生バンドでもなくなり女声コーラスもなくなり、自分の好きだった要素はごっそり抜けたはずなんですけど、あれ? いままでよりいいんじゃない、という衝撃があったんです。ドラムの音やプロダクションに感動したんですけど、吉田ヨウヘイgroupのいままでやってきたことの延長線上にこの凝り方は存在していないとも思いました。自分たちはこれまでも、これはいいけどべつにやらなくてもいいよね、というものはあっさり切り捨ててやりたい音楽に邁進してきたところもあったのでどうしようと悩みました。できないけど感動しちゃって、これやったほうがいいのかって。

そもそもやりたかったですか。

吉田:あれがやれないと自分たちのこともいいとは思えないんじゃないかと、そのときは考えたんです。凝った音像にじっさいに感動したわけだから、こういうものをつくれないと自分たちがいいアルバムをつくったとは思えなくなるだろうなと考えて、そういうことができるように成長しなくちゃいけないんじゃないかということですね。

西田:俺が思うのは、そうはいっても、吉田さんはやりたくないことがあまりないひとなんですよ。そこは気が合うんですけど、バンド・サウンドかそうじゃないかということにかかわらず、こういうのは俺たちはやんなくていいよというのがあまりなくて、決める基準としてはすごく乱暴な言い方をするとそのときいちばんいいとなっていることをやりたい。それを自分たちのフォーマットにどうあてはめるかというのをずっとやってきたつもりだったんですけど、今回は「これがいい」と思ったときに、自分たちのとったことのないプロセスがいちばん多い状態だったんですよ。

で、どうしたの?

吉田:西田くんがパソコンを買いました(笑)。

西田:そうなんですよ(笑)。

カタチからはいる派だ(笑)。

西田:その前にオーディオインターフェイスも買ってシステム自体をごっそり変えました。

それまでバンドのなかでPCを使うようなことあった?

西田:使っていないですし、なんならいまも使ってないっス。カオス・パッドをギターに通したことはありましたけど、システムごとごっそり変えないとムリじゃないという話を吉田さんにしていて、ようはギターを弾くような感覚でラップトップをあつかえないと(これからはダメなんじゃないと)。

吉田:サードのときの反省としてぼくはけっこうミックスも担当していたのでポストプロダクションのことも考えていたんですが、イメージの音があってシンセサイザーでできるだろうと思っていてもけっこうできなかったんですよね。シンセサイザーは自分のなかでは根性があればけっこういけるとイメージしてとりくんでみたんですけど。

根性をみせるポイントはどこ(笑)?

吉田:たとえばアルペジエイターに憧れてシンセサイザーを手に入れてそれに模した音はがんばればできると思ったんですが、すごい時間がかかるし、それにあんまり良くもならなかったんですよ(笑)。逆にギターやドラムの演奏とか、バンドにかかわるものだとしっかり時間をかければうまくいくので。だから音色をつくるのは難しいというか、(音楽をつくる)インターフェイスがちがうと難しいんだね、という話はよくしました(笑)。
 ダーティ・プロジェクターズを聴いて、(ああいった)ミックスとかキックの音づくりはパソコンをナチュラルに使えるようにならないとできないとなったときにふたりでPCをもちよって一緒に曲をつくるというのを週何回やるというバンド練みたいなことをやったこともあります。当時は新しい音源のリズムトラックをどうするかも決まっていなくて、定期的にはバンドの練習をしてなかったからそれにあたることをPCでやればできるようになんじゃないかって(笑)、曲もできていいんじゃないのとなったんです……けど。

その曲ってなに?

吉田&西田:“トーラス”です。

成果はあったということじゃないですか。

吉田:そうですね、でき上がったときは興奮して、しばらくしてからだめだったなぁってなったりしたけど。

西田:インタヴューのなかで、そういえばそうだったと気づくことが多いんですけど、いままでは「あれはやってみたけどちがった」と思っていたじゃない。

吉田:そう思ってた。

西田:でもいま話してみて(PCでの作業を)やったことがでかいのかなとも思った。

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“トーラス”をつくってわかったのは、あれは打ち込みでできた曲だけど生演奏でもいけるかもということだったんですね。 (吉田)

俺は吉田さんに打ち込みの適性がないとは思わないけど、その期間でベストを尽くそうとなったら生演奏しかなかったんですよ。 (西田)


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話は変わるけど、タイヨンダイは私のダチなんだけど。

西田:かっけえ(笑)!

吉田:ほんとうのダチはそういう言い方しなさそうですけど(笑)。

そうだよね(笑)。タイヨンダイはダーティ・プロジェクターズの新作にも参加していますが、彼も同じようなことをいっていましたよ。アナログシンセもギターも遊びのような手仕事の感覚だと。

吉田:ぼくらもがんばればそうなるのは感覚的にはわかっていて、ただ自分たちはギターについては一緒にいなくても練習するけど、どうしても打ち込みはひとりでは進まなかったんです。ひとりでやるのを目指したんですけど、会ってるときしかやらなかった(笑)。次作への課題ですね。でも時期がきたらやれる感覚もあります。

西田:目指していたのはフィジカルな状態だったんですけどね。悩めなかったんですよ、ギターのようには。わからなさすぎるものは悩めない(笑)。でもなにかをつくるには悩めなきゃいけないよね、とも思っていたから――といいながら、逆にいうと悩んで、悩んだままほかに楽しいことができたのかもしれない。

たとえば?

西田:ギターを弾くのがただ楽しいとかですよ(笑)。

それ以降はふつうの作り方に戻っていったんですか。

吉田:“トーラス”ができた段階でメンバーのクロちゃんがやっているTAMTAMが『EASYTRAVELERS mixtape』を出したんですね。TAMTAMの新譜はばっちりエンジニアの方に録ってもらっていて、聴いたら、“トーラス”とはキックの音のレベルがちがって、どっちがかっこいいかと100人に訊いたら100人ともTAMTAMのほうだというような音の質だったんですよ。ぼくはサンプルライブラリーからすごくかっこいいキックの音やスネアの音を選んで組み合わせれば自然と全体もかっこよくなるだろうと思っていたのにTAMTAMを聴いたら彼らの音のほうがかっこよかった。俺らはギターの音だったら録音した次の日改めて聴いて、あれ、かっこよくないぞと思うことはあんまりないんですが、打ち込みに対しては判断する力がまだないんだなとそのタイミングでわかってきたというか。逆にいままでに自分たちが得意だとも思っていなかったドラムやギターの音色にたいする判断のほうが点数高いんだなとわかったときがあって、そこでちょっと変えようということになったんですね。

そこで判断したんですね。

吉田:もっと慣れれば、この音を打ち込んだら全体がこうなるとわかるところまでくると思うんですけど、どれだけ時間がかかるかわからなかったので。“トーラス”をつくってわかったのは、あれは打ち込みでできた曲だけど生演奏でもいけるかもということだったんですね。TAMTAMのアルバムにも自分たちが打ち込みに求めていた質感もあったので、だったら生演奏が得意だからそっちをがんばろうと路線変更して一気につくりだしました。

のこりの曲は短い期間でつくったんですか。

吉田:アルバムのなかでは西田は“piece 2”も書いているんですが、感覚的には西田が平行して2、3曲書いてくれた感じで、自分が“トーラス”と“分からなくなる前に”、“フォーチュン”とかができていたから7曲か8曲書いた感じなんですけど、1ヶ月半で4曲ずつみたいな感じだったかな。

西田:吉田さんは後半にかけて尻上がりでした。今回は悩みながら決めずに進めたから、俺思ったのはさ、アルバムは今年絶対出したかったじゃん。

吉田:うん。

納期を設定していた?

西田:納期というより今年絶対音源出してそれをいいものにしたいという思いですね。俺は吉田さんに打ち込みの適性がないとは思わないけど、その期間でベストを尽くそうとなったら生演奏しかなかったんですよ。方向性を決めていくなかでやりたいことが出てきて、作曲にかんしてはどんどん尻上がりになったイメージです。制作が進むにつれ、やりたいことが明確になってきた。吉田さんが後半につくった曲については最初からブラッシュアップされていた気がします。

吉田:レコーディングが2回にわかれていて、リズム隊の録音は6月と8月でしたが、2曲宅録で10曲レコーディングしたイメージなんですよ。“piece 1”と“piece 2”は家でリアンプしたほぼ宅録なんですが、のこり10曲で5曲ずつ録音した感じで、6月に録音してそこで軽くミックスしてもらったんですけど、ドラムが完璧にイメージどおりの音になったんです。この音なら曲いっぱいできるなと思って自分のなかで加速がついた気がします。

ドラムの音が決まるとアルバムが像を結びますからね。

吉田:そうですね。

『ar』のドラムの音はこれまでよりちかいですね。

吉田:いままではほんとうにジム・オルークが理想だったので3メートルぐらいの距離で聴いているドラムの音が好きだったんです。それが50センチの音にしなきゃいけないと思って。生演奏でありながらドラムの音がちかいというイメージもTAMTAMのアルバムでついてはいたものの、自分たちにできるのかは半信半疑だったのが、録音を経てじっさいにできたのでこの音だったらこういう曲がかけるぞと一気にわかってきたところがあります。6月まではちょっと余裕があったのでそれほどハイペースではなかったんですが、6月のあと8月までに4、5曲書かなきゃいけないと決まっていたのでそこからハイペースだったよね。

西田:そうだね。後半は迷いもなかったからね。だけど最初から迷いなかったらつまらないアルバムになっていたかもしれない、と俺は思っていて、6月のレックのときにこれだったらできるとなってからは早かったんですが、悩んでいたのは“トーラス”がいちばんなんですよね。演るときにまた悩むんだけど、どちらが好きかといわれると両方好きだから、今回のアルバムには両方はいったんじゃないなかと思います。『ar』はだから、濃淡があると思いますよ。

期間が短いと演奏を詰めていく時間は足りなかったんじゃないですか。

吉田:それはサポートを含めてみんなが頑張って埋めてくれました。西田もいろんなひとに呼ばれてスタジオワークをこなしてお金をもらうようなこともあって、「1ヶ月練習して録音するのは、バンドだと短く感じるかもしれないけど演奏者としては短くはないんじゃないかな」と、教えてくれたのも大きかったです。

最初に話題にした、個々をどれくらいブラッシュアップするかという課題をクリアしていたということですね。

吉田:そうですね。

西田:それに加えて思うのは、短い期間でできた曲はデモの時点で演奏者がどういうことをすればいいのかわかるような音源だったんですよね。吉田さんのなかに明確なイメージがある感じがした。

それは西田くんだからじゃない?

西田:俺はもちろんそうだけど、曲自体がこういう演奏が理想だというのは楽器をがんばってやろうとしているひとならわかるものだったと思いますよ。“chance”という曲とか、「拡がった現実」はアレンジを悩んだけど、Bメロのパートとか、どういうふうにしたらいいのか明確でしたよ。その期間でできた曲で苦労したのは“1DK”だけでした。

“1DK”はなぜ苦労したの?

西田:ふつうに演奏が難しかったからです。テクニック的に難しかったから苦労したけど、それ以外そうでもなかったのは吉田さんがいうとおり信頼できていたのと曲自体が演奏に要請しているものがはっきりあったからなんですよね。

たとえば西田くんがほかの現場に行くときは、どのような演奏が理想かわかりづらいこともあるでしょ。

西田:それはありますね。

そういうときはどうする?

西田:うーん。困りますね(笑)。

そのあげくどうするの?

西田:がんばりますよ(笑)。でも俺は吉田ヨウヘイgroupの音楽については理解するべきだし、その自負もあるんですけど、『ar』について思うのは、くりかえしになりますが、デモの時点でどういうことをすべきかわかる曲が多かったんですよ。曲が「こういう演奏をしてほしいーよー」みたいな(笑)。それでできた曲はある意味全部フィジカルな仕上がりだと思います。それ以前の時期の“トーラス”や“サースティ”もフィジカルだとは思うんですけど、もうちょっとちがう質感だと思う。レコーディングの1ヶ月間を短く感じなかったのは曲がそういった感じだったからだと思います。

フィジカリティという感じだと『ar』はグルーヴを強調した曲が多い気がしました。

吉田:それはほかの方にもいわれましたけど、自分は正直わからないです(笑)。自分のイメージはグルーヴにかんしては以前とおなじくらいのものがみえていたはずで、再現度のちがいが大きいかもしれない。

さっきいったドラムの音色も相まってグルーヴ感をより感じるのかもしれない。

吉田:それはそうかもしれないです。いままでのドラムが3メートルぐらい離れて、オフマイク気味にベースやギターと一体に聞こえる感覚をめざしていたんですけど、ドラムが50センチのちかさになるとそれぞれが屹立して聞こえるのかもしれない、ポリスみたいに(笑)。各パートがそれぞれ前に出て、聴いているひとのなかで合わさるような音の作り方ですね。

次のアルバムどうするって話になったとき、ぼくがグラウンド・ゼロの『革命京劇』みたいにしたい、といったんですよ。 (吉田)

リズムにかんしていえば、西田くんのギターがこれまではメトロノミックに全体を引っ張る役割があったと思うんです。そういところから『ar』では西田くんのギターに自由なスペースが増えている気がしました。

吉田:それは完全にそうです。思っているとおりです。

演奏の個人的な聴かせどころはどこですか。

西田:難しいですね(笑)。全部です(笑)。

これ『ギター・マガジン』の取材じゃないよ(笑)。

西田:(笑)。いや全部なんですよ、ほんとうに。全部なんですけど、苦労せず自然に、自分のいままでやってきたことをやっと出せたぜ、この曲つくってくれてありがとうと思えたのは“Do you know what I mean? ”です。この曲がないとそのプレイができないんですよ。

それって冒頭のカッティングのところ?

西田:あとフレーズの組み方とか。

ああー。

西田:でも苦労してなくはないや(笑)。ヴォイシングにかんしてはめっちゃ苦労していて、今年受けた影響を出したかったし、考えてやった感じです。リズムにかんしては吉田さんが昔からこういうのかっこいいよねって進めてくれたのを超参考にしました。マサカーのフレッド・フリスとか。

ああー。

西田:そのカッティングをずっと曲で使いたかったけど、そういう曲がなかったのでそれをやっと曲で聴いてもらえますよ、どうですか、というのが“Do you know~”ですね。

フリスなんだ、これ。

西田:そうです完全に。それと石若駿くんと一緒にやっている影響が超でかくて、彼が教えてくれたヴォイシングをバンドの曲に取り入れたかった。新しいのと前からやりたかったのの両方がはいっているという意味では“Do You know~”だし“フォーチュン」もめちゃくちゃ気に入っているし“トーラス”のギターにかんしては苦労しました。“トーラス”については全部苦労したんですけど(笑)。

吉田:この一年西田くんはジャズ界隈のひとと仲良くなったんですよ。

ジャズ界隈のひととやるのはどう? 彼ら演奏が上手ですよね。

西田:すくなくとも自分がかかわっているミュージシャンは全員信じられないくらいすごいです。

シュンとしたことあった?

西田:俺は音楽、ギターをつづけられないんじゃないかと思ったことは何度もあります。いまも常にある。でもそういうのがあったからよかったんですよ。彼らと演奏するのになにができるとなると、こっちでやってきたことも極めていかなきゃいけないじゃないですか。そうなったとき、俺はバンドやってきているぞとか、ここにかんしてはけっこう考えてきたぞというのをみつけるきっかけにもなっていて、凹まされることもあるけど単純に教えてもらうことも多いですよ。

西田くんは“piece 2”も作曲していますね。この曲のアルペジオはなにで弾いているの?

西田:ウクレレです。“piece 2”はさっきいったみたいにシンセサイザーの使い方が自分たちは長けていないけどそういうふうにしたいとなったときに吉田さんに相談して、もしかしたらラップスティールだったらそういった感じになるかも、となってラップスティールを入れたんですけど、なにかものたりなくて、なにかを足したかったんですけどぜんぜん思いつかなくて吉田さんと話していたら、ラップスティールなんだからいっそウクレレでどう、といわれたんです。

ハワイつながりだ。

吉田:西田くんの家にラップスティールとウクレレがあったんです(笑)。

高木ブーさんみたいですね(笑)。

西田:ちょうどユニオンで『ブルーハワイ』ってレコードを100円で買って聴いていたのもあって(笑)、これなしだよね、というテンションで相談したら、いや意外と合うぞといわれてやってみたら合ったんですよ(笑)。

“piece 1” “piece 2”という小品もあり、『ar』は構成がすばらしいです。曲順はすんなり決まりましたか。

吉田:ぼくは忘れていてメンバーが2回ぐらいいってくれてうれしかったのが、去年メンバーと飲んでいて、次のアルバムどうするって話になったとき、ぼくがグラウンド・ゼロの『革命京劇』みたいにしたい、といったんですよ。

取材に立ち会った編集部小林:おー(と突然声をあげる)。

吉田:“Crossing Frankfurt Four Times”とか“Red Mao Book By Sony”とか、短い曲と普通の尺の曲が混在してるのがすっごいかっこいいじゃないですか、1分半~2分ぐらいの曲がいっぱいあるアルバムって。それだったらアルバムつくる負荷も低いと思ったんです。

それ大友さんに失礼じゃない! グラウンド・ゼロは制作の負荷が低いって吉田くんがいっていたって大友さんにいっちゃうよ(笑)。

吉田:(かぶりをふりながら)ちがいます、ちがいます。

西田:(とりなすように)ながれが意識できるということです。

吉田:(狼狽しながら)俺がつくると歌ものの4~5分ぐらいの曲がはいるので、6曲は4~5分台の曲、それと1分半の曲を6曲みたいなイメージのアルバムをつくりたかったということです。そのときは西田はまだ作曲していなかったけど、1分半の曲だったら力を発揮してくれるんじゃないかなというイメージがそのときあって、6曲ぐらいなら現実感もあると思ったんです。

なるほど。

吉田:それでアイデアのひとつとして『革命京劇』みたいにしたいといっていて、ただ結構間があったんで自分ではすっかり忘れていたんですけど、5月ぐらいに西田もクロちゃんも、『革命京劇』みたいにしたいんだったらこれはこうなんじゃないですか、といってくれたことがあって、ああそういったな、と思い出しました。アルバムの“シアン”や“chance”は“piece 3” “piece 4”でもいいかと最初思っていたんですよ。

たしかに尺は短いですね。

吉田:“Do you know~”も“トーラス”をつくったあとにふと思いついて2時間ぐらいで書いたんです。なので最初はこういうインタールードをつくりたいんだよね、ということで1分半の曲のつもりで書いて、それが気に入って倍くらいになったので別のインタールードつくらなきゃと思っていました。そもそも1分半ぐらいの曲を量産しようという気があったんです。

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ARはことばとして使われなくなるんだろうと思っていたんですよ。だからレトロフューチャー的な、廃れていくけど昔あった概念というニュアンスもちょっとこめていたんですね。 (吉田)


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そのようなアルバムの題名を『ar』にした理由はなんですか。そういえば、そのころライヴ会場で偶然会ったよね。

吉田:ジェフ・パーカーのコットン・クラブでのライヴです。

西田:あれがたしか7月だったから。タイトルを付けたのは9月ですね。

じゃあそのあとくらいですね。

西田:タイトルはもともと短い単語にしたいとは思っていたんですよ。とくに明確な理由があるわけではなくふわっとした気分だったんですが、それまでのタイトルが長かったのもあって短い字面でいいのないかなという話をしているなかで期限が迫って、わりと最初の段階で決まった気がします。吉田さんは悩んだと思いますけど。

吉田:そうだよ! さらっと見せたけど割と考えたよ!

西田:(笑)。最初にみたときにこれはいいと思いましたよ。

なぜ『ar』なんですか。

西田:SFっぽくしたくて、ここ1年ぐらいの気になる音楽には、ダープロなんかもそうだけどSF近未来感があるなと思っていて、AR(Augmented Reality=拡張現実)ということばは情報が映像にかさなる感じじゃないですか。それと、音楽を聴きながら歩いているときになんとなく情報量が付加される感じがちかいと思ったことがあったんです。みているものに色彩や情報を与えるのは、音楽はもとからそうだったんじゃないかなという考えをかさねて、「AR」ということばには両方の要件が備わっていると思ったんです。

そのことばは最新のテクノロジーとセットですが、テクノロジーの進歩について吉田くんは肯定的ですか。

吉田:その点で俺勘違いしていて、ARってなくなるんだと思っていたんですよ。以前は「VR(Virtual Reality=仮想現実)/AR」って書かれていたのに、ここ2年くらいPSVRとか、VRがらみの商品ばかりみるようになっていたので、ARはことばとして使われなくなるんだろうと思っていたんですよ。だからレトロフューチャー的な、廃れていくけど昔あった概念というニュアンスもちょっとこめていたんですね。そうしたらARの新機種をよくみるようになって、ARのほうが難しい技術で今後出てくるとわかってちょっとあてがはずれました。

西田:でもARってことばは吉田さんっぽいですよ。俺にとって吉田さんは機械に強いというか、理知的でコンセプトを立てるひとのイメージがあるんですよね。でも一方でARってエモーショナルに受け止めようと思えばいくらでもそうできることばで、吉田さんがレトロフューチャー感っていっていたのはそういうのとも関係あると思うんですよ。吉田さんの歌詞とかもほんとうにそういった感じだと思うんですよ。表現するのは人懐こかったり感覚的なことだったり、いったらエモいといわれるようなことかもしれないけど、表現するにあたってはそれだけじゃないんですよね。

歌詞の面では女性陣おふたりが作詞をしていますが、すごく吉田ヨウヘイgroupっぽい歌詞だと思いました。吉田くん以上に吉田くんっぽい気すらします。

吉田:ふたりには曲を書くから歌詞を書いてくれとお願いしたんですけど、俺は自分っぽくとか制約を与えると書けないと思ったので、なにも要求しなかったんですけど、結果的にふたりは吉田ヨウヘイgroupでやるならぼくの詞に寄せたほうがいいと思ったらしく、自分のなかでの通じるところを出そうと思いながら書いたみたいです。

まったく助言せず?

吉田:ぼくは自分で歌詞を書いたあと西田にみてもらうんですけど、ここは意味がわからない、どうとればいいのか、ということで直しがはいったりするんですね。それとおなじことは彼女らにもしてもらおうとは思っていて、書いた歌詞の筋が、だれにもわかるのは難しいですけど、ある程度わかる人が多いようにはしてくれとお願いして、ふたりとも二、三回やりとりした感じでした。

意図したとおりだった?

吉田:最初に“フォーチュン”の歌詞が届いたときにぼくに寄せようとして書いているのは分かりました。“フォーチュン”ってタイトルはちょっとかわい過ぎるかなと最初は思ったんですけど、割とすぐに慣れて、これはこれですごくいいなと思うようになりました。

私はまったく違和感なかったけどね。最初は音源だけを聴いたから、クロさんが歌っているのはわかったけど歌詞は吉田くんが書いているのだろうと思いましたから。

吉田:それはうれしいですね。

西田:歌詞にかぎらず、バンドのすべてをコントロールするのはムリだと思うんですよ。ドラムのチューニングとかベースの弦のどのポジションでEを弾くかなんて、なかなかこっちで全部は決め切れないけど、みんな吉田ヨウヘイgroupのなかでならどうすべきかということを今回やってくれているんですよね。いままでに較べたらそういった部分がすごく多いし、レックを二回にわけて、最初にできあがった音がよかったから、それでいいんじゃないといって後半に臨めたのもよかったですね。そのぶん余白みたいなものをのこした状態になったところもあって、それまでだと俺たちも細部にこだわっていたのが、もっとなにかいいものを足せないかなとか、ミックスや自分たちのプレイに集中したから単純にはいっているものが増えていると思います。

 といいのこして所用のため西田修大はギターを担いで颯爽と去っていった。12月に予定するレコ発(12月20日渋谷WWW X)をはじめ、たてこんでいる予定にそなえ、ふたりはスタジオでの練習帰りに取材に応じてくれていたのである。のこされた吉田ヨウヘイはもっていたギターを全部下取りに出して購入したご自慢のギブソン335への愛を蕩々と述べる。取材はすでに終了しているが、四方山話はひきもきらない。サブカルチャーに耽溺した人間にとって音盤コレクションや本棚がいかに聖域だったか、メタルのドラマーは凄く好きな人が多い訳ではないが、そのなかでミスター・ビッグのパット・トーピーは図抜けていた、いやあれはハードロックだから、でも彼はインペリテリにいたからメタルですよ、やっぱりいちばんかっこいいのはロリンズ・バンドみたいなバンドですよね、いややっぱりハイナー・ゲッベルスだよ、そもそもぼくは中学のときアルバート・キングの『ブルース・パワー』がほしくて近所のCD屋に毎日通い詰めたら哀れんだお店の方にPヴァインのカタログをいただいたんです、それなら私は――というテッペンまわった居酒屋さながら蜿蜒とくりひろげた会話から吉田ヨウヘイの歌詞への考え方を抜粋して以下に記す。

ぼくはあんまり強いこと言ったりDVなんて絶対できないけど、すぐ怒ったりしそうなやつのほうがモテるみたいな矛盾は日常生活でも映画とか見てても感じたり。そういうなんというか描きにくい曖昧なとこを描きだそうとしてみたらうまくいったことがあって。 (吉田)

私は吉田くんの歌詞には独特の不安定さがあって好きなんですが、歌詞を自己分析されたことはありますか。

吉田:音楽の音符とかリズムに対しては分析的な視点が自然と出てくるんですけど、たとえば映画だとカメラアングルとかカット割りとかまったくわからないんですよ。プロットがどうだとか。楽しむためでも、ロジカルな視点がいっさいはいってこなくて、ただ受け入れて、よかった、よくなかったで終わっちゃうんですよ。歌詞も自分のなかではずっとそうで、なんとなくいい、わるいくらいしかなくて、つみあげていけるものがないから、外から学ぶことができないんです。そうすると歌詞については自分の手法を洗練させるしかなくて、ことばにするに足るものと考えたとき、それに値するのは不安定さだったりするんです。ぼくの思っている不安定さって、日常会話で「俺こんなことを思っているんだよ」、って繰り返しいっちゃったら嫌われるヤツというか。曲という1年に一度ぐらいのアルバムの発表のタイミングにしか外に出ないことばで、音源というかたちでプレゼンテーションするなら出していいかなと思うんです。たまにしか出さないなら光るもの、そういったマテリアルがあると思っていて、自分はほんとうは話したいけど遠慮していることを歌詞というかたちで掬うとうまくいくなとある時期から思いはじめたんです。

ある時期っていつ?

吉田:このバンドをはじめてからです。三十になるちょっと前にはじめたんですけど、それぐらいからです。西田に「もうちょっと歌詞に起伏があったほうがいいんじゃないか」といわれていて。だから起伏を起こすときに自分がとれる手法として不安定さを象徴する場面をおりこんでいくとうまくいくなと思うようになりました。

題材は日常にありますか。

吉田:たとえば“chance”なら知り合いの女性がイギリス人と結婚して、もとの姓名の間にイギリス人のミドルネームが入ったんです。名前がおんなじまま、英語のミドルネームが追加されるって凄いな、どういう心境の変化なんだろう、と思ったことがあって。“chance”の歌詞は、それをディテールにして、鬱屈しているのを外国人と結婚して名前をマイナーチェンジして心機一転する、みたいなイメージで書きました。

吉田くんは、日本語で書く制約は世代的にも感じないですよね、きっと。

吉田:でも聴いたひとから字余りがあると指摘されたことはありますよ。

それもいいところだと思うけどね。

吉田:自分では制約は感じていなかったんですけど問題を指摘されることはあったので、今回はちょっと意識して、西田にも相談して大丈夫なんじゃないといわれたので許容できる範囲におさまっているといいなと思うんですけど。

字余り感もさほど気にしていなかったと。

吉田:ユーミンのメロディも英語で歌うとああいうメロディにはならないと思うんです。言語感覚から出てくるメロディは絶対あると思っていて、ユーミンっぽいメロディや細野さんの『HOSONO HOUSE』のときのメロディなんかは日本語でないと生まれないメロディで、そっちのほうに憧れているところがあるので日本語の制約は感じていないです。

作詞家で憧れているひとはいないんですか。というか、さっきの話だと作詞というものを分析することはないということか。

吉田:松山猛さん、松本隆さんは大好きです。自分も「一張羅の涙」みたいなことばを本当は書きたいんです。なにを言っているかよく分からなかったり、用法は正しくないけど素敵でイメージの広がりがあることば。それをやるには、本来その名詞を形容しない形容詞を前にもってきてハッとさせるという手法があるのは理解しているんです。でもそれには語彙が必要で、自分は語彙を身につけようと生きてきたのにぜんぜん身につかなかったんです。

編集の仕事もやったことあるんだから語彙はあるでしょう?

吉田:(苦笑)。語彙の部分で大事だったのは例えば「行く」ということばを使うときにあまり多用しないで同じ意味の別の言葉に書き換えるとか、そういったことだったんですよ。ふつうのひとが使わないことばは逆に使っちゃいけなかったんです。日常的なことばでスノッブじゃないように書くのが大事なので、それに慣れた自分にはそういった淡々としたことを書くほうが向いていました。

淡々としたことばの使い方でも、でも私が読むとおもしろいことばづかいを吉田くんはすると思うんですよね。たとえば、「動く」を「動き」にするように動詞を名詞化するのは語彙があると「律動」とかそういった難しいことばになっちゃうんだけど、そうしないことで動詞と名詞が二重化してことばの世界が厚みを増すというかね。

吉田:豊富な語彙を諦めてからは、逆に自分の歌詞の世界だと難しいことばが出てくると浮いちゃうので、そういったことばは使わないようにはしているんですよね。

たとえば微熱少年がいるなら平熱の淡々とした風景のよさもあると思うんですよ。

吉田:歌詞については、『ar』では書いたあとの感覚が前とはちがっていたんです。3枚目まではあえてほとんどの曲をラヴソングにするようにしていたんです。というのも、歌詞に起伏をつけるには女の子を主人公にしたラヴソングだとやりやすいと気づいたんです。ぼくはあんまり強いこと言ったりDVなんて絶対できないけど、すぐ怒ったりしそうなやつのほうがモテるみたいな矛盾は日常生活でも映画とか見てても感じたり。そういうなんというか描きにくい曖昧なとこを描きだそうとしてみたらうまくいったことがあって。

そういうことあるのかな、あるのかもねえ。

吉田:一回自分を完全に離れるからお話が作りやすいのかもしれなくて。身勝手なひとを好きになってしまうというような起伏の作り方だと歌詞がまわっていくなと思っていて、前回まではそれをモデルケースに書いていたんですけど、今回それをいつのまにか忘れていたのか、危ない場面を書こうとしなくても詞としての危なさが勝手にはいるように書けるようになっていた感じがして。

最初にいった不安定さを嗅ぎつける能力が恋愛にかぎらなくなったんじゃないかな。

吉田:感覚的にはそうですね。

セカイ系という言い方はかなり前の流行り言葉で、オタク的な文脈で使われることが多いけど、吉田くんの歌詞にはそれと似た空間性があると思いました。なにかが起こるかもしれない不安定さを皮膜一枚向こうに感じているような。

吉田:セカイ系って全体感ではなく一対一の関係が大事になってしまうということですか。

一体一の関係の背景があるという意味では全体感というより遠近感でしょうね。

吉田:ぼくは会話に没入したいんだけど周辺視野のことが気になってしまう、その場面のイメージはめちゃくちゃ強いですね。

おそらくそうだろうね。そうしてふとした所作の意味を考えてしまう。

吉田:喫茶店で大きな声で別れ話をするのはイヤみたいなのがあるかもしれません(笑)。ほんとはそんなこと考えずに相手の話に集中しないといけないはずなのに、周りがなぜか見えてしまう、みたいな(笑)。そういうのが詞の原動力になっているかもしれないです(笑)。

私はそんなとき、超越者の審判がくだされたと感じますが、それはさておき、吉田さんの歌詞では作中人物がよく後悔しますよね。夜考えていたことが朝起きると色褪せて思えるような感じ。

吉田:レイモンド・カーヴァーが好きなんですよね。予想よりわるいことが起きてそのまま終わるような話が多いじゃないですか。ぼくは自分の歌詞についてはできるだけハッピーエンドで終わらせようと思ってますけど。レイモンド・カーヴァーですごい好きな話が、夫婦喧嘩してる時に冷蔵庫が壊れて、冷凍したものとかがどんどん溶けてきちゃって、もういろいろ最悪っていう。

ほかに作家で好きなひとはいますか。

吉田:ヴォネガットです。ぼくは小説も分析的に読めなくて、どうして文学があるとか、ぜんぜんわからなかったんですが、ヴォネガットの『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』を読んだときに、いろいろやって最後子ども全員育てるじゃないですか。おそらくテーマは「ひとにはやさしくしよう」っていう凄いシンプルなことなのに、それをそのままいってもだれも聞いてくれない、でもこういうことがあるからやさしくしなくちゃいけないんだよいうメッセージを伝える。「ひとにはやさしくしよう」という一行のことを人の胸に響くように伝えるためにディテールがいろいろ必要で、それがこの小説なんだと感じたんですよね。歌詞でもその形式に則ることにしています。この歌詞のいいたいことはこれ、もちろん具体的に言い切れることじゃない場合もありますよ、でもそのうえで、これをいうにはそれが説得力をもつ文脈をつくらないと伝わらないと思い、それにはディテールへの共感がいるという観点からつくっています。“1DK”だったら一緒に暮らしてしあわせだったのが、あるきっかけでキツくなってきてそれをなんとかしたいというストーリーを設定していて、それに説得力をもたせるには、ふたりの喧嘩を描くのではなくて、家に行ったら仲がわるいのがまるわかりじゃんという状況を書くほうが共感度高いと思って。村上春樹を読んでいるときに思ったんですが、村上春樹の読者は小説のなかで起こっていることが、「これは自分にしかわからないことを書いてくれている」と思っている気がするんです。ただ、実際は100万部とか売れるわけだから、そう考えているひとが100万人いる。自分にしかわからないようにみえる表現というのがあって、歌詞を書くときはできるだけそういうものにしたいな、と思っています。

たとえばフィッシュマンズなんかはそうだったと思うんです。大勢いるんだけど舞台の上の佐藤伸治と一対一で向き合うようなありかたは、不特定の他者との共感が主流になるとなかなかなりたたない。最後に吉田くんのなかにロックシーンだけじゃなく日本の音楽の現状に対して思うことはありますか。

吉田:ぼくはほんとうに不満を感じないほうですね。ぼくの場合、本来才能に恵まれているのに世に出られなかったわけじゃなくて、二十歳ぐらいのときの音楽を聴くとじっさいにクオリティが低いんですよ。ふつうにクオリティが低くてライヴハウスで怒られていた(笑)。三十でようやくインディーズで出せるようになって。自分の実力と聴くひとの数が印象のなかではほとんど乖離していないんですよ(笑)。(了)

Mica Levi - ele-king

 いくつものサウンド・エレメントが接続・編集・加工されるミュジーク・コンクレート的な手法を援用しながら、「シネマティック=映画的」な感覚/情感の音楽/音響作品を構築する。2017年のエクスペリメンタル・ミュージックにおいて、そのような映画的なムードを感じさせる作品(アルバム/EP)がいくつもあった。
 それらは皆、音響的には複雑で、多層的で、ときにノイジーですらあっても、しかし聴感上は静謐だった。たとえば坂本龍一の新作『async』における「非同期」の概念とも交錯する。音、音楽、微細なノイズ、楽音などが、まるで映画のシークエンスのように、それぞれが別の層に、イマジネティヴに展開されているのである。
 そもそもミュジーク・コンクレート的な技法を援用することは(サンプリング全盛期の90年代コラージュとの差異だろう)、ヴェイパーウェイヴ~ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー以降、トレンドになっていたし、2010年代のフィールドレコーディング・ブームなども、この「シネマティック=映画的」へと繋がる潮流ともいえるだろう。

 しかし違う点もある。いくかの作品において極めてSF的/終末論的なムードが展開されていたのだ。これは2010年代的なインダストリアル/テクノなどのダークなムードを継承した結果といえよう。「世界の終わり以降の世界」へ。これはドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画『ブレードランナー2049』と共通するムードでもある。
 映画『ブレードランナー2049』は、『ブレードランナー』のように巨大な虚構世界から消えることのない大きな影響を受けた「子どもたち」(その影響を受けた作家、作品、無数のエピゴーネン、その観客のことだ。そう、われわれは「セカンド・チルドレン」「サード・チルドレン」なのだ)が、しかし、自分たちすべては「その本当の子」ではないという悲しみの映画である。そこにおいて人間/レプリカントの差異は無化してしまう点がポイントだ。主人公「K」もわれわれも正当な「子=続編」になりえないのだ。根拠は最初から剥奪されている。
 根拠を消失したヒトは衰退している。安易な快楽を注入し、遺伝子改良食品で生き延びる。未来都市を濡らす雨はヒトの涙のようだし、降り続ける雪は彼らのヒトの哀しみの結晶である。「涙」も枯れ果てた世界には乾いた砂塵が舞うだろう。そう、『ブレードランナー2049』は、巨大な歴史(文明と文化と科学)以降を生きる「ヒト」たちの「根拠なき生」の哀しみを、映像と音響の力を余すことなく使いながら、まるで約3時間の詩のように構成した映画なのである。

 さらに注目すべきは、そのような世界観/映像を表現するための音楽として、ドローン/ノイズ、アンビエント・サウンドが採用されていた点だ。『ブレードランナー2049』の音楽は当初、ヴィルヌーヴ監督と『ボーダーライン』『メッセージ』などの傑作でタッグを組み、素晴らしい音楽/音響世界を生み出したヨハン・ヨハンソンが手掛ける予定であった。が、しかしその後、ハンス・ジマーも音楽陣に加わったとアナウンスされ、結局、ヨハン・ヨハンソンは降板となり、ハンス・ジマーに一任されることになった。
 この変更には一抹の不安を抱いてしまったが、さすが現代ハリウッドの随一の音楽家の仕事である。完璧だ。この映画の音楽を、オウテカ以降の逸脱するテクノロジカル・ミュージックとしての2010年代的なエクスペリメンタル・ミュージックの潮流に組み込むことは決して不可能ではない。
 ゆえに私は『ブレードランナー2049』の世界観とムード、そして音楽/音響は、2017年の「シネマティックなエクスペリメンタル・サウンド」を考えるうえで重要なポイントと考えている。これらは同時代の作品なのだ。

 ミカチューことミカ・レヴィの新作『Delete Beach』も、そんな2017年的なムードを濃厚に持っているシネマティックな音響作品であった。もともとは日本人アニメーターが参加したノルウェイの短編SFアニメーションであり、本作はそのサウンドトラックである。
 短編SFアニメーション『Delete Beach』は、フィル・コリンズ監督と日本人アニメーター江口摩吏介による作品。制作には日本のSTUDIO 4℃も関わっているという。江口は1985年の杉井ギサブロー監督作品で、細野晴臣が音楽を手掛けた『銀河鉄道の夜』の作画監督を務めたベテラン・アニメーターだ。
 そしてミカ・レヴィにとっては『アンダー・ザ・スキン 種の捕獲』『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』に続く映画音楽の仕事となる。ハリウッド大作ともいえる前2作から日本アニメの「意匠」をまとった外国人による監督のアーティスティックな短編アニメという振れ幅が実に興味深い(ミカチューとしてインディペンデントな活動も展開するミカ・レヴィの魅力だろう)。リリースはデムダイク・ステアが主宰する〈DDS〉から。マスタリングは名匠マット・コルトンが手がけている。

 『Delete Beach』の作品世界の設定はSF/ディストピアなムードに満ちており、とても魅力的だ。舞台は「無炭素社会」になった地球の未来世界。そこにおいて「レミングス=バーナーズ」という反資本主義組織の活動に身を投じた少女が主人公である。「バーナーズ」は炭素由来の燃料が違法になった世界において、「オイルによって「スローバー」を描いてまわる」組織のこと。この「オイルの完全なムダ使い」がバーナーズからの欺瞞と搾取に満ちた世界へのメッセージらしい。本音源の中で彼女は語る。

私は飛ぼうとした。そして失敗した。地下組織の同志たちに合流して、時間と共にオイルになろうとしてた。海底のパラレルワードとも呼ばれる場所で。旅立って新しい元素として生まれ変わろうと思った。そのつもりだった。

 ミカ・レヴィによるこのサウンドトラックは、単に音楽を収録したものではなく、主人公である少女のモノローグが日本人声優によって語られ、そこにインダストリアル/ノイズなダーク・アンビエントな音響が映画の進行のように展開する音響作品となっている。
 ディストピアSFを思わせる世界観のダイアローグ/ナレーションとノイズ/インダストリアルなサウンドのマッチングが素晴らしく、聴いているだけで世界観の中に没入できる。インダストリアル/ノイズなサウンドにこのような方法論があったのかと驚いたほど。アニメ+ミュジーク・コンクレートだ。
 アルバムには日本語版“Delete Beach (Japanese)”に加えて、本編のサウンドから抜粋されたチェロの低音に電子音/ノイズを走らせるトラック“Interlude 1”、セリフを抜いた“Delete Beach (Instrumental)”、ミニマルで不穏な旋律と音響の“Interlude 2”、英語版“Delete Beach (English)”が収録されている。

 この『Delete Beach』は、ディストピア的な世界で存在の無根拠と生に引き裂かれる少女の存在と言葉を通じて、ポスト・インターネット社会・世界の不穏を想起させる極めてアクチュアルな作品に思えた(日本公開が待たれる)。

 そして、『Delete Beach』と同じくSF映画的なムードを放つアルバムが、謎に満ちたベルギーのサウンド・アーティストObsequiesのデビュー・アルバム『Organn』である。リリースは、〈Planet Mu〉傘下で、あのヴェックストのクエドが主宰する〈Knives〉。

 フランスの詩人ロートレアモンの詩「Les Chants de Maldoror」からインスピレーションを得たという本作は、電子ノイズ、そしてダーク・アンビエントの痕跡のような音楽的エレメントが、霞んだ空気感の中で交錯している。まるで21世紀初頭に復活したロマン主義者の深層心理の彷徨のように。レーベルからは「愛と二重性についての記録」とアナウンスされているが、電子ノイズ、アンビエント、インダストリアル、微かな楽器音などが、ときに複雑に、ときに細やかに、ときにノイジーに、ときにロマンティックに、しかし大胆に、繊細にコンポジションされていくことで、21世紀も都市生活者の実存的な不穏と不安を音響化していく。A4“Asthme”の掠れるような声と暴風のようなノイズの交錯は、孤独な魂の声にならない叫びのようにも思えた。その意味で2013年にリリースされたジェームス・レイランド・カーヴィーによるザ・ストレンジャーがアルバム『Watching Dead Empires in Decay』で展開した都市生活者の孤独な魂が憑依・継承したかのような作品だ。
 もしくは、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの『ガーデン・オブ・デリート』以降の音響世界だろうか。『ガーデン・オブ・デリート』の音響空間は、バラバラに分断した世界を、ジャンクな音楽要素をコンクレートしていくことで、「引き裂かれた世界」を音響化/音楽化するようなムードがある。リリースから2年を経過した現在のエクスペリメンタル・ミュージックは、さらにディストピアな感覚を継承し、新たな音の結晶体として統合するかのような音響/音楽に変化を遂げているのだ(『ガーデン・オブ・デリート』がいかに重要なアルバムであったことか!)。

 そう、『Delete Beach』や『Organn』は、ダークな世界観のSF的ナラティヴによって、われわれ聴き手にロマンティックな哀しみ/悲しみの美学を生成し、人の荒んだ心を沈静化する力を持っている。これらの音楽/音響には、「終わりの世界以降の世界」を生きる「子」たちの悲哀があるのだ。『Delete Beach』と『Organn』が、映画『ブレードランナー2049』と同じ2017年にリリースされたことはやはり重要だ。かたやハリウッド大作、かたやインディペンデントの音響作品と、その規模も表現方法はまったく違いながらも、両極において同時代のムードが紛れもなく共有されているのである。優れた芸術作品は時代の無意識を反映してしまうものなのだ。

interview with Nick Dwyer (DITC) - ele-king

制限のあるなかで音楽を作らなければならなかったという点、いかに限られたテクノロジーのなかで境界線を押し広げていくか、という挑戦のようなところが魅力でもあった。


Various Artists
Diggin In The Carts

Hyperdub / ビート

Electronic8bitSoundtrack

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 たしかにデトロイト・テクノだ。デリック・メイも入っていれば、アンダーグラウンド・レジスタンスも入っている。『ベア・ナックル』シリーズ第1作のサウンドトラックを聴いてそう思った。スコアを担当した古代祐三は当時、西麻布のYELLOWでデトロイト・テクノを耳にし、そこで受けた影響をそのサントラに落とし込んだのだという。ときは1991年。URが「The Final Frontier」や「Riot EP」、「Punisher」といった初期の代表作を矢継ぎ早にリリースしていた頃である。当時のURの音源は『Revolution For Change』という編集盤に、また同時期のジェフ・ミルズやロバート・フッド、ドレクシアらのトラックは『Global Techno Power』というコンピレイションにまとめられているが、興味深いのは、それらをリリースした〈アルファ〉が『ベア・ナックル』のサントラを世に送り出したレーベルでもあったということだ。デトロイトのテクノと日本のゲーム・ミュージック――一見かけ離れているように見える両者の間に、そのような繋がりがあったことに驚く。
 でもそれはきっと偶然ではないのだろう。われわれがゲームをプレイするとき、そのBGMの作曲者やトラックメイカーに思いを馳せることは少ない。だが、それが音楽である以上必ず作り手が存在するわけで、となれば、その作り手がその時代の音楽からまったく影響を受けないと考えるほうが難しい。同時代の海外の音楽を貪欲に吸収し独自に消化していたからこそ、『ベア・ナックル』はその海外のリスナーたちの耳にまで届き、フライング・ロータスやハドソン・モホークといったいまをときめくプロデューサーたちの音楽的素養の一部となることができたのだと思う。

 このたび〈Hyperdub〉から届けられたコンピ『Diggin In The Carts』には、その古代祐三を含め、80年代後半から90年代前半にかけて制作されたさまざまなゲームの付随音楽が収められている。8ビットや16ビットで作られたそれらの楽曲は、たしかにレトロフューチャーな趣を感じさせるものでもあるのだけれど、そこはさすが〈Hyperdub〉、たんにノスタルジックだったりキャッチーだったりするトラックには目もくれない。もっともわかりやすいのは細井聡司“Mister Diviner”のライヒ的ミニマリズムだが、背後のノイズが耳をくすぐる蓮舎通治“Hidden Level”や、複雑に刻まれた上モノが躍動する吉田博昭“Kyoushin 'Lunatic Forest”、「これ本当にゲーム・ミュージック?」と疑いたくなるようなテクノ・サウンドを聴かせる新田忠弘“Metal Area”など、その選曲からはコンパイラーの強いこだわりを感じとることができる。藤田靖明“What Is Your Birthday?”なんて、「今年リリースされた新曲です」と言われたらそう信じ込んでしまいそうだ。
 ありそうでなかったこの斬新なコンピは、いったいどのような経緯で、どのような意図のもと編まれることになったのか? 3年前に公開された同名のドキュメンタリー・シリーズ『Diggin In The Carts』の監督であり、本盤の監修者でもあるニック・ドワイヤーに話を伺った。

 

機械のひとつひとつがそれぞれ性格の違う命を持っていて、それが泣いたり歌ったりして音を出しているというような感じがするんだよね。8ビット時代のそういった音に僕とコード9は魅力を感じていたんだ。

まずは、ニックさんの簡単なプロフィールを教えてください。

ニック・ドワイヤー(Nick Dwyer、以下ND):たくさん喋ってしまいそうだから、短くするね(笑)。僕はニュージーランド出身なんだけど、ずっと音楽に興味を持っていて、新しい音楽を発見することも大好きなんだ。14歳のときに自分のラジオのショウを持つようになって、15歳のときには音楽番組のTVプレゼンターをやるようになった。そのあとDJも少しやるようになったんだけど、『ナショナル・ジオグラフィック』のチャンネルでいろんな世界の音楽や文化を紹介するTVシリーズを手がけることになったんだよね。そのドキュメンタリーはニュージーランドの有名な曲をガーナやトリニダード・トバゴ、日本、ジャマイカなどに持っていって、現地のミュージシャンにカヴァーしてもらうという内容だったんだけど、それと同時に、その地域のアンダーグラウンド・ミュージックや文化を紹介するということもやっていた。それがいろんな音楽を深く知っていくきっかけになったんだ。日本に引っ越してきたのは3年前なんだけど、日本の素晴らしい文化をドキュメンタリーで伝えたいと思って、『DITC (Diggin In The Carts)』を始めたんだ。それから3年かかって、やっと今回のコンピレイションをリリースできることになって、ライヴ・ショウもやることになった、という流れだね。

なるほど。日本の文化を伝達しようと思ったときに、ゲーム音楽に着目したのはなぜですか?

ND:ニュージーランドに住んでいた7歳のときに、コモドール64というコンピュータを母が買ってくれて、それで初めてゲーム音楽に触れたんだよね。それまでの自分の人生で初めて――といってもまだ7年だったけど――ああいう音楽を聴いたんだけど、その音に衝撃を受けて興味を持つようになったんだ。兄のカセットテープを使ってそのゲームの音楽を録音して聴くくらい大好きだった。そのあと11歳のときに、兄が仕事で日本に行くことになった。兄は苗場で働いていたんだけど、ニュージーランドに戻ってくるときにスーパーファミコンを買ってきてくれたんだ。それが自分の人生を変えたね。メニュー画面が読めなかったから、ひらがなとカタカナを勉強した。それから学校でも日本語を勉強するようになった。あと、僕の家がホームステイをやっていたので、日本から子どもたちが泊まりに来ていたりしたんだけど、その子たちは世界のどの家庭にもスーパーファミコンのゲーム機があると思っていたのか、ゲーム(・ソフト)を持参していたんだよね(笑)。ニュージーランドにスーパーファミコンはなかったので、その子たちはラッキーなことに、ニュージーランドで唯一(スーパーファミコンを)持っている家に来たわけだ(笑)。みんな必ずロールプレイング・ゲームの『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』を持ってきていたから、そういうゲームに触れるきっかけができた。その音楽が美しくて、そこから興味を持つようになったんだよね。それが僕とゲーム音楽の出会い。

ニックさんはいまおいくつなんですか?

ND:37歳だよ。(日本語で)大丈夫? 大丈夫? ビックリした(笑)?

(笑)。では本当にゲーム直撃の世代なんですね。

ND:そうだね。ただ、もちろん『ファイナルファンタジーVI』や『クロノ・トリガー』、『ドラゴンクエストVI』なんかの音楽も大好きだったんだけど、僕はラジオやTVショウをやっていたし、レコード店で働いていたこともあって、ゲーム音楽に限らず日本の音楽全般に興味を持つようになったんだよね。ラジオでピチカート・ファイヴやユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション、キョウト・ジャズ・マッシヴ、ケン・イシイとかをかけるようになって、より日本の文化を好きになっていったんだ。いちばん大きかったのは、2010年に『ナショナル・ジオグラフィック』で東京に関する(ドキュメンタリーの)エピソードを作ったことだね。そのときに日本の歴史を調べて、田中宏和さんや下村陽子さんといった作曲家についても知ることになった。その頃には自分でも音楽を作るようになっていたから、年に1、2回日本へ行くときはクラブへ足を運ぶようにしていたんだけど、それと同じように秋葉原のスーパーポテトなんかのゲーム店でヴィンテージのゲームをディグして、それをニュージーランドに持ち帰ってサンプリングして、自分の音楽に使っていたんだ。それで、まだ日本から持ち出されていない名作がたくさんあることがわかったから、今回ドキュメンタリーを作る際に、そこにスポットライトを当てたいと思ったんだ。
 今回〈Hyperdub〉という素晴らしいエレクトロニック・ミュージックのレーベルからコンピレイションを出せることになってすごく光栄だったし、やるからにはしっかりやらなきゃいけないと思って、8ビットと16ビットの音楽はすべて聴いた。だからこそ時間がかかったね。

〈Hyperdub〉からリリースすることになったのはどういう経緯で?

ND:理由はいろいろあるけど、そのひとつに〈Hyperdub〉がエレクトロニック・ミュージックをちゃんと評価してリスペクトしているレーベルだから、というのがあるかな。コード9は新しいエレクトロニック・ミュージックのパイオニア的存在だしね。もうひとつの理由として、コード9が(『DITC』の)コンセプトをちゃんと理解してくれていたということもある。それは、このコンピレイションのコンセプトはノスタルジアではない、ということなんだよね。『マリオ』や『ソニック』、『ファイナルファンタジー』のような人気ゲームのグレイテスト・ヒッツを作るわけじゃなくて、やっぱりエレクトロニック・ミュージックとして日本のゲーム音楽の歴史のすべてを聴いて、そのなかから自分たちが新しいと思うものをコンピレイションとしてまとめたかったんだ。そのことをしっかり理解してくれていたのがコード9だった。
 あと、〈Hyperdub〉というレーベル自体が日本の文化に影響を受けているレーベルだということもあるね。たとえばデザインだったり、所属しているアーティストに日本のゲーム音楽から影響を受けている人が多かったり。彼らの音楽から日本のゲーム音楽の良い影響を聴き取ることができる、というのも理由のひとつだね。

たしかに、〈Hyperdub〉からはQuarta 330などチップチューンのアーティストのリリースもありますよね。

ND:そのとおり。(コード9の)“9 Samurai”のリミックスもそうだね。チップ時代の音楽のどこが好きかという点で、僕とコード9は共通していると思う。サウンド・パレットが大好きで、いい意味で安っぽい感じだったり、パチパチした音の質感だったり、ふたりともそういうキラキラした感じの音が好きなんだ。とくに8ビット時代の初期の頃。当時の音は、いまでは逆に未来的と感じられるような音だと思うんだけど、機械が自ら音を出しているような感じというか、機械のひとつひとつがそれぞれ性格の違う命を持っていて、それが泣いたり歌ったりして音を出しているというような感じがするんだよね。8ビット時代のそういった音に僕とコード9は魅力を感じていたんだ。

つまりリズムやメロディよりもテクスチャーに惹かれる、ということですか?

ND:魅力はたくさんあると思う。僕が魅力を感じている日本のゲーム音楽がなぜこんなにユニークなのかというと、やっぱりゲーム音楽のクリエイターたちがYMOや当時のジャパニーズ・フュージョン、カシオペアやT-SQUARE、あと久石譲さんの『風の谷のナウシカ』なんかで聴くことのできる暗い雰囲気の映画音楽とか、そういう音を聴いて影響を受けたからだと思うんだ。アメリカやイギリスではそういった音楽が存在しなかったので、彼ら(アメリカやイギリスのアーティスト)とは違うものを作ることができているんだよね。やっぱりそこがおもしろいところだと思う。チップ時代の音楽はパイオニアだと思うんだけど、制限のあるなかで音楽を作らなければならなかったという点、いかに限られたテクノロジーのなかで境界線を押し広げていくか、という挑戦のようなところが魅力でもあった。オーダーメイドのプログラムや性格の違うチップを使って、いかに他と違うものを作るかというところが素晴らしかった。でもCDの時代になってしまってからは制限がなくなってしまって、ゲーム音楽を作る人がふつうの音楽も作れるようになってしまった。それが悪いことだとは言わないけど、ちょっと魅力が失われてしまったように感じるね。それについては僕もコード9も同じように感じていた。このコンピレイションで何を見せたかったのかというと、日本の素晴らしいゲーム音楽というものを、日本から生まれたエレクトロニック・ミュージックとして提示したかった、ということだね。

欧米の方たちがこういった日本のゲーム音楽を聴くときは、やはり日本らしさやオリエンタルなものを感じとったりするのでしょうか?

ND:日本の70代後半から80年代前半や90年代の初めのバブルの頃って、すごくエキサイティングな音楽が生まれた時代だと思うんだよね。日本自体もおもしろかったし、その時代に素晴らしいシティ・ポップや、角松敏生さんや山下達郎さんのような素晴らしいアーティストがたくさん生まれていったと思うんだけど、日本は島国ということもあって、そういった音楽を国内だけで消化していったと思うんだよね。やっぱり言語の壁もあったと思うし。でも、いまになって海外の人がYMOを知ったり、ミニマル・ミュージックの高田みどりさんが60歳を超えたのにも拘らずアルバムをリリースして(註:リイシューのことと思われる)世界ツアーをやったり、『サルゲッチュ』で知られている寺田創一さんも80、90年代には素晴らしいハウス・ミュージックを作っているアーティストで、彼もいま世界ツアーをしていたりする。あと清水靖晃さんも最近作品をリリースしたばかりだし(註:こちらもリイシューのことと思われる)、いまになって初めて世界の人たちが日本の素晴らしい音楽を知り始めているところなんだよね。(そういった流れを)このコンピレイションからも感じることができると思う。
 それで、僕もスティーヴ(・グッドマン、コード9)も今回やりたかったことがあって。たとえばYMOが70年代の後半にリリースした音楽――とくにファースト・アルバムとセカンド・アルバムだね――は、チップを楽器として取り入れて新しいエレクトロニック・ミュージックを作り上げたと思うんだけど、その延長として、日本で作られたチップとシステムを使って、ゲーム音楽としてだけでなくエレクトロニック・ミュージックとして素晴らしいものを作った日本の文化というものを表現したかったんだよね。質問の答えになっているといいんだけど(笑)。

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「あれも知らないの? バカじゃないの?」って言われるのが想像できたんだ。だから「絶対にそうは言わせない」と思って、ファミコンやメガドライブ、PCエンジン、MSXなど、20万本のゲームの音楽を6ヶ月かけてすべて聴いたんだよね

先ほど「制限のあるなかで作られたところがおもしろい」という話が出ましたが、制限がなくなってしまってからのゲーム音楽にも興味深いと思えるものはありますか?

ND:魅力が失われてしまったとは言ったけど、もちろんそれですべての魅力が失われたとは思っていないよ。でもとくに最近のゲーム音楽というのは、クラシックやジャズ、ロックなんかだったりするから、いわゆる「ゲーム音楽」ではないんだよね。言い方は良くないけど、ロックならただの「ロック」という音楽になってしまっているというか。8ビット、16ビットの時代というのは、チップを使ったエレクトロニックな「ゲーム音楽」だったんだよね。そこがユニークだったと思う。今回のコンピレイションやヴィデオを作っていて、32ビットや64ビットのCD時代のセガ(サターン)やFM TOWNS、NINTENDO64やPlayStationの音楽にも触れてみたんだけど、そこから素晴らしい音楽を知ることもできた。いまのコンテンポラリーなゲーム音楽については、これからどんどんリサーチを進めて、その魅力に気づいていけたらいいなと思ってる。

最近だとスマートフォン向けのゲームもたくさん出ていますが、そのあたりも追っているんですか?

ND:ここ20年くらいは音楽のドキュメンタリーなどのためにたくさん旅行をしたりリサーチをしたりすることの繰り返しだったから、今回のプロジェクトのために日本のゲーム音楽を調べるようになったのは、ここ4、5年くらいの話なんだ。僕はゲーマーじゃないから、音楽のリサーチを通してどんどん詳しくなっていったんだよ。だからスーパーファミコンだとか、(旧)スクウェアや(旧)エニックスの時代のゲームのほうが影響は大きいね。僕に大きな影響を与えたゲーム機はスーパーファミコンと(初代)PlayStationなんだ。そこから「もっとゲーム音楽を掘り下げたい」と思ったので、ケータイ時代になってからのゲームのことはあまりよく知らないんだ。(いまは)リサーチがたいへんすぎてゲームをプレイするために時間を割けないので、いつかちゃんとプレイしてゲームを知ることができたらいいなと思う。(日本語で)電車に乗ったときは(スマートフォンのアプリで)漢字を勉強していますよ(笑)。

今回コンパイルした曲のゲームすべてをじっさいにプレイしている、というわけではない?


Various Artists
Diggin In The Carts

Hyperdub / ビート

Electronic8bitSoundtrack

Amazon Tower HMV iTunes

ND:すべてはプレイできていないな。でもリサーチはしたから、すべてのゲームに関して理解はしている。ゲーム音楽のファンたちって、とても熱い愛情を持っている人が多いから、そのファンたちに「あれも知らないの? バカじゃないの?」って言われるのが想像できたんだ。だから「絶対にそうは言わせない」と思って、ファミコンやメガドライブ、PCエンジン、MSXなど、20万本のゲームの音楽を6ヶ月かけてすべて聴いたんだよね(註:半年間不眠不休で、1時間あたり46タイトル分ものゲーム音楽を聴く計算になる)。そこからさらに300本のタイトルに絞って、コード9にプレゼンしたんだ。そのあとスティーヴと話し合いをして100本まで絞って、最終的には『グラディウス』、『アルカエスト』、『エイリアンソルジャー』などを含めた34タイトルになった。300本に絞った時点で、ここからさらに絞るためにはタイトルについてのすべてを知っておかねばならない、と思ったんだ。ちゃんと選ぶ基準を知っておかないといけないから、そこからはたくさんゲームをプレイしたし、その300本のゲームはすべて理解したよ。

すさまじいですね(笑)。

ND:(日本語で)ものすごく、たいへんだった(笑)。けど、大切だよね。

ヴィデオ・ゲーム・ミュージックは、たとえば映画のスコアのように、他の何かに付随する音楽なので、音が主役になってはいけないという側面があると思うんですが、その点についてはどうお考えですか?

ND:そのとおりだと思うよ。やっぱり、プレイヤーを疲れさせないループであることを意識して作られている音楽だとは思う。何時間遊んでも疲れないし、飽きない。レベルが上がったときとか死ぬときの音楽が当たり前のものだと飽きちゃうから、それを感じさせないように、(ゲームの)サポートとして作られているのがゲーム音楽の特徴だと思うね。

他方で、いわゆるエレクトロニック・ミュージックの多くは音が主役です。今回のコンピレイションには当然ゲームの要素はありませんので、本来脇役として作られたものを主役として聴かせることになります。つまり本作を編むにあたっては、リスニング・ミュージックとしての側面を意識したということですよね?

ND:そのとおりだよ。まさにそれは意識した部分なんだけど、ただゲームを楽しんでいるだけの若い頃って、その音楽を人が作っているということさえも意識していないと思うんだ。でも『DITC』のプロジェクトでは“ストーリー”をみんなに伝えたいと思っているんだ。(ゲーム音楽からは)フライング・ロータスサンダーキャットも影響を受けているし、ゲーム音楽というものがいかに影響力のある音楽であるかということを伝えたいんだよね。それはただのゲーム音楽ではなくて、チップというものを使った素晴らしいエレクトロニック・ミュージックでもあるという意味で、世界を超えた音楽として世に出したいという気持ちがあった。

ちょうどいま名前が挙がったのですが、『DITC』のドキュメンタリーにはフライング・ロータスやサンダーキャット、ファティマ・アル・ケイディリアイコニカなど、多くのエレクトロニックなミュージシャンが登場しますよね。彼らとはどのようにコンタクトを取っていったのでしょうか?

ND:たとえばフライング・ロータスとは2006年に会ったんだけど、ラジオやテレビで仕事をしていた関係で、彼らがニュージーランドに来るたびにインタヴューしたりしていたんだ。だから長年彼らを知っていたんだよ。彼らとは会うたびに音楽の話をしていたし、彼らがいかにゲーム音楽から影響を受けたかも知っていたんだ。

『ベア・ナックル』は1991年に発売されたんだけど、(コンポーザーの)古代祐三は西麻布のYELLOWでデトロイト・テクノを聴いて、その影響をゲームの音楽に反映させたんだ。

近年はデヴィッド・カナガハドソン・モホークなど、エレクトロニック・ミュージック畑のミュージシャンがゲーム音楽を手がける例も目立ちますが――

ND:最近『Diggin In The Carts』のショウをLAでやって、古代祐三さんや川島基宏さんに出てもらったんだけど、そこにハドソン・モホークが来てくれたんだよね。ハドソン・モホークは彼らの大ファンだったから。そういった日本の作曲家たちを世界に連れていけるのはとてもエキサイティングだよ! ごめん、質問がまだ途中だったね(笑)。

(笑)。ハドソン・モホークもおそらく幼い頃からゲームで遊んだりして、自然とゲーム音楽に触れていたと思うんですよね。

ND:そのとおりだよ! 彼は日本のゲーム音楽の大ファンなんだ! 日本ではあまり有名じゃないけど、セガの『ベア・ナックル』というゲームのサウンドトラックを古代祐三さんと川島基宏さんが手がけているんだよね。来週の金曜日(11月17日)に彼らがLIQUIDROOMでプレイするんだけど、そのときは25年前とまったく同じ音で『ベア・ナックル』の音楽をプレイしてもらう予定なんだ。そのサウンドトラックはハウスとテクノのイントロダクションになった作品でもあるんだけど、日本ではぜんぜん有名じゃないんだよね。でもフライング・ロータスやサンダーキャット、ハドソン・モホークたちはその作品のファンで、海外ではとても有名なんだ。『ベア・ナックル 怒りの鉄拳』(『ベア・ナックル』シリーズ第1作)は1991年に発売されたんだけど、(コンポーザーの古代祐三は)西麻布のYELLOWでデトロイト・テクノを聴いて、その影響をゲームの音楽に反映させたんだ。ハドソン・モホークにいちばん影響を与えたのがそのサウンドトラックで、フライング・ロータスとサンダーキャットにも大きな影響を与えているんだよ。だから(LAのショウは)川島さんももちろんハッピーだったけど、ハドソン・モホークのほうがそのショウを観ることができてもっとハッピーだったんだよね(笑)。

なるほど、そうだったんですね。そういったゲーム音楽で育ったエレクトロニック・ミュージシャンたちが、いまゲームの音楽を制作しているような状況についてはどう思いますか?

ND:とても素晴らしいし、エキサイティングなことだよね!

デトロイト・テクノの話が出ましたが、今回のコンピレイションには80年代後半から90年代前半までの音源が収められていて、その時期はちょうどデトロイト・テクノやアシッド・ハウスが出てきたり、レイヴ・カルチャーが盛り上がったり、あるいはアンビエント・テクノが生まれたりした時期ですよね。その同時代に日本でこのような音楽が生み出されていたことについてはどう思いますか?

ND:YMOやカシオペア、T-SQUAREから影響を受けたユニークなゲーム音楽がすごく日本で流行っている時代に、クラブ・シーンもすごくいいものだったんだよね。アンダーグラウンド・レジスタンスやドレクシア、デリック・メイらは未来を感じさせるベストな音楽を作ったわけだけど、シューティング・ゲームには未来の雰囲気を持った世界観が求められていたから、デトロイト・テクノから影響を受けて未来的なサウンドを作っていた人が多かったんだよね。当時のYELLOWなどのクラブでかかっていた音楽はEDMとは違って、本当に素晴らしいものが多かった。そういうベストな音楽に影響されて日本のコンポーザーたちはゲーム音楽を作っていたんだ。たとえば並木学さんは96年に発売されたシューティング・ゲーム『バトルガレッガ』の音楽を作っているけど、彼の音楽を聴けばそういったサウンドからすごく影響を受けているのがわかると思う。

本作のアートワークを手がけているのは、ケン・イシイやシステム7のMVで知られる森本晃司さんですが、彼に依頼することになった経緯を教えてください。

ND:僕は16歳のときにジャングルやドラムンベースのDJをやっていたんだけど、そのときにレコード店でケン・イシイのアルバムを見つけたんだ。その頃は音楽のテレビ番組をやっていたから、夜遅くのイギリスが稼働する時間まで起きておいて、レーベルに電話をしてその(“Extra”の)ヴィデオを送ってもらったんだ。そのヴィデオは毎回ショウで流すくらい大好きで、トラックとヴィジュアルがリンクしたパーフェクトな作品だと思う。彼の作品の特徴はそのダークな世界観だと思うんだけど、僕もコード9もその世界観が好きだった。今回のコンピレイションは「ゲーム音楽」としてよりも、「現在では失われた当時のエレクトロニック・ミュージック」として楽しんでもらいたかったんだけど、(森本さんは)その雰囲気と未来的な世界観が組み合わさったアートワークを見事にデザインしてくれた。ちなみに(11月17日の)ライヴ・ショウでは、森本さんの過去の作品をバック・ヴィジュアルとして観せながら、コード9がコンピレイションに収録されている楽曲をサンプリングして、みんなの前で新しい音楽を作る予定だよ。素晴らしいコラボレイションになるはず。ケン・イシイさんと森本さんも一緒にやる予定。

それでは最後に、「ゲーム音楽はこれまであまり聴いてこなかったけれど、今回のコンピレイションをきっかけに興味を持った」という人へ向けて、日本のゲーム音楽をどのようにディグすればいいのか、アドヴァイスをください。

ND:いっぱいあるからね(笑)。良くないものもたくさんあるんだよ(笑)。これは本当に! たくさんのバッド・ミュージックを聴いて、たくさんのクソゲーに出会ったよ(笑)。僕はラッキーなことに美しい音楽を見つけられたけど、僕のようなやり方ではやらないでほしいね(笑)。掘り進められないよ(笑)。いちばんはやっぱり、コンピレイションから入ることかな。僕は大量に聴いてそのなかから良いものを選んでいったので、それしかやり方がわからないんだけど、それは気の遠くなる作業だから(笑)。『DITC』のラジオ・ショウを聴いてもらうのもいいと思う。あと、素晴らしいサウンド・チームを抱えた会社があるんだよね。たとえばメガドライブだったら、トレジャーという会社が作っているゲームのサウンドトラックは素晴らしいし、PCエンジンだったらメサイヤ(MASAYA)というブランドが本当に素晴らしいサウンドトラックを出している。あとコナミでMSXのゲームのサウンドトラックを数多く制作したコナミ矩形波倶楽部というチームもある。僕がもっとも素晴らしいと思うのは斎藤学さんの作品だね。斎藤さんはPC-8801のゲームの音楽を多く手がけていたんだけど、22歳で亡くなってしまった。彼は87年から91年まで作曲活動をしていて、とても美しい楽曲を残している。彼の音楽にはノスタルジックな雰囲気があって、サウダージを感じるね。亡くならずにいまも生きていたら、日本でもっとも有名なアーティストのひとりになっていたと思う。彼の音楽は悲しくてメランコリックで、彼の生涯を知るとさらに音楽が重悲しく聴こえるようになるね。とても美しい音楽なんだけど、ちゃんと感情が入った音楽だとも思う。

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