「S」と一致するもの

claire rousay - ele-king

 ここ数年の注目すべきエクスペリメンタル・ミュージック~アンビエント作家のひとり、テキサスはサンアントニオのクレア・ラウジーが新たなアルバムを発表する。今回のリリース元は〈Thrill Jockey〉だ。『sentiment』と題されたそれは4月19日発売。収録曲 “head” が本日2月6日(火)より配信されています。日本盤CDには完全未発表のボーナス・トラック2曲が追加収録されるそうなので、さあフィジカルを買おう。

EMO AMBIENTの旗手にして歌姫、クレア・ラウジーが、驚くべきアルバムを提げて、遂に日本デビューを果たす。
風景と日常、響きと調べ、知性と情動、ポップ・ミュージックは、ここまでたどり着いた。
間違いなく本作は2024年最高の話題作になるだろう。
全感覚を押し拡げて聴いてほしい。
──佐々木敦

現在、米LAを拠点に活動するアーティスト・ミュージシャンで、エクスペリメンタル・ミュージック(実験音楽)やアンビエント・ミュージックの既成概念に挑戦することで知られているclaire rousay(クレア・ラウジー)が、米シカゴの老舗インディー・レーベルThrill Jcckeyに移籍し、機械的にエフェクトされたヴォーカルとギター演奏を大胆に取り入れ、claire rousay流ポップ・ソングに果敢に挑んだ、(しかし、これまでの彼女の作品とも確実に地続きな)驚きの最新アルバム『sentiment』(センチメント)を4月19日(金)に発表することが決定しました。
アンビエンスを意識した現代的なフォーキー感覚やヴァイオリンをフィーチャーしたメランコリックなメロディーが全体的に流れ、フィールドレコーディングが印象的に散りばめられ、ドローンやミニマル・サウンドも効果的に登場する、エレメンツのバランス感覚が圧倒的に素晴らしい、あるようで無かった革新的なマスターピースとなっています。
日本盤CD(THRILL-JP 59 / HEADZ 263)も、完全未発表の2曲のボーナス・トラックを追加収録して、同時発売する予定です。
このアルバムのリリースに先行し、ファースト・シングルとしてアルバムの2曲目に収録されている「head」(ヘッド)が2月6日(火)より(日本を含む)全世界同時にデジタル配信されます。

アーティスト:claire rousay(クレア・ラウジー)
アルバム・タイトル:『sentiment』(センチメント)
企画番号:THRILL-JP 59 / HEADZ 263
価格(CD):2,200円+税(定価:2,420円)
発売日:2024年4月19日(金)
フォーマット:CD / Digital
バーコード:4582561400988

01. 4pm
02. head
03. it could be anything
04. askin for it
05. iii
06. lover's spit plays in the background
07. sycamore skylight
08. please 5 more minutes (feat. Lala Lala)
09. w sunset blvd
10. ily2 (feat. Hand Habits)
11. ruby
12. shameful twist

tracks 11, 12 …日本盤のみのボーナス・トラック

♯2:誰がために音楽は鳴る - ele-king

 平日の朝の9時台の渋谷行きの電車のなかといえば、そりゃあもう、その1時間前よりは空いているため多少はマシだが、それでもまだ混んだ車内は最悪な雰囲気で、ゲームやメルカリやYouTubeやなんかで時間を潰す勤め人や学生、座席に隙間なくそれでも眉間に皺を寄せた人たちは居心地悪そうに座り、たまにいびきをかいている輩もいると。まあ早い話、幸せとは思えないような人たちでいっぱいだ。だからそんななか、音楽を聴きながらステップを踏んでかすかとはいえ歌まで歌っているうら若き女性がいたら、周囲が視線を寄せるのも無理はない。ただし、そう、怪訝な目で。
 たまたま偶然、彼女はぼくのすぐ前にいた。電車が動いているうちはまだいいが、停車し、ほんの数十秒の静けさが車内に訪れると彼女が歌っているのがはっきりとわかる。聞こえた人はそこで「ん?」と思う。ドアが閉まり、電車ががーっと音を立ててまた走りだすと人びとは手元のスマホの画面に視線を戻す。そして次の駅で停まり、やかましいアナウンスが消えた瞬間、ふたたび彼女の歌が聞こえる。よく見ればその身体はリズミックに動いている、いや、踊っている。目は遠くを見つめ、輝いている。その両耳に突っ込まれたイヤフォンのコードは、彼女の首からぶら下がっているiPhoneに繋がっている。
 ぼくは視線を下方に移動し、目を細め、画面を見ようとする。どんな音楽が地獄行きの車内で、かようにもひとりの女性をキラキラさせるのか、音楽メディアに携わる身として興味があった。ところがしかし、彼女の腰のあたりで揺れている小さなコンピュータは、ぼくの位置からはちょうど垂直に傾いている。そうこうしているうちに電車は終点の渋谷に近づいていく。

 音楽が「私たち(we)」の音楽であることは素晴らしいとされている。「私たち」「コミュニティ」、あー、またか、またその話か。音楽の価値を主張するうえで、この手の社会学的な論調はなんども繰り返されている。まあ、ほんの一時期のレイヴ・カルチャーにはその美しさがあったのかもしれないけれど、だからといって、音楽が「私」の音楽であることが、すなわち個人的な体験であることが悪いということなど……まったくない。
 ことにイヤフォンやヘッドフォンで聴くことのほうが当たり前のこんにちでは、それを取り巻く環境からいっても音楽はおうおうにして「私」の音楽だ。この場合の主語たる「音楽」は、自分のセンスに合う折々の音楽であろう。が、そうではなく、否応なしにそれが「私」の音楽である場合がある。たとえばひとが「悲しみ」に打ちのめされたとき、「私」の音楽はよすがになりうるだろう。
 「悲しみ」、これもまたよく使う言葉だ。シニカルになるひとがいたとしても、ぼくは責めない。ぼく自身も長いあいだそういうところがあった。だが、もう心をあらためた。ニック・ケイヴは昨年の『ニューヨーク・タイムス』のインタヴューでこう話している。「人生とは安定したものでも頼りになるものでもない」
 「悲しみ」は誰の身にも降りかかるだろうし、人生において逃れることのできない経験のひとつだ。地震災害のようなこともあれば、ニック・ケイヴのように家族の急死ということもある。「悲しみ」は、人生を生きていけばいくほど経験する確率が上がるのはたしかだ。スリーター・キニーという、90年代のライオット・ガール時代の最後のほうに登場した女性パンク・バンドが近頃出したアルバム『Little Rope』は、メンバーのひとりが、自動車事故で母親と継父を亡くすという悲劇を経て制作された最初のアルバムで、作中には「悲しみと喪失感」が貫かれている。ぼくは、シリアスな「悲しみ」の音楽があることに感謝する。こうした音楽を心底必要とするときが、おそらく、人は生きていれば訪れる可能性が高い。
 ぼくには、ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズの2019年のアルバム『Ghosteen』の良さがさっぱりわからなかった。ケイヴが、ウォーレン・エリスという唯一無二の天才的な音楽家といっしょに、15歳の息子を亡くしたことの悲しみと救済を言葉とサウンドで表現したスピリチュアルな作品、それ以上の言葉はなかった。が、いまは事情があって、ひょっとしたらその核心に少しは近づけるかもしれない、と思ったりもしている。先に紹介した『ニューヨーク・タイムス』の記事は、取材者もまた不慮の事故によって夫を亡くしているためケイヴの心に寄り添いながらの取材となり、ふたりは「悲しみ」という感情についてとことん掘り下げている。(英語には「悲しみ」がよく使われる言葉だけでも「grief、sadness、sorrow」と3種類あり、日本語変換するとすべてが「悲しみ」になるが、それぞれ微妙に意味が違う)
 「悲しみ(grief)はほとんど原子レヴェルで私たちを完全に変えてしまうという点で、並外れた能力を持っている」と記事のなかでケイヴはいう。「grief」とは激しい苦痛をともなう「悲しみ」を意味するが、ケイヴはその「感情」を正視し、悲しみについて書く方法を学んでいった。「私は悲しみのどん底にいた。その空間では、ありとあらゆることが可能だと思えた。私はそうした感情をまったく否定していない。私はそれを不可能領域と呼んでいるが、それは想像力ではなく、想像力に隣接し、死にも近接している」
 「悲しみ(grief)」のどん底にいる人間にとって音楽はほとんど無力だ。とはいえ、弱った心をふたたび立たせるためにはなにか杖のようなものが必要で、音楽はその杖になりうる。ぼくには心の杖が必要だった。ぼくにとっての杖は歌だった。自分のなかから聞こえてくる歌。曲名は明かさないが、日本に住んでいたら誰もが知っているような、それは超有名なポップ・ソングだった。

 NHKの朝ドラ『ブギウギ』に出てくる菊地凛子が格好いいと、年明けに三田(格)さんに教えてもらってからずっと見ている。はからずともぼくは、昨年は松山晋也さんに教えてもらったアイルランドのフォーク・バンド、ランクムに心酔したあまり、自分なりに歌を研究していたのである。歌は、政治的にも歴史的にも文化的にもいろいろあるが、少なくともロックあるいはブルースやソウルに親しんできている我々にとっての歌とは、おおよそにおいて、たとえば賛美歌(hymn)や歌劇、雅楽の歌物のように制度のなかで保存されてこなかった、名も無き民衆たち(正確な意味においてのfolks)の口承文化すなわち民謡の派生系としてある。歌はこれまでも気が遠くなるほどの長い年月のなかで、気が遠くなるほどのたくさんの人たちの心を癒やしてきたのだろう。

 その日もぼくは『ブギウギ』を見てから家を出た。いま自分の目の前では、黒やグレーの疲れた東京人のなかでカラフルな服をまとった若者がひとり、ウキウキしている。そして、もうすぐ渋谷に到着しようとするとき、電車が揺れ、彼女のスマホも揺れ、そしてぼくはついにその画面を見ることができたのである。いっしゅんのことで曲名はわからなかったが、アーティスト名ははっきりと認識できた。Coldplay。
 だからといってぼくがColdplayを聴くことはないだろう。バンドのファンのみんなが、あるいはその多くの人たちが朝の通勤電車のなかで歌って踊っているとは考えにくいからだ。それでも、Coldplayの曲がもっともオルタナティヴな行為の触媒となっていたことは隠しようのない事実だ。あるいは「悲しみのどん底にいた」自分のなかに、ニック・ケイヴがいう「原子レヴェル」での変化がおきてしまっていたと、そういうことなのだろうか。とにかくぼくは、芥川龍之介の「蜜柑」とはまったく別種と思われる晴れ晴れしさを、そのときの彼女から感じ取ったのである。ありがとうColdplay、いや、それは違うな、お礼をいうのは彼女に対してだ。

R.I.P. Wayne Kramer(1948 - 2024) - ele-king

 ぼくの世代でMC5といえば、たとえばザ・KLFの大ヒット曲 “What Time is Love” でサンプリングされた “Kick Out the Jams” の冒頭のMCだったりする。「キック・アウト・ザ・ジャムス、マザーフ**カー!」。もっともこれは、ザ・KLFの前身ザ・JAMsにひっかけた洒落でもあるわけだが、それはそれとて、このフレーズが60年代カウンター・カルチャーのもっとも威勢が良く、もっともぶっ飛んで、もっとも有名な掛け声であることは間違いない。だいたいこれは、音楽史上最初に録音された「マザーフ**カー」であり 「フ**ク」であるという名誉から、リリースからしばらくして問題の部分は「ブラザーズ&シスターズ」に差し替えられている。いまspotifyでアルバムを聴いたらそっくりそこがカットされていた。「キック・アウト・ザ・ジャムス、マザーフ★★カー!」、もともとは「いつまでもジャムってんじゃねぇよ」という意味だったが、当時のオーディエンスがこれを「邪魔物を蹴散らせようぜ、クソ野郎ども」と解釈し、転じて「好き勝手やったるぜい」という革命の合言葉になったのだ。

 1948年、デトロイトの労働者階級(電気技師の父と美容師の母のあいだ)に生まれたウェイン・クレイマーが10代で友人となったギタリスト仲間のフレッド・"ソニック"・スミスといっしょに、ロックンロールとブルースとフリー・ジャズの影響を受けたバンド、モーターシティ5すなわちMC5を結成したのは1965年のことだった。マネージャーはホワイト・パンサー党の党首にして反体制の申し子、大麻解禁論の先駆者ジョン・シンクレア、ウェイン州立大学でのMC5とサン・ラーのジョイント・コンサートを企画したあの男である。
 いまとなってはMC5は、作品よりもバンドを取り巻く物語のほうが有名なバンドのひとつになっているのかもしれない。同じ時代のデトロイトの、史上もっとも素晴らしいロック・バンドのひとつに数えられるザ・ストゥージズと違って彼らは政治的だったし、売れなかったし、リアルタイムではあまり評価もされなかったようだし、クレイマーにいたってはドラッグの売買に手を染め5年ほど刑務所のお世話になったりとか、とてもじゃないが順風満帆な生涯とはいえなかった。だが、庶民の怒りに火を付けるような扇動的なそのギター・サウンドには、ザ・ストゥージズとは違った魅力があったのもたしかだ。それに「キック・アウト・ザ・ジャムス、マザーフ**カー!」、これこそ本来のアナキズム宣言である。ようするに、「俺たちは支配されない権利を主張する」とこのバンドは高々と言ったのだ。そして、こんな連中が愛されないほど世界はまだ冷めていない。プライマル・スクリームがセカンド・アルバムでエミュレートさせたMC5、2008年にはメルトダウン・フェスティヴァルで共演し、そのライヴ盤(『Black To Comm』)も出しているのだからほんとうに好きだったのだろう。他にもある。デイヴィッド・ボウイの “Cygnet Committee” で「キック・アウト・ザ・ジャムス」が歌われていることや、ザ・クラッシュの “Jail Guitar Doors” (シングル「Clash City Rockers」のB面曲)がウェイン・クレイマーのことを歌っていることをぼくが知ったのは、もう、ずっとずっと後のことだった。

 ロック通のなかには1970年のセカンド・アルバム『Back in the USA』のほうが良いという意見もあるが(ニック・ロウ、モーターヘッドはこのアルバムを賞賛している)、ぼくはMC5の傑作は1968年のデビュー・アルバム『Kick Out the Jams』だと思っている多数派のひとりだ。アルバムを聴いていると燃えてくるし、安ウィスキーの力も加われれば暴動を起こそうという気持ちにだってなるかもしれない。MC5にとってのサイケデリックとはひとりで夢想することではなく、書を捨て街に出ることで、羽目を外し、生きたいように生きることことだった。あの轟音ノイズ・ギターは、やったるぞぉぉ、うぉぉぉという雄叫びだったし、しかも、うぉぉぉ、くそったれ、好きなようにやったるぜい、というだけのアルバムでもなかった。ここにはデトロイト出身のブルースマン、ジョン・リー・フッカーも歌った(60年代デトロイトの暴動に関する)戦闘的なブルース曲 “Motor City is Burning” もあれば、アルバムの最後にはサン・ラーのカヴァー曲 “Starship”もある。ロックにおける極めて初期形態の雑食性が萌芽しているのだ。ファンカデリックがその初期において影響を受けないわけがない。デトロイト・テクノ繋がりをいえば、ポール・ランドルフ(いちおうデビュー・シングルは〈プラネットE〉、デビュー・アルバムはムーディーマンの〈マホガニー〉というベーシスト)が、デトロイトが生んだもうひとりのロックの最重要人物、アリス・クーパーの2021年のアルバム『Detroit Stories』にてウェイン・クレイマーとほとんどの曲で共演している。またクレイマーは、収監中の人びとに楽器と指導を提供する非営利団体〈ジェイル・ギター・ドアーズUSA〉のエグゼクティヴ・プロデューサーとしても活動していた。彼が故郷デトロイトへの愛情を忘れたことはなく、2002年にエミネムの半自伝的映画『8 Mile』を観たときには、 「これは俺の息子だ!」と反応したという。
 まったく聴いたことのない人は、まずは“Kick Out the Jams”のオリジナル・ヴァージョンを大・大・大音量で聴くこと(できればスピーカーで、近所迷惑になるくらいの音量で)。もう1曲選ぶとしたら、ぼくはプライマル・スクリームとの共演でも演奏している、アルバム未収録のガレージ・ブルース・ロック “Black To Comm” (ベスト盤に収録)を挙げたい。

 偉大なるウェイン・クレイマー、2月2日に膵臓癌のため逝去。文字通りの激動の75年の生涯、ほんとうにお疲れ様でしたと言いたい。

ALCI & snuc - ele-king

 東海地方を拠点に全国各地を飛び回り活躍するラッパー、ALCIとDJ/ビートメイカー、snucの11曲入りの共作の主題は明確──レゲエ/ダブとヒップホップの融合だ。アフロの要素を散りばめつつ、ルーツ・レゲエあるいはナイヤビンギ、UKのダブを、ある意味では忠実に吸収して表現している。レゲエとヒップホップという組み合わせ自体はいつの時代もつねにいろんな形であるものだが、彼らのルーツとなる音楽へのストレートな向き合い方が本作の最大の魅力で、それがラップの力強さとメッセージを際立たせている。

 1989年にブラジルで生まれ、日本で育ったALCIは、特定のビートメイカーとがっぷり四つで組んだソロ・アルバムをすでに3枚発表している。エレクトリック・ピアノの音を多用しジャズを基調としたISAZとのファースト『365』(2018)、すべての曲でブラジル音楽をサンプリングしたUNIBALANCEとのセカンド『獏-BAKU-』(2020年)、任侠映画めいたサントラ、ハードなジャズ・ドラム、〈モータウン〉の名曲などを用いて物語の起伏を作り出したMr蓮との『TOKAI KENBUNROKU』(2022)だ。また、兄のBRUNOとのラップ・デュオ=日系兄弟として、『ESTA EM CASA』(2015)をはじめ、『くだまく旅の途中』(2015)、『RIVERSIDE GYPSYS』(2016)、『Training Days』(2017)といった作品も残している。

 一方snucは、本作にも客演ラッパーとして参加するRHYDAと『FOODOO』(2021)と『MOGANA』(2023)という2枚の共作を出している。こちらは、ダンスホールやアフロビーツをはじめ世界各地のリズムを貪欲に用いて、RHYDAの縦横無尽に駆け抜けるフリーキーなラップのポテンシャルを引き出す独創的なベース・ミュージックだ。また、後者にはPART2STYLEのMaLによるジャングルのリミックスもある。

 そう考えても、『縁』は音数も抑制されて非常にシンプルだ。“CLEAN HIT” のダブ、硬く鋭いスネアからは〈ON-U〉、たとえばダブ・シンジケートの『Stoned Immaculate』を連想できるだろう。また、土俗的なパーカッションのループとナヴィゲーター役のBLACKJOKERのトークから成る “SKIT” はいわばナイヤビンギで、そのスキットに続く呪術的な雰囲気を醸し出す “JAZZ THING-縁-” はナイヤビンギ・ミーツ・ラップだ。ナイヤビンギとは簡単に説明すれば、ラスタファリアニズムを信奉するひとびとの集会であり、そこで演奏される音楽のこと。録音物となったナイヤビンギの古典といえば、2022年に〈ソウル・ジャズ〉が再発したミスティック・リベレーション・オブ・ラスタファリ『Grounation』が有名だ。

 たしかに『縁』と名付けられ、ナヴィゲーターを配して複数のラッパーやシンガーが次々に登場する本作は集会のようでもある。ALCIがポルトガル語でラップし、ラッパーのSulakとシンガーのカナミaka.Ms.Miiiが参加した “NATURAL BBB” は直球のルーツ・レゲエだ。ALCIのラップからは世俗的欲望を否定しないまでも、世のなかはそれだけじゃつまらないでしょう、と自身の内面を見つめようとする軽やかなスピリチュアリティが感じられる。“我々の世界” という曲で「反骨忘れず爆音の雨」と歌っているように、気持ち良い音楽だが、単なる体制順応的な音楽ではない。

 じっさい、既存の世俗的なゲームのなかで成り上がるストリート叩き上げのラッパーのサクセス・ストーリーや、その熾烈な競争の過程で勃発する小競り合いや罵り合いにときにぐったりしてしまうのは私だけではないだろう。知性と受け取られているものが、じつは論理のすり替えを厭わない世渡り上手の処世術でしかなかったのではないか。その差はあまりにも大きく深刻だが、“バズる” というアテンション・エコノミーの狂騒のなかではその違いにたいして重きは置かれない。そうした価値観がいま最先端という名のエスタブリッシュメントを形成しているようにみえる。生き抜くための努力や意地には何物にも代えがたい尊さがある。金や数字だって重要に決まっている。だから、ゲームの勝利者の栄光を腐したくもない。しかし、ゲームやルールは他にもあるだろうとは思う。

 数字のついてくる最先端や流行と呼ばれるものが、必ずしも時代の突破口となる新しい価値観を提示しているとは限らない。ルーツ・レゲエやダブに向き合ったALCIとsnucの『縁』は、そういうごく真っ当な感覚を持つひとたちに響く音楽にちがいない。ひと呼吸置いて、周りをゆっくり見渡してみれば、この作品のような “我々の世界” がまだまだ広がっているのだ。

Turn On The Sunlight - ele-king

 LAのマルチ楽器奏者/プロデューサー、ジェシー・ピーターソンがカルロス・ニーニョとともに始動したプロジェクト、ターン・オン・ザ・サンライト。かつてレイ・ハラカミともツアーをまわったことのある彼らは、2010年代をとおしてすでに5枚のアルバムを送り出している。
 3月20日にリリースされる新作『Ocean Garden』にはララージはじめ注目すべきゲストたちが多く参加しているが、とくに目を引くのは70年代スピリチュアル・ジャズの重要レーベル〈Tribe〉創設者のひとり、フィル・ラネリンだろう。これまでもビルド・アン・アークなどで若い世代とコラボし、最近は「Jazz Is Dead」シリーズにも登場している彼をフィーチャーしたシングル曲 “Tune Up” は、2月28日にデジタルにて先行配信。楽しみです。

Turn On The Sunlight『Ocean Garden』
2024.3.20 CD / LP / Digital Release

LA音楽シーンで多くのミュージシャンに愛されるジェシー・ピーターソン。彼の呼びかけによって豪華メンバーが集まったオーガニックコレクティヴ、Turn On The Sunlight(ターン・オン・ザ・サンライト)の新作『Ocean Garden(オーシャン・ガーデン)』が、CD/LP/Digitalにて全世界同時リリース!! CDにはジャメル・ディーンらが参加したボーナストラックも収録。

Carlos Niño / Phil Ranelin / 金延幸子 / Josh Johnson / Photay / Fabiano do Nascimento / Randal Fisher / Dwight Trible / Laraaji / Mia Doi Todd / Sam Gendel他、豪華アーティスト参加!!

もしブライアン・イーノとジョン・フェイヒーが出会ったら──そんな妄想を抱いて、ジェシー・ピーターソンがカルロス・ニーニョとスタートさせたターン・オン・ザ・サンライトの長い旅は、このアルバムで素晴らしい場所に到達した。LAの信頼すべき才能ある仲間と築き上げたコレクティヴの軌跡が美しく刻み込まれている。かつてビルド・アン・アークという奇蹟のグループが成し得たことを、ジェシーは継承して前へ進めてもいる。素晴らしいミュージシャンたちが奏でる音と自然音が織り成す有機的な音の広がりは、深く驚異的だ。(原 雅明 ringsプロデューサー)

暖かくて、魅惑的な音に祝福される感覚。心地よい音のテクスチャーと快適なリズム。常に喜びと高揚感を与えてくれる作品です。(ララージ)
このアルバムは、暖かい日差しが頬に触れる感覚と、私たちを想像の世界へと導いてくれる。素晴らしいアルバムです。(金延幸子)

ターン・オン・ザ・サンライト
マルチインストゥルメンタリスト、作曲家、プロデューサーのジェシー・ピーターソンは、ターン・オン・ザ・サンライトの中心人物であり、絶えず続く糸である。5枚のアルバムとその他のさまざまなコラボレーションを通じて進化し続けるグループのサウンドは、結成時から変わることなく高揚への希望に根差している。友人のカルロス・ニーニョとともに、ジェシーは妻のミア・ドイ・トッドをはじめ、ララージ、ルイス・ペレス・イクソネストリ、カバーナ・リー、パブロ・カロジェロ、SKカクラバ、サム・ゲンデル、ファビアーノ・ド・ナシメント、ヒロ・マキノ、リカルド・ディアス・ゴメス、デクスター・ストーリー、アンドレス・レンテリアなど、長年にわたって音楽仲間である彼らに、彼らの魔法で力を貸してくれるよう呼びかけてきた。

【リリース情報】
アーティスト名:Turn On The Sunlight(ターン・オン・ザ・サンライト)
アルバム名:Ocean Garden(オーシャン・ガーデン)
リリース日:2024年3月20日
フォーマット:CD / LP / Digital
レーベル:rings / plant bass
オフィシャルURL:https://www.ringstokyo.com/turn-on-the-sunlight-ocean-garden/

[CD]
品番:RINC118
JAN:4988044097605
価格:¥2,860(tax in)
販売リンク:https://diskunion.net/portal/ct/detail/1008787482
[LP]
品番:RINR16
JAN:4988044097636
価格:¥4,400(tax in)
販売リンク:https://diskunion.net/portal/ct/detail/1008787495

21世紀の視点からその思想と生涯を解説する

オーネット・コールマンが共演し、スクリッティ・ポリッティが曲名で共感を表明し、坂本龍一がドキュメンタリー映画のサウンドトラックを制作したフランスの哲学者。

サイモン・レイノルズやマーク・フィッシャーが音楽を論じる際に用いた概念「憑在論」の本家本元にして「脱構築」の発明者。

ポップ・カルチャーにおいてもひときわ大きな存在感を放つ20世紀最高の知性のひとり、ジャック・デリダの生涯と思想を、21世紀の視点から新たに解説しなおす。

★用語解説つき

四六判/ソフトカバー/464頁

目次

イントロダクション
第1章 キッド
第2章 フッサール、ほか
第3章 起源の問題
第4章 ジャック・デリダ
第5章 出来事、ひょっとすると
第6章 『グラマトロジーについて』
第7章 真理が女だとすれば、どうだろうか
第8章 万人ここに来たれり
第9章 掟の前で
第10章 について
第11章 出来事が起こった
謝辞

訳者あとがき
用語解説
索引

ピーター・サモン(Peter Salmon)
1955年生。オーストラリア出身、UK在住の作家。テレビやラジオのショート・ストーリーを多数手がけつつ、『ガーディアン』や『シドニー・レヴュー・オブ・ブックス』などさまざまな新聞や雑誌に寄稿。小説『コーヒー・ストーリー』(2011年)で『ニュー・ステーツマン』のブック・オブ・ザ・イヤーを受賞。UKの『ピッチフォーク』的存在たる音楽メディア『クワイエタス』では、デリダと音楽の関係についての文章も執筆している。

伊藤潤一郎(いとう・じゅんいちろう)
1989年生。新潟県立大学国際地域学部講師。著書に『ジャン=リュック・ナンシーと不定の二人称』(人文書院、2022年)、『「誰でもよいあなた」へ──投壜通信』(講談社、2023年)。訳書にナンシー『アイデンティティ──断片、率直さ』(水声社、2021年)、同『あまりに人間的なウイルス──COVID-19の哲学』(勁草書房、2021年)など。

松田智裕(まつだ・ともひろ)
1986年生。立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員。著書に『弁証法、戦争、解読──前期デリダ思想の展開史』(法政大学出版局、2020年)、訳書にジャック・デリダ『思考すること、それはノンと言うことである──初期ソルボンヌ講義』(青土社、2023年)など。

桐谷慧(きりたに・けい)
1986年生。東京大学大学院教務補佐員。論文に「「『幾何学の起源』序説」におけるデリダの「生き生きした現在」の解釈について」(『フランス哲学・思想研究』第28号、2023年)、共訳書にパトリック・ロレッド『ジャック・デリダ──動物性の政治と倫理』(勁草書房、2017年)など。

横田祐美子(よこた・ゆみこ)
1987年生。立命館大学衣笠総合研究機構助教。著書に『脱ぎ去りの思考──バタイユにおける思考のエロティシズム』(人文書院、2020年)、共訳書にボヤン・マンチェフ『世界の他化──ラディカルな美学のために』(法政大学出版局、2020年)、カトリーヌ・マラブー『抹消された快楽──クリトリスと思考』(同前、2021年)など。

吉松覚(よしまつ・さとる)
1987年生。帝京大学外国語学部特別任用講師。著書に『生の力を別の仕方で思考すること』(法政大学出版局、2021年)。共訳書にマルタン・ジュベール『自閉症者たちは何を考えているのか?』(人文書院、2021年)、ジャック・デリダ『講義録 『生死』』(白水社、2022年)、ジャック・デリダ『メモワール』(水声社、2022年)ほか。


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Angry Blackmen - ele-king

 オルタナティヴ志向に磨きをかけるクリッピングやPhewとのコラボレートで知られるワシントンのモデル・ホームなどを追い、不穏なインダストリアル・ビートで押し通すクエンティン・ブランチとブライアン・ワレンのデビュー・アルバム。シカゴ出身で、16歳ぐらいで活動を始めたらしく、2人ともケンドリック・ラマーとアール・スウェットシャートに強く影響を受けたという。さらにブランチはMFドゥーム、ワレンはチャンス・ザ・ラッパーやリル・ウェインの名前もフェイヴァリットに挙げている。マンブル・ラップが出てきた頃にリル・ヨッティーだったかがノトーリアス・B.I.G.なんか聴いたことがないと言い放ち、並み居る古参たちから不興を買っていたけれど(それはそれで僕はいいと思うけれど)、ワレン&ブランチはヒップホップの歴史に精通しているようで、メンタル・ヘルスを初めてラップで扱ったのはグランドマスター・フラッシュ “The Message” だと考え、それこそノトーリアス・B.I.G. “Suicidal Thoughts” へのオマージュとして “Suicidal Tendenciess” でアルコール依存についてラップするなど全11曲を『The Legend of ABM』に詰め込んだ。

 全体のテーマは資本主義、アフロ・フューチャリズム、マスキュリニティ(男らしさ)とインテリ寄りで(クリッピングの歌詞はギャングスタ系)、映画『アイ・アム・リジェンド』の原作『地球最後の男』を骨組みとして採用しているらしい。サウンドがあまりに攻撃的なので、そうは思えなかったけれど、英語のニュアンスがちゃんと聞き取れるリスナーには哀愁がにじみ出ている歌詞がとてもいいらしく(そういうことがわかる人は羨ましい)、声の響きはどこかエミネムに通じるものがある。ジャケットに写っている女性はタイトル曲 “The Legend of ABM” で「業界に旋風を巻き越すためにブライアンとクエンティンが戻ってきました」と日本語のナレーションを入れているユキ・フジナミ。これまでに5枚しかシングルをリリースしていないのに、自らを伝説と称して「帰ってきた」と表現するのだから、その自信はなかなかのもの。

 先行シングルは “Stanley Kubrick” 。出来上がった曲が映画みたいだったからという理由でこのタイトルにしたらしい。ブリープ強めで最初から個性が際立ち、続く “FNA” で畳み掛けるラップと金属音の軋みも切迫感が滲み出る。自己愛を意味する “Amor Propio” や “Magnum Opus” はまさしくモデル・ホームばりで、ハーシュ・ノイズを敷きつめた “Dead Men Tell No Lies” はナイン・インチ・ネイルズが孤独を訴えた “The Day the World Went Away” に強く影響を受けた曲だという。 “FUCKOFF” はもう怒り狂ってるだけ。 “Outsiders” はマシンガンのようなビートで、 “GRIND” だけがカチャカチャと金属音が鳴る小気味のいいアクセントになっている。タイトルからしてスロッビン・グリッスルみたいな “Sabotage” は映画『テルマ&ルイーズ』のモデルとなり、シャーリーズ・セロンが映画『モンスター』(03)で演じたシリアル・キラー、アイリーン・ウォーノスのインタビューを元にしているという。普通とは異なるものの見方を提示したかったのだとか。サウンドだけでもそれは充分だけど。

 ワレン&ブランチはまだ若い。細部がまだ拙いというか、彼らが持っているヴィジョンにスキルが追いついているとはさすがに言いがたいところもある。とはいえ、パッションは充分で、すぐにも飛躍的な伸びが期待できるだろう。セカンド・シングルが “Riot” (17)というタイトルだったりと、重いものが弾けているような存在感はどうしてもURを思い出してしまうし、ブラックライヴスマターを時代背景として育った世代がどうなっていくかという興味は抑えられない。

 ちなみにアングリー・ブラックメンと契約したのはこれまでにデス・グリップス、クリッピング、J・ペグマフィア、USガールズなどを送り出してきた〈Deathbomb Arc〉で、荘子itらのドス・モノスやBBBBBBBなども同レーベルと契約している。

『哀れなるものたち』 - ele-king

 またしても閉じ込められた女性。いくらなんでもパラノイアックすぎる。これだけ繰り返されると監督にとってはセラピーの意味でもあるのかと思ってしまう。ヨルゴス・ランティモスはこれまでに『籠の中の乙女』(09)、『ロブスター』(15)、『女王陛下のお気に入り』(19)と、場所の移動を制限された女性ばかり描き、少し毛色が異なる『聖なる鹿殺し』(17)でも娘のキムは急に歩けなくなり、移動が困難になる(その原因と考えられるマーティンも椅子に縛りつけられて動けなくなる)。様々な設定を駆使して多様な物語を生み出しているようでいて、実際にはランティモスは自由に動くことを許されない女性の苦しみをあれこれと映し出しては喜んでいる変態ではないのか。スタンリー・キューブリックに団鬼六が憑依し、『コレクター』のリメイクばかり撮り続けている変質者ではないのか。現実の世界で女性を監禁したい。しかし、それは許されない。だから映画をつくることでその欲を満たしているのではないかと疑いたくなる。

 『哀れなるものたち』がこれまでと少し異なるのはエマ・ストーン演じるベラ・バクスターが造物主の比喩である父親と対立して(以下、ネタバレ)屋敷の外に出て移動の自由を楽しむこと。『籠の中の乙女』では家父長によって頑なに監禁状態は解かれなかったのに対し、そこはあっさりとクリアして、ベラは屋敷を飛び出して世界を旅し、食を楽しみ、性を解放し、労働する。文字通り外の世界を自由に動き回る。ただし、ベラはこれまでの作品とは異なり、胎児の脳を母体に埋め込まれたタブラ・ラサとして設定されている。身体は成熟した女性だけれど、脳は赤ちゃんに等しく、いわば社会的に初期化された存在である。社会と相対峙するのではなく、ただ吸収していくだけ。幼児が世界を把握していくプロセスと似たような体験を積み重ね、絶えず食べ物を吐き出して(=アブジェクション)成長し続けていることを印象付け、これが面白おかしく感じられると同時に、幼児化した女性の振る舞いはただのバカにしか見えない場面も少なくない。既存の社会に対して批評的な価値を持つでもなく、がに股っぽい歩き方はどことなく都会に連れて来られたキング・コングを思わせる。それこそ純粋無垢であれば女性という存在はインパクトを持つというか、イノセントな女だけが社会で有効というのはとんでもない幻想だし、裏を返せば女性は社会化されてしまうと魅力がないと訴えているようなもので、女性を社会の外側に立たせることで活躍することを可能にした『ワンダーウーマン』(17)と構造的には同じである。社会的に初期化されれば、それこそ『ネル』(94)のように言葉も通じないというのが普通だとは思うのだけれど……(シニフィアンを混乱させた『籠の中の乙女』はある意味、その原理に沿っていた)。

 もっといえば日本のTVドラマでよく見かける「空気を読めない女性の主人公」も似たり寄ったりで、エキセントリックなキャラなら女性たちは社会に出ても肯定されるという設定にも通じるところはある。どうしてこのようなエフェクトをかけないと女を社会化された存在として認識できないのだろう。移動の自由や男たちの管理から解き放たれて、ベラ・バクスターは一見、様々な主体性を得たかのようだけれど、実際には社会の周縁へと押しやられているだけではないのか。そう、これまで何度も女性を監禁し続けたランティモスがそう簡単に女性を解放するわけがない。むしろランティモスは女性を社会から浮いた存在として固定し、観念的な文脈に閉じ込め直したのである。『籠の中の乙女』や『女王陛下のお気に入り』が部屋ごと空間を移動しただけで、前半は定住しない旅行者、後半は売春婦と、ベラが生きる場所はいわゆるオーソドックスな社会ではない。リドリー・スコット(『テルマ&ルイーズ』『最後の決闘裁判』)や80年代の深作欣二(『火宅の人』『華の乱』)が描く社会的な身体を持つ女性たちとは異なり、主役である女性と社会の距離は1ミリも縮まらず、彼女の声が社会に届くことはない。

 社会的に初期化された身体を持つ男性の作品は何かあったかなと考えていたらターザンの誕生を描いた『グレイストーク』(84)や『フォレスト・ガンプ』(95)が思い浮かんだ。どちらも周縁から社会のヒーローへとポジションを移動させ、無知であるがゆえに社会をシェイクする作品である。『哀れなるものたち』にそうしたフィクショナルな飛躍はない。ベラ・バクスターは旅を終えて、かつて自分が飛び出した屋敷へと戻っていく(放蕩娘の帰還?)。そして、自分を生み出したウィリアム・デフォー演じるゴッドことゴドウィンの死を看取り、外に出て行ったことがなにひとつフィードバックされることなく、初めからそこに居ればよかったという雰囲気で幕を閉じていく。旅の途中で出会った男たちがすべてどうしようもない存在だったという認識が残ったぐらいで、『籠の中の乙女』で外に出られた姉妹が自分たちの意思でもう一度、家のなかに戻っていくような終わり方である。ベラの成長はただゴドウィンとの関係を肯定するために、それだけのために必要なことだった。どうしても人はそこを肯定したいし、それこそファザコンの人には突き刺さる話なのだろう。むしろ僕には、どんな人でも自分が誰かの子どもであるということがすでに牢獄だと思える作品だった。

 『哀れなるものたち』で素晴らしいのは圧倒的に美術。ある種の美意識を徹底していれば、その中に閉じ込められていることに女性たちは気がつかないと言わんばかりの装飾美にあふれ、人生の舞台装置だと勘違いさせるスティームパンクの造形はどこまでも幻惑的。また、「サタデー・ナイト・ライヴ」の準レギュラーとして、すっかりコメディエンヌの座に収まったエマ・ストーンの演技はコメディの先へ進もうとする気迫を感じさせ、メタ・レヴェルの感動を呼び起こす。原題は「Poor Things」で、「哀れ」というより「空振り」とか「外れ」みたいなニュアンスではないだろうか。そう思うと、もしかして最近になって世界的な評価を得ている『嫌われ松子の一生』(06)に影響を受けたりして。

 なお、『哀れなるものたち』の音楽はジャースキン・フェンドリックスのレヴューに詳しいです。ところで途中でベラが音楽と出会い、涙を流すシーンがあるけれど、幼児が美しいメロディを聴いてわけもなく泣いたりするとは思えず、ここはフランケンシュタインのエピソードをあまりに考えずに重ねてしまった気が。

Janis Crunch - ele-king

 熊本出身のシンガーソングライター/ピアニスト、ジャニス・クランチを紹介しよう。
 モダン・クラシカルな作風を特徴とする彼女は2011年にファースト・アルバム『I just love the piano』を発表、同年にはシンガポールの(近年は冥丁の作品で知られる)〈KITCHEN. LABEL〉から、haruka nakamuraとの共作『12 & 1 SONG』を送り出してもいる。ともに近年LPでリイシューされており、注目のほどがうかがえよう。
 それから12年。長い期間を経てセカンド・アルバム『xaoc(ザオック)』がリリースされることになった。独特のヴォーカルとピアノに加え、ストリングスをフィーチャーした新作はすでに1月12日より配信がはじまっている。フィジカルも準備中とのこと。
 ちなみにリリース元は〈YUUI〉。2022年に設立されたレーベルで、今回のジャニス・クランチのアルバムが第1弾作品にあたる。今後も「古い/新しい」の二項対立にとらわれず、「美しさ」に焦点を絞りながら、再発も含めてさまざまな音楽を手がけていく予定だ。
 ジャニス・クランチと〈YUUI〉、ともに注目しておきましょう。

artist: Janis Crunch
title: xaoc (読み:ザオック)
label: YUUI
release: 12 January, 2024

tracklist:
01. Requiem (Dear My Grandma)
02. 悲しき狼のワルツ
03. きらきらブルー
04. melancholic magic
05. POISON APPLES
06. Mass in E
07. Time won't come back
08. エターナル
09. ほんの少しの
10. The last song
11. The Lullaby of Itsuki

『男が男を解放するために』刊行記念対談 - ele-king

外側の制度や法律を変えることと、内側の意識や欲望を変えること、それらの両輪が大事だという感覚が自分にはあって。(杉田)

男性の駄目さみたいなものをどうすくい上げて、それを断罪する形でなくどうほぐしていけるかを考えていた。(木津)

 『男が男を解放するために 非モテの品格・大幅増補改訂版』の杉田俊介と、『ニュー・ダッド──あたらしい時代のあたらしいおっさん』の木津毅による対談をお届けする。

 昨年9月に発売された杉田俊介著『男が男を解放するために 非モテの品格・大幅増補改訂版』。本書は集英社新書から2016年に刊行された『非モテの品格』に、副題のとおり大幅に描き下ろしを加えた増補版となる。原著の1~3章に加えて「4,5章」として書き加えられたパートはおよそ9万字。実質的に原著のほぼ2倍の分量になっている。

 現代社会において男性が直面する数々の生きづらさについて、「弱さ」という観点から考えたオリジナル版。
そして増補版ではマーク・フィッシャーやスラヴォイ・ジジェク、デヴィッド・グレーバーなどの現代思想、『ジョーカー』や『イニシェリン島の精霊』といった新作映画などに言及しながら男性と「弱さ」についての考えをさらに深めていった。

 一方の木津が2022年刊行した単著『ニュー・ダッド』では、ポピュラー・ミュージックや映画に登場する好ましい「おっさん」たちを通して、新たな男性像を提示することを試みていた。

 現代の男性のあり方についての考察を深めてきたふたりに、それぞれの立場から改めてこれからの男性像について語り合ってもらった。

男性のルサンチマンによって結びつくのではないような、そういう「善きホモソーシャリティ」としての対話関係やケア関係がもっとあったらいいのに。(杉田)

いわゆるホモソーシャルな関係のなかで「本音」と思われてることは、じつはあんまり本音でもない気がします。(木津)

木津:今回加筆された4章5章の部分を後半とすると、前半と後半で論じる内容や文体の違いに感じるものがありました。もともと出された2016年から今回出される2023年の間には#MeTooもありましたし、SNSをはじめとしてジェンダー論の対立が激化した面もあります。
 杉田さんは男性論を次々出されるなかで、この2016年から2023年の男性論について世の中の受け入れられ方の変化など、どういったところに問題意識を持たれているのでしょうか。

杉田:この何年か『非モテの品格』『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』『男がつらい!』という男性論の本を連続で出してきて、今回の『男が男を解放するために』に至るんですが、自分では自分の変化がよくわからないところもあります。木津さんは、どの辺でいちばん落差を感じましたか?

木津:落差というか、「ひろゆき論」の話が出てきたり、稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』の引用があったりと、近年話題になったトピック、それもいわゆる弱者男性論と結びついて語られていないことがダイナミックに絡んでいるのが、4~5章についての僕の強い印象です。そこはもしかすると、ジェンダー論がより広範な問題と関わっていると世の中で意識されるようになったこととも繋がっているのかなと。経済の問題にも関わっているし、アイデンティティ・ポリティクスにも関わっている、というように。弱者男性問題は非モテ論みたいな狭いところに押し込められていたけれど、じつはもっと広範に及ぶ話だということが、この4~5章に入ってるという印象を受けました。

杉田:2016年の『非モテの品格』では、ストレートに自分の男性としての当事者意識を言葉にしてみました。だから結構ポジティヴなことも後半では言っています。だけど新たに本を書くごとに、どんどん否定性のほうが強くなってきました。
 特に日本では#MeToo運動の大きなターゲットが「おじさん」だったと思うんです。「おじさん」が日本的なハラスメントや家父長制の象徴とされた。そのなかで、自分の男性性を否定する気持ちも高まっていった。しかし他方では、脱・男性特権と言うものの、脱してどこに着陸すればいいのかわからない。ネガティヴな後退戦が続いてきた、という印象があります。
それに対して、木津さんの『ニュー・ダッド』を読むと、「新しいおっさん」というポジティヴな「おっさん」像を積極的に楽しく打ち出していて、とても元気づけられましたね。

木津:ありがとうございます。

杉田:僕は典型的な異性愛者の古い感覚の持ち主で、何を書いてもそうした「男」の内側からの悪戦苦闘になってしまう。そこは年代差もあるし、シスヘテロである僕とゲイの当事者である木津さんの差異もあるかもしれない。僕がおじさんを肯定する、というのは欺瞞がいっぱい入ってくる。とはいえ否定ばかりでも人間は生きていけない。どうすれば欺瞞なく肯定的なおっさん像が得られるのか。木津さんの本にはそのヒントをもらいました。

木津:まさに男性の自己肯定やセルフラヴの難しさは僕の本の動機になっています。例えばゲイプライドという言葉があります。世の中ではクィアとかゲイというのは、「男らしさ」の規範から悪しきものだとされてきたからこそ、意趣返しとして「プライド」と言えるわけですよね。でも2010年代以降のフェミニズムあるいはジェンダー・イシューが盛んになっていくなかで、ヘテロ男性が自分のアイデンティティにプライドを持っていくのは非常に困難である。脱・男らしさみたいなことが言われていくなかで、いかにセルフラヴが難しいかということは僕も感じていたので、そういうのを、まじめには考えるんだけれども、あまり深刻になりすぎずに、「パーティー感覚」というかみんなで一緒に助け合おうぜみたいな軽いノリで書けないかなというのが自分のなかでは大きかったんです。
 ご本を読んでいると、自意識の問題を大切にされている印象があります。弱者男性論には経済の話が後ろにあることをもちろん杉田さんは落としてはないんだけれども、その話ばかりをしてしまうと、誰がいちばん悲惨なのかという被害者競争になりかねない。あるいはインターセクショナリティ(交差性)の議論は大切だけれども、そこではすくいきれない自意識の問題もある。そのなかで杉田さんが弱者男性とは言わないまでも、マジョリティ男性の当事者の自意識の問題を大切にされているのはどういったポイントなのかもお聞きしたいです。

杉田:自意識というか……どうしても性格的に、肯定と否定を繰り返しながら議論がぐるぐる循環しがちではありますね。木津さんの本を読んで、この自分にとって新しいおっさん像って何だろうかと考えてみたんですけど、これまでの僕は、肯定的な中高年男性像をあまりイメージできてこなかった。

木津:なるほど。

いま、イクメンとか、ケアリング・マスキュリニティのようなことが、リベラルエリートがさらに勝ち抜けるためのマウンティングの道具になっている、という状況もあるんですよね。(杉田)

ケアをする男性像を新しいものとしてもてはやしすぎると、それはそれで新たな勝ち組を生み出してしまう。でもケアをすることは日常的な苦労、ハードさの積み重ねのはずなので、具体的な話をすることで、現実と日常に根ざした男性のケアのモデルが見えてくるんじゃないか。(木津)

杉田:たとえば木津さんはブルース・スプリングスティーンについて書いています。パッションのある素晴らしい文章でした。僕は以前、『長渕剛論』という本を出しました。長渕はベタなマッチョで愛国者のイメージがあるし、そう言われても仕方ない面もある。しかし僕は、長渕のなかの、自分の弱さを引き受け、傷や弱さを晒しながら、それでも自分を前向きに肯定していこうというジグザグな姿勢が好きでした。そうした彼の男性性のあり方は重要なものに思えた。彼はスプリングスティーンほどリベラルではないし、危ういところはかなりあるけれど……。
 少し話はズレますが、僕にとっての男性論は、ウーマンリブや障害者解放運動から影響を受けています。社会の側の法律や制度を批判するだけではなく、内なる優生思想や内なる女らしさ幻想を解除しなきゃいけない。そういうジグザグがそれらのムーヴメントにはあった。外側の制度や法律を変えることと、内側の意識や欲望を変えること、それらの両輪が大事だという感覚が自分にはあって、肯定と否定がぐるぐるするのもそのためもあるかもしれない。自意識の空転とは違うつもりなんですが……。

木津:スプリングスティーンに触れてくださったのはおっしゃるとおりで、どこか葛藤があるほうが僕もリアリティを感じます。杉田さんも本のなかで問題にされてますけれども、最近第4波フェミニズム以降の流れとして、男性が積極的に男性性を降りるみたいな話になると、そこで新たなマウンティングが発生することもある。フェミニズムに目覚めた男たちという別の階層が現れてしまう。
 PC的・リベラル的なメンズリブに助けられる部分もゲイとしてはあって、建前的だとしてもゲイ差別はいけないと言ってくれるマジョリティがいるだけで非常に助かる。一方で、そこでかえって弱者男性のルサンチマンをこじらせるような要因が発生してしまうというパラドックスをどうしたらいいのか悩んでいます。そこから取りこぼれる人間の、あるいは男性の駄目さみたいなものをどうすくい上げて、それを断罪する形でなくどうほぐしていけるかを考えていたので。その辺りの杉田さんが見てこられたメンズリブの近年の流れのなかで特に問題意識があるのはどういったところなんでしょうか?

杉田:そうですね、たとえば男性集団におけるタテマエとホンネの問題などが気になります。公的な場では、タテマエとしてPC的な基準に合わせようとするんだけど、ホンネのところでは納得していないから、性的マイノリティや女性に対する反感が無意識に溜まっていく。やがて暴発して、男こそ傷ついているんだとか、女性やマイノリティには特権があるんだ、という話になってしまう。つまり、反PC的なホンネのルサンチマンによって結びつくホモソーシャルな共同体が形成されてしまう。
 もしかしたら日本では国学的なものの伝統と言うべきなのか、抽象的な外来語としての漢意(からごころ)を嫌って、正直な感情や感動を大事にしよう、みたいな文化がいまも強いのかもしれない。フェミニズムやPCなんて外来の思想は、人間の正直な感情に反するんだ、みたいな。
 でも、人間の「本心」とはおそらくタテマエでもホンネでもない。自分の本心って、自分でもはっきり言語化できなかったり、失語や沈黙を通してしか他者に伝えられなかったりする。カウンセリングや精神分析のような領域に近い。感情的な葛藤を抱えたり、うまく語れなくて失語したりしながら、それでも自分のなかの本心を他者と分かち合っていく──そういう意味での対話を重ねながら、自分のなかの傷や本心を分かち合えるような男性文化をうまく作ってこられなかったんじゃないか。それは「男同士で腹を割ってホンネで話そう」というような悪しきホモソーシャリティとは違うはずです。男性のルサンチマンによって結びつくのではないような、そういう「善きホモソーシャリティ」としての対話関係やケア関係がもっとあったらいいのに。

木津:いわゆるホモソーシャルな関係のなかで「本音」と思われてることは、じつはあんまり本音でもない気がします。例えばモテたいというのも、自分の欲望を真剣に見つめたときに、本当にモテたいのかどうかは人それぞれだと思うんですよ。女性と積極的なコミュニケーションをとってたくさんセックスをしたいというゴールがあるとすると、それは旧来的な「男らしさ」がモデルであって、それよりも例えばマスターベーションの時間を充実したものにするとか、自分へのケアの方向が人それぞれで本当は違うはずです。男性同士の間で本音と思われてる部分が違う可能性もあるんじゃないか。ご本を読んでいても想像するところがありました。

杉田:そういえば、何年か前の紅白歌合戦で、氷川きよしが『ドラゴンボール』の歌を歌った回が好きでした。LGBTフレンドリーな空気を取り入れているのに、「紅白」というバイナリーな枠組みはどうなんだろう、というのはもちろんありますが、氷川きよしが最初は白い服を着ていて、途中から真っ赤な服に着替える。で、そこからもう一段階進化する。てっきり虹色になるのかな──と思っていたら、なぜかゴールドに変身する。そこにグっときた。はっきりいってなぜ金色になって空を飛ぶのか、合理的な理由はわかんないんだけど、金色じゃなきゃダメだったんでしょう。それは本人に固有の特異的な欲望を示す何かであって、別に誰かに共感したり理解したりしてもらう必要もない。でも、本当の意味での多様性って、そういうわけのわからないものなのではないか。虹色モチーフを使えば自動的に多様性、ということではない、と感動しました。

木津:いまの話と繋がってきますが、僕は男性同士の友情、フレンドシップの話はどうなってるんだろうと思っています。例えばこの前ゲイの飲み会があって、50代後半のゲイの方が最近編み物にはまってるとか、同世代のゲイがいまさら『冬のソナタ』にハマったとか、いわゆる「男らしさ」から外れる「ゲイあるある」話ですごい盛り上がって。僕はそういうやり取りにすごくエンパワーメントされるんですよね。それぞれがそれぞれの人生を楽しんでいる感じがゲイにとっても、ひとくくりにできるものじゃないんだけれども、何か共通するものがあり、それでエンパワーメントされる。男性同士の友達の話のなかからそういったことはあまり聞かないなと思って。
 ご本のなかで『イニシェリン島の精霊』も引用されてましたけど、あれは男性同士のフレンドシップの不可能性みたいな映画に僕は見えたので、シリアスに考えたい。一対一の男性同士の関係じゃなくても、グループのなかでも旧来的なホモソーシャルより、もうちょっとマイルドな男同士の関係性を模索できないかなと考えているんです。

杉田:先ほど述べた善きホモソーシャリティというか、非暴力的なホモソーシャリティが大事だと思っています。SNSの議論だと、誰が正しいか間違っているか、敵か味方か、という政治的な集団の対立になりがちです。言葉もぎすぎすしていく。とはいえ、オンラインを遮断してオフラインの対面に還るべきだ、という単純な話でもなさそうです。オンラインとオフラインの中間あたりに、非暴力的で、セラピー的で、善良にホモソーシャルな空間がだんだん拡がっているような気がします。オンライン自助会とかオンライン読書会とかもそうかもしれない。

新しい自分になること、新しい価値観を持つことに対する恐怖をどう男性は乗り越えていけるのかを考えています。(木津)

ひとつの価値観を受け入れたから一瞬で万事OKになるわけではないし、逆にいままでの人生が全部駄目だった、ってことにもならない。自分のなかの古い感情や価値観にも大事なもの、よいものはたくさんあるはずなんですよ。(杉田)

木津:『ニュー・ダッド』のなかで、『クッキングパパ』の高齢男性が料理教室に行く回が好きという話を書いたんですが、男性たちがゆるく繋がれる場所がもっとあればいいですよね。僕ら世代の子育てをはじめた男性たちは暴力的な父親、強権的な父親という、古きおっさんになることを恐れている人が多い。そのなかで子育てをどのようにやっていけるかリアルに悩んでいて、そういった悩みがちゃんと最近は共有されはじめている。そこに前向きなものを感じているんです。

杉田:そうですね。僕も少し前から、MetaLifeというサービスの、自助会みたいな場に参加しているんですよ。ちょっとメンタルを病んでしまって……。ただ、そこはすごくケア的で穏やかな場なんですけど、MetaLifeのホームページを見ると本田圭佑がバーンと出てきて、ちょっと自己啓発的で新自由主義的な感じで(笑)。たしかにいま、イクメンとか、ケアリング・マスキュリニティのようなことが、リベラルエリートがさらに勝ち抜けるためのマウンティングの道具になっている、という状況もあるんですよね……。

木津:それはリアルな話ですよね。

杉田:もちろん使い方次第だとは思うんですけど。他者を配慮したり弱さをシェアできる男性が新しい時代の勝ち組なんだ!、みたいな話には回収されたくない。

木津:いまの話はグラデーションがあって、いわゆるケアをする男性像を新しいものとしてもてはやしすぎると、それはそれで新たな勝ち組を生み出してしまう。でもケアをすることは日常的な苦労、ハードさの積み重ねのはずなので、具体的な話をすることで、現実と日常に根ざした男性のケアのモデルが見えてくるんじゃないか。例えばエッセイ漫画でもお父さんが子育てしてる漫画が増えています。単純に俺は子育てしてるぜっていう感じでもなく、日常的にこれが困ったとか、それをママ友やパパ友に教えてもらって助かったみたいな話が増えてるのは、子育てしてない身としてもいい話だなと思うと同時に、男性たちもいろんなものから解放されてるんじゃないかと、思うところもあります。

杉田:そうですね。ケアをあまりに自己責任、家族責任にしすぎると燃えつきてしまうけど、パブリックすぎず、プライベート過ぎないような──具体的な家事とか育児とかケアってそういうものじゃないですか。その辺の面白さをシェアしながら入れる領域がもっとあったほうがいいですよね。

木津:そうですね。

杉田:男女の間でケア負担に圧倒的に非対称性があるわけだし、ヤングケアラーや老々介護などもあるのだから、一部のイクメンやケアリング・マスキュリニティを持てはやすのではなく、もっと日常化して、かつその面倒な部分も楽しい部分も、わいわい語ったり、わちゃわちゃ協同で実践していければいいなと。

木津:『ニュー・ダッド』の書き下ろしの部分で自分の彼氏のあまりにも子どもっぽい姿を入れたのも、理想論では語りきれない日常的な話を入れたかったんですよね。どうバランスをとっていくか、グラデーションを示していくか。これからの男性論でも重要になってくるだろうし、僕のようなゲイが話してもいいし、ヘテロから出てきてもいい。多様なものが生まれるといいですね。

杉田:あと、ドラえもんにもちょっと「ニュー・ダッド」的なイメージがあります。あの丸めの体形なんかも含めて。ドラえもんはのび太くんがあまりにも駄目だから、のび太の身の回りをケアするために未来から派遣されてきた。ケアラーの役割なんですよね。しかしドラえもんには、のび太を自分に依存させることで駄目にしていく、というマターナリズム(母性的支配)の危うさもある。先回り的にケアしすぎてしまう。
 しかし話が進むにつれて、逆にドラえもんのほうがのび太に依存しているようにも見える。あるいはドラえもんのある種の母性的な力によって共依存関係に陥っている。ふたりはそれを自覚して、だんだん適切な距離を取っていくんですよね。それでちゃんと対等な「友達」になっていく。支配関係や依存関係ではない関係を構築していく。そうした関係の作り方は、現代のおじさんたちにも大事なことに思えました。

木津:なるほど。ちなみに『ドラえもん』で僕が男性でいちばん好感を持ってるのは出木杉くんなんです。満点のザ・ちゃんとした男性(笑)。でも、出木杉になれなくてもいい、という話も『ドラえもん』には出てきます。「家庭科エプロン」のエピソードで、のび太が将来お嫁さんになるしずかちゃんに家事をやってもらうから自分はやらなくていいんだ、みたいなことを言います。それで出木杉の家に行ったら彼が料理を作っていて、しずかちゃんが──この言い方もちょっとどうかって問題はあるんですけど──出木杉さんのお嫁さんになる人は幸せねみたいなことを言ってのび太が大ショックを受ける。『ドラえもん』がいいのは、のび太がそこで出木杉くんを僻んで敵にするのではなく、自分もちょっとでも家事ができる男になろうとするんですよね。ドラえもんの道具を借りてですけど。そこにヒントがある気がします。
 のび太は弱者男性とまでは言わないけれどもある種の僻み根性を持ちやすい立場にある。その感情自体は受け入れて、でも客観的にいいところは取り入れていくという方向のエピソードになっている。僕はすごくそのエピソードが好きなんです。ここでの出木杉的な──いまで言うPC的リベラル的なものがあったとしても、そこに対してたんに僻むじゃなく、距離を置きながらもいいところは取り入れていくというフラットなのび太のあり方には感銘を受けるし、そういうあり方を何か世の中に提示できないかと個人的には考えています。

杉田:『ドラえもん』のコミックスを読んでいくと、最初はジャイ子と結婚することが不幸の象徴なんだ、みたいな女性蔑視とルッキズムからはじまりますが、作者である藤子F先生が時代の流れに学んで価値観が変わっていくんですよね。しずちゃんがじつは男の子に憧れていて自分の体を男性の身体と取り替える回とか、ジャイ子が少女マンガ家の夢を通してフェミニズム的な気高さを発揮していくとか。

木津:そうですよね。

杉田:ジャイ子には自己卑下がなく、ルッキズムの内面化がないのもいいですね。それからジャイ子には途中で男の子の友だちが出てくるんだけど、恋愛関係に入るのではなく、あくまでも同じ漫画家を目指す者同士のアソシエーションのような感じ。女の子は仕事じゃなくて恋愛するのが幸せでしょ、というほうへは行かない。男女の間でフラットな友情を結びながら、漫画家としてお互いに切磋琢磨していく関係でした。時代を先取りするようなところがありますね。『ドラえもん』の映画でもそろそろジャイ子が主人公の長編が観てみたい。

木津:僕もジャイ子の変化がいちばん好きかもしれないですね。藤子先生が漫画家という職業を与えたことも含めて、彼女に対しての優しさを感じます。時代の変化がちゃんと作用している。
 変化という話でいうと、例えばいまLGBT差別はいけないとか言ってる人でも、ほんの15年前ぐらいには差別的なことを言ってたじゃないかと指摘されることがあります。その気持ちもわかるんですけど、僕は時代とともに変わったことをポジティヴにとらえたい。もちろん全く反省しないで単純に乗り換えたのでは困るんですけど、昔は気づいてなかったことを自己反省して変わったのであればそれは歓迎したいんです。男性性の問題についても、価値観を変えることの怖さもある気がして、杉田さんが自意識の問題を重要視されているところも僕は共感します。そこで新しい自分になること、新しい価値観を持つことに対する恐怖をどう男性は乗り越えていけるのかを考えています。

杉田:簡単ではないですよね、もちろん。変わると言ったときに、男性って、全肯定か全否定かになりがちな気がしますね。しかしここでいう新しさというのは、あくまでもパーツであり、その組み合わせの在り方だと思うんです。部分否定しながら部分肯定していく。新しいパーツを取り込んで少しずつ体質改善していく。ひとつの価値観を受け入れたから一瞬で万事OKになるわけではないし、逆にいままでの人生が全部駄目だった、ってことにもならない。自分のなかの古い感情や価値観にも大事なもの、よいものはたくさんあるはずなんですよ。おじさん性を全否定して、それが反転して被害者意識になってしまったら元も子もありません。しなやかな可塑性が大事ですよね、たぶん。

木津:個別具体性が大事なのかなと思いました。『ニュー・ダッド』でも「おっさん」というひとまとめで、そこに差異がないかのように一般化される言葉を、いかに個別具体的に開いていくかという試みをしました。そうして個人の物語が出てきたときに、どこの部分を否定するのか、肯定するのかは人によってバラバラだし、でも重なってくるものもある。その両方の動きがちゃんと語れることが重要だなと思いましたね。

杉田:「おじさん」という大枠の言葉で括って、まずはきっちり批判すべき問題が間違いなくある。特に日本社会にはある。他方では、そうやって大きく括ることで、そこに括り切れない面も見えてくるはずです。僕なんかも全否定しがちなんですよね、おじさんは全員滅びたほうがいい、みたいな。

木津:ただ、本を拝読していて、全否定とはあまり感じませんでした。すごくシリアスな言葉で圧倒される部分はありましたけど。例えばジジェクを引用する形で「残余」という言葉が出てくるのは結構ドキッとする。それは全否定されるものからこぼれ落ちていくものをどう再定義していくか、あるいは再評価していくかということだと思いました。杉田さんのご本を読んでいると、そういった全否定からこぼれ落ちていくものを考え直すことの重要性を考えさせられるきっかけになりました。

杉田:今回の増補版の最後のほうで書いたのは、トランスパーソンの人びととの対話から得られたヒントのことでした。トランスジェンダーの人たちにとっては、そもそも、男性であることや男性性は否定されるべきものとは限らない。そうやって他者による肯定をひとつの媒介にしたとき、シスヘテロの男性が男性性を全否定してしまうことの危うさも再認識したんですよね。逆にいえば、肯定していい部分もあるはずだと。ポジティヴなおじさんのあり方を積極的に語る言葉が、シスヘテロの側からももう少しあっていいんじゃないか。
 木津さんの今回の本を読んでもそういうことを感じました。従来の男性学はどうしてもシスヘテロ男性中心です。異性愛男性中心の社会を批判するために一度通過しなきゃいけない面もあるんだけど、それによって見えなくなっている部分もたくさんある。マジョリティとマイノリティが領域横断的に議論や対話を重ねることによって、ニューダッドや新しい男のなかの肯定性を初めて語れるようになる面もあるのではないか。自己否定や撤退戦ばかりではなく、そういう肯定的な側面も今後はなるべく語っていきたいですね。

木津:僕もぜひそれはお聞きしたいなと思います。もっとシンプルなところで、男友だちのこういう発言に救われたとか、こういう行動に救われたとか、こういうケアがめっちゃ染みたから自分も他の人にしようと思ったとか、そういう男性同士の関係のなかから出てくるものが、今後日常的なところから出てくるといいですね。

杉田:そうですね。同性愛嫌悪やミソジニーを前提としない善きホモソーシャリティはたくさんあると思います。そういう可能性もいろいろとおしゃべりしたり語らったりしながら、もう少し身軽に楽しく実践していくのが大事な気がしますね。

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