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Bruce Springsteen

Rock

Bruce Springsteen

Letter To You

Columbia / ソニー

Amazon

木津毅   Nov 02,2020 UP

 僕はなぜ、いまもブルース・スプリングスティーンを聴いているのだろう。『ネブラスカ』や『ザ・リバー』を偉大な歴史として繰り返し聴くのではなく、新作が出るたびに訳詞を読んで、彼がいま、何を歌っているのか知りたいと思うのだろう。大御所のロッカーの目から見て、現代のアメリカがどんな風に見えているか気になるという社会学的な興味もあるにはある。だけどそれだけではなくて……彼の歌からしか見えてこない人生の風景があるのだと、いまもどこかで感じているからだと思う。
 ちょっとした青春映画ではあったけれど、『カセットテープ・ダイアリーズ』は僕にスプリングスティーンのどこに惹かれるのかを思い出させてくれる作品だった。同作はのちに『ガーディアン』紙などに寄稿するジャーナリストとなったサルフラズ・マンズールがスプリングスティーンにハマっていく模様を回顧するもので、舞台は1987年イギリスの田舎町である。つまりアメリカの外で、しかもスプリングスティーンのキャリア的なピークはすでに過ぎている時代だ。ではなぜ主人公のパキスタン移民の少年がわざわざ周りが聴いていないものを愛したのかというと、サッチャー政権下で父親が失職し、また自分や家族が人種差別を日常的に受けるなかで、それでも自分を社会に立ち向かわせる歌がスプリングスティーンだったという。彼が当時のイギリスで感じられなかったものを、マイノリティの少年はアメリカのブルーカラーの人生を語ったロックから見出したのだ。スプリングスティーンはたしかに、その瞬間ごとに、社会から見棄てられようとする者たちのドラマを歌ってきたのだと。強く豊かなアメリカへの憧れではなくて、それが取りこぼしてしまうものに想いを馳せること。僕たちはスプリングスティーンの歌から、敗者たちの生の尊厳を探そうとしていた。

 20枚めのこのスタジオ・アルバムは久しぶりにEストリート・バンドと集った作品で、昨年からリリースがアナウンスされていたものだ。つまり、ある意味では大統領選に照準を合わせたものではある。古くからのリスナーにはお馴染みの、スプリングスティーンらしいロックンソウルが詰まっている一枚だ。大統領選を前にして、いま一度自分のリスナーの気持ちを高める必要を感じていたのだろう。ただ、彼の歌がこれまでもそうだったように、このアルバムもリスナーを限定するものではない。
 たとえば前作『ウェスタン・スターズ』は、熱心なファン以外にも、民主党支持層の外にも向けて歌ったアルバムだと僕は思っている。誰にも顧みられずに細々と暮らす人びとの生き様を、20世紀なかばのポップ・ソングに託して語り直す作品だったからだ。いま、アメリカの内側で苦しい生活を強いられている庶民たちのために……というと、同じ層に向けて反エリートを掲げて焚きつけているのがトランプにほかならない、という見方もあるだろう。けれどもスプリングスティーンは、あらかじめ政治的立場に同調してくれる層以外にも自分の歌を届けようとする際どい挑戦をしているのだと思うし、そうしてきたから過去にもヴェトナム帰還兵の苦しみの歌だった “ボーン・イン・ザ・USA” が能天気な愛国ソングへと意図的に読み替えられ、レーガン政権に利用されるようなことが起こったとも言える。そしてスプリングスティーンは、そのとき「レーガンじゃないんだ」と言ったように、いまも広い意味での「人びと」に向けて「トランプじゃないんだ」と作品の内外で語り続けている。それに、かつてのような保守/リベラルの図式はすでになく、階級の下層にいることを強いられている者たちこそが社会の分断に利用されているような時代だ。
 だからこそ、歌のなかにはわかりやすい政治的なメッセージはもはや必要ない。トランプやその支持者たちを愚鈍な連中だとこきおろすのではなく、『レター・トゥ・ユー』は情熱的な音を昔馴染みの仲間たちとかき集めて、ただ、懸命に生きる者たちの姿を浮かび上がらせる。5日間のセッションで完成したというバンドの演奏は生命力に溢れていて、何よりスプリングスティーンそのひとの歌唱の枯れないエネルギーには素直に打たれるものがある。目立って新しいところはないが、本作は南部経由のスワンプ・ロック色が強く、彼らのロック・ソングの泥臭さを強調する。“バーニン・トレイン” で猛るギター、“ジェイニー・ニーズ・ア・シューター” で歌う鍵盤、“ハウス・オブ・ア・サウザンド・ギターズ” で跳ねるピアノ……どれもが力強く響いている。故クラレンス・クレモンズの甥ジェイク・クレモンズがとても良いサックスを吹いている。
 涙もろいハーモニカが鳴らされる “ソング・フォー・オーファンズ” でスプリングスティーンは、「時代は薄っぺらになり、中心軸は完全にずれてしまった」と呟いてみせる。というと現代に対するコメントのようだが、これは70年代に作られた未発表曲の新録だという。つまり時代に取り残される者たちの悲哀が、『レター・トゥ・ユー』には過去と現在を混ぜるものとして封じこめられている。何かと世代間の対立が喧伝される昨今だが、この歌はそうした境界を溶かし、世代を超えて何かを分かち合うことの困難と尊さを伝えようとする(「息子たちは父親を探すが/父親たちはみないなくなった」)。本作でもっともスプリングスティーンのパブリック・イメージに近いロック・チューンのひとつ “ゴースト” は、この世からもう去ってしまった兄弟姉妹に捧げられた歌だ。

 僕たちはスプリングスティーンを、アメリカ社会や大統領選の趨勢を映す鏡としてのみ聴いているわけではない。アメリカン・ドリームの敗残者たちが光の当たらない場所で、しかしたしかに生きていることを、いま、目の前にあるものとして感じたいからだ。アメリカだけじゃない。いまの日本だってますます残酷な場所になろうとしている。ジョン・レノンがかつて言ったような、「同じ夢」を見るのが難しい場所へと。アルバムの終曲 “アイル・シー・ユー・イン・マイ・ドリームズ” における「夢で会おう」という約束は、あまりに複雑な意味を孕んでしまっている。だから……そう、『明日なき暴走』や『闇に吠える街』ではなく、『レター・トゥ・ユー』こそが、たったいま聴くべきスプリングスティーンのアルバムだ。
 じつは本作のベスト・ソングはオープニングのフォーク・バラッド “ワン・ミニッツ・ユア・ヒア” で、スプリングスティーンはそこでとても優しく、こんな風に歌っている。「知っていると思っていた──自分が誰か、何をしようとしているか/でも間違っていた/いまここにいると思ったら、次の瞬間もういない」。時代はどんどん変わっていく。みんなこの世から消えていく。そしてスプリングティーンは、それでも変わらない想いはあるのか、いま、俺たちはどう生きたいんだろうかと、僕たちに向けて歌っている。

木津毅