「ADS」と一致するもの

interview with Mark Pritchard - ele-king

 リロードに “Peschi” という曲がある。カール・クレイグの影響下で生まれたとおぼしきそれは、直接90年代の音楽ムーヴメントを体験できなかった者にとって、遅れて生まれてしまったことの無念を永久に増幅させつづける、アンビエント風テクノの名曲のひとつだ。ゆえに後世のためにも、同曲が収められたリロード唯一のアルバム『A Collection of Short Stories』(1993)はぜひリイシューされてほしいところだけれど、マーク・プリチャード(とトム・ミドルトン)による豊かな創造性はその後、アンビエントとしてはグローバル・コミュニケイション『76:14』(1994)へと結実し、エレクトロとしてはジェダイ・ナイツの冒険をうながしてもいる。
 なんとか間に合った00年代以降の作品で個人的に気に入っているのは、うなる重低音とヒップホップ・ビートのなか絶妙に抑制された感傷がしぼり出される、ハーモニック313名義の『When Machines Exceed Human Intelligence』(2008)だ。もちろん、フューチャー・ジャズの動きに呼応したトラブルマン(2004)だったり、スティーヴ・スペイセックと組んでグライムやらフットワークやらを消化したアフリカ・ハイテック(2011)、あるいは再度フットワークやジャングルなどに挑んだ2013年の本名名義のシングル・シリーズなどなど、見すごすことのできない仕事はほかにもたくさんあるわけだけれど(ワイリーのプロデュースも忘るるなかれ)、そうしたディスコグラフィからはつねに時代の尖端に敏感なプロデューサーの姿が浮かび上がってくる。大局的に整理するなら、00年代後半から10年代前半にかけての彼はベース・ミュージックのよき理解者として位置づけられよう。
 そんなイメージを大胆に覆したのが前作、すなわち本名名義では初のアルバムとなった『Under the Sun』(2016)だ。極力ビートを排し、フォーキーなムードまで導入した美しくも不穏な同作は彼のキャリアにおけるひとつの転機といえるが、そこに招かれていたゲストのひとりこそトム・ヨークだった。かたやアンダーグラウンドのヴェテラン・エレクトロニック・プロデューサー、かたやアリーナ・ロック・バンドのフロントマン──。大きく立場の異なる両者による全面的なコラボレイションが、今回のアルバム『Tall Tales(ほら話)』である。

 エレクトロを崩したビートが耳をとらえて離さない “A Fake in a Faker’s World” にはじまる新作は、すでに2010年代につくられていたプリチャードによるいくつかのトラックをとっかかりに、ロックダウンのさなか何度もオンライン上でキャッチボールを重ねることで進められていったという。ベースの旋律と天へと召されそうな上モノとの対比が聴きどころの “Bugging Out Again” や、同様にベースラインが耳に残る “Back in the Game” などにはプリチャードの低音へのこだわりがよくあらわれている。チープな電子音やドラムマシンの素朴な反復が楽しめる “Gangsters” から “This Conversation is Missing Your Voice” へといたる流れも見過ごせない。アルバムはヴァラエティに富む一方で、幽玄なシンセ・ワークとヨークの声の存在感、そしてジョナサン・ザワダによる独特のヴィジュアルのおかげで不思議な統一感をまとってもいる。オルガンらしき音が聖性を演出する “The Men Who Dance in Stag’s Heads” ではだいぶ低いヴォーカルが披露されていて、ヨークのファンにとってもまた聴き逃すことのできない1枚といえるだろう。
 とまあそんな具合に、これまで発表してきたどのアルバムとも似ていない作品を完成させたマーク・プリチャード。彼にとって今回のプロジェクトはどのようなものだったのだろうか。

ぼくの普段の生活がロックダウンと似ていて、ここ12年はいつも地下室に閉じこもって自分の世界にいるからさ。だから引きこもるのに慣れていたという意味ではラッキーだった。

現在もお住まいはシドニーですか? 移住して何年目でしょう? もうシドニーが故郷のように感じられるくらいには時が経っていますか?

マーク・プリチャード(Mark Pritchard、以下MP):そうだね、こっちに来てもう20年になるよ。

今回のコラボ・アルバムは、あなたがトム・ヨークから乞われて、デモ・トラックを送ったところからスタートしたそうですね。つまり、もとのデモがつくられた時期は曲によってばらばらということでしょうか?

MP:大まかにここ10年くらいのいろんな時期につくったものだよ。いまtrack by trackをやっていてつくった時期を確認したんだけど、大多数が2016年から18年くらい、あとは19年のものもあって、2012年のものあるという感じだった。

いちばん古いものはいつごろのものでしたか?

MP:“Wandering Genie” と “A Fake in a Faker’s World” がたぶん2012年とか……どうだろう、2014年くらいだったかもしれないけど、とにかく、確認したときにこんなに前だったんだなって思ったよ。

あなたはこれまで幾人ものヴォーカリストやラッパーとコラボレイトしてきました。個人的にはスティーヴ・スペイセックとやったハーモニック313名義の曲 “Falling Away” がお気に入りです。トム・ヨークとは以前もいっしょに “Beautiful People” をつくっていますが、彼はこれまであなたがコラボしてきたほかの歌手やラッパーと、どう異なっていますか?

MP:全員ちがうからなあ。仕事の進め方にしても、雰囲気にしても、感じ方にしてもそれぞれ異なっていて、たとえばスティーヴ・スペイセックの場合、ちなみに彼はぼくと同じ年にオーストラリアに移ってきたんだよ。まったくの偶然だったんだけど。新たな場所で音楽の知り合いがいるっていうのは心強かったね。とにかく多くのすばらしいヴォーカリストと仕事をさせてもらっているっていうのはほんとうにラッキーだと思う。スティーヴのやり方は結構トムと似ているかもしれない。アプローチは違ったけど……スティーヴはスタジオでその場で歌詞を書いて歌ったんだ。一方今回のプロジェクトでのトムは、ぼくがトラックを送って彼がヴォーカルをやって送り返してきて、まあだから同じ場所にいるかいないかっていうちがいだけど。同じ部屋でやることの利点もあるし、でも自分の世界に入って求めるものをじっくり見つけたいひともいるから。ふたりの共通点はファルセットのシンガーである点。あとはふたりともすごく才能豊かで一緒に仕事がやりやすいところ。
 トムの場合は、まずいったん彼がつくってこちらに送ってきて、それから話し合う必要がある場合はZoomで話す感じだったね。当時はロックダウンの最中でしかもべつべつの国にいたから。なにかがうまくいっていないとか、なにが必要なのかとか。まあもしパンデミックがなかったら一緒にスタジオに入っていたかもしれないけど、でもトムは当時も複数のプロジェクトを抱えていたし、それにひとりで集中する時間も必要だからね。ひとによっては、気分がのらないとできないとか、心の準備が必要だとか。まあ千差万別だよ。邪魔されたり話しかけられたりせずに集中してやるほうがいいっていう場合もある。ある特定の状態に入って、ひとと話したり分析したりせず、まずはいったん形にするとかね。トムは間違いなくそのタイプだと思う。というかほとんどのひとがそうなんじゃないかな。ぼく自身もそうだし。一度つくって、そのあとで判断、精査するっていう。ちょっと寝かせたほうがよかったりもするしね。翌日になってあらためて聴いたほうがどれがうまくいってなくてどれがうまくいってるかより明らかになるから。トムは間違いなくそういうやり方を好むと思う。前に彼が言っていたけど、噴出するみたいに出てくるんだっていう、それがたくさん出てきて、そのあとに構成や秩序立てをするんだと。なかにはそのふたつの状態を素早く切り替えられるひともいる。ぼくもそういう創作モードから構成モードにすぐ切り替えられるひとに会ったことがあるけど、それが難しいってひともいるよね。

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トム・ヨークはメロディやリリックを書いて歌うだけでなく、サウンドを足してきたりもしたそうですね。そのプロセスのなかで、予想外で驚いたことやおもしろかったことがあれば教えてください。

MP:“Happy Days” という曲で、彼がピッチを変えて語るようなヴォーカルをやっているんだけど、それが60年代くらいのBBCの女性アナウンサーを思わせる感じで、おそらくペダルかなにかを使ってピッチとフォルマントを変えているんだけど、ほかの箇所ではリズミカルに語っていたり、あれはすごいなと思った。ああいうことをするためには、そのキャラクターにしっかり入り込んで、さらにはもしかしたらぜんぜんダメかもしれないというのを覚悟しなきゃいけないと思うから。ゴミになるかもしれないことを厭わずやるっていう、それってある程度自信がないとできないと思うんだ。
 あとは “The Men Who Dance in Stag’s Heads” と “The White Cliffs” の半分くらいは低い声で歌っていて、それも予想外だった。彼はそういう感じの歌い方をあまりやっていなかったと思うから……もちろんこれまでいろんな音域で歌ってきたけどね。個人的に好きな歌い方だったから嬉しかったんだ。じっさい「こういう歌い方ってそんなにやってないよね」って本人にも伝えたら彼も「いや、前からもっとやりたいと思っていたけど100パーセントの自信がなくて、でも技を見つけたんだ」と言っていて。それがすごくシンプルなトリックで、昔のレコーディングでよく使われたテープのスピードを変えるってやつだったんだけど、ヴォーカルにもほかの楽器でも使われていたもので。それでピッチが上がったり下がったりするっていう。ほんの半音変えることもあれば、もっと大きく変えることもできる。昔のテクニックだけどデジタルでも同じことができるんだよ。いまのツールにはそういう機能も備わっているんだ。

これは『Under the Sun』のあとにつづく作品という位置づけで、ただし今回は全曲ヴォーカルありでひとりのシンガーと組んで、スタイルや楽曲自体は多様だけどひとつの作品としての一体感を出そうとして。

今回、モジュラー・シンセやヴィンテージなアナログ・シンセサイザーが多く使われているそうですね。そうなったのはなぜですか?

MP:トムは最近のモジュラーを使っていて、Eurorackとかそんな感じのやつをかなり揃えていると思うけど、とにかく自分の声やメロディや歌詞に合う音質を追い求めて、おそらく彼は直感的にやっていたと思うし、ときにはエフェクトなしの自然な歌声のほうがいい場合はそのまま歌っていて。そうやっていつもとはちがう声の使い方をするっていうのは楽しむ方法のひとつでもあると思う。当時はザ・スマイルの初のアルバムをつくり終えたばかりで、そっちでヴォーカルをひとしきりやったあとに、また新たに12曲やらなきゃいけなかったわけだから。つまりは、曲に合う音質を探すのと、これまでにない声の使い方をするっていう、そういうチャレンジだったんじゃないかな。あれだけ長く歌ってきて、多くの作品をつくってきて、いかにおもしろがりつづけられるかっていう。それはぼくのシンセサイザーでもおなじことで、自分のものを使ったり、自分が持ってない古いシンセがたくさんあるスタジオに行ってレコーディングしたり、それはやっぱり、これまでとはちがうものをつくろうっていうことで。すごく多機能なやつも持っているけど、たまにはちがうことをやったほうがいい。習慣や手癖でつくるのをやめるっていうね。

パンデミック中に制作がはじまったこのアルバムには、あの時期の閉塞感や不安などがサウンドにあらわれていると思いますか?

MP:自分について言うと、パンデミック前に音楽はぜんぶ書いてあったからあまり影響はなかったと思う。それにぼくの普段の生活がロックダウンと似ていて、ここ12年はいつも地下室に閉じこもって自分の世界にいるからさ。だから引きこもるのに慣れていたという意味ではラッキーだった。家に閉じこもって外出できないのがすごくつらいっていうひともたくさん知っていたからさ。もちろん先行きがわからない不安やウイルスの怖さは感じていたけど、そういう部分でのつらさは比較的なかったんだよ。むしろあの時期にこういう大きめのプロジェクトがあってすごくよかったなと。これがなかったとしても音楽をつくっていただろうけど、あの時期にこのプロジェクトがあったことで目的と焦点が与えられたから。
 歌詞については、トムなら時代に反応するだろうという推測もできるけど、でもいくつかは、それ以前に書かれていてもおかしくないようなものだよね。おそらく彼はつねにアイディアを書き溜めているから、そこから引っ張ってきたのかもしれないし、いずれにしろロックダウンのことだけではないと思うよ。この曲はこういうことだろうなっていうぼくなりの解釈はあって、まあそれが正しいかどうかはわからないけどね。

ヴィジュアル・アーティストのジョナサン・ザワダとあなたはこれまでもコラボレイトを重ねてきました。現在公開されている曲のMVやアートワークは奇妙で不思議な感覚をもたらしますが、この「TALL TALES」のコンセプトはどういう経緯で生まれてきたのでしょうか?

MP:ほんとうに才能があるひとには完全な裁量権をもたせることが最善策だとわかっていたから、そうしたまでなんだ。この業界でよくあるのが「あなたの作品が大好きです。どうぞ好きなようにやってください」って言われて、じっさいやりたいようにやると「前の作品みたいな感じがよかった……」となるやつ。残念ながらよくある話なんだ。でもぼくは実際に好きなようにやってもらってそれをひたすら支持した。最初からそうだったし、『Under the Sun』でもそうで、でもそれはべつに難しいことじゃなかった。彼が送ってくるものはいつも「おお、すばらしい」っていうものだったから。
 それにひとつ学んだことがあって、彼が送ってくる映像で、すごく好きなものと、ピンとこないものがあっても、かならずしもそれを伝える必要はなくて、なぜなら彼のほうがぼくよりもよくわかっているから。じっさい、好きだけどピンと来てなかったやつが、最終的にはほかのよりも好きになっていることがよくあるんだよ。だから最初の印象でそれほど好きじゃなくても伝えなくていい。ほんとうは変える必要がないのに、変えたほうがいいかもしれないと思わせてしまったり、彼の邪魔をしてしまうかもしれないからね。とにかく時を経て互いを信頼するようになったということだと思う。フィードバックを求められれば感想を言うし、まあたいていの場合「最高、すごく好き、それやって」と言うだけだけどね。

「あのアルバムが最高だったから、またああいうのをやってよ」みたいな。「いや、またつくる必要はないだろ」と思う自分もいて。でもだからと言ってもうつくらないとは限らないというか。

あなたが音楽をはじめてから35年くらいは経っているかと思いますが、過去がなつかしくなったり、おなじことをやってみたくなったりしたことは、ぶっちゃけたところ、ありますか?

MP:いや、ないなあ。というかひとそれぞれ「この時代のこれが好き」っていうのがあって、それをもっとやってほしいっていうのは言われるけどね。「あのアルバムが最高だったから、またああいうのをやってよ」みたいな。それにたいしては「いや、もうあのアルバムつくったから、またつくる必要はないだろ」と思う自分もいて。ほかにもやりたいことはたくさんあるしさ。でもだからと言ってもうつくらないとは限らないというか。ただしやる場合は、超力作か、前とは少しちがうアプローチで挑むかのどちらかだと思う。たとえばアンビエント・ミュージックもこれまでさんざんつくってきたから、新たな方法を見つけなくちゃいけない。ふだんからかなりつくっているし、アンビエント曲は意図せず生まれてきたりもするけどね。でも少なくともおなじではないものにしたいし、すでにつくったアルバムをふたたびつくりたいとは思わない。あるいは、つくったことがあるからと言って二度とつくりたくないとはならないけど、しばらくはつくりたくないとは思うよね。とはいえ意図せずできてしまうこともあるわけで……クラブ・トラックをつくろうとしたらアンビエントができちゃったとか、その逆もあるだろうしさ。

これまであなたはかなり多くの名義やグループで活動してきました。音楽スタイルの幅もアンビエントからフットワーク、ジャングルまでじつに多様です。今回の共作は、シャフトやリロード、グローバル・コミュニケイションやリンクなどを含めたあなたのキャリア全体のなかで、どういう位置づけの作品になると思いますか?

MP:まあダンス・ミュージックの要素はないよね。今作は『Under the Sun』よりもドラムの分量が増えて、ぼくにとってはある意味ニューウェイヴ的というか。じつは何曲かで生のドラムを使うことも検討して、でも必要性が感じられなくてやめたけどね。そうだな、これは『Under the Sun』のあとにつづく作品という位置づけで、ただし今回は全曲ヴォーカルありでひとりのシンガーと組んで、スタイルや楽曲自体は多様だけどひとつの作品としての一体感を出そうとして、そこはシンガーがひとりだったから割と出しやすかったと思う。それからジョナサンの映像が作品の別ヴァージョンとしてあって、そこでも全体の印象を与えていて。それから今作は、つくった曲をいじるよりも曲をつくることに比重があった気がするね。これまでもほかのひとの全曲ヴォーカル曲のアルバムはプロデュースしたことがあったけど、自分自身の作品ではやったことがなかったから、いい挑戦だったんじゃないかな。『Under the Sun』とおなじような時期に書いた曲がいくつかあるから、おなじものではないけど、そこからの変化というか。今作のスタイルをうまく言語化する方法が見つからないんだよね。まあクラブ・ミュージックと非クラブ・ミュージックに分けるなら非クラブ・ミュージック(笑)。ひどい説明だけど、それ以上にいい説明が思いつかないんだよ。そして最近はまたクラブ系のものをつくっているんだ。

[おまけ]シドニーのエレクトロニック・ミュージックのシーンのアーティストたちとも交流はあるのでしょうか? チェックしておくべきひとがいたら教えてください。

MP:[インタヴュー後に以下のリストを送ってくれた]
・Straight Arrows(最近オーウェンと彼のスタジオで新しい音楽をつくってる)
・Peter Lenaerts
・Kirkis
・Jack Ladder
Hiatus Kaiyote
・Axi
・Tim Gruchy

MARK PRITCHARD & THOM YORKE
"TALL TALES"

トム・ヨークとマーク・プリチャードによる
コラボレーション・アルバム『TALL TALES』を
ジョナサン・ザワダが手がけた映像とともに
高音質で楽しめる特別上映イベント

5月8日:プレミア上映
5月9日~15日:ロードショー上映

東京 ヒューマントラストシネマ渋谷
大阪 テアトル梅田

会場ではアルバムの先行発売および
スペシャル・グッズの販売も決定!

アルバムは5月9日発売

レディオヘッド、ザ・スマイルのフロントマンであるトム・ヨークと、エレクトロニック・ミュージック界の先駆的プロデューサー、マーク・プリチャードが初のコラボレーション・アルバム『Tall Tales』(5月9日発売) をリリースするのにともない、5月8日より世界各地の映画館で特別上映イベントを開催する。トム・ヨークとマーク・プリチャードによるアルバムと、ジョナサン・ザワダの映像作品を映画館で高音質で体験できる特別な機会となる。
日本では、5月8日にアルバムのリリースに先駆けてプレミア上映を行い、5月9日から5月15日まで連日ロードショー上映が予定されている。
会場となる映画館は、東京がヒューマントラストシネマ渋谷、大阪がテアトル梅田となり、いずれも映画の魅力を最大限引き出すため専用に開発されたカスタムメイドのスピーカーシステムを導入したodessaシアターでの上映となる。
上映会場では、アルバム『Tall Tales』のCDやLPを日本最速で購入できるのに加え、今作のオリジナルデザインのTシャツ、スウェット、トランプ、ポスターがそれぞれ数量限定で販売される。

【Tシャツ / スウェット / トランプ】

Tall Tales Parade Logo T-shirt - Grey Heather (税込¥6,380)

Tall Tales Octopus Logo Sweatshirt - Navy (税込¥11,000)

Tall Tales Playing Cards (税込¥2,860)

Tall Tales Poster (Bird/Lighthouse/Skeleton) (各税込¥2,750)

作品名: TALL TALES
監督:ジョナサン・ザワダ 音楽:トム・ヨーク/マーク・プリチャード
2025年/アメリカ/64分/DCP/字幕なし

日時: プレミア上映:5月8日 (木) / ロードショー上映:5月9日(金)~5月15日(木)

入場料: 2000円均一
※各種割引・招待券・無料券使用不可
※チケット販売のスケジュール等は決まり次第、劇場HPにてお知らせいたします。

場所:
東京 - ヒューマントラストシネマ渋谷・odessaシアター1
〒150-0002東京都渋谷区渋谷1-23-16 cocotiビル8F

大阪 - テアトル梅田・odessaシネマ1
〒531-6003 大阪府大阪市北区大淀中1-1-88 梅田スカイビルタワーイースト3F

上映イベント詳細: https://www.beatink.com/tall-tales/
問い合わせ先:BEATINK [info@beatink.com]

本作のヴィジュアル面を担当したジョナサン・ザワダは、二人にとって、3人目のメンバーとも言える存在だ。アナログとデジタル技術を融合させた独特のアートワークは、コーチェラ・フェスティバルやデュア・リパ、アヴァランチーズ、ロイクソップ、フルームらとのコラボレーションでも知られている。ザワダは本作の監督、アニメーション、編集を手掛け、圧倒的でハイパーリアルなヴィジュアル体験を生み出した。

この革新的な映像作品は、音楽の進化と並行して数年間かけて制作され、美しい自然とディストピア的な世界観の対比が際立つ作品となった。トム・ヨークの歌詞、マーク・プリチャードの先進的プロダクション、そしてザワダの映像美を通じて、『Tall Tales』は人類の尽きることのない「進歩」への渇望が、いったいどこへ辿り着くのかを問いかける。長い年月をかけて生み出されたこの作品は、まさに今、この時代にこそふさわしい預言的な映画体験となっている。

『Tall Tales』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=8mFe9znS9hI

上映会に来場した方にはジョナサン・ザワダが制作・デザインを手掛けた限定ZINEが配布される。このZINEでは、映画とアルバムに込められたコンセプトやインスピレーションを独自の視点で掘り下げている。今回のイベント発表に合わせて、そのZINEの一部が公開され、『考える人』の彫刻盗難事件 について考察した記事を読むことができる。
※入場者特典のZIENは数量限定、配布方法は決定次第劇場HPでお知らせいたします。

入場者特典:ZINE

近年はソロ作品やザ・スマイルの活動で注目され、昨年は全8公演SOLD OUTとなったジャパンツアーを含むソロ・ツアーも話題を集めたレディオヘッドのトム・ヨーク。重層的な構造でリッチなテクスチャーを持つ本作『Tall Tales』は、トム・ヨークにとって〈Warp〉からの初リリース作品となる。

マーク・プリチャードは、言わずと知れたエレクトロニックミュージックの重鎮であり、リロード (Reload) やリンク (Link)、そしてアンビエントテクノの傑作『76:14』を生んだトム・ミドルトンとのユニット、グローバル・コミュニケーションなどのプロジェクトで知られる。2011年にレディオヘッドの楽曲「Bloom」の2つのリミックスを発表した他、エイフェックス・ツインやデペッシュ・モード、PJ ハーヴェイ、スロウダイヴなどのリミックスも手掛け、多彩なスタイルと多様な名義で活動を展開してきた。

本作では、マーク・プリチャードがシンセサイザーのアーカイブから発掘した古い機材を駆使し、予測不能かつ実験的な音楽を完成させ、トム・ヨークはダークで内省的なストーリーテリングを織り交ぜながら、幽玄かつ壮大なボーカルパフォーマンスを披露している。

トム・ヨークとマーク・プリチャードによる初のコラボレーション・アルバム『Tall Tales』は、5月9日 (金) 世界同時リリース。国内盤CDは、日本限定の特殊パッケージ・高音質UHQCD仕様となり、ボーナストラックが追加収録され、解説書と歌詞対訳が封入される。その他、通常盤LP(ブラック・ヴァイナル)、スペシャル・エディションLP (ブラック・ヴァイナル/36Pブックレット付き/ハードカーバー仕様) 、スペシャル・エディションCD、デジタル/ストリーミングでリリースされる。スペシャル・エディションLPは、数量限定の日本語帯付き仕様 (歌詞対訳・解説書付)でも発売される。さらに、国内盤CDと日本語帯付き仕様盤スペシャル・エディションLPは、Tシャツ付きセットも発売決定。
国内盤CDと国内盤CD+Tシャツを対象にタワーレコードではコースター(デラックス・ジャケットVer)、Amazonではマグネット(デラックス・ジャケットVer)、それ以外のレコードショップではコースター(スタンダード・ジャケットVer)、ディスクユニオンでは全フォーマットを対象にマグネット(スタンダード・ジャケットVer)が先着特典となる。

Amazon 特典:
マグネット(絵柄:デラックス・ジャケットVer)

ディスクユニオン特典:マグネット(絵柄:スタンダード・ジャケットVer)

タワーレコード特典:
コースター(絵柄:デラックス・ジャケットVer)

その他法人特典:
コースター(絵柄:スタンダード・ジャケットVer)

label : Warp Records
artist : Mark Pritchard & Thom Yorke
Title:Tall Tales
release:2025.05.09
商品ページ: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14797
配信リンク: http://warp.net/talltales
Tracklist:
01. A Fake in a Faker’s World
02. Ice Shelf
03. Bugging Out Again
04. Back in the Game
05. The White Cliffs
06. The Spirit
07. Gangsters
08. This Conversation is Missing Your Voice
09. Tall Tales
10. Happy Days
11. The Men Who Dance in Stag’s Heads
12. Wandering Genie
13. Ice shelf (Original Instrumental) *Bonus track

CD+Tシャツセット

LP+Tシャツセット

国内盤CD

輸入盤CD

限定盤LP

LP

SEEDA - ele-king

 去る3月に約13年ぶりとなるアルバムを発表し話題となったSEEDA。そのCDとTシャツのセットが販売されることになった。完全受注生産で、〆切は4月30日。欲しい方は急ぎましょう。

SEEDAの話題のニューアルバム『親子星』が完全受注生産のCD+Tシャツのセットで販売決定!Tシャツは原宿Awesome Boyとのコラボレーションになり、本日より予約受付開始!

 約13年ぶりにリリースされたSEEDAの話題沸騰中なニューアルバム『親子星』、待望となるCDのリリースが決定!今回は原宿Awesome BoyとのコラボレーションによるTシャツとのセットでの販売となり、Tシャツは『親子星』ジャケットTシャツ(ホワイト)とSEEDAフェイスTシャツ(ブラック)の2タイプで完全受注生産となります。
Tシャツのボディはオーガニックコットン製/8.2オンスの通常のTシャツよりも厚手の生地を使用しており、CDはデジパック仕様で歌詞カードを封入。の特製ジップロックにTシャツとCDを封入したスペシャルな仕様でお届けいたします。またCD単体、Tシャツ単体での販売予定はございませんのでご注意ください。
 本日より予約受付を開始しており、締切は4月30日(水)正午となります。

*SEEDA 『親子星 (CD+Tシャツ)』ご予約ページ
https://anywherestore.p-vine.jp/products/seeda_oyakoboshi

<商品情報>
アーティスト:SEEDA
タイトル:親子星 (CD+Tシャツ)
カラー:ジャケットTシャツ(ホワイト) / フェイスTシャツ(ブラック)
サイズ: M / L / XL / XXL
販売価格: 9,800円(税抜)
受注締切:2025年4月30日(水)正午
発送予定:2025年5月下旬頃予定

※オーダー後のキャンセル・変更は不可となります。
※商品発送は5月下旬頃を予定しております。
※配送の日付指定・時間指定は出来ません。
※ボディはオーガニックコットン製/8.2オンスの厚手の生地を使用しております。

*SEEDA : 親子星 (Music video)
https://www.youtube.com/watch?v=uLpaiRGld3Q

<トラックリスト>
01. G.O.A.T.(prod by D3adStock)
02. Slick Back ft. Tiji Jojo, Myghty Tommy & LEX(prod by D3adStock)
03. OUTSIDE ft. IO & D.O(prod by ZOT on the WAVE & Homunculu$)
04. Kawasaki Blue(prod by ghostpops & D3adStock)
05. The tunnel to tomorrow skit(prod by Bohemia Lynch)
06. L.P.D.N. ft. VERBAL(prod by HOLLY)
07. 4AM ft. D3adStock(prod by Chaki Zulu)
08. ニキskit
09. みたび不定職者 ft. Jinmenusagi & ID(prod by BACHLOGIC)
10. Summer in London ft. Amiide(prod by D3adStock)
11. Daydreaming pt.2(prod by KM)
12. 親子星(prod by ZOT on the WAVE, NOVA & Homunculu$)
13. SUKIYAKI ft. Kamiyada+ & Braxton Knight(prod by Ryuuki)

Actress - ele-king

 アクトレスは2022年以降、キャリア15年目のアーティストとしては意外なほどリリースのペースを加速させている。世のなかの移ろいゆく情勢や経済状況に追いつけず、レーダーから姿を消してしまうアーティストは珍しくない。パンデミックが多くのアーティストが自身のキャリアにおける2〜3年の空白期間を省略するきっかけとなったのだろうか?  あるいは、それはInstagram的で過剰な情報社会への反応なのだろうか? アーティストは、もちろんアーティストとしてあるべきであり、彼らがどのようなキャリアパスや表現のフィールドを選ぶにしても、私たちはその作品をまずは恐れや偏見なく受け止めるべきなのだ。
 インスピレーションや創造性には、経済状況における「量と質の呪い」が関わっている。果たして、「少ないこと」は本当に「より多く」や「より良いマーケティング」に繋がるのか?  頻繁なリリースは編集的フィルターの欠如の表れなのだろうか? もし4年待って34曲入りのアルバムが出たとして、果たして誰かが全曲をちゃんと聴くだろうか? そんな問いの数々に明確な答えはない。
 そうした葛藤の最中に、アクトレスはわずか1ヶ月のあいだに2つの作品をリリースした。「量と質」を比較検証してみよう。

 まずはその1枚、『Grey Interiors』(Smalltown Supersound)。これはActual Objectsとのコラボで「ベルリナーフェストシュピーレのインスタレーション作品として制作された」1トラック構成のアンビエント作品だ。
 2枚目は、『Tranzkript 1』(Modern Obscure Music)という4曲入りのEP。

 アクトレスのアンビエント色が増す最近の作品群は、若かりし頃の彼がレコードでやることを恐れていた領域——すなわち、自らの多様な感情に深く潜り込み、定型的な繰り返しから解放され、トラックに人間味ある呼吸を与える——へと踏み出している。彼のライヴを観たことがある幸運な人ならわかると思うが、最近の彼のアンビエントに対するスタンスは、彼のライヴ・セットに近く、従来の6分以内の楽曲が多いアルバム群はどちらかといえば風景スケッチ的だった。それゆえ、ライヴを体験したことのないファンには、これらの長尺トラックが単なる高慢な実験のように見えるかもしれない。

 『Grey Interiors』は、彼のディスコグラフィーのなかでももっとも尖った作品とは言えないが、2024年の『Дарен Дж. Каннінгем』に続き、確実により冒険的な作品のひとつである。他のアンビエント系アーティストの作品に似た響きを持っているかもしれない。しかし、成長とは、開花して初めて明らかになるものだ。その途中の過程は評価されず、結果だけが見られる——それは実に残念なことだ。
 20分間にわたって『Grey Interiors』は、柔らかく曖昧なシンセの層に支えられながら、浮遊する雲の上へと上昇していく。そこにはアクトレスらしいインダストリアルな美学を象徴する、機械的で独特な緊張感が常に流れている。繰り返される機械音が互いに語り合い、やがて全体の会話そのものへと変化していくなか、突然クラブ・ビートが介入し、ブレイクビーツのような親しみのある感触を呼び起こす。そうしてアンビエントからは脱し、緊張感もやわらぎ、まるでバレエを見ているような感覚に包まれて終わる。

 一方、『Tranzkript 1』は、これまでの作品と同様の音的領域に存在している。各トラックは短く、捻れたアンビエント・メロディがぶつかり合いながら、より簡潔に展開していく。たとえば“Kjj_”や“Guardians”などの曲は、まるで宇宙飛行士が地球を見下ろしながら帰還について考え、カプチーノを飲んでいるようなSF映画を思わせる心地よさがある。『Tranzkript 1』は、巨大な芸術的声明ではないが、深い思索や内省に浸るための心地よい一滴だ。

 長く続くムードのうねりであれ、アヴァンギャルドな短編小説のようにミニマルな音にスポットライトを当てたものであれ、アクトレスが音を通じて聴覚の楽しみに捧げる献身こそが、「質と量の両立は可能である」という議論において彼を勝者たらしめている。そしてそれは、ありがたいことに本当なのだ。


Actress’s pace in releases since 2022 has accelerated much faster than one would expect for an artist 15 years in. Falling off the radar is a common trend with artists sometimes not able to keep up with the progressive and economic state of the evolving world. Was the pandemic an impetus for forgoing the 2 to 3 year hiatus that many artists including himself steer their careers by? Or more of a reaction to our hyper Instagram information culture? Artists should be artists, of course and the course they decide to take in their career trajectory and field of expression should be allowed and accepted without fear or prejudice so that the well of their artistry can overflow.

The pain of inspiration and creativity in the world economy derives from the curse of quantity vs quality. Is less really more and better for marketing? Are frequent releases a sign of lack of an editorial filter? If I wait 4 years for a new album of 34 tracks, does anyone actually listen to all the tracks? Questions upon questions are not easy to answer. In the middle of this ongoing dilemma, Actress has released not one but two releases within one month. So now the quantity vs quality can now be tested.

First is Grey Interiors (Smalltown Supersound), a one track ambient track made “as an installation piece for the Berliner Festspiele” with Actual Objects. The second, a four track ep, Tranzkript 1 (Modern Obscure Music).

Actress’s growing ambient tinged work does what the younger artist was more afraid to do on record ; dig deeper into his many moods, break away from formulaic repetition and let the track breathe more humanly. If you have had the luck to see Actress live, then you know that his current headspace with ambient music is closer to his live set whereas his many albums of cuts, mostly under 6 minutes, are closer to scenic sketches. Those of his fans without the pleasure though may view these longer tracks as just vein experiments.

Grey Interiors isn’t the edgiest Actress album of his discography but it is definitely one of the more adventurous ones following in line with 2024`s Дарен Дж. Каннінгем. It may be reminiscent to other ambient releases by other artists in tenor. But growth isn’t clear until it’s finished flowering. The in between process isn’t valued. Only the result and that is a shame.

In 20 minutes, Grey Interiors ascends above floating clouds supported by soft, amorphous plushy synths continuous under an underlying mechanical distinctive tension typical of Actress`s industrial ethos. Machine repetitions that grow to talk more to each other eventually becoming the total conversation before a club beat interferes with mild breakbeat familiarity. No longer ambient, the remaining edge of anticipation is relieved leaving with a feeling of watching a ballet.

Tranzkript 1 (Modern Obscure Music) exists on more familiar sonic territory along with previous releases. Briefer in track length, more concise with off-kilter ambient melodies colliding into each other like the track Kjj_ or Guardians, which pleasantly reminds me of a sci-fi film where astronauts are above the earth contemplating return while sipping cappuccinos. Tranzkript 1 isn`t a giant artistic statement but rather a pleasant dip into deep thoughts and ruminations.

Whether elongated mood swings or spot light focused on minimal sound a la avant garde short stories, Actress`s dedication to aural enjoyment means he wins the argument of quality / quantity showing thankfully you can have both.

interview with Nate Chinen - ele-king

 「現段階で、こう言うことはできる。すなわち、我々がジャズと呼ぶ音楽は、様々な状況下において勢いを見出し続けている、と」──アメリカのジャズ批評家ネイト・チネンは著書『変わりゆくものを奏でる(Playing Changes)』の後書きにそう書き記している。

 あらためて言うまでもなく、ジャズは21世紀以降、とりわけテン年代を通じて活況を呈し、新たな時代を築き上げてきた。ロバート・グラスパー『Black Radio』(2012)やエスペランサ・スポルディング『Radio Music Society』(同)のグラミー賞受賞、『The Epic』(2015)を引っ提げたカマシ・ワシントンの登場、あるいは高度な複雑性を操るヴィジェイ・アイヤーや圧倒的な個性を放つメアリー・ハルヴァーソンの活躍、等々。ジャズといえば輝かしき黄金時代──1950年代から60年代にかけて──ばかり繰り返しスポットが当てられてきた旧来の状況に対し、チネンは現在進行形のジャズを過去の眼差しから解き放とうとする。それはしかし歴史から切り離すことではない。むしろジャズの現在地を正しく測量するために、彼は何度も過去へと遡る。21世紀のジャズがいかに歴史と繋がりを持つのか、豊富な知識と膨大な取材を元手にしつつ、そのコンテキストを丁寧に辿り直している。変わりゆくジャズがジャズである所以を鮮やかに解き明かす。

『変わりゆくものを奏でる』は画期的な一冊である。いまのジャズを考える上で最低限踏まえておくべき事柄が一通り網羅されている。全12章からなる本書では、一方に特定のミュージシャンを主人公に据えた章──ブラッド・メルドー(第2章)、スティーヴ・コールマン(第4章)、ジェイソン・モラン(第6章)、ヴィジェイ・アイヤー(第8章)、エスペランサ・スポルディング(第10章)、メアリー・ハルヴァーソン(第12章)──があり、他方に特定のテーマが設けられた章がある。後者で取り上げられるのは、保守的なアップタウンと対抗勢力としてのダウンタウン・シーン(第3章)、ウェイン・ショーターらが打ち出した新たな年長者像(第5章)、ジャズと教育ないしアカデミズムについて(第7章)、ヒップホップ~R&Bとのクロスオーヴァー(第9章)、ジャズのグローバル化/グローカル化(第11章)といったテーマである。

 第1章はやや異色だ。カマシ・ワシントンについての記述がベースにはある。しかし彼を主人公とするというより、反復されるジャズの死と救済の物語を検証するためにカマシが要請されたとも読める。実際、第1章ではカマシと対比を成すようにウィントン・マルサリスの物語が綴られる。なぜ人々がジャズの救世主を求めるのかを立体的に描いている。そしてウィントンをどう捉えるかという問題は本書の全体を通じて基層を流れていく──たとえば第3章ではアップタウンの体制側として、ジャズ・アット・リンカーン・センター(JALC)の芸術監督を務める彼がジョン・ゾーンやデイヴ・ダグラスと比較される。章を跨いで問題意識が連関していくのは本書の特徴の一つだろう。JALCはジャズの文化的地位の向上に資したが、それと並行して体制機関によるジャズ・スタディーズの受け入れがあった、という話が第7章には出てくる。あるいは──バンド内で女性がただ一人だった場合に「視線の交わし合いひとつとっても楽ではない(……)たとえば誰かに目線を返す必要のある場面でも、それが相手をそそるものと受け取られないように気をつける」(333頁)というエスペランサ・スポルディングの懸念は、メアリー・ハルヴァーソンが音楽大学の夏期講座でジャズ・ギタリストではなく「ああ、フォーク・シンガーね」と軽くあしらわれた(386頁)という経験と問題の根を同じくしている。『変わりゆくものを奏でる』は、21世紀のジャズの見取り図を示すと同時に、より広く音楽的問題、さらには社会的/政治的な問題へと思考を導いていく。その意味で単に音楽書というに留まらない人文書となっている。

 著者のネイト・チネンはハワイ・ホノルル出身。もともとジャズ・ドラマーの経歴もあったものの、1996年からジャズ批評家として活動を始め、2003年にジョージ・ウィーンの自伝を共著『Myself Among Others: A Life in Music』として上梓している──といったユニークな来歴や彼の批評観については前後編に分かれた以下のインタヴューをぜひ参照してほしい。『変わりゆくものを奏でる』の原著刊行から7年、ジャズの動向にも様々な変化が訪れた。この度のインタヴューでは、書籍の内容に加え、原著刊行後のジャズの新たな動きを補完する話も語っていただいた。本書はいままさにあらためて読まれるべき段階にきているように思う。なぜなら自由、平等、多様性といったアメリカ的価値観が、すなわちジャズをめぐる状況が、大きく揺さぶられ始めているからだ。わたしたちはそして本書を日本におけるジャズ言説との共通点と差異を見定めながら読み進めることもできるだろう。ジャズの未来について、ネイト・チネンは「私の思いはふたつの異なる軌道を進んでいる」と述べるが──まずは彼のジャズ批評家としてのバックグラウンドからじっくりと話を伺った。

子どもの頃からずっとドラムに惹かれていたので、実際勉強しましたし、演奏も始めた。そこからあっという間に、ジャズに相当真剣にのめり込みました。

まずはあなたの批評家としてのバックグラウンドについて教えてください。どんな家庭で育ち、何歳頃から意識的に音楽を掘り下げて聴くようになりましたか?

ネイト・チネン(Nate Chinen、以下NC):そうですね、この取材の文脈から言って、それは特別な質問です。というのも私の両親はどちらも歌手、エンターテイナーだったんです。父はじつは日本でもキャリアがあって、テディ・タナカという名義で歌っていました。まだとても若かった頃、たぶんまだ高校時代に、東京に行ってレコーディングしたことがあり、その歌、“ここに幸あり(Here is Happiness)” は大ヒットしました。彼はいわゆるフランク・シナトラ型の、ビッグ・バンドをバックに歌う歌手でしたが、実際シナトラが東京で初来日公演(1962年4月20&21日)をおこなった際に、ステージで紹介役を務めたこともあったんですよ。ともあれ──父はハワイ生まれで、祖父は沖縄出身の移民一世でした。で、父はハワイ/日本で歌手としてキャリアをスタートさせ、母と共にTHE TOKYO PLAYMATESというグループを結成しました。このグループはアメリカ合衆国全土/カナダをツアーで回ったこともありましたが、それは私が生まれる以前の話です。で、両親はホノルルに戻り、そこでまた別のグループ、Teddy & Nancy Tanakaとして活動しました。つまり私は、そのグループのごくごく幼いメンバーとして育った、と(笑)。
 ですから本当に、小さい頃の最初の記憶と言えば、ステージで一緒に歌う両親の姿、そしてふたりの小さな子どもとしてステージに上げられたことなんです。というわけで、私にとっての音楽との出会いもそれを通じてでしたね。でも、それだけではなく、ミュージシャンになることにもとても興味がありました。子どもの頃からずっとドラムに惹かれていたので、実際勉強しましたし、演奏も始めた。そこからあっという間に、ジャズに相当真剣にのめり込みました。というのも、ジャズ・ドラミングはじつに挑戦のしがいがあったし、魅惑的で、とにかく惚れ込んだ。というわけで私がジャズに対して抱いた興味は、そもそもはミュージシャンだったことから発していましたね。とまあ、これが「短いヴァージョン」の私のバックグラウンドです(笑)。

(笑)。

NC:でも、身の周りにつねに音楽があふれていました。それに、あなたもたぶんご存じでしょうが、ハワイは非常に音楽的な土地でもあります。それこそ、空気の中に音楽が漂っているというか。

はい。「チネン」というお名前からして、おそらく日本にルーツがある方だろうと思っていましたが、ご祖父が沖縄出身だったんですね。

NC:そうです。私の日本語のミドル・ネームはタカヒロ。父の名前はタカシです。

ということはあなたの場合、音楽に最初に触れたきっかけはレコード=録音音源よりも、むしろライヴ音楽だった、と言えそうですね。日本の場合、ジャズにしろロックにしろ、海外の音楽はまずレコード/音源で触れるケースが多いわけですが、ご両親がシンガーだったあなたはライヴ・パフォーマンスで音楽に触れる環境にあった、と。

NC:そうですね、その点はずっと興味深いと思ってきました。かつ、そこはもしかしたら、音楽批評家としての自分が他の面々と少し違う点のひとつかもしれません。というのも、批評家でじつに多いのは──多くの批評家が、レコード収集家から始めるわけです(笑)。で、私からすれば……いやもちろん、私もレコードは大好きですし、収集もしています。けれども最もディープな、自分を形成してくれた音楽体験と言ったらやはり、どこかの空間で音楽がリアルタイムで演奏されている、それになります。

多くの批評家が、レコード収集家から始めるわけです(笑)。けれども最もディープな、自分を形成してくれた音楽体験と言ったらやはり、どこかの空間で音楽がリアルタイムで演奏されている、それになります。

批評家としてキャリアをスタートさせたのはいつ頃でしょうか?

NC:まず、フィラデルフィアの大学に進学したんです。いま、こうしてまたフィラデルフィアに暮らしていますけれども(笑)。

ああ、そうなんですね。

NC:で、知り合ったジャズ・ミュージシャンの誰もからこう言われたんです、「君がやるべきなのは……」──というのは、私はずっと文章を書くことも好きだったんです。つねに好奇心があり、文章を読み、書くのが好きだった。そして知人のミュージシャンの誰もが、「君はよく考えた方がいいよ……」──だから、「音楽校に進学しない方がいい」と彼らは言っていたんですね(苦笑)。つまり、わざわざ音楽院に入らなくたってミュージシャンでいられるんだから、と。それでも、本当に素晴らしいジャズ・シーンのある都市に向かうのはプラスになるとのことで、実際そうでした。フィラデルフィアに移ったところ、フィラデルフィアのミュージシャンは非常に協力的だった。彼らはとても厳しくて、くだらないナンセンスは一切受けつけませんが(苦笑)、こちらがスキルと正しい姿勢、謙虚さを備えていることさえ示せばがっちり受け入れてくれる。で、私はペンシルヴェニア大学で詩を専攻していましたが、クラブでしょっちゅう音楽をプレイしていた。だからある意味、ふたつの人生を送っていたようなものでしたね。学生/ライターであり、かつミュージシャンでもあった、と。
 そしてある夏、『Philadelphia City Paper』という、無料のオルタナティヴな都市圏週刊新聞でインターンを経験したんです。あの当時はインターネットの黎明期でしたから、ああいったフリー・ペーパーは誰もが手に取ったもので、特にアート関連の記事はよく読まれたんです。で、インターンシップに採用されてニュース室に行ったところ、じつに活気に満ちた職場で、すぐに「ああ、ここで何かやれそうだ」と気づいたんです。文芸欄音楽部門の編集者もとても励ましてくれて、それでレコード評を書き始め、続いてアーティストへの取材、そしてフィーチャー記事も担当するようになって。そうやって、音楽への愛情、音楽への理解、そして言葉に対する愛情がとてもうまくフィットすることに気づいた。そんなふうに執筆活動を始めたわけですが、やればやるほど、自分は……あのコミュニティの一部になっていったというか。程なくして、ミュージシャン勢も私のことを批評家と看做してくれるようになりました。

はい。

NC:そうやってしばらく経って、編集者から「本紙の常任ジャズ批評家になって欲しい」と声をかけられて。当時私はまだ学部生でしたが、「はい。自分に適任だと思います」と答えた。で、そこからでしたね、本格的に学び始めたのは。ギャリー・ギディンス、ナット・ヘントフらの著作や記事を片っ端から読みました。それだけ、非常に強い責任感を感じたからです。「本気でこれを追求するのなら、自分にはしっかり準備を整えておく必要がある」と思った。

先達の伝統を引き継ぐ、というか。

NC:そうです。で、カレッジ卒業後にニューヨークに移り、そこから本格的にキャリアが始まっていった感じでしたね。ニューヨークに移ってはじめのうちはちゃんとした職もなく、バイトでなんとかしのいでいましたが(苦笑)、いくらも経たないうちにジョージ・ウィーン(※1954年にニューポート・ジャズ・フェスティヴァルを開催し、59年にニューポート・フォーク・フェスティヴァルもスタートさせたプロモーター/フェス企画者。2021年沒)に出会ったんです。彼はちょうど自伝を書こうとしていたところで、それにふさわしい共同執筆者が見つからずに困っていた。私は当時22歳で──

お若かったんですね!

NC:(笑)はい、本当に青二才で、仕事面では取り立てて何もやっていなかった。だからこそ、ジョージがあの本(『Myself Among Others: A Life in Music』2003年)を執筆する作業の補佐に本当に打ち込むことができた。そんなわけで、我々はじつに密に仕事しましたし、本が仕上がるまでに3年近くかかりました。ですから彼は私にとってとても重要な指導者であり、一種の父親的存在だった、そう言っていいと思います。

「もはや我々に批評家は必要ない」という意見もありますが、私はその意見には大いに反対です。いかなるアート形態も、堅固で力強い批評を本当に必要とし、かつそれに頼っていると思います。

なるほど。音楽について書き始めた時、他ジャンルについて書くことがあったとしても「ジャズ専門家」の立場から書いていたのでしょうか、それとも特にジャズ専門とせずにジャズ以外の音楽についても幅広く書いていたのでしょうか?

NC:ジャズ批評専門でしたね。というのも、そこは正直言って……私が働いてきた組織のどこでも、ロックやポップのクリティックはすでに存在していたので(苦笑)。

(笑)あなた自身のニッチを見つけたわけですね。

NC:そうです。だから私は「ジャズの人」だった。それは『Philadelphia City Paper』でも、ニューヨークに移ってから書き始めた『The Village Voice』紙でもそうでした。けれども『The New York Times』紙で働き始めたところで、そこに素敵な広がりが訪れました。あれは2005年のことで、2017年まで同紙で執筆しましたが、『NYT』にはじつに素晴らしい伝統があるんです。というのも、同紙では「ポップ批評家(ポップ・クリティックス)」と呼ばれる面々が数人いるだけで、それはつまり、また独自の領域を備えている「クラシック音楽批評家」とは別物である、と。当時の『NYT』ポップ批評主幹で、現在もその役職にあるジョン・パレーレス、彼には本当に──前任のジョン・ロックウェルやその他の面々と同様に、「我々は何でも取り上げ、書く」という感覚があった。ただし、クラシック音楽は総じて除いて。クラシック界には分離主義が存在しますからね。けれどもジョン・パレーレスは本当に……あらゆる類いの音楽に通じていて、信頼できる意見を持たなければならない、その意味で我々の規範だったというか。その意識はベン・ラトリフにも引き継がれましたし、私がポップ批評チームに加わったときも、その恩恵に浴せたわけです。ですから本当に楽しかったし、素晴らしい経験を積めました。もちろん主にジャズについて書いていましたが、それ以外のあらゆるジャンルも網羅させてもらった。ジェイ・Zのコンサート評も書いたし、ビヨンセのレヴューも書き、カントリーやフォーク・ミュージックについて書いたこともあり……という具合で、もう何でもあり。あれは本当に素晴らしい経験でした。で、現在も他ジャンルの音楽について書きますが、ジャズはやはり、私にとってのホームベースですね。

批評家の果たす役割で最も興味深い部分は、関連づけですね。物事を文脈に据えた上で、その歴史的な繫がりや社会・政治的な次元を解説すること。

あなたが影響を受けた批評家や思想家、書籍などについて教えてください。

NC:そうですね、ジャズ関連の文献で最初に読んだもののひとつと言えば、やはりレコードのライナーノーツですよね? で、そこから書籍に進んでいく、という。ですから先ほども名前の出たナット・ヘントフやアイラ・ギトラーのライナーノーツの数々は、私にとって最初の影響の一部でしょう。でも、アクティヴな影響と言えば、私がジャズについて書き始めたのは90年代半ば頃のことで──ですから部分的にはその時間軸のせいで、やはりギャリー・ギディンス以上に大きな存在はいませんでした。彼は『Village Voice』でじつに素晴らしい仕事をしていましたし、私がニューヨークに移ったちょうどその頃に、彼の『Visions of Jazz: the First Century』(1998)も出版された。実際、私が『Voice』で書き始めた頃、ギャリーはもう『Voice』から引退していましたが、彼をランチに誘ったことがあるんです。あれは本当に素敵なランチでしたし、彼は非常に励ましてくれて、だからこう、「松明を受け取った」フィーリングを感じて最高でした。で、ギャリーのおかげで……彼はじつに鋭いリスナーであり、ジャズの歴史家で、本当に優れたライターでもある。ですから彼は、つねに尊敬してきた存在です。
 でも、それに続いて受けたまた別の影響として──私がこの仕事を始めたのは、アカデミックな世界でのジャズ研究が本当に盛んになり始めた時期とも重なっていました。ですので、学者によるとても興味深い論文を読めるようになったのも、本当に役に立ったと思います。ブレント・へイズ・エドワーズ、ファラー・ジャズミン・グリフィンといった面々はもちろんですし……ダフニー・A・ブルックスみたいな人もいますね。彼女はジャズについてはあまり書きませんが、書かせると本当に素晴らしい。だからそういった学術研究も、ジャズにとって非常にプラスになってきたと思います。そして、インターネットによる民主化のおかげで我々はいまや、じつに多くのミュージシャンの文章も読める。しかも彼らは、非常に筆が立つ。というわけで私は「自分もこの大規模な対話の一部だ」という感覚が大好きです。とても活気のある時期ですし、たとえ──ジャーナリズムの経済モデルは非常に困難になっていても、優れたアイデアがたくさん存在しています。

あなたが考える批評の役割について教えてください。2019年の『Jerry Jazz Musician』誌のインタヴュー(https://www.jerryjazzmusician.com/interview-with-nate-chinen-author-of-playing-changes-jazz-for-the-new-century/)では「私の仕事内容は “gatekeeper” から “guide” に変わった」とおっしゃっていましたね。

NC:そこは、テクノロジーと多く関わっていると思います。そして、我々が音楽およびジャーナリズムと結ぶ関係性とも。というのも我々の世代は予算の都合で、たとえば「ひと月に買えるアルバムは2、3枚」という時期があったのを憶えているわけですよね(苦笑)? レコード店に行き、視聴用ヘッドフォンをかけてアルバムを少し聴いてみて購入するか決める、という。で、あの頃の批評家は何でも聴ける立場にいたわけで、だからこそ何らかの方向性を示してもらうために、彼らの専門家としての意見が我々にも本当に必要だった。「誰それの新作が出たけど、買うべきか? 批評家の意見はあんまり良くないから、今回はスルーしよう」みたいな感じで。ですから本当に、かつては「ゲートキーパー(門番)としての批評家」という感覚があったんですね。つまり、そこには消費者ガイド的な側面があった。
 そして現在という時代において、我々は制約がほぼゼロに近い形で音楽を聴くことができる。好みのストリーミング・サーヴィスを使えば、わざわざ購入するまでもなく、とりあえず作品を「聞く」ことはできるわけです。となると、「では批評家の有用性とは何か?」という話になりますし、一部のリスナーやミュージシャンの中には「もはや我々に批評家は必要ない」という意見もありますが、私はその意見には大いに反対です。いかなるアート形態も、堅固で力強い批評を本当に必要とし、かつそれに頼っていると思います。批評家の果たす役割というのは、「これを買え/あれは買うな」「これは良い/あれは良くない」云々の作品の価値判断だけではありません。というか実際、その面は批評家の仕事の中で最もつまらない部分だと私は思います。最も興味深い部分は、関連づけですね。物事を文脈に据えた上で、その歴史的な繫がりや社会・政治的な次元を解説することによって……ですから、聴き手はもちろん好きなものを何でも聴けますが、もしかしたら、私にはより良く聴くことのお手伝いをできるかもしれない。あるいは、あなたが作品をよりディープに聴く助けになるかもしれません。というわけで、批評の役割はより不定形というか……ある意味、過去に較べて威力や影響力は劣るでしょう。ただし、もっとフレンドリーではありますよね(笑)?

はい。

NC:で、思うにそれは、門戸を開けて機会を生み出したんじゃないでしょうか。で、私はそのチャレンジを大いに歓迎しました。ですから──そうですね、こういう言い方をしましょう。私は確かに、『NYT』で執筆した12年ほどの時間をエンジョイしました。自分の言いたいことはほぼ何でも、きっと誰かに読んでもらえるのがわかっている、そういう確固としたプラットフォームを持てるのは良いものですからね(笑)。けれども私はある意味、そういうプラットフォームの支えを取っ払っても、誰かが書き、発言することにはそれ自体で説得力を持つ必要があるという考え方を歓迎したというか。それは結びつきを生み出さなくてはいけないんです。ですから、私からすればそれはとにかく、批評をやっている我々誰もにとって初心に返らせてくれるよすが、動機というんでしょうかね。あの炎を、音楽に対する情熱を持ち込まなくてはならない、みたいな。で、幸いなことにそれは、私にはごく自然に感じられるものだった(笑)。ですからその面は試練ではありませんでした。それでも、音楽ジャーナリスト/批評家、そしてミュージシャンにとっても、経済モデルが非常に厳しいのは確かです。

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ものすごく魅了されたんです。カマシ・ワシントンはなぜこんなに人気があるんだろう? 一体何が起きたのか? なぜジャズ文化は、彼のような人物の出現をこんなにも待ちわびるようになったのか? と。

ここからは『変わりゆくものを奏でる(Playing Changes)』について聞かせてください。第1章はカマシ・ワシントンの話から綴られています。そこにはカマシが21世紀のジャズを代表する「救世主」だから、というだけではない理由があると思います。なぜ、カマシ・ワシントンから始めることにしたのでしょうか?

NC:はい、あれには間違いなく根拠があります。ただし、ひとつ指摘しておきたいんですが、序章はセシル・マクロリン・サルヴァントの話で始まるんですけどね(笑)!

(笑)確かに。

NC:でも実際……あの本をどう始めればいいか、かなり迷って苦労しました。どうしてかというと、本で掘り下げたいアイデアが何かは承知していたんです。つまり、「我々はいかにしてこの現在地点に至ったか」──今日におけるジャズの理解へと繫がった、その状況・土壌はどんなものだったか、について。そして、我々とジャズ史およびジャズ文化との関係の進化をたどりたかったですし、ウィントン・マルサリスと彼の掲げたジャズに関するイデオロギーの盛り上がりについても書きたいことがありました。ところが苦戦した点は、21世紀のジャズについてのお話を、一気に1970~80年代まで遡ってスタートさせたくはないというジレンマで。それでは話があべこべでわかりにくくなるな、と感じました。
 というわけで、「さて、どうしたものか?」とさんざん迷いました。そんなところに、カマシが「結びつきを生む」という意味で素晴らしいチャンスを提示してくれたわけです。というのも、私があの本を執筆していた時期、2016年に、彼の台頭ぶりは爆発的で、誰の目にも明らかでしたから。そうは言いつつ、私は彼に関してはまだ若干の懐疑心がありましたし、ジャズ界における最も進んだテナー・サクソフォン奏者だとは思っていなかった。ですから彼は、「これこそ、いまのジャズにおける最も重要な『声』です」と、私自身が推薦するような人ではなかったということです。ところが、ものすごく魅了されたんです──「なぜ、『彼』なんだろう?」と。彼はなぜこんなに人気があるんだろう? 一体何が起きたのか? なぜジャズ文化は、彼のような人物の出現をこんなにも待ちわびるようになったのか? と。


「カマシ・ワシントンの登場が歴史的な瞬間だったことは否定しようがない」
photo by Vincent Haycock

なるほど。

NC:そこから、私はウィントンのことを考えるようになりました。というのも、メディアの心酔ぶりといい、一般層での人気といい……実際、突如として誰もがその人のことを知るようになったわけですよね? ですから私は、このふたりの人物はある意味よく似ているが、ただしその在り方はとても違う、ということに気づいた。アーティストとしては、まったく別の人たちですからね。そこからこのアイデア、誰かがヒーローあるいは救世主として台頭していくときというのは、まさしく、そのカルチャーが特定の価値を求めてどよめいているからだ、という発想に繫がりました。それが、「1980年代初期にウィントンが登場したとき、ジャズはリスペクトを得ようと本当に必死だった。そして2010年代半ばにカマシが登場した時点までに、すでにリスペクトを獲得していたジャズが求めていたのは今日性だった」という、私の概念化へと発展していったわけです。その変化が、私にふたつの存在を関連づけさせてくれた。あるジャズ・ミュージシャンが一種のポピュラー・アイコンとなった、そんな驚異的なカマシの物語があり、一方で、その1、2世代前にもそれと同じことをやった人物がいた。そして両者のストーリーはこんなふうに結びついています、と述べたわけです。そうして私にとって一種、あの第1章は、主流文化──アメリカ文化とグローバル文化の双方──におけるジャズの足場は不安定で変動的なものである、というアイデアを探究する試みになっていきました。ですからあの章は、解かなくてはいけないパズルでしたね。
 で、あの章の終わりで、私がカマシに対していくらかの疑念を呈しているのは読めばわかると思います。それでも、いまでも思っています──これは可笑しいんですが、あの章を書いていたとき、NBAファイナルを観ていたんです。あのシーズンは本当に素晴らしくて、マイアミ・ヒートとクリーヴランド・キャヴァリアーズ戦もあり、レブロン・ジェームズがキャヴァリアーズをチャンピオンシップにまで率いて、ステフ(ステフィン)・カリーも活躍し、とにかくすごかった。で、試合を観ながら、「これは歴史的な場面な気がする」と考えていた。そこで気づきましたね、音楽的であれ何であれ、彼がどれだけ後世に残る貢献を果たしたかという意味でミュージシャン/アーティストとしてのカマシをどう見るにしても、彼の登場が歴史的な瞬間だったことは否定しようがない、と。彼の、そして『The Epic』の出現によって起きたことは、じつに驚異的です。ですから、私もそういうふうに考えるようになったんです。それは動かしがたい事実であり、実際に起きたことだったし、自分はそれを記録しているんだ、と。

リポーターとしての初仕事は、ニューアークのアミリ・バラカの自宅訪問だったんですよ。

『Playing Changes』というタイトルに込めた意味について教えてください。ジャズ用語がもとになっていますが、その背景にはリロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)の「The Changing Same」も考慮されていると感じました。

NC:その通りです。特に、うち1章のタイトル(※第9章/Changing Sames)は、あのエッセイへのトリビュートになっています。で……先ほど、私がどんなふうに批評の世界に入っていったかの話がありましたが、これは純粋に偶然だったとはいえ、『Philadelphia City Paper』でのリポーターとしての初仕事は、ニューアークのアミリ・バラカの自宅訪問だったんですよ。というのも、私がプロフィール記事を書いていたミュージシャンがたまたま同地でギグをやることになっていて。そんなわけで私はそのミュージシャンと共に車で向かい、ニュージャージー・ターンパイクを越え、バラカ宅に着き、アミリ・バラカに対面した、と。それが、自分にとってのリポーターとしての初仕事でした(笑)。

(笑)いきなり、重い任務ですね。

NC:(苦笑)。彼の著作は、私にとってずっと、非常に大きな意味を持ってきました。彼はじつに重要な詩人であり、クリティックでしたからね。ともあれ──この本のタイトルをどうしようかと考えていたとき、真っ先に浮かんだのは「ジャズ」という単語を含めたくなかった、という思いです。「ジャズ」を含めるとしても副題だな、と。色々な含みのあるタイトルにしたかった。そんなわけで、「この本のテーマは何だろう?」と考えていたときに頭に浮かんだのは「進化(evolution)」、「推移(transition)」といった言葉で、それを端的に言い表す言葉といえばやはり「change」ですよね。つまり、ジャズは変化したし、それに対する我々の考え方も、人々の演奏の仕方も変化してきた、と。それにもちろん、質問にあったように、ミュージシャンは音楽のコード構造や和音面での輪郭をなぞっていく際に「play changes」という用語を使います。そんなわけで、そのアイデアがひらめいたとき、「これだ!」と思いました。ずばりそれとは言わずに、ほのめかすタイトルだな、と。

第11章「The Crossroads」では、ジャズのグローバル化/グローカル化、自らの伝統をたどり直すミュージシャンの試みについて詳述されています。アメリカでも自らのルーツを探求することで作品を制作するミュージシャンが増えている印象がありますが、こうした動向は近年、どのような意味を持っていると思いますか?

NC:ひとつ言えるのは、そうした動向は非常に個人的(individual)なものだ、ということに気づかされた点です。とあるカルチャーからやって来たアーティストの何人かは、それらの要素を自らのジャズの実践に組み込むことにとても強く駆り立てられている。また一方で、そこにまったく頓着しない連中もいるわけです(苦笑)。その点は、自分にはとても興味深い。ですからあの章は最終的に、ふたつの勢力についての物語になっているんですね。ひとつは、現代のジャズにおける多文化的な次元からの影響。もうひとつは、ジャズのグローバル規模での伝達。つまり、これまであまりジャズ文化が確立してこなかった、そういった地への伝播についてですね。

本の例で言えば、中国がそれに当たりますね。

NC:はい。で、これはたまにヨーロッパのミュージシャンやフェスティヴァルのプロモーター、批評家から寄せられる意見なんですが、「あなたはこの本の中で、ヨーロッパのジャズについてあまり言及していませんね」と。

ああ、なるほど。

NC:それは日本のジャズについても同じだと思います。ですがその理由は単純で、なぜなら私はこの本で、証言者になりたかったからです。だから自分が感じたのは、「ヨーロッパにおけるジャズの歴史はもう、本当に巨大だな!」と。歴史のスパンという意味でも50~60年以上にわたりますし、ですから自分のようにアメリカ東海岸の視点から眺める人間にはかなわないくらい、はるかに深く理解している人々が他にいるだろう、と。

(笑)謙遜なさらず。

NC:いや、でも本当ですよ。日本におけるジャズの物語についても、同じように思いました。というのも日本では本当に驚くくらい、昔からジャズは大いに受け入れられてきました。カルチャーもしっかり存在しているし、だから自分がそこに入り込んで「わかったようなふりをする」のは、返ってあだになるだろうと思った。書くとしたら、とても長い時間がかかるでしょう。ですが、いつか、やってみたいと思っているんですけどね(笑)。本当にぜひ、やってみたい。
ですが、本で触れた中国のジャズ・シーンについては──まず、北京を訪問する機会が訪れたのがありましたし、実際、あの地のジャズはまだ発展中のストーリーなんですね。ですから私にも、「ジャズがある地に根付き、発展していくこんな例があります」と自信を持って伝えることができる、そういう手応えがありました。で、現地で中国ジャズの第1~第2世代のミュージシャンたちの話を聞くことができましたし、あれはとても魅力的なチャンスでした。でも、もしもリソースと時間があったら、それ以外の地域もぜひ深く探ってみたいです。ぜひやってみたいですし、もしかしたら今後の本でやれるかもしれません。

※後編は近日公開予定。

ERA - ele-king

 等身大の目線で都市の生活を歌うラッパー、ERA。その6枚目のアルバム『under the sun』が本日1月22日配信されている。客演には仙人掌、CENJU、anndy toy storeといったベテランから若手までが登場。現在、収録曲 “SWAY IN THE WIND feat. CENJU” のMVがERA自身の運営するHOW LOWのYouTubeチャンネルで公開中だ。リリースを記念してパーカーもWISDOM STOREおよびTRASMUNDOにて発売とのことなので、あわせてチェックしておきましょう。

アーティスト:ERA
タイトル:under the sun
フォーマット:CD / DIGITAL
配信リンク:https://ultravybe.lnk.to/under-the-sun
発売日:2025年1月22日

ERAの2年ぶりとなる6枚目となるアルバム。PAIN、希望、日常をテーマとした全11曲入りのアルバム。エモーショナルなリリックにERA独特のFLOWが乗る。今回はBAYAREA寄りの楽曲が多数収録されている。ERA特有のキャッチーさに華をそえているビートとERA独特のFLOWとの関係性となっていて楽しめる内容となっている。フューチャリングには仙人掌、CENJU、anndy toy storeとベテランや盟友、フレッシュな若手を起用している。アルバムの後半では苦しんでいる人達にたいしてのメッセージがある曲を収録するなど今ままでより幅が広がったERA節を展開している。是非色んな人に聞いて頂きたい。

収録曲 :
01. Favorite Food Prod. by 4thathr33
02. Summertime In The Hood feat. 仙人掌 Prod. by Cedar Law$ & kosy
03. Rooftop Prod. by Major Threat
04. In The Dream feat. anddy toy store Prod. by DJ HIGHSCHOOL
05. Name ERA Prod. by Vis The Kid
06. Swaying In The Wind feat. CENJU Prod. by K.E.M
07. Get Serious Prod. by DJ SCRATCH NICE
08. ケセラセラ Prod. by SIRCORE
09. My Life Prod. by TEMPO TUNES COLLECTION
10. 明日 Prod. by boi yanel
11. Turn The Page Prod. by MASS-HOLE

Mixed by I-DeA at FLS 6th Lab
Masters by HIroshi Shiota at SALT FIELD MASTERING
Artwork by ATER ( FUT / LPS )
Photo by Teppei Hori

PROFILE :
D.U.O TOKYOをリプレゼントするFRESHでORIGINALなTOKYO出身のMC。2011年にファーストアルバム「3 WORDS MY WORLD」をリリース。変わらずに変化していく街のHIP HOPでTOKYOからオリジナルカラーに世界を染めていく。アルバム「JEWELS」をリリース後、自らのレーベルHOW LOWを設立。「LIFE IS MOVIE」(2015)、「Culture Influences」(2018)の2枚のアルバムと EP 「Ground Music」(2020)シングル「Daily Tales」(2021)及び「Reachung」(2022) をリリース。リリースしたどのタイトルもクラッシックとして、生活の中で作用し合いながら輝き続けている。SEMINISHUKEIの作品はもちろん、BCDMG、BIM、Campanella、tofubeats、PUNPEE、仙人掌らとも楽曲をリリースしており、ERAの描く地平線は素晴らしく湾曲していてまっすぐにのびていく。エモーショナルなリリックは何かを掴むきっかけをいつだって感じさせてくれる。

The TIMERS『35周年祝賀記念品』に寄せて - ele-king

 清志郎さんは煙草を吸うときに必ず匂いを嗅いでから火をつけた。僕の周りでそんなことをする人は見たことがない。パッケージから煙草を取り出すと清志郎さんは横向きにして鼻の下にあてがい、ささッと短く左右に動かす。煙草の匂いが本当に好きなんだなと思って、ある時、清志郎さんがいつものように煙草を鼻の下に押し当てた瞬間、「必ず匂いを嗅ぐんですね」と言ったら「そんなこと言われたら、もうできなくなるじゃないか」と怒られてしまった。楽しみを奪われたという表情だった。煙草の匂いを嗅ぐのは無意識だったのかと僕はさらに驚いた。
 この正月に風邪をひき、外に出るのが億劫だったのでタイマーズの『35周年祝賀記念品』を宅配で取り寄せ、パラパラと歌詞カードを眺めていたら、「火をつけて この胸に お前の匂いを かぎたいぜ」という歌詞が目に入った(“タイマーズのテーマ” )。そうだった。レコーディング前は語尾が「ぜ」ではなく、「かぎたいよ」と歌っていたことも思い出す。「必ず匂いを嗅ぐんですね」と僕が清志郎さんに言ったのは『忌野清志郎画報 生卵』を編集していた90年代半ばで、“タイマーズのテーマ” がつくられたのはそれより7年も前。なんだよ、自分で「匂いをかぎたい」と歌ってるじゃないか。あの時、僕はなんで怒られたんだ?
 そう、それは本来、煙草でやる仕草ではないことを煙草にもしていると僕に指摘されて、煙草で済ませていたことに自分で自分に腹を立てたのだろう。同じことはビールでも繰り返された。自宅でビールを飲み、「なんだ、これでもよかったんだ」と清志郎さんは自嘲していた。2人の子どもが生まれ、明らかにライフ・スタイルを変化させ始めた清志郎さんがそこにはいた。いまから思えばセルフ・イメージを書き換えていた時期なのである。朝の4時に窓を開けて「ヤッホー!」と大声を出して、石井さんに「何やってんの!」と頭をはたかれたりしていたのは同じだったけれど。
 清志郎さんにはそれまで強迫観念があり、いつも芸術家のようにあらねばならないと考えていた。日常生活も例外ではなかった。凡人がやるようなことをやってしまうと「ダメかなあ?」と妙に照れていた。その頃はそんな清志郎さんを何度見たことか。それこそ7年前にタイマーズを始めた人と同一人物なのかと思うほど、その頃はほのぼのとしていた。そう、タイマーズの時はやはり、清志郎は人が違っていた。

「事務所の人間が現場に行くわけにはいかないから代わりに行ってくれないか」と坂田社長に僕は言われた。タイマーズがステージに立つ1週間ほど前で、「現場に行くわけにいかない」というのは事務所がタイマーズのやることに責任を負えないという意味だった。イベントの主催者に対して説明のしようがなく、実質的に「逃げる」という判断である。それは清志郎と事務所の関係がいったん白紙になったということを意味し、タイマーズというバンドが業界に足がかりさえ持てないのかと僕は心配になってしまった。僕はまだ音楽業界という場所に足を踏み入れたばかりで、ことの重大さを完全に理解できていなかった。
 硬い表情のまま坂田社長は続けた。「危ないと思ったら、メンバーをタクシーに乗せて逃がしてくれ」と。このひと言にはさすがに緊張した。タイマーズのライヴ・デビューは1988年8月2日の富士急ハイランドで行われた音楽フェスで、トッピこと三宅伸治率いるモージョー・クラブが出演するはずだった時間帯をタイマーズに譲ったものだった。モージョー・クラブが『社会復帰』でメジャー・デビューしたのはその翌年のことで、その時の観客はモージョー・クラブだろうがタイマーズだろうが、どっちにしてもよく知らないバンドだし、実際、それまで降っていた雨が止んで、まばらな拍手を受けてタイマーズの演奏が始まっても半数は無反応だった。
 残りの半数は、しかし、半狂乱ともいえる騒ぎになった。RCサクセション『カバーズ』の発売中止を知らせる広告が新聞に掲載されてからから41日後のことであり、覆面をしたゼリーの声が清志郎だとわかっただけでなく、ライヴの後半では観客の耳に “Love Me Tender” と “Summertime Blues” が立て続けに飛び込んできたのだから。“Love Me Tender” が人前で演奏されたのは2回目、“Summertime Blues” は初めてだった。清志郎がなんとかタイマーズをかたちにしようと企画書をばら撒き(そこには憂歌団がバックを務めると書かれていた)、闇雲にデモ・テープを録音し始めてもマネージャーすら決まらないという事態が続いていたなか、富士急ハイランドには原盤会社だけが駆けつけた。
 富士急ハイランドが公開リハーサルみたいなものだったとすれば4日後のヒロシマ平和コンサートが本番だった。この日も無告知で、タイマーズはサプライズの登場だったにもかかわらず、彼らがステージに姿を現すや客席から「キヨシロー!」という嬌声が飛ぶ。楽屋でも大部屋の片隅でコソコソと作業し、清志郎だということは意外とバレてなかったと思うのに、彼らは一体どうやって清志郎が出ることを知ったのだろう。そうした声援には一切応えず、タイマーズは長々ともったいぶったバンド紹介を続け、ようやく “タイマーズのテーマ” が始まったと思ったら30分にも満たないステージは濃密な余韻を残してすぐに終わった。ヒロシマ平和コンサートの趣旨を踏みにじるように「偽善者はうたうよ 世界の 平和を求め」と歌ったのもさることながら、 “Summertime Blues” の間奏で清志郎が「オレは放射能を浴びてな、死にたくねえーな。麻薬中毒で死にたいぜ!」と言い捨てたことがとにかく印象的だった。
 この日のライヴはNHKが衛星中継をしていて、後で聞いたところによるとステージが終わってからNHKとは少し揉めたらしい。とはいえ、メンバーをタクシーで逃がすというほどの混乱は起きなかった。ステージを観て驚いたのか、オフィシャル・ブックを編集していた後藤繁雄さんがタイマーズのコメントを取らせて欲しいと熱心に頼んできた。僕に権限があることではないので、そこは勘弁してもらったけれど、後藤さんと話をしている間に、なんとタイマーズはイギリスのBBCから取材を受けていたらしい。それがタイマーズの初インタビューになるとは!(2番目に公開されたインタビューは僕が「パチパチ・ロックンロール」に書いたもので、それは本人の了解を得た上で僕が創作したもの。間違って引用なんかしないでね)。また、後藤さんが編集した写真集『ヒロシマ1988★ドキュメント写真集 VISUAL-AID BOOK』(クロスロード刊)は後半がほとんどタイマーズのステージ写真で占められていた。

 タイマーズはライヴ、とにかくライヴだった。毎回、何をやるかわからないし、「ロックとブルースと演歌とジャリタレ・ポップスをユーゴーした新しい日本の音楽」と企画書でぶち上げていた通り、スキッフルあり、演歌あり、フォーク・ロックありで、1回のステージのなかでも展開がまったく読めなかった。RCとの連続性でいうと“去年の今頃” や“あの子の悪い噂” が豊富なヴァリエーションに化けて周囲を取り囲み、上からも下からも襲ってきたという感じだろうか。横浜国立大学の学園祭では階段教室のようなつくりが災いして後方から前方に押し寄せてきた客の波に写真家のおおくぼひさこさんが押しつぶされて救急車で運ばれてしまい、コンサートの中止を訴える主催者の声を遮ってライヴを再開してしまうほどバンドの勢いが何よりも優先されていた。横浜国大ではその日の新聞の見出しを見て出番直前に “創価学会(住職誘拐)” をつくってしまうほど勢いがあり、客席もかなりの混乱に見舞われたけれど、続く泉谷しげる&ルーザーが堂々とステージを終えたのに対し、翌年行われた学園祭ツアーでは成城学園で同じようにタイマーズがパニックを引き起こし、トリのティアドロップスは中止になってしまった。
 とはいえ、清志郎のなかには言いたいことはライヴで訴えるしかないという背水の陣にも似た感情も僕はあったと思う。『カバーズ』のような作品を発売中止にしてしまうレコード産業に対して構造的な失望を覚え(清志郎の言い方では「音楽業界を見放した」となり、ライヴの録音自由化宣言へとながっていく)、自分が最後に立つ所はステージであり、最後はそこしかないという思いが強くなったと僕には感じられた(RCサクセションが80年代初頭にブレイクした際、清志郎は「レコードなんてチラシみたいなものだぜ」と発言していた)。具体的にそうした考えを本人から聞いたわけではないけれど、当時は「夜をぶっとばせ!」というラジオ番組で構成を担当させてもらっていたため、メディアが必ずしも自分の味方ではないと清志郎が考えざるを得ない感覚があることは充分に理解していたつもりである。
 それこそ同ラジオでスタジオ・ライヴの許可が下り、“アイ・シャル・ビー・リリースト” や “ヘルプ” といった曲をやれるとなった時、清志郎さんは過剰に喜んでいた。自分の番組なんだから「やれて当然」と思うのではなく、リアルタイムで自分の気持ちを表現できることが常に保証されていないと思っていなければ出てこない反応がその時は示されていた。地方と中央の関係やスポンサーの住所にも規定があるなど話はかなり込み入ってしまうので省くけれど、清志郎にとってはいわばFM大阪がFM東京の盾になってくれ、この時ばかりは自分の味方になってくれたという感じだったのだろう(その前の週にFM大阪からは “Love Me Tender” と “Summertime Blues” が放送禁止、FM東京からは『カバーズ』全曲が放送禁止という通達が来ていた。自分の番組で自分の新作が1曲もオン・エアできないのである。FM東京がネットし始めなければ少なくともFM大阪ではあれこれとオン・エアできたわけで、FM東京に対する反感はあの時から始まったと思う)。
 タイマーズのライヴが過熱していくのは、だから、当然のことで、それこそ「ソウル・バンドになってしまった」と一部で揶揄されていたRCサクセションとは対極のロックンロール・バンドであり、歌詞もあからさまに権力を題材にすることが増えていった。あるいは皮肉を前面に出すことで、 “ファンからの贈り物” や “キミかわいいね” といった初期の作風に戻ったともいえ、そのために曲に勢いがつけやすかったともいえる。ヒロシマ平和コンサートで演奏された “Summertime Blues” はとくにアコースティックとは思えない迫力で、88年の時点ではまだアコースティック・セットだったタイマーズがベース以外はエレクトリックに編成を変えた89年よりもインパクトではまさっていたと感じられた(NHKに録音が残っているはずだから「ヒロシマ平和コンサート」のライヴも『Rhapsody』のようなターニング・ポイントのライヴ盤として残すべきでは?)。

 レコード産業に対する失望だけでなく、タイマーズにはRCサクセションに対する失望も色濃く滲み出ていた。清志郎さんによると『カバーズ』が発売中止と聞かされても怒っていたのは自分だけで、タイマーズとして抗議の意を示したことは「本当はRCでやりたかった」ことだも話していた。発売中止を受けて行われたライヴの記録『コブラの悩み』のリハーサルでは、通しリハの前に清志郎さんが新たにつくってきたダスティ・スプリングフィールドの替え歌 “素晴らしすぎて” をみんなに聞かせるという一幕があった。曲が終わっても誰1人声を発さず、数秒の沈黙を受けて清志郎は投げ出すように「じゃ、やめよう」とあっさり曲を取り下げてしまった。ヒロシマ平和コンサートの3日ぐらい後のことで、タイマーズとして得た充実感とはあまりに対照的な空気がそこには流れていた。通しリハが進み、 “イマジン”を一度演奏しかけてストップし、「この曲は元気にやろう!」と清志郎がメンバーに注意を喚起したことが印象に残っている。
 RCサクセションとの距離感は、しかし、『カバーズ』の発売中止よりもずっと以前から広がっていた。東芝EMIの御殿場工場で『カバーズ』のアナログ盤がプレスされる直前にラッカー盤で試聴するという行程があり、その日が清志郎さんの誕生日と重なっていると知った僕は「アサヒグラフ」に「清志郎が富士山で誕生日を祝う」という企画を出して写真家の川上尚見さんと共にプレス工場に乗り込んだ。試聴室に入ってみると、そこには清志郎さんと、なぜか石井さんがいた。空いている椅子に僕たちは腰をかけ、手持ち無沙汰にラッカー盤の到着を待っていると、清志郎さんが沈黙を破って「あいつら、最終的にどんな音で鳴るのか、興味がないんだよ」とポツリと言った。僕はとくに疑問には思っていなかったのだけれど、他のメンバーが誰も来ない理由を説明しようとしたのだろう。その時、僕は清志郎さんと知り合ってまだ1年ちょっとしか経っていなかった頃で、RCサクセションの内部がどのようなパワー・バランスで成り立っているのかぜんぜんわかっていなかった。「ああ」とかなんとか生返事をして、頭のなかでは清志郎さん以外のメンバーは音質には興味がないということなのかなと考えたり。しかし、それから3年後にはRCサクセションが活動を停止していたことを思うと、あれは思ったよりも重いひと言だったのだなといま頃になって考え直している。
『コブラの悩み』が収録された夏の日比谷野音は異様な物々しさに包まれ、ライヴの空気もそれに引き摺られて緊張感が増していた。『カバーズ』からの6曲に加えて“言論の自由”や“セルフポートレート”といったプロテスト・ソング、放射能のことを最初に取り上げた“SHELTER OF LOVE”なども演奏されたけれど、全体に抗議調で押し通したわけではなく、『MARVY』から “コール・ミー” や『BLUE』から“よそ者” 、さらに “トランジスタ・ラジオ”、“ラプソディ” と、意外なほどヒット・パレード的な内容でもあった。“アイ・シャル・ビー・リリースト” は、スタジオ・ライヴで歌われた「西から東まで」ではなく「東の芝にも」に歌詞が変わり、“あきれて物も言えない” はいくらなんでもテンポが速過ぎた。ちなみに『コブラの悩み』というのはライヴ盤につけられたタイトルで、ライヴ当日は「SPECIAL FOR SUMMER NIGHT」というタイトルが付けられていた。

 野音が終わるとタイマーズのデモ・テープづくりが本格化し、あっという間に38曲を録音して19曲をトラック・ダウン(これをダビングしたテープがどこでどうやって高杉弾の手に渡ったのか、それをまたコピーしたものがセンター街の彼の店で飛ぶように売れたという)。 “原発賛成音頭” など何曲かは「夜をぶっとばせ!」でデモ・テープのままオン・エアもされ、年末には江戸屋レコードからのリリースが検討されていたものの、年が明けるとしばらくして『コブラの悩み』と同じく東芝EMIからリリースされることになった。最終的にロンドンでレコーディングするとか伊豆でレコーディングするとか、方針が何度も変わるなか、箱根合宿などを行ってアルバムの構想は徐々にまとまっていく。タイマーズの曲はカバーも多く(大喪の礼を揶揄した“カプリオーレ” はブラームスの曲に歌詞をつけたもの)、テーマ的にも『カバーズ』の流れをダイレクトに汲んだりもするなか、『カバーズ』で他人の曲をあれこれといじくったことで手癖から解放されたことも大きな成果だったと本人は語っていた。 “シークレット・エージェント・マン”から“不死身のタイマーズ”、や“争いの河”、 “悪い星の下に” から“Mama Please Come Back”、といった感じだろうか。ロックンロールやロカビリーが多いのは三宅伸治の影響だろう。『カバーズ』のアウトテイクに加山雄三の “君といつまでも”があり、 “ロックン仁義”のセリフ・パートなどはそこからの流れという感じもあった( “ロックン仁義”が演歌なのは「イカ天」やバンド・ブームを嫌っていた清志郎の皮肉が振り切れたということだと思う)。 “総理大臣、でスライを意識したあたりもRCサクセションにはなかった一面で、このような音楽性の広げ方はピーター、ポール&マリーやピンク・フロイドを柔軟に消化した『楽しい夕に』のヴァージョン・アップにも思えてくる。
 エレクトリックに編成を変え、メジャーからのレコード発売が前提となった89年のヒロシマ平和コンサートはゲリラ出演ではなく、初めから予定に組み込まれたことで早くも様式性を楽しむ態度が強くなっていたものの、周囲の期待はかつてなく増大していた。それこそイレギュラーが身上のタイマーズといえどもバンドが軌道に乗ると頭をもたげてくる予定調和との戦いが始まったのである。しかし、それをぶち破るようにファースト・シングル “デイ・ドリーム・ビリーバー” が発売された2日後、タイマーズはフジテレビ「ヒットスタジオR&N」で事件を起こす。清志郎がTVのゴールデン・タイムでクレージー・キャッツのような音楽コントの番組をやりたいと坂田社長に提案したことから始まったラジオ番組「夜をぶっとばせ!」は清志郎の思いとはだいぶかけ離れた内容になってしまったけれど、FM大阪だけで放送されていた時期はそれなりに自由にやっていた。視聴率がいいのでこれがFM東京にネットされることが決まり、実際に放送シフトが変わる1週間前に『カバーズ』の発売中止という巡り合わせになってしまい、スタッフから何からいろんなことがいっぺんに変わってしまった。FM大阪が “Love Me Tender” と “Summertime Blues” を放送禁止にすると言ってきたことだってどうかとは思うけれど、FM東京が『カバーズ』全曲放送禁止と通達してきたのはあまりにも過剰反応であり、『カバーズ』が世に出ないことに自分の番組まで加担するというのは清志郎にとってどれほどの屈辱だったことか。現場でも対応の仕方がよくわからなかったので初回の放送は2ヴァージョン制作されたり、スタジオを変えたり、バタバタしっぱなしで、その波をなんとか乗り越え、清志郎が次の放送でスタジオ・ライヴをやりたいと申し出てくれたことで一気に方向性が明確になった。その結果、清志郎と三宅伸治が行なったライヴがそのままタイマーズの雛形になっていく。三宅伸治は自分のバンドがデビューするタイミングだったのに、よくぞあれだけ頑張ったと思う。残りのメンバーを集めたのも、確か彼だったと思う。
 その後もFM東京は納品したテープにあれこれと文句をつけてくることが多く、FM東京からのクレームは清志郎に伝えたこともあったし、伝えなかったこともあったけれど、辟易としながらも僕らが態度を改めたことはなかった。むしろ新作を一切プロモーションできないのに番組を続けていく意味はあるのかという疑問を悪ふざけに転化しなければやっていられなかったところあった。FM東京の担当者は最終回の収録まで一回も現場に来なかった。「ヒットスタジオR&N」で “FM東京” が演奏された次の日には清志郎の家に召集がかかり、前日の録画をみんなで爆笑しながら鑑賞することになった。現場にマネージャーとして赴いていた片岡たまきは、彼女の夫であるロケットマツがアコーディオンでタイマーズの演奏に加わっていたのに “FM東京” をやるとは知らされていず、さすがにあとで夫婦喧嘩になったらしい。また、当時の荒井社長とたまきはFM東京の重役室に謝りに来いと命じられ、頭を下げに行ったものの、謝りながら耐えきれずに吹き出してしまったという(ここまでがFM東京事件という感じですwww)。ちなみに清志郎は最初、ジュリーをもじってジュレーと名乗っていて「それだったらゼリーの方がいい」と提言したのが片岡たまき。
「ヒットスタジオR&N」のライヴは短いので何度もリピートして観ているうちに石井さんが “FM東京” を歌い出す時、「クリちゃん、泡吹いてるよ」と言い出した(石井さんは清志郎のことを本名で“クリちゃん” と呼ぶ)。確かにゼリーの口元からは泡が噴き出してた。そう言われて清志郎も笑っていたけれど、そうなんだよ、けして清志郎はロックの化身だとか強靭な精神力の持ち主とかではなく、勇気を振り絞ってあれをやったのである。「イキがったりビビったりして」と “ドカドカうるさいR&Rバンド” で歌っていたように清志郎だって自分が持てる以上の力を出そうと必死だったのである。次の年に清志郎は “空がまた暗くなる”で 「おとなだろ 勇気をだせよ」と歌っていた。あれは当時のディレクターに向けた言葉なのかなと僕は思っていたけれど、案外、自分自身に言い聞かせていたことなのかも。

『35周年祝賀記念品』はオリジナル・アルバムのリマスターに、2006年版に追加収録されていたシングルのカップリング曲と2016年のスペシャル・エディションからDisc2の10曲を合わせたCD2、そして、未発表の9曲を収録したCD3の3枚組。 “FM東京” はともかくとしてライヴで繰り返された “明星即席ラーメン” や “Summertime Blues(天皇ヴァージョン)”などがもう一度聞きたかったけれど、 ライヴとはまた異なる世界観で作品を構築したのは清志郎の考えでもあるので、そこは致し方ないところでしょう。オリジナル・アルバムについてはここまで書いてきたことと重複してしまうので省略するとして、CD3について多少の補足。オリジナル・アルバムは東京でトラック・ダウンした19曲に加えてロンドンでレコーディングした23曲の計42曲から17曲を選んだもので、ロンドンに行ってからつくった“ブツ”は間に合わず、そのまま日の目を見なかった。タイマーズでもなかなかに物騒なイメージが広がる“ブツ”は三宅伸治がリード・ヴォーカルを取る曲で、スタジオ・テイクがようやくここに収録されることに(ライヴ・ヴァージョンは『不死身のタイマーズ』に収録)。僕はその頃、たまたまロンドンに1週間ほど遊びに行っていて、タイマーズが来ていると聞いてスタジオに顔を出してみたら、その日は“覚醒剤音頭”のオーヴァーダビングをやっていた。ブックレットにはクレジットがないけれど、その時、スタジオにいた女性たち全員でコーラスをつけたら面白いということになり、原盤会社の相沢社長、マネージャーのたまき、そしてライターの水越真紀が「ツイホー!」と叫び、普段はクールにしている相沢社長が「ツイホー!」と叫ぶ姿に一堂、笑いをこらえきれず、レコーディングが終わるとスタジオ内が爆笑だったことを思い出す(これもライヴ・ヴァージョンが『復活!! The Timers』と『不死身のタイマーズ』に収録)。ちなみに僕は東京で “デイ・ドリーム・ビリーバー” に手拍子で参加しています。後拍で二連打です。CD3には“デイ・ドリーム・ビリーバー” の「2024 MIX」も収録されています。“Mama Please Come Back”はタイマーズだけでなくRCのライヴでもやっていた曲で、スタジオ・テイクは初収録。ライヴよりも雰囲気がぐっと濃厚になり、音の回り方がユニークな仕上がり。この曲は独特のベース・ラインがカンの “Vitamin-C” とまったく同じで、ちょっとビビります。 “BAKANCE” はベースのボビーこと川上剛が在籍していたヒルビリー・バップスに清志郎が提供した曲で、GS風の青春ポップスをレザー・シャープスのライヴ・アルバム『HAPPY HEADS』に続いてタイマーズとしてもセルフ・カバー。あまりにも爽やかでたじろぐアレンジだけれど、これと較べてみると宮城宗典がちゃんと自分の曲にして歌っていたこともよくわかる。 “LONG TIME AGO” は89年のヒロシマ平和コンサートで演奏したライヴ・ヴァージョンを収録。急にここだけ生々しくなり、収録された意図が不明確になる(全体に誰がどういう基準で選曲したのか趣旨を説明してほしかった)。
 さらに最後は“君はLove Me Tender を聴いたか?”。『コブラの悩み』に最初の30秒だけ収録され、すぐに途切れていた曲で、『コブラの悩み』と同じ年のクリスマス武道館で行われたRCサクセションのライヴでも披露された曲。タイマーズ名義のアルバムに収録されるのはどうなんだろうと思うけれど、正式なリリースとなったことは素直に喜びたい(実際にはリズム・マシーンを使って清志郎が1人で録音した曲であり、最初に世に出たのは武道館の10日ほど前に放送された「夜をぶっとばせ!」。清志郎はリスナーにカセットを用意してと呼びかけた))。『カバーズ』に先駆けて発売中止となったシングル“Love Me Tender”は “Summertime Blues”と違って反原発の歌ではなく、反核の歌であり、発売中止となったことでかえって広く知れ渡った状況を批評的に扱った側面と、石井さんが購読していた赤旗に書かれていた「原子力発電所で、実は核兵器をつくっているのではないか」と疑う記事の内容を合体させて表裏一体とし、そうとでも考えなければ発売中止にするほどの意味が理解できないという、いわば自らの上に降りかかった状況をきちんと整理して筋道をつけた曲である。題材と向き合う時に必ずしも客観性を重視しないニュージャーナリズムのような視点が活きていて、事件の渦中にあって混乱しがちな立場にもかかわらず、冷静に問題意識を明確にしているのはさすが。清志郎本人が自慢するポイントとしては“Love Me Tender”と同じコード進行で異なるメロディをつけたことだそうです。 『35周年祝賀記念品』を聴いていて、『カバーズ』の発売中止とタイマーズの活動を通じて清志郎が本当に感じていたことは、 「こんな でたらめな街を さよならしたいよ」(“タイマーズのテーマ”)と、「レコード会社も新聞も雑誌もFMも バ~カ~み~た~い~」(“君はLove Me Tender を聴いたか?”)という部分だったんじゃないかと僕は改めて思った。『生卵』の編集をしていた頃、「竜平くんには自分がいる狭い世界ではなく、もっと広い世界で活躍してほしい」と言っていたことを思い出す。

 RCサクセションのライヴが大阪であった際、メンバーとは別に清志郎さんだけを先に大阪に行かせ、「夜をぶっとばせ!」の収録を現地でやることになった。大阪に連れていくのは僕の役目になり、朝早く清志郎さんを起こしに行った。睡眠時間を確保する習慣がない清志郎さんはガン寝していてまったく起きる気配もなく、ただ僕はじりじりと玄関で待っていた。起きない……。起きない……。起きない……。起きない……。まだ鳩の森神社の近くにある狭い家に住んでいた頃で、ようやく目を覚ました清志郎が朝ごはんを食べている様子もなんとなく伝わってくる。この家に清志郎さんと2人でいた時、インターフォンが鳴って「ピザの配達です」とファンが押し入ろうとしたことがあった。そういうことはしょっちゅうあるらしい。玄関の前まで来たファンを清志郎さんは顔は出さずに「もうするんじゃないよ」とインターフォン越しに優しく諭していた。いまから思えばあまりにもアクセスしやすい家だった。朝ごはんを食べなければ絶対に外に出ない清志郎さんがようやく食べ終わり、タクシーに詰め込んで、なんとかオン・タイムで新幹線に乗せることができた。ガランとしたグリーン車にたった2人だけだった。「寝て行きますよね?」と清志郎さんに言うと「決めつけるなよ」とまた怒られてしまった。5分もしないうちに清志郎は寝ていた。
 2009年5月9日、清志郎さんが目を覚まさないと聞いた4万3000人のファンが青山墓地に清志郎さんを起こしに来た。大勢の人が清志郎さんの名前を呼んでいる。悲痛な声。か細い声。無骨な声。そうした声援に清志郎さんはまたしても応えない。今度こ清志郎は本当に目を覚まさなかった。会場の外にボビーこと川上剛がいた。「なかに入りたくなくて」と彼は言った。しばらくそこで昔話をした。どういうわけかガロン・ドランクの話で一番盛り上がってしまった。てっきり音楽を続けていると思っていた僕は川上剛がもう音楽はやめたと聞いて本当にショックだった。「無理ですよ」と言った彼の声はとても乾いていた。タイマーズなのに。タイマーズをやっていた人が音楽活動を続けられないのか。そんな国なのか。
 タイマーズ35周年、おめでとうございます。当分、あなた方の伝説を乗り越える才能は出て来ないことでしょう。


(川上剛の回想)


(パーこと杉山章二丸のお店案内)

Roedeliusu, Onnen Bock, Yuko Matsuzaki - ele-king

 クラウトロックにおける電子音楽のもうひとりのパイオニア、クラスター(Kluster/Cluster)のメンバーとして知られるハンス・ヨアヒム・ローデリウス(今年90歳、つまり卒寿です)が日本の音楽家、松﨑裕子と共同で制作したアルバム、『月の庭(MOON GARDEN)』が来年の2月に発売される。
 1980年代より、フルート/シンセサイザー/キーボード奏者、作曲家/編曲家として幅広く活動を続け、今年の夏は80年代ジャパニーズ・アンビエントの貴重な1枚として、国内外のファンから熱心な支持を集めていたアルバム『螺鈿の箱』を再発した松﨑裕子は、1996年のローデリウスのソロ・アルバム『 Pink, Blue And Amber』においてもフィーチャーされている。『月の庭』はローデリウスとオンネン・ボック(Qlusterのメンバー)が制作した音源データを松﨑裕子がアレンジ/エディットし、新たに作曲を加えたもので、ミックス作業は2000年代前半からはじまり、そして2020年に最終ミキシングされている。エレクトロニック・ミュージック界のロマン主義者たるローデリウスのピアノ演奏と松﨑裕子による優美な演奏、そして繊細な音響工作がみごとに調和したアルバム、アンビエントことに日本のアンビエントを探求しているリスナー、およびニューエイジのリスナーは要チェックです。

ローデリウス、オンネン・ボック、松﨑裕子
月の庭 /MOON GARDEN

CD /DIGITAL
2025年2月5日
P-VINE

【Track List】
1.In The Forest of Syrinx - シリンクスの森にて
Roedelius / Onnen Bock:Piano, Singing bowls / Yuko Matsuzaki : Flute, Synthesizers, Keyboads
2.Moon Garden - 月の庭
Roedelius / Onnen Bock:Piano, Singing bowls / Yuko Matsuzaki : Flute, Synthesizers, Keyboads, Vocal
3. The Tale of Fossil - 化石の物語
Roedelius / Onnen Bock:Piano, Singing bowls / Yuko Matsuzaki : Synthesizers, Keyboads
4. Sapphire Jellyfish - 瑠璃の海月
Roedelius / Onnen Bock:Piano, Singing bowls / Yuko Matsuzaki : Vocal, Lyrics
5. Fragment of Ancient Times - いにしえの時のかけら
Roedelius / Onnen Bock:Piano, Singing bowls / Yuko Matsuzaki : Flute・Taisyogoto , Synthesizers, Keyboads

All titles composed by Roedelius ・Onnen Bock・Yuko Matsuzaki

松﨑裕子 (Yuko Matsuzaki)
 作曲家・ボンサイオブジェ作家、大阪府出身、神戸女学院大学音楽学部器楽科フルート専攻卒業。大阪音楽大学専攻科修了。フランス国立モントルイユ音楽院留学。琵琶を鶴田錦史に師事。
 フルーティストとしてリサイタル他、関西フィルハーモニー交響楽団、テレマンアンサンブル等と、ソリストとして数多く共演。元プティ・バロック・アンサンブル所属。82年より作曲活動をはじめ、85年LPレコード『螺鈿の箱』(Mother of Pearl Box)発売。
 85~87年パリ、ロンドンを中心にヨーロッパで活動。アンビエントの父、エレクトリックミュージックのゴッドファザーと称されるローデリウスや多くのミュージシャンのアルバム、コンサートツアーに参加。88年より大阪を拠点に、琵琶や雅楽などの日本の伝統楽器を中心とした作曲、コンサート活動を始める。92年、フジテレビのドラマ、久世光彦監督、小泉八雲『KWAIDAN 怪談』の音楽担当を機に東京に拠点を移す。以後、映像音楽を中心に作曲家として活動。『華岡青洲の妻』、小泉八雲『KWAIDAN 怪談』シリーズ、『キネマの青春』『サラバ サムライ!』をはじめ数々のTVドラマ、『早坂暁の花暦 一期一会』20シリーズ、『20世紀のファイル』24シリーズ、『辰巳琢郎・リフォームの魔法』24シリーズ、『世界遺産』『もうひとつのワールドカップ』『水木しげる』等のドキュメンタリー番組、こども放送局番組多数。
 映画『喰いしん坊 I ・II 』『新GONIN』『スワンズ ソング』『夜叉の舞』『ファミーユ フランスパンと私』『矜持』他、楽譜出版『フルートで楽しむショパン』他、CD『Pink Blue & Amber』『ガラパゴスの風(世界遺産ミュージック・イマジネーション南米編)』『Paradise』、DVDシネマ等、作品多数。フィナール国際美術展、モダンアートコンペティション入選。2008年、大阪に拠点を移し、ボンサイオブジェ作家として、独自のオブジェの世界を展開する。個展、インテリア&デザイン国際展示会「メゾン・エ・オブジェ・パリ」他、出品多数。

Beak> - ele-king

 Beak>のようなバンドをどこに位置づければよいだろう? 彼らの音楽は過去を想起させるが、レトロではない。見かけによらず実質剛健だが、入手しやすい無印良品のようなミニマリズムでもない。それは多様な認識に火花を散らし、多くの者が直感的にぐっとくるものを備えているが、その特異な音楽はBeak>以外の何物でもなく、他の誰のサウンドにも似ていない。

 Beak>の4作目のアルバム『>>>>』が最初に登場した際、突然どこからともなく降ってきたかのごとく、ファンファーレも鳴らされず、プレヴュー・トラックもなく(“Ah Yeah”のみ、2021年にデジタル・シングルの一部としてのヴァージョンが登場したが)、我々の前に姿を現した。前作を土台にして積み上げるのではなく、バンドは2009年のデビュー作のようなジャムをベースとしてアプローチする作曲方法に回帰しようとしたが、音楽的にも、オリジナル・メンバーのマット・ウィリアムス(MXLXとしても知られる)からウィル・ヤングに代わったことでも、それ以降のバンドの方向性を描き出している。これは、作曲とレコーディングにゆるさを取り入れながらも、絶対的な正確さと細部へのこだわりに留意してミックスされたアルバムなのだ。

 ディスコグラフィーにはこのように位置づけられるとしても、Beak>自身はどのあたりにいるのだろうか?

 まずできることとしては、地理的にゆかりのある場所、つまり彼らの出身地であるイングランドのブリストルに目を向けてみることだ。一見したところ、Beak>と創設メンバーのジェフ・バロウの古い方のバンド、ポーティスヘッドとは大きな共通点はないように見えるのは、ポーティスヘッドは90年代初期のトリップ・ホップ・シーンと強く結びついているのに対し、Beak>は、ロックという一般的な宇宙の範囲内で活動しているからだ。だが両者のサウンドには共通の結合組織が存在する。Beak>が時たまジャズやファンクのビートに手を出したりするように、両バンドとも不気味でエレクトロニックな色彩を帯びたザ・シルヴァー・アップルズのサイケデリックへの借りがあるのだ。とくに、ポーティスヘッドのアルバム『Third』の“We Carry On”と、Beak>のこの新譜からの“The Seal”は、いずれも何らかの形であのニューヨークのデュオに敬意を表している。

 より広いところでいえば、イングランド南西部には、ブリストルの熱波の舗道とグロスタシャー、サマセットとセヴァーン河口ののどかな丘陵地や氾濫原の間を漂うサイケデリック・ミュージックの長い伝統がある。ムーヴィートーンのまばらで儚いフォーク、サード・アイ・ファウンデーションの閉所恐怖症的なビートが主体のパラノイア、ザ・ヘッズのリフが前面に押し出された重たいノイズ、ファズしまくりのクラウトゲイズのフライング・ソーサ―・アタックなど、すべてのバンドがBeak>の音楽も自然にその一部として溶け込める音の風景を創り出している。ウェストカントリー(イングランド西部)の空気の何かのなせる業に違いない。あるいはその地の水か。またはドラッグか。

 さらに彼らは、パート・チンプやヘイ・コロッサスなど(どちらもサマセットを拠点とする〈Wrong Speed Records〉に関係している)、クラウトロック、ハード・ロックやサイケデリアと繋がりのあるイギリスの中年バンドの緩やかな集団にくくられてもある意味納得がいく。

 だが、まだ他にも何かがある。それは、彼らの音楽を通じてうずくようなメランコリーが漂っているのにもかかわらず、それが露骨に発せられることがほとんどない点だ。バロウのヴォーカルは、もう一人のブリストルが生んだ著名な息子、ロバート・ワイアットが隣室から少しだけ悲しげな調子で紅茶がほしいと要求してくるような、感情を押し殺した、疲弊した質感の声なのだ。それはもしかすると、傷ついた心をさらけ出すことに抵抗のある古いタイプの英国人気質なのかもしれず、放置された悲しみは血管の中にあてもなく忍びこんでしまう。『>>>>』でかろうじてヴォーカルが聴こえるなかで、彼らがもっとも魂をさらけ出しているのに近いのは、オープニングの“Strawberry Line”だけだ。それは、アルバムのジャケットにブリストルの象徴であるクリフトン吊り橋の背後に、ゴジラ・サイズでレーザービーム光線の目をした巨大な死の猟犬として描かれるバロウの亡き愛犬アルフィーへの悲痛な頌歌になっている。

 アルバムに流れる微かにメランコリックな色調も、音楽を推進する艶やかでミニマルなクラウトロック的なシンセやグルーヴに、セピア色の喪失感を与えている。それは決してあからさまというわけではないが、ゴースト・ボックスや、より最近ではウォリントン・ランコーン・ニュー・タウン・ディヴェロップメント・プランのような、アナログ時代の朽ち果てたユートピアやモダニスト的なプロジェクトなどのプリズムを通して未来を見つめるアクトにも通じる色調なのだ。我々が現在直面している混沌とした未来をつかもうと手を伸ばすのではなく、バンドはどうも戦後のキニア=カルヴァート道路標識システムのクリーンで機能的な幾何学構造を音楽的に再現しようとしており、哀愁漂うフォークのメロディが雨跡の染みついた車窓に流れる灰緑色の風景のように曲の中で漂っている。BBCレイディオフォニック・ワークショップの脆くて孤独なDIYフューチャリズムが、遊び心のあるテクスチュアと空間を使った微妙なレイヤード構造になっている本作を彩る一方、“Denim”では、一貫した音色を保つことのない不安定に揺れるシンセがバロウの声と刺激的に相対している。
 
 それはつまり、彼らは過去に憑りつかれながらも、ある種の並行未来(パラレル・フューチャー)へと向かう自分たち独自の雰囲気を持つ世界を創造していることを意味する。それは、1970年代スタイルのSFかフォーク・ホラー映画のような世界かもしれない——ジェフ・バロウのサウンドトラック作品と彼の〈インヴァーダ・レーベル〉のリリース・カタログは、明らかにそのような場所で十分な時間を通過してきた。だが、それは不快なノイズに包まれた注意深く定義された領域の宇宙というよりは、ある種の、程度を抑えた“エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス”のような魅力的な別世界なのだ。


by Ian F. Martin

Where do you place a band like Beak? Their music evokes the past, but it’s not retro. It’s deceptively spartan, but it’s no off-the-shelf Muji minimalism. It sets of so many diverse sparks of recognition, yet it’s utterly singular: nothing sounds quite like Beak.

When it first appeared, Beak’s fourth album “>>>>” seemed to have dropped out of nowhere, arriving with no fanfare or preview tracks (although a version of “Ah Yeh” had appeared as part of a digital single back in 2021). Rather than building directly on its predecessor, the band tried to go back to something more like the jam-based writing approach of their 2009 debut, though it also draws on the directions the band have taken over the years since, both musically and with the replacement of original member Matt Williams (aka MXLX) with Will Young. It’s an album that incorporates looseness into its writing and recording, but is mixed with absolute precision and attention to detail.

So that places it within the Beak discography, but where are Beak themselves?

One place you can start is by placing them in their actual geographical location: Bristol, England. On the face of it, there’s not a tremendous amount in common between Beak and founding member Geoff Barrow’s older band Portishead, with the latter associated most strongly with the trip-hop scene of the early 90s and Beak operating in the general cosmos of rock. There’s connective tissue between both bands’ sounds though, with Beak occasionally flirting with jazz and funk beats, and both bands owing an eerie, electronic-tinged, psychedelic debt to The Silver Apples. In particular, Portishead’s “We Carry On” from the album “Third” and Beak’s “The Seal” from this album both pay the New York duo tribute in one form or another.

More broadly, the southwest of England has a long tradition of psychedelic music that floats between the heatwave pavements of Bristol and the pastoral hills and flood plains of Gloucestershire, Somerset and the Severn Estuary. The sparse, fragile folk of Movietone, the claustrophobic beat-driven paranoia of Third Eye Foundation, the riff-forward heavy noise of The Heads, the fuzzed-out krautgaze of Flying Saucer Attack: all of these bands create a sonic landscape into which Beak’s music feels like a natural part. There must be something in the westcountry air. Or the water. Or the drugs.

They also make a sort of sense within a loose constellation of middle-aged British bands at the nexus between krautrock, hard rock and psychedelia, including bands like Part Chimp and Hey Colossus (both connected to the Somerset-based Wrong Speed Records).

There’s something else, though, too. A melancholy that aches through in the music but rarely articulates itself in any explicit way. Barrow’s vocals have an emotionally strangled, weary sort of quality that sound like another of Bristol’s most celebrated sons, Robert Wyatt, calling plaintively for tea from the next room. Perhaps it’s that older sort of Englishness that baulks at the thought of exposing its open emotional wounds, leaving sadness to creep, unaddressed, through its veins. Where the vocals on “>>>>” are audible at all, the closest they get to baring their soul is on the opening “Strawberry Line”, a poignant ode to Barrow’s deceased dog Alfie — who appears on the album cover as an adorable, Godzilla-sized, laser-eyed hound of death, towering over Bristol’s iconic Clifton Suspension Bridge.

The faint tint of melancholy running through the album also lends a sepia sense of loss to the sleek, minimal, krautrockist synths and grooves that drive the music forward. Less explicit, perhaps, but there are tonal parallels with hauntological projects like the Ghost Box Label and more recently acts like the Warrington-Runcorn New Town Development Plan, which look to the future through the prism of now-decayed utopian, modernist projects of the analogue era. Rather than grasping the chaotic future we currently face, it’s as if the band are musically recreating the clean, functional geometry of the postwar Kinneir-Calvert signage system, with mournful folk melodies floating through the songs like green-grey landscapes drifting past rain-speckled car windows. The fragile, lonely, DIY futurism of the BBC Radiophonic Workshop colours the subtly layered production with its playful use of texture and space, while wavering, uncertain synths that won’t hold to a consistent tone on “Denim” play like an electric counterpart to Barrow’s voice;

What it adds up to is a band who are creating a world of their own with its own distinct atmosphere, haunted by the past but striving towards some sort of parallel future. It could be the world of an eerie 1970s-style science-fiction or folk-horror film — Geoff Barrow’s soundtrack work and his Invada label’s release catalogue has certainly spent enough time in those sorts of places — but it’s an inviting sort of otherworld, less Everything, Everywhere, All At Once than a carefully defined area of space within a cacophony of noise.

Zach Bryan - ele-king

 ザック・ブライアンが2022年にリリースしたライヴ・アルバム『All My Homies Hate Ticketmaster(俺の地元仲間はみんなチケットマスターを嫌ってる)』は、ジョン・デンバーの“Take Me Home, Country Roads”のカヴァーから始まる。一音だけでアメリカの田舎の風景が浮かぶようなギターのイントロ、素朴なメロディ。それに応える割れんばかりの大合唱。田舎の道よ、故郷に連れて行ってくれ、帰るべき場所へと。ウェスト・ヴァージニアの母なる山。故郷へ連れて行ってくれ、田舎の道よ……。それは、そこに集まった人びとの心を繋ぎとめる歌として演奏される。アメリカの田舎町で、日々をどうにか暮らす人びとの歌として。続いてブライアン自身の楽曲“Open the Gate”が演奏されると、やはり大合唱が巻き起こる。

 軍隊に入る伝統を持つ家庭のもとで1996年に沖縄で生まれオクラホマで育ったザック・ブライアンは、情熱的な演奏と歌によって近年のカントリーの盛り上がりにおける新世代を代表するひとりだ。ビッグ・シーフやワクサハッチーのようにインディ/オルタナティヴ・ロックの側からカントリーにアプローチする例もあるが、ブライアンはもっと伝統的なカントリー・シーンに属していると言えるだろう。ただ、いまメインストリームでもっとも大きな存在となっているモーガン・ウォーレンなどに比べると音楽的にも存在的にオルタナティヴなところがあり、自分は前作『Zach Bryan』(2023年)を聴いて2000年代後半頃のザ・ナショナルみたいな管のアレンジがあるなと思っていたら、EP「Boys of Faith」(2023年)ではボン・イヴェールをゲストに呼んでいたので、そうした21世紀のUSインディ・ロックに影響されているところは明確にあるのだろう。何かと保守的と言われがちなカントリー・シーンに身を置きながら、シーン内のトランスフォビアを公然と批判していたりするのも存在としての新しさを感じさせる(ふわっとLGBTQの権利を支持すると言うのではなく、いまもっとも攻撃の対象になっているトランスジェンダーの権利をはっきりと主張していることが重要だ)。
 そうした意味でブライアンはクロスオーヴァーと評される向きもあるのだが、大きく言えば伝統に繋がる意思の強いミュージシャンではある。1950年代のホンキー・トンク、1970年代のアウトロー・カントリーを参照しつつ、躍動するカントリー・ロックとして演奏する。何よりも過去や先祖の意思を継承することを感じさせるのである。モチーフの多くは私的なもので、アルコール依存症を抱えて亡くなった母親、軍隊での経験やそれに対する引き裂かれた想い、故郷のオクラホマの風景やそこで生きる人びとに対する心情などを歌っており、そうした個人の悲しみや傷は必然的にカントリーが伝統的に描いてきた物語と重なっていく。『Zach Bryan』の2曲目“Overtime”のイントロでアメリカ国歌が引用されていたように、そして、ブライアンは自身の経験や感情をアメリカの一部として語るのだ。都会の「進歩的な」連中が見落としていた人びとの痛切な現実として。ヒットしたメジャー・デビュー作のタイトルは、『American Heartbreak(アメリカの傷心)』(2022年)だった。
 もうひとつ、ブライアンの音楽を説明するのに欠かせないのがハートランド・ロックだ。ルーツと自らを接続しながら中西部や南部の労働者の心情を表現してきたとされるハートランド・ロックはブルース・スプリングスティーンの『Born to Run』(1975年)によってブレイクスルーしたとされているが、ブライアンがスプリングスティーンとよく比較されるのは『The River』(1980年)~『Nebraska』(1982年)辺りのダークなアメリカの風景においてである。だから、そう、ブライアンが過去の先達から受け継ごうとするのは、繫栄した大国の片隅で取り残された者たちの想いを表明することだ。

 評価と人気がさらに高まるなかでリリースされた5作目『The Great American Bar Scene』は、大きく音楽性を変えることのない分、ザック・ブライアンらしいエモーショナルなカントリー・ロックが詰まったアルバムに仕上がっている。よく響くギター、弦、ハーモニカ。心のこもった歌唱。ジョン・メイヤーのようなスターとの共演曲もあるが、同郷のジョン・モアランドやカナダのノエリン・ホフマンら素晴らしい声を持ったシンガーとのデュエット曲こそがしみじみと染みる。それに、スプリングスティーンが“Sandpaper”で満を持して登場している……そのフォーキーに軽やかな一曲でスプリングスティーンがやや年老いた声で「俺はいまでも伐採工場にいる/きみが隠れられる屋根を作っているだけ」と歌えば、どうしたってこみあげてくるものがある。ブルージーな“American Nights”では、季節労働者がやって来ては去っていく町の風景が活写される。あるいはブライアンの歌の情感がはじめのピークに達するのは、叙情的なフィドルが感情的な昂ぶりを聴かせるカントリー・チューン“28”だろう。そこでは彼がたどり着いた愛が噛みしめられる。彼の歌には、人生で起こるひとつひとつのことを胸に深く刻もうとする意思が宿っている。フォーク・デュオのワッチハウスを迎えた“Pink Skies”から“Bathwater”の穏やかな終わり方も温かい。このアルバムではフォークとカントリーが分化しないものとして鳴らされている。
 たっぷりと19曲、情緒的な光景が次々に出現する一枚だ。2時間を超える長さの『American Heartbreak』をリリースしてからも毎年1時間前後の尺のアルバムを出し続けているブライアンは、批評家にもてはやされるような歴史的傑作を作るというよりは、とにかく次々に曲を出して、ハードな日程のツアーに繰り出すタイプのミュージシャンなのだろう。そんな風にして、庶民が音楽のもとに集まることのできる場所を都会以外の場所にも生み出しているのだ。

 豊かなアメリカから取りこぼされた人びとの心情を切実に掬いあげているとしてJ・D・ヴァンスの『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』が話題になったのが2016年。自分も邦訳を読んで感銘を受けたし、ロン・ハワードによる映画版も観た(映画の出来はあまりよくなかった)。そのヴァンスがトランプのイエスマンとして副大統領候補に選ばれている2024年、僕は大混乱の様相を見せる大統領選挙のニュースから離れて、ビヨンセのカントリー・アルバムを、ワクサハッチーの生命力に満ちた『Tigers Blood』を、あるいはザック・ブライアンのこのアルバムを聴く。カントリーはいま、アメリカの政治的な分裂から距離を取って、ひとりひとりの切り分けられない感情を捕まえようとしているから。そしてブライアンは、アメリカの田舎町のバーに集まった人びとを沸かせる音とともに、「湿っていて、暑い、アメリカの夜」を讃えている。

John Carroll Kirby - ele-king

 2010年代後半、ニューエイジとジャズのあわいを行く作風で徐々にその名を広めていったジョン・キャロル・カービーソランジュのプロデュースからコーネリアスのリミックスまで幅広く手がけるこのLAの鍵盤奏者、近年は〈Stones Throw〉から着々とリリースを重ねている彼の単独来日公演が決定した。しかもバンド・セットと聞けば、どんなパフォーマンスが披露されるのか気になってしかたがなくなる。《朝霧JAM 2024》への出演を控える10月11日、渋谷WWW Xでそのステージを目撃しよう。

ジャズ、ソウル、アンビエントからエレクトロニックまで横断するメロウなサウンドに、どこか癖になる不思議な魅力を携え注目を集めるJohn Carroll Kirby。フルバンドセットでは初となる単独公演が10/11(金)東京・WWW Xにて決定!

SolangeやFrank Oceanのコラボレーターとしても注目され、多くのソロ作を世に送り出し、多方面の音楽ファンやミュージシャンから愛される音楽家・John Carroll Kirby。今年、USではKhruangbinのツアーサポートを務めライブパフォーマンスの実力を示し、またYMOのメンバー細野晴臣のトリビュート企画への参加や、高円寺の街中で撮影したミュージックビデオの公開で話題を呼ぶなど、日本のシーンとの交流も窺える中での待望の来日公演が決定した。昨年のフジロック出演以来の来日となり、フルバンドセットでの初の単独公演となる。

出演が予定されている朝霧JAM 2024直前となる10月11日(金)、東京・WWW Xにて開催。チケットはただいまより抽選先行予約の受付を開始。

John Carroll Kirby
出演:John Carroll Kirby (Band Set)
日程:2024年10月11日(金)
会場:WWW X https://www-shibuya.jp/
時間:open 18:30 / start 19:30
料金:前売 ¥7,800(税込/ドリンク代別/オールスタンディング)

<<チケット>>
先行受付(抽選)
受付期間:7月9日(火)17:00~7月15日(月祝)23:59
受付URL:https://eplus.jp/johncarrollkirby/

一般発売:7月20日(土)10:00-
e+ https://eplus.jp/johncarrollkirby/
Zaiko https://wwwwwwx.zaiko.io/e/johncarrollkirby (English available)

主催:WWW X
協力:SMASH / STONES THROW

お問い合せ:WWW X 03-5458-7688
公演詳細:https://www-shibuya.jp/schedule/018045.php


John Carroll Kirby(ジョン キャロル カービー)
LA出身の鍵盤奏者/プロデューサー/作曲家のジョン・キャロル・カービー。
これまでR&B界のイノベーターでもあるソランジュやフランク・オーシャンとのコラボ、多作のソロ作品リリース、2023年フジロックの出演、クルアンビンとのUSツアーなどで、ジャズ~ソウル/R&B~アンビエント~ニューエイジ~エレクトロニックなど多方面の音楽リスナーから大注目のアーティストの一人である。
2020年、LAの優良レーベルStones Throwからデビューアルバム“My Garden”をリリース。メロウでドリ-ミーなサウンド、ジャズからアンビエントまで飲み込んだこれまでにないフレッシュなスタイルで大きな話題を呼んだ。その後も不思議な魅力に溢れたバンドサウンドや、独創的なエレクトロニックなど、様々なスタイルを取り入れたアルバムやサウンドトラックを次々と発表。現在、6作の作品がリリースされている。2023年には、各方面から称賛されたエディ・チャコンの最新アルバムのトータルプロデュースを行ったほか、自身の最新アルバム”Blowout”も立て続けにリリース。本作はインディー音楽界のグラミー賞と呼ばれる「A2IM Libera Awards」で、Best of Jazz Albumを受賞し高く評価された。2024年にはYMOの細野晴臣氏のトリビュート企画に参加し、カバー曲をリリースしたばかりだ。

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"Rainmaker"
"Sun Go Down"
"Mates"
"Oropendola"
"Blueberry Beads"

John Carroll Kirby - Fuku Wa Uchi Oni Wa Soto (feat. The Mizuhara Sisters)
*Haruomi Hosono cover song 細野晴臣トリビュート企画 カバー曲
https://youtu.be/TLxa-jEgAgY?feature=shared

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