「IO」と一致するもの

坂本龍一の『BTTB』をいま聴いて、思うこと - ele-king

坂本龍一の1998年の『BTTB』が20周年記念盤としてリイシューされた。音楽遺産を現代的な解釈で甦らせたこの作品を聴くこと、彼の原点をいまいちど考察すること、昨年の『async』〜『REMODELS』と来て2018年の現在『BTTB』を聴くことは、わたしたちの視野を新しく広げるだろう。

爪を秘めてあえて穏やかに仕上げる

文:北中正和

 ピアノ・ソロのアルバムはクラシックにはいくらでもある。ジャズにもたくさんある。家庭名曲集その他の名前で有名無名の人が弾いているアルバムも昔から少なくない。80年代にはニューエイジ・ミュージックという名前の音楽も出てきた。近年はジャズ、クラシック、ポップス、アンビエントを横断するようなピアノ・ソロ・アルバムも増えている。
 20年前にこのピアノ・アルバムを作ることになったとき、坂本龍一の脳裏にはどんな思いが去来したのだろうか。著書『音楽は自由にする』の中で彼は、90年代のはじめごろから兆しはあった、『1996』というピアノ・トリオ・アルバムや『ディスコード』というオーケストラ曲を作った流れがあって、「自分の原点であるピアノ音楽を中心にしたアルバム」につながっていった、と語っている。『BTTB』はバック・トゥ・ザ・ベイシックの頭文字である。
 セッション・ミュージシャンとしてポップスの世界に足を踏み入れ、フュージョンのKYLYNやテクノ・ポップのYMOの時期を経てソロやコラボでも多彩な音楽を作ってきた彼は、その前は東京芸大の作曲科でいわゆる現代音楽の世界にいてジャズやロックにも興味を持っていた。さらにその前の少年時代はクラシックのピアノのお稽古もしていた。そんなふうに20世紀以前のさまざまな音楽を吸収してきた彼が「原点」という言葉をどこまで限定して使っているのかわからないが、少年時代に出会ったバッハやドビュッシーから現代音楽まで、あるいは部分的にはジャズまでを含むと推測しておこう。
 ピアノは18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパの産業革命の工業技術の進展とともに改良されてきた楽器で、ピアノの名曲として親しまれているクラシックの多くはその時期に作られている。20世紀のピアノ曲は技法の工夫と共にその先へ進んできた。
 20世紀末にピアノのアルバムを思い立ったとき、彼がそうしたピアノの歴史を想起しなかったとは考えにくい。彼にかぎらず、ピアノのアルバムを作るということは、本人が意識するにせよしないにせよ、また、好むと好まざるとにかかわらず、そんなピアノの歴史を受け継いで上書きすることを意味する。
 『BTTB』はエリック・サティに刺激を受けたと思われる“オパス”からはじまる。サティは生前は同時代のドビュッシーやラヴェルほどには評価されなかったが、20世紀後半に楽譜の発掘やレコーディングが続いた。ミニマル・ミュージックやアンビエントの先駆者という側面からクラシック・ファンにとどまらない人気もある。サティの影は“ローレンツ&ワトソン”にも見られる。19世紀末から20世紀初頭にかけて活動したサティの音楽の要素を20世紀末に置き、新しい要素と組み合わせてみるという楽しい遊びだ。
 ピアノの弦に響きを変える工夫を加えたプリペアド・ピアノを使った“プレリュード”や“ソナタ”は、当然、そのパイオニアである20世紀中期の現代音楽の巨人ジョン・ケージへのトリビュートだ。それに加えて、インドネシアのバリ島のガムランや、ガムラン的な音楽に取り組んだ西洋の作曲家たちへのオマージュも含まれているのかもしれない。いずれにせよ、プリペアド・ピアノをどのように演奏しているのか、どれくらいダビングしたのか、興味をかきたてられずにはいられない複雑なリズムや響きだ。この2曲から、水中マイクで録音した“ウエタックス”へと続くくだりは、このアルバムの中で最も現代音楽的に聞こえる部分だ。
 フランス語で歌を意味し、日本ではフランスの流行歌を指す言葉をタイトルにした“シャンソン”は転調の美しい小品。この曲をはじめ、ゆったりとした“ディスタント・エコー”、印象派的な“ソナチネ”、ロマン派的な“インテルメッツォ”などはこのアルバムの抒情的な側面を担っている。
 ふたつの“コラール”はタイトルからして賛美歌を意識して作られたのだろう。クラシックでは古い時代に栄えた様式だが、ここでは現代的に聞こえるのがおもしろい。カリブ海のドミニカ共和国で生まれ、サルサ・ダンスのチーク・タイムに愛用されるラテン歌謡の分野をタイトルにした“バチャータ”は、左手のリズムにわずかにラテン色が感じられるが、なぜこのタイトルにしたのだろう。娘の美雨のために作った“アクア”はJポップ的なキャッチーなメロディだ。
 こうして久しぶりに『BTTB』を聞き直してみると、曲ごとに多彩な音楽遺産を振り返りながら新しい要素を加えたアルバムであることがよくわかる。それだけ作曲の腕も試されるわけだが、自然な演奏を聞いていると、悩み抜いた印象はない。ポップスの制約から離れて彼はこのアルバムに楽しんで取り組んだのではないだろうか。現代音楽的な作品は、いくらでも鋭利だったり、衝撃的だったりすることが可能で、彼にもそういう作品があるが、ここでは爪を秘めてあえて穏やかに仕上げてある。バランス感覚のよさがよくわかるアルバムでもあると思う。


ピアノの前で

文:平井玄

 半世紀もたてば、思い出は朧になる。
 月に龍と書いてオボロ。俱利迦羅紋紋(くりからもんもん)のタトゥーが眼に浮かぶようだ。月夜に龍が舞う彫りとくれば舞台は女の背だろう。藤堂明保によれば、月は霞みを表す文字の形、龍の方はロウという音韻を示すという。50年、18000回の夜が過ぎる間にその月光の記憶は遠くかすんでいく。現在のビッグバン宇宙論からすれば、人ひとりの生きる時空は砂の粒より儚い。
 それでもこう言っておこう。天空を跳ぶ龍の艶かしい肢体がその一瞬を際だたせる──と。

 「青い月の光を浴びながら 私は砂の中に〜」と黒板に書かれていた。それもくっきりと。
 新宿御苑の緑に面した都立高校と区立中学校が背中合わせに並んでいる。薄いコンクリートの塀一枚を隔てた中学校の2階の窓からは高校の教室が覗ける。中学1年生がそこから見たのはどうやら音楽の階段教室らしい。
 「愛のかたみをみんなうずめて泣いたの ひとりきりで〜」
 誰がやったのか。「砂に消えた涙」の歌詞すべてが書き写されていた。1965年の初夏だったと思う。戦後まだ20年。大正期の白壁にくすぶる黒煙の痕。戦争を生き延びた旧制高校の校舎に似合わない色っぽい歌詞。楷書で綴るチョークの跡が鮮烈だった。まるで篠田正浩のアートシアター映画だ。「砂に消えた涙」は1964年5月にイタリアの歌手ミーナがリリースし、12月には漣健児の訳詞で弘田三枝子がカヴァーした曲。というより、漣は彼女が歌うことをイメージして書いた。13歳の脳髄には弘田三枝子自身の歌として濃密に刻み込まれている。
 「あなたが私にくれた愛の手紙 恋の日記」。カンツォーネというよりメローなR&B。低く歌いだされた声はワンフレーズごとに裏返り、地声と裏声の縫い目はまるでリストカットの傷痕。今カヴァーを聴けば、竹内まりやの囁きも矢沢永吉のゴスペル風もそれぞれにいい。それでも弘田三枝子のあの跳ねるような痛々しさは、1965年の何かだったと思う。
 それから3年後に同じ階段教室で、高校2年生の坂本龍一はある歌曲のコンサートを開く。アルノルト・シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」である。教室の使用許可など取っていないだろう。勝手に東京藝術大学声楽科の女子学生を呼んだ挑戦的なライヴだ。西洋近代音楽の素養など何もない1年生の私は、そのトンガリぶりに感じて教室の隅に座る。この時の衝撃、その訳のわからなさを今も考えている。これは『愛と憎しみの新宿』(ちくま新書)に少し書いた。1969年だったか、そこはオボロ。としても7月の山下洋輔トリオによる早稲田大学バリケード・ライヴのころである。──月夜に龍一が舞う。

 『BTTB』のリマスタリング盤を聴いて想うのはこの経験だ。電子楽器やさまざまなユニット、あるいはネット上で多くの音の実験、化合や交雑を重ねてきた。しかし彼の基底にあるのは端正なピアノの音である。
 今回それを強く感じた。back to the basicというのだからそれも当然だろう。そのbaseが彼の場合かなりアノマリーなのである。すべての作品のいたるところで、何かしら「解決を拒む」ような静かな異例性に満ちている。14の“Aqua”を聴くと、かえってリスナーは讃美歌のような清冽な高揚感を感じてしまうだろう。この曲だけがシンプルなメジャーコードで始まり「ヒーリング的、ニューエイジ系」といわれる由縁だ。それでも割り切れない残余が聞こえてくる。
 昨年、アエラ誌で久しぶりに彼と話をした。その最初に出たのは阿部薫のことである。「なんでそんな完全4度が弾けるんだ!」と、いきなり演奏中にマウスピースを外して阿部は言い放ったという。Bags’ Grooveにおけるマイルスとモンクの喧嘩セッションみたいなエピソードだが、これは事実である。私はその声を聞いていない。しかし1975年ごろのそういう空気は充分に吸い込んでいた。古典的な楽理書で「溶け合う」完全協和音程とされるような音感を、阿部の体は激しく拒む。憎んでいたと言っていいだろう。私もそうだから感染するのである。
 ところがロマネスク時代に対位法が発達すると、4度は不協和音とされるようになった。5度と違い「解決を必要とする」不安定さを残しているからだ。音の近代物理学をめぐる古のテーマだ。したがって最低音との関係で3度をめざして解決が図られる。それができない4度の使用は厳格対位法では完全に禁止された。坂本龍一のピアノはそういうところに踏み込んでいく。決して解決できない領域を彷徨うように。“Aqua”ではそれがよく出ているが、9“Chanson”や15“Energy Flow”にも気配を感じる。

 シェーンベルクに「別の惑星の空気を感じる」というバーンスタインは同時に「12音技法にも隠された調性がある」という。ジョン・ゾーンが「月に憑かれたピエロ」を演奏した「Chimeras」を論じるアレクサンダー・ラインハルトはむしろ「伝統的な調性への回帰」という。ところが無調から12音への狭間で創られたこの曲には、シュプレヒシュティンメという「語り歌」が介入してくる。この声のざわめきが聴く者に感覚の放浪を促すのである。こういうヴォイスの萌芽はドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」に生まれたという。ドビュッシーは坂本龍一の肌になじんだ作曲家なのである。いま思えば、あの音楽教室で演奏された曲はこういう流れの中にあった。
 「解決するな」。唇から血を流す阿部薫の問いかけに、ピアノを前にした坂本龍一は長い時間をかけて応えようとしたのではないか。青い月の光を浴びながら、私は道化師になって弘田三枝子を、阿部薫を想い出す。そして坂本龍一のピアノを聴いて、我々の時代が砂の中に深く埋めた問いを掘り出そうとするのである。


『async』〜『REMODELS』そして『BTTB』というこの流れ

文:野田努

 昨年の『async』〜『async - REMODELS』と来て、今回の『BTTB』再発というのは、ひとつの流れになっている。それはスタイルやジャンルの問題ではなく、内的な一貫性からくる流れのように思える。
 ぼくは“solari”という曲が好きだし、『REMODELS』では“LIFE, LIFE”のアンディ・ストットによるリミックス(remodel)・ヴァージョンが好きだし、なぜかというと昨年からずっとBBCのラジオではなんども再生されているからなのだが、しかしこと『async』は曲単位であれこれいうような作品ではないこともわかっているつもりだ。

 曲によってさまざまなアプローチを見せている『async』は、表面的には優しく見せながら荒涼としていて、抽象的でありながら忘れがたい作品だ。破壊的かもしれないが、それは計算されたものでも政治的主張を果たすものでもなく、逃避でもない。推測で言えば、それは本当に、自分の運命に決意している音楽かもしれないと思う。そしてそれは、露骨な商業主義など眼中にない作品だ。曲の短さも、とりとめのなさも、ありきたりの耽溺を寄せ付けないでいる。とらえどころがないというのに強烈な作品。
 ある意味では孤独なアルバムと言える『async』がそして『REMODELS』となり、(コーネリアスと空間現代を除いては)インストゥルメンタル音楽の気鋭の追求者たち(主にエレクトロニック・ミュージックのシーンにおいて活躍している)によって再構築されたことは、いかなる自発的な芸術表現もアクチュアルに機能するという意味において時代から逃れらないということであり、リミックス盤という媒介によって坂本龍一の創出した旋律の数々はさらにまた多層に拡散したということもである。
 高度に専門化されたクラシック音楽出身の坂本龍一だが、おもにぼくのように体系的な音楽学を知らない感覚的なリスナーが多くを占めるポップ・フィールドで活躍してきている。そして、ときとして発せられる無防備なきわめて情熱的な政治的発言や行動において、日本のポップ・フィールドでは浮いてしまっている。坂本龍一のなかには、音楽がそれ自体として自立しない、社会から切り離されて自己充足的に存在するものではないという感覚が一貫してあるのだろう。音楽に自閉していればこと足りると思っているほとんどの日本のミュージシャンとはそこが決定的に違うし、それは彼が困難な立場を引き受けているということでもである。『BTTB』リリース当時の背後状況に関しては、後藤繁雄さんによる散文詩的ドキュメンタリー『skmt 坂本龍一とは誰か』に詳しい。それはそうとして、最初に書いたようにぼくは『BTTB』を『async』〜『async - REMODELS』という流れで聴いている。

 坂本龍一の原点回帰作として知られる『BTTB』は、クラシカルな曲からガムランやプリペアド・ピアノなど多彩な試みが聴けるものの、わかるひとにしかわからないというアルバムではない。好きなことを好きなようにやったイノセントな作品なのだろうけれど、『async』より口当たりが良いアルバムで、いろんな局面での再生可能な万能薬だ。ピアニストのアルバムであり、また同時に『BTTB』から数年後にエレクトロニカ/IDMからも派生するモダン・クラシカルなる名称のサブジャンルの先駆けと位置づけることもできる。敷居が高く習練を要するクラシック音楽と素人の逆襲とも言えるエレクトロニック・ミュージックのシーンとの回路。サティ風の悲哀を帯びた調べの“Opus”のような曲は彼の内面と決して明るくなれない社会の見通しとどこかでリンクしているのだろうし、しかもそれは、ポスト・モダニズム的なんでもありの修羅場とは微妙に距離を置きながら、アンチ・ミュージックめいた側面を擁するエレクトロニカ/IDMとも接続している。なんとも自由奔放な、おおらかな円環が描かれているようだ。
 それはラヴェルでもドビュッシーでもサティでもなく、コーネリアス・カーデューでもない。世代を超えて成り立つ音の連なりのなかに、坂本龍一にしか描けない円環が見える。音楽は境界線を越えることができるということをぼくたちは知っている。内的な作品であっても、外側に大きく広がる。今年はモダン・クラシカルの起点となったマックス・リヒターの『The Blue Notebooks』(2004年作)がこちらは15周年ということでグラムフォンからジェイリンのリミックス入りで再発されたし、ローレル・ヘイローの新作においてもクラシック音楽との結合術が見て取れたから言うわけではないけれど、『BTTB』はいまこそ聴く必要があるアルバムだ。『async』から『REMODELS』へと漂泊したぼくたちが着地する場所=日々の営みとして、これほど温かく、心休まる穏やかなところはほかにないのだから。


坂本龍一 「energy flow」


Directed by Neo s. Sora and Albert Tholen
Produced by Zakkubalan
zakkubalan.com
goodbabyfilms.com

Brainfeeder X - ele-king

 こんにちは。ロス・フロム・フレンズにドリアン・コンセプトにブランドン・コールマンにルイス・コールにジョージア・アン・マルドロウにと、最近〈Brainfeeder〉関係のお知らせが続いていますが、ついに決定的なニュースが舞い込んできました。設立10周年ということでここ数ヶ月さまざまなアクションを起こしてきた同レーベルが、アニヴァーサリー・コンピレーションをリリースします。詳細は下記をご確認いただきたく思いますが、錚々たる面子が参加しています。CDは2枚組で、ディスク1はこれまでの〈Brainfeeder〉の作品から選りすぐったレーベルの歴史を紐解くような内容、そしてディスク2は新曲や蔵出し音源を詰め込んだレアトラック集となっています。現在、そのディスク1からフライング・ロータスによるブランドン・コールマンのリミックスが先行公開中です。リリースは11月16日。しっかりお財布をマネージしておきましょう。

BRAINFEEDER 10周年記念コンピレーション・アルバムが登場!
フライング・ロータスやサンダーキャットなどの初出し音源が22曲!
レア曲も満載!
全36曲を収録し、豪華パッケージで11月16日(金)リリース!
フライング・ロータスによるブランドン・コールマンのリミックスが解禁!

設立10周年を迎え、怒涛のリリースラッシュ、ソニックマニアでのステージまるごとジャック、売り切れグッズ続出のポップアップショップなど、凄まじい勢いを見せているフライング・ロータス主宰レーベル〈Brainfeeder〉が、輝かしい10年の歴史の集大成としてコアなファンはもちろん、すべての音楽ファンを魅了する超豪華コンピレーションのリリースを発表! レーベルの歴史を彩る代表曲に加え、フライング・ロータスやサンダーキャットなど初出し音源が実に22曲! さらに初めて公式リリースされるレア曲も加えた必聴コンピ『Brainfeeder X』は11月16日(金)リリース! 今回の発表に合わせて、フライング・ロータスによるブランドン・コールマンのリミックスが解禁された。

Brandon Coleman - Walk Free (Flying Lotus Remix)
https://www.youtube.com/watch?v=VhkoMyG1v2c

ジャズ、ヒップホップ、ファンク、ソウル、ハウス、アンビエント、テクノ、フットワーク……あらゆるスタイルのDNAを再編成し、類まれな審美眼を持って、真のグッド・ミュージックを送り出し続けてきた〈Brainfeeder〉。時代が時代なら、サン・ラとも契約を果たしただろうし、アリス・コルトレーンの神秘的かつ霊妙な魂を宿した唯一無二のレーベルと言っても過言ではないだろう。ジョージ・クリントンは、そのほとんどの作品を〈Casablanca Records〉から発表しているが、〈Brainfeeder〉との契約は、ファンクの神にとっても至極当然の展開として、幅広い音楽ファンが喜びをもって支持した。そしてこれは〈Brainfeeder〉以外のレーベルでは全くもって想像できないことである。

LAに端を発したビート・ミュージック・シーンの勃興の中で産声をあげた〈Brainfeeder〉の世に放つ作品には、レディオヘッドからJ・ディラ、エイフェックス・ツイン、DJシャドウ、ボーズ・オブ・カナダ、ドクター・ドレー、ジョン・コルトレーンとその妻のアリス・コルトレーン、ポーティスヘッドなどからの影響が見受けられつつ、そこには必ず刺激的な革新性が存在している。

代表曲を中心に過去〜現在をまとめたDISC 1
ディスク1は、サンダーキャットやテイラー・マクファーリンといった新世代ジャズのキーマン達、先鋭的ヒップホップで注目を集めたジェレマイア・ジェイ、ベース・ミュージックにテクノやハウスを融合させたオランダ人プロデューサー、マーティン、フットワーク/ジュークの最高峰レーベル〈TEKLIFE〉のクルー、DJペイパル、そしてレーベル設立当初からフライング・ロータスと共にビート・ミュージック・シーンを盛り上げたティーブスやデイデラス、トキモンスタら、ジャンルやバックグラウンドを問わず、秀でた才能を発掘し、世に送り出してきたレーベルの懐の深さが味わえる。サンダーキャットの人気曲“Friend Zone”のロス・フロム・フレンズによるリミックスや、フライング・ロータスによるブランドン・コールマンのリミックスもディスク1の最後に聴くことができる。

DISC 2には初出し音源やレア曲が満載!
ディスク2は、フライング・ロータスもプロデューサーとして参加し、バッドバッドノットグッドをゲストに迎えたサンダーキャットの新曲“King of the Hill”が冒頭を飾る。ラパラックス、ロス・フロム・フレンズ、ドリアン・コンセプト、ジョージア・アン・マルドロウら新曲も数多く収録される他、フライング・ロータスとサンダーキャット、シャバズ・パラセズから成るウォークが、ジョージ・クリントンをフィーチャーして発表した“The Lavishments of Light Looking”が初めての公式リリースという形で収録され、先日ついに日本でも公開され話題を呼んだ、フライング・ロータス初長編映画『KUSO』のサウンドトラックからは、バスドライバーをフィーチャーした“Ain't No Coming Back”など、フライング・ロータス関連のレア曲も収録。またPBDY(ピーボディ)、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、リトル・スネイク、テイラー・グレイヴスら、これまでもレーベルに貢献しつつ、今後リリース作品が期待される注目アーティストもここで紹介されている。参加アーティストの一人、ストレンジループは、今現在フライング・ロータスの革新的なライヴ・パフォーマンスのヴィジュアルを担当している知る人ぞ知る存在。そしてロカスト・トイボックス名義でフィーチャーされているデヴィッド・ファースは、俳優、声優、映画監督、ビデオアーティストなど、様々な顔を持ち、フライング・ロータスとはミュージックビデオや映画『KUSO』でもコラボレートしている鬼才だ。

全フォーマット、趣向を凝らしたパッケージ
今作のアートワークは、〈Brainfeeder〉の印象的なオリジナル・ロゴを手がけたチャールズ・ムンカが担当。4枚組LPボックスセットは、ディスク一枚一枚がデザインの異なるインナースリーヴに収納され、10周年記念ロゴが型抜きされたハードケース入り。国内盤CDは、解説書が封入され、数量限定の初回盤は、LPボックスセットのデザインを踏襲した特殊スリーヴケース付きの豪華仕様となっている。なお輸入盤CDのフロントジャケットは、4種類のカラー展開で発売される。

〈Brainfeeder〉の輝かしい功績と“今”、そして未来を詰め込んだ超豪華コンピレーション・アルバム『Brainfeeder X』は11月16日(金)世界同時リリース! 今作は、〈Brainfeeder〉10周年キャンペーン対象商品となり、国内盤CDには、初回盤、通常盤ともに10周年記念ロゴ・ステッカー(3種ランダム)が封入される。

label: BRAINFEEDER / BEAT RECORDS
artist: Various Artists
title: Brainfeeder X

限定国内盤2CD BRC-586LTD ¥2,800+税
特殊スリーヴケース付き/解説書封入

通常国内盤2CD BRC-586 ¥2,500+税
解説書封入

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9868

[TRACKLISTING]

DISC 01
01. Teebs - Why Like This?
02. Jeremiah Jae - $easons
03. Lapalux - Without You (feat. Kerry Leatham)
04. Iglooghost - Bug Thief
05. TOKiMONSTA - Fallen Arches
06. Miguel Baptista Benedict - Phemy
07. Matthewdavid - Group Tea (feat. Flying Lotus)
08. Martyn - Masks
09. Mr. Oizo - Ham
10. Daedelus - Order Of The Golden Dawn
11. Jameszoo - Flake
12. Taylor McFerrin - Place In My Heart (feat. RYAT)
13. MONO/POLY - Needs Deodorant
14. Thundercat - Them Changes
15. DJ Paypal - Slim Trak VIP
16. Thundercat - Friend Zone (Ross from Friends Remix)
17. Brandon Coleman - Walk Free (Flying Lotus Remix)

DISC 02
01. Thundercat - King of the Hill (feat. BADBADNOTGOOD)
02. Lapalux - Opilio
03. Ross from Friends - Squaz
04. Georgia Anne Muldrow - Myrrh Song
05. Dorian Concept - Eigendynamik
06. Louis Cole - Thinking
07. Iglooghost - Yellow Gum
08. WOKE - The Lavishments of Light Looking (feat. George Clinton)
09. PBDY - Bring Me Down (feat. Salami Rose Joe Louis)
10. Jeremiah Jae - Black Salt
11. Flying Lotus - Ain't No Coming Back (feat. BUSDRIVER)
12. Miguel Atwood-Ferguson - Kazaru
13. Taylor Graves - Goku
14. Little Snake - Delusions
15. Strangeloop - Beautiful Undertow
16. MONO/POLY - Funkzilla (feat. Seven Davis Jr)
17. Teebs - Birthday Beat
18. Moiré - Lisbon
19. Locust Toybox - Otravine

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〈Brainfeeder〉10周年キャンペーン実施中

CAMPAIGN 1
対象商品お買い上げで、〈Brainfeeder〉10周年記念ロゴ・ステッカー(3種ランダム/商品に封入)をプレゼント!
CAMPAIGN 2
対象商品3枚お買い上げで、応募すると〈Brainfeeder〉10周年記念特製マグカップもしくはオリジナル・Tシャツが必ず貰える!

応募方法:
対象商品の帯に記載されている応募マークを3枚集めて、必要事項をご記入の上、官製ハガキにて応募〆切日までにご応募ください。

キャンペーン対象商品

キャンペーン詳細はこちら↓
https://www.beatink.com/user_data/brainfeederx.php

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『Brainfeeder X』にもフィーチャーされているハイパー・マルチスペック・アーティスト、ルイス・コールが12月に来日!

TOKYO: 2018/12/13 (THU) @WWW X
OPEN 19:00 / START 19:30

KYOTO: 2018/12/14 (FRI) @METRO
OPEN 18:30 / START 19:00

前売 ¥5,800(税込)
別途1ドリンク代 / ※未就学児童入場不可

チケット詳細

[東京公演]
イープラス
●ローソンチケット 0570-084-003 (Lコード:74741)
チケットぴあ 0570-02-9999
Beatink
Clubberia
iFLYER

INFORMATION: BEATINK 03-5768-1277 / www.beatink.com

[京都公演]
イープラス
●ローソン (Lコード:56266)
ぴあ

INFORMATION:METRO 075-752-2787 / info@metro.ne.jp

interview with Orbital - ele-king

音楽の核……つまり作家でいう声……はつねに自分の中にあるもので、俺が14歳のとき、初めて作曲をしたときから現在に至って存在するものだ。それは人間の核のようなものであり、変わらないものだ。


Orbital
Monsters Exist

ACP Recordings / Pヴァイン

Techno

Deluxe Edition
Amazon Tower HMV iTunes

Standard Edition
Amazon Tower HMV iTunes

 もはや習性というのか、オーソドックスなテクノやハウスのシングルも日に10から20枚は試聴してしまう。RAが毎月集計しているベスト50もイントロぐらいは聴いている。コンピレーションもバリバリ聴いている。この夏のお気に入りはDJコーツェ“Hawaiian Soldier”やバンボウノウ“Dernier Metro”、あるいはデイヴ・アジュ“They Sleep We Love”やトマ・カミ“Sharp Tool In The Shed”などだった。テル“Cool Bananas”のベース・ラインが頭から離れず、あまりの暑さでバカになったのかと思う日もあった。
 古くからの読者がいるとしたら少しは驚いてもらえるのではないかと思うのだけれど、〈ハートハウス〉や〈ストリクトリー・リズム〉、〈リリーフ〉や〈トレザー〉の新作まで聴いている。というより、ここ数年はその辺りの音を聴いていてもまったく違和感がないといった方がいいだろうか。ごく最近、リリースされた例で言えば『Future Sounds Of Jazz』の「Vol. 14」に〈ニュー・グルーヴ〉から91年にリリースされたベイジル・ハードハウス“Breezin’”が紛れ込んでいたり、ハーバート「Part Two」や「Part Three」がリプレスされ、ペギー・グーが“At Night”をリミックスし、そもそも〈ムードミュージック〉のコンピレーション・タイトルが「バック・トゥ・ザ・フューチャー」である。ぜんぜん進歩がないというか、大して違いがないなら、どうせだったら懐かしい曲を聴いちゃうぞと思うこともしばしば。テクノやハウスの新曲にはそれぐらい新鮮味が薄い。90%以上がただの焼き直しだし、ヴァリエイションの域を出ない。そう思って、ある種の充実感を求めてクラシックばかり聴き出すと、いつのまにか80年代も通り越してピンク・レディーまで聴いているので、過去というのは実に恐ろしい。しかも再発見などというファクターも潜んでいたりするので実にややこしい。皆さんはどうやって過去から逃れているのでしょうか。
 オービタルのクラシックも強力である。正直言ってデビュー当初から現在に至るまで、そんなに難しいことや抜きん出たことをやってきた人たちだとは思わないんだけれど、にもかかわらずオービタルやアンダーワールドが国民的バンドとしてイギリスの音楽界にしっかりと君臨しているということは、その単純さがイギリスの国民性だとかウサギの穴だとかにピッタリとハマってしまったからだと考えるしかないだろう。僕はアメリカの音楽ではドライすぎるし、日本の音楽はウェット過ぎると感じるタイプなので、その中間あたりを狙ってくるイギリスの音楽が最も肌には合っている。“Chime”や“Belfast”、“Lush”やゴールデン・ガールズ名義の“Kinetic”は飽きないし、嫌いになりようがないというか。
 オービタルは2002年に解散し、2009年に活動再開、さらに2014年にまた解散するなど、まったくもって安定感がないけれど、この10年ぐらいはおそらく弟のポール・ハートノルだけが曲をつくり、兄のフィル・ハートノルはライヴを手伝っているだけというスタンスに見える。なので、6年ぶりとなる新作の『Monsters Exist』もポール・ハートノルがインタヴューに応じてくれた。


俺がやっていることは、初期のロックンロールの人たちがやっていたことと大して変わらないと思う。バディ・ホリーの“Peggy Sue”を聴いても、俺は同じことをやっていると思う。

イギリスは学校教育でDJのやり方を教え始めましたけれど、オリジナル・レイヴ世代としてはどう思われます? 政府としては外貨を稼ぐ手段として肯定したということだと思いましたけれど。

ポール・ハートノル(Paul Hartnoll、以下ポール):それは知らなかったな! DJもスキルのひとつだ。それを学ぶのは良いことなんじゃないか? レイヴ・カルチャーを取り巻く状況は30年前、ひどいものだった。政府が実際に何を考えて、そういう教育を始めたのか分からないが、おそらく政府で働いているやつの多くが昔はレイヴァーだったんだと思うよ。だからレイヴ・カルチャーはイギリスに浸透しているし、レイヴ・カルチャーはいまとなってはイギリスの一部だと言えると思う。

同様にイギリスでは建築法が変わり、これから建設される建物の中では大きな音を出してもDJやオーガナイザーが罪に問われることはなく、建築業者が罪に問われることになりました。今年はフェンタニルのせいでイギリスの野外フェスはすべて中止のようですけれど、基本的にはここまでレイヴ・カルチャーが肯定されるということについてはどう思いますか? クリミナル・ジャスティス・ビルに違和感を表明していたあなたたちとしては。

ポール:建築法について詳しいことは分からないが、この国の騒音に対する対応は、俺が知っているなかでも最悪だと思う。俺が訪れたことのある他の国では、どこでもサウンドシステムやPA関係の法律が、イギリスのものよりずっと優れている。イギリスの騒音規制や時間規制は不自由なものばかりだ。特にPAの音に関しては非常に制限が厳しい。バカげた話だよ。俺が行く他の国の多くが、騒音に関してはイギリスよりも良い法律が設定されている。

青木:それは他のヨーロッパの国ということですか? それとも一般的に海外の方がイギリスよりも音を出しやすいと?

ポール:海外全般だね。イギリスのように音に関してヒドい制限がある国はあまり聞いたことがないよ。

2年前のウクライナやハンガリーなどレイヴを取り巻く状況はイギリス以外のヨーロッパでは非常に厳しいものがありますが……

ポール:断っておくが俺はプロモーターでもないし、他の国に住んでいるわけでもない。だからレイヴをやれる状況についてはよく知らない。だが、オフィシャルなクラブやフェスティバルに関して言うと、イギリスは厳し過ぎる騒音の制限のせいで、自由にやらせてもらえないことが多い。俺がいままで行ったことのある国でのクラブやフェスティバルの方が、騒音の制限がないから、ずっと良い音が出せる。他の国でレイヴをやるのがどれだけ大変かというのは、俺ははっきりとは言えないが、ちゃんとした音響を組める場合には、他の国でやる方がずっと良い音が出せることは確か。

マット・ドライハースト(Mat Dryhurst)やアムニージア・スキャナー(Amnesia Scanner)などブロック・チェーンがレイヴ・カルチャーを初期衝動に揺り戻すと考えているプロデューサーもいますが、オービタルとしてはレイヴはどのような方向に向かうべきだとお考えですか?

ポール:ビットコインがどうやってレイヴ・カルチャーを変えることができるんだい?

青木:匿名の番号を招待状として人々に渡し、その番号からレイヴの場所などの情報を入手できるという仕組みだそうです。

ポール:つまり、違法レイヴへの招待状をブロック・チェーンで送るということだな?

青木:そうです。ですからプロモーターの情報も匿名のままで、招待状を受け取った人しかレイヴには行けないということです。

ポール:それは考えたな! 80年代後半にやっていたやり方よりも、そっちの方が良いな。昔は、どこかのガレージから、特定の時間に、秘密の電話番号にかけなくてはいけない、とかそんなだった。レイヴが、どんな方向に向かうべきかは分からない。俺は一度もレイヴを企画したことがない。それは他のやつの仕事だ。俺じゃなくてプロモーターの仕事だ。俺は演奏する方だ。それにオービタルとして、俺たちは毎回、機材を持って参加する。だから、ステージや機材の設置や解体があるから、違法レイヴでは演奏ができない。何千ポンドもする機材を持って違法レイヴに出るにはリスクが大き過ぎる。だから俺たちは違法レイヴには出たことがない。過去に、若い頃、違法レイヴでDJをしたことならあるよ。でもいまはそういうことはやっていない。フェスティバルなどの出演に力を入れている。

オービタルがいま鳴らすべきだと思うサウンドはあなたの内面から湧いてくるものですか、それとも外部からの刺激に対するリアクション?

ポール:トリッキーな話だが、両方だと思うね。音楽は内面から湧いてくるものだ。音楽の核……つまり作家でいう声……はつねに自分の中にあるもので、俺が14歳のとき、初めて作曲をしたときから現在に至って存在するものだ。作曲のスキルは上達していると思う。話すのと同じで、自分の表現したいこと、つまり声を、音楽にして表すというスキルだ。そのスキルは時間をかけて徐々にうまくなっていく。その一方で、音楽のスタイルは、外部からの影響が大きいと思う。テレビドラマの音楽やダンス・ミュージックなど、他の人の音楽を聴いて、「これは良いな。俺もこういうのをやってみよう」と思う。それが外部から影響されたスタイルだ。だが奥にある、自分が発する声で、感情的なもの、そして、どうやってコードをまとめるか、というのはあまり変わらない。それは人間の核のようなものであり、変わらないものだ。外部から得るスタイルは、人間が着る服のようなもの。服を着て、その服で1年を過ごす。そして服を着替える。服には移り変わりがある。スタイルにも移り変わりがある。それは、他の人のスタイルと交換可能だから楽しい部分だ。だが実際の声の部分に関しては、もしラッキーなら、人々は君の声を好きでい続けてくれるだろう、という程度。俺は音楽を30年間書いてきた。オービタルの声をみんながまだ好きでいてくれるということは、俺にとって幸運なことだと思う。

ユーチューブで、この春に行われた「The Biggest Weekend Belfast 2018」を観ましたが、新曲の“Tiny Foldable Cities”から“Satan”に続くところなど新旧の曲が完全にシームレスで繋がっていました。時間の隔たりにはなんの違和感も感じていないという感じですか?

ポール:感じないね。さっき話したことと繋がるけど、スタイルには移り変わりがある。スタイルは30年で変わったけど、その変化は繰り返している。現在の音楽には80年代の音楽の影響が非常に強い。ネットフリックスの最新映画を観たときも、設定は現在なんだが、音楽は80年代のティーン映画『プリティ・イン・ピンク』でかかっているようなものだった。いまでもそういうのが人気なんだ。音楽とスタイルは流行を繰り返す。デカい車輪のようなものだ。車輪は泥を走り、その途中で様々なものを拾って行く。そして新しい技術などが生まれる。俺たちは、短時間で作曲された曲“Tiny Foldable Cities”をかけ、次に古い曲である“Satan”をかけた。だが“Satan”は数年前、俺が曲を少し改良したんだ。だから新しいフレーヴァーが加えられている。曲は同じだ。つまり同じ声だ。だがスタイルが変わった。だが面白いことに、俺が改良するときに選んだスタイルは80年代中盤から後半にかけてのスタイルだった。だから“Satan”は過去のスタイルを加えることによって、新しくなり、いま、オシャレと言われている音へと前進したことになる。そんなことになるなんてクレイジーだろ? ライヴのセットを考えるとき、俺たちには30年分の音楽から選択する。だから曲と曲を繋げたときにうまく繋がる曲を選ぶようにする。そこからつくり上げていく。とにかく、スタイルは移り変わっていくものだ。スタイルで遊ぶのはとても楽しいことだと思うが、音楽の本質、奥にある声というものが何なのかということを考えて、ライヴのセットを組む必要がある。あのセットでは“Satan”をあそこに持ってきたことでうまくいったと思う。“Tiny Foldable Cities”はソフトでメロディックな曲だから、その後は、テンションを上げる必要があった。だからうまくいったと思う。

『Monsters Exist』の音作りはむしろ90年代を念頭に置いていると思ったんですが、90年代と現在で最も似ているところと、まったく異なっていると思うところは何ですか。

ポール:面白いね。俺たちは90年代の音に影響を受けて今回のアルバムを作ったとは思わない。だが無意識にその影響はあるのかもしれない。アルバムをミキシングしたのはスティーブ・ダブと言う、ケミカル・ブラザーズのアルバムのプロデュースやミックスをしている人だ。彼も俺たちと同じくらいの業界経験を持つ、オールドスクールな人だ。俺たちと彼には90年代というルーツが共通してある。それが自然に音楽に反映されたのかもしれない。それは意識していなかったことだ。意識したのは、音楽がそうでなくても、プロダクションに関しては踊れる感じにするということだったね。それで、質問の後半部分は何て言っていたんだっけ?

青木:90年代と現在で最も似ているところと、まったく異なっていると思うところは何ですか。

ポール:いまの技術は90年代のものとまったく異なっているね。エレクトロニック音楽に関しては特に、やりたいことが簡単にできるようになった。デジタルレコーディングが可能になってからは、ロック音楽も同様だと思う。90年代頃からデジタル技術が出始めていたけど、まだテープに録音するのが主流だった。それは制作過程の早い段階で物事を決定しなくてはいけないということだった。いまは何も決めなくて良い。アルバムをリリースするギリギリ前まで変更が可能だ。そういうことが簡単にできるようになった。いまは、自分を律するということを知らなくてはいけない。どの時点で作品が完成したかを見極めるのは、作曲家やプロデューサーやエンジニアにとって、何よりも偉大なスキルだと俺は思っている。アイデアがあってそれを、この地点から、あの地点へと持っていく。そして、あの地点へ持っていったらそれは完成だ。その途中で考えが変わることも、もちろんあるだろうが、この地点からあの地点へ行き、それを達成したから、このアイデアは良しとして完成とする。そして次に進む。それが大事だと思う。その方が音楽のアイデンティティも上手く保つことができると思う。アイデアをずっと練り回していたり変え続けたりしているのは危険だ。パレットで色を混ぜているのと同じで、ずっとやっていると最終的には茶色くなって終わる。せっかく綺麗な色が作れるというのに。

青木:では90年代と現在で最も似ているところは何でしょうか?

ポール:何だろう……音楽はほぼ同じだと思う。昔から変わっていない。音楽はトライブが基本となっているものだ。クラシックを含まない、フォーク音楽のことだけどね。ここで言うフォーク音楽にはロックもダンス・ミュージックも含まれる。楽譜を書いてつくる音楽ではなくて、耳を使って作曲するような音楽。クラシックではなくて、民芸としての音楽。そういう音楽はあまり変わっていないと思う。俺がやっていることは、初期のロックンロールの人たちがやっていたことと大して変わらないと思う。バディ・ホリーの“Peggy Sue”を聴いても、俺は同じことをやっていると思う。俺は歌ってはいないし、そのやり方も全然違うけど、ノリの良いリズムに響きの良いメロディが被さっている。あまり複雑でもないし長くもない。同じ感じだろ? だから音楽はあまり変わっていないと思う。技術は変わったよ。制作をするのがずっと簡単になった。だが簡単になったのはまやかしで、誰もが音楽をつくれると思ったら、それは違う。ギターを誰にでも渡すことはできるが、全員がギターを弾けるというわけじゃない。スタジオや技術に関しても同様だ。スタジオで作業できても、自分が達成したいヴィジョンがなくては、スタジオで混乱するだけだ。ヴィジョンを達成するということが本当のスキルだと思っている。そういう意味では、音楽自体はまったく変わっていない。

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俺にとって「Monsters Exist」というのは「この先、洪水注意」と書いてある道路表示のような、注意警告だ。中世の古い地図を見ていて、この先にはドラゴンやモンスターがいるから、その絵が描いてある、そんなイメージ。

タイトルにある「Monsters」と聞いて僕が最初に想像したのは、例の「GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)」というやつでした。ジョージ・グライダー(George Gilder)は最近の著作『ライフ・アフター・グーグル』でビーグ・データを解析するというビジネスモデルは終わると予言しています。シンギュラリティも起きないと。ちょっと楽観的かなと思いますが、「GAFA」とあなた方の「Monsters」観はズレますか?

ポール:ズレてはいないと思うよ。俺はその企業のことは全然考えていなかったけどね。俺にとっての「Monsters」は政治家やいじめっ子だ。だが確かに、いま挙げた4大企業も「Monsters」として捉えることができるね。俺にとって「Monsters Exist」というのは「この先、洪水注意」と書いてある道路表示のような、注意警告だ。中世の古い地図を見ていて、この先にはドラゴンやモンスターがいるから、その絵が描いてある、そんなイメージ。「モンスターはいるから気をつけなくちゃいけない。剣と盾を持って自分を守らなきゃいけない」。そんなメタファーだ。個人的に俺はモンスターが誰であるかということは言わないようにしている。「ドナルド・トランプはバカ者だ」というタイトルのアルバムを出すこともできるが、そんなことをしてもトランプ支持者を怒らすだけだ。「Monsters Exist」というタイトルのアルバムを出せば、トランプ支持者でも「そうだ、俺もグーグルは嫌いだ」と納得してくれる。人に鏡を向けているようなものだ。「君にとってのモンスターは誰だ?」と。君にとってのモンスターが誰であるか考えてほしい。君は「GAFA」を思いついて、それはそれで結構なことだ。アルバムを聴くとき、そのモンスターたちについて考えてほしい。それが君の聴き方であり、そうすることによってアルバムは君のモンスターについて語るだろう。そういう聴き方をしてもらいたい。

オービタルが紡ぎ出すメロディは古くは中世のジョン・ダウランドに通じる英国調というか、どことなく無常観が内包されていると感じますが、この世界の可能性をどこかで諦めているという感覚があるんでしょうか? 『Snivilisation』(94)などはその感覚が怒りとして出てきたのかなと。

ポール:その作曲家は知らないな。むしろレイフ・ヴォーン・ウィリアムズのような音が入っていると俺は勝手に思っているけれど。だがそれもフォーク音楽が大好きだということが共通していると思う。イギリスの古いものからの影響は多い。70年代のテレビ音楽や、BBCのラジオフォニックワークショップ(『IDMディフィニティヴ』P37参照)でかかっていた音楽などが、オービタルの音楽に反映されている。それらの音楽にはフォークな感じがあり、オールドイングリッシュな感じがしていたから。俺はフォーク音楽もよく聴く。その影響も俺たちの音楽に出ていると思う。俺は昔から中世っぽい音や、フォーク音楽が好きだった。レコーダーやパイプオルガンの音など、当時のインストラメンテーションが好きだ。管楽器のサウンドは魅力的だと思う。オーケストラの管楽器セクションも昔から好きだ。だからそういう時代や音の影響は確かにある。君が言ったジョン・ダウランドもイギリスの典型的な作曲家なら、彼の影響もオービタルの音楽に反映されていると思う。ジョン・ダウランドという名前だな? メモして後で調べてみよう。確かにオービタルの音楽には英国調な、フォークロア的な要素が含まれていると思う。そしてこのアルバムには怒りも含まれている。『Snivilisation』ではパンクロックやインダストリアル・ファンクのダークな過去に迫った作品だった。〈ファクトリー・レコード〉など、エレクトロニック音楽のムーディーな一面に対する俺たちの愛情を表現したアルバムだった。

ちなみにゴージャスな音作りは全体に楽しい響きがまさっていて、タイトルが示すような危機感はあまり喚起されませんでした。そういう聴き方じゃダメなんですよね?

ポール:そんなことないよ。どんな聴き方をしてもいいんだ。このアルバムには、ニヤリとしてしまうようなサウンドは確かにある。元々は怒りのこもったアルバムを作ろうという話をしていた。政治的にもこの世の中は怒りであふれている。その一方で、その混乱から逃避できるようなものをつくりたいという気持ちもあった。そのふたつの意図のちょうど真ん中くらいに着地できたと思う。タイトルは『Monsters Exist』で、アルバム・アートもそれらしいイメージが描かれている。だがモンスターが誰であるかということは明確にしていない。俺にとっては、現代のサウンドトラックみたいなものだ。映画音楽やテレビ音楽を手がけるアプローチと一緒で、現代の状況に合った音楽を作るような感じで今回のアルバムをつくった。だから恐ろしい部分もあるし、爆笑してしまう部分もある。この時勢において、イギリスがEUを脱退したのは、狂気の沙汰としか言いようがない。政治家やブレグジット支持者は何をやりたいのかまったく分かっていない。いや、彼らは、古き良きイギリス帝国に戻ろうとしていたんだ。それは本当にバカげたことだ。イギリスがどれだけ保守的でちっぽけな諸島だということが分かるだろう。“Hoo Hoo Ha Ha”や“P.H.U.K.”などの曲はアッパーで楽しい曲だけどそこには歪みもある。ピエロが乗っている車や、車輪がいまにも取れそうなジェットコースターのような歪みがある。「わーい! ジェットコースターだ! でも本当に死ぬかもしれない!」そんな感じ。そこには奇妙にひねくれた感じがある。それが現在のヒステリックなイギリスを表している。イギリス国民は、ブレグジットという崖っぷちへ喜び勇んで走っている。だが、その先はどうしたら良いのか誰も分からない。本当に話にならないよ! 俺はヨーロッパに行くと、「俺はブレグジットを支持しなかった。あれとは一切関係ない」と、まずみんなに謝らないといけないから本当に恥ずかしいよ。とにかく、アルバムは現状を表現したサウンドトラックだ。そこには“Monsters Exist”や”The Raid”などダークな雰囲気の曲もあれば、最後には大学教授であるブライアン・コックスが深い真理を語っている曲もある。現在の世界の状況やそれに対する忠告が含まれている。“Vision OnE”は「これは一体何を意味するんだ?」という感じもあるし、英国調のフォークっぽい感じもある。“Vision OnE”は比較的今回のアルバム制作段階の初期にできた曲だ。「何が起こっているの? 俺たちは何をやっているんだ?」という警告がなされている。

『Monsters Exist』を聴いてもしょうがないと思う人は誰かいますか? ロシア叩きに忙しいテリーザ・メイを除いて。

ポール:テリーザ・メイが聴いたら、少しは彼女の役に立つんじゃないかな? いや、むしろ鏡を見て自分に聞いてほしい。「私はブレグジットを実現した間抜けとして歴史に残って良いのだろうか?」と。それは冗談で、すべての人がアルバムを聴くべきだ。そしてすべての人がアルバムを買ってくれたら嬉しい。

ちなみに10日ほど前、フランス政府が環境問題に取り組む気がないことに反発してフランスのユロ環境相が電撃辞任しました。こういう政治家は信用できますか?

ポール:この政治家については知らないから、いま、君が言ったことに対するコメントしかできないけど、それは正しいことをしている人のような気がする。政治家がそういう形で辞任するときは、信条があってそうすることが多い。最近の政治家は、政治家としての仕事をする人よりも、キャリア志向で政治家をやっている人が多い。政治家なら状況が良くなっても悪くなっても自分の信条を貫くべきだ。権力を保とうとするゲームをしているやつらが多すぎる。だからそのフランスの政治家には、正しいことをやろうという姿勢が感じられる。そういう人がたくさん政治に参加してくれたら良いと思う。

今回、ゲストで参加しているのは物理学者のブライアン・コックスだけですか?

ポール:そうだ。彼の、人生を肯定する「何をやってもOK!」という内容のスピーチを最後に入れた。彼のテレビ番組が大好きで、彼に連絡を取り、最終的に、俺が話してもらいたかったそのままのことを話してくれたから最高だったよ。彼と話し合って、最近、彼が読んだ本からの結論部分を彼が読んでくれた。そしてそれを持ち帰り、素敵な曲になるようにまとめた。

ちなみに前作『Wonky』でレディ・レッサー(Lady Leshurr)を起用したのはなぜですか? グライム嫌いにも届いてしまう彼女の才能はすごいですよね。

ポール:彼女は素晴らしいよ。友人を介して彼女を知ることになった。俺たちは女性のラッパーを探していたんだ。彼女の名前が挙がったから、“Lego”という彼女の曲を聴いて「彼女は最高だ! 俺たちにぴったりだ!」と思った。まさに俺たちが求めていた人材だった。何年か前、BBCの「アーバン・プロームス(URBAN PROMS)」というテレビ番組に出演していたときも出演者の中で圧倒的に彼女が上手かったよ。

君にとってのモンスターが誰であるか考えてほしい。アルバムを聴くとき、そのモンスターたちについて考えてほしい。それが君の聴き方であり、そうすることによってアルバムは君のモンスターについて語るだろう。

若手で気に入っているのはネイサン・フェイクだとか。ほかに若手のプロデューサーでひとり、同世代のプロデューサーでひとり、それぞれ気になる人を挙げて下さい。

ポール:同世代のプロデューサーで好きな人と若い世代のプロデューサーだね。同世代だと俺はエイフェックス・ツインの音楽をいまでも楽しんでいる。彼は本当に笑わせてくれるよ。ミステリアスに見せているペルソナも好きだし、彼の音楽はいつも興味深い。彼の音楽のすべてが好きというわけではないけれど、興味はそそられる。彼は最高だよ。新鮮味を失っていない。あとは誰かな? 若い世代だとネイサン・フェイクと同世代でジョン・ホプキンスが好きだ。そんなに若くもないけど、俺にとっては若い世代だ(笑)。彼はつねにダンス・ミュージックやエレクトロニック音楽の構成が何であるかという限界に挑戦していると思う。だから彼には興味がある。“Emerald Rush”という最近の彼の曲は素晴らしい。とても面白い曲で、この曲を聴くと、「これはどうやってつくっているんだ?」と気になる。エレクトロニックな音で、俺に「これはどうやるんだろう?」と疑問に思わせることができるというのは良いことだ。

ローレル・ヘイローがゴールデン・ガールズ名義の“Kinetic”を『Minutes From Mirage』でミックスしていて、ちょっと驚きました。最近、あなた方の曲を若手が使って、その使い方などで驚かされたというようなことはありますか?

ポール:ないね(笑)。

青木:あるでしょう!

ポール:“Belfast”がミックスされたのをどこかで聴いたけど、それももう8年くらい昔のことだ。俺は最近はもう踊りに行ったりしない。フェスティバルやレイヴには行くけど出演者として行く。これはあまり言いたくないけど、50歳になった俺はもうあまりレイヴしなくなってしまったんだ。クラブにも行かない。嫌いなわけじゃないけど、もう興味がなくなってしまった。俺には子どもが3人いる。彼らと家でホラー映画を見ている方が楽しい。だがフェスティバルやレイヴに行くときは会場を歩き回り、どんなイベントなのか自分でも体験するようにしている。最近のイベントがどんな感じかを見るのは楽しいし興味深い。俺も実はどこかで最近、ゴールデン・ガールズがかかっているのを聴いたんだ。どこだったかな? 嫌だな、思い出せない。どこかでかかっていて、この曲がまだかかっているなんて面白いなと思った記憶がある。“Kinetic”は変な曲で、あの感じがずっと続く。

さらに新作から離れてしまいますが、個人的にはニコラス・ウィンディング・レフンの『Pusher』でサウンドトラックを手掛けたことも驚きでした。あれはどんな経緯で手掛けることになったのでしょう。

ポール:昔からの友人でロル・ハモンドという奴がいて、彼はドラム・クラブというバンドをやって、ドラム・クラブというクラブもロンドンで経営していた。

行ったことあります。地下鉄の廃線にあったクラブですね。

ポール:そう。彼が『Pusher』の音楽監督をやっていて、俺たちに合う仕事だと思ったらしい。彼が連絡をくれて「やらないか?」と聞いたとき、俺たちはちょうど『Wonky』をミキシングしているところだったから「時間がない」と答えた。だが、彼から再び連絡が入り、「頼むからやってくれよ!」と言われたので、それならオービタルとしてやることにして、フィルにも参加してもらうことになった。『Wonky』のアルバムをミキシングしにロンドンに通う電車の中で、サウンドトラックの作曲のスケッチをすべて完成させ、アルバムをミキシングしている傍ら、サウンドトラックの作曲を進めた。サウンドトラックのスケッチを数週間で完成させ、『Wonky』のミキシングが終了した後、2週間かけてサウンドトラックをミキシングして完成させた。すごく楽しい企画だったし、参加できたことは光栄だったよ。

最後の質問です。あと何回ぐらい解散する予定ですか?

ポール:数週間後には解散する予定だよ。それは冗談で、もう解散はしないと思う。俺たちは約束をしたんだ。どんな馬鹿げた事情や理由があっても、バンドは解散させないと。バンドはこの先ずっと続ける。それが俺たちの計画だ。

青木:ありがとうございました! 日本に来るのを楽しみにしています!

ポール:ありがとう! 日本には来年の夏まで行く予定がないんだけど、もっと早く行きたいからそれが実現できるようにプッシュしているんだ。いまはライヴで忙しいから詳しくはまだ分からないけど、早くまた日本に行きたいよ!

青木:お待ちしています!


interview with Cornelius - ele-king

 『Mellow Waves』は、決してトレンディなサウンドというわけではないし、シーンを調査して作ったというよりは独自のアプローチを持っていて、日本のポップスとしては珍しく、言うなればここ数年のジェイムス・ブレイクからザ・XX、フランク・オーシャンらをはじめとするメランコリーな潮流にリンクするアルバムだった。歌の主題はバラ色の生活でもなければ太陽でもなく、雨や夜と共鳴する内省的なものばかりで、しかし音のほうは新鮮だった。時代感覚に優れているし、たとえばエイフェックス・ツインや坂本龍一と同じステージに出ていっても違和感のない日本のロック・ミュージシャンは、小山田圭吾のほかに誰がいるのだろう。控え目に言ってもこれはすごいことだし、日本のことに若い音楽の多くが政治と同じように内向きになっている現状を考えれば、どんなに歳をとっても尖っていて、土着性に対してもドライでいられるコーネリアスは、いまでも希有な存在だと言える。
 この度リリースされる『Ripple Waves』は、『Mellow Waves』と同じ時期に発表されたアルバム未収録曲とリミックス・ヴァージョンをひとつにまとめた編集盤で、いわば企画盤。当然ながら小山田圭吾はこの場で、彼らしい悪戯っぽさと音楽との戯れとを見せ、楽しみの部分を膨らませている。つまりちょっとうれしくなるCDだ。言うまでもなくうれしくなることは、良いことだ。たとえちょっとでも。
 だいたい1枚のアルバムにおいて、ドレイクのカヴァーとフェルト(※80年代前半のチェリー・レッドを代表するバンドのひとつで、暗く切なく叙情的なギター・サウンドとヴォーカルを特徴とする)のリミックスを並列させるという大胆な発想は、面白い。細分化され、ともすれば趣味の差異化を競い合うだけになったシーンを見透かすようで、あるいはまた、“夢の奥で”のようなコーネリアスからのヴェイパーウェイヴへの回答と呼べるような曲もあるが、これもアルバムの一部としてハマっている。

 フェルトは別格(というか特別枠)として、リミキサーのラインアップからは彼なりの“いま”が見える。UKジャズを代表するレーベルのひとつ、〈22a〉で活躍するレジナルド・オマス・メイモードIV、NYのインディ・ロック・バンド、ビーチ・フォシルス、メルボルンのソウル/ファンク・バンド、ハイエイタス・カイヨーテ、先述したフェルトのローレンス、そして細野晴臣と坂本龍一という巨匠ふたり。なかでも坂本龍一によるアンビエント・ミックスは、『Mellow Waves』というプロジェクトの最後を飾るのに相応しく、これがまた……、まったく素晴らしい切なさと美しさを携えている。
 こうした企画盤の多くはコア・ファンを対象にしたものなのだろうけれど、『Ripple Waves』はそれだけで片付けてしまうにはもったいない、『Mellow Waves』とは別の輝きをもっているわけです。ひょっとして、三田格に言わせれば食品まつりがいないじゃないかとなるのだろうけれど、まあいいじゃないですか、それでもここにはコーネリアスと一緒にドレイクとヴェイパーウェイヴと坂本龍一とフェルトがいる。こんなイカれた企画盤はそうそうあるもんじゃない。E王(推薦盤)でしょう。

『Mellow Waves』はひとつ自分で全部世界観を作っているものなんですけど、これはそこから派生していったものなので、半分は自分であり、それぞれのアーティストの作品だから。というかほぼリミックスというよりも彼らの作品に近いような感じになっている。

『Mellow Waves』をリリースして、日本全国ツアーからはじまって、アメリカとヨーロッパに行って。ずっとライヴで忙しかったんじゃないですか?

小山田:うーん。まぁまぁですかね。今年はライヴをやっていましたね。

去年から。

小山田:まぁ去年から。

その前に『FANTASMA』のツアーをやっていますが、今回のライヴツアーとは全然違ったと思います。やっていてどうですか?

小山田:楽しかったですね。まだちょっとあるんだけど。

例えば、US、UK、あるいはソナー、ヨーロッパとか今回の新しいセットで行ってリアクションはどうでしたか?

小山田:うーん。良いんじゃないかな(笑)。いままでのなかでいちばん楽しいツアーですね。

どんな意味で楽しかったのですか?

小山田:いろいろかな。ちゃんとできるようになってきたというか。日本でやっている感じをそのまま持っていけている感じがします。行程的にもそこまで過酷じゃなく、お客さんもわりと皆喜んでくれて。

ロンドンにいる知り合いが、仲の良いレコード店から連絡があって、「今日コーネリアスが店に来た!」って言っていたそうです(笑)。

小山田:どこの? シスター・レイかな……。

どこかわからないけど2カ月くらい前かな。

小山田:ロンドンで結構レコード屋に行きましたね。

ちょうどそのときその人は、細野晴臣さんのライヴに坂本龍一さんと髙橋幸宏さん。小山田君たちが出たときのライヴを観ているんですよ。

小山田:YMOで出たとき。それはたまたまコーネリアスでヨーロッパに行っていて。細野さんがロンドンでやるというから、ロンドンに残って細野さんを観て帰ろうと思っていたら、じゃあやるよ! みたいな感じになって(笑)。

急遽でることになったんだ(笑)。

小山田:そうです(笑)。

UKはブリクストン?

小山田:ブリクストンのフィールド・デイというフェスです。

ヨーロッパはソナー?

小山田:うん。

(といいながら、電子タバコを吹かしている様子を見ながら)

小山田君、タバコを止められなくて苦労しているでしょ(笑)。

小山田:いや、いまこれがお気に入りで(笑)。

宇川(直宏)君がタバコを辞めたのを知ってる?

小山田:そうなんだ! そういえば吸っていなかったような気がする。でもウーロンハイをガボガボに飲んでいましたよ(笑)。

どこであったの? 

小山田:「AUDIO ARCHITECTURE展」という展覧会の関係でこの前ドミューンに出演したときに久しぶりに会いました。

ドミューンにでたんだ! すごいね。

小山田:いやぁすごいなぁ宇川君……。こっちでスイッチングしながら、こっちでツイートしながら、俺と喋って、ウーロンハイを飲むという(笑)。それでこっちで喋って参加したりしながら。4人分くらいのことをやっていたよ(笑)。全部がハイテンションで。

すごいよね(笑)。

小山田:聖徳太子みたいだった(笑)。

たしかに(笑)。このリミックスとか未発表曲とかは、『Mellow Waves』を録音したときに作った曲もあれば、それ以降に作った曲もあって、それをまとめたものだと思うんですけど、本当に良いアルバムだなと思いました。いちいち驚きがあったんだけど、ドレイクの“Passionfruit”のカヴァーに結構驚きました。こんなのいつのまにだしていたんだと思って。

小山田:これはSpotify Singlesという、Spotifyだけのシングルみたいなものがあって。

ニューヨークで録ったんでしょ?

小山田:そうです。Spotifyの会社のなかにスタジオがあって。

ドレイクの“Passionfruit”にしたのはなぜ? 好きだからなんだろうけど。

小山田:Spotify Singlesは、1曲オリジナルで1曲カヴァーみたいなことが決まっていて、最初全然違うのを言ったんですけど、そうしたら向こうのマネージャーやレーベルの人にそんな誰も知らないような曲をやっても意味ないとか言われて。それでえぇーと思ってこれを思いついて。逆に皆びっくりして良いかなと思いました。曲が好きだったんですけどね。

その場で決めたの?

小山田:その場ではなくて、行くちょっと前に決めてこれやりますよと一応言ってから。

小山田君がドレイクを聴いていることがすごく意外だった。

小山田:そんなにちゃんと聴いていないですけどね(笑)。でもこの曲は好きだった。

未発表曲が全部CD化されたのもすごくはまっているなと思いました。“夢の奥で”なんかもこうやって聴くと良い曲ですよね。

小山田:曲なのかなんかわからないけど……。

これはヴェイパーウェイヴを意識したわけではないでしょ?

小山田:うーん、ヴェイパーウェイヴに近いものはありますよね。これはうちのおじいちゃんがしゃべっているんですよ。ヴィデオもあって、MVもあるんですけど自分で作りました。子供の頃の自分がしゃべっている声がこれに入っているんですけど、実はその映像が残っていて、その映像を使って作りました。

これもすごく良かったな。アルバムの後半はリミックスが続くわけですが、このリミキサーの人選はもちろん小山田君が自分で選んだのですか? 

小山田:うん。そうです。

どうしてこの人選になったんですか?

小山田:最初はSpotifyとかそういうサブスクリプション用にリミックスを何曲か作りたいと言われて、何人か名前を出したんですよ。坂本さんと細野さんは『Mellow Waves』が出たときに『サウンド&レコーディング』のリミックスを付けるという企画でお願いしたやつです。ほかの人選に関しては、国とか世代とかジャンルとかがばらける感じで、自分が聴いてみたいと思う人という感じですかね。

フェルトのローレンス(笑)。これはいちばん笑いました(笑)。

小山田:これはねぇ、いちばんヤバイですね(笑)。

よくコンタクトが取れましたね。

小山田:コンタクトが取れるという話があって、ローレンスのマネージャーという人と連絡がつきました。高校性ぐらいからずっと大好きで、どういう人かというのも何となく知っていたし、相当な変わり者だという話も聞いていました。リミックスとかやったことが無いと思うのでどうゆうものがでてくるのかなぁっていう。

たくさんのニューウェイヴ・バンドというか、好きなものがたくさんいるなかでなぜフェルトだったの?

小山田:なんか……、好きなんですよね(笑)。興味があったんですよね。やってくれそうな感じもちょっとしたので。

フェルトを聴き直していたとかそういうことじゃなくて?

小山田:フェルトは常に聴いていますね。今年ちょうど再発したんですよね。それでまたちょっと気になって。

再発したこととかよくチェックしてるね。

小山田:チェックはしていますよ。ローレンスのことは気にしています常に(笑)。〈Heavenly〉というレーベルが作った『Lawrence of Belgravia』というローレンスの映画があるらしいんですよ。日本語訳は出ていないんだけど、ローレンスのドキュメンタリーみたいなやつで、それをすごく見てみたいなと思いますね。

ある種の伝説みたいな人になっているのかな?

小山田:そうじゃないのかなぁ。

孤高の人だもんね。

小山田:本当に孤高の人だし、フェルトの作品はフェルトというものとしてすごく完成されているし、相当いろんな人に影響を与えていると思うんだけど、評価がだいぶ低い。人としても音楽としても興味がある人ですよね。

『Mellow Waves』のテイストとフェルトというのは、たしかにあるなとは思ったんだよね。

小山田:ちょっとあるでしょ。

だから『FANTASMA』のときではないじゃん。

小山田:じゃないですね。なんか曇っていて悲しげみたいな感じはフェルトにすごくありますよね。

これは歌ったり演奏したりしたわけではないんだね。

小山田:声が入っているんですよね。コ〜ネ〜リア〜ス♪って入っていて、ぼくの名を呼ぶ声が入っている(笑)。自分は暴力温泉芸者とかを思い出したんだけどね。中原君のコラージュとかを思い出したんだけど。ああいうちょっとナンセンスなセンスみたいなものがあるなぁと思って。彼はミュージシャンではないというか、楽器を演奏したりということはあんまりしないから、どういうものになるのかなと思っていたけど、フェルトとかいまやっているゴーカート・モーツァルトとかともまた全然違う感じになっておもしろかった。

これはコーネリアスの昔からのファンからしてみたらいちばんうけるというか。

小山田:曲は置いといて。

この組み合わせはなるほどと思いましたよ。ぼくはビーチ・フォシルスを知らなかったんだけど、ニューヨークのインディ・バンド?

小山田:ブルックリンの若手インディ。

これは若い世代にひとつ託そうみたいな感じ?

小山田:うん(笑)。単純にビーチ・フォッシルズのアルバムが好きだったんです。いまどきの若いインディーのバンドをひとつ入れたいなと思って。いわゆるインディー・ロックっぽい感じでね。

レジナルド・オマスさんも意外だったね。ぼくもロンドンのこの辺の人たち、〈22a〉周辺の人たちの音がすごく好きで聴いています。

小山田:かっこいいですよね。この前ブリクストンのフィールド・デイというフェスでライヴがあって、近所だから行くと言ってきてくれて会いました。若い人でした。ヒップホップなんだけど、全然オラオラしている感じじゃない。プリンスとかスライとか、あとリズムが独特で好きなんですよ。

やっぱり聴いて?

小山田:うん。好きで聴いていて。

ハイエイタス・カイヨーテはメルボルンのバンドだよね? これも知らなかったな。

小山田:この人たちは結構話題になったよね。メジャーだし。

ヴィジュアルだけみると、ロータリー・コネクションみたいな感じだね(笑)。

小山田:たしかに(笑)。ロータリー・コネクションぽいね(笑)。音楽的にも近いかもね。ちょっとサイケデリックなソウル・ファンクみたいな感じで。めっちゃ演奏が上手くて、プレイやーとしても皆すごくて。ビートの解釈がすごく斬新。

これも聴いて好きだったからやろうという感じ?

小山田:うん。

最後は、巨匠ふたりのリミックスで見事に締められるわけですが、ぼくはこれで初めて聴いたんだよね。

小山田:本当にいろいろなメディアで発表していたから、ひとつにするとやっとちゃんと聴ける。

細野さんはベースを弾いているわけではない?

小山田:たぶん弾いてはいないと思うんだよね。

普通にリミックス?

小山田:うん。

坂本さんは『async』に入っていてもおかしくないくらいの曲になっていて。

小山田:うん。『async』の世界ですよね。

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アナログだけで出ているやつもあるし、Spotifyだけとか、YouTubeだけとか。それだけだとまとめて聴けないからこういう形にコンパイルしたものという感じで。

『Mellow Waves』は一枚の完成されたアルバムだから、ひとつの世界にまとまっていてすごく緊張感がある作品だけど、今回の『Ripple Waves』は基本的には『Mellow Waves』の兄弟アルバムみたいな感じなんだけど、逆に遊び心があって、良い意味で気楽に聴けるリラックスした作品かなという感じもしました。『Mellow Waves』とは対照的な明るいアルバムになっているでしょ? それがすごく良かったんですよ。小山田君自身は聴いてみてどうだった?

小山田:『Mellow Waves』はひとつ自分で全部世界観を作っているものなんですけど、これはそこから派生していったものなので、半分は自分であり、それぞれのアーティストの作品だから。というかほぼリミックスというよりも彼らの作品に近いような感じになっている。

特に後半はね。この新曲はこのために録ったの?

小山田:このためというか、このあとツアーがあるんですけど、ツアーで新曲を一曲やりたいなと思っていて、ツアーでやる曲として作りました。これで聴くとなんだかよく分からないと思うんだけど(笑)。

“Audio Check Music”って何の企画だっけ?

小山田:テクニクスのターンテーブルのための企画を発展させた曲で、オーディオをチェックするため用の曲。言うとおりにしていくとステレオの調整ができるという。

これを1曲目持ってくるところが良いよね。コーネリアスらしい遊び心からはじまるという。

小山田:これは1曲目しかないですよ(笑)。

たしかに(笑)。しかし、贅沢なオーディオ・チェックCDだよね。

小山田:音楽としても聴けるからね。

このなかで小山田君が良く聴く曲は? 好きな曲は? わりと客観的に聴けるでしょ?

小山田:そうですね。なんでしょうね。みんな好きですけどね。ビーチ・フォッシルズの曲は好きですね。みんな好きです。ハイエイタスも良いし。

そうだね。個性がすごいそれぞれでているよね。

小山田:自分の曲を聴いている気がしないですね(笑)。

ドレイクは?

小山田:ドレイクは、これはまぁ……。スタジオでせーので録音しなくちゃならなかったので、さらっとやった感じですね(笑)。

そうなんだ。でもコーネリアス・サウンドにちゃんとしているもんね。R&Bみたいなものも聴くの?

小山田:ちょいちょい。

全体的に最近気になった音とかある?

小山田:それ毎回聞かれるけど、毎回同じものを答えている。クルアンビンっていう人知っている? テキサスのバンドで、3人組でタイの音楽とかが好きとか言っていて、ほぼインストなんだけど。ドラムのやつが黒人でヒップホップのDJかなんかで、ギター・インストみたいな感じの。独特で。

ちょっとワールドっぽい、インドネシアとかタイとかそんな感じのやつ。あれ良いよね。

小山田:ビートの感じとかヒップホップが好きそうな感じで。頭の拍だけ抜いたり、すっごいセンスが良いなと思って。

あれが好きなんだ。

小山田:あれを良く聴いている。

ぼくも好きです。今年の頭くらいにでたやつね。

小山田:あとなんだろう、ちょいちょいあるけど。

これだけインターネットでいろいろなものが手に入るから、昔みたいにレコード屋とかになかなかいかなくなるじゃない。どういう所で新譜をチェックするの?

小山田:新譜はYouTubeとかSpotifyとかが多いですね。

YouTubeとかって?

小山田:YouTubeは動画を観る感じだけど。iTunesで買ったりもするし、CDもたまに買うし。

Spotifyとか新しいリスニング環境には慣れた?

小山田:うん。ガンガン使っています。

ガンガン使っている(笑)。あれに馴れる人と馴れない人がいるみたいだね。やっぱりCD、レコード時代を知っている世代だと。

小山田:いろいろあってめんどくさいけどね。Spotifyで聴いていて、買ってiTunesに取り込んで、Spotifyでは聴けないみたいな(笑)。アナログだけ持っているみたいなのとか。

Spotifyとかこんなに便利なもので、こんなにたくさん聴けるなんて。電車に乗っていてもこれさえあれば時間潰せるしって思うくらい聴いちゃうんだけど。でも家で聴くときはCDで聴きたいかなっていう。

小山田:え、盤で聴いている? CDをかけて聴いているんだ。それは結構珍しいんじゃない?

あとはアナログ盤。

小山田:アナログ盤ね。アナログ盤はたまに聴く。CDを盤で聴くことは無い。CDはリッピングしてパソコンで聴く。

えぇーそうなんだ。

小山田:まぁいろいろだね(笑)。

でも最近ついに若いDJで、CDで音楽を聴いたことがないという世代に会いましたよ。だから逆にUSBかアナログ盤。

小山田:アナログはまだ使うんだ。

逆にアナログは若い子たちが好きだから、むしろアナログを買う人たちって結構若い子たち。カマシ・ワシントンの8000円のアナログ盤を一生懸命買っているやつとかいるからね。

小山田:うちの息子もそうだ。レコードは俺より全然買う。

DJやるときはアナログ盤にまた戻ってきているんだよね。

小山田:うちの息子はたまにDJをやっているけどアナログだね。

そうでしょ。10代〜20代前半の人で最近は多いよね。逆にCDJの使い方が分からないというのが面白い。音楽の聴き方の選択肢がホントに増えたよね。

小山田:このアルバムがまさにそういう感じなんだよね。アナログだけで出ているやつもあるし、Spotifyだけとか、YouTubeだけとか。それだけだとまとめて聴けないからこういう形にコンパイルしたものという感じで。

じゃあこういう作業って、ひとつにまとめる意味でも重要だよね。

小山田:うん。これからそういうのにきっとなるよね。というか、もういまなっているのか。

そういう意味では、プラット・フォーム的なメディアとしてCDは全然役目があるでしょう。

小山田:CDというかアルバムという概念が、アイコン的なものがジャケットとしてあって、まとめられないとちゃんと聴けないというのはまだあるよね。

ドレイクのカヴァーとか、ぼくは知らなかったもんなぁ。ところで、今回のジャケットも『Mellow Waves』と同じ路線だね。

小山田:版画の中林(忠良)さんという僕の叔父さん。

『Mellow Waves』のジャケットは何とも言えない、何もない感じがあるのに対して、『Ripple Waves』のジャケットは人が複数いるじゃない。だからそれも今回のアルバムを象徴しているのかなって。

小山田:そんなイメージです。

コーネリアスはリミックスを自分もやったり、あるいはリミックスされたりということが多いわけだけど、小山田君のなかではリミックスをしてもらうという作業が好きだよね。

小山田:単純に自分が興味ある人に頼んでいるので、どんなのになるのかというのは楽しいですよね。

それは人選も含めて?

小山田:うん。

このあとこれだけツアーがあって、しばらくはコーネリアスとしての活動というのはライヴを中心にやっていく感じですか?

小山田:そうですね。ツアーが終わったら、日本でのツアーはやらないと思うんですけど。このあとアジアがあって、来年またアメリカとかヨーロッパとかちょっと行こうかなと思っていますけどね。

今年の『Mellow Waves』のツアーはこれが最後だ。

小山田:うん。1年くらいやってきたんで。

このセットでは最後だね。

小山田:去年やっていたセットでまだできていなかった曲とかもだいぶ増えるので、もうちょっと完成版みたいな感じになる。前はライヴハウスだったんだけど、今回はホールなので、中高年の人にやさしい(笑)。そういうところでしかできない演出とかもあると思う。

去年のリキッドルームでのライヴとはまた全然違うコーネリアスが。

小山田:やっぱりライトとか映像とかライヴハウスだと天井が低いから、あんまりわからないと思うんだよね。

じゃあ『Point』のころ並みのすごいライヴをやるの? あのときのライヴって映像とかシンクロして。

小山田:全然こっちのほうがちゃんとしていると思う。

え! あれよりもさらに進化している(笑)。ライヴを楽しみにして、『Ripple Waves』を聴くようにということですね。ありがとうございました。

小山田:ありがとうございました。

 

※『Ripple Waves』と同時に、『Mellow Waves』のアナログ盤もリリースされます。ダブルジャケットで、こちらはまたアートワークが見応えもある。

UK Afrobeats & UK Rap - ele-king

 イギリス独特のサウンド文化はこの20年以上でジャングル、ドラムンベース、ガラージ、グライムと進化・深化してきた。こうしたジャンルは常にジャマイカやアメリカの音楽の影響を受け、「ラップ」が挑戦的な音楽に受けて立ち音楽性を拡張してきたといえるだろう。そして、UKのサウンド・カルチャーの新たな1ページに「UKアフロビーツ」や「UKラップ」と呼ばれるラップ・ミュージックがある。UKアフロビーツはユーチューブ等ストリーミング・サービスで広く聴かれ、ポップ・ミュージックとして認知されている。このシーンのアンダーグラウンドな盛り上がりを知りたければ、2017年に〈MOVES Recordings〉からリリースされた『MOVES : The Sound of UK Afrobeats』(Spotify)は最適な1枚だ。

 UKラップは「トラップ」や「ドリル」といったUSのトレンドのラップ・ミュージックの影響を強くうけ、若者に人気のジャンルだ。UKアフロビーツは、BPM 90~110前後のリズム、アフリカの音楽やダンスホール・レゲエを取り入れたビート・パターンを基調としている。今のUKラップ・ミュージックが音楽的に面白いのは、ラップ・ミュージックのプロデューサーがUKサウンド、USヒップホップ、レゲエ、アフリカ音楽と多様な音楽をマッシュアップし、新たなUKサウンドを作り上げていることだ。

 ラッパーに比べるとスポットライトが当たることは少ないが、プロデューサーからお気に入りのサウンドを探すのもなかなか面白い。


■ JAE5 (w/ J Hus, NSG...)

 東ロンドンのプロデューサー、ジェーファイヴ(JAE5)は、2015年に出所したばかりのラッパー J・ハス(J Hus)にビートを提供し、J・ハスのアルバム『Common Sense』(Spotify)をフル・プロデュースしたことで一気に知られるようになった。

J Hus - Did You See

 マリンバやギターなど、生楽器の音の重ね方や差し引きは素晴らしく、J・ハスのギャングスタ・ラップをポップに彩っている。ジェーファイヴは昔からダブステップにのめり込んでいたという。音はどちらかといえばヒップホップやダンスホール寄りだが、彼のビートの精緻な組み方は彼が“昔ハマっていた”というダブステップにもどこか通じている部分がある。

Jae5 - Against The Clock
https://www.youtube.com/watch?v=uNdQYMmeBpg
※ジェーファイヴが10分でビートを作り上げる、英メディアFACTの番組。


■ Nyge (w/ Section Boyz, AJ Tracey, Lancey Foux...)

 セクション・ボーイズのヒット曲“Lock Arff”のプロデュースで一躍知られるようになったナイジ(Nyge)は、エージェー・トレーシー(AJ Tracey)やランシー・フォックス(Lancey Foux)といった気鋭のラッパーのプロデュースで名を馳せてきた。

Section Boyz - Lock Arff

AJ Tracey - Butterflies (ft. Not3s)

 浮遊感のあるパッドとシャープなドラムはナイジのプロダクションの持ち味になっていて、彼がプロデュースした Renz “Flexing”は2017年に〈XL Recordings〉からリリースされた『NEW GEN』(Spotify)にも収録されている。

Nyge : Studio Sessions Ep 1


■ God Colony (w/ Flohio, Kojey Radical...)

 Wikipediaによれば、ゴッド・コロニー(God Colony)はロンドンを拠点に活動する2人組のデュオとのことだが、あまり情報がない。それでも彼らのことが気になるのは、彼らのプロダクションは1曲に色々なアイディアが詰まっていて面白いからだ。UK Funky や Gqom のサウンドを昇華したクラブ・トラックをロンドンのMC・フロヒオ(Flohio)に提供したかと思えば、コージェイ・ラディカル(Kojey Radical)にはエクスペリメンタルなR&Bを提供するなど、作風の幅も広い。

GOD COLONY "SE16" feat. FLOHIO

God Colony - Howling feat Kojey Radical & Ebi Pamere


Kelly Moran - ele-king

 いやあ、これはサプライズでしたね。これまで5枚の作品を発表しているマルチインストゥルメンタリストのケリー・モーランは、OPNが新作『Age Of』のリリースにともなって開催しているショウ「M.Y.R.I.A.D.」のバンドに、キイボーディストとして抜擢されたことで注目を集めましたが(ニューヨーク公演ロンドン公演にも参加、そしてもちろん本日の東京公演にも出演します)、去る9月6日に突如〈Warp〉との契約を公表、11月2日に同レーベルよりフルレングスをリリースします。先行公開された“Helix (Edit)”を聴くと、OPNとはまた異なるスタイルで感情を煽ってくる感じで(『Drukqs』+ドローン?)、アルバムへの期待が高まります。今後要注目のアーティストですよ。


KELLY MORAN

いよいよ今日に迫った Oneohtrix Point Never の来日公演 M.Y.R.I.A.D. でもバンド・メンバーとして参加する大注目のケリー・モーランが〈WARP〉からはデビュー・アルバムとなる『Ultraviolet』のリリースをアナウンス! アルバムより“Helix (Edit)”を先行解禁!

作曲家、プロデューサー、キーボーディスト、そしてマルチプレイヤーでもあるケリー・モーラン。いよいよ今日に迫った Oneohtrix Point Never の来日公演でもバンド・メンバーとして参加をしている彼女が、〈WARP〉からは初めてとなるアルバム『Ultraviolet』を11/2にリリース! 先行解禁曲として“Helix (Edit)”が公開!

「Helix (Edit)」
https://www.youtube.com/watch?v=JHLJMlTzTMQ

ニューヨークで行われたダンス・パフォーマンスとのコラボレーションと、長年ジョン・ケージのコラボレーターを務めたマーガレット・レン・タンに向けた作曲を行ったことがきっかけで、注目を集めたケリー・モーラン。それはちょうど〈Telegraph Harp〉からの前作、『Bloodroot』が2017年にリリースされて注目を集め始めた時だった。

『Bloodroot』は革新的なピアノ使いとケリー・モーラン専用に作られたエレクトロニック・アコースティックな楽器、そして彼女がインスピレーションを感じた多様な音楽のスタイルが詰め込まれた作品だ。

その多様な音楽のスタイルの影響はローリング・ストーン誌のエクスペリメンタル、ニューヨーク・タイムス誌のクラシック、そしてニューヨーク・オブザーバー誌のメタル、と様々なジャンルのアルバム・オブ・ザ・イヤーのリストに選出されたことからも明らかだろう。そして彼女は2018年に Oneohtrix Point Never の M.Y.R.I.A.D. ツアーでのアンサンブルに参加し、世界の名門ベニューでのプレイを経験してきた。

今回、〈WARP〉からのデビュー・アルバムとなる『Ultraviolet』においても、彼女の豊富なインスピレーションの探求は続いている。

彼女は次のように感じたことを覚えていると語った。
「私は森の中でうずくまっていた。風邪や動物の音を聞いていて、全てが響きあって私を取り囲んでいた」。
「私は自分自身にこう問いかけてた。“どうやったらこんな風に感じる音楽を作れるんだろう。自然で、強いつながりを感じて、寄り添ってくるような音楽を”」。

『Ultraviolet』はジャズやドリームポップ、クラシックな構成、ブラックメタル、暗闇と光、様々な要素が一体となった神秘的なアルバムとなっている。「自分のアーティストとしての表現のプロセスを再検証することで、自分を自由にする事ができた」とモーランは語る。

ケリー・モーランの〈Warp〉からリリースされる『Ultraviolet』はCD、LP、デジタルの各フォーマットで11月2日に世界同時リリース。
iTunes Storeでアルバムを予約すると、“Helix (Edit)”が予約限定楽曲としてダウンロードできる。

label: Warp Records / Beat Records
artist: Kelly Moran
title: Ultraviolet

release date: 2018.11.02 FRI ON SALE

iTunes: https://apple.co/2x4zmwy
Apple Music: https://apple.co/2CFgZUM
Spotify: https://spoti.fi/2x40LPd


interview with Cosey Fanni Tutti - ele-king

 9月12日、(それはおそらくこの記事のアップ日)に、スロッビング・グリッスルの再発第二弾として、『Heathen Earth』(1980/一般的には最終作とし知られる)、『Mission Of Dead Souls』(1981/最後のライヴを収録)、『Journey Through A Body』(1982/イタリアのラジオ局のために制作された)の3枚がリリースされる。
 また同時に、創設メンバーのひとり、コージー・ファニ・トゥッティの自伝『アート セックス ミュージック』の日本版も刊行される。

 現在、日本で〈ミュート〉と契約しているトラフィック・レーベルの好意によって、今回ふたたびコージーのインタヴューを取ることができた。質問のいくつかはぼくが作成し、それを『アート セックス ミュージック』の訳者でもある坂本麻里子さんが、いつものように臨機応変にアレンジなりアドリブなどを交えて取材はおこなわれている。
 『アート セックス ミュージック』は、COUMトランスミッションズ〜TG〜クリス&コージーというノイズ/インダストリアルの話であると同時にエロ本のモデルおよびストリッパーの物語だが、それ以上に、ひとりの女性のサヴァイヴァルとその人生哲学をめぐるかなり勇敢な回顧録と言える。原書が500ページ、日本版は二段組にしておよそ500ページ、平均的な単行本の3冊分というなかなかの大著だ。
 以下、これもまた、ひじょうに長いインタヴューになるが、これでもかなり削ったです。どうか最後までお付き合い下さい。

だからなのよね、あなたがさっきも言っていたように、人びとがスロッビング・グリッスルに対する「神話」を抱くことになったのは。でも、わたしたちはすでにあの頃ですら、ギグのおしまいにマーティン・デニーを流すことでその神話を反故にしていたわけで。わたしから言わせれば、じゃあ彼らはいったいどんな神話に執着しているんだろう? みたいな。

まずはあなたの『アート・セックス・ミュージック』の日本版を刊行できることをたいへん誇りに思います。しかしものすごい分量ですね。

コージー:ええ。

この労作を執筆しようとした動機のひとつに、TGの成り立ちやその実態について歪んだ情報が流布しているということがあったということですが、よくぞ書いてくれたと思います。日本には昔から熱心なTGファンがいることはご存じでしょうか?

コージー:ええ、彼らの存在はずっと知っていたわ。ただ、わたしはこれまで日本に行ったことがなかったから……。そうは言ってもファンが存在することはずっと前から気づいていたし、かなり初期の頃から日本のレーベルがTGのアルバムをリリースしてくれていたわけで。だからわたしたちも、そうね、70年代後半〜80年代初期あたりから、日本にファンがいることは認知していたわ。それに、日本にはクリス&コージーのファンだっているし。というわけで……日本にファンがいるのはわたしも知っているし──だから、本が日本で出版されることになって本当にわくわくさせられている。うん、とてもハッピーだわ。

最後の日記が2014年4月30日になりますが、刊行までおよそ3年かかっています。じっさいものすごい文字量の大著になりますが、執筆に当たってもっとも苦労されたところはなんでしょうか? 

コージー:だからあの本はまるまる、わたしの人生についての本なわけよね。そして、わたしの人生で何が起きたか、ということについてであって。わたし以外の人間にとっての「こうすべきだった、こうするべきではなかった」という内容ではないし、だからわたしはああいう書き方であの本を書いた。というのも、あれがわたしの身の上に起きたことだった。あれらが(コージーにとっての)事実だった、と。で、あそこに書かれたことを信じずに、彼らが信じることを選んだなんらかの「神話」みたいなものについていきたいのであれば、それは読んだ人びとの自由、彼ら次第だわ。
 わたしは別に、あの本から人びとがなにを得るのか、そこを指図するつもりは一切ないから。あれはわたしのストーリーであって、他の誰の物語でもない、という。というわけで……あの本の執筆中に、自分が知っていた以上のさらなる「嘘」が明るみになったのよね(苦笑)。あの点が、わたしにとってはもっとも難しかった。というのも、自分がその場に居合わせなかった状況では、知らないところでいったい何が起きていたかまったく知らなかったから。たとえば、わたしとジェネシスとの関係のなかでのいくつかの場面だったり。そこがもっとも苦労したところね。だから、わたしと彼の関係において、様々な事柄がどれだけ間違った形で伝わっていたのか、その度合いをわたし自身はまったく知らなかった、という。そんなわけで、その点を知ったときは……執筆中に何週間か足止めを食らわされた。自分の思いをしばらくの間どこか別の場所に持っていかなくてはならなかったし、その上で(気持ちを落ち着かせた上で)再び自分の物語に立ち返った、という。だから、あの部分はとても難しかったわ。一方で、あれを体験してとても良かった、というところもあってね。というのも、(苦笑)あのおかげでいまや、わたしも自分の過去を正しく理解できるようになったわけだから。

ひとりの人間の人生が描かれているわけですが、ヒッピー・コミューンからセックス産業など、それ以上のものすごくたくさんのことがこの本には詰め込まれています。おそらく音楽ファンにとっては、COUMトランスミッションズ〜TG〜クリス&コージーの話がより知りたい部分なので、まずはそこから訊きたいと思います。

コージー:なるほど。

ある意味では、COUMやTGというのは神話化されていると思いますし、サイモン・フォードの『Wreckers of Civilization』はその神話をより強固なものにしているかもしれません。

コージー:ええ。

長いあいだ、それこそ1998年からその神話やストーリーが続いてきた、と。その意味で、あなたの本は偶像破壊的でもあると思うんです。そうした神話化されたTGの信者たちをある意味では裏切るというか、その神話をいちど破壊するというか、本当にリアルなTGの姿が明かされたわけですよね。もちろん、いわゆる「暴露本」だ、というつもりはないのですが、一部の読者にとってはこの本はショックだったんじゃないか? と。昔ながらのTGファンからの、そのへんに関する反応はありましたか? あなたの本はTG「神話」を売りつけられてきたファンたちを動揺させたと思いますか?

コージー:ええ、たぶんそうだったんでしょうね。けれども大事な点は、では、その「神話」を支えるために、COUMトランスミッションズおよびスロッビング・グリッスルのメンバーだったひとりの人間がこれまでプロモートしてきた「神話」を支えるために、わたしは自分自身の人生体験の数々を犠牲にするだろうか? ということであって。それが正しい行為とはわたしには思えない。この星の上で共に生きている人間同士として、わたしたちはお互いになにかを負い合っているわけよね。ということは、ただお互いに対して親切に振る舞うだけではなく、敬意も抱き合って生きるものだ、と。ところがそのリスペクトの念は消えてしまったわけ。だから、ここでジェンダーの問題を持ち出させてもらうけれども──COUMトランスミッションズとスロッビング・グリッスル唯一の女性メンバーだった身として、わたしにはいっさい発言権がない、ということになる。あれらのグループの実際がどうだったか、それを声に出すことはわたしにはできない、わたしが黙らされるという犠牲を払うことでそれが成り立っている、と。となると、それはやはりどこか間違っているわよね、人びとのなかにあっという間に事実とは違うヴァージョンの話が流布してしまうわけで。
で……それはなにも、スロッビング・グリッスルそのものを破壊しよう、ということではないのよ。というのも、わたしはどんな風に、スロッビング・グリッスルがどんな風にはじまったか、それをありのままに本のなかで説明したし、その背後にあった興奮もちゃんと書いた。それに、わたしたち全員がTGに送り込んだ突きの勢いについても描写したしね。あれは単にひとりの人間のやったことではなかったし、ひとりの人間のアイディアから生まれたものでもなかった。もちろんCOUMトランスミッションズは、ジェネシスがあのグループを命名したことで始まったものだった。けれどもそれ以降、COUMは参加者みんなのものになっていったわけ。「COUMは誰もに属するもの」という、それはそもそもあのグループの気風の一部だったんだしね。ということは、ではどうしてわたしが自分自身のストーリーを本に書く行為が、(苦笑)スロッビング・グリッスルのそういう気風を破壊するということになるのか? という。それはつじつまの合わない話よね。
 それに、誰かが神話を信じようとすること、それだっておかしな話であって。というのも、COUM/TGは神話以上にもっと興味深いものだから。だから、あの当時実際になにが起きていたのか、そこをまず理解しなくてはいけないし、それらを知った上で、いままで知ってきたことをまだ信じ続けていきたいか、その判断を自分で下してもらわないと。というのも、あそこで起きていたのはかなり害をもたらすものだったし、そこでわたしたちもツケを払わされて……とは言っても実際のところわたしたち3人(コージー、クリス・カーター、スリージー)は、スロッビング・グリッスルをなんとか軌道に乗せ続けたのよね。3人以外のメンバーとの間で起きた様々な難関にも関わらず、わたしたちはスロッビング・グリッスルをあるべき形で具体化させることができた、という。その点は、人びとも「すごい、よくやった」と考えるべきだと思う。いろんな困難が生じたにも関わらず、スロッビング・グリッスルは人びとが「そうあるべきだ」と考えた、そういう形でちゃんと存在していた。というのも、なにが起きてもTGはTGで変わらない、かつてあったそれそのものの強さ、そしてパワーをいまだに備えているわけで。ただ、いまや人びとは、その内面に関するもっと深い洞察を得ることになった、という。どんな風に物事がはじまっていったのか、人びとがその点を知るのは大事なことだとわたしは思っていて。それを知ったからと言って、別になにかが損なわれることはないだろう、そう思っているし。

ええ、それはないです。たとえば、『RE/SEARCH』マガジンの4&5号(1982年)に掲載されたスロッビング・グリッスルの取材を読むと、「スロッビング・グリッスルのインタヴュー」と銘打たれている割りにテキストのほぼ90%はジェネシスが発言しているんですよね。

コージー:フム。

彼に焦点が当たり過ぎだ、という。いまの自分からすればスロッビング・グリッスルはリーダー格不在の真の意味で民主的なバンドだったのに、当時のメディアでは誤ったバンドの提示の仕方がおこなわれていたんだな、と感じます。あれじゃ、まるで「ジェネシスのグループ」という印象ですし。

コージー:ああ。でも、その点に関しては、本でも触れたと思うのよね。だから、わたしたち3人は自分の声を大きく張り上げるとか、自分自身を宣伝することに興味がなかったわけ。そういうことにわたしたちは入れ込んでいなかったけれども、ただ、ジェネシスは自己宣伝を楽しんでいたし、人びとから注目を浴びるのをエンジョイしていた、と。でも我々残る3人はそれよりももっと、音楽を形にすることやテクノロジーetcに関する色んなリサーチにもっと力を注いでいたのよね。それにまあ、ああした取材のいくつかは、わたしたち自身が知らない間におこなわれてもいたんだしね!

はっはっはっ!

コージー:──だから……(苦笑)バンドの一員にも関わらずそのなかで個人的な自己プロモーションをおこなっていた人間がいた、ということだし、ずっと後になるまでそういう行為がおこなわれていたのをこちらも知らずにいたわけ。それは良くないことよね。それによって問題が引き起こされ、バンドにひびが入りはじめてしまった。というのも、あのバンドは個人云々の存在ではなかったわけだから。ところが、バンドがいったん終わったところで、また他の誰かがバンドを宣伝するようになったわけだけれども、彼らはそこでバンドの名前を傷つけていった、という。そんなわけで、わたしたち3人はまったく関与していないところで、とても奇妙な、心理的なあれこれが起きていた、ということになるわね。それは他の誰かが勝手にやっていたことだった、という。

でも、あなたの本のおかげでわたしたち読者にもスロッビング・グリッスルの真の姿がクリアに掴めるようになりました。4人が平等な民主的な、しかもまったくDIYのバンドとしてのTGを描いたということは大きいと思います。

コージー:ええ。

にしても本当に、可能な限りご自分たちでなにもかもやっていたんですよね。DEATH FACTORYのTシャツもあなたの手製だったわけで。で、このDIYの気風、Tシャツからプロモ写真はもちろん音楽まで、制作/生産面に関して可能な限り直接関わるという、このTGの気風はどこから生まれたんですか?

コージー:それはもともとは……取材の最初の方で、あなたも本に書かれたヒッピー文化について触れていたわよね? で、あの頃、1968年、69年頃から、わたしはもう(ヒッピー系の)Tシャツだのズボンだのを作って売っていたわけだし。単純な話、当時自分たちの身の回りには買いたくてもああいうものは売られていなかったし、それを作ってくれる場も存在しなかった。だから当時のわたしたちのDIYの気風というのは、自分たちの求めていたものは通常の商業ルートでは手に入らなかったし、したがって自分たちで作るほかなかった、と。ところがそれをやった結果として、DIYなら実際、自分のやりたいことを完全にコントロールできるじゃないか、という点に気づかされるのよね。なにもかも、完全に掌握できる。というわけで、その点はスロッビング・グリッスルにとって非常に重要だったし、またクリスとわたしにとっても、クリス&コージーのはじまりからいま現在に至るまで、いまだに重要な点であり続けている。

ロバート・ワイアット、AMM、ジョン・ダンカンといった名前がわりと重要な場面で出てきますが、こういうところからもいままであまり語られなかったTGの音楽的背景を伺い知ることができました。それはたぶん、TGやあなたたちのことを「インダストリアル・ミュージック」という括りでわたしが捉えていたからだと思います。あれら3組の名前は必ずしもその括りには入らないわけで、その意味で驚きだった、ということでしょうが。

コージー:思うに、いまあなたが例にあげた名前を考えてみれば……というか、それら以外の影響のいくつか、それこそもっとポップ音楽系な人たちのことを考えてみてもいいと思うけれど、彼らのことをじっくり考えてみれば、実は彼らのアプローチもわたしたちのそれととても似通ったものであるのがわかるはずだわ。非常にパーソナルで、心のなから、お腹の底からから出て来たものであり、そして自分のやることに対する自分自身を信じるパワーを持っている、という意味でね。だからなのよ、繫がりが存在するのは。それは必ずしも音楽的な意味での繫がりではなくて、その人物そのものとのコネクションかもしれない。ただ、彼らには、彼ら自身の、そして彼らの作品の背後に、そういう打ち込みぶり、そして意志の強さとが備わっている、という。

ジェネシス・P・オリッジの素顔について書くことはやはり神経を使われたことと思います。彼はあなたたち3人に続々と困難や苦情のタネを持ち込んだわけですが、それでもはやりフェアに書かなければならなかったわけだし、かつ本として客観性も維持しなくてはいけなかったわけで。かつての恋人であり、コラボレーション相手であり、しかしいつしか破壊的な存在になっていった、そういう人物を描くのは難しかったのではないかと思うのですが。

コージー:まあ、わたしがこの本を書きはじめた頃──いつになるかしらね、2015年には書き終えていたわけだから……

ああ、そうだったんですか(※英オリジナル版の出版は2017年)。

コージー:ええ。だから、さっき話に出た「日記からの最後の引用が2014年」というのも、もっと意味がわかりやすくなると思う。というのも、あの時期からわたしは本の執筆をはじめていたし、そこから出版社のフェイバーがこちらにアプローチをかけてきて。と同時にその頃、わたしは「ハル・シティ・オブ・カルチャー 2017」企画にも取り組んでもいて(※シティ・オブ・カルチャーは4年に一度選ばれる「イギリス文化都市」で文化やアート振興を目指し長期にわたって多彩なイヴェントが組まれる。コージーの生まれ故郷ハルは2017年にその座を射止め、ハルが初期の拠点だったCOUMトランスミッションズの大々的な回顧展も開催された)。
というわけである意味なにもかもが、わたしにとってきちんとこぎれいなパッケージとしてまとまっていった、みたいな。フフフッ! 自分の本の執筆、そしてCOUM回顧、という形でね。わたしがCOUM展のためにやっていたリサーチ、それがまた本向けのリサーチにも流れ込んでいた、という。そんなわけで、エモーショナルなアプローチと共に、わたしはある種客観的なアプローチも用いることになった、と。この、パラレルを描くふたつのアプローチの仕方、これが実際、わたしには上手く機能したのよね。というのも、それならわたしは客観的であると同時にまた、主観的にもなれるわけで。で、わたしは自分の本を、なんというか……なにも「積年の恨みを晴らす」めいたものにしたくはなかったから。そういう本ではないんだしね。

(苦笑)はい、もちろん。

コージー:そうではなくて、これはわたしの人生についての、わたしの物語を書いた本だ、と。で、とある誰かがわたしに対して、あるいは他の面々に対して本当にひどい仕打ちをしてきたこと──それは彼らの側の、その人間の問題であって、わたし自身の問題ではないわけ。そういう連中は、わたしのストーリーのなかに登場するキャラクターに過ぎない。彼らがあまりにひどい振る舞いをしたことについても、(苦笑)それが彼らの人なり/実像なんだから仕方ない、と。その事実を変えることは、わたしにはできなかったしね。それと同じで、逆に誰かがわたしに本当に良くしてくれたら、その事実を書き換えるつもりはないわ。それに実際の話、わたしの物語にしても、他の誰かがしでかした悪質な行為のいくつかに負っていたんだし。というのも彼らのそうした行為のせいで、わたしが立ち向かい対処しなくてはならないシチュエーションも生じたわけで。で、それらの行為はわたしの人生に本当に大きなインパクトを与えた、と。
というわけで……当時なにが起きていたか回想する意味では、それが困難だった、ということは一切なかったわ。というのも、いろいろな状況をくぐり抜けていた時点で、その都度それらに対処し乗り越えていったから。ただ、さっきも言ったように、本当に困難を感じた点というのは、本を書いていくなかでわたしはある意味欺瞞の程度の深さを明るみにすることになった、その根深さを初めて知った、そこだった。だから、自分というのは本当に、彼が敵対していたものの縮図的な存在だったんだ、その事実に気づかされたことは難しかったわね。悲しいことに、彼はそれらすべてを否定しているけれども──彼がいつも使う手口、それは「敵対」なわけだし。あの点は、だから厄介だった。

ある意味、本を書くことで嘘を発見し、あなたは再び傷つけられた、ということになりますね。

コージー:そうね。

もちろん、そのつもりで執筆したわけではないけれど、結果的に更なる嘘がばれていった、と。

コージー:そうそう、結果的に、自分が気づいていた以上の嘘があったことが明るみになった、という。

(苦笑)ひどいですね。

コージー:ほんと、まったくよね。

やぶへびになってしまった、と。

コージー:ええ、そういうこと(苦笑)。まったくもう、キリがないっていうね(苦笑)。クックックッ……。

とくに後半の6章ぐらい、TG再集合のくだりでジェネシスのやったとんでもない仕打ち等々、書いていて決して楽しくはないことにも触れていますよね。普通の人だったら伏せておきそうなところも、あなたは本に収めています。ありのままを伝えよう、あなたの経験をできるだけ忠実に書き記そう、ということだと思うのですが。

コージー:それはそうよ。だから、あれらすべての事情がまた、わたしのストレスを大きくしてもいたわけで……それ以前に、わたしとクリスは息子を病気で失いかけた、そんな大きな心的負担もこうむっていた。ところがあの時点で、わたしは他の誰かから余計なストレスまでもらう羽目になった。しかもその人間には明らかに、わたしとクリスが当時どんな状況をくぐっていたか、そこに対する同情心が一切欠けていたわけで。とにかく、心労の上にさらなる心労が重なっていって。それで遂には、わたしは疱疹で倒れることになったし、体調も相当悪くなって。自分たちの上に山積みにされていったすべてのストレスの結果がそれだったわけよね。
で……と同時に、わたしたちにはスロッビング・グリッスルのファンたちに対する責任もあったわけで。だから、あれはもう──「これがわたしの人生。こんなにつらいのに、どうやったらこの人生を好きになれる?」みたいな(苦笑)。あれはわたしの人生のなかでも大きなポイントだったし、人びともスロッビング・グリッスル再結集劇については読みたがるだろう、と。ただ、あの背後で起きていたのは、わたしたちが味わった数々の困難の物語だったのよね。

けれども大事な点は、では、その「神話」を支えるために、COUMトランスミッションズおよびスロッビング・グリッスルのメンバーだったひとりの人間がこれまでプロモートしてきた「神話」を支えるために、自分自身の人生体験の数々を犠牲にするだろうか? ということであって。それが正しい行為とはわたしには思えない。

『アート セックス ミュージック』にはユーモアもありますよね? クリスが何気に感電して、部屋の隅にまで飛ばされたり──

コージー:(苦笑)ああ。

それとか、彼がドリルで指に穴を開けてしまい、その数日後に今度は別の指を折った場面とか。

コージー:(笑)そうね、あれは可笑しい。

よく考えたらすごいことをさらっと書いていますよね。クリスの健康面で言えば冗談じゃなかったでしょうが、あなたの淡々とした書き方が逆に笑いを誘うところがあって。

コージー:でも、あれが……(笑)だから、ユーモアはわたしの人生のなかで大きな役割を果たしてきた、ということ。それから、「笑い」ね。っていうのも、わたしはべつにダークで陰気な、鬱でふさぎ込んだ人間ではないんだし。人生を愛しているし、楽しんでいる。で、わたしは他の人たちには見つけられないような場所にも、ユーモアを見出してしまうのよね。だから……そうねぇ、人生の大半を自分は笑顔を浮かべながら過ごしてきたんじゃないか、自分ではそう思ってる。もしかしたらそのせいで、わたしのかいくぐってきた色んな問題が逆にもっと際立つことになっているんじゃないか? とも思うし。
 でもほんと、ああいう「手榴弾」(※本文中に出てくるジェンからの報復/嫌がらせの比喩)にはなんとか対応しなくちゃいけないのよね。それにユーモアで応じてやろう、と。ユーモアはわたしの人生のとても大きな部分を占めてきたし、とても、とても大事なことだわ。

そういうユーモアというか茶目っ気は、スロッビング・グリッスルのメンバーも共有していましたよね。

コージー:そうね。

たとえば、『20ジャズ・ファンク』のプロモ写真で──

コージー:(苦笑)ああ。

ジェネシスがYMOのシャツを着てかっこつけていたり、TGのライヴの最後をマーティン・デニーで締めるっていうことにも通じているように思います。

コージー:ええ、だからアイロニーもあったわけよね。で、あれはちょっとこう、「ミューザック」というコンセプトで遊んでみた、というところもあったし。だから、スロッビング・グリッスルを通じてはらわたに響くとてもフィジカルななにかを体験した後で、聴き手を軽く落ち着かせてあげよう、と。あの経験の後には最高に素晴らしいマーティン・デニーのミューザックが待ち構えている、というね。彼はレズ・バクスターなんかと共にひとつの新たなジャンルをはじめたんだから、それってすごいことだと思う。

他愛のないユーモア、いたずらっ子めいた側面があったわけですね。

コージー:そう。だから、スロッビング・グリッスルとは真逆なことよね。

そのふたつは、TGのコインの裏表だったんですね。

コージー:だからなのよね、あなたがさっきも言っていたように、人びとがスロッビング・グリッスルに対する「神話」を抱くことになったのは。でも、わたしたちは既にあの頃ですら、ギグのおしまいにマーティン・デニーを流すことでその神話を反故にしていたわけで。わたしから言わせれば、じゃあ彼らはいったいどんな神話に執着しているんだろう? みたいな。

(笑)。

コージー:それにその神話は、当時のスロッビング・グリッスルすら喧伝していないものだったんだしね。わたしたちはそういう神話を絶えず自分たちで破壊してきたし、TGを終結させたのもそれだった。そうすれば、神話もなくなるわけだし。その点を人びとは誤解していたのよね。TGというのは、人びとがTGにインスパイアされて彼らがそれぞれ自ら作品を生んでいく/仕事していくための、その媒体を提供する存在だった。だから、わたしたちは人びとのために色んなドアを開けていった、ということ。せっかく開けたそのドアを人びとが閉ざしてしまい、わたしたちの実際の姿とは異なる「TGとはなんだったか」を彼らに定義してもらうことは、こちらは望んでいなかった。

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だから女性たちも、「セックスをしたらうっかり妊娠するかもしれない」という恐れを抱かずに済むようになった。そこである種の多幸感みたいなものが生じたし、突然、女性たちは「解放された!」と感じたわけ。ところがわたしたち女性が気づいていなかったのは、その解放感に伴う現実はどんなものか、ということで。

ハルという暴力的な地方都市のなかで、労働者階級の娘として生まれ育ったあなたから見た1960年代の英ヒッピーのコミューン文化の描写も、興味深かったもののひとつです。この意見は間違っているかもしれませんが──少なくともわたしが思い出す限り、イギリスの「60年代カウンター・カルチャー追想記」や「シックスティーズの物語」みたいなものの多くは、いわゆる「スウィンギング・ロンドン」が中心に描かれてきたな、と。

コージー:ああ、そうよね。

なので、当時ロンドンから遠く離れた地方都市で生きていて、基本的にはロンドンのヒッピーたちと同じようなことをやっていた人の目線から書かれた文章を読むのはとても新鮮でした。というか、「コージーはどうしてこういうことをやれたんだろう?」とすら。「なにもロンドン(首都)にいなくたって、アンダーグラウンドのカルチャーや精神に触発されるのは可能だ」と確認できて、その意味でも励まされました。

コージー:なるほどね。たしかに(地方都市で)ああいうことをやるのは、とても難しかった。そう言っても、自分の周りには仲間がいたし──かなり少人数のグループだったけれども。ただ、その小規模な集団だって、やがてどんどん大きなグループへと花開いていったんだけれどね……とはいえ、ハル全体の人口からすれば、わたしたちはごくちっぽけな集団だった。それでも、自分たちのやりたいことはこれだという、その決意はとても固い集団だったわね。

平たく言えば、あなたたちは「ハルの変人集団」だった、と。

コージー:そう。わたしたちは変人だった。

でも、あの時期のコミューン描写を読んでいて驚かされた──というか、いまでは驚きではないかもしれませんが、60年代文化というのはずっと「ラヴ&ピース」的に描かれてきたわけですよね。ところがあなたの本を読むと、実際は非常に男性優越主義なカルチャーだったことがわかる、という。

コージー:ああ、ほんと、そうだったわ。

女性であるあなたは掃除・洗濯・食事作りの役目を負わされて、一方で男性連中は居間でなごみながら政治だの革命的なアイディアを話し合っている、という図式。あれを読んで、やはりちょっと驚いたんですよね。

コージー:うん、だから、あなただってヒッピー・ムーヴメントが起きていた時期というのは、「フリー・ラヴ」の時代だった、と思うでしょうし……

ええ。男女問わずフリー、なので平等だったのかと思っていたら、そんなことはなかったわけです。

コージー:ええ、それはなかった。あの時点ではまだ男女平等は見えていなかったし……そうは言っても、ここで思い出さないといけないのは──あの当時、女性は避妊剤、ピルを手に入れられるようになったわけよね。女性たちも、「セックスをしたらうっかり妊娠するかもしれない」という恐れを抱かずに済むようになった。そこである種の多幸感みたいなものが生じたし、突然、女性たちは「解放された!」と感じたわけ。ところがわたしたち女性が気づいていなかったのは、その解放感に伴う現実はどんなものか、ということで。
 だから、ええ、わたしたち女性も自由にセックスできるようになった。けれども、それは男性たちにとっても、誰かを妊娠させることなく、好きに誰とでもセックスできるようになった、ということであって。それは男性から見れば都合の良い、二重の勝利だったわけだけど、当時の女性にとっては決してそうではなかった、とわたしは思っていて。突如としてこの自由が手に入ってわたしたちはとても喜んだわけだけど、それが男性優越主義にどう影響するか、そこまで考えてはいなかった。わたしたちはただ「自由だ、最高」とばかり思っていたし、これで家庭から出られる、婚約し結婚して子供を作り、そして職に就くという、当時若い女性が進むべきとされていたルートから出られる、そうやって自由になれる、そう考えていた。ところがその自由は、制約や条件付きのそれだった、わたしはそう思っていて。というのも、当時わたしたちの周囲にいた若い男性たち、彼らにしてもまだ「家庭の主たる男」という考え方を持ち、そうなるべく育てられた、そういう世代の人間だったわけで。で、男は家庭において女性から奉仕されるもの、という。

そういう男性たちにとって、ある意味60年代はハーレムのような状況になったわけですね。

コージー:そう! うん、実はそういうものだったんだと思う。そうは言っても、当の男性たちだって「自分たちはフリーだ、女性も解放された」、そう考えていたわけだけれども。そうやって分析してみると興味深いものよね。

もちろん、男性がハーレム状況を作ろうとした、とは言いませんが──

コージー:それはないわよ。

ただ、ピルにしても100%安全な避妊法ではないし、望んでいない妊娠をしてしまう女性もいるわけですしね。

コージー:わたしもそうだったしね(苦笑)。

ええ……。で、妊娠は難しいなと感じるんですよね。わたしは子供を持たない身ですが、子供ができるのは素晴らしい経験だろうな、とは思うんです。母親になるのも女性にとっての新たな開花でしょうし。ただ、同時にそれが女性にとって足枷になる場合もあるわけです。男性は妊娠しないので、そういうジレンマは起こらないんだろうな、と。

コージー:そうね、男性の人生は妊娠にまったく左右されることなくそれまで通りに続いていく、と。妊娠による妥協というのは存在するし、そこで妥協させられるのはまず女性なのよね。だから、「子供を持とう」という覚悟を決めないといけない。子供を持つと自分自身の人生に影響が及ぶ、それを理解した上で決心しないと。それは自分に依存する誰か、自分自身よりも優先するべき誰かが自分の人生に現れるということだし、子供がまず第一になる。そういう責任を負うことになるわけよね。わたしとクリスが息子のニックを授かったときは、わたしもその点は理解していた。ただ、17歳で初めて妊娠したときの自分には、子供を持つことが自分になにを意味するか、まったくわかっていなかったのね。だから……とてもつらかったわ。というのも、いざ子供を持ってみると、若い頃の自分がやったこと、そのリアリティが再びぶり返してきてショックを受けるわけで。本当に、悲しいことだから。

中絶や流産、そして妊娠といったことは、男性と女性とで影響の出方が違うでしょうしね。男性でも、大きくショックを受ける人ももちろんいますし。

コージー:ええ、それはもちろんそう。これは、女性も男性も共に、両方で進んでいかなくてはいけない問題だし。というのも、とてもエモーショナルな経験だから。子供を持つこと、その実際面も親の人生にもとても大きく影響するわけだけだけれど、「子供を持とう」と決心すること、それは男女双方にとって本当にエモーショナルな面で大きな決断なのよね。軽い気持ちでやれることではないから。ほんと、とても大変だしね。

あなたとあなたの父親との関係から、当時のサブカルチャーやアート界であなたが味わったひどい経験、そしてジェネシス・P・オリッジの存在もふくめて、『アート セックス ミュージック』では父権社会というものが浮き彫りにされていきます。これは、意図して描いたものなのでしょうか、それとも包み隠さず書いていったらそうなったということなのでしょうか?

コージー:ええ、隠さずに自分の人生を書いていったらこうなった、ということね。というのも、実際に起きてしまったことは変えようがないんだし。あなたは父権社会というカテゴリーに入れるかもしれないけれど、それは実際にわたしが体験したのがそういうものだったから、なのよね。それ以外にも、男性優越主義、女性嫌悪といったものもそこにぴったりと収まるわけ。ただ、それらはわたしが自分で自分に対してやったことではなかった。

ええ、どれもあなたの外部から発したものですよね。

コージー:そう! だからなにも、人びとの集まったところにわたしが入っていって、「どうぞ、女性嫌悪者として、できるだけひどい振る舞いをわたしに対してやってください。その体験について本を書くつもりなので」なんてお願いしたわけではなかったんだし。でしょう? 

(笑)ええ、もちろん。

コージー:だから……あれらが事実だった、ということ。で、事実というのは一部の人間の口に合わないこともあるわけよね。そういう人たちは、わたしはお立ち台に立って父権社会や女性嫌悪、抑圧云々について叫んでいるだけだ、そう考えたがっているわけだけど、そんなことはない。そうではなく、わたしはあれらを実際に「生きた」わけ。だからといって、それによって……わたしは犠牲者ではないのよね。自分が犠牲者だとはちっとも感じない。だからユーモアの存在も、そうした抑圧を乗り越えるための戦略だったんでしょうね。そしてまた、わたしを実際よりちっぽけな存在だと思わせようとする連中や、わたしの潜在的な可能性やなりたいものを目指す思いを引き留めようと足を引っ張る人間たち、彼らに対して挑んで反抗していく、という。自分の人生のはじまりの段階にしたって、父親とは──そうね、彼がいろんなやり方でわたしをコントロールしようとしたにも関わらず、わたしはいつだってそれを無視して外出し、やりたいことをやって支配に反抗してきた。そうやって外に出て、やりたいことをやったおかげで、わたしは最高に楽しい思いとものすごい充足感とを味わうことができた。で、そうやって楽しい思いをすること自体、支配に対するカウンター攻撃の一部でもあったのよね。そのせいでお仕置きを受けたわけだけれども、それにしたってまあ……罰を受けたりいろいろあったけれども、自分はこの家を出て行くんだ、それはわかっていたし、実際10代で家を出たわけだし。だから、家を離れる日が来るまで、自分はできるだけ楽しんでやる、そう思っていた。そうは言っても、門限を破っては父にぶたれていたわけだけど(苦笑)。

にしても、せっかく父親から「逃れた」ところで、続いてあなたはジェネシスに出くわしたわけですよね。彼も最初のうちは一見フリーな精神の持ち主、ルネッサンス・マンっぽかったものの、やがてあなたを支配し意のままに操ろうとする面が出てきた。せっかく父親のコントロールから逃げ出せたのに、またもや人生に同じようなタイプの男性が存在することになったのは、あなたとしてもさぞやがっかりさせられた体験だっただろうな、と思いましたが。

コージー:ええ。でも、そこを見極めるのに半年しかかからなかったわ。

(苦笑)なるほど。

コージー:彼との恋愛関係のはじまりの段階から、わたしはかなり懐疑的だったのよね。まあ、あなたからすれば「なんだってまた、彼女は彼を愛していると思ったんだろう?」と、さぞや不思議でしょうけれども。ただ、もうひとつあったのは、あの関係がはじまったときというのは、両親の家の外に広がっている自由な世界がわたしに見えたときと重なっていたのよね。で、その自由に至る道というのは、ヒッピーのコミューンに参加することだった、と。さっきも言ったように、付き合いの最初の頃から懐疑的だったし、だからあのコミューン内でも初めのうちは自分だけの一人部屋を借りていて、ジェネシスと一緒に暮らすことはしなかった。というわけで、そうね、家を出てわたしは外の世界に出て行ったし、ありのままの自分になれて、いろんな機会にも出会い、世界の中心に自分はいる、そんな思いを味わっていた。で、そこでもこの……イライラのタネに対処しなくてはならなくなったわけだけれども、あの手の苛立ちは、実家にいた頃から父親相手に体験してきたわけで。わたしにはもう経験済みのものだった、と。きっと、だからなんでしょうね、たまに「あんな目に遭わされたのにどうして我慢したんですか?」と、わたしの行動の理解に苦しむ、と言ってくる人がいるのは。でも思うに、そうね、17年ものあいだ父を我慢してきた経験を通じて、自分自身を失わずにいるには、自分のやりたいことをやるにはどうすればいいか、なんとかそれをやっていく方法を見つけ出していたわけで。それに、ある意味では……彼のやったこと、そして彼がどういう人間だったか、それらはわたしにとっても有用だったんだし。彼はわたしの役に立ってもいた、という。その面も考えに入れるべきよね。あの場にいたことは、実際わたしの役にも立ったんだし。

なるほど。でも、そうやって自分に有利なものへと状況を引っくり返せたのは、あなたがそれだけ強い人だった、ということでもあるんでしょうね。仮にあなたと同じようなつらい立場に立たされた女性がいたとしたら、彼女たちの何人かは屈服させられ、黙らされていたでしょうし。

コージー:それはもちろん! だからなのよね、人びとが女性の側を責めて批判することに対して、わたしが賛成できないのは。人びとは「(そんなに苦しいのなら)どうして君は家を出なかったんだ?」、「なんで相手を捨てられなかったんだ?」等々……だけど、そうやって批判する側は、ひどい目に遭ったり虐待された人間とは違う類いの人びとなわけよね。そういう人たちに、「自分はこの状況から逃れることができない」と感じている人を批判する権利はないから。というのも、「逃れることができない」とその人間が感じる理由は本当にいくらでもあるんだし、それは感情面が理由なこともあるし、実際面や金銭面、ときに政治的な理由ということもあるし、あるいはまた、アートをやっていくために、その状況から脱出できないことだってあるわけで。
 わたしがジェネシスと別れたのは、COUM〜スロッビング・グリッスルが本当に好調に進んでいたときだったわけよね。だから、あれは本当に大きな決断だった。というのも、わたしが彼から去ってしまったらCOUMもTGも終わるだろう、それは承知していたから。だけど、(笑)実はそれはどうでもいいことだったのよね。というのも、その先にはもっと素晴らしい、もっとずっと素敵なものが待ち構えていたんだし、それがクリスだった。でまあ、この本に関するインタヴューを受けるたび、話題はジェネシスに集中しがちなんだけれども、わたしの人生でもっとも大きかった存在、それはクリス・カーターなのよね。

それは、わたしも本を読んで強く感じました。彼はどれだけあなたにとって意味のある存在なのか、と。

コージー:そう。だからそれ以前に起きてきたことはすべて、わたしがクリスに出会う瞬間、その場面にわたしを連れていってくれるのに役立ってきたものだった、という。で、彼と出会ったところで、それまで自分の経てきたなにもかもの意味がわかるようになった。だから、彼と出会う以前に自分に起きてきたこと、そのなにもかもが、彼とわたしのあいだにある「これ」、この関係こそ自分がこれから保っていくものなんだ、と気づかせてくれた、というか。そしてまた、愛とは本当はどういうものなのか、自分のアートや自分自身に対して満ち足りた思いを抱くのはどういうことなのか、そこにも気づかされた。
 というのも、クリスのおかげでわたしはわたしを完全に信頼し、応援してくれる人を得たんだし、しかも彼にはわたしをコントロールしようという面が一切なかったわけで。それだけ、彼はわたしを愛してくれているのよね。でも、それが愛というものなのよ。愛している人間を変えようとは思わないでしょう? というのも、あなたはその人間をまるごと愛しているんだから。

この本は、COUM〜TG〜クリス&コージーそしてX-TGへの物語であり、同時にひとりの女性の人生譚/サヴァイヴァル譚でもあります。女性からの共感が多かったと聞きますが、男性からのリアクションで、なにか面白い感想があったら教えて下さい。

コージー:どうなのかしらね、わたしは「女性/男性」と分けて考えることはないから……「人びとのリアクション」としか考えない。もちろんそういう見方をとることもできるけれども、それでもやっぱり、わたしはあらゆるジェンダー、セクシャルな性向に向かっていきたいし、それが本の基盤にもなっているわけで。だから、「ある人間」についての本なのよね。もちろん、「男性VS女性」の図式とか、トランスジェンダーだとか、みんなそれぞれに違う。ただ、これはある人間についての、かつあなたがいま言ったように、サヴァイヴァルについての物語であって。そうは言っても、わたしは自分に生まれついて与えられたもの、渡されたカードに対して闘ったことはなかったんだけれども。とにかくただ、自分には自分の人生のなかでやりたいことをやる権利がある、そう信じてきただけのことで。だからなのよね、この本に「男性/女性」という見方でアプローチしないことが重要なのは。
 というのも、性別がなんであれ、やりたいことをやる権利は誰にとっても大切なことだから。そうは言っても男性のほうが、「自分にはこれをやる権利があって当然」という感覚が女性よりも強いものだけれども。ただ、自分自身を信じて、これはやらなくてはいけないと強く感じることをやっていくこと、それは誰にとっても大切。で、そうやって「自分はいったい何者なのか」を理解していくこと。それは大きな課題だわ。自分が誰かを理解するためには、様々な人生経験を経ていかなくてはならない。シェルターのなかに身を隠しているわけにはいかないのよね。というのも、人びとや経験、世界はそこに存在しているんだから。けれども……本当にたくさんの人たちから、本に対してとても素晴らしい反応をもらってきたわ。とは言っても、わたしはフェイスブック等々はやっていないから、あの手の場でなにを言われているかは知らないけれども。そもそも興味もないし、ゴシップだらけだしね。

でも、この本を読み終えて真っ先に個人的に感じたのは、「若い女性に広く読んで欲しいな」ということだったんですよね。あなたの本なのでスロッビング・グリッスルやクリス&コージーのファンがいちばん読むでしょうが、いま「女性に読んで欲しい」と言いましたが、実際もっと広く、性差etcに関わらず様々な形での抑圧や支配に苦しんでいる人に読んでもらえたらいいな、と。そうしたコントロールに対する対処の仕方も書かれている、ドキュメントになっている本なので。

コージー:そういえば、面白けれども、友人から「世界最初の小説は日本人の女性が書いた」と教わったのよね(※紫式部の『源氏物語』と思われます)。

ああ、はい。

コージー:だから、日本人女性のあなたから、わたしの本に対してそういう感想をもらうのはとても興味深いわね……うん、本当にそう思う。というのも、大昔の日本の宮廷で宮仕えしていた、そういう女性が小説を書いたわけでしょ? だからそれを考えてみれば、何百年も前の世界ですら、女性たちは「自分の思いを、言葉を聞いてもらいたい」という必要を感じていたわけで。で、彼女たちには耳を傾けてもらう権利がある。わたしたち女性はなにも、「沈黙したままの多数派」ではない、という。でも、そうね、とにかくこの本が、色んな層の多くの読者に届いてくれることを願っている。で、本を読んだ人たちにとっても、彼らの持つポテンシャルを活かして自分のありのままの姿を追求する、そのインスピレーションになってくれたら本当にいいな、そう思っているわ。彼らは彼ら自身であればいいんだし、流行りのファッションだとかを真似する必要はない。というか、わたしのやったことをコピーする必要すらないのよ。それくらい、誰の人生だってみんなそれぞれに違うんだし。

人びとが女性の側を責めて批判することに対して、わたしが賛成できないのは。人びとは「(そんなに苦しいのなら)どうして君は家を出なかったんだ?」、「なんで相手を捨てられなかったんだ?」等々……だけど、そうやって批判する側は、ひどい目に遭ったり虐待された人間とは違う類いの人びとなわけよね。そういう人たちに、「自分はこの状況から逃れることができない」と感じている人を批判する権利はないから。

スロッビング・グリッスルという言葉は男根の暗喩ですよね。男根はパワーの象徴で、歴史的にも崇拝されてきましたが、それを敢えてグループ名にしたのはどうしてですか? ひとつのアイロニーというか、TG内においても暗黙のなかで反父権社会的/反マチズモ的なものがあったからでしょうか?

コージー:まあ、あのタームを使うことにしたのは、わたしの友人のレズ、彼がペニスを意味するタームとしてあれを使っていたからなのよね。その意味合いは彼がすっかり説明してくれたし、あれはそれまで、わたしたちの誰ひとり行き当たったことがなかった言葉で。それに、もうひとつあったのは……あれはバンドが普通だったら絶対にバンド名にしない、そういうものだったところ。

(笑)なるほど。

コージー:というのも、あれはパンク以前の時代だったわけで。あの頃、「包皮」とか、そういう名前のバンドは存在していなかったでしょ。というわけで、スロッビング・グリッスルという名前は……だから、さっきも話した「笑える」点、ユーモアも関わっていた、ということ。誰かがレコード店に行って、「スロッビング・グリッスル(陰茎)のレコード、ありますか?」と尋ねる場面を想像する、という。

(笑)。

コージー:だから、「バンドの名前だ」とわかっているつもりでも、そこにはダブル・ミーニングもある、という。そうはいっても、あの名前は「TG」に縮められてしまったんだけどね。クリスはあの名前が嫌いだから。

らしいですよね。彼はいつも「グリッスル」か「TG」としか呼ばなかったそうで。

コージー:ええ。それから、前身だったCOUMトランスミッションズとの繫がりもあった。COUMのシンボルには「COUMペニス」があったし、あのペニスは性交後の萎えたそれだったけれども、そこからTGになったところで、勃って準備万端、世界を相手に固く立ち向かっていく存在になった、と。それが、わたしの見方ね。

1970年代、セックス産業に与しているという理由によってフェミニストから批判されたあなたが、いまとなってはフェミニズム的な文脈のなかで評価されていることをあなたはどう感じていますか?

コージー:まったく問題なし。だから、どういう文脈にわたしの作品を当てはめるかそれ次第だ、という。わたしやわたしの代理人のギャラリー側に「こういう展覧会があるので作品を貸してほしい」という提案が届くと、わたしたちは話し合い、その展示の文脈にわたしの作品の本来持っていた意味がフィットするかどうか考えるし……だからとにかく、わたしの作品に対する評価の変化というのは、時代の変化、そして物事への姿勢が変化した結果だと思っていて。だからある意味、何年も前に自分のやっていたことに時代が追いついたんだな、と。いまの人びとはあの作品をありのままに眺めるけれども、発表した当時の人びとにはそういう風に観ることができなかった。ということは、早過ぎたのかもね? どうしてそうだったのかは、わたしにもわからないけれども。ただ、あれらの作品は現在の時代に居場所を見つけてみせた。とは言っても、そこまで何年かかったのかしら……それこそ、40年近く?

(笑)ですね。長かったですね。

コージー:(苦笑)ええ。

ただ、やっぱりあなたにも新鮮な気分だったんじゃないでしょうか。「受容」や「評価」があなたの目的だったことはなかったし、自分の作りたいアートを作るのみだったとはいえ、ああして時代が追いついたことは嬉しかったのでは?

コージー:まあ、クリス&コージーの作品にしたって、人びとがあれに追いつくのに10年近くかかったわけだしね。

ああ、たしかに。

コージー:で、人びとが追いついた頃には、わたしたちはもうカーター・トゥッティに変わっていた、という。でも、それはいまでも続いているのよね。人びとはカーター・トゥッティ・ヴォイドを求めているけれども、わたしたちは既に他のなにかに取り組んでいる。たとえわたしのやる仕事の一部に対する人びとからの受けが良いからといって、それに足止めを食らわされるわけにはいかないから。わたしのやっているのはそういうことではないんだし……いま現在にしたって、わたしは他のことに取り組んでいるけれども、それでも人びとからはわたしたちが10、20、30年くらい前にやっていたようなことをやって欲しい、と求められる。だけど、自分の持ち時間のなかで、自分にやりたいことは他にもっとあるから(苦笑)。

常に先を行っているんですね。

コージー:いいえ、そんな風に考えたことはない。とにかく、常に自分のやりたいことをやっているだけ(笑)。

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まあ、わたしたちはいつだって個人として物事に対処していた、ということね。陳腐な言い回しになるけれども、「個人的な物事は政治的である」と。いまの質問である意味、あなたはわたしたちは政治に繫がっていなかったのではないか、と言ったわけだけど、そんなことはなくて、当然わたしたちも政治には関わっている。

フェミニズムに限らず、70年代、80年代のUKの音楽シーンはどこかしら政治思想、イデオロギーとリンクしていたと思います。アナキズム、社会主義、コミュニズム、反資本主義等々。

コージー:フム。

でもスロッビング・グリッスルにせよあなたにせよ、ああいう風におおっぴらに「政治的」だったことはなかった気がします。特定の政治的な「派閥」に同調したことはなかったのではないか? と。あなたは意識的に様々な「〜イズム」とご自分の作品との間に距離を保っていたのですか?

コージー:まあ、わたしたちはいつだって個人として物事に対処していた、ということね。陳腐な言い回しになるけれども、「個人的な物事は政治的である」と。いまの質問である意味、あなたはわたしたちは政治に繫がっていなかったのではないか、と言ったわけだけど、そんなことはなくて、当然わたしたちも政治には関わっている。ただ、個人のレヴェルでそこに関わっているだけ。でも個人的であっても、最終的にはとても政治的になっていくものであって。いまのようになにかひとつ、個人としてのレヴェルで物事がまずくなっている状況があったとして、ではそれを地球規模で考えるとどうだろう? と。イギリス国内に留まらず、アメリカやドイツ、世界各地のことを考えてみると、誰もが政治のせいでパーソナルな面で苦しめられているわけよね。そういう段階こそ、パーソナルが非常にポリティカルになる場面だ、と。
 というのも、政治を再び正しい軌道に戻さなくてはいけないわけだし。多数の人びとの声を代弁させなくてはならないし、ただ単にキャリアを求め権力を手にしたがっていて、金儲けをしたいだけ、そういう手合いを代弁しているわけにはいかないだろう、と。政治はそういうものじゃないんだしね。たとえばここイギリスみたいに、わたしたちにいまある政治状況では、それこそ国そのものが崩壊しかねない。人びとは権力に酔い、経済面での利害を追求している。完全に狂っているし、まったく理解できない。だから、わたしとしても民主主義社会に生きているつもりでいるのが本当に難しくて──というのも、人びとはこれを民主主義と呼んでいるけれども、実際はそうじゃないわけで。……どうもわたしも、いまやすっかり政治的になってるみたいだわね(苦笑)?

いまはそうならざるを得ないですよね。もっとも、どの時代でも困難な状況はあったでしょうが。

コージー:ええ。でも、いまは危機的状況じゃないか、わたしはそう思っているわ。

すでに『D.o.A.』の頃にはメンバーそれぞれの分担作業になっていたTGですが、それでもグループとしてのパワーを発揮していたというのはすごいことだと思います。再結成のライヴもそうですが、TGにはバンドとしてのマジックがあったんでしょうね。そのことをあなたはいろんな言い方で表現しているように思います。言葉で捉えて表現するのはそれくらい難しいなにか、だったんでしょうか。

コージー:ええ、というか、みんなどう表現すればいいか困るんだろう、と思う。あれは言葉で言い表せないなにかだったし、どうして自分は聴いてああいう感覚を受け取るのか、その理由が見出せないものであって。というのも、ひとつの空間にたくさんの人間を集めて、そこでサウンドとエモーションを同時に相手にして取り組んでいると……だから、その場の全員が一緒にそれに関わっている、という。観客の側からもらうエモーショナルなフィードバック、反応、そしてエネルギーとが、プレイしている音楽に入ってきてエネルギーを与えてくれるんだしね。だから、全員が関与しているわけ。で、あれはとても不思議な感覚で……というのも、ある意味、自分自身から抜け出すようなセンセーションが生まれるから。それぞれと繫がり合うのではなく、むしろあのエネルギーそのものとコネクトしてひとつになっている、というか。あれは集団的なエネルギーだったし、なにもわたしたち4人だけの作り出すエネルギーではなかった。とにかく、口では説明しきれない(苦笑)。

(笑)でも、本のなかであなたはかなりがんばってあれを描こうとしましたよね。

コージー:ええ、そうよね! だから、音楽やアートをやるときと同じで、とにかくただ、それが「起きる」という感じ。でもそれって本当に、それ以前に起きた様々なことの組み合わせから生じるものなのよね。で、それらを(ライヴの場という)短い瞬間のなかに凝縮させていくと、どういうわけかすべてがまとまって、完璧なものになる。そういうことを意図的に引き起こすのは不可能だったし、とにかくそれが「起こった」。というのも、その場面に至るまでに過去にやってきたいろんなこと、そしてその場での精神状態とが合わさってああいうものが生まれたんだしね。だから自らをオープンにして、様々なことが通過していく「導管」になる、ということ。ある意味、瞑想をやるときに似ているわね。

TGにライヴ音源が多いのも、それだったんでしょうね。通常の「ロック・コンサート」ではなく、そのときの、その場の、人びとの記録だった、という。

コージー:そうね。

ちょうどこの9月に再発される『Mission Of Dead Souls』は、あなたが本のなかでもっともお気に入りのライヴのひとつに挙げているサンフランシスコでのライヴを収録したものですよね? 

コージー:ええ。

どうしてあのギグが印象に残っているんでしょう? 第1期TGの終わりを告げた作品だったから、ですか?

コージー:それは、自分がほとんどもう外側から音を発しているような気がした、そういう感覚を抱いた唯一のギグがあれだったから、だわね。わたしは実際あの場にいたけれども、でもあの場にいないような感覚があった、という。ほんと、さっきギグについて話したことと同じだけれども、それまでやってきたことのなにもかもが組み合わさってライヴが生まれるわけよね。で、あれは(第1期)TGが最後にプレイしたギグだったし、そのぶんすごいものにもなった、と。
 というのも、あそこですべてが、TGも、なにもかもが最後を迎えていたわけで。それにサンフランシスコ公演の前のロサンジェルスで、わたしたちは言い合いをしたわけよね──例の、あの問題人のせいで。あのときわたしたちは「サンフランシスコではちゃんと元に戻そう、まとまらないといけない」と話し合った。っていうのも、責任は自分たちにあったわけでしょ? あれがTGのラスト・ギグになることになっていたんだし、たとえお互いに対してどれだけ個人的な問題を抱えていたとしても、わたしたち全員が揃えばそれを越えたもっとすごいものになれるんだ、と。で、あのギグはまさにそういうものだったし、素晴らしかった。あのギグ以上にアメイジングだったものと言えば、TGが再結集して初めてやったアストリア公演に……それに、クリス&コージーの音楽を久々にやったとき、でしょうね。あの3本のギグが、わたしにとっては他のなによりも際立って記憶に残っている。

その『Mission Of〜』ですが、あらためて聴くとTGからクリス&コージーへの架け橋的なサウンドにも思いました。たとえばシングル“ディシプリン”以降のテクスチャーやビートは、その後クリス&コージーに受け継がれていくものじゃないかと。

コージー:その意見は興味深いわ。というのも、あの“ディシプリン”のリズムというのは、これは本当の話だけど……ほぼもう、スロッビング・グリッスルがはじまったのとまさに同じ頃から存在していたのよね。

ほう!

コージー:クリスの手元にはいろんな実験をやったテープが残っていて、彼は最近それらを聴き返したのね。で、あの“ディシプリン”リズムはそのテープに含まれていたし、あのテープは本当にごく最初期の、まだわたしたち4人がスロッビング・グリッスルとしてライヴを始める前に録ったもので。

そうだったんですか。

コージー:だからある意味、これも円が一周して閉じた、ということじゃない? クリスがあのリズムをやり始めていて、それと同じ頃にTGもスタートしていたわけよね。ところがあなたにとってあの“ディシプリン”のリズムは、その後のクリス&コージーに至るヒントをもたらすことになった、という。だからほんと、クリスなのよね、物事を繋ぎ止めていた「岩」の存在というのは。

でも、驚きですね。あのリズム/ビートは、その後のいわゆる「インダストリアル・ミュージック」のテンプレートになって、さんざんコピーされたわけですし。

コージー:ええ。本当に、パワフルなものよね。

でも、それはTGの始まりから存在していた、と。

コージー:だから、棒立ちで動かない人間のリズムを無視することはできない、ということで(苦笑)。

(笑)で、今回の3枚の再発で、ほかに『Journey Through A Body』と『Heathen Earth』を選んだのはどんな理由からですか?

コージー:あのすべてになんらかの繫がりがある、そうわたしは思っているから。この3枚のまとまりは、再発企画で同じグループに入れられた他のタイトルほどその理由は明確に映らないかもしれない。タイミングも異なる作品だしね。ただ、あの3枚はスロッビング・グリッスルについてなにかを語っていると思うし、でもそれはノーマルな文脈のそれではない、というか。だから、いつもとは違う……普通よく言われたり書かれてきたスロッビング・グリッスルに関するあれこれからは外れた作品群だ、と。だから、これらを同時に出すのは大切なことだと思ってる。

「アザー・サイド・オブ・TG」とでもいうか、より即興性の強い、ライヴでルーズな側面を物語る作品、ということですか?

コージー:というか、聴き手にも気づいて欲しいのよね。これらの作品もまた、いわゆる「スロッビング・グリッスルのアイコニックな楽曲」と看做されてきた、そういう曲群と同じ時期に生まれていたものだという点を。だから──スロッビング・グリッスルは「これ」というひとつの存在ではなかったわけ。TGは“ディシプリン”とか“ウィ・ヘイト・ユー”とか、そうした1曲に集約されるものではなかった。『D.o.A.』でやったアンビエント調の楽曲や『20ジャズ・ファンク〜』(のラウンジ〜ディスコ解釈)にしても、わたしたちはハードコアなライヴ・パフォーマンスをこなしながら同時にああいうこともやっていた、その点を考えてもらいたいな、と。だから、スロッビング・グリッスルというのは人びとの考える「インダストリアル・ミュージック」というもの、それ以上のなにかだったのよね。要するに、機械工具だの金属製品を買い込むだとか、そういうことではない、と。

(笑)ええ。

コージー:それにTGには、さりげないところもあったしね。だから、実験だった、ということ。わたしたちはあらゆる類いの実験をやっていた。たとえば金属塊をぶっ叩き、ハードなリズムを鳴らし、苦痛に喘いでいるようなヴォーカルをそこに乗っけるとか、それって安易過ぎでしょう? TGはそういうものではなかったし、もっとそれ以上のなにかだったから。

『D.o.A.』そして『20ジャズ・ファンク』のレコーディング過程に関するあなたの本での記述は、TG1作目『セカンド・アニュアル・レポート』のそれに較べると割と簡潔であっさりしている気がしました。あの2枚にあまり文字数を費やさなかったのはどうしてでしょう。

コージー:それはだから、作ったアルバムごとに「我々はいかにしてこの作品を作ったか」みたいに詳述した本を書くつもりは自分にはなかったから。それとか、レコーディングのテクニカル面に関する解説だとか。わたしがあの本で語りたかったのは、わたしがこの世界で経てきた体験についてだった。で、わたしがこの世界で体験した様々なことは、「このアルバムの録音には何インチのテープを使った」とか「どんなタイプのテープを使ったか」といった点に終始するものではない、と。スロッビング・グリッスルの用いた技術だったり使用機材に関する分析は他の人間もやってきたし、これからもその分析は続くでしょうしね。わたしもクリスと一緒になることでそうした面を知ったけれども、詳しいところまではわからない。ただ、あの本はそうした点についてのものではない。あれはわたし自身の人生についての本だ、という。

最後の質問になります。これまでの人生を振り返って、いろいろなピンチな局面があったと思いますが、やはり病に倒れたことは大きいと思います。そもそも、あなたが体調を悪くされていたこともこの本で知りましたが、最近はいかがでしょうか? 

コージー:その日ごとに症状を抑えてコントロールしなくてはならない、そういう状態ね。だから、とても、とても厄介。というか、(本に書かれた2014年までの頃よりも)いまのほうがもっと難しいことになっている。

ああ、そうなんですね……。

コージー:ええ。

これについて質問したかったのは、あなたをなんとしてでも来日させたがっている友人がひとりいるからなんですよ。

コージー:でも、この症状があるからわたしには無理ね(苦笑)。行きたくても行けない、その主な理由が心臓の病気だから。

長時間のフライトができない、と?

コージー:そう。それはいまや、アメリカも含んでいて(※2008年頃まではコージーもアメリカでツアーや展示をおこなっていた)。

ああ、そうなんですか。

コージー:ええ。それに……だからこれまでも、ブラジルだとか、世界各地から招聘は受けてきたのね。ただ、とにかく肉体的に、わたしにはそれらの招きに応じることができない、という。そんなわけで、わたしは来る日も来る日も自分の体調を管理しなくてはならないし、ときにはとても体調が良い日もあって、「よし、不調は消えた!」なんて思うわけだけど(笑)、2〜3日したら症状がぶり返して、安静にして薬を服用しなくてはならなくなったり……。ただ、これに関しては自分でもあまりえんえんと話したくはないの。というのも、いわゆる、病弱でめそめそした、そういう人間にはなりたくないから。
 そんなわけで、どうしてわたしが一部の招待や依頼を断るのか、そこを理解してくれない人は多いのよね。ただ、そうやって様々な招待を辞退している最大の理由は、実のところ、わたしが自分にあるエネルギーを使って仕事をやろうとしているから、であって。もちろん、ライヴだってわたしたちの仕事の一部ではある。けれどもいまの時点では、わたしは物事に優先順位をつけていかなくてはならない。というのも……とにかくいまのわたしにとって、(長旅を含む海外渡航は)肉体的にあまりに課題が大きいから。

日本の側でファン・ツアーを組織して、あなたがパフォーマンスするのを観にイギリスに出向くしかないかもしれませんね。

コージー:(苦笑)そうね。ただ、イギリス国内のギグですら難しいかもしれない。というのも、多くの人間は気づいていないでしょうけど、ギグというのは……たとえば、わたしはもう夜遅くまで演奏し続けることはできない。ところが、イギリスではライヴのトリは普通、夜が更けてから出演するものと思われているわけで(※イギリスのコンサートではヘッドラインは早くて9時半頃に登場。クラブ系のイヴェントでは出演が深夜を回ることもある)。単純な話、わたしにはそれは無理。そんなわけで、誘ってくれてどうもありがとう、でも、お断りします、という。

分かりました。今日は、お時間いただけて本当にありがとうございました。長々喋ってしまいすみません。

コージー:いいのよ、気にしないで。良い質問だったわ。

ありがとうございます。本の日本語版出版が楽しみですし──

コージー:わたしも。実際に本を目にするのが待ち遠しいわ! 素晴らしいでしょうね。

お元気になられることを願っていますので。どうぞ、お大事に。

コージー:ええ、ちゃんと自分の面倒は見るわ。あなたも、元気でね。

ララージ来日直前企画 - ele-king

 どうも最近、現代文明からの離脱の機運が昂まりつつあるように見える。ふだんからよく書店に足を運ぶ方は、年々「縄文」コーナーが充実していっていることにお気づきだろう(たとえば『縄文ZINE』は書評でとりあげようかと思ったくらい、ユーモラスでおもしろい)。日本だけではない。今年の夏は、まさにいま流行の「アントロポセン」というタームを体現するかのように、世界じゅうで酷暑が猛威をふるったけれど、その影響でイギリスでは新石器時代の遺跡の残像が地上に浮かび上がってきてもいる。産業革命以降のハイテクノロジーの時代へと回帰してくる、文明以前的なものの兆し。エイフェックス新作のアートワークに暗示されたコーンウォール由来のぐるぐるモティーフはたぶんもっと近代的なものなんだろうけど、にしても、このとち狂った現代社会からの逃走の回路が次々と発現しているのは興味深い。それは、ロハス的なものだったりマインドフルネス的なものとはまた異なる逃走のあり方である。

 1943年にフィラデルフィアに生まれたララージことエドワード・ラリー・ゴードンは、幼い頃にいくつかの楽器を学び、ワシントンではハワード大学へ通う。その後ニューヨークで役者として活動していたが、70年代に東洋の神秘主義と出会い、改めて音楽の道を目指すことになる。彼の代名詞となるツィターを手に入れたのもその頃で、自ら改造を施しつつNYのストリートでパフォーマンスを重ねていく。1978年には本名名義で『Celestial Vibration』を発表(2010年に〈Soul Jazz〉傘下の〈Universal Sound〉からリイシュー)。そうしてワシントン・スクエア公園で演奏している際に、訪米していたブライアン・イーノと出会い大きな転機を迎えることになるわけだけれど、ゴードンのツィターの奏法は、ちょうど「オブスキュア」から「アンビエント」へとコンセプトを発展させていたイーノにとっても新しい試みに映ったに違いない。ララージ名義の最初のアルバム『Day Of Radiance』は、「アンビエント」シリーズの第3作として1980年に〈Editions EG〉からリリースされることとなった。
 タイトルどおりきらきらと瞬くそのツィターの音の連なりは、たしかにアンビエントの領域を拡張したと言えるだろうが、他方でそれはエキゾティックな趣を携えてもおり、采配次第では同年のジョン・ハッセル『Fourth World』とも接続しうるポテンシャルを秘めていたのではないだろうか。しかしララージはむしろ80年代のニューエイジ・ブームのなかでその評価を高めていくことになる。1984年には100枚限定のカセットテープ『Vision Songs』を発表し、自身の歌まで披露(今年初頭に〈Numero Group〉からリイシュー)。実質的なセカンド・アルバムとなる『Essence / Universe』は1987年に〈Audion〉からリリースされ(こちらは2013年に〈All Saints〉からリイシュー)、ニューエイジ要素が全面化した長尺ドローンが展開されている。

 90年代に入ると、おもにイーノとかかわりの深い〈All Saints〉をとおして、マイケル・ブルックをプロデューサーに迎えたアンビエント作『Flow Goes The Universe』(1992年)や、オーディオ・アクティヴとコラボしたダブ作『The Way Out Is The Way In』(1995年、日本盤はのちに〈ビート〉から)などをリリースする一方、ビル・ネルソン、ロジャー・イーノ、ケイト・ジョンらとともにチャンネル・ライト・ヴェッセルを結成、80年代的な音響を維持しつつポップな要素を取り入れた『Automatic』(1994年)と『Excellent Spirits』(1996年)の2枚のアルバムを残している。そこまではある意味で時代との接点を保っていたとも言えるが、1997年の『Cascade』ではそれを完全に振り切り、リラクセイションの極みへと到達(副題は「Healing Music」。ちなみに、その2年後には日本で坂本龍一の「energy flow」がヒーリング・ミュージックとして大ヒットしているけれど、それは単なる偶然なのか、はたまた世紀末の一現象なのか)。その後00年代にも作品を発表してはいるものの、グライムやダブステップの時代にあって、次第にその影は薄くなっていったのではないだろうか。
 ところが10年代に入ってその風向きが変わる。上述の作品を含め、さまざまなレーベルからララージのリイシューが相次ぎ、新作も発表、コラボレイションも活性化していく。注目すべきはそのコラボ相手とレーベルだろう。2011年には〈RVNG〉からブルーズ・コントロールとの実験的な共作『FRKWYS Vol. 8』がリリースされているが、2015年から16年にかけてはマシューデイヴィッドの〈Leaving〉から、80年代に録音されていた音源を発掘した『Unicorns In Paradise』『Om Namah Shivaya』が発売。2017年の新作『Sun Gong』『Bring On The Sun』や、今年出たそれらのリミックス集『Sun Transformations』ではカルロス・ニーニョやラス・Gなど、明確にLAビート・シーンとのコネクションが堅固になっていく。さらに昨年はブラジルの大御所サンバ歌手、エルザ・ソアーレスをリミックスと、老いてますます現役感が増していっている。

 そのような再起の動きのなかでもとりわけ重要なのは、2016年のサン・アロウとの共作『Professional Sunflow』だろう。当時のニューエイジ・ブームの後押しがありつつも、それとは一線を画した実験的サウンドを響かせる同作は、ララージが他方でマインドフルネス的な文脈と親和的でありながらも、そこには回収されえない実験主義を標榜していることをも示してくれたのだった。

 80年代のニューエイジ・ブームが新自由主義の猛威に対応していたのだとするならば、この10年代にふたたびそれが勃興しているのは、資本主義が当時以上に加速していることのあらわれである、と結論づけることも一応は可能なんだろうけど、でも90年代や00年代だって世の中は相当ひどかったわけで、そんなふうにすっきりと整理できるものではない。しかし、そういった世相の反映はありつつも、〈RVNG〉と接触したりLAビートの文脈で再評価されたりしている彼の姿や、あるいはサン・アロウとの刺戟的なコラボ作を聴いていると、少なくともそれが資本主義のヴァリエイションのひとつでしかないロハス的なものとはかけ離れていることがわかるし、彼の奏でるニューエイジには逃避という一言だけでは片付けられない種々の可能性が孕まれているような気もしてくる。そんなニューエイジの微妙な揺らぎを体現するララージは、きたる来日公演においていったいどんなパフォーマンスを披露してくれるのか。それを目撃するのが楽しみでしかたない。


Laraaji Japan Tour 2018

澄み渡る空、開かれる静域。巨匠 Brian Eno に見出され、近年のニューエイジ/アンビエントの再興により生ける伝説となったNYCのパーカッション奏者/電子音楽家 Laraaji (ララージ)待望の単独初来日ツアー。

9.13 thu WWW X Tokyo
9.15 sat WWW Tokyo
9.16 sun Nanko Sunset Hall Osaka
9.17 mon Metro Kyoto

テン年代初頭よりエレクトロニック・ミュージックの新潮流の一つとして拡張を続けるニューエイジ/アンビエントの権化とも言える、ミュージシャン、パーカッション奏者、“笑い瞑想”の施術者でもある Laraaji (ララージ)の東京は単独公演、全席座りで2回のロング・セットを披露、大阪、京都を巡る待望の単独初来日ツアーが決定。そのキャリアは70年代のストリート・パフォーマンスから始まり、Brian Eno に発見されアンビエント・シリーズへ参加以降、Harold Budd、Bill Laswell、John Cale、細野晴臣、Audio Active などとコラボレーションを果たし、近年のニューエイジの再興から発掘音源含む再発で再び注目を集め、後世に影響を与えたオリジネーターとして新世代の音楽家 Blues Control、Sun Araw、Seahawks とのコラボレーション作品、遂には新譜もリリース、各国でのツアーやフェスティバルに出演し、ワールドワイドに活動の幅を広げている。風のようにそよぎ、水のように流れる瑞々しいアルペジオや朗らかなドローン、土のようにほっこりとしたソウルフルなボーカルや温かなアナログ・シンセ、ドラム・マシーン、テープ・サンプリング、瞑想的なアンビエントから時にボーカルも織り交ぜたパーカッシヴなシンセ・ポップ、ヨガのワークショップまでも展開。風、水、空、土といった自然への回帰と神秘さえも感じさせる圧倒的な心地良さと静的空間、情報渦巻く現代のデジタル社会に“癒し”として呼び起こされる懐かしくも新しいサウンドとヴィジョン、ニューエイジの真髄が遂に本邦初公開を迎える。

ツアー詳細:https://www-shibuya.jp/feature/009311.php

■9/13木 東京 追加公演 at WWW X
Title: Balearic Park - Laraaji - *FLOOR LIVE
OPEN / START 19:00
ADV ¥3,300+1D / DOOR ¥3,800+1D / U23 ¥2,800+1D
Ticket Outlet: e+ / Lawson [L:71297] / PIA [P:127-579] / RA / WWW *8/22(水)一般発売
LIVE: Laraaji / 7FO [EM Records / RVNG Intl.] / UNIT aa (YoshidaDaikiti & KyuRi) / Chihei Hatakeyama [White Paddy Mountain]
DJ: Chee Shimizu [Organic Music / 17853 Records]
more info: https://www-shibuya.jp/schedule/009420.php

■9/15土 東京 単独公演 at Shibuya WWW
Title: Laraaji - Tokyo Premiere Shows -
1st set OPEN 16:00 / START 16:30
2nd set OPEN 19:00 / START 19:30
ADV ¥5,500+1D *各セット150席限定・全席座り / Limited to 150 seats for each set
Ticket Outlet: e+ / Lawson [L:73365] / PIA [P:125-858] / RA / WWW *8/1 (水) 一般発売
LIVE: Laraaji *solo long set
more info: https://www-shibuya.jp/schedule/009310.php

■9/16日 大阪 at Nanko Sunset Hall
Title: brane
OPEN 17:30 / START 18:00
ADV ¥4,800 / DOOR ¥5,500
Ticket Info: TBA
LIVE: Laraaji + more
Visual Installation: COSMIC LAB
info: https://www.newtone-records.com

■9/17月・祝 京都 at Metro
Title: Laraaji Japan Tour in Kyoto supported by 外/Meditations
OPEN 18:30 / START 19:30
ADV ¥4,500 / DOOR ¥5,000
Ticket Info: 公演日・お名前・枚数を(ticket@metro.ne.jp)までお送りください。
LIVE: Laraaji + more
more info: https://www.metro.ne.jp

https://laraaji.blogspot.com

Vainio & Vigroux - ele-king

 アーカイヴ音源からラスト・レコーディング、さらにはコラボレーション音源まで2017年4月13日に亡くなったミカ・ヴァイニオのリリースが相次いでいる。彼のアーティストとしての存在感は消えることなく増しているように思える。むろん、音源を聴いた結果、彼の不在も「痛感」してしまうわけだが……。

 まず1月に、カールステン・ニコライ主宰の〈ノートン〉からミカ・ヴァイニオ+池田亮司+アルヴァ・ノト『Live 2002』がリリースされた。2002年という電子音響/エレクトロニカ、最良の時代におけるレジェンドたちのライヴ音源を収録したアーカイヴ・アルバムである。
 続いてこの夏、モーグ社所有のスペース「モーグ・サウンド・ラボ UK」におけるモーグのアナログ・モジュラーシンセサイザー・セッションを収録するレーベル〈モーグ・レコーディング・ライブラリー〉のリリース作品として、ミカ・ヴァイニオのソロ・ラスト・レコーディング作品という『Lydspor One & Two』が発表された。アナログ・モジュラーシンセサイザー「システム55」を用いて制作されたというこのアルバムにはミカ・ヴァイニオらしいノイズと律動感覚が横溢しており、「電子音楽作曲家・ミカ・ヴァイニオ」の高いスキルを実感できる作品といえよう。ちなみに〈モーグ・レコーディング・ライブラリー〉は、パンソニックのアルバムをリリースしてきた〈ブラスト・ファースト・プチ〉のポール・スミスによって運営されており、クリス・ワトソンやシャルルマーニュ・パレスタインなどもラインナップされている。

 『Lydspor One & Two』とほぼ同時期にドイツ・ベルリンの〈コスモ・リズマティック〉からミカ・ヴァイニオ&フランク・ヴィグルーの『Ignis』もリリースされた。コラボレーション作品であっても全編に横溢するミカ・ヴァイニオ的な音響から、その電子音生成力を実感できる作品だ。
 むろんフランク・ヴィグルーも注目すべきフランスの即興演奏家・電子音楽家である。彼は00年代初頭からフランスの実験音楽レーベル〈D'Autres Cordes〉からアルバムなどをリリースし続けており、ミカ・ヴァイニオとは、2015年に〈コスモ・リズマティック〉から「鹿ジャケ」の『Peau Froide, Léger Soleil』を発表している。このフランク・ヴィグルー特有のエレクトロ・アコースティックなノイズと、ミカ・ヴァイニオ的なメタリックなノイズは思いのほか相性が良い。ソロ作以上にパンソニックを彷彿させるマシン・ドローン/ハード・ミニマル・ビートを基調とするインダストリアル・サウンドを全面的に展開していたのだ。マスタリングは、エイフェックス・ツインなどを手掛けるマット・コルトンが担当しており、サウンドのクオリティをさらに高いものとしている。

 新作『Ignis』もまたシネマティックなインダストリアル・ミュージックであった。ヴィグルーの『Rapport Sur Le Désordre』(2016)や『Barricades』(2017)に漂っている壮大なムードに近いのだが、そこにミカ・ヴァイニオの攻撃的なノイズ/ビートが交錯することで、聴き手を覚醒させるような暴風ノイズと爆音ビートが生まれている。ちなみにディストピアSFを思わせる印象的なアートワークは映像作家 Kurt D'Haeseleer の作品である。彼はヴィグルーのヴィデオも制作している。
 レーベルは本作を「込み合った複雑なレコードであり、大音質で鍛えられた音響彫刻のコレクション」、「スタジオ・セッションとライヴ・パフォーマンスを通じて表現された長年の創造的なプロセスの産物」とアナウンスしている。
 じじつ、ミニマルな電子音のループという意外な始まりを告げる“Brume”、透明な電子ドローンが麗しい“Ne te retourne pas”、電子ノイズと爆裂ビートが交錯するインダストリアル・ノイズの“Luxure”、ノイズから静寂へと変化を遂げる“Un peu après le soleil”、“Luceat lux”、“Feux”など、どのトラックも複雑で、強烈で、かつ精密な、まさに「音響彫刻」とでもいうべき出来栄えだ。
 ドローン作品の『Lydspor One & Two』やシネマティック・インダストリアルな『Ignis』というふたつのアルバムを連続して聴くと、アルヴィン・ルシエやポーリン・オリヴェロスなどの電子音楽家の系譜に連なるミカ・ヴァイニオという側面が改めて浮かび上がってくる。
 もともとIDMやエレクトロニカには現代音楽・電子音楽からの影響がみられるものだが、ミカの場合、アカデミックな領域からの研究などがおこなわれてもおかしくないほどに電子音楽作曲家としての個性と力量を感じさせる。ノイズ、ビート、持続、切断、反復、非連続。電子音のコンポジション……。今後、電子音楽作曲家としてのミカ・ヴァイニオという切り口での考察はさらに深まっていくのではないかと思いたい。

 いずれにせよミカ・ヴァイニオという異才が遺したサウンドは、これからも聴き継がれ、さまざまな側面で分析されていくだろう。そもそもミカ自身もまたインダスリアル・ミュージックの(異端的)継承者であった。90年代から00年代を電子ノイズと共に駆け抜けたエクスペリメンタル・ミュージックのレジェンドは、その肉体を消失してもなお現在進行形の影響と刺激を生み出し続けている。

80年代 日本のポップス・クロニクル - ele-king

厳選12枚+72枚のレコード・レヴューで綴るターニング・ポイント。
バブル前夜、日本のポップスほどクリエイティヴなものはなかった!

その後のシティ・ポップ、80年代の展開。
好評『70年代シティ・ポップ・クロニクル』の続編いよいよ刊行!

もともと異端であった、はっぴいえんど、山下達郎、サザンオールスターズらが80年代にいかにしてメインストリームとなっていったか──。佐野元春『Back To The Street』、沢田研二『G.S.I LOVE YOU』、オフコース『over』、RCサクセション『EPLP』、そして大滝詠一『A LONG VACATION』、山下達郎『FOR YOU』へ。
シティ・ポップの流れが松田聖子とYMOへと向かうなかリリースされた名盤たちを追いつつ物語る、80年代のJ-POP。

CONTENTS

まえがき
BACK TO THE STREET / 佐野元春
カメレオン / ザ・べンチャーズ
G.S.I LOVE YOU / 沢田研二
A LONG VACATION / 大滝詠一
EPLP / RCサクセション
over / オフコース
FOR YOU / 山下達郎
Pineapple / 松田聖子
虜―TORIKO― / 甲斐バンド
浮気なぼくら / イエロー・マジック・オーケストラ
9.5カラット / 井上陽水
KAMAKURA / サザン・オールスターズ
あとがき

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