1938年生まれのヤッキ・リーヴェツァイトの幼少期はいまだに詳述されていない。東ドイツのドレスデン近くの村で生まれ、物心ついたときには彼には父親がいなかった。彼は母親と一緒に敗戦後のドイツを転々とし(それは極めて辛い経験であったはずだという)、一説によれば、カッセルにある祖母のもとを訪ねた頃にロックンロールと出会っている。
しばらくするとリーヴェツァイトは、ケルンでマンフレート・ショーフと出会い、ジャズを受け入れた。アート・ブレイキーとマックス・ローチが最初のヒーローだった。彼の記憶によれば20歳のとき、ミュンヘンのクラブで、実際にその場にいたアート・ブレイキーを前に演奏したこともある。やがて、リーヴェツァイトはスペインのバルセロナで7ヶ月に渡って演奏する機会を得た。1日に2公演というハードな仕事だったそうだが、彼はそこでフラメントを知り、また、ビートルズがブレイク前の時代において、インド、トルコ、イラン、あるいは、モロッコ音楽、つまりラジオから聴こえる北フリカの音楽を知った。
そんな経験を経てケルンへと戻ったリーヴェツァイトを待っていたのは、フリー・ジャズだった。よくよく彼は、カン以前にはフリー・ジャズを演奏していたドラマーだと説明される。それは間違いではないが、重要なことは、リーヴェツァイトが当時のフリー・ジャズに「自由」を感じなかったことだ。もしそう感じていたら、カンのファースト・アルバムは違ったものになっていだろう。
リーヴェツァイトは、「自由」であろうとするジャズが「自由」から遠ざかっていると感じ、むしろこうした音楽(フリー・ジャズやアヴァンギャルド)とは真逆の、リズミックに循環することの「自由」を選択した。シェーンベルクの12音階の理詰めの平等ではなく、アフリカ音楽に見られるような、単純さ、ミニマリズム、その解放感。この方向性が、ショトックハウゼンの門下生だったホルガー・シューカイと出会ったときに、まあつまり、歴史は動いたというわけだ。
それまでの西欧音楽では下に見られていた、「1本調子に演奏すること」を敢えてやってみること。こうしてリーヴェツァイトが常識を覆さなかったら、いずれはほかの誰かがそれをやったかもしれないが、しかしクラフトワークやジェフ・ミルズの登場も遅くなったことはたしかだろう。(Phewさんのファースト・アルバムにも参加されている)
大衆音楽に決定的な影響を与えたドラマーは、70を越えても精力的に世界を旅して、作品を作り、演奏を続けた。78歳、2017年1月22日永眠。ご冥福を祈ります。
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網守将平が〈プログレッシヴ・フォーム〉からリリースしたアルバム『ソナジール』を聴いていると、「ニッポンのポップ・ミュージック」とは、「そもそもポップ・ミュージックとは何か」を「問い直すこと」だと改めて確信した。「問い直すこと」とは、すなわち「実験すること」であるので、わが国において、誠実なポップ音楽とは、そもそも実験なのである。
思い出してみよう。サディスティック・ミカ・バンド、イエロー・マジック・オーケストラ、ピチカート・ファイヴ、フリッパーズ・ギター、コーネリアス、サニーデイ・サービス、相対性理論、サカナクション、セロ、ヤイエルに至るまで、時代を彩ったニッポンのポップ・ミュージックは、そもそもが西洋音楽であるポップ・ミュージックをいまいちど問い直し、そのうえでニッポンのポップ音楽(歌謡曲も含む)として再構築するような側面があった。そして、この網守将平の『ソナジール』もまた、そのニッポンのポップ音楽の最先端に位置しているアルバムなのである。
じじつ、『ソナジール』は、グリッチ・ノイズからドローンまで00年代以降のエレクトロニカ的な手法を大胆かつ緻密に採用しつつも、そこにヴォーカルやメロディを洪水のように導入し、まるで東京の都市に溢れる過剰にして清潔な情報空間のごとき新しいポップ・ミュージックをコンポジションしているのだ。いわばマーク・フェルやアルヴァ・ノトの系譜を継ぐニッポンのポップ・ミュージック?
もともと網守は、現代音楽畑の作曲家であり、坂本龍一のTV『スコラ』にも出演したこともある音楽家だ。くわえて「日本音楽コンクール」の第1位を受賞(作曲部門)するなどの実績を持ち、同時にラップトップ・コンピューターでのパフォーマンスもおこなっていたという。つまり「坂本以降のアカデミックな教育を受けたポップ音楽家の系譜」に置くことも可能だし、じじつ、ピアノやコンピューターによって華麗かつ精密に作曲・トラックメイクされたサウンドのそこかしこに網守の作曲家としての基礎学力や力量を聴き取ることは可能である(1曲めのピアノ曲“ソナジール”の優雅さや、2曲め“プール・テーブル”の細やかな音響交錯、10曲め“メア・ソング”のフォーキー+室内楽曲のような見事な作曲力! この曲は本当に素晴らしい)。
しかし、『ソナジール』全編に横溢している過剰な情報の炸裂のようなポップ・ミュージックは、むしろコーネリアスの『ファンタズマ』を刷新するかのようなポップ・アルバムとして位置づけるべきではないかと思う。ceroやミツメなど現代のニッポンのポップ・ミュージックの現在とつなげるように聴いたほうが、よりしっくりくるようにも思える。なにしろ、ゲストボーカルに柴田聡子(3曲め“クジラ”)が、作詞とギターにceroのサポートも務めた古川麦(10曲め“メア・ソング”)などが参加しているのだから。
それにしても、本作の電子音響/エレクトロニカ以降の手法をポップ音楽として再活用する本作の楽曲を聴き込んでいくと、日本のポップ・ミュージックとは、やはり実験なのだと改めて思ってしまう。外国の音楽の手法を問い直し、再検証し、自分たちのものにすること。それは一種の実験であり、実践なのだ。繰り返そう。この国では、「ポップであること」は、常に「ポップとは何か」と問い直すことである。『ソナジール』は、そのような「ポップ・実験・日本」という系譜の最先端にある作品といえよう。
ぼくは夢見ていた。アホだった。『if...』のマルコム・マクドウェウさながら、大人に逆らえばいいと思っていた。そしてロックと呼ばれる音楽は正義の音楽であり、パンクと呼ばれる音楽は弱者の側の音楽だと思い込んでいた。2016年ではっきりとわかったことは、音楽はかならずしも正義かどうかわからなく、かならずしも弱者の味方ではないということだった。
それがエマニュエル・トッドがいうような「新しい階級闘争」なのかどうなのかぼくにはわからない。ぼくは敢えて階級を言うなら労働者階級出身だが、地方都市の商業街特有の、金はないが時間と気持ちに余裕があるという屈託のない環境で育ってしまったので、甘ちゃんで、正味どうにも馴染めない言葉なのだ。「そんなことないでしょう!」と言いたいのだが、いま、そうすぐには反論できない自分がいるのも事実。ブレグジットもトランプもニューリッチの思いがままと、それだけで割り切れればいいのだが、2016年は音楽をやっている側と弱者の気持ちとのズレが露わになったのは事実で(その穴を埋めようとしたエミネムは偉い=紙エレキング参照)、まあ手短に言えば、なんでもかんでも音楽=正義という図式にもとづくアイデンティティはぼくのなかでは崩壊した。さあ、水曜日のカンパネラを聴きながら一からやり直しだ。

もちろん音楽の価値はそういう社会のみに還元させるものではない。が、しかし、この時代の揺さぶりのなかで、2016年の七尾旅人は気を吐いていた。彼は少なくとも本当に勇敢で、がむしゃらだったと思う。1月8日日曜日、東京の東の鶯谷、小雨の降る、寒い寒い夜だった。早く着きすぎたぼくは旅人が出てくる前にビールを2杯、3杯、そして4杯と、すっかり出来上がって彼を待つことになったのは当然のことだった。
この晩の旅人は、映像作品『兵士A』での彼とは違って──というか、あのライヴが異常だったのだろう──ぼくが昔から知ってるあの旅人だった。冗談ばかりを言って笑わせて、ギターと歌で、彼の詩的な世界を繰り広げる。まさかジュークで踊るとは思わなかったし……初期の美しいラヴソング“息をのんで”を聴けたのは嬉しかったけれど、ぼく自身が自分でいちばん驚いたのは、あの、“兵士Aくんの歌”で涙が出て来たことだ。“Tender Games”を歌い終え、何の前触れもなくその歌が歌われたとき、昔ぼくの友人が言った、「東京オリンピックの開会式で、本来なら、憲法第九条を世界に自慢してやればよかった」という言葉を思い出した。

じつはぼくは、梅津和時さんとのライヴを生で見るのは今回が初めてで、これはあとのほうで“スローバラード”のカヴァーでもやるんじゃないかという妄想をしてしまったのだが、もちろんそれは妄想に終わった。なにせ旅人には“Rolin'Rolin'”というキラーチューンがあるのだから。この曲を生で聴いたときのカタルシスは代え難いものがあり、この曲のビートはそれまでの3時間をあっという間に感じさせる。ライヴがはじまり3時間半が過ぎたあたりの最後に歌った新曲“素晴らしい人”は、彼のソングライティングの巧さ、歌作りの巧さが凝縮されたラヴリーな曲で、旅人の新しいはじまりを予告しているかのようだった。
音楽はこれから本当に試されるだろう。正義なのか、そうじゃないのか。昨年末、紙エレキングで取材をお願いするとき、なんども彼の携帯に電話したのだけれど、ぜんぜん連絡が取れなくなった瞬間があって、どうしたんだろうと思ったら、いきなり夜中に電話があって、「ごめん、いま高江から戻っている最中で」と彼は言った。あ、この人の音楽はこれから先もずっと聴いていこう、とぼくは思った。

宇多田ヒカルが、昨年リリースしたアルバム『Fantôme』収録の“忘却 featuring KOHH”のMVを公開した。KOHHが参加したことで大きな話題を集めた同曲だけど、決して派手なトラックというわけではなかったので、てっきりアルバムの中の1曲として静かに語り継がれていくことになるのだろうと思っていたら、しっかり映像まで作ってくるとは……宇多田、おそるべし。しかもなんと、同ヴィデオの監督を務めているのはヤイエルのVJでもある山田健人なのである。宇多田、おそるべし。
インターネット時代の悪夢に情報拡散というのがあって、たとえばレーベルが情報を送ると、そこに書かれたテキストをコピペして(つまり、咀嚼も吟味もされずに)いち早く情報を垂れ流すだけのネットメディは多々ある。そしてそれが、だぁーーーっと拡散される様は、イーノのレヴューでも書いたポスト真実社会そのもの。で、今回、ビートインクから送られてきたスリーフォード・モッズの新作情報のキャッチが「混乱の時代を迎えるイギリスで、今熱狂的な支持を集める奇跡の中年パンク・バンド、スリーフォード・モッズ」。アンダーワールドを中年テクノとは呼ばないように、イーノを老年アンビエントとは呼ばないように、ローリング・ストーンズを老人ロックとは呼ばないように、エレキングではスリーフォード・モッズを中年パンクとは呼ばない。
スリーフォード・モッズが前作から〈ラフトレード〉移籍のあいだにあったことのひとつを言えば、メンバーのひとりはジェレミー・コービン支援のために労働党員となった。が、ブレグジット以降の党首選をめぐり彼の口汚いツイートが党から問題視され、投票権を失い、それに彼がさらに口汚く反撃を加えたことが話題になった(こういう話はブレイディみかこにこそして欲しいが)。
ブレグジット以降、混迷の時代を迎えているというのは日本もまったく同じで、BBCの1年を振り返るという番組では、ブレグジットやトランプ勝利は、好むと好まざると関わらず、40年続いたレーガン/サッチャーの新自由主義=規制緩和によって自由貿易をうながし経済を活性化させるという政策に終止符を打たせた、という話があった。なるほどなーと思いながら見ていたわけだが、その是非は他にまかせつつ、こうした問題提起があって、他方では、たとえば『THE QUETUS』にはオルタ右翼(https://thequietus.com/articles/21378-trump-alt-right-fascist-bellends-60s-counterculture) などという論説まで掲載され、文中ではただの実業家にすぎなかった60代中道リベラルが責められたりと(笑)、むしろ、だからこそ、(まさにイーノには見えていなかったこのリアリズム)にずっと生きているスリーフォード・モッズが何をやるのか──、がっかりするかもしれないし興奮するかもしれないけれど、好むと好まざると関わらず、彼らの今回の新作に関して言えば、「注目すべき」という言葉が安っぽい宣伝文句にはならないのはたしかでしょう。
ちなみに、3月の日本公開されるケン・ローチの素晴らしい映画、『ダニエル・ブレイク』のプロモーションに力を貸したのは、ジェレミー・コービンとスリーフォード・モッズ。だいたいこの興味深い音楽性とこのファッション・センス──頭でっかちの説教クサイ政治音楽ではないことはご覧の通りで、スリーフォード・モッズは希望以外の何モノでもないんですよ、悪いけど。
アルバム『イングリッシュ・タパス』は3月3日にリリース。
80年代のノイズと90年代のアンビエントがドローンという手法を使うことによって同じようなものになってしまったのと同様、ビートダウンという発想もヒップホップとハウスをそれほど差のないものにしつつある。ドローンとしてまとめられたことでノイズから悪意や反社会性、アンビエントから快楽主義が欠落してしまったように、ビートダウンにもヒップホップに期待されるダイナミズムやハウスに特有の多幸感は消え去り、溜めの多いリズムはジャズとの親和性を促している。その最良の成果としてリージナルド・オマース・メイモード4世のデビュー・アルバムを聴いてみよう。
13年に「ドゥー・ユー?」でデビューしたROM4世はモー・カラーズ周辺の人脈で、サウス・ロンドンからアル・ドブスン・ジュニア、テンダーロニアス、ジーン・バッサらと並ぶポッセのひとりとして認知され、モー・カラーズのアルバムでもそうだったけれど、リーダーが変わるだけで彼らのアルバムは大体同じメンバーによって録音されてきた。モー・カラーズはモーリシャス共和国に由来するセガというリズムを取り入れていたので特徴が見えやすかったけれど、他はそれに習いつつも、それよりは独自のフュージョン・センスを前に出してきた面が強い。ROM4世にも決定的なエスニシティが存在するわけではなく、そこは音楽史との戦いがものを言っているという感じで、モー・カラーズよりは豊かにジャズ色が滲み出る。ポッセのなかではビートダウンが呼び込む「間」を最も有効に活用している才能と言える。
パーカッションで引っ張る曲とベースで聴かせる曲が前半は交互に並べられている。インタールードを挟んでそれらが拮抗しはじめ、スリリングでありながらビートダウン本来のチル・アウト性は手放さない。音の隙間に身を乗り出しながらも基本的には安穏とした気分を保つことができる。この手の気分ならいくらでも味わったことはあるけれど、花でも取り替えるような気分で音楽も変えたいといったところだろうか。昔の音楽で間に合わないところがあるとしたら、やはり感情が現代的ではないという点につきてしまう。新しい音楽に期待したいのは音楽的な完成度よりも現代ならではの複雑な感情というやつである。ROM4世は確実にそれには応えてくれる。
ビートダウンの起源はいくらでも遡れるかもしれない。が、この数年のこととしてはやはりデトロイトであり、〈アンダーグラウンド・レジスタンス〉からニック・スピードの名義でデビューしたニコラス・マーセル・スピードの感覚を普遍化する必要があるだろう。彼が〈マホガニー・ミュージック〉からリリースした『ザ・ビート・ダウン』(13)がタイトルも含めて一種のマニフェストにしか思えず、そこにはJ・ディラ以下、デトロイト産のヒップホップをエディット化し続けた流れが延々と横たわっている。『ザ・ビート・ダウン』はディアンジェロに負う部分も少なからずではあるだろうけれど、これをハウスという文脈に落とし込んだのはやはりコッタムやフローティング・ポインツといったロンドンの屈折を待ってからになる。エディット狂が高じて誘発されてきたシーンはアメリカへの執着を何度も燃え上がらせながら繰り返されてきたものであり、ビートダウンも当初は80年代のレア・グルーヴと存在意義を異にするものではなかったのだろう。わかりやすくいえば、いま、起きていることはUKブラック・リヴァイヴァルなのである(FKAツウィッグス以下、数え上げるのも面倒くさいほどヒップスターR&Bは膨張し続けている)。2016年にグローバル化したブラックライヴズマターがこれと結びつき、2016年はアフロ・パンク・フェスティヴァルの開催へと繋がっていった。ビートダウンがそうした動きのサウンド的な核になったことは明らかだろう。
ROM4世やモー・カラーズはサウンドの面白いところだけをいただいたという言い方もできるかもしれない。それを言ったらドイツでもビートダウン以降のサウンドは大きな展開を見せているし、しかし、それにしてはでき上がったサウンドがユニークに過ぎるところがある。ROM4世やアル・ドブスン・ジュニアが叩き込むパーカッション・サウンドはどうしたって「次の一歩」という気がしてしまうのである。
ミュージック・コンクレートや現代音楽にグルーヴを持ち込んでクラブ・ミュージックとして聴かせる発想には飽き飽きしていたというか、初期のDPIやOPNに顕著だった初期衝動を超えるような展開はなく、とくにアカデミックの側がストリートも知ってますよというサインを放っているようなものになってくると、そうした記号性だけでげんなりとしてしまって。踊らない人たちのための踊れないクラブ・ミュージックというジャンルもそれなりに需要はあるのでしょうが、どうも僕には意味がなさ過ぎて。「意味がない」が褒め言葉になるような人たちのことですけど。
初期衝動を超えるような展開。そんなものを待っていたわけではなかった。しかし、聴いてみたらレ・グレイシー(グレイシー家?)がそうだった。ディープ・ハウスのアフリカン・サイエンシィーズとサウンド・アートのアイヒアユー(iHEARu)が組んだアブストラクト・ハウスというのか、なんというのか。彼らが4年間のコラボレイトによって生み出した全7曲は最後まで現代音楽にもダンス・ミュージックにも偏らず、スリリングな定義を歩み続けていく。試行錯誤の後が見える曲は1曲もないので、最初から天才を発揮したのでなければ、初期の音源はばっさり切り捨ててしまったのだろう。と、推測したくなるぐらい「完成形」と呼びたくなるフォームがしっかりと出来上がっている。
アフリカン・サイエンシィーズことエリック・ダグラス・ポーターはディープ・ハウスの王道を歩みながらもサード・アルバムは〈パン〉からリリースしていた。そこにはすでに野心が認められた。ヴァクラのサイケデリック・ハウス・ミュージックをアルバムにまとめて世に出したファイアークラッカーもきっと次を求めていたのだろう。この結びつきだけでも充分である。また20年に及ぶフィールド・レコーディングのキャリアをガエル・セガレン(Gaël Segalen)の名義で『ランジュ・ル・サージュ(L'Ange Le Sage)』としてまとめたばかりのアイヒアユーも新鮮な経験を求めていた時期なのだろう。「命は雑音に満ちている」という考え方をしているのか、『ランジュ・ル・サージュ』自体が非常にグルーヴを感じさせるフィールド・レコーディングなので(ジェフ・ミルズがフィールド・レコーディングをやったらこんな感じか→https://www.youtube.com/watch?v=hlwM8GinaOg)、アフリカン・サイエンシィーズのビート・メイキングも無理にダンス・カルチャーと結びつける必要はなかったに違いない。どこからどこまでがどっちの資質に寄るものなのか、それさえも判然としないところがこのコラボレイションの良さである。男女という組み合わせもどこかで功を奏しているのだろう。
それにしてもキレいな音がたくさん使われている(とくにスティール・パンを多用した「パン」)。そのせいで、ワールド・ミュージックのように聴こえる瞬間も多々ある。「永遠をキャプチャーするためにはワイルドでマッドにやるしかない」と彼らは言う。この過剰さは、しかし、都会から生まれるものだろう(ここまで読んで気になった人はなんとかして“ジ・エントリー・ダンス”を聴いて欲しい)。都会こそが戦争に代わるリチュアルを必要としている。スピのつかないリチュアルを。
2010年代の先端に位置する電子音楽/電子音響の分母はクラブ・ミュージックである。だが、その分母は明確な実態を認識できる「分母」ではない。そうではなく壊れたJPEG画像のように、なにがしかの「グリッチ」(それは音響的ノイズに限ることではない。インターネット以降の環境における情報量の無限の増大とそれに伴う極度のローカル化によって、われわれの無意識や共通認識がすでにグリッチしているからだ)によって存在が破損している「分母」なのである。
いうまでもなく、90年代以降の「クラブ・ミュージック」とは、70年代までの「ロック」と同じく、ポップ/ミュージックにおける重要な分母だったわけだから、それが00年代的なエクスペリメンタル・ミュージックに流れ込んできてもまったく不思議ではないし、電子音による生成という側面から考えれば、むしろ当然の帰結なのだが、問題はわれわれの分母=現実が崩壊しつつある状況を(それが音楽という感覚にもっとも作用しやすいメディアゆえ)、反映「してしまっている」点が何より重要なのだ。少し前に「OPN・アルカ以降」というワードが一時期、頻繁に流通していたが、そこにおいても「破損しかけた分母」の問題が共通している重要なエレメントであったように思う(ゆえに「ミュータント」なのだ)。
それゆえだからこそ、インダストリアルでも、アンビエントでも、ニューエイジなどの10年代的な先端的電子音楽/音響において、分母たるクラブ・ミュージックのエレメントが、どのように「残存しているか」、もしくは「最初からあったのか、否か」という問いは、クリティックやジャーナルにおいても重要な問題に思えるのである。それはジャンル内の正当性を判別する意味ではなく、そのような「共通認識」が、どこまで「壊れているのか」を思考する輪郭線のように機能するからに他ならない。そして、その「壊れている」感覚の根底には21世紀型「恐怖」がある。20世紀型の世界が終わる恐怖。足元が揺らいでいる感覚。それはネガティヴな意味に回収される問題ではない。そうではなく、その破損という「切断」は、逆に「今そのもの」として、私たちに新しい音楽と、その刺激を伝えてくれる。そう、デデキント・カット『$uccessor』のように。
デデキント・カットはリー・バノン(フレッド・ワームズリー)の変名プロジェクトである。1987年生まれの彼は、ヒップホップをベースにしつつ、ジャングルからチルウェイヴ(もはや懐かしい名称だ)まで多様な音楽の要素を、自身の曲やアルバムに反映している。2014年に〈ニンジャ・チューン〉からリリースした『オルタネイト/エンディングス』は、ジャングル・ドラムンベースを全面的に導入したアルバムで話題になったが、2015年に同じく〈ニンジャ・チューン〉からリリースした『パターン・オブ・エクセル』では、一転して、断片的なサウンドをミックス音源のようにコラージュしたアンビエント作品へと変貌、まるで真夏の不穏のようなエクスペリメンタル・ミュージックを展開していたのである。
このデデキント・カット名義、最初のフル・アルバム『$uccessor』は、先の『パターン・オブ・エクセル』の系譜を継ぐアルバムといえる。アンビエントを基調に、ニューエイジ、ジャングル、ノイズ、クラシカルなどのエレメントが交錯し、融解している。いわば、『$uccessor』は、情報がフロウする現代ならではのアンビエント・ミュージックと称することができる(ちなみに3曲め“カンヴァセーションズ・ウィズ・エンジェルズ ”には、DJシャドウが参加している)。じっさい『$uccessor』には多様な音楽のエレメントが横溢し、つながり、そして流れ、独自のアンビエントを生んでいる。当然、彼の出自をみれば分かるように、本作の「分母」にはクラブ・ミュージックがあるのだが(ドラムンベース的な箇所もある)、しかし、やはりこれまた今の先端的音楽としては当然ながら、その「分母」は、すでに融解し、微かな断片のよう存在している。そこでは「音」が廃墟のように壊れかけている。フレッド・ワームズリーは、そのサウンドの断片を「流れ」として、再構成していく。
私には、その残骸の活用・再構成という点こそが、本作に特有の21世紀型の「郷愁」感覚を生んでいるように思えてならない。1987年生まれの若者が生み出す音楽に、不思議な「郷愁」があるということ。それはレコード文化の残骸や廃墟そのものともいえるかもしれないし(アルバム名「successor」という単語は「後任、後継者、相続者、継承者」という意味だ)、真夜中や真夏などの時間が停止した世界への感性ゆえかもしれない。だから「郷愁」は、そのまま「恐怖」に反転しうるのだ。柔らかくシルキーな音色に満ちた本作には、ある特有の「ダークさ」があるのだが、それはこの「郷愁/恐怖」の感覚によって生まれているものではないか。とくに6曲め“☯”から7曲め“5ucc3550r”には、感覚の反転が美しいアンビエントで鳴り響いている。いわば、恐怖と郷愁のアンビエント。2016年から2017年をブリッジするための、とても重要なアルバムである。
年末号の制作でへろへろになりながらCIRCUSへ足を運んだ。ジェイムスズー、たしかにアルバムは面白かったけれど、DJセットはどんな感じなんだろう? もしこれでぐだぐだの内容だったらどうしよう……そんな一抹の不安を抱えながらCIRCUSの重い扉を開けた。

2曲目に『AKIRA』のサウンドトラックが流れてきて、いきなり虚を衝かれる。これは日本というエリアに対するサービスなのだろうか? いや、2016年は〈LuckyMe〉からBwanaが『AKIRA』の音源のリワーク集をリリースしたり、〈Milan〉が『AKIRA』のサウンドトラックのリイシューをほのめかしたりと、海外での『AKIRA』人気の高さを再認識させられることが多かったけれど、ジェイムスズーも単にその風潮に乗っかっただけなのかもしれない、などと思案していたら「あんたも忍者、わたしも忍者、目潰し投げてドロンドロン」という歌声が耳に飛び込んできた。フランク・チキンズである。わかった。これは彼なりの日本へのサービスなのだ。
こちらが「この曲もうちょっと聴いていたいな」というタイミングでどんどん次の曲を放り込んでくるジェイムスズー。彼は曲と曲を無理にBPMで繋ごうとはしない。それなのにテンポの切り替えは巧みで、幅広いジャンルのトラックが違和感なく繋がれていく。声ネタの使い方や挟み方もおもしろい。セットの中心となっているのは一応ヒップホップやブレイクビーツなのだけれど、その流れのなかにエクスペリメンタルなものからシンプルにダンサブルな4つ打ちまで、とにかく様々なタイプのトラックがぶち込まれていく。場を盛り上げるための曲、クールダウンするための曲、曲と曲を繋ぐための曲、DJ自身のセンスを披露するための曲……

予想外のタイミングでスティーヴ・ライヒ×パット・メセニーの“Electric Counterpoint”が流れてきたときに考えはじめた。これはかなりうまいDJなのではないか? 体力的に限界だったはずのわが身体が自然と揺れ動いていくのがわかる。序盤はフロアの後方で様子をうかがっていたオーディエンスも、徐々にそのセットの良さに気づきはじめ、もうたまらんとばかりに前の方へと踊り出てくる。

終盤、エイフェックス・ツインの“Windowlicker”がかかった瞬間に、僕は「うおー」と叫んでいた。あまりに唐突な挿入でありながら、それまでの流れとまったく違和感のない選曲。どんどんジェイムスズーへの信頼が厚くなっていく。その後ハプニングで一瞬曲が途切れるが、そのわずかな沈黙の間すらも演出のように聞こえてしまうから不思議だ。彼はジョン・ケイジよろしく、オーディエンスのざわめきまでをもひとつの曲としてプレイしてみせたのだ、などと言ったら褒めすぎかもしれないが、しかし彼は現代音楽も大好きなようなので、そんな憶測も完全に間違いとは言いきれない。中断の後にはバトルズの“Atlas”が流れてきて、ふたたび僕は「うおー」と叫んでいた。
この日CIRCUSに行かなかった人はかなり損していますよ。いやマジで。
『20th Jun Togawa』が出た頃だから、もう16年も前のことになる。2人目を妊娠中の妻が緊急入院したため1才ちょっとの長男の乳母車を押してインタヴューに行かねばならぬ事態に何度か見舞われた。そのうちの1回が戸川純だった。息子が突然泣き出すためにインタヴューは何度も中断したのだが、戸川はまったく動じることなく、終始穏やかな表情のまま取材は終了した。時に意地悪な質問に対する受け答えもまことに冷静で思慮深い。不思議ちゃんとかメンヘラとか呼ばれてきたパブリック・イメージからはほど遠いそのまっとうすぎる姿を前に、僕はいささか忸怩たる思いを抱きつつ、戸川純という人の本質とポップ・スターとしての難儀さに気づかされたのだった。
今、改めて思う。戸川純は、常にまっすぐで、ひたむきで、時にサーヴィス(思いやり)過剰な表現者である、と。難解で古めかしい言葉遣いやネジが外れた感じの身振り、面妖な衣装などは彼女をキュートな劇物として際立たせ、80年代日本サブカルチャー・シーン(もしくはパルコ/YMO環境)の変種イコンへと祭り上げたわけだが、しかしけっして、彼女は奇をてらっていたわけではない。ひたすらに自身の心情に忠実に寄り添い、噴き上げる情熱(情念ではなく)のまま愚直に表現していたにすぎない。そして、そこに常につきまとう不器用さとサーヴィス精神が結果としてエクストリームな情景を描き出し、リスナーの間に膨大な量の誤解や曲解や妄想が生まれていったのだと思う。もっとも、この誤解や曲解や妄想が戸川自身に戸惑いや落胆だけでなく喜びや新たな闘志を与えていたのも事実だとは思うが。
セルフ・カヴァ集であるこのニュー・アルバムから一貫して伝わってくるのは、まっすぐでひたむきで不器用で情熱的な戸川純という人の“生への執念”である。オープニング曲として“赤い戦車”が選ばれていることが、それを如実に物語っていよう。ヤプーズの3作目『ダイヤルYを回せ』(91年)のラストに収められていたこれこそは、戸川の人生のところどころで首をもたげてきた“死への誘惑”に抗わんとする生への獰猛な意志が、曲名から歌詞、サウンドに至るまで最もダイレクトに表出した名曲である。元々が重厚な音作りだったが、ここでは更にツイン・ドラムとストリングスを活かした Vampillia の爆発的演奏を従えて戸川は覚悟の強さのほどを改めて宣言している。最初にこのオープニング曲を聴いた瞬間、
本作に込められた戸川の思いが一直線に届き、握りしめた手に汗がにじんできた。
以下、“好き好き大好き”や“バーバラ・セクサロイド”、ホラーすれすれの極端なラヴ・ソング“肉屋のように”などこれまた自身の生存本能の獰猛さを噛みしめるように歌い上げる一方、DNAレヴェルで戸川の体内に埋め込まれたキーワード“諦念”に向き合った“蛹化の女”“諦念プシガンガ”など初期人気曲が並ぶ。あと“12階の一番奥”なんて意外な曲もあったり。選曲に関しては戸川と Vampillia のどちらがイニシアティヴをとったのかは知らないが、結果的に彼女の新たなベスト盤と言ってもいい内容になっている。全10曲中、雅な和風メロディに乗ったアルバム・タイトル曲だけは、本作のために新たに書き下ろされた新曲だが、これまた「何年経つても鳴ひてゐやふ」というフレーズなどからは彼女の“生への執念”がストレートに伝わってこよう。
80~90年代に比べて歌唱力が衰えているのはまぎれもない事実、である。怪我に伴う数年間のブランクもあったりして、かつては3オクターヴ半を誇った声域はかなり狭くなっているし、何よりも歌声そのものには艶がない。セルフ・カヴァであるだけに、その衰えぶりは一見残酷だ。が、その衰えを誰よりもわかっているのは間違いなく戸川自身のはず。彼女はしかし、ここで音源の修正などはおこなわず、生のままで晒した。衰えたのなら衰えたままの姿にきちんと対峙し、齢を重ねた今の自分にしか表現できないものがあるということを確認したかったのだと思う。
たとえば“好き好き大好き”。ここにあるのは、ドラマティックな7つの声色が無邪気さと不気味さと華麗さを暴力的に錯綜させたオリジナル版とは違う、音程をふらつかせながら必死で絞り出された歌声である。20代の戸川が出刃包丁をかざしながら放った「愛してるって言わなきゃ殺す」という決め台詞は、“もののあはれ”をわきまえた複雑な表情へと変わっているのだ。“バーバラ・セクサロイド”の妖しい女もダニエラ・ビアンキやハル・ベリーではなく、靴先に毒針を仕込んだロッテ・レーニャに変貌しているが、増えた皺の数を戸川はけっして恥じたりはしない。20代では描けなかった新しい情景や物語が、ここには確かにあるのだ。そして、このような表現も、Vampillia が戸川純という歌手の本質と魅力を慎重かつ的確に見極め、楽曲ごとに起伏に富むアレンジと演奏でバックアップしたからこそ可能だったのだと思う。えてしてバースト感だけが注目されがちのVampillia にとっても、今回のコラボレイションからは得るものが多かったはずだ。
歌手デビューから35年。諦念という名の重荷を背負いながら、他者の道とけっして交差することのない一本道を歩き続けてきた戸川純。鳴くのはホトトギスではなく自分なのだという彼女の覚悟を、「生きる!」という声を、今しっかりと受け取った。
