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ミュージック・コンクレートや現代音楽にグルーヴを持ち込んでクラブ・ミュージックとして聴かせる発想には飽き飽きしていたというか、初期のDPIやOPNに顕著だった初期衝動を超えるような展開はなく、とくにアカデミックの側がストリートも知ってますよというサインを放っているようなものになってくると、そうした記号性だけでげんなりとしてしまって。踊らない人たちのための踊れないクラブ・ミュージックというジャンルもそれなりに需要はあるのでしょうが、どうも僕には意味がなさ過ぎて。「意味がない」が褒め言葉になるような人たちのことですけど。
初期衝動を超えるような展開。そんなものを待っていたわけではなかった。しかし、聴いてみたらレ・グレイシー(グレイシー家?)がそうだった。ディープ・ハウスのアフリカン・サイエンシィーズとサウンド・アートのアイヒアユー(iHEARu)が組んだアブストラクト・ハウスというのか、なんというのか。彼らが4年間のコラボレイトによって生み出した全7曲は最後まで現代音楽にもダンス・ミュージックにも偏らず、スリリングな定義を歩み続けていく。試行錯誤の後が見える曲は1曲もないので、最初から天才を発揮したのでなければ、初期の音源はばっさり切り捨ててしまったのだろう。と、推測したくなるぐらい「完成形」と呼びたくなるフォームがしっかりと出来上がっている。
アフリカン・サイエンシィーズことエリック・ダグラス・ポーターはディープ・ハウスの王道を歩みながらもサード・アルバムは〈パン〉からリリースしていた。そこにはすでに野心が認められた。ヴァクラのサイケデリック・ハウス・ミュージックをアルバムにまとめて世に出したファイアークラッカーもきっと次を求めていたのだろう。この結びつきだけでも充分である。また20年に及ぶフィールド・レコーディングのキャリアをガエル・セガレン(Gaël Segalen)の名義で『ランジュ・ル・サージュ(L'Ange Le Sage)』としてまとめたばかりのアイヒアユーも新鮮な経験を求めていた時期なのだろう。「命は雑音に満ちている」という考え方をしているのか、『ランジュ・ル・サージュ』自体が非常にグルーヴを感じさせるフィールド・レコーディングなので(ジェフ・ミルズがフィールド・レコーディングをやったらこんな感じか→https://www.youtube.com/watch?v=hlwM8GinaOg)、アフリカン・サイエンシィーズのビート・メイキングも無理にダンス・カルチャーと結びつける必要はなかったに違いない。どこからどこまでがどっちの資質に寄るものなのか、それさえも判然としないところがこのコラボレイションの良さである。男女という組み合わせもどこかで功を奏しているのだろう。
それにしてもキレいな音がたくさん使われている(とくにスティール・パンを多用した「パン」)。そのせいで、ワールド・ミュージックのように聴こえる瞬間も多々ある。「永遠をキャプチャーするためにはワイルドでマッドにやるしかない」と彼らは言う。この過剰さは、しかし、都会から生まれるものだろう(ここまで読んで気になった人はなんとかして“ジ・エントリー・ダンス”を聴いて欲しい)。都会こそが戦争に代わるリチュアルを必要としている。スピのつかないリチュアルを。
三田 格