「IO」と一致するもの

Loke Rahbek, Frederik Valentin - ele-king

 ありきたりなミニマル・ミュージックを再利用すること。もしくは古い電子音楽をリサイクルすること。さらにはパンクとオルタナティヴを新しいモードに転換すること。つまりはエクスペリメンタル・ミュージックを再定義すること。「今」を再定義し続けること。
 コペンハーゲンでオルタナティヴ/エクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈Posh Isolation〉を主宰するローク・ラーベクの作品と活動には、そのような意志を強く感じてしまう。1989年生まれの彼にとって「歴史」とは、もはや利用可能な残骸に近いものかもしれず、重要なのは新しいモードを生み出すことに尽きるのではないか。われわれはそこにこそ新世代の意志を感じるべきなのだ。
 インターネット以降、「情報」はかつて以上にフラット化したわけだが、それは「歴史」が使用可能な参照領域になったことと同義である。そのような環境においては90年代的な元ネタ=引用的なサンプリングの手つきは既に過去の手法になった。過去と現在の境界線が無効になり、「知ったうえでの引用」が意味をなさなくなったわけである。
 つまり、この「今」という時代は、「この時代を生きる」という運命論的な有限性を獲得するために、常に一回限りの賽子の一振りのような「賭け」のごときアクチュアルな身振りが生の条件となっている。それを新自由主義的社会的な生き方と批判するのは容易いが、むしろ歴史が生んでしまった巨大な「外部=敵」を常に意識し、自らの生を定義しなければならない「緊張」の世代・時代というべきではないか。大きくいえばテロリズムの時代なのだ。「テロ」は人生を剥奪する。そんな「世界」によって根こそぎ剥奪された生の回復が、今の若い世代にとって生きるための至上命題かもしれず、その結果、「継承的な歴史」という概念は「死んだコンテンツ」に近しいものになった。だからといって歴史が死んだわけではない。
 故に新しい音楽を生みだす「彼ら」の音楽が、仮に過去の何かに似ていようと、それをもってして過去の「引用」と関連付けて述べることには注意が必要である。彼らは生を刻印する自らの血=個のような音楽/音響を希求しているだけなのだ。「世界=外部」という巨大な「敵」に、人生を根こそぎ剥奪されないために、だ。そう、2017年以降、終っていないものは(やはり)パンクとオルタナティヴであり、反抗という精神性と美への感性である。だからこそエクスペリメンタルは今、ロマン主義的な様相を纏っているのだ。現在、「ニューロマンティック」という言葉は、このような意味に再定義されるべきだろう。

 2017年、ローク・ラーベクは〈Editions Mego〉からソロ作『City Of Women』と、キーボード奏者フレデリック・ヴァレンティンとのコラボレーション作『Buy Corals Online』の2作をリリースした。この2作もまた音楽的エレメントが複雑に交錯しながらも、残骸となった過去の音楽的コンテクストをリサイクルすることで、そこに自らの血=個を刻印した美しい電子音楽ミニマル・ノイズ作品となっている。ラーベクは、2017年に Christian Stadsgaard とのユニット Damien Dubrovnik の新作『Great Many Arrows』をリリースし、また Croatian Amor 名義や Body Sculptures でも活動しおり、どちらも2016年にアルバムをリリースしているが、これもまた〈Editions Mego〉の2作と同じく強い「殺気」を持ったエレガントな電子音楽/テクノ/ノイズに仕上がっていた。「生もの」と「花」に託されたセクシュアルなムードも濃厚であり、血と性の交差のごときエクスペリメンタル・サウンドになっている。
 私見だがこれらを含む〈Posh Isolation〉の作品を聴いたとき、これこそ新しいユースが生みだしたエクスペリメンタル・ミュージックと強い衝撃を受けたものだ。「抵抗」の意志が、美しい音像を生み、その音像には実験音楽のエレメントをあえて盗用するように剥奪することで、不思議な色気すら醸し出していたからだ。
 このフレデリック・ヴァレンティンとの新作『Buy Corals Online』も同様である。電子音、ドローン、環境音、ミニマル、クラシカルな要素などいくつもの音楽性が交錯したエクレクティックなサウンドであり、ときに70年代的な電子音楽(クラスターやハルモニア?)を思わせる音だが、そのことを彼らがどこまで意識しているかは分からず、つまりはあくまで「手法」として援用したに過ぎず、彼らが実現したかったのは実験性に託されたある種の壊れそうなまでに攻撃的で繊細な血の匂いのするような美意識なのかもしれない。そう、この音楽/音響には、身を切るような悲痛さ、血の匂い、エモーショナルな感覚があるのだ。そこにロマン主義的ともいえる「個」の存在も強く感じもする。

 彼らは「個」という存在を、音楽の、ノイズの、棘の中に封じ込めようとしている。私見だがそれこそゼロ年代におけるティム・ヘッカーのアンビエント・ノイズ・後継とでもいうべきものであり、「ゼロ年代という歴史のゼロ地点以降の音楽」に思える。かつて「ロック」という音楽が持ち得ていた雑食性と個の拡張と歴史の無化という側面を兼ね備えているのだ。

 ローク・ラーベクは〈Editions Mego〉からのリリース2作では70年代的な電子音の音像と、どこかフィリップ・グラス的なミニマル・ミュージックのムードを勝手に借用/再利用することで自ら=個の実存をノイズに封じ込めた。残骸と化した歴史をハックし、新しいジェネレーションの音楽/音響を生成しようとしている。私などはその方法論の発露に「OPN以降のエクスペリメンタル・ミュージック」のニューモードを強く感じてしまうのだ。いわば残骸のリサイクル。そこでは(さらにもう一周まわって)90年代と00年代という「歴史以降」の世界を生きるノイズ/オルタナティヴ・アーティスト特有の「継承」がなされているようにも思える。

 唐突だがここで「ロック」の歴史を終わらせ、すべてを「ノイズ」の渦に消失させたメルツバウを、あえてローク・ラーベクと接続してみてはどうだろうか。歴史とは、もろもろの事実の継承(だけ)ではない。ノイズとは、音とは、結局のところ事実=歴史を消失するものである。いつの時代も若い世代は、それを本能的に理解しているのだ。

Dave - ele-king

 デイヴことデイヴィッド・サンタンは、南ロンドン出身のラッパー。ストームジーを敬愛するが、ラナ・デル・レイ、ピンク・フロイド、ハンス・ジマーの作品も好む寛容性を持つ19歳だ。『NARUTO -ナルト-』や『ドラゴンボール』といったアニメからも多大な影響を受けており、それは2016年に発表したファーストEP「Six Paths」のジャケットにも表れている。なんでもこのジャケットは、『NARUTO -ナルト-』がモチーフだという。

 デイヴの知名度を飛躍的に高めたのは、その「Six Paths」だった。このEPはタイトルが示すように、デイヴが想像した6つの道筋を音楽で紡いだ作品。お世辞にも容易いとは言えない生活のなかで、こうなるかもしれないという将来像を描いている。そのためにデイヴは、ジョゼップ・グアルディオラ、ダニエル・クレイグ、果てはゲーム『鉄拳』の三島一八など様々な固有名詞を駆使する。そうすることで、自身から見た日常の風景や、そこに漂う人々の呼気を浮かびあがらせる。刑務所にいる友人、生活に潜むどす黒い誘惑、先が見えない不安といった、多くの事柄にデイヴは想いを馳せる。このような「Six Paths」は、デイヴの鋭いラップも相まって、心に響く重厚さを醸している。


 そんな重厚さが、セカンドEP「Game Over」では一層増している。とりわけ目立つのは、政治的な事柄をより前面に出していることだ。たとえば“Question Time”では、グレンフェル・タワー火災に関する対応やブレグジット、さらにNHS(国民保健サービス)の予算削減など、さまざまな社会問題へ向けた批判を7分近くにわたって展開する。淡々と言葉を紡ぐデイヴの姿や、それを際立たせる音数の少ないビートが見せるのは、激しい怒りを通り越した沈痛さだ。そこには問題の本質を突く鋭利な本能と、その本能を支える高いインテリジェンスが横たわっている。
 パーソナルなことをラップしたものでは、“My 19th Birthday”が秀逸だ。曲名通り、19歳の誕生日を迎えたことについて描かれたそれは、大勢に注目されても日常に大きな変化がないことを示している。『グランド・セフト・オート』や『風雲!たけし城』を引用するユーモアにはクスッとさせられるが、EMA(教育維持助成金)に言及するなど、やはりハードな場面が多い。楽しさ、哀しさ、侘しさという多くの感情が渦巻く言葉は、荘厳な迫力をまとっている。

 サウンド面の変化も見逃せない。「Six Paths」は、トラップの要素も見られたりと、USヒップホップからの影響がうかがえた。しかし「Game Over」では、その影響が薄い。これまで以上にデイヴのラップを強調するプロダクションが印象的で、音数はだいぶ削ぎ落とされている。こうした変化には、自らの言葉に自信を持ったデイヴの姿がちらつく。これは表現者としての進歩を意味するものであり、今後のさらなる飛躍を考えても頼もしいかぎり。
 その頼もしさがもっとも顕著なのは、“How I Met My Ex”だ。この曲は元恋人との関係がテーマで、ラップとピアノのみというミニマルな構成。しかもラップはもちろんのこと、ピアノもデイヴが演奏しているのだ。おまけにプロデュースもデイヴが務めており、文字通り自分の力だけで曲を完成させている。これほど内面を曝けだせるからこそ、デイヴの言葉には群を抜いた説得力があるのだろう。

 「Game Over」は、現在19歳とは思えないデイヴの老練さと、世情を切り取る大人びた視線が際立つ作品だ。しかし筆者は、それを才能あふれる表現者の輝きとして楽しむ一方で、ここまで大人にさせてしまう世の中なのだという想いも抱いてしまう。デイヴの言葉に耳を傾けることは、世界が抱える暗部や罪深さを見つめることと同義なのかもしれない。


Media Culture in Asia: A Transnational Platform - ele-king

 魅力的なカルチャー・イヴェント情報が編集部に届きました。
 “Media Culture in Asia: A Transnational Platform”、略して「MeCA(ミーカ)」が2月9日から18日までの10日間開催されます。近年急速な発展を続けているというアジアのメディアカルチャーを、展覧会やオールナイト・ライヴ、ワークショップなどを通して発信する試みのようです。
2月9日にはWWW、WWW Xにて<Maltine Records>のトマドがディレクターを務めるオールナイト・イヴェントも開催されるようで、日本からはトーフビーツ、ヤング・ジュブナイル・ユース、パークゴルフらのほか、KimoKal、Meuko! Meuko! などアジア諸国のアーティストも出演する。またモートン・サボトニックが作り上げた電子音楽史に残る60年代の名作『Silver Apples of the Moon』を、アルバム・リリース50周年記念ヴァージョンとして、リレヴァン、アレック・エンパイアらと再構築するパフォーマンスも見逃せない。
 展覧会では坂本龍一+高谷史郎をはじめとした様々な地域からのアーティストが、日本初公開作品を含むメディアアートの展示が行われる。
 アジア・ハイカルチャーの最先端をお見逃しなく!

MeCA
Media Culture in Asia: A Transnational Platform

開催期間:2018年2月9日(金)~18日(日)
会場:表参道ヒルズ スペースオー、ラフォーレミュージアム原宿、Red Bull Studios Tokyo、WWW、WWW X 他

スケジュール:
メインイベント
1 展覧会(Art Exhibition):2月9日(金)~18日(日)
2 音楽プログラム(Music Program):2月9日(金)
3 教育普及プログラム(Education Program):
  2月10日(土)、12日(月・振休)、17日(土)、18日(日)
4 関連プログラム(トークイベント、ギャラリーツアー):会期中
同時開催イベント
1 公募型キャンププログラム(Camp Program):2月10日(土)~17日(土)
2 国際シンポジウム(International Symposium):2月11日(日・祝)

<展覧会>
会期:2月9日(金)~18日(日) 開場時間:11:00~20:00(最終日は17:00まで)
会場:表参道ヒルズ スペース オー、ラフォーレミュージアム原宿
出展アーティスト:坂本龍一+高谷史郎(日本)、平川紀道(日本)、Guillaume Marmin and Philippe
Gordiani(フランス)、Couch(日本)、Bani Haykal(シンガポール)ほか(約10組を予定)

入場料(MeCAチケット):ワンデイチケット 1000円/オールデイパス 1800円 / 中学生以下無料
※トークイベント、ギャラリートーク、ワークショップにも参加可。

<音楽プログラム>
日時:2月9日(金)21:00~29:00(開場20:00)
会場:WWW、WWW X(渋谷)
出演者:tofubeats(日本)、Meishi Smile(アメリカ)、similarobjects(BuwanBuwan Collective トーフビーツメイシスマイルシミラーオブジェクツ
/フィリピン)、KIMOKAL(インドネシア)、Morton Subotnick(アメリカ)、Lillevan(ドイツ)、キモカルモートンスボトニックリレヴァン
Alec Empire(ドイツ)、Jacques(フランス)、ほか(全13組を予定)

チケット:前売り 3500円/当日 4000円
※MeCAチケットをお持ちの方は当日受付にて1ドリンク無料。

詳細は以下のリンクにて。
https://meca.excite.co.jp/projects/ticket/

 おかげさまで大好評の『バンドやめようぜ!』。そのリリース・パーティが決定しました。2月5日下北沢THREE、入場料は無料! 
 なので、ぜひ、ぜひ、イアン・マーティン推薦のインディ・バンドの演奏とDJをお楽しみください!
 

■Call And Response Indie Disco presents:
『バンドやめようぜ!』リリース・パーティ

PLACE: 下北沢THREE
DATE: 2/5(月)
TIME: 19:30 open/start
CHARGE: FREE
LIVE:
・The Fadeaways
・(m)otocompo
・JEBIOTTO
DJs:
・Fumie (Bang The Noise)
+ more

行松陽介 - ele-king

新年DJチャート

Mining - ele-king

 ジム・オルーク × 石橋英子 × 日高理樹という強力かつ斬新な組み合わせによるライヴ・プロジェクト、「Mining」の続編が東京・山梨でも開催される。ジムはギターにシンセサイザー、石橋英子はフルートとエレクトロニクス、日高理樹はギター。ライヴは3部に別れており、1部は日高理樹ソロ、2部はジム・オルークと石橋英子によるライヴ、そして3部では3人による即興演奏が予定されている。君も目撃者になれ!

2月5日 (月)
@東京 渋谷7th FLOOR

OPEN:19:00
START:20:00
料金:前売¥4.000 / 当日¥4.500 (+1drink order)
出演:ジム・オルーク × 石橋英子 × 日高理樹
チケット取り扱い:e+ / 渋谷7th FLOOR店頭 (03-3462-4466)
メール予約:info@stereo-records.com
チケット発売:1月5日 11:00~ (7thFLOOR店頭 16:00~)

2月7日 (水)
@山梨 桜座
OPEN:18:30
START:19:30
料金:前売¥4.000 / 当日¥4.500 (+1drink order)
出演:ジム・オルーク × 石橋英子 × 日高理樹
チケット取り扱い:桜座店頭 (055-233-2031)
メール予約:info@stereo-records.com
:kofu@sakuraza.jp
チケット発売:1月5日 11:00~



●ジム・オルーク
1969年シカゴ生まれ。Derek Baileyの音楽と出会い、13才のジム少年はロンドンにBaileyを訪ねる。ギターの即興演奏に開眼し実験的要素の強い作品を発表、John Faheyの作品をプロデュースする一方でGastr Del SolやLoose Furなど地元シカゴのバンドやプロジェクトに参加。一方で、小杉武久と共に Merce Cunningham舞踏団の音楽を担当、Tony Conrad、Arnold Dreyblatt、Christian Wolffなどの作曲家との仕事で現代音楽とポストロックの橋渡しをする。1998年超現代的アメリカーナの系譜から『Bad Timing』、1999年、フォークやミニマル音楽などをミックスしたソロ・アルバム『Eureka』を発表、大きく注目される。1999年から2005年にかけてSonicYouthのメンバー、音楽監督として活動し、広範な支持を得る。2004年には、Wilcoの『A Ghost Is Born』のプロデューサーとしてグラミー賞を受賞、現代アメリカ音楽シーンを代表するクリエーターとして高く評価され、ヨーロッパでも数々のアーティストをプロデュースする。また、日本文化への造詣が深く、近年は東京に活動拠点を置く。日本でのプロデュース・ワークとしては、くるり、カヒミ・カリィ、石橋英子など多数。坂田明、大友良英、山本精一、ボアダムスなどとの共同作業や、武満徹作品『コロナ東京リアリゼーション』(2006)など現代音楽に至る多彩な作品をリリースしている。映像作家とのコラボレーションも多くWerner Herzog、Olivier Assayas、青山真治、若松考二などの監督作品のサウンドトラックを担当。


●石橋英子
茂原市出身の音楽家。いくつかのバンドで活動後、映画音楽の制作をきっかけとして数年前よりソロとしての作品を作り始める。その後、6枚のソロアルバムをリリース。各アルバムが音楽雑誌の年間ベストに選ばれるなど高い評価を受ける。ピアノをメインとしながらドラム、フルート、ヴィブラフォン等も演奏するマルチ・プレイヤー。シンガー・ソングライターであり、セッション・プレイヤー、プロデューサーと、石橋英子の肩書きでジャンルやフィールドを越え、漂いながら活動中。最近では七尾旅人、前野健太、星野源、OGRE YOU ASSHOLEなどの作品やライブに参加。映画音楽も手掛けている。またソロライブと共に、バンド「石橋英子withもう死んだ人たち(ジム・オルーク、須藤俊明、山本達久、波多野敦子)」としても活発にライブを行う。4thアルバム「imitation of life」、そして2014年リリースの最新作「car and freezer」は米・名門インディレーベル「Drag City」から全世界発売。ら2016年春にMerzbowとのDUO作品を電子音楽レーベルEditions Megoからリリースした。

石橋英子HP
https://www.eikoishibashi.net/


●日高理樹 / Riki Eric Hidaka
91年生まれ。ギター奏者。
日高理樹 / Riki Eric Hidaka HP
https://rikihidaka.tumblr.com/


TOTAL INFO

STEREO RECORDS
https://label.stereo-records.com/

Equiknoxx - ele-king

 電子機材で制作されたデジタル・ダンスホールは、ジャマイカ音楽における分水嶺であり、ルーツ&カルチャーにとって困惑の源でもあった。その起点となった80年代半ばの“スレン・テン”と呼ばれるリディムには、〈ON-Uサウンド〉が継承したような、マッシヴ・アタックが流用したような、1970年代に磨かれたダビーなベースラインはない。
 しかしながらそれは、ルーツ&カルチャーでは聞かれなかった、耳障りが良いとは言えない言葉をも表に出した。音楽スタイルの更新とともに、たとえばガントークなる芸風も生れたのだが、まあ、ジャマイカのダンスホールとUSギャングスタ・ラップとの関係性については他に譲ろう。ここで重要なことは、ゲットー・リアリズムに深く起因するダンス・ミュージック──シカゴのハウスやジュークもそうだが、激烈な快楽主義と、ときにはいつ死んでもかまわないというニヒリズムさえ感じるダンス・ミュージックは、サウンド面で言えば、革命的なスタイルだったりする、ということである。
 ジュークがそうであるように、デジタル・ビートはひとつのコーラジュ・アートでもある。ブレイクビーツも、最初はNYのアフリカ系/ラテン系が経済的制約のなかで創出したコラージュだ。欧米化された社会に生きる自分たちが、「アフリカ(という自分たちの居場所)」をでっち上げる/創造する、いわばディアスポリックなパワー。それは、カルチュアラルな土着性をいかにミックスするのかということであり、「お高くとまった文化へのカウンター」となりえる。OPNがAFXになれない大きな要因もここにある。シカゴのゲットー・ハウスを一生懸命にプレイしたリチャード・D・ジェイムスの感性を、むしろ理論的に乗り越えようとしているのは、2017年にジェイリンの『ブラック・オリガミ』を出したマイケル・パラディナスだ。

 2017年にリリースされたベルリンのマーク・エルネストゥスによるイキノックスのリミックス12"も、街一番のレゲエ蒐集家として知られるこのベルリナーが自分のレーベルを通じて紹介してきたのはルーツ&カルチャーのジャマイカだったことを思えば、興味深い1枚だった。もっとも、ダンスホールとルーツという二分法もいまでは古くさく思えるほどレゲエは前進しているという事実は、鈴木孝弥氏の訳で出たばかりの『レゲエ・アンバサダーズ』(DU BOOKS)に詳しいので、早くぜんぶ読まなければと思っているのだが、それとは別のところで起きていること、言葉ではなくサウンドのメッセージ、音によってキングストンの外に開かれていくこと、つまりアンダーグラウンド大衆音楽で起きていること──イキノックスがデムダイク・ステアのレーベルからアルバムをリリースし、レイムがスティーリー&クリーヴィーあたりの曲をミックスしたカセットテープを作り、そしてまた2017年の暮れにもイキノックスがデムダイク・ステアのレーベルから2枚目となるアルバムを出すことは、あまりにも面白い展開なのだ。

 ギャビン・ブレアとヨルダン・チャンを中心としたキングストンのプロデューサー・チーム“イキノックス”は、複雑にプログラミングされたそのリディム、鳥の鳴き声、そしてユニークな音響効果によって、こともあろうかイングランドのゴシック/インダストリアル系実験派たちとコネクトした(深読みすれば、この現象自体がプロテストである)。本作『コロン・マン』は、前作『バード・サウンド・シャワー』による欧州での大絶賛を得てからのアルバム──。
 そして欧州経験の成果は、ダブステップ以降の寒々しい荒野にもリンクする1曲目の“Kareece Put Some Thread In A Zip Lock”からはっきりと聴ける。ベースラインはない。美しいストリングスや瞑想的な音響、あるいは動物の声(?)を支えるジューク&ダンスホールを調合/調整したビート、野性と知性を感じる彼らのビートは、この1年でかなり洗練されている……わけだが、20世紀の初頭にパナマ運河を掘るために駆り出された9万人のジャマイカ人労働者をアルバム・タイトルにしているくらいだから、最先端のこのリディムがジャマイカの歴史とリンクしていることを強く意識して制作したのだろう。
 『コロン・マン』は、ステロタイプ化されたゲットー・ミュージックではない。しかしイキノックスは、ジャマイカが大きな影響力を持つ音楽の実験場であることをよく心得ている。リリースは1か月ほど前だったが、ぼくが2017年12月に最後に買ったアナログ盤はこれだった。ストリーミングでも聴けるんだけど、とくにこういう音楽は“盤”で聴きたいよね。じゃ、2017年のエンディングはアルバムのなかでとりわけオプティミスティックな“Waterfalls In Ocho Rios”で。

interview with Marina Kodama - ele-king

「音は電気なんだよ」と言われたのがものすごく衝撃で、セミの鳴き声もじつは電気なんだよって教えてもらったんですね。


児玉真吏奈 - つめたい煙
Pヴァイン

ElectronicaSSWPop

Amazon Tower HMV iTunes

 スモーキーというわけではない。でも、どこかから煙の漂ってくる気配がある。その不思議な感覚はおそらく、彼女のブリージィな歌声に起因しているのだろう。児玉真吏奈による初の全国流通盤『つめたい煙』は、そのタイトルに示されているように、えもいわれぬもくもく感を携えている。けれど、同じくタイトルに示されているような「冷たい」印象は与えない。“Dark Element”などはその曲名とは裏腹に、むしろ温かみを感じさせる。とはいえぬくぬく・ぽかぽかしているわけでもないのがこのアルバムのおもしろいところで、キュートかつストレンジなIDMポップが鳴らされたかと思えば、シンプルなピアノの弾き語りが挿入されたり、アンビエント調のトラックが浮遊感を紡ぎ出したりと、なんともつかみどころがない。まるでゆらゆらと辺りを漂い、やがては空へと消えていくはかない煙のようだ。児玉真吏奈は煙なのだろうか?
 難波ベアーズを中心にライヴ活動をおこない、あふりらんぽなど関西アンダーグラウンド・シーンとの接点を保つ彼女だが、本人的にはそれは「覗いている」感覚なのだという。その帰属意識の薄さや居場所のなさはこのアルバムにも強く表れ出ている。児玉真吏奈は「外」にいるのだ。だからこそ、“飲み物”や“oyasuminasai”のような繊細なリリックを紡ぎ出すことができるのだろうし、またそれが同じような感情を抱いたことのあるリスナーにそっと寄り沿う力を持つこともできるのだろう。
 このように不思議な魅力を放つアルバムを作り上げた児玉真吏奈だけれど、はたして彼女の真意はどこにあるのか? それを確かめに行ったインタヴュワーはやはり煙に巻かれてしまったのだろうか? その顛末を以下よりお楽しみください。


私、「真吏奈」って名前なんですけど、Fのコードってファの音から始まるから、私に「F」を足したら煙だ! と思って(笑)。

幼少期からピアノを弾いていたとお聞きしたのですが、それが音楽をやるようになった原点ですか?

児玉真吏奈(以下、児玉):家にアップライト・ピアノがあって、たしか5歳くらいの頃にピアノを習い始めました。でも習い始めたらすぐに先生が旅に出ちゃって(笑)。おもしろい方だったんですけどね。だからちょっとだけ習って、あとは自分で模索する日々が始まりました。

5歳にして独学なんですね(笑)。

児玉:はははは。そのとき自分でやっていろいろ発見して、ということがいまに繋がっているのかもしれないですね。

ピアノということはクラシック?

児玉:そうですね、クラシックの教材を弾いていました。でも(レッスンの教室が)おもしろい環境で、(教材以外にも)「悲しい音を出してみて」って言われれたりして弾いていましたね。それが日常だったので、小さい頃からアウトプットすることは多かったです。

いわゆるポピュラー・ミュージックに触れるようになったきっかけはなんだったのでしょう?

児玉:昔から家でラジオがかかっていたので、Jポップはよく聴いていました。小学生の頃はまだジャンルのことはよくわかっていなかったんですが、民族音楽とかもいろいろと聴いていましたね。私が小学生の頃に流行っていたのはUAさんやEvery Little Thingさん、あとは椎名林檎さんとかで、よく『Mステ(ミュージックステーション)』に出ていたので録画して観たりしていました。

そういうJポップと同時に民族的なものも聴いていたの? 誰かからの影響?

児玉:ラジオを聴いているとそういう特集があったりしたんですよね。知り合いにもそういう音楽が好きな人がいて、それで聴いていました。

その頃にはもう自分でも作り始めていたんですか?

児玉:そうですね。これはライヴでもよく話すんですけど、5歳くらいの頃に初めて歌を作ったんです。人生で初めて作った曲は、飼っているワンちゃんの歌。ワンちゃんって「散歩」ってワードを言うと昂奮するじゃないですか。その昂奮がすごくかわいくて愛おしくて、もっと昂奮させたいと思ったんですね。なら「散歩」というワードをたくさん使った歌を作ればすごく昂奮させられるんじゃないかと思って(笑)。それで散歩へ行く前に歌うために作ったのが“散歩のテーマ”という曲で、それが初めての作曲ですね。(相手が)犬だから反応もすごくピュアで、それがすごく嬉しかったのは覚えています。

電子楽器に触れるようになったのはいつ頃からなのでしょう?

児玉:たぶん親が好きだったからだと思うんですが、幼い頃にキング・クリムゾンを聴いたりしていて、そういう電子楽器とかを触ったりはしていました。でも、いまのようにシンセサイザーを使うようになったのはじつはけっこう最近で、20代に入ってからなんです。それまではずっとアップライト・ピアノで弾き語りをしていたんですが、もっと違う部屋があるような気がしていて。そうして方向性を模索していたときにモジュラー・シンセを演奏する方に出会って、そこで初めてアンビエント・ミュージックを知ったんです。その方に「音は電気なんだよ」と言われたのがものすごく衝撃で、セミの鳴き声もじつは電気なんだよって教えてもらったんですね。

セミの声が電気?

児玉:セミが「ミーン、ミーン、ミーン」と言っているのを木の下で聴いたら電気だってことがよくわかるよって言われて、実際に聴きに行ったんですけど、たしかに電気のノイズ音というか、たとえばテレビが点いていると(音量がミュート状態でも)すぐにわかるりますよね。

別の部屋にいてもわかったりしますよね。あれ不思議ですよね。

児玉:(セミには)それを力強くしたような感じがあったんですよね。それでその頃にシンセサイザーのお店も紹介してもらって、そこで(楽器を)触らせてもらえたんです。そのときに、いまも持っているコルグのクロノスというシンセサイザーを見つけて、すごく高いんですけど、「これがあったら児玉さんの言っていることがいろいろできるよ」と言われて。知り合いがそのシンセサイザーを使わせてくれたりして、そういう出会いが大きかったですね。

ピアノの弾き語りから電子楽器へ移行するときに、違和感などはありましたか?

児玉:ピアノをやっているときもよく(ピアノの)蓋を空けてなかを覗いたりしていて、いわゆる「ピアノを弾く」というよりは「打楽器や弦楽器をやる」ような感覚で、(ピアノのなかの)弦を弾いて音を出したりしていたんですね。そういうふうに(ふつうの)使い方をしていなかったから自然に(シンセに)行けたのかもしれないです。

アルバムの1曲め“Fio2:60%”の終盤に顕著なのですが、子音を打楽器や効果音のように使っていますよね。

児玉:あれは、スタジオに入ったときに、ミュージシャンのあいだで回っているルーパーをいただいたんですよ(笑)。それを使いたくて、何回か即興テイクを録ったんです。遊んでいる感じですね。だから(意識的に)素材として使おうとして使ったという感じではないですね。あとで聴いてから使おうと思いました。

児玉さんのヴォーカルは、おそらくよく「ウィスパー系」と言われるかと思うんですが――

児玉:言われます(笑)。

ご自身ではどう思われますか?

児玉:空気が多いんだろうなとは自分でも思うんですけど……でもどちらかというと「ウィスパー」って透き通った綺麗なイメージがあって、私はウィスパーのなかでも透き通っているというよりかは曇っているような気がしています。「燻製の声だね」と言われたことがあるんですが、それがいちばんしっくりきたんですよね。けっこうしゃがれたりもするので、それはたしかにそうだと思いました。

児玉さんにとってヴォーカルは特別なものですか? それとも、ほかにもいろいろある楽器のなかのひとつですか?

児玉:すごく特別です。めちゃくちゃ特別ですね。自分といちばん近い気がします。自分の声なんですけど(笑)。(ほかの音の要素が)それぞれバンド・メンバーだとしたら、(ヴォーカルは自分に)いちばん近い存在な気がします。いろんな声が出たりするのもおもしろい。たとえば裏声で歌うと、同じ人でも違う声になったりするのがすごくおもしろいと思いますね。

「私すごく病んでます」って言えるのはすごく幸せなことなんだと思います。

3曲めの“Dark Element”は展開がおもしろいです。これはあらかじめこのようにしようと考えていたんですか?

児玉:ライヴをやるときって、自分のなかであらかじめ決めておく部分と決めない部分があるんですが、それと同じように、(“Dark Element”の)始めの歌がある部分ではちゃんと(展開を)作っているんですけど、(展開が)自由になる部分も残しているんです。あれも大阪のスタジオで一発録りしたものですね。

このタイトルは、児玉さん自身のダークな側面ということでしょうか?

児玉:はははは。シンセサイザーのセットにいろんな名前がついているんですが、そのセットの名前が「Dark Element」なんですよ。それで調べてみたら「ダークな側面」という意味だったのでピーンと来て、これにしようと思いました。

その次の“私にFを足してみて”というのも不思議なタイトルです。森博嗣の小説を思い浮かべたんですが、それとは関係ありますか?

児玉:それって『すべてがFになる』ですか? 最近よく聞かれるんですよ(笑)。その小説は知らなかったので、逆に気になっているんですけど、それじゃないんですよ。

これは連想しちゃいますよ(笑)。では「F」ってなんなんでしょう?

児玉:ちょうど1年くらい前に、初めて高知にライヴで行ったときにできた曲なんですけど、その高知で過ごした時間がすごかったんですよ。旅をしないとわからない空気というか、靄のような霧のようなものがかかっている神秘的な場所があったんです。そのときは自分で車を運転して行ったんですけど、徳島から高知に近づくにつれてどんどん煙とか霧とか自然が溢れていって、着いてから見た景色も「回想シーン」みたいにちょっとぼんやりしているというか。そのイメージがあったので、大阪に帰ってきてすぐに曲が書けたんです。でもタイトルだけ決まらなくて、どうしようかなと思っていて。そのときたまたま長野県で大麻で捕まった人たちのニュースを見て……私、「真吏奈」って名前なんですけど、Fのコードってファの音から始まるから、私に「F」を足したら煙だ! と思って(笑)。とくに深い意味はないです(笑)。これに気づいてくれたら嬉しいなと思って。

なるほど(笑)! 「マリナ」に「ファ」を入れてみる、ってことですね(笑)。でもドラッグ・ソングというわけではないですよね(笑)。

今村(A&R):そこは誤解されないよう(笑)。

この曲に出てくる「夜をひっぱり貼り合わせる」というフレーズがすごく耳に残ったんですが、詞を書くうえで影響を受けているものはあるのでしょうか?

児玉:詞はじつはいちばん苦手なんですよ。昔から絵本とか写真集とか絵画集とかはすごく好きだったんですけど、文字にはあまり触れてこなかったんですよね。だからこそそういう歌詞になっているのかもしれないです。自分の持っているもので料理しないといけないってなったときに、代わりのもので間に合わせるというか(笑)。たとえばごはんを作るときの、「これを作りたいけど材料がないから、代わりにあれを使う」みたいな感じで、自分の持っている少ない言葉を当てはめていったら、本来の意味じゃない意味になったりすることがあって。でも影響を受けているものとなると……高校生のとき、古典はおもしろいと思いました。和歌とかって、文字の数は少ないのにすごく意味が込められていますよね。あれには衝撃を受けました。想像を膨らませるのが好きで、百人一首はよく読んでいましたね。それはもしかしたら(影響が)あるかもしれない。あと、こういうミュージシャンのインタヴューも好きで、よく読みます。だから文字を読むこと自体は嫌いではないと思うんですよね。これからもっといろいろ読んでいきたいです。これまでは言葉のないものにばかり触れてきたので。

言葉が苦手なのに、自分で歌詞を書くことを選択したのは少し不思議な気がします。

児玉:そうですね。いまもなんですけど、ふだんから(相手に何かを)伝えるときにすごく苦労しますね。こういう(取材の場で)意思を伝えるのも。幼いときの「悲しい気持ちを音にして」というふうに、音で感情を出すほうが自然ですね。言葉でとなるとすごく難しい。

その幼い頃の「悲しい気持ち」って、どのようなものだったのでしょう?

児玉:幼稚園生の頃は暗黒期でしたね(笑)。みんな遊具とかで楽しそうに遊んでいるのに、私はあんまり幼稚園が好きじゃなかったのか、毎日が憂鬱でした。幼稚園から帰ってきて、ふうって一息ついてピアノを弾くという日々でしたね。

それは小学生のときも?

児玉:好きな女の子とか友だちもいたんですけど、漠然としたダーク・エレメントはありましたね(笑)。でも人間関係はごくふつうの、幸せな感じでした。ただ好奇心がすごく大きくて。習い事とかもたくさんしていて、昔からいろんな世界を見ていたんですよね。通っていた小学校だけじゃなくて、水泳(教室)でほかの学校の友だちができたり、地域の鼓笛隊に参加したり、「外の世界」みたいなものの感覚は昔からありましたね。

5曲め“飲み物”や6曲め“oyasuminasai”で表現されている「自分の気持ちに蓋をする」ような感覚は、そういう経験から来ているんでしょうか?

児玉:そうですね。それはもしかしたらあるかもしれないです。

このリリックは、学校や会社で仮面を被って過ごしている人たちが共感できるような表現だと思いました。これは、他人のそういう状況を描いたというよりは、ご自身の感覚なのでしょうか?

児玉:自分で自分のことをさらけ出せるのはすごく幸せなことだと思うんです。私はたぶん昔からいろいろと感じるタイプだったと思うんですけど、身近にもそういういろんな人がいますよね。友だちが悩んでいることとか、自分の家族の複雑なこととか。でもそれは、自分自身のことじゃないから言えないというか。でもいろいろ感じることはあって。自分から生まれる煙じゃないけど(笑)、自分の出来事だったらさらけ出せますが、他の人の出来事だったら言えないというか。私は家庭環境もとくにめちゃくちゃな感じではなくて、すごく幸せな家庭だったんですが、じつはおじいちゃんが結婚を3回していているんです。1人めとはふつうに結婚して離婚したんですね。2人めが私の本当のおばあちゃんなんですけど、30代のときに亡くなっちゃって。それで3人めの新しいおばあちゃんが来る、という感じだったんです。でもぜんぜん深刻な感じではありませんでした。その3人めの、いまいるおばあちゃんも大阪のファンキーな感じのおばあちゃんで。でもそのおばあちゃんのお兄さんはちょっといろいろあって、自殺しているんですね。家族内ではそういうことがあって、家族のなかでいろいろあると一緒に暮らせない時期もでてきたりして。そういうところで生まれるさびしさみたいなものが、おじいちゃんとおばあちゃんの家で生活するときにもちょっとあって、でも「楽しいよ」ってふつうに過ごしてきたんです。そういうふうにいろんな感情を持ったまま生活しないといけないというのは昔から思っていました。だから逆に、「私すごく病んでます」って言えるのはすごく幸せなことなんだと思います。

アルバムの前半はビートがあったりエレクトロニカっぽかったりしますが、後半はアンビエントっぽかったり弾き語りが目立ったりします。この構成には何かストーリーがあるのでしょうか?

児玉:(アルバムの)テーマが「夜明け」だったので、大きな流れとしては(ストーリーが)ありますね。

少しずつ夜が明けていく感じですか?

児玉:そうですね。“oyasuminasai”が夜の寝る時間なんですけど、そこでいつも終われないので、その先の夜明けで終わるという感じですね。夜明けのちょっとグレイがかった空の感じですね。

昼よりも夜のほうが好き?

児玉:夜のほうが元気になりますね。最近になってやっと昼も元気になりました(笑)。

ヴァンパイアみたいですね(笑)。

児玉:でも早朝はすごく好きです。夜がちょっと残った朝は好きですね。

これからどんどん明るくなってしまう悲しさというか。

児玉:その感じはすごくあります。

今回はほぼすべての曲に歌が入っていますが、前作の『27』のようなアンビエント的な方向性ももっと聴いてみたいと思いました。たとえば声と具体音でドローンをやる、みたいなことに関心はありますか?

児玉:やっぱり歌がすごく大事で、歌いたいという気持ちが大きいんですよね。あの『27』も、「歌わずにどれだけ歌えるか」ということをやってみたかったんです。だからアンビエントをやろうという人たちからするとちょっと違うのかもしれない。でもああいうのはまたやりたいと思いますね。

詞を入れずに声を音として使ってみたいと思うことはあります?

児玉:じつは、いつも歌の原型がそれなんですよ。まだ言葉になっていない言葉で歌っているので。曲の生まれたてのかたちはいつもそうですね。

その最初の段階と、最終的に詞がついた段階でイメージが変わった曲ってありますか?

児玉:日本語ってけっこうはっきりしちゃうというか、意味を限定しちゃう感じがあると思うんですね。たとえば「海」と言うとみんなの頭のなかにはあの「海」が広がっちゃうんだろうけど、英語とかだったらほかにも何通りも捉え方があったり。そういう意味では、(イメージが変わった曲は)ぜんぶかもしれない(笑)。“けだるい朝”もフレンチ・ポップなイメージで作っていたんですけど、日本語を付けるといわゆる歌モノって感じになったんですよね。“私にFを足してみて”もけっこう変わりましたね。適当に歌っているときは本当に洋楽みたいな感じだったんですが、日本の歌モノって感じになりました。

ちなみにフィオナ・アップルって聴いたことありますか?

児玉:めちゃくちゃ好きです。

そうだったんですね! 音楽的には違うんですけど、児玉さんの曲を聴いていたら思い浮かべてしまって。

児玉:嬉しいです。すごく好きですね。フィオナ・アップルとかフアナ・モリーナとか、国の違う女性にすごく刺戟は受けていますね。

ギリギリの人っていっぱいいると思うんですよ。だから、刺戟物になるというか、私が煙になってみなさんを燻製できたらいいなと思いますね(笑)。

帯に七尾旅人さんがコメントを寄せていますが、彼とはどういう経緯で出会ったのでしょうか?

児玉:旅人さんのライヴの感想を書いたことがきっかけで、SoundCloudに上げていた“けだるい朝”を旅人さんが聴いてくださったみたいで、SNSに「チラッと聴いたけどすごくいいね」というようなことを書いてくださったんです。そのときはびっくりしてやりとりもさらっと終わっちゃったんですが、そのあと大阪で旅人さんのライヴを観に行ったときに、たまたまゾウのネックレスをつけていたら、旅人さんとすれ違ったとき、「そのネックレスすごくいいね」って話しかけてくださったんです。

そこだけ聞くとナンパみたいですね(笑)。

児玉:ぜんぜん違うんですよ(笑)! 私も「ライヴ素敵でした」みたいなことを話しかけたと思います(笑)。でも気が動転しちゃったのか、そのときは「“けだるい朝”を歌っているの、私です」って言えなかったんですよね。でも歌で知り合っているから、また歌で知り合えたらいいなと思ったんです。とくに向こうに連絡したりしなくても自然なかたちでまた会える気がして。そしたら2年後くらいに旅人さんからメッセージが来たんですね。旅人さんもその歌(“けだるい朝”)がずっと頭に残っていたらしく、でも誰が歌っていたのか忘れちゃっていたそうなんです。その時点ではもう私のことも(SNSで)フォローしてくださっていたんですが、旅人さんのなかで私が誰なのか判明したらしく、「改めて聴くといい歌だね」と言っていただいて。そのときに「ライヴをやっているの?」と聞かれて、その頃は音楽は作っているけどライヴ活動はほぼしていない時期だったんです。それで「また(ライヴが)できるといいね」と言ってくださって、そのあとにワンマンに呼んでいただいたのが「初めまして」でしたね。グッケンハイム(旧グッケンハイム邸)のワンマン・ライヴで初めてちゃんと挨拶させていただきました。
 ちなみにそのときはいまみたいに音楽をやっている友だちがいなかったので、母にドラムを叩いてもらいました(笑)。

お母上はドラマーだったんですか?

児玉:高校生の頃にドラムが好きでちょっと叩いていたそうなんですが、それ以来30年ぶりくらいに叩いてもらって(笑)。母がドラムをやっていたことは知らなかったんですけど、たまたま頼んだら「じつは好きなのよ」って(笑)。私が頼んだことでまたドラム熱に火が点いちゃって(笑)。それでいまは菅沼孝三さんに習ってますね。七尾さんとはそういうお話もしました。

七尾さんの作品では何がいちばん好きですか?

児玉:初期の『雨に撃たえば...!disc2』も好きですし、『リトルメロディ』もすごく好きですね。ぜんぜん違うんですけど、それがまた素敵だなと思います。

七尾さんは政治的・社会的な発言もされていますが、そういったことにも関心はあるのでしょうか?

児玉:ありますね。音楽でテロしたいなって思ってます(笑)。それもゆくゆく旅人さんにお話しできたらいいなと思っているんですけど。

「音楽でテロ」というのは?

児玉:危機感のスイッチがある人もいれば、ない人もいて。そのスイッチを押したい気持ちはあります。いろいろ戦争のことなどを調べたりしたんですが、私はやり出すとのめり込んでしまうので、やばいところまで見ちゃったりしちゃうんですね。でも逆に見ないとだめだと思って。トラウマにもなったんですけど、悲惨な写真とかも目を逸らさずに見ちゃうタイプで。いま何が起こっているのか考えたいという気持ちはありますね。だから、スイッチが動いていない人たち(のスイッチ)を押したい気はします(笑)。ライヴで「考えてよ!」って直接的に言うことはないんですが、「ちょっと押しにいきたいな」という気持ちはあります。

あふりらんぽのPIKAさんも帯にコメントを寄せていますよね。彼女とはどういう繋がりなのですか?

児玉:1年くらい前に和歌山で、遠藤ミチロウさんと、アナログエイジカルテットという地元のバンドと、PIKAさんと私が一緒に出演するイベントがあって、そのときにお会いしました。やっぱり歌がすごく素敵で、歌の話をしたのを覚えています。私の曲にゾウとラクダの歌があるんですけど(“Dark Element”)、PIKAさんの曲にクジラとライオンの歌があるんですよ。“くじらとライオン”というタイトルが聞こえなくて、知らずに「あの歌すごくいいですね」と言ったら、PIKAさんもそれ(“Dark Element”)に引っかかってくれていて(笑)。そんな話をしました。すごくパワーのある方で、惹きつけられましたね。そのあとPIKAさん主催のイベントにも呼んでもらったり、一緒にスタジオに入ったりもしました。

関西のアンダーグラウンド・シーンに属しているという感覚はあるのでしょうか?

児玉:じつはあんまりないんですよね。覗いている感覚というか。ベアーズとか京都とか、それぞれの界隈にファミリーがあって、私もベアーズには出ているんですけど、浮いているというか、あんまり馴染めていなくて(笑)。ベアーズでやったら「ベアーズっぽくないね」って言われるし、京都でやると「ベアーズに出ている子だよね」って言われたり。でもそこに蓋はしないで、扉を開けたいという気持ちはありますね。

今回の新作は初の全国流通盤とのことで、おもにどういった人たちに聴いてもらいたいですか?

児玉:さっき話したように複雑な感情を持ったまま、生活しないといけない方たちや、これまでは音楽が好きでライヴ会場に足繁く通ってくださるような方たちが聴いてくださっていたんですけど、今回はふだんぜんぜん音楽を聴かないような友だちの子が買ってくれたりして。ギリギリの人っていっぱいいると思うんですよ。だから、刺戟物になるというか、私が煙になってみなさんを燻製できたらいいなと思いますね(笑)。

坂本龍一 - ele-king

 「音楽」の持っている微細な響きを、繊細で細やかな手つきで抽出し、その音のコアを「継承」するように「リミックス/リモデル」すること。そこには21世紀の新しい音楽フォームの息吹が、たしかに蠢いている……。

 坂本龍一の最新アルバム『async』を、世界の最先端音楽家/アーティストたちがリミックスしたアルバム『ASYNC - REMODELS』を聴いて、そんなことを思った。今、リミックスという音楽の概念は、原曲という「モノ」をマテリアルな素材として、各アーティストたちが自在にカタチを変えていく「リモデル」という方法論になったのではないか、と。マテリアルから新たなマテリアルの生成。
 かつての20世紀的リミックスは、オリジナルを引用・盗用・改変することにより、オリジナルがコピーに対して優位にあるという「神話」を解体しようとした。20世紀に支配的だったオリジナルを優位とする思想への闘争である。過激な引用によってオリジナルを解体すること。オリジナルとコピーの差異を無化すること。
 しかし、この『ASYNC - REMODELS』のような21世紀型のマテリアル・リミックスは、オリジナルとコピーの闘争関係以降の世界にある音だ。そこではオリジナルである『async』のトラックはマテリアルとなり、それぞれのリミキサーに継承される。聴き込んでいけば分かるが、音の微かな蠢き、大胆に加工した響き、新たな文脈に埋め込まれたそれぞれ響きの中に「坂本龍一」の音は、確かに継承されているのだ。20世紀型のリミックスを解体・盗用/脱構築とするなら、『ASYNC - REMODELS』の21世紀型リミックスは、継承による再生成/再構築型といえる。だからこそ「リミックス」ではなく、「リモデル」なのだろう。破壊ではなく継承。
 そんな「リモデル」的なリミックスが可能になったのは、コンピューターのハードディスク内による編集・加工を前提とする音楽だから、ともいえる。その意味で00年代以降の電子音響やエレクトロニカは、そもそもリミックス的手法で構成・作曲・生成されていた音楽だったのだろう。
 その意味では、オリジナルである『async』もまたオリジナルが存在しない最初のリミックスとはいえる。では何に対してのリミックスなのか? それは坂本龍一のピアノや響きをコアにしつつ、環境音、ノイズ、声、ハリー・ベルトイアの音響彫刻、笙の音、リズム、空気、無音まで、いわば「世界の音」からの継承/リミックスだ。

 この『ASYNC - REMODELS』において、そんな坂本龍一の音を継承し、「リモデル」するアーティストは、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、エレクトリック・ユース、アルヴァ・ノト、アルカ、モーション・グラフィックス、フェネス、ヨハン・ヨハンソン、イヴ・テューマー、サヴァイヴ、 コーネリアス、アンディ・ストット、空間現代(日本盤ボーナス・トラック)の12人。まさに現代最先端のアーティストばかりで、さすが最新の音楽モードを熟知している坂本龍一ならではのキュレーションと驚愕してしまう。
 グリッチ~ヴェイパーウェイヴ以降の現代電子音楽の最新モードとして君臨するワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、ビョークのプロデュースでも知られ、その生々しい肉体の変貌を電子音楽に転換するアルカ、〈モダン・ラヴ〉からのリリースによって2010年代のインダスリアル・テクノを代表するアンディ・ストットなどの現代のスター的電子音楽家はもちろんのこと、電子音響世界のアルヴァ・ノト、フェネス、コーネリアスなど、坂本と親交の深いアーティストたちも参加している。そのうえポスト・クラシカルの領域で知名度を上げ、近年は映画音楽の世界でも高い評価を得たヨハン・ヨハンソン、テキサスのエクスペリメンタル・シンセ・ユニットのサヴァイヴ、2016年に〈ドミノ〉からエクスペリメンタル・シンセ・サウンドのソロ・アルバムをリリースし、コ・ラの傑作『ノー・ノー』の共同プロデュースでも知られるモーション・グラフィックス、〈パン〉からアルバムをリリースし〈ワープ〉への移籍も決定したソウルとアンビエントを融合するイヴ・テューマーなど、コアな電子音楽リスナーならば絶賛するに違いないアーティストたちが参加しているのだ。

 個人的には、21世紀的「音の継承としてのリミックス/リモデル」の最良のモデルとして、 静謐にして清潔な音響空間を構築したアルヴァ・ノトによる“disintegration”のリモデルをベスト・トラックに挙げたい。流石、長年にわたって競作を行ってきた盟友の仕事である。
 さらには原曲を完全に自分の曲へとリ・コンポジションしつつも「坂本龍一」の芯を見事に継承したアルカによる“async”のリモデル(南米の涙のように悲しい電子音楽だ)や、アンディ・ストットによる“Life, Life”のリモデル(近作の発展形ともいえるラグジュアリー/インダストリアルなトラック)も濃厚な仕上がりである。また、サヴァイヴによる“fullmoon”のリモデルも原曲の「声」を効果的に導入しつつ、その声音の肌理を自身のシンセ・サウンドの中に溶け込ませる素晴らしい出来栄えであった。
 もちろん、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーによる“andata”のリモデルもOPNによるアフター・ヴェイパー/ポスト・インターネット空間における電子的宗教音楽といった趣で、一音たりとも聴き逃せない見事な仕上がり。映画音楽の仕事の成果もフィードバックされているように思える。また、“andata”をYMOテイストにリアレンジした(ドラムのフィルも高橋幸宏を意識しているように聴こえる)、エレクトリック・ユースによるトラックも、エクスペリメンタルのみに寄り過ぎないバランス感覚を感じた。同時に初期イエロー・マジック・オーケストラにおける坂本龍一の役割も見えてはこないだろうか。“andata”のメロディをドラムとベースを基調にしたシンセ・サウンドに編曲すると、まさに1979年までのイエロー・マジック・オーケストラの曲の雰囲気になるのだから。YMOに対する批評的なトラックにも思えた。
 コーネリアスの“ZURE”のリモデルの絶妙さも聴き逃せない。“ZURE”の印象的なシンセのコードをリフレインしつつ、コーネリアスのサウンドが、その音のなかに、まさに「ずれる」ように融解しているのだ(小山田圭吾の息の音の生々しさ!)。同じく“ZURE”をリモデルしたイヴ・テューマーのトラックも、夢の回廊/記憶の層の中にズリ落ちていくような感覚と夢から覚めるような強烈なリズムの打撃/衝撃が同時生成するようなサウンドで、彼の才能の底知れなさが理解できる。空間現代の“ZURE”のリモデルは、空間現代がズレの中で分解されていくような静かな過激さに満ちていた。
 さらにはヨハン・ヨハンソンがリモデルした映画音楽的な“solari”の崇高さ。まるでふたりの音楽家によるタルコフスキーへのオマージュのようである。そしてフェネスのリモデルによって、壮大な「音の海」となった“solari”のロマンティックな響き。まるで『惑星ソラリス』の海が、電子の粒子に溶け合ったような感覚を覚え、恍惚となってしまった。

 耳の感覚を拓くように、『ASYNC - REMODELS』の全12トラックを聴き込んでいくと、リミックスという音楽フォームが「複製技術時代の芸術」から「生成/継承時代の芸術」へと進化/深化を遂げつつあると実感できる。ここで行われていることは、20世紀的リミックスによる「解体」ではない。音の「継承」から生まれる「音楽の再生成」なのだ。「音の継承」。そこにこそ、2018年以降の最新音楽の予兆があるとはいえないか。

デンシノオト

Next >> 小林拓音

[[SplitPage]]


 エレクトロニック・ミュージックはいま飽和状態を迎えている。00年代末から10年代初めにかけて登場してきた種々の手法やスタイルが臨界点に達し、次の一手をどう打つべきか、多くのアーティストがそれぞれのやり方で模索を続けている。今年出たアルカのアルバムはまさにそのようなエレクトロニック・ミュージックの「限界」をなんとか更新しようと努める、ぎりぎりの試みだったと言えるだろう。

 そのアルカの新作とほぼ同じタイミングでリリースされた坂本龍一8年ぶりのソロ作『async』は、ここ10数年のアルヴァ・ノトやテイラー・デュプリーらとの共同作業の経緯を踏まえた、実験的かつ静謐なノイズ~アンビエント・アルバムだった。2017年は海の向こうで盛んに80年代日本のアンビエントが再評価されたけれど、『async』もある意味ではその波に乗る作品だったと言うことができる。だからこそ『FACT』が年間ベストの1位に『async』を選出したことが象徴的な出来事たりえたわけだが、しかし『async』が鳴らすあまりにも繊細な音の数々は、そのようなジャポネズリや回顧的な動きに対してささやかな異議を唱えているようにも聴こえる。そんな『async』が孕む小さなズレ、すなわち「非同期」的な部分をこそ拡張したのが、この『ASYNC - REMODELS』なのではないか。

 去る9月、坂本はロンドンのラジオNTSで放送をおこなっているが、そこで彼はデムダイク・ステアの“Animal Style”とアンディ・ストットの“Tell Me Anything”をかけている。前者は昨年末に発表されたデムダイクの最新作『Wonderland』に収録されていたトラックで、後者はストットがいまよりもストレートにダブ・テクノをやっていた頃の音源だ。さらに坂本は、J-WAVEでアクトレスの『AZD』から“There's An Angel In The Shower”を取り上げてもおり、それらの選曲からは、坂本が現在のエレクトロニック・ミュージックに大きな関心を寄せていることがうかがえる(デムダイク、ストット、アクトレスの3者は「インダストリアル」というタームで繋ぎ合わせることもできる)。もちろん、25年前の『HI-TECH / NO CRIME』や11年前の『Bricolages』が証言しているように、これまでも坂本は同時代のエレクトロニック・ミュージックに関心を向けてきた。しかし今回の『ASYNC - REMODELS』はどうも、それらかつてのリミックス盤とは異なる類のアクチュアリティを具えているように思われてならない。けだし、坂本が時代に敏感である以上に、いま、時代の方が坂本に敏感になっているのではないか。

 この『ASYNC - REMODELS』では、どのプロデューサーも原曲の繊細なサウンドと真摯に向き合いながら、いかにそこに自らのオリジナリティを落とし込むかという格闘を繰り広げている。坂本がラジオで取り上げたアンディ・ストットや、ここ1年その存在感を増しているモーション・グラフィックスにヨハン・ヨハンソン、あるいはお馴染みのアルヴァ・ノトやフェネスなど、いずれも坂本の音源と対峙することで自らの次なる可能性を引き出そうとしているかのような興味深いリミックスを聴かせている。坂本の原曲に独特のR&Bタッチのアンビエントを重ね合わせたイヴ・テューマーも刺戟的だが、突出しているのはやはりOPNとアルカだろう。

 オリジナル盤『async』の冒頭を飾る“andata”は、坂本らしい旋律がピアノからオルガンへと引き継がれる構成をとっていたが、その展開を尊重しつつ音色を『Rifts』の頃のそれへと巧みに変換してみせるOPNは、まさに00年代末~10年代初めの音楽が生み落とした成果を総括しようとしているかのようだし、新作でその表現の様式を大きく変えたアルカは、原曲“async”におけるピッツィカートの乱舞を排除、代わりに自身の日本語のヴォーカルを加えることで現在の彼の官能性をさらけ出し、ほとんどオリジナルと呼ぶべき大胆なリミックスをおこなっている。

 坂本が『async』でいまのトレンドに寄り添いながらも微かなズレを響かせていたように、本作における各々のアーティストたちもまた違和を発生させることをためらわない。すなわち、飽和状態を迎えたエレクトロニック・ミュージックの精鋭たちがいま、坂本にこそ突破口を見出そうとしている。『async』が世界に対する坂本からの応答だとしたら、『ASYNC - REMODELS』は坂本に対する世界からの応答である。これは、かつて「世界的な成功を収めた」とされるYMOにはついぞ為し遂げることのできなかった転換だ。そういう意味で坂本龍一は、いまこそ黄金期を迎えているといっても過言ではない。このように『ASYNC - REMODELS』は、坂本の音楽的な成熟をあぶり出すと同時に、エレクトロニック・ミュージックの次なる展望を垣間見させてくれる、優れたアンソロジーにもなっているのである。
 飽和したのならもう、あとはあふれ出すだけだ。

小林拓音

interview with Kojoe - ele-king


KOJOE - here
Pヴァイン

RapHip-Hop

Amazon Tower HMV iTunes

 Keep on movin’、動きつづけることで存在を証明していく。曲をつくりウェブにアップし、CDやレコードというフィジカルを制作し、ライヴをこなす。とにかく動きつづけていないとあっという間に忘れられてしまう。特にいまのヒップホップの世界は目まぐるしい。そんなシビアな世界でKojoeはエネルギッシュに動き、自身の表現を更新しつづけてきたアーティストのひとりだ。そして、今年の11月に最新作『here』を完成させた。

 Kojoeについて少し説明しておきたい。彼はラッパーであると同時にシンガーであり、ビートもつくる。プロデューサーでもある。そんな彼は10代のころにNYクイーンズにわたり、2007年にアジア人としてはじめてNYのインディ・レーベル〈ローカス〉と契約を交わしている。2009年に帰国後は日本を拠点に活動を展開してきた。SEEDAとともに参加した、5lack(当時はS.L.A.C.K.)『我時想う愛』収録の“東京23時”で彼をはじめて知った人も多いかもしれないが、タリブ・クウェリやスタイルズ・P、レイクウォンらとの共演曲も発表している。その後、『MIXED IDENTITIES 2.0』、『51st State』といったソロ・アルバムをリリースする一方で、OLIVE OILAaron Choulaiとの共作も制作してきた。

 日本語ラップとブラック・ミュージックとしてのヒップホップをいかに折衷するか。『here』には、そんな問いへのKojoeなりの現在の答えがあると僕は感じた。日本とアメリカというふたつのホームに引き裂かれていたアイデンティティを統合した結果が『here』ではないか、というのはあくまでも僕の解釈だが、多彩なゲストで構成された全18曲にはハードコアでソウルフルでエモーショナルなKojoeの多面的な魅力があふれている。

 このインタヴューは、Kojoeがホストを務める番組「Joe’s Kitchen」(〈Abema TV / FRESH!〉で毎週木曜に放送)の放送後に、その日のゲストであるPUNPEE、GAPPER、WATTERらが見守るなか、彼のスタジオ〈J STUDIO〉でおこなわれた。Kojoeはすでに2時間しゃべりっぱなしだ。だが、まだまだいける。Keep on movin’、彼の体力を舐めてはいけない。




俺は俺のようにしか歌えないという気持ちで良い意味で力抜いてる。本気なんだけど本気出してないから本気が出せた、みたいな。それを今回見つけた。


『blacknote』(2014年)リリースのときのAmebreakのインタヴューで次のように語っていましたね。「例えば向こうのヤツに聴かせて『スゲェ良い』って言われるような、ブラック・ミュージックとして認められるようなモノが、逆に日本では全然分かってくれなかったりとか、そういうフラストレーションはスゲェあるよね」。僕なりに要約すると、日本語ラップとブラック・ミュージックとしてのヒップホップのあいだで葛藤していた、ということかなと思います。そして、日本に移り住んでから数年間の経験を経て、『here』でKojoeさんなりのいまの答えを見つけたのかなという感想を持ちました。

Kojoe(以下、K):作っているときにそれをねらったり意識していたわけではなくて、それよりも意識したことのひとつは、俺の経験や葛藤を歌ったり、メッセージを訴えることはいままでやってきたから、このアルバムではこういう曲をこういう面子でやったら聴く人が喜ぶだろうなとかブチ上がるだろうなとか、いたずらを仕掛ける子供のような視点で作ったね。だから、日本語ラップとブラック・ミュージックの両方を良いバランスに混ぜてみようとかは考えていなかった。いま言われて逆にうれしいっていうか、そういう風に受け取られるんだって実感してきてる。

ゲストのラッパーやシンガーも多いですよね。たとえば“Prodigy”というフックなしのマイクリレーの曲がありますけど、このラッパーたち(OMSB, PETZ, YUKSTA-ILL, SOCKS, Miles Word, BES)のマイクリレーは他では聴けないですよね。

K:うん。TR-808でビートを鳴らして、ベースも強いトラップはやっぱり魅力があって人の心をつかむと思う。いまのヒップホップの流行のひとつのトラップを俺も好きだし、そういうモノと90年代のサンプリング・ヒップホップを合わせたらかっこいいんじゃないかって思ってこの曲を作った。BPMも90ぐらいだから、ブーム・バップが得意なラッパーはいつも通りフロウすればいいしね。MilesとかYUKSTA-ILL、BESくんとか、こういうビートで歌わなさそうなラッパーと、いまのトラップでもラップするPETZやSOCKSにマイクリレーしてもらったら面白いと思った。混ざらなさそうで、結果的に混ざったよね。

それと、これだけ充実した、制作/録音環境が整った〈J STUDIO〉ができたのも、ゲストが多数参加する『here』を作る上で大きそうですね。多くのラッパーがここで録音しましたか?

K:それはいろいろだね。ただ、このスタジオができたのはデカいよ。1月から作りはじめて3月ぐらいに完成した。それからAaronとの自主制作のやつ(ピアニスト/作曲家/ビート・メイカーのAaron Choulaiとの共作『ERY DAY FLO』)をスタジオのテストランも兼ねて作って、「ここで録れるな」と確認した。で、今回のアルバムを作りはじめた。ここに常に人が集まるようになったから、作っている途中で俺以外の人の耳に聴かせて反応を見たりできるようになった。いろんなヤツに「これどう?」って聴かせて感想をきいたりしてた。それもけっこう大事だった。

18曲と曲数も多いですし、ヴァリエーションも豊富ですよね。ハードコアな“KING SONG”からはじまり、“Prodigy”のようなマイクリレーがあり、またKojoeさんがラップだけじゃなく歌も歌う“PPP”のようなソウルフルな曲も際立っています。

K:良い意味で力を抜けた結果だと思う。運動するときも力が入っている状態だと動きって鈍いじゃん。それと似てるんじゃないかな。『51st State』に入ってる“無性に”みたいな曲は「歌手にも負けねぇぐらいに歌いてぇ!」という気持ちで歌い上げていた。もちろん今回もそういう情熱がないわけじゃない。ただ俺は当然、アンダーソン・パックやBJ・ザ・シカゴ・キッド、ダニー・ハサウェイのようには歌えない。だから、たとえば“PPP”とか“Cross Color”とかのソウルフルな曲も、俺は俺のようにしか歌えないという気持ちで良い意味で力抜いてる。本気なんだけど本気出してないから本気が出せた、みたいな。それを今回見つけた。そういう力の抜き方でヒントをもらったのはそれこそ(インタヴューの場にいたPUNPEEに視線をやりながら)PUNPEEや5lackだよね。あいつらには、「わざと力抜くのかっこよくないすか?」みたいな感じがあるじゃん。PSGとかも歌のメロディがすっげぇイケてるけど、いい感じに力が抜けてる。それが逆に研ぎ澄まされて、すごいソウルフルに聴こえる。

そうですね。わかります。

K:ある程度スキルを求めて動いたヤツにしかたぶんできないことなんだろうけどさ。俺も自分にたいしてそうやって楽しみな、みたいな気持ちになれたんだろうね。

Kojoe“Cross Color feat. Daichi Yamamoto”

俺がどの土地にいて、どこに立っていようと、音楽でつながっている場所が俺の居場所だって気づいた。音が居場所なんだって。だから、『here』というタイトルになったんだよね。

そういう力の抜き方によってソウルフルに歌うというのをPUNPEEや5lackから受け取ったのは面白いですね。ラッパー、シンガーという側面だけでなく、ビート・メイカー、プロデューサーとしてのKojoeさんの個性がより際立っているようにも感じました。

K:そこはちょっと意識したかもしれない。ただ、曲順に関してはそこまで深く考えず、ここ以外は置く場所はないっていうところに曲を入れていった。序盤はゲストのラッパーがたくさんいて、スピットしまくってるラップを並べて、途中で女性について歌う“Mayaku”とか“PPP”なんかを持ってくる。そうやってセクションを分けて、最後は自分について歌って終わる。そういう構成になってるね。ビート・メイキングは、ニューヨークにいた17年前ぐらいにMPC2000XLを手に入れてはじめた。ちゃんとしたビート・メイカーみたいにコンスタントに作り続けてきたわけじゃないけど、ずっと好きだったからいままでに3、400曲ぐらいは作ってると思う。前の嫁がラッパーだったからさ。

アパニー・Bですよね。

K:うん。彼女がプレミアとか俺の超憧れのいろんなビート・メイカーからビートをもらってて。そういうビートを横で聴いていたから自分のビートがダサ過ぎると思ってたね。でもこのスタジオを作ったときに、2000年ぐらいから作っていた自分のビートのCDがいっぱい出てきて久々に聴き直したら、「あれ?! けっこうイケてんじゃん!」って。2周ぐらいしてMPCで作ってたイナたいビートがすごいいいなあって。いちばん最後のRITTOとやってる“Everything”で11、2年前ぐらいに作ったビートを使ってる。

レゲエ・シンガーのAKANEと今年大躍進したラッパーのAwichを客演にむかえた“BoSS RuN DeM”(12月11日に5lack, RUDEBWOY FACE ,kZmが参加したリミックスがYouTubeにアップされた)もKojoeさんがビートを作ってますよね。この曲は突き抜けていますね。かなりの自信作なんじゃないですか?

K:超好きだね。ヒップホップよりヒップホップで、トラップよりトラップで、レゲエよりレゲエで、いろんなジャンルの人が「おわ~!」とブチ上がってくれるんじゃないかな。クラブのソファで女にセクシーな格好をさせて、男が彼女たちをはべらかしてる、みたいなMVは日本のヒップホップにも多いよね。でも俺は強い女のほうが色気があると思うし、そういう強い女性を見せたかった。“ボスって”、頭張ってやってる男と女を両方鼓舞するような歌にしたかった。「みんなボスれー!」って。そういうコンセプトはできていて俺が先にサビも録っていた。で、俺がいまいちばんイケてる女性で、俺が一緒に曲をやりたいと思うAKANEちゃんとAwichに声をかけた。イケイケなAKANEちゃんを見られたし、Awichもすごいハマってくれた。

Kojoe“BoSS RuN DeM Feat. AKANE, Awich”

Kojoe“BoSS RuN DeM -Remix- Feat.5lack, RUDEBWOY FACE, kZm”

[[SplitPage]]


世界でも日本人の英語のラップがかっこいいって言われる時代が絶対来るってことなんだよね。たとえばジャマイカのパトワみたいに日本人の発音の英語がかっこいいって50年後ぐらいにはなると思う。









KOJOE - here


Pヴァイン

RapHip-Hop



Amazon
Tower
HMV
iTunes

このアルバムで大フィーチャーされていると言えば、18曲中6曲のビートを作っているillmoreですね。どういう方ですか?

K:こいつはもともと大分の人間で、OLIVEくんがすごい薦めてくれたビート・メイカーなんだ。〈OILWORKS〉のイベントか何かでいっしょの現場になって、ビートが超ヤバかった。他の若いビート・メイカーもいたけど、illmoreは突出していた。超真面目なくせにドープな音も作るし、耳がすごく良くて器用でどんなタイプの曲でも作れちゃう。EDMもトラップもブーム・バップも作るし、超オシャレなジャジーな曲も作れる。ゴリゴリの“KING SONG”みたいなビートも作れるからさ。あと、ベースの乗せ方が上手い。BUPPONとやってる“Road”のネタはMFドゥームも使ってるから(MFドゥームとマッドリブが組んだマッドヴィレインのある曲と同ネタ)、そこってビート・メイカーにとって勝負どころじゃん。他のビート・メイカーと同じネタ使っているからにはフリップしたり工夫しないといけない。その上でこのビートはすげぇ良かった。

“Cross Color”に参加しているDaichi Yamamotoさんはどういう方ですか?

K:京都生まれのジャマイカ人のお母さんと日本人のお父さんがいて京都で育ったヤツで、大学のあいだ3年半から4年ぐらいUKに行ってたんだけど、最近また日本に戻ってきた。いまAaronともいろいろ作ってるし、JJJとやったり、水面下でいろんなヤツとつながってるね。


フックアップの意識はあったりしますか?

K:そういうのはない。俺、フックアップは絶対しないもん。瞬発的に良いタイミングに出くわしてノリが良かったからやっちゃうっていうのはあるとしてもヤバいと思うヤツとしかやりたくない。illmoreは仕事がすごいできてビートが超かっこよかったし、Daichi Yamamotoもそう。俺はイケてりゃ何でもいいかなって思う。

なるほど。ところで、『here』っていうアルバムのタイトルに込められた想いについても語ってもらえますか。

K:俺はガキのころからずっと転校とか多かった。で、10代でニューヨークのクイーンズに行ったから俺の人生でクイーンズがいちばん長くいた場所なんだ。だからニューヨークのクイーンズが地元っていう感覚もあったけど、こっちに戻ってきて7年ぐらい経つから、もちろんいままで自分がいた場所はレペゼンしていきたいけど、クイーンズをレペゼンするのもちょっとナンセンスだなって思うところがあった。居場所を探していたのもあったし、日本に戻ってきて『MIXED IDENTITIES 2.0』(2012年)を出したときは、「ここはけっきょくアメリカじゃねぇかよ!」って文句を言ってみたりもしていた。

自分のアイデンティティについての葛藤みたいのがあったということなんですね。

K:うん。そうだろうね。無意識に苛立ちがあったのかもしれない。そういうのが落ち着いてきたから、『here』というタイトルにした。俺がどの土地にいて、どこに立っていようと、音楽でつながっている場所が俺の居場所だって気づいた。音が居場所なんだって。だから、『here』というタイトルになったんだよね。

やっぱりそれは、5lackやOLIVE OIL、Aaron、このアルバムに参加しているラッパーやビート・メイカー、アーティストたちとの出会いも大きかったのかなって感じます。

K:デカい、デカい。面白いヤツは世の中にはいっぱいいるけれど、そいつの音楽をリスペクトできて、さらに人間も面白いヤツとなると少なくなるよね。俺は運良く素晴らしいアーティストたちに出会って、そういう人間が周りにいてくれるから、多少、自分が開けた部分は絶対あるよね。

最初の僕の感想に戻してしまうんですけど、Kojoeさんが日本のラップ、ヒップホップとニューヨーク、クイーンズで体験してきたブラック・ミュージックとしてのヒップホップのあいだで産み落とした作品なのかなという気がします。

K:俺が10年以上前から言っているのは、世界でも日本人の英語のラップがかっこいいって言われる時代が絶対来るってことなんだよね。たとえばジャマイカのパトワみたいに日本人の発音の英語がかっこいいって50年後ぐらいにはなると思う。日本人の発音のままフロウやリズムに関してはケンドリックだったり、(ブルーノ・)マーズだったり、レイクウォンみたいにできるようになっていく時代が来ると思う。いつになるかわかんないけど、最近の10代とか20代前半のヤツのほうがやっぱ敏感で、昔の日本語ラップみたいにこうじゃなくちゃいけないみたいなのがなくなってきて、日本語と英語が混ざったりしててもオッケーみたいな世代がやっぱり出て来てるから。そういうヤツらが逆に俺の音楽を聴いて、「ヤベェ!」って思ってくれたら面白いと思ってる。若いヤツの耳も脳みそも進化してるよね。受け皿が広いというか、柔軟というかさ。いずれにせよ、世界中のヤツらが日本のヒップホップがヤベェっていう時代はいつになるかわからないけど来ると思うよ。

『here』はとにかくオープンな、開けたアルバムだなって今日の話を聞いてさらに感じましたね。

マサトさん(KojoeのA&R/JAZZY SPORT):この作品はKojoeくんが日本のシーンにたいしてフラットでいられる環境で作れたのがいちばんデカいと僕は思います。日本に帰ってきてから数年は周りからの“英語を使う日本人のラッパー”という先入観も強かっただろうし、いろんな意味でコンプレックスもあったと思う。ここ数年は徐々に変わってきてるけど、日本語だけじゃないとサポートされない土壌が日本にはあったと思うので。それがいろんなアーティストとの出会いを通じてKojoeくんがフラットになってきたのがやっぱり大きい。

なるほど。それは僕も感じました。今後の予定はどうですか?

K:うん。とりあえず、来年1月13日の安比高原でやる〈APPI JAZZY SPORT〉でのライヴを皮切りに、1月後半、2月ぐらいからがっつりツアーをはじめようと思ってる。来年はツアー以外でもできるだけライヴはやっていこうと思ってるね。こんな感じで大丈夫?

はい、番組のあとで疲れてるでしょうし、ばっちりです。

K:俺の体力ディスってんの?

いや、ははは。それ、使わせてもらいます(笑)。今後のライヴ、楽しみにしてます!


[イベント情報]

J presents 『bla9 marke2 #4』
日程:12/29 (Fri)
会場:中野heavysick ZERO
OPEN:23:00
¥2,000+1D
W.F ¥1,500+1D
24:00まで ¥1,000+1D


SUMMIT Presents. AVALANCHE 8
日程:12/30 (Sat)
会場:代官山UNIT
OPEN:23:30 / START:23:30
ADV ¥3,000
Diagonal & AVALANCHE 8通し券 ¥4,800
DOOR ¥3,500


  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467