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RIP Holger Czukay - ele-king

野田努

 昨日ネットのニュースを散見したところ、どうやら9月5日、ホルガー・シューカイがケルンの自宅で死んでいるのをアパートの隣人によって発見されたそうだ。79歳だった。
 シューカイは、クラウトロックにおけるもっとも重要なバンドのひとつ、カンの主要メンバーであり、パンク以降のロック・ミュージックおよびエレクトロニック・ミュージックに多大な影響を与えた人物である。
 ぼくに限らず、カンをいまでも好きな人は世界中にいるし、サルバドール・ダリに似たホルガー・シューカイを心から尊敬している人もたくさんいる。彼は前衛であり、同時にポップだった。戦争を記憶している世代であり、それがゆえの国境の無さ/アイデンティティの刷新力が、非西欧音楽への好奇心にも繋がり、1960年代末の時点ですでに作品にも残している。できないこと(can't)をやってのけ(can)、実験的でありながら商業的にもヒットしたし、知的であり、ダリのようにユーモアも忘れなかった。

 1938年ポーランドのダンツィヒ生まれのシューカイは幼い頃からピアノを習っていた。ほどなくして第二次大戦の戦場となったその地から疎開し、西ドイツに移住しても、彼の音楽への好奇心と探求心は変わらず、それはラジオの受信機の修理にまで及んだという話は有名である。
 シューカイは、1963年からおよそ3年、カールハインツ・シュトックハウゼンのもとで学んでいる(カンの拠点となったケルンは、50年代に、それこそ“少年の歌”や“コンタクテ”が演奏されることになるケルン電子音楽スタジオが建てられている)。
 2005年の『remix』の取材において、彼はこう言っている。
 「私はいつもラジオでシュトックハウゼンを耳にしていたんだが、ある日ライヴを見に行った。そこで彼が聴衆に向かって自分の作曲した作品について説明していると、突然ひとりの客が立ち上がり、『シュトックハウゼンさん、あなたのやっていることはすべて衝撃的すぎます。あなたはこうやって人びとにショックを与えることで金儲けをしようとしているのではないのですか?』と言った。すると彼は『これだけははっきりと申し上げておきましょう。私がお金のために音楽をやることは絶対にありません。なぜなら、私には金持ちの妻がいるからです』と答えた。それを聞いて私は『素晴らしい! この人についていこう!』と心に決め、さらに金持ちの妻をさがすことにしたのだ」
 慣れ親しんだ音楽にばかり惑溺するリスナーを許さなかったアドルノとも似たシュトックハウゼンには堅苦しい印象を持っていたぼくは、シューカイのこうした余裕あるユーモラスな発言に笑った。だいたい同じことの繰り返しを否定したシュトックハウゼンに逆らうかのように、1968年に結成されたカンは、繰り返しを強調したのだった。

 バンドを組んだときのシューカイは、スイスのジュネーヴ周辺で音楽の教師をしていた。クラシック、現代音楽(そしてミュジーク・コンクレートや電子音楽)、あるいはいくらかジャズを知っていたシューカイだったが、ロックに関しては、もはや若者とは呼べない30を前にして初めて知った。イルミンはクラシックの指揮者で、ヤキはプロのジャズ・ドラマーだったわけだが、ビートルズよりも年上の良い大人たちが、いままで学んできたことをまっさらにしてロック・バンドをやる。ただし、音楽を作るのではなく、音楽の作り方から作ること──それがカンだった。
 また、こうも言えるだろう。クラフトワークがエレクトロやミニマルの原型を作ったと言えるなら、カンはジャングルの原型を作っている。

 シューカイはカンのメンバーのなかではもっとも精力的なソロ作品を発表している。数々のアルバムのなかで1枚選べと言われたら最初のソロ・アルバム『Movies』だろう。(『On The Way To The Peak Of Normal 』や『Rome Remains Rome』も捨てがたいが)『Movies』に収録された4曲は必聴である。

 さらにシューカイは、ジャー・ウォーブルやデイヴィッド・シルヴィアンとの共作、Phewの最初のアルバムへの参加でも知られている。2015年にはカンの『The Lost Tapes』とも似た、まったく聴き応えのある未発表音源集『Eleven Years Innerspace』も発表している。

 ふたたび2005年の『remix』からの引用になるが、シュトックハウゼンは生前こんなことを発言したという。「私の教え子は誰も成功しなかったが、ひとりだけ例外がいた。ホルガー・シューカイだ。彼だけが私の真似をしなかった」
 シューカイは、自分の音楽のなかにいろいろなものを取り込んだ。それこそ68年のパリの暴動から短波放送から流れるベトナムの民謡、旧ソ連の音楽……、あるいは、ラジオ、カセットテープ、電話までもが彼の楽器だった。彼は自らを「ミューシャンではない」と言い切った。そうではなく、「ユニザーサルなディレッタントなのだ」と。ぼくもこういうことが言えるようになりたいものだ。
 TVのCMで使われたことで日本でもヒットした“ペルシアン・ラヴ”を聴いていると、いったいこれはどこの国のいったいなんという音楽だろうかと思った。そしてなんて美しいのだろうと思う。昨晩はこの曲を聴いた人が多かったことだろう。ぼくも家に帰って、ビール500mlを空けて、まっさきにこれを聴いた。

 「私たちが音楽を演奏させたのではない。音楽が私たちを演奏させたのだ」──ホルガー・シューカイ

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松村正人

 90年代はじめ、当時住んでいた仙台の夏のあまりの夏らしくなさ――私は夏はアスファルトに陽炎がたつくらいじゃないと夏じゃないと思っている、島の人間なので――にいてもたってもおられず、メールスのジャズ祭に行ったきり向こうに住みついてしまった叔母をたよって渡独したのは二十歳になったばかりのころ。ドイツといってもチューリッヒ近郊の叔母の家にいつまでも厄介になっているわけにもいかず、ドイツの東のほうから東欧に向かい、西におりかえし英国に向かう途中ケルンにたちよったのはここがホルガー・シューカイの町だからである。ところが駅前で数名にシューカイの自宅の場所をたずねたがラチがあかない。だれだそれ、というのがたいがいで、ひとのよさそうなオバさんはもうしわけなさそうにしているし、私よりすこし年嵩の青年はドイツならおまえ、スコーピオンズだろと「ロック・ライク・ハリケーン」を眼前で歌われる始末。スコーピオンズはファーストはコニー・プランクのプロデュースだから嫌いじゃないですが、そのコニー・プランクの仲間のカンというバンドのひとなのです、といっても伝わらない。当時の私はダモさんくらい髪が長かったのであるいは向こうが気づいてくれるかとも思ったが甘かった。宿なしらしき老婆には、どこから来たと問われ、ヤーパンだと答えたら、日本のせいで戦争に敗けたと狂ったようになじられ、駅から離れた人気のない路地の坊主頭の若者の集団にも訪ねてみたが要領をえない。いま考えるとあいつらネオナチだったろうね。

 私は大聖堂もみずに失意のうちにケルンを去り、四半世紀(!)前のこととて記憶は遠いが、たしかベルギーのどっかから黒人の乗船率が異様に高いフェリーで、野田さんがほめていたマッシヴ・アタックの町ブリストルに渡ったはずだが、ことほどさようにカンは当時の私にとってなにがしかのものだったのである。
 それはいまでも変わっていない。おそらく死ぬまで変わらないどころか、前々々世や来々々世とかいう戯言を私は信じないが、そのようなものがあったとしてもそうだろう。

 カンのなかの音楽の鮮度は保たれている。流動的だが凝結し個人のものであれ歴史に属するものであれ、あらゆる時間を横切り大気をくぐりぬけ耳朶を打つ。ときにプログレッシヴ・ロックやサイケデリック・ロック、のちにユーロ・ロック、いまはクラウト・ロックにひとは彼らを分類するが、ポピュラー・ミュージックと民族(民俗)音楽と即興音楽と電子音楽をカットアップしモンタージュするカンはつまるところカンなのだ。その先頭に立っていたのはホルガー・シューカイそのひとにほかならない。たわわな口髭といくらか生え際が後退したホルガー・シューカイのイメージは近影でこそ痩せ細っていたものの、68年の結成時からほとんど変わらない。シュトックハウゼンの元に学んだこの男はデビュー当時すでに三十路だった。分別のある大人だったが音楽は野蛮だった。同門のイルミン・シュミット(Key)とドラムのヤキ・リーベツァイトはシューカイと同年配でギターのミヒャエル・カローリは10歳下、そこにヴォーカルとして黒人のマルコム・ムーニーが加わり、だれもが知る最初のカンができあがる。69年のファースト『モンスター・ムーヴィー』の白眉は「Yoo Doo Right」だが、空間に燎火のように延焼するカンのスタイルはすでに完成している。ヤキの非西欧的な律動とミヒャエルの音色とフレージング、イルミンのサウンドは波のようである、おのおのが特異なパーツをシューカイの反復するベースが粘っこく接着する。このトラックはセッションの抜粋を編集したもので、ホルガー・シューカイといったとき、世評ではのちにヤキやミヒャエルなどに較べ、ソロ作につながる編集(プロデューサー)的観点を功績として強調するきらいがあるが、演奏家としての比類なさにも目を向けなければならない。八分音符を弾きつづける、オクターブをくりかえす――ただそれだけのフレーズがサイケデリックな空間をつくりディスコの暗喩となり、ループするフレーズの一部を欠落させダブ化させる、単純な法則だがきわめて呪術的でありそれがなければ、『タゴマゴ』や『フューチャー・デイズ』といった傑作もなりたたなかっただろう。私はくりかえすが、カンとはつまるところその総体である磁場の謂いなのだ。ダモ鈴木在籍時(私は『タゴマゴ』が初カンだが、いまでも「Oh Yeah」が日本語歌詞なるパートを聴くと、そのヴィジョンが幻出する)はむろん、後期のジャンル音楽の擬態と変調はそれまでの求心力が希薄なぶん異質さが浮遊している。その後のシューカイのソロはバンドの集団性を離れ、いかに方法をポップに純化するかを試みた階梯であり、ワールド・ミュージックとクラブ・ミュージックの折衷があたりまえな現在の若い耳により親しみやすいだろう。

 カンに失敗は存在しない。以前取材したさいイルミン・シュミットはそのようなことをいっていたが(『アウト・オブ・リーチ』はどうなんだという意見もあるでしょうが)、カンがカンであるかぎりそれは真実であり、おそらくそのような姿勢だけが都市のなかに未開の地を拓く。
 幾多の作品をのこしホルガー・シューカイは世を去った。ヤキ・リーベツァイトを喪った年にシューカイも逝った。享年79歳。地元紙によれば、ケルン近郊のヴァイラースヴィストにある以前は映画館だったカンのオリジナルのスタジオで亡くなっているところを発見されたという。25年前、私がたどりつけなかった場所だった。(了)

Mumdance - ele-king

 インスト・グライムの奇才、マムダンス――彼は本当にこの国で過小評価されている。2015年に〈Tectonic〉から放たれたロゴスとの共作『Proto』、その衝撃はどれくらい多くの人びとに伝わっているだろうか。ほかにも〈Tectonic〉や自身のレーベル〈Different Circles〉からコンスタントにEPを発表し続け、来る9月8日にはピンチとの共作EP 「Control / Strobe Light」のリリースも控えているマムダンスが、ついに単独での来日を果たす。9月17日(日)、会場はCONTACT。当日は2時間のロング・セットとなる模様。この日はとにかくCONTACTまで足を運んで、UKベース・ミュージックの尖鋭に触れておこう。

ハードコア・スピリッツを根底に置く才人の登場

これまでにコラボレーションしたアーティストを数えれば切りがないといえるほど、多種多様なアーティストと共同作業をこなしてきたMumdanceがContact初登壇。その記念すべき夜には、ドメスティックな出演者たちからジャンル特定不能といえようアーティストも集結し、バラエティ豊かなビート、空間に広がるアンビエンスと様々な音が散りばめられた空間を演出してくれるだろう。
デビュー当初Mumdanceがセルフリリースしていた『DIFFERENT CIRCLES THE MIXTAPE』を聴いたときのような斬新さ、特異さを十二分に感じられる夜となるはずだ。

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9/17(日・祝前)
Mumdance
Open 10PM
Before 11PM ¥1000, Under 23 ¥2000,
GH S members ¥2500, w/f ¥3000, Door ¥3500
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Studio:
Mumdance (Different Circles | Tectonic | XL Recordings | Rinse FM | UK)
DJ Fulltono
100mado (Back To Chill | Lo Dubs | Murder Channel)
Albino Sound -Live
DAIGO (D.A.N.)

VJ: SO IN THE HOUSE

Contact:
asyl cahier (LSI Dream)
Prettybwoy (POLAAR | SVBKVLT)
Nao (rural | addictedloop)
Sunda
Romy Mats (解体新書 | procope)
K_yam (Remedy)


■Mumdance
ブライトン出身のMumdanceはハードコア、ジャングルの影響下、15才頃から〈S.O.U.R〉レーベルが運営するレコード店で働き始め、2階のスタジオでプロダクションの知識を得る。やがてD&Bのパーティ運営、『Vice』誌のイベント担当を経てグライムMCのJammerと知り合い、制作を開始。ブートレグがDiploの耳に止まり、彼のレーベル、〈Mad Decent〉と契約、数曲のリミックスを手掛け、10年に「The Mum Decent EP」を発表。また実質的1stアルバムとなる『DIFFERENT CIRCLES THE MIXTAPE』で《Kerplunk! 》と称される特異な音楽性を明示する。その後Rinse FMで聴いたトラックを契機にLogosと知り合い、コラボレーションを始め、13年に〈Keysound〉から「Genesis EP」、〈Tectonic〉から「Legion / Proto」をリリース、そして2ndアルバム『TWISTS & TURNS』を自主発表、新機軸を打ち出す。14年には〈Tectonic〉からPinchとの共作「Turbo Mitzi / Whiplash」、ミックスCD『PINCH B2B MUMDANCE』、グライムMC、Novelistをフィーチャーした「Take Time」〈Rinse〉でダブステップ/グライム~ベース・シーンに台頭、またRBMAに選出され、同年東京でのアカデミーに参加したほか、Logosとのレーベル、〈Different Circles〉を立ち上げ、ミュジーク・コンクレート、ニューエイジなどの影響を反映した「ウェイトレス」と自称する無重力感覚のサウンドを創造する。15年には名門〈XL〉からNovelistとの共作「1 Sec EP」、自身の3rdアルバムとなるMumdance & Logos名義の『PROTO』、Pinchとの共作「Big Slug / Lucid Dreaming」のリリースを始め、ミックスCD『FABRICLIVE 80』を手掛け、Rinse FMのレギュラーを務める。その後もLogosと精力的な活動を続け、17年に入り『WEIGHTLESS VOL,2』、「Perc & Truss Remixes」、「FFS / BMT」といった注目作を連発している。90’sハードコア・スピリッツを根底にグライム、ドローン、エクスペリメンタル等を自在に遊泳するMumdanceは現在最も注目すべきアーティストのひとりである。

《Mumdance レギュラーラジオ最新アーカイヴ》
https://soundcloud.com/rinsefm/mumdance290817

パターソン - ele-king

 私はパターソンに足を運んだことはないが、ニューヨーク州の隣のニュージャージー州の北部、パサイク郡の郡庁所在地であるかの地は、それがオールロケであってもなくても、画面に映りこんだ街並みから空想するに、都市の喧騒に遠い、いくらかとりのこされた、緑の多い住みよい街のようである。郊外に向かう電車の窓に映る景色がごみごみした都心を抜けた途端にひらけるあの感じ、あるいは金沢とか仙台とか札幌とか、涼しげな土地を連想してしまうのはおそらく、街の情報以上に映像にとらえられた光と空気のせいである。光の差す位置は低く事物の陰影は深い。デジタルでありながら、その色彩感覚はきわめて写真的、ことに70年代のニューカラーを髣髴したのはイメージがエグルストンやショアに似ているからではなく、この世界における映像イマージュの階層が変質したなかにあってこの映画の映像の位置関係がニューカラーが写真史にもたらしたそれに近似するからである。フィルムに色を感光する行為はモノクローム基調の写真史の飛躍のひとつだったが、初期のニューカラーの写真には表現と技術の不安定さからくる、色彩を得ることと同時に喪失することのゆらぎがあった。色はあらかじめ褪せることを含意し、イメージはそれが過去のものであるという形式がもたらす事実以上に圧倒的に非在だった――と思わず間章っぽくなってしまうほど、3DやCGやVRやARやMRがはびこるイマージュによる象徴界で、ジム・ジャームッシュの80年の『パーマネント・バケーション』から数えて12作目の劇映画『パターソン』のフレーム内の色彩と陰影と構図は端正であり、つまるところそれは古典的である。

Photo by MARY CYBULSKI ©2016 Inkjet Inc. All Rights Reserved.

 筋書きはいたってシンプル。ジャームッシュはパターソンを舞台に、街とおなじ名前の主人公パターソン(アダム・ドライヴァー)とその妻(ゴルシフテ・ファラハニ)、そこに暮らすひとたちの一週間を淡々ときりとっていく。撮影監督はフレデリック・エルムズ――ジャームッシュ作品では『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991年)をかわきりに、2003年の『コーヒー&シガレッツ』を担当した人物だが、古くはリンチの『イレイザー・ヘッド』(1976年)を撮っていた。彼との直近の仕事は2005年の『ブロークン・フラワーズ』といえば、『パターソン』のトーンをご理解いただけるだろうか。あの作品のビル・マーレーはジャームッシュ作品では比較的クセのないほうだったが『パターソン』でのアダム・ドライヴァーはそれに輪をかけて淡泊である。午前6時には目をさまし朝食をとり仕事にでかけていく。あとにする自宅は、私はアメリカの住宅事情に詳しくないが、おそらく子どものいない若夫婦と犬一匹が暮らすには広すぎず狭すぎない、典型的な物件である。職場までは徒歩でゆく。職場についたパターソンは出発前のバスの運転席でノートになにやら文字を書きつける、そこに同僚がやってきて手は止まる、バスは発車しパターソンの市街を横切っていく、フロントガラスに映る市街地の風景は構図のなかの消失点に吸いこまれるかのよう。古い街なみ。その街にまつわる話を、乗客がする声が運転席のパターソンの耳にとどく。ある日のそれはひとを殺したボクサーの話でありべつの日にはドーナツ屋のいかした女のこともある、パターソンに住んでいたアナキストについて話す学生たちが乗り合わせることもあるだろう。仕事が終わった食後には愛犬マーヴィンの散歩の途中でなじみのバーによることもある。そこで交わす会話は音楽ネタとユーモアをちりばめたいかにもジャームッシュらしいものだが、80~90年代諸作とくらべると、かつて編集がもたらしたオフビートな感覚が役者の演技の間に置き換わっており、いくぶんゆったりと、とてもまろやかである。彼らとの出来事ともいえない出来事がパターソンを触発するともなく触発する、月曜から次の月曜までくりかえす日々にふれられることでパターソンは詩人になる。

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 うかつな私は書きもらしましたが主人公パターソンはバスの運転手であるとともに詩人でもある。すてきというしかないこの設定が『パターソン』の奥行きである。私は詩については門外漢だが、詩が最初の一行のイメージにはじまりついでイメージをイメージへ橋渡すものなら、『パターソン』の構造そのものが詩である。ところがそれは詩的といったときに、私をふくめ多くのひとが思うような感傷とは無縁であり、作中にコインランドリーのラッパー役でワンシーンだけ登場するメソッド・マンが、詩人としてのパターソンのモデルになったウィリアム・カルロス・ウィリアムズの詩作哲学を借りてつぶやくように、「事物からはじまる観念」なのであり、マッチ箱や靴箱などとわかちがたい、現実に潜ったイメージの群れのようなものを、かつて詩を学んだジャームッシュは映画という、やはりイメージの連なりである形式のなかでたどり直している。むろん映画は詩であるという命題は蕪雑にすぎるが、きりとる視点によっては現実は映画になり文学になり音楽になる、つまりアートになる――などというそっくりかえった言い方をしなくとも、私たちのおくる日々には一日たりともおなじ日はない、とジャームッシュは『パターソン』で種々のイメージをいつくしむようにとらえていく。ときにそれはパターソンの名勝であるグレイトフォールズの水のイメージのもたらす広大無辺さであり、ポール・ローレンス・ダンバーやフランク・オハラやエミリー・ディッキンスン、パターソン生まれのアレン・ギンズバーグやウィリアム・カルロス・ウィリアムズといった米国の詩人の命脈である。それらは符牒となり作品全体に交響していくのだが、そこには桂冠詩人の厳かさや壮麗さに遠い、自由(律)の(オフ)ビート感覚がある。一節ひいてみよう。

「冷蔵庫のスモモを食べた
たぶん君の朝食用だね
許してくれ
おいしかった
甘くて
よく冷えてたよ」
(ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ「言っておくよ」)

 作中後半でパターソンは妻ローラに彼女が好きだというこの詩を朗読する。うかつな私は詩にうといので詩と散文のちがいも定義できないが、このような唯物観は、広津和郎の散文性とはいわぬまでも、たとえば谷川俊太郎の「コカコーラ・レッスン」とか田村隆一の諸作とか、ある種の韻文が散文にひらかれるさいにはらむ質朴な力感と余白を思わせるだけでなく、『ダウン・バイ・ロー』でのホイットマン、『デッドマン』でのウィリアム・ブレイクら、ジャームッシュがこれまでの作品で言及してきた詩人の諸作と響き合い、ことばとイメージがアメリカのみならず世界に波及しやがて覆い尽くすジャームッシュのヴィジョンの根拠にもなっている。むろんブルースマンとロッカーとラッパーの列席も欠かせない。その意味でノーベル財団は40年はおくれている。と書きながらいまふと思ったのだが、上述のW・C・ウィリアムズの詩の一節に出てくるスモモ(plums)は『ミステリー・トレイン』(1989年)で永瀬正敏と工藤夕貴のカップルが持参し、ホテルのフロントにいたスクリーミン・ジェイ・ホーキンスが丸呑みしたスモモの暗喩なのではないか。この詩を読んだ翌日、あることで失意の底に沈んだパターソンはグレーとフォールズの前で日本人の詩人(永瀬)と束の間の出会いをはたす。この「浄化」を思わせる場面、なんなら「癒し」といってもいいこのシーンでしかしジャームッシュは感情を昂ぶらせない、それを押しつけないのはこの映画を彼自身「解毒剤」とみなすからだろう。なんにとっての? スペクタクルとしての映画がはびこる昨今の状況にとっての。むろんこの一文の映画はあらゆる文言と置換可能であり、おそらく現在のアメリカの政治/状況とも無縁ではない。タッチは禁欲的で円熟も感じさせる。ロン・パジェットの手になる作中の三編の詩も見事である。音楽はジャームッシュがその一員であるSQÜRLが担当している。アンビエントを思わせつつもパターソンの思考に同期したようなゆるやかな起伏をもつサウンドトラックは当初「著名なエレクトロニック・ミュージシャンのアーティストのトラックを集めて、映画音楽にする予定だった」というのだが、私はそれがOPNではなかったかと邪推している。というのも―― (以下『ギミー・デンジャー』評につづく



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Throbbing Gristle - ele-king

 問答無用のインダストリアル帝王、コンセプチュアルなエクスペリメンタル集団……そうか、もうそんなに経つんですね。スロッビング・グリッスルがファースト・アルバム『The Second Annual Report』をリリースしてから40年。それを記念し、〈Mute〉からかれらの全カタログがリイシューされることが発表されました。まずは11月3日にそのファースト・アルバムと、かれらの代表作である『20 Jazz Funk Greats』(“Hot on the Heels of Love”は必聴です)、そしてベスト盤の『The Taste of TG』の3タイトルが発売されます。ボーナス・ディスクには当時の貴重なライヴ音源が付属、さらに日本盤はHQCD仕様となっております。これを機にスロッビング・グリッスルの偉大なる遺産に触れておきましょう。


スロッビング・グリッスル、デビュー作発売40周年を記念し全カタログをリリース!
リイシュー・シリーズ第1弾として、デビュー作と、歴史に燦然と輝く金字塔
『20 ジャズ・ファンク・グレーツ』、そしてベスト盤の計3作を11/3にリリース!
日本盤はHQCD(高音質CD)仕様。収録曲音源公開。

インダストリアル・ミュージックのオリジネーターであり、今なお現在の音楽シーンのみならず、カルチャー /アート・シーンにまで絶大な影響を与え続けているスロッビング・グリッスル。彼らのデビュー・アルバム『ザ・セカンド・アニュアル・レポート』の発売40周年を記念して、〈MUTE〉より全カタログがリリースされることとなった。

そのリイシュー・シリーズ第1弾として、新たなる音楽の可能性を切り開いた衝撃のデビュー・アルバム『ザ・セカンド・アニュアル・レポート』、彼らの代表作としてだけでなく『ピッチフォーク』で10点満点を獲得するなど歴史的名盤『20 ジャズ・ファンク・グレーツ』、そしてベスト盤『ザ・テイスト・オヴ・TG』の計3タイトルが11月3日(金)にリリースされる。なお日本盤のみHQCD(高音質CD)仕様でのリリースとなる。また、彼らの代表曲“United”が公開された。この曲は1978年に7インチ・シングルとしてリリースされ、今回リイシューされる『20 ジャズ・ファンク・グレーツ』と『ザ・テイスト・オヴ・TG』に収録される。


■“United”試聴リンク
https://youtu.be/5XpqCxJZdGs

全カタログは以下のスケジュールでリリースされ、また未発表曲などが収録されるボックス・セットも来年中にはリリースの予定となっている。

[2018年1月26日]
『D.o.A. The Third And Final Report』
『Heathen Earth』
『Part Two: Endless Not』

[2018年4月27日]
『Mission Of Dead Souls』
『Greatest Hits』
『Journey Through A Body』
『In The Shadow Of The Sun』


■商品概要(11月3日発売/3タイトル)

『ザ・セカンド・アニュアル・レポート』(2CD)

「産業社会に生きる人々の為の産業音楽」という風刺を効かせたキャッチコピーと共に、インダストリアル・ミュージックというジャンルを作り出し、新たなる音楽の可能性を切り開いた衝撃のデビュー・アルバム。1977年11月発売。アルバム発売40周年。
CD-1は、スタジオ&ライヴ音源、そして前身のパフォーマンス・アート集団クーム・トランスミッション時代の映像作品のサウンドトラックの全9曲を収録。
CD-2は、当時のライヴ音源6曲、シングル「United」とそのカップリング曲の全8曲を収録。

・アーティスト:スロッビング・グリッスル / Throbbing Gristle
・タイトル: ザ・セカンド・アニュアル・レポート / The Second Annual Report (2CD)
・発売日:2017年11月3日(金) *オリジナル発売:1977年
・価格:2,650円(税抜)
・品番:TRCP-218~219
・JAN:4571260587199
・紙ジャケット仕様
・HQCD(高音質CD)仕様(日本盤のみ)
・解説付
・Tracklist:https://bit.ly/2wJhDfO
[amazon] https://amzn.asia/1jXuNhD
[Spotify] https://spoti.fi/2vnmZZH


『20 ジャズ・ファンク・グレーツ』(2CD)

1979年発売の3rdアルバム。燦然と輝く歴史的名盤。
インダストリアルの代表作としてのみならず、その後のエレクトロニック・ミュージックへ与えた影響は計り知れない。ジャケット写真の撮影場所は、自殺名所で有名なイギリスのビーチー・ヘッド。
CD-1は全曲スタジオ録音。CD-2は当時の貴重なライヴ音源9曲を収録。

・アーティスト:スロッビング・グリッスル / Throbbing Gristle
・タイトル: 20 ジャズ・ファンク・グレーツ / 20 Jazz Funk Greats (2CD)
・発売日:2017年11月3日(金) *オリジナル発売:1979年
・価格: 2,650円(税抜)
・品番:TRCP-220~221
・JAN:4571260587205
・紙ジャケット仕様
・HQCD(高音質CD)仕様(日本盤のみ)
・解説付
・Tracklist:https://bit.ly/2x5qw38
[amazon] https://amzn.asia/1A1zYlw
[Spotify] https://spoti.fi/2vnmZZH


『ザ・テイスト・オヴ・TG』(1CD)

ビギナーからマニアまで納得のベスト盤。全15曲収録。2004年作品。
リイシューにあたり、“Almost Kiss”(アルバム『Part Two: Endless Not』収録曲/2007年)を追加収録。

・アーティスト:スロッビング・グリッスル / Throbbing Gristle
・タイトル:ザ・テイスト・オヴ・TG / The Taste of TG: A Beginner's Guide To The Music Of Throbbing Gristle (1CD)
・発売日:2017年11月3日(金) *オリジナル発売:2004年
・価格:2,300円(税抜)
・品番:TRCP-222
・JAN:4571260587212
・紙ジャケット仕様
・HQCD(高音質CD)仕様(日本盤のみ)
・解説付
・Tracklist:https://bit.ly/2vrXQSd
[amazon] https://amzn.asia/2uwdQZH
[Apple Music / iTunes] https://apple.co/2g3paPU
[Spotify] https://spoti.fi/2vnmZZH


■スロッビング・グリッスル(Throbbing Gristle)

クリス・カーター(Chris Carter)
ピーター・クリストファーソン(Peter 'Sleazy' Christopherson / 2010年11月逝去)
コージー・ファニ・トゥッティ(Cosey Fanni Tutti)
ジェネシス・P・オリッジ(Genesis Breyer P-Orridge)

インダストリアル・ミュージックのオリジネーターであり、今なお現在の音楽シーンに絶大な影響を与え続けている伝説のバンド。バンド名は直訳すると「脈打つ軟骨」、男性器の隠語。1969年から1970年代のロンドンのアンダーグラウンドにおいて伝説となったパフォーミング・アート集団、クーム・トランスミッション(Coum Transmission)を母体とし、1975年にバンドを結成。彼らのライヴは、クーム・トランスミッションから発展したパフォーミング・アートが特徴で、イギリスのタブロイド紙でも取り上げられるほど過激なパフォーマンスを繰り広げた。1977年、衝撃のデビュー作『ザ・セカンド・アニュアル・レポート』を発売。その後彼らの代表作『20 ジャズ・ファンク・グレーツ』(3rdアルバム/1979年)を発売するなど精力的に活動をしていたが1981年に一度解散。その後、各メンバーはサイキックTVやクリス&コージーとして活動するも、2004年に再結成し2010年10月まで活動を続けた。同年11月、ピーター・クリストファーソン逝去。彼はアート集団ヒプノシスのデザイナーとしても活動し、ピンク・フロイド『炎~あなたがここにいてほしい』、ピーター・ガブリエルの初期3作など歴史に残る作品を手がけた。またセックス・ピストルズ初の宣伝用アーティスト写真の撮影、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなど数多くのプロモーション・ビデオを制作し、自身の音楽制作のみならず革新的な作品を数多く生み出した。

www.throbbing-gristle.com
www.mute.com

 ライアーズがニュー・アルバム『TFCF(Theme From Crying Fountain)』をリリースした。アーロン、ジュリアンが抜け、アンガス一人になった今作は、抑圧ヴァージョンだが、明らかにライアーズである。何作もライアーズを聴き続けているが、ライアーズはいつも違って、いつも同じなのだ。あまりにも独特で、いまだにファンを惹きつけている。

 初期2000年代のアート・パンク/ノイズ・パンクから、そしてグリッジー、そしてダンサブルな変態エレクトロ・ポップを経ての今作は、ある意味ライアーズ史において一番おとなしい。とはいってもライアーズなので、1、2曲聴いただけでは全体の物語はつかめない。まずはライアーズのお得意の、急き立てられるダーク・エレクトロあるいはフォーキーなサイドが耳に入る。

 8月最終月曜日の夜に、グリーンポイントのブルックリン・ナイト・バザーで、『TFCF』のリスニング・パーティがあった。アルバムのカヴァー・アートのテーマを踏襲して、会場は赤白の風船とウエディング・ケーキ、白鳥の花瓶などが飾られていた。アンガス自らがフロントで、ウエディングドレスとベールを着てのDJをはじめる。

 アンガスのセットはハイパーな折衷主義で、キンクス、クリス・クロス、ファクトリー・フロア、グレゴリアン・チャンターズ・エニグマ、ジョン・ホプキンズなどをプレイ。自分の曲もかけていたが、DJ中は真剣な顔で画面に向かい、ニコリともせず、そして10時ぴったりに最後の曲を終えると、何も言わず会場を去った。
 お客さんは、フロアで踊っている人もいたが、ほとんどがウエディングドレス姿のアンガスを、ウエディング・ケーキのお裾分けを食べながら凝視しているという、なんとも奇妙な光景だった。招かれざるウエディング・パーティに足を踏み込んだ感じで、その居心地の悪さがじつにライアーズらしい、と笑ってしまった。会場には、今回のツアー・バッキング・バンドであるバンバラのメンバーや音楽ブログのエディターなどが勢ぞろいしていたが、みんなこの奇妙な状況を面白がった。いかにもいまの時代らしいね、と。

 ライアーズは、数週間前(ヨーロッパツアーの前)にアルファヴィルという小さな会場でシークレット・ショーをしたばかり(その時は満員!)。この後は、アメリカを周り、ブルックリンには9/21に帰ってくる。会場のワルシャワは、以前アンガスが怪我をして、座りながらショーをした事も記憶にあるが、ライアーズにはお馴染みの会場である。新メンバーでどういったショーを見せてくれるか、いまから楽しみである。

寺尾紗穂 - ele-king

 たとえば出稼ぎにやってきた外国人労働者を描いた“アジアの汗”、愛や他人への無知や無力を歌い上げ、それが原発作業員の労働環境へと接続される“私は知らない”。寺尾紗穂は、こうした世界に黙殺される小さな声に耳を傾け続けている人だ。彼女はそれをビッグ・イシューのサポートによるフェス「りんりんふぇす」の主催や、ノンフィクション・エッセイの執筆など、多角的に、かつ継続して行ってきた。

 特にここ数年の寺尾は音楽と並行して精力的に執筆活動をこなしており、近年の著作は3冊。2015年には原発作業員への聞き取り調査をもとに構成された『原発労働者』と、長い歳月をかけて南洋をめぐりながら戦争の痕跡を書き留めた『南洋と私』の2冊。そして今年の8月には、パラオを訪れ、日本の植民地下だった1920年代のこの島国の当時を知る老人たちに話を聞きながら探っていく『あのころのパラオをさがして』を上梓した。連載をまとめたものもあるとはいえ、かなりのハイペースだ。そしてどれもいわゆるアーティストが自身の感性を頼りに書いたようなタイプの本ではなく、「シンガー・ソングライター」という肩書きからは切り離されて存在している。寺尾自身がそういった肩書きを特に標榜していないので、こうした観点がそもそも野暮かもしれないが、それでも「自分はどういう人なのか」を決めず、ひとつを選ばない寺尾のスタンスは、その活動を考える上で重要な視点になるのではないかと思う。

 前作『楕円の夢』もそうだった。第二次世界大戦中・戦後に活躍した評論家、花田清輝の『楕円幻想』にインスパイアされてできたというこの作品で、彼女は楕円というモチーフを「1や「真実」を否定するもの」と話している

 円には中心がひとつしかないが、楕円には中心となる焦点がふたつある。花田は他を無視してひとつの中心だけを見て円を描くのではなく、ふたつの点を焦点に楕円を描くことが、矛盾しながらも調和した社会に必要だと暗示した。寺尾はその「楕円」を多様性の象徴としてアルバムのテーマに据え、路上生活者をメンバーに擁する舞踏グループ「ソケリッサ!」のMV起用やツアーでの共演を行い、その存在を表舞台に引っ張り上げた。

 昨年発表された『わたしの好きなわらべうた』も、各地のわらべうたをリアレンジして、忘れ去られようとしているわらべうたの中に残る人びとの暮らしの跡をすくい上げようとしたものだった。これもまた過去のものを過去のものと決めつけず、そこに息づく手触りの確かさを信じた試みだったといえる。

 一方で、こうした活動は彼女を通好みの存在にしてしまっている側面もあるかもしれない。たとえば前作“楕円の夢”のMVを見て、ごく普通のおじさんが街中でゆらゆらと舞踏を踊る姿に、戸惑いを覚えた人もいるだろう。コンセプチュアルな『わたしの好きなわらべうた』に、食指が動かなかった人もいるかもしれない。熱心な原発や外国人労働者についての活動も、聞く人に選択を迫る。その真面目な姿勢は、近年の彼女を絶賛する声を増やす一方で、間口を狭くしてしまっていた。

 活動初期の彼女にはこうした社会派ともとれる表現は少なく、時にエキセントリックながら情熱的な恋愛模様を歌い上げるシンガー・ソングライターだった。もっと個人的で、内省的に歌を歌ってきた人だ。しかしながらその個人的な考えが社会的なメッセージ性を身にまとった時にこそ、寺尾の歌はより強く輝いた。“アジアの汗”や“私は知らない”が聴く人の胸を打つのは、寺尾が何かを告発するようにではなく、ただ自分にはこう見えている、というような純粋さで歌うからだ。その視点に異物感を覚える時、私たちは自分たちの暮らしがどれだけいびつに歪められているかを思い知る。しかし近年の彼女の活動は、そうした純粋な視点が見えにくくなっていたところがあった。それは寺尾自身が変わったというよりは、扱われ方の問題でもあると思うのだけど。

 その寺尾が2年ぶりに発表したオリジナル・アルバムのタイトルは『たよりないもののために』。いかにものように思えるタイトルだが、今作には直接的に労働者や路上生活者など「小さな声」の主は登場しない。その代わり、これまで以上に普遍的な強度を持ったポップ・ソングが、寺尾らしい凜とした佇まいで並んでいる。

 様々なミュージシャンと共演して楽曲を深化させる方法はこれまで通り。蓮沼執太やゴンドウトモヒコ、柴田聡子、マヒトゥ・ザ・ピーポーなどが名を連ね、アルバムに彩りを添えている。中でも変化を感じるのはオープニングを飾るナンバー“幼い二人”だ。これまでの寺尾の作品では、自身の音楽性を印象づけるようにピアノと歌が前面に出ている曲がオープニングに選ばれていたが、この曲はあだち麗三郎のドラムと伊賀航のベースが刻む素朴なリズムで幕を開ける。さらに、寺尾がピアノではなくエレクトリック・ピアノのウーリッツァーを弾いているのも特徴。エレクトリック・ピアノは前作『楕円の夢』でも何曲か使われているが、オープニングに配置されたことで、これまで寺尾のアルバムを聴いてきた人は新鮮に感じたのではないだろうか。新たに公開されたMVでは新バンド・冬にわかれてを寺尾と結成したことがアナウンスされたあだち麗三郎、伊賀航との3人での演奏がフィーチャーされており、洗練された映像からは寺尾の新たな一面を見ることができる。他にも疾走感のあるポップ・ソング“雲は夏”や、尾崎翠の歌詞に曲をつけた郷愁を誘うメロディの“新秋名果”など、ピアノと歌というアイデンティティを大切にしつつ、様々なアプローチが試みられている。賑やかというのではないが、明るく、生命力に満ちた1枚になっている。それは大森克己が手がけた鮮やかな草花のジャケットが示す通りだ。

 しかし、寺尾は小さな声に耳を傾けるのをやめたわけではない。タイトル・トラックの切実さはやはりどこか、そうした存在を想起させる。今作で社会的な事柄は具体的に描かれてはいないが、それは意図的というより、必ず登場させようと意気込んでいるわけではないということなのだろう。このことからは、路上の生活にも都市の恋愛にも同じように情熱を傾ける彼女の姿勢が浮かび上がる。その結果、『たよりないもののために』は聴き手に開かれた作品になった。

 たよりないもののために
 人は何度も夢を見る
 ぼろぼろになりながら
 美しいものを生む
“たよりないもののために”

 今作の英題は「For the Innocent」。“たよりないもの”の訳語に“イノセント”を持ってきたところに寺尾の現代社会へのスタンスがあらわれているが、とても多様性のある表現だと思う。たよりなくて、イノセントなもの。それは信念だったり、誰かの未来だったり、まったく別の何かであったりするだろう。前作のモチーフになった「楕円」よりさらに曖昧で、しかし誰もが何かを思い浮かべるもの。

 “たよりないもの”は、誰の日常にも息づいている。私にも、あなたにも、路上生活者のおじさんにも。ゆるやかに束ねられて気づく普遍。寺尾が放つ美しい最大公約数の言葉は、多様な生に向けられる眼差しを塗り変えていく。

Toro Y Moi - ele-king

 夏の夕暮れどきのビーチにピッタリの音楽が今年もいろいろとリリースされた。『ele-king』のレヴュー・コーナーで取り上げたものだと、ウォッシュト・アウトの『ミスター・メロー』やピーキング・ライツの『ザ・フィフス・ステイト・オブ・コンシャスネス』がそれにあたる。そして、かつてウォッシュト・アウトと共にチルウェイヴの旗手として鮮烈に登場したトロ・イ・モワことチャズ・バンディック(チャズ・ベアー)。彼の新作『ブー・ブー』も2017年の夏を彩る1枚だ。ウォッシュト・アウトもトロ・イ・モワも、いつも夏シーズンにアルバムをリリースすることが多いが、そのあたりはもう確信犯的とも言える。そして、両者には共通項も多い。初期のシューゲイズ的な作風から、次第にディスコなどを取り入れたダンサブルなサウンドへと変化していった点がそうだ。

 トロ・イ・モワについて言えば、そうした変化の兆しは既にセカンド・アルバムの『アンダーニース・ザ・パイン』(2011年)の頃から見られ、EPの「フリーキング・アウト」(2011年)ではシェレールとアレキサンダー・オニールのクラシック“サタデー・ラヴ”をカヴァーし、1980年代前半のブラコンやシンセ・ブギーをリヴァイヴァルするデイム・ファンクあたりともリンクしていた。サード・アルバムの『エニシング・イン・リターン』(2013年)では、そうしたダンサブルな傾向はハウス・サウンドとの融合という形で表れている(チャズの別名義のレ・シンズは、この路線をさらに強化したエレクトロニック・ダンス・プロジェクトである)。この年はダフト・パンクの『ランダム・アクセス・メモリーズ』(2013年)がリリースされるのだが、そうしたディスコ/ブギー回帰とも同期した作品と言えるだろう。その後、第4作目の『ホワット・フォー?』(2015年)は1970年代のトッド・ラングレンやチン・マイア、コルテックスなどにインスパイアされたというように、ロックやポップ・ミュージック、AORに改めて向き合うような作品が目に付いた。彼の作品中でもっともロック~シンガー・ソングライター色が濃い作品で、チャズのギターを中心に、バンド演奏が前面に出た録音である。

 今年2017年に入るとチャズは、双子のジャズ~ポスト・ロック~サーフ・ミュージック・コンビのマットソン2とのコラボ作『スター・スタッフ』を発表する。『ホワット・フォー?』の路線をよりエクスペリメンタルなジャム・バンド風セッションへと導き、ジャズ、ロック、ファンク、ディスコなどが融合した内容で、チャズのギタリストとしての魅力も最大限に発揮されている。今までのチャズの作品の中でも毛色の変わったコラボ作品となったが、その反動としてメイン・プロジェクトであるトロ・イ・モワの新作『ブー・ブー』は、セルフ・プロデュースでほぼひとりで全楽器を演奏している。ほとんどインスト集だった『スター・スタッフ』に対し、チャズのヴォーカルが多く配され、またギターではなくシンセを中心とした80sサウンドを軸とした作りとなっている。バンド作品的であった『ホワット・フォー?』とも異なり、『エニシング・イン・リターン』以前のセルフ・スタイルへと回帰している。サウンド的には『ホワット・フォー?』でのポップスやAOR、『エニシング・イン・リターン』の頃のブギーやディスコが結びつき、トロ・イ・モワ作品中でも極めてソウルフルでメロウなアルバムとなっている。たとえば“ミラージュ”はボビー・コールドウェルやデヴィッド・フォスター路線のAORディスコ。山下達郎など和モノ・ディスコにも繋がる曲だし、ウォッシュト・アウトの『ミスター・メロー』と同じ方向を向いていると言えよう。“インサイド・マイ・ヘッド”も同系のナンバーで、よりエレクトリック・ブギー色が強い。“モナ・リザ”は日本好きの彼らしく、日本語の天気予報ニュースのSEを配しているのだが、楽曲自体は80sシンセ・ポップ的な作品。“ラビリンス”は80年代のポリスとかティアーズ・フォー・フィアーズの曲などと遜色ない作品だ。先行シングル・カットされた“ガール・ライク・ユー”はじめ、“ウィンドウズ”や“ユー・アンド・アイ”は、そうした80年代のシンセ・ポップやエムトゥーメイなどのブラコンと、現在のフランク・オーシャンやブラッド・オレンジなどのアンビエントなR&Bを繋ぐ曲である。“ノー・ショウ”や“W.I.W.W.T.W.”は、アルバム全体を貫くメロウネスとチャズの実験的な側面がうまく融合している。特に“W.I.W.W.T.W.”は曲の途中から前半と全く異なるアンビエントな展開を見せる。“ミラージュ”や“インサイド・マイ・ヘッド”でのポップな側面と、この“W.I.W.W.T.W”における実験性の落差。そんな両面を有するところがチャズの最大の魅力だろう。

Iglooghost - ele-king

 まだ20歳だという気鋭のプロデューサー、イグルーゴースト。すでに〈Brainfeeder〉から「Chinese Nu Yr」(2015年)と「Little Grids」(2016年)の2枚のEPをリリースしている彼が、9月29日に待望のデビュー・アルバムを発売する。先行公開されたシングル曲“Bug Theif”の雑食性はさすが〈Brainfeeder〉と言うべきか、次々といろんな要素がぶち込まれていく展開は飽きがこない。これはジェイムスズーに続く期待の星である。要チェック。


IGLOOGHOST

フライング・ロータス主宰〈Brainfeeder〉から
待望のデビュー・アルバム『Neō Wax Bloom』を9月29日にリリースする
弱冠20歳のUK発気鋭プロデューサーのイグルーゴーストが
先行シングル「Bug Theif」を公開!


弱冠20歳のUK発気鋭プロデューサーのイグルーゴーストが、フライング・ロータス主宰〈Brainfeeder〉から待望のデビュー・アルバム『Neō Wax Bloom』を、9月29日にリリースする。2015年の4曲収録デビューEP「Chinese Nü Year」の続編とも言える本作は、ミステリアスなマムーの世界に遭遇した巨大なふたつの目玉にまつわる話をもとにしており、強烈で狂った世界観を演出している。また京都を拠点に活動するドリーム・ポップ・プロデューサーCuusheやMr. Yoteらが参加している。LPには12ページのリソプリント・ブックレットと『Neō Wax Bloom』のキャラクター・ステッカー・シートが封入される。
アルバム・アナウンスに併せて先行シングル「Bug Thief」が公開された。

Iglooghost - Bug Thief
https://youtu.be/2Y1rWasqPMA

『Neō Wax Bloom』アルバム・プリオーダー (iTunes)
https://apple.co/2wlpUGj

Label: Brainfeeder
Artist: Iglooghost
Title: Neō Wax Bloom

Release Date: Sep.29th, 2017

Format: CD/2LP/Digital

Bicep - ele-king

 アンドリュー・ファーガソンとマシュー・マクブライアからなるハウス・デュオ、バイセップ。すでに多くの12インチを発表しており、“You”(2012年)や“Just”(2015年)などで高い評価を得ている彼らだが、遂にそのデビュー・アルバムが9月1日に〈Ninja Tune〉からリリースされる。これは注目。


Bicep待望のデビュー・アルバム『Bicep』が
〈Ninja Tune〉より9月1日に遂にリリース!
そして先行シングル 「Aura」が公開!
また10月7日にContact Tokyoにて来日公演が決定!

先行シングル:Bicep - Aura [Official Audio]
https://youtu.be/Xvlym4g9SQQ

Coachella、Glastonbury、Primavera、Melt、Dekmantel、 Lovebox、Parklifeへの出演、また2016年『Resident Advisor』年間DJランキングにて第8位に選出され、現行エレクトロニック・ミュージック・シーンにおいて最も信頼のおけるキュレーターして知られるロンドンを拠点に活動するマット・マクブライアーとアンディ・ファーガソンのデュオ、バイセップが、セルフ・タイトルのデビュー・アルバムを〈Ninja Tune〉より2017年9月1日に発売する。
この10年、ふたりはFeelmybicepというブログを通じて、インスパイアの源となる音楽を紹介してきた。最初はレコード収集の趣味を披露する場として始めたが、結果的にはさまざまな活動のきっかけへとなっていった。2008年に開設したこのブログには月に10万人が訪れるようになり、ここから同じ名前のレコード・レーベルやクラブ・イベントが誕生することになる。そしてふたりはUKのみならず、ディープダグ・ハウスとディスコ(再発見され、再び機会を与えられた)をミックスしたエディットとアップフロント・トラックのブレンドなど、ブログで人気のDJセットを携えて、国際的なステージに立つようになった。その結果、今日のエレクトロニック・ミュージック界で、大きな信頼と高い評価を得るキュレーターとして尊敬を集めるようになった。バイセップは、〈Throne Of Blood〉〈Traveller Records〉〈Mystery Meat〉〈Love Fever〉といったレーベルと手を組んだ後、ウィル・ソウルの勧めで彼の〈Aus Music〉から作品をリリースしたが、その中にはすでにクラシックと化した「Just EP」も含まれている。あちこちで耳にするタイトル・トラックは、誰もが認める2015年のクラブ・トラックで、『Mixmag』と『DJ Mag』双方の「Track of the Year」を獲得した。また、もうひとつの先駆的なUKデュオ、シミアン・モバイル・ディスコとコラボし、ディスクロージャーやブラッド・オレンジ、808ステイトのリミックスもおこなっている。

「ぼくらにとって大切なのは、大きな眼で音楽を見つめているレーベルの一員になることだ」
「〈Ninja Tune〉には固定概念を持たれるような制限を感じなかった」

またアルバム・リリース・ツアーの一環として、Contact(東京)にて10月7日に来日公演が決定している。

[来日公演]
10月7日@Contact Tokyo
https://www.contacttokyo.com/

label: Beat Records / Ninja Tune
artist: BICEP
title: Bicep

release date: 2017/09/01 FRI ON SALE
cat no.: BRZN244
price: ¥1,929+tax
国内盤仕様: 帯/解説・歌詞対訳付き

[ご予約はこちら]
beatkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002175

2 類似したものの中の異なったもの - ele-king

 いきなり興醒めな印象を与えかねないが、最近は定額制ストリーミングで新譜を聴いている。なかなかどうして面白い。特にアメリカとブラジルにハマっている。技術やセオリーが風靡していないというか、ちょっとしたアイデアで新たな聴こえ方を模索しているようなところが面白い。先日GONNOさんと少しミーティングした時に、アメリカは自分たちの音楽に若干飽きてきているような雰囲気がある、と言っていたが、その反映なのか、ソンゼイラのように、知っているはずのイかしたものを取り戻そうという意志なのか、ただただ深読みか、ともかく、量で煽ってくるストリーミングに弄ばれないためにはちょっとした自分なりのコツが必要だからそういうことから眺めてみている。アナログで買うのが一番いいですが……。

 僕は、ドラムやリズムから眺めてみると記憶に残りやすい。山にドラムセットを広げて、iPhoneとイヤホンで気になった曲をコピーするという奇妙なことをやっているのだが、それをすると曲の仕組みみたいなものが少しずつ見えてくる。USインディーやブラジルの新譜をコピーすると、この曲にはこのパターンでとか、ビートを安易に対象化するのではなくて、一つリズムのエンジンをシンプルな形でフレーズに言わば物象化しつつ、そこからは外れないようにしながら曲展開に合わせて自由に展開していくという手法を感じる。例えば、ケヴィン・モービーの新譜のリード曲“City Music”。イントロはギア1からスタート、ギターインに合わせてリムショットとタム、フロア回しのシンプルなフレーズになるのだが、ベードラとスネアの関係は「ドッチ(タ)フードドチ(タ)」で、それは曲が終わるまで続く。ギターが抜けてベースと少し付き合ってから、タム、フロアが自然と抜ける。歌と共にハットが入る。至極シンプルなフィルのあと間奏でリムショットがスネアに変ってギアが少し上がる。また歌で少しギアが落ちるけど、前の歌よりは少しテンションが高い。それらが繰り返されてリスナーを揺さぶる。ギターリフとフィルでギアマックス、と思いきや歌になる度少し下げつつ、やはり揺さぶりながら全体のテンションが少しずつ上がっていく。しつこいまでの歌とギターリフの繰り返しに呼応するギアの変化。あからさまには上がらず、そこどこに気が配られているけど、エンジンがあるからノレるし、気付いたら上がっている。フレーズが物象化とは言い過ぎかもしれないが、それは、アフロや例えばエルヴィンのようなエネルギーの塊みたいなエンジンが自由に発信されていくことへのリスペクトとパロディ、そしてそこからの展開はちょっとしたアイデア、その聴こえ方は、実に気が利いている!

 飽きていることの証明なのか、「クラブでアフリカものとか普通に流れている」とGONNOさんは言っていたが、その実は行ってないからわからない。でも、ハットを抜いて、キープはリズムギターに任せてみるとか、このノリで行きたいからエンジンは決めつつそこから曲に合わせて発展させていくとか、そういうちょっとしたことでも少し新鮮になるかもしれない。また、それは、色んな音楽を見渡せばいくらでもあって、別段新しいことでもないかもしれないが、それをポップスに落とし込もうとする意志が、ビートに、音楽に宿るだけでも聴こえ方は変わる。
 ただ、ここに危惧がある。これだけ真似したら、今度はそれこそただの対象化になってしまう。彼らが何を考えて何を聴いてそうなったのか、正確に捉えるには話でもするしかないが、深読みでも勝手な詮索でもいいからルーツや出発点を見つけないといけない。彼らだってきっとそこから始まっている。僕はそこにアフロを感じる。どこがや、と思うかもしれないが、対象化の貼り付けリズムとの差はストリーミングでも充分にわかる。なんでもないビートが気持ちいいなんて、それだけでアフロ的だと、言い過ぎでも言いたい。
 そこで、もう一つの危惧が、ストリーミングでのコピーという点。10代の最後の頃、ニール・ヤングをレコードで聴いてノリの違いにびっくりした。“Heart Of Gold”だったか、レコード屋もない小さな街でレンタル屋や一人の友達にかりてせっせとMDに移植して聴いていた頃は、所謂タメの効いたビートだと思っていたのが、7インチで聴いたらタマっているどころか躍動感に溢れていた。90年代のCDの音質のこともあると思うが、騙されたと思った。他にも例はいくらでもある。ライブもとても大事だけど、逡巡の傷跡が最もよく刻まれたレコードはノリも伝える。レコードはいい。
 グリズリー・ベアの新譜なんて、フレージング自体もアフロ的で面白かった。レオナルド・マルケスプロデュースのミニマリスタ『Banzo』#1は、場面とフレーズの関係とビルドアップは“City music”に似ているかもしれない。#2は、パルチード・アルトの今!といったら言い過ぎだろうか。#3は、最高のアンサンブル隙間の効いたドラムの間を、ベースがいくのが頗る気持ちいい。ドメニコ・ランセロッチは、『オルガンス山脈』で、ショーン・オヘイガンと組んで、融合を見事にポップスに持ち込んだ。トニー・アレン新譜も楽しみだ。

 もしかしたら、僕自身がハズレも多いレコード収集に若干飽きているだけかもしれない。少なくとも、一人で田舎にいるのも、何故かなんだか済まない気がしてくる時があるから、せめて新譜を聴きに、叩きに、山に行っていないといけない。そうしたら、昔のレコードもあらためて新鮮に聴けるような気がする。


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