「ZE」と一致するもの

Shintaro Sakamoto - ele-king

 昨年12月におこなわれた坂本慎太郎『物語のように』のリリース・ツアーにおいて、もっとも話題になったのが、日本に現存する唯一のキャバレーであり、地元出身の八代亜紀を生んだ場所として知られる熊本県八代市のキャバレーニュー白馬での公演だった。その晩のライヴの模様は、16mmフィルムカメラ6台で撮影され、まさに昭和な(?)雰囲気の映像が完成したそうである。その上映会を坂本のホームグラウンドであるLIQUIDROOMで開催。

 当日は会場に3面スクリーンを設置し、大根仁監督/大関泰幸による3画面編集での映像を上映。
サウンドは中村宗一郎によってマルチ録音された音源を、20年以上にわたって坂本慎太郎のLIVE音響を国内外でサポートしているサウンド・エンジニアの佐々木幸生がライヴミックス。映画館で鑑賞するのとはまた違う、LIVEさながらの視聴体験ができる、新たな試みとのこと。 

 オフィシャル先行の申し込みは、明日4月14日(金)12:00から開始。

※坂本慎太郎のライブ及び本人の登壇はございません。

坂本慎太郎LIVE2022@キャバレーニュー白馬 フィルム上映会
2023.5.17(水)@ LIQUIDROOM

- 1回目上映: open: 17:30 start 18:00 (19:40終了)
- 2回目上映: open: 20:30 start 21:00 (22:40終了)
各上映時間100分 / 入替制 
- チケット: 前売: ¥3,000 +1drink order
- 先行予約受付: 4月14日(金) 12:00 ~ 4月16日(日)18:00
- 一般販売日: 4月25日(火) 10:00 ~

販売URL: https://eplus.jp/sf/detail/3849390001-P0030001
問い合わせ:LIQUIDROOM: 03-5464-0800
zelone records HP: http://zelonerecords.com

interview with Lankum - ele-king

 ノイズもエレクトロもアンビエントもヒップホップも現代音楽も飲み込んだ21世紀型アイリッシュ・フォーク・シーンの最前線に立つランクム。通算4作目となる3年半ぶりの新作『False Lankum』に感嘆すると同時に、これほどの傑作が日本では発売されないと聞いて驚いている。欧米メディアで大絶賛された2019年の前作『The Livelong Day』も素晴らしかったが、この新作では自分たちの音作りの特徴──強力なドローン、深い陰影、繊細なノイズ等々を活かしつつ、音楽的洗練度が格段にレヴェルアップしているのだ。
 全12曲は、5曲のトラッド・ソング、2曲のカヴァ、3つのインスト小曲を含む5曲のオリジナル曲という構成になっており、アルバム全体で大きな物語を描いているような印象。ドラマティックである。

 日本ではまだほとんど無名なので、改めて簡単にバンドを紹介しておこう。ランクムは、ダブリン出身のイアン・リンチ(Ian Lynch:イリアン・パイプス/ティン・ホイッスル/ヴォーカル)、ダラグ・リンチ(Daragh Lynch:ギター/ヴォーカル)のリンチ兄弟と、コーマック・マクディアーマダ(Cormac MacDiarmada:フィドル/ヴォーカル)、そして紅一点レイディ・ピート(Radie Peat:コンサーティーナ他/ヴォーカル)から成る4人組。2000年代前半からリンチ兄弟がやっていたパンク&サイケ・テイスト溢れるフォーク・デュオ、リンチド(Lynched)に伝統音楽シーンで腕を磨いてきたコーマックとレイディが加わった14年にランクムへとバンド名を変え、アイルランドのトラディショナル・フォークに本格的に取り組むようになった。
 これまでにリンチドとして『Where Did We Go Wrong ?!』(04年)と『Cold Old Fire』(14年)、ランクムとして『Between The Earth And Sky』(17年)③と『The Livelong Day』(19年)をリリースしてきたが、リンチドの2枚目『Cold Old Fire』にはコーマックとレイディが既に参加しており、実質的にはこれがランクムの1作目とみなされてきた。

 コロナ禍のロックダウン期間中にじっくりと時間をかけて制作されたというこの新作について、リーダーのイアン・リンチに詳しく語ってもらった。
 なお、過去の原稿では彼らのバンド名を「ランカム」と表記してきたが、今回から「ランクム」に変えさせていただく。

DIYパンク・シーンで活動してきたという背景があるから、巨大レーベルやメインストリームな音楽業界に対する不信感が十分に培われているんだよ。そして年齢を重ねるごとに、それはすべて実際その通りだということがわかってきた。

新作の素晴らしさに感嘆しました。音作りに関して、あなたたちの頭の中にはどのようなヴィジョンやコンセプトがあったのですか?

イアン・リンチ(Ian Lynch、以下IL):アルバムの制作開始時にあった唯一の考えは、前作『The Livelong Day』のサウンドを拡張しようということだった。つまり、ダークな部分はよりダークに、綺麗な部分はより綺麗に、繊細な部分はより繊細にというように、『The Livelong Day』のサウンドのあらゆる側面を押し広げようとしたんだ。俺たちは、あのアルバムのサウンドにとても満足していたから、過去10年間に描いてきた軌道に乗ったまま、サウンドの拡張を続けようとしたんだ。作業が進むにつれ、それ以外のアイデアも色々と出てきたけれど、アルバム制作に向けた最大のコンセプトはサウンドを拡張するということだった。最終的にどんなアルバムができるかは、やってみないと自分たちでもわからなかった。

アルバム・タイトルの『False Lankum』に込められた意図について説明してください。

IL:俺たちのバンド名であるランクムの由来は古いバラッドで、そのタイトルが「False Lankum」というんだ。だから自分の頭の中には常にその言葉があった。2014年にバンド名をリンチド(Lynched)からランクムに変えたときも、当初のアイデアでは「False Lankum」にしたいと思っていたんだよ。とても気に入っているタイトルだからね。今回、アルバム・タイトルを『False Lankum』にしたのは、少し曖昧というか不明瞭な感じを持たせたかったからなんだ。俺たちの過去のアルバムのタイトルはすべて、曲の一部からの引用だったけど、今回のアルバム・タイトルは、人々が疑問に思うような、よくわからない感じにしたかった。「False Lankum(=虚偽のランクム)」とは何だろう? 「False Lankum」があるということは、「True Lankum(=真実のランクム)」もあるのだろうか? ……という疑問をリスナーに抱かせたかったんだ。俺たちがランクムとして表現していることは、俺たちの真の形、全体像ではないのかもしれない……そんな疑問。たとえば今回のアルバムの曲に “The New York Trader” というのがあるんだけど、それは、いままでの人生で悪事ばかり働いてきたジョナという名の奴が船に乗っていて、彼のせいで、船全体が危機的状況に陥ってしまい、船員たちは自分たちの命を救うために彼を船から追放しなければいけないという話なんだ。つまり、もしそれ(=ジョナ)が俺たちだったら? ということ。ランクムはアイルランドの伝統音楽を救うためにいるのではなく、破壊するためにいて、ジョナのように俺たちが船から追放されるべき存在だったらどうする? そんなことを考えていたんだ。まあ、あまり言葉で説明したくないんだけど(笑)、意図としてはそういうことだよ。

前作『The Livelong Day』はメディアでの評価が非常に高かったから、今回はプレッシャーが大きかったのではないですか?


Lankum『The Livelong Day』

IL:いや、あまりプレッシャーはなかったよ。まあ、アルバムを作るたびにある程度のプレッシャーはあるだろう。特に、前作のできが良いと、次の作品にも前作と同じくらいの期待がかけられる。そういう外部からのプレッシャーはあるけれど、俺たちは、音楽を作っているこの4人の身内サークル内にそういったプレッシャーは持ち込まないようにしている。というか、あまり意識していない。俺たちにとって大切なのは、アルバムの音を誰よりも先に聴いて、自分たちがその音に満足し、それを誇りに感じられるということだから。いままでもそういう意識でアルバムを作ってきた。前作も、音源をマスタリングに出す前の状態で、俺たちは自分たちが作り上げたものにとても満足していた。今回のアルバム制作には約2年という長い時間をかけた。すべてにおいて自分たちが100%納得するまでは外に出さない。そして、外に出す時点で俺たちは、他の人がアルバムについてどう思うのかということは気にしていない。今回のアルバムに関しては、長年のファンの中にはこれを気に入ってくれない人もいるかもしれないと思ったけれど、それは仕方のないことだと単純に思えた。たとえそうなっても、俺たちまったく気にしないよ。

今回の制作にあたり、〈ラフ・トレイド〉からは何か注文や要望はありましたか?

IL:俺が知っている範囲ではないし、あったとしても、俺自身は何も言われていない。レーベルがマネジャーに色々と注文していて、マネジャーが密かに俺たちの脳にアイデアの種を植えたり洗脳したりしているのかもしれないけど……いや、それも多分ないと思う(笑)。〈ラフ・トレイド〉と仕事ができるのはとても素晴らしいことだよ。メジャー・レーベルと契約したバンドからは酷い話をよく聞くからね。そもそも俺には、DIYパンク・シーンで活動してきたという背景があるから、巨大レーベルやメインストリームな音楽業界に対する不信感が十分に培われているんだよ。そして年齢を重ねるごとに、それはすべて実際その通りだということがわかってきた。でも、俺たちと〈ラフ・トレイド〉の関係はとても良好だ。俺たちの音楽的ヴィジョンを自由に追求させ、それを応援してくれる。彼らのアプローチもライトというか、あまり介入してこない。本当に素晴らしいと思うよ。同じようなアプローチでやっているレーベルは他にあまりないと思うから、そういう意味では非常に恵まれていると思うな。

ある曲の中には、セロリが育つ音がピッチダウンされた状態でどこかに忍ばせてあるんだよ。そういう細かいことをたくさんやったから、今回のアルバムではどの曲も、ものすごい数のレイヤーが含まれている。

前作『The Livelong Day』に対する反応で、特に嬉しかったもの、印象深かったものはどういったこと(言葉や事象)でしたか?

IL:アルバムに対する嬉しい反応やコメントはたくさんあったよ。特に感激したのは、ノルウェーのバンド、ウルヴェル(Ulver)の反応だった。彼らが90年代にリリースしたブラック・メタルのアルバムの何枚かは俺がとりわけ好きな作品で、彼らはその後も素晴らしいエレクロトニック音楽を作り続けていた。そんな彼らがランクムのヴィデオ・クリップをSNSにアップしてくれたんだ。「オーマイガッド!!!」と感激したよ。それからアメリカのロード・アイランド州プロヴィデンス出身のアーティスト、リングア・イグノタ(Lingua Ignota)がランクムもやっているトラッド・ソング “Katie Cruel” のカヴァーを発表したときに、インスピレイション源としてランクムの名を挙げてくれたんだ。彼女の音楽は大好きだからすごく嬉しかった。


Lingua Ignota “Katie Cruel”

 あと、イギリスのザ・バグ(The Bug=ケヴィン・マーティン)も俺たちのアルバムを高く評価してくれて感激した。俺たちが大好きな音楽を作るアーティストや尊敬するアーティストにランクムの音楽がようやく届くようになったということがすごく嬉しかった。仲間というか、同じような活動をしている人たちや自分が尊敬している人たちからのポジティヴな反応ほど嬉しいものはない。新聞や雑誌のレヴューで高く評価されるのも嬉しいけれど、やはり、自分が尊敬しているミュージシャンから評価されるのはまったく違う嬉しさがある。

前作『The Livelong Day』からこの新作までの約3年の間で、バンド内、あるいはバンド周辺で何か変化はありましたか?

IL:変化はたくさんあったよ。パーソナルなものからアーティスティックなものまで。一番大きな変化はコンサーティーナのレイディ・ピートに赤ちゃんが生まれたことだね。それはとても良い変化だった。その一方で、みんなの精神衛生面が悪くなってしまったり、健康面での問題もあった。ロックダウンにも大きな影響を受けたけど、そのせいで逆に、俺たちは各自のソロ・プロジェクトやアルバムに専念することができた。だから悪い時期ではなかったと思う。この数年間で俺たちは各自の成長を遂げることができた。コロナという状況を最大限に活かすことができたと思う。このアルバムもその期間内に作ることができたし、各メンバーもそれぞれの変化を体験して、進化していった。3年前に比べると、バンドのランドスケープ(=置かれている状況や環境)がまったく違うものになったと感じられるね。

コロナ禍が本作に及ぼした影響について、もっと具体的に語ってもらえますか。

IL:影響は大きかったね。俺がいまいるこの大きな部屋は、ダブリン南部にある築200年くらいの塔なんだ。ロックダウン中にこの塔の所有者が俺に連絡をくれて、「自分はこの塔を所有していて、管理してくれる人を探している」と言うので、しばらく塔で暮らすのも悪くないなと思い、承諾した。しかも、バンドを連れてきて、ここで作業してもいいと所有者は言ってくれたんだ。ちょうどアルバムの制作にとりかかるいいタイミングだった。ロックダウン中で、お互いに会いに行ったりすることができない状況だったから、バンド・メンバー全員がこの塔に来て、みんなで一緒に暮らすことにしたんだ。とても良い体験だったよ。この塔からは海が見渡せるんだ。屋上からダブリンの町全体も見える。確か1803年か1804年、ナポレオン率いるフランス軍の侵略を恐れていたイギリスが、ダブリンの湾岸に沿って建てたんだよ。

軍事的見張り塔だったんですね。

IL:うん。その環境が無意識にアルバムの内容に反映されていったのだと思う。今作に「海」や「海軍」的な要素が多く含まれているのもそのせいだと思う。ほとんどの収録曲が「海」と何らかの関係があるんだ。もしも状況が違っていたら、まったく違うアルバムができていたと思うよ。俺たちはそれまでの数年間、結構ハードなツアー活動をやってきていて、ロックダウンになる前は、かなり疲弊していた。ツアー中は、アルバムに向けて新しい曲を作っていくのが難しい。前作の評判がすごく良くて、ようやく俺たちにも道が開けてきた! と思っていたところに、コロナ禍ですべてが急停止してしまったわけだが、もしロックダウンになっていなかったら、この新作の内容がどうなっていたか想像もつかないね。

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特に伝統的な曲をアレンジする場合は、映画音楽を作っているようなイメージなんだ。つまり、曲の感情的な部分を、ときには絶妙に、また、あるときには強烈に引き出したいと考えている。映画音楽を制作するということは、映画監督が描くストーリーを表現する手助けをしているということだ。そこには、観衆を絶妙に導いていく役目があり、観衆がどう感じるべきかをダイレクトに主張するのとは違う。物語を優しく語る手助けをする。

今回も、ジョン “スパッド” マーフィー(John ‘Spud’ Murphy)がエンジニアを務めていますが、ランクムにおけるスパッドの立ち位置や役割について、具体的に説明してください。私には、彼はほとんど第5のメンバーのように思えます。

IL:まさにその通りなんだ! スパッドはアレンジからプロダクション、その他の作業でも、俺たちと同じくらいの役割を果たしているからね。今作では、彼が中心的役割を担った箇所もある。たとえば、曲と曲の間にあるインストの「フーガ」3曲(“Fugue I”~“Fugue III”)はすべて彼のアレンジによるものだ。彼がアレンジしたものを俺たちに聴かせて、そこに俺たちが手を加え、また彼に戻したりしていた。他の曲に関しても、自分たちでは思いつかないような素晴らしいアイデアをたくさん提案してくれた。彼は音楽に対する耳が非常に良くて、音階を完全に理解している。エンジニアの達人だよ。スパッドはまさに第5のメンバーだ。彼がいなかったらこれはまったく別のプロジェクトになっていた。
 スパッドと初めて一緒に仕事をしたのは、2015年に「パーラー(The Parlour)」という音楽番組で演奏し、その中の1曲 “Rosie Riley” のヴィデオを作るときだった。スパッドはそのヴィデオのサウンド・エンジニアを担当したんだけど、そのときに、ランクムに欠けていた低音域の音をうまく引き出してくれたんだ。


Lankum “Rosie Reilly” [Live at The Parlour]

 当時の俺たちは、扱っている楽器がシンプルだったということもあって、みんなそれぞれひとつかふたつくらいの楽器しか演奏していなかった。いまではみんな10種類くらいの楽器を各人が扱っているけどね。当時の俺たちはそんなミニマルな編成だったわけだが、スパッドはその音を聴いて、ベース音を引き出したり、それ以外の素敵な要素を引き出し、EQで音質の補正をおこない、完璧なサウンドにしてくれた。そのことがあって以来、俺たちのサウンドは急速に良くなり、ドローンや低音域のサウンド、サブベース音などを追求するようになった。俺たちはいまでもその旅路を続けているのだと思う。スパッドの存在なしでは不可能だったことだ。彼はいまでは俺たちのライヴ音響もやっているんだよ。スパッドに頼む前までは他の人にやってもらっていたんだけど、彼のように明確なヴィジョンを持っている人はあまりいなかったと思う。他の人は「あるバンドのためにライヴ音響をやっている」という普通のお仕事スタンスだったけれど、スパッドが担当になったときは、「ランクムのサウンドはこういうものだ」というヴィジョンが彼の中にすでにあった。そして幸運なことに、そのヴィジョンは俺たちが描いているものと同じだった。彼と一緒にこのような旅路ができていることを嬉しく思うよ。

今作では、初めてジャケットにメンバーの写真が使われていますね。しかも撮影は、あのスティーヴ・ガリック(Steve Gullick)で。

IL:ハハッ、そうなんだよ、なぜだろうな(照れ笑い)。確かにバント・メンバーの写真を使ったのは今回が初めてだね。俺たちがティーンエイジャーの頃は、彼が撮ったニルヴァーナやブリーダーズといったバンドの写真を自分たちの部屋に貼っていたんだ。だから今回彼が撮影してくれることになったときは、素晴らしい機会だと思った。アルバム・ジャケットのコンセプトとしては、スティーヴ・ガリックが撮った写真と、ギュスターヴ・ドレによるイラストを使うということだった。スティーヴ・ガリックの写真はアイコニックだし、イラストも含めて全体的にとても良い感じに仕上がったと思う。撮影当日、彼はどんな写真を撮るかということについて、色々なアイデアを提案してくれたけれど、スティーヴ・ガリックが撮るなら絶対にかっこいいものになると信じていたから、俺たちからは特に何も伝えなかったよ。そして彼は期待通り、かっこいい写真を撮ってくれた。このアルバム・ジャケットからは、グランジ・バンドのような、90年代初頭っぽいテイストが感じられる。俺自身が当時のグランジ・ロックに目がなくて、特に12歳から14歳くらいの頃はそういう音楽を熱心に聴いていたということもあり、あの時代の美的感覚がたまらなく好きなんだよ。

スティーヴ・ガリックが撮影したジャケット例
https://www.discogs.com/ja/master/18393-Nick-Cave-The-Bad-Seeds-The-Boatmans-Call
https://www.discogs.com/ja/master/611610-Gallon-Drunk-Black-Milk
https://www.discogs.com/ja/master/178891-The-Waterboys-A-Rock-In-The-Weary-Land
https://www.discogs.com/ja/master/77388-Richard-Ashcroft-Alone-With-Everybody
https://www.discogs.com/ja/master/166975-Mercury-Rev-Little-Rhymes
https://www.discogs.com/ja/master/8066-Bonnie-Prince-Billy-Master-And-Everyone

海のような潮の満ち引きが感じられるようにしたかった。だから意図的に、ダークで強烈な曲の次には、波が引くようにリラックスした曲を配置し、その次は、また強烈な感じの曲にするという構成にしたんだ。

今回ゲスト参加したミュージシャンについて具体的に教えてください。

IL:ゲスト・ミュージシャンは何人かいるが、特に印象的だったのはアイルランド人コンサーティーナ奏者のコーマック・ベグリー(Cormac Begley)だね。彼はソロ・アルバムも数枚出している。様々な種類のコンサーティーナを持っていて、大型のベースのようなコンサーティーナをよく使っている。彼はリズムに対する感覚が特に素晴らしいんだ。④“Master Crowley's” では、コーマックとレイディ、レイディの妹のサイド・ピートが3人一緒にコンサーティーナを演奏している。あとこれも身内の繋がりなんだが、フィドルのコーマック・マクディアーマダの兄のジョン・ダーモンディが数曲でドラムとパーカッションを演奏している。実は俺は1996年くらいに、ジョンとパンク・バンドを一緒にやっていたんだ。だから彼がアルバムに参加してくれたのはとてもクールだった。


Cormac Begley “O'Neill's March”

 それから、アメリカのノースカロライナ州在住のシンガー・ソングライター、アンディー・ザ・ドアバム(Andy the Doorbum)にもゲスト・ヴォーカルで参加してもらった。彼の音源データをアメリカから送ってもらったんだけどね。俺たちは長い間、彼の音楽の大ファンだったんだ。ランクムが前回アメリカをツアーしたときは、彼も同行し、移動の運転を引き受けてくれたり、ライヴにも参加してくれたんだ。


Andy the Doorbum “Wolf Ceremony and the Howling”

楽器や機材の点で、これまでと違う新しい試みは何かありましたか?

IL:新しい試みや実験的なことは今回たくさんやったよ。前作で使われていた基本的な楽器は、ギター、フィドル、ヴィオラ、コンサーティーナ、アコーディオン、イリアン・パイプスだったけれど、今回は、パーカッションやダルシマーを多くの曲で使用したり、俺がハーディ・ガーディを多用したりもした。バンジョーやギターのボウイング奏法も多くやったね。それからイリアン・パイプスにマイクを入れて、それをペダルボードにつなげて、ディストーションやディレイやリヴァーブのエフェクトを実験的に加えたりもした。その他、タスカムの4トラックのカセット・マシーンを使ってテープ・ループ機能で実験し、その素材でアンビエントなテクスチャーを作ったし、フィドルの弓でピアノの弦を擦って音を出してみたりもした。こんな感じで、楽器を変則的に扱って実験的な音遊びを続けていたから、スタジオの所有者が中に入ってきたときに、慌ててピアノの中のフィドルの弓を隠したなんてこともあったよ(笑)。あと、部屋で歌っているときの共鳴音を、ピアノの弦からのみ録音したりとか。ファウンドサウンド(自然音などのサンプル集)の音源を使うこともやった。ある曲の中には、セロリが育つ音がピッチダウンされた状態でどこかに忍ばせてあるんだよ。そういう細かいことをたくさんやったから、今回のアルバムではどの曲も、ものすごい数のレイヤーが含まれている。だからこそ、スパッドの細部にこだわる性格にはとても助けられた。俺たちはとにかく色々なことを試しては、トラックを次々に録っていっただけだったからね。たとえば、俺はハーディ・ガーディで20の異なるトラックを1日で録音したりした。弦のチューニングを上から順に動かしてやったり、1本の弦だけをずっと弾いてみたりも。そんな音源をスパッドは整理して、俺たちが録音した荒素材からトラックを作っていってくれたのさ。とにかく自分たちが持っている楽器とスタジオで使える楽器すべてを録音したいという思いがあった。俺が一番楽しいと感じられる瞬間だったね。色々な楽器のサウンドやノイズに没頭して迷い込む……そういうことに瞑想的な効果を感じるんだ。たとえば、パイプのドローン音を2時間くらいずっと録音し続ける。ただそこに座ってパイプのドローンだけに没頭するんだ。俺が一番好きな午後の時間の過ごし方さ。そういうのが大好きなんだ。

① “Go Dig My Grave” はアメリカのアパラチアン・フォーク・シンガー、ジーン・リッチー(Jean Ritchie)の音源を参考にしたそうですが、他4つのトラッド・ソング④⑤⑧⑨の参照出典を教えてください。また、それらの原典の中で、特に思い入れのある作品/楽曲/ミュージシャンと自分との関わりについて、何か面白いエピソードがあったら、教えてください。


Lankum “Go Dig My Grave”

IL:⑧ “The New York Trader” は俺が知っていた曲で、ルーク・チーヴァーズ(Luke Cheevers)というアイルランドのトラッド・シンガーが歌った音源を参考にしている。俺たちは彼の音源を聴いて、曲を学んだんだ。いまでは彼と交友関係にあるけれど、彼が実際に歌っているところを見たことはなくて、1980年代に彼がパブのセッションで歌っている音源しか聴いたことがない。俺たちは、その音源が昔から好きだったんだ。この曲は制作初期にできた曲で、レコーディング開始の最初の週に完成させた。


Lankum “The New York Trader”

 ⑨ “Lord Abore and Mary Flynn” ではフィドルのコーマックがリード・ヴォーカルをとっているが、俺も以前は歌っていた。この曲は、イングランドやスコットランド由来の古い歌を集めた『チャイルド・バラッド(The Child Ballads)』という本(アメリカの文献学者フランシス・ジェイムズ・チャイルドが19世紀後半にまとめた民謡集)に収録されている。ブリテン諸島やアメリカなどでは伝統として残らず、民俗学者たちはもう継承されていないと思っていたんだけど、70年代初めにトム・モドリーというソング・コレクターが、この曲をダブリンのパブで誰かが歌っているのを聴いて衝撃を受けたらしい。それが唯一録音されている伝統的なヴァージョンだそうだ。だからこの曲はダブリンとも関連がある。母親が自分の息子と彼のガールフレンドに嫉妬して、息子を毒殺してしまうというとても悲しくて美しい物語歌だ。


Lankum “Lord Abore and Mary Flynn”

 ④ “Master Crowley's” はレイディ・ピートが幼い頃、コンサーティーナ奏者のノエル・ヒル(Noel Hill)から直接教わったものだ。この先生は、クレア州出身の非常に有名なコンサーティーナ奏者だよ。


Lankum “Master Crowley's”

 そして⑤ “Newcastle” は弟のダラグがルームメイトから教わった曲だ。彼の名はショーン・フィッツジェラルド(Sean Fitzgerald)といって、デッドリアンズ(The Deadlians)というダブリンのフォーク・ロック・バンドで活動している。数年前にショーンがこの曲を録音して、ダラグがそれを気に入ったんだ。


“Newcastle” を収録した The Deadlians『Ruskavellas』

 実は最初はダラグが歌ったものを録音したんだけど、レイディが歌った方がいい感じだったからレイディの声を採用した。俺たちはいつも、「誰が何をやるべきか」ということにこだわりすぎないで、音にすべてを委ねて、一番良いと思うサウンドを目指している。誰がどの曲を歌うとか誰かの見せ場を作るとかは重要視していない。それがランクムの良いところだと思っている。個人のエゴが音楽の邪魔をしないというか、「俺はこれがやりたい」とか「これは私がやる」というよりも、みんながバンドにとって最適なサウンドを求めているんだ。


Lankum “Newcastle”

⑧ “The New York Trader” は途中で一度途切れ、後半でよりロック的なサウンドになりますが、こういう構造にした理由、目論見について教えてください。

IL:これは自分でも最近よく考えていることなんだけど、俺たちのアレンジの仕方、特に伝統的な曲をアレンジする場合は、映画音楽を作っているようなイメージなんだ。つまり、曲の感情的な部分を、ときには絶妙に、また、あるときには強烈に引き出したいと考えている。映画音楽を制作するということは、映画監督が描くストーリーを表現する手助けをしているということだ。そこには、観衆を絶妙に導いていく役目があり、観衆がどう感じるべきかをダイレクトに主張するのとは違う。物語を優しく語る手助けをする。俺たちが伝統的な曲をアレンジする時は、そういうアプローチに近いものがあると思うんだ。“New York Trader” が一度中断し、途中からヘヴィーな感じになる箇所は、海で嵐に巻き込まれている様子を再現しようとしたんだ。曲の中で起こっている事柄に音楽の感じを合わせるようにしたのさ。

つなぎの3つのインスト曲 “Fugue” を含め、アルバム全体の構成と流れがかなり緻密ですが、この点についてはかなり意識したんでしょうね。

IL:俺たちは、アルバムというひとつの作品として機能するものを作りたいと思っている。最近の若い人たちはアルバムを通しで聴かずに、ストリーミング・サービスで自分が聴きたい曲しか聴かないなどとよく言われているから、そういう意味ではランクムは古風なのかもしれない。でも俺たちがアルバムを作るときは、やはりひとつのアルバムとして完結しているものを作りたいと思うんだ。ひとつの旅路のようなアルバムというか。今回のアルバムのコンセプトとして念頭にあったのは、「海」のようなものにしたいということだった。先ほども「海」との関連性について触れたけど、アルバム全体で海のような潮の満ち引きが感じられるようにしたかった。だから意図的に、ダークで強烈な曲の次には、波が引くようにリラックスした曲を配置し、その次は、また強烈な感じの曲にするという構成にしたんだ。あと、どの順番がいい流れに聴こえるかということも重要だった。だから、今回録音した曲の中にはアルバムの枠組みに収まらなかったものもいくつかあったから、アルバムから外すという選択をした。曲単体としては非常に良いものでも全体の構成に合わないものはアルバムに含めないで、またの機会に使うことにしたんだ。

ランクムと並ぶ、現在のアイリッシュ・フォークの新しい旗手たち──イェ・ヴァガボンズ(Ye Vagabonds)、ジュニア・ブラザー(Junior Brother)、リサ・オニール(Lisa O'Neill)が最近立て続けに新作を発表しました。こういった他ミュージシャンたちとの連帯意識と、実際の活動状況(共演とか)について教えてください。

IL:俺たちは、いま、挙げられたイェ・ヴァガボンズともジュニア・ブラザーともリサ・オニールともダブリンのセッションを通して仲良くなったからみんな友だちだよ。俺たちはみんなアイルランドの伝統に魅力を感じ、大なり小なりのインスピレイションを受けているという点においては共通していると思う。けれど共通しているのはその点だけで、バンドとしてのアウトプットはそれぞれとても違うものなんだ。音楽に対するそれぞれの嗜好や感性もかなり違うと思うし。彼らとの共通点は、アイルランドの伝統を扱っているということだけだね。もしイェ・ヴァガボンズを街のセッションで見かけたら、一緒に曲を歌ったり演奏したりすることはあると思うけれど、俺たちがアルバムで表現したいことや、バンドとしてやっていきたいことは、彼らのそれとはまったく違うことだと思うんだ。だからこれらのバンドが何らかのシーンを形成しているというよりも、そこには、友人同士のゆるいつながりがあって、それは音楽的というよりも社交的なつながりという感じがするな。

この新作に自分でキャッチ・コピーを付けるとすれば?

IL:そんなことはしないよ(笑)。俺は、自分が作った音楽を言葉で説明するのが好きではないというか、そもそも苦手だし。俺はとにかくノイズを出して音に迷い込んでいたい。ただそれだけなんだ。その音楽をどのように説明するか、どのようにカテゴライズするのかは他の人に任せたい。俺にはできないから。俺は様々な音楽やジャンルからインスピレイションを受けたり、色々なアイデアを思いついたりするけれど、それをいちいち切り離して、ひとつずつ理解しようとはしないんだ。様々な要素がごちゃ混ぜになった自分の音楽を作り、「はい、できあがり! めちゃくちゃだけど俺はこれに納得してるからそれでいい」、そんな感じなんだ。いつか日本に行く機会があればと願っているよ!

Alva Noto - ele-king

 アルヴァ・ノトの新作情報がアナウンスされている。タイトルは『Kinder Der Sonne』で自身のレーベル〈NOTON〉より5月5日リリース……とのことなのだけれど、収録される14曲はスイスの作家サイモン・ストーンによる舞台作品『Komplizen』のために2021年に作曲されたものだという。
 タイトルの『Kinder Der Sonne』は英訳すると『Children Of Sun』で、文豪ゴーリキーがロシア革命の年にものした戯曲『太陽の子』に由来している。どうやらサウンドのほうも登場人物たちが遵守したり抵抗したりしている複雑な社会規範を反映しているようだ。
 現在、リード・トラックの “Die Untergründigen(=アンダーグラウンド)” が公開中。演劇作品ともども注目しておきたい。

artist: Alva Noto
title: Kinder Der Sonne
label: NOTON
format: CD, Digital, Vinyl
release: 5 May 2023

01. Kinder Der Sonne - Intro
02. Verlauf
03. Die Untergründigen
04. Sehnsuchtsvoll
05. Ungewissheit Im Sinus
06. Kinder Der Sonne - Reprise
07. Unwohl
08. Sehnsuchtsvoll - Reverso
09. Ungewiss
10. Aufstand
11. Die Untergründigen - Redux
12. Virus
13. Son
14. Nie Anhaltender Strom

https://noton.info/product/n-058/

Todd Terje - ele-king

 少しずつ暖かくなっていきますね。春の予定は決まっていますか? そろそろファースト・アルバム『It's Album Time』から10年が経ちそうですが、きたるゴールデンウィーク、ノルウェイからニューディスコの王者トッド・テリエがやってきます。5月3日から6日にかけ岡山、東京、大阪の3都市を巡回するツアー。今回はDJとしてのプレイです。詳細は下記をご確認ください。

Todd Terje Japan Tour 2023

北欧NUディスコシーンの牽引者、Todd Terje (トッド・テリエ)の来日ツアーが決定!
代表作「Inspector Norse」を始め、「Eurodans」「Ragysh」「Snooze 4 Love」「Strandbar」といったヒット作で知られ、米ローリングストーン誌の「世界のトップDJ25人」のひとりに選ばれた。
アルバム『It's Album Time』収録曲「Alfonso Muskedunder」がテレビドラマシリーズ『Better Call Saul』シーズン3・エピソード3で使用されている。
2020年にはイラストレーター、Bendik Kaltenbornによる短編映画『LIKER STILEN』のサウンドトラックを担当した。

Todd Terje Japan Tour 2023

5.3(水/祝) 岡山@YEBISU YA PRO

DJ: Todd Terje (Olsen Records / from Norway) and more

Open 22:00
Advance 4000yen
早割チケット 3/14(火)10:00~ 3/24(金)23:59まで
一般チケット 3/25(土)10:00~
Door 5000yen
早割 3000yen
※ドリンク代別途要

Info: Yebisu Ya Pro http://yebisuyapro.jp
岡山市北区幸町7-6ビブレA館 B1F
TEL 086-222-1015

5.4(木/祝) 東京@ZEROTOKYO
- B4 Z HALL -


Todd Terje (Olsen Records / from Norway)
SPECIAL SECRET GUEST
CYK


REALROCKDESIGN

Open 21:00
Close 4:30
Advance 4500yen
Door 6000yen

Info: ZEROTOKYO https://zerotokyo.jp
東京都新宿区歌舞伎町1-29-1 東急歌舞伎町タワー B1-B4

5.6(土) 大阪@CLUB JOULE

=2F=
DJ:
Todd Terje (Olsen Records / from Norway)
AKIHIRO (NIAGARA)
SSSSSHIN

PA: Kabamix
Lighting: Gekko Abstract

=4F=
DJ:
SISI (Rainbow Disco Club / Timothy Really)
GUCHI (WALLS AND PALS)
misty
Ashikaga (C2C)
MIYUU

FOOD: KitchenMUMU

Open 22:00
Advance 3300yen
Door 4000yen

Info: CLUB JOULE https://club-joule.com
大阪市中央区西心斎橋2-11-7 南炭屋町ビル2F
TEL 06-6214-1223

Total Info: AHB Production http://ahbproduction.com

<アーティスト詳細>
TODD TERJE (Olsen Records / from Norway)

ノルウェー、オスロ在住のプロデューサー/DJ/ソングライターであるTODD TERJE(トッド・テリエ)。
数々の傑作リエディットでその名を知られ、本人によるリエディットやリミックス作品で構成されたベスト盤的コンピレーション&ミックスCD 『Remaster Of The Universe』がリリースされている。リエディットだけでなくオリジナル作品でもその才を発揮し、「Eurodans」「Ragysh」「Snooze 4 Love」はクラブアンセムとなった。『It’s The Arps』EP収録曲、「Inspector Norse」は世界的ヒット作となり、彼の代表曲である。
2014年、ファーストフルアルバム『It's Album Time』をリリース。ソロライブやフルバンドTHE OLSENSを率いてライブ・アクトとしても活動してきた。
2016年、TODD TERJE & THE OLSENS名義でのカヴァーEP『The Big Cover-Up』をリリース。
2020年、今回のツアーイメージを描いたイラストレーター、Bendik Kaltenbornによる短編映画『LIKER STILEN』のサウンドトラックを担当した。

● Todd Terje アーティストリンク
Web http://toddterje.com
Instagram https://www.instagram.com/toddterje
Facebook https://www.facebook.com/ToddTerje
Youtube https://www.youtube.com/@ToddTerje

Keiji Haino - ele-king

 NYにファンデーション・フォー・コンテンポラリー・アーツ(FCA)なる財団がある。1963年にジョン・ケージや画家ジャスパー・ジョーンズらによって創設された非営利団体で、8つの賞の授与をつうじて芸術家を支援することを目的としている。
 そのうちのひとつにポップアートの代表的な画家、ロイ・リキテンスタインの名を冠した賞があり、これまで詩人でありブラック・スタディーズの研究者でもあるフレッド・モーテン、フェミニズムやLGBTQにまつわる表現をつづけてきた写真家のイヴ・ファウラーなどが受賞しているのだが、その2023年度の受賞者として灰野敬二が選ばれることになった。音楽家としては初の受賞となる。国境を越え、音楽に留まらずさまざまな分野の芸術家たちとコラボレーションをおこなってきた、その50年以上にわたる活動が評価されたということなのだろう。
 昨年70歳を迎えた灰野敬二。コロナ禍以後、海外ツアーには出ていないものの、昨年の国内でのライヴは46本と近年でも最多。最新リリースは〈サブ・ポップ〉からの7インチ・シングル、そして2016年に深センでドイツのファウストと演奏したライヴ・アルバム(2LP+CDのボックスセット)。まだまだ衰えることはなさそうだ。

音楽家・灰野敬二が2023年度ロイ・リキテンスタイン賞を受賞(米ファンデーション・フォー・コンテンポラリー・アーツ)

 ニューヨークのファンデーション・フォー・コンテンポラリー・アーツ(Foundation for Contemporary Arts/FCA)は2月15日、2023年度の助成芸術家を発表し、音楽家の灰野敬二がロイ・リキテンスタイン賞(Roy Lichtenstein Award)を受賞することが決定した。
 FCAは芸術家個人の支援を目的として、作曲家のジョン・ケージと、画家のジャスパー・ジョーンズによって1963年に創設された非営利組織。設立当初より、アール・ブラウン、マース・カニングハム、コーネリアス・カーデュー、メレディス・モンク、トリシャ・ブラウン、スティーヴ・ライヒといった数多くの芸術家への支援を行い、1993年には、ダンス、音楽/サウンド、詩、ヴィジュアルアーツ、パフォーマンスアート/演劇と、広範囲にわたる芸術家への助成金プログラムを公式化した。
 2023年度の助成対象者には、長年FCAと関わりのある芸術家にちなんだ8つの賞、マース・カニングハム賞、ヘレン・フランケンサーラー賞(絵画部門)、ロイ・リキテンスタイン賞、リチャード・パウセット・ダート賞(本年度より新設)、ロバート・ラウシェンバーグ賞、ドロテア・タニング賞、サイ・トゥオンブリー賞(詩部門)、C.D.ライト賞(詩部門)の受賞者が含まれる。対象となった21人の芸術家全員にそれぞれ45,000米ドルの助成金が贈られる。
 灰野が受賞したロイ・リキテンスタイン賞は、ポップアートを代表する画家リキテンスタインの精神を反映すると認められた優れた活動や業績に対して贈られるもので、2018年に創設されて以来、毎年候補者の中から非公開の選考によって決定される。過去の受賞者は、フレッド・モートン(詩)、アンディ・ロバート、イヴ・ファウラー、コンスタンティナ・ザヴィツァノス、フレデリック・ウェストン(以上、ヴィジュアルアーツ)で、音楽家の受賞は灰野が初となる。
 FCAのウェブサイトに英文で掲載されているアーティスト・ステートメントとバイオグラフィの原文は以下の通り。

【アーティスト・ステートメント】
わたしと 今 どっちがどっちに にじんでいる

1というものを成就させる事によって、次を必要としているか、さらにその次に動きたいか。1を成就させてあげれば、次(2)は全く違う次(2)を隣に呼びたいでしょう。そのとき、呼ばれるものをそれぞれ速度の違う、形状も違うものを呼びたいと思うでしょう。それが数字(メトロノーム)に表せない、人が理解しにくい一番深い今として現れます。そのことを人々は間という言葉で片づけてしまいます。私も説明がしきれないので、そのように呼んでいました。

特に私のパーカッションの演奏について、人々は即興という形容をします。しかしそれは前記の如く一音一音を成就させていることであり、時には床を打つ、壁にジャンプする、自分の身体を楽器に近づける等の行為を行うことで、ひとつの宇宙を形成しようとしています。それはその場で考えながら行っていく作曲とも編曲ともさらに変容(憑依)とも言い切れない試みです。音楽と呼ばれているものが次の何かになっていくことです。

私が考えていることは、全ての呼吸をしているものと繋がりたいということです。そして、それは呼吸をしていない全てのものともつながる為の修行だと思っています。
2022年12月

【バイオグラフィ】
 灰野敬二は、一つ一つの音の発生を唯一かつ不可逆的とみなす音楽的一元論を標榜する音楽家で、その実践は作曲とパフォーマンスの区別を消滅させ、(楽譜の)再現と即興という両方の概念を無効化する。彼はロックからインスピレーションを受け取っているが、それはロックから否定性、固着性、復讐心を除去した上でのことである。灰野の独自のテクニックはギター、ハーディ・ガーディ、その他の弦楽器、管楽器、打楽器、DJ機器、エレクトロニクスなどの性能を極限まで引き出し、あらゆるジャンル、スタイル、伝統の自由な探究、コラボレーション、実験を可能にしている。
 灰野は当初アントナン・アルトーに触発され演劇を志したが、ザ・ドアーズに遭遇し音楽に転向。以来ブラインド・レモン・ジェファーソンをはじめとする初期ブルース、ヨーロッパ中世音楽から歌謡曲まで幅広い表現を検証し吸収した。
 1970年、エドガー・アラン・ポーの詩から名を取ったグループ「ロスト・アラーフ」にヴォーカリストとして加入。また、ソロで自宅録音による音源制作を開始、ギター、パーカッションを独習。1978年にロックバンド「不失者」を結成。滲有無、哀秘謡、Vajra、サンヘドリン、静寂、なぞらない、The Hardy Rocksなどのグループでも活動し、デレク・ベイリー、ペーター・ブロッツマン、リー・コニッツ、ジョン・ダンカン、フレッド・フリス、チャールズ・ヘイワード、ローレン・コナーズ、ジョン・ゾーン、ファウスト、ジム・オルーク、スティーヴン・オマリー、オーレン・アンバーチ、SUMAC、Boris、巻上公一、メルツバウ、大野一雄、田中泯、勅使川原三郎など様々な音楽的、芸術的バックグラウンドの芸術家とコラボレーションを行っている。
 灰野はこれまでに200点を超える音源を発表しており、ライブ・パフォーマンスは確認されただけでも2,000回以上を数える。


関連リンク(FCAウェブサイト)
2023年度ロイ・リキテンスタイン賞 灰野敬二(音楽家)
https://www.foundationforcontemporaryarts.org/recipients/keiji-haino/
ロイ・リキテンスタイン賞 これまでの受賞者一覧
https://www.foundationforcontemporaryarts.org/recipients/grant/roy-lichtenstein-award/
助成アーティスト一覧
https://www.foundationforcontemporaryarts.org/recipients/?page=2&limit=20

interview with Kelela - ele-king

自分はジャズ・シンガーになるんだと思っていた。でも、インディ・ロックもジャズも、実験的で自由なように思えて、じつはすごく保守的。フリー・ジャズとかも、音的には形は自由かもしれないけれど、服装や演出の面ではスタイル的にコントロールされていると思う。

 掛け値なしに素晴らしいアルバムだ。ケレラ・ミザネクリストスの、実に5年ぶりのニュー・アルバム『RAVEN』。ここには──素晴らしい作品が常にそうであるように──個人的な経験や生々しい現実の語りと、内面世界の探究の結晶化の両方がある。「私」と外の世界との摩擦から生じたもがきや苦しみ、そして、ひとり部屋に閉じこもって、ときには涙を流しながら音やテキストと戯れて深めた思索。『RAVEN』は、彼女の外にも中にも存在しているそういった二面性、多面性を積極的に肯定する作品だ。

 キーになっているのは、ブラック・フェミニズムやインターセクショナリティについての思惟である。2022年9月、まだアルバムのリリースすらアナウンスされていなかった頃、『デイズド』に載ったインタヴューには、『RAVEN』を理解するためのヒントが散りばめられている。たとえば、序文には、彼女が、黒人差別やフェミニズムに関する本、ポッドキャスト、動画などの詰め合わせを友人や家族、ビジネス・パートナーたちに送った、と書かれている。自身が学んだことを人びととシェアして、自分が所属する小さなサークルから少しでもベターな社会を構築していくための、ささやかでたしかな行動。『RAVEN』は、そういった抵抗と対話のアクションの延長線上で、ケレラからリスナーの手に直接渡された小包のような作品でもある。

 さらに、次のインタヴューでは、彼女が誰に語りかけているかを明言している。歌詞は、黒人たち、女性たち、ノンバイナリーたちのためのものだと。そして、明確な対象に語りかけているそれらの言葉は、そうであるからこそ、誰にとっても力強く歌えるものなのだ、とも言う。バラバラに散らばって、疎外され、抑圧された「ひとりたち」のあいだに細い糸を通して結びつけ、小さくひそやかな声で交信すること。ケレラの音楽は、差異と分断の時代に、差異と分断を前提にしながら、苛烈な闘争と政治のその先を優しく提示しているようにすら思える。

 だからこそ、『RAVEN』は、アップリフティングなダンス・アルバムでもある(まるで、ビヨンセの『RENAISSANCE』のように)。“Happy Ending” の扇情的なジャングルから “On The Run” のセクシーなレゲトン、“Bruises” のミニマルなハウス、“Fooley” のダブまで、ダンス・カルチャーやレイヴへの愛に満ちている。彼女はダンス・ミュージックの逃避性について「クラブは現実を知るための場所だ」と言い切るが、その言葉はクラブの音楽やカルチャーについての、とても誠実で聡明なコメントだと思う。そうでありながらも、ここでは、たゆたうアンビエントR&Bすらも等価に溶け合っている。ケレラはいま、サウンドの海を自由に泳ぎまわっているのだ。

Cut 4 Me』(2013年)や『Take Me Apart』(2017年)の頃から考えると、彼女はずいぶん遠くまで来た。言い換えれば、彼女の新たな音楽の旅がここからはじまっている、とも言える。さあ、あなたもオールを握って、ケレラと新しい海に漕ぎだそう。ただ、そこに浮かんでいるだけでもいい。目の前には、苦痛も涙もよろこびも受け入れる、穏やかな場所がある。

エレクトロニック・ミュージックは白人の判断が基盤になっていて、「白人、テクノ、ストレートな男」みたいなイメージがあるし、一方で伝統的なR&Bやソウル・ミュージックを聴くのは黒人女性のイメージで、そういう人たちはエレクトロニック・ミュージックは聴かない。私はずっと、このふたつの間でつねに交渉をしているような状態だったんです。でも、「もういいや」と思えた。

こんにちは。本日はよろしくお願いします。そちらは朝ですよね?

Kelela:そう。もしかして私の声でわかったとか(笑)? 昨日ニューヨークからロンドンに来たところで、まだこっちの時間に慣れようとしているところで(笑)。

そうなんですね(笑)。早速インタヴューをはじめさせていただきますが、『RAVEN』は本当に素晴らしいコンセプト・アルバムでした。ダンサブルなのに、聴いていると、あなたの内面世界に深く導かれたような気分になります。

Kelela:ありがとう。

まず、アルバムについて具体的にお聞きします。一貫した流れを感じるダンス・アルバムだと感じるのですが、ダンス・カルチャー、クラブ・カルチャーからあなたが得たもの、学んだことを教えてください。

Kelela:まず、私が初めてダンスやクラブ・カルチャーに触れたときのことを思い出すと、私は普通とは違うレヴェルのパーティーに足を踏み入れていたんですね。説明するのがすごく難しいんだけれど、LAには本当に様々なクラブ・シーンがあって。言語は同じだったかもしれない。けれど、ストレートな白人によるテクノ・シーンと、私がLAに来たときに初めて衝撃を受けたダンス・ミュージックの空間は全く違うものでした。私が入り込んだダンス・ミュージック界にはいろんなタイプの人たちがいたんです。アメリカには、ブラック・ダンス・ミュージック限定の空間もある。でも、私が通っていたのは、そっちでもなかった。ハウス・ミュージックやテクノをベースとした音楽が多いなか、私が通っていたのは、フリークス(変わり者たち)がいる空間だったんです。つまり、エキセントリックなキャラクターや様々なバックグラウンドを持つクィアたちが集まっていて、とてもミックスされた空間だった。

なるほど。

Kelela:でも、私のクラブ・カルチャーの経験でいちばん印象的だったのは、「匿名性」ですね。初めて本物のパーティーに足を踏み入れたような感覚を覚えたんです。その空間に私を連れてきてくれたのは、私の友人のアシュランド(トータル・フリーダム)です。彼は、私を誘い込んだ張本人で、私のレコーディング・セッションに立ち会っていたことがあるらしく、私が歌っているところを目撃したときに、そのシーンが私に合うと思ったみたいで。あれは、大晦日のパーティーでした。当時はLAにぜんぜん友だちもいなくて、ひとりで過ごすことも多かったし、ちょうど別れを経験したところでもあったから、彼にメッセージを送ったんです。私は、そのときはまだ彼のことをよく知らなかったんだけど、メッセージを送ってみたら、彼からの返事に書いてあったのは、4つの数字と住所だけ。

えっ(笑)!?

Kelela:すごくミステリアスな文章に惹かれて、私はその家に行ってみたんです。そしたら、そこがとにかく巨大な家で、びっくり。それで、入ってみると、本当にたくさんのキャラクターがいて。コスプレしてる人もいれば、仮面をかぶっている人もいるし、とにかくいろんなキャラクターがいて、本当に楽しかった。そして、「この場所では自分がなりたいものになれる」という感じがしました。判断や批判をされることもなく、他人とちがうことをしたり、変わった方法で自分を表現したいと思ったりすることで、仲間外れにされることもないんだって。他にも経験したダンスやクラブ・カルチャーのシーンはあるけれど、それが私がLAにきて入り込んだ空間でした。

素晴らしい経験ですね。

Kelela:私が音楽を作りはじめたとき、その基盤は、私がそのシーンに触れる前から築かれていたと思う。ジャズもそうだし、どのように実験し、どのように音楽を作るのかを教えてくれたものは、たくさんあるから。でも、あのシーンは、私になんの制限もない居場所を与えてくれたように感じます。そして、もっと探求できる方法があることに気づかせてくれた。最終的に、自分にはいろいろな姿があるんだ、と思えるようになったんです。それまでは、自分はジャズ・シンガーになるんだと思っていたけど。私はポスト・バップ系のジャズ・シンガーになるんだろうなって。でも、インディ・ロックもジャズも、実験的で自由なように思えて、じつは、実験をしながらもすごく保守的。彼らの実験は特定の枠のなかでおこなわれていて、私にはジャズにも音楽のルールがある気がして。フリー・ジャズとかも、音的には形は自由かもしれないけれど、服装や演出の面ではスタイル的にコントロールされていると思う。それに、ジャズ・ミュージシャンになると、ジャズ・ミュージシャンとしてジャズの空間に追いやられているようなところもあるんじゃないかと。ジャズ・シンガーがダンス・ミュージックやポップ・ミュージック、インディ・ミュージックのような世界に進出するのは難しいし、稀なことなんですよね。いまでこそ、少しはそれができるようになってきたかもしれないけれど、当時はとても無理な話だった。そういう意味でも、他のシーンは、将来は他のサウンドを追求したい、実験してみたいと思っていた私にとっては、良い踏み台にはならなかったと思う。

そうだったんですね。

『Aquaphoria』は、初めて存分にアンビエント・ミュージックの実験ができたレコードなんです。あのレコードで私は、アンビエント・ミュージックを完全に探求することを自分自身に許したんですね。『Aquaphoria』を作ったあとも、あの感覚から抜け出せなかったんですよね。

Kelela:あと、私は、自分に本当にヘヴィでハードなプロダクションが必要なこともわかっていました。私の声は風通しがいいというか、柔らかいんですよね。だから、私が一生懸命に叫んで、声で怒りを表現しているときでも、なんだかかわいらしく聞こえてしまう(笑)。なので、基本的には、自分の声とプロダクションでバランスを取りたくて。それが、よりヘヴィなプロダクションを選んだ大きな理由のひとつです。それは、さっき話したダンス・シーンが私に与えてくれたもののひとつだと思う。最初にそのシーンに触れたときの衝撃は、私にとってすごく爽快なものだったし、すごく豊かだった。だから、このシーンに惹かれたんです。このシーンは、遠くに飛躍するための本当に自由なキャンバスを私に与えてくれたし、そのキャンバスの上ではなんでも探検できるような気がして。『Aquaforia』(2019年に〈ワープ〉の設立30周年を記念しリリースされたミックスで、エングズエングズのアスマラとの作品)はその典型的な例ですね。多くの人は、私がダンス・ミュージックを作っているから、ヘヴィなプロダクションで、純粋にソフトなアンビエント・サウンドを探求することには興味はないだろうと思うかもしれない。でも、私は『Aquaforia』で、そのキャンバスを皆に提供しようとしたんです。

『Aquaforia』は素晴らしいミックスでした。

Kelela:もうひとつは、クィアと黒人、黒人と女性であることを同時に経験するような、インターセクショナルな経験がある場合、その交差によって、様々な拠りどころや特異なアイデンティティを理解できるようになると思うんですよね。もちろん、ストレートの白人男性たちがみんな偏った考え方でセンスがない、というわけではないけれど、正直に言って、厳格さというものは、大抵の場合、白人性から生まれる。というのも、有色人種のクィアたちは、みんな白人社会の中で育ってきたから、多くの白人の拠りどころを理解しているんです。そして、それに加えて有色人種の間でも育ってきた経験のある彼らは、他の多くの拠りどころを理解することもできる。だから、私が投げかけるものがなんであれ、彼らはそれを理解しようとする気持ちがあるんです。それが、私が感じたダンスやクラブ・カルチャーの美しさだった。それは、私が音楽業界に入ったときのシーンの雰囲気や前例とは非常に対照的でした。私が最初にこのシーンに入ってきたときは、インディの全盛期のような雰囲気だったから。でも、LAに引っ越してきて、初めてそのカルチャーに出会ったんです。

よくわかりました。『RAVEN』のサウンドとビートは、ジャングルからUKガラージ、ダブなど、とても多彩ですよね。特に、ジャングルのビートが印象的でした。これらのダンス・ミュージックは、若い頃、思春期に出会ったものなのでしょうか?

Kelela:ダンス・ミュージックに関して言えば、アメリカのメインストリーム以外のものに初めて触れたのは、ナップスターが登場したとき。私は、周りで最初にナップスターをはじめたひとりだったんです。友だちと一緒にナップスターに夢中になっていて。大抵、周りは年上のお兄ちゃんやお姉ちゃんを通してそういう音楽を見つけていたけど、私には兄も姉もいないから、すべてはナップスターでした。当時、家のコンピューターが私の寝室にあって、私はそれを大きな特権だと感じていて(笑)。それで、寝る前にランダムにいろんなものをクリックして、音楽をダウンロードしていたんです。ダウンロードされるまで、何が出てくるかわからない。寝る前にサイコロを振って、朝にその目が出る、みたいな感じ。朝起きると、まるで抽選会みたいでした(笑)。運が良ければ、良いトラックに出会えた。ダウンロードがうまくいかなかったり、まだ70%しかダウンロードできていなかったり、ダウンロードできてもめちゃくちゃだったりするから。

ナップスターとは意外ですね(笑)。でも、世代的によくわかります。

Kelela:私はいろいろなものをダウンロードしていたけど、ある日アートフル・ドジャーの曲がダウンロードされてたのは、いまでも覚えています。それから、クレイグ・デイヴィッドの曲もたくさんあった。まだクレイグ・デイヴィッドがソロ・アーティストとして登場する前の話。彼の曲をベッドルームで発見したとき、そのプロダクションがあまりにも衝撃的で、信じられなかったのを覚えています。いま、説明しながら汗ばんじゃうくらい(笑)。新しい何かを見つけた感覚と、秘密というか、私だけの何かを自分で見つけたような気がして。イギリスではすごく人気だったんだろうけれど、ワシントンDCの郊外に住んでいた私にとっては、ものすごく大きな発見でした。そのあとから、それ系のダンス・ミュージックや関連するものを探し続けて。そうやって、自分にとって神秘的なものを見つけていったんです。「このスピードアップしたヴォーカルはいったい何!?」って思っていましたね。当時、アメリカにはそんな音楽はなかったから。インターネットがいまほどは普及していなかったから、美的感覚が太平洋を越えるのには、まだ時間がかかっていた時代だった。だから、私にとって、そういう音楽を見つけられたのは、すごくパワフルなことでした。

その話題につなげると、あなたは以前からUKのプロデューサーやシーンとの関わりが深いですよね。今回、特にUKのダンス・ミュージックの要素が色濃くなった理由は?

Kelela:今回のアルバムを作りはじめるとき、私は、「自分が望むものであれば、何をつくってもいいんだ」と思うことができていたんです。ヴォーカル曲みたいな領域から初めて、それをリミックスでダンス・ミュージックの領域に移動させたり、改めて解釈しようとしたりしなくてもいい、と思ったんですね。以前は、いまはいない観客を取り込むことに興味がありました。でも、同時に、R&Bが好きな人たちが留まることができるものを作りたかった。つまり、ヘヴィなヴォーカルの瞬間がある一方で、プロダクションが好きでエレクトロニック・ミュージックに傾倒している人たちも満足できるような音楽。だから、私は音楽を作りながら、その両者を満足させようと、ずっと考えていました。

まさに、それこそが、あなたの音楽のアイデンティティですよね。

Kelela:その理由は、私は自分がそのふたつのものに繋がっていると感じているから。このふたつは、私がやっていることの大きな柱なんです。でも、この二面性を行ったり来たりしてしまうと、一体どっちなのかがわからなくなってしまうので、なんとかできないかと考えていました。だって、そのふたつって、全然ちがうからね。エレクトロニック・ミュージックは、白人の判断が基盤になっていて、「白人、テクノ、ストレートな男」みたいなイメージがあるし、一方で伝統的なR&Bやソウル・ミュージックを聴くのは黒人女性のイメージで、そういう人たちはエレクトロニック・ミュージックは聴かない。だから、もし実験的な音楽が盛り込まれすぎていたら、彼女たちは、いったい何が起こっているのかって混乱してしまうかもしれない。それもあって、私はずっと、このふたつの間でつねに交渉をしているような状態だったんです。

なるほど。

Kelela:でも、『RAVEN』を制作しているときは、「もういいや」と思えた。難しく考える必要はなく、ふたつの場所を行き来しようとしなくても、自分がいる場所をそのまま表現すればいいんだって。直感的なものを書いて、サクサク進めていけばいいんだと思えたんです。ポップ・ライターと一緒に曲を書くつもりもなかったし、参考にするものも自分の身近に存在しているものでよかった。それもあって、自然に、いままででいちばんダンス・ミュージックにフォーカスしたレコードになったんだと思います。

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私は、泳ぐことができるんです。このアルバムで、私は、サウンドの海を泳ぎまわれているような気がします。アルバムを理解できない人や興味を持てない人がいても、そんなことはどうでもいい、と思えた。それを理解してくれる人たちだけに、何かを届けたいと思ったんです。

その一方で、ビートのないアンビエント的なプロダクションの曲も要所に配置されています。ドラムレス、ビートレスの曲にシンガーとしてどのようにアプローチしましたか?

Kelela:『Aquaphoria』は、初めて存分にアンビエント・ミュージックの実験ができたレコードなんです。あのレコードで私は、アンビエント・ミュージックを完全に探求することを自分自身に許したんですね。あのプロジェクトであそこまでアンビエントを感じ、それを探求できたことは、とても実りのある経験だった。だから、『Aquaphoria』を作ったあとも、あの感覚から抜け出せなかったんですよね。あのレコードを制作したあと、もっとアンビエントな音楽を聴きつづけて、特に2019年の秋はずっとずっとそういうものを聴いていたから、あのとき、私はまさにアンビエントのゾーンにいたんです。そして、そのときから OCA のレコードも聴きはじめたんだけれど、それはまるで、私が美しいゾーンにいるような感覚だった。それが『RAVEN』に引き継がれたんだと思います。

ええ。

Kelela:2020年の1月に、今回のアルバムの制作を始めた頃、OCA に声をかけました。OCA に「次のアルバムでもっとアンビエントを実験したい」と言ったら、彼らは「もちろん」と答えてくれたんです。しかも、彼らは、自分たちの曲の私のミックスを聴いて、「泣いた」とも言ってくれた。しかも、そこから深く影響を受けて私を気に入ってくれたらしく、じつは私が声をかける前から、私といつかコラボできたときのために、すでに曲を作ってくれていたんです。それを聴いて、私は「すごい!」と思いました。本当に美しくて、とても意味があった。そして、初めて彼らと一緒に作業をはじめたときは、もう魔法みたいな瞬間でしたね。アンビエントなサウンドを、実験しながら即興を乗せていく、すごくリッチな時間。

素敵なエピソードですね。

Kelela:私は、ハードなサウンドが好きな人も、ハードなサウンドだけが好きとはかぎらないと思うし、実際、みんな、柔らかさというものをどこかに求めていると思うんです。だから、私は、LSDXOXO のビート主体のトラックと、アンビエントでビートレスな私自身が探求したいサウンドを合わせて、その意味を見出そうとした。それをどうやったらいいのかはわからなかったけど、とにかく納得できるまでやってみようと思ったんです。そうやって夢中になって作業していると、その週の終わりには、15曲中13曲が完成していました。そして、それらの曲は、ビートをベースにしたトラックとアンビエントなトラックのあいだを行ったり来たりしていたんです。正直なところ、そのふたつの組み合わせがどう意味をなすのか私にも完全にはわからない。でも、説明のできない意味をなしているように感じるんですよね。とても自然に、それができ上がっていました。

そのふたつの同居こそが、このアルバムの肝だと思います。

Kelela:このアルバムは、私がアーティストとして生きている場所と同じ。私は、泳ぐことができるんです。このアルバムで、私は、サウンドの海を泳ぎまわれているような気がします。今回は、アルバムを理解できない人や興味を持てない人がいても、そんなことはどうでもいい、と思えた。それを理解してくれる人たちだけに、何かを届けたいと思ったんです。いまの私は、そんなふうに考えられるようになっている。そして、その場所にいることがとても幸せです。この場所にいたら、もっと良い音楽を作ることができると思うから。

私にとって、クラブは何かから逃げ、忘れる場所ではないんです。クラブは、現実を知るための手段であり、感情的な体験から抜け出すのではなく、むしろ、そこに入っていくためのもの。

「海を泳ぐ」ということに関連してお聞きすると、前作やそれ以前と比べて、あなたのファッションやヴィジュアル表現もずいぶん変化しましたよね。カヴァーアート(ジャケット)の写真は、プレス・リリースにある「社会の中で虐げられた黒人女性としての視点」というテーマを表しているように感じます。カヴァー写真が表しているもの、カヴァーの制作プロセス、『RAVEN』のヴィジュアル・コンセプトについて教えてください。

Kelela:あのアヴァターのことは知ってます? ケレラ・アヴァター。彼女は、何年か前からすでに何度か登場していて、最初のひとつはリミックス・プロジェクトでした。あのプロジェクトでは、私の顔を3Dスキャンしたんです。で、実際に3Dの胸像を作った。で、それにいろんなウィッグをかぶせて実際に写真を撮りました。つまり、あなたが見ているのは偽物。要するに、すごくメタヴァースなイメージなんです。『Aquaphoria』のアートワークにもアヴァターを使ったけれど、私は、彼女はもう一度命を吹き込まれる必要があるんじゃないかと感じたんですよね。

なるほど。

Kelela:私は、このアルバムは、「水」が中心になっていると思うんです。水の中を移動しているような、もしくは洗礼を受けて生まれ変わったような、そんな感じ。私が経験したことの再生、みたいな感じがする。そして、水は浮遊するのを助けるだけでなく、地面に叩きつけてあなたを痛めつけることもできるように、幅広さを持っている、という面もあります。私も同じなんです。だから、水の中に存在する、あの幅が好きなんだと思う。そして、私は、その両方を表現したかったんだと思います。何か困難なことを乗り越えつつも、浮かんでいる私。水が、私をどこかに導いて、連れて行っているんです。私の顔は水に完全に取り囲まれているけれど、私の顔には穏やかさがある。私自身には、あのカヴァー写真は、水に沈められそうになりながら浮いているような、そして、困難な状況にいながらももがき苦しんでいる様子を感じさせない何かがあると感じるんです。水が暗くて、色が黒いのもあり、不吉な海だという雰囲気を漂わせながらも、私は空回りしているわけでも、苦労しているわけでもない。あの水は、深くて暗い海で、感情の奥底のようなもの。あれは、その深海に身を置きながら、その中に完全に入り込む方法、居場所を見つけた私の姿。私の中の交点があの場所なんだと思います。

歌詞についてもお聞きしたいです。“Raven” に「I’m not nobody’s pawn」というリリックがあり、タイトル・トラックがアルバムのメッセージを集約しているようにも感じます。“Raven” のリリックについて教えてください。

Kelela:“Raven” は、サウンド的には、最初にアスマラのシンセで実験したサウンドに魅了されて作りはじめた曲です。そのサウンドをどう表現しようか、という感じで作りはじめました。あの曲は、すぐにビートが来るんじゃなくて、長いビルドアップがあるんですよね。そして、そこに到達したとき、私にとっては、ダンスフロアを一掃するような瞬間を思い起こさせるんです。あれは、クラブでいちばん美しい瞬間だと思う。DJがそれをやれば、それがその夜のピークになるような。一掃するというのは、みんながいなくなるという意味ではなくて、立ち止まって両手を挙げるような感覚。個々のカタルシスのようなものかな。誰もが自分だけの時間を過ごしているような、でも、それを他の人びとと一緒に経験しているような、そんな感じのことです。

わかります。

Kelela:シンセを聴いた瞬間に、「これならあの感覚を味わえる!」と思った。クラブに活力を与えるような、そんなサウンドを作りたいと思ったんです。クラブ・ミュージックやクラブ・カルチャーでは、何かから逃げるような──特に、生き延びるためのエスケーピズム(実生活や現実などからの逃避主義)が構成要素になっている部分がある。私はそれを批判するつもりはないけれど、アーティストとしての私は、自分の貢献や自分の音楽が、逃げるのではなく、人びとが物事に直面するのを実際に助けることを望んでいます。私の音楽が、人びとが実生活に直面するのを助け、彼らが得るカタルシスが、それに対処する助けになることを本当に願っているんです。クラブから帰って朝目覚めたとき、本当に起こっていることについて何も考えられない状態でいるよりも、実際に直面していることに対処するための活力を感じてほしい。私にとって、クラブは何かから逃げ、忘れる場所ではないんです。クラブは、現実を知るための手段であり、感情的な体験から抜け出すのではなく、むしろ、そこに入っていくためのもの。クラブで涙を流すというのは、『Cut 4 Me』以来、私のモットーでもあるんです。その感覚を伝えたいとずっと思っていたんだけれど、それがうまく表現できずにいました。私は、自己発見、自己肯定、そして解放的な音と文化の体験に興味があって、それが、私が自分の音楽を通して人びとに与えたいものなんです。クラブにいる人たちにとって、実際に起こっていることを忘れるための手段は提供したくない。だって、それは現実ではないから。逃げるだけでは、朝起きたときにその現実が戻ってきて、最悪な気分になってしまう。私は、クラブをそんな存在にしたくないんです。クラブは、私にとって大好きな場所であってほしい。私が好きなクラブは、帰り道で私を泣かせてくれるクラブなんです。朝起きて、友だちに電話して、「すごいクレイジーな経験をしたんだ!」って言えるような。泣いて、話して、すごく気分が良くなるような。ちょっと二日酔いで頭が痛くたって、自分に気合を入れられたと思うことができればそれでいいんです。

私たちがダンス・ミュージックとして知っているものの多くは、黒人が発明したもの。それなのに、そのシーンで黒人が疎外感について話したり、尋ねられたりするのはどうしてなんでしょうか?

さらにアルバムの核心に迫りたいのですが、昨年の『デイズド』『ガーディアン』のインタヴューでは、ブラック・フェミニズムについて熱心に語っていましたよね。『Take Me Apart』などの過去の作品では表現されていなかったので、驚きました。冒頭でもインターセクショナリティについて言及していましたが、アフリカン・アメリカンであること、かつ女性であることが、『RAVEN』のコア・コンセプトになった背景について教えてもらえますか?

Kelela:自分のなかで、ブラック・フェミニズムという枠組みが、より明確になったんだと思います。これが革新的な概念だとはまだ言いがたいけれど、言えることは、ブラック・フェミニズムの理論が、多くの社会正義に枠組みの原動力になっている、ということ。エイジアン・ライヴズ・マター運動のようなものも、そのひとつ。アメリカや世界の有色人種にとって、こういった運動の理解の枠組みは、女性であるアメリカの黒人理論家に由来するところが大きい、というのはあると思う。私にとって、それはつねに明確ではあったんだけれど、この場所にもっと足を踏み入れる前に、もっと調べたり読んだりする必要があった。いまは、それができた状況なんです。そういう研究を、私はずっと続けてきました。

そうだったんですね。

Kelela:でも、ここ数年は、ダンス・ミュージックにおける自分の経験、つまり交差的な経験を点と点で結びつけ、この領域で自分が直面している疎外とは何なのかを理解しようとしているんです。肌の色が明るいアーティストではない私は、色彩主義(colorism)というのは、国際的な言説になっていないような気がします。たしかに、アメリカでは黒人が虐げられているけれど、少なくとも、ダンス・ミュージックや音楽ビジネス全般において、色彩主義をめぐる言説は、世界中の多くの人びとがもっと注目して、考えるべきことだと思う。黒人女性は、音楽業界からの初期投資がない限り、オーディエンスから発見してもらうこともできません。そして、音楽業界は、反射的に肌の色が明るいアーティストに投資するんです。私が白人女性としてこれまで作ってきたような音楽を作っていたら、もっと大きな存在になっていたと思う。地球上のもっと多くの人が、私の名前を知っていたと思う。それが起こらなかったのは、サウンドのクオリティのせいではないんです。ただ、人びとがより明るい肌の身体からこの種の音楽が生まれるのを見たいということと、音楽ビジネスの専門家たちにとって、より市場が強いことが関係しているだけ。

ええ。

Kelela:ブラック・フェミニズムは、これらのことが同時に進行していることを理解するのに役立つ枠組みだと思います。音楽全般、特にダンス・ミュージックにおいて、黒人女性としての自分の現実を解体するために使える枠組みなんです。私たちのジレンマは、自分の仲間たちに関係している空間のなかで、どうしてこんなに疎外感を感じてしまうのか、ということ。私たちがダンス・ミュージックとして知っているものの多くは、黒人が発明したもの。それなのに、そのシーンで黒人が疎外感について話したり、尋ねられたりするのはどうしてなんでしょうか? これは本当にクレイジーな現実で、そのなかで経験する不協和音の体験はおかしなものです。そこで何が起こっているのかを理解するためには、たくさんの本を読み、リサーチをする必要があります。このアルバムで、誰に語りかけるかという点で中心になっているのは、黒人、女性、ノンバイナリーの人たちです。歌詞を書くときは、車を運転しながら、歌詞を叫んでいる彼らの姿を想像しながら書きました。彼らが叫べるような歌詞にしたいと思って。彼らが叫べば、その周りの人びとにも力を与えられるから。ノンバイナリーである黒人が叫べる歌詞なら、それはどんな人も力強く歌えるような歌詞になるはずだと思ったんです。

そのとおりだと思います。いま、エイジアン・ライヴズ・マター運動にも言及されましたが、パンデミックの影響で日本を含むアジア人は酷い差別を受けました。また、同質性の高い日本社会には、いまも外国人差別があります。レイシズムや色彩主義に対して、歌や音楽ができることはどんなことだと思いますか?

Kelela:アジア人差別は、私がとても興味を持っていることのひとつ。次のインタヴューでは、ぜひそれについて話してみたい。日本でそのような経験をしたことがある人に話を聞いてみたいんです。誰かがこういうトピックについて自分が考えていることを話せるような場を設けることができたら、最高。歌や音楽は、そういう問題に対して、間接的に何かをしているとは思います。人びとがもっと勇気づけられ、もっと肯定され、もっと自分の価値を明確に感じられるようにすることで、その手助けをしていると思う。そうすれば、この世界で人びとがもっと大きな声を出すことができて、自分はひとりではないんだということを知ることができるから。そして、その体験がつながりを生み、その人たちが解放される瞬間になる。それは、すごく意味があることだと思います。

わかりました。質問は以上です。ありがとうございました。

Kelela:素晴らしい質問をありがとう。

Rainbow Disco Club 2023 - ele-king

 GW中の、4月29日〜5月1日の3日間に渡って静岡県東伊豆クロスカントリーコースにて開催される〈レインボー・ディスコ・クラブ2023〉、今年もまた出演者が豪華過ぎます。まずはジェフ・ミルズ、もう説明不要でしょう。彼のことですから、野外でやるからには選曲もまた考えてくることでしょうし、うん。ほか、エレキング的に注目したいのは、Special RequestとChaos In The CBD。前者は、近年のジャングルにおいてもっともカッコいいプロデューサー、後者は、近年のハウスにジャジーなヴァイブを加味した人気のプロジェクトです。それからもうひとり、現在ロンドンを拠点に活動しているChangsieにも注目でしょう。
 ほかにもDJ NOBやBen UFOのような安定した人気を誇るDJもいるし、RDCの精神的支柱の瀧見憲司もおります。早割とかバスツアーとかいろいろあるので、詳しくはオフィシャルサイトをチェックしましょう。とにかく、これは楽しみですね。

開 催 概 要

名 称:
Rainbow Disco Club 2023

日 時:
2023年4月29日(土)9:00開場/12:00開演~5月1日(月)19:00終演

会 場:
東伊豆クロスカントリーコース特設ステージ(静岡県)

出 演:
DJ / LIVE (A to Z):
Alex Kassian
Antal & Hunee
Ben UFO
Changsie
Chaos In The CBD
Daphni
DJ Nobu x Eris Drew
Jeff Mills
Kamma & Masalo
Kenji Takimi
Kikiorix
Lars Bartkuhn (live)
Little Dead Girl
Monkey Timers
Moxie
Occa
Palms Trax
San Proper
Sisi
Special Request
Yoshinori Hayashi (live)
Yu Su

VISUAL:
Realrockdesign
Colo Müller
Kozee
VJ Manami

LASER & LIGHTING:
Yamachang

オフィシャルサイト:
http://www.rainbowdiscoclub.com

Rob Mazurek - ele-king

 シカゴ・ジャズ・シーンにおけるキーマン、かつてガスター・デル・ソルやトータスの作品に参加しポスト・ロックの文脈でもその名が知られる作曲家/トランペット奏者のロブ・マズレク(現在はテキサスのマーファ在住の模様)が、ニュー・アルバムを送り出す。古くからの仲間と言えるジェフ・パーカーを筆頭に、クレイグ・テイボーンやデイモン・ロックスといったメンバーが終結。ブラジル在住時の経験がインスピレーションになっているそうだ。昨年亡くなったジャズ・トランぺット奏者、ジェイミー・ブランチに捧げられた作品とのこと。発売は4月5日、チェックしておきましょう。

Rob Mazurek - Exploding Star Orchestra
『Lightning Dreamers』

2023.04.05(水)CD Release

シカゴ・アンダーグラウンド、アイソトープ217°、サンパウロ・アンダーグラウンドで知られる作曲家/トランペット奏者のロブ・マズレクによる、エクスプローディング・スター・オーケストラ名義の最新作。ジェフ・パーカーを筆頭に豪華メンバーが集結してグルーヴ感溢れる演奏を聴かせる中、故ジェイミー・ブランチも参加し、彼女に捧げたアルバムとして完成された。ボーナストラックを追加し、日本限定盤ハイレゾMQA対応仕様のCDでリリース!!

ジェフ・パーカーとの共作 “Future Shaman” でスタートするロブ・マズレクの新作は、流れるようなグルーヴ、宇宙空間を漂うようなメロディラインと音響によって彩られている。それは、彼が3年間住んでいたブラジル、マナウスで、リオ・ネグロ(黒川)とリオ・ソリモンエス(白川)の合流地点にインスパイアされた感覚の表明でもある。アマゾンの支流を船で日々移動することは、過去、現在、未来の精神を呼び起こしたのだという。画家でもあるマズレクの視覚と聴覚へのアプローチも、エクスプローディング・スター・オーケストラというプロジェクトの目的も、水の流れ、時の流れから彼が掴んだ一種の再生の表現だ。故ジェイミー・ブランチも参加し、彼女に捧げられているアルバムに相応しいテーマである。(原 雅明 ringsプロデューサー)

ミュージシャン:
All music composed by Rob Mazurek (OLHO, ASCAP).
Words by Damon Locks.
Recorded at Sonic Ranch, Tornillo, TX, September 23rd & 24th, 2021.

Rob Mazurek (director, composer, trumpets, voice, launeddas, electronic treatments)
Jeff Parker (guitar)
Craig Taborn (wurlitzer, moog matriarch)
Angelica Sanchez (wurlitzer, piano, moog sub 37)
Damon Locks (voice, electronics, samplers, text)
Gerald Cleaver (drums)
Mauricio Takara (electronic percussion, percussion)
Nicole Mitchell (flute, voice)

Engineered by Dave Vettraino.
Additional Recording by Jeff Parker, Mauricio Takara, Nicole Mitchell,
and Rob Mazurek.
Produced and Mixed by Dave Vettraino & Rob Mazurek.
Mastered by David Allen

Album art by Rob Mazurek Radical Chimeric #1 #2 (mesh, screen, mylar, canvas, video projection) 2022.
Insert Photo by Britt Mazurek.
Design by Craig Hansen.
Thank You Britt Mazurek.
This album is dedicated to jaimie branch.


[リリース情報]
Artist:Rob Mazurek - Exploding Star Orchestra(ロブマズレク・エクスプローデイング・スター・オーケストラ)
Title:Lightning Dreamers(ライトニング・ドリーマーズ)
価格:2,600円+税
レーベル:rings / International Anthem
品番:RINC99
ライナーノーツ解説:細田成嗣
フォーマット:CD(MQA仕様)

*MQA-CDとは?
通常のプレーヤーで再生できるCDでありながら、MQAフォーマット対応機器で再生することにより、元となっているマスター・クオリティの音源により近い音をお楽しみいただけるCDです。

[トラックリスト]
01. Future Shaman
02. Dream Sleeper
03. Shape Shifter
04. Black River
05. White River
+Japan Bonus Track 収録

https://diskunion.net/jazz/ct/detail/1008618139
https://www.ringstokyo.com/items/Rob-Mazurek---Exploding-Star-Orchestra

 ‟ガールズ・バンド ” という概念は、元来不条理なものだ。
 勿論、ガールズ・グループに対してボーイズ・バンドという言葉も存在する。これは最近では、おおむね作りこまれたポップな商品であることを意味する。この業界のある側面は、しばしば搾取的であり、このようなアーティストたちはあきらかにメンバーの性的な魅力を利用して売り出されていることも、すべての加担者が基本的に理解していることだ。しかし、ロックの分野では “ガールズ・バンド ” という言葉は通常、外部から押し付けられたものであり、女性の芸術形式を男性の規定値から分離し、女性たちの作品が何を伝えようとしているかに関わらず、性別というレンズを通した型にはめてしまうのだ。私が東京で時々一緒に仕事をしている、女性がリードする素晴らしいポスト・パンク・バンド、P-iPLEは、Twitterのプロフィールに素っ気ない調子で「私たちはガールズ・バンドではない」と記している。
 もうひとつ、明らかにガールズ・バンドではない男性ばかりから成るアイルランドのノイズ・パンクスであるガール・バンドは、最近バンド名をギラ・バンドに改名した。10年前に元のバンド名を採用したのは、まさにその不条理さにこそあり、多くの人にとっては今でもどちらかというと無害な皮肉ぐらいに捉えられるのは、名前に込められたジョークがあきらかにバンド自身のことを指しているからだ。それでも彼らには絶え間ない反発が寄せられ、何年も前に馬鹿々々しいジョークとしてつけたバンド名を使い続ける利点よりも、最終的にはこの言葉が人を不快にする、あるいはノン・インクルーシヴ(非包括的)であると受け取られるリスクの方が高いと判断したようだ。

 社会の生々しい部分を指摘する人たちへの無責任な対応は、何も新しいことではなく、激しい対立や整合性のない指摘は、リスナーに音響的な不快感を与えようとする音楽と密接に結びついている。スティーヴ・アルビニが1980年代にビッグ・ブラックやレイプマン時代に放った過激な挑発の数々は、ガール・バンドという間抜けなバンド名のユーモアと比較するのは必ずしも有効とは言えないが、アルビニが当時について語ったことから、このような問題やそれを指摘する人への対応の背景にある暗示などの興味深い洞察を得ることができる。
 それは、大雑把でリベラルであるアーティスティックなバブルのなかで生活をしていると、自分が属する社会集団の規範が、必ずしも外の世界と共有されていないことを忘れがちになることに起因する。アルビニは「自分自身、そして多くの仲間たちは思い違いをしていた。人びとの平等とインクルーシヴネス(包括性)の獲得への戦いはすでに勝利で終わり、やがては社会においてもそれが発現し、私たちが対立や衝撃、嘲りや皮肉で何かを害することはないと思っていた」と総括している。

 4人組の男が “ガールズ・バンド ” というような馬鹿げた発想で遊ぶのは、性差別に打ち勝った勝利のダンスをしているように見えるかもしれない。だが、音楽の世界で活動する女性たちがあらゆる障害に直面し続けることを考えると、このジョークはもはや同じようには通用しないし、ミュージック・シーンでハラスメントや差別を経験した女性たちは、それらの問題を顔面に突き付けられたように感じるかもしれないのだ。
 バンド名の変更は、ほんの数文字を変える小さなもので、バンド自身は軽視していたもの確かだ(彼らは私がここで問題提起しているよりもずっと小さなこととして扱った)。だが私にとって興味深いのは、彼らの芸術がオーディエンスにますます敬意を持って受け入れられている様であり、それこそがギラ・バンドのニュー・アルバム『Most Normal』の素晴らしさの鍵となるかもしれないということだ。

 ノイズ・ロックは元来、不条理な音楽だ。
 それは、聴く者に居心地の悪さを与えようとする音楽だ。メロディやハーモニー、そして従来の心地よさや満足感をもたらす全てのツールを意図的に除去するかわりに、ディストーション、騒音や断片的なリズムを武器としている。それはまた、ある種の子供じみた音楽でもあり、物を壊してかき混ぜ、そこに出現するカオスや混乱、悪臭などに喜びを見出す。
 だがそれは同時に遊び心があり、好奇心をそそる音楽でもある。思いがけない音のテクスチュアに、厳格なロックの伝統の外側にあるものを感じ、再発見する喜びに没頭できるのだ。この分野で活動するバンドが3枚目のアルバムを作る際、冒険心を失わずに成長するにはどうすればいいのだろうか?
 ひとつの方法は、鳴り響く金属的な不協和音や、吹き出す紙やすりのようなディストーション、そして対立するリズムの一つひとつがどのように着地するのかに注意を払うことだ。どの混乱した音が痺れるようなものに変化するのか、どこで喜びと痛みの間に走る緊張感を保つのか、そしていつそのバランスを、酔ったようなよろめきで一方向に傾かせるのかに敏感になることだ。

 『Most Normal』は、1トンの爆発物のような着地を見せるが、バンドの過去2作のアルバムと比較して、その分野に対しての高まり続けるインテリジェンスや自覚に導かれている。オープニング・トラックの ‟The Gum“ の金切り声のようなディストーションを強調するように反復するディスコ・パルスは、バンドがエレメントのバランスを取ることに確信を深めているのが分かり、2曲目の ‟Eight Fivers” を際立たせる轟音の爆発は、拳を突き上げるような高ぶりからEDMのビート・ドロップに着地する。アルバムを通して、ギラ・バンドはサウンドをこれまでにないほどの挑戦的な極限へと押しやり、ほとんどメロディを落ち着かせることはないながらも、それぞれのエレメントの、オーディエンスへの作用を敏感に感じ取り、恍惚とした残酷さでリスナーの感覚を操っている。
 微かな旋律の気配が漏れ出る最後から2曲目の ‟Pratfall” では、Lowの前2作のアルバムの特徴であった素早く走るようなディストーションに引き裂かれ、ふるいにかけられる。他でも同様に、アルバムがタイトでまばらなビートと吐くようなノイズの発作の間を飛び火する様は、リスナーを、その忍耐力の限界までプッシュすることを存分に意識した内部のリズムによって作られている。

 ギラ・バンドが改名についての説明をする際に、あまり深く考えずに決めたことで、「この選択を正当化したり、説明したりすることは不可能だとわかった」と言及している。この、説明できないということこそが、彼らが名前を変えたことが正しかった理由であり、『Most Normal』の音楽が、不快感を享受しながらより鮮明な音楽的な理由でもって、それを証明している。それは未だに馬鹿げた、生意気なパンク的な面白さだが、薄っぺらに着想されたものでも気まぐれなものでもない。いまやすべての要素が、なぜそこにあるのかを正確に把握しているようだ。


Gilla Band – Most Normal
Rough Trade /ビート

 

Gilla Band, girl bands, and musical discomfortby Ian F. Martin

The idea of a “girl band” is essentially an absurd one.

Of course the term boy band exists too, as the alliterative counterpart to the girl group: nowadays meaning a more or less manufactured pop product. Exploitative as this side of the industry often is, it’s basically understood by all participants that these acts are being sold explicitly on the gendered appeal of the members. In the rock arena, though, the term “girl band” is typically imposed from the outside, segregating women’s art from the implicitly male default, framing their work through the lens of their gender regardless of what they intend to communicate. One band I sometimes work with in Tokyo, the wonderful female-led post-punk band P-iPLE, put it bluntly on their Twitter bio: “We are not girls band.”

Another band who are definitely not a girl band are all-male Irish noise-punks Girl Band, who recently renamed themselves Gilla Band. The absurdity of the term was at the heart of their adoption of it as their band name ten years ago, and to a lot of people it probably still seems like a more or less harmless bit of irony, where the joke is clearly on the band themselves. Still, they received a steady stream of pushback over it and eventually seem to have decided that the potential for it to be read as mocking or non-inclusive outweighed the benefits of sticking with a name they clearly came up with as a silly joke years ago.

This sort of playing fast and loose with signifiers that poke at raw spots in society is nothing new, with harsh juxtapositions and mismatched signifiers going hand in hand with music that seeks to sonically provoke discomfort in the listener. The extremeness of the provocations Steve Albini unleashed via Big Black and Rapeman in the 1980s mean they’re not necessarily a very useful comparison with the goofy humour of a band name like Girl Band, but Albini’s subsequent discussion of that time does offer some interesting insights into the thinking behind and implications of playing with these issues and signifiers.

Partly, it comes down to how life in a broadly liberal artistic bubble makes it easy to forget that the norms of your social group aren’t always shared by the world outside. Albini summarises, “For myself and many of my peers, we miscalculated. We thought the major battles over equality and inclusiveness had been won, and society would eventually express that, so we were not harming anything with contrarianism, shock, sarcasm or irony.”

So four guys playing with a patently absurd idea like the notion of a “girl band” might feel like a victory dance over defeated sexism. However, once you consider that women in music continue to face all manner of obstacles, the joke doesn’t work in the same way, and to women who have faced harassment or discrimination in the music scene, it could feel like having those troubles thrown in their face.

It’s true that the name switch was a small change, of just a couple of letters, and one the band themselves downplayed (they made it far less of a deal than I’m making of it here). What interests me, though, is that it shows a growing respect fot how their art lands with its audience, and this maybe offers a key to what’s so fantastic about the new Gilla Band album “Most Normal”.

Noise-rock is essentially absurd music.

It’s music that wants to make you uncomfortable, It deliberately strips songs of their melody, harmony and all the conventional tools to trigger comfort and satisfaction, instead reaching for distortion, discord and fractured rhythms as its weapons. It can be a childish sort of music too, that breaks things and stirs the shit just to delight in the chaos, mess and bad smells that emerge.

But it’s also playful and curious music. It delights in the unexpected, in the texture of sound, it’s steeped in a sense of rediscovery outside the rigours of rock tradition. For a band in this general arena making their third album, how do you mature without losing that sense of adventure?

One key way is to pay attention to how every piece of clanging dissonance, blown-out sandpaper distortion and rhythmical confrontation lands — to be conscious of which fucked-up sounds resolve into something electrifying, when to hold the tension between pleasure and pain and when to let the balance lurch drunkenly one way or the other.

“Most Normal” lands like a tonne of explosives, but it’s guided with a growing intelligence or awareness of its terrain compared to the band’s previous two albums. The repetitive disco pulse that underscores the screeching distortion of opening track “The Gum” offers an immediate sense of the band’s growing assurance in how they balance their elements, while the bursts of thundering noise that punctuate second track “Eight Fivers” land with the fist-pumping heart-surge of an EDM beat drop. Throughout the album, Gilla Band push sounds to ever more challenging extremes, hardly ever reaching for the comfort of melody, but somehow applying each element with a keen sense of how it’s working on the audience, puppeteering the listener’s senses with ecstatic cruelty.

Where the hint of a tune does filter through, on penultimate track “Pratfall”, it’s ripped apart and filtered through the sort of skittering distortion that characterised Low’s last couple of albums. Elsewhere, the way the album ricochets between tight, sparse beats and convulsions of vomiting noise happens according to an internal rhythm that’s aware of the limits of the listener’s patience just enough to push them.

When explaining their change of name, Gilla Band noted that they had chosen it without much thought and increasingly “found it impossible to justify or explain this choice.” This inability to explain is the most important reason why they were right to change it, and the music on “Most Normal” in its own way proves the point, revelling in discomfort but with an increasingly clear musical reason. It’s still silly, snotty punk fun, but it’s not flimsily conceived or whimsical: every element now seems to know exactly why it’s there.

Boys Age - ele-king

 これは個人的な感覚かもしれないけれど、どうも気分が上がらないときに聴く音楽というのは、明確な感情を惹起させるものよりも、こちらの生活の事情なんてものから独立して、勝手に流れてくれるようなものな気がする。
 昨年リリースされた Boys Age の『Music For Micro Fishing』はぼくにとってそんなアルバムだった。ぼくの生活のいたるところで、このアルバムは少し距離をとって勝手気ままにクルクルと泳ぎ回っている。

 Boys Age は「Japanese DIY Master」という異名を持ち、〈Burger Records〉をはじめ、海外のインディペンデント・レーベルから数々のリリースをおこなっている埼玉のソング・ライターだ。10年代インディー・シーンが隆盛を極めていたころ、普段海外のインディー・ロックしか聴かないようなリスナーたちにもリーチしている数少ない国内作家だったように思う。

 マック・デマルコやホームシェイク直系のテープ・シミュレーターを通したヨレたギター・サウンドと、不安定なのに妙にポップなメロディ・ラインをなぞるバリトン・ヴォイスは当時の彼のトレード・マークだった。けれど彼は本当に多作な作家で、インディー・シーンが勢いを失った後、 ジャークカーブ(Jerkcurb)やマイルド・ハイ・クラブなどの、メロウさ深めのインディー・ポップや、坂本慎太郎OGRE YOU ASSHOLE などの日本の近年のサイケ・ポップに接近しつつも、荒廃したカーニヴァル会場でスーパー・マリオ・サンシャインのBGMをバックにアンドロイドたちが踊り狂う映像を思い浮かべてしまうような、狂ったボカロ作品を発表したりと、その雑食性はとどまることを知らない。

 とはいえ、それだけとっ散らかった彼の作家性のなかにも、社会から遊離したような感覚だけは通底しているような気がする。そういう意味で、彼の音楽はどれだけ奇妙なものに変態していこうと、いつでも正しい意味での「ベッドルーム・ポップ」だ。それに実際、簡素な機材と生活雑貨が積まれた文字通りの「ベッドルーム」で作曲から録音、アートワークの作成までを完結させているのだから、彼の音楽が「ベッドルーム・ポップ」と呼べないわけがない。

 その「ベッドルーム」からどれくらい離れたところかはわからないけれど、彼は昨年の頭あたりから近所の池や川での雑魚釣りに地道を上げているようで、Instagram には次から次に雑魚たちの写真が投稿されるようになった。それからしばらくしてからリリースされたのが、この作品、『Music For Micro Fishing』だ。

 水中をぬるぬると滑っていくような硬さのないベースと、ミニマルで簡素なビートを翻弄するように、たるんだ音色のシンセの可愛らしいリフレインがひらひら、くるくると揺れ動く。角の取れた音像と、アルバム全体を覆うヒス・ノイズとテープ・ノイズとそれらを通過した楽器の音色は、ローファイ・ヒップホップ的と言えるし、アルバムが展開するにつれ、徐々にラグジュアリーさが増していき、ヴェイパーウェイヴ風味も出てくるのだけど、そこに「いまさら感」を感じないのは、おそらくこの作品がゲーム音楽的なノリを持っているからだろう。

 ゲーム音楽は音楽の世界の生真面目な歴史や文脈を引き受けるよりも、そうした「正史」から少し離れて、ゲーム側の事情(ゲームの作風、BGMが流れるステージの特性などなど)に則って「音楽ジャンル」をブロック遊びのように組み替えていってしまう。
 この作品の各トラックには、それぞれのトラックがモチーフとしている雑魚や水棲動物たちの名前が付けられており、ゲームのBGMが、「面」や「ステージ」や「ダンジョン」の特徴を補完していくように、水棲生物たちの輪郭や質感、表情や動きをそれぞれのトラックは上手になぞっていく。グーグルの検索窓にトラックのタイトルを入力しながら聴くと、その「キャラ立ち」をより楽しめるはずだ。

 確かにこのアルバムには、音楽の「正史」の側から見たら目立った新規性はないにしても、ドブ池のなかの雑魚たちが「外」の出来事には無関心なまま泳ぎ回るような、妙な活力と明るさがある。それは海外の名だたるレーベルからのリリースをいくら重ねようとも埼玉に住み続け、自身の「ベッドルーム」から作品を日々発表し続ける Boys Age のスタイルそのものともいえるかもしれない。
 そうした Boys Age の「現実」への無関心さは、この作品の、濁った水越しに雑魚たちが泳ぎ回るのを眺めるような、薄ぼんやりとした調度にも現れている。けれど、ベタな感情を焚きつけたり、社会の出来事にまつわるモチーフにかかずらわず、ぼくらの感情に訴えかけたり、寄り添ったりしてくれないからこそ、この作品はぼくらの「現実」へのベタな没入を、ゆっくり、じわりじわりと解きほぐしてくれる。
 ゲームというメディアが、「なんだってやっていい現実」を「ボタン」や「選択肢」にまで圧縮し、現実の「画素数」よりも解像度の低い「ドット」によってその楽しみや喜びを組み立てていくように、『Music For Micro Fishing』は、「なんだってやっていい現実」の「へり」に雑魚や水棲動物たちのささやかで可愛らしい特徴を積み上げていく。
 嘘みたいに小さい雑魚たちが、そのささやかな特徴だけで十分な活力をもって泳ぎ回ってみせるように、この『Music For Micro Fishing』がかたどるドット状の雑魚たちも、Boys Age の「ベッドルーム」から世界中の「ベッドルーム」に向けてスイスイと泳いでいくだろう。

 「ポップ」という「開けた」語と、「ベッドルーム」という「閉じた」語をつなげてしまう、「ベッドルーム・ポップ」という不思議な言葉は、まさに「閉じる」ことによってその可愛らしさや楽しさを「開いて」いく、この作品にこそ与えられるべき言葉だと思う。「ベッドルーム」と「ベッドルーム」は、きっとこういう音楽によって、密やかにつながっているのだ。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151