1980年代はいわゆるインディ・ブームがあり、楽器なんて弾けなくたって音楽は作れるというわけで、パンクやニューウェイヴに影響を受けたバンドが日本列島津々浦々、無数に存在し、たくさんの音源を残しては消えていったのではないかと推測されるわけだが、この度、ノイエ・ドイチェ・ヴェレの再発で知られる〈Suezan Studio〉がその時代の新潟の音源を発掘し、編集して1枚のコンピレーションとしてリリースする。
『フロム・バックサイド・ジャパン:アンダーグラウンド・ミュージック・シーン・イン 新潟 1980's-90's』には20組による20曲が収録。J・ニューウェイヴというか、まさにあの時代の音。新潟以外にもこんなシーンありました。90年代に入ってDIYシーンもどんどん洗練されていく前夜です。
はからずともCOVID -19は、日本における“ローカル”に目を向けてさせている。多くの音楽ファンが、自分の“ローカル”なヴェニュー存続のために寄付したりしている、地方自治体がもう中央の言うことを聞かなくなったことと似ているかもしれないし、それは新しい日本の姿をもたらすかもしれない。
とまれ。発掘モノのインディ音源をお探しの方は必聴でしょう。丁寧に作られたブックレットには新潟文化論が展開されており、そっちも一読の価値ありです。
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昨年末にアルバム『フルイド・モーション』をリリースしたばかりの30/70だが、それ以降はメンバーのソロ活動や別プロジェクトがはじまっていて、ドラマーのジギー・ツァイトガイストはツァイトガイスト・フリーダム・エナジー・エクスチェンジの新作をリリースし、サックスのジョシュ・ケリーはJKグループという新しいバンドでアルバムを発表している。一方、ベーシストのホレイショ・ルナことヘンリー・ヒックスもソロ・アルバムの『イエス・ドクター』を出すと同時に、フォシェというユニットと一緒に『ナイス・トゥ・ミーチャ』を作るなど精力的に動いている。
ホレイショは30/70のコア・メンバーのベーシストで、ジギー・ツァイトガイストと共に彼らの有機的でヴァイタルなリズムを司ってきた。ビート的に見ると、30/70にはジャズ、ファンク、ヒップホップ、ハウス、ブロークンビーツなどが混じり合っているのだが、そうした要素を繋ぐにはホレイショのエレキ・ベースを欠くことはできない。そして彼のベースはおとなしくリズムやグルーヴをキープするだけでなく、ときにギターのように雄弁にソロやインプロヴィゼイションを展開し、サイド・ギターがリズム楽器の役割を果たすということも少なくない。古くはジャコ・パストリアスを彷彿とさせ、現在であればサンダーキャットやスクエアプッシャーのようなタイプのベーシストの彼は、ジャズやファンクという領域を飛び越えるフットワークの軽さも持っている。さらに彼はビートメイカー/リミキサーとしても活動していて、そうした点ではマーク・ド・クライヴ・ローなどに近い立ち位置とも言える。
ホレイショ・ルナはこれまでオーストラリアの地元メルボルンのレーベルである〈ワックス・ミュージアム〉から、『ローカル・ハニー』(2017年)というミニ・アルバムをリリースしている。30/70がジャズ・ファンクとネオ・ソウルの中間的な方向性で、アリーシャ・ジョイのヴォーカルを持ち味のひとつに打ち出しているのに対し、この『ローカル・ハニー』はよりクラブ・ミュージック的な方向性を持つインスト・トラック集で、ハウス、テクノ、ビートダウンなどを咀嚼したサウンドとなっていた。〈リズム・セクション・インターナショナル〉におけるヘンリー・ウー(カマール・ウィリアムズ)あたりに非常に近いサウンドで、そうした方面からホレイショの音楽に触れたファンも多いだろう。
ほかにも数枚のシングルやリミックス集をリリースし、ジャイルス・ピーターソンによるオーストラリア産アーティストを集めたコンピ『サニー・サイド・アップ』(2019年)にも、ツァイトガイスト・フリーダム・エナジー・エクスチェンジ、アリーシャ・ジョイと並んで楽曲提供をおこなった。そして今年に入って、ファースト・アルバムとなる『イエス・ドクター』を〈ワックス・ミュージアム〉と同じくメルボルンの新興レーベルの〈ラ・セイプ〉からリリースした。
参加するミュージシャンは30/70のメンバーではなく、ソロ・アルバムもリリースしているフィル・ストラウド(ドラムス)、これまでホレイショのシングルやリミックスに参加してきたデュフレーヌ(シンセサイザー)、アイキー(ギター)を軸に、ゲスト・プレイヤーでセットゥン(ギター)、マンゴ(キーボード)、スローン・ボーイ(ヴォイス)などがフィーチャーされる。フィルとデュフレーヌはそれぞれ『サニー・サイド・アップ』にも楽曲提供をおこない、またホレイショはこの中の何名かとイースト・コースト・コレクティヴというユニットも結成して楽曲リリースをおこなっているが、彼らはメルボルン、シドニー、ブリスベンなどオーストラリア東海岸の主にクラブ~エレクトロニック・サウンド方面で活動する人たちだ。『イエス・ドクター』リリース後にはこのバンドでライヴ・パフォーマンスもおこなっていて、現在のホレイショの主軸プロジェクトと言えるだろう。
モー・カラーズやレジナルド・オマス・マモード4世などに通じる、スモーキーなダブとヒップホップが結びついた “サム・ライク・イット・ホット” にはじまり、ホレイショの本領は続くタイトル曲 “イエス・ドクター” で全開となる。粗削りなジャズ・ファンクとディープ・ハウス~ブロークンビーツが一体化したようなこのナンバーは、地響きを立てるホレイショのベース、デュフレーヌのコズミックなシンセ、フィル・ストラウドのトライバルなパーカッションによって漆黒のグルーヴを作り出していく。ユセフ・カマールの名作『ブラック・フォーカス』(2016年)を彷彿とさせるような世界を持つ曲だ。
ホレイショ自身の言葉によると、いろいろな音楽が融合する彼の中でも、『イエス・ドクター』は特にハウスにフォーカスしたアルバムとのことで、“ルナ・ランディング” のしなやかなハウス・ビートと律動的なベース・ランニングの融合が彼の理想とするものだろう。ゴリゴリとしたベース・ラインを刻む “バブリー” にしても、見事にダンス・ミュージックとしてのグルーヴを持続しつつも、そこにベーシストとしてのスキルを遺憾なく発揮しているところがホラシオの魅力と言える。エキゾティックなラテン・テイストの “ゴールデン” は、やはりモー・カラーズのように民族音楽的な趣味が伺え、パーカッシヴなビートとダンス・グルーヴが眩暈のように交錯していく。ボッサ・リズムが哀愁を誘う “ノーザン・ビーチズ” ではキーボードと一緒にベース・ソロが展開され、夕暮れどきのバレアリックな風景を生む。深みのある音色のピアノを配した “ブランズウィック・マッシヴ” は人力ブロークンビーツ的な楽曲で、同曲のパート2では強烈なダブ・ヴァージョンへと転じるなど、ジョー・アーモン・ジョーンズらサウス・ロンドンのアーティストたちにも繋がるようなところも見せる。
もう一枚の『ナイス・トゥ・ミーチャ』のほうは、ジギ・ブラウ(キーボード、シンセサイザー)、マイク・ベントレイ(ドラムス)によるフォシェというユニットとの共演で、よりインプロヴィゼイションに重きを置いたジャム・セッション的な作品である。エクスペリメンタルなジャズ演奏を基調にポストロックなども交えた濃密な演奏を展開しており、不調和で急速なリズム・チェンジもあったりと、『イエス・ドクター』のようなハウスをはじめとしたダンス・サウンドとはまた異なるベクトルを持っている。3人の即興演奏のみで構成されて多重録音や編集は一切おこなっていないが、生まれてくるサウンドは極めてダビーでエフェクティヴであり、ホレイショの実験性が色濃く反映されたアルバムだ。30/70のアルバムと『イエス・ドクター』、そして『ナイス・トゥ・ミーチャ』はそれぞれ異なる性質のものであるが、そうした幅広い音楽性やいろいろなタイプの演奏もこなす技量をホレイショが持つことを見せてくれる。
緊急事態宣言が出された日の夜の月は、とても大きく眩しかった。(ピンクムーンと言うらしい。色は全然ピンクじゃなかったけど。)どうしても家にいたくない気分だった僕は、ガールフレンドと共に夜のドライブに出かけた。いつもより大きな月が影響しているのか、僕たちは無性に高揚する気持ちを抱えながら夜行性の動物のようにひたすら南へと向かった。閉鎖された立体駐車場。人の気配が消え失せたメインストリート。幼さが残るヤンキーたちが交差点のど真ん中に車を止めて記念撮影をしている。カーステレオから聞こえてくる Nocturnal Emissions の “Imaginary Time” をBGMにその全てが後方に過ぎ去って行く。
普段なら観光客や観光客相手の露天商でごった返す歓楽街も、今は灰色のシャッターで全て閉ざされ、人間は自分たち以外にはコンビニの店員ぐらいしかいない状態だった。街灯脇につけられた小型スピーカーからは絶えず微かな音楽が流れ続け、街が賑わっていた頃の興奮と混沌が、街に対する未練を捨てきれずに亡霊となって彷徨っているかのようだった。この現状に対する冷めた諦めの気持ちと、これから何かが起こりそうだ(起こすんだ)という無謀な熱の両方を身体に感じ、圧倒的な現実を前にしつつもどこか少し現実離れした気分になった不思議な夜だった。
「自粛」という言葉はあてたくないが、いつの間にか僕の生活の中心は13.3インチの長方形のフレームの中に収まるようになってしまっていた。そこには過去の失われた世界から、リアルタイムで供給されるエンターテインメントの数々までが隙間なくストックされていて、数回クリックすればそんなに悪くないものに出会える。SNSでは優しいアーティストたちがソフトで摂取しやすいトランキライザを大量生産し、人々は恍惚とした表情で化学調味料漬けのノスタルジーをシェアし合っている。僕自身、80~90年代のイリーガル・レイヴの映像を一日中流したり、当時のスナップ写真を見たり、在りし日の人類の姿を記録した資料に浸っている日もあった。僕はノスタルジーに溺れて死にたくない。僕はこれまでに受けたインタヴューの多くでも大量生産される癒しと安楽死的世界への嫌悪感を語ってきた。今このパンデミック下でその需要も供給も爆発的に増加している。癒しは良いもの。健康は良いこと。自粛が良いことなら外出は悪いこと? 「癒し」「健康」「自粛」と、「良いこと」を選んでいけば天国へ行けて、それができなければ地獄行きだとでも言わんばかりの空気が、いつの間にかしっかりとできあがっている。地獄行きの者達を探して懲らしめる聖戦士たちによる「監視と処罰」。ハーモニーと虐殺器官の世界が同時にやってきた。収束後もあらゆるストレスに対してそれを麻痺させる癒しは量産され続けそうだ。JRの駅に設置された可愛らしい動物の写真や青色LEDの電飾が街を侵食しはじめる日もそう遠くないだろう。年中クリスマスみたいになったら結構キツいな。なんて、ぼーっと考えてしまっている。まあ当面の間は癒しもオンラインに投入され続けるだろう。隔離/自粛/Stay Home でオンラインに浸れるものだけが救済の対象だからだ。
そんな癒しを嫌悪する僕を救ってくれたのは、やはりダンス・ミュージックだった。そして、自分で意外だったのは、そのダンス・ミュージックがIDM(この名称は好きじゃないけど)系のアーティストの曲たちだったことだ。この隔離された世界になる以前は、Aphex Twin や Squarepusher の曲はマトリックス・ワールドへのゲートとして機能していたような感覚があったが、このゲートは一方通行のものではないらしい。思いきりフロア仕様のテクノを聞いてもなんとなく非現実的に思えて虚しい気持ちになっていた中で、正直彼らの曲がマトリックス・ワールドからの生還に役立つとは思ってもいなかった。(よく考えれば当たり前な気もする)
不可抗力的ではあるが、良くも悪くもあらゆるものがオンラインへ移行した。それは抗議活動も例外ではない。別にネオになろうってわけじゃないけど、マトリックス・ワールドでの戦い方も体得しなきゃと思って、Protest Rave の舞台も路上からオンラインに移した。友人に「社会運動とは可視化だ」と言われ、オンラインでの「可視化」の方法を探った結果、路上の代わりに官邸の意見フォームや、首相のSNSのコメント欄を使うというものになった。自分たちのエコーチェンバーを突き破り、存在を見せつけたい相手のエコーチェンバーの中へと入って行かなければいけない。これがどれほど効果的なのかは正直まだまだ分からないが、やらないよりはマシだろう。少しづつマシを積み上げていくしかない。少なくとも為政者が支持者のコメントに囲まれてハイになれる場所のいくつかは消えたと思う。

Protest Rave をオンラインでやったときもそうだし、Contact からの配信番組を見てくれた人からも「早く現場に行きたい!」と言う声が届いたのは嬉しかった。オンラインにはオンラインのやり方や楽しみがあるけど、それは現場の代わりにはならない。だからオンラインではオンラインに特化したこと、オンラインだからこそできることをやって、現場向けのとっておきは現場のためにとっておくんだ。この隔離期間はキックとキックの間の長い長いブレイクだと思ってもいいかもしれない。早くキックが欲しいけど、このブレイクの間も僕は自分の踊り方で踊り続けようと思う。この肉体を持て余してる余裕はない。
とにかく今月は How to fight, How to survive in the Matrix world. って感じで、そしていつかは Escapin' out the Matrix world.
おっと! 政府が発表した科学技術のムーンショット目標、マトリックス・ワールドの話じゃないか! 次回もまたこの話……?
続く!
エディプス・コンプレックスとは男の子が母親との仲を裂かれまいとして無意識に父を敵視することで、フロイトはこれを誰にでもある普遍的な概念として定義した(女の子と父親の場合はエレクトラ・コンプレックス)。しかし、子どもが(年齢とは関係なく)そうした感情を自覚できないうちに父が病気になったり、死んだりすると、父が倒れたのは自分自身の敵意が原因だという罪悪感を持ってしまったり、悪くすれば「対象喪失」という感覚に陥るなど場合によっては生きる意欲を失ってしまう可能性もある。自分を「完璧な子ども」に育てようとした「父」を題材に、初めて本人名義のアルバム制作に乗り出したローリン・フロストはその途中で実際に父を失うこととなった。「半分まで完成したところで父が自殺した。このプロジェクトのことは知らずに」。死後ではなく、その前から制作を進めていたことで、彼は「対象喪失」に陥ることはなく、むしろ完成度の高いアルバムに仕上げられたのだろう。ヒーローだった父親が日に日に信念や尊厳を失っていく──その姿を描こうとしたのだから。
ペトレ・インスピレスクがルーマニアン・ミニマルの「表の顔」ならローリン・フロストは「裏の顔」だろう。ルーマニアで〈オール・イン・レコーズ〉を立ち上げ(後にハンガリーに移動)、ロシアや東欧のプロデューサーを広くフック・アップし、〈オール・イン〉を逆から読んだサブ・レーベル、〈Nilla〉でもフランスのアフリクァ(Afriqua)や最近ではスウェーデンのアルカホ(Arkajo)など素晴らしいリリースを続けている。フロスト自身は13年にコールドフィッシュ名義でリリースしたアルバム『The Orphans』がブレイク作となり、同じ年に本人名義のシングル「Metafora Of The Wolves」や、とりわけ「Swings Of Liberty」では作風もミニマルにジャズを取り入れるなど『Lena』への大いなる助走は早くから始まっていた(『The Orphans』は孤児という意味で、やはりチャウセスク政権下で軍事訓練を受けていた子どもたちのことなのかしらと思いながら、いまだにどうなのかわからない。険しい表情で何かを睨みつけている少年の表情が印象的なジャケット・デザイン)。
父を題材にするといいながら『Lena』のコンセプトはかなり複雑である。ベースとなっているのはドストエフスキーの短編「おかしな人間の夢」で、自殺しようとしている男を彼の父に置き換えたという。男は夢を見る。そして、「真理を発見」して自殺はやめにするというストーリーで、実際には起きなかったことがシュールリアリスティックに展開されている。これを音楽に移し替えたとフロストは解説している。現実には父は自殺しているわけだから「起きなかったこと」とは、父が夢を見て啓示を得ることである。そのようにして父に生きていて欲しかったということかもしれないし、あくまでも弱さを認めなかった父の存在を否定しているとも考えられる。どちらの解釈であれエディプス・コンプレックスの克服を通り越して作者が「成熟」に至ったことは確かである。テクノに美学が持ち込まれることは頻繁にあったかもしれないけれど、ここまで文学趣味を作品に押し被せた作品は珍しい。うがった見方をすれば、父はソ連(現ロシア)で、連邦体制が崩れなかった場合の東欧がフロストたちルーマニアン・ミニマルとして投影されていると見なすことも可能だろう。ルーマニアン・ミニマルの異常なまでの暗さは「対象喪失」に由来し、それは計画経済が破綻したという「歴史」を受け入れるプロセスだというか(いつのまにか話がユング的になってしまった)。
ここまで書いたことは忘れて虚心坦懐に『Lena』を聴いてみよう。ドラムン・ベースを簡素化したようなジャズ・ドラムとヴィラロボス流ミニマルの衝突。ハットとベースが絡みつき、ドラムでアクセントをつけた退屈ギリギリの2コード・ミニマルと獰猛なベース・ライン。不協和音を響かせるピアノのループと緊張感のあるホーンに無機質なダブと、フロストが醸し出す雰囲気にはいつも「余地」が確保され、それこそ息がつまるような交響曲の暗闇へと引きずりこむペトレ・インスピレスクとは対照的である。「このアルバムはクリシェに逆らい、単なる過去の再生産に抗っている」「最も大事なことは過去に学び、未来へ繋げていくこと」とフロストは力強く書き記し、ポップ・カルチャーにおける歴史意識を強調する。そう、できることなら彼にザ・ポップ・グループ『Y』のリミックス・アルバムをつくらせてみたい。
舞い戻ってくる過去、そこから想像されるオルタナティヴな現在
髙橋勇人
本作『We Are Sent Here By History』は、バルバドス/イギリス出身でロンドンを拠点に活動するサックス奏者シャバカ・ハッチングスが率いるバンド、シャバカ・アンド・ジ・アンセスターズ(以下、ジ・アンセスターズ)による、2016年作のファースト『Wisdom of Elders』に続く二枚目となるスタジオ・アルバムである。タイトルを直訳すれば「我々は歴史によってここに送られる」となる。ハッチングスの思想的探求が結実した作品となっている。
これは、現在において途方もない問題に直面している我々とは誰なのかを、アフロ・ルーツへと立ち返り、それを人類規模で思考する壮大なサウンド・プロジェクトだ。合評ということなので、僕のテキストは今作の思想的な背景に焦点を絞って読み解いていきたいと思う。
今作に関するインタヴューでハッチングスが述べるように、西アフリカ文化に伝わるグリオ(Griot)と呼ばれる、物語の語り手や音楽家が主にその役を担う存在が、今作に着想を与えている。グリオは国家の歴史や教訓を切り取り、それを楽曲や物語のなかに生きながらえさせ、人々に伝える。ハッチングスはそれに着想を得て、過去の一部分を違った角度から語り、それを保存していくことの意義を今作で示しているのだという。
また、『CRACK』などの媒体で引用されているように、ハッチングスはこのアルバムを以下のようにも説明している。「(今作は)我々がひとつの種として絶滅しかかっている事実に関する熟考である。それは、廃墟からの、あるいは燃え盛るものからの内省だ。もしその終焉が悲劇的な敗北以外の何かであるとしたら、個人的な、あるいは社会的な我々の転換において取られるべき方向への問いだ」。経済的、環境的、パンデミック的な災害は、惑星規模で人類を蝕んでいる。ジ・アンセスターズは、そこに希望を見出すために歴史の概念にアフリカを経由して向かっているのだろうか。そして、「歴史によって我々はここに送られる」とはどういうことなのか。
この点を考えていく上でヒントになるのは、ハッチングスがインスタグラムで最近読んでいる一冊に挙げていた、ロンドン拠点の地理学者カトリン・ユゾフの2018年発表の著書『十億の黒い人新世たち、もしくは無(A Billion Black Anthropocenes or None)』である。
人類が地球環境に甚大な影響を及ぼす時代区分を示す人新世という地質学的な時代区分に対して、賛否を含めて多くの議論がある。そのなかでもひときわ重要なのは、人新世における「人間」とは誰なのか、という問いである。種としての人類はたしかにひとつかもしれないが、そこで文化的にも形成される「人間」の定義はひとつではありえない。その形成過程は文化が生じる歴史の経路によっても多元化しているからだ。
「人新世」というタームが西洋のアカデミズムから出てきていて、その論理の根拠となるデータがそのコミュニティから派生しているのならば、その時代における「人間」とは西洋白人というカテゴリーに限定されてしまってはいないだろうか? その場合、地球規模の問題として人類が直面する天候クライシスなどのイシューに関わる主語としての「人間」の定義は、そんな狭義でよいのだろうか?
ユゾフの『黒い人新世』は、そういった観点から、地球環境を把握する地質学(geology)という手法が、どのように特定の「人間」、あるいは「人種」に作用しているかを、ポストコロニアリズム研究などを経由して発展したブラック・スタディーズを武器に、果敢に切り込んでいく。先行する研究が説いてきたように、近代化の過程において、特定の他者を排除する奴隷制や、植民地主義といったシステムが、そういった「人間」のあり方を規定してきた。
その文脈において、現代において惑星規模で危機に直面する者たちが誰なのかを、そして、その存在が活動する場所について考えるためには、現代のグローバルシステムにおいて形成される単一的な「白」ではなく、その歴史的な背後にうごめく制度によって除外されてきた数十億の「黒」を含めた「人間」を描かなければいかない。ざっくりいえば、それがユゾフの主張である。
このクリティークがハッチングスの基本姿勢に通底している。彼が『The Quietus』に語っているように、アフリカの宇宙論において、時間は直線的にではなく、循環的に存在している。冒頭で引いたように、グリオたちを経由して過去が現在に舞い戻ってくる歴史観がまさにそれである。すでに起きてしまったことも、グリオたちの焦点の当て方によって変化していく。ハッチングスが参照する歴史観において、過去とは一様のものではなく、このようにして、いく通りにも変化していく潜在性の貯蔵庫のようなものだ。
「我々は歴史によってここに送られる」。つまり、「ここ」を形作るのは歴史である。そして、「ここ」に問題があるならば、それを形成する歴史という潜在性に目を向け、その問題を打ち消すようなべつの「ここ」を想像しなければならない。
ジ・アンセスターズは「ここ」を生きる「人間」の概念にも焦点を当てている。8曲目の “We Will Work (On Redefining Manhood)” のタイトルにある「Manhood」は「男らしさ」とも解釈できるが、この文脈では「人間としてのman」の再定義としても理解することができるだろう。
サウンドにもこの思考は顕在化している。ジ・アンセスターズはクラブ・ミュージックのように、しばし反復的なメロディを刻む。加えて、今作で歌唱を担当する詩人のシヤボンガ・ムセンブが、消えゆく人間の末路が歌われている冒頭曲 “They Who Must Die” で最初に口にする「We are sent here by history」というラインは、二曲目 “You’ve Been Called” でメロディとともに現れ、その旋律が終曲の “Teach Me How To Be Vulnerable” で、哀愁を帯びたハッチングスのテナーから溢れてくる。言葉とサウンドで自己参照を繰り返し、ジ・アンセスターズは事象の多元性を描いてみせる。
冒頭のハッチングスの言葉にあるように、語り部は、歴史のタイムラインを複数化させ、来るべき未来の可能性を示すことができる。この意味において、去年日本版が出た『わが人生の幽霊たち』でマーク・フィッシャーが描いた、息が詰まる資本主義リアリズムの現実の外側から「ノイズ」として到来する、別様の未来の可能性を内包した希望としての幽霊たちとも、『We Are Sent Here By History』のテーマは重なると言ってもいい。彼らはサウンドを通して、「ここ」と、その場所を生きる者たちの別の姿を、歴史的な潜在性に立脚し描こうとしている。
ジ・アンセスターズが横断するジャズの地平線において、このアプローチは全く斬新なもの、というわけではない。2019年に再発された数あるジャズの名作のなかで、ひときわ注目された一枚は、サックス奏者ジョー・マクフィーの1971年作『Nation Time』だった。アミリ・バラカに触発され世の中に送り込まれたこの起爆剤は、当時のブラック・ムーヴメントに共振したものである。
そこでは「time」は「時代」を表している。そのダブル・ミーニングでマクフィーが冒頭で叫ぶ「いま何時だ!?(What time is it!?)」という問いは、いまは奴らのじゃない、俺たちが作る国の時代なんだぜ、というアジテーションだった。観客はそのコールに「Nation Time!」とレスポンスし、マクフィーの怒涛のサックスが鳴り響く。
『We Are Sent Here By History』は、異なる現実を示唆/提示するという意味ではマクフィー的なブラック・パワーともオーバーラップしている。しかし、ジ・アンセスターズの射程はそれだけではない。焦点の当て方で変わる過去の事象と現在、という歴史のシステムにも向かっている。この、現実を作り出すシステムを鳥瞰図的に描くと言う意味で、彼らには形而上学的なユニークさがある。
ジャケットのヴィジュアルにも、それに通じる点がある。黒い四角形の後方部には、歴史の存在容態とその複数性を表しているであろう円形の模様が蠢いている。その前方に位置する、ひとりの黒人の姿。その歴史/人間が放つアフリカ時間と視線を合わせ、現在から我々の視点は、数十億の黒がひしめき合う過去へと引きずり込まれていく。そのようにしてしか、過去と未来が到来し続ける現在を考えることができない。身体は斜め前に向かいつつも、その眼光は力強く、こちらを向いている。
【参考資料】
•CRACK (2020), “Shabaka & the Ancestors announce new album We Are Sent Here By History”, <https://crackmagazine.net/2020/01/shabaka-the-ancestors-we-are-sent-here-by-history/>
•Kathryn Yusoff (2018), A Billion Black Anthropocene or None, University Of Minnesota Press.
•The Quietus (2020), “Ancestral Star: Shabaka Hutchings Interviewed”, <https://thequietus.com/articles/28131-shabaka-hutchings-interview>
•グリオについて語るハッチングスのインタヴュー <https://www.instagram.com/stories/highlights/18094380304144102/>
•ユゾフの著書に触れるハッチングスのインスタグラムのポスト <https://www.instagram.com/stories/highlights/17904376567339791/?hl=ja>
髙橋勇人
[[SplitPage]]口述的/非筆記的な「グリオ」というテーマに映る英国自由即興音楽の経験
細田成嗣
英国現代ジャズ・シーンの中心的存在として活躍するサックス/クラリネット奏者シャバカ・ハッチングスが率いるシャバカ・アンド・ジ・アンセスターズ(以下:アンセスターズ)による4年ぶり2枚めのアルバムが発表された。リリースもとは〈インパルス!〉で、これでサンズ・オブ・ケメットとザ・コメット・イズ・カミングに続き、シャバカが現在取り組んでいる3つの主要プロジェクトすべてが米国の名門ジャズ・レーベルからデビューを果たすこととなった。
アンセスターズはシャバカが南アフリカのジャズ・ミュージシャンとともに2016年に結成したグループである。以前よりエチオ・ジャズの巨匠ムラートゥ・アスタトゥケとコラボレートするほか、南アフリカ出身のドラマーであるルイス・モホロと共演するなど、シャバカはアフリカをルーツに持つミュージシャンと関わりを持っていた。モホロといえば、かつて1960年代後半に南アフリカ出身のピアニスト/作曲家クリス・マクレガーが英国の先鋭的なジャズ・ミュージシャンらと結成したビッグバンド、ブラザーフッド・オブ・ブレスのメンバーとしても知られている。むろんアパルトヘイトによって祖国を追われた当時の南アフリカのミュージシャンと英国の関係をそのまま現代に置き換えることはできないものの、少なくとも英国と南アフリカのつながりから生まれたジャズの系譜は長い歴史を経て現在のアンセスターズへと流れ着いたと言うことはできる。ただしシャバカはアフリカを唯一のルーツとして考えているわけではない。1984年にロンドンで生まれながらも少年時代をカリブ海の島国バルバドスで過ごした彼は、アフリカン/カリビアン・ディアスポラとして自身の音楽活動を捉えている。
シャバカが推し進める主要3グループのなかで、アンセスターズは編成も内容もいわゆるジャズにもっとも近しいプロジェクトだと言っていい。それも執拗に反復するベースラインと力強く詩を叫びあげるヴォイス、そして陶酔的/祝祭的なサウンド・メイキングは、サン・ラやファラオ・サンダースをはじめとしたスピリチュアル・ジャズを彷彿させる音楽性となっている。今作は西アフリカにおいて物語や教訓などの口頭伝承を担う演奏家を意味する「グリオ」およびカリブ海でカリプソをもとに時事問題を歌いあげる即興詩人を意味する「カリプソニアン」になることを目し、人類の絶滅をテーマに制作したというものの、そのサウンド面に着目するだけでも前作からの音響的変化を聴き取ることができる。
真っ先に耳が引かれるのは、前作において複数の楽曲でシャバカがメインのサックスを朗々と吹いていたのに対し、今作ではアルト・サックスのムトゥンジ・ムヴブとともに対位法的に2管の旋律を絡み合わせていく演奏が主体となっていることである。前作の4曲め “The Sea” の方向性がより洗練されたかたちで前景化したと言ってもいい。さらに今作ではシャバカ自身による不定形な即興性が前作に比して抑えられている。言い換えればコンポジションの比重が高まったということでもあり、それは2管が絡み合う旋律を構築的に聴かせるということとも無縁ではないだろう。そしてこうした諸々の変化は、グループにおけるシャバカの演奏家としての立ち位置が突出することなく、あくまでも他のメンバーと共同でアンサンブルを編み上げていくことを重視するようになったと受け取れるとともに、その表面的な構築性とは裏腹に、口述的で非筆記的な「グリオ」や即興歌唱を行なう「カリプソニアン」をテーマとして取り上げたことを考え合わせるならば、記譜作品とは異なる快楽を求めてきたシャバカのもうひとつの顔、すなわち即興演奏家としての経験がリフレクトされた音楽としても聴き取れるように思う。
シャバカ・ハッチングスは2007年にロンドンの芸術大学ギルドホール音楽院を卒業後、一方では英国カリビアンの先達でもあるサックス奏者コートニー・パイン率いるジャズ・ウォーリアーズに参加しつつ、他方ではいまや英国即興シーンの拠点のひとつとなっているロンドンのカフェ・オト(2008年設立)周辺のミュージシャンたち、たとえばエヴァン・パーカーやスティーヴ・ベレスフォード、アレキサンダー・ホーキンス、ルイス・モホロらと共演することで即興音楽の世界との関わりを深めていった。のちにサンズ・オブ・ケメットで活躍するドラマーのトム・スキナーらとその頃に結成したトリオ・Zed-Uでは、こうした自由即興の文脈を取り入れたアルバムも制作している。
即興演奏家としてのシャバカの足跡を辿るうえでひときわ注目に価するイベントがある。2011年10月6日から8日にかけてドイツ・ベルリンを舞台に開催された《Just Not Cricket!》という音楽フェスティヴァルである。テーマは他でもなく英国自由即興音楽だった。当日の模様は4枚組のレコードとしてアーカイヴされている。ドキュメンタリー映画も製作が進められていたものの、現時点ではまだ完成していないようだ。同映画は仮の副題として「英国自由即興音楽のマッピング」を掲げており、ジョン・ブッチャー、スティーヴ・ベレスフォード、ロードリ・デイヴィス、アダム・ボーマンの4人をシーンの主要人物として捉え、四世代にわたる英国自由即興音楽の担い手たちをカメラに収めているという。そのうち最も若い世代にあたるのが、当時20代のシャバカ・ハッチングスだった。
英国は自由即興音楽が盛んな土地としても知られている。かつて60年代にはリトル・シアター・クラブを拠点に多くのミュージシャンが新たなフリー・フォームの音楽を探求し、デレク・ベイリーやエヴァン・パーカー、ジョン・スティーヴンスらを輩出した。なかでもスティーヴンスはスポンティニアス・ミュージック・アンサンブル(SME)を組織しつつ、さらに即興演奏のワークショップを行なうことで後進の育成にも貢献した。ベイリーとパーカーはトニー・オクスリーらとともにミュージシャンによるレーベル〈インカス〉を創設したことでも知られている。
またこうした交流とは別の文脈で、キース・ロウやエディ・プレヴォらによるグループ・AMM も活動を行なっていた。70年代半ばからは、のちにオルタレーションズとしても活躍するデイヴィッド・トゥープやスティーヴ・ベレスフォードらが参加したロンドン・ミュージシャンズ・コレクティヴ(LMC)が始動し、コンサートやワークショップが継続的に開催された。トゥープやベレスフォードに加え、ジョン・ブッチャー、ジョン・ラッセルらを含めたミュージシャンが第二世代と言われている。90年代終わりにはコンダクションを用いた即興アンサンブルのロンドン・インプロヴァイザーズ・オーケストラ(LIO)が組織され、数多くのミュージシャンが去来した同グループにはのちにシャバカも参加している。90年代後半からゼロ年代にかけてはベルリンやウィーンにおけるリダクショニズム、あるいは東京の音響系/音響的即興と同時代的な潮流もあらわれ、ロードリ・デイヴィスやマーク・ウォステルら第三世代の立役者たちは「ニュー・ロンドン・サイレンス」という言葉とともに語られた。
シャバカはそのような英国即興音楽の系譜のなかではゼロ年代後半からテン年代にかけて頭角をあらわした第四世代に位置している。レコードとしてリリースされた『Just Not Cricket!』で彼は3つのトラックに参加しており、なかでも同じく第四世代にあたり、ジャズ・グループのほかヴァンデルヴァイザー楽派をはじめとした現代音楽作品を再解釈する試みを行なっているセット・アンサンブルの一員でもあるコントラバス奏者ドミニク・ラッシュと、第三世代のハープ奏者ロードリ・デイヴィスとのトリオ・セッションで顕著なのだが、点描的な弦楽器のサウンドに対してシャバカは流麗なメロディをクラリネットで淀みなく演奏していく。それは特殊奏法を駆使した音色の探求や力強い咆哮によって生じるノイズ、あるいはメロディやリズムを巧妙に避けるノン・イディオマティックなアプローチといった自由即興の文脈とはやや異なるサウンドであり、クラシックとジャズをバックグラウンドに持ちつつ背後に仄かにグルーヴが流れ続けているような演奏とでも言えばいいだろうか。いずれにしてもこのように活動領域や文脈が大きく異なる3人がセッションを行なうことができるのは、英国においてミュージシャン同士を結びつける自由即興音楽のコミュニティが強く根づいていることの証左でもあるのだろう。
アンセスターズの作品、とりわけこのたびリリースされたセカンド・アルバムでは、こうしたシャバカの即興演奏家としての側面は明示的なサウンドとしてはあらわれていない。もとより即興セッションにおいても構築的な演奏を重視していたと言うこともできる。むろんなかには深い残響処理が施されたアコースティック・ピアノのアブストラクトな響きから幕を開ける2曲め “You’ve Been Called” や、激しく飛び交うトランペットの即物的かつストレンジな音色が印象的な7曲め “Beast Too Spoke Of Suffering” といった楽曲も収録されている。だがいずれもその裏では骨子となるようなポエトリー・リーディングやテーマ・メロディが奏でられており、演奏全体が音響的にカオティックな状態に陥ることはなく、かえってそのコンポジションのありようを際立たせている。このことはしかし本盤が固定された構築美を示しているというよりも、むしろ「グリオ」のように口述的/非筆記的に、すなわち即興的にさまざまな変化を遂げていくことの原型となり得ることを示唆している。そこにはシャバカが自由即興の世界で幾度も出会ってきたはずの、音楽における記譜の伝統とは別種の快楽に対する志向がうかがえる。
そしてそのような音楽へと赴くことができた背景には、ミュージシャンが修練を積むためのさまざまなコミュニティが、誰でも参入可能な開かれたかたちで存在しているという英国ならではの土壌があることを見落としてはならない。英国において自由即興音楽は特権的で閉鎖的なものではなく、おそらくミュージシャンを志す誰もが小さなきっかけから自然と触れることができ、学ぶことができるようなものとしてある。少なくともこれまで見てきたように、英国には即興音楽を実践するためのコミュニティが歴史的に数多く存在してきたのである。ジャズに目を転ずれば、若手ミュージシャンの育成機関であるトゥモローズ・ウォーリアーズがそのような役割の一端を担っており、他でもなくシャバカはそこでも音楽を学んでいたのであった。彼の音楽はこうしたさまざまなコミュニティのアマルガムとして産み落とされている。それはアフリカン/カリビアン・ディアスポラとしての音楽を模索する彼が、一方では英国という土地で歩んできた固有の経験を自らの音楽に刻んでいることを意味しているとも言えるのではないだろうか。
細田成嗣
談:ダニエル・ミラー
クラフトワークがいなければ、いま巷で聞かれるようなタッチのサウンドや音楽はなかっただろうし、彼らなしにはMUTEも存在しなかったでしょう。彼らは単に私にインスピレーションを与えただけでなく、エレクトロニック・ミュージックを生み出すプロセスそれ自体を理解させてくれたのです。
私はここ数年、フローリアンと数多く会うことが出来てすごく幸運でした。彼と最後に会ったのはデュッセルドルフで、彼が持っているスタジオ近辺を熱心にしかも面白おかしく案内してくれたのでした。例えば彼が見せてくれたのは戦前に作られた電子機器で、それは当時ひと山幾らといったガラクタのなかから買ったそうなのですが、結局一度もちゃんと動かなかったそうです。
また私がフローリアンからオリジナルのクラフトワークのヴォコーダーを購入したのも、とても幸運な出来事でした。実は、そのヴォコーダーはイーベイを通して購入したのですが、私たちがお互いの存在に気づいたのは、なんと購入が成立した後だったのです! 彼はそのヴォコーダーは一度もきちんと機能したことがないんだけどそれでもよければ、と説明してくれたのですが、その説明はさらっとお茶でも飲むみたいに簡単に済ませたかったようです。普段の私たちの間では、そんな大事なことを簡単に済ませることなど絶対になかったので、その後私たちが会うときには当時の話が必ず会話のネタとなりました。
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野田努
クラフトワークのオリジナルメンバーとして、1970年から2008年までの長きにわたって活動したことで知られるフローリアン・シュナイダーが5月6日ガンのため73年の生涯を終えた。
著名な建築家を父に持つシュナイダーと、医者の息子として生まれいまでもクラフトワークとして活動するひとつ歳上のラルフ_ヒュッター──自らを(メタファーとして)父無し子であると公言することになるふたりが出会ったのは1968年だとされている。面白いことにそこはデュッセルドルフ音楽学校のジャズ・インプロヴィゼーション・コースだった。彼らはフルクサスの影響下で、ヨゼフ・ボイスの生徒たちやのちにクラウトロックのシーンに関わることになるミュージシャンたちとセッションしている。ヒュッターがオルガンを弾いて、シュナイダーはフルートを演奏した。
さて、今日我々が使う「クラウトロック」なる、主に70年代西ドイツで生まれた実験的なロックを意味するジャンル用語を普及させた第一人者にジュリアン・コープというUKのロック・ミュージシャンがいる。この男は裸のラリーズ神話を欧米に広めた人物としても知られているが、コープによればクラフトワークでもっとも良かった時期は1stから3枚目の『ラルフ&フローリアン』までとなっている。つまり『アウトバーン』以前の、彼らがマンマシーンとなるより前のクラフトワークこそ真のクラフトワークというのである。現在、廃盤となっている3枚のアルバムこそが最良の作品だというのだ。
ぼくはこの意見に大いに賛成していた時期があった。ヒュッターがいうところの〈クラフトワークの初期段階〉、すなわちまだほぼすべての演奏をエレクトロニクスで統一する以前の彼らの音楽の初期にはやがてノイ!を結成するふたり(M.ローターとK.ディンガー)が関わっていたこともあるし、生演奏が楽曲における重要な成分として機能していた。いまとなっては公式には聴くことができない〈初期段階〉はまさに失われた宝であり、この眩しい喪失における楽曲たちの魅力を演出していたひとつの(そして極めて印象的な)要素にシュナイダーのフルートがあることは、“ルックツック(Ruckzuck)”や“クリングクラング(Klingklang)”のような曲を100回以上聴いている人には痛いほどよくわかる話だろう。〈初期段階〉を喩えるなら、それこそ広がる田園地帯にそびえる発電所であり、シュトックハウゼンからイーノへの橋渡しであり、美しい軌道を描きながら旋回する惑星であり、ワクワクする未来そのものだった。そして〈初期段階〉の最終章となる『ラルフ&フローリアン』(1973)は、戦略性を欠いたもっとも純粋な形での実験が反映されたエレクトロ・ポップとしてのマスターピースである。いまならIDMの最初期の作品として位置づけることもでるだろう。
クラウトロックを研究しているUKの音楽ジャーナリスト、デヴィッド・スタッブスによれば、フローリアン・シュナイダーは、クラフトワークのメンバーにおいてもっとも洗練されたファッション・センスがあって、明らかにステージのうえで存在感をはなっていたという。とはいえ、マンマシーンと化してからのバンドでは、そうした外見的な個性は削除されてしまったのだが、クラフトワークのエンジンがシュナイダーとヒュッターのふたりであったことは言うまでもないことである。
アメリカの高名なロック・ジャーナリスト、レスター・バングスは初めて会ったシュナイダーについてこう表現している。「コンピュータを作ることができ、ボタンを押せばわずかな感情表現だけで世界の半分を吹き飛ばすことができるみたいだ」
半分どころか、世界のほとんどがクラフトワークが創出したエレクトロニック・ポップ・ミュージックないしはテクノというジャンルの恩恵に授かっている。旧来のロックの概念に真っ正面から対抗する未来の価値観、その創造過程においてもっとも貢献したひとりがこの世を去った。しかし、ボタンを押せばたったいまだって彼の演奏が聴ける。なので大丈夫、どうか安らかに。
シンガーソングライターの井手健介率いる不定形バンド「井手健介と母船」による5年ぶり2枚めのアルバムがリリースされた。前作『井手健介と母船』が発表されたのは2015年。それまで吉祥寺の映画館・バウスシアターでスタッフを務め、「爆音映画祭」の運営にも携わっていた井手は、2014年6月の同映画館の閉館をひとつのきっかけとしてファースト・アルバムの制作をスタートさせたという。繊細に揺蕩う音響の襞が重なり合い、あくまでも「歌もの」の体裁を保ちながらも、聴き手にミクロなサウンド世界を顕微鏡で覗いているかのような感覚にさえ陥らせる作品内容は、石橋英子や山本達久、須藤俊明らジム・オルークのバンドでも活躍する当時の参加メンバーの音楽性とも決して無縁ではないだろう──なかでも際立つ8曲め “ふたりの海” で聴かれるミニマルなインプロヴィゼーションからは、カフカ鼾やザ・ネックスの即興性を想起することもできるはずだ。
『Contact From Exne Kedy And The Poltergeists (エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト)』と題したセカンド・アルバムは参加メンバーも音楽性もガラリと様相を変え、まったく新鮮な音楽として結実することとなった。とりわけ注目すべきはサウンド・プロデューサーとして参加している石原洋の存在だろう。石原はこれまでゆらゆら帝国をはじめ BORIS や OGRE YOU ASSHOLE などのプロデュースを手がけてきた一方で、自らもホワイト・ヘヴンやスターズといったバンドで音楽活動をおこない、サイケデリックなロック・ミュージックを発信し続けてきた。今年2月にはソロ・アルバム『formula』を発表し、本誌『ele-king』ウェブ版のインタヴュー記事で自身のロック哲学を披瀝したことも記憶に新しい。このたびリリースされた井手健介と母船によるアルバムも、テーマは他でもなくロックだという。
だが取材を通じて筆者は井手健介の背景にロックというよりも映画の世界の広がりを強く感じた。もちろん彼にとってロックの文脈は欠かせないものであるに違いない。しかしながら同時に、ロックをアルバム・コンセプトとして取り上げるにしても、映画の構造なくしては生まれ得ないようなかたちを取っているのである。前作が映画における音響体験と関連性がある作品だとしたら、今作は映画における物語のありようと強く関わりを持っている。すなわち音楽としてアウトプットされる形態が音響的アプローチになろうとも物語的アプローチになろうとも、ものごとを映画的に捉え表現していくという思考と感性の枠組みがある点において前作と今作は一貫しており、そしてそれこそが井手健介というミュージシャンの特異な作家性であるとも言えるのではないだろうか。彼は映画の世界を構造的に把握することによって新たな音楽の世界を生み出していく。
架空の人物エクスネ・ケディを井手が演じた今作では、歌詞やサウンドの節々に幽霊との接触の機会が訪れる。幽霊と接触することは、わたしたちの日常空間が一変してしまうような非日常的な体験だと言い換えることもできる。こうした体験の強度はおそらく、現実それ自体が非日常的な空間で覆われていたとしても変わらない。むしろ自由な移動が制限され、集会することもできず、多くの人々にとって〈いま・ここ〉に留まることを余儀なくされる状況であればこそ、別の時間と別の場所に対する想像力を秘めた作品に立ち会うことによって、〈いま・ここ〉から離れる経験を耳に焼きつけておく必要があるとも言える。インターネット上のビデオ通話を介して井手健介が語る言葉は、そのような想像力の在り処を指し示しているようにも思えたのだった。
オーガニックとか自然体な要素をなるべく排除した、人工的でギラッとしたロックをやろうという話になりました。そして出てきたのが「グラム・ロック」というキーワードでした。
■ファースト・アルバム『井手健介と母船』(2015)は、井手さんが運営に携わっていた映画館・吉祥寺バウスシアターの閉館が制作の大きなきっかけになっていましたよね。今回のセカンド・アルバム『Contact From Exne Kedy And The Poltergeists』はどのような経緯で制作がはじまったのでしょうか?
井手:実はファーストを出したあと、すぐにセカンドを作りたいという思いはあったんです。でも気づいたら5年くらい経ってしまいましたね。今回のアルバム制作に取りかかりはじめたいちばん大きなきっかけは、プロデュースをお願いした石原洋さんの存在でした。僕はもともと石原さんがプロデュースしてきたバンドが好きでしたし、石原さん自身の音楽活動も好きで、レコードを聴いたりライヴを観に行ったりしていたんです。そんなある日、石原さんがDJをしているイベントに行ったらお話しする機会があって。それからちょくちょく交流するようになりました。で、いよいよセカンド・アルバムを録ろうと動き出したとき、思い切って石原さんにプロデュースを依頼してみようと考えたんです。
■それはいつ頃のことでしたか?
井手:アルバムのプロデュースを最初に依頼したのはたしか2018年です。その少し前、とある人から「養命酒のCM音楽を作ってほしい」って言われていたんですよ。面白そうだなと思って、たまたま石原さんと会ったときに「こんど養命酒のCM音楽を作るので、プロデュースしていただけませんか?」って言ったら、「いいよ」って引き受けていただけたんです。「これはめちゃくちゃサイケな曲が養命酒のCMで流れるぞ……」と思っていたんですが、あっさりその仕事が流れてしまって。でもいちどプロデュースのお願いをしてますし、せっかくの機会なのでアルバムのプロデュースをしていただこうと話を切り出したら「やりますよ」と言ってもらえた。早速デモ音源を送ろうとしたんですけど、なかなか曲ができなくて、本格的に始動したのは2019年の6月ごろでした。
■今回のセカンド・アルバムでは、ファースト・アルバムの頃とはバンド・メンバーがガラリと変わっていますよね。どのように新メンバーを集めたのでしょうか?
井手:山本達久くんや石橋英子さん、須藤俊明さんたちと一緒にやったのはファーストのレコ発が最後でした。あの素晴らしいメンバーがいたからこそあのファースト・アルバムを制作することができたので、セカンド・アルバムへの道のりが険しくなるのは想像できました。ただ、時間がかかってもいいので、ファーストとは違う新しいアルバムが作れたらと考えていました。先程と矛盾するようですが、もともと僕は矢継ぎ早に作品を出していくタイプでもないので、納得がいくかたちを探してみようと。そこから、ライヴの現場ですごいなと思った人に直接声をかけて新しいメンバーを集めていきました。
■ドラマーの北山ゆう子さんに声をかけたとき、どういったところに魅力を感じていましたか?
井手:ゆう子さんも生の演奏を観て「この人の音がいい!」と思って声をかけたんです。ゆう子さんのライヴは以前から観たことがあったんですが、2016年に神保町試聴室で見汐麻衣さんと一緒に「埋火の楽曲だけでライヴする」という企画をやったんですね。そのときに僕がギターで、ゆう子さんがドラムで、初めて一緒に演奏したんですよ。一打一打の音が、単純な音量的な意味だけではなく「デカい!」と感じて、驚いたのを覚えています。達久くんもそうなのですが、僕はロック・バンドの中でドラムがいちばんかっこいいと思っていて、ドラマーの音に触発されるようにバンドの勢いが上がっていく快感がゆう子さんの音にもあったんですね。
■ファーストを出した直後からセカンドを作ろうと考えていたとのことですが、新しいメンバーを集める際にすでにセカンド・アルバムのビジョンはあったのでしょうか?
井手:いや、ビジョンはまったくなかったですね。曲すらできていない状態でした。
■セカンド・アルバムはファースト・アルバムとは音楽性が大きく変化しましたよね。今回の作品はどのようなコンセプトで制作されたのでしょうか?
井手:サウンドのコンセプトとしてはロックです。最初に石原さんと話をしたときにT・レックスやルー・リード、デヴィッド・ボウイが好きだという話題で盛り上がったんですよね。ファーストのときはサイケデリックやアシッドフォークをやりたいという気持ちがあったんですが、セカンドは石原さんと会話を重ねていくうちに、オーガニックとか自然体な要素をなるべく排除した、人工的でギラッとしたロックをやろうという話になりました。そして出てきたのが「グラム・ロック」というキーワードでした。制作を経てもっと広がって、70年代の黄金期のブリティッシュ・ロックを意識するようになりました。
デヴィッド・ボウイのように、ジギー・スターダストという架空の人物の物語をアルバム全体を通じて構成していくというのは、非常に映画的なものでもありますよね。自分にとってのそれがエクスネ・ケディだったということです。
■先日『ele-king』に掲載されたインタヴューでも、石原さんは「僕はどうしてもロックの属性からは逃れられない」とおっしゃっていましたけど、井手さんにもそうした側面はあるのでしょうか?
井手:そうですね。ファーストも、あくまでロックの文脈で作ったつもりです。
■井手さんは以前吉祥寺バウスシアターの運営に携わっていましたが、映画についてもロックとの関わりから考えていらっしゃるのでしょうか? たとえば爆音映画祭という、ライヴハウス並みの音響設備で映画を観るという試みもありました。
井手:いや、映画はそこまでロックとの関わりを考えている訳ではないですね。「ロックとは何か」という話にもなるので表現が難しいですが、爆音映画祭に関して言うと、実は「繊細さ」にフォーカスした上映の仕方だと思っています。音量を大きくするのは、単純に音量を上げるというよりも、音の繊細な部分を持ち上げるためなんですよね。通常の映画館では聴こえてこないような小さな音がはっきりと聴こえてくることによって、映画そのものの見え方まで変わってしまうという、本来ありえない体験。なので爆音映画祭はロックというよりも、もっと繊細なものとして考えています。もちろん、元々大きな音がさらに爆音になり、こちらを圧倒するような音の壁が現れてくる瞬間も、ロックに触れたときのような快感があることも確かです。
■なるほど、つまり爆音映画祭はむしろファースト・アルバムにおける「小さな音の繊細な重なり合い」というところに通じるんですね。
井手:そうですね。「音の繊細さ、その重なりから大きなうねりへ流れ込んでいく快感に面白さを見出す」という意味では、爆音映画祭で自分が培った感覚はファースト・アルバムと繋がりがあるかもしれません。
■それは映画での経験が音楽に活かされているということのようにも思います。セカンド・アルバムに関して、映画の経験からフィードバックしたものはありますか?
井手:実はセカンドの方が映画との繋がりがあると思っています。今回のアルバムは一本の映画のような作品にしたいなと思って制作したんです。映像のない映画と言ってもいいかもしれないです。たとえばビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』やデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』みたいに、架空のバンドがアルバムの中に登場するような、コンセプチュアルな作品にしようと考えていました。デヴィッド・ボウイのように、ジギー・スターダストという架空の人物の物語をアルバム全体を通じて構成していくというのは、非常に映画的なものでもありますよね。自分にとってのそれがエクスネ・ケディだったということです。
「脚本・主演は井手くんで、監督は僕ね」って石原さんに言われたんですよね。僕としてはとても納得がいって、アルバムが完成するまでその考え方がずっと軸になっていました。
■つまり一枚のアルバムを通して物語を提示しようと考えたということでしょうか?
井手:ある意味ではそうですね。ただ、アルバムではそんなにはっきりとストーリーを提示してはいないんです。映画でもそうなんですけど、ストーリーを伝えることがメインになりすぎてはいけない。それよりも作品内時間のそれぞれの瞬間に快楽があるものにしたいと思っていて。とはいえ、実は裏にはちゃんと物語があるので、曲順もすべて意味があるんですよね。物語の内容はバンド・メンバーにも共有しています。
■映画的であり、演劇的でもありますよね。演劇って、役者がそこにはいないはずの人物を演じて、あたかもいるかのように観客に思わせるというパフォーマンスじゃないですか。井手さんの作品には、これまで「幽霊の集会」や「ポルターガイスト」など幽霊的なものがテーマとして出てくることがありましたが、幽霊というのも「本当はいないはずのものを、あたかもいるかのように感じる」という意味で演劇と似たところがあります。井手さんはなぜ、幽霊的なものに対して興味を抱いているのでしょうか?
井手:映画でも音楽でも、サイケデリックな感覚、つまり「今・ここにいる場所からどこかに飛んで、今・ここではない場所に行ける」という快楽を求めて観たり聴いたりしているんですよ。なのでそうした体験をもたらす要素を自分の作品にも取り入れたいとは思っています。幽霊という存在においては「目には見えないけれど、いる」という存在の仕方が成立しますが、そういう現実の成り立ちが揺らぐような感覚を音楽に取り入れられたらと思っています。
■幽霊的なものを感じるという意味で影響を受けたミュージシャンや作品はありますか?
井手:色々あります。このアルバムを作るうえで影響を受けた音楽はたくさんあるんですが、映画も結構あるんです。「この曲ってあの映画みたいだな」とか、「この曲順はあの映画のエンディングだよな」とか、そういうふうに、つねに頭の中で映画と結びつけると、僕にとっては制作が進めやすいところがあるんです。このことは石原さんとも話してて、セカンドを作りはじめた最初のころに「脚本・主演は井手くんで、監督は僕ね」って石原さんに言われたんですよね。僕としてはとても納得がいって、アルバムが完成するまでその考え方がずっと軸になっていました。また、ロバート・ゼメキスという映画監督がとても好きなんですが、セカンドを制作しているときは彼の作品がなんども頭のなかに浮かんでいましたね。なかでもいちばん結びつきが大きいのは『コンタクト』(1997年)というSF映画でした。あの作品からはものすごく影響を受けたと思います。
■どういう点で影響を受けたのでしょうか?
井手:『コンタクト』は地球外生命体と人類の接触をテーマにした物語なんですが、これから観る人の楽しみを損なわないように簡単に説明すると、最終的にジョディ・フォスター演じるエリー・アロウェイが宇宙に行ってものすごいトリップ体験をするんですよ。そこで、会うことがありえない存在に会う訳ですね。でも、同時に、見る人から見たら宇宙には行っていないとも言えるような、とにかくそんなトリップなんです。僕はこの映画がとても好きで、そこから着想を得たのがセカンド・アルバムの2曲めの “妖精たち” っていう曲なんです。他にも4曲めの “ポルターガイスト” や9曲めの “ぼくの灯台” もそうなんですが、「もうここにいない存在に会う」というのがアルバムの節々でテーマになっていきました。なので『コンタクト』からはものすごく影響を受けていて、アルバム・タイトルにも「コンタクト」という言葉を入れているんです。
■たしかにタイトル(『Contact From Exne Kedy And The Poltergeists』)にも「コンタクト」というワードが入っていますよね。ちなみにタイトルにあるエクスネ・ケディという名前も映画と関係があるんでしょうか?
井手:内緒です(笑)。これは石原さんと話している間に偶然生まれました。ロックをテーマにアルバムを制作するにあたって、僕が僕のままではダメで、僕以外の誰かになる必要があると思ったんです。自然体ではなく、自分に何らかの圧を加えて歌ったり、グラム化した楽曲が求める歌手を演じたいと思ったときに、別人格を作る必要があったんですね。自然な流れでそう考えたので、「あ、おそらくジギー・スターダストもマーク・ボランもこうだったんじゃないか」と思ったりしました。とにかくエクスネ・ケディという別人格が生まれて、そして曲のアレンジもまるで別人格を持ったように生まれ変わっていきました。不思議だったのは、どんなにアレンジを変えて、いろんなものがそぎ落とされていっても、曲が持つ純粋な部分だけは残ったんです。むしろ、たとえば寂しい曲を明るく歌うことで、逆にその寂しさが浮かび上がってきた。「架空の自分を通して本当の自分を見つける」という体験ができたことは非常に新鮮でした。
高尚そうなアート寄りのものではなく、昔のパルプ・マガジンとかタブロイド新聞に載ってる小説みたいな、いわばキッチュさ・安っぽさが必要だと。道端で風に吹かれて舞っている捨てられた新聞の芸能欄、のような。
■セカンド・アルバムでは楽曲ごとに異なる歌い方に挑戦されてますよね。それも「演じる」という意味で意識的に取り組んでいるのでしょうか?
井手:そうですね。石原さん、レコーディング・エンジニアの中村宗一郎さんとみんなで模索しながらやった結果、ああいうかたちになりました。歌い方を曲ごとに変えるというのは初めての試みでした。
■楽曲ごとにモチーフとなるような歌手はいたのでしょうか?
井手:基本的にはいませんでした。とにかくロック的なるものとはなんだろうということを考えていて。それは自然体ではなく人工的なものだろうと思っていました。歌について石原さんが言っていたことでなるほどなと思ったのは、一見どんなに優しげな声で歌っていても、その中にある種の怒気や苛立ち、歪みを内包しているべきだ、と。
■いろんな歌い方をされたなかで、井手さんにとっていちばんしっくりくるものはありましたか?
井手:1曲めの “イエデン” のファルセット・ヴォイスは、なかなか気持ち悪いんですけど(笑)、その気持ち悪さが気持ち良いなとは思いました。逆に4曲めの “ポルターガイスト” は、気持ち悪さがそのまま気持ち悪さとして出てるというか(笑)。あと今回は曲によって、自分が歌わなくてもいいと思ったものもあるんですよね。それは自分よりも作品に奉仕しようと思っているからです。僕よりも mmm (ミーマイモー)やメイちゃん(mei ehara)が歌った方が良い作品になると思ったら、僕はあくまでも後ろでかすかに歌うだけにしたり。そういうふうに、曲によって何がいちばんふさわしいかを考えていましたね。
■ファーストのときも井手さんの個性を前面に押し出すというよりは、当時のメンバーと協働作業をおこなうなかで初めて生まれてくるような作品だったと思います。その意味では、自己表現よりも作品を重視するというセカンドのあり方と共通しているのではないでしょうか。
井手:そうですね。それは基本的には変わってないと思います。とはいえ一方で今回は架空の自分を演じるというところがあったので、自己表現でもありましたが。架空の自己表現。“イエデン” で僕はファルセットで白痴のように歌ってますけど、バンド・メンバーはそれを無視するように淡々と演奏しているんですよ。そういう、ロック・バンドとして面白いかたちはなんだろうと探しながら制作しましたね。
■プロデュースを務めた石原洋さんの存在が今回のアルバムでは非常に大きいと思うんですが、サウンド面で石原さんの味が出ているなと井手さんが思うポイントはどういったところになりますか?
井手:やっぱり石原さんのプロデュースでアレンジが大きく変わりましたね。石原さんがあっと驚くようなイメージを伝え、それを中村さんが捉えて具現化する、僕やメンバーは演じる。マジカルな瞬間がたくさんありました。それまでの自分の曲が、より都会的に、退廃的に、流麗に、人工的になりました。なんて言ったらいいんでしょう、いい意味でサウンドに「軽さ」が出るっていうか……。僕の曲にまとわりついていた余計な重みが全て石原さんによって剥がされましたね。そしてキッチュな服を着て、夜の都会に出ていきました。あとは、石原さんは常にアルバム全体の流れ、起承転結を考えていらっしゃいましたね。先にできてきた曲を見ながら隣接する曲のアレンジを変えていく感じです。「僕はコンセプト・アルバムしか作れない」とおっしゃってました。
■楽曲制作のときに石原さんと交わした言葉で特に印象に残っているものはありますか?
井手:それはいろいろありますよ。まさしく自分の財産になるようなものです。石原さんが今回よくおっしゃっていたのは「ギラギラした感じ」という言葉と、あと「安っぽさ」「野卑なムード」ということでした。それは非常に新鮮でしたね。作曲者である僕は、どうしてもアート作品としてかっこよく見える方を選んでしまうんですが、石原さんは、高尚そうなアート寄りのものではなく、昔のパルプ・マガジンとかタブロイド新聞に載ってる小説みたいな、いわばキッチュさ・安っぽさが必要だと。道端で風に吹かれて舞っている捨てられた新聞の芸能欄、のような。
■石原さんと井手さんで意見が衝突することもあったのでしょうか?
井手:もちろん意見が異なることはありましたけど、今回は「脚本と主演が僕で、監督は石原さん」ということがその都度拠り所になりました。石原さんがアレンジをいろいろと提案してくださって、自分の提案と組み合わせながらやっていったんですが、やっぱりメロディと歌詞は脚本なのです。アレンジがどれだけ変わっても残る、曲の本質の強さみたいなものがあるんだなと思いました。あと僕はもともとコーラスワークが好きで、よくメロディにハモりをつけるんですけど、今回はとにかく徹底的にハモリが排除されましたね(笑)。何曲かに残っているだけです。ほっとくと僕はすべての曲にほぼ無意識にハモりを入れてしまうので、その度に石原さんに却下されました。でもいまアルバムを聴いてみるとやめて正解だったと思います。
■最後にひとつお訊きしたいことがあります。アルバムの話から外れてしまうんですが、現在、音楽業界をはじめ社会全体が大変深刻な状況に直面しています。スペースの運営に携わった経験があり、音楽家でもある井手さんにとって、いまの事態はどのように見えていますか?
井手:うーん……今回のことは本当にどうしたらいいかわからないですよね。芸術が生命維持に必要不可欠である、と自国の政府は言ってはくれませんが、僕は必要不可欠であると思います。本当に信じ難い政府だなと思いますね。ただ、自分はレベル・ミュージックをやることはないでしょう。しかしそれでもなお、この嘘みたいな現実の中に、こういった壮大な狂った冗談のようなフィクションが、存在してもいいのではないか。難しいですけど。
■急に難しい質問を投げかけてしまい、失礼いたしました。本日はどうもありがとうございました。
井手:ありがとうございました。初めてテレビ電話で取材を受けたんですけど、なかなか慣れないですね(笑)。やっぱり喋るときは同じ空間にいた方がやりやすいです。話を盛り上げていくうえで、ちょっとしたタイムラグがコミュニケーションにおいて結構大きな壁になるような気がします。
5月になった。3月中旬から始まったコロナヴァイラス隔離生活も1ヶ月半になリ、朝起きなくて良い、何もしない生活がデフォルトになった。

天気が良くなってきたので、人は外に出ているし、マスクをしているだけで、あまり普段と変わりがなくなってきた。バーのカクテル、ビールなどのテイクアウトも流行っていて、週中、週末関係なく昼から列ができている。買っても店内で飲めないので、結局外で飲むのだが、警察に止められることはないらしい。この状況なので、警察も見て見ぬ振りなのか、ニューヨークもニューオリンズみたいになってきた。
バスは無料になり、地下鉄は15ヶ月かかると言われていたLトレインのトンネル工事が12ヶ月で終わり、夜中1時から5時にサニタイズをする為に、24時間営業が一時停止になっている。
学校からは月曜日から金曜日まで食事が支給され、$1200のチェックが送られ、失業保険にはプラス$600が毎週支給されている。アンチボディ(抗体)テストも無料でできるようになった。お金を使う所がない。

というわけで、ニューヨーカーたちはグローサリーショッピングに精を出し、料理の腕を上げ、パンやケーキなど、ベイキングする人が増えた結果、小麦粉が品切れ状態。私はたこ焼きの小麦粉を買いに行こうとしたら、どこのスーパーも売り切れていて、はてと思ったのであるが、私も最近パン作りにはまり、毎日のように酒粕ミルクパンを焼いている。知人が、ブッシュウィックに酒ブリュワリーをオープンし、よく酒粕を分けてもらっているが、オープンしたとたんにこの状況。が、最近デリバリーを始めたところ結構オーダーが入っているらしい。近くのファンシーなペイストリー屋さんは普段より忙しい、と言っていた。買いに行ったら、そこだけ行列ができていたし、自分のためというより、お土産や人に送るものが売れているらしい。公園に行くとお花見しているグループもいたし、そろそろ自炊に飽きてきた人が外に出始め、ちょっとファンシーな食べ物やカクテルに、お金を使うようになってきたようだ。
音楽ライヴは今年はお預けという噂が流れるなか、ミュージシャンはライヴストリームをしたりインスタをあげたりしてはいるが、それがオンラインの売り上げにつながれば良し。毎日のように新作はリリースされているが、ライヴ活動はできないので、オンラインだけでの売り上げとなる。バンドキャンプは3月20日に手数料を無料にする日を設けた。ここでは430万ドルを集め、プラットフォームの歴史上最大の販売日となった。 音楽、商品からの収益は、24時間でバンドキャンプの通常の15倍になり、1秒間で11アイテムが販売された。これを受けて、5、6、7月の第一金曜日も、手数料を無料にする日を設けた。このように音楽プラットフォームも少しずつ動き始めている。
https://techcrunch.com/2020/05/01/bandcamp-is-waiving-fees-today-in-support-of-artists/

普段に近づいているようだが、人に会えないのが辛い。アパートの前で6フィート離れて話したり、窓越しに話したりはするが、一緒にジャムしたり、遊びに行くのはまだ遠い。外に出る時は、マスクやフェイスカバーをつけ手袋をしている。マスクも無料で配られている。
5/2現在でのコロナウイルス統計:ニューヨークでの流行の追跡

ニューヨーク市では17万人が感染して2万人弱が死亡している。私の周りにはかかっている人はあまりいないが、病院には霊柩車がいつも止まっているし、先日ユダヤ人の大規模なお葬式がウィリアムスバーグであり、ソーシャルディスタンスが守られていない。ということで、デブラシオ市長が怒っていた。
https://gothamist.com/news/crowded-hasidic-funeral-williamsburg-coordinated-approved-nypd
またニューヨーク図書館が「失われたニューヨークの音」というサウンドトラックをリリースした。
アンダーグラウンド・ショーを見に行く音、ラッシュアワーの音、公園の音、夜のバーの音、タクシーを呼ぶ時の音、近所の音、図書館の中の音などなど。普通な音が懐かしいと思うのもこういう時だからこそ。
https://gothamist.com/arts-entertainment/nypl-has-released-album-nyc-sounds

だいぶギスギスしてきた。「あつまれ どうぶつの森」もいいけれど、こういう時は音楽なら「声」に着目したい。各国の感染症対策を見ると、メルケル(ドイツ)、アーダーン(ニュージーランド)、ツァイ(台湾)と女性リーダーの国が比較的うまくいっているという報道が多い。北欧もスウェーデン以外は女性がトップで(ゲイが首相を務めるアイルランドとともに)やはり評価が高い。ウイルスから身を守る時に「女性の声」で自粛を要請された方が国民も受け入れやすいという分析があり、ということは男性の声で「打ち克つ」とか「戦争だ」と勇ましいトーンで呼びかける国はあまり穏やかな気分にならず、実際、リーダーに対する評価も低い。うぐいす嬢が駆り出されて「選挙戦に勝とうとする」構図が繰り返されていると考えればいいだろう。「声」には「顔」や「思想」に匹敵する情報が含まれ、その効果は侮れない。ヴァリエーションもDNAの数だけ存在する。
とはいえ、自分の「好きな歌声」を正確に把握することはは意外と難しい。言い方は悪いかもしれないけれど、「いい音楽」というファクターに騙されやすいのである。サウンドもある程度はいいものでないと音楽を聴いている意味がなくなってしまうので、そこは自分なりに線引きをすべきだろうけれど、「声」が前景化しているという意味ではラップがいい検討材料となる。去年、湯山玲子とヒップホップについてダラダラと話をしていた時に、サウンドに対して興味がなくても「好きな声」ならいつまででも聴けるという、身もふたもない結論に達してしまった。このサイトに掲載されたリトル・シムズの記事を読んでドハまりしたという湯山さんは『Grey Area』ばっかり聴くようになってしまったそうで、それだったら自分はなんだろうと考えた時に、自分の頭に浮かんだのはエミネムやスラッグ(アトモスフィア)といったハリのある声や、ちょっと変わった声、とくに鼻声ではないかと思い当たった。
思想家の内田樹はかつてアメリカのポップスには「鼻声」が許容されていた時期があり、それは1977年でピタリとなくなったと書いていた。大国としての自信を失ってしまったアメリカはニール・ヤングやジェームス・テイラーの「鼻声」を受け入れる強さを失い、歌声は怒りや無機的な声に取って代わられたと氏は論じていた。「強い人間だけが、平気で泣くことができ」たし、そういう時代は終わってしまったのだと。世代が違うので、こうした考察を実感として受け入れるのは少しハードルが高いけれど、いわゆる「昔の曲はいい」という意見を聞く時に「昔の曲には現代に特有の感情が歌われていない」とはよく思うことだし、喜怒哀楽が他人事のようにしか感じられないとも思うので、僕がニール・ヤングやジェームス・テイラーの声に物足りなさを感じるのであれば、表現される「弱さ」の質も変化しているということが考えられるから、「怒りや無機的な声」の後で「鼻声」はどう変わったかを追ってみれば、内田樹の理屈にのることも可能になるだろう。そして、実際、僕が1977年以降、最もインパクトを感じた「鼻声」は戸川純とギャビン・フライデー(ヴァージン・プルーンズ)だった。彼らの声は明らかに「怒りや無機質を含んだ鼻声」であり、その延長線上にはビヨークがいたのでる。それこそ音楽はそれほど好きでなくても、僕にとっては「ついつい耳がいってしまう声」の持ち主がビヨークであり、その影響も世界規模に及ぶものだった。さらにいえば、先週、ブレイディ『Exeter』のレビューで、偶然にも書いたように僕が好きなラップはサイプレス・ヒルとTTCだった。声のことなど何も考えていなかったけれど、彼らも見事なほど鼻声である。僕は無意識に「鼻声」ばかり追いかけていたらしい。
ピュリティ・リングのシンガー、ミーガン・ジェームズも最初から僕の耳を捉えて離さなかった。彼女の場合は「怒りや無機質を含んだ鼻声」ではなく、またしても時代が変わったのか、「甘えを含んだ鼻声」である。去年、繰り返し聴いたベイビーゴスもまったく同じくで、ウィズ・カリファをフィーチャーした“Sugar”は舌ったらずで甘えの要素をさらに強調するような鼻声である。ここまで来ると歌声を聴くためにしか聴いていないことは確かで、「鼻声」に興味がない人は……とっくに読んでいないだろう。ミーガン・ジェームズの歌声はかけらもアホっぽくなくなったというか、多少の無邪気さは失ったかもしれないけれど、軽く詰まったような鼻声はまったく変わっていない。コリン・ロディックによるグリッチを通過したシンセ~ポップ・サウンドも、以前の曲でいえば“Cartographist”を受け継ぐように重々しさを加え(ベースが太くなり、アウトロがしつこくなったかな)、暗くて巨大なものに押しつぶされながら小さなものが光っているという切ない存在感を以前よりも際立たせ、物悲しさやむせび泣くような哀愁をみっちりと伝えてくる。簡単にいえば、たくましくなっている。そして映画『シャイニング』を思わせると評された歌詞は、それこそ戸川純「赤い戦車」や「肉屋のように」とイメージがダブルほど生理的かつ内臓的で、アルバム・タイトルもずばり『子宮』となった。そう、ブレンダ・リー“The End of The World”やジュリー・ロンドン”Cry Me A River”にはない現代的な感情がここにはしっかりと刻み込まれている。
同じ曲が人によっては違う効果を与えるということもあるだろう。新型コロナウイルスはDNAによって症状が変わるという仮説も浮上しているし、歌声に対する好みが千差万別であることは疑いがない以上、自分が好きな「歌声」は(サウンドとは分けて)自分でしっかりと探した方がいい。ソーシャル・ディスタンシングが叫ばれるなか、セクシャリティを有効に保つためにも(つーか、アベノマクスがまだ来ない〜)。
ライヴ会場を救おうというUKの#saveourvenuesは、すでにドネーションが100万ポンド(約1億4千万円)に達したそうだ。これは、アマゾン・ミュージック、ベガーズ・グループ、ソニー、キリマジェロ・ライヴ、DHPなどといった企業からの寄付が大きい。さらに現ロンドン市長サディク・カーンの緊急文化援助基金より、45万ポンド(約6300万円)が追加される見込。
#saveourvenuesを主宰するMVT(The Music Venue Trust)は、当初、営業できない全国のヴェニューを救うには最低100万ポンド必要だと公表してこのキャンペーンを開始した。ベガーズ・グループ社長のマーティン・ミルズは即「私たちが生き残るにはこれらの場所が必要だ」として「このキャンペーンを完全に支持する」と意思表示している。欧州アマゾン・ミュージックの責任者も「UKのライヴ事業は特別で、UK音楽文化の重要な要素だ」とし、UKの音楽コミュニティのサポートに手応えを感じているようだ。
これを日本に当てはめて考えると、#saveourspaceに東京都知事がぼんと6千万の援助金、およびいくつかの儲かってる企業もぼんとお金を出して、とにかく音楽は重要な文化なのだから全国のヴェニューを救おうと、そういうムーヴメントが起きているという洗煉された話です(金なら無利子で貸すという冷たい話じゃありません)。


