「Noton」と一致するもの

戸川純ライヴ - ele-king

 紙エレキングの連載「ピーポー&メー」が絶賛脱線中の戸川純が年明けからマンスリー・ライヴに突入します。
 1月はキノコホテルと対バン(24日)、2月は神聖かまってちゃんと対バン(21日)、そして、3月は恒例のバースデイ・ライヴをワンマンで行ないます(22日)。
 会場は新宿ロフト。トイレのアートは快速東京の福田哲丸によるものです。詳細は以下。
 https://rooftop.cc/news/2012/12/05183107.php

 しばらく体調のすぐれなかった戸川純がこのところ、少しずつ回復の兆しを見せています。このまま行くと、早晩、80年代のようにランドセルを背負って走り回り、デカい羽をつけて空を飛び回ってしまう日も近いことでしょう。そうなってしまったら、なにがなんだかわからなくなって、エレキングでもフォローし切れるかどうか。その予兆を感じ取るかのように映画『ヘルター・スケルター』でも「蛹化の女」が挿入歌として使用され、監督の蜷川実花によるセレクション・アルバム『蛹化の女〜蜷川実花セレクション』までリリースされてしまいました。これを機に新しいファン層が雪崩れ込むのか。古くからのファンがそれを押し返すのか。ステージだけでなく会場内の攻防からも目が話せない! これまで保たれていた男女比のバランスにも注目!

 つーか、三上寛・後編はどうなってしまうんだろう......

ele-king vol.8  - ele-king

〈巻頭インタヴュー〉ブライアン・イーノ、ロング・インタヴュー
&アンビエント・カレント、カタログ15タイトル!
〈座談会〉2012年の音楽シーンを語り尽くす!
<レヴュー>2012年エレキングランキング30     他

Prince Rama - ele-king

 ギャング・ギャング・ダンスがよりレフト・フィールドな感性に支えられ、また受け入れられていたのに対し、プリンス・ラマは、もっとずっと素朴な動機からトライバリズムへと向かったデュオではないかと思う。彼らのサイケデリアにおけるヒンドゥーなりアフリカなりチベットなりといった意匠は、ある意味では純粋というか、「なんとなく好きだからそうしているのー」というあけすけさが裏返ったような、奇妙な強度を持つものだ。
 先日のDOMMUNEや次号ele-kingの2012年総括座談会でも述べたが、ネットワーク化によって作品の発表形態や享受のありかたが決定的に多様化するなかで、人と音との関係の恣意性は上がっている。昨今「ロックを聴くならオアシスから」といったような定式がまるで見当たらないのは、ヒーロー不在のためなどではなく、ヒーロー不成立のためだ。興味が拡散し、ジャンルは細分化を極め、視聴可能な音源のアーカイヴも無限に膨張、昔の音がそしらぬ顔でいまの音に並ぶ(「昔の音はいまの音」三田格)......そのような地平で、われわれはまさにある音楽と「たまたま出会う」傾向を深めている。同座談会では、そんなリスナー実感を竹内正太郎がとても素直に述べている。このリアリティをピックアップしたかったので、タイトルは「僕らは偶然聴いている」とした。シニア組の座談会が「若者に反抗が戻ってきた!」という話からはじまるのと、おもしろい対照を生み出していると思う。宣伝、失礼しました。21日発売です。

 こうした傾向に照らし合わせるならば、プリンス・ラマの「少し遅れてきたブルックリン」的なトライバル・サイケは、まさに恣意的に選択されたスタイルだったのではないかと思い当たる。彼らは、それに向かうことになった動機に深く絡め取られることがない。もしこれがマジなトライバル志向や呪物崇拝に突き動かされた音楽だったのなら、今作のようなイメージ・チェンジはあり得なかっただろう(ジャケを見るだけでも明らかだ)。そのかわり、2000年代の終了とともにその存在も風化していったことだろうと思う。正直なところ手詰まりな感のあった音やキャラクターを、あっさりと翻すことができたのは、彼らのモチヴェーションの軽やかさのためではないか。今作においてはそうしたことがあらためて浮き彫りになった印象だ。

 しかし表層を離れると、彼らの一貫性もまた見えてくる。というか、『トップ・テン・ヒッツ・オブ・ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド』というコンセプトが与えられたことで、これまでのエセ密教やエセ黒魔術的なトーンがすっかり相対化されてしまった。それらは今回のエセ・サイバーパンク同様、「世界の終わりのヒット・ナンバー10」のひとつだったのです、という具合である。じつに幻術的な縫合だ。しかし間違ってはいない。彼らの瞳のなかでは、どちらも同じようなものだったということだ。
 ジャケットでは、コンピュータの内部世界を記号的に表現した『トロン』的なマス目空間に、非西欧世界のモチーフがコラージュされている。ネット世界のゴミくずを適当にかき寄せるヴェイパーウェイヴ的な感性に共振するように見えるのは、やはり自らのトライバリズムに向かう姿勢が、ちょうどそれに類似したものだったからだろう。その意味では、本年作としても時宜を得た転身だったと言える。

 思いがけないところで、〈ノット・ノット・ファン〉~〈100%シルク〉にも接続した。ニューウェイヴィなディスコ・チューンに、ウィッチなヴォーカルがかぶさり、これまでの傾向を引き継ぐどろっとしたプロダクションで仕上げられている。アマンダ・ブラウン関連の諸作に並べられるだろうし、〈シルク〉の顕著なディスコ志向にも沿っている。音楽的にも脱皮を図った、というか、脱衣を図ったような変化と一貫性がみられる。アニマル・コレクティヴに見初められ、〈ポー・トラックス〉から出てきた彼らが、リアルな森ではなく、ヴァーチャルな情報の森に遊んでいることを感慨深く眺めた。1曲挙げるならば“ドーズ・フー・リヴ・フォー・ラヴ・ウィル・ラヴ・フォーエヴァー”か。

Tim Hecker & Daniel Lopatin - ele-king

 先日、ダニエル・ロパーティンのシンセ・ポップ・ユニット、フォード&ロパーティンの『チャンネル・プレッシャー』を聴き直したところ、この音楽の、シンセ・ポップを装ったある種の「アンビエント/プロセス・ミュージック」めいた作りに気づかされた。歌と伴奏が分離しているようでしていない。それぞれのパートが万華鏡のようにゆっくりと変化する。近視眼的に聴けば、ところどこの音響的な変化や仕掛けがわかる。彼のワンオートリック・ポイント・ネヴァー(OPN)名義のノイズ/ドローンのカタルシスにも、彼のクリアなデジタル音響による空間的なモーフィング(変化)がある。
 いっぽうのティム・ヘッカーは、『レイヴデス,1972』がそうだったように、なかば宗教的とも言える崇高さを音響のなかに求めている、と僕には思える。過去にも、美の求道者さながら洞窟や教会における音響/残響をなかばスピリチュアルなアンビエントとして蒸留している。タイプの異なる、そして熱心なファンを持っているふたりの共作『インストゥルメンタル・ツーリスト』がリリース前から注目を集めるのは当然である。

 『インストゥルメンタル・ツーリスト』には、トーマス・マンに捧げられ曲があり、"人種差別的ドローン"や"消費のための儀式"なる曲名、また、「観光客」「パリ」「芸者」「Tascam」といった言葉からもアルバムが聴覚的な面白さのみに限定したものではないことが察せられる。ロパーティンの音楽は、デジタルを使いながらデジタルの牢獄から精神を解放するかのような柔軟性と自由度がある。ときにそれは、ポスト・モダン的な相対的なものとして表出する。ゆえに彼は安っぽいシンセ・ポップも実験的なノイズ/ドローンも並列してなんでもできる。
 かたやティム・ヘッカー、彼が求める崇高さは、トーマス・マンを持ち出すほどだから、「芸術」と呼ばれるものの意味を再考するものなのだろう。アルバムは全体的に言えば、ロパーティンの奔放さ(ノイズ)はほどよく抑制され、ヘッカー色が強く出ているように感じられる。ヨーロッパの重みを思わせる、異様なほどの陰り、悲嘆とメランコリーが聴き取れる(とくに"人種差別的ドローン"はすごい迫力)。そして、それら陰影の隙間からは美がこぼれる。もう少し両者の(異なる価値観の)せめぎ合いを見たかった感はぬぐえないが、聴き応えはたっぷりある。

 考えてみれば、チルウェイヴという良くも悪くもB級趣味の流行のなかで生まれたのがロパーティンの〈ソフトウェア〉というレーベルなので、『インストゥルメンタル・ツーリスト』は世俗における耽美派といった趣とも言える。2012年は、ある種の隠遁的態度を表明するかのように、グルーパーのライヴが養源寺でおこなわれ、ブライアン・イーノが21世紀に入って初のアンビエント作品を発表した年である。シンリ・シュープリームが10年ぶりに新曲を出してもいるデムダイク・ステア、アンディ・ストット、レイム......陰鬱さのなかに夢を見ようとするゴス/インダストリアル・リヴァイヴァルがいよいよ際だった年でもあった。そんな1年の締めくくりに相応しいアルバムだと言えよう。

Burial(ブリアル) - ele-king

 映画『ぼくのエリ』はホラーというよりは、ロマンスである。夢見る少年の恋愛映画だ。冷血さや残忍さゆえにヒットしたのではなく、家にも学校にも居場所のない孤独な人たちのロマンティックな物語に共感したのだと思う。選挙前に何を言っているんだかという話だが、これは痛みながらも夢見ることを抑えきれないという話だ。ダーク=暗い、ではない。ダーク=たとえ暗くても夢想を止めない、である。深夜にしか出会えないとしても、愛は芽生える。
 結局のところブリアルが先鞭をつけたのはこの感覚だった。痛みを感じながらも、陰鬱でありながらも、しかし、じゃあ、もう諦めればいいのかと言えば諦めきれない夢想者、その善し悪しはともかく、この感覚が最近もっとも噴出しているのがロンドンの〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉で、そしてアンドリュー・ウェザオールやドレクシアらがいまも古くならない理由もこの感覚がこのところ年々強まっているからだ。

 ゴシック路線を打ち出した「キンドレッド」以来いきなりリリースされたニュー・シングル「トゥルーアント」は、アンディ・ストットやシャックルトン、いま個人的にいちばんのお気に入りのレイム(Raime)のデビュー・アルバム『クオーター・ターンズ・オーヴァー・ア・リヴィングライン』などとも重なる。ブリアル芸とも呼べるR&Bサンプルを相変わらず使いながら、11分を超えるタイトル曲はスムーズなグルーヴとベース音があり、埃をかぶった物置に何十年も放置されたままのレコードのチリノイズさながら、つまり何らかの遺物の存在を思わせる音響、そしてセクシャルな色気で構成されている。「キンドレッド」のように組曲めいた展開があり、機能的なクラブ・ミュージックとは別次元で語りかける。アンディ・ストットの『ラグジュアリー・プロブレムス』は日本でも瞬く間に売れたそうだが、理由はインディ・リスナーも虜にしたからである。
 アルト・ジェイのアルバムは「すべてのフェスティヴァルを笑え」という歌詞からはじまっている。音楽は予見的である......というジャック・アタリの有名な言に従うなら、ブリアル以降におきている変化は、とても興味深い。僕は家でヴァージン・プルーンズの「ペイガン・ラヴソング」を久しぶりに聴いた。選挙は消去法で考えるしかない。これでマスコミが言うように自民党が圧勝したら、ブレイディみかこさんが紙エレキングで書いているように、情況的には日本もまたパンク前夜に似ていると言えるだろう(実際にこの後、パンク・バンドが出てくるという話しではないです)。

Padna - ele-king

 諸行無常、有為転変、音もまた減衰するのが自然の理だ。車のクラクションのようにいつまでたっても弱まらない、太く無遠慮な音が重ねられたシンセサイザー・ドローン"Ddiigduuggg"(ディグダグと読めばいいだろうか?)がどこかはかなく哀れなのは、それがアンリアルを体現するからである。笙を吹くような、クラスター的な音の重なりは、ピアノであったならば自然さを得て心地よく耳になじんだだろう。しかしこの太い断面を露わにしたでくのぼうのような音は、さまざまなノイズを加えて展開を見せる後半部においても不器用に明滅している。
 一転して空間的な隙と広がりを生むミュージック・コンクレート"カフォニック・フォグ"で用いられているのはピアノである。ダンパー・ペダルによってほどよく音は重なり、やがて消える。ひどくこもったプロダクションと、レースの波のように広がるヒス・ノイズが、なんともノスタルジックに幻想性を立ち上げ、すべての音は残響として、減衰しつつも永遠的な輪郭を得るかのようだ。消えゆく音に対してこうも鋭利な感性を持ちながら、平然と"Ddiigduuggg"のようなトラックを冒頭にすえる制作主は、サディストに違いない。電子音に向けたいびつな愛情を感じずにはいられない。この哀れな"Ddiigduuggg"のために、本作は偏執的で嗜虐的な性質を持ったアルバムであるとあえて記しておきたい。

 パドナことナット・ホークスはブルックリンで活動するアンビエント作家。どうも彼にもおびただしい音源のアーカイヴがありそうだが、未詳である。アンダーグラウンドなテープ・シーンの存在を感じさせ、おそらくプロパーなリリースとなるのは本作が初なのではないだろうか。ジャケットからもご推察のとおり、毎度メディテーショナルな作品をマーク・ゴウイングのスタイリッシュなデザインでパッケージングする「サーカ」企画の新作である。〈プリザベーション〉の300枚限定シリーズとして今年で2年め、通算12作めになる。同シリーズで今年かなりツボだったミラー・トゥ・ミラーの無邪気さとは対照的な作風だ。
 "ペルツ"や"ネヴァー・レット・ミー・ゴー"は、シンプルでオーガニックとさえ呼べるアコースティック・トラックに仕上げられている。それぞれ砂地に重いものを引きずるようなサンプリング音源や、低いエンジン音のようなものがフェティッシュに使用されているが、おおむねフォーキーで情緒ある佇まいをしている。いや、後者には発作的に例の無遠慮なシンセサイザーが闖入してくるので、少しも気が休まらない。
"シューグ"も気だるげなサイケデリック・フォークだが、盛大にピコピコが盛られ、スペーシーでエクスペリメンタルな相貌を見せている。ここでは声のサンプルが変調され、合成され、また執拗なほど持続的に用いられる。消えるべき音を消させない、ここにもナット・ホークスの嗜虐性が浮かび上がる。

考えてみれば、このパドナからミラー・トゥ・ミラーまで、複数の作品が同一コンセプトの下によく似たジャケットを着せられていること自体が奇妙な倒錯を含んでいておもしろい。まるで制服だ。しかしそれゆえに微細な差異が大きな特徴としてクローズ・アップされてくるように思われる。よるべなきネットワーク上の個に対し、タグやレーベルの持ちうる力をあまりにあからさまに視覚化するような、なかなかにあなどれないシリーズである。

Alt-J - ele-king

 今年の英国の夏は肌寒かったので、上着が手離せなかった。
 思えば、むかしの英国はあんな感じだった。80年代にロンドンに住んでいた頃は、8月でもクラブに行くのにコートを着ていた覚えがある。しかし、地球の温暖化というのは本当なのか、近年は30度近くまで気温が上がっていたので、寒い英国の夏のことをすっかり忘れていた。
 そんな按配だったので、今年は海辺のリゾート地ブライトンも盛り上がらなかった。その侘しい夏のテーマ曲であったかのように、地元民がまったりとふきだまっているバーやカフェでかかりまくっていたのが、Alt-J(アルト・ジェイ)のデビュー・アルバムだった。
 いやらしい音楽だな。と、聴いた瞬間に思った。
 加えて、それは今年の夏に妙にしっくり来るサウンドであった。が、それは気温の低い夏に似合う、というより、英国の夏が寒かった時代を思い出させる音なんじゃないか。とも思った。そしてそれはいったい何故なんだろうと考えていた。

 エレクトロニカ、インディ・ロック、ダブステップ、モダン・フォーク、トリップ・ホップ、ギター・ポップなど、こちらのメディアが書いた彼らのレヴューを読むと、いずれも音楽のジャンルを称する言葉の羅列だ。最終的にはフォークステップという言葉に落ち着いたようだが、要するに、彼らの音楽は純雑種(そんな言葉があるとすれば)なのである。個人的には、エレクトロニカとギター・バンドが完璧な配合で結婚した音楽に聞こえるが、わたしが前述の「いやらしさ」を感じてしまうというのも、やはりこの結婚とか雑種とかいう、子作りを連想させる異種交合の匂いに起因するのかもしれない。
 彼らの音楽は「シネマティック」と評されることも多く、それぞれの曲に映画や書物、特定の人間に感情などのテーマが存在するそうで、文化系おタク青年らしく本人たちが進んで種明かしをしている。映画『レオン』に触発されたという曲には主人公の女の子の名前"Matilda"がそのままタイトルになっているし、"Breezeblocks"は、モーリン・センダックの絵本「かいじゅうたちのいるところ」に基づいているという。"Fitspleasure"は、Hubert Selby Jr.の著著「Last Exit To Brooklyn」がネタになっているらしい。
 しかし。どんなに文化的・芸術的背景を解説されても、彼らのサウンドから漂う性的な匂いは消えない。だいたい、絵本をヒントにしたという"Breezeblocks"にしろ、おもちゃのピアノの音なんか使ってみたところで楽曲そのものがいやらしくてしょうがないし(そもそも、「かいじゅうたちのいるところ」は、少年が夜の航海に出て大人になって帰ってくるというセックスの話ではないか)、"Tessellate"に至っては、暇を持て余したしょぼい大学生にしか見えない青年たちにどうしてこんな音楽が作れるのかと思うほど色っぽい。ギークの性のほむら。というやつをわたしは見くびっていたのだろうか。

 ところで、日本には草食系という言葉があるそうだが、英国では、草食化が進んだのは一般の男性ではなく、ロック界だったように思う。
「レディオヘッドとコールド・プレイの音楽はソウルレスだ」
 と言ったのはジョン・ライドンだが、このツートップとも言える巨頭バンドを系譜の始祖として、UKロックはクリーン・カットのインテリ君かメロディアスな泣き虫君かに大別されるようになった。Alt-Jなんかも、一見すればインテリ君そのものだし、実際、彼らをレディオヘッドと比較する評論家もいる。が、彼らの場合、そこに収めてしまうにはサウンドがあまりに不純すぎるのだ。
 2012年ベスト・アルバム特集号で彼らを5位に選んだ『NME』が、選評で「smart, sexy, baby-making music」と書いていたので、そう感じていたのはわたしじゃなかったのね。と思って笑ったが、しかし、実はこのbaby-makingという言葉は本質をぐっさりと突き刺しているかもしれない。

 異なるジャンルの音楽を次々と交尾させて全く新たな音楽(というベイビー)を作り出す。
 という手法は、ポスト・パンクの代表的音楽製造メソッドだった。それはとてもエキサイティングでリスキーで不埒なほど多様で、それ故とてもセクシーな音楽の時代だった。Alt-Jの1stは、サウンドこそ剥離しているものの、あの時代のバンドが発散していた猥雑な音の交尾臭を感じさせる。
 まるで80年代のように寒かった今年の夏、英国でAlt-Jがブレイクしたというのは偶然ではなかったかもしれない。
 2012年のUKはパンク前夜のようだったが、もはやこの国の大衆音楽シーンは打ち壊すものなど何もないほど崩壊しているので、来年はいきなりポスト・パンクな年になる可能性もある。
 Alt-Jの『An Awesome Wave(アン・オーサム・ウェイヴ)』は、そのブリリアントな予兆だったのかもしれない。

ele-king TV@DOMMUNE - ele-king

 橋元優歩が自意識をぎらつかせながらも署名した、風営法改正にむけての「Let's DANCE署名運動」もついに「88,000筆」を超えたそうです。関係者の方々のお疲れ様です。あともう少しで10万ですね。ようやくマスメディアもこの問題の報道をするなど、クラブに直接関係のない人たちのあいでも関心が高まり、広がりをみせているようです。
 実際、これはクラブ文化内だけで済まされる問題ではないので、ライヴハウス専門のインディ・キッズも一緒に考えて欲しいと思います。12月12日(水)は、夜7時からDOMMUNEで風営法特番が放映されます。いったいいま何が起きているのか、もういちどおさらいしつつ、みんなで考えましょう。出演は磯部涼、大友良英ほか。ちょうど選挙前、参考になる話が聞けるはずです。
 
 さらにDOMMUNEでは、翌13日(木)には、ele-king TVも放映します。これは『TECHNO Definitive 1963-2013』刊行記念+『ele-king vol.8』発売記念としてテクノの話と最新号の話をします。雪国で育ったタフでライトなオタク女、橋元優歩をはじめ、ミタカジのオリジネイター、三田格、奄美の男汁が吹き出す松村正人、タチの悪いツイッター中毒者の竹内正太郎、そして毎日が二日酔いの私野田が出演予定です。当日、入場者には『TECHNO Definitive 1963-2013』ステッカーのプレゼントします。忘年会のつもりでやるので、みんな現場に来てください。一緒に飲みましょう。

Mac Demarco - ele-king

 デマルコ自身の打ち明けるところによれば、彼のロール・モデルはジョナサン・リッチマンであり、それはリッチマンが生涯を通してとても楽しい時間を過ごしたように思われるからだ、という。これを読んだときは、なんとも切なく悲しい気持ちがした。少しでもマック・デマルコの音楽を聴いたことのある人間なら、この述懐が非常に逆説的なものであることに気づかざるをえないだろう。
 ヴァンクーバーのシンガー・ソングライター、マック・デマルコ。彼の基本的なフォームはギターの弾き語りであり、楽曲のスタイルもシンプルでレトロなポップ・ソングだ。しかしわずかにグラムっぽいフィーリングがただよっていて、そこを踏み石にかなり強烈な耽美性が立ち上がってくる。それは彼が男色的な意匠を好んで用いるということや、トリック・スター的な振る舞いが目立つということばかりを指すのではない。耽美の極限には死がある。デマルコの歌にはこの意味でつねに拭いがたく通常の生の世界からの疎外感があり(逆に、死との境界が見えているあたりにやっと彼の生があるのだろう)、デカダンスがあり、傷が摩滅したような無感覚がある。こんなにも生きていない歌を歌う人間が、ジョナサン・リッチマンをなぞるというのはどうにも残酷な仕儀ではないか。

 じつのところ、個人的にはこうした虚無性への理解がなく、どのようなリアクションをとるべきかの用意がない。平たく言って苦手だ。だから本作『2』も前作もずっと敬遠してきたのだが、今回年末号の『ele-king』を作りながら、若い人びとがこの作品を年間ベスト・アンケートで推しているのを目にし、聴きなおすことにした。なぜ彼なのか。何が心を引くのか。どうしてアリエル・ピンクではなかったのか?
 一種のナルシシズムや弱さの露出をかっこいいと感じる感性が(男性には)あるのかもしれない。デマルコの音は〈キャプチャード・トラックス〉のいち側面であるややUK寄りなマナーを引きつつも、シットゲイズなどローファイ新世代として気炎をあげた〈ウッジスト〉らのど真ん中を行くようなプロダクションに支えられている。そのままなら、ダックテイルズのエクスペリメンタリズムや、〈ノット・ノット・ファン〉のエクストリームなヴァイブへとつながっていくだろう。この地平では筆者もまったく違和感なく聴くことができる。しかし、歌うたいとしてマック・デマルコのアイデンティティがあることは疑いがない。彼の歌を好きだというのは、おそらく彼のことが好きなのだろう。負のヒロイズムのようなものがたしかに彼の肢体からも立ちのぼっている。好みの問題でしかないが、ここにくると、やはりよくわからなくなった。冒頭のエピソードを知ることができたのはよかった。"オンリー・ユー"だけで聴いたつもりになるのは、いかにももったいない。彼のファンの人、こんどお話ししましょう。

Sun Araw - ele-king

 2012年は奇妙な年だった。バランスは崩れ、何人かの人たちは東京から脱出した。ものごとは二元化され、逃げることも組みすることもできない中途半端な人間はサン・アロウを聴いた。『ジ・インナー・トリーティ』はコンゴスとの共作『アイコン・ギヴ・サンク』に続くリリースで、昨年の『Ancient Romans』に次いでのソロ・アルバム。ファラオ・サンダースのカヴァーをやっている。1970年に〈インパルス〉から発表されている『Summun Bukmun Umyun - Deaf Dumb Blind』というアルバムのA面の最初のパートをやっているわけだが、しかし、なんという、まったく、なんという気の抜けようだろうか......。

 先日、紙エレキングの年末座談会のために、木津毅、田中宗一郎、松村正人、三田格という面々と1年を振り返った。そのとき、結局誌面には載らなかったのだが、「アメリカの終焉」という話が出た。ラナ・デル・レイの繰り返されるアメリカン・ドリーム用語集をはじめブルース・スプリングスティーンの新作のメッセージ、同性婚と大麻合法、そして白い子供たちのレイヴ三昧......まあ、戦後アメリカの繁栄とそれを支えた価値観が壊れているのだろう。そもそも僕には、木津毅や倉本諒のように、アメリカが良い国だなんて、まあ、とてもじゃないが思えない。もちろん、彼らが賞揚するような良い部分はあるにはある、が、僕が何度も何度もアメリカに行くたびに感じたのは、より露骨な格差社会、日本の格差社会などかわいいものだと不謹慎に思えてしまうほど生々しく視覚化され、都市の構造と化した貧富の差。ああいう社会でサヴァイヴするのは、自分には無理かもな......と思った。

 そういうなかにおいてサン・アロウのファンク(恐怖)のないファンク、気が抜けたダブはちょっとした突然変異に思える。昔ながらの、アメリカ的なレイドバックな感じではない。ただ、とにかく、腰が入っていない。覇気がない。サン・アロウは、そのずっこけ感を極めつつある。
 かつてリー・ペリーがプロデュースを手がけたキングストンの伝説のコーラス・グループ、コンゴスとの共作は、サン・アロウのキャリアにおけるピークかと思えたが、新作『ジ・インナー・トリーティ』は、彼のジャマイカ体験が無駄ではなかったこと、それどころか体験が彼の養分となったことを明らかにしている。「こんなユルくていいんですか」と、僕は、1曲目の"アウト・オブ・タウン"の隙間だからけのリズム、ベース、ギターを聴きながら感心した。これは......ザ・スリッツにもブリストルにもアレックス・パターソンにも(もちろんベーシック・チャンネルにも)思いつかなかった、間抜けなダブの真骨頂だ。
 ダブという技法、スタイル、ジャンルは、もうたいがいのことがやられているけれど、サン・アロウを聴いていると、まだ次の一手が残っていたことを思い知らされる。徹底的に脱力すること、気合いなど入れないこと。マスタリングをソニック・ブームが担当しているように、これをEARのダブ・ヴァージョンと位置づけることもでるかもしれない。小刻みなリズムが気持ち良すぎる。全体的にだらしないが、バランスを失っていはない。

 ああ、疲れた。肩が凝る。サン・アロウを聴こう。嬉しいことに日本盤には訳詞がついている。そして、キャメロンの歌詞が、興味深いダブルミーニングの言葉遊びとナンセンスであることを知る。それでこの音楽性か......ますます好きになったわ。

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