「Noton」と一致するもの

Bright Eyes - ele-king

 2002年のことだった。それまで自身の内面やその傷を歌っていたコナー・オバーストは、"カウボーイの大統領"に辛辣な言葉を投げかけながら、「僕にはブルーズがある! それが僕!」と叫んだ。思えば彼はそのとき、世のなかに対する混乱もフラジャイルな自分も震える声も隠さずに、しかし社会に目を向けて歌うことを宣言した。
 彼は"新たなディラン"と呼ばれるようになった。2004年には打倒ブッシュを目標に掲げた〈VOTE FOR CHANGE(変化のための投票)〉のツアーに参加した。2005年には忘れがたい名作『アイム ・ワイド・アウェイク、イッツ・モーニング』を発表した。あるいはまた、"大統領が神に話すとき"というタイトルのフォーク・ソングで物議を醸すことを勇敢にもやってのけた。「大統領が神と話すとき、神は石油価格の引き上げを提案するのか?」と、コナーはカウボーイ風の格好でテレビ番組で歌った。
 コナー・オバーストのプロテスト・ソングは、政治に意識的なミュージシャンが大人の振る舞いとして歌うそれではなかった。彼が暴動と化したデモの痛ましさを歌うとき、それは彼を通したものとして震えるような声と叫びで表現された。穏やかなカントリー・ソングの演奏はまるで、彼の声や感情をどうにかなだめようとしているように聞こえた。
 彼は必死に叫んでいた――「Make some noise!!」。それは、社会の不条理や不平等に対する偽りのない憤りであり、悲鳴のようでもあり、しかしそれを引っくり返すための号令だった。ブライト・アイズの音楽を聴くことは、その消えることのない緊迫感と向き合うことだった。
 だがそれは、当然本人にとっても消耗するものだった。2007年には、フロリダのスピリチュアル系のコミュニティと出会うことで訪れた心の平安を歌った『カサダガ』を発表した......それはそれまでの聴き手をやや戸惑わせるものだった。ニュー・エイジ的な思想に馴染みがあるとは言い難い日本人の僕にとっては、疲弊したコナーが霊媒師から受けた言葉にすがってしまったのではないかと不安になったものだ。それはどこか、かつてのカウンター・カルチャーにおける政治的な意識の高まりが、70年代に向かうなかでスピリチュアルや自己啓発に回収されていったことを連想させた。とはいえ、アルバム自体は、その底に変わらず醜悪な世界に対する失望と怒りが湛えられてあり、それが静かな迫力を生み出してもいた。

 政権は交代し、この2011年に久々のブライト・アイズ名義の作品が発表された。コナーを本作に向かわせる契機になったのは、アリゾナにおける違法滞在の外国人を取り締まる法案に反対する運動だった。その話は否応なくこのアルバムへの期待を高めさせる。
 実際『ピープルズ・キー』は、コナー・オバースト&ミスティック・ヴァレー・バンドやジム・ジェームズやM.ウォードらと組んだモンスターズ・オブ・フォークなど近年のサイド・ワークのレイドバック感に比べれば、実に力のこもったものだ。これまでの彼のサウンドの印だったフォークやカントリーは後退し、シンセがかなりの部分で活躍するポップ・ソング集になっている。ダンス・チューンですらあるシングル"シェル・ゲーム"は序の口で、ニューウェイヴ調のアッパーな"ジェジューン・スターズ"など音だけではブライト・アイズだとは思わないほどだ。『ピッチフォーク』のレヴューによると、制作の終盤においてオマハの親友を自殺でなくしたことが影響しているというバラッド"ラダー・ソング"は初期のエモと呼ばれた頃の作風を想起させもするが、それはアルバムのなかでは例外である。これまでのディスコグラフィのなかでももっとも多彩なサウンドが聴けるし、何よりラフで開放感のあるものとなっている。
 だが、これまでブライト・アイズを聴くときに必ず現れた緊迫感や迫力が、このアルバムには......ない。それはたんにコナー青年の思春期の終わりを告げるものであって、悪いことではないのかもしれない。が、デニー・ブルーワーというサイケ・バンドのフロントマンによる"シャーマニック・ヴォイス"なる演説あるいは説教で幕を開け、閉じる本作で歌われている言葉はスピリチュアルになるあまり難解で抽象的なものになりすぎていて、それは僕にはとても遠くのものに感じられる。"シャーマニック・ヴォイス"はアインシュタインやヒトラー、宇宙や悪魔に言及しながら愛や慈悲や人類の進歩について説き、コナーもそれに呼応するようにギリシャ神話やSFを引用しながらやはり愛や精神の問題について歌う。
 それはいま彼が本当に歌いたいことなのだろうか。ポリティカルであればいいということではないが、少なくとも僕には、2000年代なかばにはアメリカの若い世代の希望の象徴であったコナー・オバーストが歌うべきものではないように思える......いや、そんな風に「歌うべき」などと言われてしまう過剰な重荷こそが彼を縛ってきたのもまた、事実である。それが彼を内面の探求に向かわせたとも考えられるし、ある種の必然であったのかもしれない。文化においてそれが具体的な政治の力を得ることはつねに難しく、変化への欲望は内側に向かい、やがて焦点は精神の拡張というところにたどり着いていく――それはカウンター・カルチャーが歴史で経験したことでもある。しかし、それでも僕は聴きたかった。コナーがいまのアメリカをどんな風に見ているのかを。神と対話する大統領がいなくなっても、決して明るくも輝かしくもないアメリカの歌を歌う彼の姿を見たかった。

Various Artists - ele-king

 以前、三田格がロスカのことを「ありゃ、ケヴィン・サンダーソンだ」と言っていたけれど、UKファンキーとはなんぞやといろいろと考えていくと、とどのつまりハイブリッドなハウス・ミュージックであるという当たり前の結論に達した。だから「UKハウス・ミュージックの現在」という風に思えば、人に伝えやすい。それはアフロとソカ、あるいはダンスホールといった、この10年のトレンドがブレンドされたハウスであると。当初はパリのDJグレゴリーがルーツだと言われていたが、いまとなってはその源流はマスターズ・アット・ワークにまで遡っているのもなるほどなーという感じである。
 あるいはまた、昔からデリック・メイがセットの中盤あたりでほぼ毎回かけているトライバル・ハウスの路線ともかなり重なる。......が、UKファンキーがハウス・ミュージックだとしても、これはディスコから派生したものではない。これは、UKガラージ/グライムから派生したハウス・ミュージックなのだ。
 で、風の噂では、今年はロスカが来日するかもしれないと聞いて、それはちょっと無理してでも行きたいなーと思っていたところ、昨年末にリリースされたこのUKファンキーのコンピレーションはずっと売れ続けていると下北沢ZEROの飯島直樹さんも言ってるし、いまからでも遅くはないので紹介しようと思った次第である。

 UKガラージ/グライムにおけるアフロ・ディアスポラのダンスへの情熱がこの音楽を発展させた。コード9は、2006年~2007年あたりからリズムの変化に気がついていたというが、USヒップホップとジャングルのあいだでスパークしていたUKガラージ/グライムがハウスのテンポに接近したとき、アフロビートやソカのリズムが表出したというわけだ。実際、UKファンキーとは、(ひと昔まえのタームで言えば)UKブラックの現在のことでもある。
 イースト・ロンドンの貧民街のグライム一派、ナスティ・クルーがその初期における大きな影響だと言われている。そのクルーを代表する、ゴッドファーザー・オブ・ファンキーと呼ばれるDJマーカス・ナスティこそ、ガラの悪いガラージを上品なハウス・ミュージックとブレンドした張本人である。
 ファンキーのオリジネイター連中はすべてガラージ/グライムのシーンから来ている。ドネイオーとロスカはガラージのMCで、ジーニアスはワイリーといっしょにやっていたDJだ。ゼロ年代にわりとグライムを聴いていた人は、あのハードコアな感覚が、よりアフロ色を強めながらハウスと接続したと思えばよい。むせかえるように豪快なアフロビート、ものすごく大雑把なソカのビート、すなわちディアスポリックなアフロカリビアン・ビートこそがこの音楽の魅力であり、ハウス世代のダンサーや若いダブステッパー、デトロイト・テクノのリスナー、もしくは大阪のレゲエ・ダンサーがある日突然ファンキーで踊っていたとしてもなんら不思議ではない。実に寛容なダンス・ミュージックだ。

  本作『リディム・ボックス』はUKファンキーを知りたいという人には最適なコンピレーションである。エクスクルーシヴなトラックはないが、有名どころはほとんど押さえてある。

Helixir - ele-king

 ダブステップが、若い世代におけるテクノ・ダンス・ミュージックであることを示す1枚。これは、ザ・バグとは別人のケヴィン・マーティン(混同しないように!)によるデビュー・アルバムで、リリースは昨年の暮れだが、この3月に来日するので紹介する。

 レーベルの〈セヴン〉はパリのダブステップ・レーベルで、昨年リリースしたFによる『エナジー・ディストーション』がフランスで最初のダブステップ・アルバムとして話題になった。今年に入ってからは日本人プロデューサーのENAのシングルも切っている。ヘリクシアは、Fと並ぶ〈セヴン〉レーベルの看板プロデューサーで、すでに4枚のシングルをリリースしている。田中哲司くんがSound Patrolで紹介しているように、「聴けば聴くほど深みにハマッていく。細切れのスペーシーなシンセが揺れている。リズム自体はさほど存在感はない。キックが軽く鳴り響く程度。規則的にリヴァーブをかけたパーカッションがこだまする」、「スキューバやラマダンマン、Fなどのミニマル・ダブステップとは感覚が異なる」、「シャックルトンが彼の音楽性を賞賛しているように、シンプルなのだが奥深い」という言葉がそのまま当てはまるアルバムである。本当に「聴けば聴くほど深みにハマッていく」タイプの音楽だ。
 シャックルトンを薄味にした感じ......というとネガティヴに思う人がいるかもしれないけれど、そうじゃない。前向きに言うところの薄味の良さが、AFXとカジモトとリッチー・ホウティンに触発されたこのフレンチ・ダブステッパーの音楽にはある。アンビエント・テイストと言ってもいい。押しつけがましいベースやドラミングがないことを、その長所としている音楽である。そういう意味では僕は......たとえばスウェーデンのレーベル〈スヴェック〉のテクノを思い出した。そう、ヘリクシアにしてもFにしても、ある種そよ風のようなさわやかな感覚があるのだ。
 そしてヘリクシアに関しては、もともとジャズ・バンドのメンバーだっただけあって(彼はドラム、ギター、ベースを演奏する)、魅惑的なメロディとハーモニーを作ることができる。そして......シャックルトンめいたパーカッションも、ダブの応用もこってりすることなく、とてもスムースで、ときにメロウで、あるいはスモーキーで、とにかく聴いていて心地よいのだ。うまくいけば3月23日にDOMMUNEに出演してくれそうなので、ぜひ注目していただきたい。

 話は変わるけど、今年はUKファンキーがよーやく日本にも本格的に上陸しそうで、それも楽しみである。また、〈ナイト・スラッグス〉のような若くて勢いのあるレーベルが素晴らしいダンス・トラックを発表してくれそうだし、ワクワクするね、メタル君!

I'll Be Your Mirror - ele-king

 ここで彼のイ二シャルを書いたらわかる人にはわかってしまうので、Xとしておこう。Xとは、昼の1時に渋谷のモヤイ像前で待ち合わせた。僕は待ち合わせの時間と締め切りはかなり守るほうなので、1時ちょい前に着いた。僕の隣ではお父さんが自分の子供にモヤイ像の説明をしている。「これね、イースター島というところにあるんだけど、これがいったい何の目的のために作られたのかまだわからいんだよ。ナスカの地上絵を知っている?」
 お父さんは宇宙人について喋りたくてうずうずしている。こっちはそれを全否定したくてうずうずしてくる......と、そのときXはやって来た。酒臭い息をはきかけながら、「いやー、すいません」と言うので「いや、ぜんぜん大丈夫だよ」と言うと、「ちょっと友だち紹介していいですか」と言うので、あ、いっしょに行くのかなと思ったら、Xが前日の夜からずっといっしょに呑んでいた友だちだった。「いやね、俺は5時ぐらいに抜け出したんですよ。いちど家に帰って着替えようと思ったから。そうしたらもう、電話がガンガンにかかってきて」
 暖かい日差しが照りつける日曜日の渋谷を歩きながら、Xは説明した。ということは、ふたりの友だちはいままで呑んでいたのか......。「おたがい内臓を大切にしよう」と僕は言った。
 「Xの内臓はすごいな。俺はもうそんなに呑めない。40過ぎたあたりから量が呑めなくなったんだ」と47歳の僕は43歳のXに言った。日曜日の渋谷駅にはいろいろな人がいる。酒臭い40代がいても不思議ではないだろう。しかしいまから「I'll Be Your Mirror」に行く酒臭い40代はおそらくXだけだろう。

 新木場に着くとXは駅構内のコンビニを見つけて、「煙草を買ってきますよ。ついでに酒を買って飲みながら行きませんか」と言った。そしてXは350のビールを2缶持って出てきて、1缶を僕に渡すと、今度は煙草のケースを空け1本を取り出して、近くにいた人に火を借りて火を付けて、煙を思い切り吸い込んで吐いた。僕は40前に煙草を止めて以来すっかり嫌煙家になってしまったが、さすがに「俺の前で吸うな」とは言えない。「Xはロックンローラーだなー」となかば皮肉を込めて言うと、Xは陽気に「イエー!」と奇声をあげるのだった。

 「I'll Be Your Mirror」はいまやオルタナ・ロックの、純粋な音楽主義的イヴェントとして世界的に有名な「All Tomorrow's Parties」の日本での最初の試みである。出演者は、ゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!、ボアダムス、灰野敬二、ボリス、メルト・バナナ、エンヴィ、ファック・ボタンズなどなど。チケットは即ソールドアウトになったという。GYBE!がそこまで人気があるとは思えないので、これはイヴェントそのものへの期待の表れだと解釈すべきだろう。それはXの真っ黒な肺と違って、健康的な態度だ。
 そして我々は、最初のボアダムスがはじまるまで、少なくともビールを二杯、ウォッカトニックを二杯飲んだ。Xは「100円多く払うから、ウォッカを多く入れてくれ」と、カウンターのお兄さんにしつこく懇願した。「もっとウォッカ入れようよ、パンクになろうぜ!」とわけのわからないことを罪のない従業員に話しかける40代がいま僕の目の前にいることは、充分にオルタナティヴだ。
 会場内はまだみんな入ったばかりということもあってか、やや緊張している様子だった。友だちの家に初めて遊びに来たばかりのように、気持ちがまだうまくイヴェントに入れ込めていない。もちろんXは別だが......。つまりボアダムスは、いつもならもっと踊り狂ってるオーディエンスがそこにいるものだが、どちらか言えば多くの人が「観ている」感じだった。続くボリスもそんな様子だったが......僕はボリスを初めて聴けたのが嬉しかった。驚いたのは灰野敬二のライヴだった。別のステージでやっていた灰野敬二のライヴは、入場規制がかかるほどの満員だった。入れないオーディエンスはあの轟音を会場の外で聴いていた。インディ・ロックとなかなか接点を持つ機会がなかったということかもしれないけれど、その光景は日本のアンダーグラウンド・シーンのゴッドファーザーへの関心の高さを示していたし、灰野さんのライヴ終了後のガッツポーズも実に格好良かったなぁ。
 というか、灰野敬二に続いたエンヴィも、そしてまたメルト・バナナのライヴも大盛況だった。メジャー・レーベルと契約しているバンドがひとつもいないなかで、チケットが売り切れて、そして千人ぐらいのインディ・ロック・キッズが灰野敬二のノイズを浴びて声を挙げている姿は、いつの間にか行方不明になってしまったXと比べるまでもなく未来を感じさせるものだ。僕の知り合いには、結局日本のバンドばかりを聴いてしまったという人もいて、ああ、その気持ちわかるなーと僕も思った。夜暗くなって、メルト・バナナの演奏がはじまる頃には、GYBE!が最後に控えていることなど忘れてしまっていた......。

 会場内では簡単なパンフレットが配られていた。ページをめくると、最初に「ルール」が記されている。「ATPはロクデナシゼロの方針で運営しています。ロクデナシにならないように注意してください。マジにロクデナシになるなってことです」とある。ロクデナシ(英語でアスホール)かぁ......ひとり強烈なのがいたなぁ......帰りの新木場の駅のホームでそれを読みながら、最初からルールを破ってしまったかもなぁと思ったのである。結局Xはファック・ボタンズのライヴ中に消えていって......そしてひとり泥酔のぬかるみのなかを彷徨っていたという話だ。ごめんX、いくら電話しても出ないから帰るよ、日本には本当に素晴らしい音楽がたくさんあるよな。お互い内臓を大切にしよう。

私はあなたの鏡になろう
あなたがちゃんと家に帰れるように灯りになろう
"I'll Be Your Mirror"

Anna Calvi - ele-king

 またしても女性シンガーの登場。先週のリア・アイシスに続き美女二連発、この後、橋元優歩が書くことになっているジュリアナ・バーウィックで三連発......というわけだ。世間的な評価で言えば、リア=対抗馬、そしてこのアンナ・カルヴィ=本命、ジュリアナ=穴馬、といったところだろうか。いずれにせよ、アンナ・カルヴィはもっぱら2011年の本命と評されている女性シンガーである。リアとジュリアナはブルックリン、アンナはロンドン。リアは疲れた女、ジュリアナは打ち込み女、そしてアンナは......。
 彼女はヴォーカリストであり、ギタリストだ。トム・ヴァーレインとライ・クーダーをブレンドしたような、魅力的なギターを弾く。スライドギターの名手で、フランメンコ・ギターも弾いている。アルバムの1曲目がギターによるインストゥルメンタルであることからも彼女のそれが飾りではないことをうかがい知ることができるが、歌手にしておくのがもったいないほど、アンナ・カルヴィはギター弾きとしても光るモノを持っている。
 彼女への期待を膨らませたのは、最初に彼女がYouTubeにアップしたいくつかのカヴァー曲――デヴィッド・ボウイ"サウンド&ヴィジョン"をはじめ、レナード・コーエン"ジョーン・オブ・アーク(ジャンヌ・ダルク)"、TV・オン・ザ・レディオ"ウルフ・ライク・ミー"、エルヴィス・プレスリー"サレンダー"――だが、試しにひとつでも観ればわかるでしょう。ドイツ表現主義的な白黒の映像のなかで演奏するカルヴィは(その白々しい演出にもかかわらず......)実にキマっている。

 ele-kingではスルーしてしまったけれど、アマンダ・ブラウン(LAヴァンパイアーズ)とコラボ・シングルも発表した、ゾラ・ジーザスが昨年欧米では3枚目のアルバムによって話題となっている。まだうら若きロシア系アメリカン人は目下ゴシック・リヴァイヴァルをうながす女として注目を集めている。スウェーデンのフィーヴァー・レイがこの流れのきっかけとなっているというが、ゾラ・ジーザスはなかなか妖美なルックスで、アンダーグラウンドのアイドルとしての資格充分である。そして、この手の、つまり稲妻が走る闇夜のミュージックホールのステージに立っているポップ・ヴァージョンがアンナ・カルヴィ......といったところだろうか。

 エディット・ピアフのファンであるという彼女は、ピアフが歌っていた"イザベル"という曲でデビューしている。彼女の、ジム・モリソンめいた暗い情動を秘めた声とセクシャルな歌いっぷりは魅力たっぷりで、ニック・ケイヴがフロントアクトに彼女を抜擢するのもよくわかる。と同時に、ニック・ケイヴが惚れ込むのがわからないほど、彼女のデビュー・アルバムはキャッチーでもある。アルバムには"デザイアー"という、まるでブルース・スプリングスティーンめいたアップリフティングな曲まであるように、これはメインストリームのポップ・アルバムだ。"スーザン・アンド・アイ"と"ブラックアウト"という2曲が、アルバムにおける最高のポップ・ソングである。僕がもっとも好きなのは"ザ・デヴィル"という、彼女の美しいギター演奏と控えめなパーカッションで構成されている曲。なお、アルバムのプロデューサーは、PJハーヴェイとの仕事で知られるロブ・エリス。日本盤には彼女のデビュー曲である"イザベル"も収録されている。

 先日、〈TempleATS〉よりデビュー・アルバム『12 Seaspnal Music』を発表したYAMAANですが、この度、その収録曲のゴールドパンダ・リミックスがフリーダウンロード解禁になりました! パンダ節とも言える叙情とつんのめり気味のチョップがYAMAANの潔癖な音楽性とみごとに合っています。

(試聴)
https://soundcloud.com/yamaan
(ダウンロード)
https://www.megaupload.com/?d=O0UUZN4U

Coco Bryce - ele-king

 下北沢のスーパーでイチゴを買おうと思ったら、棚の後ろ側で何やら蠢いているものがいる。それはヒモに繋がれたブルドッグで、よく見ると不器用にイチゴを食べている。屋外に並べられたイチゴのパッケージから大きなイチゴを銜え出して、好きなだけ食べていたらしい。犬ってイチゴを食べるのかーと感心していたら、少しずつお客さんが集まってきてアハハと笑い声が上がり、ひとり、おばさんだけが店の人に知らせに行った。しばらく店内にいたけれど、「店の前に犬をつないでいるお客さ~ん」というような呼び出しはなかったので、もしかしてほったらかしだったりしたのかしら。さすがにイチゴはほかの店で買うことにして、僕は踏み切りを渡ってジェット・セットに辿り着く。本当はイチゴではなくてココ・ブライスのファースト・アルバムを買いに来たのである。下北沢というところは何をしに来たのか目的を見失いやすい街である。

 目的を思い出して買うことができたココ・ブライスは期待以上の出来だった(目的を思い出すことができて本当によかった。ある意味で、それはブルドッグのおかげである。皆さんもイチゴを食べるブルドッグを見たら、自分がいま、何をするためにそこにいるのかよく思い出してみましょう。あなたはもしかすると月から転生してきた戦士だったのかもしれないのです。亜梨子! 紫苑!)
 スクウィーの背後にクレーム・オーガニゼイションなどのダッチ・エレクトロがあったことは復刊エレキングにも書いた通り(P10)。北欧で地道に続けられてきた試行錯誤とダブステップとの交錯からメサクやダニエル・サヴィオといった才能が浮上し、現在もその裾野は計り知れないものになりつつある。裏を返していえば、この辺りから生まれてくる音楽は線引きが日を追って難しくなり(あるいは無意味になり)、とくにフライング・ロータス周辺とビートが混ざり合うようになってからは何が飛び出してくるのかまったく見当がつかなくなってきた(昨年の僕のベスト・シングルはホヴァトロン「レッツ・ゲット・ウェット」だったりするけれど、これなんか、スクウィーかどうかはギリギリで、そのようなわかりにくさのなかにフロントラインであることが感じられるともいえる)。
 そのような趨勢のなかでココ・ブライスに強く感じられることはヒップホップの要素が増大し、結果的にエレクトロに揺り戻している......ように聴こえることだろう。過剰な要素を太いビートでまとめて行く手際は線が細くなりやすいスクウィーとは対照的で、チップチューンを多用しながらもゴージャスな印象を残すところが大きく違う。エイフェックス・ツインがURをリミックスしたら......というのはさすがに大袈裟だけど、変態じみた骨太のサウンドをイメージしてもらう助けにはなるかもしれない。あるいはスクウィー版ドリアン・コンセプトか。
 まだまだ出てくると思う。この辺りからは。ブルドッグの目の前にあった無数のイチゴのように。

Lia Ices - ele-king

 現在のポップにダウナー・モードを決定づけたのはザ・XXだという説が有力らしく、アンダーグラウンドではブリアル、そしてポップ・フィールドではザ・XXと、その両方にまたがっているのがジェームス・ブレイクであると、大雑把に説明できるだろう。基本的に僕はダウナー人間なので、当たり前だが、ダウナー音楽が肌に合う。低血圧だし、酒が好きだし、レゲエやダブが好きなのも、スラックの音楽が好きなのも、自分のダウナー気質が大いに関わっているかもしれない。

 ブルックリンのシンガー・ソングライター、リア・アイシスの音楽は、昨年ずいぶんと評判になった宅録女のグラッサーのエレクトロニック・サウンド、あるいはジョアンナ・ニューサムのフォーク・サウンドとは交わらない。趣の点で言えば、ザ・XXのほうがまだ近いと言える。要するに彼女の音楽はメランコリックで気怠い......上品で、礼儀正しく、そしてダウナーで、リラックスしている。そしてそこにクラブ・ミュージックの要素はない。音楽のスタイルはジョニ・ミチェルに近い。グラッサーやジョアンナ・ニューサムと違って、昔ながらのSSWスタイルである。

 評判となった2年前のデビュー・アルバムを経て、本作は日本でも人気のある〈ジャグジャグウォー〉からリリースされるセカンド・アルバムで、レーベルを代表するジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)が1曲参加している。歌とピアノとベースとドラムという音数の少ないジョン・レノン・スタイル、アコースティック・ギターのアルペジオ、ピアノの弾き語り......といった具合に、前述した通りアルバムはオーソドックスなSSWスタイルによるものだが、アニマル・コレクティヴやディアハンターのプロデューサーとして知られるニコラ・ヴァーンズの手が加わっているだけあって、いわばコクトー・ツインズやマジー・スターら欧米で言うところのイーサー(エーテル)系、あるいは昨年話題になったウォーペイントの物憂げなアトモスフィアとも接続する。要するにいま風の音響になっている。

 とはいえ、本作の魅力を最終的に決定づけているのは、彼女の歌とその声(ウィスパー・ヴォイス)だ。とくに曲のメロディラインには多くの人を惹きつける力があって(それでもすべての曲において)、そしてアルバムはある種恍惚としたダウナーなムードを最初から最後まで保っている。それが僕にとって嬉しい。たとえば週の水曜日から木曜日かけて仕事や人間関係のストレスがピークに達したときに、『グロウン・アンノウン』は待っているだろう。そして節度を持ったこの音楽は、人を寝不足にするかもしれないが、決して二日酔いにはしない。

Talib kweli - ele-king

 ハイイロ・デ・ロッシはモス・デフやタリブ・クウェリを尊敬するラッパーとして挙げていたが、彼のインタヴュー記事をめぐる議論を僕はインターネット上などで目撃し、酒を飲みながら友人とも意見を交換した。素直に面白かったし、いろんな考え方を知れたことがなにより有意義だった。だが実のところ、僕がもうひとつ期待していたのは、「これは1本取られたな!」と思うような自分とまったく正反対の主張なり、切実な感情から発生する意見に出会うことだった。それが生粋の愛国主義者の意見であろうとも。これは本当だ。残念ながら、いまだその手のものには出会えていない。

 タリブ・クウェリは1975年生まれのNYブルックリン出身のラッパーで、90年代後半、モス・デフとのユニット、ブラック・スターで一躍脚光を浴びる。彼らがNYのインディ・レーベル〈ロウカス〉から98年に発表した『モス・デフ&タリブ・クウェリ・アー・ブラック・スター』は当時のNYのアンダーグラウンド・ヒップホップを象徴する1枚だ。2パックとノートリアスB.I.G.が何者かに銃殺され、アメリカのヒップホップにおける暴力が最悪の結末を迎えた後、彼らはアンチ・バイオレンスの"知性派"として登場した。彼らはアフロ・アメリカンとしての歴史を掘り下げ、ルーツであるアフリカ的な価値やイメージを散りばめながら、いわゆるアフロセントリック・ヒップホップの新鮮な風をシーンに送り込んだ。ブラック・スターというグループ名は、20世紀初頭に活躍したジャマイカの黒人指導者でアフリカ回帰運動の始祖と言われるマーカス・ガーヴェイの貿易会社「ブラック・スター・ライン」から取られている。ガーヴェイの思想はラスタファリアニズムや公民権運動に大きな影響を与えている。

 それにしても、タリブ・クウェリの4年ぶりとなる通算4作目のソロ・アルバム『ガター・レインボウズ』は実に素晴らしい! サウンド、ライミング、リリックにおいて確実に磨きをかけてきている。驚くほど斬新なことをやっているわけではないが、聴くたびに良さが滲み出てくる。スキー・ビーツ、オー・ノー、アウタサイトといった人選も成功している。ある意味、ジャネル・モナエ『ジ・アークアンドロイド』ビッグ・ボーイ『サー・ルシャス・レフト・フット:ザ・サン・オブ・チコ・ダスティ』とは異なる未来にブラック・ミュージックを導こうとしているかのようであり、暗闇のなかでそっと火を灯すような音楽だ。ビッグ・ボーイの乱痴気騒ぎをPファンクの系譜と考えるならば、『ガター・レインボウズ』のメロドラマはニュー・ソウルの系譜にあると言える。
 ジェイ・Zやカニエ・ウェストにその卓越した詩的センスと華麗なライミングを評価されながらも、タリブは実力に見合った商業的成功や大衆的評価を得てきたとは言い難い。売れっ子のトラックメイカーを起用し、流行のサウンドを取り入れただけで一時は商業主義に迎合したと批判されている。カニエ・ウェストがプロデュースし、商業的成功を収めたヒット・シングル「ゲット・バイ」(『クオリティ』収録)のなかでかつてタリブは、大胆にも「オレは世のなかのシステムを変えようとしているアクティヴィストだ」とラップしたが、彼のような「コンシャス・ラップ」といわれるジャンルの政治性は、過去の黒人革命の毒気を抜いた抵抗のイメージでしかないという意見もある。要は、スタジオ・アクティヴィスト(口だけの活動家)ではないかという手厳しい批判である。
 とはいえ、タリブ・クウェリとモス・デフは、2000年に閉店寸前だったブラック・カルチャー系の書籍を取り揃えるブルックリンの本屋を買い取り、カルチャー・センターとして再生させているし、賛否両論はあったものの、タリブは南アフリカの人種差別撤廃の運動にも参加している。それなりに頑張っていると思うのだけど、政治的態度を厳密に問われるほど、アメリカのヒップホップ文化が成熟しているとも言える。「コンシャス・ラップ」というレッテルが音楽表現と別の次元で彼の葛藤を生んできたのは事実だ。酷な話だとは思う。
 前作『イヤー・ドラム』とハイ・テックとのユニット、リフレクション・エタナールのセカンド『レヴォリューションズ・パー・ミニット』(10年)をリリースした〈ワーナー〉と配給をめぐって揉めた結果、決裂、本作は彼が初めてレコード契約がない状態で制作されている。当初はフィジカル・リリースの予定さえなかったというが、なんとかCDの発売まで漕ぎ着けている。まずは彼の不屈の精神に拍手しよう。

 14曲すべてが魅力的だが、ハイライトは7曲目から10曲目だろう。女性ソウル・シンガー、ケンドラ・ロスをフィーチャーしたネオ・ソウル風の"ウェイト・フォー・ユー"(スラム・ヴィレッジの名曲"アイ・ドント・ノウ"を想起させる!)からはじまり、プレジャーをサンプリングしたジャズ・ファンク"アント・ウェイティング"が勢い良く疾走し、力強いピアノ、ゴスペル・ソウル調のコーラス、たたみかけるビートとタリブのライミングのポリリズムが生み出すブルージーな"コールド・レイン"からぬくもりのあるメロウ・ソウル風の"フレンズ&ファミリー"へといっきに雪崩れ込む。この流れは何度聴いてもぐっとくる。そして、このベテラン・ラッパーはこれまでの人生を振り返りながら、より普遍的な言葉で自由や希望についてラップすることを試み、「ギャングスターに憧れるということは死んだも同然/知性で勝負する時代」と相変わらず真っ直ぐなメッセージを放っている。ラヴ・ソングもあれば、ポリティカル・ラップもあり、まるで『タクシー・ドライバー』のような帰還兵の狂気を描くストーリーテリング・ラップもある。日本盤を買うと歌詞の読めるサイトにアクセスできる。歌詞を読んでいるだけでも楽しめるし、勇気づけられる言葉もたくさんある。たとえば、タリブ・クウェリは孤立を恐れない、剛毅な精神についてこんな風にラップしている――。いや、これはほんとに良い言葉でしょ。

声なき声
希望なき希望
自分から声をかけるなんて性に合わない
 
そんなことしなくても
向こうから自然に近づいてくる
反対側から
眺めていても
ガソリンの虹がギラギラ光っている "ガター・レインボウズ"

前野健太 - ele-king

 前野健太の歌は、現代のこの国に生きる、時間を無駄にして過ごすすべての若者たちに捧げられている。......というのは、僕の願望に過ぎないのかもしれない。ただ彼の歌の主人公たち――そのなかで生きる若い男女は、とにかく金がなく、しかし時間だけは有り余っていて、しかもその時間をただ浪費している。そのラヴ・ソングではぐずぐずとしたすれ違いばかりが綴られ、何の確信もないまま日々は過ぎ去っていく。
 僕にも思い当たるフシはある。物心ついたころから不況だと呪詛のように聞かされ続けた僕たちは、時間を有意義に使うことの重要さを徹底して教え込まれ、将来への不安を煽られてある時期に一斉に就職活動に駆り立てられる。そしてその後は......資格を取って、キャリアアップして、老後のためにひたすら貯金をするのだ。これは皮肉でも冗談でもない。人気のJロック・バンドが就職活動サイトの広告にタイアップされ白々しい応援歌を歌う、そんな時代に僕たちは大人になった。「そんなものはクソだ」と言っても、それはただの落ちこぼれの戯言にすぎない。基本的に僕は楽天的な性格だと思うが、しかし自分はたったいまも貴重な時間を無駄にしているのではないか......という後ろめたさが、心のどこかで日々蓄積されていくのを感じる。それは息苦しく、しかしだからといって何も変わらないまま、金も将来への確信もなく毎日は過ぎていく。

 貧乏で、もちろん将来性など欠片もない若者の歌を常に歌ってきた前野健太の3枚目のアルバム『ファックミー』は、その感覚を1曲目からまったくもって正確に言葉にしている。「眼鏡は汚れていく」、彼はそう囁くように歌ってアルバムの幕を開ける。そして続く"石"で軽やかなフォーク・ロックへとドライヴするが、そこでも「ぼくは畳の海を泳いでいた/世界がごろりと転がっていった」と自分がゴロゴロしている間に世間が通り過ぎていく様が歌われる。「女との友情 かわしたい/女との友情 かわせない」("女と")、「雨のふる街を ぼくら傘をさして/何を話すでもなく ぼくら歩いている」("雨のふる街")、「窮屈な身体 窮屈な心/服はユニクロ 明日は今日と同じ顔」("コーヒーブルース")......大した進歩もしない関係、代わり映えのしない日常。それらは、前野独特の生活臭を醸し出す描写とともに浮かび上がってくる。「僕が聴きたいのは 僕が歌いたいのは 僕が欲しいのは 一杯120円のコーヒーブルース」というのは彼のステートメントに他ならない。そしてアルバムは......牛が「モー」と鳴いて、締まりのないエンディングを迎える。
 しかし前野健太の歌は、聴き手を惨めな気持ちには決してさせない。まさに"ヒマだから"というタイトルがつけられたミドル・テンポの穏やかな曲では、6月の何てことないある1日について歌われるが、そこでは「猫しか友達のいない おっさん 裏通り遊ぶ」と落ちこぼれの他人を眺めて、恐らくそこに自分を投影させている。だがそこで安易に自分を哀れむのではなく、すぐに視点を切り替えて「おっさんしか友達のいない ふりをする やさしい猫」と、さらなる他人にこそ思いやりを発見していく。そして"あたらしい朝"。まるで「みんなのうた」がはじまるような素朴な口笛をイントロにしたこの曲はしかし、「『うしろからして 動物みたいに』/AH なんてきみは素晴らしいんだろう」とセックス描写からはじまり、突然それは壮大な妄想へと突入していく。僕のこどものこどものそのこどものこどもの......とまくし立てたところでそれはただの他人にすぎないが、そこではただの一晩のセックスが、果てしない他者への繋がりと、そのことに対する想いへと昇華されているのだ。
 アルバムのハイライトは間違いなくタイトル・トラックのバラッド"ファックミー"だろう。そこでは、無為に過ぎていく日々も将来への不安もどうでもいいと言わんばかりに、「お前」とすべてをぶつけ合うことを祈る。タイトルが冗談でも何でもないことは、その歌声を聴けば誰しもが理解するだろう。苦しそうな高音部分は、しかし構わず感情に任せて振り絞られる。「ファックミー もう何にもいらない/ファックミー もう何にもいらないよ/今 言葉消えて 身体熱くうねる/ファックミー」

 僕は音楽に共感を求めるようなことをあまりしなかったほうだと思う。だから馴れ馴れしく同意を求めてくるようなこの国の多くのロックを鬱陶しく思い、気がつけば外国の音楽ばかりを聴くようになってしまっ た。しかし前野健太の歌にはふとした瞬間に自分が日々見ているような風景や感覚が入り込んでいて、僕はそのことに共感ではなくて動揺を覚える。なぜなら彼の歌には、その先にある他者への欲望がこめられているからだ。それはあの懸命な声で絞り出されるとき、無為な日常を過ごす僕たちにとってのありったけのロマンになっていく。
 そう言えば、歌詞ではだらだらした日常のなかに時折「歌」や「音楽」がふと現れる。恋人たちはその歌をきっかけとして、その距離を埋めようとほんの少しだけ前進する――それこそが、前野健太の歌なのだと思う。「ねえ 歌は聴こえているの?」("石")

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