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前野健太

前野健太

ファックミー

Romance Records

Amazon

木津 毅   Feb 18,2011 UP
E王

 前野健太の歌は、現代のこの国に生きる、時間を無駄にして過ごすすべての若者たちに捧げられている。......というのは、僕の願望に過ぎないのかもしれない。ただ彼の歌の主人公たち――そのなかで生きる若い男女は、とにかく金がなく、しかし時間だけは有り余っていて、しかもその時間をただ浪費している。そのラヴ・ソングではぐずぐずとしたすれ違いばかりが綴られ、何の確信もないまま日々は過ぎ去っていく。
 僕にも思い当たるフシはある。物心ついたころから不況だと呪詛のように聞かされ続けた僕たちは、時間を有意義に使うことの重要さを徹底して教え込まれ、将来への不安を煽られてある時期に一斉に就職活動に駆り立てられる。そしてその後は......資格を取って、キャリアアップして、老後のためにひたすら貯金をするのだ。これは皮肉でも冗談でもない。人気のJロック・バンドが就職活動サイトの広告にタイアップされ白々しい応援歌を歌う、そんな時代に僕たちは大人になった。「そんなものはクソだ」と言っても、それはただの落ちこぼれの戯言にすぎない。基本的に僕は楽天的な性格だと思うが、しかし自分はたったいまも貴重な時間を無駄にしているのではないか......という後ろめたさが、心のどこかで日々蓄積されていくのを感じる。それは息苦しく、しかしだからといって何も変わらないまま、金も将来への確信もなく毎日は過ぎていく。

 貧乏で、もちろん将来性など欠片もない若者の歌を常に歌ってきた前野健太の3枚目のアルバム『ファックミー』は、その感覚を1曲目からまったくもって正確に言葉にしている。「眼鏡は汚れていく」、彼はそう囁くように歌ってアルバムの幕を開ける。そして続く"石"で軽やかなフォーク・ロックへとドライヴするが、そこでも「ぼくは畳の海を泳いでいた/世界がごろりと転がっていった」と自分がゴロゴロしている間に世間が通り過ぎていく様が歌われる。「女との友情 かわしたい/女との友情 かわせない」("女と")、「雨のふる街を ぼくら傘をさして/何を話すでもなく ぼくら歩いている」("雨のふる街")、「窮屈な身体 窮屈な心/服はユニクロ 明日は今日と同じ顔」("コーヒーブルース")......大した進歩もしない関係、代わり映えのしない日常。それらは、前野独特の生活臭を醸し出す描写とともに浮かび上がってくる。「僕が聴きたいのは 僕が歌いたいのは 僕が欲しいのは 一杯120円のコーヒーブルース」というのは彼のステートメントに他ならない。そしてアルバムは......牛が「モー」と鳴いて、締まりのないエンディングを迎える。
 しかし前野健太の歌は、聴き手を惨めな気持ちには決してさせない。まさに"ヒマだから"というタイトルがつけられたミドル・テンポの穏やかな曲では、6月の何てことないある1日について歌われるが、そこでは「猫しか友達のいない おっさん 裏通り遊ぶ」と落ちこぼれの他人を眺めて、恐らくそこに自分を投影させている。だがそこで安易に自分を哀れむのではなく、すぐに視点を切り替えて「おっさんしか友達のいない ふりをする やさしい猫」と、さらなる他人にこそ思いやりを発見していく。そして"あたらしい朝"。まるで「みんなのうた」がはじまるような素朴な口笛をイントロにしたこの曲はしかし、「『うしろからして 動物みたいに』/AH なんてきみは素晴らしいんだろう」とセックス描写からはじまり、突然それは壮大な妄想へと突入していく。僕のこどものこどものそのこどものこどもの......とまくし立てたところでそれはただの他人にすぎないが、そこではただの一晩のセックスが、果てしない他者への繋がりと、そのことに対する想いへと昇華されているのだ。
 アルバムのハイライトは間違いなくタイトル・トラックのバラッド"ファックミー"だろう。そこでは、無為に過ぎていく日々も将来への不安もどうでもいいと言わんばかりに、「お前」とすべてをぶつけ合うことを祈る。タイトルが冗談でも何でもないことは、その歌声を聴けば誰しもが理解するだろう。苦しそうな高音部分は、しかし構わず感情に任せて振り絞られる。「ファックミー もう何にもいらない/ファックミー もう何にもいらないよ/今 言葉消えて 身体熱くうねる/ファックミー」

 僕は音楽に共感を求めるようなことをあまりしなかったほうだと思う。だから馴れ馴れしく同意を求めてくるようなこの国の多くのロックを鬱陶しく思い、気がつけば外国の音楽ばかりを聴くようになってしまっ た。しかし前野健太の歌にはふとした瞬間に自分が日々見ているような風景や感覚が入り込んでいて、僕はそのことに共感ではなくて動揺を覚える。なぜなら彼の歌には、その先にある他者への欲望がこめられているからだ。それはあの懸命な声で絞り出されるとき、無為な日常を過ごす僕たちにとってのありったけのロマンになっていく。
 そう言えば、歌詞ではだらだらした日常のなかに時折「歌」や「音楽」がふと現れる。恋人たちはその歌をきっかけとして、その距離を埋めようとほんの少しだけ前進する――それこそが、前野健太の歌なのだと思う。「ねえ 歌は聴こえているの?」("石")

木津 毅