「Noton」と一致するもの

Alva Noto - ele-king

 90年代後半からノト名義でミニマル・ミュージックに手を染め、すぐにも実験的な体質を顕わにするようになったカールステン・ニコライは、いわゆるサイン波とパルス音の鬼と化し、00年代を通じてエレクトロニカからミュージック・コンクレートへの移行を促した重要人物のひとり。自身のラスター・ノートンから『プロトタイプス』(00年)でミル・プラトーへ移り、続いて01年にリリースした『トランスフォーム』ではリズム感でも優れたところを見せたにもかかわらず、そちらに歩を進める気配はなく、ミカ・ファイニオや池田亮司とのサイクロ、あるいはトーマス・ナック(元ジェイムズ・ボング!)とのオプトや坂本龍一とのジョイントを通じて試行錯誤の範囲をいまでも拡大し続けている。

 オピエイトとの『オプト・ファイル』(01年)など、彼の抽象表現のなかにはアンビエントへと向かう感覚もなかったわけではないものの、この方向性が全開になったといえるのが(テイラー・デュプリーの〈12K〉がサブ・レーベルとしてスタートさせた)〈ライン〉から06年にリリースした『フォー』からだった。トッド・ドックステイダーズとの共作で知られるデヴィッド・リー・マイヤーズ(アーケイン・ディヴァイス)まで借り出してきた〈ライン〉は、ミニマルを基調としてきた〈12K〉に対してサウンド・インスタレイションのレーベルとして位置付けられているようで、その筋の先駆といえるスティーヴ・ローダンからマーク・フェル(SND)のソロなど、抽象表現のセンスは非常に幅広く設定されている。つまり、レーベル・カラーがアンビエント表現へと誘ったわけではなく、彼の実験的な感覚が自然と辿り着いたものがそれだったということになるのだろう。しかも、『フォー』の翌年にはアレフ-1の名義でアンビエント専門のプロジェクトもはじめられ、サンプリング(=コピー)を主体とした『ゼロックス Vol.1』(07年)、『ゼロックス Vol.2』も同傾向の作品としてカウントすることができる。

 『フォー』から4年が経過した『2』は、ニコライ流の実験音楽がアンビエント・ミュージックの文脈に近接することで、まるでクラシック・ミュージックのような響きを帯びるに至っている(いわゆるクラシック・ファンには無理だろうけれど)。抑制されたシンセーストリングスや繊細で優しいメロディの繰り返しは即物的な音響表現がすべてだった過去とは(表面的には)まったく異質に感じられ、シルヴァン・シャボーやヨハン・ヨハンソンといった自意識の低いポスト・クラシカルとも距離を置いている。あくまでもエレクトロニカの発展形であり、その成熟したフォームといえる。この穏やかさは癖になる......『フォー』とは「葛飾北斎」や「ジョン・ケージ」などに向けられた「フォー」を意味していた(なぜかコイルのジョン・バランスまで含まれている)。『2』では、しかし、その対象は拡散し、完成度とは裏腹にこれといった焦点は持っていないようである。

 国内盤は『フォー』(06年)とのカップリングで〈インパートメント〉から。

To Rococo Rot - ele-king

 60年代末のドイツのベルリンのコミューンから生まれたのがアモン・デュールなら、ハンブルグとブレーメンのあいだにある街、ヴュメの廃校のアート系コミューンを拠点としたのがファウストである。"なぜニンジンを食べないの?"というオモロい曲名と大胆なサウンドコラージュ、透明なヴィニールのレントゲン写真をアートワークとした彼らのデビュー・アルバム(71年)、言葉遊びやナンセンスを追求したミニマル・ポップの傑作『ソー・ファー』(72年)、そしてかのリチャード・ブランソンが契約を交わし、"カット&ペイスト"アルバムとしては世界で最初のヒットとなった『ザ・ファウスト・テープス』(73年)......"まともでない"クラウトロックの宇宙においてひときわ諧謔と知性を感じるのがファウストである。ファウストは、ポップの史学ではたびたび「スタジオを楽器として使用した最初のバンド」と記されるが、そのファウストのスタジオを使って録音されたのがトゥ・ロココ・ロットの新しいアルバム『スペキュレーション』というわけだ。

 1996年に〈キティ・ヨー〉から最初のアルバムを発表した、ステファン・シュナイダー、ロナルド&ロベルトのリポック兄弟の3人によるこのバンドは、あの時代のポスト・ロックなる動きのベルリンからのアンサーとして注目された。潔癖性的なポスト・ロックとエレクトロニカを軸にしながら、彼らはアルバムを出すたびによりユニークなサウンドを手に入れつつあるように思う......というか、最初の2枚は毒に薬もならないポスト・ロックをそのまま体現しているバンドのひとつに過ぎなかったが、3枚目の『アマチュア・ヴュー』(99年)におけるメロウなサウンドでいっきに評価を高め、〈ドミノ〉に移籍してからの『ホテル・モルゲン』(04年)でもエレクトロニカの甘い享楽に耽っているという、悪くはないが積極的に話題にしづらいバンドだった。

 が、オリジナルとしては6枚目となる今作で、3人のドイツ人はさらに前に進もうとしているのだろう、冒頭に書いたようにファウストのスタジオを借りて新境地に挑んでいる。言うなれば、クラフトワーク、プラッド、ブライアン・イーノの領域から、ファウストやクラスターのほうへと向きを変えているのだ。緻密に計画された実験から、どこへ行くのかわからない実験へとハンドルを切っている。より生々しい演奏に挑戦しているのである。

 『スペキュレーション』はトゥ・ロココ・ロットのクラウトロック・アルバムである。ロマンティックでメロウな感覚はなくなり、乾いた遊びの感覚がある。1曲目の"アウェイ"と2曲目の"シーリー"は、失礼だがトゥ・ロココ・ロットとは思えないほどの躍動感があるり(とくにベース)、それは明らかにハルモニアを連想させる。もちろんハルモニアの複製ではない。これまで彼らが15年かけて磨いてきたエレクトロニック・サウンドとの有機的な結びつきにおいて、新たに更新されるクラウトロックである......と言ったら褒めすぎだろうか。

 クラスターの電子の遊びを継承する"ホーシズ"も素晴らしい。広大な一軒家で暮らすメタルも絶賛の、4/4ビートが入った"フォワードネス"はトゥ・ロココ・ロットの真骨頂であるメロウなトラックで、今回の関して言えばアルバム全体のなかではむしろ異質である。この曲は先行シングルのB面に収録されている。

 ベストトラックは"ウォーキング・アゲインスト・タイム"だろう。感傷主義からは100億光年離れた場所で鳴っている前衛的なパーティ・ミュージックだ。シングルではA面に収録され、シャックルトンがリミックスしている、ファウストのハンス・ヨアヒム・イルムラーが参加した"フライデー"は、クラスターとコンラッド・シュニッツラーの現代解釈である。しかも......シンセサイザーのリフはヘア・スタイリスティックスみたいなのだ。

 まあ、だからこれまでのファンを裏切る作品であるとも言えるだろう。素晴らしいのは、ファウストのスタジオを使ったことがまったく無駄になっていないことだ。よく言う言葉で恐縮だが、楽しい実験である。

サニーデイ・サービス - ele-king

 経験上、「サニーデイ・サービスのフェイヴァリット・アルバムは何か?」と誰かに問うと、その答えは人によって驚くほど分かれるのだが、自分は4枚目の『サニーデイ・サービス』だ。その最終曲"bye bye blackbird"に「もう灰色の列車に乗り遅れてしまった 乗り過ごしてしまったじゃないか」という、とても印象的なフレーズがあるのだが、彼らの10年ぶりのアルバムとなる今作『本日は晴天なり』を聴きながらしばらく自分の頭のなかをぐるぐる回ったのは、そのフレーズだった。

 サニーデイ・サービスが復活したのは2年前の、10回目を迎えたライジングサン・ロック・フェスティバルでのこと。その時点で曽我部恵一は「これ一回限りのものとは考えてない」と活動の継続を公言していたが、その足取りは決して軽いものではなかった。翌年2009年にも神出鬼没的にフェスやイヴェントに出演することはあったが、レコーディングに入っていると伝えられていたニュー・アルバムのリリースはずっと先送りに。そのあいだ、たとえばユニコーンは周到に演出された復活劇で新旧ファンをゴッソリ取り込むことに大成功し、今年に入ってからは、たとえば小沢健二がWEBで突然の復活ツアーを発表して大きなサプライズを巻き起こした。サニーデイ・サービスの復活は、それらの鮮やかな手際の良さに比べると、あまりに不器用なものとして映った。そして、その不器用さこそが、サニーデイ・サービスなのだということに、10年の時を経て気づかされるのだった。

 ここでユニコーンや小沢健二の名前を出したのは、何も根拠がないわけではない。これまで曽我部恵一は、折に触れて奥田民生や小沢健二の名前をインタヴューなどで引き合いに出してきた。曽我部恵一にとって彼らの存在は、音楽活動のやり方という点において、あるいは創作面において、ときに参考にすべき先輩ミュージシャンであり、ときに反面教師であった。それが今回の「サニーデイ・サービスの復活」という局面においても、偶然のコントラストを描いていることが自分には興味深かった。

 今作『本日は晴天なり』では、不自然なくらい自然にサニーデイ・サービスの「その後」が鳴らされている。「不自然なくらい」というのは、古今東西あらゆるロックバンドの再結成は、自然に起こるものではないからだ。おそらく今回のサニーデイ・サービスの再結成にも固有のさまざまな事情があるのだろうが、曽我部恵一はそうした現実的な理由が、まるでジャケットのアートワークのようにハレーションを起こして、音楽の中に完全に溶け込んで自然に聴こえるまで、かなり腐心したのではないか。彼は若いリスナーに向けてまるで新しいバンドのようにサニーデイ・サービスとして振る舞うこともできただろうし、今作を過去のファンを喜ばすオマージュに満ちたものにすることもできただろう。しかし、結果として届けられた今作は、「無作為の作為」とでも呼べるような、まるでこの10年間が何もなかったような、それでいて確実に歳だけはとったような、不思議な感覚に満ちた作品となっている。

 ひとつだけ触れておかなくてはならないのは、ソロ作品や曽我部恵一BANDの作品ではとくに気にとめることもなかった曽我部恵一の歌声の変化、具体的に言うと声のかすれが、サニーデイ・サービスの名が冠せられたこの作品ではとても気になってしまったということ。全体的に過去のサニーデイ・サービスの作品より歌詞が抽象的で、とくに後半になるにつれ夢見心地でまどろむような空気に包まれていく作品(過去のアルバムに1、2曲あったような、目の醒めるようなポップチューンはここにはない)だが、10年後の現実は、そんなところにもたしかに刻まれている。

キノコホテル - ele-king

「『ロックは死んだ』と何度も言われて来た」という言葉にも聞き飽きた。2009年、年の瀬、私は新潟にいた。夜も深くなった頃、寝静まった新潟古町の商店街を抜けて、雑居ビルのなかで30年も前から変わらずやっているというロック喫茶に連れて行ってもらった。

 「サラダホープ知らないの? 新潟では、柿の種より、サラダホープがメジャーなんだよ」
 「キュアー知らないの? そうだよねー、まだ生まれてないよねー」
 カウンターには発売されたばかりの『ジャップ・ロック・サンプラー』(ジュリアン・コープ、白夜書房、2008年)
 「フラワー・トラヴェリン・バンドは最高だよ!」
 このご機嫌なマスターがいまもっとも夢中になっているのが、このキノコホテルだという。「ちょっと待ってて、DVD見せたげる」と言って、マスターはDVDをかけはじめた。
「ほら、これこれ。俺が映ってんの!」
 カメラの前で拳を挙げてピョンピョンはねているマスターの頭の影が映っている。キノコホテルは、日の沈む街、あの極北の間章の街のロック喫茶の親父を夢中にさせている。これは一体どういうことなのか。

 キノコホテルは、キノコカットの女の子四人からなるGSバンドで、メンバーは架空のホテル「キノコホテル」の支配人と従業員ということになっているらしい。ボーカルの女の子の名前は、マリアンヌ東雲である。マリアンヌと言えば、ジャックス。早川義夫が「♪オレはマリアンヌを抱ーいているー」のマリアンヌである。早川義夫が惚れたマリアンヌである。

 あの間章の街のロック喫茶の親父を夢中にさせ、早川義夫が抱いた女と同じ名前を名乗る女がどんな女なのか、いちどは聴いておかねばならない。私のこのアルバム購入の動機は他でもない、単なるつまらない女のジェラシーの感情にすぎないのかもしれない。

 ジャックスは歌う。
「二人が見つけたこの恋を離したくないいつまでも。時計をとめて見つめていたい瞳にうつる愛を」
"時計をとめて"『ジャックスの世界』

 いっぽう、キノコホテルはこう歌う。
「許されない二人の時は止まりはしない。繋いだ手離したなら、何もかも忘れましょう。果てのないこの旅路をまた独り歩き出す」
"還らざる海"『マリアンヌの憂鬱』

 ジャックスはこんなに気持ち悪いラヴ・ソングだったんだなあ。「ロックは死んだ」とか「ロックは永遠だ」とか議論するのはたいてい男たちだ。そんなことどっちでもいい。生まれて、死んで、また生き返って、また死んで、またまた生き返って......。世界はこんなに無情なのに。それなのに、誰が、すでに誰かがやったことと同じことをもういちどしてはいけないと決めたんだろうか。キノコホテルには「何か新しいことをしなければならない」という強迫観念の潔い消失がある。この時代遅れのGS歌謡を、「ネオGS」とか「ポスト・ネオGS」とか「ポスト・ポストネオGS」......とか言わずに何のためらいもなくおこない、親父たちを確信犯的に翻弄できるのが、この毒キノ娘たちである。そして、「パンクの初期衝動が!」と言いながらも、ふと気を抜くとまんまと毒キノコに翻弄されてしまうノスタル爺じいを、私はとても愛おしく思う。

「キノコは生の世界と死の世界の媒介者である。」(飯沢耕太郎『きのこ文学大全』平凡社新書、2008年)

Various Artist - ele-king

 1990年、ニューヨークのこのレーベルのリリースがはじまったときの、ハウスを扱っているレコード店のプッシュときたらすごいものがあった。"黒い"ディスコのファットなビート、このグルーヴ、このピアノ、このベース、この歌、これぞハウスの真髄である、僕はそう教え込まれた。当時、レコード店のディスプレイにはザ・KLFやコールドカットが並んでいて、店に入るとそっちに歩く僕の向きを、ニューヨークを信仰するハウスの玄人たちはレンガのほうに変えるのだった。そして僕はその当時の誰もがそうしたように、アンダーグラウンド・ソリュージョン(ロジャー・サンチェス)の「ラヴ・ダンシン」を買った。まさに1990年のことだ。

 とはいえ、当時の僕はこの手の黒いディープ・ハウスや歌モノのハウスの心地よさを心底理解していたわけではなかった。また、ニューヨークを向いていたわけでもなかった。UKレイヴ・カルチャーへと、それからデトロイトの未来派ファンクへとアプローチしている最中だった。DJピエールをつまみ食いしたほかは、〈ストリクトリー・リズム〉に夢中になることはなかった。僕の耳がまだ肥えていなかったというのもあるのかもしれないが、たくさんの優秀なプロデューサーを抱えて数多くのヒットに恵まれながら、しかしジャンルをまたぐような決定的な代表作というものを発表できなかった〈ストリクトリー・リズム〉というレーベルの限界もあった。地味と言えば地味だったし、大人びていると言えば大人びていた。それでも"青レンガ(ストリクトリー・ブルー)"が出てきたときは、知り合いから「青レンガこそ玄人好みなんだぜ」と教えられ、「そっか」と思って買ったけどね(玄人好みというか、本当は歌モノ専門が青レンガ)。レーベルはじょじょにコマーシャルになって失速していったけれど、少なく見積もっても1993年まではハウスにおける重要な拠点のひとつだったと言えるだろう。

 レーベル生誕20周年ということで、昨年から今年にかけてミックスCDが2枚出ている。第一弾は昨年の夏にリリーされた森田昌典(スタジオ・アパートメント)とムロによる選曲とミックスで、そしてもう1枚が今年に入ってからリリースされたDJノリと高橋透による選曲とミックスだ。ふたりのベテランによる第二弾は、レーベルの魅力を再発見するというだけでなく、ふたりの大御所の個性がとてもよく表れている点でも興味深い。

 DJノリのミックスは、ある意味では、1992年あたりの東京のクラブへとタイムスリップさせる。当時のハウス系のフロアは本当にこういう感じだった。〈ストリクトリー・リズム〉はニューヨーク系らしくフロア映えする音だったから、熱心なリスナーではなかった僕でさえもクラブでかかるとその心地よさに陶酔したものだった。
 そして、やはりと言うべきか......DJノリの選曲のほとんどが、1993年以前の音源だ。そして、物静かなこのDJは、いまからおよそ20年前の黒いグルーヴがいまでも充分に有効であることを証明する。あるいは、この時代の人気スタイルのひとつであるピアノ・ハウスも、ソウルフルな歌モノのハウスも、いま聴くと新鮮に感じることを教えてくれる。
 それにしても......「さすが」というか、現場で実際に使っていた人のミックスだと思う。はじまりからバーバラ・タッカーの"ビューティフル・ピープル"までの流れは圧巻だし、モアレル・インクのゴスペル・ハウスを経由しながらエレガントに終わっていく後半にも彼のセンスが出ている。早い話、ドラマチックなのだ。ちなみにニューヨークのダンスフロアは"ビューティフル・ピープル"のようなキャッチーな歌モノがかかると一緒に大声で歌う。

 かつて自分がまわしていたアナログ盤を使うことにこだわり(だからノイズまで入っている)、レーベルのさまざまな表情と素晴らしいグルーヴを抽出するDJノリとは対照的に、高橋透は彼の好奇心と冒険心を大胆に発揮している。すべてをデジタルでミックスするばかりではない。ムードマンによるリエディット、DJケントと千田によるリエディット、アッキーによるリミックス、DJノザキによるリミックスといった新しい解釈の加わったヴァージョンを使っている(CDは3枚組で、2枚のミックスCDのほか、もう1枚、日本人DJによるリエディット/リミックス音源も付いている)。

 〈ストリクトリー・リズム〉の最良の部分を抽出しようとするDJノリに対して、高橋透は老舗レーベルの音源をモダンな感性で再解釈していると言える。いちどミニマル・テクノにドップリつかった耳をフル稼働させながら、酒を愛するこのDJはクラシカルなハウスに新しい光沢を与えているというわけだ。アシッディで、起伏の多い展開で、それもまた「お見事」である。ちなみにふたりともアンダーグラウンド・ソリュージョンの"ラヴ・ダンシン"を使っているけれど、使い方がまったく違っている!

 簡単に言えばソウルフルなDJノリ、フリーキーな高橋透というか、面白いようにふたりの色が出ているし、それは尊敬に値するお手並みなのだ。続けていることの凄さというヤツである。録音も良い。

Black Moth Super Rainbow - ele-king

 昨年、リリースされた4作目のアナログ・ヴァージョン。曲順はまったく違う(CDでいう1,4,8,10は同じ位置)。

 生バンドなのにマイク・パラディナスに聴こえるといわれてきたのがトランズ・アムなら、同じくボーズ・オブ・カナダに喩えられてきたのがこの5人組。デビュー初期(03~)は子ども時代の記憶を再現することが目標だったらしく、どことなくクラフトワークを思わせるものがあったけれど、前作からロック・バンドとしてのまとまりが出てきて、プロダクションも飛躍的に洗練され、演奏で引っ張っていくタイプに変化してきた。"ディア・プルーデンス"のようなはじまり(先行シングル"ボーン・オン・ア・デイ、ザ・サン・ディドゥント・ライズ")から基調はどこをとっても甘ったるく、エールがDJシャドウとコラボレイションすればこうなるだろうというか、重厚なリズムと縦横に飛び回るメロディーとの対比が素晴らしく、DJシャドウがきっかけでバンドからDJに転身したというDJミュー(コチトラハグレティックMCズ)のミックスCDに入っていたのも納得です(......だからアナログが遅すぎるのよね)。

 03年に1st『フォーリング・スルー・ア・フィールド』(限定→後に再発)、翌年に2nd『スタート・ア・ピープル』、06年にはオクトパス・プロジェクトとのジョイント・アルバム『ザ・ハウス・オブ・アップルズ・アンド・アイボールズ』(これがよかった)、さらに07年には3rd『ダンディライオン・ガム』と、08年にミニ・アルバム的な『ドリッパーズ』をリリースし、どう考えても波に乗りはじめている。粘りつくようなグルーヴが出て来たことでサイケデリックな効果も高くなり、曲がどれも短く感じられてしょうがない。クラブ・ミュージックは好きではないというようなことを言っていたけれど、これはどう考えてもリミックスは避けられないでしょう。本人たちがやらなければブートが出回るだけ......というか(アンディ・ウェザオールに教えるぞ! でも、どうやって?)。

 レイディオヘッドやゴッドスピード・ユーに囲まれて、さぞかしエールは息苦しい思いをしていたのではないかと(あらためて)思う。等しくメランコリックといっても同時期のアラブ・ストラップやエールのそれは暗さのなかに甘美なものが秘められ、けっして重苦しいだけのシリアスなサウンドではなかった。自分が関わっておきながらいうのもなんだけれど、だから『ゼロ年代の音楽』でも先駆的な音楽として思い出してもらえることはなかった。ブラック・モス・スーパー・サウンドにしたって時代を引きずりまわすような音楽ではないかもしれない。たかだか小一時間ほど幸せな気分になれるだけである。そのようにして過ごす時間があるとないとでは人生は大違いだと思うものの、でも、どうしてアート・ワークは暗い感じを狙っているのかなー(?)。

 ちなみに『ファックド・アップ・フレンズ』をアンチコンからリリースしたトバッコもメンバーです(セカンドはラッド・カルトから)。また、セヴン・フィールズ・オブ・エイフェリオン(という人名)は『ペリフェリー』というアンビエント・ソロを、ライアン・マノンはドリーメンドの名義でもすでにアルバムを3枚リリースしている。

相対性理論 - ele-king

 先日、Spangle Call Lili Lineの藤枝憲と、そのシングルのプロデュースを手掛けた相対性理論の永井聖一の対談をする機会があったのだが、そこで藤枝は相対性理論のことを「はっぴいえんど、YMO、フリッパーズ・ギターに続く存在がようやく現れた」と語っていた。自分も基本的にその意見に強く頷く立場である。これまでの日本の音楽業界のしきたりをすべて無効にしてしまうような存在、周りのものを全部古くさく見せてしまうような毒っ気、自分たちのルールでしか動かない不遜さ。それに加えて、数々の共演歴や共作歴からわかるように、彼らは日本のアンダーグラウンド・ロック史や同時代のアート・ロックに愉快犯的に介入し、歴史を書き換えようとさえしている。そんな企みに鈍感なリスナーの一部には、その歌声やナンセンスな歌詞のイメージから、安易にオタク・カルチャーと結びつけてその存在を軽んじる向きもあるが、彼らはそんな誤解をも巧みに利用して、「相対性理論を否定するのはカッコ悪い」という現在の状況を作り上げてきた。このレヴューを書いてる時点で、日本で彼らよりたくさんのCDを売っているのがAKB48だけというのは、そんな彼らの目論見がここまで見事に成功している何よりの証拠だろう。

 相対性理論を音楽的に特徴づけるもの、それはその計算され尽くされた中毒性にある。彼らは、「ポップとは物語ではなく、まるでゲームや麻薬のように何度も何度も繰り返したくなるようなもの」であることに、日本のどんなミュージシャンよりも自覚的だ。だから、今作にようやく収められた彼らの代表曲のひとつ"ミス・パラレルワールド"の「東京都心はパラレルパラレルパラレルパラレルパラレルパラレルワールド」というまるで呪文のようなやくしまるの歌に、もし気味の悪さのようなものを感じるとしたら、それはアディクトを怖れる人間の本能として正しいリアクションなのだ。

 そして今作には、もうひとつの明確な目的がある。それは、彼らの存在が広く知られるようになった前作「ハイファイ新書」リリース以来、いろんなところで語られるようになった「キーマン=真部脩一」説を払拭するということだ。結果として今作は、反復するコンセプチュアルアートとしての相対性理論をより進化させたものではなく、メンバー全員がコンポーズ及び詞作に関わった、相対性理論の拡大再生産的楽曲集となっている。これまでライヴで演奏してきた未発表曲がほとんど収録されていることからも、これがタネもシカケもない相対性理論の現在すべてだと言うことができるだろう。

 もっとも、これまでライヴで聴いたときの印象と、今作で聴くことのできる楽曲群の印象は微妙に異なる。今作では、精密に空間設計されたギターの配置やフレージングから、16ビート、変拍子を巧みに操るドラム、そして曲によって実はかなりファンキーなベースまで、徹底的にメンバー全員が演奏者として「相対性理論の中毒性」をブラッシュアップした上で、意図的にヴォーカルの録音レヴェルを上げている。そして、そこでやくしまるえつこは楽曲ごとに声を使い分け、「私は操り人形じゃない!」とばかりに初めて感情を入れて歌っている。

 そこからうかがえるのは、このバンドが各音楽メディアとの慎重な距離の取り方とは裏腹に、自分たちの音楽そのものへの批評に対しては意外にナイーヴだということだ。おそらく今作における作詞作曲、および演奏と歌唱法における、「4人で相対性理論」という強固なスタンスは、この先も継続されていくはずだ。そして、そこからハミ出していく各メンバーのエゴは、今後さらに盛んになっていくに違いない課外活動のほうに吸収されていくのだろう。

 先日の渋谷AXでの渋谷慶一郎とのライヴではその片鱗を聴かせてくれたが、音響面を強化、整備するだけでも、このバンドの「聴かせ方」や「見せ方」にはまだまだ大いに伸びしろがある。ただ、そんなふうな生け花や盆栽的な観賞物としての完成度を高めていくだけではない、『シフォン主義』や『ハイファイ新書』をさらに刷新していくような思いもよらない斬新なアイデアとその実践を、自分はどうしても彼らに求めてしまうのだ。フリッパーズ・ギターは3枚で終わったが、きっと相対性理論にはまだまだ続きがある。今作はそのための、これまでの状況整理を兼ねた集大成的なアルバムだと思っている。

Matthew Herbert - ele-king

 マイク・インクを聴いたことがきっかけでハウスをつくりはじめ、それによって頭角を現したハーバートは、それ以前にドクター・ロキットやウィッシュ・マウンテンの名義でイージー・リスニングからミュージック・コンクレートの応用まで手を広げ、いわば「なにがやりたいのかよくわからないプロデューサー」の代表格だった。ハード・ミニマルやドラムンベースがフロアを最高潮に持ち上げた後で、いまから思えば次にどっちへ行こうかとシーン全体が模索期に入っていたような時期だったから、どんなつまらないこともネクストにつながる何かに感じられ、ハーバートの試みも、そのひとつひとつがそれなりに意味を持っているように感じられたということもあるだろう。ミステリアスでありながら、彼の存在はなぜか信頼できるような気がし、もしかすると必要以上に評価しながら聴いていたような気がしないでもない。「レディ・トゥ・ロキットEP」(95)、「D・フォー・ドクター」(96)、「レイディオ」(96)、「フーシュ」(97)、「ヴィデオ」(97)......いまから思えばヘンな感じである。聴き返したいような、それもまたコワいような。

 ハウスやテクノへの没入が一段落して『ボディリー・ファンクションズ』(01)をリリースした辺りから、ハーバートは匿名性が支配するDJカルチャーの住人であることに距離を取りはじめ、それまで福袋のように差し出されていた彼のたたずまいから明確に作家性というものが立ち上がっていく。それと同時にジャズが表現のセンターコートへと躍り出、ビッグ・バンドへの視座やラテンへの目配せなど、まるで菊地成孔とともに時代を併走しているかのようなタイプへと様変わりしていく。90年代を昇華したハーバートと、それを否定した菊地には、もちろん、ハイブリッド感や音楽に持たせる意味がまったく違っていたようだけれど。

 「型」をどう演じるか。何度も書いてきたように、これが00年代の課題だった。ハーバートにとってのジャズは、それを狂言回しのように扱っているという印象を与えることでエレクトロクラシュやポスト・クラシックとも一脈で通じるものがあった。裏側に回ればいろいろと小細工は労しているものの、表面的な音のタッチはあくまでもオーソドックスに徹し、実際、ハーバートのそれは「洗練」された商品としての風格を兼ね備えるようになった。『ミュージック・オブ・サウンド』や『レッツオールメイクミステイクス』は遥かに遠い。そして、ビッグ・バンドなど作品を経てリリースされた『ワン』では、ついに、70's風味のなんら変哲のないポップ・サウンドへと歩を進めてしまった。これまでのソロ作に少しは影を落としていたハウスのフォーマットは霧消し、特別な世界でもなければ日常に埋没するでもない「ポップ・サウンド」そのものへと。

 曲名はすべて地名になっている。マンチェスター、ミラノ、ライプチッヒ、シンガポール、ダブリン、パーム・スプリング......本人に訊けば、きっと回りくどいコンセプトが饒舌に語られることだろう(そういうところも菊地成孔と寸分違わない)。『ワン』というのはリチャード・バックのような集合無意識のことをいっているのだろうか。それとも単に『ツー』が続くのだろうか。国名ではなく、都市名になっているところはツアー先を意味するのだろうか。どの曲も適度に感傷的で、この世界はそのような気分の積み重ねでできているといわんばかりである。地味なアルバルだけど、その意志は強く、聴く度に存在感を増し、そして、とても落ち着く。そう、ハーバートは相変わらず「なにがやりたいのかよくわからないプロデューサー」の代表格である。こんな作品になるとはまったく予想できなかった。

三上 寛 - ele-king

 三上寛のアルバム『弥吉』が、デビュー40周年・還暦記念として発売された。私はそれを先日3月19日の高円寺ショーボートでの還暦祝ライヴで購入した。私の産まれる10年前からこの人は歌い続けてきたんだ。三上寛が歌い続けてきたことって何なのか。私はここ数ヶ月それについて考えている。

 今年2月7日に横浜国立大学教育文化ホールで、三上寛さんのライヴと講演会が開かれた。昨年11月に帰らぬ人となった横浜国立大学の大里俊晴教授の授業を引き継いで、私は学生たちと一緒にこの企画をおこなうことになった。大里さんは10年近く、年に何人か、音楽、マンガ、映画、写真などで活躍する方を招いて、対談や共演をおこなってきた。招聘するゲストを相談して決めて、依頼のお手紙を書き、ゲストに関する書籍や作品を集め、受講生で一緒に共有して、広報、会場設営、当日運営、打ち上げ、お礼の手紙書くところまで、すべて学生の手でやるという授業である。その授業で、生前最期に大里さんが自分からぜひお呼びしたいと言ったのが、三上寛さんだった。いわばこの企画は「遺言遂行企画」である。

 大里さんは新潟の中学生だった頃、初めてラジオで三上寛さんの「ひらく夢などあるじゃなし」を聴いて、衝撃を受けたと言っていた。三上さんの音楽から1970年代初めに新潟の中学生だった大里さんが何を感じていたのか、っていうことは、いま東京で暮らす30歳の私の状況とあまりに違うから、想像することしかできない。青森から東京でデビューした一回り年上のひとりのフォークシンガーに対して、新潟の70年代の中学生男子は何を思ったんだろうか。いっぽう、私が初めて三上さんの歌を聴いたのは2000年代になってからの新宿JAMで、VAJRA(三上寛、灰野敬二、石橋俊明)のライヴを聴きに行ったときだった。そのとき三上さんは白いピカピカのグレッチのエレキギターを鳴らしていた。だから当然ながら私は、三上寛の歩みをリアルタイムに知らない。

 ましてや、何も知らずにこの授業を登録してしまったばかりに、この講演会とライヴを企画することになった受講生は、三上寛の「ミ」の字も知らない。受講生は横浜国立大学の2~3年生の女の子ばかりだった。普通に学生生活を過ごしてしていたら三上さんの歌と出会うチャンスは本当にわずかであろう、就職や恋愛などで悩むかわいいキャピキャピの女子大生である。彼女たちのyoutubeで三上寛の映像を見ての反応は薄かった。私には企画準備当初は、自分の言葉で三上寛の日本のポピュラー音楽史上での重要性を言葉で説明する力はなかった。ただ、大里俊晴が強く望んでいたからっていうことしか、なぜ三上寛さんを今回お招きするのかということを、彼女たちに納得してもらうように伝えられなかった。それでも、その思いを汲み取ってくれたのか、大里さんのことをただ一度だけしか見たことがない彼女たちは一生懸命準備をおこない(この授業に大里さんは一度だけ行くことができ、車椅子で三上寛さんの真似をし、その一週間後に帰らぬ人となった)、また三上さんもそうした状況を理解してくださり、「若い人たちに何かヒントになることを感じてもらえれば」と引き受けてくださった。講演会とライヴを終えると、私も彼女たちも三上寛さんの歌と言葉の力に圧倒され、彼女たちはいまや三上寛さんのデビュー年と出身地をソラで言えるようになった。それを覚えても就職には何も役に立たないと思うけれど。三上寛の歌は、彼女たちにどう映ったんだろうか。何か忘れ得ない刻印となっただろうか。

 けれども、実際に彼女たちに三上寛の姿がどう映ったかということ自体は、いますぐ答えを出すようなものではないのかもしれない。それは私にとってもそうだ。三上寛が例えば寺山修司から、大里俊晴が三上寛から何かを受け取ってきたように、私が大里俊晴を通して三上寛から、彼女たちが私を通して大里俊晴から、そして三上寛から(そこにはあらゆる固有名詞が代入可能である)、何を受け取っているかっていうのは、時間をかけてじわじわと、あるいはいつか突発的に思いがけなく出てくるかもしれないのだ。いずれにしても、「死」のあとも、記憶が薄れてしまったあとも、出会ってしまった事実だけは残る。

 このアルバム『弥吉』を聴いて、三上寛が40年歌い続けて来たことっていうのはそういうことだと思った。三上寛の歌というのは、失われたこと/言葉を、声にして歌うことで、それらに生気を取り戻しているんだ。三上寛はこのアルバムで問いかけている。「私たちは何を失ったのか」と。新しいものはそう簡単に生まれない。教条主義でも伝統主義でもないけれど、私たちの人生は、まったくの無から何かを生み出すにはあまりにも短すぎるし、有るものを単に再生産していくだけのつまらないことをやっている暇もない。消え去ってしまったものに思いを馳せ、取り戻すこと。そのために力強いイマジネーションを働かせて、何か新たな世界に一歩でも歩み出す。そんなことを三上寛の歌と言葉は教えてくれるのである。

F - ele-king

 先行リリースされた同タイトルの12インチ・シングルにおけるアントールドのリミックスがすでに話題となっているフレンチ・ダブステッパー、フォローレン・アウペティ、通称"F"のデビュー・アルバムだ。Fはフランスのシーンにおける草分けのひとりで、彼の地で最初のダブステップ・レーベル〈セヴン・レコーディングス〉の看板アーティストである。デビューは2008年で、この年にはFともっとも作風が近い2562がファースト・アルバムを発表している。

 『エナジー・ディストーション』は、現在のダブステップの広がりを確認する1枚としてもすでに話題となっている。僕と同年代の人間はフレンチ・テクノのパイオニア、ロラン・ガルニエと彼の〈F.コミュニケーションズ〉を重ね合わせてしまうだろう。またしてもデトロイトからの影響が深く刻まれているからだ。
 あるいは、このアルバムはいまのダブステップ・シーンのある局面を強調している。ガラージとテクノの中間に位置しながらベルリンのミニマル・ダブが響いているという例の路線、2562やマーティン、あるいはロンドンからベルリンへ移住したスキューバらが押し進めている路線だ。そういう意味で目新しさはないと言えばない。ダブ処理もずいぶんと素朴で、真っ当と言えば真っ当である。が、それでも『エナジー・ディストーション』がシーンで温かく迎えられているのは、個々のトラックの出来の良さゆえだろう。リズムのプログラミングのセンスが良く、アントールドのような奇抜さはないが、素直なビートの心地良さがある。パーカッシヴな響きと、控え目だが効果的な電子音とのブレンドもうまい。すべてのトラックは滑っていくようにグルーヴィーで、それはこの人がダンスフロアからやって来たことを知らしめているのだろう。派手さはないが、DJやダンサーたちに愛される類の音楽なのだ。もちろん、ベーシック・チャンネルやチェイン・リアクションのように家のなかでも繰り返し再生されることにもなるはずだ。
 "シフト"はエイフェックス・ツインの初期のアンビエントを彷彿させるようなキラキラとした響きを有している。"アナザー・プレイス"はガラージのリズムを下地にしながらホコリにまみれた路上から遠く離れ、クリーンで透明感のある空間で鳴っている。"ホログラム"はジェフ・ミルズめいたパーカッシヴなミニマリズムのトラックにダブのベースとエフェクト処理をかませている。"スペースウォーカー"のようなトラックではミニマル・テクノのクリシェをそのまま使っているものの、リズムトラックが入ってきた瞬間にそれを新鮮な次元へと瞬間移動させる。

 アートワークも秀逸だ。UKダブステップのダークなイメージとは異なる、まるでラウンジ・ミュージックのジャケットのようなエレガントなデザインである。こうした上品な洒落っ気が彼の抽象的な音楽にも反映されているように感じる。何はともあれ2010年のダブステップにおける最初の成果だ。しばらくのあいだ僕はこのアルバムの良さを訴えることになるだろう。

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