ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. ele-king presents HIP HOP 2024-25
  2. Saint Etienne - The Night | セイント・エティエンヌ
  3. Félicia Atkinson - Space As An Instrument | フェリシア・アトキンソン
  4. Terry Riley - In C & A Rainbow In Curved Air | テリー・ライリー
  5. COMPUMA ——2025年の新たな一歩となる、浅春の夜の音楽体験
  6. Columns ♯9:いろんなメディアのいろんな年間ベストから見えるもの
  7. Whatever The Weather ──ロレイン・ジェイムズのアンビエント・プロジェクト、ワットエヴァー・ザ・ウェザーの2枚目が登場
  8. interview with Shuya Okino & Joe Armon-Jones ジャズはいまも私たちを魅了する──沖野修也とジョー・アーモン・ジョーンズ、大いに語り合う
  9. Saint Etienne - I've Been Trying To Tell You  | セイント・エティエンヌ
  10. interview with Primal 性、家族、労働  | プライマル、インタヴュー
  11. FRUE presents Fred Frith Live 2025 ——巨匠フレッド・フリス、8年ぶりの来日
  12. VINYLVERSEって何?〜アプリの楽しみ⽅をご紹介①〜
  13. ele-king vol.34 特集:テリー・ライリーの“In C”、そしてミニマリズムの冒険
  14. 別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」
  15. みんなのきもち ――アンビエントに特化したデイタイム・レイヴ〈Sommer Edition Vol.3〉が年始に開催
  16. Columns Talking about Mark Fisher’s K-Punk いまマーク・フィッシャーを読むことの重要性 | ──日本語版『K-PUNK』完結記念座談会
  17. Masaya Nakahara ——中原昌也の新刊『偉大な作家生活には病院生活が必要だ』
  18. Doechii - Alligator Bites Never Heal | ドゥーチー
  19. DUB入門――ルーツからニューウェイヴ、テクノ、ベース・ミュージックへ
  20. Columns 12月のジャズ Jazz in December 2024

Home >  Reviews >  Album Reviews > 三上 寛- 弥吉

三上 寛

三上 寛

弥吉

P.S.F. Record

Amazon

渡邊未帆   Apr 12,2010 UP
E王

 三上寛のアルバム『弥吉』が、デビュー40周年・還暦記念として発売された。私はそれを先日3月19日の高円寺ショーボートでの還暦祝ライヴで購入した。私の産まれる10年前からこの人は歌い続けてきたんだ。三上寛が歌い続けてきたことって何なのか。私はここ数ヶ月それについて考えている。

 今年2月7日に横浜国立大学教育文化ホールで、三上寛さんのライヴと講演会が開かれた。昨年11月に帰らぬ人となった横浜国立大学の大里俊晴教授の授業を引き継いで、私は学生たちと一緒にこの企画をおこなうことになった。大里さんは10年近く、年に何人か、音楽、マンガ、映画、写真などで活躍する方を招いて、対談や共演をおこなってきた。招聘するゲストを相談して決めて、依頼のお手紙を書き、ゲストに関する書籍や作品を集め、受講生で一緒に共有して、広報、会場設営、当日運営、打ち上げ、お礼の手紙書くところまで、すべて学生の手でやるという授業である。その授業で、生前最期に大里さんが自分からぜひお呼びしたいと言ったのが、三上寛さんだった。いわばこの企画は「遺言遂行企画」である。

 大里さんは新潟の中学生だった頃、初めてラジオで三上寛さんの「ひらく夢などあるじゃなし」を聴いて、衝撃を受けたと言っていた。三上さんの音楽から1970年代初めに新潟の中学生だった大里さんが何を感じていたのか、っていうことは、いま東京で暮らす30歳の私の状況とあまりに違うから、想像することしかできない。青森から東京でデビューした一回り年上のひとりのフォークシンガーに対して、新潟の70年代の中学生男子は何を思ったんだろうか。いっぽう、私が初めて三上さんの歌を聴いたのは2000年代になってからの新宿JAMで、VAJRA(三上寛、灰野敬二、石橋俊明)のライヴを聴きに行ったときだった。そのとき三上さんは白いピカピカのグレッチのエレキギターを鳴らしていた。だから当然ながら私は、三上寛の歩みをリアルタイムに知らない。

 ましてや、何も知らずにこの授業を登録してしまったばかりに、この講演会とライヴを企画することになった受講生は、三上寛の「ミ」の字も知らない。受講生は横浜国立大学の2~3年生の女の子ばかりだった。普通に学生生活を過ごしてしていたら三上さんの歌と出会うチャンスは本当にわずかであろう、就職や恋愛などで悩むかわいいキャピキャピの女子大生である。彼女たちのyoutubeで三上寛の映像を見ての反応は薄かった。私には企画準備当初は、自分の言葉で三上寛の日本のポピュラー音楽史上での重要性を言葉で説明する力はなかった。ただ、大里俊晴が強く望んでいたからっていうことしか、なぜ三上寛さんを今回お招きするのかということを、彼女たちに納得してもらうように伝えられなかった。それでも、その思いを汲み取ってくれたのか、大里さんのことをただ一度だけしか見たことがない彼女たちは一生懸命準備をおこない(この授業に大里さんは一度だけ行くことができ、車椅子で三上寛さんの真似をし、その一週間後に帰らぬ人となった)、また三上さんもそうした状況を理解してくださり、「若い人たちに何かヒントになることを感じてもらえれば」と引き受けてくださった。講演会とライヴを終えると、私も彼女たちも三上寛さんの歌と言葉の力に圧倒され、彼女たちはいまや三上寛さんのデビュー年と出身地をソラで言えるようになった。それを覚えても就職には何も役に立たないと思うけれど。三上寛の歌は、彼女たちにどう映ったんだろうか。何か忘れ得ない刻印となっただろうか。

 けれども、実際に彼女たちに三上寛の姿がどう映ったかということ自体は、いますぐ答えを出すようなものではないのかもしれない。それは私にとってもそうだ。三上寛が例えば寺山修司から、大里俊晴が三上寛から何かを受け取ってきたように、私が大里俊晴を通して三上寛から、彼女たちが私を通して大里俊晴から、そして三上寛から(そこにはあらゆる固有名詞が代入可能である)、何を受け取っているかっていうのは、時間をかけてじわじわと、あるいはいつか突発的に思いがけなく出てくるかもしれないのだ。いずれにしても、「死」のあとも、記憶が薄れてしまったあとも、出会ってしまった事実だけは残る。

 このアルバム『弥吉』を聴いて、三上寛が40年歌い続けて来たことっていうのはそういうことだと思った。三上寛の歌というのは、失われたこと/言葉を、声にして歌うことで、それらに生気を取り戻しているんだ。三上寛はこのアルバムで問いかけている。「私たちは何を失ったのか」と。新しいものはそう簡単に生まれない。教条主義でも伝統主義でもないけれど、私たちの人生は、まったくの無から何かを生み出すにはあまりにも短すぎるし、有るものを単に再生産していくだけのつまらないことをやっている暇もない。消え去ってしまったものに思いを馳せ、取り戻すこと。そのために力強いイマジネーションを働かせて、何か新たな世界に一歩でも歩み出す。そんなことを三上寛の歌と言葉は教えてくれるのである。

渡邊未帆