Home > Reviews > Album Reviews > キノコホテル- マリアンヌの憂鬱
「『ロックは死んだ』と何度も言われて来た」という言葉にも聞き飽きた。2009年、年の瀬、私は新潟にいた。夜も深くなった頃、寝静まった新潟古町の商店街を抜けて、雑居ビルのなかで30年も前から変わらずやっているというロック喫茶に連れて行ってもらった。
「サラダホープ知らないの? 新潟では、柿の種より、サラダホープがメジャーなんだよ」
「キュアー知らないの? そうだよねー、まだ生まれてないよねー」
カウンターには発売されたばかりの『ジャップ・ロック・サンプラー』(ジュリアン・コープ、白夜書房、2008年)。
「フラワー・トラヴェリン・バンドは最高だよ!」
このご機嫌なマスターがいまもっとも夢中になっているのが、このキノコホテルだという。「ちょっと待ってて、DVD見せたげる」と言って、マスターはDVDをかけはじめた。
「ほら、これこれ。俺が映ってんの!」
カメラの前で拳を挙げてピョンピョンはねているマスターの頭の影が映っている。キノコホテルは、日の沈む街、あの極北の間章の街のロック喫茶の親父を夢中にさせている。これは一体どういうことなのか。
キノコホテルは、キノコカットの女の子四人からなるGSバンドで、メンバーは架空のホテル「キノコホテル」の支配人と従業員ということになっているらしい。ボーカルの女の子の名前は、マリアンヌ東雲である。マリアンヌと言えば、ジャックス。早川義夫が「♪オレはマリアンヌを抱ーいているー」のマリアンヌである。早川義夫が惚れたマリアンヌである。
あの間章の街のロック喫茶の親父を夢中にさせ、早川義夫が抱いた女と同じ名前を名乗る女がどんな女なのか、いちどは聴いておかねばならない。私のこのアルバム購入の動機は他でもない、単なるつまらない女のジェラシーの感情にすぎないのかもしれない。
ジャックスは歌う。
「二人が見つけたこの恋を離したくないいつまでも。時計をとめて見つめていたい瞳にうつる愛を」
"時計をとめて"『ジャックスの世界』
いっぽう、キノコホテルはこう歌う。
「許されない二人の時は止まりはしない。繋いだ手離したなら、何もかも忘れましょう。果てのないこの旅路をまた独り歩き出す」
"還らざる海"『マリアンヌの憂鬱』
ジャックスはこんなに気持ち悪いラヴ・ソングだったんだなあ。「ロックは死んだ」とか「ロックは永遠だ」とか議論するのはたいてい男たちだ。そんなことどっちでもいい。生まれて、死んで、また生き返って、また死んで、またまた生き返って......。世界はこんなに無情なのに。それなのに、誰が、すでに誰かがやったことと同じことをもういちどしてはいけないと決めたんだろうか。キノコホテルには「何か新しいことをしなければならない」という強迫観念の潔い消失がある。この時代遅れのGS歌謡を、「ネオGS」とか「ポスト・ネオGS」とか「ポスト・ポストネオGS」......とか言わずに何のためらいもなくおこない、親父たちを確信犯的に翻弄できるのが、この毒キノ娘たちである。そして、「パンクの初期衝動が!」と言いながらも、ふと気を抜くとまんまと毒キノコに翻弄されてしまうノスタル爺じいを、私はとても愛おしく思う。
「キノコは生の世界と死の世界の媒介者である。」(飯沢耕太郎『きのこ文学大全』平凡社新書、2008年)
渡邊未帆