「ズリ」と一致するもの

Grizzly Bear - ele-king

 2017年、もっとも過小評価されたうちの1枚かもしれない。インディ・ロックがセールス面でも批評面でも影響力を落としているのはいまに始まった話ではないが、『ペインテッド・ルーインズ』に対する世間的なリアクションの薄さはどうも「グリズリー・ベアがいま高度なことをやっても驚かないし、波及しない」と見なされているようで、そこに危うさを感じてしまう。じっくりと時間をかけて作られた工芸品よりも、感情的に即効性のある製品としてのポップスが求められている時代だとして――「ポスト・トゥルース」以降の――そのことにリスナーや批評家が追従してしまっていいのだろうか。声の大きい連中やスキャンダルな見出しばかりが注目されるのだとしても。

 とはいえ、僕自身『ペインテッド・ルーインズ』を何度か聴いて率直に抱いたのは、過去2作に比べてやや地味だという印象だった。現在からUSインディ・ロックのひとつのピークだと振り返られる2009年にリリースされた『ヴェッカティメスト』における忘れがたいオープニング・トラック“Southern Point”の鮮烈さ、あるいは『シールズ』で狂おしく疾走する“Speak in Rounds”のダイナミックさは控えめだからだ。近いと感じたのは『イエロー・ハウス』(2006)における統制された抑揚のなか浮上してくる翳りで、いまのグリズリー・ベアなら簡単にそれはできてしまうものだろうと思えたのだ。彼らの世間的な注目がもっとも高かった『ヴェッカティメスト』~『シールズ』におけるダイナミックな構成は何だったかと言えば、クラシックにおける極端なクレッシェンドやフォルテシモの大胆な導入によるもので、それは従来のインディ・ロック的な価値観とはかなり距離のあるものだった。チェンバー・ポップをたんに(ストリングスや管楽器の導入といった)楽曲の装飾という点ではなく、演奏や構成からクラシック/現代音楽に接近させたバンド音楽などというものは、それこそ相当な音楽的素養と演奏力がないと到底不可能なものだ。ティンパニのようにドラムが叩き鳴らされる「インディ・ロック」なんてそれまでは考えられなかったし、僕もまたそれに大いに興奮した人間だったので、『ペインテッド・ルーインズ』では抑えられているのが少しばかり寂しかった。もちろん、メランコリックなメロディがじわじわと広がっていくコーラス・ワークや和音の進行は一級品だが、それはすでに知っているものだった。
 が、本作の聴きどころは和声ではなくむしろリズムにあるのだと聞き、その観点で別の快楽を発見することになる。たとえばもっともキャッチーで「ロック的」とも言える2曲め“Mourning Sound”は8ビートのような均等なビートが叩かれるのだが、タムの音色と音の配置は巧みに振り分けられ、それらがアンサンブルに自然に寄り添っていく。エレクトロニカのプログラミングを生ドラムで再現したような“Aquarian”における打音の手数の多さは、それ自体が複雑なグルーヴを、しかしこれ見よがしにではなく生み出していく。“Three Rings”では奇数の拍がそれとなく挿しこまれており、アフロ的なポリリズムがよく耳を澄ませなければ感じられないような作りになっている。
 それはつまり、本作においては過去作よりも非西洋の音楽的要素がさりげなく、しかし楽曲の根幹を成す要素として入りこんでいるこということだ。あり方としてはフリート・フォクシーズの『クラック‐アップ』とも近い。「ワールド」を、しかし「ワールド」と呼ぶときの線引きを無効にするように取り入れる。深読みすればそれは、文化的/政治的国境が厳格になっていく時代への違和感の表明だろうし、自分たちを搾取する側に置かないようにする配慮であり知恵だろう。『ペインテッド・ルーインズ』のなかには西洋のクラシックの歴史が培った楽理、ウェストコースト・ロックの陶酔、アフリカのリズムのグルーヴ、エレクトロニカの繊細な音の配置……といったものが混在しているが、それらはグリズリー・ベアらしい甘美なサイケデリアのもと、それぞれの個体がわからなくなるまで溶け合っている。

 ひとつ思うのは、この甘美さはじゅうぶんな時間を用意して身を預けないと感じられないということだ。簡単に消費することなどできない……そして、彼らはそのことに意識的なのではないか。「印象」の奥にある細やかな音のやり取りに耳を傾けること。そうした能動的な態度をリスナーに求めるのがこのアルバムで、そこでは分断を融解させるアンサンブルにおける理想主義が広がっている。
 消費のスピードが加速する現代において、グリズリー・ベアのこうした生真面目な態度は不利だということなのかもしれない。だがそれでも聴き手を信頼することを諦めないと、彼らは音で語りかけている。耳を澄まそう。


Lemzly Dale - ele-king

 UKでは怒濤の勢いで成長を遂げているグライム。そのムーヴメントの一端を担うブリストルの〈Bandulu〉から、幅広い音楽性でシーンを支えるレムズリー・デイルが来日、東京と福岡を回るツアーを開催する。グライムを中心にUKの音楽にスポットライトを当てたイベント《Mo'fire》の一環として催される東京公演では、〈SVBKVLT〉からの新作も好評の Prettybwoy をはじめ、Double Clapperz や UNSQ、1-drink らが出演。Double Clapperz と UNSQ は福岡公演にもゲスト出演するとのこと。UKアンダーグラウンドの息吹に触れる格好の機会をお見逃しなく。

■東京
2/17 (土) 23:00 -
Mo'fire pres. Lemzly Dale
@CIRCUS TOKYO

ADV: 2,000yen
DOOR: 2,500yen

Lemzly Dale
Prettybwoy
1-drink
Double Clapperz
UNSQ
+ More

イギリスの若者に影響を与え続けているグライムを中心にUKミュージックに焦点をあてるクラブ・ナイト《Mo'fire》。
3回目となる今回は、イギリスはブリストルを拠点にグライム、ダブステップなど様々なムーヴメントを起こしてきた〈Bandulu Records〉より、Lemzly Dale を招いて開催される。
ハードなインストゥルメンタルから、R&B やヒップホップをサンプリングしたメロディックな音まで、作風の幅を見せながらも一貫した音作りでシーンの支持を得てきた。
また、〈Sector7〉や〈Pearly Whites〉といったグライム・レベールを運営するなど様々な角度から音楽シーンに貢献している Lemzly Dale 初の海外ツアー。
プロデューサー、レーベル・オーナーと様々な一面を持つ Lemzly Dale を迎えるゲストは、上海のレーベル〈SVBKVLT〉からのリリースも好評のUKガラージ・アーティスト Prettybwoy、ジャンルを自在に横断する DJ 1-drink ら。
UKグライムの進化と深化を体感する一晩。

CIRCUS Tokyo
3-26-16, Shibuya, Shibuya-ku, Tokyo 150-0002 Japan
+81-(0)3-6419-7520
info@circus-tokyo.jp

■福岡
2/16 (金) Start 21:00
BLOCK PARTY SP
~Lemzly Dale Fukuoka Tour~
@The Dark Room

Charge: 2,000yen

SP Guest DJ
Lemzly Dale (Pearly Whites / Sector 7 Sounds)
from Bristol UK

Guest DJ
Double Clapperz from Tokyo
UNSQ from Tokyo

DJ
IGB (GLOCAL COMBO)
CRANK (BLOCK PARTY)
Nishiura (DSA DUB)
Lo-P (AVALANCHE MUSIC)
svv (AVALANCHE MUSIC)
Gonorrhea (AVALANCHE MUSIC)

Guest MC
ONJUICY from Tokyo

MC
NINETY-U
BOOTY
脳発火
NAB

Live Paint
MSY

SNAP
KURA1985
Nanako


坂本龍一 - ele-king

 「音楽」の持っている微細な響きを、繊細で細やかな手つきで抽出し、その音のコアを「継承」するように「リミックス/リモデル」すること。そこには21世紀の新しい音楽フォームの息吹が、たしかに蠢いている……。

 坂本龍一の最新アルバム『async』を、世界の最先端音楽家/アーティストたちがリミックスしたアルバム『ASYNC - REMODELS』を聴いて、そんなことを思った。今、リミックスという音楽の概念は、原曲という「モノ」をマテリアルな素材として、各アーティストたちが自在にカタチを変えていく「リモデル」という方法論になったのではないか、と。マテリアルから新たなマテリアルの生成。
 かつての20世紀的リミックスは、オリジナルを引用・盗用・改変することにより、オリジナルがコピーに対して優位にあるという「神話」を解体しようとした。20世紀に支配的だったオリジナルを優位とする思想への闘争である。過激な引用によってオリジナルを解体すること。オリジナルとコピーの差異を無化すること。
 しかし、この『ASYNC - REMODELS』のような21世紀型のマテリアル・リミックスは、オリジナルとコピーの闘争関係以降の世界にある音だ。そこではオリジナルである『async』のトラックはマテリアルとなり、それぞれのリミキサーに継承される。聴き込んでいけば分かるが、音の微かな蠢き、大胆に加工した響き、新たな文脈に埋め込まれたそれぞれ響きの中に「坂本龍一」の音は、確かに継承されているのだ。20世紀型のリミックスを解体・盗用/脱構築とするなら、『ASYNC - REMODELS』の21世紀型リミックスは、継承による再生成/再構築型といえる。だからこそ「リミックス」ではなく、「リモデル」なのだろう。破壊ではなく継承。
 そんな「リモデル」的なリミックスが可能になったのは、コンピューターのハードディスク内による編集・加工を前提とする音楽だから、ともいえる。その意味で00年代以降の電子音響やエレクトロニカは、そもそもリミックス的手法で構成・作曲・生成されていた音楽だったのだろう。
 その意味では、オリジナルである『async』もまたオリジナルが存在しない最初のリミックスとはいえる。では何に対してのリミックスなのか? それは坂本龍一のピアノや響きをコアにしつつ、環境音、ノイズ、声、ハリー・ベルトイアの音響彫刻、笙の音、リズム、空気、無音まで、いわば「世界の音」からの継承/リミックスだ。

 この『ASYNC - REMODELS』において、そんな坂本龍一の音を継承し、「リモデル」するアーティストは、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、エレクトリック・ユース、アルヴァ・ノト、アルカ、モーション・グラフィックス、フェネス、ヨハン・ヨハンソン、イヴ・テューマー、サヴァイヴ、 コーネリアス、アンディ・ストット、空間現代(日本盤ボーナス・トラック)の12人。まさに現代最先端のアーティストばかりで、さすが最新の音楽モードを熟知している坂本龍一ならではのキュレーションと驚愕してしまう。
 グリッチ~ヴェイパーウェイヴ以降の現代電子音楽の最新モードとして君臨するワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、ビョークのプロデュースでも知られ、その生々しい肉体の変貌を電子音楽に転換するアルカ、〈モダン・ラヴ〉からのリリースによって2010年代のインダスリアル・テクノを代表するアンディ・ストットなどの現代のスター的電子音楽家はもちろんのこと、電子音響世界のアルヴァ・ノト、フェネス、コーネリアスなど、坂本と親交の深いアーティストたちも参加している。そのうえポスト・クラシカルの領域で知名度を上げ、近年は映画音楽の世界でも高い評価を得たヨハン・ヨハンソン、テキサスのエクスペリメンタル・シンセ・ユニットのサヴァイヴ、2016年に〈ドミノ〉からエクスペリメンタル・シンセ・サウンドのソロ・アルバムをリリースし、コ・ラの傑作『ノー・ノー』の共同プロデュースでも知られるモーション・グラフィックス、〈パン〉からアルバムをリリースし〈ワープ〉への移籍も決定したソウルとアンビエントを融合するイヴ・テューマーなど、コアな電子音楽リスナーならば絶賛するに違いないアーティストたちが参加しているのだ。

 個人的には、21世紀的「音の継承としてのリミックス/リモデル」の最良のモデルとして、 静謐にして清潔な音響空間を構築したアルヴァ・ノトによる“disintegration”のリモデルをベスト・トラックに挙げたい。流石、長年にわたって競作を行ってきた盟友の仕事である。
 さらには原曲を完全に自分の曲へとリ・コンポジションしつつも「坂本龍一」の芯を見事に継承したアルカによる“async”のリモデル(南米の涙のように悲しい電子音楽だ)や、アンディ・ストットによる“Life, Life”のリモデル(近作の発展形ともいえるラグジュアリー/インダストリアルなトラック)も濃厚な仕上がりである。また、サヴァイヴによる“fullmoon”のリモデルも原曲の「声」を効果的に導入しつつ、その声音の肌理を自身のシンセ・サウンドの中に溶け込ませる素晴らしい出来栄えであった。
 もちろん、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーによる“andata”のリモデルもOPNによるアフター・ヴェイパー/ポスト・インターネット空間における電子的宗教音楽といった趣で、一音たりとも聴き逃せない見事な仕上がり。映画音楽の仕事の成果もフィードバックされているように思える。また、“andata”をYMOテイストにリアレンジした(ドラムのフィルも高橋幸宏を意識しているように聴こえる)、エレクトリック・ユースによるトラックも、エクスペリメンタルのみに寄り過ぎないバランス感覚を感じた。同時に初期イエロー・マジック・オーケストラにおける坂本龍一の役割も見えてはこないだろうか。“andata”のメロディをドラムとベースを基調にしたシンセ・サウンドに編曲すると、まさに1979年までのイエロー・マジック・オーケストラの曲の雰囲気になるのだから。YMOに対する批評的なトラックにも思えた。
 コーネリアスの“ZURE”のリモデルの絶妙さも聴き逃せない。“ZURE”の印象的なシンセのコードをリフレインしつつ、コーネリアスのサウンドが、その音のなかに、まさに「ずれる」ように融解しているのだ(小山田圭吾の息の音の生々しさ!)。同じく“ZURE”をリモデルしたイヴ・テューマーのトラックも、夢の回廊/記憶の層の中にズリ落ちていくような感覚と夢から覚めるような強烈なリズムの打撃/衝撃が同時生成するようなサウンドで、彼の才能の底知れなさが理解できる。空間現代の“ZURE”のリモデルは、空間現代がズレの中で分解されていくような静かな過激さに満ちていた。
 さらにはヨハン・ヨハンソンがリモデルした映画音楽的な“solari”の崇高さ。まるでふたりの音楽家によるタルコフスキーへのオマージュのようである。そしてフェネスのリモデルによって、壮大な「音の海」となった“solari”のロマンティックな響き。まるで『惑星ソラリス』の海が、電子の粒子に溶け合ったような感覚を覚え、恍惚となってしまった。

 耳の感覚を拓くように、『ASYNC - REMODELS』の全12トラックを聴き込んでいくと、リミックスという音楽フォームが「複製技術時代の芸術」から「生成/継承時代の芸術」へと進化/深化を遂げつつあると実感できる。ここで行われていることは、20世紀的リミックスによる「解体」ではない。音の「継承」から生まれる「音楽の再生成」なのだ。「音の継承」。そこにこそ、2018年以降の最新音楽の予兆があるとはいえないか。

デンシノオト

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 エレクトロニック・ミュージックはいま飽和状態を迎えている。00年代末から10年代初めにかけて登場してきた種々の手法やスタイルが臨界点に達し、次の一手をどう打つべきか、多くのアーティストがそれぞれのやり方で模索を続けている。今年出たアルカのアルバムはまさにそのようなエレクトロニック・ミュージックの「限界」をなんとか更新しようと努める、ぎりぎりの試みだったと言えるだろう。

 そのアルカの新作とほぼ同じタイミングでリリースされた坂本龍一8年ぶりのソロ作『async』は、ここ10数年のアルヴァ・ノトやテイラー・デュプリーらとの共同作業の経緯を踏まえた、実験的かつ静謐なノイズ~アンビエント・アルバムだった。2017年は海の向こうで盛んに80年代日本のアンビエントが再評価されたけれど、『async』もある意味ではその波に乗る作品だったと言うことができる。だからこそ『FACT』が年間ベストの1位に『async』を選出したことが象徴的な出来事たりえたわけだが、しかし『async』が鳴らすあまりにも繊細な音の数々は、そのようなジャポネズリや回顧的な動きに対してささやかな異議を唱えているようにも聴こえる。そんな『async』が孕む小さなズレ、すなわち「非同期」的な部分をこそ拡張したのが、この『ASYNC - REMODELS』なのではないか。

 去る9月、坂本はロンドンのラジオNTSで放送をおこなっているが、そこで彼はデムダイク・ステアの“Animal Style”とアンディ・ストットの“Tell Me Anything”をかけている。前者は昨年末に発表されたデムダイクの最新作『Wonderland』に収録されていたトラックで、後者はストットがいまよりもストレートにダブ・テクノをやっていた頃の音源だ。さらに坂本は、J-WAVEでアクトレスの『AZD』から“There's An Angel In The Shower”を取り上げてもおり、それらの選曲からは、坂本が現在のエレクトロニック・ミュージックに大きな関心を寄せていることがうかがえる(デムダイク、ストット、アクトレスの3者は「インダストリアル」というタームで繋ぎ合わせることもできる)。もちろん、25年前の『HI-TECH / NO CRIME』や11年前の『Bricolages』が証言しているように、これまでも坂本は同時代のエレクトロニック・ミュージックに関心を向けてきた。しかし今回の『ASYNC - REMODELS』はどうも、それらかつてのリミックス盤とは異なる類のアクチュアリティを具えているように思われてならない。けだし、坂本が時代に敏感である以上に、いま、時代の方が坂本に敏感になっているのではないか。

 この『ASYNC - REMODELS』では、どのプロデューサーも原曲の繊細なサウンドと真摯に向き合いながら、いかにそこに自らのオリジナリティを落とし込むかという格闘を繰り広げている。坂本がラジオで取り上げたアンディ・ストットや、ここ1年その存在感を増しているモーション・グラフィックスにヨハン・ヨハンソン、あるいはお馴染みのアルヴァ・ノトやフェネスなど、いずれも坂本の音源と対峙することで自らの次なる可能性を引き出そうとしているかのような興味深いリミックスを聴かせている。坂本の原曲に独特のR&Bタッチのアンビエントを重ね合わせたイヴ・テューマーも刺戟的だが、突出しているのはやはりOPNとアルカだろう。

 オリジナル盤『async』の冒頭を飾る“andata”は、坂本らしい旋律がピアノからオルガンへと引き継がれる構成をとっていたが、その展開を尊重しつつ音色を『Rifts』の頃のそれへと巧みに変換してみせるOPNは、まさに00年代末~10年代初めの音楽が生み落とした成果を総括しようとしているかのようだし、新作でその表現の様式を大きく変えたアルカは、原曲“async”におけるピッツィカートの乱舞を排除、代わりに自身の日本語のヴォーカルを加えることで現在の彼の官能性をさらけ出し、ほとんどオリジナルと呼ぶべき大胆なリミックスをおこなっている。

 坂本が『async』でいまのトレンドに寄り添いながらも微かなズレを響かせていたように、本作における各々のアーティストたちもまた違和を発生させることをためらわない。すなわち、飽和状態を迎えたエレクトロニック・ミュージックの精鋭たちがいま、坂本にこそ突破口を見出そうとしている。『async』が世界に対する坂本からの応答だとしたら、『ASYNC - REMODELS』は坂本に対する世界からの応答である。これは、かつて「世界的な成功を収めた」とされるYMOにはついぞ為し遂げることのできなかった転換だ。そういう意味で坂本龍一は、いまこそ黄金期を迎えているといっても過言ではない。このように『ASYNC - REMODELS』は、坂本の音楽的な成熟をあぶり出すと同時に、エレクトロニック・ミュージックの次なる展望を垣間見させてくれる、優れたアンソロジーにもなっているのである。
 飽和したのならもう、あとはあふれ出すだけだ。

小林拓音

5 2017年私談 - ele-king

 大分に拠点を移して1年半。何もしないでも新鮮さを保てる賞味期限はきっとどこにいても意外と長くない。そういうわけで、今年は環境作りに徹した。1月にそのままでは住めないような古い一軒家を借りて、1階部分をカフェ店舗、2階を書斎とまでは言えないが、東京1人暮らしの頃のような狭い古本とレコードに囲まれた部屋をDIYで作った。4ヶ月くらい工事をしていたか。ドラムの練習は専ら山。ちょうどドラムセットを置けるだけ水平を保ったモルタル部分を掃いて草を抜いてこちらは一日で完成。デモ音源専用だが一応録音もできるようになった。その合間合間で東京へ9往復。

 山で練習する一番のメリットは、音が一切反響せず飛んでいくばかりなので、いい音を自然と感じられる点にある。裏を返せば、大きい音でも小さい音でもいい音でならさないと全然楽しくない。太鼓が教えてくれるといえばかっこいいが、身の程を知らされるといったほうが近い。写真だけ見ればスピリチュアルな練習ができているように感じるが、ちょっと環境音とセッションしてみようとしてみた時に不思議だったのが、所謂日本的な100円レコード定番の民謡の雰囲気が漂ってすぐやめた。音が返ってこないという点以外は、いつも山に、東京の地下スタジオや、行ったこともない海外のスタジオを仮想しなければならないことに気がついた。海までも車ですぐで、よく行くのだが、目の前のきれいな海ときれいな空気はもう慣れてしまっていて、何か気持ちを焦らせるような幼少期体験にも似たものが喚起されない限りは、山と同じで舟歌が聞こえてくるだけで、すぐに踵を返すことになる。調子が悪いと寧ろ記憶を退化させることもある。

 そういうことがわかってきただけまずまずだろう。大分で唯一の人間に会う機会で楽しみなのが、アンタトロンディアというアフリカンチームの練習だ。10年以上アフリカの太鼓とダンスを続けている彼らは、アフリカン以外の音楽活動を行っているわけではない、いわばアフリカンのスペシャリストだ。そこが僕からしたら変態的で最高だ。話を聞くと、長野まで軽自動車に女性4人と太鼓詰めて一晩でたどり着き、7時間のワークショップを5日間受け、その間毎晩酒を浴び、大分まで帰ってきたこともあるらしい...。僕がドラマーだというのは一切関係なくて、彼らのバイブスを真っ新な気持ちで習うことができる。そういう説得力が彼らにもアフリカンにもある。先週は、地元の山奥で、もう一つの大分のアフリカンチームであるBENKAN主催のアフリカンイベントが行われて初めて参加した。Ibe&David kouakouの太鼓とダンス、また同じようなアフリカンのスペシャリスト達が九州中にこんなにいたのかと驚いた。

 個人的な意見だが、アフリカのリズムを身に付ければ付けるほど、ドラムにいい影響を与えてくれるし、音楽的なアイデアも豊かにしてくれるような気がする。時間の中で洗練され理にかなった隙間を抜き合い、またどこかで出会うリズム。圧倒的なリズム的ビット数とエネルギー。それは民謡や舟歌のように傍にはなかったので、学ばせていただいてもいいだろう。

 思えば、グリズリー・ベアの『Painted Ruins』は、アフロを、直接的でなくリスペクトをファクターとして浮かび上がらせているところが面白かった。アフリカぽいキメがある、訛っている、エネルギーのままにセッションする、という点ではなくて、長いループと短いループの中で感じる長くとか短いでない大きなエンジンに乗せられているようなリズムを、シンプルなままポップスに持ち込んだのは、聴いていてまず気持ちよくしてくれる。少し覗いてみると、割とスクエアにやっているし、ループ感は曲に寄り添って長短を変えながら自由に展開していく。あからさまにではなくその展開に合わせて静かに燃えていくその聞こえ方はやはり気が利いている。続けることで気づいたら気持ちよくなっているというのはアフロの最も好きな点であるのだが、それをポップスに持ち込んだ作品は聴いていてなんだか嬉しくなった。アフロの巨匠トニー・アレンの新譜『The Source』はもう圧巻。どこまで曲に寄り添うことができるんだという、フレージングとエンジン。よく聴くと全部フレーズが違うし、それなのに全部トニー節を感じる。懐が深すぎる。新譜のラーナー・ノーツか何かで最近知ったのだが、トニー・アレンは子供の頃からパーカッションに行かずにドラムだけやってきたらしい...恐ろしい。日本のAfro Begue も『Sautat』という作品としても素晴らしいアルバムを今年発表した。

 先週gonnoさんとのプロジェクトのプリプロ作りのため一日だけ東京に行った。アフロのリスペクトとファクターをキーに、僕らのグッド・バイブスを目指す作品のレコーディングは年明け早々になりそうです。よいお年を。

Áine O'Dwyer - ele-king

 睡眠音楽、冥界。このLPのライナーノーツにはそう書き記されている。なんでもそれは「亡霊の鼓動」のように聴こえたり「窒息させられたような息遣い」に聴こえたりするらしい。執筆者のデイヴィッド・トゥープはまるで降霊術師のようにベケットやダンテ、心理学者のジェイムズ・ヒルマンなどを召喚しながら、なんとも摑みどころのない描写を続ける。「どのようにして言葉で置き換えられることなく音を聴き、その一方で言葉が不在の聴覚体験を言葉で説明するか」という不可能性と向き合うことをこそ己の仕事と見做すトゥープらしいと言えばらしいけれど、でもやっぱり「睡眠音楽、冥界」なんて言われてもなかなかピンと来るものではない。それはトゥープの試みが半分は成功しているということでもあるのだが、少なくともその「冥界」の音楽が、われわれにリラックスを促す類のソフトで快適なものでないことは読み取れる。

 トゥープの筆を走らせたのは、アイルランド出身のハープ奏者、アーニェ・オドワイアーである。彼女は2012年の『Music For Church Cleaners(教会清掃員のための音楽)』という作品で知られているが、その最新作『Gallarais』は教会ではなく、水底トンネルのシャフトで録音されている。とはいえ「Gallarais」という語には「岩の岬」という意味の他に「異国人の場所の教会」という意味もあるそうで、もしかしたら彼女は教会という建造物(=巨大な楽器)が生み出す音の響きに取り憑かれているのかもしれない(ちなみにこの『Gallarais』には“Beansidhe(バンシー)”という曲も収録されていて、それらゲール語のタイトルから察するに、本作にはケルトの伝承も影響を与えているのだろう。そういう意味でこのアルバムはフォーク・ミュージックでもある)。

 ともあれ、まさにその地下トンネルのおどろおどろしい反響音こそがこの作品を特別なものにしている。ハープが美しい旋律を奏でる冒頭の“Underlight”こそヒーリングの効果を期待させるものの、その背後ではひそかに不気味な音塊がこだましており、その異物感を増幅させるかのように2曲め“Corpophone”以降は実験的なトラックが続いていく。いくつかの楽器と具体音、そしておそらくは即興で歌われたと思しきヴォーカルが絶妙なバランスで拮抗する空間に、それこそ冥界から轟いているかのようなトンネルのドローンが加わることで、どこまでも幽玄な音響世界が立ち現れている。

 そういえば教会と同じように、トンネルもまた冥界(=地下)との交通を可能にする場所だ。つまりトゥープが本作を表現するにあたって「冥界」という単語を用いたのにもちゃんと根拠があったわけで、じっさい最後の曲は“Hounds Of Hades(ハーデースの猟犬)”と題されている(ハーデース=冥界の神、その犬=ケルベロス)。では、冥界とはいったいどんな場所なのか? それは端的に言って、われわれが生活している場所とはまったく異なりながらも、われわれが暮らしている場所のすぐ近くにある世界のことだ。ここでアンビエントが、ふだんわれわれが気づかない周囲の音に注意を向けさせる音楽であることを思い出そう。すなわち、さまざまな音とトンネルの反響によって冥界の気配を察知させるこのアルバムは、様式として以上に思想としてアンビエントであろうと努めているのである。

 本作の妖しげなサウンドの数々に、何かしら宗教的なものを見出す向きもあるかもしれない。だがその宗教性はあくまで古来より久しく伝えられてきた類のそれであって、間違っても新興宗教的なそれではない。2017年は海の向こうで日本産アンビエントが高く評価され多くの作品がリイシューされたけれど、それは新興宗教的なもの、すなわちニューエイジ的なものへの志向がジャポネズリーと手を組んで引き起こした現象だったとも言える。そのようなブームのなかでアーニェ・オドワイアーのこのアルバムは、アンビエントがもともと実験音楽であったことを思い出させてくれる。「睡眠音楽、冥界」とは要するに、アンビエントのことだったのだ。

interview with Okada Takuro - ele-king

 はっぴいえんどリヴァイヴァルでまずいなと思うのは、なんだかんだ言って結局は、なんとなく叙情的で、なんとなく口当たりのいいフォーキーなポップスを肯定するしかないというどん詰まり感だ。ああそういえば、ソフトに死んでいく──と言ったのは誰だっけ?
 岡田拓郎(そして増村和彦)の内には、そうした極めて表層的なはっぴいえんどリヴァイヴァルへの違和感があり、後期森は生きているのライヴにおける超越的な一瞬は、バランスを崩しながら、なにかしら彼らが乗り越えようとしていることの情熱のひとかけらだったとぼくは思っている。


岡田拓郎
ノスタルジア

Hostess Entertainment

Folk RockpsychedelicIndie Rock

Amazon Tower HMV

 どう来るのかとずっと楽しみにしていたところ、しかしながら彼のソロ・アルバム『ノスタルジア』は、自らの内に燃えるそうしたもの、ある種の熱狂を抑制し、メロウで口当たりのいいポップスとしての体裁を保っている、表向きには……。彼のことだから、考えに考えに考え抜いた結果、いまはこれなのだろう。まあ、コーネリアスが象徴的だったように、はからずともメロウなこの2017年らしい作品となった言えるのかもしれない。
 26歳の青年の最初のソロ・アルバム『ノスタルジア』は、あさい夢に浸っているようだ。3曲目の“アモルフェ”のように。そして圧倒的に素晴らしい、7曲目の“手のひらの景色”のように。このアルバムにもっとも似合わないのがデジタル社会で、『ノスタルジア』は、その意味ではまさしくポスト・インターネットであり、楽曲は、かつてあった物思いに耽る時間を取り戻そうとしているかのようである。
 せっかくなので、増村和彦も呼んで取材をすることにした。ele-kingのコラムでもお馴染みの偏愛的読書家のこのドラマーは、いうまでもなく岡田の音楽的同盟者である。

もっとフォーマットを置き換えて現代的なものにしたいと思ったんですね。それは日本語のフォーク・ロックとして新しいものにしたい、ということなんですけど。

今回の作品が出来るのに時間がかかった理由、時間がかかった理由はたくさんあるとは思うんですが、それも今作の内容や方向性に関わるもっとも重要な理由とはなんですか? 

岡田:単純に時間がかかった理由としては、森は生きているのときと完全に違うことをする意識のひとつとして、「フォーク」というフォーマットの音楽を新しいものとして落とし込みたかったというのがあります。それは森(は生きている)のときみたいに60、70年代の音楽の文脈はもちろんあるけど、それを全面に出すわけではなくて、もっとフォーマットを置き換えて現代的なものにしたいと思ったんですね。それは日本語のフォーク・ロックとして新しいものにしたい、ということなんですけど。
 じゃあ、「新しいものってなんだ?」ってことになると難しい話ですけど、この2年間くらいの音楽の流れがすごく早すぎて、自分のなかで消化した途端に別のものになっているというか。これはUSに限った話かもしれないですけど、ボン・イヴェールを消化したと思ったら、次にフランク・オーシャンがいて、みたいな。いままでの森のときにやっていたのはいつの時代であろうと“自分が作っていた音楽”だったとは思うんですけど、今回はソロになって、90年代に生まれた自分が新しいフォークを作ろうと意識したときに、そこの流れを汲むのが困難な時代に対してどうアプローチしていくのか、というのがすごく難しかったし、時間がかかった大きな理由ですね。だから1ヶ月ごとにアルバムができ上がって、それを増村に送って「いいじゃん」と言われた途端にみんなが新譜をリリースして、そうすると途端に自分のアルバムが良くなく聴こえてきてしまう、だからそれをまた壊して曲をボツにするというのを繰り返していたんですけど、こんな作りかたをしていたらそりゃ2年はかかりますよね(笑)。

(一同笑)

いまの話を聴くと、まあ2年でよくできたなって話ですけど(笑)。そもそも岡田君がフォーク・ロックをやるというのが面白くて、何故なら岡田拓郎とはアンダーグラウンド・シーンでは名の通ったインプロヴァイザーでもあるんですよね。新世代のね。そうしたラディカルな自分をどのようにポップとバランスを取っているんでしょうか?

岡田:僕のなかですべての音楽の中心になっているのはギターという楽器であって、それこそインプロを好きになったものは、(デレク・)ベイリーを初めに聴いて、高柳昌行とかもいたけど、一番好きなのは秋山徹次さんやローレン・コナーズなんですよね。あとは杉本拓さんのギターを全面に出したメロディックな響きのアルバムがあるんですけど、そういう音楽ってギター特有の牧歌的な音の響きがして、それはフォーク的な音楽に繋がりやすいんですね。そういうものと自分が作っているエクスペリメンタルなフォークというのはそう遠くないものというか、近いものではあるのかなと思いますね。
 これは脱線ですが、レニー・トリスターノが49年にリー・コニッツやウォーン・マーシュとかと“Intuition”という、ビートも旋律もない、ちょっとイレギュラーなフリー・インプロヴィゼーションの走りのような曲を録音しているのですが、その後フリー・ジャズが栄えるまで時間が空きます。リー・コニッツがそれについいて「楽理の決め事が無いというのは、とても自由で刺激ではじめの2、3テイクは聴いた事がない音楽が飛び出すけれど、その後は、何回録音しても同じものに聴こえたから、再び和声と旋律のなかでのインプロヴィゼーションに戻った」みたいなことを言っていて。これが、すごく言っている意味がわかるというか、普通のポップスを聴く耳で聴けば、たぶんデレク・ベイリーもアート・リンゼイ、フレッド・フリスもどっちがどっちかなんてわかんないし、たぶんどっちだって良い(笑)。けど、そこにはそれぞれの違いがもちろんあるわけで、そういった観点はポップスを作るときは大切にしたいという意識はあります。「何を聴くか」ということはもちろん大切ですが、「どう聴くか」ということは、また違うことだと思っています。

増村くんはこのアルバムを最初に聴いたときどう思った? でも、プロセスを知っているからね! いま岡田くんが言ったように、作っては壊してを聴いていたんでしょう?

増村:そうですね。やっぱり時間がかかった理由は単純にそこでしかなくて(笑)。普通はあんまりないですよね。

率直な感想は?

岡田:はははは。

増村:率直な感想は、よくひとつのかたちにしたな、ですね。個人的にもすごく好きな作品になったんですけど、一番いいと思うのはプロセスで、プロセス自体が作品になっているようなところがある気がしていて。というのも例えばコンセプトとか、なにかを目指してそこに向けて作っていこうということではなくて、プロセスをやっている最中の火花が散る瞬間が格闘している姿自体が音楽や歌詞に反映されているんですよね。

格闘している……それは一緒に作っていたからわかるんだろうね。

増村:そうですね。でもその瞬間が作品として残って、絶妙なカオスのなかでひとつ均衡を保っているところになんとか作り上げた、という感じがある作品ってけっこう少ないと思うんですよ。(森は生きているの)『グッド・ナイト』なんかもプロセスが大事ではあったんですけど、僕の歌詞なんかはもう見えていたところがあって、それをどうしようかというプロセスだったんですね。『ノスタルジア』はプロセスの最中にスパークしている瞬間がかたちをなしているというか(笑)、そこはおもしろいと思いましたね。

岡田:でも『グッド・ナイト』は俺には見えていなかったから、それは地続きかもしれない(笑)。

増村:地続きかもしれないね(笑)。それで音楽的なところだと、その瞬間瞬間にやりたいことがあると思うんです。だけどそれをまた壊すじゃないですか(笑)。壊して今度はどうするかっていう連続のなかでやっていて、最終的に出来たものにはやっぱりその瞬間瞬間が刻み込まれているというか。そういう感じがいまの時代の現代という意味ではなくて、彼のなかでいましか出来なかった作品じゃないかなという気はしましたね。これは勝手な解釈だけど(笑)。

岡田:ありがとうございます(笑)!

いまベストなものを作ったと。

増村:そうですね。

「森は生きているとは違うものをやる」ということを言っていたけど、例えば“手のひらの景色”という曲は、森は生きているとそんなに切れていないと思うんだけど、森は生きているから岡田くんのソロへの流れはどういう感じだったの?バンド活動が終わって、すぐにソロに切り替えられた?

岡田:切り替えられていたし、でも実際は(森は生きているの)3枚目が作りたくてしょうがなかったです。一応『グッド・ナイト』が出てから1年くらいはずっとライヴに回って、5曲くらいは新曲があったんです。“手のひらの景色”はそのなかの1曲で、次のアルバムに入れようとしていた曲だったんですね。イントロはいまのアルバムに入っているかたちで固まっていたんですけど、ただAメロ、Bメロ、歌メロ、歌詞は森のライヴをやっているなかでも2、3回変わっていて、最終的な落としどころが見つからないままバンドが解散しました。3枚目を作りたいという意識がすごくあったなかで、ただ『グッド・ナイト』を作ったはいいけど次にどうすればいいかわからなくなるくらい、作っているあいだの体験が強烈過ぎました。それは僕と増村は一緒だったと思うし、あれができたあとに次になにをするかというのが見つからなかったのがバンドを続けるのが難しかった要員のひとつだったんですよね。どう(笑)?

増村:いや、そうだと思います。

森は生きているは難しいバンドじゃないですか。

増村:そうですか(笑)?

岡田:そんなことないですよ(笑)。

自分たちが理想とするものと、現実で自分たちが出しているものとのズレみたいなものに対してすごく意識的だったし、言葉はよくないかもしれないけどあまりにもナイーヴというかね。

増村:まあ、わかります(笑)。

「これでいいんじゃない?」という落としどころの共有って、森は生きているの場合はとくに難しかったんだろうなぁと。まあ、ふたりのなかでは意思疎通できていたんだろうけど。

岡田:『グッド・ナイト』は僕と増村の密な関係で作ったアルバムだったし、演奏とかみんなのアイデアでアルバムを作ったとはいえ、やっぱりどういう音楽を作るかというよりは、どうしてこの音楽を作ったかというところがポイントでした。明確に目に見えないものをどう捕まえるかという作業を常にしていたんですね。僕と増村で今後あるかどうかわからないくらい削りあった作業だった(笑)……だから作っているうちに、そこが共同体としてやっていくうえでの意識の差みたいなものに出てきてしまったのはありましたね。

増村:だからもう1回やろうとしたときに、そのままだと難しくなるんですよね。もう1回ふたりでなにかをするというには『グッド・ナイト』は一旦やりすぎた。サードを作るんだったらちょっとヘルプが欲しかったところもあるし、6人もいるから誰かが新しい曲を書いたらよかっただけの話だったのかもしれないし(笑)。

森は生きているは、すごく甘くてメロウな音楽をやっていたんだけど、その音楽の背後には、演奏の技術もそうなんだけど、あと、すごくいろんな音楽を聴き込んでいるなっていう、リスナーとしてのスキルみたいなものもあるでしょ。だから、その両方から思考に思考を重ねながら作っている感じがあって……、本当にもう1枚作ってほしいと思っていたよ。ファンはみんな思っていたと思うよ。

岡田:でもあのバンドを引っ張るのはすごく辛かったし、後期のザ・バンドでロビー・ロバートソンだけみんな悪者扱いで叩くじゃないですか。ロビーの気持ちがすごくよくわかった(笑)。こいつらをどうケツを蹴ればいいんだろうと思って、ひとりでどうにか引っ張るには自分が前に出るしかないから、ライヴで40分くらいギター・ソロを弾いたりしていたんですけど。そんなのやりたくないけど、でもそうしないと引っ張れなかったから、最後は辛くて辛くてしかたなかったですね。

増村:悪循環みたいなものはあったよね。

岡田:だからいろんな要因が混ざり混ざって、やっぱりこのバンドのかたちではできないからいったん解体しなければならないということになったんです。でも案外その切り替えは早くて、最後のツアーのときには、バンドかソロかでは迷ってはいたんですけど、次の録音でやりたいメンバーとやりとりをしていました(笑)。薄情だとは思うんですけど、ツアー最後の広島に向かう車のなかで「来週のリハどうしよう?」みたいな電話を平気でできちゃうタイプではあったんですけどね。実際に制作に入ると、壁があまりにも多すぎて、『ノスタルジア』を作っているときにそういうのを思い返して辛くなってくるみたいなことはありましたね。

なるほどねえ。

増村:ちょっと思い返しちゃったんだね(笑)。

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森は生きているの3枚目が作りたくてしょうがなかったです。一応『グッド・ナイト』が出てから1年くらいはずっとライヴに回って、5曲くらいは新曲があったんです。“手のひらの景色”はそのなかの1曲で、次のアルバムに入れようとしていた曲だったんですね。

解散したのが2年前?

増村:そうですね。

岡田:けっこう経ってんだな。

増村:だから『グッド・ナイト』の発売からは3年ですね。

岡田:年間ベストに合わせたのに載らないっていう。

(一同笑)

解散をファンのかたはどういうふうに受け止めていたのかは気になりますね。

増村:それは僕らも気になるところだけど(笑)。どうなんですかね。

岡田:ポーンとやめたからね。

とはいえ、(『ノスタルジア』は『グッド・ナイト』と)違うものではあるけども、結果として(森は生きていると)メンバーは重なっているじゃないですか(笑)。そういう意味では、『ノスタルジア』は森は生きているの発展型としても聴けるんですよね。
 ただ、最初に今作のタイトルとなった『ノスタルジア』という言葉を聞いたときに、一瞬戸惑ったんですよね。「らしいな」とも思ったんだけど。というのも、ポップ・ミュージックの世界にはいろんなトレンドやスタイルがある。森は生きているがそうだったけど、そのなかにあって自分たちは常にトレンドとは違うところにいるみたいな感覚というか、言い方を換えれば居心地の悪さというか……

岡田:日本語詞は情念がないほうが好きなんですけど、このタイトルにはあまりにも情念がこもりすぎていて(笑)。言わないほうがいいのかなって(笑)。

ぼくも情念がこもっているのかなと思ったよ! 「ノスタルジー」という言葉のなかにはコマーシャルな響きと、アイロニーと、ある種の自虐性があるんじゃないかなと(笑)。

岡田:そこは誰も突かないんだけど、自虐性は意図していたかもしれないですね。

だから複層的な意味が込められている「ノスタルジー」なわけでしょ? 

岡田:コマーシャルでキャッチーな言葉、そして誰もが知っている言葉なぶん、イメージが人それぞれに浮かぶ言葉だと思ったんですね。いくつか要因はあるんですけど、自分は新しい音楽を作りたいと思うなかでも、やっぱり文脈的な音楽を作りたいとも思ったんです。それはフォーク・ミュージックがこれまであったような歌いかたを変えて更新されていく、楽器が変わって更新されていく、音響が変わって更新されていくポップスみたいなことへの「ノスタルジア」ですね。なぜならいまはそういう時代ではなくなっていて、とくに日本はそうであるという思いが強くあるからタイトルにしたということもあるし、もちろんやっていくなかでバンドに戻りたい「ノスタルジア」もあったと思う(笑)。
 今回は新しい音楽を作りたいと言っても、結局一番参照にしたものは2010年前後のブルックリンなんですね。森のときの音楽的な参照になったのが6、70年代のフォーク・ロックと、00年代のポスト・ロックだったんですけど、それは2013年に1枚目を出したときにはある意味でもう「ノスタルジア」だったという。でもそれが新しいものになりうる可能性を秘めていて、普遍的なものにも感じたということもあって。もちろんほかにもいろんな意味合いはあるんですけど。

増村:いっぱい(意味が)こもっているから、僕は「ノスタルジア」にしてはすごく強度があると思うんですよ。あんまり儚くないというか、壊れやすくもないというか。歌詞を見ても「こぼれ落ちていくような感覚、これはなんだ」っていう希求している精神だったり、「ただの霧さ」(“アルコポン”)と言ってもただの霧だと認めたくないような雰囲気だったり、そういうものを感じるんですよね。『グッド・ナイト』のときにかたちにならないものをどうにかしようとしてみたものを、もう1回ひとりでやってみた、ということもあるかもしれないんですけど、『グッド・ナイト』のときと違って、そういう音楽的な欲求も含みつつ、岡田がさっき「情念がこもっている」と言ったのがおもしろいと思いました。「ノスタルジア」だけど言いたいことが混ざっているように感じたんですよね。さっきも言ったけど、希求していたり格闘していたりするところが反映されていると思うんですよ。それはアルバムを聴いていていいなと思いますね。

岡田:すごく言葉にしづらいよね。こんなアルバムばっかり作っているね(笑)。

でもあんまりそこの部分はこれ以上説明しないほうがいいと思うよ。

(一同笑)

ぼくは今回のアルバムを本当にうっとりするように聴いたんですね。1曲目のギターのイントロを聴いたときに「なんていい音楽だろう」と思ったよ(笑)。このメロウな感覚がたまらないと思って最後まで聴いたんだけど、また最初から聴きたくなるんだよね。ネガティヴな思いが全然聴こえないんですよ(笑)。

岡田:それを表に出したらやっぱりJポップになっちゃうから、そういう表現はしたくなかったですね。「辛い辛い辛い」って言って、「ああ、辛いね」って聴かれてもしょうがないし、僕はそういう音楽は例外なく嫌いだし。

難しいことを難しいまま出さないよね。

増村:この人、その二点に関しては信じられないくらい敏感ですよ。

はははは、そうなんだ(笑)。

増村:その見せ方の作戦もうまい(笑)。

そうした作り手の苦労を考えずに、例えば普通に車のなかで聴いていたらすごく気持ちいい音楽だと思うんだよね。

岡田:あんまり難しくしたくなかったというのは意識としてありましたね。

ただひとつ思ったのは、ヴォーカルとトラックの音量のバランスで言うと、通常よりもヴォーカルが低いと思ったんだよね。

岡田:それは大瀧詠一の影響ですね。

はははは。

増村:大瀧師匠のやりかただよね(笑)。だけどはっぴえんどもそうとう小さいですよ。

岡田:はっぴいえんどはリヴァーブがかかっていないからけっこう前に出てくるけど、『ナイアガラ・ムーン』とかほとんど聴こえない(笑)。だから『ノスタルジア』をトラック・ダウンして半年経ったいまの自分がミックスをやるんだったらもっとヴォーカルを上げるんですけど、ただ恥ずかしがり屋というのがミックスのバランスにすごく関わっているんですよね(笑)。それとミックスをやりすぎて「自分の声が聴きたくない」と思って、だんだん小さくなっていったっていうシンプルな理由かもしれないですけど(笑)。

歌詞は自分で書いているでしょ? 増村くんも書いているけど。

増村:僕は1曲だけですね。

岡田:いや、1曲半ですね。

増村:あの半分はもうほとんど岡田くんが書いたというか、(“手のひらの景色”は)森のときにやっていた曲で、そのときの歌詞が残っているという意味で半々なんですよね。実質は1曲ですね。

ほとんど自分で書いているんだ?

岡田:そうですね。

最後の曲は増村くんが全部書いたの?

増村:そうですね。あれは全部僕です。

岡田:僕が電池切れになって書けなくなったから……(笑)。

歌詞に関してはどんなコンセプトがあったんでしょうか?

岡田:はっぴえんど特集をした『ユリイカ』が僕の日本語ロックのバイブルなんですけど、細野さんが「日本語ロックの情念を消したかった」ということを言っているんですね。僕がはっぴいえんどフォロワーや喫茶ロックと呼ばれている音楽にそんなに入れ込めなかったのは情念的なものが情報として多すぎて、自分のなかではトゥー・マッチに聴こえた。英語に比べて、日本語は音楽的な響きの語彙がすごく限られているように感じます。洋楽を聴く感覚で日本語の音楽を聴けないものかというのは常に考えています。

情念というのはどういうものなんだろう。演歌的なものってこと?

岡田:情念の違和感ってどう説明すればいいんだろう(笑)。

増村:松本隆が言っていておもしろかったのは、「なにを歌うかじゃなくて、どう歌うかで俺らはやった」という話で。「なにを歌うか」というところがみんな強すぎるというか、そういうところなんじゃない?

早川義夫じゃないってこと?

増村:そうそう、そうです。それではっぴえんどのときには日本のフォークのカウンターとしてあったんだとしたら、僕らにはJポップがあるんで、そうはなりたくないというのがひとつあるんじゃないんですか?

岡田:そうだね。

ぼくなんか10代の頃はRCサクセションだったからなぁ。清志郎の反抗的でわかりやすいラヴ・ソングを聴いていたからね。

岡田:意外っすね。

ライヴ行きまくって、“ようこそ”とか。ああいうので「うぉー」ってなっていたんだよ。

岡田:ああいうものが人の心を動かしたりするのはすごくわかるし、あれはあれで素晴らしい音楽だけど、僕はそれにただハマらなかったというだけの話であって。なにかが間違いということではないですね。うまく切り返せたかな(笑)。

増村:いいと思います(笑)

でもJポップと言ってもいろいろあるからね。Jポップと言われたときに一番に思い浮かぶのはなんなの?

岡田:Jポップが何かというか……それとカウンターになるような日本のインディ・ロック自体もJポップとなにが違うんだと言えば、どちらもある種の情念で同じ共感を生んで客商売をするようなものだと思う。ポップ・ミュージックの要素のひとつとして娯楽があるとしたら、全然ある要素だということはわかるんですけど、ただすべてのJポップやインディ・ロックが娯楽であるべきかと言ったらぼくは別にそうは感じない。
 そういう娯楽じゃない部分というのもやっていいはずなのに、そこは完全に売れないものとして流れ続けてきたのが日本のポップ・ミュージックの歴史として強く感じる部分なんですよ。USとかだったらインディ・ロックでたまにチャートに入ったりもするし、それは世界中にパイがあるからというのもあるとは思いますけど。じゃあそれで僕が好きな渚にてだったり、山本精一だったり、パドック(Padok)だったり、ランタンパレードが、向こうでファーザー・ジョン・ミスティーがポンとチャートに入ってくるような感覚で、強度があるから評価されるということは日本ではやっぱり少ないと思っています。

じゃあ今回はそういう意味で言ったら、アジカンの後藤正文さんのレーベル・マネジメントというのは大きいよね。

岡田:そこはひとつチャンスに思った部分でもあるし、逆にゴッチさんはインディ・ロックと日本の大衆的な意識をリンクさせようというところで意識的にぼくを拾ってくれたとも思う。実際にそういうものを紹介したいということを常にやっている人ですけど。

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最後のツアーのときには、バンドかソロかでは迷ってはいたんですけど、次の録音でやりたいメンバーとやりとりをしていました(笑)。薄情だとは思うんですけど、ツアー最後の広島に向かう車のなかで「来週のリハどうしよう?」みたいな電話を平気でできちゃうタイプではあったんですけどね。


岡田拓郎
ノスタルジア

Hostess Entertainment

Folk RockpsychedelicIndie Rock

Amazon Tower HMV

日本の音楽を進めたいっていう話で言うと、欧米でものすごい日本の音楽ブームじゃないですか。90年代はコーネリアスやボアダムスみたいなバンドが海外で評価されたわけだけど、ここ1~2年は海外の人たちがいよいよ山下達郎さんやはっぴえんどに気が付いてきて、細野さんの作品でも『Pacific』あたりやアンビエント作品が人気だったり、それこそ大瀧さんであったり……。DJカルチャー的なとらえ方ではなくて、欧米のインディ・ロックの価値観で動いている人間が辿り着くには、あのあたりはジャケットのアートワークはなかなか難しいものがあるじゃない?

岡田:難しいですね。『A LONG VACATION』はともかく、『EACH TIME』とかはすごく難しい(笑)ああいうジャケは例外なくバレアリック・アメリカン・ポップス(笑)。

だからバレアリックにしちゃえば簡単なんだけど。

増村:でも気づきはじめたという感じはいいですね。

そう、だからこれからの時代、ドメスティックな評価/聴かれ方というが旧来通りあるなかで、海外からの評価/聴かれ方ももっと顕在化してくると思うんですよ。そこもひっくるめて面白がれるかどうかで、日本の音楽のあり方も違ってくるんじゃないかって。
 話は戻るけど、増村くんは今回岡田くんが書いた歌詞をどう読んだの?

増村:話が戻るというか、繰り返しになっちゃうんですよね(笑)。

最初にシングルで「硝子瓶のアイロニー」が公開されたときに、増村くんに「この歌詞、岡田くんなんだね」ってメール送ったら「岡田らしいっすね」って返してきたじゃない。その「らしい」って部分がどういうことなのかと。

増村:そんなこと言ってました?!(笑) でも本当にその通りで全部「らしい」んですよ。さっき情念を消そうとか、いろいろな方法論でやろうとか、音楽はすごくいいかたちでやろうとかって格闘し続けるんですけど、やっぱり完全に情念は消えていなくて。Jポップ的な情念は消えていますよ。だけど「どうにかしたい」というか、わかりやすく言えば「時代を打破したい」というか。それと、もうひとつ言えば、目には見えないような感覚を大事にしたいというのを、それをそのまま気持ちいいと感じるんじゃなくて、「これはなんなんだ! 自分の言葉で見つけたい!」という感じがするんです。そこに情念じゃないけど、ちょっと熱さが入るんですよね。そういうところが“らしい”なと思いますね。「すましたふりは終わりさ」(“硝子瓶のアイロニー”)とかね。
 塩梅としてすごくいいと思うんですよね。もしかしたら僕が書くものとは、諦めているか諦めていないかの差だと思いますよ。僕の自分の歌詞だと「もういいや」とか言っちゃっていますしね(笑)。僕はわりと見えないものは見えないままでいいって感じなんですよ。あとは違うもので物象化したりして見つけたりあらわしていきたいなというところ。同じところを見ていたとしても、(岡田は)希求している感じが歌詞にあると思います。ぼくの「ノスタルジア」と彼の「ノスタルジア」の差はそこなんじゃないかな。

岡田:『グッド・ナイト』のときに(増村が)「もう俺は諦めているから」ってずっと言っていて、「俺は諦めていない」って話をずっとしていたんですよね。

増村:ぼくの場合は諦めて、同じところをグルグル回るようなところからなにか見えてくるんじゃないかということなんですよ。(稲垣)足穂じゃないですけどね。そういう意識があるんで、その差はあると思うんですよ。だから全体的に岡田くんの歌詞はそういう感じがある。

なんだかんだ言いながら、熱いものが根本にあると(笑)。

増村:熱いと言ったらまた情念っぽくて嫌ですけどね。

冷めてはいないと?

増村:冷めていないですねえ。でもぼくだって冷めてはいないんですよ(笑)。

ただ捻くれている(笑)。

増村:捻くれているんですかね(笑)。はははは。

まあそうだよね、これだけ強い思い持っているんだからね。1曲目の“アルコポン”ってどういう意味なんですか?

増村:それは亀之助だよね?

岡田:尾形亀之助の「アルコポン」って麻酔薬の言い違いみたいな詩から取りました。現代詩を読むのは好きですが、歌詞の影響となると僕は日本の誰よりも増村フォロワーかなあ(笑)

増村:はははは。友だちだからね(笑)。

ホント? 増村くんの影響を受けて?

岡田:影響はすごく受けていますけど、明確に違うのはさっき増村が言ったようなことですね。僕は足穂じゃなくで三島由紀夫が好きだし(笑)。そういう感覚はあるかな。

増村:けっこう音とハマっているんですよね。“アルコポン”の「ただの霧さ」とか、音楽に乗るとけっこういいんですよね。

岡田:意味はないもんね。あるけど(笑)

増村:とくにフワッとする感じがけっこうよくて。「こぼれ落ちていく」ことと「求める」ことがけっこう多い(笑)。「求めてはこぼれ落ちて」みたいな(笑)。過程が歌詞に反映されているところもあるじゃないですか。一緒に作業したとかじゃなくて、いちリスナーとしての感想はそういうところにあります。そもそも歌詞は一緒にやっていないですし。

岡田:だいたい全曲一緒だもんな(笑)。

増村:でもこの表題曲の“ノスタルジア”の「ガラスを透かして見るものは/いつかの夏の/ささやき」ってスパークする瞬間なんですよ。ちょっと見えちゃっている感じ。そういうところがグッとくるんですよね。

岡田:その視点で見ていう人はいないね(笑)。

増村:こいつ、一瞬掴んだなって。基本的にこぼれているのにこのときは一瞬掴んだなって、そこが「ノスタルジア」かもしれないじゃないですか。

岡田:意図していないけど(笑)。

(一同笑)

増村:例えばですけどね(笑)。僕の印象ですけど。

質問を変えますね。今作には「Side A」と「Side B」があるじゃないですか。これは『ノスタルジア』というタイトルとリンクして、わざとこういう古いことをやっているんですか?

岡田:いや、これはただ1枚のアルバムとして聴けるような作品にしたかったのが理由ですね。アナログ・レコードのいいところって曲が飛ばせないというところもあると思うんですけど、AとBに分けることで時間の区切りがつくじゃないですか。
 B面の1曲目はいい曲が多いし、やっぱり1枚のトータル・アルバムとして聴くというカルチャーが僕の世代から少なくなっていると思うし、そういうもののちょっとした遊びって感じで入れましたね。ソフト・ロックはA面の1曲目だけいいけど、あとは全部下がり調子になっていくという。

増村:A面1曲目とB面6曲目の最後だけ(がいい)ってときがある。

岡田:ソフト・ロックって曲が短いから、B面が6曲まで入るんですよね。

増村:それでも30分くらいです。12曲ってなるとだいたいが聴けないよね。

岡田:聴かないね。サンドパイパース12曲とか聴きたくないし(笑)。

増村:(A面B面に)分けることによってかたちになるよね。

森は生きているにしても岡田くんのソロにしても、ソフト・ロック的なものをうまく取り入れるじゃない? ソフト・ロックというのは、いわゆる名盤的なものから外されがちなジャンルでしょう?

岡田:まあソフト・ロックの名盤はミレニウム『ビギン』しかないですね(笑)。

デレク・ベイリーを好きな人がソフト・ロックのどういうところがおもしろいと思っているんですか(笑)?

増村:ソフト・ロックは……、反省の音楽かな(笑)。

反省?

岡田:だってあれはプロダクションとして高性能なブレーンたちがこぞって意図的に作った商品音楽じゃないですか。あれはカウンターというよりは、たぶんサイケ・カルチャーの流れに乗っとって職業作詞・作曲家、プロデューサーたちがとりあえず金を稼ぎたかったみたいな部分はあるというか。ワーナーのあの時代とか、ソフト・ロックはすごく単純な動機で始まった音楽の文脈だと思うんですけど。カート・ベッチャーとか、レオン・ラッセルも入っていたりするし、ヴァン・ダイクもそうですけど、ああいうソロでやったときにすごいアルバムを作るというのがその後に実証されてよかったなと思うんですね。そういう人たちが、やらされたのかも知れないですけど、ある種一攫千金を狙って作った音楽にも粗があるというか、そういうところを見つけるユーモアみたいなのがソフト・ロックを聴く楽しさのひとつでもあって。だから簡単に言うと、こうなるまい、みたいな(笑)。

そうなんだ(笑)!

増村:そうそう(笑)。

岡田:そうだし、でもA面の1曲目だけはどのアルバムもすごいというのがソフト・ロックのすごさだと思うし、おもしろいところだと思いますね。とりあえず頭出し3秒だけで、いかに人の心を掴むかとか21世紀的(笑)。

増村:そういうところは活かせるし、こうなっちゃいけないってところももしかしたら活かせるかもしれないんですよ。逆の発想であのダサいところを使ってみるとか、落とし込みかたを変えれば気持ちよく聴こえるんじゃないかとか、もしくは彼らは本当はこうしたかったんじゃないかっていう勝手な解釈とか(笑)。

岡田:それが音楽を聴くときの楽しいところというか、音楽を聴くときの遊びみたいなところというか、ぼくらが好きだったのは。ソフト・ロックからの影響みたいなものは、やっぱりリスニングする楽しさという根源的なところで、ソフト・ロックは遊びの多い音楽だと思いますね。

増村:ソフト・ロックを四六時中聴いているヤツは逆にちょっと厳しいっすね(笑)

(一同笑)

岡田:ソフト・ロックしか聴かないやつとかヤバいね(笑)。ハーパーズとか1枚通して聴いたことないもんな。

増村:俺はハーパーズはイケるよ。

岡田:ある意味ではミレニウムしか好きじゃないかもしれない(笑)。

増村:そりゃそうだね(笑)。

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細野さんが「日本語ロックの情念を消したかった」ということを言っているんですね。僕がはっぴいえんどフォロワーや喫茶ロックと呼ばれている音楽にそんなに入れ込めなかったのは情念的なものが情報として多すぎて、自分のなかではトゥー・マッチに聴こえた。

岡田くんは最近はどういうふうに音楽を楽しんでいるんですか?

岡田:すごくピンポイントで言うと、グリズリー・ベアーの新譜が久々にすごいと思った。なにがおもしろかったかと言うと、10年代のアフロ・ポップ文脈とは違うアフロ・ビートの感覚に。最近トニー・アレンのすごさを自分の中で発見して、フェラ・クティの何十枚ボックスとか聴いても、どれも同じ曲に聴こえるかもしれないけど、ビートのループの中でのスネアやキックの位置やパターンがどの録音も違う。ドラムという楽器の自由さを最も体現したのがトニー・アレンのビートだと思う。そういった自由度の高いドラム・パターンを再び抜き出してきて、それを完全にスクエアにグリッドさせる事で土臭さを現代的にして、ポップ・ミュージックに落とし込んでいるというところに感動しました。ドラム・パターンが自由というよりかは、ある程度ループになっていないと現代的に聴こえないと思うんですけど、2、4小節のループを繰り返しているところで、何箇所かに土臭いドラムのロールをパターンとして入れ込んで訛りっ気を出したり、けど全体はスクエアでやっているというのが聴いたことのないと思ったんですね。そういうものが過去にあったのかということを、案外ミーターズは近いと思いましたね。

つーか、めちゃくちゃマニアックな聴きかたですね(笑)!

岡田:でもそれは遊びとしてですよ(笑)。

普通はそんな細かく聴かないですよ。

増村:でもそれはポイントがあって、ここまで来た感があるんですよ。日本が気づかれはじめたって話があったじゃないですか。そういうのと同じで、アフロがアメリカに気づかれはじめた感があるんですよね。だからグリズリーがそれをやってというのはもちろんマニアックではあるんですけど、けっこう大事なことだと思うんですよね。みんなシンプルなビートのところに戻ってきているような感覚は正直あると思うんですよね。

岡田:ビート・ミュージックどうこうと言われたときに、グリズリーがやったのはわかりやすく訛る/訛らないの話じゃないですよ。もっとプリミティヴに、ビートを大きく捉えるかという所が気に入りました。そもそも歴史でみたらサンバもハイライフもルンバも日本人の感覚からしたらすでに訛ってる。たぶん訛りたくて訛ったのではなくて、踊れる気持ちよいポケットにたまたま入っちゃった、くらいなところかもしれない。ポストロックやフリー・フォークのときに、久しぶりにスネアの位置が変だったり、特殊なドラム・パターンみたいなのがロックの更新のひとつのやり方として取り上げられたように思えるけど、そうしたら行き着く先は特殊なパターンでありながら、そもそも気持ちよいビートみたいなハイブリットな所で、その手本にアフロやブラジルをひとつのファクターとして新しい引き金にしようとしているミュージシャンがいるのかなとは感じますね。そういう意味では、ブラジル的だったジョン・マッケンタイアのビート感と音響をアップデートさせるような感覚なのかなあ。

増村:うん、すごくあると思うね。

なるほどね。質問の意図するところとはちょっと違ったんだけどね(笑)。いまどきの子みたいに君たちみたいな時代錯誤的な若い人もやはりスマホで聴くのかってところだったんだけど(笑)。

(一同笑)

増村:超マニアックな話になっちゃった(笑)。

岡田:そうしたら案外僕はDJ的な聴きかたをしているのかもしれないですね。サンプリングできるポイントを探るというのは、もしかしたら近いのかもしれない。そういうものとアルバム1枚をソフト・ロックみたいに楽しむという、そこは両方あるポイントかなあ。

増村:アップル・ミュージックはけっこうデカいよね。

岡田:アップル・ミュージックはすごくデカい。スマホのアップル・ミュージックでいいと思ったものを、わざわざアナログの新品で買って、なおかつ音楽解析とかをするときはレコードだと面倒くさいのでアップル・ミュージックで再生するから、ぼくはすごくミュージシャンにお金を払っているんですよね。配信でも買っているし、物でも買っているし、さらに研究するために毎日100回くらいストリーミングで聴いているので(笑)。

すごいなあ(笑)。

増村:正直アップル・ミュージックに入ったあと、楽器がうまくなりましたもんね(笑)。

岡田:思った、思った(笑)。

ああ、そう(笑)。

増村:いままでだったら「今月はCD1枚しか買えない」というときにもどんどん聴けきちゃうから、やっぱり勉強になりますよ。

岡田:60点くらいの音楽は買わなくなりましたね。それはみんな言っているけど。

増村:結局アナログしか買わないしね。

岡田:「63点だ」と思ったアルバムをわざわざ2500円出して買わないですよね。

増村:そもそもお金がないからね。

では最後の質問。もし今回のアルバムのタイトルが『ノスタルジア』じゃなかったら、その言葉が使えないとしたら、なんてタイトルにしたと思う?

増村:意地悪だなあ(笑)。

岡田:意地悪ですねえ(笑)。

(一同笑)

岡田:僕がひとつやってみたかったのは、足穂の「六月の夜の都会の空」ってあるじゃん? 『グッド・ナイト』では見つからなかったから、そういうものを探してみようと思ったんですけど、足穂ってネーミングのセンスがめちゃくちゃうまいですよね。

増村:キラーフレーズ感はすごいね。

岡田:僕にはああいう語彙を生み出すような感覚がなかったから、使えなかったとしたらたぶん増村に一旦投げていましたね(笑)。

(一同笑)

増村:タイトル決めろと(笑)。重いなあ(笑)。でもタイトルって人に決めてほしいところはあるよね。

岡田:自分じゃ決められない。

でもぼくは『ノスタルジア』というタイトルはすごくいいと思ったよ。

(一同笑)

増村:ええーー!!

だってこれだけの博識をインタヴューで言う人のアルバムのタイトルにしたら、じつにあっけらかんとシンプルにまとまっているよ(笑)。

岡田:そうですね(笑)。これが一番的確な言葉だったと思います。

増村:そうだと思う(笑)。

(了)

interview with Yukio Edano - ele-king

去る9月末、突然の衆議院解散と前後して野党第一党だった民進党が分裂し、その後も混乱が続いている。そのような状況のなか、来る22日には48回目となる衆議院議員総選挙が実施される。私たち『ele-king』はおもに音楽を扱うメディアではあるが、いまのこの政局を重要なものと捉え、初めて政治家への取材を試みることにした。以下のインタヴューは必ずしもその政治家への支持を呼びかけるものではないが、これを読んだ各々が自身の考えを深め、政治や社会に関心を寄せる契機となれば幸いである。

interview with Yukio Edano

 「僕は(自分たちを)少数派だとは思いません」──たったひとりで5日前に立憲民主党を立ち上げ、その呼びかけに応えて集まった候補者たちと選挙に臨もうとしている枝野幸男はそう言った。
 9月の衆院解散後の野党第一党の崩壊劇で、小池百合子の「排除します」の一言は、その3ヶ月前に首相が放った「こんな人たち」よりもさらにストレートに私の胸に届いた。この国の与党と野党第一党のトップは、自分と違う考えを持つ人たちを、まさに「排除」している。そんな国で「つねに死票を投じてきた少数派の人間は、政治を考えると無力感を覚えてしまう」というような話をしたとき、枝野幸男は「僕は少数派だとは思いません」と、それまでよりも少し強い口調で言った。

 「我々は少数派なんて自分で言っちゃいけないですよ。いま、顕在化しているのは一部だから少数派に見えているだけで、潜在的には多数派だと思うから僕は勝負しているんです。だって現に国民の半分は投票に行っていないですよ。少数派だと思っている人たちが集まってきたら、それが実は多数派だったんです。
 ええ。いや、実は個々人のことを考えればマイノリティーなんです。例えばLGBTの人たちはたしかに少数派ではあります。障害のある方もいます。でもそういう少数派に対する多様性を認めよという価値を共有している人たちは、マジョリティーなんです。
 でもいままでその人たちは社会的にはつながっていなかった。政治的にはもっとつながっていなかった。そういうところを動かしていく、ということが、僕らがいま、図らずもやっている営みなんじゃないかなと、この数日で思っています。
 従来の選挙でも、動員型の運動をすれば同じくらいの反応の量はあったんです。でもいま感じているのは量ではない。明らかに、いままではどこともつながっていなかった、自分は少数派であると諦めていた人たちが、もしかしたら今回はそうではないのかもしれないと感じてくれているかもしれないという空気感が、ネット上、ツイッター上にもある。
 民主党、民進党のなかで、僕は保守本流だと思っています。日本の保守本流イコール・リベラルだからね。それで、いままでもこういう勢力に対して期待をしてくれて、こっちも名前に記憶のある人たちが紛れてしまうほどに、今回は違う人たちが入ってきているんです。その人たちの反応って面白くて、自分で言うのは傲慢かもしれないけど、党首討論を見て『枝野って、こういう討論、得意なんだ!』って驚いているんですよ。以前から政治に関心のある人たちからすれば、これはいまさら驚くことではないんですよ。僕は地盤も看板もないなかで、討論でここまでやってきたという自負もあるし、世のなかの受け止めもそうなんです。でもそんなことは知らない人たち、枝野という存在を初めて知った人たちが来ている。量的なものではなく、質的なものというのはそういうことです」

 「右か左かではなく上からか下からかだ」という枝野のスローガンを見聞きした人のなかには、エレクトロ・パンクのスリーフォード・モッズやグライムMCたちからも愛される、英国労働党党首のマルクス主義者ジェレミー・コービンや、ヴァンパイア・ウィークエンドやグリズリー・ベアのようなインディ・ロック・バンドからも支援されながら、ヒラリー・クリントンと大統領候補の席を争ったアメリカ民主党のバーニー・サンダースを思い出す人もいるかもしれない。しかし、くどいようだが、彼らも枝野も、長年、左派から失望されてきた“野党第一党”の政治家たちだ。そういう大野党の左派から生まれた政策が、若者を中心に熱狂的に支持されている。
 枝野幸男はコービンやサンダースよりも若く、そして彼らのようなねっからの左翼でもない。けれども立憲民主党の政策もまた、ナショナリズムやネオリベ経済に対抗する潮流にいる。それは気高くドリーミーな理想でも、何かをゼロや百にするといったキャッチーなプランでもない。その代わり「すぐにでもできる」「現実に対して真面目」「効果は確実だが地道」「その政策を採用した後の社会が見えやすい」ものになっている。
 それはこんな経済政策だ。

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格差が拡大、富が偏在すれば、全体で消費に回るお金が減るんです。それなのにいまの日本は人口減少に合わせて格差を拡大させちゃったから消費が冷え込んでいるので、この格差を是正して貧困層を中間層に戻せば確実に消費は増えます。まさに下から良くしていかなければならないんです。

「下からの経済政策」について具体的に教えてください。

枝野:ええ、どこから話しましょうか。まず、景気が悪いのは消費が冷え込んでいるからです。輸出は頑張っています。消費冷え込みの理由は格差の拡大です。今、子どもがいて4人家族ということになれば年収500万でも貯蓄や投資にまわせる金額はほとんどないでしょう? 子どもが学校に行って、家のローンがあって、消費性向はほぼ100パーセントです。その人が年収200万になれば300万の消費が減るわけです。逆に年収100万の非正規の人が年収300万の正社員になれば、増えた分、全部消費するでしょう。一方ね、年収1億の人が2億になったからって、増えた1億は使わないでしょ。所得が高くなればなるほど、手にした所得の中で消費に回る比率は低くなるんです。
 つまり、そのように格差が拡大、富が偏在すれば、全体で消費に回るお金が減るんです。それなのにいまの日本は人口減少に合わせて格差を拡大させちゃったから消費が冷え込んでいるので、この格差を是正して貧困層を中間層に戻せば確実に消費は増えます。まさに下からよくしていかなければならないんです。そのために単にお金をばらまくというのは持続可能性がないんです。ところが幸いなことに、需要があるのに供給が少ないサービスってものすごく多い。その代表が介護や保育です。需要があって供給が少なければ、普通は価格が上がるのに、そうなっていない。これは市場原理からいっておかしい。本当は保育士さんや介護士職員の給与はものすごく上がらなければおかしいんですよ。でも現実に上がってないのは政治が抑えているからです。そこに流す金を抑えている。それを本来の市場原理に合うようにお金を出せば、人手不足も解消できる。そのお金を給料としてもらった人は地域で消費するわけで、経済波及効果は大きいんですよ。つまり二度おいしいんです。

公的資金に市場原理を適用させられるのですか? いまはそれができないと思われていると思います。介護も保育も直接には利益を生まない仕事なので賃金も抑えられてしまうと。

枝野:公共的な仕事に従事する人たちの非正規雇用は深刻な問題です。公的にいくら突っ込むかで給料が自動的に決められてしまって、マーケット・メカニズムが働かない。だけど需要があるところにお金を突っ込む。公的なお金だから、もちろん公的な必要性の高いところにお金を流さなければいけないんだけど、介護も保育も必要性が高いことははっきりしている。賃金の決まり方は本来は需要と供給のはずなのに、その市場原理でいけば、上がるはずのものが上がっていないので、市場原理に合わせた形でお金を流していくしかないわけです。でなければ人手不足は永久に解消しません。
 で、実は、公的なサービスには、そこに流すお金が足りないせいで人手不足・低賃金という分野は山ほどあるんです。例えば、ノーベル賞級の研究をするには、大きなチームが必要で、准教授くらいになれば別だけど、その研究をサポートするチームは大部分が非正規なんです。低賃金なんですよね。いわゆるポスドクの問題で、ここを安定的な雇用にしてちゃんと一定の給与を払って人手を確保してくれれば、日本の研究開発はもっともっと進む。研究開発というと、バカでかい設備投資の話ばかりだけど、実は地道に研究開発しているところのそういうスタッフの待遇改善をしたら、まずそれが景気対策になる。その人たちが手にしたものを消費に回すから。しかもそれで研究開発の基盤が充実すれば、二度三度おいしいんです。
 あるいはいま問題になっている教師の部活動の話がありますよね。あれがサービス残業になっている。それなら部活動を担当する先生に対して、昼間の授業を減らすとか、部活動を担当する先生を別枠で増やすとか、いろんな手はあるわけです。
 どれも公的なサービスですから、結局、何らかの形で税か保険料から払うしかないわけです。で、投資効果の小さい大型公共事業をやる金があれば、その金をそっちに回しましょう。その方が経済波及効果は大きいし、二次的三次的な効果もある。これが下からの経済政策です。
 そして、そういうところが人を集められるようになれば、民間の方は労働市場がタイトになって、否応なく給料を払わざるをえなくなる。僕は社会主義者ではないので、マーケットはいい部分は使っていこうということです。でないとカネをばらまいたって持続可能性ないわけだし、経団連の幹部を呼んで「給料あげろ」なんてそれこそ社会主義じゃないですか。うまくいくわけがない。マーケット・メカニズムを使って、賃金の底上げをして、非正規を正規に移していく。こういう発想です。

経済波及効果は大きいと言い続けてきたんだけど、まさに崇高な理念だからそんなこと言うなみたいな意見によって塞がれてきたんだけど、いまは言うチャンスだから(笑)。でも子ども手当なんてまさに景気対策でしょう? だけど同時に、崇高な理念にも通じているんです。こういうことをまとめてやるというと、「下から所得を押し上げる」。こういうことなんです。

まさにトリクルダウンの逆ですね。政府に決定権限のある低賃金の仕事の給料を上げることで、もう少し楽な境遇にいる人にも良い影響が期待できる。トリクルダウンだと失敗したら、「下」は餓死ですが、下からの経済政策なら、上の人にはもう少し待つ体力がありますね。

枝野:もちろんいろんなことを同時にやるんですよ。例えば、これも公的な世界の話ですが、小さな公共事業で公契約条例というのを一生懸命作らせているんです。公共事業の受注額って、人件費がいくらと試算をして、その積み重ねで予定価格が決まります。でも実際にはその賃金は払ってない。だから、それを払えと。入札時に想定されている賃金をちゃんと払わなければならないという条例が公契約条例で、地方自治体はすでに始めているんですよ。これをやることで、公共事業で流した金からも人件費にもっと流れる。これも景気対策です。あえて言えば、高校授業料無償化も幼児教育無償化、それから奨学金も、それは教育政策であり社会政策でもあるけれど、景気対策なんです。
 例えば未就学児を抱えている親御さんは、若くて全体的にはほとんど低賃金の人たちじゃないですか。その人たちが保育園や幼稚園に払っている金が減れば、もともとかつかつでやってるから、その分可処分所得が増えるんです。高校授業料が無償化されればおそらく教育投資になるけど、浮いた金はほとんど消費に回るんです。こういう言い方をすると教育政策をやっている人には嫌がられるんです。もっと崇高な理念に基づくんだと(笑)。
 もちろんそれはそれでいいんです。でも同時にそれは経済対策でもあるんですよ。経済波及効果は大きいと、僕は民進党時代から言い続けてきたんだけど、まさに崇高な理念だからそんなこと言うなみたいな意見によって塞がれてきたんだけど、いまは言うチャンスだから(笑)。民主党は、だから景気対策がないと言われてきたんです。でも子ども手当なんてまさに景気対策でしょう? だけど同時に、崇高な理念にも通じているんです。こういうことをまとめてやるというのが「下から所得を押し上げる」ということなんです。再分配というと、生活保護とか給付という話に行くんだけど、違うんです。仕事がある、その仕事に正当な対価を払う、その払った対価が消費に回る、というルートで行うんです。

いまはお金がある人も将来が不安だから使わないのではありませんか? 若者はとくにそう言われていますよね。「将来不安」ということについてはどうお考えですか? 

枝野:いや、100万が200万に増えたら必ず使う。まずはそれからです。それが順番。政策によって将来不安を小さくするには5年、10年かかります。しかし景気対策はそんなに悠長なことは言って入られません。まず即効性のある景気対策が必要なんです。
 でもこうも言えます。保育所の人手不足が解消に向かい、介護士の人手不足が解消に向かえば、子育てや老後の不安は小さくなるんじゃないですか? 一石二鳥なんです。だから象徴的に「保育と介護」を言っているのは、同時に将来不安を小さくすることにもつながるからなんです。だけどそれは2番目、3番目の目標です。僕が経済政策に自信を持っているのは、いまよりも民主党政権時の方が実質経済成長が高かったからです。なぜなら可処分所得を増やしていたから。子ども手当や児童手当増額、高校授業料無償化もあったし、農村地域に個別所得補償制度ということもやっていました。そういうこと全部がパッケージです。全部パッケージにして、所得が真ん中より低い人たちの、ニーズのある仕事に対してちゃんとしたペイを払います。それでまず消費が増えます。そのことで将来不安は小さくなります。
 ひとつ言いたいのは、世代間の分断に乗ったら、若い人は損ですよという話です。例えば年金制度とか、高齢者の老後の暮らしの話をすると、「若い人は損だ」と言われます。で、若者に重心を置くのか高齢者に置くのかと論争になる。こんな分断に乗っていたら若い人は損をするし、実は違うんです。だって年金制度がなくなったら、あなた、自分の両親と場合によっては配偶者の両親も含めて4人、祖父母までみんな生きていたら16人、年金生活が崩壊したら、その人たちの老後の生活を個人で見なければならないんですよ。むしろ実は困るのは若い人です。自分が将来受け取る年金の前に、年金制度を維持してもらった方がいい。親の世代をどう支えるか、いまはあまり意識しないで済んでいるのは年金制度があるからなんです。介護保険制度が充実すればするほど、自分の親が寝たきりになったときでも、自分でやらなければならないことが最小化できるんです。これが、年金や介護政策が若者を無視しているなんていう批判に載せられないことが大事な理由なんです。若者に向かって、高齢者の安心を語ります。そして高齢者に向かっては、「あなた、近所に保育園ができて喧しいとかいって反対などしていると、あなたの年金や医療は誰が支えるんですか」と問いかける政治をしなければならないんです。

本当は若者も高齢者も一緒に生きているんですよね。でもいつの間にか一緒に生きていられなくなっていたんですね。

枝野:それは政治が無意識にやってきてしまったことなんです。分断していた方が選挙には得だから。「こいつけしからん」と敵を作って分断して、票を集める。この20年、政治はそうやってきたんです。あえて言えば、僕が初当選した日本新党もそうだったかもしれない。2009年の民主党政権もそうだったかもしれない。でもね、それはもう限界にきた。というのは、この解散以来、永田町界隈は予測不能なカオスになっている。それは僕が動いたとか、民進党がどうしたからというのではなく、たぶん限界にきたんだと思うんです。敵を作って分断して、それで一時的にマジョリティーを形成するというやり方が。
 これはもしかしたら間違っているかもしれないし、今回、まだ早すぎるアプローチで、同じところに行くのに今回挫折して、また5年10年とかかることになるかもしれないけど、でも、僕がこの世界に入って24年間やってきた、どうもみんな無意識にやってきたその手法、というか前提が、壊れはじめているのは確実だと思うんです。

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この解散以来、永田町界隈は予測不能なカオスになっている。それは僕が動いたとか、民進党がどうしたからというのではなく、たぶん限界にきたんだと思うんです。敵を作って分断して、それで一時的にマジョリティーを形成するというやり方が。

「下からの民主主義」という言い方に惹かれているという若い人の声も聞きます。この数年の国会はくだらなさすぎるヤジや噛み合わない質疑答弁、強行採決のような決め方が横行していましたから。

枝野:何年も言われ続けているのが「強いリーダーシップ」です。その前に「決められない政治」という批判があって、とにかく強いリーダーシップでどんどん決めていくことに対して期待が集まりましたよね。これは一理あると、僕は認めるんです。なぜかというと、世のなかの変化のスピードが速いから、それに対応するためには政治決断も早くないといけないという側面がある。異論があっても押し切るという強いリーダーシップは、一面では正しいんです。でも、同時に、世の中の価値観は多様化してもいる。しかし強いリーダーシップは、価値観の多様化には対応できていないんです。
 価値観が多様化した社会では、どんな決定にも、不満、異論というものを常に抱えざるをえません。一億総中流の時代には、異論反論は少ないわけです。利害関係が共通していたから。いまは格差も拡大しているし、価値観も多様化しているから、どんな決定をしても必ず異論があるわけです。それを強いリーダーシップで、意見も聞かずに強引にやればやるほど、不満は大きくなるんです。一個一個はスピード感があっていいように見えても、積み重なっていくと不満の累積の方が大きくなる。で、社会が不安定化するんです。安倍内閣が4年過ぎたくらいから、いろんな意味でフラフラになっているのは、スピード感のある強引なやり方というものへの期待は一方であるんだけど、結局やりすぎて不満が積み重なり、そっちの方が大きくなっているんでしょう。だから強いリーダーシップと同じくらいのパワーを持って、「スピードも大事だけど、同時にみんなの意見もちゃんと聞こうよ、みんな意見が違うんだから」ということが必要です。
 そのために重要なのは政治姿勢です。1億3000万の意見を全部聴けるわけはないので、まずは国会運営です。どんなに野党が反対しても丁寧に時間をかけて、真摯に国会質問に対して答弁をする。その姿勢をある程度の時間繰り返されたら野党は抵抗のしようがないんです。それは仕方ない。それをちゃんとした説明も答弁もしないで時間が来たからと質疑を打ち切るようなことを積み重ねていけば、それは声を聞いてないということになる。
 民主主義のプロセスですね。その具体的な手法は模索しながら進めていくんです。実際にいまそうです。例えば2年前の安保法制、あのとき、国会前に集まってくれた多くの人たち、その相当はそれまで政治にはあまり興味もなく参加もしなかった人たちでした。でもそのネットワークが、各地でギリギリ維持されてきた中で、もちろん、各地域で従来から市民活動、政治活動に関わっていた人たちは少なからずいるけれど、そうでない人も含めた大きな輪、ネットワークとして、これで野党を一本化しろと政治に圧力をかけにきたんです。我々は圧力をかけられたんです。それは間違いなく政治を動かしたんです。こういう人たちの声を無視して俺たちは政治をやれないという、それが立憲民主党を立ち上げ、希望の党に行かなかった人たちのひとつの理由だったんです。それはもう僕たちがどうこうするというのではなく、主体である国民の皆さんがいろんな動きをすることに対して我々がセンシティヴに反応できないと、我々が立っていられない、そういう土壌は、安保法制以降できている。それにちゃんと応える政治勢力です、我々は。

 

「#枝野立て」「#枝野立つ」というような新しいコミュニケーションも出てきています。そこでちょっと不躾ですが伺いたいのは、もし枝野さんや立憲民主党の候補を応援したら、政権奪取までの間、あなた方は政治家として、私たちやこの社会に何をしてくれますか?

枝野:いま僕らが言えることは、「筋を通します」ということです。つまり、こういう政策を実現したいと言っても、それは議会の多数派を占めないとできないことなので──いや、必ずしもそうではなく、野党でも少数派でも一定の力を持っていれば、社会的なプレッシャーや政治的なプレッシャーとしてある程度は可能なんです。やっぱり政府、与党も国会で揉めたくはないから、妥協するんですよ。妥協できる範囲のことは。だから一定の影響力さえ持てば、例えば与党が憲法改悪をごり押ししようとしても、一定のパワーを示せば、「国民投票が不安だから」あるいは「世論が盛り上がっちゃっても心配だから」という抑止力にはなる。でもそれはできるかどうかはわからない。間違いなくできるのは、マジョリティーをとって、政権を取ったとき。だから、いま、約束できることは、「筋を通します」ということです。
 従来の政治、永田町の合従連衡とか、政治家の都合や思惑などとは違うものを、今回、皆さんに感じてもらえていると思うので、そこはブレずにやります。意外に大変なのだけど。
 国会の運営は、従来のルール、慣習で動いています。我々だけがそれと違うことをやっても通用しないから、そのなかで、ちゃんとブレないで筋を通して期待通りにやっていると、ちゃんと思ってもらえるようにしたい。そう思っていただき続けるのはけっこう大変なんですよ。大変だけど、それをやり続けないと、我々はたぶん立っていられない。

では有権者、なかでも立憲民主党に期待しはじめている人びとに、投票の他にしてほしいことはありますか?

枝野:できることをやってください。わたしもできることをやります。

 インタヴューの翌日、新宿アルタ前では集会が開かれた。元SEALDsのメンバーも含むさまざまなアーティストや著名人、スタッフたちが準備したらしい。集会では学生や市民が選挙について思い思いのスピーチをした。枝野幸男と福山哲郎もそのひとりとして脚立に立って話をした。時間より前から広場を埋め尽くしている聴衆には若者から中年までさまざまだが、その表情はなんだかにこやかだ。事故のような経過だったとしても、選挙直前に突然、選択肢が増えたのだ。それってなんと自由なことだろう。アルタ前にはこの自由を満喫するような笑顔が輝いていた。
 「私たちは少数派ではない」──多くの世論調さは与党圧勝を予測している。そういう数字が、また私たちに無力感を植え付ける。大雑把に見れば、この100年、世界はリベラルに向かってきたし、いまもそれは続いている。グローバル経済、ネオリベ経済は、個々の多様性や人権を重視する政治的リベラルの副作用のようなものだ。行き過ぎれば、人権ではなく、グローバリズムが否定される。そして排外主義という副作用を生んでいる。この悪循環はどこから断ち切ることができるのか。枝野幸男の提案する「下からの経済政策」はひとつの答えだ。
 だから、根気よく信じよう。私たちには民主主義を機能させる能力があるということを。あ、これはたしか、アルタ前で誰かが話していたことだ。政治家ではない。自分たちの力を信じたい。

(敬称略)

私たちは慢性的な危機を目撃している。そのような危機は、今や過去のことだと思っていた緊縮財政と衝突のあった古い時代、あるいは人種と国民をめぐる政治に私たちを連れ戻したように見える。私たちは立ち往生しているのかもしれない。しかし、昔に引き戻されているわけではない。警察による職務質問、学校からの除籍、若者の失業といった重要な指標が示しているのは、1979年の総選挙におけるサッチャーの歴史的勝利に沸いていた37年前よりも、事態が悪くなっているということだ。(本書、日本版序文より)

 ポール・ギルロイは、こと今日のDJカルチャー/(とくにUKにおける)ブラック・ミュージックを思考するうえでは外せない思想家のひとりである。人種問題の文化研究などというと堅苦しいが、ギルロイがこの日本版の序文で書いている言葉を引用すれば「生きた社会運動を学術的に考察する」こと、本書におけるギルロイの場合、それはおのずと音楽について語ることになる。
 黒い英国における音楽と社会運動史の考察、『ユニオンジャックに黒はない』は、その後『ブラック・アトランティック』で有名になるギルロイのデビュー作で、初版は1987年だが、有名なのは2002年の増補版で、それにしても15年目にしての本邦初翻訳だ。が、これはいま読んでも充分にパワフルで、震える本であり、ここに書かれている過去の闘争が現在と交差する瞬間、その持続する瞬間においてこれからも多くの人が訪ねて来るであろう本だと言える。ザ・インプレッションズでカーティス・メイフィールドが歌う勇敢で前向きな“キープオ・ン・プッシング”を聴いているとき、聴き手のなかに、たんなる過去の名曲として消費する以上の何かが生まれるかもしれないように。
 あるいは、アレサ・フランクリンの“シンク”(1968)、ボビー・ウーマック“アメリカン・ドリーム”(1984)のような曲……一見たんなるラヴソングでありながらそれ以上の解釈も可能なこうしたソウルという名で呼ばれるポップスを、ギルロイは次のように説明している。「個人の歴史と公共の歴史のそれぞれの領域がもつ特性は、両者が分節されつつも節合していることを表現すべく引き合いに出され、ひとつにまとまることで真実と自由の双方を生みだしている」。つまり、「個人の歴史と公共の歴史との相互作用によって喜びをつくり」だしていると。
 『ユニオンジャックに黒はない』は、資本主義批判/社会運動の本であるが、面白いほど、音楽についての本である。ソウル、ファンク、ブルービート(スカ)とレゲエ、そしてヒップホップ……こうした音楽が趣味にとどまることを許さずに、黒い英国においてどのように社会と“関わり合っていた”のかを綴り、パンク・ロックを起爆剤に生まれた「ロック・アゲインスト・レイシズム」という運動についてもじつに詳しく描写している。思想書において、この本ほど音楽誌からの引用が多い本もそうないだろう。
 もっとも、本書が刊行された15年前と比較して、福祉を破壊し、格差を増長する新自由主義が(英国ではニュー・レフトを通じて)加速的に進行した現在についてギルロイは手厳しく、なかば敗北的に、避けがたく悲観的な態度を以下のように見せている。「政治的な発話と疑われるものを非公式に差し止めることが威を振るっている風潮のもとでは、怒りも道徳もどちらも表立っては示されない」。かくして「最近の数年間で支配的になっているのは、説教臭いラップや布教的なパンクではなく、つねにほとんど歌詞のないエレクトリックなダンス・ミュージックである」。そして、「内面への沈潜とエクスタシーという身体の快楽の徹底した追求とによって、そこから生じてきたサブカルチャーは、古き政治の趣をほとんどすべて失っている」と。で、「そうしたサブカルチャーはまた、部分的には企業の権力と結びつき、政治ないし経済的な資産としての価値を評価する政治あるいは政府と結びつきのある人間がいなくても、世界中に輸出されている」。これは悪しきにつけ、良しにつけでもあろう。ひとつたしかなのは、ギルロイが言う「感覚を麻痺させたいという諦め」、すなわち逃避したいという流れが音楽のなかでより強まっていることだ。(ぼく個人が日常聴いている音楽の多くも、この流れにある)
 またギルロイは、こうした事態のなか、15年前に本書が触れた(たとえばUKレゲエと社会運動がリンクするような)抵抗のネットワークは、「デモクラシー、フェミニズム、社会主義という各要素への日常における希望と同様に、ほぼ崩壊している」とぶっちゃけている。「そのような希望とこのネットワークは、かつて居心地悪くではあるが、生産的に提携していたのだが。それに代わって、今や無力さを引き起こす反知性主義が、倫理なき民営化と日和見主義の後押しする強欲さと利己心というよくある悪を牛耳っている」。
 日本もいよいよトランプや、そしてサッチャーのことを他人事のように語れない窮地に追い込まれている。他方では、数ヶ月前の世間的には注目度の低かった民進党の代表戦において、枝野幸男氏がヴァンパイア・ウィークエンドやグリズリー・ベアが全力で応援したバーニー・サンダースと多くのところで重なる政策を掲げていたことに音楽ファンの何人かは気づいたかもしれないし、新党結成時の氏の会見における「下からの政治」という言葉がブレイディみかこの「地ベた」というコンセプトと重なるんじゃないかと、おそらくだが……何人かは気づいたかもしれない。
 しかしながら、何度もくじけそうになる信念と希望を、黒い英国のサブカルチャーが支え合ったように我々にもできるとしたら、いったいどのように、いったいどうしたものかと……ギルロイが序文で吐露するような深い敗北感を覚えている人も、とくに年増になってくると、少なくはないだろう。本書が訴えるところでは、そして現実的なせんとしてこの本を咀嚼して言えるのは、まずは連帯意識(コミュニティ意識)というものを見失わないこと。まあ、現代の英国にスリーフォード・モッズがいるように、日本にもBullsxxtのようなバンドががんばっているし、水曜日のカンパネラだっている。終わった過去は無駄にはならず、それはまた何かのきっかけでいつはじまるのかわからない、そういうぎりぎりの希望についても、ギルロイは次のように力強く書いている。

 権利と人間の尊厳を求める闘いはいくつかのささやかな暫定的勝利を収めているが、そのあとには長期にわたる重苦しい敗北が続いている。そうした敗北が示しているのは、ある異なった種類の社会へと英国が変容していく様だ。最初は不安定で慢性的に危機に陥った市場社会へと英国は変容したが、その次には今日目の当たりにしているように、ヴァーチャルでネットワーク化された社会生活における、恐るべき新自由主義的な実験へと変容した。それは私有化、軍事化、金融化のトライアングルをなしている。だがいくつかの闘争が残したものは、豊かな創造的追求のなかにいまだ顕著である。それは、言葉のないエレクトロニック・ミュージックのなかに、共同体のアンダーグラウンド文学や詩作のなかに、そして新たに生まれつつある世代の抵抗芸術のなかに反響している。これらの反体制的な布陣は戦闘的な過去に彩られており、型破りで多文化的な亡霊たちを呼びだすことができる。そのような亡霊の存在はその潜勢力を失っているかもしれないが、私たちが今や当たり前のものと思いかねない危機に陥っている抑圧的な秩序に反対する、ポストコロニアルな抵抗という抵抗的な歴史を、時としてふたたび甦らせることが今なおできる。(本書、日本版序文より)

WaqWaq Kingdom - ele-king

 ワクワク・キングダム、すなわち「わくわく王国」というユニット名に、大阪の下町のシンボルである『Shinsekai(新世界)』というアルバム・タイトル。ヨーロッパからのリリースとなるどうにもいかがわしい作品なので、西洋人から見たサイバー・タウン大阪をイメージしたものかと思われるかもしれないが、やっているのはキング・マイダス・サウンドのヴォーカリストで、イラストレーターでもあるキキ・ヒトミと、DJスコッチ・エッグ名義でのゲームボーイを使ったハードコアなパフォーマンスが知られ、またベーシストとしてシーフィールやデヴィルマンといったバンドでも活動するイシハラ・シゲルという欧州在住の日本人に、イタリアのエクスペリメンタル系パーカッション奏者のアンドレア・ベルフィによるユニット。大阪出身のキキ・ヒトミは1990年代にロンドンへ移住し、東京出身のイシハラ・シゲルも2000年頃からベルリンを拠点に活動しているので、もともとの日本人の感覚に、ヨーロッパから見た日本のイメージが組み合わさっているとも言える。キキ・ヒトミは現在ドイツのライプツィヒ在住だそうで、その地元のレーベルである〈ジャータリ〉を根城に活動している。レーベル名が示すように、主にダブやレゲエ、デジタル・ダンスホール系の作品を出しているところだ。キキ・ヒトミはここから2016年に『Karma No Kusari(カルマの鎖)』というソロ・アルバムを出したが、デジタル・レゲエなどに混じって日本の演歌も歌い、ヨーロッパのメディアからは「演歌ダブ」という名で面白い作品と評価を受けた。ザ・バグことケヴィン・マーティンと詩人であるロジャー・ロビンソンが組んだキング・マイダス・サウンドでは、トリッキーとブリアルをかけあわせたようなドープで実験的なトリップホップ~ダブステップをやっているが、そこでも日本語の歌詞を取り入れている。常々、ホレス・アンディやケン・ブースなどのレゲエ・シンガーのこぶしの効かせ方は、日本の演歌歌手に近いものがあるなと思っていたそうで、そうした発想がレゲエのビートで演歌を歌う『カルマの鎖』へ繋がったようだ。収録曲の“ピンクの着物”は、藤圭子を意識したそうである。

 それから約1年ぶりとなる『新世界』は、演歌を含めた日本の歌と、ダブやアフロなどのワールド・ミュージック、ダブステップやデジタル・クンビアなどがさらにシェイクされている。サイモン・フォウラーによる魑魅魍魎としたジャケット・アートワークに、ポールによるマスタリングが加わり、『カルマの鎖』にあったポップな方向性が、サイケデリックで混沌とした世界へと導かれている。クラブ・サウンドやエレクトロニック・ミュージックの世界でワールド・ミュージックにアプローチした例としては、ここ数年ではクラップ!クラップ!モー・カラーズマーラなどがあり、それぞれ独自の手法やサウンドを持っているのだが、『新世界』は表面ではクラップ!クラップ!のようにカラフルな色使いを感じさせつつも、キング・マイダス・サウンドの頃から見られるドープでヘヴィなダブ・サウンドが中心にあり、実に骨太な作品だ。そうした中、途中で和風とも中華風とも東南アジア風とも言えない音色が差し込まれ、少しユーモラスなところを感じさせる点は、オンラの『シノワズリ』シリーズと共通の味わいである。“アイ・ウッド・ライク・トゥ・レット・ユー・ゴー”や“バード”の無国籍なエキゾティシズムは、アルゼンチンのデジタル・クンビア勢に通じるところもあり、それにニューウェイヴ的なアグレッシヴ感覚を混ぜている点も特徴だ。“オー・イッツ・グッド”はダブ色が濃いパンク・ファンクで、アンドレア・ベルフィのトライバルなラテン・パーカッションも生かされている。ESGとザ・ポップ・グループがジョイントし、それをリー・スクラッチ・ペリーがミックスしたような曲とでも言おうか。また、全てが土着的なワールド・ミュージック系というわけではなく、中にはSBTRKTのようなフューチャリスティックなベース・サウンドの“ブロウ・イット・アップ”もある。“ラヴ・ゲーム”はパーカッシヴなアフリカ系のナンバーで、プリミティヴな要素とそれに反するようなフューチャリスティックな要素がうまく融合している。“ステップ・イントゥ・ア・ワールド”はアルバム中でもっともヘヴィでドロドロとしたベース・サウンドだが、コーラスがブロンディの“ラプチャー”のメロディを引用するという遊び心もある。“ココ・セイズ”は「森羅万象」や「花鳥風月」といったフレーズが出てくる日本語の歌。神秘的なイメージの曲で、時代で言えば平安時代や奈良時代をイメージしているのだろうか。“ワクワク・ドリーム”はボカロ風のヴォーカルで、花魁とか舞子とか情緒的な光景が思い浮かぶ一方で、アニメ的なポップでキッチュな表情も見せる摩訶不思議な和の世界。和のメロディの取り入れ方は、YMOのそれに近いところも感じさせる。「演歌ダブ」とはまた異なるキキ・ヒトミのユニークな和の世界を見せてくれる。


The Beach Boys - ele-king

 サマー・オブ・ラヴから50年だという。映画で言うとアメリカン・ニューシネマ、たとえば『俺たちに明日はない』から50年だ。アメリカ文化に夢中になったことのある人間なら誰しも、あの鮮烈な時代に対して憧れを持っているものだと僕は20代のある時期まで思っていたのだが、どうやらそうでもないらしいことを最近では理解している。半世紀前に西海岸で起こったことに思い入れるのは、この21世紀において……とくに、いわゆるミレニアル世代では変わり者のようなのだ。カルチャーの側から「世界を変えられる」とした大げさな想像が、世知辛い現代に有効でないことはじゅうぶん理解できる。そうして60年代のアメリカのロック音楽は紙ジャケとなり、日本において多くは中高年のノスタルジーとして消費されている。「若者は60年代のクラシック・ロックを聴かない」という話もある。が、それはべつに悪いことではないのだろう。世代が交代すれば、価値観は変わっていくものだ。
だが……、それでも、あの頃の壮大な「夢」にいまのわたしたちが感じられる何かはないのだろうか? そんな風に考えたきっかけはいくつかあるが、極めつけは昨年出たザ・ナショナル監修のザ・グレイトフル・デッドのコンピレーションだ。アメリカのインディ・ロック勢は、いまこそ懸命に50年前を振り返っている。そこには何か切実な理由があるように思えてならないのである。


50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き
萩原 健太

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 アメリカ音楽を追い続けてきた音楽評論家である萩原健太氏にとっての1967年とは、「ビーチ・ボーイズの『SMiLE』が出なかった年」なのだという。サマー・オブ・ラヴ全盛の西海岸にいながら、その渦中にはいられなかったビーチ・ボーイズ。彼らが出すはずだったアルバムをこの2017年から検証するのが『50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き』だ。同書は僕のような変わり者のアメリカ音楽好きの心を見透かすように、現在のアメリカの風景を50年前のそれと重ね合わせつつ幕を開ける。そうして、あまりにも巨大な謎であった『SMiLE』というアルバムの特異性が、著者である氏のライヴ体験を紐解きながらひとつずつ語られていく。79年の江ノ島から2016年のニューヨークへ。読んでいると、その大きなアルバムのヒントをひとつ得て歓喜し、かと思えばまた煙に巻かれて悩んだビーチ・ボーイズ・ファンの道のりを追体験するようだ。
 萩原氏はビーチ・ボーイズを「永遠のカリフォルニア・ティーンエイジ・ドリーム」なのだと本書で形容する。現代のアメリカの優れたインディ・ロックを聴いていると、その図抜けたポップさと音楽的実験への好奇心は形を変えつつ確実に受け継がれていることがわかる。だが、なぜビーチ・ボーイズだけが特別なのか?
 ここでは『SMiLE』 の空白をリアルタイムで体験できなかった世代のひとりとして、萩原氏に素朴な疑問をぶつけてみることにした。「なぜ、いまビーチ・ボーイズを聴くのか」。ビーチ・ボーイズのことを話すのが楽しくて仕方ないという様子の氏と言葉を交わしながら僕は、リスナーの想像力を掻き立てるバンドとしてのビーチ・ボーイズの魅力を垣間見たように感じた。副題が『ぼくはプレスリーが大好き』の引用となっていることからもわかるように、『50年目の『スマイル』──ぼくはビーチ・ボーイズが大好き』には何よりもアメリカ文化への著者のときめきが詰まっている。(木津)

Pitchforkって21世紀のインディ・キッズにいろいろな意味で影響を与えたメディアだと思うんですけど、60年代のベスト200曲とベスト・アルバム200枚を載せていたんですね。それを見ていると『Pet Sounds』が2位なんですね。1位はヴェルヴェッツなんですけど。(木津)

そうかあ。それはうれしいかも。ビーチ・ボーイズが上に来るのは少し前のトレンドだって気がしていたから。(萩原)

それでベスト・ソングの1位が“God Only Knows”なんですよね。ようするにビーチ・ボーイズは21世紀になってもアメリカのインディ・ロックにおいてはすごく意味をもっているんですね。(萩原)

木津毅:僕は1984年生まれなんですけど、10代の後半からアメリカの音楽がすごく好きになって。

萩原健太:というともう世紀が変わろうとしている頃ですね。

木津:そのあたりからアメリカの音楽を聴きはじめて、僕は00年代のインディ・ロックがすごく好きで、ele-kingにもアメリカのロックのことについて書いたりしているんですけど、日本にアメリカのロックのことを伝えるのがけっこう難しくて。21世紀にビーチ・ボーイズを聴くということをどういうふうに考えたらいいか、というのはとても難しい問題だと思っています。そもそも野田さんが僕を駆り出したのは、いまの日本の若い音楽ファンからビーチ・ボーイズを聴いている感じがしないと言うからなんですね(笑)。60年代のクラシック・ロックみたいなものをあまり聴かないと。

萩原:言ってみればビーチ・ボーイズどころの騒ぎじゃないよね。

木津:洋楽リスナー自体が減っているというのもあるんですけど、それ以上にパンクの頃までだったらギリギリ遡れるけど、それ以前になると遡るのが難しいということがあると思うんですね。今回の対談に向けていろいろと見ていて、Pitchforkって21世紀のインディ・キッズにいろいろな意味で影響を与えたメディアだと思うんですけど、60年代のベスト200曲とベスト・アルバム200枚を載せていたんですね。それを見ていると『Pet Sounds』が2位なんですね。1位はヴェルヴェッツなんですけど。

萩原:そうかあ。それはうれしいかも。ビーチ・ボーイズが上に来るのは少し前のトレンドだって気がしていたから。

木津:それでベスト・ソングの1位が“God Only Knows”なんですよね。ようするにビーチ・ボーイズは21世紀になってもアメリカのインディ・ロックにおいてはすごく意味をもっているんですね。

萩原:確かに、若いミュージシャンの話をいろいろと聞いてみると、そういう人も多いみたいね。

木津:つまりはビートルズの『Sgt. Pepper's ~ 』なんかよりも『Pet Sounds』のほうが全然スゲエぜ、という気持ちがアメリカ人にはあるときっと思うんですよね。

萩原:でも、どうなんだろう。一瞬そんなトレンドがあったことはたしかなんだけど。そのままなってくれればよかったなあ、と。90年代に『Pet Sounds Sessions』ってボックスセットが出たことがあって。その頃をひとつのピークに、『SMiLE』という幻のアルバムの在り方とか、当時のロック・シーンとしてはとても珍しかったレコーディング方法とか、ブライアン・ウィルソンという人間のひじょうにナイーヴな心象とか、そのあたりをイギリスとか日本とか、アメリカ以外の国のリスナーや、アメリカに暮らしていてもアメリカ的ではない人たちがかなり持ち上げた時期があったんですよ。しかも、その『Pet Sounds』のボックスが一回発売延期になった。ビーチ・ボーイズのメンバーのマイク・ラヴとアル・ジャーディンからのクレームがあったとかなかったとかで、一回出ないことになったあと、1年くらい遅れてようやく発売されたんだけど。この、“発売中止”ってキーワードが、67年に出るはずだったのにお蔵入りしてしまった『SMiLE』を想起させて、90年代のビーチ・ボーイズ熱を盛り上げちゃった(笑)。その頃はまだまだ研究が進んでいなかったことも含めて、研究しがいのある音だったんだよね。ビートルズみたいにもうすでに研究されつくされているものとは違って、掘りがいがあった。それが96年から97年にかけてのことで。その頃はネットが盛り上がり始めた時代だったでしょ? なので、いろいろなファンがネットで研究成果の発表みたいなことを競うようにやり始めて、ちょっと盛り上がった時期だった。夢のような時期があったんだよね~(笑)。

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ビーチ・ボーイズの場合、あまり時代性みたいなものと繋がっていないんだよね。例えばニール・ヤングとか、あのときにもプロテストしていたし、いまもまだプロテストしているでしょ。でも、ビーチ・ボーイズはそういうのとは違って。当時もちょっと浮世離れしていたんですよね。ああいう時代のただ中にあって音楽を作っていたにもかかわらず、どこかそういう時代の空気感とは違うメッセージを放っていたのが『Pet Sounds』なんだよね。もし『SMiLE』があの時代に完成していたとしても同じようになっていたと思う。(萩原)


50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き
萩原 健太

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木津:僕の感覚からすると、インディ・ロックが一番先鋭的だったと言われている00年代後半のアニマル・コレクティヴやフリート・フォクシーズみたいなものがビーチ・ボーイズを引用しているのがなるほどなと思ったんです。あのコーラス・ワークはコミュニティ精神を喚起するもので、それが当時の保守的なアメリカに対抗するために必要だったのではないかと。僕が一番ビーチ・ボーイズを感じるのはグリズリー・ベアなんですけど。その60年代に起こったことというのをアメリカのインディ・ロック・ミュージシャンというのはものすごく振り返るじゃないですか。そこでなにが起こったのかということをすごく研究する。その感覚や重要性を日本に伝えるのがとても難しいんですけどね。
ただ、そこを理解するためにもいまビーチ・ボーイズの曲を聴くというのはなにか意味があるんじゃないかなと思っていて。『50年目の「スマイル」』を読ませていただいたんですけど、サマー・オブ・ラヴというのがひとつの起点になっているじゃないですか。僕もアメリカ文化が好きな人間なので67、8、9年に起こったことをいろんな映画で観てすごく憧れがあるんですけど、その憧憬というのが僕ら世代にはなくなっているからきっとビーチ・ボーイズが聴かれなくなっているんだろうなと分析をしているんですね。本の入り口でサマー・オブ・ラヴについて書かれていたんですが、萩原さんはサマー・オブ・ラヴというのをいまどういうふうに振り返ってらっしゃいますか?

萩原:いまふり返ると、あのムーヴメントは結果的に失敗に終わったものなわけじゃないですか。成果は上げられなかった。ある種の挫折を呼びこんだだけで。でも、あの時代、多くの若者がロックとかそういうカウンターカルチャーを旗印に革命が起こせるんじゃないかと信じていたわけでしょ? そういう“時代の熱”っていうのはあの時代にしかないものなんだよね。そのあとになると、「ああ、あれは失敗したよね」という思いがみんなの心のどこかに必ずあるから。音楽をやる人でも、他のジャンルのなにかを作る人でも「そういうことを信じていた時代があったのかもしれないけど、それは失敗しちゃったんでしょ。じゃ、砂漠に井戸を掘ってもしょうがないじゃん」っていう感じで。でも、当時は違った。あの時代だけは、ここからなにか生まれるはずだって心底信じてずっとその場で井戸を掘り続けていた。そういう圧倒的な熱気を内包した音楽が生まれていた時代だった。
それはそれで素晴らしいことだと思うんですよ。だって、もういまの人にはできないんだから。なにかをやみくもに信じているパワーというのは、67年から69年くらいまでの、あの数年間のロック音楽にしかない。これは反発を食らうこと覚悟で言うけど、僕はロックというのはあの時代に活動していたアーティストたちの音楽だけなんじゃないかって思ったりするのね。67~9年に音楽をしていた人の音楽だけをロックと呼べばいい、と。だから世代的にはもう死んじゃった人とか、死んじゃいそうな人ばかりなんだけど(笑)、それでもやっぱりジミヘンはロックだし、エリック・クラプトンだってロックだし、ポール・マッカートニーだってそうだし。そういう時代だったんじゃないかなあ。
ジャズもそんな感じあるでしょ。あの時代にジョン・コルトレーンとかがやっていたことを、結局その後の時代のミュージシャンがだれひとり超えられない。もちろん、今のミュージシャンなら、技術的にあのくらいのことはできちゃうと思う。みんな上手になってるし。ロックの人たちにしてもテクニカルな面ではそのくらいできるだろうし、再構築もできる。『Pet Sounds』だって、たぶん『SMiLE』ですら、いまの時代にその音像を再現することは昔と違ってわりと簡単にできるはず。ただ、信じている熱量の違いがあるんだよね。熱量の違いが音に表れちゃう。まあ、ブライアン・ウィルソンが2004年に『SMiLE』を再構築したのも、いまの時代ならではってことになるのかもしれないけれど、この場合はやっているのが本人だし、当時の思いと直結しているというか、あの時代にコネクトしている感覚があっただろうから、ちょっと例外だとして。そういう特例を除けば、いまは変に全員シニカルになっちゃってるから。
まあ、あの時代だけ変に浮き足立っていたんだろうね。で、その浮き足立ってしまったがゆえに失敗したってことをいまでは誰もが思い知ってる。でも、逆に言えばそれがいまとなってはもうできないことで。だからこそ、妙に魅力的に見えてしまうというか。そんな気がする時代ですよね。

木津:僕がアメリカ文化に憧れるのってやっぱり日本にないものが強烈にあるからだと思うんですよね。ただ、だからこそ日本にどうやってビーチ・ボーイズを伝えるかってすごく難しいことだと思うんですけど、ひとつ取っ掛かりを考えると、本の入り口にトランプ政権について書かれていましたよね。そのトランプ政権というものを考えたときに、さきほど仰っていた68、9年に起こったことはいまの時代に有効だと思いますか?

萩原:うーん、そうだな。またあの時代の時点に立ち返って「やっぱりおかしいことはおかしいんじゃねえの?」って言ったとして、どうなんだろうとは思うけど。それに、ビーチ・ボーイズの場合、あまり時代性みたいなものと繋がっていないんだよね。例えばニール・ヤングとか、あのときにもプロテストしていたし、いまもまだプロテストしているでしょ。すごいじゃないですか。でも、ビーチ・ボーイズはそういうのとは違って。当時もちょっと浮世離れしていたんですよね。ああいう時代のただ中にあって音楽を作っていたにもかかわらず、どこかそういう時代の空気感とは違うメッセージを放っていたのが『Pet Sounds』なんだよね。もし『SMiLE』があの時代に完成していたとしても同じようになっていたと思う。
そういう意味ではトランプ政権がどうであれ、そことビーチ・ボーイズはやっぱり関係ない気がするんですけどね。グループだということもあって、ちょっとそこらへんは微妙で。メンバーのなかにはマイク・ラヴというバリバリの共和党員もいて、そういうこともあってか、ブライアンはあんまり政治的な表明をしてないし。でも、それも含めて『Pet Sounds』や『SMiLE』のあり様かなという気はするんで。逆に言うとオバマのときだと目立たなかったんだけど、こういう時代になると、むしろそののほほんとした感じがいちだんと目立つのかな(笑)。それは70年代に入ってすぐに出た『Sunflower』というアルバムを聴いたときにも感じたんだよね。これは本にも書いたけどエドウィン・スターが「黒い戦争」を歌っていたり、CSN&Yが「オハイオ」を歌っていたりする時代の空気感のなかで、ビーチ・ボーイズは「あなたの人生に音楽を」みたいなことを歌っていたわけで。その「なに、ほのぼのしたこと歌ってるんだよ」という感じが情けなくもあり、でも、実はそうであるからこそ表現できるなにかがあったりして。うまく伝えにくいんだけど。

木津:まあ両方あるのが魅力ってことですよね。

萩原:一周巡ってこの時期にそういうことを歌う、逆に言うとアナーキーな感じというのを楽しめるかどうかみたいな。ちょっと上級ネタになっちゃうんだけどね。そこはなかなか人を説得できないところなんだよね(笑)。

木津:僕もビーチ・ボーイズに関しては基本的なことしかわかっていなかったので、すごく丁寧に解説していただいて勉強になりました。で、すごくなるほどと思ったのが、『SMiLE』のことを「67年にアメリカ建国を振り返ったアルバム」というふうに書かれていて。そうすることによって当時の浮足立ったアメリカになにか大切なものを追い出させようとした切実かつ美しい問いかけだと表現されていて、すごく腑に落ちたし、感動したんですよね。

萩原:そう思ってもらえてよかった。

木津:アメリカのミュージシャンってすごく自分のルーツを振り返るじゃないですか。どこから来たのかとか……。

萩原:意識的な人は振り返るんですけどね。そうじゃない人はわりとブレブレになっちゃっていると思うから。

木津:そういう意味で言うとヴァン・ダイク(・パークス)とブライアンに関しては当時からそこに意識的だったのでしょうか。

萩原:とくにヴァン・ダイクはね。そこらへんは彼がリードしたことだろうなと思うんだけど。ただそれを触発したのはブライアンだと思うのね。彼はなにか言葉で言うんじゃないんだけど、音でそれを弾いたときにヴァン・ダイクが「これはアメリカの建国に遡っていいんじゃないか」と感じたと思うし。たとえば「ネイティヴ・アメリカンの侵略の歴史みたいなことなんだな」とか、ヴァン・ダイクはブライアンが無意識に弾いたメロディーのなかから感じたんだと思う。あのふたりならではのものなんだろうなという気はします。

木津:それはブライアンにしてもヴァン・ダイクにしても、彼らの個によるものなのか、もっと時代的なものなのか、あるいはアメリカ文化というものが負っているなにかなんでしょうか?

萩原:うーん、難しいところですね。でも僕はやっぱり特異な存在としてふたりがいたんだと思うんですよ。どちらも決して単独でいたらそんなにポピュラーな存在になれる人じゃない気はするんですけどね。でも、ブライアンにはたまたま仲間がいた。マイク・ラヴとかそういう連中がいて、西海岸の若者像みたいなものを体現する仲間がいて、そのなかでちょっと変わった才能を発揮していた存在がブライアンだったんじゃないかなと。ヴァン・ダイクのほうは絶対にひとりでは無理じゃない? 現在までずっと無理なんだから(笑)。そういう人たちだったんじゃないかなあ。だからアメリカ文化を代表しているとは言えない。ただアメリカのなかにああいう人たちはかならずいる。で、そういう人がやっていることがじつはおもしろい。我々はそういうものに常に触発されながらアメリカの音楽を聴き続けてきたところもあって。ボン・ジョヴィがいて、でも同じ頃にハイ・ラマズみたいなものも出てきたりして。その両方あることがアメリカ音楽の魅力だったりするでしょ? ビーチ・ボーイズというのはひとつのグループのなかにそこらへんを両方抱えこんでいたのではないかな、というのが僕の感じ方なんですね。本ではそのふたつの要素をマイクとブライアンに代表させちゃっているけど。アメリカの音楽趣味というのは常にその両方が存在するんだけど、ひとつのバンドのなかにその両方があるというのはなかなかないことじゃないかなと思っていますけどね。

木津:僕はこのお話が出たときに強烈に思い出したのが、2002年にウィルコが出した『Yankee Hotel Foxtrot』ってアルバムで。僕はあのアルバムがすごく好きであれ以降重要な流れを生み出したなと思っているんですけど、あれはカントリーや戦前のフォークを引っ張りだしながら音をモダンなものにしてアメリカの失意みたいなものが描かれているんですよね。彼らは自分たちがどこから来たのかということをすごく意識してやっていると思うんですけど、僕はそこにすごくアメリカ文化的なものを感じるんですね。

萩原:でもウィルコって、ウィルコ全体でブライアンっぽいじゃないですか。

木津:たしかに。

萩原:もともとはアンクル・テュペロというバンドがあって、そこからウィルコとサン・ヴォルトというふたつのバンドに分かれていったわけだけど。どっちもブライアンっぽいんだよね! でも、普通はそうだと思う。『Yankee Hotel Foxtrot』でウィルコは音響派みたいなところへ接近してみせたわけだけれど、正反対の要素を取り入れたと言うよりは、ジェフ・トゥイーディのシンガー・ソングライター的な素養をもっと際立たせるものとしてそっちに寄っていった感じはする。これは僕の個人的な見解で、読み取り方はいろいろだと思うんだけど。それに対して、ビーチ・ボーイズの場合はあり得ないけど馬鹿ポップなものとすごく悲しいものが一緒にいるみたいな奇跡というか。突き抜けちゃう「どポップ」な部分とものすごくダウナーな文化みたいなものが非常に美しく融和している。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでも「どポップ」な部分がちょっと足りない。いい曲も多いしポップな曲も多いんだけど、それだけで成立しないというかさ。そういう意味ではエルヴィス・プレスリーもすごいかな。あの人はひとりのなかに万人受けするなにかカリスマ的なポップな部分と、ものすごいダメで『ツイン・ピークス』的なアメリカの病巣みたいなものを両方抱えこんでいる人なんだよね。普通は『ツイン・ピークス』的なものを出しちゃう人ってそっちだけになっちゃいがちじゃない。

木津:仰っていることは非常によくわかります。

萩原:だからビーチ・ボーイズは非常に特異なバンドで、『Pet Sounds』はまだポップな面があるんだけど、そうはいってもずいぶんとブライアン寄りに出来上がってきちゃったものなので、レコード会社がすごく不安に思ったというのはそこの部分だと思うのね。あれはあれでそこに特化した非常に美しい世界を作り上げていて、いま聴けばどこにも文句をつけようがないんだけど。ただ“California Girls”で歌われている「全米中の女の子がカリフォルニアの女の子になればいいのに」という歌詞と、『SMiLE』に収められるはずだった“Cabinessence”の「何度も何度もカラスの鳴き声がトウモロコシ畑をむき出しにする」って歌詞を比較しちゃうと「あれ?」ってことになるのはわからなくはないなと。いまから思えばその表現はありなんだけど。それは、たぶんいまだからなんだよね。あの頃だったら、ウィルコだってデビューできていないよね。ビーチ・ボーイズは、なんとなく昔ながらのショウビズの美学のなかで活動しながら、あんな地点にまで至っちゃったっていうのがおもしろいと感じますけどね。

木津:いまの話ってすごく60年代っぽい話だなと思うんですよね。『Pet Sounds』みたいなものって時代と交錯するダイナミズムみたいなものがあると思うんですけど、それ以前のビーチ・ボーイズというのもいまでもしっかり評価されているということですよね。

萩原:そう。大好きなの。初期のビーチ・ボーイズがあるからこその『Pet Sounds』だし『SMiLE』だし、やっぱり初期がいいんですよ。ただその初期の陽気な魅力のなかに「ブライアンってなんでこんな暗いの?」というのが浮かび上がってくる曲があったり、明るいサウンドに乗せてはいるんだけれども、イノセンスなものを失ってしまうことに対するものすごく悲痛な気持ちみたいなものが隠されていたりして、それがそのまま『Pet Sounds』から『SMiLE』に繋がってくる。その感じが長く付き合っていると見えてきてね。楽しいですね。なんかそれがいいんですよ。「14、15、16、17」って年齢をコーラスしながら進行する「When I Glow Up (To Be A Man)」(自分が大人になっていく)という曲があって、それなんかもただの数え歌っちゃ数え歌なんだけど、歳を重ねていってしまうことへのある種の不安みたいなものが漂っている。同じような曲がその前の時代にもいくつもあって。そういう曲たちがあったうえでの『Pet Sounds』。B面の一番最後に「君の長い髪はどこに行ってしまったの?」って歌うブライアンが出てくるわけじゃないですか。それで「キャロライン、ノー」と。「ノー」って言われたときにさ、もうバーッと来るじゃないですか! 目の幅で涙でちゃうぜ、みたいな(笑)。その感じというのがひとりのアーティストの線のなかにちゃんとある。本人たちはあんまり意識していないと思うんだけど、それでもデビューしてからたった5年くらいのあいだにそこまで来ちゃっているビーチ・ボーイズの表現の深まりというか。それでその次にあるはずだった『SMiLE』って考えると、ね。なーんか楽しいじゃないですか(笑)。

木津:やっぱり僕らの世代だと「『Pet Sounds』のビーチ・ボーイズ」であり「『SMiLE』を完成できなかったブライアン・ウィルソン」というイメージが強いから、天才の狂気なり闇みたいなものというイメージが刷りこまれているんですよね。だからそれ以前のほうがあんまり脚光が当たらないというか。

萩原:でも、昔は逆だったんだよ。みんな、とりあえずビーチ・ボーイズのこと知ってることは知ってて。でも、知っているのはせいぜい“Surfin' USA”くらいで。「ビーチ・ボーイズ大好きなんですよ」と言うと「ああ、“Surfin' USA”のね」って言われるわけですよ。それに対して山下達郎さんとか僕がいつも答えていたのは、「いや、ビーチ・ボーイズは“Surfin' USA”だけじゃない。『Pet Sounds』というすごいアルバムがあるんだ」と。そうずっと言い続けてきて。それで90年代になって、ようやくビーチ・ボーイズといえば『Pet Sounds』って時代になったんだよね。でも、今度は誰もが『Pet Sounds』のことばっかりになっちゃったもんだから、90年代以降、僕らは今度「いや、ビーチ・ボーイズは『Pet Sounds』だけじゃないんだ、“Surfin' USA”もすごいんだ」って言わなきゃいけなくなったりして(笑)。そんな逆転劇があった。ややこしいんですよね。

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実はバランスがとれたポップ・ミュージックとしてのビーチ・ボーイズというと、やっぱり66年の『Pet Sounds』の前までというか。スタジオ・アルバムで言うと64年の『All Summer Long』が一番の完成形として美しくまとまっている気がする。山下達郎さんもビーチ・ボーイズを聴きたいという人がいたらまず最初に『All Summer Long』をすすめるそうだし。あのアルバムこそがある意味でビーチ・ボーイズの到達点だと。そのあと『Pet Sounds』にいたるまでに何枚かあるんだけど、そこらへんにはだいぶ『Pet Sounds』的なニュアンスが芽生えてくるんだよね。それはそれで兆しとしてはとてもおもしろいんだけど、ある意味バランスが崩れていく過程だったというか。(萩原)


50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き
萩原 健太

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木津:2015年に日本で公開された映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』、字幕を監修されたということですが、どういうふうにご覧になられました? あれも言わば、天才ブライアン・ウィルソンの闇に焦点を当てるものですよね。

萩原:実は『Pet Sounds』こそブライアンだ、と思っているのは、思いのほか日本とイギリスだけだったりするんだよね。アメリカの人っていまだに「ブライアン・ウィルソンって誰?」と言うから。ニューヨークでブライアンのサイン会があったとき、順番待ちの列に並んでいたんだけど。『That Lucky Old Sun』が出たとき。その列を見て、通りすがりのおばちゃんが「これはなんの列?」って聞くから「ブライアン・ウィルソンのサイン会だ」と言ったんだけど、全然ピンと来てなくて。仕方なく「ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン」とビーチ・ボーイズの名前を出してはじめて「ああ」って。一般にはそれくらいの認知度なんだよね。テレビ中継とか見ていても、例えばボストンみたいな、すこし知的レベルが高いのかなって地域にマイク・ラヴが率いる現在のビーチ・ボーイズが行くと、地元のおばちゃんたちが「ギャーッ!!」って喜んでいるわけ。

木津:それはアメリカっぽい話ですね(笑)。

萩原:この本にも書いたけど、カーネギー・ホールでブライアンが『SMiLE』の全曲演奏ライヴをやって。これなんか、ある意味東海岸の知的な音楽ファンが楽しむライヴなわけですよ。カーネギーだし。しかもそのアルバムは〈Nonesuch Records〉から出ているわけだし。もちろん『SMiLE』のパートでも圧倒的なアプローズがあったんだけど、実は一番盛り上がったのはアンコールで“Fun, Fun, Fun”や“Surfin' U.S.A.”をやったときなんだよね(笑)。やっぱりアメリカはいまひとつわかってないのかも。だから、あの映画の意味はそこにあるんですよ。以前、ドン・ウォズが監督した『ダメな僕(Brian Wilson: I Just Wasn't Made for These Times)』って映画もブライアン・ウィルソンの苦悩みたいなものを描いたもので、日本やイギリスのファンはそれを観てなにをいまさらそんな話をやってんだって思ったんだけど、アメリカの人はそんな話なにひとつ知らなかったって言うわけ。そのときと同じ。『ラヴ&マーシー』のときもそんな話知らなかったって。ブライアンはそんなに悩んでいたんだって。その程度なの。アメリカではブライアンはいまだにかわいそうなんだよ(笑)。でも、マイク・ラヴが率いているもう一方のビーチ・ボーイズは別にそれはそれでOKな人たちだったりするので、そこがまた複雑なんだよね。だからあのへんの映画の存在価値というのはアメリカでこそ大きい。もちろんポール・ダノによる若き日のブライアンの演じかたは本当に素晴らしかったから、そこについては日本でも意味があったはず。やっぱりみんな忘れかけていたところもあるしね。

木津:日本ではどのあたりまで『Surfin' U.S.A』のイメージってあったんでしょうか?

萩原:80年代まではまだそんな感じだったよね。でも、実はバランスがとれたポップ・ミュージックとしてのビーチ・ボーイズというと、やっぱり66年の『Pet Sounds』の前までというか。スタジオ・アルバムで言うと64年の『All Summer Long』が一番の完成形として美しくまとまっている気がする。山下達郎さんもビーチ・ボーイズを聴きたいという人がいたらまず最初に『All Summer Long』をすすめるそうだし。あのアルバムこそがある意味でビーチ・ボーイズの到達点だと。そのあと『Pet Sounds』にいたるまでに何枚かあるんだけど、そこらへんにはだいぶ『Pet Sounds』的なニュアンスが芽生えてくるんだよね。それはそれで兆しとしてはとてもおもしろいんだけど、ある意味バランスが崩れていく過程だったというか。

木津:なるほど。それはすごくいいお話ですね。僕らの世代だと絶対に『Pet Sounds』から入りがちですもんね。

萩原:『Pet Sounds』って、ブライアン以外のビーチ・ボーイズのメンバーはヴォーカルとコーラスしかやっていない。演奏しているのはレッキング・クルーだしね。そういう外部ミュージシャンも含めてその全体をビーチ・ボーイズと呼ぶのであれば『Pet Sounds』をビーチ・ボーイズのアルバムと言ってもいいんだけど。もちろんその前のアルバムでもハル・ブレインがドラムを叩いていたり、グレン・キャンベルがギターを率いていたり、外部ミュージシャンがビーチ・ボーイズのメンバーの代役をつとめていたりするけど、そのへんはあくまでもロックンロール・バンドとしてのサウンドを追求していた頃だから。ある意味バンドとしてのビーチ・ボーイズの形だった。でも、より大きなオーケストレーションのもとでブライアン・ウィルソンが一気に持てる才能を花開かせた最初の1枚というのは、やっぱり『Pet Sounds』だったりして。ほんとにややこしいですよね。

木津:前期と後期の違いというのはすごく60年代的というか、ビートルズとかもそうなんですけど、ビートルズの60年代前半後半でまったく別物というのはいまの時代には生まれにくいものだなとは思います。

萩原:でもそうすると後半のほうがわかりやすいんだよね。ビートルズも後半のほうがある方向に振れているし、ビーチ・ボーイズも振れているってことだよね。最初の頃は両極の幅広い魅力がもうちょっと一緒くたに存在していたんじゃないかな。どっちがいい悪いじゃないですけどね。ビートルズからなにかを得たという人でも、初期みたいなことをずっと追求している人もいれば、『Revolver』みたいなことをずっと追求している人もいるし。

木津:僕は例えばグリズリー・ベアとかにもビーチ・ボーイズを感じるんですけど、でもたしかに60年代前半のビーチ・ボーイズはないといえばないかなという感じはしますね。

萩原:いまの時代に60年代前半のビーチ・ボーイズっぽいことをやる意味があるのか、ということをもしかしたら若いミュージシャンは自分に問いかけて、やっぱりこれじゃあなあと思っているのかもしれない。残念だけどね。それにしてもさ、表現によって別のペルソナを用意する人は多いけど、ビーチ・ボーイズはねえ。だってビーチ・ボーイズだよ。ビーチのボーイズ。ビーチ・ボーイズって名前で、なにやったってダメじゃん(笑)。
『Pet Sounds』をブライアンがソロ名義で出そうとしていたみたい話もあるんだけど、それは結局うまくいかなかった。“Caroline, No”のシングルだけはブライアン名義で出たんだけど、それだってやっぱりビーチ・ボーイズなんだよね。当時、まだできてもいなかった『SMiLE』のラジオ・コマーシャルが作られていて、「The Beach Boys. 『SMiLE』」と言うと“Good Vibrations”が鳴るっていうやつなんだけど、これも冷静になってみるとビーチ・ボーイズじゃ説得力ないというか(笑)。そこは別の名前を用意できるなら、したかったと思うよね。

木津:ブライアンは当時それをビーチ・ボーイズじゃないと思っていたということなんですかね?

萩原:本当はソロ名義にしたかったんじゃないかとか、そのほうが幸せだったんじゃないかとか、僕はいまでもあれこれ思うんだけど。でも例えば『SMiLE』の制作を中止したことに対してブライアンが言った「あの音楽はわれわれにとって不適切だと思った」という言葉の“われわれ”は決してブライアンとヴァン・ダイクのことではなくて、ビーチ・ボーイズのことなんだよね。だから彼はあくまでもビーチ・ボーイズとして音楽を作らなくちゃって思っていたんじゃないかな。

木津:『Pet Sounds』もビーチ・ボーイズという名前で出したから歴史に残っているところがあって、それはふり返るとそう思いますね。

萩原:『ラブ&マーシー』を観ると、そのなかのひとつのシーンでブライアンがマイクに怒られているじゃない? 「メンバーの誰も演奏してねえじゃねえか」って。ああいうことだよね。僕も子どもの頃、例えばビートルズの“Yesterday”を聴いたとき、「あれ? ドラム入ってないけど、リンゴはなにしているんだろう。チェロでも弾いているのかな」って思ったもんね。バンドの音楽はバンドのメンバーだけで演奏しているものだと思っていたからね。そういう意味で60年代ってまだバンドっていうものの考えかたが狭かった時代でもある。いま思うとそんなもん誰が演奏してもいいじゃないかって当たり前に思えるけど、当時は状況がだいぶ違ったと思う。ビーチ・ボーイズ名義で出すレコードなのに、ブライアンが全部違うミュージシャンを招集して大編成で演奏させて、ステージでできねえじゃねえかって音を作っちゃったわけだけれど、そんなこと当時はあっちゃならないことだったんじゃないかな。ほかのメンバーがツアーに出て“Good Vibrations”を初めてライヴで演奏するってとき、ブライアンはツアーなんか大嫌いだったのにわざわざ飛行機に乗って公演を観にいっているんだよね。心配で。スタジオで作り上げた理想の音をライヴで出せてなかったら、むしろそれはやらないでほしいくらいの気持ちがあったわけでしょ。そういうのってもうバンドじゃないよね。

木津:それはもう共同体としてのバンドっていうものにすごくこだわりがあったということなんですかね。

萩原:メンバーが兄弟と従兄弟だからねえ。やっぱり家族なんだよ。家族でやっていることだから解散もできない。赤の他人どうしだったら全然別の道があったんだろうけど。まだまだ親父の横暴も残っていただろうし。ヒッピー・ムーヴメントが起こって、従来あった既成の家みたいなコンセプトを打ち破って新しいコミューンを作ろうとしている時代のなかにあっても、やっぱりウィルソン家は親に対してあれだけ排除しようとしていても家は家で繋がっていた。そういう環境のもとで活動していたんだよね。そこの足かせもかなりあったなかでいろんな葛藤がブライアンにはあったのかな。

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ビーチ・ボーイズは、なんとなく昔ながらのショウビズの美学のなかで活動しながら、あんな地点にまで至っちゃったっていうのがおもしろいと感じますけどね。
(萩原)


50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き
萩原 健太

Amazon Tower HMV

木津:さっき僕らの世代だったら『Pet Sounds』が中心になってという聴きかたが多いという話をしたんですけど、萩原さんの世代でいまもビーチ・ボーイズを聴くかただとまだ『Surfin' U.S.A.』のイメージなのか、それとも『SMiLE』に思い入れをもって聴かれているかたが多いのか、どうなんでしょう?

萩原:ずっと聴いている人なら『Pet Sounds』、『SMiLE』、『Sunflower』あたりのビーチ・ボーイズはかなり上にいると思うんだよね。ずっと聴いている人はね。でも昔聴いていましたくらいの人はあいかわらず『Surfin' U.S.A.』なんじゃないかなあ。まあそれでいいのかなとも思うし。ただずっと聴いている人が案外すくないよね。

木津:そうですね。僕がすごく印象的だったのが、ライヴに行かれたときに近くにいた人が「懐メロじゃねえか」と言ったことに心のなかで反論したというところで、これは懐メロをギリギリのところで回避する永遠のティーン・エイジ・ドリームなんだ、と書かれていてなるほどと思ったのですが、その反論の部分を存分に聞かせていただきたいなと思います。これはひとつ個人的な話なんですけど、母親とサイモン&ガーファンクルのライヴに行ったときに、よかったんですけど僕は懐メロだなと思っちゃったんですね。音楽もいいし、テーマもいいと思ったんですけど。

萩原:79年にビーチ・ボーイズが「JAPAN JAM」のために来日したときの話ね。僕は懐メロとは違うと思ったんだよね。でもそう言われてもしょうがないなと思ったステージでもあったの。当時のビーチ・ボーイズにはそこが限界だったと思う。でもその後、2012年に結成50周年で来日したときは違った。ブライアンのバンドを基本にして、そこにビーチ・ボーイズのほかのメンバーが入って行なわれたステージで。これは確実に懐メロじゃなかった。やってる音楽は同じなんだけどね。結局、どうやるかにもよるんだよね。
あと、リスナー側が若いとだいたい古い音楽は懐メロに聴こえるよね(笑)。僕もたぶんサイモン&ガーファンクルの同じ来日公演を観にいっていると思うんだけど、僕は懐メロとは受け止めなかった。エヴァー・グリーンなもの、時代を超えたものだと思った。こっちが歳を取らないとわからないこともたくさんあるしね。ほら、“Old Friends”という曲が『Bookends』にあるでしょ。年老いた旧友ふたりがベンチに座っていて、それがブックエンドのように見えるという歌詞ですよね。彼らが若いときに歌った表現もそれはそれでよかったんだけど、まったく同じことを本当に歳をとっちゃったふたりがあそこで歌ったときに、その曲がようやく時代に対してリアルに意味のある表現になったと感じたの。こっちも一緒に歳をとったからというのもあるんだけど、その歳月の果てにあの曲がようやく意味をもったという瞬間だった気がする。それは懐メロとは言えない。古い曲ではあるけれども、いまも生きているすごい曲だなと思いました。
それはブライアンやビーチ・ボーイズに関してもそうで、ブライアンがいまの自分のバンドを手に入れてからということにすごく意味がある気がする。彼ら、ブライアンの今のバンドのメンバーがブライアンの昔の音楽をいまに意味のあるものに作り変えていく。まったく同じアーカイヴを聴かせているだけなんだけど、ちゃんといまの表現としてできるやつらが集まった。それを知り抜いている人たちがバンドをやっている。これがけっこう重要な気がしていて、今回『SMiLE』を作れたのもあのバンドがいたからだと思う。たしかに、本当に古い音楽を古いまんまいまやってもダメじゃん、みたいなことは多い。ビルボード・ライヴに行くとそんなライヴばっかりだったりもするんだけど。だけどたまにあるんだよね。古いとか新しいとか関係なくいまの表現にできているライヴが。ウマいかヘタかにもよるよね。ブライアンのバンドはめちゃくちゃウマいんだよ(笑)。でもただウマいだけだとダメで、やっぱり昔の楽曲をよく知ってリスペクトしているやつらがやると今の音になるんだよね。

木津:仰っていることはわかります。曲が時間の流れとともに、リスナーの関係性も含めて変化するということはありますもんね。

萩原:いい曲っていつの時代でも演じる人によって生きるんだなという気持ちになるのね。そういうふうに聴ける自分がリスナーとしての歳月を積み重ねているというのもあるんですよ。だから僕はジョー・トーマスが諸事情で来られなかったあの99年の日本公演を誇りに思っているわけ。ジョー・トーマスがいたらこんなことにならなかったと思う。いないから、それまではステージ後方でコーラス要員みたいな感じだったワンダーミンツのダリアン・サハナジャが前に出てきて、ブライアンのとなりでやるようになった。それがブライアンにも火をつけたと思うんだよね。そうならずに相変わらずジョー・トーマスが仕切っていたら『SMiLE』はできなかったと思う。だからあの本にも書いたけど、ブライアンがソロで日本に初めて来た初日の大阪公演で大きく変わった気がするんだよね。

木津:そういうお話を聞くと、30年以上の時を経たからこその『SMiLE』の価値というのがあるんでしょうね。

萩原:そこはファンの贔屓目みたいなところもかなりあると思う。僕がビーチ・ボーイズについて言うことは信じないほうがいいってよく言うんだけど(笑)。ほら、僕はもうビーチ・ボーイズに関しては頭おかしいから。なんだけどそういう前提で言わせてもらうと、37年あってよかった。こっちがついて行けるというか、ようやくわかったという感謝の気持ちがありますね。

木津:本を読んでいて、やっぱりファンがそういうふうに30年以上の年月のなかで想像を働かしていくことも含めての作品だったのかなと思ったんですよね。

萩原:そう。いまはそういうのがなかなかないじゃない。あの頃はテープだったから残っているんだけど、いまはハードディスクなので基本的には全部上書きしていっちゃうし、直しちゃうんだよね。ああいうかたちで素材が残ることってこれからはないような気がするんだよね。

木津:唯一カニエ・ウェストが去年出した『The Life of Pablo』みたいに途中でどんどん出していくみたいなことはあるにはありますけど。でも『SMiLE』みたいな例はたしかに本当にないもので、それってファンと双方向のなにかがあったのかなと感じますね。

萩原:たまたまその未発表音源流出のシーンというのが大きな役割を果たしているので、そこの盛り上がりというのはたしかにあったと思う。誰が流出させたのかは知らないけど。ただそういうふうな思いというのはずっと聴いてきた僕みたいなマニアしか持っていないものなのかな。それは本を書いてみてよくわかりました。

木津:僕が今日一番お聞きしたかったのはいまなぜビーチ・ボーイズを聴くかってポイントについてで。00年代後半にビーチ・ボーイズに影響を受けたバンドがいっぱい出てきたというのをお話しましたけど、もうひとつは去年ザ・ナショナルがグレイトフル・デッドのトリビュート・アルバムを出したじゃないですか。あれはすごくわかるんですよ。いま60年代後半に起こったことを再考するというのがすごく重要な意味を持っているんだろうなという。とくにザ・ナショナルみたいにリベラルなバンドが西海岸で起こったことをいまの時代でもう一度やるというのはとても重要だと思うんですけど、そういう意味で言うといまビーチ・ボーイズを振り返ることや、アメリカ建国を振り返って描こうとした『SMiLE』というアルバムをあらためて考えるということはどういうポイントで再評価できるのでしょうか?

萩原:同じだと思う。あのときは出なかったのでそのときに実際どういう意味をもったのかはわからないままなんだけど、あのときだろうが、いまだろうが、要するに「アメリカ建国のときに自分たちがなにをしたか見つめ直してみろ」ってことなんだよね。(“英雄と悪漢 Heroes and Villains”の)「Just see what you've done.」という言葉はトランプにそのまんまぶつけられる言葉でしょ? お前はネイティヴ・アメリカンを駆逐しておいてなにさまのつもりだよって。オバマがせっかく止めていたのに、ネイティヴ・アメリカンの聖地を破壊する石油パイプライン建設を強権的に承認したりして、なにさまだっていうことだから。

木津:なるほど。最後にひとつだけお聞きしたいんですけど、僕たちがいま『SMiLE』を聴くとなるとネットのストリーミング一発で聴けるわけじゃないですか。本を読ませていただいて一番いいなと思ったのは37年間かけて『SMiLE』がすこしずつわかってくるという過程で、ブライアン本人は辛かっただろうし、ファンにとっても辛いことだったのかもしれないですけど、僕にとってはすごく羨ましい体験だと思ったんですね。そういう意味ですぐ『SMiLE』を聴けてしまうような僕ら世代にいまどういう部分を聴いてほしいですか?

萩原:これは本当は本に書かなきゃいけなかったのかもしれなくて、いまさらここでだけ話したら怒られちゃうのかもしれないけど、やっぱりできあがったのはブライアン・ウィルソンの『SMiLE』なわけでしょ。それが2004年の『SMiLE』で。ビーチ・ボーイズ版も2011年に出たんだけど、これも結局はブライアン版にのっとって再構築された仮の姿というか。で、そのビーチ・ボーイズ版が収められた『The Smile Sessions』という5枚組が出ているんだけど、やっぱりこれ全部で『SMiLE』なんだよ。もし『SMiLE』に興味をもってどんなものなんだろうなと思ったら、完成形としての『SMiLE』は1枚ついているけど、その素材が他のCD4枚にわたってバーっと入っているので、これを全部浴びてみてもらいたい。こんな録り散らかしたクリエイティヴィティの発露のしかたみたいなものはいまの時代にできるのかな、というのをいまの世代に聴いてもらえると嬉しいですね。そんなことできないし、そんな馬鹿なことしないって発想してくれてもいいから。ただなんでそんな素材を用意しなければいけなかったのかということも含めて、浴びてみてもらえると嬉しい。値段は高いけどきっと買う価値はあると思う。

木津:そんなものがほかにあるかと言ったらないですもんね。

萩原:3、4時間あれば全部聴けるんだから試してみてもらえると嬉しいかなあ。1枚に組み上がったちゃんとした流れのあるものを『SMiLE』だと思わないで、ほかの素材まで全部含めて『SMiLE』なので、そのへんを追体験してもらえると嬉しい。それを30年間にわたってちょっとずつ聴いてきた人たちがいたんだから(笑)。

木津:はい(笑)。僕もそんな内容の本になっていると思います。

萩原:曲解説みたいにしてバーっと書いてあるところもあるんだけど、そこもさらにおもしろく読んでもらえるんじゃないかなと思っていますね。

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