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2023年にリリースされたJPEGMAFIAとの共作『Scaring The Hoes』でのぶっ飛んだ活躍も記憶に新しい我らのダニー・ブラウンが、最新作『Quaranta』をリリースした。
2012年の出世作『XXX』の衝撃──特徴的な甲高い声、露悪的だがユーモアに溢れるリリック、ヒップホップ然としたブレイクビーツからエレクトリックでアヴァンギャルドなビートまで乗りこなす変幻自在のフロウの渾然一体を耳にして、得体の知れないヤバいブツが現れちまった! と直感したときのあの興奮——から約十年、唯一無二のラップのスタイルやヴィジュアル、そしてそのキャラクターによって、彼はヒップホップのオルタナティヴな可能性を拡張し続けてきた。しかも彼のスタイルがスゴいのは、アヴァンギャルドであると同時にポップさを持ち合わせていることだ。
ラッパーにとって、キャラクターは非常に重要な要素なのは言うまでもない。いくらリリックが良くて、ライムやフロウのスキルがあっても、キャラクターが薄ければこの世界で生き延びていくことは難しいだろう。
〈Warp Records〉が一員に迎え入れるほどのジャンルを越境するようなエッジの効いたビートを自身のカラーとしてしまう音楽的な選球眼を持ちながらも、それを乗りこなす彼のユーモアを伴うキャラクターによって、彼というラッパーと彼の音楽は、一層目立った存在感を放ってきた。
しかしこの最新作を前に、当たり前だが彼もひとりの生身の人間であり、わたしたちと同じように様々な悩みを抱える存在であることを目の当たりにするだろう。セカンド・アルバム『XXX』は遅咲きの彼が30歳のときにリリースされたが、『Quaranta』は40歳を迎えた彼なりのブルースにも聞こえる。感情を失ったような声色で、ストレートな吐露を聞かせる脆い場面さえあるのだから。だがラッパーという存在は、それすらもキャラクターの一部として受け入れられる宿命なのかもしれない。
そんな今作における表現を、彼はどのように捉えているのだろうか。彼自身の言葉を聞いてみよう。
人びとは相変わらずラップを「若者のゲーム」として眺め、老けるとラッパーは続けていくことができないだろう、みたいに考えているとも思っていて。だから俺は、その新境地を開拓しようとしているし、「歳を取ってもやれるんだよ」と示そうとしている。
■誤解を恐れずに言えば、あなたのアルバムを聴いてこんな気持ちになることがあるとは思いませんでした。前半の6曲と後半の5曲でまるで別の顔を持ったアルバムだと感じました。前半はこれまでのあなたの作品群と同様、多種多様なトピックとサウンド、ユーモアや怒りを含め多種多様なフィーリングが封じ込められた楽曲群が並んでいます。一方で後半の流れは、等身大のあなたのリアルなストーリーが描かれていて、あなたの傷心、ドラッグやアルコールへの逃避とその虚しさの表現に、共感する人間も少なくないと思います。私も個人的に、今後長い間繰り返し聴き返す作品になりそうです。曲作りには数年間かけていると思いますが、どのようにしてこのようなアルバムの流れができ上がっていったのでしょうか?
ダニー・ブラウン(以下DB):正直、俺のアルバムのほとんどはそういうふうに構築されてきたと思うけどね。いつだって「ハイ」があり、そして「カムダウン」が待ち構えている。それはきっと、ずっとテープを聴いてきたせいだろうな、テープにはA面/B面があるから。だからその側面、そういった構成を自分のアルバムにつねに含めようとしてきた、というか。そうだね、ずっとそれをやろうとしてきたように思う。あるいはスローにはじまってアップテンポで終わる、だとか。そうは言いつつ、『Atrocity Exhibition』(2016)はそのルールからちょっと外れたんだけど、このアルバム(『Quaranta』)は『XXX』(2011)を再訪しようとする内容だからね。『XXX』も、前半はある意味ハイなノリで、後半はもっとカムダウンっぽい、そういう構成だった。だからまあ、1枚のコインの表と裏のどっちも見せるということ。ドラッグ/アルコールの濫用などなどについて取り上げる際に、それを美化したり、面白おかしい楽しさを描くこともできるわけだけど、そこには別の面があることもちゃんと語る必要があると思う。絶対にアップなノリ一辺倒にしないように心がけてきたし、ストーリーにはいつだってふたつの側面があるものだから。
通訳:人間は誰しも複雑な生き物ですしね。このアルバムで、あなたはご自身の異なる面を表現していると思います。
DB:(うなずいている)
■前作『uknowhatimsayin¿』(2019)においては「プロデューサーのQティップの作品で、自分はそれに出演している俳優のようだ」とのコメントもされていましたが、今作は再び自分自身でアルバムの全体像を描いたのでしょうか。もちろんこれは、Qティップのショウ/パーティであなたが踊っていた、という意味ではないんですが、今回はもっと「自作自演、自分で監督も担当」というフィーリング?
DB:うん、そうだね。っていうか、この作品は何よりも「小説」に近いんじゃないかと思う。それこそ回想録を書いている、みたいな? だから映画で役者を演じる、そういう視点から出てきた類いの作品ではないし、もっとこう、ジャーナル(日記/日誌)にすら近い。たまに自分の思いをあれこれ書き綴ってみたりもするわけで、そうやって外ではなく自分の内面に目を向けている、もっと内省的な面が多い作品だ。
通訳:それはやはり、COVID~ロックダウンの影響だったのでしょうか?
DB:そう、確実にある。間違いなくそう。だから、俺たちみんな、家でじっとおとなしくして、大して何もせずに過ごすチャンスを得たわけで、俺にもひたすら内省し、どうして何もかも間違った方向に向かってしまったのかを考える時間がもたらされた。ただまあ、ぶっちゃけあの時期はもっとパーティすることにもなったけどね(笑)! もっとパーティし、おかげでもっと二日酔いになり、そういうフィーリングを抱える羽目になった、と(笑)。
通訳:(爆笑)。振り返ると、私(通訳)自身もあの時期は何もやれなくて退屈で、しょうがないから飲む、ということが多かったです。あなたにとってもきつい時期だったようですね?
DB:ああ、そりゃもちろん。というのも『uknowhatimsayin¿』を出したばかりだったし、ツアーに出るはずだったからね。あの作品をちゃんとプロモートするチャンスに恵まれなかったし、ファンを前にあれらの歌をプレイすることもできなかった。あれには、やや憂鬱な気分にさせられた。
俺の音楽を聴いては毎回「RAWで耳障りな音楽」と評する人は多いし、人によっては「奇妙だ」とも言われるし、その面をやや抑えめにしたかった。もっとラップのインストゥルメンテーションっぽい感じで、より楽に聴けるようにしたかった。
■アルバムとして、どのようなリリックやサウンドのカラーにしたいというヴィジョンはありましたか?
DB:まあ、40歳を迎えつつあったし、それでも自分にはモチヴェイションがちゃんとあった。だから、歳を取ったからといって、必ずしも衰える必要はない、と。ラップを「若者のゲーム」みたいに看做す人間は多いけれども、俺はとにかくライミングとラップに関しては、年齢を重ねても、自分がまだ絶頂期にいるように振る舞いたかった。だから、それが作品を作りはじめた当初の動機だったんだけど、作業を続けるうちにやがてもっとこう、俺自身のフィーリングを表現する内容になっていき、過去には取り上げてこなかった、もっとパーソナルな題材を語りはじめるようになっていったんだ。でもまあ、概して言えば、じつはそんなにハードに考え込んだりはしなかった。とにかく歌をレコーディングしていっただけだし、そのうち作品のコンセプトが自ずと形になっていった。俺たちみんな隔離処置でめげて疲れていたし、俺はとにかく音楽作りに忙殺されることで気を紛らわせていた。で、いつの間にかこのレコードがどこを目指しているのか、それを俺も見極めたっていうのかな、で、そこからは、その方向に従って考えていくようになったんだ。
■いまの話にあったように、あなたは現在42歳、“Hanami” のリリックで「rap a young man game」「Should I still keep goin' or call it a day?」と歌っています。最近アンドレ3000がジャズ系の新譜『New Blue Sun』リリースに際して「ラップはリアルな生活を歌う音楽だから、歳をとって視力が悪くなったり大腸検査に行くことをラップしても誰も聴きたがらない」と言っていましたが、40代でラップをすることをどう考えていますか? アンドレのようにラップという表現/フォーマット以外で音楽を続ける自分は想像できますか?
DB:ノー! それはないな。ラップ・ミュージックというのは……俺は80年代生まれ、すなわちヒップホップ・ベイビーだしね! つまり俺にとって、生まれてこのかたラップ・ミュージックはずーっと存在してきた、ということ。それにもうひとつ、人びとは相変わらずラップを「若者のゲーム」として眺め、老けるとラッパーは続けていくことができないだろう、みたいに考えているとも思っていて。だから俺は、その新境地を開拓しようとしているし、そうやってみんなに「歳を取ってもやれるんだよ」と示そうとしている。それに俺からすれば、いま現在もベストなラッパーの何人かは、俺より歳上なわけだし(笑)! たとえばジェイ‐Zみたいな人は、歳月とともにまだどんどん良くなっている。だから、うん、人生のこの時点でとにかく俺が感じるのは、できるだけ長く続けていきたいということだね。正直な話、死ぬまでやり続けたい、みたいなところだ。
■サウンド面では、あなたのこれまでの楽曲と同じように、他の典型的なヒップホップの曲とは違った一風変わったユニークさのあるビートやサウンドが肝になっていると思います。
DB:(黙って聞いている)
■どのような基準でビートを選んでいったのでしょう? 今回のアルバムでは、これまでと選ぶ基準に違いがありましたか?
DB:うん、だから今回はまさにそれをやりたくなかった、という。つまり、俺の音楽を聴いては毎回「RAWで耳障りな音楽」と評する人は多いし、人によっては「奇妙だ」とも言われるし、その面をやや抑えめにしたかった。それよりも、今回はもっとラップのインストゥルメンテーションっぽい感じで、より楽に聴けるようにしたかった──とりわけ、今回のアルバムで取り上げているような題材を歌う場合はね。というのも「風変わりなサウンド」って、奇妙さそれ自体を狙ってやってることが多いって気もたまにするんだ。ほとんどもう「お前に理解するのは無理」、「お前にこれはゲットできない」というか、ヒップホップの通(つう)じゃないとわからない、みたいな。で、俺はとにかくもっとラップのインストゥルメンテーションに近いサウンドにしたかった。ギターを多く使い、かつ、もっとシンセも重用して。だから、バンドが演奏していてもおかしくない、俺の耳にそう響くビートを選んでいったわけ。とは言っても──(苦笑)質問者氏はやっぱりまだ「風変わり」に聞こえるって言ってるんだから、どうなんだろうなぁ、(笑)俺にはまだちゃんとモノにできてないのかも……。
通訳:ははは! 私(通訳)はあなたの音楽はもちろん、トーク番組『Danny’s House』やポッドキャスト『The Danny Brown Show』も好きです。
DB:ああ、うん。
通訳:だから、あなたがこう……天然でエキセントリックな人なのは重々承知というか。
DB:(笑)ヒヒヒヒヒッ!
通訳:ですので、あなたが「奇妙さ」を狙ってやっているわけではないのはわかっているつもりです。
DB:うん。だから、自分としてはヘンじゃないものを作ろうとするんだけど、そのたび、毎回そういう結果になってしまうんじゃないかと(苦笑)。「これ、別に奇妙じゃないだろ」と俺が思っていても、周りは「いやー、やっぱ妙だよ」って反応で。たぶん、それが俺って人間だってことなんだろう(笑)。
通訳:(笑)「普通」をやるのに、あなたは逆に人一倍苦労するってことかもしれませんね。
DB:(笑)いやぁ、これが俺そのものなんだろうし、正体を偽ることはできないよ。
[[SplitPage]]ピッチの高いテンションのアガった声を使うときの自分は、キャラクターのようなものなんだ。ところが今回のアルバムでは、そのキャラクターを脱皮した。俺はもうあの男とは別の人間なんだ、と。
■本作では特にカッサ・オーヴァーオールが複数曲に参加し、本アルバムには彼のカラーも多く反映されているかと思います。彼のどこに惹かれ、どのような流れで共作にいたったのでしょう。
DB:まあ、俺たちレーベルが同じだからね。
通訳:ですよね。
DB:だから、むしろ彼ら(レーベル側)のアイディアだった、ってのに近かった。でも、うん、歌の多くはまだほとんどデモに近い段階だったし、彼はそれらの楽曲に生命を吹き込んでくれた。彼がこのプロジェクトのMVP的存在なのは間違いない。
通訳:なるほど。あなたの側から率先して「コラボをやらないか?」とカッサに接触を図ったわけではない、と。所属レーベルが同じということで、少々業界的なお膳立てというか、そういう面もあった?
DB:いやいや、そんなことないって! ほんと、レーベル側がああやって調整してくれて、俺は最高にハッピーなんだよ! だからまあ、よくある話ってこと。そこはまあ、自分の周囲を素晴らしいチームに固めてもらっていることでもたらされる恩恵だよね。彼らは問題や課題を解決してくれたり、あるいは「この人ならこの曲にぴったりなんじゃないか? あの人はどう?」云々の案を出してくれるから。っていうのも、俺自身はもっと内向的な奴だし、ほんと、あれこれたくさんの人に自分から働きかけたりはしないから。そこだね、チームがいてくれる抜群なところは。
■カッサとの共作で印象的なエピソードがあれば教えてください。
DB:んー、っていうか、彼の拠点はロンドンだったんだよ。で、俺はデトロイトでアルバムを録音したからね。インターネットの美点だよ、クハハハハハッ!
通訳:彼とあなたとは、すべてリモート作業だった、と?
DB:ああ。
通訳:そうなんですか! いや、音源を聴くと非常に見事に溶け合っているので、てっきりおふたりで一緒にスタジオに入ったのだろう、とばかり……。
DB:ノー、ノー! っていうか、じつはまだ対面したことすらない(笑)!
通訳:マジですか?
DB:フハハハハハッ! ぜひ会いたくて、ワクワクしてるけどね。すごく楽しみだ。
通訳:はあ、そうなんですね……。
DB:でもさ、俺の作業の仕方ってそういう感じなんだ。長いこと一緒にやってきた、過去のプロジェクトにも数多く参加してきたポール・ホワイト。彼とだって、初めて実際に会ったのはコラボをやりはじめてから、それこそ7年くらい経った後だったし。
通訳:えっ、そうだったんですか!
DB:だから、インターネットの美点ってこと(笑)!
ラップをやってる連中は誰もがスーパーヒーローみたいなものだしね、つまり、等身大以上に大げさに誇張したヴァージョンの自分を演じているっていう。
■(笑)了解です。ちょうど話が出たのでお訊きしますが、今作にも参加しているそのポール・ホワイトやクェル・クリス、あのふたりはあなたにとってどのような存在ですか? 共謀者? コラボレーター? 両者のビートがあなたにもたらしてくれるものはなんでしょうか?
DB:クェルはデトロイト出身だから、あいつとは俺のキャリアのごくごく初期の頃から知り合いなんだ。俺の祖母の家に遊びに来て、祖母が留守の間にふたりでつるんで一緒に音楽を作って遊んだりしていた。俺がクェルに出会った頃って、デトロイトの中心地に俺たちみたいな連中があまり多くいなくてね。つまり、そうだな、たぶん「オルタナティヴなブラック・ガイ」とか、そんな風に呼ばれる類いの連中は少なかった、と。だからほんと、出くわしたなかで(子どものように高い声の口調で)「おっ、こいつ、なんか自分に似てる!」みたく感じた人間は唯一、彼だけだった。俺たちはそういった十代の経験を共有してきたし、うん、つねに尊敬し憧れてきた対象だね。というのも、彼は決して同じ一カ所に留まっていない、というか。俺がクェルと知り合って以来、あいつはたぶん7カ所くらい引っ越ししてきたし、絶えず動いていて、絶対に同じ場所に長い間じっとしていない。で、ある意味そこが、彼の音楽をどこかしらインスパイアしてるんじゃないかと思う。彼の音楽はいつもレベルが上下して変化するし、スタイルもじつに様々でころころ変わるから。
で、ポール・ホワイト。彼は、あるとき俺にビートを送ってきてくれたんだ。で、俺の元にはたくさんの人間からビートが送られてくるんだけど、こと彼のビートに関して言えば、ほとんどもう「これは俺のために作られたビートだ」に近い感じだった。だから、「ああ、遂にプロデューサーが見つかったぞ」みたいな? 彼のビートは俺のラップみたいに響くというか、彼のビートは俺にとにかく「ラップしちゃる!」って気にさせるものなんだ。だから彼とずっと一緒にやってきたし、それにこのアルバムはある意味『XXX』にとっての続編みたいな作品なわけだし、レコーディングに取り組みはじめたとき、『XXX』で一緒にやったのと同じプロデューサーと仕事したいと思ったんだ。スカイウォーカー、クェル、ポール・ホワイトらとね。
■あなたのトレードマークのテンション高い声は “Tantor” “Dark Sword Angel” “Jenn’s Terrific Vacation” くらいで、それ以外の8曲は地声に近い声でラップをしています。過去の曲も含め、リリックの内容やトラックのサウンドに応じて声のトーンを使い分けているのでしょうか。あなたのなかの使い分けの基準を教えてください。
DB:んー、まあ、地声に近い、よりディープなトーンのあの声も自分はつねに使ってきたと思うけどね。たとえば、もっとシリアスめなトピックを歌うときだとか。ただ、このアルバムではいつも以上に自分自身をもっと人間らしくしたかった、というか。だから、ピッチの高いテンションのアガった声を使うときの自分は、キャラクターのようなものなんだ。ところが今回のアルバムでは、そのキャラクターを脱皮した。もっとも、今後はあのヴォイスを使わないとまでは言えないけれども、そうだな、俺はもうあの男とは別の人間なんだ、と。あの時点では、あの声はほとんどもう「キャラクター」みたいな感じだったし、要するに俺自身ですらなくなっていた。俺は、滑稽で面白おかしくなろうとしてあのヴォイスを使っていたんだよ。低めの地声で歌うよりもあの甲高い声で歌う方が、もっとパンチが効いたジョークになるだろうと思うし。だからあれはまあ、キャラクターのなかに入っているようなものなんだ。それにほら、ラップをやってる連中は誰もがスーパーヒーローみたいなものだしね、つまり、等身大以上に大げさに誇張したヴァージョンの自分を演じているっていう。
通訳:(笑)なるほど。
DB:そういうこと。低めの声で歌うときの俺は、ありのままの自分でいるってことだよ。
■その高いトーンの声があなたのトレードマークとされていることをどう感じていますか? あなたの作り出した一種の「頓狂なキャラクター」に縛られていると感じることもあるのでしょうか?
DB:たまには、ね。というのも、作ってきたどのアルバムでも低い声を使ってきたのに、どうやら人びとが「ダニー・ブラウン」と認識するのはあの声だけらしいし。うん、ときどきそう感じることもある。それに、前2作では過去以上に低い声を使ったわけだし、それでも人びとはやっぱり……だけどまあ、あれが俺のサウンドだってことなんだろうし、他のみんなから俺を際立たせてもいるんだろうろうね。それに、俺が好きなラッパーの多くがいまもあの高い声を使っているし、別に俺が作り出したものでもなんでもないんだよ。ファーサイドにしろ、ヤング・ジー(Young Zee)にしろ、エミネムにしろ、俺は高音域を使うラッパーの多くを尊敬してきたから。
通訳:そうやってあなたが声を使い分けるのは、違う仮面を取っ替え引っ替えするような感覚なのでしょうか?
DB:いや、仮面だとは思わないな。むしろエモーションってことだよ。だから、ラップをやりながらジョークを飛ばしてるときの俺は、もっとハッピーで「ワヘーイ!」みたいなお気楽なノリの、自分のなかのおバカ野郎な面が出ているだけであって。対してもっと真面目なトピックの場合はそういう声では喋らないだろう、もっとシリアスなトーンを使う、と。それだけのこと。そうは言っても結局のところ、それだってやっぱり「俺」なんだけどね。楽しく遊んでるときとか、普段の会話のなかでもあの声は飛び出すし。
通訳:なるほど。仮面と言ったのは、「仮面の背後に隠れる」という意味ではないんです。仮面を被ることで、逆にその人間の本性が表に出ることもあるわけで、興味深いなと。
DB:ああ。そうだな、俺が仮面として利用しているのはむしろ、コメディだってことじゃないかな? 特に、ごくシリアスな題材を取り上げる場合は、あまりにデリケートなネタだから表現するためにはジョークにするしかない、という。お笑い芸人の多くは苦悩型の人間だし、ある意味、彼らは自分自身の痛みをあざ笑っている。だから俺としてはむしろ、お笑いで覆っている、というか。
通訳:はい。それにお笑いやユーモアは、ネガティヴさに対する最大の武器にもなりますしね。
DB:ああ、絶対そうだね。
■30歳で作った『XXX』から『Quaranta』までの十年を振り返ってみて、ラッパーとしての活動のなかであなたが得たものと失ったものはなんでしょうか?
DB:そうだな……得たものといったら、たぶん禁酒して素面になったこともあって、いまの方がもっと、安らぎを得ているんじゃないかと。で、失ったものと言えば……ネガティヴな感情すべてを水に流したことで、それに伴うもろもろも失ったね。で、物事をもっと肯定的に眺めるようになりはじめている。十年経ってもいまだにこれをやれているだけでも、自分はなんて運が良くて恵まれているんだろう、そう気づいたわけ。キャリア初期の自分はとかくネガティヴな物事に集中し過ぎだったと思う。「やった、成功した!」と栄光に浸ることもなかったし──っていうのも、成功できるなんてこれっぽっちも思っちゃいなかったからね。つねに苦悩し、破滅が来るぞと不安に苛まれていて、「いつなんどきこれが終わるかわかりゃしない」みたいな感じだった。だから、あの頃、ああいうポジションにいるだけでもどれだけ恵まれていたか、そこに自分が気づいていたら良かったなと思う。
[[SplitPage]]自分の手柄だってふうには思えないんだよね、「神様がゴーストライターをやってくれてる」っていうか。
■個別の曲についても聞かせてください。“Tantor” はアルケミストのプロデュースですが、彼のなかでも特別ユニークなネタをサンプリングしたビートに思えます。以前の “White Lines” も非常にユニークなビートでしたが、彼があなたとのコラボ用にチョイスするのでしょうか? それともあなたが複数の選択肢のなかから選ぶのでしょうか?
DB:彼が、5本くらいビートを送ってくるんだ。で、そのなかから気に入ったものを俺が選ぶ。まあ、彼は「かの」プロデューサーっていうのかな、俺が聴きながら育ったお気に入りのプロデューサーのひとり、みたいな存在であって。だから彼と仕事できるチャンスが訪れるのはいつだって、それこそが「自分は成功した!」と感じる瞬間だね。「ああ、やったぜ! 俺も遂に、これだけ長い間尊敬してきた人と仕事できるようになったんだ」と。うん、でもあの歌はほんとまあ、俺が(声色をダミ声に変えてふざけ気味な口調で)「まだイケてるぜ!(still got it!)」ってところを示そうとしている(笑)、そういう曲のひとつ。ほら、『XXX』の頃の俺はああいう曲をしょっちゅう作っていたし、だから自分にはいまもまだああいうことをやれる、そこを証明したかったわけ。
■“Tantor” はミュージック・ヴィデオも非常にユニークです。チープなロボットのキャラクターには、あなたのアイディアも反映されたものでしょうか?
DB:いいや。っていうか、俺のビデオのどれひとつ、自分でアイディアを出したことはないよ。そこまでクリエイティヴな人間じゃないし、ビデオに関しては一切、自分の手柄を誇ることはできない。
音楽でなんらかのエモーションを喚起したい。とにかく聴き手をそのライドに乗っけて、単なるBGM以上のものを彼らに感じてもらおうとしている。つい耳をそばだて、「おや?」と注目するような何かを。
■また、本作のジャケットのアートワークもあなたの表情が非常に印象的ですが、 これに込められた意図を教えてください。
DB:とにかくまあ……なかに収められた音楽がどんなふうに見えるかを示したかった、みたいな? ほんと、文字を絵で表現するマッチアップ(例:象=elephantの絵はE、など)みたいなものだよ。それにさっきも話したように、このアルバムでは以前よりも自分に人間味をもたせたし、だからよりピュアな己の姿を見せている、と。大体そんなところかな。ああ、しかも古典的な雰囲気もあるポートレートだよな。いまどきはAIが使えるし、それこそ……宇宙ロケットからスカイダイヴィングしているイメージだの、どんなものだってやれるわけだけど、だからこそクラシックなものに留めようとしたんだ。シンプルに。
■ “Ain’t My Concern” が本アルバムのフェイヴァリットとのことですが、鍵盤の和音がフック部分ではなんとも言えない浮遊感と、ヴァース部分では不協和音による緊張感のコントラストが効いています。これはクリス・キーズによるものですか?
DB:うん。彼とクェルはいつも一緒に作るから。ふたりはプロダクション・パートナーの仲だ。あれはとにかくまあ、ある種の一般教書めいた歌だね。ヒップホップに対する思いだったり……「俺はいまだにヤバい奴だぜ(I’m still a badass)」って感じているし、要はそうやって自分の威力を誇示しようとしてるっていう。まだ、筋肉はバッチリついているぜ、とね。
■はい、もちろん。“Y.B.P” ではブルーザー・ウルフをフィーチャリングして軽快にデトロイトでの日々を振り返っていますが、ブルーザーたちとの〈Bruiser Brigade Records〉の今後の予定や計画を教えてください。
DB:うん、ウルフの作品はもうじき出る。あのアルバムはでき上がっているから、近々出るよ。機会があればいつだって仲間と仕事したいし、それに『XXX』ではデトロイトについて語った歌をたくさん書いたわけで……まあ、自分の出自に関する歌はつねにやってきたんだよな。そうすれば人びとにもいまの俺の立ち位置がわかるだろうし、自分の生い立ちやヒストリーみたいなものを明かす、という。
■ “Jenn’s Terrific Vacation” におけるカッサ・オーヴァーオールのプロダクションは生ドラムを生かした、大変複雑で作り込まれたものになっています。あなたの囁き声を素材にした後半の作りも見事で、そのような複雑な楽曲のプロダクションとジェントリフィケーションをテーマにしたメッセージ性のあるリリックが両立しているところがスゴい曲だと思います。このリリックのアイディアをどのように思いついたのでしょう?
DB:じつを言うと、あれはもともとジョークとしてはじまった歌だったんだ。
通訳:(笑)そうなんですね。
DB:だから、俺はダウンタウンで暮らしていたし、とにかくああいう言葉が口をついて出て来たし、それであの「Jenn’s Terrific Vacation」というフレーズを思いついたってわけ。で、ある日スタジオであのビートを耳にして、さて、これをどう料理しよう? と悩んでいて。だからまあ、何もかもが一気にクリックして形になった、ガラス瓶で雷電を捕まえるシチュエーションっていうか、そういう曲のひとつだったね。あんまり深く考え過ぎずにやるっていうか、ビートに合わせて長いことえんえんとラップしているうちに、ある日突然「あっ、これだ!」と掴めて、そこから先は何もかもがスムーズに流れていく。自分はそういうふうに、「このビートで何をやればいいだろう?」と考えあぐねながらとりとめなく過ごすことが多いと思う。で、ある日突如としてインスピレーションがパッとひらめいて、となったら即座にそれに飛びつき、双手で掴む。だから、自分の手柄だってふうには思えないんだよね、「神様がゴーストライターをやってくれてる」っていうか、その日の自分はたまたまラッキーだっただけ、みたいな。クハッハッハッハッ!
■ “Down Wit It” では、ストレートな言葉で元恋人との関係のありのままを伝えるリリックが衝撃的です。盟友のポール・ホワイトのビートは、とてもエモーショナルで1980年代のメランコリーを感じさせます。リリックの構想は先にあって、このビートを選んだのでしょうか。それともこのビートを聴いてありのままを語ることになったのでしょうか。
DB:まず、ビートがあった。でまあ、何かを乗り越えるための最良の方法って、とにかくそれについて語ること、というときだってあると思う。だからほんと、あれはそういう歌だし、そうすることによって胸のつかえを下ろすことができる。それについて話せば、それに対する気分も楽になるっていう。俺はつねに、音楽をひとつのセラピーの形態として使ってきたからね。音楽のなかで何かについて語るとき、普段の会話で話すようなことに触れようとしている。あの曲も、そういうもののひとつだ。
■また “Down Wit It” のリリックのなかで「lost my emotion」と歌っているように、あなたの感情を殺しているようなフラットな歌声が非常に印象的で、表面的にエモーショナルな歌い方よりも、あなたが抱えていた空虚さが一層感じられる気がしました。あなたはラップをする際の「エモーション」をどのように考えているか教えてください。ラップをする際の最大のエンジンと言えるでしょうか?
DB:うん、そうだと思う。やっぱり、そこを捉えたいわけでさ。俺の音楽を聴く人びとには、何よりも、「感じて」欲しいんだ。聴いていてつい一緒にラップしたくなるのであれ、なんであれ……音楽でなんらかのエモーションを喚起したい。とにかく聴き手をそのライドに乗っけて、単なるBGM以上のものを彼らに感じてもらおうとしている。つい耳をそばだて、「おや?」と注目するような何かを。それに、今作で取り上げたトピックは誰もが経験するようなものばかりだし。そこもさっき話した、もっと人間らしい面に回帰するって点と関わっているし、要するに「俺も君たちと全然変わらないよ」と。「俺も、みんなと同じようにめちゃめちゃで駄目な奴なんだ」ってね(苦笑)! まあ、そんなところ。
■ “Hanami” はスヴェン・ワンダーの既存の曲が元になっていますね。彼の “Hamami” のビートにどのように辿り着いて、どんなやり取りがあってこの曲が生まれたのでしょうか?
DB:ポールと盛んに作業をしていて、まだ隔離期間中だった時期に彼がいろいろとビートを送ってきてくれて。あれは本当にDOPEなビートだと思ったし、今回はもっと実験的なスタイルに向かおうと思っていたしね。だからあのビートを耳にしたときは、「マジかよ!」みたいな? あれを聴いたときは、こう……アルバムの1曲目を鏡に映したイメージみたいだな、と思った。だからA面B面それぞれにDOPEなトラックがあるのは良いな、と。あの曲では、作った時点で俺の感じていたことをすべて出している。
■「Hanami」とは日本語の「花見」でしょうか。桜の花を愛で祝う宴会のことなんですが。
DB:ああ、知ってる。
通訳:3~4月に、日本人は桜の木の下に集まり、飲んで楽しむんです。その意味合いは曲に影響していますか? それとも、たまたまあのタイトルだった、ということ?
DB:うん、そんなところ。クハハハッ! そこについては、そこまで深く考えていないんだ(苦笑)。
■また “Hanami” のフックで「Can't get time back, time after time」と歌っていますが、もし一度だけ過去に戻れるとしたら、いつの時点に戻って、なにをやり直したいですか?
DB:ノー。一切、何も変えない。っていうのも、過去の出来事をやり直してしまったら、いまこうしてここにいる自分は存在しないから。人生は旅路だと思うし、そこで味わった経験を通じてつねに学んでいるわけで。だから、何ひとつ変えないだろうと思う。とにかく、俺の物語の一部を成している要素だしね。現在の自分を形作ってくれたのがあれなんだし、いまの俺は自分自身に満足しているから。過去をやり直して変えることには、乗り気になれない。
■『ガーディアン』のインタヴューで、ファンたちの前でライヴをすることが一種のセラピーになっているとの発言がありました。日本にもあなたのライヴで一緒に歌いたいと思っている多くのファンがいます。音楽そのものがパワフルとはいえ、ラップ・ミュージックはやはりリリックがベースですよね。母国語も異なる国にもあなたの音楽のファンがたくさんいることをどのように感じていますか?
DB:めちゃ最高だと思ってる! っていうか、俺がよく聴く音楽にしたって──だから、そこがインターネットの美点だよな。英語以外の歌詞でも、Google翻訳にかけることができるんだし。でも、さっきも話したように、多くの場合俺は音楽を通じてエモーションを掻き立てようとしているし、エモーションは、そのエネルギーをたんに聴く以上に、実際に肌で感じるものへと翻訳/変換してくれるって気がする。というわけで、日本にもファンがいるのはDOPEだし、いつか日本に行って、ライヴをやれる日が来るのが待ち遠しいよ!
通訳:はい。来日を楽しみにしているファンはたくさんいますので。
DB:だよね、うんうん。なんとか日本に行けるよう、トライしているからさ。
■最後に、日本のファンにぜひメッセージをもらえると嬉しいです。
DB:うん、もちろん。日本に行けたらいいなと心から思っているし、君たちみんなと楽しい時間を過ごし、日本のカルチャーを体験したくて仕方ない。まだ行ったことのない国のひとつだけど、もう長いこと、日本に行こうと努力はしてきたんだ。ただまあ、じつはいつもビビってたんだけどね、俺のクスリ歴のせいでやばいかも? って(苦笑)。ヒヒヒヒヒ~ッ! だけど、いまの俺はもっとクリーンだし、酒をやめて素面になったから、日本に行けるはず。日本を味わい、最高の体験をしたいな。
通訳:了解です。というわけで、もう時間ですのでこのへんで終わりにします。今朝はお時間をいただき、本当にありがとうございます。
DB:こちらこそ、ありがとう!
通訳:あなたはいま、ロンドン滞在中に取材を受けてらっしゃいますが、今日のロンドンはめっちゃ寒いです。どうぞ、暖かく過ごすようにしてくださいね。
DB:ああ、もちろん。ほんとそうだよな、ありがとう!
メンフィス・ソウルはソウル・ミュージックの入口にあり、
なおかつ出口にあるようなそんな音楽だった──
日本におけるソウル・ミュージック研究の第一人者が解き明かす、
メンフィス・ソウルの奥深い世界
著者10年ぶりの書き下ろし!
オーティス・レディングとO・V・ライトの、
ほぼ同時に録音されたひとつの曲の謎を巡る南部ソウルの物語
四六判/ソフトカバー/320頁
著者
鈴木啓志(すずき・ひろし)
音楽と物理をこよなく愛する男。ソウル・ミュージックとのかかわりは深く、1964年高校2年の頃からのめりこんだ。大学時代はブルースとソウルのファン・クラブを友人と結成。そのまま執筆と紹介に明け暮れた。昭和23年函館生まれだが、ほぼ東京っ子。おもな著書に『ブルース世界地図』(晶文社)、『R&B、ソウルの世界』(ミュージック・マガジン)、『ソウル・シティUSA~無冠のソウル・スター列伝』(リトル・モア)など多数。本書は、『ゴースト・ミュージシャン』(DU BOOKS)以来10年ぶりの書き下ろしとなる。
目次
序文 ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ
第1章 50年代のバンド・リーダー達
第2章 60年代に興ったダンス/インスト・ブーム
第3章 人種混交
第4章 タイムキーパー
第5章 ゴールドワックス
第6章 チップス・モーマンの仕事
第7章 ハイ・サウンド
第8章 ドラマーXの謎
第9章 オーティス・レディングはメンフィス・ソウルの王者と言い切っていいのか
第10章 ファンクの時代
第11章 サウンズ・オブ・メンフィス
第12章 メンフィス・アンリミテッド
第13章 宴のあと
あとがき
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ジュールス・レイディの新作『Trances』は、まるで完璧な工芸品のように美麗に構築された音楽・音響作品である。同時に卓抜した技法で演奏されるギター作品でもある。幻想的なムードを放つエクスペリメンタルなフォークといえる。まさに音楽・音響の複合体とでもいうべきか。これは相当なアルバムである。
ベルリンを拠点として活動を展開するレイディは、加工されたギターを用いてエレクトロ・アコースティックな作品を創作してきた才能に満ちた音楽家だ。これまでジュールス・レイディは〈Room40〉、〈Black Truffle〉、〈Editions Mego〉など、錚々たるレーベルから独自のエクスペリメンタル・ミュージック・アルバムをリリースしてきた人物である。
どのアルバムも特殊なギターとミニマルな電子音、深い残響、ときに微かな加工された声が交錯する見事なサウンドを構築している。あえていえば、「ギター・エレクトロニカ」+「電子音響」といった趣のアルバムと称するべきだろうか。理知的な印象の楽曲だが、しかし、どの楽曲もサイケデリックな音響を展開している点も重要だ。聴き込んでいると意識が飛ばされてしまう。
これまでリリースしたどのアルバムも良いのだが、なかでも実験音楽家/ギター奏者のオーレン・アンバーチが主宰する〈Black Truffle〉から2022年にリリースされた『World In World』は、ジュールス・レイディのこれまでの技法と音響が見事に結晶化された傑作であった。
フランスのエクスペリメンタル・レーベル〈Shelter Press〉からリリースされた本作『Trances』は、その『World In World』の「続編」と称されている作品である(2019年に同レーベルからリリースされた『In Real Life』も『World In World』『Trances』へと続く系譜の作品に思える)。あえていえば「悪いはずがない」というほどの作品だ。私見だが『Trances』は、今後、ジュールス・レイディの「代表作」と称されるようになるのではないか。
『Trances』は、純正律にチューニングされたヘキサフォニック・ギターを用いているという。純正律とはウィキペディアによれば「周波数の比が整数比である純正音程のみを用いて規定される音律」のこと。つまり、純正律ではより純粋な(綺麗な)和音の響きを実現することができるということだろう。ジュールス・レイディは響きの純粋さを追求したかったのではないか。じっさい『Trances』の響きはどれも澄んでいて美しい。
この『Trances』は、12のフラグメンツがシームレスにつながる構成となっている。いくつものフレーズ、音響が交錯し、大きな流れとなっているのだ。純粋な響きを放つギターの放つ残響と、電子音響によるアンビエンスが溶け合い、光のようなサウンドを生成する。
まるでギターとエレクトロニクスよる交響曲のようである。例えるならば、ジム・オルークとスティーヴ・ライシュとシャルルマーニュ・パレスタインとアルヴァ・ノト(カールステン・ニコライ)とクリスチャン・フェネスのサウンドが交錯するような音響空間とでもいうべきか。
加えてジュールス・レイディの「声」も重要だ。その「声」がまるで霧のカーテンのように音響空間にまぐれ混んでいくように鳴りはじめることで、フォーク・ミュージック的な要素も加わることにある。ギター・エレクトロニカ+電子音響作品の要素に加え、エクスペリメンタル・フォークのエレメントも重要な要素になっているのだ。
アルバム冒頭からラストまでミニマルでありなかまら拡張的な音響は一瞬たりとも緩むことなく、見事な演奏とサウンドを展開している。アルバム冒頭から、ミニマムなギターのアンサンブル、透明な電子音響、霧のような声が次第に展開され、アルバムの全体像を惜しげもなく提示する。
アルバム全体は一種の変奏曲のように構成されているが、単調さはまったく皆無だ。変わりゆくギターと音響の美を心ゆくまで満喫することができる。個人的には冒頭の “I” や最終曲の “V” に惹かれた。この二曲を聴き比べるとアルバムにおける変奏やパターン、音響の変化をよく理解できる。
もちろん、このような要素はジュールス・レイディのこれまでのアルバムでも共通する要素である。だが『World In World』を経て、この『Trances』では、さらにアルバムの音響と構成力に磨きがかかったように思えたのだ。
即興と作曲・構築のバランスがよりいちだんと高いレベルになったとでもいうべきか。断片がつながり、より大きな音楽・音響が構成されている。ギターの変奏、声のレイヤー、電子音響の変化と拡張。12のフラグメンツが違いに呼応するように音響/音楽が変化していく。
『Trances』を聴くということは、この音響/音楽の「生成と変化」のありようを体験する時間でもある。まさに繰り返し聴くに値する素晴らしい音響作品であり、音楽作品であり、ギター・ミュージックでもあり、電子音楽であり、電子音響でもあり、アンビエント・ミュージックでもあり、誰が聴いても美しいエクスペリメンタルなフォークでもある。高度でありながら難解ではない音楽性に圧倒される。
ミニマルなギターのアルペジオと電子音。ふたつのアルペジオが少しだけずれながら重なりあうことで、モアレ状のサイケデリックなパターンが生成されていく。そこに光のように煌めく音響が折り重なり、美しい残響が交錯する。音楽のズレとパターンの交錯という意味では、どこかコーネリアスの音楽性にもリンクしていきそうである。例えば、ジュールス・レイディがリミックスしたコーネリアスの楽曲なんてものも聴いてみたくなる。共演なども聴いてみたいものだ。まさに実験音楽マニアのみならず、広く音楽ファンに聴いてほしいアルバムといえる。
いま、この世界で、エルヴィスよりもビートルズよりもコカコーラよりも有名なのはテイラー・スウィフトだそうだ。誰が言ったのかは知らない。誰も言ってないかもしれない。彼女は1989年生まれだが、その5年前にはジュリア・ホルターが生まれていることを、サウジアラビアの国王は知っているのだろうか。知らない可能性が低いとは言えないので、やはりこれはニュースにする必要があるだろう。
私は昨年、ケイト・ブッシュの『Hounds of Love(邦題:愛のかたち)』を聴き、ジョニ・ミッチェルの『Court and Spark』(イーノのフェイヴァリット)を聴き、そしてジュリア・ホルターの狂おしい記憶の横断旅行、大作『Aviary』を聴いた。彼女はこのアルバムからいっきに、かつてブッシュやミッチェルがジャンルの束縛から逃れるように向かった荒野に進んで、政治化された強烈かつ複雑なサウンドを表現した。昨年末、ホルターは来日し、私は取材の機会を得るものとばかりに準備をしていたが、結局は、なにごともおこらなかった。私はただ、ただひたすら音楽を聴いていただけだった。ところが、ここに、彼女の新作のニュースを公開しても良いという、お達しのメールが届いたので、いま、かような文章をしたためた次第である。
青緑のこの惑星は誰のモノでもあって誰のモノでもない。私はこの年末年始、世界で最初の音楽批評と言われるニーチェの『悲劇の誕生』(デイヴィッド・ボウイとイギー・ポップの愛読書の一冊)を読もうと思って、数ページで挫折した。このまま読み終えることなく、また本棚に戻すのか、それとも……ジュリア・ホルターのデビュー作は『悲劇(Tragedy)』だ。そして、彼女の新作の発売は3月22日。ポップとロックの難民たちは記憶すべし。
Julia Holter - Spinning (Official Video)
YouTube >>> https://juliaholter.ffm.to/spinning-yt
artist: Julia Holter
title: Something in the Room She Moves
release: 2024.03.22
label: Domino / Beat Records

商品ページ:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13856
配信リンク:
https://juliaholter.ffm.to/sitrsm
「ロックン・ロール」の誕生には諸説ある。つまりチャック・ベリー以前のブルースのなかにも、すでにあのギターリフが記録されているからだ。しかしながら多くのロックの重鎮たちが仰せ給うように、チャック・ベリーが発明したリズミックなスタイル(ブギウギの4拍子とヒルビリーの2拍子とのブレンド)は、興味深いことに黒人文化圏の外で「ベートーヴェンをぶっ飛ばす」勢いで広まった(いまも?)。ビートルズ、ストーンズあるいはディラン……、その創造的な継承および創造的な誤解の、別称「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」なきら星のなかには、我が国のRCサクセションも数えられる。
というわけで、解放への招待状、RCサクセション / 忌野清志郎の「ロックン・ロール」ベスト盤のリリースが発表された(パチパチパチパチと拍手)。メンフィスでもリバプールでもない、70年代〜80年代、そして90年代から今世紀初頭の東京で醸成された、この国のオリジナルなロックンロールです。
RCサクセション盤と忌野清志郎盤の2作品が同時発売ということで、ある程度聞き込んでいるファンのために言えば、前者には、“トランジスタ・ラジオ”のロング・ヴァージョン、雑誌『ロック画報』にのみ収録された超レア・トラック“もっと何とかならないの?”。後者には、加部正義のアルバム『COMPOUND』に収録の“非常ベルなビル”、単行本『瀕死の双六問屋』に付録としてついていた“フリーター・ソング”、『KING』 の「Deluxe Edition」のみ収録だった“ジグソー・パズル”、2018年の日比谷野音パンフレットに付属した“ジャングルジム”、ほかにもLOVE JETSでの曲やKIYOSHIRO, JOHNNY, LOUIS & CHARでの曲など、無視できない内容になっています。
発売は3月6日。 Rock'n Roll Showショーは終わりじゃなかった!

●RCサクセション「ロックン・ロール~Beat, Groove and Alternate~」
発売日:2024年3月6日
品番:UICZ-4665/6 価格:¥4,400(税込)
仕様:2CD+ブックレット

●忌野清志郎「ロックン・ロール~Beat, Groove and Alternate~」
発売日:2024年3月6日
品番:UICZ-4667/8 価格:¥4,400(税込)
仕様:2CD+ブックレット
<収録予定曲>
RCサクセション「ロックン・ロール~Beat, Groove and Alternate~」
■Disc-1
01.キモちE
02.自由
03. MIDNIGHT BLUE
04.ロックン・ロール・ショー
05.可愛いリズム
06.ダーリン・ミシン
07.エネルギー Oh エネルギー
08. 2時間35分
09.ファンからの贈り物
10.バラバラ
11.DANCE
12.腰をふれ!
13.ベイビー!逃げるんだ
14.ハイウェイのお月さま
15.マリコ
■Disc-2
01.つ・き・あ・い・た・い
02.こんなんなっちゃった
03.トランジスタ・ラジオ 〜ロングサイズ
04.どろだらけの海
05.サマーロマンス
06.SUMMER TOUR
07.ブン・ブン・ブン
08.DDはCCライダー
09.悪い星の下に
10.共犯者・THE ACCOMPLICE
11. LONLEY NIGHT(NEVER NEVER)
12.ドカドカうるさいR&Rバンド
13.雨あがりの夜空に
14. Rock'n Roll Showショーはもう終わりだ
15.ボーナストラック:もっと何とかならないの?
忌野清志郎「ロックン・ロール~Beat, Groove and Alternate~」
■Disc-1
01. JUMP
02 ROCK ME BABY
03.RAZOR SHARP・キレル奴
04.非常ベルなビル *加部正義 feat.忌野清志郎
05.カラスカラス
06.HB・2B・2H
07.ゴミ *THE TIMERS
08.あの娘とショッピング *DANGER
09.フリーター・ソング
10.人間のクズ *忌野清志郎 Little Screaming Revue
11. POP PEOPLE POP *LOVE JETS
12.ジライヤ *VALE TUDO CONNECTION Organized by 藤沼伸一feat.忌野清志郎
13.ジグソー・パズル
14.プライベート *KIYOSHIRO, JOHNNY, LOUIS & CHAR
15.君が代 *忌野清志郎 Little Screaming Revue
■Disc-2
01.デイ・ドリーム・ビリーバー *THE TIMERS
02. Let‘s Go(IKOZE) *忌野清志郎&2・3'S
03.カモナ・ベイビー
04.少年マルス *忌野清志郎 with KANAME (ex COSA NOSTRA)
05.宗教ロック *THE TIMERS
06.ジャングルジム *ラフィータフィー
07.ムーンビーチの砂の上
08.メルトダウン
09.S.F. *KIYOSHIRO, JOHNNY, LOUIS & CHAR
10.BOO BOO BOO
11.宇宙ベイビー *LOVE JETS
12.KI・MA・GU・RE
13.Sweet Lovin‘(Live) *ラフィータフィー
14.激しい雨
15.Don’t Let Me Down *忌野清志郎&仲井戸麗市
*収録曲は予告なく変更になる場合があります。
This TRACKLIST was created by VINYL GOES AROUND.
Reproduction prohibited.
命を賭して音楽に向き合っている人が好きだ。ここで言う命というのは、埃や小銭にまみれた決してきらびやかではない、暮らしそのものを指している。「命を懸ける」というのは刹那的に燃え尽きることではなく、ひたすら続く人生のすべてを費やすということで、人生を薪にくべて音楽を生み出すようなある種の狂気性に裏打ちされた行動をひたすら取り続けることだと僕は考えている。
そういったことを粛々と遂行し続けられるアーティストは、いつか歴史に対し垂直に立ち、記念碑的な作品をたびたび生みだす。2023年9月9日、7年ぶりのフル・アルバムとして満を持して世に放たれたworld’s end girlfriendの新作『Resistance & The Blessing』はその条件を満たしていると確信できる内容だった。たとえ YouTubeの有名音楽レヴュアーが本作に最低点の1点を与えようと、その素晴らしさは揺るがない。もちろん好みや時代の要請によって、本作をどう捉えるかは大きく変わってくるだろうけれど。
ショート・レングス全盛の、わかりやすさこそ正義とされる時代と相反する約144分、35曲入、LP4枚組/CD3枚組の大作というパッケージングもさることながら、(2020年代にまったく異なる形で復権を果たした)ブレイクコア、(こちらも姿化を変えて復活した)トランス、ボーカロイド、グラニュラー・シンセシスといったトレンドを包摂しつつも、それらとは相反するプログレッシヴ・ロックやシンフォニック・メタル、モダン・クラシカルといったような、現行のヴァイラル・チャートとは距離のあるジャンルが本作の美学を主柱として支えている。
そう、本作『Resistance & The Blessing』のサイズは、2020年代のインディ電子音楽の地平にとってあまりにも巨大である。とてもカジュアルには向き合えそうもない(だから、最低得点?)。けれど、『Resistance & The Blessing』にはworld’s end girlfriend=前田勝彦氏の命が込められているはずだから、作品が重さを帯びるのは当然のことだ。なにしろ、7年もの間ライヴ活動を休止し、ひたすら作り続けられたアルバムであり、本人をして “最高傑作” と断言する大作である。怪作と受け取る人が出現するのも無理はないだろう。本作は隙間なく敷き詰められたひとりの音楽家の美学と全身で向き合うことを余儀なくされるような作品なのだ。もちろん、そのような要素を抜きにしても、音像そのものを遺跡を見にいくような感覚で誰もが楽しめるはずなのだけど。
サウンドデザインの面に目を向けると、本作にはジャンル/美学を含む、広範にわたる要素が散りばめられている印象を受ける。それはまるでworld’s end girlfriendが辿ってきた足跡すべてを回想するように。とはいえ、僕の「WEG体験」は非常に断続的で、ずっと追い続けてきた人々のそれと比べて乏しいものだ。どちらかといえば、world’s end girlfriendそのものより、ひとりの愛好家のCD棚を見せてもらうような感覚で〈Virgin Babylon Records〉のリリース作をバラバラにダウンロードしていくうちに、たびたび現れるオーナー本人の作品、といったような距離感で接していた。最初に触れたのは、BandCampでName Your Price配信されている『dream's end come true』(2002)と『Hurtbreak Wonderland』(2007)あたりだったろうか。ブレイクコア~ポスト・ロック~アンビエントをシームレスに繋ぐようなそのサウンドスケープを、コロナ禍で沈みきっていた時期にたびたび求めた。
だから、「そういう人間がWEGのすべてが込められた『Resistance & The Blessing』を評してよいものか?」という葛藤があり、それが9月発売の本作をこうしていま取り上げている一因になっている。本作と向き合うことの難しさに大きなプレッシャーを覚え、心中の感想はどれも独立してまとまらない。それでも何度も振り返り、整理を続けていくと、「エピック・コラージュ」とされるジャンル群との結びつきが徐々に浮かび上がった。
「エピック・コラージュ」とは、デコンストラクテッド(脱構築)・クラブから派生した非クラブ・ミュージック的なサンプリング・ミュージックを指すジャンル定義であり、数多のサンプルを文脈から切り離し新たな文脈を創り出すような音楽性を持つ作品群に適用されるものだ。そこにはたとえばアンビエント、グリッチ、ノイズ、映画音楽、ニューエイジ、非音楽などさまざまな文脈を持つものが重層的に重なり合っており、そして「エピック」という語句が指すようにしばしば壮大なスケールを感じさせる。
また、近いものに「プランダーフォニックス」と呼ばれるジャンルがあり、こちらも成立こそ1980年代ごろまで遡るものの、2023年現在はサンプリングを主としたその技法(もしくは精神性)だけが取り残され、また新たな枠組みができあがりつつある(デスズ・ダイナミック・シュラウド.wmvやウラ、そして日本からは冥丁やMON/KUといったアーティストの作品が、音楽レヴュー・フォーラムのRate Your Musicにより分類されている)。こういった定義に本作『Resistance & The Blessing』を当てはめてみると、アプローチ的にはかなり近しいものを感じた。プランダーフォニックスはその名称に、Plunder(略奪)とPhonics(音声)という「剽窃的サンプリング」といった負のニュアンスを帯びているジャンルであり、もちろん『Resistance & The Blessing』にそのすべてが当てはまるというわけではない。けれど、2016年末のウェブ・インタヴューにて「world’s end girlfriendを変えた5枚の音楽アルバム」として、プランダーフォニックスの先達とされるDJ シャドウ『Endtroducing.....』が紹介されていたりと、(おそらく)WEGの音楽を構成する一要素として考えられるはずだ。
メタルやプログレッシヴ・ロック、エレクトロニカ、ブレイクコア、シューゲイザー、グリッチ、脱構築、そういった物事すべてを通過して向かった先がどこであったのかはいまだ結論が出ないというのが正直なところだ。けれども、本作が我々に与える音と奔流は、インスタントな喜怒哀楽を超えたなにかを心の奥底に焼き付けようとする。クラシカルなピアノの演奏に始まり轟音のスーパーソー(トランス・ミュージックの肝であるシンセサイザー・サウンド)に終わる “FEARLESS VIRUS” から “Dancing With me” のグリッチ・ベースとも呼ぶべき脱構築的サウンドに突き落とされる中盤の流れや、“Ave Maria” のラスト1分の痛いほど耳を刺す轟音のフィードバック・ノイズはもはや快楽というより苦悶に近い。しかしその先にはたしかな解放感が待っている。
なお、この作品の基本設定は
「人間がこれまで幾千幾万の物語で描いてきたふたつの魂、それらの物語が終わったその先の物語」
「ふたつの魂が何度も何度も輪廻転生し続ける物語」
とworld’s end girlfriend本人より説明されている。そして、
「これらの魂は男女、同性、親子、友人、敵、様々な姿で、様々な時代と土地を生き、出会いと別れ、生と死を繰り返し、物語は続きます。」
とも明言されている。だから1曲目は “unPrologue Birthday Resistance” で、35曲目は “unEpilogue JUBILEE” なのだろう。誕生を喜ぶことも、終わりを迎えて救済されることも両方拒んでいるアルバムというわけだ。人にも音楽にも、続きがあるということだろうか。苦悶に近い陶酔の果てに現実へと突き放されるような本作の視聴体験を、厳しさと捉えるか優しさと捉えるかでまた、聴いたあとに見えてくる景色や考える物事も変わるような気がする。僕はこの大作を前に、結局音の先に人を見出してしまった。エピックな大作でありながら、個々人の持つ美意識や感情=つまりは生に訴えかけるパーソナルなメッセージを独り発信するworld’s end girlfriendのことが、さらに好きになった。

