Home > Reviews > Album Reviews > Quelle Chris- Deathfame
テレンス・マッケナはドラッグの伝道者だと思われているけれど、本業は植物学者で、植物が人類を進化させてきたという思想がその核をなしていた。植物は酸素や食べ物を生物に与えてきただけでなく、最近では木陰をつくり出したことで生物が海から陸に上がれる手がかりをつくったのではないかということも言われている。そして、植物(とくにキノコ)がつくり出す幻覚物質が人類の脳を発達させてきたというのがマッケナの仮説で、セカンド・サマー・オブ・ラヴの時期になるとスペースタイム・コンティニウムやイート・スタティックと組んで彼は自説をレイヴァーたちに説いて回った。なかでもインパクト大だったコラボレーションがコリン・アンガスとミスター・Cによるシェイメンとの“Re: Evolution”で、ドラッグと音楽が結びついたカルチャーが世界を一変させるという誇大妄想がここまで肥大した例は珍しかった。シェイメンは元はロック・グループで、セカンド・サマー・オブ・ラヴの到来とともにフォームを変えていくものの、音楽性が貧しかったからか、同じようなトランスフォームを経験したハッピー・マンデーズやプライマル・スクリームほどは後世に語り継がれる存在にはならず、往時を知る人たちのノスタルジックなアイテムにとどまっている。とはいえ、セカンド・サマー・オブ・ラヴによって世界が変わると信じ込んだ彼らの信念は“Re: Evolution”だけでなく、同じ6thアルバム『Boss Drum』から最大のヒットとなった“Ebeneezer Goode”で最高潮に達していく。♪E、最高~、E、気持ちいい~と、あまりにMDMA讃歌が過ぎるという理由で放送禁止となり、TV出演の際は歌詞を変えて演奏しなくてはならなかった同曲は当時でもコマーシャルすぎてどうでもいい曲だったこともあり、イギリスやアイルランドで1位、ヨーロッパ総合でも4位という記録を叩き出す。彼らがそこまで多幸感を抱き、世界が変わることを信じた原動力はそして、なんだったのか。それはおそらくソヴィエト崩壊である。シェイメンがまだロック・バンドだった時期にリリースされたサード・アルバムは『In Gorbachev We Trust(英語の慣用句「神に誓って」のパロディ)』と題され、ジャケット・デザインには茨の冠を頭にのせたミハイル・ゴルバチョフの肖像が描かれている。マーガレット・サッチャーがいち早く評価したゴルバチョフは冷戦を終結させた“西側のヒーロー”ではあったものの、その後はどん底を這いずり回ることとなったロシアからプーチンが現れ、ロシアを立て直した過程を知っている僕たちにとって、ゴルバチョフの評価というものがあまりに一面的な価値観のものでしかなかったことはゴルバチョフの訃報に反応するのがやはり西側諸国であり、ロシアでは冷たいムードに覆われているという報道でも確認できる通り。
デトロイトのヒップホップ・プロデューサー、クエール・クリスのソロ7作目は『Deathfame』と題されている。「死に装束」ならぬ「死に名声」とでも訳せばいいだろうか。J・ディラに見初められ、ダニー・ブラウンの初期作に名を連ねてきたギャビン・クリストファー・テニールは2011年にソロ・デビューし、オルタナティヴなサウンドにこだわりつつ、デトロイト・マナーの硬いビートを持続する。全体にストイックなジャズ・フィーリングが畳み掛けられるなか、タイトル曲では音楽産業との確執が語られ、死と引き換えに名声を手に入れるかどうかという葛藤へと踏み込んでいく。「どんなハグにも傷つけられ、殴られれば着想がわく」と苦境を客観視しつつ、「誰かほかの人間になりたい」と泣き言をリフレイン。元々、作風は一貫してダークで、スカしたところはあっても希望にあふれるサウンドとはとても言いがたかったものの、不協和音が織りなす意外性だったり、独特の遊び心や実験精神がもたらす抜け道のような爽快さに救われていたものがここへきて完全に八方塞がりとなった印象を与えるサウンドへと固まり出し、ついに閉塞感情から抜け出られなくなったかと思わせる一方、その徹底ぶりと凝縮度から過去最高の完成度という声も出ている。各曲のタイトルもストレートで、“Help I’m Dead”、“Alive Ain’t Always Living(ただ生きているだけ)”、”Die Happy Knowing They’ll Care(彼らが気にかけていると分かればハッピーに死ねる)”と婉曲表現ですらない。こうした主観の表明に説得力を与えているのが重くならないスモーキーなベースラインや奇妙なスネア、そしてネイヴィー・ブルーの多彩なピアノ・ワーク。ベースラインの自由度を差してか、「アンダーグラウンド・レジスタンスとは似ていないが工業都市デトロイトの歴史に当てはまるサウンドで、マッドリブと同様にアクトレスも想起させる(大意)」と見るピッチフォークのレヴューも面白い。レジデンツとマッシヴ・アタックが出会ったような“King In Black”、サイプレス・ヒルとDJプレミアが鉢合わせした“The Agency Of The Future”、あるいはクライマックスに置かれた“The Sky Is Blue Because The Sunset Is Red”ではデビュー当初のヴィンス・ステイプルズも呼び戻される。「死と名声」といえば広告塔として統一教会に利用された安倍晋三は山上容疑者にも逆の意味で広告塔として利用され、それで終わりかと思ったら、さらに岸田内閣にも広告塔として理由されるというではありませんか。ないがしろに近いゴルバチョフとは対照的な扱いで、しかし、さすがに3回目ともなると品がない(費用は麻生のポケットマネーでいいんじゃないかな。理屈じゃないみたいだし。でも、それじゃ国葬じゃなくて麻葬になっちゃうか)。
ちなみにクエール・クリスが4年前にジーン・グレイと組んだ『Everything's Fine』は彼のキャリアとはまた違ったユニークな内容で、全体にサイケデリック色が強く、暗い時代のデ・ラ・ソウルといったところ。可能ならこちらを先に聴くことをオススメします(2人は共同作業を経てそのまま結婚。ジーン・グレイはジャズ・ピアニスト、ダラー・ブランドの娘で、90年代にはナチュラル・リソース、00年代はブルックリン・アカデミーのメンバーとして活動し、ソロ作も多いMC)。
三田格