「IR」と一致するもの

Robert Merlak - ele-king

 クロアチアのロバート・メルラクの新作『Finomehanika』は2020年における電子工業音楽/インダストリアル・アンビエントを象徴するような音を構築している。
 それはすなわち多層性だ。ここにあるのは単純な工業社会への批評・批判意識ではない。むしろ自然と工業とコンピューターと人間が同居する時代における「多層的な世界観としてのインダストリアル/IDM」を生成しているのだ。

 2020年、世界はレイヤー化されている。あれとこれ、それとこれ、こととものとが複雑に、無限に折り重なり、人の時間と行動と感覚と感情を分断する。あたかも世界と時間のコラージュのように。
 だがそれは00年代~10年代初頭の電子音響のようにスマートで緻密なレイヤー感覚だけを意味しない。もっと歪で、手作りのようなコラージュ感覚である。情報が増大化した結果、われわれの感覚レイヤーは、かつてよりいささか大雑把になった。本作のアートワークのように。だがこれこそ現代の感覚ではないか。

 ロバート・メルラクは、クリアチアのポップ・グループ Marinada のメンバーでもある。ソロとしては Tu M’ やキット・クレイトンなどのリリースで知られるIDMレーベル〈Phthalo〉から1998年に『Icepick Tracks』、2000年に『Albumski』をリリースしてきた。
 この『Finomehanika』は、00年代以降のオウテカ、90年代~00年代の頃のヴラディスラフ・ディレイを思わせもするIDM/ミニマル・ダブ的なサウンドに加えて、00年代のエレクロニカ・レーベルを代表する〈12k〉を思わせるナチュアルなムードと、10年代以降、〈Modern Love〉などの現行インダストリアル・ミュージックと、オリジンともいえるスロッビング・グリッスル『The Second Annual Report』の音響工作を継承するようなインダストリアルなサウンドへと変貌を遂げていた。
 いわば20世紀の残骸を、クロアチアの海と太陽のもとで再蘇生したかのごとき音とでもいうべきか。その音は鉄のように硬く、乾いている。しかし同時に伸縮し、まるでオウテカを原初的にしたような音が蠢いてもいる。マシンでありオーガニック、硬質でもあり流動的、コンピューター生成の精密さと手作りの素朴さ。これらの相反する要素が混在する実に不思議な感触を持った電子音楽である。

 リリース・レーベルは『Electro Music Union, Sinoesin & Xonox Works 1993 - 1994』などレアなダンス・ミュージックのトラックを送り出すUKの〈Cold Blow〉、そのサブレーベル〈SWIMS〉だ。〈SWIMS〉はアンビエント、ドローン、コンクレートなどエクスペリメンタルに特化したキュレーションを実践していて、この『Finomehanika』は、2019年にリリースされた Roméo Poirier 『Plage Arrière』と Electric Capablanca 『Puzzles & Studies』につづく3作目の作品となっている。
 レーベル前2作のアルバムは清涼感と透明感に満ちたエレクトロニカ/IDM系のサウンドだったが、本作はまるで「70年代末期~80年代のインダストリアルと90年代IDMと00年代エレクトロニカ」をミックスさせたようなサウンドを展開しているのだ。

 アルバムには全8曲を収録。まず1曲め “Pao MD” は乾いた音の反復に、郷愁すら感じさせてくれる旋律が遠くから音のカーテンがなびくように聴こえてくるトラックで、そこにプリミティヴな電子音がレイヤーされていく。続く2曲め “Pogled iz sobe” も淡い電子音に水の音のようなサウンドがレイヤーされるが決して癒しのエレクトロニカにはならず、どこか白昼夢の光景のような不穏さを感じさせるサウンドスケープを展開する。
 3曲め “Obrazi, dio drugi” は硬質な電子音に、不安定なリズムが交錯し、インダストリアルなムードが満ちてくるトラック。4曲め “Majka” は1曲め “Pao MD” のような素朴なリズムの反復に、ときおり鳥の声のようなサウンドがミックスされていく曲。続く5曲め “Bilo jednostavno” は細かなリズムを中心としたトラックで、そこに伸縮するような電子音/ノイズが連鎖される。途中からリズムがミュートされ、原初的な電子音が鳴り始め、うっすらと旋律と響と声が聴こえてくる点も巧妙な構成に思えた。

 そして6曲め “Bijeli VAZ” も電子音のミニマルなレイヤーに、水の音が弾けるサウンドがレイヤーされ、そのむこうに記憶の反復のような微かなアンビエンスで旋律の欠片のごとき響きが聴こえてくる。7曲め “Udah i led i izdah” は一転して無機質な電子音の高周波を基調としてウルトラ・ミニマルな曲だ。ラスト8曲め “Skele” は引き続き静謐な電子音とマテリアルな質感のノイズが静かに交錯するインダストリアル/アンビエント。この曲をもってアルバムは澄んだ空気の中で音響が蒸発するように終る。アルバム全曲、なんというかマシンの残骸が太陽の陽光のもとにしだいに錆びていき、自然の光や風と交錯するようなサウンドなのだ。

 インダストリアル、IDM、ミニマル・ダブ、エレクトロニカの系譜。それは無機質な鉄と機械の音の響き、残響、壊れたリズムの不安定な反復と逸脱の系譜でもある。それらに加えて本作独特のどこか海の風を感じさせるサウンドスケープがミックスされていく。ひとつからふたつへ、固定からゆらぎへ、その両極を行き来する塩梅が絶妙なサウンドスケープが生まれている。

 確かにフォームとしての新しさはないかもしれない。しかし電子音響、IDM、そして世界の「いま」を象徴するようなアルバムだ。いまの時代の空気を「聴く」ように、何度も聴取したくなる絶妙な音響空間がここにある。

interview with Jon Hassell - ele-king

いま我々はとんでもなく奇妙な……なんともおかしな時期を潜っているものだね。この疫病のおかげで自宅に閉じ込められているわけだし……。エレクトロニクス関連の性能が上がり、放送の方法も変化し、ディジタルといった新しいことも存在していて……うん、これは非常にパワフルな転換点だろうね、いまのこの世界を「第四世界」と呼ぶタイミングとして。

 作曲家/トランペット奏者ジョン・ハッセルの2年ぶりのニュー・アルバム『Seeing Through Sound』が登場した。前作『Listening To Pictures』は“Pentimento Vol.1”なるサブ・タイトルが付いていたが、今作は“Pentimento Vol.2”、つまり続編である。また、前作同様、自身で設立したレーベル〈Ndeya〉からのリリースだ。

 1937年3月生まれ(米テネシー州メンフィス)だから、現在83才。ミュージシャンとしてのキャリアも半世紀以上になるジョン・ハッセルの名が一般的に知られるようになったのは、ブライアン・イーノとの共同名義で発表したアルバム『Fourth World Vol. 1 - Possible Musics』(80年)からだが、そこで彼が提唱した「第四世界」なるコンセプトや独創的サウンドはいまなお若い音楽家たちに影響を与え続けている。たとえばワンオートリックス・ポイント・ネヴァーやヴィジブル・クロークス、フエルコ・S.等々の作品を聴けば、ハッセルの音楽的ヴィジョンが現在の先端シーンといかに密接につながっているのかがよくわかるだろう。2017年にはグラスゴウのDJデュオ、オプティモのJD・トゥイッチが運営する〈Optimo Music〉から、『Miracle Steps:Music From The Fourth World 1983-2017』という「第四世界」をテーマにしたコンピレーション・アルバムもリリースされている。
「ジョン・ハッセルは、この50年間でもっとも影響力のある作曲家の一人だ。彼が〈第四世界音楽〉と呼ぶものを発明したことで、世界中の他の文化の音楽をより深く尊敬し、新鮮な目で見る道が開かれた」。これは、イーノがハッセルについて語った最近の言葉だ。

 誤解を恐れずに大雑把に言うと、ジョン・ハッセルの音楽は以下の4大元素から形成された。シュトックハウゼン、ミニマリズム、インド音楽、そしてマイルズ・デイヴィスである。
 ニューヨークの名門イーストマン音楽学校でトランペットや作曲などを学んだ後クラシックのオーケストラでトランペット奏者としてキャリアをスタートさせたハッセルたったが、セリエリズムや電子音楽、サウンド・コラージュなど当時の現代音楽の最先端モードに魅せられて、60年代半ばの2年間、独ケルンでカールハインツ・シュトックハウゼンの下で更に学んだ。当時、同じクラスで学んだ仲間には、後にカンを結成するイルミン・シュミットやホルガー・シューカイもいた。
 ケルンからNYに戻ったハッセルが次に出会ったのは、米現代音楽の新潮流として注目を集めつつあったミニマリズムの先駆者たち、ラ・モンテ・ヤングやテリー・ライリーたちだ。ハッセルは、ヤングの主宰するミニマル/ドローン・プロジェクト「永久音楽劇場」に参加するなどこのサークルと親しく交流しながら、ミニマリズムの手法も消化していく。ハッセルがトランペット・プレイヤーとして初めてレコーディングに参加したのは、テリー・ライリーの歴史的傑作『In C』(68年)であり、その次が、ラ・モンテ・ヤング/マリアン・ザズィーラ『The Theatre Of Eternal Music:Dream House 78'17"』(74年)だ。また、この70年前後の数年間にハッセルは、エレクトロニクスを用いた実験音響作品をいくつも作り、美術館などで発表している。
 ヤングやライリーとの交流は、ミニマリズム以外にもうひとつの新しい扉をハッセルに開いた。民族音楽である。米ミニマリズムは元々、アフリカやインド、インドネシアなどいわゆる第三世界の民族音楽を重要なインスピレイション源にしていたわけで、実際ヤングやライリーは、インド音楽の声楽家パンディット・プラン・ナートに師事してインド声楽も学んでいる。そしてハッセルも、彼らのインドでの声楽修業に同行したのだった。つまりハッセルは、70年前後の段階で、セリエリズムや電子音楽、サウンド・コラージュやミニマリズムといった最先端の現代音楽を習得し、更に第三世界民族音楽にも入れ込んでいたわけである。
 そしてもうひとつ、ビートニク世代のトランペッターとしてハッセルが並々ならぬ関心を寄せていたのがジャズの新しい潮流、とりわけマイルズ・デイヴィスの動向だ。この70年前後は、マイルズが強力にエレクトリック化を推し進めていた時期であり、彼を中心にジャズ・ロックという新様式が注目を集めていた。電子音や不協和音、エスニック・エレメントまでを取り込んだマイルズの作品群――『In A Silent Way』(69年)から『Get Up With It』(74年)あたり――の斬新なサウンド・プロダクションがハッセルにいかに多大な影響を与えたのか……それは、77年に出たハッセルの初ソロ・アルバム『Vernal Equinox』や2作目『Earthquake Island』(78年)を聴けばよくわかるだろう。こうしたキャリアを経て80年に世界を驚かせたのが、件の『Fourth World Vol.1 - Possible Musics』だったわけである。以後ハッセルは20枚ほどのソロ・アルバムを発表する傍ら、トーキング・ヘッズやデイヴィッド・シルヴィアン、ピーター・ゲイブリエル、ライ・クーダー、エクトール・ザズー、ハウイー・Bなどさまざまな音楽家たちの作品にも参加し、“第四世界音楽の導師”として不動の地位を築いてきた。ドイツ時代の仲間ホルガー・シューカイとも、『Alchemy - An Index Of Possibilities』(85年)や『Words With The Shaman』(85年)といったデイヴィッド・シルヴィアンの作品で共演している。

 というわけで、今回のジョン・ハッセル電話インタヴューでは、新作に関することだけでなく、これまでのキャリアや独創的音楽哲学についても語ってもらった。が、老齢に加え、コロナ・パンデミック下における体調不全も相俟ってか、対話はかなり混沌としたものになった。前の質問を引きずって同じことを繰り返したり、ややこしい話になると途中で思考や説明を投げ出したりと、脱線や蛇足、辻褄のあわない問答がいくつかある。そしてそのなかでしばしば放たれる恐ろしいほどの明晰さ……。当初は、明確な整合性を考慮して問答をわかりやすく編集しようと考えたのだが、しかし、この朦朧とした世界、輪郭のぼやけた世界こそがジョン・ハッセルらしいとも思えてきて、編集は最小限に抑えることにした。通訳の坂本麻里子さんとのなにげないやりとりなども、できるだけそのまま生かしてある。時間的制約のため、ブライアン・イーノとの関わりのことや、70年代前半の活動のことなどを聴けなかったのが残念ではあるが…、ハッセルの作品をBGMにしつつ“第四世界”からの声を楽しんでいただきたい。

というわけで、「音楽を垂直に聴く」というのは、自分自身に質問を発しながら聴くという意味であって、おそらくそれがもっともよく当てはまるのは、そうだなあ……連続していくピースで、しかしそれが常に変化している、そういうものだろうね。シュトックハウゼン作品がいい例だろう。

取材をはじめさせていただいてよろしいでしょうか?

ジョン・ハッセル(JH):ああ。ただし、ひとつだけ注意させてもらうと、いまはまだ回復期にあってね。この取材を今日受けるってことも思い出したばかりだし……というのも、昨日医者に診てもらい、MRI検査他を受けてね。だから取材のタイミング等について少し混乱させられてしまったけれども……うん、取材をやろう。できるだけがんばって答えるから。

2018年の『Listening to Pictures』と、今回の新作『Seeing Through Sound』は、どちらも「ペンティメント Pentimento」シリーズの作品として発表されましたが、この「ペンティメント」というコンセプトについて、改めて説明していただけますか。

JH:うん、あれは……(何かに気づいて)ありゃなんだ? ちょっと待って、窓の外に誰かいるぞ……冗談だろう? 庭掃除してるのか? (電話越しに人の話し声がかすかに聞こえる)やれやれ、まったく……しょうがないな、ちょっと待ってくれるかい? あの連中から離れるから……(と、窓のそばから移動した模様)。これでよし、と。

 さて……まあ、辞書を引いてみれば、「ペンティメント」は「塗られたもの」に由来する絵画用語だと説明されている。ある絵画の一部の要素の上に他の絵が塗り重ねられた状態のことで、そこからあのタイトルの「Seeing Through(表面からその下にあるものを見透かす)」的な意味合いが生じてくる。というのも、アーティストにとっては間違いであり、上から塗って変更したものを、滝のような絵の具のほとばしりや一群の色彩の連続を透かして見ることができるわけで。このタームはまだ音楽的に使われたことがなかったと思うし。というわけで……上にかぶされた変化というか、様々な変更を加えていくうちに、ついにはその人間の探していたものが現れてくることを指している……こんな説明でいかがだろう(笑)?

なるほど。絵画の修復作業とは違うんですね。あの場合のペンティメントは、ある作品の下に描かれたのは何か、そのオリジナルを見つけるということだと思います。そうではなく、このシリーズの場合は歳月によって絵画が古びたり絵の具が剥げて変化していくという意味に近いのかな。と。

JH:まあ……一般的な意味でのペンティメント、本来の意図とここでの私の意図は異なるわけだ。そういった修復行為は概して過去の名作、巨匠の作品に関わってきたんだと思うけれども、その下にあるものを見つけようとする、というのはわたしには適切なメタファーとは思えない……そうだな、うん、何かを再び用いて、それを新たな文脈のなかに置く、ということじゃないかと。

あなたは以前から「垂直の音楽」という独自の視点について語ってきましたが、今回の「ペンティメント」というコンセプトとの関係について説明していただけますか?

JH:フム、そうだな。ああ〜(苦笑)……通話にフィードバックが起きているな。何秒かの間隔でディレイがあって自分の声が戻ってくる……どうしたものか。自分の声が反響するのを聴いているとどうも混乱するんだ。困ったな。君の側で何か手を打てるかい? わたしが自分の声を聴かなくてもすむように、何かできる?

試しに改めて電話をかけ直してみましょうか? それくらいでは解決しないかもしれませんが。

JH:よし、じゃあトライしてみようよ。

(かけ直す)

先ほどの通訳ですが。

JH:フム……今度は君の声が非常に遠くなったな。すごくぼやっとしていて声がほとんど聞こえないくらいだよ。

それは困りましたね……こちらははっきりと聞こえるんですが。

JH:ちょっと待って、こちらで少しいじってみるから……(と何かやっている)うん、イエス! これでどうだい? よく聞こえる?

ええ、こちらははっきり聞こえます。

JH:そうか、よしよし。いや、家の周りでいろんなことが起きていてね。まったく! 庭掃除でガーデン・ブロワーを使っているんだよ(笑)。大変うるさいし、しかもたまたま電話取材を受けている悪いタイミングで作業がはじまったという……

(苦笑)

JH:それはともかく。うん、電話で話すのに向いたスペースを見つけたし、これでお互いクリアに聞こえそうだな。

マイルズ(・デイヴィス)は彼の絵画をいくつかジャケットに使ったが、あれは視覚と音響とをひとつに合わせるやり方だったわけだ。要するに、「この絵画が君に語ろうとしているのは何か」という。あの絵と音楽の間に働く(苦笑)エロティックな連想について疑問の余地はないし、でもそれと同時に宗教的な連想もあって。とにかくそうやって、物事の間にある区分を打ち壊している。

はい。というわけで質問に戻ります。「垂直の音楽」と「ペンティメント」との関連についての話だったんですが……

JH:ああ、まあ、非常に広い意味でつながっている、ということじゃないのかな? だから……音楽を垂直に聴く行為は、「自分がいま耳を傾けているこれは何なんだろう?」という根本的な質問を自分自身に問うことを意味していてね。どういうことかと言えば、いわゆる普通の聴き方とは逆に、「なるほど、いまここでこういうことが起きているぞ。そして次の瞬間は……」という具合に一瞬一瞬をつぶさに聴いていく、みたいなことで。思うに、シュトックハウゼン作品のいくつかだとかが、そういう聴き方を求めてくるんじゃないかと……いや、それよりももっと一般的に話を進めようかな。
 だから、水平ではなく垂直に音楽を聴くプロセスというのが本当に当てはまるのは──いくつかの音楽は、音楽の近年の歴史において、ある意味新たな発想だったわけだろう? というのも、聴き手は本当に耳にすることを、音の層を見透かしながら(see through)聴くことを求められるわけで……(新作のアルバム・タイトルと同じ表現であることに気づいて苦笑しながら)……まあ、はっきりした意味はこれだと説明したくはないんだが……要するに、聴き手は毎秒ごとに「これは何だ? 自分がいま耳にしているのは何だろう?」と自問することを求められる、という。「垂直に聴く」広い意味での概念、コンセプトはそういうものだけれども、私としては君の側に時間を無駄にして欲しくないというか………だから、聴いていて感情の面で君に何らかの反応を起こすものが得られていれば、そこでいちいちこの私の思考はどうなのだろうとか、意識したくはないだろうし。そこはあまり重要ではないんだよ。というのもどちらの発想も、それそのものはほとんどずっとと言っていいくらい存在してきたわけだから。
 とにかく、あるアイディアに集中する、自分の聴いているものに光を照らしてはっきりさせる、みたいなことであって……そうは言っても、モーツァルトをそういうやり方で聴く意味はほとんどないけれどね。あれはまったく違うタイムラインにおいて、異なるコンセプトのもとに作られた音楽だから。というわけで、「音楽を垂直に聴く」というのは、自分自身に質問を発しながら聴くという意味であって、おそらくそれがもっともよく当てはまるのは、そうだなあ……(考えながら)連続していくピースで、しかしそれが常に変化している、そういうものだろうね。シュトックハウゼン作品がいい例だろう。ただまあ、やろうと思えば何にでも当てはまるんだけどね。だから、「自分は何を聴いているんだろう」と考えること、自分の心の中を過っているのはどんな絵か、そしてそれが起きるのはなぜか? を考えることは何であれ可能なわけで。もちろん、これらは結局のところアイディアに過ぎないけれども。だから別に一切用いなくても構わない、これらのアイディアを聴くときに常に当てはめる必要はないんだ。これは純粋に音楽的に聴く、あるいはエモーショナルに感じとるのではなく、音楽を聴きながら理知的に考えを巡らせる行為を自らに課すということだから。

質問者は15年前にあなたにメール・インタヴューしましたが…

JH:おお、そうだったんだね。

で、そのときあなたは「いつか、画家のマティ・クラーワイン(Mati Klarwein)の作品をモティーフにしたアルバムを作りたい」と言ってました。『Listening To Pictures』のインナー・スリーヴの献辞であなたはマティのことを「不朽の我がブラザー」と形容していましたが、これら2作品がまさにそれなんですね?

JH:ああ。あれはある意味、とにかく違うものを……聴く側にツールのようなものをもたらそう、ということで。音楽の中で何が起きているかを考える、それをやるための違う手段をね。いくつかの音楽は、それがやりにくいから。たとえば、シュトックハウゼンのエレクトロニックな作品とかね。15年前の発言や、『Listening To Pictures』のスリーヴでのコメントは、聴き手が耳にしているのはどんなものか、そしてそれを頭のなかでどうやってある種絵画的に形容するか、その手がかり/ヒントになるものなんだ。少しだけ、それを忘れにくくするためのツール、とでも言っておこうか(笑)。イメージに置き換えることによってね。聴く者は音楽という名の抽象のなかを動いていくわけだし、移動する間にその標本をつかみとり、それを眺めて考えをめぐらせ、「さて、いま自分の聴いているこれはいったい何だろう?」と自らに問いかけていく。「どうしてこれは他の何かとは違うんだろう?」とね。で、それらの判断は瞬間的に下されていくものだし、ゆえに聴いているものを実際に楽しむための妨げにもなりかねない。けれども一方でまた、新たな聴き方をおこなうための刺激材料にもなり得るんだよ。

これら2枚はあなた自身が設立したレーベル「インディア(NDEYA)」からのリリースですが、つまり、マティ・クラーワインへのトリビュート作品を出すために、わざわざ自分のレーベルを作ったと考えてもいいでしょうか?

JH:ひとつだけ、言わせてもらってもいいかい? レーベルの名前だけれども、正しくは「インデイヤ」と読むんだ。この名称はマティ・クラーワインの受けていたインスピレイションに由来いている。私はスペインのマヨルカ島のデイアでしばらく彼と一緒に暮らしたこともあったんだ(註:マティ・クラーワインは2002年に亡くなるまで、マヨルカ島北西部にある村デイア=Deia で暮らしていた)。そこでマティがどういう風に作品に取り組んでいたか、彼の受けた影響はどんなものだったか、彼があれらの絵画──わたしにとって非常に大きなものであるあれらの世界を生み出していく過程で聴いていたのはどんな音楽なのかを私は知っていった。彼が亡くなる前にあの地で一緒に過ごした経験は私にとって本当に素晴らしいものだった。だから、このレーベル名はマティ・クラーワインの芸術に対するオマージュなんだ。

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黒人音楽はたしかにわたしの最初の音楽体験だった。私はティーンエイジャーだった頃にトランペットの教師について学んでいたし、そうした教師はほぼ誰もがジャズあるいはポップ畑の出身だった。それにもちろん、メンフィスで育った限り、あの「ブルースのフレイヴァー」が身体の一部にしみ込まずにいるのは無理な話であって。わかるだろう? 

マティ・クラーワインの絵のなかにある哲学とあなたの音楽のなかにある哲学はどのようにクロスしているのでしょうか。あるいは、マティの作品はあなたにどのようなインスピレイションを与えてきたのでしょうか。

JH:そうだなあ、結局、あの島がもたらしたインスピレイション、ということになるだろうね。あの、地中海に浮かぶ島の。とにかく、彼の霊感がどこから発していたのかを自分も目にしたわけで。彼の絵画作品には長い歴史があり、そこでは原始的なものと未来的なイメージが混ざり合っている。だから、私は彼の作品から他とはかなり違うものを学んだんだ。それに彼は根っからの音楽好きだったし、いろんなことに興味のある人で。おかげで私たちは、パーソナル面とアーティスティック面の両方で交換し合う素晴らしい関係を結べたんだ。

エレクトロニクスを駆使し、さまざまなエスニック・エレメントを取り入れた近年の音楽作品には、あなたの子供や孫のような作品が少なくありません。若い音楽家たちに対する自分の影響力について、あなた自身はどのように認識し、どう感じていますか。

JH:まあ、そうやってお世辞を言われるけれどもね。私のやった何かから出てきたものを興味深いと思ってくれる人がこれまでにいた、と。で、まあ……こういう見方をしてみたらどうだろう? たとえば視覚や聴覚といった感覚機能を組み合わせていくと、わかってくるものなんだ。そこには相当な……そうだな、マティ・クラーワインの絵画作品を見てみるとしようか。実際の話、彼の絵はよくマイルズ・デイヴィスや、マイルズのレコーディング作品と結びつけて考えられている。というのも、何作かのジャケットにマティの絵が使われているから(註:『Bitches Brew』、『Live-Evil』など。その他、マティが描いたアルバム・ジャケット作品を集めた画集「Mati And The Music:52 Record Covers」も出版されている)。君はマティの手がけたマイルズ作品は知っているかな?

はい。

JH:マイルズは彼の絵画をいくつかジャケットに使ったが、あれは視覚と音響とをひとつに合わせるやり方だったわけだ。要するに、「この絵画が君に語ろうとしているのは何か」という。あの絵と音楽の間に働く(苦笑)エロティックな連想について疑問の余地はないし、でもそれと同時に宗教的な連想もあって。とにかくそうやって、物事の間にある区分を打ち壊している。ある意味、許可を与えられた というか……だから、「セクシーなジャケットのJ・S・バッハ作品のレコード」を見かけることはまずないだろう?

(笑)ええ。

JH:(笑)まあ、人によってはセクシーに映るジャケットだ、ということもあるかもしれないが。ただ、彼がマイルズ作品のために描いたなかでもっとも最近の絵画を眺めてみれば、そこに見てとれると思うよ、インデイヤという概念を備えた世界を。つまり、私はそのなかに入ったことがあるわけだ。実際インデイヤ(デイア)に行ったことがあり、マティとも親しかったし、彼の音楽の趣味がどれだけ幅広くて雑食型だったかも知っている。とにかくそうやって、あのアート間の結びつきを、視覚芸術と音響芸術の間の結びつきを作ろうとする、ということなんだよね。そこはかなりユニークなところだと私は思っている。

あなたは77年のソロ・デビュー作『VernalEquinox』から Eventide社のハーモナイザー「H910 Harmonizer」を使い、83年の『Aka / Darbari / Java』からはフェアライトも導入しましたよね? 

JH:ああ。

新しい機器との出会いは、往々にして、新しい表現を生み出しますが、あなたは常に楽器やイフェクター、あるいはテクロノジーの進化に目を配っていますか。

JH:幸い私はこれまで、とても多くのいろんな類いのミュージシャンたちと関わってこられたし、その面で恵まれていた。おかげで、何が起きているのか、かなり広い視点から捉えられているよ、グラフィック面においてね。そして、それが実際にどう関連しているか……音楽とその音楽の叙述――おそらくそれは音楽をグラフィックとして代弁したもの、と言っていいだろうけれども、それらのふたつがいかに関わり合っているかも知っている。それはわたしにとって非常に重要な点であり続けてきたし、マティは……基本的に彼はわたしの兄弟分だったわけだ。少なくともスピリチュアルな兄弟と言っていい。

インド音楽には西洋音楽よりもはるかに古い音楽的伝統があるからね。もっと、ずっと、ずっと、ずっとディープなものだ。その全体像については、いわゆる「ラーガの宇宙」とでも言っておこうかな。それは途方もなく繊細、かつ美しいものだ。

あなたの初期の作品には、1970年前後のマイルズ・デイヴィスの音楽からの強い影響を感じます。あなたにとってもっとも重要なマイルズの作品はどれでしょうか。

JH:フーム(考え込んでいる)……そうだな……ぱっと思い浮かぶのは『Live-Evil』だな。というのも、あのジャケットはマティによるものだから。あのアートワークは、ひとつの面は一種のパラダイスの図であって、そこにはエロティックな要素が含まれている。対してジャケットの別の面はこの、まったくの……フーッ、あれはどう形容すればいいのかな……完全なる退廃、および醜悪さ、醜さを描いていてね。一方はエクスタシーの図であり、かたやもう一方は嘆かわしいある種の地獄図で、けれどもそのどちらもマイルズである、という。

『Live-Evil』は音楽的にもあなたにとって重要でしょうか。

JH:そうなんだが……ここであの作品が浮かんだのは、私には彼の絵との繫がりがあるわけだし、ある意味彼の過去の作品とのつながりを強調するため、というか。彼の作品は、わたしが今回用いたように、これからも再生利用が可能だと思う。

メンフィスで生まれ、黒人音楽に囲まれて育ったことは、あなたの表現にどのような影響を与えたと思いますか。

JH:黒人音楽はたしかにわたしの最初の音楽体験だった。私はティーンエイジャーだった頃にトランペットの教師について学んでいたし、そうした教師はほぼ誰もがジャズあるいはポップ畑の出身だった。それにもちろん、メンフィスで育った限り、あの「ブルースのフレイヴァー」が身体の一部にしみ込まずにいるのは無理な話であって。わかるだろう? とにかくそれが存在しているんだ。というわけで……ここで君の訊きたいことは、ざっくり言えば「南部で育ったこと、そしてそのブルースの世界がどれだけわたしに影響したか?」ということだと思うけれども、だとしたら、その答えは「強かった」になる。そうは言っても、多くの人間が様々なやり方でブルースをやっていたし、だからきっと、そこからわたしの受けた影響やどうそれを活かすかも、ちょっととらえ難くて微妙なものなんだよ。それはつまり、「10代にトランペットを習っていた頃に受けた初期の影響の数々と、ジャズのパフォーマーたちの影響とをあなたはどうやって溶け合わせたのでしょうか」と質問するようなものであって……それらは間違いなく、重要なエレメントだった。

あなたは世代的にはビートニク世代だと思いますが……

JH:ああ、そうなんだろうね。

これまでの人生で、自分自身の中にビートニク性を感じたことはありましたか。

JH:ハハハハハッ! まあ、君がどう解釈するのか私にはよくわからないし……君がどう考えているのか、ビートニクというタームに対する君の態度/志向を知らないから。なので、その質問は、また別の機会に改めて訊いてもらう方がいいと思う。その方が自分もいい回答ができると思う。

わかりました。あなたは60年代半ばにシュトックハウゼンの下で2年ほど学びましたが、そこでの最大の収穫は何だったと思いますか。

JH:もちろん、現代音楽を学ぶ過程でアーノルト・シェーンベルクとセリエル音楽の到来があったわけで、そこでは数値が……(苦笑)すまないね、どうも誰かが家に来たらしくて、そっちに気を取られてしまった。おかげで気が散って答えに集中しにくくて。で、ええと……質問は、そう、シュトックハウゼンについてだった! OK。シュトックハウゼン、彼は非常に……理論的なタイプの人物だった。けれどもそればかりではなく、彼が初期に書いた作品には子供合唱団の、子供たちの声のエコーから成るものもあった。つまり、彼の幅はかなり広かったということであり……彼はドイツのケルンで育ったはずだし、そこからきていたんだろうね。それから、前衛の探究が始まり、十二音階システムへと方向を変えたわけだ。シェーンベルクがはじめた十二音技法へとね。シェーンベルクも、そのカテゴリーのなかで、いくつか美しい作品を残しているが……まあ、その質問に対する答えはどこかにあるんだろうけど(苦笑)……すまないが、そのためには非常に多くの話をしなくてはならないから、このへんで。

わかりました。

JH:とにかくまあ、シェーンベルクとシュトックハウゼンのやったことはエモーショナルであり……そして美しい、というのに尽きるね。あの当時に使えた主な編成はオーケストラだけだったわけだが、彼らはこの十二音技法、セリエリズムのコンセプトをオーケストラに移し替えようとしていた。セリエリズムが意味するのは、出てきたもの次第で最終的な解決が変化するということだが、それは音響スペクトルを操作することによって生み出されるものであり、かつ、あの当時の欧州音楽の歴史と何らかのつながりも維持しようとしていたわけだ。つまり、伝統を完全に放棄することなしにおこなわれていたから、かなりクラシック音楽調な、美しいものをそのなかで聴き取ることができる。

あなたと一緒にシュトックハウゼンの下で学んだイルミン・シュミットとホルガー・シューカイは、その後カンを結成しました。70年代半ばまでのカンの作品はいまなお高く評価されていますが、当時あなたは、カンの音楽についてどう思っていましたか。あるいは、何らかのインスピレイションを受けたことはありましたか。

JH:ああ、シュトックハウゼンの授業を一緒に受けたサークル内において、彼らとは親しい間柄だった。シュトックハウゼンは非常にオープンな人でね。十二音技法というアイディアの協和音の範囲のなかですらそうだった、という意味で。そこでは十二音の細かなリズムがコンスタントに入れ替わっていくわけだが、となると何らかの形での調律を取り入れ、そして美しさを生み出す方法をあのシステムの中から作っていかなければならない。で、あのシステムそのものはとても……ある面でメカニカル、かつ厳格なものだし、そこに何かを付け加える必要がある。十二音技法に取り組んでいたグループの面々は、自分たちの音楽的伝統から完全に離れようとしたわけではないんだよ。たとえばアントン・ヴェーベルン……あの一派(十二音技法〜セリエリズム)の作曲家たちのなかで私がもっとも好きな人だが、彼は丘に放牧された羊のサウンドのエコーを使った音楽、みたいなものをやったことがあった。ということは、シェーンベルクの十二技法を用いつつ、そこにそうしたアイディアを盛り込んでもいいということで。そうした要素をどう変えていけるか試してみるのは間違いなく素晴らしいことだ。たとえ、あれだけ厳格なシステムを使っていても、そこから何か美しいもの、アルプスの山麓で羊飼いの鳴らすベルの音色に耳を傾ける時のように心をとらえインスパイアしてくれる何かを作り出すことができるという……ああ、で、カンについて言えば……彼らが何をやっていたかは、実はちゃんとフォローしていなかったんだ。だからあの時点では、彼らがグループを結成したのは私にとって大きな驚きだった。でも、元クラスメイトとして彼らに対しては強い思いを抱いているし、ああして学んだことから彼らがどこに向かうことを選択したのか、いかにして自分たちの表現したいことを決めていったのか、そこにも感じるところは大きい。

ラ・モンテ・ヤングやテリー・ライリーと共に、インドでパンディット・プラン・ナートにも師事しましたが、インド音楽と西洋音楽の最も大きな違いは何だと思いますか。

JH:まあ……インド音楽には西洋音楽よりもはるかに古い音楽的伝統があるからね。もっと、ずっと、ずっと、ずっとディープなものだ。その全体像については、いわゆる「ラーガの宇宙」とでも言っておこうかな。それは途方もなく繊細、かつ美しいものだ。だから本当に深く、じっくりと学ばなくてはならないものだと思う。テリー・ライリーが実践したようにね。あの長い、長い、実に長い歴史と何らかの形で連携を持つためには、深く学ばなくてはならないんだ。さまざまな構成要素を持つその歴史は何百年も前にまでさかのぼるわけだから。ラーガにはそれぞれ特定の意味もあるしね。たとえば、ある種のラーガは朝にだけ歌われたり演奏されるし、あるいは夜にだけ演奏されるものもある。雨の日にだけ演じられるラーガもあれば、雨の降らない日のためのラーガもある。ラーガというのは非常に環境と密接に繫がったアートの形式であり、とても機微に富んでいる。テリー・ライリーは西洋世界におけるそのマスターになっていて、私は彼の下でも学んだんだ。インド音楽もまた、私の受けた教育や影響の中の、別の、非常に重要な要素のひとつだった。

70年代末期にあなたが提唱した「第四世界(Fourth World)」というニュー・コンセプトは、すでに70年代初頭からあなたの頭のなかにあったと何かで読みましたが、このコンセプトはどういう経緯やきっかけで生まれたのでしょうか。

JH:そのコンセプトについて考える際には、あの当時の世界がどんな状況にあったのか、昔の文脈に思考を移してもらう必要がある。だから……ええと…(ひとりごとのようにつぶやきつつ)すまないね、質問の最後の部分は何だったかな? ああ、そうだ、世界についてだった……ある特定のサウンドによって「朝」や「夕方」、あるいは「雨降り」や「雨の降っていない状態」といった感覚を喚起することのできるこの感性、それはとても古い時代に起きた現象だったわけだよ。それが起きた場を実際に味わい、寺院の屋根に上がってそこで師匠と一緒に音楽の練習をするというのは……本当に、本当に素晴らしいことだった。部分的に「垂直な音楽」とも被るけれども、こちらはもうちょっと広範なもので……つまり、古代から伝わる形式からの影響を現代のフォルムにもたらすということだった……いや、そうじゃないな…もっとシンプルな話、「追加」のようなものだったんだ。あの当時、世界は分割されていた。第三世界、一般的にはより貧しい国々と考えられていた世界と、先進国側とにね。で、その頃、さまざまな楽器やエレクトロニク・サウンドのもたらす可能性などが登場した。そこで私は思ったんだよ。じゃあ、ここにもうひとつ付け加えたらどうだろう、と。自分がその宣伝マンになればいいじゃないか、とね。
 で、その「第四世界」が意味するものはいったい何だろう? 我々も知っていたわけだよね、第一世界というのは西洋社会の持つ経済的なパワー云々のことであり、対して第三世界は「持たざる者たち」のことで、かつそこに暮らす人々はさまざまな苦難を味わっている、と。ところが彼ら第三世界の人びとは、つらい目に遭いながらも、この非常に古代的に思える音楽をまだ演奏していたわけだよ。では、純粋にコンセプトとして、そこに第四世界というものを付け加えてみたらどうだろう? その世界はどんなものだろうか? と。そうやって私は、第四世界があったらそれはどんなものだろうかという想像力を広げてみたわけだ。第三世界は「貧困」や「後進」と同義語だったわけだが、その下に第四世界というものを足してみたらどうだろう、と。いまの我々にはさまざまなテクノロジーがあるんだし、それをその発想に含めたらどんな組み合わせが生まれるだろうか? と考えたんだ。

なるほど。だから『Fourth World Vol. 1』には「Possible Musics(起こり得る音楽)」なるサブ・タイトルが付いていたわけですね。

JH:あー、うん、まあ、そういう捉え方もひとつとしてあるね、うん。

もう予定時間も過ぎていますし、ここで終わりにします。

JH:OK。

今日は、お時間をいただいて、本当にありがとうございました。どうぞ、お体にはお気をつけください。コロナがまだ蔓延していますし、用心ください。

JH:(笑)ああ〜、うんうん、もちろん用心するよ! いま我々はとんでもなく奇妙な……なんともおかしな時期を潜っているものだね。この疫病のおかげで自宅に閉じ込められているわけだし……

ですね。

JH:(うん、実に奇妙な時代だ。エレクトロニクス関連の性能が上がり、放送の方法も変化し、ディジタルといった新しいことも存在していて……うん、これは非常にパワフルな転換点だろうね、いまのこの世界を「第四世界」と呼ぶタイミングとして。

Run The Jewels - ele-king

 以下に掲げるのは、8月26日発売『別冊ele-king ブラック・パワーに捧ぐ』に収録されたジェイムズ・ハッドフィールドの原稿です。今回、同号の予告編として特別に先行公開いたします。なお彼は同誌にてビヨンセやギル・スコット・ヘロンについても書いています。(編集部)

 ラン・ザ・ジュエルズの4作目にしてこれまででもっとも重要なアルバム『RTJ4』を、5月29日のアトランタでおこなわれ、SNS上で広くシェアされたキラー・マイクのスピーチと切りはなして考えるのは難しい。数日前からはじまっていたジョージ・フロイドを殺害した警官にたいする抗議が、破壊的な展開を見せていくなかで、マイクは民衆の怒りを認めつつ、同時にまた、その怒りを自分たちのコミュニティへ向けてはならないのだと説いていた。
 「俺たちは百貨店が燃えあがるのを見たいわけじゃない」と彼は述べている。「俺たちは、体系的な人種主義を作りだしているシステムが燃えあがるのが見たいんだ」
 『RTJ4』はこのスピーチの翌週に発売されたが、これほどタイミングのいいリリースはそうそうないことである。そこには怒りがあり、ユーモアがあり、敵意を削ぐような率直さがあって、目下の状況が先取りされていると同時に、目下の状況との共鳴が見られる。ラッパー兼プロデューサーであるエルPのキャリアのなかでもっともパンチがあり、もっとも派手な作品だといえるこのアルバムは、時代の終わりのためのパーティ・ミュージックである。リード・シングル “オー・ラ・ラ” のMVのなかで予見されているのは、まさにそうしたイメージだ。そのなかで彼らは、資本主義の終わりを祝うブロック・パーティを主催し、価値のなくなった大量のドル札が燃えるそのパーティーのなかでは、浮かれ騒ぐ群衆のポップダンスが繰りひろげられている。 

 4枚のアルバムをとおしてラン・ザ・ジュエルズは、ある曲で警察の残虐さを話題にしたと思えば、次の曲ではプードルを撃ち殺すのだと冗談を言うといった調子で、まっとうな怒りと馬鹿げたユーモアを両立しつづけてきた。したがって『RTJ4』の多くの歌詞が、まるで2020年と言う年のために特注されているように見えるとしても、ことさらに予言がおこなわれていたわけではないのだ。この二人はつねにそういったことについて語ってきたのである。
 じっさい、2014年の『ラン・ザ・ジュエルズ2』収録の “アーリー” は、新しいアルバムに収録された “ウォーキング・イン・ザ・スノー” とまったく同じように、聴く者の胸をえぐるような警察の残虐さを描いたものだった──後者の曲のなかでマイクは、「その悲鳴が『息ができない』と言うかすかな声に変わるまで/俺と同じような男が」首を絞められる様子を思い描いている。このときに彼が考えていたのはエリック・ガーナーの最後の言葉だったが、死の直前のジョージ・フロイドは、同じ言葉を20回以上繰りかえしていたのだった。
 だがエルPは、インタヴューのたびに繰りかえし、現在の出来事に足並みを合わせていたいわけではないのだと語っている。自分たちの正しさが証明されるよりも、黙示録的な変人でいたいと言うわけである。こうした考えは、“プリング・ザ・ピン” に感情のこもったヴォーカル・フックを提供しているヴェテラン・ソウル歌手メイヴィス・ステイプルズ[Mavis Staples]による、次のような歌詞に表現されている。「俺が勘違いしているだけならいいんだ/だけど最悪の場合、俺ははじめから正しかったことになる」
 荒涼とした現状が描かれ、辛辣なコメディが繰りひろげられたあとで、このアルバムは、予想外にも胸を刺すような感動的なトーンで幕を閉じている。ラン・ザ・ジュエルズが仮面を取ったのは、この “ア・フュー・ワーズ・フォー・ザ・ファイアリング・スクワッド(レディエーション)” がはじめと言うわけではないが、先立つ曲の激しさのあとでは、そこで彼らが表現する感情の直接性は、いっそう印象的なものに感じられる。

 アトランタでのマイクのスピーチは、この先の彼に政治的なキャリアがありえることを示唆するものだったかもしれないが、しかしその曲のなかにおける彼の歌詞は、社会正義のヒーローというマントをまとうことを拒否している。自分の妻との会話を思いだしながら、彼は次のようにラップしている。「友人たちは彼女に、あいつなら新たなマルコムになれると言う/あいつなら新しいマーティンになれると/だけど彼女はそのパートナーに/世界は新しい殉教者を必要としているけど、そんなものより自分には夫が必要なんだと言い返した」
 たとえ世界中の注目が集まっていたとしても、頭の切れる彼には、どこで話を切りあげればいいかちゃんとわかっているのである。

It’s hard to separate “RJ4,” the fourth and most vital album by Run The Jewels, from the widely shared speech that Killer Mike delivered in Atlanta on May 29. As protests over the police killing of George Floyd a few days earlier took a destructive turn, the rapper both acknowledged people’s anger and urged them not to direct it at their own communities.

“We don’t wanna see Targets burning,” he said. “We wanna see the system that sets up for systemic racism, burned to the ground.”

“RJ4” dropped the following week, and few albums could have been better timed. At times angry, funny and disarmingly honest, it both anticipates and resonates with the current moment. Boasting some of the punchiest, most garish productions of rapper/producer El-P’s career, it’s party music for the end of times. That’s pretty much what the duo envisioned for the video for lead single “Ooh La La,” in which they preside over a block party celebrating the end of capitalism, revellers popping dance moves while burning bucket-loads of devalued dollars.

Throughout their four albums, Run The Jewels have balanced righteous anger with absurdist humour, discussing police brutality in one track then joking about shooting poodles in the next. That many of the lyrics on “RTJ4” seem tailor-made for 2020, that’s not because of soothsaying: the duo has always been talking about these things.

“Early,” from 2014’s “Run The Jewels 2,” was a depiction of police brutality ever bit as harrowing as the new album’s “Walking in the Snow”—the track on which Mike imagines cops choking “a man like me / Until my voice goes from a shriek to whisper ‘I can’t breathe’.” He was thinking of Eric Garner’s final words, but Floyd repeated the same phrase more than 20 times before he died.

In interviews, El-P has repeatedly said the duo would rather not find themselves so in step with current events: better to be dismissed as apocalyptic nut-jobs than proved right. It’s the same sentiment expressed by soul veteran Mavis Staples, who supplies the emotive vocal hook to “Pulling The Pin”: “And at best I'm just getting it wrong / And at worst I’ve been right from the start.”

After the bleakness and acerbic comedy of what’s come before, the album closes on an unexpectedly poignant note. “A Few Words for the Firing Squad (Radiation)” isn’t the first time Run The Jewels have taken their masks off, but the directness of the sentiments they express feels all the more striking after the onslaught of the preceding tracks.

Mike’s speech in Atlanta may have suggested he had a political career ahead of him, but his lyrics reject the mantle of social justice hero. Recalling a conversation with his wife, he raps: “Friends tell her he could be another Malcom / He could be another Martin / She told her partner I need a husband more than / The world need another martyr.”

Even when he has the world’s attention, he’s smart enough to know when to drop the mic.

Run The Jewels - ele-king

2020年を象徴するヒップホップ・アルバム
大前至

 90年代半ば以降のUSアンダーグラウンド・ヒップホップ・シーンを牽引した Company Flow のメンバーである El-P と、アトランタ出身で Organized Noize や Outkast が中心となって結成された Dungeon Family の流れを組みながら、バーニー・サンダースへの支援など政治的な発言も活発的に行なう活動家でもある Killer Mike によるヒップホップ・デュオ、Run The Jewels。ジョージ・フロイド事件以降、アメリカ国内で「Black Lives Matter」ムーヴメントが再燃するなか、その盛り上がりに呼応するようにリリース日を前倒しして発表されたのが、彼らの4枚作目となるアルバム『RTJ4』だ。

 まるでドラムがマシンガンのように連打するオープニング曲 “yankee and the brave (ep. 4)” に象徴されるように、本作は全てが攻撃的かつ怒りに満ち溢れている。前作『Run The Jewels 3』がリリースされたのが2016年、そして本作に関する最初のアナウンスが2018年秋ということで、当然、ジョージ・フロイド事件が起こる、もっと以前の段階でアルバム自体は完成していたわけだが、結果的にいまの時代の流れに完全にリンクした作品になっている。そういう意味で、このアルバムを象徴する一曲としてまず挙げられるのが “walking in the snow” だ。フックを務めた Gangsta Boo の存在感も素晴らしいこの曲だが、警察官による暴力行為を含む人種差別について El-P と Killer Mike が強い声明を放ち、曲の後半では Killer Mike のリリックにある(ジョージ・フロイド氏も発していた)「I can't breathe」という言葉が胸を強く打つ。Pharrell Williams と Zack de la Rocha (Rage Against The Machine)というゲストの組み合わせもかなりサプライズなシングルカット曲 “JU$T” は本作のメインを飾る1曲だが、現在も続く人種差別の元凶と言われているアメリカ合衆国憲法の修正第13条(詳しくは YouTube で無料配信されているドキュメンタリー映画『13th 憲法修正第13条』を参照)についても触れるなど、豪華メンバーによって綴られているコンシャスかつ政治的なメッセージは実に強烈だ。

 ここまでコンシャスな作品でありながら、本作は説教臭さというものはほとんど感じられず、ヒップホップ作品として純粋な格好良さがストレートに表現されている。それは El-P と Killer Mike のある意味、ダーティなスタイルのラップもひとつの要因であるが、やはりプロデューサーとしてアルバム全曲のトラックを手がける El-P の手腕に依る部分も非常に大きい。Company Flow 時代から常に異端とも言えるヒップホップ・サウンドを貫きながら、それが結果的にフォロワーをも生んでいた El-P だが、ベース・ミュージックやエレクトロ、さらにロック、ハードコアなどもミックスさせた彼のスタイルは、本作でも最大限の力を発揮している。また最先端に突き進むだけでなく、一方でオールドスクール回帰な要素もあり、例えば Nice & Smooth の Greg Nice とスクラッチで DJ Premier がゲスト参加している “ooh la la” もそのひとつであるが、個人的に衝撃を受けたのが 2 Chainz をフィーチャした “out of sight” だ。この曲でのトラックとリリック両面での The D.O.C. “It's Funky Enough” の引用は、彼らの原曲への愛情と El-P のプロデュース・センスの高さを強く感じさせ、Run The Jewels の優れた部分が最も現れた曲のひとつだとも思う。

 前述したように、時代とのリンクという部分も含めて、本作は2020年を象徴するヒップホップ・アルバムとして、今後も語り継がれる作品になるのは間違いない。

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ブロック・パーティの歓喜と高揚
二木信

 金を燃やし、暴れ、踊り、酒を飲み、その場は人びとの笑顔と喜びに満ちている。上空ではヘリが飛び、ストリートは人で埋め尽くされている。アトランタ市長との会見で、いまは自分たちのホームを燃やすときではないと涙ながらにピープルに自制を求めるスピーチを行なった活動家のキラー・マイクもここでは楽しそうに巨体をゆっさゆっさと揺らしながらラッパーとして歌い、ダンスしている。サングラス越しながらも、でっかい酒瓶をラッパ飲みするエル・Pのニヒルで、不敵な笑みも窺える。いろんな人種が集まりとにかく楽しそうだ。これは、そう、言うまでもなく、ラン・ザ・ジュエルズ(以下、RTJ)の “Ooh LA LA” のMVである。そして当然のことながら私たちは、コロナ・パンデミックが発生する数週間前に撮影されたこのMVからBLMのデモや蜂起を連想するわけだ。が、実はその読みは間違いではないが、ちょっと外れている。というのも、これは長い階級闘争の終結した日の祝祭を描いているからだ。それでみんなして財布やクレジット・カードやドル札を路上にまき散らし、炎のなかに投げ入れている。階級闘争が終わった日を描くとは、なんてロマンチックな発想だろうか。「まず第一に、法律なんてクソくらえだ。俺たちは生身の人間だ」、キラー・マイクはそうかましている。

 今回4枚目となるアルバムを発表したRTJは決して流行のモードのヒップホップをやっているわけではない。4枚ともその点で一貫している。共に1975年生まれのエル・P(ブルックリン出身)とキラー・マイク(アトランタ出身。ちなみに彼はキング牧師が通ったモアハウス・カレッジに入学している)はキャリアの分岐点に差し掛かっていた10年代初頭ころ、アダルト・スイムのディレクターを介して知り合った。そして、キラー・マイクの『R.A.P. Music』(2012年)をエル・Pが全面的にプロデュースするところから関係がスタートする。出発地点でRTJの青写真は明確だった。それは、アイス・キューブがボム・スクワッド(パブリック・エネミーのサウンド・プロダクションで知られる)と組んで完成させたソロ・デビュー作にして、ヒップホップ・クラシックである『アメリカズ・モスト・ウォンテッド』の現代版だ。いわば騒々しくも緻密にアレンジされたノイズの美学――それがRTJである。

 “Ooh LA LA” のサウンドは言ってしまえばキックとスネアがドカドカしたNYの硬派なブーム・バップの伝統に忠実である。が、リズムはすこしもたついているだろう。さて、そこで、RTJはアイス・キューブとボム・スクワッドのコンビと何が違ったのか。それは、エル・Pのインダストリアルとキラー・マイクのサザン・スタイルを融合させたことだ。つまり、NYと南部のヒップホップの結合を実現させた。“JU$T” なんていい例だ。もちろん、キラー・マイクのラップがサザン・スタイルというのもあるが、エル・Pと共同プロデューサーが作り上げたビートからニューオリンズ・バウンスやマイアミ・ベースといった南部ヒップホップの享楽を感じ取ることができないか。

 エル・Pとキラー・マイクのふたりは厳密な政治/社会意識に基づき表現活動をしている。故に、RTJは考えることを促す音楽でもある。実際、“JU$T” でもキラー・マイクは黒人の抑圧された状況と資本主義について切りこみ、客演で参加したファレル・ウィリアムスは、エイヴァ・デュヴァーネイ監督が 「現代の奴隷制」としての監獄制度の実態を克明に描き出したドキュメンタリー『13th -憲法修正第13条-』(13th)と同様の問題意識に立って修正第13条に言及している。
 だから、すべてのリリックを理解できるに越したことはないし、それによって作品や表現への理解は深まる。彼らもそれを望んでいるだろう。が、一方でバカ騒ぎを肯定するヒップホップでもあるし、ステイプル・シンガーズの一員としても活躍した、リズム&ブルース/ゴスペルのベテラン歌手、メイヴィス・ステイプルズが深い憂いを帯びた歌声を披露する “pulling the pin” からプログレッシヴな展開をみせる “a few words for the firing squad (radiation)” へ向かうクライマックスもユニークだ。『ジーニアス』を読み込むのもいいが、まずは音に向き合うことをおすすめする。

 “Ooh LA LA” のラップもビートもMVも、その反骨精神もヒップホップのブロック・パーティの歓喜と高揚とダンスと結びついている。歓喜と高揚そのものが支配者を恐れさせる。それは、ブロック・パーティの時代までさかのぼる、ヒップホップのポジティヴなパワーだ。だから、まずはRTJを聴いて、踊れ。考えるのはちょっとあとでも大丈夫。そして、金を燃やせ。

DJ HOLIDAY aka 今里 - ele-king

 東京のハードコア・ノイズ・パンク・バンド、ストラグル・フォー・プライドの今里がDJ HOLIDAY名義でレゲエのミックスCDをリリースした。2枚の〈アリワ〉レーベルのミックスに続くレゲエもので、公式としては4枚目となるミックスCDだ。〈アリワ〉は、主宰者マッド・プロフェッサーのダブ作品と並んで、主に80年代にラヴァーズ・ロック(ゆったり目のピッチでラヴソングを歌う)と呼ばれるスタイルで脚光を浴びたUKのレーベルだが、今回はかなり渋い、60年代後半に活躍した〈DOCTOR BIRD〉というレーベルからのセレクション。〈DOCTOR BIRD〉しばりは今里本人の意向で、理由を彼の言葉で説明すれば、「格好いい先輩が聴いている音楽っていうイメージ」なのだそう(笑)。その感覚わかる。いつだってレゲエに詳しいヤツは格好いい。

 〈DOCTOR BIRD〉の設立者はオーストラリア生まれでイギリスに学んだグレイム・グッドールというエンジニア。1950年代にジャマイカに渡ったグッドールは、なんとジャマイカで最初のレコーディング専用スタジオを作っているという。エンジニアとしてR&Bやスカの時代からジャマイカ音楽の主要な現場ほぼすべてに関わっていた人で、1959年にはクリス・ブラックウェルとともにかの〈アイランド〉レーベルを立ち上げてもいる。あまり語られることがないが、なかなかの重要人物だ。
 〈DOCTOR BIRD〉はグッドールが〈アイランド〉を辞めてから、1965年に設立したレーベルになる。時代はちょうどロックステディ前夜であり、数年後には初期レゲエに向かうというタイミングだった。DJ HOLIDAYのミックスCDもその時期のジャマイカ音楽(アメリカのR&Bやソウル,ジャズなんかのレゲエ的融合)の魅力をみごとに捉えている。
 また、当時のジャマイカ音楽シーンをよく知る人物のレーベルだけあって、ホントに良い曲ばかり。DJ HOLIDAYの選曲が素晴らしいんだろうけど。highly recommendです。もうすぐお盆休みも終わりますが、この夏のサウンドトラックはこれで決まり!


DJ HOLIDAY
FLIPPING MANY BIRDS."SELECTED TUNES FROM DOCTOR BIRD"

ウルトラ・ヴァイブ

別冊ele-king ブラック・パワーに捧ぐ - ele-king

世界はなぜ黒い物語を必要とするのか

インタヴュー:
ムーア・マザー
アンダーグラウンド・レジスタンス
ジェフ・ミルズ
グレッグ・テイト

Black Lives Matter とは何か
2010年代ブラック・ミュージックの50枚
2010年代デトロイトの50枚
コンシャス・ラップの30枚
ほか、映画、文学、歴史、黒人文化の大カタログ!


CONTENTS

■Interview
Greg Tate グレッグ・テイト──ブラック・カルチャーを読み解く (野田努)
Moor Mother ムーア・マザー──言葉と音、詩とタイムトラベル (ジェイムズ・ハッドフィールド/James Hadfield、五井健太郎訳)
Underground Resistance アンダーグラウンド・レジスタンス──受け継がれる抵抗のスピリッツ (野田努)
Jeff Mills ジェフ・ミルズ──記憶、そして未来へのオマージュ (三田格)

■Disc Guide
2010年代の黒人音楽の50枚 (選・文=三田格)
デトロイトこの10年の50枚 (選・文=M87)
BLMとリンクするヒップホップ30枚 (選・文=大前至)

■Columns
[Music]
Beyoncé ビヨンセ──そのラディカリズムを解説する (ジェイムズ・ハッドフィールド/James Hadfield、五井健太郎訳)
Nina Simone ニーナ・シモン──ただひたすら、革命を夢見た音楽家 (野田努)
John Coltrane ジョン・コルトレーンを追いかけて (平井玄)
James Brown ジェイムズ・ブラウン──はじめにリズムありき、そして黒いということ (野田努)
Archie Shepp アーチー・シェップ──自由と闘争の黒人音楽としてのジャズ (松村正人)
George Clinton ジョージ・クリントン──政治を好まないPファンクの政治表現について (河地依子)
Prince プリンス──彼はいつから「政治的な黒人」になったのだろうか (三田格)
Gil Scott-Heron ギル・スコット・ヘロン──黒いアメリカの本質をあらわすブルース学者 (ジェイムズ・ハッドフィールド/James Hadfield、五井健太郎訳)
Public Enemy パブリック・エナミー──政治とエンターテイメント (三田格)
Wu-Tang Clan ウータン・クラン──殺されないように自分を守りな (二木信)
Run The Jewels ラン・ザ・ジュエルズ──社会正義のヒーローなんぞにならない (ジェイムズ・ハッドフィールド/James Hadfield、五井健太郎訳)
Deforrest Brown Jr. ディフォレスト・ブラウン・ジュニア──なぜいまアミリ・バラカであり、フリー・ジャズであり、デトロイト・テクノなのか (野田努)
[Thought]
Amiri Baraka アミリ・バラカ──いつも新しい隣人 (平井玄)
Angela Davis アンジェラ・デイヴィス──すべての人にとっての先生、いまも闘い続ける哲学者 (水越真紀)
Kodwo Eshun コジュウォ・エシュン──アフロ・フューチャリズムの理論家 (髙橋勇人)
[Litetature]
James Baldwin ジェイムズ・ボールドウィン──黒人文学の可能性を広げた小説家 (松村正人)
Alice Walker アリス・ウォーカー──フェミニズムではなくウーマニズム (水越真紀)
Samuel Ray Delany, Jr. サミュエル・R・ディレイニー──ブラック・トゥ・ザ・フューチャー (髙橋勇人)
[Sports]
Muhammd Ali ムハメド・アリ──スーパースターにしてトリックスター (松村正人)
[Films]
ライアン・クーグラー『フルートベール駅で』 (三田格)
リー・ダニエルズ『大統領の執事の涙』 (野田努)
リー・ダニエルズ『プレシャス』 (三田格)
スパイク・リー『ドゥ・ザ・ライト・シング』ほか (大前至)
スパイク・リー『ゲット・オン・ザ・バス』 (三田格)
バリー・ジェンキンス『ビール・ストリートの恋人たち』 (木津毅)

■Essay
BLMの版図、あるいは警察予算の撤回をめぐって (新田啓子)
真に驚くべきこと (平井玄)
暗喩としてのアングリー・ブラック・ウーマン (押野素子)
100年後のパンデミックとポリス・ブルータリティ (日暮泰文)

■Chronicle
黒い年代記 (小林拓音)


オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧

amazon
TSUTAYAオンライン
Rakuten ブックス
7net(セブンネットショッピング)
ヨドバシ・ドット・コム
HMV
TOWER RECORDS
disk union
紀伊國屋書店
honto
e-hon
Honya Club
mibon本の通販(未来屋書店)

全国実店舗の在庫状況

紀伊國屋書店
丸善/ジュンク堂書店/文教堂/戸田書店/啓林堂書店/ブックスモア

Arca - ele-king

 暗い部屋、居心地の悪い場所、恥辱の物語、そんなものこだわる必要がアレハンドロ・ゲルシにはあった。
 「そんなわけで、僕のこれまでの人生というのはずっとこう、思うに……“中間に存在する”っていう瞬間の集積なんじゃないかな。で、“中間点”っていうのは、普通はみんなが避ける場所なんだよ。というのも、ものすごく居心地の悪い状態だから」
 2017年のele-kingのインタヴューにおいてゲルシはそう語っている。
 自分にはアクセントがないとゲルシは言う。ヴェネズエラで生まれながら、ヴェネズエラの訛りなしの英語で話す。ふたつの言語をアクセントなしで喋っている。それは彼がアメリカにもヴェネズエラにも所属意識を持てないこととも関係し、また、ゲルシのジェンダー感覚にも及んでいる。“中間に存在する”ということ。それはアルカの『Xen』や『Mutant』における、ときには苦しみの籠もった過酷な電子音が描いたところであろう。
 ゲルシは言う。「まず、“自分はドロドロの沼地の中に立っている”、そういう図を想像してみてほしい。で……そこは何やら暗い場所で、しかも沼は毒を含んだ有害なもので。その水に、きみは膝まで浸かっている。いや、もっとひどくて、胸までその水に浸かった状態、としよう。ところが、そんな君の頭上には、白い光のようなものが差している、と。だから、その有毒な水というのは、きっと……深淵や罪、そして悲しみすら表現しているんだよ」
 
 アルカにおける抽象的で、他の誰とも違う電子音響や前作『Arca』におけるオペラまがいの歌も、ゲルシの痛みのヴィジョンであり、おおよそゲルシの自己表現である。自分を晒すことがそのまま表現に繫がるというのは誰にでもできることではないが、ゲルシにはそれができる。できてしまえる。あらためて“Nonbinary”のMVを見よう。半透明の身体の彼女は妊娠する。ロボットの外科医たちのメスが入るそのアナーキーなペルソナは、これまでのアルカ作品に見られた支離滅裂さに表れているが、しかし妊娠を果たした彼女が妖しく再生するように、4枚目のアルバムとなる本作『KiCk i』は、ひらたく言えばポップになっている。リズミカルで、ダンスホールで、しかもレゲトン(乱暴に喩えるなら、現代音楽やスカしたIDMの対極にある下世話でラテンなダンス)である。アルバムとして音楽的に、しかもアルカのテイストとしても整合性がある。
 3曲目の“Mequetrefe”がとくに素晴らしい。それは突然変異したレゲトンで、ソフィーをフィーチャーした“LaChíqui”は異次元でうごめくIDMだ。Shygirlのファスト・ラップが入る“Watch”もそうとうにイカれたUKガレージで、破壊的なリズムがマシンガンのように音を立てている。ポップ……いや、過去の3作と比べればずっと間口が広いとはいえ、ゲルシの世界は変わらずそこにある。官能的だがなんとも言えない緊張感があり、あまりにも奇妙。しかもそれをゲルシはわかっていてやっている。ビョークも参加し1曲歌っているが、彼女のパワフルな声をもってしても……アルカの世界はアルカの世界として成立している。
 
 前掲のインタヴューでゲルシはこうも言っている。
 「たとえば僕が自ら“恥だ”と感じるような物事、それらを僕は……祝福しようとトライする、というか。自分を悲しくさせてきたいろんな物事、それらのなかに、僕は……美を見出そうとする」
 これはわかりやすい作品解説に思える。彼の世界では、いや、誰の世界であっても、ダークサイドはある。が、そのなかにさえも“美を見出そうとする”ことはリスクもある。そうでもしなければ壊れてしまいそうな心があったとしても。
 「だから単純に公平でニュートラルというのではないし、ただたんに“自分が楽に存在できる空間を作ろうとする”ではないんだよ。そうではなく、自分が自分のままで輝けるスペースみたいなものであり、かつ……自分は愛情を受けるに値するんだ、そんな風に感じられる空間、ということなんだ」
 そういう意味で『KiCk i』は、その空間に初めて他者を招き入れることに成功している作品なのかもしれない。なにせここにはダンスがある。それにこの展開は驚きではない。アルカの音楽は異様で、ジェンダーを上書きしたとしても、彼女は自分を見失ってはいないのだから。


※ご存じの方も多いかと思いますが、ミックステープ作『&&&&&』がリマスタリングされて9月18日に〈PAN〉からリリースされます。

the perfect me - ele-king

 90年代の日本のオルタナティヴを代表する〈トラットリア〉レーベルの系譜にあり、現在は七尾旅人や羊文学のリリースで知られる〈felicity〉がまたしても面白い新人をデビューさせた。福岡のインディ・シーンから西村匠のソロ・ユニット、the perfect me。名前はDEERHOOFの曲名から取られたというが、ひとことで言えば、トクマルシューゴやコーネリアスないしは石橋英子をも彷彿させるアヴァン・ポップの旗手です。
 アルバムには、白根賢一(GREAT 3,manmancers)、高桑圭(Curly Giraffe)といった実力者も参加。こんな時代でも瑞々しい音楽は生まれている。そのアルバム『Thus spoke gentle machine』は今週水曜日に発売されています。チェックしましょう。
 ※なお、〈felicity〉はこの後、みぃなとルーチなる謎の新人のデビュー作も控えているそうで、これも楽しみな作品になりそうです。


the perfect me
Thus spoke gentle machine

felicity
https://tpm-music.com/


Eartheater - ele-king

 アースイーターが〈PAN〉から4枚目となるアルバムをリリースする。前作『IRISIRI』とは打って変わって電子音響をほとんど使わず、ギター中心の作品となっている。アルバムのタイトルは『Phoenix: Flames Are Dew Upon My Skin』。スペインのサラゴサに滞在して制作されている。リリースは10月12日。以下、先行で公開されたMVです。彼女らしいというか、なんとも異形なアコースティック・サウンドですねぇ。

Julianna Barwick - ele-king

 昔から……、といってもたかだか数十年の話だが、ある言い伝えに、ポップ・ミュージックの20周期説がある。ポップのモードは20年で一週するので20年ぐらい前が新しく、10年ぐらい前がいちばん古く感じるというわけだ。この説を鵜呑みするわけではないけれど、ここ最近のシーンの動きで面白くなりそうだなと思っているひとつはインプロヴィゼーションで、これは『The Wire』の寄稿者ジェイムズ・ハットフィールドからグラスゴーのStill House Plantsを教えてもらって、やや確信に近づいている。70年代のカンタベリー・シーンの系譜におけるもっとも先鋭的だったアート・ベアーズをUKにおける即興の先駆AMMと交差させながら、ポストパンクのフラスコのなかで蒸留させたかのようなサウンドは、20年前のフリー・フォークを思い出させる。(そしてSHPのほかにも興味深いアクトがいくつかいる)

 そうなると、およそ10年前に登場したジュリアナ・バーウィックは現時点においては古い音楽になるわけだが、どうだろう。うん、たしかに懐かしいかもしれないし、自分の時間感覚もだいぶ狂っているので、もうよくわからないというのが正直なところだ。
 『The Magic Place』はよく聴いたし、ノー・ニューヨーク一派のひとり、イクエ・モリとの共作も忘れがたいアルバムだ。この当時は、おお、こんなユニークで美しい、しかも喜びに満ちたエレクトロニック・ミュージックを作る人がブルックリンから出て来たとずいぶん感動したと記憶している。
 そしてバーウィックが喜びであるなら、まるで同じカードの表裏のようにポートランドには憂鬱なグルーパーがいた。このふたりは、まず自分の声にリヴァーブをかけ、それを抽象的なレヴェルで使うという点で似ている。ロングトーンを多用したメロディもじつは似ている。が、そよ風に揺れる新緑のバーウィックと廃墟でひとり佇むグルーパーとでは、その音楽の色味や性格は正反対のように見えがちである。ノートパソコンのバーウィックとギターのグルーパー。ぼくがその後熱心に聴き続けたのは、言うまでもなく後者のほうだった。
 
 これは半分笑い話というか、日本人の適当さにも依拠する話だが、初来日が品川の教会だったバーウィックと上野方面の禅寺だったグルーパーというのも、まあ、象徴的ではある。グルーパーの禅寺というのは、これはしかしたまたまというか、いや、あまり深く考えずに、ホントにたまたまそうなっただけなのだろうが、バーウィックの教会というのはバーウィックだからそうなったのだろう。
 わからなくはない。彼女の音楽には神聖さがある。それは宗教的ということではない。ある種の清らかさということである。だいたい本人は、先日掲載したインタヴューにあるように、けっこう気さくな方だったりするし。

 昨年のDAZEDに掲載された彼女のインタヴューの最後の発言に、こんな言葉がある──「できる限り、地球の現状と悪に対抗する方法を考える必要がある。そして人生を楽しむこと。人生はいまでもほんとうに素晴らしく、ほんとうにそうなんだから」
 まるで大島弓子の『バナナブレッドのプティング』の主人公が物語の最後につぶやく言葉のようじゃないか。そうかぁ、なるほどなぁ、わかってきたぞ。バーウィックとはつまり、たとえどんな苦難があろうとも最終的には「人生は素晴らしい」と言えるのであって、だから彼女の音楽からは喜びが聴こえるのだろう。それは逞しさと言えるものかもしれない。

 新作『ヒーリング・イズ・ア・ミラクル』は、彼女がブルックリンからLAに引っ越して作った作品で、通算4枚目のアルバムとなる。階層化されたループを基調とする彼女のコンポジションは、ベルリンのベーシック・チャンネルのミニマル・ダブと同様にひとつの発明だ。グルーパーもそうだが、最初から彼女は自分の“サウンド”、自分の“型”を持っていた。3人のゲスト(ハーブ奏者のメアリー・ラティモア、シガー・ロスのヨンシ―、LAビートメイカーのノサッジ・シング)が参加しているものの、基本的には『The Magic Place』の頃と大きな変化はない。音数は最小限で、声が電子的に加工され、そよ風のような音響が展開されている。ただ、その音響の階層にある隙間はより広く、空間的で、より心地良く、清々しくもある。しかもその音響は、ぼくが思うに『The Magic Place』の頃よりもグルーパーに近づいている。そう思えてならない。
 4年前にThe Quietusで、彼女のオールタイム・フェイヴァリット・アルバムを紹介する記事があった。そのなかで彼女は、アニマル・コレクティヴからの影響を語り、ビュークやホイットニー・ヒューストンやニュー・オーダーのファンであることを明かし、また、アーサー・ラッセルやスフィアン・スティーヴンについて話し、そしてグルーパーへの惜しみない讃辞を述べている。「私はこれまで彼女が出した作品すべてを持っている」、バーウィックは話をこうはじめると「素晴らしい、まったく素晴らしい」と手放しに誉めつつ、「彼女には部屋を静かに破壊する術がある。(略)彼女のパンクの美的表現が好きだし、それはとてもクール」だと言う。

 そのときようやくわかった。彼女がイクエ・モリと共演したのも、たまたまではなかったと。ぼくはジュリアナ・バーウィックを聴き直さなければならない。それは古くはなく、いや、それどころかこれから必要とされるであろう、パンクの美的表現の一種として。

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