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サウンドによる黙示録か。ノイズによる終末論の終焉か。リズムによる世界への闘争/逃走か。いや、崩壊する世界への黙祷か。
ソロとしては2014年の『Visa』以来となるフィンランドの電子音楽/音響を代表するヴラディスラフ・ディレイの新作『Rakka』は、暴風のごときノイズが吹き荒れる極限のインダストリアル/テクノに仕上がっていた。例えるならば極北のインダストリアル/テクノ。そのミュータント的音響が時代の終わりと始まりを告げるだろう。
もちろん彼の音は、00年代初頭にリリースされた〈Mille Plateaux〉や〈Chain Reaction〉よりリリースされたアルバムからして通常のミニマル・テクノやミニマル・ダブの音響を逸脱するものでしあったし、続く10年代も同様である。〈Raster-Noton〉からリリースされた『Vantaa』『Kuopio』はレーベルカラーどおりの重厚な電子音響テクノに仕上がっていたし、ミカ・ヴァイニオ、デレク・シャーリー、ルシオ・カペーチェらとのヴラディスラフ・ディレイ・カルテット(Vladislav Delay Quartet)のアルバムはノイズとダブに塗れた強度に満ちた実験ジャズの混合体だった。自身の〈Ripatti〉から発表したソロ前作『Visa』も真冬の音響のようなエクスペリメンタルなアンビエンスを生成する作品であった。
だがこの『Rakka』は、それらの作品すべてを越境するようなノイジーなアルバムへと変貌を遂げていたのである。これには心底から脅かされた。ミニマル・ダブと、その音響工作が行き着いた先とも思った。いささか大袈裟な言い方を許して貰えれば、ベーシック・チャンネルとモノレイクの音響を越えようとする意志すら感じられほどだ(10年代の先端/尖端音楽はミニマル・ダブ以降のサウンドなので、本作はその意味では2020年代のサウンドとも言うことはできる)。
どうやらヴラディスラフ・ディレイは『Visa』以降、所有した機材をすべて売却し北極圏へと旅に出たらしい。おそらくは人の存在を無化するような大自然のなかで彼の耳と知覚は大いに刺激を受けたのだろう。そこで得られたさまざまなインスピレーションによって本作品は制作された。
確かに本作のサウンドスケープは北極圏の気候そのもののように過酷である。だが乾いた音の質感は極めて人工的だとも感じた。じっさい本作には環境録音の素材は使われていないらしい。つまり完全に人工的な音によって、ヴラディスラフ・ディレイは大自然の咆哮を生み出したわけだ。加えて強烈な音の横溢の向こうに掠れたビート(の残骸?)が反復している。このアルバムは極めてエクスペリメンタルなサウンドでありながらダンス・ミュージックであることを捨て去ってもいない。ノイズやサウンド、ビートが身体に与える影響を長年のキャリアから熟知しているベテラン・アーティストならではのエクスペリメンタル/フィジカルな音響がコンポジションといえる。
アルバム1曲め “Rakka”、2曲め “Raajat” は本作を代表するようなトラックだ。ノイズ・アンビエントと不規則な打撃音による強烈な音響空間が耳を拡張する。壊れたマシンが再想像したような崩壊的なEBMのごとき3曲め “Rakkine” はさらに覚醒的である。5曲め “Rampa”、6曲め “Raataja” は打撃音のようなリズムが全面化するトラック。剃刀のような鋭利なノイズとビートが交錯し、ミニマル・テクノとノイズがミックスされていく。本作のクライマックスを明示する曲といえよう。
アルバム全体から感じられることは、構築への意志が即座に崩壊へと至るような感覚だ。ノイズの構築からビートの崩壊へ。音響の生成から音楽の消滅へ。崩壊空間のさなかに吹き荒れる暴風のごときノイズの蠢き。すべてをゼロへと遡行させるような強靭な意志が本作の隅々に鳴り響いている(サウンド・アーティストAGF(ヴラディスラフ・ディレイの妻でもある)によるアートワークも本作の終末論的なイメージをうまく表現している)。
リリース・レーベルはシェイプドノイズが主宰する〈Cosmo Rhythmatic〉。これまでもミカ・ヴァイニオとフランク・ヴィグルーの共作、シャックルトン、キング・ミダス・サウンド、ダイ・エンジェルなどのアルバムを送り出しており、リリース数は多くはないもののエクスペリメンタル・ミュージックの最先端を提示する貴重なレーベルである。その最新カタログにヴラディスラフ・ディレイの最新作が加わったことはことのほか重要に思える。この作品はテクノ、ミニマル・ダブ、ノイズなどのアマルガムであり、その終末論的なムードも含めて現在進行形の尖端音楽の見本のようなアルバムなのだ。同時に、同じくフィンランドのミカ・ヴァイニオ亡きいま、彼の意志とノイズを継承する作品ではないかとも思った。そのような意味でも〈Cosmo Rhythmatic〉からリリースされたことも当然といえよう。
デンシノオト