「IR」と一致するもの

R.I.P. Gabi Delgado(ガビ・デルガド) - ele-king

 ガブリエル・デルガド・ロペス、通称ガビ・デルガドが3月22日に死去していたことが複数の海外メディアで報じられた。61歳だった。死因は現在のところ公表されていないようだが、彼のキャリアにおけるもっとも有名なプロジェクト、DAFの相方だったロベルト・ゲイルが彼の死を確認しているという。
 ガビがヴォーカルを務めたバンド、DAF(ドイチュ・アメリカニシェ・フロイントシャフト )は、1978年にドイツで結成されたパンク・バンドであり、やがて磨かれるその際だったサウンド──言うなればジョルジオ・モロダーのパンク・ヴァージョンとも喩えられるエロティックかつパンキッシュなエレクトロニック・サウンドによって一世を風靡した。その影響はボディー・ミュージックからデトロイト・テクノ、ウェストバムから石野卓球などじつに広範囲にわたっている。

 DAFに関しては、1979年のファースト・アルバム『Produkt Der Deutsch-Amerikanischen Freundschaft』から第一期の最終作となった5枚目の『Für Immer』までのすべて必聴盤だが、1枚選ぶとしたら3枚目の『Alles Ist Gut』だろうか。ドイツ語のヴォーカルで「アドルフ・ヒトラーで踊れ」と挑発する彼らの代表曲“デア・ムッソリーニ”は、DAFそしてコニー・プランクの3人が作り上げた強力なエレクトロ・パンク・サウンドで、極度にマシナリーなリズムと凄まじいエロティシズムが混じり合う(まさにJ.G.バラード的な)並外れた曲のひとつである。
 名曲はたくさんある。最初は7インチ・シングルでしか聴けなかった“ケバブ・トラウム”は、のちの12インチ・ヴァージョンもふくめ人気曲のひとつだ。トルコ移民を排斥しようとするネオナチへのしたたかなカウンターだが、DAFの素晴らしいところは、そうしたきわどい政治性もエロティシズムとユーモア(ポップのセンス)に包んでしまうところだった。もちろん“Liebe Auf Den Ersten Blick ”を忘れるわけにはいかない。4枚目の『Gold Und Liebe』に収録された曲で、当時このPVを見たときには本当にぶっ飛ばされた。サウンドも動きもほかのパンクとはまったくの別モノである。

 スペイン生まれであるガビがラテン(ファンク)にアプローチしたソロ・アルバム『Mistress』も名盤であり人気盤だが、ぼくはDAF解散後のデルコム(Delkom)も好きだった。スエーニョ・ラティーノに触発されたであろう、サバ・コマッサなる女性とのプロジェクトのひとつで、1990年に発表された「Superjack」はラテン・クラフトワーキッシュ・アンビエント・ハウスの名作だ。ここでも機械へのフェティシズムとエロスとの融合が見事に具現化されている。
 
 DAFは卓球主催の〈WIRE〉にも出演しているが、ぼくは2014年の来日ライヴにも行った。ライヴは往年のヒット曲のオンパレードだったが、そこにガビ(とゲール)がいるだけでぼくは満足だったし、そこいた人たち全員もそうだったに違いない。ガビはたくさんのフォロワーを生んでいるが、結局のところそれは彼らにしかできなかった音楽だったし、いまだにDAFのようなバンドなどいないのである。

野田努

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 戦争があったことを忘れたがっている時期があった。矢作&大友の『気分はもう戦争』はそういうことに苛立ちを覚えて描かれたマンガであった。「『戦争を知らない子どもたち』を知らない子どもたち」という揶揄まで飛び出し、冷戦末期ともなると戦争は確かに現実味に乏しい行為であり、感覚でもあった。リリアーナ・カヴァーニ監督『愛の嵐』(74)に影響されて沢田研二やパタリロがナチスの制服を着てもとくにお咎めはなく、『トップ・ガン』や『ランボー』といった戦争映画もアクションを見せるための「背景」でしかなかった。ところが欅坂46がナチス風のファッションでデビューした際、世界規模で避難が巻き起こったことは記憶に新しく、第二次世界大戦を扱っているにもかかわらず『野火』のリメイクや『サウルの息子』の方が現代にとって切迫感や現実味を増していることは確かである。復興が最優先の時期には戦争のことは積極的に忘れたかったのかもしれない。そして、豊かになってから呼び覚まされる政治意識というものがあり、どこかでそれは入れ替わったのである。どこが転換点だったのだろう。僕はパンクもひとつのきっかけだったと思う。セックス・ピストルズがナチスの腕章を付けたスージ・スーたちとテムズTVに出演し、スロッビン・グリッスルはアウシュビッツ収容所を曲の題材とした(前者が”No One Is Innocent”でナチスの生き残りをベースに起用したというのはさすがにウソだった)。そして、ドイツではDAFが「Der Mussolini」をリリースした。タイトルはムッソリーニだけれど、歌詞にはアドルフ・ヒトラーがフル・ネームで5回も出てくる。それ以上の内容はなく、政治思想と呼べるものとはほど遠い。とはいえ、ドイツでアドルフ・ヒトラーの名前を歌詞にのせることはかなり挑発的なことだったはず。日本では角川文庫で普通に読めたけれど、2016年にバイエルン州が歴史の資料として『我が闘争』を復刊しようとした際もすさまじい論争が巻き起こり、ドイツでヒトラーに言及することが尋常ではないことを窺わせた。それを1981年に22歳のガビ・デルガドーは大胆にもやってのけた。♪ムッソリーのダンス、アドルフ・ヒトラーのダンス、ジーザス・クライストのダンス、共産主義のダンス、右に、左に、腰をくねらせ、手を叩く!

 DAFを先頭グループとするノイエ・ドイッチェ・ヴェレは全体に政治意識が強かった。パレ・シャンブルグは西ドイツの首相官邸の名称だし、アインシュツルツェンデ・ノイバウテンは活動の起源がそもそもスクウォッターズ運動に由来する。70年代にもバーダーマインホフのような政治運動と結びついたアモン・デュールや労働問題を背景にしたと思われるクラフトワークの『Man Machine』もあることはあったけれど、大半はタンジェリン・ドリームやアシュラなど逃避傾向の音楽に傾いていた。それらが一転してノイエ・ドイッチェ・ヴェレでは覆り、「独米友好」を名乗るDAFも戦後のドイツがアメリカに依存しすぎていることを皮肉ったネーミングだと推測させるものがあり、DAFという頭文字はナチス政権下の労働組織だった「ドイツ労働戦線(Deutsche Arbeitsfront)」とのダブル・ミーニングを狙ったものとしか思えない。明確な政治目標のようなものはなくても、豊かになった社会に少しでも波風を立てたい。あるいは逃避的な音楽が社会との接点を持ちたがらなかったのとは対照的に、ドイツに限らず世界中のパンクやニュー・ウェイヴはヒッピーとは逆に社会の注目を集めることに肯定的だったという価値観の転換にも誤差はなかったので、DAFも例外ではなく、最も効率よくそれに成功した部類に入るといえるのではないだろうか。とはいえ、DAFの歌詞は政治に比重が置かれていたわけではなく、官能的なものの方が多く、「アメリカのTVにプレスリーが現れた」ようなルックスや効果が与えたショックも大きかったことだろう。ピナ・バウシュのように官能性をいっさい排除したバレエが好まれる国であり、ドイツ産のポルノは世界中のどの国にも売れないと言われてしまうわけだから。

 “Der Mussolini”が収録されたサード・アルバム『Alles Ist Gut』は最高にカッコよかった。シンプルで威圧感も適度にあり、身体性を突出させたところが他のノイエ・ドイッチェ・ヴェレにはない魅力だった。シークエンスされたベースと生ドラムのズレも気持ちよく、パワーを全開にするだけでなく、“Der Räuber Und Der Prinz”のように力を溜め込むようなアレンジを施すことによって抑制された官能性を引き出した曲もまたよかった。だけど、僕はその直前に唯一のトリオ編成で録音された”Tanz Mit Mir”がいまだにベスト・ソングである。DAFがパンクだった時代の名残りをある程度フォーマット化し、疾走するリズムを追いかけるようにかき鳴らされるヴォルフガング・シュペールマンのひしゃげたギターが小気味好く神経を刺激する。この編成でアルバムが1枚あってもよかったよなと僕はいまでも思い続けている。そうすればDAFがパンク・バンドとして残す知名度ももう少し上がり、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレのイメージももう少し分かりやすいものになったのではないかと。4人編成から2人に人数を減らし、3枚のアルバムをヴァージンに残したDAFは6作目となる『1st Step To Heaven』で、さらにサウンド・スタイルを変えていく。生ドラムを捨て、当時でいえばヒューマン・リーグやプロパガンダを追うようにしてシンセ~ポップに切り替えたのである。ミックス・エンジニアとしてこのアルバムに参加したトム・シィエル(後にサン・エレクトリック)に聞いた話では、このアルバムはほとんどガビ・デルガドーが単独でつくり上げたものであり、ロベルト・ゲールは(クレジットはされているものの)何もしなかったに等しかったという。通訳を介して聞いた話なのでニュアンスには自信がないけれど、ガビ・デルガドーはそれだけ責任感が強いとシィエルは訴えたかったようにも聞こえた。そして、その経験はおそらくガビ・デルガドーに次の時代をもたらすことになった。

 トム・シィエルの言葉を信じるならば『1st Step To Heaven』でドラム・プログラミングに取り組んだのはガビ・デルガドーであり、ヴォーカリストだった彼が機材と格闘したことは想像にかたくない。“Voulez Vous Coucher Avec Moi Part II”にはラべルのクラシック“Lady Marmalade”もサンプリングされ(ハッピー・マンデーズが“Kinky Afro”で丸パクリしたアレである)、1986年とは思えない技術の駆使である。『1st Step To Heaven』には収録されず、DAFにとってラスト・シングルとなった「The Gun」(87)にはハウスと表記されたリミックス盤もある(どちらかというと、これはニュー・オーダー“Blue Monday”などを混ぜたディスコ・ヴァージョン)。87年の時点で、つまり、J・M・シルクの“Jack Your Body”がリリースから1年をかけてイギリスのヒット・チャートで2週に渡って1位となり、ハウス・ミュージックがオーヴァーグラウンドで初めて認知された年にはガビー・デルガドーはハウスに興味を持っただけでなく、自らハウス・リミックスにも手を出し、ベルリンで最初にハウス・パーティを開いたとされ、翌年春にはDAFのバック・カタログから“Liebe Auf Den Ersten Blick”をジョセフ・ワットにリミックスさせるところまで一気に突き進んでいる。そして、「The Gun」から大袈裟なシンセサイザーのリフを取り除き、ベース主体のトラックとして生まれ変わらせたものを2年後にデルコム“Superjack”としてリリースする。DAFが2人になった時も引き算がネクストを生み出したとしたら、ここでも余計なトラックを間引いただけで次の段階に歩を進めたのである。ただし、“The Gun”から“Superjack”に至るまでには意外と長い試行錯誤も続いている。ガビー・デルガドーとサバ・コモッサが最初にタッグを組んだらしきFX名義“Freak”はソウル・サーチャーズを思わせるゴー・ゴーとニュー・ビートの中間のような曲調で、『Alles Ist Gut』に対する郷愁がほの見えるし、〈ロウ・スピリット〉からとなった2ハード・アウト・オン・ハイ名義“One Good Nite On Hi87”はエレクトロを基調とし、それこそトーマス・フェルマンズ・レディメイドのパクリっぽい。2ラティーノ・ジャーマンズ、フューチャー・パーフェクト、フューチャー(Futur)、アンティ~タイムと、なぜか曲を出すごとに2人は名義を変え、ようやくデルコム名義でアルバム『Futur Ultra』に漕ぎ着ける。しかし、これは808ステイトやジョーイ・ベルトラムがレイヴ・カルチャーをハードな様相へと向かわせた1990年には少し合わないものになっていた。この時期の2年間はあまりにも物事が急速に展開していった時期だった。

 91年にデルコムは2ラティーノ・ジャーマン名義で“Viva La Droga Electronica”をベルリン・トランスの〈MFS〉からリリースする。これはとても興味深いことで、89年にノイエ・ドイッチェ・ヴェレからダンス・カルチャーへと乗り換えた「先駆者たち」を集めたコンピレーション『Teutonic Beats: Opus Two』のラインナップを眺めてみると、簡単にいえばパレ・シャンブルグからトーマス・フェルマンやモーリツ・フォン・オズワルドが紆余曲折を経たものの最終的にはデトロイト・テクノを目指し、DAFがトランスに向かったという流れが見えてくる(新顔ではウエストバムやマイク・インクことヴォルフガング・フォイトも参加)。決定的だったのは94年にやはり〈MFS〉からリリースしたヴーヴ・デルコム・フォース名義“Generate Eliminate”である。それこそ808ステイトやジョーイ・ベルトラムの後を追ってハード・トランスにも手を出したとしかいえない曲で、デルコムと組んだヴーヴはリエゾン・ダンジュオーズ解散後にベアテ・バーテルがグトルン・グートと組んだマタドールでもミックスを担当するなど、この時期の要注意人物である。パレ・シャンブルグはホルガー・ヒラーがいたこともあって諧謔性のイメージが強かったし、骨太で官能的なリズムに執着のあると思えたDAFがトランスに向かうというのは、なんというか、逆ではないかという疑問を僕は長いこと拭いされなかった。それこそDAFはリズムだけを突出させたスタイルがボディ・ミュージックを生み出したと考えられていることもあり、リズムに工夫のないトランスに落ち着くのは納得がいかなかったと。しかし、おそらくそのようなイメージの元になっているのはロベルト・ゲールのドラムであって、ガビ・デルガドーには実はリズムに対する深い執着はなかったのかもしれない。ガビー・デルガドーがこだわったのはいつでもスタイルであり、ルックスが重要な要素だったDAFもそうなら、ハウスに手を出した動機も同じだったに違いない。そのことが最も強く表れているのはガビ・デルガドーにとって唯一のソロ作となった『Mistress』(83)である。あの時、彼はブリティッシュ・ファンクのブームに乗ろうとしたのだろう。彼は、そして、それを本当にカッコよく決めたと思う(あのジャケットにやられて僕はアロハ・シャツを集め始めるようになってしまった)。

『Mistress』というアルバムは、スイスに移住して作られたアルバムで、ドイツでは売れずに日本ではかなり売れたらしいけれど、ジャーマン・ファンクの伝統という耳で聴くと、70年代のファンク・ブームを支えたクラウス・ヴァイスの昔からベルリン・スクールやジャーマン・トランスを経て、現在のヴォルフ・ミュラーへと続く、揺れのないリズムを志向するドイツの国民性をあまりにも明瞭に浮かび上がらせ、その迷いのなさにはたじろがざるを得ない。ひと言でいうと音楽的にはあまり大したものでないにもかかわらず、スタイルだけで引きずり倒していく快感を教えてくれたのが『Mistress』だった。複雑な音楽性に耳が慣れていくことだけが音楽鑑賞ではない。デザインや時にははったりも音楽文化を構成する大事な要素である。そう、ブルー・ロンド・ア・ラ・タークやキッド・クレオールでは最後のところで満足のいかなかったラテン・ファンクのインチキ臭さをここまで存分に楽しませてくれたアルバムはほかになかった(キッド・クレオールのコーティ・ムンディはパレ・シャンブルグのプロデューサーも務めた)。コニー・プランクがスゴいのかもしれないけれど、ガビ・デルガドーが残したもののなかでは僕はどうしてもこれが最高の1枚であり、2枚の12インチ・シングルは愛聴盤の範囲を超えている。そうでなければフューチャー・パーフェクトやDAF / DOSまで追ってみようとは思わなかったし、『Mistress』でベースを弾いているバイセクシュアルの弟、エデュアルド・デルガドー・ロペスが参加するカスパー・ブロッツマン・マサカーまで追うことはなかった(カスパー・ブロッツマンはピーター・ブロッツマンの息子)。

 ヴーヴ・デルコム・フォースに思いっきり失望させられた僕はその翌々年、意外なところでガビ・デルガドーの名前を聞く。初来日したアレク・エムパイアが、彼の最初のマネージャーはガビ・デルガドーだったというのである。ある日、彼の前に現れたガビ・デルガドーがマネージメントしたいとオファーしてきたものの、アレク・エムパイアはガビ・デルガドーどころかDAFのことも知らなかったという。最初に聞いた時は僕も意外だったけれど、ヴーヴ・デルコム・フォースがハード・トランスをやろうとしていたことや、ガビ・デルガドーがDAFに加入する前はピート・ハインとチャーリーズ・ガールズというパンク・バンドを組んでいたことを知ると、そんなに意外でもないのかと思えてくる。ピート・ハインもノイエ・ドイッチェ・ヴェレのなかでは比較的ノーマルなパンク・バンド、フェルファーベンでヴォーカルを務め、ピート・ハインがファルファーベンを抜けてミタグスポーゼを結成した時にはガビ・デルガドーもDAFと掛け持ちでメンバーを務めていたことがある。ミタグスポーゼは吐き捨てるように「ドュッセルドルフの日本人!」と歌っていたグループで、さすがにあんまりいい気持ちはしなかったけれど、そのような攻撃性をクラブ・サウンドの文脈で実現していたアレク・アンパイアにガビ・デルガドーが惹かれてもおかしくないことは確かだろう。とはいえ、ガビ・デルガドーが本当に考えていたことは僕にはわからない。彼にとって最も大事なことはなんだったのだろう。2003年にDAFが再結成され、ドイツではナショナル・チャートを駆け上がったことや、2010年代には配信専門の〈ガビ・ユーザーズ・クラブ〉を設立して矢継ぎ早に彼はソロ・アルバムをリリースし始めた。そして、生前最後となった曲は“Tanzen(ダンス)”だった。R・I・P。

三田格

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 D.A.F.のヴォーカリストであるガビ・デルガドが逝去しました。この突然の訃報に大変な悲しみを感じております。ガビは、パフォーマーかつソングライターとして、果敢にその表現を前進させ続けてきたアーティストでした。彼は音楽とユース・カルチャーに関してとても強いヴィジョンを持っており、それによってバンドは全てのエレクトロニック・ダンス・ミュージックに多大な影響を与えることができました。その影響は今なお続いています。80年代に入ってMUTEの最初の作品「Die Kleinen und die Bosen」から最近に至るまでの数年間、ガビやD.A.F.と共に働けたことを、わたしはとても誇らしく思っております。D.A.F.のパートナーであるゲールと、彼の家族や親密だった方々にお悔やみ申し上げます。

ダニエル・ミラー(MUTE創始者)

Nicolás Jaar - ele-king

 急に精力的になった? この1月にアゲインスト・オール・ロジック名義でリディア・ランチおよびFKAトゥイッグスとのコラボEP「llusions Of Shameless Abundance」を発表し、立て続けにアルバム『2017 - 2019』を送り出したばかりのニコラス・ジャーが、今度は本名名義で、2016年の『Sirens』以来となるニュー・アルバムをリリースする。タイトルは『Cenizas』で、スペイン語で「灰」を意味するそう。どうやら彼自身の人生を反映した内容に仕上がっているようだ。現在 “Sunder” が先行公開中。発売は3月27日。

artist: Nicolás Jaar
title: Cenizas
label: Other People
catalog #: OP055
release date: March 27th, 2020

tracklist:
01. Vanish
02. Menysid
03. Cenizas
04. Agosto
05. Gocce
06. Mud
07. Vacíar
08. Sunder
09. Hello, Chain
10. Rubble
11. Garden
12. Xerox
13. Faith Made of Silk

bandcamp

R.I.P. Genesis P-Orridge - ele-king

野田努

 ジェネシス・P・オリッジが3月14日の朝に他界したと彼/彼女の親族が発表した。白血病による数年の闘病生活の末の死だった。

 いまから70年前の1950年、マンチェスターに生まれたジェネシスは、大学のためにハルに引っ越すと70年代初頭はコージー・ファニ・トゥッティらとともにパーフォーマンス・アート・グループ、COUMトランスミッションのメンバーとして活動し、1976年からはロンドンを拠点にコージー、クリス・カーター、ピーター・クリストファーソン(2010年没)らとともに後のロックおよびエレクトロニック・ミュージックに強大な影響を与えるバンド、スロッビング・グリッスル=TGのメンバーとして音楽活動を開始する。

 TG解散後の1981年、ジェネシスはあらたにサイキックTVを結成、そして2019年の『The Evening Sun Turns Crimson』まで、同プロジェクトを通じて数え切れないほどの作品をリリースしている。(80年代末には、クラブ・カルチャー以外のところで派生したアシッド・ハウスのプロジェクトとしてはかなり先駆的な、Jack The Tabも手掛けている)

 コージーの自伝『アート・セックス・ミュージック』における悲痛な告白には、一時期は恋仲にありながら虐待を受けていたことが赤裸々に綴られており、横暴で自己中心的でもあったジェネシスは決して誉められた人格の持ち主ではなかったのだろうけれど、まあ、21世紀の現代からは遠い昔のTG時代のジェネシスにカリスマ性があったのも事実だった。コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』やウィリアム・バロウズをバンドに持ち込んだのはジェネシスだったろうし、コージーが主張するようにTGとはメンバー全員平等のバンドであり、誰かひとり抜けてもTGとしては成立しないわけだから、やはりジェネシス抜きのTGはあり得なかったのである。

 TGはたしかにロックを常識では計れない領域まで拡張し、エレクトロニック・ミュージックに毒を盛り込んだ張本人で、残された作品はいまでも新しいリスナーに参照されいているが、彼らのルーツは60年代にあり、ことにジェネシスはその時代のディープな申し子だった。彼/彼女にはブライアン・ジョーンズに捧げた曲があり、初期のサイキックTVにはサイケデリックなフォーク・ソングもある。彼/彼女の手掛ける電子音響による暗黒郷や全裸姿もさながら反転したジョン&ヨーコの『Two Virgins』だ。そして、アレスタ・クローリーの悪魔崇拝をはじめ猟奇殺人やナチスの引用、オカルトや神秘主義の実践やカルトや原始的なるものへの憧憬もまた、社会基準を相対化しようとした60年代的自由思想の裏返った過剰な回路でもあった。

 良くも悪くも常識という縛りのいっさいを払いのける生き方は、やがて自分を妻と同じ容姿にすることによる同一化へとジェネシスを駆り立て、じっさい性も容姿も変えてみせた。それもまた、TGやサイキックTVと同様に彼/彼女にとってのアート・プロジェクトだった。ジェネシスは妻が先立つ2007年まで彼女と服も化粧も共有していたというが、子供のPTAの会議には、ジェネシスは父親として銀色のミニスカートとブーツ姿で出席したそうだ。

 ぼくがジェネシスを見たのは一回キリで、1990年に彼/彼女が(たしかZ'EVなんかと)芝浦ゴールドに来たときだった。SMコスチュームで身をかためて、鞭に打たれながら這いつくばっている彼/彼女をフロアにできた人垣に混じって呆然と見ていたことをいまでも覚えている。ただ、そのときどんなサウンドが鳴っていたかはもう忘れてしまった。ただ、ジェネシスの姿だけがいまでも脳裏に焼き付いているのだ。

野田努

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三田格

 1979年当時、“We Hate You”というタイトルに何かを感じたのだけれど、うまく思い出せない。ルル・ピカソのアートワークに包まれて<ソルディド・センティメンタル>からリリースされたスロッビン・グリッスルのセカンド・シングルで、正確には“We Hate You (Little Girls)”と副題がついている。曲にはあまりインパクトはなく、歌詞は少女たちに向かって「憎い」と叫ぶだけ。前の年にジョン・ライドンがパブリック・イメージ・リミテッドのデビュー・アルバムで「僕たちは愛されたかっただけ」という歌詞を繰り返していたので、パンクスが共同体への回帰願望を表明しているようで、それはどうかなと思っていたこともあり、“We Hate You”にはそれとは正反対のメッセージ性を感じたということかもしれない。「Hate」という単語がポップ・ミュージックに使われた例は意外と少なくて、ハンク・ウイリアムズの“My Love For You (Has Turned To Hate)”(53)やアルバム・タイトルではレナード・コーエンの『Songs Of Love And Hate』(71)など、まったくないわけではないし、1988年にモリッシーが『Viva Hate』をリリースした時もけっこうなインパクトがあった(1995年にはプリンスがThe Artist (Formerly Known As Prince) ‎として“ I Hate U (The Hate Experience)”をリリース)。ちなみに単語検索をかけてみると、使用頻度では2000年代が最も多く、2005年をピークとして、そのあとは少しずつ減っている。

 いずれにしろ“We Hate You”はスロッビン・グリッスルのキャラクターを端的に印象づけたことは確か。社会に対して攻撃的で、パンクスが退潮した後もアティチュードは死に絶えていないと、そのことは日本にまで伝わってきた。スロッビン・グリッスルがあっという間に解散してもジェネシス・P・オーリッジはピーター・クリストファーソンと共にサイキックTVとして活動を持続させ、彼がその動きを失速させるつもりがないこともよくわかった。だから、当時はセカンド・アルバムとしてリリースされた『Dreams Less Sweet』(83)が僕にはよくわからなかった。イギリスではかなり評価の高い『Dreams Less Sweet』はとても美しい蘭の花にジェニタル・ピアス(性器ピアス)のイメージを重ね合わせたゾディアック・マインドワープとピーター・クリストファーソンによるアート・ワークがあまりにも素晴らしくて、しばらく壁に飾ったりもしていたのだけれど、肝心な音楽に関してはどこか散漫な印象が残るばかりで、良さがわかるまで何度でも聴く癖のある僕にしては早々に投げ出し、クリストファーソン脱退後のセッション・アルバム『Those Who Do Not』(84)ばかり聴いていた記憶がある。さらにいえば、クリストファーソンがジョン・バランスと結成したコイルである。螺旋階段をアナルに見立てるなど、実にユーモラスなゲイ表現とは対照的に強迫的なインダストリアル・サウンドを打ち出してきたコイルはあまりにカッコよく、“We Hate You”を継承しているのはむしろこっちだと思ったのである。

 事態が変化するのはサイキックTVが1984年に「Godstar」と1986年に「The Magickal Mystery D Tour E.P.」をリリースしてから。前者はブライアン・ジョーンズをテーマとし、後者にはビーチ・ボーイズ“Good Vibrations”のカヴァーが冒頭に収録されていた(7インチ2枚組のヴァージョンにはセルジュ・ゲーンスブール“Je T'aime”のカヴァーも)。1986年にNMEがサイケデリック・ムーヴメントの回顧記事を書いた時、それは跡形も残っていないものとして認識され、まったくもって過去の出来事でしかなかった。あれだけ迅速に音楽情報を伝えていたNMEもマンチェスターや北部の諸都市にレイヴ・カルチャーが浸透しつつあることは察知できず、初めてアシッド・ハウスが紙面に取り上げられたのは88年2月だった。明らかにジェネシス・P・オーリッジの方が動きは早かった。“Good Vibrations”のカヴァーを聴いて僕は初めてビーチ・ボーイズに興味が湧き、翌年に入ってジーザス&メリー・チェインが“Surfin' USA”をカヴァーしたことがダメ押しとなってビーチ・ボーイズのアルバムを一気に15枚も買ってしまった。そして、『Pet Sounds』(66)を聴けばどんなバカにもわかったことが僕にもわかった。『Dreams Less Sweet』はビーチ・ボーイズを意識したアルバムだったということが。ビーチ・ボーイズとまったく同じポップ・ミュージックと実験性の共存。サイケデリック・ミュージックはジーザス&メリー・チェインによって復活し、アシッド・ハウス・ムーヴメントへと拡大したというのがニュー・ウェイヴの定説かもしれないけれど、ポップ・ミュージックの文脈で誰よりも早くそれに取り組んだのは『Dreams Less Sweet』だったのである。

 インダストリアルを引きずりつつも、ノスタルジックなベースラインにタンバリンやオーボエ、チューバ、そして、まろやかなコーラス・ワークにヴァン・ダイク・パークスを思わせるメロディ・センスが『Dreams Less Sweet』の中核をなしている。アシッド・ハウス・ムーヴメントとともにようやくそのことを僕は理解した。ジェネシス・P・オーリッジの大言壮語はアシッド・ハウスを最初にやったのは自分だというもので、いくらなんでもそれは言い過ぎだったけれど、『Dreams Less Sweet』をつくっていたことでサイキックTVがインダストリアル・ミュージックからアシッド・ハウスに伸ばした導線が表面的なものではなかったことは実に納得がいく。それどころかジェネシス・P・オーリッジは本気でやっていたとしか思えない。『Jack The Tab』であれ『Tekno Acid Beat』(共に88)であれ、彼らがその当時、量産したハウス・レコードは初期衝動に満ちていて、いま聴いても実に楽しいし、後にはザ・グリッドとして国民的な人気を得るデイヴ・ボールとリチャード・ノリスが当時のメンバーを務めていたことも見過ごせない。あるいは匿名を使わなくなった『Towards Thee Infinite Beat』(90)では彼らなりにアシッド・ハウスを次のステージへ向かわせようと様々な試行錯誤に努めた痕跡も聴き取れる(結果的にクリス&コージーみたいなサウンドになっているけれど)。そう思って調べていくと『Dreams Less Sweet』には60年代の象徴がちりばめられていたことにも思い当たる。特異な録音方法はピンク・フロイドの踏襲、”Always Is Always”はチャールズ・マンゾン、"White Nights”は人民寺院で知られるジム・ジョーンズの言葉をベースとしていて、これはレニゲイド・サウンドウェイヴ”Murder Music”でオリジナル・スピーチがそのままサンプリングされている。とはいえ、それらはラヴ&ピースではなく、イギリスでは魔術師としても知られるジョン・バランスと結成したテンプル・オブ・サイキック・ユースの活動にも顕著なようにサイキックTVの表現はサマー・オブ・ラヴのダークサイドからの影響が濃厚で、“We Hate You”が単純に“We Love You”へとひっくり返らなかったことはアシッド・ハウス・ムーヴメントにおける彼らの位置を得意なものにした要因といえるだろう。なお、テンプル・オブ・サイキック・ユースの背景をなすケイオスマジックについては→https://ja.wikipedia.org/wiki/ケイオスマジック

 また、ジェネシス・P・オーリッジがポップ・ミュージックにおけるトリックスターとしてさらなる役者ぶりを示したのは自らがトランスジェンダーと化したこと(=The Pandrogeny Project)で新たな様相を呈することとなった。噂には聞いていたけれど、ブルース・ラ・ブルース監督『ラズベリー・ライヒ』(04)でその姿を初めて認めた時は僕もかなり驚かされた。その異様さはスロッビン・グリッスルの時よりインパクトがあったかもしれないし、旧左翼と新左翼の対立を描いたハンス・ウェインガートナー監督『ベルリン、僕らの革命』(04)をゲイ・ポルノの文脈で先取りしたような『ラズベリー・ライヒ』(04)はそれこそジェネシス・P・オーリッジはまだストリートに立っている証しのように思えた。最初は反逆者でも結局は規制のポストに収まってしまう人たちとは異なる迫力を感じたことは確かで、トランスジェンダーとして彼(女)はケンダル&カイリー・ジェンナーの父(母)であるケイトリン・ジェンナーのインタビューにも応じ、グランジ・ファッションの祖であるマーク・ジェイコブスのファッション・ショーにも出演している。ヴォーグの編集長アナ・ウィンターの側近ともいえるマーク・ジェイコブスのショーに出たということはニューヨークではかなりなセレブレティにのし上がっているということを意味する。ニューヨーク・タイムスはジェネシス・P・オーリッジをカルトと評し、アヴァンギャルドの宝と讃えていたことがあり、現在はマシーン・ドラムやゾラ・ジーザス、そして、ローレンス・イングリッシュやコールド・ケイヴなどなかなか広範囲の人たちから追悼の声が上がっている。

三田格

 戸川純のデビュー・ライヴに衝撃を受けたことは前にも書いた。その後、すべてのステージではなかったものの、ポツポツと彼女のライヴには足を運んでいた。自分ではずっとファンの立場にいるつもりだったし、ライヴにはたいてい1人で行っていた。

 驚いたのはRCサクセションの全盛期を支えていたマネージャーの藤井さんから電話があり、ヤプーズのファンクラブが発行している会報の編集をやらないかと誘われた時である。藤井さんは『カバーズ』が発売中止になり、あまりにもいろんな揉め事があったために音楽業界そのものに嫌気がさしてしまい、事務所を辞めただけでなく、子どもが生まれたことを機に埼玉の実家を継ぐとかなんとか言って、みんなの前から姿を消してしまった人だった。藤井さんはいつの間にか業界に舞い戻っていて、彼が新しく働き出した事務所には、そう、戸川純が所属していたのである。僕はすぐにその仕事を引き受けたし、しばらくしてヤプーズのドラマーは元RCの新井田耕造になった。新井田さんはRCの時とはまったく違うキャラクターになっていた。

 『疾風怒濤ときどき晴れ』でも戸川純本人が話しているように、やがてその事務所と戸川純は決裂し、言ってみれば事務所側の人間だった僕は戸川純には会いづらくなってしまった。ファンクラブも解散することになり、ファンの皆さまには事の次第を説明しなければならないということで、最後に行ったインタビューはいまもよく覚えている。それは混乱の極みであり、いま読み返しても涙が出るような内容である。

 戸川純が怪我をし、ライヴから遠ざかっていた時期にも、僕はとにかく口実をつくっては戸川純にインタビューを申し込んでいた。どうやら自分が思っていたほど事務所側の人間とはみなされていなかったようで、彼女はインタビューに快く応じてくれた。そして、いつも、興味深い話を聞かせてくれた。

 戸川純がライヴ活動を再開してから10年ぐらいが経ったころだろうか、僕は『疾風怒濤ときどき晴れ』という本をつくることができた。ちょっとした思いつきから生まれた本ではあったけれど、我が人生で5本の指に入れたい本となった。デビュー・ライヴを観てから30年目のことだった。そして、『疾風怒濤ときどき晴れ』が世に出て、少し経った頃に現在のマネージャーである石戸さんから吉祥寺で戸川純の写真展があると連絡を受けた。最終日になってしまったけれど、駅からの長い長い道を歩いて「Gallery ナベサン」にたどり着いた。手前には花屋さんがあり、店先には食虫植物が何種類も売られていた。その隣には肉屋……はなかった。

 写真展は池田敬太さんという写真家の個展と謳ってあり、プリントではなく、ペランペランの打ち出しが壁に重なり合うようにしてぶら下げられていた。見づらい。写真がしなっている。しかも、毎日のように展示内容は入れ替えられていたという。とにかく数が膨大だったのである。なのに、どの写真にも見覚えがない。曲がりなりにも会報の編集をやっていて、雑誌などに掲載された写真はすべて目を通していたつもりだった。なのに、見覚えがない。しかもステージの写真ばかりで、戸川純を真横から捉えたものに印象的なものが多かった。外は夏で、いわゆる眩しい景色が広がっているなか、モノクロだったせいか、写真展自体が非常にダークな印象を与えたことも記憶には残っている。

 その頃から僕は「話し言葉」でつくった『疾風怒濤ときどき晴れ』に対して、戸川純の「書き言葉」を集めた『ピーポー&メー』をまとめる作業に入っていた。その過程で鋤田正義さんや川上尚見さんに未発表の写真はありませんかと尋ねてまわり、意外にないもんなんだなということを知った。ということは、吉祥寺の写真展で見たステージ写真は思ったよりも貴重なもので、そう簡単に未発表写真を発掘することはできないと再認識し、改めて池田さんに連絡を取り、写真集にまとめませんかと相談を持ちかけた。池田さんは当初、自費出版で出すつもりだと仰っていたいたものの、最終的には同意してくれて、こうして形にすることができた。編集作業が少し進んだ頃に、いつ頃、撮影したものなんですかと池田さんに訊いたところ、1ヶ月ぐらい経ってから「2003年から2006年です」という返事が返ってきた。僕がまったくライヴを観ていなかった頃である。ああ、だから、まったく見覚えがなかったのか。この時期のライヴは簡単にいえばレアである。観た人の絶対数も少ないかと思う。神聖かまってちゃんのの子が戸川純を観たくてライヴに駆けつけた時期でもある(本誌対談を参照)。戸川純のライヴはいつも楽しいし、笑いが巻き起こることも多い。しかし、20代の彼女ががむしゃらに、腰を痛めるほどなりふり構わぬ勢いで飛ばしていたり、最近のライヴのように重厚な響きを加えたものとは違い、どこか鬼気迫る表情でステージに経っていた時期は2度と目にすることができないものだろう。逆風の中に立っている彼女には独特の雰囲気がある。衣装もこの時期だけのものが多い。『ジャンヌ・ダルクのような人』は『疾風怒濤ときどき晴れ』や『ピーポー&メー』をデザインしてくれた鈴木聖が戸川純のステージを体験しているかのように流れをつくり、緻密に構成してくれた写真集です。銀をメインにしたカヴァーも写真では伝わりづらい質感のものなので、是非、書店で現物を手にとってみてください。(三田格)


戸川純、バースデイライヴのお知らせ
JUN TOGAWA BIRTHDAY LIVE 2020

★3/29(日)新宿ロフト
前売り4000円・ドリンク別
開演18時
戸川純、中原信雄、ライオン・メリィ、矢壁アツノブ、山口慎一、ヤマジカズヒデ

・入場時にdrink代が別途かかります。
・会場での録音・撮影は禁止です。
・未就学児童の入場は不可になります。
*当日はサイン本の販売があるかもしれません(ないかもしれません)。

■なお、池田 敬太『戸川純写真集──ジャンヌ・ダルクのような人 』は3月25日刊行!
(Amazon)

D Smoke - ele-king

 昨年10月、Netflix にて配信されて話題を大きな呼んだラッパー・オーディション番組『Rhythm + Flow』にて見事、チャンピオンとなった D Smoke。LA・イングルウッドにて育ち、同番組出演時には地元の高校でスペイン語と音楽の先生を務めていたという彼は、同番組で終始圧倒的とも言える存在感を示し、コンテスト中に一部リリックを忘れるというミスを犯しても、審査員のひとりである T.I. に「最高のパフォーマンス」と言わしめるほどの実力の違いを見せた。特に最終回であるエピソード10にて披露した、Sounwave プロデュースによるオリジナル曲 “Last Supper” のパフォーマンスは非常に素晴らしい出来で、自らピアノを弾きながらラップする冒頭の部分から、ダンサーを交えたパワフルな後半のステージの流れまで全てが完璧であった。アーティストとしてのアティチュードや醸し出す雰囲気なども含めて、同じLAのゲットー出身である Kendrick Lamar と重なる部分もあるのだが、審査員からも高く評価されていた流暢なスペイン語を交えたバイリンガルでのラップなども彼の大きな魅力のひとつになっており、オリジナリティの高さは疑いようがない。ちなみに、番組中では伏せられていたが、Kendrick Lamar と同じ〈TDE〉の所属アーティストであるシンガーの SiR が彼の実弟であり、実兄もまた本名の Davion Farris 名義で2013年にメジャー・デビューを果たしている。そして、D Smoke 本人も20代前半のときに Jaheim のシングル「Never」(2007年リリース)のプロデュースを手がけるなど、実は10年以上に亘って音楽業界に携わっていたことが後に明らかになっている。現在、33歳という D Smoke であるが、『Rhythm + Flow』で掴んだ名声(と賞金25万ドル)を糧に、彼がこれまで積み重ねた経験とキャリアがこのファースト・アルバム『Black Habits』に込められている。

 『Rhythm + Flow』最終回の配信翌日にEP「Inglewood High」を発表した D Smoke であるが、タイトルにもある彼が務めていた高校での教師としての経験が反映されたこのEPと比べて、本作はより広い視点で描かれており、本人曰く「自らの家族の経験を通じたストーリー」がテーマになっているという。その証拠にアルバム冒頭の “Morning Prayer” での家族の会話であったり、あるいは曲間での刑務所に服役中の父親からの電話に母親が応答する場面など、彼の実体験と思われる描写が随所に見られる。一方で、『Black Habits』(=黒人の習慣)というタイトルが示す通り、本作で描かれているストーリーは家族という枠だけに留まらず、地元であるイングルウッドを含む、アフロ・アメリカン全体のヒストリーにも繋がっている。先行シングルとなった “No Commas” では、アフロ・アメリカンとしての不幸な宿命に対するある種の怒りが、ハードなウェストコースト・サウンドに乗せて強烈に放たれているが、そういったネガティヴな感情だけではなく、タイトル・チューンである “Black Habits I” などで表現されているように、そこにはアフロ・アメリカンとしての誇りと強いプライドがアルバム全体を覆っている。加えて、前述したスペイン語によるラップも本作にはスパイスとして効果的に盛り込まれ、知的なリリシストという彼の側面をより際立たせることにも成功している。

 アルバムのカバーは彼の幼少時代の家族写真だと思われるが、このうち父親以外の3名が本作に参加しており、これもまたアルバムのテーマに則している。母親である Jacki Gouche は『Rhythm + Flow』でも語られていたように Michael Jackson や Tina Turner のバックコーラスとしてのキャリアがあり、ゲスト参加した “Black Habits I” のフックでもしっかりと実力の高さを示している。タイトル通りの浮揚感漂う “Fly” での実兄 Davion Farris とのコンビネーションも見事であるが、やはり注目は SiR をフィーチャした2曲だ。オルガンのメロディが神々しい “Closer to God” も面白いが、個人的には〈TDE〉関連の作品にも多数関わっている J.LBS がプロデュースを手がけた “Lights On” に強く惹かれており、“The Look Of Love” のフレーズが絶妙に引用されたトラックに D Smoke の英語とスペイン語によるメロディアスなラップ、さらに SiR のコーラスも見事にハマって、ダンサブルでありながら、実に深く染み入る曲に仕上がっている。加えて、大物ゲストとして Jill Scott が参加した “Sunkissed Child” も Battlecat の手がけるウェストコースト・ヒップホップど真ん中なトラックも含めて最高に素晴らしいのだが、『Rhythm + Flow』にも審査員のひとりとして参加していた Snoop Dogg をフィーチャした “Gaspar Yanga” はさらにそれを上回る。日本人も含めてこれまでも複数のアーティストが使用してきたブルガリア民謡のサンプリングが実にインパクト大なこの曲であるが、Snoop Dogg、D Smoke それぞれがそのトラックを見事に乗りこなして、強烈なセッションを繰り広げる様は圧巻だ。

 ちなみに Spotify の再生回数などを見る限り、おそらく本作は期待していたほどの結果は残せていないと思われる。それは教師というキャリアを持つ彼ならではの真面目な部分がある種のマイナスに作用しているのかもしれないし、あるいは一部で言われているような Kendrick Lamar との類似性が足を引っ張っているかもしれない。とはいえ、その壁を超えるポテンシャルを D Smoke は確実に備えており、彼のさらなる魅力を次作でも披露してくれることを期待したい。

Joy Orbison, Beatrice Dillon & Will Bankhead - ele-king

 きたきたきたー! ファッション・ブランドの C.E がまたもやってくれます。彼らが仕掛ける2020年最初のパーティは〈Hinge Finger〉および〈The Trilogy Tapes〉との共催で、両レーベルからおなじみジョイ・オービソンとウィル・バンクヘッドが出演、さらに、先月〈PAN〉よりすばらしいアルバム『Workaround』をリリースしたばかりのビアトリス・ディロンが加わります。前売りチケットは出血大サーヴィスの1500円。これは行かない理由がありません。4月10日は VENT に集合。

C.E、〈Hinge Finger〉、〈The Trilogy Tapes〉共催によるパーティが VENT で開催に。Joy Orbison、Beatrice Dillon、Will Bankhead が出演

C.E (シーイー)による2020年度初となるパーティが、2020年4月10日金曜日に表参道の VENT を会場に、Joy Orbison (ジョイ・オービソン)、Beatrice Dillon (ビアトリス・ディロン)、Will Bankhead (ウィル・バンクヘッド)の3名をゲストに迎え開催となります。

洋服ブランド C.E が〈Hinge Finger〉(ヒンジ・フィンガー)、〈The Trilogy Tapes〉(ザ・トリロジー・テープス)の2レーベルと共催する本パーティのラインナップは、音楽プロデューサーDJ、英国の音楽レーベル〈Hinge Finger〉主宰の Joy Orbison、今年2月に初のソロアルバムをベルリン拠点の音楽レーベル〈PAN〉(パン)よりリリースしたばかりの Beatrice Dillon、そして Joy Orbison と共同で音楽レーベル〈Hinge Finger〉、個人として〈The Trilogy Tapes〉を運営する Will Bankhead の3名です。

Joy Orbison は昨年19年の9月にデビュー10周年を迎えた、英国を拠点とする音楽プロデューサー、DJ、そして音楽レーベル〈Hinge Finger〉の主宰です。昨年19年には Joy O 名義で、〈Hinge Finger〉から「Slipping」を、〈Poly Kicks〉から「50 Locked Grooves」をリリースした他、Overmono (Truss&Tessela) とのユニット Joy Overmono として「Bromley / Still Moving」をリリースし、Off The Meds の楽曲のリミックス「Belter (Joy O Belly Mix)」をてがけました。

Beatrice Dillon は、UKはロンドンを拠点とするアーティスト、ミュージシャン、DJです。前述した〈The Trilogy Tapes〉や〈The Vinyl Factory〉、〈Where To Now?〉、〈Boomkat Editions〉などより楽曲をリリースするほか、Call Super や Kassem Mosse、Rupert Clervaux との共作、多種多様なアーティストの楽曲のリミックスも行っている。今年20年2月には、Kuljit Bhamra や Laurel Halo、Batu、Untold、Kadialy Kouyaté、Jonny Lam、Verity Susman、Lucy Railton, Petter Eldh、James Rand、Morgan Buckley らが参加し、マスタリングを Rashad Becker がてがけた、自身のキャリア初となるソロアルバム『Workaround』を〈PAN〉から発表しました。

Will Bankhead はダンスミュージックのファンだけでなく多くの音楽愛好家が信頼をおく英国の音楽レーベル〈The Trilogy Tapes〉の主宰で、前述した Hinge Finger の運営を Joy Orbison と共同でおこなっています。イギリスのインターネットラジオ局、NTSではマンスリープログラムを担当しています。

C.E, Hinge Finger, The Trilogy Tapes present

JOY ORBISON
BEATRICE DILLON
WILL BANKHEAD

開催日:2020年4月10日金曜日
開催時間:午後11時〜
開催場所:VENT (https://vent-tokyo.net/
当日料金:2,500円
前売り料金:1,500円 (https://jp.residentadvisor.net/events/1402254

※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います。(Over 20's Only. Photo I.D. Required.)

drøne - ele-king

 ドローン(drøne)は、マイク・ハーディング(Mike Harding)とマーク・ヴァン・ホーエン(Mark Van Hoen)によるエクスペリメンタル・サウンド・アート・ユニットである。今年頭、彼らの4作目のアルバム『The Stilling』がリリースされた。この特異な作品にについて語る前に、まず、ふたりのメンバーについての簡単な紹介からはじめたい。とてもスペシャルなユニットなのだ。

 マイク・ハーディングは英国のエクスペリメンタル・ミュージックの老舗〈touch〉の創設者である。彼はレーベル運営の傍、自身の音源をいくつかをリリースしている。1998年に、彼はフェネス、ハーディング、レーバーグ(Fennesz Harding Rehberg)『Dĩ-n』を〈Ash International〉からリリースした。20分ほどの音響作品だ。ちなみに〈Ash International〉は、マイク・ハーディングと音響作家のスキャナーことロビン・リンボー(Robin Rimbaud)が1993年に設立したレーベルである。
 2011年、〈touch〉から7インチ・レコードでマイク・ハーディング「Repaired/Replaced」をリリースした。ジョン・ヴォゼンクロフトによる美麗なアートワークによるこの作品は、短いながらも秀逸な環境録音作品である。さらに〈touch〉から2001年に発表されたコンピレーションアルバム『Ringtones』に MSCHarding 名義の楽曲を収録し、〈Cabinet〉から2001年にリリースされたコンピレーション・アルバム『Cabinet #3: Squall』に MSC Harding 名義で楽曲を提供している。

 マーク・ヴァン・ホーエン(Mark Van Hoen)は、ポストロック・バンド~エレクロトロニック・ミュージックの草分け的存在シーフィールの初期メンバーで、ロカスト(Locust)やソロ名義でも活動するアーティストである。
 マーク・ヴァン・ホーエン名義では1995年に同じく元シーフィールのメンバーである ダレン・シーモア(Daren Seymour)と『Aurobindo: Involution』を〈Ash International〉から送り出した。2年後の1997年には〈touch〉から2枚組『The Last Flowers From The Darkness』をリリースする。翌1998年は〈R&S Records〉傘下のアンビエント・レーベル 〈Apollo〉から『Playing With Time』を発表し、2004年には英国〈Cargo Records〉傘下の〈Very Friendly〉から『The Warmth Inside You』を発表した。2010年代以降は「Boomkat」のオーナーでもある Shlom Sviri と〈Morr Music〉からリリースしたアルバムでも知られる Herrmann&Kleineの Thaddeus Herrmann が運営する〈City Centre Offices〉から『Where Is The Truth』をリリースした。2012年には〈Editions Mego〉から『The Revenant Diary』、2018年には〈touch〉から『Invisible Threads』を発表する。
 ロカスト名義でも、94年に〈Apollo〉から『Weathered Well』を発表して以降も活動を継続している。00年代以降も2001年に〈touch〉から『Wrong』、2013年に〈Editions Mego〉から『You’ll Be Safe Forever』、2014年に同レーベルから『After The Rain』を送り出す。2019年にはアンビエント作家の Min-Y-Llan = Martin Boulton 主宰〈Touched - Music For Macmillan Cancer Support〉から『The Plaintive』をデータ配信で発表した。

 そんな経験豊富なふたりによるドローンは、2016年に、カール・マイケル・フォン・オスウルフ(Carl Michael Von Hausswolff)の娘であり、アーティストとしても知られるアンナ・フォン・オスウルフ(Anna von Hausswolff)主宰のレーベル〈Pomperipossa Records〉から最初のアルバム『Reversing Into The Future』をリリースした。翌2017年には同レーベルから『A Perfect Blind』と自主リリースでCD作品『Mappa Mundi』を発表する。そして2020年、約3年の歳月を経て、〈Pomperipossa Records〉から新作『The Stilling』がリリースされたわけである。

 本作『The Stilling』もこれまでの作品同様に夢のような幻想的なサウンドスケープを形成しているが、より成熟した技法によって実験的な短編映画のようなサウンドへと変貌を遂げた。世界各国(なんと日本も)で録音された環境音が溶けるような1め “Mumming” から引き込まれる。環境録音とそのむこうに鳴るドローンの交錯は刺激的であり麗しくもある。そのサウンド空間は、けっして穏やかなだけではなく、ある種の不穏さや性急さがレイヤーされている点にも注目したい。続く2曲め “Influence Machines” も上空から世界の雑音を高速スキャンするような音響を展開する。音響と音楽の境界線を溶かすような3曲め “Vitula” は、アルバム中でも特に重要な曲だ。ヴァイオリンを、2019年に〈touch〉からアルバムをリリースしたばかりのザッカリー・ポール(Zachary Paul)が、チェロを前作『A Perfect Blind』や〈touch〉より発売されたサイモン・スコット(Simon Scott)の『Soundings』にも参加していたチャーリー・カンパーニャ(Charlie Campagna)が演奏している。人の息吹を折り重ねた4曲め “Sunder” では人のよりパーソナルな領域へと音響が接近する。そしてラスト3曲 “In The Eye”、“The Stilling”、“Hyper Sun (Including Every Day Comes And Goes)” では、環境音とドローンが高密度に交錯・融解し、まるで聴き手の耳と記憶に急速に浸透するようなサウンドスケープを展開する。次第に壮大な音響が生成されていくさまは、まさに圧巻というほかない。そのほかゲストとして Smegma の Nour Mobarak や Bana Haffar らも参加している。

 以上、全7曲、どのトラックも成層圏から地上、そしてヒトへと高速ズームアップするようなサウンドであった。そのうえまるで記憶が溶けていくような不思議なノスタルジアを放っている。彼らの最高傑作であるばかりでなく、近年のエクスペリメンタル/ドローン作品の中でも出色の出来といえよう。

Ben Watt - ele-king

 どうして彼の音楽はこうも美しいのだろう。1983年の『ノース・マリン・ドライヴ』でデビューし、その後のEBTGの全活動を経て、2014年発表の『ヘンドラ』から改めて本格的に自身のソロ名義の活動を本格化させたベン・ワットが、2016年の『フィーヴァー・ドリーム』に続いて今春リリースしたのが本作『ストーム・ダメージ』である。
 とはいえ今回は「嵐の被害」のタイトルからも明らかな通り、全体にやや重めの仕上がりとなっている。資料に拠ればベンは近年、相次いで異母兄姉らを亡くしたのだそうで、その経験が随所に影を落としていることは否めない。悲しみや苛立ちといった感情を、かなり私的な視点から掘り下げているトラックが目立つのだ。

 たとえば、葬儀の場面を描いたと思しきM3“Retreat to Find”では、サビの部分で「すべてのしがらみから逃げ出し、もう一度きちんと死と向き合える場所を見つけるんだ」と歌われる。特にこのトラックでは、ベン・ワットらしからぬと形容するしかない、怒りや悲痛さといった要素がヴォーカルにおいてもあえて強調されていて、それが、やや鋭利に過ぎる音色のアコギのストロークプレイに乗せられてくる。自ずと想起されてくるのは荒涼という形容が相応しいような光景となる。
 開幕の“Balanced on Wire”は若者らへと向けられたメッセージとも読み取れるのだけれど、全編を貫いているのは切迫感か、あるいは焦燥とでも呼ぶべきものだ。「一瞬を生きろと人は言うが、時にその一瞬はあまりに儚く、あるいは時に間延びしている」「傷つけられたと思っているかも知れないけれど、そういう経験をしていない人間なんていないものだ」「不安を感じたことのない人間だって同じだ」こうした言葉が、規則的に過ぎるほどのピアノとダブルベースを前面に押し出したパターンの上で綴られていくのだ。終盤に向け、さながら終末の景色を描き出そうとでもするかのように押し出されてくるSEの中、細い鉄線の上で危ういバランスを取ろうとするヤジロベエにも似たイメージは、あたかも今のベン自身の心象風景にも思える。
 続く“Summer Ghost”もやはりマイナーコードを主調に展開される。異界と現世がふと重なる一瞬を切り取ったかのような歌詞を、高音のシンセサイザーによる揺らぐような白玉が巧妙に演出してみせる。その先は上の“Retreat to Find”を挟んで“Figures in the Landscape”へと続くのだが、こちらのトラックもまた、風の音しか聞こえて来ない寂寞とした一人きりの場面の描写で幕を開けている。そのまま「自分たちは景色の中の人形みたいなものだ」とまで断じられてしまえば、さすがに重苦しさに息が詰まりそうにもなる。

 けれどここに至って少しだけだがようやく上向きな要素が登場してくる。明らかにロックのリズムのサビに「またもう1日生きてゆくために、さあ手を打とう」と歌われるのだ。そしていよいよこちらとしても、本作は実はベン自身の、いわば回復のための手続きのようなものだったのかも知れないなと想像せざるを得なくなるのである。
 M5M6もともにやはり喪失感を基調としている。引き出しに残されていたナイフに、姿を消してしまった歌姫。選ばれたモチーフがそのまま曲を決定してしまった印象だ。それぞれの物語が具体的な誰かを想定して綴られているのだろうことは、たぶん間違ってはいないはずだ。甘い郷愁とまでは言わないけれど、それでもここまでくると、冒頭から響いていた棘々しさは多少ながら和らいでいる。

 そして次のトラックのタイトルに、僕らはほんの少しだけ、胸をなで下ろすことを許される。「夜に続く日の光」だ。ようやくここから先、メジャースケールを基本にしたメロディーなりコードワークなりが曲を支配していくようになってくる。手のひらの温もりやあるいは「時とともに変わらざるを得ない自分たちの姿」といった内容を肯定的に感じられるようになり始めたベンの姿が垣間見えるのだ。特にM9“You’ve Changed, I’ve Changed”はベン・ワットのバラードとして安心して聴ける仕上がりとなっている。

 ボーナストラック的にアルバムの掉尾を飾っているのが“Festival Song”だ。海辺での大規模ライブの光景を切り取ったこの曲は、モチーフとは裏腹に静謐さに満ちている。そしてこんな一節が登場する。
 「僕の歌うすべての歌が、ちゃんと真実として響きますように──」
 そしてこの言葉が実は、開幕の“Balanced on Wire”で切迫した声で歌われていた「心を開き、自分に忠実であることしかできない」というフレーズときっちり呼応していることに気づかされるのである。そして、きっとベンはだから、本作の全体をそういう作品として提示したかったのだろうなと考えさせられるのである。おそらくはこれが今の彼の、等身大の、嘘偽りのない姿なのだろうな、と。

 個人的には『ヘンドラ』所収の“Spring”や、あるいはEBTG時代の“25th December”といった辺りの、穏やかで優しいミッドテンポのバラードこそベン・ワットの真骨頂と思っているので、真っ向からのこちらの手触りを作り上げてくれているトラックが見つからなかったことは正直やや残念ではある。もっとも本人の公式コメントに拠れば、自身の感受性に忠実であるためには新しいアプローチが常に必要なのだという思いが根底にはあるらしい。繰り返し、あるいは焼き直しを慎重に回避した結果なのだろう。

 本作のサウンドは基本、ベン自身が〝フューチャー・レトロ・トリオ〟と呼ぶところのアップライトピアノにダブルベース、ドラムスといった編成に、各トラックの世界観に相応しい音色を加味する形で仕上げられている。そんなことを思い合わせれば4月の来日公演が一層楽しみにもなってくる。また、最後になったが、個人的には各曲のアプローチに随所で、ほんの少しだけではあるが、レナード・コーエンの後期の楽曲のタッチを思い出したことをつけ加えておこうと思う。あるいはこの先彼は、どこかでああいった立ち位置を目指していくのかも知れないなと、漠然とそんなことを想像しもした。

■来日公演予定

東京公演:2020年4月20日(火)恵比寿リキッドルーム 開場18:30 開演19:30
大阪公演:2020年4月21日(水)梅田シャングリラ   開場18:30 開演19:30

Norma Jean Bell - ele-king

 ビッグ・ニュースの到着だ。サックス奏者として70年代から活動をつづける一方、ムーディマンとともにデトロイト・ハウスを牽引してきたノーマ・ジーン・ベルが、2008年の「Do You Wanna Party ?」以来、12年ぶりに新作をリリースする。レーベルは彼女自身の主宰する〈Pandamonium〉。アリサ・フランクリンのヴォーカルをフィーチャーしたA面の “Got Me A Mann” も気になるが、B面のタイトルがフランス語なのは、かの地に暮らすブラック・ミュージック・ラヴァーたちへの目配せだろうか(彼女の代表作のひとつ「I'm The Baddest Bitch」はかつて〈F Communications〉がライセンス)。ともあれ、これは買い逃せない1枚なり。

artist: Norma Jean Bell
title: Got Me A Mann / Libre comme un oiseau
label: Pandamonium

tracklist:
A side: Got Me a Mann
B side: Libre comme un oiseau (Free as a Bird)

disk union

『Zero - Bristol × Tokyo』 - ele-king

 先月12日に急逝した下北沢のレコード店オーナー、飯島直樹さんを追悼するコンピレーション『Zero - Bristol × Tokyo』が3月11日にリリースされる。作品はバンドキャンプを経由してリリースされ、現時点では数曲が先行公開中だ。
https://bs0music.bandcamp.com/album/bristol-x-tokyo
 飯島さんが親交を持っていた、ブリストルの伝説的アーティスト、スミス&マイティのロブ・スミスと、生前、彼もその中心メンバーだった東京のクルー、BS0が中心となって今作の制作は始動した。彼らの呼びかけに応え、ブリストルと東京のアーティストを中心に、総勢61曲もの楽曲がこのコンピレーションのために寄付された。今作の売り上げは、彼のご遺族へと送られる。

 このプロジェクトが開始したのは、飯島さんが亡くなる直前のことだ。フェイスブック内に立ち上げられたページ「Raising Funds For Naoki DSZ」には、今作の発表と同時に公開されたブリストルのアーティストの集合写真の撮影風景を収めた動画が投稿されている。ロブ・スミスをはじめ、レイ・マーティやDJダイ、ピンチやカーンなど、ブリストルの音楽シーンを担う重要人物たちが、飯島さんのために集結した。そのブリストル勢に答えるように撮影された東京チームの写真も、飯島直樹/Disc Shop Zeroへの敬意に溢れた力強い一枚である。
 ブリストル側の制作チームによって執筆されたプレス・リリースにあるように、飯島さんは、その生涯を通じてブリストルのアーティストたちとの交流し、その紹介を「何かに取り憑かれたように」行ってきた。その活動は現地のアーティストやレーベルとの交友の上に成り立っている。そして、最近ではブリストルの名レコード店/レーベルの、アイドルハンズが「Tribute to Disc Shop Zero」(2017)というトリビュート盤を出しているように、その関係は東京からの一方向に留まるものではなかった。
 また、飯島さんはブリストルと東京のアーティストを積極的に繋げる役割も果たしてきた。シンガー/プロデューサーのG.リナとロブ・スミス、MC/詩人のライダー・シャフィークと日本のビムワン・プロダクションなど、彼を経由して生まれたコラボレーションは多い。東京の若手プロデューサーのMars89やダブル・クラッパーズのブリストルのアーティストやレーベルとの交流も積極的に取り上げていた。

 『Zero - Bristol × Tokyo』には、飯島さんがライフワークとして取り組んできた彼らとの交友関係が凝縮されている。そこに収められた音源も非常に強力だ。スミス&マイティやヘンリー&ルイスといった、ブリストル・サウンドのハートと呼ぶべき重鎮たちからは、重厚なダブ・サウンドが放たれ、そこにブーフィーやハイファイブ・ゴーストなどの若いグライム・サウンドが重なり、ゼロの店頭の風景が脳裏をよぎる。

 亡くなるまでの5年間に、飯島さんが取り組んでいたBS0のパーティに登場したカーン&ニーク、ダブカズム、アイシャン・サウンド、ヘッドハンター、ガッターファンク、サム・ビンガ、ライダー・シャフィークといった豪華なアーティストたちの新作音源が今作には並んでいる。グライム、ステッパーズ、ガラージ、ドラムンベースなど、彼らの音にはゼロが紹介してきた音が詰まっていて、そのどれもがサウンドシステムでの最高の鳴りを期待させる仕上がりだ。他には〈Livity Sound〉のぺヴァラリストとホッジ、さらにはグライムのMCリコ・ダンを招いたピンチとRSDの豪華なコラボレーションも必見である。

 日本勢からも多くの力作が届いている。パート2スタイルやビムワン、イレヴンやアンディファインドなど、日本のダブ・サウンドを担う者たちが集結。さらにG.リナの姿もあり、カーネージやデイゼロ、シティ1といったダブステップの作り手たちや、グライムのダブル・クラッパーズも収録されている。ENAやMars89など、ベース・ミュージックを重点に置きつつも、その発展系を提示し続けるプロデューサーもそこに加わることによって、サウンドの豊饒さが一層深くなっている点にも注目したい。BS0のレギュラーDJである東京のダディ・ヴェダや、栃木のBライン・ディライトのリョーイチ・ウエノなど、飯島さんが現場から紹介してきた日本のローカルのDJたちからは、フロアの光景が目に浮かんでくるようだ。

 ここに収録されたすべての作り手たちと飯島さんは交流を結び、レコード店として、ライターとして、時にはパーティ・オーガナイザーとして我々の元にその音を届けてくれた。ゼロがいままで伝えてきたもの、そして、そこから巻き起こっていくであろう未来の音を想像しながら、今作に耳を傾けてみたい。生前、「ゼロに置いてある作品のすべてがオススメ」と豪語していた彼の言葉がそのまま当てはまるのが、『Zero -‘Bristol × Tokyo'』である。
(髙橋勇人)

Various Artists - Zero - ‘Bristol x Tokyo’
Artist : Various Artists
Title : Zero - ‘Bristol x Tokyo’
Release date : 11th March 2020 (band camp pre-order from 4th March 2020 - )
Genre - Dub, Dubstep, Drum n’ Bass / Jungle, Grime, Bass, Soundsystem Music
Label : BS0
Format : Digital Release via Bandcamp https://bs0music.bandcamp.com/

東京の名レコード店Disc Shop Zeroの店長であり、レベルミュージック・スペシャリストであり、そしてブリストル・ミュージックのナンバーワン・サポーターだったNaoki ‘DSZ’ E-Jima(飯島直樹)は、2020年2月12日、短くも辛い闘病ののち、多くの人々に惜しまれながらこの世を去った。その生涯と仕事を通して、Naokiはブリストルと東京の音楽シーンの重心として活躍し、同時に多大なる尊敬を集め、素晴らしい友情を育んできた。この新作コンピレーション『Zero - Bristol × Tokyo』の目的は、二つの都市が一丸となり、61曲にも及ぶ楽曲によって、この偉大な男に敬意を示すことである。リリースは、彼の誕生日である2020年3月11日を予定している。

Naokiのブリストル・ミュージックへの情熱は90年代にはじまる。当時、彼は妻のMiwakoとともに音楽ジャーナリストとしても活動していた。この約30年間、二人はブリストルを頻繁に訪れ、アーティストと交流し、レコード店を巡り、そして何かに取り憑かれたようにローカル・シーンを記録し続けた。二人はハネムーンでさえもブリストルで過ごしたほどだ。

Naokiのレコード店であるDisc Shop Zeroは、ブリストルで生まれた新旧両方のサウンドに特化していて、それと同時に、東京のアーティスト、並びに世界中の多くのインディペンデント・レーベルを支援していた。彼を経由した両都市のレーベルとアーティストたちの繋がりも重要
で、多くの力強い結束と友情がそこから生まれた。

近年では、音楽を愛する同志たちと共に、彼はあるムーヴメントを始動させている。「BS0」と銘打たれたそれは、想像上のブリストルの郵便番号を意味し、多くのブリストルのDJとアーティストたちに東京でのパフォーマンスの機会を与え、ツアーを企画し、二つの都市の間に架け橋を築き上げた。Kahn&Neekをフィーチャーした初回のイベント(BS0 1KN)は大成功を収め、後に定期的に開催される「東京のブリストル」のための土台となった。

本コンピレーションのために、世界中から親切にも寄付された楽曲が集まった。その多くが今作のために制作されたものだ。ブリストルと東京だけではなく、さらに遠く離れたグラスゴーのMungo’s HIFIやウィーンのDubApeたち、さらにその他の地域のアーティストたちも参加している。

トラックリスト:
1. Jimmy Galvin - 4A
2. Crewz - Mystique
3. Popsy Curious - Jah Hold Up the Rain
4. Chad Dubz - Switch
5. Henry & Louis ft Rapper Robert - Sweet Paradise (2 Kings Remix)
6. Ree-Vo - Steppas Taking Me
7. Smith & Mighty - Love Is The Key (steppas mix) ft Dan Rachet
8. LQ - Jupiter Skank
9. Part2Style - Aftershock
10. Arkwright - Shinjuku
11. Mungo's Hi Fi - Lightning Flash and Thunder Clap
12. Bim One Production - Block Stepper
13. Alpha Steppa - Roaring Lion [Dubplate]
14. Headhunter - Mirror Ball
15. V.I.V.E.K - Slumdog
16. Ryoichi Ueno - Burning DUB 04:27 17. Pev & Hodge - Something Else
18. Teffa - Roller Coaster
19. Lemzly Dale - So Right
20. CITY1 - Hisui Dub
21. Big Answer Sound - Cheater's Scenario ft Michel Padrón
22. Mighty Dub Generators - Lovin
23. Karnage - Drifting
24. Karnage - Agreas
25. LXC & JB - Men Hiki Men
26. Alpha - On the Hills Onward Journey
27. Boofy - Unknown Dub
28. Daddy Veda - Sun Mark Step
29. Antennasia - Beyond the Dust (album mix)
30. ELEVEN - Harvest Road
31. Atki2 - Mousa Sound
32. Boca 45 - Mr Big Sun (ft Stephanie McKay)
33. DubApe - Hope
34. Hi 5 Ghost - Disruptor Rounds
35. G.Rina (with King Kim) - Walk With You
36. ENA - Columns
37. Red-i meets Jah 93 - Jah Works
38. Peter D Rose - It's OK (Naoki Dub)
39. Flynnites - Freak On
40. Pinch x Riko Dan x RSD - Screamer Dub 04:02
41. BunZer0 - Vibrant
42. Dub From Atlantis - You Are What You Say
43. Suv Step - Jah Let It Dub
44. DoubleClapperz - Ponnamma
45. Denham Audio & Juma - Ego Check (Unkey remix)
46. Mars89 - I hope you feel better soon
47. Kahn & Neek - 16mm
48. Dayzero - Convert hands
49. Sledgehead - Rocket Man
50. Jukes ft Tammy Payne - Tunnel
51. Tenja - We Chant (New Mix)
52. RSD - Lapution City (Love Is Wise)
53. DJ Suv - Antidote
54. DieMantle - Shellaz
55. Ishan Sound - Barrel
56. Ratman - Sunshine
57. Tribe Steppaz - Slabba Gabba
58. Scumputer - PENX - Mary Whitehouse edit
59. Dubkasm - Babylon Ambush (Iration Steppas Dubplate Mix)
60. Undefined - Undefined-Signal (at Unit, Tokyo)
61. Dubkasm - Monte De Siao - Sam Binga / Rider Shafique DSZVIP

クレジット:
Cover Art by Joshua Hughes-Games
Original 'BS0' Kanji drawn by Yumiko Murai
Group photography by Khali Ackford (Bristol) & Yo Tsuda (Tokyo)
Special thanks to Ichi “1TA” Ohara Bim One & Rider Shafique for Tokyo/Bristol co- ordination

Big love & thanks to all BS0 crew & all Bristol crew
Big love & thanks to Annie McGann & Tom Ford
Special love & thanks to Miwako Iijima

全ての楽曲は、我々の旧友である飯島直樹(Disc Shop Zero, BS0)の ためにアーティストたちから無償で寄付され、売り上げは彼の遺族へと 直接送られます。

Eternal love & thanks to Naoki san - you remain ever in our hearts.
直樹さんに永遠の愛と感謝を。あなたは私たちのハートとずっと一緒です。

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