「Low」と一致するもの

Richard Devine - ele-king

 本作はIDM/電子音響作家リチャード・ディヴァイン、6年ぶりの新作である。IDMマニアからは伝説化しつつあるディヴァインだが、彼のツイッター・アカウントなどをフォローしていれば、日々配信されるモジュラーシンセを用いたサウンドの断片は耳(目)にすることはできる。また、YouTubeのアカウントでも、そのモジュラー音源の映像を観ることは可能である。

https://www.youtube.com/watch?v=o791hgNvGIg
https://www.youtube.com/watch?v=sQOVpUVDPys

 だがそれはいわば日々のサウンド実験の中間報告のようなもので、こうしてアルバムとしてまとまったサウンドを聴くことはやはり重要である。今のディヴァインのサウンドの方向や嗜好性などのモードが手に取るように分かってくるし、同時に彼がいかに才能に溢れた電子音楽家であるかということも再認識できる。それに何よりも彼自身が作品として追い込んでいった電子音響の結晶と構造体を一気に十数曲も聴取できるのだ。これは素晴らしい体験である。

 本作でもリチャード・ディヴァインは電子音による生成、持続、律動、音響、リズムを、とことんまで追及しているように感じられた。モジュラーを駆使したグリッチ・ミュージックの進化形とでもいうべき音に仕上がっているのだ。00年代のコンピューター・エディット/コンポジションの時代を経て、10年代後半的なモジュラーシンセ特有のフィジカルな音響生成に至った、とでもいうべきか。このアルバムは、確かにあの時代、つまり00年代のグリッチ音響作品としてのIDMを継承した電子音響である。電子音楽マニアにとって新たな聖典といえよう。

 リチャード・ディヴァインの経歴を簡単に振り返っておこう。ディヴァインは1977年生まれ、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身のグリッチ以降の電子音楽を代表するエレクトロニック・ミュージック・アーティストである。彼は1995年〈Tape〉からファースト・アルバム『Sculpt』をリリースし、以降、いくつかのEPを継続的にリリースした。
 しかしリチャード・ディヴァインが、われわれの知る「リチャード・ディヴァイン」へと変貌を遂げたのは、2001年に〈Schematic〉からリリースされたセカンド・アルバム『Aleamapper』と2002年に同レーベルからリリースされたサード・アルバム『Asect:Dsect』からではないか。特に『Asect:Dsect』は、エイフェックス・ツインやオウテカなどの90年代IDMの最良の部分を継承しつつ、00年代初頭のグリッチ・ミュージックの方法論を洗練・交錯させた名盤で、今でもコアなエレクトロニック・ミュージック・ファンに愛されている重要なアルバムである。
 2005年に〈Sublight Records〉から『Cautella』をリリースした後、アルバムのリリースは途絶えた。ジミー・エドガーとの「Divine Edgar EP」をはじめ、いくつかのEPを発表したが、次のアルバムのリリースまでなんと7年の月日を必要とした。そして2012年、〈Detroit Underground〉から新作『Risp』を発表する。7年の月日をかけただけのことはあり「10年代仕様の複雑かつ見事な電子音響/IDM作品」となっており、マニアは大いに歓喜した。
 本作『Sort\Lave』は、前作『Risp』から6年ぶりのアルバムである。10年代のリチャード・ディヴァインは寡作だが、それはむろん諸々の「状況」の問題もあるだろうし、電子音楽/音響の方法論と形式がある程度、固まってきた時代ゆえ熟考を要する時代になったからともいえなくもない。じじつ、長い時間をかけて制作された『Sort\Lave』は電子音楽の可能性に満ちている。それは何か。一言でいえば「電子音楽におけるサウンド/オブジェの結晶化」ではないかと私は考える。

 リチャード・ディヴァインは直接的にはオウテカからの影響の大きいアーティストだ。緻密な音響と伸縮するようなリズム=ビートを追及しているからである。そしてそれはテクノ/電子音響による音響彫刻の実現化でもあった。彼にとってリズムはダンスを目的するものだけではない。サウンドの時間軸を操作するための要素なのだ。
 その意味でオウテカの8時間に及ぶ集大成的なボックス・セットがリリースされた本年に『Sort\Lave』がリリースされたことは象徴的な出来事といえよう。IDM以降のサウンド・オブジェクトの最新型がここに揃ったのだから。

 本作は独自仕様のユーロラック・モジュラー・システムとふたつの Nord G2 Modular ユニットを用いて制作された。トラックの時間軸は一定の反復に縛られず、自在に伸縮している。なかでも12分20秒に及ぶ1曲め“Microscopium Recurse”を聴くと、彼のサウンドの生成と時間軸のコントロールがこれまで以上に自由になっていると分かる。2曲め“Revsic”では一定のビートがドラムンベースのように高速で構築されているのだが、いつしかその反復は伸縮し、非反復的に進行するエクスペリメンタル・テクノ・トラックである。

 アルバムには全12曲が収録されているが、どのトラックもモジュラーによる生々しい電子音が生成しており、電子音に対する耳のフェティシズムとテクノ的な律動と、それを内側から伸縮させてしまうようなタイム・ストレッチ感覚に満ちていた。
 そう、彼の音は、電子音による一種のマテリアル/オブジェなのである。それゆえリチャード・ディヴァインは、最近の電子音楽家にありがちな(?)ポエティックな「思想」は希薄に感じる。いわば音を彫刻のように生成・構築するいまや数少ないサウンド・マテリアリストといえよう。

 もしも仮に電子音楽に新しい可能性があるとすれば、それは抽象的な枠組みに収まらざるをえない「未来」(ユートピアであれディストピアであれ)のようなものを羨望する思想ではなく、具体的な諸々の音の組織体を提示してきた過去から放たれた「一瞬」を掴まえていく意志と行動、つまり創作/制作のただ中にこそあるのではないかと私は考える(そしてその意志の持ちようは聴き手側も変わらないはずだ)。
 音の煌めきに敏感であること。音の運動を捉える大胆かつ繊細な感性を持っていること。数学的といえる整合性と逸脱への関心を交錯させていること。
 過去の煌めきから放たれたものの参照・理解・応用から、現在の閃光=音響が生まれる。リチャード・ディヴァインはそれをよく分かっているのだろう。彼はどこか数学者や科学者のような思考と手つきでトラックを生み出し続けている。本作は、そんな数学者のような電子音響作家によって生み出された新しい音響のオブジェ/構造体なのだ。

Wen - ele-king

 ワイリーが起源だとされるウエイトレスはファティマ・アル・ケイディリシェベルなど応用編の方がどんどん突っ走っている印象が強いなか、さらにウエイトレスとニューエイジを結びつけたヤマネコ『Afterglow』やオルタナティヴ・ファンク風のスリム・ハッチンズ『C18230.5』など適用範囲がさらに裾野を広げ、原型がもはやどこかに埋もれてしまったなあと思っていたら、そうした流れに逆行するかのようにウエイトレス以外の何物でもないといえるアルバムをウェンことオーウェン・ダービーがつくってくれた(以前はもっとクワイトやダブステップに近いサウンドだった)。ファティマ・アル・ケイディリやスラック『Palm Tree Fire』からは4年が経過しているし、何をいまさらと言う人の方が多いだろうけれど、なんとなく中心が欠如したままシーンが動いているというのは気持ちが悪く感じられるもので、それこそデリック・メイが1992年あたりにデトロイト・テクノのアルバムを出してくれたような気分だといえば(ロートルなダンス・ミュージックのファンには)わかってもらえるだろうか。つまり、このアルバムが4~5年前にリリースされていれば、もっと大変なことになったかもしれないし、ボディ・ミュージックを意識したようなストリクト・フェイス『Rain Cuts』などの意図がもっとダイレクトに伝わったのではないかなどと考えてしまったのである。ウエイトレスが何をやりたい音楽なのかということを、そして『EPHEM:ERA』はあれこれと考えさせる。それはとんでもなくニュートラルなものに思えて仕方がなく、ファティマ・アル・ケイディリによるエキゾチシズムやシェベルによるアクセントの強いイタリア風味など、応用編と呼べるモード・チェンジが速やかに起きてしまった理由もそこらへんにあるような気がしてしまう。それともこれはアシッド・ハウスが大爆発した翌年にディープ・ハウスという揺り戻しが起きた時と同じ現象だったりするのだろうか。「レッツ・ゲット・スピリチュアル」という標語が掲げられたディープ・ハウス・リヴァイヴァルがとにかく猥雑さを遠ざけようとしたことと『EPHEM:ERA』が試みていることにもどこか共通の精神性は感じられる。悪くいえばそれは原理主義的であり、変化を認めないという姿勢にもつながってしまうかもしれない。いずれにしろウエイトレスが急速に変化を続けているジャンルであることはたしかで(〈ディフィレント・サークルズ〉を主宰するマムダンスは「ウエイトレスはジャンルではない。アティチュードだと発言していたけれど)、全体像を把握する上で『EPHEM:ERA』というアルバムがある種の拠り所になることは間違いない。

 思わせぶりなオープニングで『EPHEM:ERA』は始まる。そして、そのトーンは延々と続いていく。何かが始まりそうで何も始まらない。立ち止まるための音楽というのか、どっちにも踏み出せないという心情をすくい取っていくかのように曲は続く。うがっていえばいまだにブレクシット(これは反対派の表現、肯定派はブレグジット)の前で迷っているとでもいうような。“RAIN”はそうした躊躇を気象状況に投影したような曲に思えてくる。動けない。動かない。続く“BLIPS”あたりからそうした精神状態がだんだん恍惚としたものになり、停滞は美しいものに成り変わっていく。ここで“ VOID”が初期のアルカに特徴的なノイズを混入させ、美としての完成を思わせる。そこでようやく何かが動き始め、後半はウエイトレスとUKガラージが同根のサウンドだということを思い出させる展開に入っていく。それらを引っ張るのが、そして、“GRIT”である。「エフェメラ」とはフライヤーやチラシのように、役割を終えればすぐになくなってしまう小さな印刷物のことで、ポスターや手紙、パンフレットやマッチ箱などのことを言う。“GRIT”はさらにそれよりも儚いイメージを持つ「砂」のことで、『EPHEM:ERA』にはどこか「消えていくもの、失われていくもの」に対する愛着のようなものが表現されている。『EPHEM:ERA』のスペルをよく見ると、ERAの前がコロンで区切られており、「すぐになくなってしまう小さな印刷物の時代」という掛け言葉になっていることがわかる。それはまさにウエイトレス=無重力に舞うイメージであり、エフェメラに印刷されて次から次へと生み出される「情報」の多さやその運命を示唆しているのではないかという邪推も働いてしまう。膨大な量の情報が押し寄せ、誰もそのことを覚えていない時代。クロージングの美しさがまたとても際立っている。


John Grant - ele-king

 星占いの恋愛運の欄を見ればよく「好きな異性がいるあなたは……」と書いているように、世の大半のラヴ・ソングはヘテロセクシュアルを前提として作られている。たいていの場合世界はマジョリティの原理で動いているのだから、べつに驚くことでもないのかもしれない。だがいっぽうで、まるで同性愛がこの世に存在しないように示し合わされているような不気味さもそこにはあって……たとえば、学校の教科書にLGBTを掲載する必要があるのは特別扱いするためではけっしてなく、「思春期を迎えると誰もが自然に異性に興味を持つようになります」といったような嘘を性教育の現場からなくすためだ。あるいは、教科書に載らない性や愛について描くことがポップ・ソングにはできるのかもしれないが、ゲイを表明している作家によるゲイ・テーマの歌ですら「これはゲイの歌と言うよりは、普遍的な愛の歌である」といったような聞こえのいい言葉がその存在を隠そうとすることもしょっちゅうだ。では、僕たちの愛と人生が息をできる場所はどこにある?

 ジョン・グラントのラヴ・ソングは、「普遍的」などという一見優しげな言葉にけっして取りこまれない明確さと具体性でゲイである自身の性と愛、そして人生を繰り返し描いてきた。しかも彼は優れたリリシストでもあった。厳格なキリスト教の家庭で育ったために両親にゲイであることを受け入れられなかったこと、セックス中毒やゲイ・サウナ(ハッテン場)での放蕩、そしてHIV感染。そうした事柄が、皮肉やサーカスティックな笑いとともにダイナミックに描写される。もちろん彼の歌はすべてのゲイを代表するものではないが、エルトン・ジョンやジョージ・マイケルやボーイ・ジョージといった大スターとはまったく異なる場所から、ゲイ中年のありのままの姿を曝け出した。その歌たちは弱さやみっともなさを晒し続け、そしてなおも誰かと心を通わせることや幸福を諦められずにいる。
 ソロ4作目となる『ラヴ・イズ・マジック』においてもまったく変わっていない。50歳となったグラントは、息子がゲイであることを受け入れずに死んでいった母親のこと、アイスランドで見つけたボーイフレンドとの別れ(前作『グレイ・ティックルス、ブラック・プレッシャー』では彼との蜜月が歌われている)、そしてゲイとして老いていくことの孤独感を赤裸々に綴る。赤裸々に……というより、まるでそれらが隠されることをはっきりと拒むように。ジョン・グラントの歌は、いま表舞台で称揚される多様性の華やかさが見落としているクローゼットの奥にしまわれた魂の声をもノックする。
 サウンド的にはもっともシンセ・ポップ色が強いものとなっており、これはエレクトロニック・ミュージック・グループであるラングラーのベンジとグラントが組んだクリープ・ショウの経験が反映されたものだ(ベンジは本作に参加している)。アナログ・シンセが醸すどこかノスタルジックな響きはジョン・グラントのメロディと声の物悲しさとユーモアの両方を増幅させ、『ラヴ・イズ・マジック』を複雑なペーソスに満ちたものにしている。たとえば“Tempest”はシェイクスピアではなく80年代のアーケイド・ゲームの名前だそうだが、そこではレトロなゲームのサウンドを引用しながら物寂しく愛が懇願される。まんま80年代シンセ・ポップ風の“Preppy Boy”では、アメリカのアイヴィー・リーグ的価値観で育った中年を揶揄しつつ、彼との秘かな同性愛関係をほのめかす(「彼に電話番号を渡したんだ/離婚したあとだったから」)。例によってグラントは道化として振る舞っているし、彼の書くストーリーはある種のゲイ的な内輪ネタとしてそれなりに笑えるのだが、それらはつねにどこか悲しい。最初はプーチンについての歌だったが、「彼はトランプよりも賢い」ことに気づいてドナルド・トランプのことを強烈な卑語で描写するものになったという“Smug Cunt”のような曲でさえ(「小さな子どもみたいに振る舞って/高いオモチャでオナニーする/きみが黙らないから、彼らがきみを遊ばせるだけ」)、柔らかな電子音とグラントの深いバリトンでメロウな響きになる。
 だから、ファンキーなエレクトロ・ポップ“He's Got His Mother's Hip”のような曲もジョン・グラントらしい愉しい曲だが、“Is He Strange”のようなリッチなバラッドにこそ彼の本領が発揮されているのだろう。かつて「きみの愛の前ではすべては色褪せるんだ」と歌っていたグラントは、同じ男に向けていまは「きみをがっかりさせたことを、ただ申し訳なく思う」とつらそうに頭を下げる。あるいはタイトル・トラックの“Love Is Magic”。そこで彼は「愛は魔法/きみが好むも好まないも/そんなに悲劇的でもないさ/それはたんなる、きみが買った嘘にすぎない」とエレクトロニック・ブルーズに乗せて朗々と歌う。もしジョン・グラントの個人的で生々しく、悲しい自画像である歌がそれでも普遍的なのだとしたら、それは、彼が愛のことを嫉妬や惨めさ、別離や性感染症も伴ったものとして、それでも「魔法」と呼ぶからだろう。

 いっぽうで、クロージングの“Touch And Go”は自身でなく、アメリカ軍の情報を漏洩させた元陸軍兵でありトランスジェンダーであるチェルシー・マニングについて描いたものだという。ソウルの甘い調べで、「チェルシーは蝶、彼女は羽化したんだ/彼女を網(ネット)で捕まえることはできない/彼女には内なる自由があるから」と優しく擁護する。『新潮45』の件を思い出さずとも、LGBとTは別物であり、それらは連帯することはできないという偏狭な意見はいつも現れて、僕たちの気持ちを挫かせる。だがグラントの歌の柔らかく、毅然とした反論はどうだろう。奇しくもこの曲は、#WontBeErased時代に響くスウィートなプロテスト・ソングとなった。

Kankyō Ongaku - ele-king

 相変わらず再評価が活発ですね。なかでもこれは決定打になりそうな予感がひしひし。シアトルのレーベル〈Light In The Attic〉が、日本産アンビエントをテーマとしたコンピレイション『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』をリリースします。編纂者は、昨今のニューエイジ・リヴァイヴァルとジャポネズリに火を点けたヴィジブル・クロークスのスペンサー・ドーラン。彼は昨年、自身のレーベル〈Empire Of Signs〉から吉村弘の代表作『Music For Nine Post Cards』をリイシューしていますが(『表徴の帝国』をレーベル名にした真意を尋ねたい)、今回のコンピにはその吉村をはじめ、久石譲や土取利行、清水靖晃、イノヤマランド、YMO、細野晴臣、さらにLP盤には高橋鮎生、坂本龍一と、錚々たる面子が居並んでおります。これを聴けば、いまあらためて日本の音楽が評価されているのはいったいどういう観点からなのか、その糸口がつかめるかもしれません(ドーランによるエッセイを含む詳細なライナーノーツも付属とのこと)。発売は来年2月15日。

Various Artists
Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990

Light In The Attic
LITA 167
3LP / 2CD / Digital
Available February 15

https://lightintheattic.net/releases/4088-kankyo-ongaku-japanese-ambient-environmental-new-age-music-1980-1990

[Tracklist]

01. Satoshi Ashikawa / Still Space
02. Yoshio Ojima / Glass Chattering
03. Hideki Matsutake / Nemureru Yoru (Karaoke Version)
04. Joe Hisaishi / Islander
05. Yoshiaki Ochi / Ear Dreamin'
06. Masashi Kitamura + Phonogenix / Variation III
07. Interior / Park
08. Yoichiro Yoshikawa / Nube
09. Yoshio Suzuki / Meet Me In The Sheep Meadow
10. Toshi Tsuchitori / Ishiura (abridged)
11. Shiho Yabuki / Tomoshibi (abridged)
12. Toshifumi Hinata / Chaconne
13. Yasuaki Shimizu / Seiko 3
14. Inoyama Land / Apple Star
15. Hiroshi Yoshimura / Blink
16. Fumio Miyashita / See The Light (abridged)
17. Akira Ito / Praying For Mother / Earth Part 1
18. Jun Fukamachi / Breathing New Life
19. Takashi Toyoda / Snow
20. Yellow Magic Orchestra / Loom
21. Takashi Kokubo / A Dream Sails Out To Sea - Scene 3
22. Masahiro Sugaya / Umi No Sunatsubu
23. Haruomi Hosono / Original BGM
24. Ayuo Takahashi / Nagareru (LP Only)
25. Ryuichi Sakamoto / Dolphins (LP Only)

God Said Give 'Em Drum Machines - ele-king

 これは興味深い。Resident Advisorの伝えるところによれば、デトロイト・テクノにかんする新たなドキュメンタリーの制作が開始されるようなのだけれど、どうもそれが「いかに音楽ビジネスがクリエイターを裏切ってきたか」という切り口のものらしいのである。『God Said Give 'Em Drum Machines: The Story Of Detroit Techno』と題されたそれは、ホアン・アトキンス、ケヴィン・サンダーソン、デリック・メイのビルヴィレ3を筆頭に、エディ・フォークスやブレイク・バクスター、サントニオ・エコルズらのキャリアを追いながら、ついつい見過ごされがちなダークな側面、巨大産業となったエレクトロニック・ダンス・ミュージックの暗部を探るものになるのだという。現在、制作者のジェニファー・ワシントンとクリスティアン・ヒルがクラウドファンディングを実施している。プロジェクトの詳細と彼らへのサポートは、こちらから。

HP: godsaidgiveemdrummachines.com

Eli Keszler - ele-king

 ニューヨークのドラム奏者/サウンド・アーティストであるイーライ・ケスラーは、2017年にローレル・ヘイローのアルバム『Dust』に全面参加し(実質上のコラボレーターともいえる)、2018年に『Age Of』をリリースしたワンオートリックス・ポイント・ネヴァーのワールド・ツアーにドラマーとして参加したことで、その名を広く知らしめることになった。
 むろんイーライはそれ以前もドラム奏者/サウンド・アーティストとして充実した活動をおこなってきた。2006年以降、自身のレーベル〈R.E.L Records〉から精力的に多くのアルバムをリリースし、2011年にはベルリンの実験音楽レーベルの〈Pan〉から『Cold Pin』を、2012年に『Catching Net』を発表する。両作ともドラム演奏とインスタレーション的なコンセプトを音盤化したエクスペリメンタルな音響作品だ。この2作で彼にとって演奏/インスタレーションという極の融合を示してみせた。そして2016年には香港のフリー・ミュージック/実験音楽レーベル〈Empty Editions〉のリリース第1作として『Last Signs Of Speed』をリリースする。
 ソロ作品のリリースのほかに、コラボレーション作品の発表も盛んにおこなっており、2012年にイタリアはヴェニスのフリー・ジャズ・レーベル〈8mm Records〉からベテラン・サックス奏者のジョー・マクフィーとの『Ithaca』を、同年、アメリカ合衆国はバーリントンを拠点とするエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈NNA Tapes〉から電子音響/音楽家キース・フラートン・ウィットマンとの『Eli Keszler / Keith Fullerton Whitman』を、2014年にロンドンのフリー・ミュージック・レーベル〈Dancing Wayang〉からオーレン・アンバーチとの『Alps』などをリリースしている。私見ではこういったコラボレーションの成果が(あくまで音楽的方法論であって、人脈的なものではない)、ヘイローの傑作『Dust』に結実したのではないかと考えている。
 いずれにせよ、イーライのドラム演奏とサウンド・インスタレーションを融合させていく作品は観客/聴き手/アーティストに大きなインパクトを与えた。じっさい音源リリース以外でも作品展示(自身の演奏も含む)やアート作品の発表なども多くおこなっている。それは彼のサイトでも確認できる。

 本作『Stadium』は『Last Signs Of Speed』以来、2年ぶりとなるイーライのソロ・アルバムである。今回は電子音楽家フェリシア・アトキンソンとアート・ディレクター/デザイナーのバルトロメ・サンソンによって運営される注目のエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル/ブック・レーベル〈Shelter Press〉からのリリースだ。
 このアルバムの制作中にイーライはサウス・ブルックリンからマンハッタンへ拠点を移したようで、それに伴う意識の変化や、近年のツアー生活にともなう風景の変化が、楽曲の隅々にまで影響・反映しているようにも感じられる。トラックは意識の変容にように滑らかに変化し、光景/記憶の再生のように生成していく。私見では現時点におけるイーライの最高傑作ではないかと思う。音響の構成や構築度がこれまでの段違いにオリジナリティを獲得しているからである。

 ドラム、パーカッションのグルーヴのみならず、それらのテクスチャーをも精密に抽出し、細やかにスライスし、細やかな粒子のように電子音などとレイヤーさせる手法と手腕によって、ジャズ的/フリー・ミュージックな演奏イディオムをサウンド・アートやインスタレーション、エレクトロニクス音楽の中に分解していく。いわば音と音の関係性が複雑な音響空間の中で、音、音楽、演奏の関係性が、その都度「結び直されていく」かのごとき独自の音響と聴取感が生まれているわけだ。
 1曲め“Measurement Doesn't Change The System At All”や5曲め“Simple Act Of Inverting The Episode”のグリッチするような細やかでハイブリッドなドラミングと柔らかい電子音/サウンドのレイヤー、2曲め“Lotus Awnings”、4曲め“Flying Floor For U.S. Airways”などのズレとタメが多層的にコンポジションされる非常に現代的なリズム構造など、どの曲もハっとするような聴きどころに満ちており、一瞬たりとも聴き逃せない。
 中でも注目したいのが3曲め“We Live In Pathetic Temporal Urgency”だ。この曲は音響とアンビエンスとリズムの時間軸が伸縮するような構造と構成になっており、どこか意識と身体に浸透するようなサウンドを生成している。意識と風景。サウンドとミュージック。マテリアルとアブストラクト。それらの関係が別の地点から結び直されていくような感覚を覚えた。アルバムを代表する曲ではないかと思う。
 ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(ダニエル・ロパティン)はイーライのドラミング/サウンドを「バクテリアのよう」と彼らしい表現で語っているようだが、確かに、サウンドの中に粒子のように浸透する彼のサウンドと演奏は、微生物のような蠢きを持っているように思える。ドラム演奏の粒子化。そこから生まれる伸縮する時間軸を持った音響空間。知覚を拡張するという意味において、彼の音楽と演奏はそれ自体がアートであり、一種のインスタレーションでもある。

 となればフィジカル盤もまたそんな彼による最新のアートフォームといえよう。アートワークはレーベル主宰のひとりでもあるバルトロメ・サンソン。タイポグラフィと写真を効果的に活用したクールな出来栄えである。アナログ盤とCDのデザインを大きく変更している点も興味深い。アナログはタイポグラフィを効果的に使ったミニマルな仕上がりであり、CDはプラスチックケースに特殊印刷でタイポグラフィを印刷、盤面に写真をトリミングして印刷した仕様である。ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの『Age Of』のCDデザインと同様に、CDだからこそ可能なアートワークといえよう。

Niagara - ele-king

 ポルトガルの〈プリンシペ〉というレーベルがクゥドロをリリースしはじめたとき、それは本当に斬新でモダンなダンス・ミュージックであった。正直、〈プリンシペ〉よりも10年前にクゥドロを先導していたDJアモリムやDKカドゥはまったく垢抜けず、ワールドワイドに知れ渡ることがなかったのも当たり前だと思えた(筆者は2008年にブラカ・ソム・システマのデビュー・アルバムで初めてクゥドロを知ることになった。だから、それ以前のものは遡って聴いただけ)。旧世代ではDJネルヴォソだけが〈プリンシペ〉にサルヴェージされ、作風もアップデートされたものになっている。〈プリンシペ〉はごく初期にフォトンズというポルトガルでは2006年からレコードをリリースしていた中堅のハウス系プロデューサーをレーベルに迎え入れていたので、クゥドロを土着サウンドとして温存するのではなく、ハウスというフォーマットの中で都会的な洗練を施そうという意志を持っていたことは明らかだったと思う。そして、DJニガ・フォックスやB.N.M、あるいはパリのニディア・ミナージュがそのラインで流れ出していったのである。しかし、その中にレーベル番号で言えば3番という早い時期のリリースにもかかわらず、なかなか意図不明なリリースが含まれていた。ナイアガラである。アルベルト・アルルーダ、アントニオ・アルルーダ、サラ・エッカーソンからなり、ノヴォ・ムンドの名義では普通にハウスもやっている3人組が2013年にリリースした事実上のデビュー・シングル「Ouro Oeste」はクゥドロとはまったくかけ離れ、ハウス・ミュージックとしてもどこかしっくりとこないものであった。僕はしばらくすればナイアガラは〈プリンシペ〉を離れ、同じポルトガルの〈エンチュファーダ〉辺りに移るだろうと思うほど〈プリンシペ〉の路線ではないと思っていたぐらいで、それが〈プリンシペ〉における3枚目のアーティスト・アルバムはDJニガ・フォックスでもなければCDMでもなく、まさかのナイアガラだったのである。そして案の定というか、これがやはりダンス・アルバムではなく、初めて9月に聴いてからすでに1ヶ月、いったいこれはなんだろうと思いながら何度も聴き返してしまうことになった。何度聴いても過去の引き出しのどこにも収まってくれない。もう一度、もう一度……

 ポップでもなければ、実験音楽でもない。最初はスフィアン・スティーヴンスやコス/メスがシリーズ化しているライブラリー・ミュージックを狙ったものかなと考えた。冒頭から変調させた声がミニマルというか、循環コードに絡みつき、アンビエント・ミュージックにしては賑やかな情景描写が展開される。このパターンが何曲か続き、ダンス・ミュージックでないことははっきりしてくる。いわゆるヒプノティックな効果は期待されているようで、メンタルに訴えかけようとはしているものの、トリップ・サウンドの要素はなく、特異な世界観に引きずり込まれることはない。なんというか、抽象的でとても醒めている。調べてみるとアルベルト・アルルーダは〈プリンシペ〉と出会う前にノイズやポスト・ロックのバンドで活動していた過去があり、それがどんな音楽だったのかということまではわからなかったものの、実験音楽やアヴァンギャルドにありがちな理性的で酩酊感のない音楽であろうとする感覚は残っているということなのだろう。ノイズやポスト・ロックにありがちな攻撃的要素をすべてスタティックなパーツに置き換えて全体像を組み立て直したという感じかもしれない。それでいてミュジーク・コンクレートに通じる面はまったくないのだから独創的としか言えない。何度も聴いているうちにどこにもなかった扉が開いて自分の中に新たな引き出しが生まれたような気になってきた。違和感が既視感にすり替わったというか。

 後半になると控えめながら、ほとんど曲でパーカッションがフィーチャーされる。催眠的であることに変わりはなく、ポップでも実験的でもないことは変わらないのに、どことなく理性的ではなくなり、知らず識らずのうちにトリップ・サウンドに紛れ込んでいるような体験になっている。“Damasco”“Siena”、そしてポルトガルなのになぜかイタリア全土を統一に導いた“Via Garibaldi”と続く流れは実に素晴らしく、“Matriz”であっさりとアルバムが閉じられてしまうと、え、ちょっと待ってよ、もう一度という気持ちになってしまう(出来の良くないハウスを追加したボーナス・トラックは興ざめ)。ここでやはり今年前半の白眉だったと言えるドゥ・レオンのミニ・アルバム『De Leon』を思い出すのが順当だろう。ナイアガラに比べてテクノのフォーマットにすんなりと順応しているドゥ・レオンは絶対に正体を明かさないユニットとして登場し、ガムランとカポエラにダブを取り入れたサウンドでテクノとワールド・ミュージックの垣根を完全に取り払ってしまった(“A3 Untitled”は確実にベーシック・チャンネルの先をいっている。1年以内に必ずマーク・エルネスタスがリミックスか何かで関わろうとするだろう)。2本のカセットに続いてリリースされたデビュー・アルバムは〈オネスト・ジョン〉傘下の〈マナ〉からリリースされ、その瞑想的なダンス・サウンドはナイアガラ『Apologia』で「それ以上、先に行ってはいけない」と釘を刺されていた領域にズンズンと突き進んでいく。この2枚を続けて聴くことは、結末を読むのが怖い昔話を読むような体験に似ているような気がする。

James Ferraro - ele-king

 3割、いや、4割くらいだろうか。現在OPNに寄せられている賛辞のうち、それくらいはジェイムス・フェラーロに譲ってしかるべきだろう。シンセの音色や展開、音声やノイズの処理法、挿入のタイミング、全体的なテクスチャーやレイヤリング――彼らふたりはサウンドのメソッドをかなりの部分で共有している。それは今年リリースされた作品にも顕著に表れ出ていて、フェラーロの新作「Four Pieces For Mirai」が鳴らすチェンバロや音声ノイズを耳にすれば、それらがほぼ同時期にリリースされたOPNの『Age Of』と共時的な関係を結んでいることがわかるだろう。
 そのようなサウンド面での共振以上に重要なのは、彼らがともにコンセプチュアルなアーティストであるという点だ。バラよりもパンが、想像的なものよりも具体的なものが優先されるこの時代にあって、彼らはフィクションというものが持つ力をどこまでも信じきっている。そんなふたりがじっさいに友人関係にあり、アイディアを交換しあっているというのはなんとも素敵な話ではないか(『Age Of』の「○○時代」という着想は、フェラーロとの読書会をつうじて獲得されたものである)。

 ロパティンの『Chuck Person's Eccojams Vol. 1』やラモーナ・ゼイヴィアの『フローラルの専門店』と同様、ヴェイパーウェイヴの重要作とみなされるフェラーロの『Far Side Virtual』(2011年)は、それまでのロウファイ路線から一気に舵を切った転機作で、彼に大きな名声をもたらしたアルバムだ。PCや携帯電話などの当世風環境音をレトロフューチャリスティックな佇まいで導入・再編した同作は、セカンド・ライフやグーグル、スターバックスのような記号と組み合わせられることによって、「ハイパーリアリティ」や「消費文化」といったタームで評されることになったわけだけれど、最近の『WIRE』のインタヴューにおいてフェラーロは、『Far Side Virtual』の射程がたんなる資本主義批判に留まるものではなかったことを振り返っている。いわく、文化はいかにして存続するのか、今日人びとはどのように関係を結びあっているのか、それはインターネットを介してである、うんぬん。ようするに同作は、今日の資本主義がヴァーチャルを拠りどころにしていることをこそメイン・テーマとしていたのであり、たしかにそれは先に掲げた術語たちと相つうずる側面を持っている。
 その後R&Bを都市の亡霊として利用した『NYC, Hell 3:00 AM』や、合成音声とモダン・クラシカルとの不和をそのまま共存させた『Human Story 3』など、いくつかの重要なアルバムを送り出したフェラーロは、新作「Four Pieces For Mirai」でふたたび『Far Side Virtual』の見立てへと立ちもどり、当時のアイディアをより深く突き詰めている。

 最初に気になるのはやはりタイトルの「ミライ」だろう。これは差し当たり一般的な意味での「未来」ではなくて、2年前に世間を騒がせたマルウェアの「Mirai」を指している。世界じゅうの大量のデヴァイスに侵入し、それら端末をのっとることによって同時多発的に特定のターゲットへと膨大なリクエストを送信、対象のサーヴァーをダウンさせるというその手法は、なるほどたしかに今日のオンライン化した資本主義にたいする勇猛な挑戦であり、電子的なレジスタンスといえなくもない。フェラーロはミライを肯定的に捉えている。トレイラー映像でも触れられているように、ミライはわれわれをヴァーチャルへの隷属状態から解放すべく生み出されたものなのである。

 いまやオンライン上の人びとの自我はその領分を逸脱し、フィジカルな世界で具現化を試みている。そもそもデジタルな自己とフィジカルな自己とが一致する必要なんてなかったはずなのに、今日ではオンライン上での振る舞いが現実のそれへとフィードバックされるようになってきている――『WIRE』においてフェラーロはそのような診断を下しているが、たしかに昨今オンラインとオフラインとでまったくちがう自分を演じ分けることが徐々に難しくなってきているというのは、体感的にも賛同できるところだろう。ようするにフェラーロは、ヴァーチャルによって実生活が侵食されつつあると考えているわけだ。その閉塞を打破するのがミライである。「人間はインターネットの支配下にあるけれど、このヴィールスは人間を解放するものなんだ。悪魔が人間を自然の状態へと戻すものであるようにね」とフェラーロは同じインタヴューで語っている。「Four Pieces For Mirai」は、そのようなミライによる解放のプロセスを描いたもので、今後続いていくシリーズの序章に位置づけられている。

 ここでフェラーロが「自然」という言葉を持ち出しているのは重要だろう。なぜなら「Four Pieces For Mirai」からはじまるこの新たなシリーズは、ほかならぬ「文明の衰退」をテーマとしているからだ。それは「人新世」なる語によって人間が相対化される昨今の風潮ともリンクしているし、あるいは「自然」を「文明」に対抗するものとして捉え返した『文明の恐怖に直面したら読む本』と問題意識を共有しているともいえる。しかもフェラーロは、ものごとを刷新するには既存のそれを燃やし尽くす必要があるという考えを表明してもいて、それはアンドリュー・カルプにもつうじる発想だ。既存の体制を維持しながら部分を改良するのではだめなのであって、一度すべてを破壊しつくさなければならない。ミライはそのための「人工的な火災」なのである。
 さらにいえば、フェラーロが着目したマルウェア「Mirai」の生みの親が、「アンナ先輩」と名乗っていたことも示唆的だ。『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』において、体制のもたらす法を無条件に信じこみ、それに従わない者たちを取り締まる立場にあった彼女が、遵守すべき法と自身の欲望とのあいだで折り合いをつけるために、既存の道徳を独自に読み替え、主人公の属するテロ組織以上に過激に立ちまわる人物であったことを思い出そう。彼女は体制を妄信するがゆえにこそ、その法を極度に徹底することによって法それ自体の瓦解を誘発しているのである。だから、「彼女」によって開発された「Mirai」=ミライは、われわれにそのような創造的な誤読=思考の変更を強制的かつ同時多発的に実行させるヴィールスなのだと考えることもできる。

 かつて『Far Side Virtual』が「ハイパーリアリティ」や「消費文化」といったタームで語られてしまったことにたいして、フェラーロはじつはひそかに不満を抱いていたのではないだろうか。というのも、それらの語は68年を契機に力を持ちはじめた概念であり、またそれらの語を用いた人物は80年代に人気を博した思想家だったからだ。『Far Side Virtual』がリリースされた時点ですでに「ポストモダン」という言葉はレトロな響きを携えていたし、何よりヴェイパーウェイヴという運動それ自体にそのような過去の相対化が含まれていたのだから、遠景へと退けたはずのものと親しい概念によって自作が評されてしまうことに、フェラーロは既存の体制の堅牢さを感じとったのではないだろうか。だからこそ彼は今回、ミライという破壊的なコンセプトを考え出したのではないか。

 冒頭の“Fossils”や“Green Hill Cross”、“Butterfly”などで顔を覗かせるチェンバロ、“Green Hill Cross”や“Mirai”や“Gulf Gutters”などで差し挟まれる不気味な音声ノイズ、“Butterfly”や“Mirai”や“Remnant”などで展開されるバロック的だったり東洋的だったりする音階に耳を傾けていると、ロパティンとフェラーロはあらかじめ共謀していたのではないかという気がしてくる(とくに最後の“Gulf Gutters”)。『Age Of』と「Four Pieces For Mirai」は奇妙なまでに対照的で、相互補完的だ。前者がポップとアヴァンギャルドのあいだで引き裂かれているのにたいし、後者はそれと近しいサウンドを用いながらも前者が回避したアンビエントとしての完成度を追求している。あるいは前者が人間と非人間とのあいだで揺れ動くロパティンのためらいそのものをエモーショナルに表現しているのだとしたら、後者は絶滅の危機にある人間(“Remnant”)を救うために非人間が破壊を遂行していく様を淡々と描いていく。コンセプトに重きを置いた作品が目立つ2018年にあってこのふたつの作品は突出している感があるけれど、ラディカルさにかんしていえば、アノーニに引っ張られて躊躇しているロパティンよりも、肯定的に破壊を描き切ったフェラーロのほうが一枚上手なのではないだろうか。

 尋常ではない数の名義を使い分け、尋常ではないペースで作品を発表し続けるジェイムス・フェラーロ。彼によって送り出される無数のピースたちそれ自体がきっと、ミライのようなヴィールスなのだろう。彼の音楽を聴いた世界じゅうのリスナーたちはいつの間にかその毒に感染し、気づかぬうちに思考を変えられてしまっている――フェラーロが想定するミライとは、そのような未来のことなのかもしれない。

Oneohtrix Point Never × Ryuichi Sakamoto - ele-king

 抗鬱剤。レクサプロはその商標のひとつである。一般名はエスシタロプラムという薬で、デンマークのルンドベック社によって開発され、日本では2011年に承認された、といった背景は各自で調べていただくとして、OPNまでもが無視することができなくなっているということは、ほんとうにいま鬱が大問題なのである。それは自己責任が大好きなこの国の多くの方がたの思惑とは裏腹にまったくもって個人の問題ではなくて、たとえばヒップホップのアーティストが多用する抗不安薬(紙エレ22号101頁)やパーラメントの新作が描き出す「医療詐欺」、あるいはマーク・フィッシャーの資本主義批判とも通底する、きわめて社会的なテーマだ。『Age Of』でさまざまな「○○時代」を想定することで逆説的に現代のリアリティを切りとろうとしたロパティンが、それを補完する新たなEP「Love In The Time Of Lexapro」で「抗鬱剤時代の愛」について考えをめぐらせるのはなにゆえか。それはどういうコンセプトに基づいているのか。サウンド面にかんして重要なのは、坂本龍一が参加している点だろう。『ASYNC - REMODELS』ではOPNが坂本の曲をリミックスしていたけれど今回はその逆で、『Age Of』の最後のトラックを坂本がリミックスしている。コンセプチュアルな作品が目立つ2018年の代表格OPNと、近年海の向こうにおいてどんどん存在感を増している坂本、彼らの接触はいったいどのような音のミラクルを発生させているのか。まあなんにせよ、ふたりとも今年最後までわたしたちをひきつけて離さないつもりのようである。

[11月21日追記]
 本日、坂本龍一がリミックスを手がけたOPNの最新音源“Last Known Image Of A Song (Ryuichi Sakamoto Rework)”が公開されました。下記リンクから試聴可能です。

https://opn.lnk.to/Lexapro-Sakamoto

坂本龍一が手がけたリミックス収録で話題のワンオートリックス・ポイント・ネヴァー最新作『LOVE IN THE TIME OF LEXAPRO』ボーナス・トラックを追加収録した超限定CDのアートワークが解禁!
来日公演で完売となったOPNロングスリーヴTシャツも再販決定!
本日より予約受付開始!

アルバム『Age Of』をリリースし、単独来日公演を大成功させたばかりのワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下OPN)が、その勢いの余波を止める間もなく最新作『Love In The Time Of Lexapro』を12月7日にリリース。
坂本龍一が手がけたリミックス曲やアレックス・Gとの弾き語り(!)さらに名盤『R Plus Seven』期を彷彿とさせる新曲にして名曲も収録した至高のEP作品に、さらに2曲のボーナス・トラックを追加し、数量限定で日本オリジナルCD化! また印象的だった『Age Of』のレイヤード・パッケージともリンクするユニークなオリジナル・デザインが特別感のある仕様となっている。

今作のリリースを記念して、9月の来日公演で完売となった『Age Of』ロングスリーヴTシャツのオンライン販売が決定! 受注生産になるため、この機会をお見逃しなく! BEATINK.COMにて、本日から12月7日(日)まで予約受付。12月7日(日)より発送開始。

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PRICE: ¥5,800+税 *送料無料

先行解禁曲「Love In The Time Of Lexapro」
Apple Music: https://apple.co/2D5nsYK
Spotify: https://spoti.fi/2yxP4lq

『Age Of』は、様々なレイヤーで大きな注目と評価を集めたアルバムだった。アノーニをはじめとしたゲスト・ヴォーカルを招き、ミックスにジェイムス・ブレイクを迎えた点。これまでの作品に比べて明らかにポップを志向しながら、さらに実験を推し進めている点。現代社会のあり様を鋭く批評するようなジム・ショウによるアートワークや、ロシアの哲学者ミハイル・バフチンや加速主義を提唱した思想家ニック・ランドを参照したことも話題となった。サウンドとしてもコンセプトとしても、ダニエル・ロパティンが現在、エレクトロニック・ミュージックに限らない音楽シーンの突端に存在することを改めて証明する作品だったと言える。

『Love In The Time Of Lexapro』は『Age Of』時代のOPNの続編と言えるEP作品である。アルバム後のライヴで披露されている未発表音源「Love in the Time of Lexapro」を表題曲として、『Age Of』収録曲のリミックスや別ヴァージョン、未発表曲を収めている。国内盤CDには、先日デジタル・リリースされたEP『The Station』と12インチEP『We’ll Take It』に収録された「Monody」と「Blow by Blow」をボーナス・トラックとして収録。ほとんどのトラックでジェイムス・ブレイクが共同ミックスを担当していることからも、『Age Of』との繋がりの強さが窺える。

レクサプロは有名な抗うつ剤の名称である。「抗うつ薬時代の愛」とでも訳せばいいだろうか、「Love in the Time of Lexapro」はその名の通りメランコリックで陶酔的、そして美しいメロディがゆっくりと広がってくるトラックだ。この静謐な空気感はOPNの出世作にして〈Warp〉からのデビュー・アルバムとなった『R Plus Seven』を思わせる。本EPを貫くのは、たとえば『Garden Of Delete』や映画『Good Time』に存在した烈しさや荒々しさではなく、張り詰めた美である。

坂本龍一が手がけた「Last Known Image of A Song」のリミックスもまた、そうしたトーンを強調する。細やかな電子音や鍵盤打楽器のような金属音を配したアンビエント色の強いエレクトロニカで、オリジナルにも勝るとも劣らない、本作のハイライトとも言えるトラックだ。OPNは坂本龍一のリミックス・アルバム『ASYNC - REMODELS』に参加していたが、音楽家としてお互いリスペクトし合っていることは度々語られている。だからこのトラックはたんなる企画を超えた、同時代を生きる先鋭的なミュージシャン同士の交流の結実だと言えるだろう。「Monody」のシンセ・サウンドにはどこかYMOを思わせるところがあるが、その影響を勘ぐるのはさほど的外れではないだろう。EPはエレクトロニックな質感から打って変わって「Babylon」のアコースティック・ヴァージョンで幕を閉じるが、アレックスGがヴォーカルをとるこのナンバーもまた、OPNの音楽の叙情的な側面を強調している。

『Love In The Time Of Lexapro』は、鋭利な批評性と同時代性、ポップと前衛のせめぎ合いを兼ね備えたアルバム『Age Of』のもうひとつの側面――OPNの音楽のほのかな輝きを結晶化したような作品である。


label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never
title: Love In The Time Of Lexapro

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2018.12.07 FRI ON SALE

国内盤CD BRE-58 定価:¥1,800+税

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TRACKLISTING
1. Love In The Time Of Lexapro
2. Last Known Image Of A Song - Ryuichi Sakamoto Rework
3. Thank God I'm A Country Girl
4. Monody (Bonus Track)
5. Blow by Blow (Bonus Track)
6. Babylon - Alex G & OPN

label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never
title: Age Of

release date:
NOW ON SALE

国内盤CD BRC-570 定価:¥2,200+税
国内盤CD+Tシャツ BRC-570T 定価:¥5,500+税

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Lori Scacco - ele-king

 ロリ・スカッコの音楽を聴くと、いつも「波紋」のようなサウンドだと感じる。水滴と波紋。その水面での折り重なり。いわば「丸と円」のレイヤーのような音楽。もしくは「輪」のような音のアンサンブル。それはカタチや現象の問題だけではなくて、どこか人と人との関係性、つまり「縁」を表しているのではないか。
 じっさい2004年にスコット・ヘレン(プレフューズ73)が運営し、あのサヴァス・アンド・サヴァラスのアルバムなどもリリースしていたレーベル〈Eastern Developments〉から発表された彼女のソロ・ファースト・アルバムも『Circles』というアルバム名だった。このアルバムを制作する前、ロリ・スカッコはバンド、シーリー(Seely)の解散を経験していたわけだし、それなりに人間関係の大きな変化の只中にいたのだろう。
 ちなみにシーリーは、1996年にトータスのジョン・マッケンタイア・プロデュースのファースト・アルバム『Julie Only』を〈Too Pure〉からリリースしたバンドである。シューゲイザーからステレオラブまでのエッセンスを持ちながらミニマル/ドリーミーなポップを展開し、熱心なリスナーも多かったと記憶している。ロリはこのシーリーのピアニスト/ギタリストだった。シーリーは2000年にアルバム『Winter Birds』をスコット・ヘレンとの共同プロデュースでリリースし、そして解散してしまったが、その解散から4年の月日をかけて彼女はソロ・アルバム『Circles』をリリースしたわけだ。
 そしてその音楽性はバンド時代から大きく変わった。ギターやピアノ、弦楽器などにエレクトロニクスが控えめにレイヤーされた「アコースティック・エレクトロニカ」とでも形容したい作品に仕上がっていたのだ。日曜の朝とか晴れた日の夕暮れ時を思わせる穏やかで美しいクラシカルなアルバムである。永遠に耳を澄ましていたいような心地良さがあった。もちろん聴き込んでいくと、音と音の重なりは和声感も含めて、実に繊細に織り上げられていることに気が付く。まさに「サークル」の名に相応しい作品である。このアルバムは熱心な聴き手に深く愛され、リリースから10年後に日本盤CDが〈PLANCHA〉からリイシューされ、新しいリスナーからも歓迎された。
 『Circles』リリース以降のロリ・スカッコは、ダンス、映画、ビデオ・アートの音楽制作を行いつつ、サヴァス・アンド・サヴァラスのメンバーのスペインのアーティスト Eva Puyuelo Muns とのストームス(Storms)としても活動し、2010年にはアルバム『Lay Your Sea Coat Aside』をリリースした。そして2014年にはデジタル・リリースのソロ・シングル「Colores (Para Lole Pt.2)」を発表。加えて先にも書いたように〈PLANCHA〉から『Circles』がリイシューされた(ボーナス・トラックを追加収録)。

 新作『Desire Loop』は、14年ぶりのセカンド・ソロ・アルバムである。リリースは、ニューヨーク・ブルックリンを拠点とするアンビエント・レーベル〈Mysteries Of The Deep〉から。〈Mysteries Of The Deep〉は、ニューヨーク・ブルックリンのエクスペリメンタル・バンド、バーズ・オブ・プリティのメンバー、グラント・アーロンによって運営されており、Certain Creatures、William Selman などの作品をリリースしている。
 本作も生楽器主体の『Circles』から一転し、シンセサイザーをメインに据えたアンビエント/トライバルな電子音楽に仕上がっていた。この変化には一聴して驚いてしまったが、しかし何度も聴き込んでいくと、どんどん耳に馴染んでくる。『Circles』と同じように波紋のような音がレイヤーされていく構造になっているからか、聴くほどに耳と身体に浸透するような音楽なのだ。音と音が泡のように生成しては変化し、持続やリズムをカタチづくっていく。あの見事なコンポジションは、形式を変えても健在であった。いや、深化というべきかもしれない。
 シンセ中心のサウンドのムードは、どこか現行のアンビエントやニューエイジ・シーンともリンクできる音楽性だが、浮遊感に満ちた和声感覚と音のレイヤー感覚などから、やはりロリ・スカッコという「作曲家」の個性が強く出ている電子音楽にも思えた。

 とはいえ、あざとい作為は感じられない。ごく自然にミニマルな音とミニマルな音が重なり、そこにコードやリズムが必然性を持って生まれていた。1曲め“Coloring Book”には、本作の特徴が良く出ている。やや硬めの電子音の持続から音が分岐するようにいくつかのループが生まれ、やがて糸がほぐれるように変化したかと思えば、それらはループを形成し、トライバルなビートが鳴り始めもする。持続と反復。その中断と非連続性の美しさ。まるで確かに水の波紋のように、一種の自然現象のように、電子音たちが踊っている。続く2曲め“Strange Cities”はニューエイジなムードのシーケンスから幕を開け、それらが電子音の層へと溶けるように変化を遂げていく。この最初の2曲に象徴的なのだが、ロリ・スカッコの作曲は音の反復を持続の中に「溶かす」。電子音という生成変化が可能な音響だからこそ実現する反復と非反復の融解とでもいうべきか。
 アルバム中、重要な曲は5曲め“Back To Electric”ではないか。トライバルなリズムが鳴らされていくのだが、もう1階層、別のリズム/ビートがレイヤーされており、そこに規則的な電子音と民族音楽がグリッチしたような旋律が鳴る。聴いていくと時空間が「ゆがんで」いくようなサイケデリック感覚を味わうことができた。続く6曲め“Tiger Song”は細やかなノイズと、どこか日本的な旋律に反復的なビートが重なる印象的な曲だ。7曲め“Red Then Blue”もノイズのレイヤーからミニマルな反復が生成し、ゆるやかに聴き手の知覚を変化させるような見事なトラックである。アルバム・ラストの8曲め“Other Flowers”では、それまでサイケデリックに歪む時空間が、次第に知覚の中で整えられていく。まさに「花」のような端正な電子音楽である。

 こうして14年ぶりとなるロリ・スカッコの新作アルバムを聴いてみると、やはりこの歳月は必要だったのだと痛感する。反復と非反復の往復。知覚の遠近法を変えてしまう音のゆがみ。それらを曲として成立させること。作曲と即興のあいだにある音と音の自然な生成の追求。そのための時間。何より音楽それじたいが聴き手に対しても長い時間をかけて浸透するような時を内包しているのだ。それは自分の音楽を作り続けた人だからこそ獲得することができる「時の流れ」の結晶ではないか。そんな感覚を『Desire Loop』の隅々から聴き取ることができた。

 かつてはアトランタで建築を学ぶ学生であった彼女だが現在はニューヨーク在住という。いまのアメリカの政治や社会状況には憤りを感じているというが、音楽にそのような感情は直接には反映されていないように思えた。しかし、彼女の音楽に耳を澄ましていると見えてくるのは、脆さや弱さ、そして美や強さに向かい合いつつ、極めて誠実に音楽=世界と向かい合っている音楽家/作曲家の姿だ。この酷い世界を音楽によって肯定すること。音と人の関係性を、その弱さを脆さと共に感じ取ること。そんな意志が音の粒子に舞っているのだ。

 本作は繰り返し聴取することで、どんどんその魅力が増してくるようなアルバムだ。ぜひとも「電子音楽家としてのロリ・スカッコ」が鳴らす音の波に耽溺してほしい。世界の事象が溶け合っていくような見事な作品である。


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