近年、文化のグローバル化、インターネットの普及、趣味の細分化によって日本の音楽が海外から、10年前にくらべてずいぶん広く注目されているのはみなさん周知の通り。ここ1~2年で言えば、細野晴臣への評価の高さはすごい、いまや細野さんはNTSでも番組を持っているほど(しかもこれがなかなか面白い内容なんですよ)。
とはいえ、ひとこと日本の音楽といってもそれはもういろいろあって、シティ・ポップと吉村弘ばかりが売れているわけではない(笑)。先日ele-kingの石原洋のインタヴュー記事が海外サイトに訳されたように、多ジャンルわたっての注目であって、民謡クルセイダーズだってコロナが無ければこの夏は欧州を旅していたはずですから。
で、そんななかでBBCレディオ3が日本の音楽の特番を放送しているのは、とうとうそんな時代になったのかと、じつに興味深い話だ。東京在住のNick Luscombeさんが現代音楽からシティ・ポップ、アヴァンギャルドからフォーク、伝統音楽までなんでも選曲するという。すでに2回が放送済みで、3回目は8月9日の現地時間の午後11というから、日本時間では8月10日の朝7時になるのかな。最近、鶏も早起きしているワタクシ=野田はチェックしてみようと思っています。
日本の音楽もこうして海外に開かれていくことで、よりサウンドが重視されるだろうし、まあ、これはポジティヴなことだと思います。
「Not Wavingã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
これがじつに格好いい曲なんですよ。ACR(ア・サートゥン・レシオ)の12年ぶりのアルバム『ACR ロコ』に収録された“Yo Yo Gi”。ラテン・パーカッションからはじまりハウスへと展開するダンス・トラックで、長年マンチェスターでニュー・オーダーとともにバンド形態によってダンス・カルチャーにコミットしてきたベテランだけのことはある。今年のはじめに来日した際にフィールド・レコーディングした山手線のアナウス入りの曲で、MVにも東京で撮影された風景が流れている。
1978年に始動したACRは、ジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダーとともにマンチェスターの〈ファクトリー〉を代表するバンドとしてデビュー。レーベルの1枚目のシングルがACRだった。また、ニュー・オーダーはエレクトロを介してダンスフロアへと接近したのに対して、ACRはファンクとラテンのリズムをもって向かった。80年代なかばに脱退した初期メンバーは、のちにクアンド・クアンゴへと、そしてUKで最初期のハウス・プロジェクトのT-COYへと発展する。いっぽうのACRはメジャー契約後の80年代後半にいきなりシングル「The Big E」とフランキー・ナックルズのリミックス擁する「Backs To The Wall」をリリースするという、まさにUKダンス・カルチャーととに生きてきている。2000年代初頭におきたポストパンク・リヴァイヴァルにおいて、もっとも再評価されたのがACRで、12年ぶりのアルバムになる新作『ACR ロコ』は彼らの40年の集大成的な内容になっている。9/25発売まで待とう。
昔から……、といってもたかだか数十年の話だが、ある言い伝えに、ポップ・ミュージックの20周期説がある。ポップのモードは20年で一週するので20年ぐらい前が新しく、10年ぐらい前がいちばん古く感じるというわけだ。この説を鵜呑みするわけではないけれど、ここ最近のシーンの動きで面白くなりそうだなと思っているひとつはインプロヴィゼーションで、これは『The Wire』の寄稿者ジェイムズ・ハットフィールドからグラスゴーのStill House Plantsを教えてもらって、やや確信に近づいている。70年代のカンタベリー・シーンの系譜におけるもっとも先鋭的だったアート・ベアーズをUKにおける即興の先駆AMMと交差させながら、ポストパンクのフラスコのなかで蒸留させたかのようなサウンドは、20年前のフリー・フォークを思い出させる。(そしてSHPのほかにも興味深いアクトがいくつかいる)
そうなると、およそ10年前に登場したジュリアナ・バーウィックは現時点においては古い音楽になるわけだが、どうだろう。うん、たしかに懐かしいかもしれないし、自分の時間感覚もだいぶ狂っているので、もうよくわからないというのが正直なところだ。
『The Magic Place』はよく聴いたし、ノー・ニューヨーク一派のひとり、イクエ・モリとの共作も忘れがたいアルバムだ。この当時は、おお、こんなユニークで美しい、しかも喜びに満ちたエレクトロニック・ミュージックを作る人がブルックリンから出て来たとずいぶん感動したと記憶している。
そしてバーウィックが喜びであるなら、まるで同じカードの表裏のようにポートランドには憂鬱なグルーパーがいた。このふたりは、まず自分の声にリヴァーブをかけ、それを抽象的なレヴェルで使うという点で似ている。ロングトーンを多用したメロディもじつは似ている。が、そよ風に揺れる新緑のバーウィックと廃墟でひとり佇むグルーパーとでは、その音楽の色味や性格は正反対のように見えがちである。ノートパソコンのバーウィックとギターのグルーパー。ぼくがその後熱心に聴き続けたのは、言うまでもなく後者のほうだった。
これは半分笑い話というか、日本人の適当さにも依拠する話だが、初来日が品川の教会だったバーウィックと上野方面の禅寺だったグルーパーというのも、まあ、象徴的ではある。グルーパーの禅寺というのは、これはしかしたまたまというか、いや、あまり深く考えずに、ホントにたまたまそうなっただけなのだろうが、バーウィックの教会というのはバーウィックだからそうなったのだろう。
わからなくはない。彼女の音楽には神聖さがある。それは宗教的ということではない。ある種の清らかさということである。だいたい本人は、先日掲載したインタヴューにあるように、けっこう気さくな方だったりするし。
昨年のDAZEDに掲載された彼女のインタヴューの最後の発言に、こんな言葉がある──「できる限り、地球の現状と悪に対抗する方法を考える必要がある。そして人生を楽しむこと。人生はいまでもほんとうに素晴らしく、ほんとうにそうなんだから」
まるで大島弓子の『バナナブレッドのプティング』の主人公が物語の最後につぶやく言葉のようじゃないか。そうかぁ、なるほどなぁ、わかってきたぞ。バーウィックとはつまり、たとえどんな苦難があろうとも最終的には「人生は素晴らしい」と言えるのであって、だから彼女の音楽からは喜びが聴こえるのだろう。それは逞しさと言えるものかもしれない。
新作『ヒーリング・イズ・ア・ミラクル』は、彼女がブルックリンからLAに引っ越して作った作品で、通算4枚目のアルバムとなる。階層化されたループを基調とする彼女のコンポジションは、ベルリンのベーシック・チャンネルのミニマル・ダブと同様にひとつの発明だ。グルーパーもそうだが、最初から彼女は自分の“サウンド”、自分の“型”を持っていた。3人のゲスト(ハーブ奏者のメアリー・ラティモア、シガー・ロスのヨンシ―、LAビートメイカーのノサッジ・シング)が参加しているものの、基本的には『The Magic Place』の頃と大きな変化はない。音数は最小限で、声が電子的に加工され、そよ風のような音響が展開されている。ただ、その音響の階層にある隙間はより広く、空間的で、より心地良く、清々しくもある。しかもその音響は、ぼくが思うに『The Magic Place』の頃よりもグルーパーに近づいている。そう思えてならない。
4年前にThe Quietusで、彼女のオールタイム・フェイヴァリット・アルバムを紹介する記事があった。そのなかで彼女は、アニマル・コレクティヴからの影響を語り、ビュークやホイットニー・ヒューストンやニュー・オーダーのファンであることを明かし、また、アーサー・ラッセルやスフィアン・スティーヴンについて話し、そしてグルーパーへの惜しみない讃辞を述べている。「私はこれまで彼女が出した作品すべてを持っている」、バーウィックは話をこうはじめると「素晴らしい、まったく素晴らしい」と手放しに誉めつつ、「彼女には部屋を静かに破壊する術がある。(略)彼女のパンクの美的表現が好きだし、それはとてもクール」だと言う。
そのときようやくわかった。彼女がイクエ・モリと共演したのも、たまたまではなかったと。ぼくはジュリアナ・バーウィックを聴き直さなければならない。それは古くはなく、いや、それどころかこれから必要とされるであろう、パンクの美的表現の一種として。
1973年のことである。69年よりベルリンを拠点に、エレクトロニック・ミュージックにおいてフリー・ジャズにも似たアプローチで、名状しがたい嵐のような抽象的な音楽(ないしは非音楽、ないしはインダストリアル・ドローン)をやっていた元Kluster/Clusterのふたり──ハンス・ヨアヒム・レデリウスとディター・メビウスは活動の場を西ドイツの片田舎、ヴェーザー高地のフォルスト村へと移した。グリム童話にちなんだ土地とも遠くはない。クラスターの『Sowiesoso』のジャケットにあるような、ドイツの田舎らしいロマンティックで美しいところなのだろう。とにかくふたりはその村にあった家をスタジオに改築し、そこから数々の名作を録音することになる。ハルモニアのアルバムがそうだし、よく知られるようにアンビエントを志したイーノがまず訪ねたのも森のなかの彼らのスタジオだった。つまりクラスター&イーノが生まれ、そして最初のレデリウスのソロ・アルバム(ないしは『Selbstportrait』の2枚の音源)も録音されている。クラスターにとっての黄金期はフォルスト時代である。
本作『Tape Archive Essence 1973-1978 』は、タイトルがいうように黄金期におけるレデリウスのいままで表に出さなかった個人的な記録であり、音のスケッチ集で、それらはRevox-A77のテープマシン、Farfisaオルガン、エコー装置とシンセサイザー、4トラックのレコーダーによって描かれている。
また、じつをいえば本作は、2014年に同レーベルから3枚組のボックスで限定リリースされた未発表音源集のダイジェスト盤なのだが、CANのそれと同様、本作はコアファン向けの商品なんかではない。オリジナル作品と並べても何の遜色ないどころか、ヘタしたらこっちのほうがいいのではないかと思えるほどの内容になっている。
牧歌的で、穏やか(ピース)で切なく(メランコリックで)、控え目な実験と遊び心がある──レデリウスの作品の特徴を要約すればそんなところだが、しかしそうした陳腐な説明を越えたところに彼の音楽はある。モダン・クラシカルの先駆者なんていう評価もあるようだが、ぼくが彼の音楽を聴き続けているのは理由がある。極めて個人的な理由だが、ぼくはレデリウスによってシラフでいることの素晴らしさ、気持ちよさを教えられたと言っていい。まあ、これも陳腐な表現か(笑)。
いいや、先に進めよう。このアルバム、1曲目“Nachtens in Forst'”の神秘的な静寂からして相当なものだ。そして2曲目には、彼らしい遊び心あるピアノ曲“Springende Inspiration”が待っている。
レデリウスの音楽は甘ったるくもなく、また夢幻的なところもない。それはリズムの入った“Lied Am Morgen”にも通じる。田園風で、曲はメロディアスなのだが、音楽はこの現実からどこにも連れていかない。エレクトロニックな反復であっても、クラフトワークのようにトランスさせることはない。口当たりばかりが良いニューエイジとも違う。それでいてこの音楽は、リスナーの気分を良くするのである。
現在80代もなかばにいるレデリウスは、自らの音楽をいみじくも「荒れ狂う平和(A Raging Peace)」と形容している。戦争を経験し、壁が作られる直前に東から西へと身を移し、戦後ドイツの混乱のなかで貧困を経験し、さまざまな職(マッサージ師や看護師など)を長い間やりながら、運命というか何というか、よりによって天才コンラッド・シュニッツラーの導きによって音楽の世界に入っている。Klusterをはじめたとき、彼はすでに30代半ばである。
そんな彼のタフな人生経験からすれば、穏やかさにはつねに痛みが隣接しているのだろう。楽天的ではあってもイージーではない感覚が、彼の牧歌的な音楽には通底している。
“Rokkokko”はクラスターがもっともポップに接近した『Zuckerzeit』の頃の音源だろうか、ミニマルなピアノフレーズに無機質なリズムボックスがフィーチャーされているが、それでもこの曲が描くのはドイツのカントリーサイドであり、生い茂る緑や透き通った空気、こころ踊る田舎道だ。アルバム中盤の“Skizze 4 Von 'By This River'”と最後に収められている“Skizze 3 Von 'By This River'”は、『Sowiesoso』の写真で見られるような田園を流れる川へのオマージュだろう。そしてすべての音響には、当時の録音による独特のこもり具合の温かみがある。(アルバムのインナーにはフォルスト村の写真、そして当時の使用機材の写真も掲載されている)
芸術の都ケルンのネルフェニッヒ城をスタジオにしたCAN、商業都市デュッセルドルフにおけるクラフトワークのクリングクラング・スタジオ、そして、ヴェーザー高地の田園のなかの一軒家を拠点としたクラスター。場と音楽性はやはり関係しているのだろう。エイフェックス・ツインの『セレクテッド・アンビエント・ワークス85-92』がコーンウォールの彼の実家の部屋で作られたように、クラスターひいてはレデリウスは、エレクトロニック・ミュージックとは必ずしも工業都市や都会の音である必要はないという道を開拓した。
(追記)なお、1934年生まれのこの長寿のエレクトロニック・ミュージシャンは、同時にまったくの新作『Selbstportrait Wahre Liebe』も発表しているが、これもまたお茶目で、穏やかで、切なく、しかし悲しくはない。
先日レヴューしたスピーカー・ミュージック(ディフォレスト・ブラウン・ジュニア)による「ステレオモダニズム」論を咀嚼すれば、白いユートピアを先行して目指すべく繁栄したミッドセンチュリーのアメリカにおける最大の工業都市デトロイトは、しかし60年代の政治の季節を境に荒廃し、70年代には劣悪な廃墟となった。デトロイト・テクノは白いユートピアの滅びから生まれた黒い文化であると。そして、批評家のグレッグ・テイト風に言えば、「巨大なエンターテイメント産業の歯車のひとつになることのない、自律したソニック・フューチャリズム」は誕生したと。
「クリスタル・シティとはデトロイトのことである」と詩人ジェシカ・ケア・ムーアは話してくれたが、すなわちそこはディフォレスト・ブラウン・ジュニア風に言えば、白い資本主義の限界から生じた黒い都市である。『ザ・クリスタル・シティ・イズ・アライヴ』──それがザ・ベネフィシャリーズのアルバム・タイトルだ。
このプロジェクトの中核は、デトロイト・テクノの開拓者のふたり、ジェフ・ミルズとエディ・フォークス、そして詩人にして活動家のジェシカ・ケア・ムーアの3人で、アルバムにはほかにも鍵盤奏者アンプ・フィドラーをはじめ、コアなディープ・ハウスのファンには上座に位置する〈Prescription〉レーベルからの作品で記憶されているパーカッショニストのサンディアータOMと、もうひとりのアフリカン打楽器奏者としてEfe Besがいる。じつはジェフとエディもじつは叩いているそうで、つまり本作の音楽面におけるまず大きな特徴にはパーカッションがある。そこだけにフォーカスして言えば、これは70年代にアフロ・パーカッションをバックに政治的詩を読みあげたザ・ラスト・ポエツのテクノ版である。
しかし、もちろんジェフ・ミルズが指揮をとるザ・ベネフィシャリーズは懐古的なプロジェクトではないし、ソニック・フューチャリズムがたっぷり注がれたエレクトロニック・ミュージックをベースにしている。過去ではなく明日に期待すること(過去に依存できない以上、明日にしか生きられないこと)、天空の星々に見とれること(本当の故郷がどこにあるのかわからないのだからこそ、宇宙を思う)、それらアフロ・フューチャリズムは、1曲目の“メタリック・スターズ”から爆発する。サン・ラーとセシル・テイラー、文学者のオクタビア・バトラーとサミュエル・R・ディレイニー、そして革命に生きた音楽家ニーナ・シモンの名前が読まれる。
たしかにもうひとつこの音楽のヒントになるのは、マイルスの『オン・ザ・コーナー』かもしれない。だが、タブラとカリンバ、そしてリズム・マシンの反復と夜空の彼方で反響するエレクトロニック・サウンドとの複合は、デトロイト・テクノをまた一歩、アフロ・ジャズの領域に隣接したところへと進めようとしていることは明白なのだ。ジェシカの力強い言葉に関して言えば、日本盤では誠実な解説者が彼女の詩をみごと和訳しているので、そちらをじっくり読んでいただきたい。
2曲目“ピープル”はエディ主導の曲だが、ここではアフロ・パーカッションがより強調されている。サンディアータOMのフリーキーな演奏が聴けるのもこの曲で、13分あるこの曲の後半におけるザ・ラスト・ポエツめいた展開とスローテンポのスペイシーなエレクトロ・ファンクとの結合は素晴らしいとしか言いようがない。3曲目の“スター・チルドレン・オブ・オリオン”、そして“ホエン・ザ・サン・ユー・ラヴズ・バック”というジェフの2曲によって、宇宙航海は深まっていく。空想の音を奏でるという点ではテクノ時代のサン・ラーとも言えるサウンドで、それが“Space Is A Place”をカヴァーすることよりも“ディスコ3000”以降の世界に向かっていることは疑いようがないだろう。
14分にもおよぶ“ザ・X”は、アルバムのもうひとつのクライマックスだ。フリー・ジャズ的なアプローチをしている曲で、アフロ・パーカッションとアンプ・フィドラーの鍵盤、そしてエレクトロニクスによるセッションは過去と未来を往来する。アルバム最後には、表題曲の“ザ・クリスタル・シティ・イズ・アライヴ”が待っている。ここでもパーカッションがミニマル・テクノと結合し、いつもながらのデトロイトの力強さへと着地するが、サウンドは〝いつもながら〟ではないし、じつに斬新。テクノの故郷は、いまもジャンルを更新しようとしている。
ちょうど昨日、別冊エレキングのブラック・パワー特集号の入稿が終わった。ぼくにとってのきっかけは、このアルバムだった。
唯一無二のヒップホップ・バンド、The Roots の初期メンバーであるラッパーの Malik B こと、Malik Abdul Basit 氏が2020年7月29日に亡くなった(享年47歳)。死因は明らかになっていないが、ネット上にて Malik B の死の噂が広まってすぐに、彼の従兄弟でCBSニュースの元特派員である Don Champion 氏が Twitter で追悼のメッセージをポストしたことによって訃報が事実であることが判明。さらに The Roots の Questlove、Black Thought らも相次いで追悼の意を表す投稿を Instagram にて行ない、世界中の The Roots ファンへと悲報が伝わっていった。
80年代後半、同じフィラデルフィアのアート系の高校に通っていた Questlove と Black Thought によって The Roots の原型となるグループが結成され、その後、大学へと進学した Black Thought が親戚の紹介で出会い、共に活動することになったのが同じくフィラデルフィア出身の Malik B であった。高校の時点ですでに生楽器によるバンドスタイルでライヴを行なっていた彼らであるが、Black Thought がグループのメインMC、そしてサイドMCである Malik B はサポート・メンバーという立ち位置でフィラデルフィアやニューヨークでライヴ活動を重ね、バンド・メンバーを少しずつ増やしながら、ヒップホップ・バンドとしてのフォーマットを固めていく。ちなみに The Roots の 1st アルバム『Organix』は、彼らの初のヨーロッパ・ツアーに合わせて1993年に自主制作でリリースされたものであるが、(すでに共にライヴ活動はしていたにもかかわらず)実はこのアルバムのレコーディングの時点ではまだ Malik B はグループの正式メンバーではなく、このヨーロッパ・ツアーのタイミングで正式にメンバーになったという。1995年にリリースされた、彼らのメジャー・デビュー作でもある 2nd アルバム『Do You Want More?!!!??!』のジャケットには右から Questlove、Black Thought、そして Malik B の3人が並び、Malik B は名実ともに The Roots の看板を背負う立場になった。
いまでは人気テレビ番組『The Tonight Show Starring Jimmy Fallon』のハウス・バンドを務めるなど、アメリカを代表するヒップホップ・グループのひとつとして高い知名度を誇る The Roots であるが、デビュー時の彼らはヒップホップ・シーンの中で実に異端な存在であった。90年代のヒップホップ・シーンはサンプリングによるプロダクション全盛期であり、生楽器でのバンド・スタイルでのヒップホップ・グループは、少なくともメジャー・アーティストでは彼ら以外は存在しておらず、大半のヒップホップ・ファンにとっては未知の存在であった。しかし、バンド・スタイル以前に、Black Thought と Malik B という二人のMCの素晴らしさは誰が聞いても明らかであり、The Roots にヒップホップ・グループとしての絶対的な価値があるということに皆が気付くようになるにはさほど時間はかからなかった。
4枚目のアルバムとなった『Things Fall Apart』(1999年)のリリース後、Malik B はグループを脱退するが、Black Thought と Malik B の2MC体制であった時期の The Roots は、文字通りの黄金期であった。80年代から90年代にリリースされたヒップホップの名作アルバムを紹介している書籍『Check THe Technique』の中で、Questlove はこのふたりのMCについて、Black Throught を「明快で論理的」、Malik B を「抽象的」とコメントしている。いわゆるバトルライムを得意とする Black Thought は、ヒップホップ・シーンの中ではまさに正統的なスタイルであるが、それとは対照的なアブストラクトなスタイルの Malik B という存在があったからこそ、ふたりが絶妙なバランスで絡み合う3枚のアルバム『Do You Want More?!!!??!』、『Illadelph Halflife』、『Things Fall Apart』は、いまもヒップホップ・クラシックとして輝き続けている。
Malik B は2006年リリースの『Game Theory』にてグループへ再合流し、2008年リリースの『Rising Down』にも参加しているが、共にクレジット上ではゲスト・アーティスト扱いとなっており、残念ながら正式にメンバーとして復活はしていない。一方でグループ脱退後には、ソロでのEPやニュージャージー出身のプロデューサー、Mr. Green とコラボレーション・アルバムなどもリリースするなど、ラッパーとしての活動は継続していただけに、47歳という年齢で亡くなったことは実に残念である。
最後に、日本のヒップホップ・ファンにとっては、Malik B の名を聞いてDJ Krush “Meiso” を思い出す人も多いだろう。1996年にリリースされた同名のアルバムにも収録されたこの曲には、Black Throught と Malik B が揃ってゲスト参加しており、90年代当時の DJ Krush を代表する一曲でもある。自らのヨーロッパ・ツアー中に The Roots の存在を知ったという DJ Krush は、おそらく日本人の中でもいち早く彼らの魅力に気づいた人物だ。シンプルでありながら、独特の存在感を放つ DJ Krush のビートに乗って展開される、Black Throught と Malik B のマイクリレー。ラストの「With DJ Krush from Japan, so no more need to discuss」という Malik B のライムを心に刻みながら、哀悼の意を表したい。
ビートメイカーとしてキャリアをスタートし、ビートテープのリリースやプロデューサーとして様々なアーティストへのトラックを提供する一方で、Notology という名義でヴォーカル作品も発表し、さらに昨年11月にはラッパー/ビートメイカーの NF Zessho とジョイント・アルバム『AKIRA』をリリースするなど、実に多彩な活動を繰り広げてきた Aru-2。そんな彼がビートとヴォーカルという、自らのふたつの武器を見事に駆使して作り上げたのがこのアルバム『Little Heaven』だ。
Aru-2 の作り出すサウンドはシンセ/キーボードが軸となって空気感を作り出し、さらに下地となるビートは実に不規則なパターンを描き、彼にしか作り得ない独特なグルーヴが完成している。また全体を通して、アナログ的なザラザラした感触が保たれる中で、音数も決して多くはなく、どこか引き算の美学というのも強く感じとれる。ジャンル的にはヒップホップというフィールドにいるのは間違いないのだが、ヒップホップという音楽だけを聴いていたら決して生まれないサウンドであり、それは彼のヴォーカル・スタイルにも共通している。ヴォーカルも楽器のひとつとして、他の楽器と見事に混ざり合い、心地良く耳に響いてくる。先行リリース曲の “Sen” などはその典型とも言えるが、曲の中でシンセとヴォーカルが並列に存在し、見事なアンサンブルを奏でている。そんな中、“Hentai NIpponjin” という曲に関しては、彼の言葉が実にダイレクトに届き、少々異彩を放つ。シンセベースが実にファンキーに響くトラックに乗って「現代日本人はみんな変態」というシンプルなメッセージにニヤリとさせられながらも、どこかふっと腑に落ちるような曲でもあり、不思議な魅力に包まれている。
本作のもうひとつの目玉は、Aru-2 とも繋がりの深いラッパーのゲスト参加だろう。乗りこなすのは決して容易ではない Aru-2 のトラックであるが、全員がそれぞれスタイルの異なるビートに自らの個性をストレートにぶつけ、曲のグルーヴ感を最大限に引き出している。完成度が高いのは曲の構成が一番作り込まれ、展開も見事な JJJ とのタイトル曲 “Little Heaven” であるが、KID FRESINO、Campanella との “Go Away”、ISSUGI との “Bye My Bad Mind” も、甲乙つけがたい強い存在感を放っており、Aru-2 のヴォーカルとのコンビネーションも実に聞き応えがある。少々贅沢な願いかもしれないが、Aru-2 のビート&ヴォーカルを駆使した上で、さらにもっといろんなラッパーとの組み合わせによる楽曲を聞いてみたい。そんなことさえ思わせてくれる、無限の可能性を感じさせるアルバムだ。
週末はJリーグ! ……なのですが、なんとも悩ましい時間帯に、Wool & The Pantsのライヴ配信があります。
どういうことかというと、思い出野郎AチームのパーカッショニストでありMAD LOVE Recordsを主宰するDJサモハンキンポー、DJ不時着によるレギュラー・パーティ「Bottom of Tokyo」が8/8(土)に東京・幡ヶ谷のforestlimitで開催。そこにウールが出演することになりました。また、PPUから7inch「Omae / Wagamama」をリリースした鶴岡龍もDJとして参加。
ライヴハウスは限定20人、forestlimitの配信サービスforestlimittvでもライヴ配信されるという。いや~~、これは本当に悩ましいですな。しかし、ウールのライヴは滅多に見れませんから……。
“Bottom of Tokyo”
2020.8.8.SAT
Open/Start : 19:30
Streaming : 1,000JPY
Venue Entrance : 2,000JPY (Limited 20)
LIVE:
Wool & The Pants
DJ:
鶴岡龍
サモハンキンポー
不時着
https://www.tv.forestlimit.com/event-details/bottom-of-tokyo
Contact:
info@forestlimit.com
https://www.tv.forestlimit.com/
「深海居住人(Deep Sea Dweller)」として、1992年にドレクシアは初めて世界にその存在を知らしめた。翌年には「あぶくのメトロポリス」(93)、そして「分子によるエンハンスメント(強化)」(94)、「未知なる水域」(94)、「水のなかの侵入」(95)、「帰路への旅」(95)、「ドレクシアの帰還」(96)、「探索」(97)……すべて12インチ・シングルだが、それの音楽においては、水歩行人、ロードッサ、波跳ね人、ダートホウヴェン魚人、ブロウフィン博士……といったキャラクターが登場する。16世紀の奴隷船において、海に落とされた病人たちが水中生物として変異し、生き延び、繁栄し、そこにユートピアを築いていたというのがドレクシアがレコードと音楽によって繰り広げた物語である。
デトロイトのゲットーの地下室で変異したクラフトワーク直系のエレクトロによってファンタジーは語られ、主要な作者であるジェイムス・スティントンがこの世から消えてからはなおのこと、生前よりもいっそう広く、そしてむしろリアルタイムで知らなかった世代によって語り継がれている。ドレクシアほど、後からそしてまた後からと評価が高まっていったアーティストは珍しい。
長年にわたってデトロイト・テクノのヴィジュアル面をになってきたアブドゥール・ハック(最近、アブカディム・ハックと改名)が、5年の歳月をかけて描き上げたのが、このたびベルリンの〈Tresor〉から刊行されたグラフィック・ノベル版『The Book of Drexciya Vol.』だ。編集部小林がなけなしの大枚をはたいて〈Tresor〉から直接購入したこの本は、いまなら多額の送料不要でディスクユニオンで購入できる。メデタシである。
そんなわけで、日本のファンにはすっかりおなじみのハックの声をお届けしましょう。通訳を手伝ってくれたのは、日本のTVゲームやジャズ喫茶のドキュメンタリー映像作品を制作しているニック・ドワイヤー。14歳のときに聴いたジェフ・ミルズのミックスCDがきっかけてエレクトロニック・ミュージックを好きになった彼にとっても、ハックはヒーローです。
ドレクシアの深い部分をもっと表現したいという気持ちが強かった。ジェイムス・スティントンは他にもプロジェクトがあったけど、僕と彼とが一緒にやったほうがより彼の世界を描けるんじゃないかと思った。
■ハック、グッモーニン(笑)。
ハック:ヘイ! グッドイヴィニング(笑)!
■いまそっちは何時?
ハック:朝の6時。
■早いね。
ハック:オールウェイズ!
■今日、通訳を手伝ってくれる友人のニック・ドワイヤーを紹介するよ。
ニック:お会いできて嬉しいです。いま東京に住んでいるけど、生まれはニュージーランドです。※この取材の1週間後にはビザの関係で帰国。
ハック:クール。
ニック:最後に東京に来たのはいつ?
ハック:2017年だね。
■もう何回も来ているよね。ハックは日本に多くの友だちがいるから。
ハック:ハッハハハ、イエス。

■じゃあ、質問しますね。このプロジェクトはいつ、どのように発展したんですか?
ハック:5~6年前に、キャラクター……まずは水中のキャラクターを使ってストーリーを考えはじめたんだよ。ドレクシアの王様というのが話の原点でね。
■じゃあ、これはあなたのオリジナル作品とみていいですよね?
ハック:イエス。ドレクシアのコンセプトを元にした僕のオリジナルだよ。
■これはシリーズになるんですよね?
ハック:ハイ。
■では、もうすでにこの後の脚本もあるんだ?
ハック:いま2作目のシナリオを思案中。
■ドレクシアはミステリアスで、ファンはそれぞれが自分のドレクシアのイメージを持っているでしょ? だからドレクシアの世界を具象化するのってリスキーでもあるわけだけど、そこはどう思う?
ハック:いや、そこまでリスキーだとは思わなかったな。むしろ、ドレクシアの深い部分をもっと表現したいという気持ちが強かった。ジェイムス・スティントンは他にもプロジェクトがあったけど、僕と彼とが一緒にやったほうがより彼の世界を描けるんじゃないかと思った。
■たくさんのキャラクターがいるけど、ハックのお気に入りは?
ハック:ドクター・ブローフィン(Dr. Blowfin/アルバム『The Quest』に登場)だね。
ニック:それはなんで?
ハック:知的で、ドレクシア文明を作ったひとりでもある。話を作っているうちにどんどん好きになったキャラクターだね。

ジェイムス・スティントンはとても頭が切れる人で、でも笑顔もステキで、礼儀正しくていい人だった。僕は彼の音楽が大好きで、天才だと思っていたよ。よくサイエンス・フィクションや自分のコンセプトについて話をしていたよ。
ハック:ところで、いま(ZOOM画面に)新しい訪問者がいるけど誰?
■編集部のコバヤシ。彼が〈TRESOR〉から直接本を買ったんだよ。
ハック:Arigatogozaimashita!
■ニックは憶えてる? かつて君を取材したミスター・コバヤシ。
ニック:おー、コバヤシさん!
小林:イエス。
ニック:ハウ・アー・ユー!?
小林:アイム・ファイン。
■じゃ、次の質問。ジェイムス・スティントンと初めて会ったのはいつ?
ハック:90年代初頭。いちばん最初のサブマージのオフィスで会った。あの建物はいまは駐車場になっているけど。そのときはあまり話さなかったね。挨拶したぐらいだった。
■彼はどんな人だったの?
ハック:とても頭が切れる人で、でも笑顔もステキで、礼儀正しくていい人だった。僕は彼の音楽が大好きで、天才だと思っていたよ。よくサイエンス・フィクションや自分のコンセプトについて話をしていたよ。 ニック:どういうSF?
ハック:(ハックがアートワークを手掛けた)『Neptune's Lair』のときは『スター・ウォーズ』の話をしたのを憶えているよ。ちょうどシリーズが再スタートして『ファントム・メナス』が公開されたタイミングだったんだよ。あとは『スタートレック』とか。
■ハック、その昔のサブマージの建物の駐車場の壁に、大きなタギングでドレクシアが描いた「ファック・メジャー・カンパニー」っていう言葉をよく憶えているよ。
ハック:おー、そうだったね。
■彼にはすごく反抗心があったよね。
ハック:イエス。
■『Neptune's Lair』のとき、アートワークについて彼となんか話しましたか?
ハック:あのアートワークを描く前に彼が僕に言ったのは、フューチャリスティックな乗り物が欲しいってことだったね。それと戦士のキャラクターも欲しいって言われた。あとは、彼らが住む場所、バブル・メトロポリスがどういうところか、“Aqua Worm Hole”(「Bubble Metropolis」収録)はどうするかとか、細かい話もしたよ。
■ハックが描いたイカが好きなんだけど、あれはどこから来たの?
ハック:あれが(ドレクシアの)乗り物だよ。あの頃はよくディスカバリー・チャンネルを見ていて深海の番組があったんだけど、そこで泳いでいるイカを見ながら「これだ」と思ったね。

小林:佐藤大さんとはどういうやり取りで進めていったんですか?
ハック:とにかくストーリーを作るのに手伝ってもらった。僕が絵を描いて、彼が言葉を載せてくれて。基本的にはEメールのやりとりで進めていったね。
ニック:いつからの知り合い?
ハック:2000年代初頭、かれこれ15年以上は経つね。
■ハックが考えるドレクシアとは?
ハック:音楽があり、コンセプトがある。そのコンセプトにはアフリカから連れ出されていった人たちが、困難を乗り越えて、新たに文明を作るという物語がある。そのためによりよい自分に変えていくっていうことが僕にとってのドレクシアだよ。
小林:あなたの描いたドレクシアの物語を見ていると、絵から古代を感じるし、過去と未来が両方混ざっていると思ったんですが、そこは意識したんですか。
ハック:おっしゃる通り。古代と未来を繋げるのはコンセプトになっている。武器もそうだし、いろんなものが古代や神話を参照しているんだよ。
ニック:日本のアニメは好き?
ハック:もちろん。
ニック:とくに好きなのは?
ハック:新しい『攻殻機動隊』のシリーズ。
ニック:今回のプロジェクトでなにがいちばん楽しかったですか?
ハック:完成させたことだね。ハッハハハ。いや、本当に時間がかかったし、何人も関わっているから、完成させるのにはけっこう努力が必要だったんだよ。
■じゃあ、最後の質問です。あなたはなぜアイアン・メイデンが好きなんですか(笑)?
ハック:ギャッハハハ! 高校時代、僕はすごいオタクであまり音楽は聴いてなかったんだよ。ある日友だちがカセットテープをくれたんだけど、全曲ヘヴィーメタルだった。で、そのなかでいちばん気に入ったのがアイアン・メイデンだったんだ。いまでも大ファンです(笑)!
(7月8日、zoomにて取材)

コロナがもしもゾンビだったら。そんなことあるわけないと早々に逃げ遅れて死ぬのが安倍やトランプ。いち早く危機を察知して助かるのがアーダーンやメルケル。そんなもの叩き潰してやるといって向かっていくのがボルソナロやルカシェンコ。僕の母親の家族は5000人以上の死者や行方不明者を出した伊勢湾台風の時に「こっちに逃げろ」と行政が指導した方向とは逆の方向に逃げたら助かったそうで、行政の指示に従った人たちは全滅だったという。そう、リーダーの指導力がソンビ映画の脇役と同程度だと判明してしまった国の人々はマジでどんよりとするしかない。コロナ禍を受けたイギリス人のジョークに「ニュージーランドに宣戦布告をしてすぐに降伏し、アーダーンに英連邦を支配・統治してもらいたい」というのがあったけれど、日本も……いや。イタリアですらスペランツァ保健相がこの25日に危機的状況は脱したという認識を示したというのに……だらだらと……いつまでも……
長引くステイホームがもたらしたものは、そして、IDMの充実だったかもしれない。ベッドルームが活気づけばIDMが勢いを増すか、子どもが生まれるか。それはつまり「新たな非日常」をどう構築するかということで、それはそれで異様なテンションに包まれていたのかもしれない。
モスクワのinFXがまずは秀逸だった。オウテカをカジュアルにしてフレッシュにしたようなデビュー作『Consume Your Own Identity』〈Klammklang Tapes〉は思い切りよく叩きつけるビートが気持ちよく、ヒステリックな音使いが閉塞感とは対極にあった。マイナー・サイエンス『Second Language』〈Whities〉のデビュー・アルバムも期待通り。ベルリンのアンガス・フィンレイソンがボーズ・オブ・カナダをダンスフロアに引きずり出そうとして、そのアイディアをカール・クレイグに横取りされたようなサウンドはいまさら〈ワープ〉の「アーテフィシアル・インテリジェンス」シリーズに加えてもおかしくはない1枚と言える。アルカもポップになり、ローレル・ヘイローの弟子たち(?)が集まったらしき『Fossilized Air Bubbles Popped Themusicfire』〈CAMP Editions〉も聴き応えがあった。そして誰よりもメルボルンのジム・セラーズによる『Blurry Ant』である。ユーチューブやインターネットから集めてきた音で、つまり、本人いわく「家に居ながらにしてフィールド・レコーディングが可能だった素材」を元にグルーヴィーな現代音楽が窒息しそうな勢いで並べられている。冒頭からエレクトロアコースティックをスラップスティックにねじ上げ、つかみはOK。
バックグラウドがどうにも見えづらい音楽だけれど、まあ、その方が当分、楽しめるともいえる。リズム・パートとドローンを自在に行き来し、既成のフォームよりも混沌とした世界観を優先し、「僕はそう簡単には汚れない(I Didn’t Smudge So Easily )」などというタイトルをつけてきやがる。で、確かにどこかピュアな感覚は保たれていて、何度聴いても嫌なところがない。デビュー作『Ode to Mud』〈.jpeg Artefacts〉よりも全体にかなり複雑で、ここ数年、ちらちらと見かけるようになったイルビエント・リヴァイヴァルにも分類される音響。イルビエントいうのは開放感のないダブというのか、DJスプーキーが『Songs Of A Dead Dreamer』(96)で編み出した都会の袋小路を表現したサウンドで、ケヴィン・マーティンやハイプ・ウイリアムズもその系譜に位置している。彼らに共通しているのは最初はわかりにくいけれど、キャリア的には長持ちしているということ。『Blurry Ant』にもそのようなポテンシャルはびしびし感じられる。
リリース元はこれまでにスパークリング・ワイド・プレッシャーやエンジェル-1、最近ではテキサスのモア・イーズや日本のイナー・サイエンスをリリースしてきたレーベルで、収益のすべてを警察の暴力に抗議するシカゴの「Assata's Daughters」に寄付されるそうです。例の「こぶし」マークの団体で、アサタというのはブラック・パンサーのアサタ・シャクール。2パックの叔母さんです。
