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周囲の国々から取り残されて、隔絶され、孤立したところ(西ドイツ)から時代も場所も超越する音楽が誕生したという事実は、しかも〝ブルース〟という欧米の大衆音楽においてもっとも重要な要素をばっさりと断ち切ったところから生まれたという事実は、さらにまたそれがカールハインツ・シュトックハウゼンというロマン主義/古典主義への批判者の子供たちによるものだったという事実は、あるいは、ハンブルグという港町にリヴァプールからシルヴァー・ビートルズが演奏しに来ていたこととは何の関わりのない音楽であったという事実は、本当に本当に本当に、興味深い話で、クラウトロックがいまだに聴かれ続け、語られ、研究されているのも納得がいく。
この度紙ジャケによるリマスター盤としてリリースされたハルモニアの2枚のアルバムは、ケルンやデュッセルドルフの〝エレクトロニシェ・ムジーク〟──つまりカン、クラフトワーク、クラスター、ノイ!などと同じように、そして同時代のシンセサイザー・ミュージックの壮大さとは正反対の、きわめてユニークな視点から電子音にアプローチしたバンドの成果である。(彼らの電子音は『スウィッチド・オン・バッハ』よろしく巨大なシンセサイザーを並べて奏でるシンフォニックでスペーシーなクラシック音楽の再利用とはむしろ拮抗する。小さな電子機材を工夫して面白い音=ノイズを出すこと/新しい作曲方法に頭を使った。ゆえにクラウトロックはパンクの登場を喜ぶことができたのだ)
ハルモニアは、ノイ!に疲れたギタリストのミヒャエル・ロータがクラスターのふたりと出会ったことで1973年に生まれたプロジェクトで、『ハルモニア』(1974年)と『デラックス』(1975年)の2枚のアルバムを残している。また、1976年のブライアン・イーノとの伝説のセッションは、『Tracks And Traces』というタイトルで1997年にリリースされている。
クラスターは、1973年、喧噪のベルリンから自然に囲まれた静かなフォルストに越して、数世紀前に建てられた古い家をスタジオに改築し、そこを拠点とした。しかしながら、スタジオを取り巻くニーダーザクセン州のヴェーザー川沿いの美しい田園風景とハルモニアの音楽は、かならずしも一致しない。ドイツでは合唱団をハルモニアと呼ぶ。『ハルモニア』のジャケは洗剤の広告だ。つまりこれはジョークなのである。ジョークが決して得意には思えないドイツ人のジョークだが、ここで想像してほしい、田舎の川沿いの、美しい緑のなかの古くて白い家のなかで録音された電子音楽がジョークであることを。そういう意味で、このアルバムが初めて日本で出たときの邦題の『摩訶不思議』は、ノイ!の悪名高き『電子美学』などよりもはるかにマシだったと言える。
じつにねじれた作品でありながら(彼らのよくわからないユーモアは、90年代以降のテクノにも確実に受け継がれている)、ハルモニアは初期クラスターの電子ノイズ/ノイ!のモータリック・ビートと〝アンビエント〟との溝を埋める存在でもあった。同時に、クラウトロックとデヴィッド・ボウイのベルリン3部作との溝さえも埋める。コニー・プランクとノイメイヤーが参加した『デラックス』の1曲目を聴けばよくわかる。
過去に何度も書いたことがあるが、ぼくは『デラックス』の裏ジャケの写真──川沿いにパラソルを立てて、3人がのんびりしている。自転車と犬を連れて!──が好きだった。あれほどの、泣く子も黙るノイズを鳴らしてきた連中が、なんてのほほんとリラックスしているんだろう。自分もこういう境地で生きたい……などと心の底から思い、憧れていたのだ。
今回の再発盤の『デラックス』のブックレットでは、このときの撮影の未使用のカットがいくつか見ることができる。マニアックな話だが、嬉しかった。また、ハルモニア・スタジオの見たことがない写真、その外観も見れる。クラウトロックとは時代も場所も超越する音楽ではあるけれど、やはり時代も場所もある。草原を上を自転車を走らせている写真のいくつかは、ぼくのなかではその1曲目“デラックス”と重なる。この曲にはクラスターが滅多に出さない叙情性があり、またこのアルバムを録音した翌年にイーノとのセッションがあり、そしてフォルスト時代のマジカルな季節の最後の作品、クラスターのなかでは珍しくメロディアスでロマンティックな(つまり、シュトックハウゼンの影響らしからぬ)名作『Sowiesoso』が録音されている。
野田努