「AY」と一致するもの

Overmono - ele-king

 少しでもUKのダンス・ミュージックに関心のある方なら、今年はオーヴァーモノのアルバムをチェックすべし。エレキングでもかれこれ10年ほど前からレコメンドしてきたTesselaとTrussのふたり(兄弟)によるユニットで、この名義でのシングルもまず外れがなかった。エレキング的にはTesselaによる2013年の「Hackney Parrot」という、ジャングルをアップデートさせた12インチが最高なんですけどね。
 とにかく、彼らはそれこそジョイ・オービソンと並ぶUKダンス・シーンの寵児であって、ここ数年はディスクロージャーバイセップなんかと並ぶ、ポップ・フィールドともリンクできるダンス・アクトでもある。90年代世代には、かつてのケミカル・ブラザースやアンダーワールドに近いと説明しておきましょうか。
 まあ、とにかくですね、最新のビート搭載のオーヴァーモノがついにアルバムをリリースします。タイトルは『Good Lies(良き嘘)』で、発売は5月21日。楽しみでしかないぞ!


Overmono
Good Lies

XL Recordings / Beat Records
release: 2023.05.12
BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13234

国内盤CD
XL1300CDJP ¥2,200+税
解説+歌詞対訳冊子 / ボーナストラック追加収録
限定輸入盤LP (限定クリスタル・クリア)
XL1300LPE
輸入盤LP(通常ブラック)
XL1300LP
 
 以下、レーベルの資料から。

 UKベースやブレイクビーツ、テクノの最前線に立つトラスことエド・ラッセルとテセラことトム・ラッセルの兄弟によるデュオ、オーヴァーモノが名門レーベル〈XL Recordings〉から5/12(金)に待望のデビュー・アルバム『Good Lies』をリリースすることを発表。同作より先行シングル「Is U」を公開した。

Overmono - Is U (Audio)

https://youtu.be/monJkVSJUQ0

 デビュー・アルバム『Good Lies』は、オーヴァーモノのこれまでの音楽キャリアが凝縮されており、新型コロナの規制撤廃とともにクラブ・シーンで大ヒットとなった「So U Kno」や昨年リリースされた「「Walk Thru Water」」などダンス・フロアの枠を超えた12曲を収録。彼らの定番と言ってもいいアイコニックなボーカル・カットを織り込み、マルチジャンルのエレクトロニック・サウンドに再構築している。
 先行シングル「Is U」は、長年のコラボレーターである写真家、映像作家のロロ・ジャクソンが撮影、監督したシネマティックなイメージや映像とともにビジュアルと同時に本日リリースされた。「Walk Thru Water」と合わせて、ダイナミックで複雑なプロダクションと印象的なビジュアルとなっている。

Overmono - Is U

https://youtu.be/8WomErURVb8

Overmono - Walk Thru Water feat. St. Panther

https://youtu.be/L3jfTb9cb1k

 トラスとテセラはそれぞれ〈Perc Trax〉や〈R&S〉、兄弟自身が主宰する〈Polykicks〉から次々と作品をリリースし、お互いのプロジェクトに邁進する中で新たな一歩としてオーヴァーモノを結成。2016年に〈XL Recordings〉からデビューEP『Arla』を突如リリース、2017年にかけて『Arla』シリーズ3部作をリリースし話題を集めたほか、ニック・タスカー主宰の〈AD 93(旧:Whities)〉からも作品群を世に打ち出してきた。これまでにフォー・テットやベンUFOなど名だたるDJたちがダンス・フロアでヘビロテし、デュオとしての名を確固たるものとして築き上げていった。

 同じくUKダンス・シーンを牽引するジョイ・オービソンとのコラボも精力的に行い、中でもシングル「Bromley」は数々の伝説的クラブ・イベントを主催するマンチェスターのThe Warehouse Projectで“5分に一回流れた”という逸話も流れるほどの話題作となった。また、彼らはリミックスにも積極的に取り組んでおり、ロザリアやトム・ヨークなどのリミックスも手掛けている。

 2020年と2022年に〈XL Recordings〉からリリースされたEP『Everything U Need』と『Cash Romantic』は、エレクトロニック・ミュージック界で最も権威のあるオンライン・メディアResident AdvisorやPitchfork、DJ Mag、Mixmagなど各メディアの年間ベスト・ランキングに選出された。また、グラストンベリーや電子音楽のフェスDekmantelなどのフェスやツアーも積極的に行い、DJ Magのベスト・ライヴ・アクトにも選ばれるなどオーヴァーモノは結成以来UKで最もオリジナルなライブ・エレクトロニック・アクトとしてもファン・ベースを着実に築き上げてきた。

 待望のデビュー作『Good Lies』は、5/12(金)に世界同時発売!本作の日本盤CDには解説が封入され、ボーナス・トラックとして未発表曲「Dampha」を特別収録。輸入アナログは通常盤に加え、数量限定クリスタル・クリア・ヴァイナルがリリースされる。

この2年間できる限り音楽を作りながら、多くの時間をツアーに費やしてきた。常に移動することは本当に刺激的で、たくさんの実験をして、コードを作ったり、ボーカルを刻んだり、ピッチを変えたりして楽しんでいた。このアルバムは、これまでの旅に捧げる愛の手紙であり、私たちがこれから進むべき道を示してくれているんだ。 ——トラス / テセラ (Overmono)
 

Josh Johnson - ele-king

 これまでジェフ・パーカーやマカヤ・マクレイヴン、マーク・ド・クライヴ=ロウといった才能たちを支えてきたサックス奏者にしてキーボード奏者、シカゴ出身で現在はLAを拠点とするジョシュ・ジョンソンのデビュー作『Freedom Exercise』がCD化されることになった。
 もともとは2020年にリリースされていたアルバムで、やはりシカゴの感覚というか、西海岸ともロンドンとも異なる独特の雰囲気が特徴の作品だ。ときにシンセも交えたクールな演奏をぜひこの機に。

ジェフ・パーカーやマカヤ・マクレイヴンといった、現在のジャズ・シーンを代表する様々なミュージシャンを支えてきた、シカゴ出身、LAを拠点に活動するサックス/キーボード奏者、ジョシュ・ジョンソン。名盤と評されたデビュー・アルバム『Freedom Exercise』がボーナストラックを加え、待望のCDリリースが決定!

ジョシュ・ジョンソンのデビュー・アルバムはもう2年以上前のリリースになるが、今以て瑞々しく美しい。ハービー・ハンコックとウェイン・ショーターから学ぶためにシカゴを離れてLAに移住した彼が、その地でジャズ/非ジャズを問わず様々な音楽家と交わり、学び、経験したことの全てがこのアルバムに表れている。「音楽的雑食性」を愛する友人であるグレゴリー・ユールマン、アンナ・バタース、アーロン・スティールと作り上げた本作は、レコードでも丁寧にリプレスされている。ジェフ・パーカーの『The New Breed』や『Suite for Max Brown』も、マカヤ・マクレイヴンの『Universal Beings』も、ジョシュ・ジョンソンがいなければ生まれなかった。そう言っても決して過言ではないほど、その存在は大きい。真に流動的な音楽を探求したこのアルバムが、何よりもその価値を教えてくれる。(原雅明 ringsプロデューサー)

ミュージシャン:
Josh Johnson (sax,key)

Featuring:
Gregory Uhlmann
Anna Butterss
Aaron Steele

Produced by:
Josh Johnson
Paul Bryan

Mastered by:
Dave Cooley

[リリース情報]
アーティスト名:Josh Johnson (ジョシュ・ジョンソン)
アルバム名:Freedom Exercise(フリーダム・エクササイズ)
リリース日:2023年03月22日(水)
フォーマット:CD
レーベル:rings
解説:原 雅明
品番:RINC98
価格:2,500円+税

[トラックリスト]
01. Nerf Day
02. 856
03. Western Ave
04. Bowed
05. Eclipsing
06. New July
07. False Choice
08. Punk
09. Simple Song
10. Return Recoil
11. Western Ave Mix (Extended Play) [Japan Bonus Track]

販売リンク:
https://rings.lnk.to/FdjWuuJX
オフィシャルURL:
https://www.ringstokyo.com/items/Josh-Johnson

R.I.P. Yukihiro Takahashi - ele-king

 高橋幸宏が亡くなった。今はただただ悲しい。寂しい。もちろん私はいちファン、いちリスナーでしかない。氏と交流のあった方の悲しみは、もっともっと深いだろう。坂本龍一のあのグレーのツイートのように。
 しかしわれわれファンも皆、深い喪失感に襲われているはずだ。あの高橋幸宏がこの世から旅立った。これから高橋幸宏のいない世界なのだ。悲しくてやりきれない。なぜだろう。答えは簡単だ。ある意味、高橋幸宏こそテクノポップだった。もちろんYMOは3人揃ってこそYMOだが、テクノポップとしてのYMOを象徴したのは高橋幸宏だったのではないかと私は思うのだ。彼のドラムはYMOの脈動だし、彼のヴォーカルはYMOのトレードマークだったし、彼のスタイリングはYMOの美意識だった。
 脈動。トレードマーク。美意識。ここから導きだされることは簡単だ。憧れだ。端的にいおう。皆、あなたのようになりたかった(でも誰もなれない。当たり前だ)。スタイリッシュでクール、ユーモアと優しさ。鋭さとセンチメリズム。そしてヨーロッパ的な美学。すべてが憧れだった。その高橋幸宏が消えた。旅立った。こうなりたかった「大人」が消えたのだ。悲しいに決まっている。
 それにしても「追悼、高橋幸宏」と書いたときの非現実感が凄まじい。それが現実であることの残酷さ、辛さを噛み締めつつ書いていこう。故人の才能と功績を思う存分讃えよう。それが追悼だ。魂を悼むのだ。

 最初に書いたように高橋幸宏は、日本のエレクトロニック・ミュージックを象徴するアーティストだ。テクノからエレクトロニカまで、彼が日本のポップ・ミュージックに海外のエレクトロニック・ミュージックの新しい潮流を導入した功績はあまりに大きい。80年代のソロ・ワークは、日本における最良のニューウェイヴだったことを思いだそう。
 もちろんリンゴ・スター直系のドラマーとして実力はいうまでもないし、ジョージ・ハリスン的な歌唱方法を、より硬質にしたヴォーカリストとしての魅力も言うまでもない。あえて言えば彼はビートルズのダークホースをひとりで体現した日本人ミュージシャンだったのだ。
 
 ここまで書けば分かる。彼はエレクトロニック・ミュージックに留まらず、70年代以降の日本のポップ・ミュージックを代表するような稀有な存在なのである。
 加藤和彦、細野晴臣、坂本龍一、鈴木慶一、スティーブ・ジャンセン、高野寛、東京スカパラダイスオーケストラ、砂原良徳、小山田圭吾、原田知世、LEO今井、ラブサイケデリコなど、錚々たる面々の、個性の異なる優れた音楽家たちとつながってきた。そう、高橋幸宏は音楽家と音楽家、ひいては音楽と人を繋ぐ人だった。
 だからバンドの数も多い。関わった自身のバンド名をあげるだけでも目眩がする。サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックス、YMO、ビートニクス、パルス、スケッチショウ、ヒューマン・オーディオ・スポンジ、HASYMO、ピューパ、イン・フェーズ、メタファイヴ……。そのどれもが日本のポップ・ミュージックの豊穣さを体現するバンドばかりだ。この目も眩むようなリストのなかで私がとくに愛するのは再生YMO『テクノドン』(1993)、ビートニクス『M.R.I』(2001)、スケッチショウ『LOOPHOLE』(2003)、ピューパ『floating pupa』(2008)だ。 
 もちろんミュージシャン/ドラマーとしての客演は星の数ほどあり、私などよりマニアの方が詳しいだろう。個人的に印象深い参加アルバムと言えば加藤和彦のヨーロッパ三部作(『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』『ベル・エキセントリック』)だろうか。
 また高橋幸宏のドラミングといえば、スネアの鋭い音が魅力だが、個人的にはハイハットの細かな刻みも大好きだった。彼のドラミングの鋭さを知りたい方はまずはイエロー・マジック・オーケストラのグリークシアターの1979年のライヴ映像を観てほしい。録音としては『GijónYMO - Yellow Magic Orchestra Live In Gijón 19/6 08』(2008)、『LondonYMO - Yellow Magic Orchestra Live In London 15/6 08』(2008)、『No Nukes 2012』(2015)など、00年代以降のYMOのライヴ録音を熟成されたドラミングを満喫できる。
 何よりソロ・ワークを忘れてはならない。私が彼のアルバムでもっとも愛するのは『ニウロマンティック』(1981)と『Ray Of Hope』(1998)と『ブルー・ムーン・ブルー』(2006)である。この3枚を聴いても分かるように高橋幸宏のソロ・アルバムは時代をサウンドのモードを象徴してきた。80年代のニューウェイヴ(シンセ・ポップ)、90年代のフォーキーなポップ・ミュージック、00年代のエレクトロニカ、10年代のルーツ・バック的なロック・バンド編成の再解釈と時代を超えてさまざまなスタイルの音楽を奏でてきた。その上でいえば、80年代のYMO以降、「テクノ」を忘れずに追求してきたのも彼だった。その総決算がメタファイヴの2枚だったように思う(彼のソロ・ワークに必ずテクノ・トラックが入っていたことを思い出そう)。
 コラボレーション/ゲスト参加では、ドイツのフォークトロニカ・ユニット、ラリ・プナ『Our Inventions』(2010)の収録曲“Out There”が忘れ難いように、彼は00年代エレクトロニカを積極的に紹介した功労者でもある。ちなみに最後のレコーディングは、2022年8月にリリースされた大貫妙子の“ふたりの星をさがそう”(網守将平・編曲)のセルフカヴァーだったという(網守将平のツイートによる)。
 プロデュース・ワークも数多くあるが、意外なところでユニコーンのEBIが1991年にリリースしたアルバム『MUSEE』を思い出す人も多いのではないか。プロデュースをムーンライダーズの面々と分け合っており、幸宏サイトではスティーブ・ジャンセンも参加しているという隠れ(?)名盤である。

 この多彩な音楽遍歴の過程において、高橋幸宏の周りには、いつも多く音楽家が集まり、新しい音楽を奏でていた。しかし中心にいるはずの彼は少し離れた場所から、集まった音楽家たちを見つめ、穏やかな微笑をたたえている、そんな印象がある。
 その鋭いドラミングとは相反するような微笑。微笑の向こうに、いいようのない孤独さがあるようにも思えた。それこそ高橋幸宏のロマンティシズムとセンチメンタリズムの結晶のようなものだったのかもしれない。
 でもそこに生を否定するものは何ひとつなかった。師であるはずの加藤和彦が亡くなったときも、私の知る限りではメディアで受けたインタヴューはひとつだけで、その死について語ることはなかったはず。彼は生きることで死者への追悼としたのだと思う。
 だからわれわれもそうしなければならない。最後の彼の曲はメタファイヴの“シー・ユー・アゲイン”だった。また、会おう。最後に残したツイートは、みんなありがとうだった。

 訃報を知って私はスケッチショウの『LOOPHOLE』の最後に収録された“ステラ”を聴いた。星屑、スターダストになってしまった人たちへの優しいレクイエムのような美しいフォークトロニカだ。
 ベタベタした悲しみは高橋幸宏には似合わない。青空のしたで少しだけ泣くような気高いロマンティシズムこそ高橋幸宏だ。でも、今はこの曲を聴いて乾いた瞳を濡らすことを許してほしい。あなたの存在を感じることができなくなったから。でも、ボク、大丈夫!といえるときは必ずくる。なぜって?あなたの音楽はここにあるから。明日も明後日もその次も。『サラヴァ!』ではじまって、“シー・ユー・アゲイン”で終わる粋な音楽人生のすべてがあるのだから。

 “ドリップ・ドライ・アイズ”、“元気ならうれしいね”、“シー・ユー・アゲイン”、“ステラ”、“今日の空”を心の中で再生しながら(今はまだ聴けない。いや、本当のことをいえば“ステラ”だけは一度聴いた)、この文章を書き上げました。どうか安らかに。その魂に平穏を。

Everything But The Girl - ele-king

 トレイシー・ソーンとベン・ワットによるエヴィリシング・バット・ザ・ガール(EBTG)が新しいアルバム『Fuse 』を4月21日にリリースする。これは1999年の『Temperamental』以来の新作で、EBTGにとっての通算11枚目のアルバムとなる。
 先行で発表されたシングル曲“Nothing Left To Lose”は、ハウス・ミュージックの影響下にあった90年代のEBTGの延長にあり、アルバムの内容も、エレクトロニックであり、ソウルであるという。

 以下、レーベルの資料からの抜粋です。

 2021年の春から夏にかけてベン・ワットとトレイシー・ソーンによって書かれ、制作された『Fuse』は、バンドが90年代半ばに初めて開拓した艶やかなエレクトロニック・ソウルを現代的にアレンジしたものとなっている。
サブ・ベース、シャープなビート、ハーフライトのシンセ、空虚な空間からなるワットのきらめくサウンドスケープの中で、ソーンの印象的で豊かな質感の声が再び前面に出ており、これまで同様、現代的、同時代的なサウンドでありながらエイジレスなバンドのサウンドに仕上がっている。
  バンドの再出発とニュー・アルバムについて、トレイシーはこう語っている
 「皮肉なことに、2021年3月にレコーディングをスタートしたとき、このニュー・アルバムの完成されたサウンドについて、あまり関心事がなかったの。もちろん“待望のカムバック”といったプレッシャーは承知していたから、その代わりにあらかじめ方向性を決めないで、思いつきを受け入れる、オープンマインドな遊び心の精神で始めようとしたのね」
  2人は自宅とバース郊外の小さな川沿いのスタジオで、友人でエンジニアのブルーノ・エリンガムと密かにレコーディングを行った。
 希望と絶望、そして鮮明なフラッシュバックが交互に現れるこのアルバムの歌詞は、時にとらえどころがなく、時に詳細に描写され、再出発することの意味をとらえている。
  ベンは次のように語っている。
 「エキサイティングだったね。自然なダイナミズムが生まれたんだ。私たちは短い言葉で話し、少し顔を見合わせ、本能的に共同作曲をした。それは、私たち2人の自己の総和以上のものになった。それだけでEverything But The Girlになったんだ」
  二人のスタジオでの新たなパートナーシップは、新しいアルバム・タイトルにもつながった。
 「プロとして長い間離れていた後、スタジオでは摩擦と自然な火花の両方があった」とトレイシーは言う。「私たちがどんなに控えめにしていても、それは導火線に火がついたようなものだった。そして、それは一種の合体、感情の融合で終わった。とてもリアルで生きている感じがしたわ」

Everything But The Girl
Fuse

Virgin Music
2023年4月21日、配信・輸入盤CD/LPにて発売予定
https://virginmusic.lnk.to/EBTG_NLTL

■バイオグラフィー
 エヴリシング・バット・ザ・ガールは、トレイシー・ソーン、ベン・ワットの2人により、1982年にコール・ポーターの「ナイト・アンド・デイ」の荒々しいジャズ・フォーク・カバーで登場した。その後、80年代を通じて英国でゴールド・アルバムを次々と発表。1992年にワットが難病の自己免疫疾患で死に瀕した後、1994年に彼らの最大のヒット曲である「Missing」が含まれ、ミリオンセラーとなった熱烈なフォークトロニカ『Amplified Heart』で復活を遂げる。その後90年代を通じて多くのヒットを生み出し、96年リリースの『Walking Wounded』がバンド初のプラチナ・セールスを記録するなど、多くのヒット曲を生み出すが、1999年のアルバム『Temperamental』のリリースを最後に2000年に活動を停止する。
 2000代はトレイシー、ベンそれぞれソロ活動を展開。ソロ・アルバムやノン・フィクションの出版、また自身のレーベル、Buzzin’ Flyの成功など、その才能を遺憾無く発揮してきた。
 そして2023年、EVERYTHING BUT THE GIRLとして24年ぶりとなる新作アルバム『FUSE』を4月21日にリリースする。

■ アーティスト日本公式サイト
https://www.virginmusic.jp/everything-but-the-girl/

SHE SAID/シー・セッド その名を暴け - ele-king

 『彼女は話した』ーー観終わったあとにこれほど納得のいくタイトルもなかった。「#MeToo」運動が世界で拡大するきっかけとなった記事をニューヨークタイムズの記者2人が書き上げるまでのプロセスを追ったファクション(ファクト+フィクション)。オープニング・シーンは92年のアイルランド。犬を連れた若い女性が海岸沿いを歩いていると不思議な光景に出くわす。それは映画の撮影現場で、彼女は友人に呼ばれてここに来たらしい。続いてキャリー・マリガン演じるミーガン・トゥーイー記者が恐怖の表情で路上を疾走する短いシーン。トランプ支持者からの脅迫に怯え、何かから全力で逃げている状態を表した心象風景か。1年ほど時間軸を遡って16年のニューヨーク。トゥーイーはクリントンとトランプが争う大統領選の最中にトランプにセクハラされたという女性から証言を得る。ここからゾーイ・カザン演じるジョディ・カンター記者がハーヴィー・ワインスタイン(作中ではワインスティーンと発音)を追うシーンと、トゥーイーがトランプの取材を続けるシーンが短く交互に差し挟まれる。トゥーイーは妊娠していて臨月に近く、出産直前にトランプ本人から電話で罵声を浴びせられ、記事が世に出ると何者かから脅迫が届くようになる。大統領選でトランプが勝ち、トゥーイーは出産して産後鬱に。一方でカンターはワインスタインの元で働いていた女性が不自然なかたちで辞職していることに気づき、連絡先を探すが見つからず、その娘の家を訪ねると偶然にも本人に会うことができ、カンターは「25年も待っていた」と歓迎されたかと思うと、帰り際には「やはり話はできない」と取材を断られてしまう。私にはもうできないとジャーナリストの仕事を諦めかけていたトゥーイーは閉塞状況に耐えかねて再びオフォスを訪ね、彼女の様子を見たデスクのレベッカ・コーベット(パトリシア・クラークソン)にカンターの取材に合流したらどうかと示唆される。トゥーイーはカンターとタッグを組み、ハーヴィー・ワインスタインの周辺を調べ始める。トゥーイーとカンターはまず3人の女性に話を訊いてみようとするが、彼女たちとは会えないか、会えてもやはり話すことはできないと断られる。本当は、しかし、彼女たちは話したがっているのではないかと感じた2人は、なんとか話を聞き出す方法はないかと思案していると、2人の動きに気づいたワインスタインがニューヨーク・タイムズに弁護士を送り込んでくる。

 ハーヴィー・ワインスタインはすでに現実の世界で有罪となり、収監されて刑務所内でコロナになったことも報じられている通り。『セックスと嘘とビデオテープ』や『アタメ』などアートハウス系の作品を次々とヒットさせ、タランティーノを世に送り出したワインスタインは『スクリーム』『イングリッシュ・ペイシェント』『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』と、本当に多岐に渡るヒット作をプロデュースし、『もののけ姫』 英語版、『アザーズ』『ロード・オブ・ザ・リング』と90年代をリードしたプロデューサーの1人であることは確か。その裏で何が起きていたかをトゥーイーとカンターが調べ、証拠を探し出そうとするも、ワインスタインの権力があまりに絶大で、あらゆるところに情報網を敷いているため2人はなかなか証拠に近づくことができない。取材の途中、トゥーイーは企業の情報を公開している政府内の独立機関EEOCがなぜかセクハラ訴訟の回数だけは非公開にしていることに気づき、思わず電話で対応している女性に「あなた個人はおかしいと思わないのか」と声を荒げてしまう。取材の突破口となったゼルダ・パーキンス(サマンサ・モートン)がカンターに語った言葉のなかにも「法律は性加害者に有利にできている」と静かに怒りを述べる場面があり、僕にはこのひと言がこの作品で最も重く感じられる主張となった。(以下、ネタバレ)これらのシーンはこの作品が糾弾しているのはワインスタイン個人ではなく、もっと大きなものだということを観客に告げている。トゥーイーが作品の冒頭でトランプの取材を諦めなければならなかったことがどういうことなのか、パーキンスの言葉がすべてを表し、そして、パーキンスが口を開くまで、この映画のタイトルは『SHE DON”T SAY』が相応しかったのに、ここから一気に『SHE SAID』に転じていく。世界初のセクハラ裁判を映画化した『スタンドアップ』では最初に立ち上がるジョージー・エイムズ(シャーリーズ・セロン)がいて、それに追従する女性たちが「#私も」と現れるという流れだったけれど、『SHE SAID』ではほぼ全員が最初に声を出す1人になる。実際に声をあげた1人であるアシュレイ・ジャッドは本人役で出演もしている。また、トゥーイーとカンターの取材活動を支える多くの男性たちが綿密に描かれていると同時に、その男性たちの多くが権力者だということは両義的な意味を持っていると思ったことも付け加えておきたい。言い方を変えれば沢山の男たちにゲートを開けてもらわなければ2人は先に進めなかったのが現実だったと見えたのである。

 『SHE SAID』を観ながら嫌でも思い出してしまったのが『テルマ&ルイーズ』と『大統領の陰謀』、そして昨秋のTVドラマ『エルピス』。前者は女性2人が戦っているところが同じというだけなんだけれど、『ドライヴ』や『未来を花束にして』(これも女性参政権のために爆弾闘争を行った女性活動家たちを描いた作品)で可愛らしい顔立ちを見せていたキャリー・マリガンがすっかり大人の表情を見せるようになっていてスーザン・サランドンとダブって見えたということもある。ウォーターゲート事件を扱った『大統領の陰謀』もジャーナリストが権力と戦うというところだけが同じで、これはスピルバーグも『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』でしっかりと引用したばかり。安倍政権下で日本のTVがライセンス事業であることをチラつかされ、報道番組がものの見事に萎縮してしまったことを反省的に回顧する『エルピス』は麻生太郎としか思えない政治家が殺人事件の隠蔽に関わっているという筋立てで、やはり真実を明らかにするために権力と対峙するところが想起のポイントではあるのだけれど、『エルピス』が自己実現のために真実を追求しようとする青春ドラマだったのに対し、あくまでも人権のために動く『SHE SAID』は掛け値なしの社会派ドラマであり、性被害に遭った女性たちにトゥーイーが「あなたの過去は変えられないけれど、次の犠牲者を出さないために(話してくれ)」というところは誰のためにやっているのか(少なくとも自分だけのためではない)ということが強調され、おそらくこういった人権意識を前景化させれば日本でこの手のドラマは視聴者を増やすことはないだろうということも同時に考えざるを得なかった。『エルピス』で長澤まさみ演じる浅川恵那は第2話で「キャスターとして自分の伝えた事がどれほど真実だったのか。それを考えると息が苦しくなる。今の自分はその時の罰を受けている(彼女の背景には福島原発事故当時の専門家の発言や安倍晋三の「アンダーコントロール」発言の映像が流れる)」と自分自身の贖罪意識に帰結させることで問題を小さなものにしてしまうともいえる。青春と社会では人が置かれている場所があまりにも違う。日本だけで「#MeToo」がもうひとつ盛り上がらなかった理由もそこにあるのだろう。それでも『エルピス』は現在の日本で考えられる限り最上の政治ドラマだったと思うし、これがヒットした意味は大きい。

 昨22年に「起きた」ことで最も驚いたのはやはり安倍銃撃事件であり、その余波が収まったとはまだまだ言えないけれど、「起きなかったこと」で驚いたのはサンフランシスコ講和条約から70年が経ち、日本が主権を回復したことを誰も祝わなかったことだった。沖縄本土復帰50周年は朝ドラから何から記念行事を山と積み上げていて、それはまあ、米軍基地を押しつけていることに引け目があるから過剰にそうなるのかもしれないけれど、起源にこだわる建国記念日にはなんだかんだあっても国家として主権を回復したことに誰も興味がないというのはどういうことなんだろうと思うし、主権意識に乏しい日本人が責任感もなく、自信もないまま生きているのは致し方ないことで、そういったことはすべて整合性のあることなんだとも思わざるを得なかった。もちろん、人権意識が極端な場合は戦争を引き起こすという側面もある。ワインスタインも裁判で自分の非は認めず、「#MeToo」運動が魔女狩りのような一面も持ち合わせていたことはワインスタインのやっていたことを知っていたとされるメリル・ストリープの自宅が落書きだらけになったことにも表れている。さらにいえば「#MeToo」運動自体に懐疑的だったフランスという例があったことも考えさせられる一面は持っていた。また、ワインスタインがやったことは「彼女たちが話した」通りだとして、一方で湧き上がるのはそんなことを続けながら彼はさらに『世界にひとつだけのプレイブック』『英国王のスピーチ』『フルートベール駅で』といった繊細な作品を世に送り続け、民主党支持者だけあって『華氏911』や『コンフェッション』といった政治的プロパガンダも臆さず、単なるエンターテイメント作品で終わらない『アビエイター』『シン・シティ』『ザ・マスター』といった名作も完成させてきたという不思議さである。二面性というにはあまりに極端だし、それこそ昼はリベラル、夜は殺人鬼と化していた『アメリカン・サイコ』そのままではないか。これだけの作品を世に送り出すために、彼にはセクハラや性暴力が必要だったとして、どこでそれらは折り合いをつけていたのだろうか。『SHE SAID』にはそこまで求めるものではないにせよ、ハリウッド映画の新たな謎としていつか本人か誰かが一定の解釈を与えてくれることを望みたい。それですら作品にしてしまうのがハリウッドだろうし。ちなみに日本では「#MeToo」運動と「Time's Up運動」がごっちゃにされていて、この映画で扱われているのは「#MeToo」運動が拡大する1日前までの話であり、取材を始めた頃にカンターは記事が出ても「無視されるのが一番怖い」と、記事が与える影響についてはあくまでも未知数としてこれに取り組んでいたことがとても印象的だった。

宇宙こそ帰る場所──新訳サン・ラー伝 - ele-king

世界で唯一にして決定版、サン・ラー評伝、待望の新訳

近年ますます人気を拡大し、生前以上に聴かれている稀なジャズ・アーティスト
インディ・ロック・バンドからクラブ系のジャズ・バンドまでがカヴァーし、
レディ・ガガがその楽曲を引用するほど
その幅広いリスナー層はマイルス・デイヴィスに匹敵する

自分は地球人ではないし、ましてや黒人でもない
家族もいないし、生まれてさえいない
生涯をかけて作り上げた寓話を生き抜いた音楽家の
彼が消し去った地球での全人生を描いた大著

モーダルなジャズから電子音、
サイケデリック、大アンサンブル、
フリー・ジャズ、そしてアフロフューチャリズムの原点……
その影響力と功績において
欧州ではマイルス、コルトレーンとならべて語られる巨匠
サン・ラーのすべてがここにある!

目次

序奏

CHAPTER 1 バーミングハム
CHAPTER 2 シカゴ
CHAPTER 3 シカゴ pt.2
CHAPTER 4 ニュー・ヨーク・シティ
CHAPTER 5 フィラデルフィア
CHAPTER 6 世界・未来・宇宙

謝辞
出典/註記
主な参考文献リスト
サン・ラー・ディスコグラフィ
索引

[プロフィール]
ジョン・F・スウェッド(John F. Szwed)
1936年生まれ。イェール大学名誉教授(人類学、アフリカン・アメリカン研究、映画学)、コロンビア大学名誉教授(同大学ジャズ研究センター教授、センター長を歴任し、現在非常勤上級研究員)。グッゲンハイムおよびロックフェラー財団フェロウシップ。マイルズ・デイヴィス、ビリー・ホリデイ、アラン・ローマックス等々に関する著作が多数あり、その代表的なジャズ研究書『Jazz 101: A Complete Guide to Learning and Loving Jazz』(2000)は、『ジャズ・ヒストリー』として邦訳されている(諸岡敏行訳、青土社/2004)。また、CDセット『Jelly Roll Morton: The Complete Library of Congress Recordings by Alan Lomax』《ラウンダー・レコーズ/2005》のブックレット「Doctor Jazz」で、同年のグラミー/ベスト・アルバム・ノート賞を受賞している。

鈴木孝弥(すずき・こうや)
1966年生まれ。音楽ライター、翻訳家(仏・英)。主な著書・監著書に『REGGAE definitive』(Pヴァイン、2021年)、ディスク・ガイド&クロニクル・シリーズ『ルーツ・ロック・レゲエ』(シンコー・ミュージック、2002/2004年)、『定本リー “スクラッチ” ペリー』(リットー・ミュージック、2005年)など。翻訳書にボリス・ヴィアン『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』(シンコー・ミュージック、2009年)、フランソワ・ダンベルトン『セルジュ・ゲンズブール──バンド・デシネで読むその人生と女たち』(DU BOOKS、2016年)、パノニカ・ドゥ・コーニグズウォーター『ジャズ・ミュージシャン3つの願い』(スペースシャワーネットワーク、2009年)、アレクサンドル・グロンドー『レゲエ・アンバサダーズ──現代のロッカーズ』(DU BOOKS、2017年)、ステファン・ジェルクン『超プロテスト・ミュージック・ガイド』(Pヴァイン、2018年)ほか多数。

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R.I.P. Alan Rankine - ele-king

 昨年のウインブルドンではニック・キリオスが大活躍だった。全身に刺青が入った黒人のテニス・プレイヤーで、ショットが決まるたびに客席の誰かに大声で話しかけ、勝っても負けてもオーストラリア本国に戻ればレイプ疑惑で裁判が待っていた(精神障害を理由にいまだに裁判からは逃げている)。大坂なおみが開いたエージェント・オフィスが初めて契約した選手であり、日本に来た時はポケモンセンターの前に座り込んで「絶対にここから離れない」とSNSに投稿していた。僕の推しはカルロス・アルカラスだったんだけれど、昨年は早々とキリオスに負けてしまったので、そのまま惰性でキリオスを追っていた。そうなんだよ、危うくカルロス・アルカラスのことを忘れてしまうところだった。それだけインパクトの強い選手だった。僕がカルロス・アルカラスを応援し始めたのはピート・サンプラスに顔が似ていたから。90年代のプレースタイルを象徴するテニス・プレイヤーで、あまりにもプレーが完璧すぎて「退屈の王者」とまで言われた男。W杯のカタール大会でエンバペがゴールするたびにマクロンが飛び跳ねていたようにサンプラスが00年の全米オープンで4大大会最多優勝記録を打ち立てた時はクリントンも思わず立ち上がっていた。試合でリードしていても苦々しい表情だったサンプラス。内向的で1人が好きだったサンプラス。僕がピート・サンプラスを応援し始めたのはアラン・ランキンに顔が似ていたから。僕はアラン・ランキンの顔が大好きだった。セクシーでガッツに満ち、野獣に寄せたアラン・ドロンとでもいえばいいか。初めて『Fourth Drawer Down』のジャケット・デザインを見た時、この人たちは何者なんだろうと思い、どんな音楽なのかまったく想像がつかなかった。

The Associates – The Affectionate Punch(1980年)

 なんだかわからないままに聴き始めた『Fourth Drawer Down』はなんだかわからないままに聴き終わった。朗々と歌い上げるビリー・マッケンジーのヴォーカルと実験的なのかポップなのかもわからないサウンドは現在進行形の音楽だと感じられたと同時に「現在」がどこに向かっているかをわからなくするサウンドでもあった。その年、1981年はヒューマン・リーグがシンセ~ポップをオルタナティヴからポップ・ミュージックに昇格させた年で、シンセ~ポップのゴッドファーザーたるクラフトワークが『Computerwelt』で自ら応用編に挑むと同時にソフト・セル『Non-Stop Erotic Cabaret』からプリンス『Controversy』まで一気にヴァリエーションが増え、一方でギャング・オブ・フォー『Solid Gold』やタキシードムーン『Desire』がポスト・パンクにはまだ開けていない扉があることを指し示した年でもあった(タキシードムーンはとくにベースがアソシエイツと酷似し、アラン・ランキンは後にウインストン・トンのソロ作を何作もプロデュースする)。『Fourth Drawer Down』はそうした2種類の勢いにまたがって、両方の可能性を一気に試していたようなところがあった。それだけでなく、グレース・ジョーンズ『Nightclubbing』に顕著なファッション性やジャパン『Tin Drum』から受け継ぐ耽美性も共有し、オープニングの“White Car In Germany”では早くもDAF『Alles Ist Gut』を意識している感じもあった。混沌としていながら端正なテンポを崩さない“The Associate”を筆頭に、PILそのままの“A Girl Named Property”、物悲しい“Q Quarters”には咳をする音が延々とミックスされ、あとから知ったところでは“Kitchen Person”は掃除機のホースを使って歌い、“Message Oblique Speech”のカップリングだった“Blue Soap”は公園のようなところにバスタブを置いて、その中で反響させた声を使っているという。まるでジョー・ミークだけれど、ジョー・ミークにはない重いベースと破裂するようなキーボードが彼らをペダンチックな存在には見せていない。

 これらが、しかし、すべて助走であり、アラン・ランキンとビリー・マッケンジーが次に手掛けた『Sulk』はとんでない方向に向かって華開く。昨年、同作の40周年記念盤がリリースされ、全46曲というヴォリウムに圧倒されながらレビューを書いたので詳細はそちらを参照していただくとして、ここではスネアをメタル仕様に、タムを銅性の素材に変えたことで、インダストリアルとは言わないまでも、全体に金属的なドラム・サウンドが支配するアルバムだということを繰り返しておきたい。『Sulk』はパンク・ロックのパワーを持ったグラム・ロック・リヴァイヴァルであり、ニューウェイヴの爛熟期に最も退廃を恐れなかった作品でもある。あるいは15歳のビョークが夢中で聴いたアルバムであり、彼女のヴォーカル・スタイルに決定的な影響を与え、イギリスのアルバム・チャートでは最高10位に食い込んだサイケデリック・ポップの玉手箱になった。『Sulk』はちなみにイギリス盤と日本盤が同内容。アメリカ盤とドイツ盤がベスト盤的な内容になっていた。ジャケットの印刷技術もバラバラで、リイシューされるたびに緑色が青に近づき、裏ジャケットのトリミングも違う。オリジナル・プリントはイギリスのどこかの美術館に収蔵されているらしい。

 ビリー・マッケンジーが『Sulk』の北米ツアーを前にして喉に支障をきたし、アメリカで売れるチャンスを逃したとして怒ったアラン・ランキンはアソシエイツから脱退、『Sulk』に続いてリリースされたダブルAサイド・シングル「18 Carat Love Affair / Love Hangover」(後者はダイアナ・ロスのカヴァー)がデュオとしては最後の作品となってしまうも、『Fourth Drawer Down』以前にリリースされていたデビュー・アルバム『The Affectionate Punch』のミックス・ダウンをやり直して、同じ年の12月には再リリースされる。元々の『The Affectionate Punch』はなかなか手に入らず、その後、イギリスでようやく見つけたものと聴き比べてみると、ミックス・ダウンでこんなに変わってしまうものかと驚いたことはいうまでもない。たった2年でアラン・ランキンが音響技術の腕を確かなものにした自信が『The Affectionate Punch』の再リリースには漲っていた。同作からは“A Matter Of Gender”が先行カットされ、結局、デビュー・シングル“Boys Keep Swinging”(デヴィッド・ボウイの無許可カヴァー)などを加えて元のミックス盤も05年にはCD化される。『Sulk』に続く道も感じられはするけれど、オリジナル・ミックスはまだシンプルなニューウェイヴ・アルバムで、この時期は〈Fiction Records〉のレーベル・メイトだったキュアーとヨーロッパ・ツアーなどを行なっていたことからロバート・スミスがギターとバック・コーラスで参加、ベースのマイケル・デンプシーはその後もアソシエイツとキュアーを掛け持っていた。ロバート・スミスは後にビリー・マッケンジーが自殺する直前、キュアーのライヴを観に来てくれたのに声をかけ損なったことを悔やんで「Five Swing Live」をリリースしたり、“Cut Here”をつくったりしている。

The Associates – Sulk(1982年)

 バンドを脱退したとはいえ、『Sulk』の名声はアラン・ランキンにプロデュース業の仕事を舞い込ませる。ペイル・ファウンテインズ“Palm Of My Hand”は“Club Country”で用いたストリング・アレンジを流用しながら彼らのアコースティックな持ち味を存分に活かし、反対にコクトー・ツインズ“Peppermint Pig”はあまりにもアソシエイツそのままで、これは派手な失敗作となった。彼らのイメージからは程遠いインダストリアル・ドラムに加えて近くと遠くで2本のギターが同時に鳴り続けるだけでアソシエイツに聞こえてしまい、ノイジーなサウンドに尖ったリズ・フレイザーのヴォーカルが入るともはやスージー&ザ・バンシーズにしか聞こえなかった。そして、アンナ・ドミノやポール・ヘイグのプロデュースから縁ができたのか、アラン・ランキンのソロ・ワークも以後は〈Les Disques Du Crépuscule〉からとなる。アソシエイツ脱退から4年後となったソロ・デビュー・シングル“The Sandman”は幼児虐待をテーマにした静かな曲で、カップリングは戦争を取り上げた暗いインストゥルメンタル。続いてリリースされたファースト・ソロ・アルバム『The World Begins To Look Her Age』はアソシエイツのようなエッジは持たず、80年代中盤のニューウェイヴによくあるAOR風のシンセ~ポップに仕上がっていた。これはランキンを失ったマッケンジー単独のアソシエイツも同じくで、マッケンジーもまた気の抜けたアソシイツ・サウンドを鳴らすだけで、2人が離れてしまうと緊張感もないし、いずれもメローな部分ばかりが際立つ自らのエピゴーネンに成り下がってしまったことは誰の耳にも明らかだった。2人がそろった時の化学反応はやはり1+1が3にも100にもなるというマジックそのものだったのである。しかし、2人は93年まで再結成に意欲を示さず、とくにビリー・マッケンジーはイエロやモーリツ・フォン・オズワルドといったユーロ・テクノの才能と組んでサウンドの更新に勤め、それなりに意地は見せていた。アラン・ランキンは『The World Begins To Look Her Age』の曲を半分入れ替えて〈Virgin〉から『She Loves Me Not』として再リリースした後、〈Crépuscule〉から89年に『The Big Picture Sucks』を出して、まとまった音源はこれが最後となる。

Alan Rankine – The World Begins To Look Her Age(1986年)

 93年に再結成を果たしたアソシエイツは6曲のデモ・テープを製作するも94年からアラン・ランキンは地元グラスゴーのストウ・カレッジで教鞭に立ち、それほど頻繁に作業ができなくなった上にビリー・マッケンジーが97年1月に自殺、新しいアルバムが完成されるには至らなかった。そのうちの1曲となる“Edge Of The World”はその年の10月にリリースされたビリー・マッケンジーのソロ名義2作目『Beyond The Sun』に“At Edge Of The World”としてポスト・プロダクションを加えて収録され、さらに3年後、キャバレー・バンド時代のデモ・テープなどレア曲を37曲集めた『Double Hipness』には6曲とも再録されている。6曲のデモ・テープは『The Affectionate Punch』に戻ったような曲もあれば、新境地を感じさせる“Mama Used To Say”にドラムンベースを取り入れた“Gun Talk”など完成されていれば……などといっても、まあ、しょうがないか。ザ・スミスがビリー・マッケンジーを題材にした“William, It Was Really Nothing”に対する10年越しのアンサー・ソング、“Stephen, You're Really Something”も週刊誌的な興味を引くことになった。アラン・ランキンが残した音源は少ない。ビリー・マッケンジーと組んだアソシエイツとその変名プロジェクトにソロ・アルバム2.5枚とソロ・シングル3枚、クリス・イエイツらと組んだプレジャー・グラウンド名義でシングル2枚のみである。また、2010年まで大学教員を続けたランキンは大学内に〈Electric Honey〉を設け、ベル&セバスチャンのデビュー・アルバム『Tigermilk』など多くのリリースにも尽力している。

 ビリー・マッケンジーがソロでつくった曲は間延びした印象を与えることが多かったけれど、アラン・ランキンが加わるとそれがタイトになり、まるで伸び伸びとは歌わせまいとしているようなプロダクションに様変わりした。アソシエイツはそこが良かった。歌が演奏にのっているというよりも声と演奏が戦っているようなサウンドだったのである。まったくもって調和などという概念からは遠く、ビリー・マッケンジーがどれだけ気持ちよく歌っていてもアラン・ランキンのギターは容赦なくそれを搔き消し、いわば主役の取り合いだった。“Waiting for the Loveboat”も脱退前にアラン・ランキンが録っていたデモ・テープはぜんぜん緊張感が違っていた。アラン・ランキンはおそらくせっかちなのである。彼らの代表曲となった“Party Fears Two”がトップ10ヒットとなり、トップ・オブ・ザ・ポップスに出演した時もランキンは同番組が口パクであるのをいいことに鳴ってもいないバンジョーを弾いたり、ピエール瀧の綿アメみたいに客にチョコレートを食べさせるなどふざけまくっていたのは、たった1曲のために2時間以上も拘束されるため「飽きてしまったから」だと答えていた。『Fourth Drawer Down』も実はそれまでがあまりに狂騒状態だったので、少しは落ち着こうとしてつくった曲の数々だったというし、それがまた再び狂騒状態に戻ったのが『Sulk』だったから、あそこまで弾け飛んだということになるらしい。自分の人生を何倍にも巨大なものにしてくれる人との出会いがあるということはなんて素晴らしいことなのだろう。2人合わせて103歳の人生。短い。あまりに短いけれど、『Sulk』はこれから先、いつまでも聴かれるアルバムになるだろう。R.I.P.

音楽、人生、坂本龍一 - ele-king


photos:『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.

 2022年12月11日に坂本龍一の、「この形式での演奏を見ていただくのは、これが最後になるかもしれない」といわれる「Playing the Piano 2022」が配信された。コンサートを通しての演奏をすることが体力的に困難ということもあり、1日に数曲ずつ丁寧に演奏し、収録をしていったという映像だ。
 しかしながらそこにあったのは、まさに現在進行形の「坂本龍一の音楽」だった。坂本の演奏は、これまでのどのピアノ演奏とも違う、新しいピアノの響きを放っていたように思えた。音が、結晶のように、そこに「ある」ような感覚とでもいうべきか。
 それはまるで「もの派」の思想をピアノ演奏で実現するようなものであった。聴き慣れたはずの “Merry Christmas Mr. Lawrence” や “The Last Emperor” のみならず、ドリームキャストのソフト『L.O.L.』からの曲をピアノ・アレンジという意外な曲まで、どの曲もピアノの音がそこに「ある」かのような新しい存在感を放っていた。ピアノの音が結晶のようにそこにあった。
 鑑賞者はピアノの音がそこに「ある」かのように向かい合うことになる。不意に「もの派/ピアニズム」。そんな言葉が脳裏をよぎった。

 もちろん私が「もの派」を連想したのは、坂本龍一が文芸雑誌『新潮』に連載中の「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」で「もの派」に対する思い入れを語っていたことを知っていたからである。加えて2023年1月にリリースされるニュー・アルバムのアートワークを「もの派」を代表す美術家、李禹煥が手掛けることを事前情報として得ていたからでもある。
 しかしそれでもまさかピアノ演奏に「もの派」を感じるとは思わなかった。坂本龍一はいつもそうだ。彼のピアノ曲/演奏を通じてドビュッシーを知った人も多いだろう。彼は音楽と芸術をつなぐハブのような存在でもあった。坂本は演奏や音楽を通じて私たちにさまざまな芸術や文化をさりげなく紹介してくれる。

 そう、私にとって坂本龍一とは、唯一無二の音楽家であると同時に、文化・芸術の優れたキュレーターでもあった。
 坂本龍一は未知の音楽、未知の芸術、未知の思想をそのつど的確な言葉で表現してくれる人だ。じっさいドビュッシーからゴダール、タルコフスキーからもの派に至るまで、坂本龍一から「教わった」音楽、芸術、芸術は数知れない。
 なかでも村上龍とホストをつとめた『EV. Café』(1985)という本の存在が大きかった。吉本隆明、浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦、山口昌男らとの刺激的な鼎談が納められたこの本によってニューアカデミズム/ポストモダンの巨人たちの思想のとばくちに触れ、坂本龍一という音楽家の音楽的背景を理解できた(気になった)。
 これは私のような遅れてきた「ニューアカ/ポストモダン」世代には共通する「体験」だったのではないかと思う。いわば10代の頃の私にとって「聖典」のような本だった。
 90年代以降、後藤繁雄が編集した『skmt: 坂本龍一』や『skmt2: 坂本龍一』も愛読したし、ICCが刊行していた「インターコミュニケーション」に折に触れて掲載される対談やインタヴューなども追いかけてきた。同誌では浅田彰との往復書間に知的な刺激を受けたものだ。

 だが「教わった」という言葉は正確ではない。じっさい坂本は、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の第6回でも、教えることが不向きだと語ってもいる。
 坂本龍一はただ自分の知性と興味の赴くままに、文化や芸術を探究してきた。私たちは(とあえて書くが)、遊牧民のように世界地図を移動を続ける坂本龍一の背中を必死に追いかけてきただけともいえる。
 そんな坂本龍一の「移動」を「旅」と言い換えてもいいかもしれない。むろん坂本龍一は「観光嫌い」を兼ねてから公言しているので、物見雄山の「旅行」ではない。そこには明確に興味の対象があり、唐突な驚きへの感性の柔軟性があり、あくなき知への好奇心がある。そして何より(当たり前だが)音楽家という職業は、ツアーやレコーディング、プロモーションなどつねに「移動」が伴うものでもある。移動を重ね、音楽を演奏し、音楽家と出会い、聴衆の前に立つ。


photos:『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.

 坂本龍一の「移動」=「旅」はつねに知と芸術と世界の諸問題を浮き彫りにし、わたしたちの知的好奇心を満たす不思議な力がある。ご本人にはおそらくそんな意図などないにもかかわらず。
 「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は、「旅」を続けながらなんの先入観もない視線で世界のありようを探求し認識をし続ける坂本龍一の思考を追体験するような読後感に満ちていた。同時に病気やご両親のこと、これまでの人生のことも語られており、2009年に刊行された『音楽は自由にする』以降の彼の「自伝」のように読むこともできる。
 じっさい、この連載では2009年から現在までの坂本龍一の活動や行動がほぼ時系列に語れていく。だが単にリニアな時間軸で順を追って語られるのではなく、ときに語り手である坂本の現在の出来事や考えが挿入され、過去に現在が、現在に過去が反射されるように語れている。
 ご自身の辛い闘病の生々しい記録、両親の死、アルバムのこと、「時間」をめぐる考察、自然をめぐる感性の記録がノンリニアに語られ、さながらこの10年の坂本龍一の「断想的記録」を追うような非常に刺激的な内容なのである。
 先に書いたように時期的には以前の自伝的著書の『音楽は自由にする』以降の出来事になるわけで、それはいわば2009年のソロ・アルバム『アウト・オブ・ノイズ』以降の活動ということになる。この『アウト・オブ・ノイズ』は、いわば五線譜にとらわれない「音」で音楽をする要素を持つことで、坂本龍一の活動のなかでも重要なターニング・ポイントとなったアルバムである。そして近年のターニング・ポイントになった作品はもう1枚ある。『async』である。

 電子音響、アンビエント作品との濃厚な関連性を持っているのが、この2作品の特徴だ。2004年の『キャズム』からその傾向が出ているが、このふたつのアルバムには不思議な連続性があるように思う。そう、『アウト・オブ・ノイズ』、と坂本龍一みずから「とても大切な作品」と語る『async』は明確につながっているように私には聴こえるのだ。これも00年代以降の電子音響やアンビエント/ドローン作品への坂本から回答と考えれば納得がいくのではないか。
 そう考えると、00年代以降、カールステン・ニコライやクリスチャン・フェネスなどとのコラボレーションをはじめたことも大きな意味を持ってくる。
 特にカールステン・ニコライとの交流はとても重要だ。「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」のなかでも何度も登場するこのドイツ人の電子音楽家/アーティストは、坂本龍一みずから「友人」と呼ぶ存在である。
 カールステンは、00年代の共作以降、坂本の仕事に並走しつつ、ひとりの人間として、とても尊敬できる振る舞いを重ねていった。映画『レヴェナント:蘇えりし者』のサウンドトラック制作時、坂本は、2014年の中咽頭がん治療直後であり、抗がん剤の影響もあり、本調子ではなかった。しかし監督の要望は容赦ない。悪夢をみるほどまで追いこまれていくなか、坂本はカールステン・ニコライに共作を求める。すると彼はラップトップひとつ持ってロスまで即座に駆けつけてくれたという。
 また、手術前の不安な日、坂本は思わずカールステンに電話をしたらしい。そして病気で辛い坂本にアート作品とテキストを届けてくれたこともあるという。人として、友人がとても辛い状況のとき、どう振る舞うのか。彼はまず態度と行動で示す。まさに素晴らしい人柄として言いようがない。私はアルヴァ・ノトの音楽が大好きなのだが、長年の彼の作品を愛好してきたよかった(となぜか)思ってしまった。

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photos:『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.

 さて、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」での坂本は世界中へと旅に出ている。2008年のグリーンランド(北極圏)への旅にはじまり、日本国内ツアーで新潟市から富山市へ行ったときに出会った山桜、ヨーロッパ・ツアー、高谷史郎との共作インスタレーションの展示をおこなったローマ、ソウルでのコンサート、カールステンとのヨーロッパ・ツアーである「s tour」、そしてカールステンが暮らしているベルリン、リスボン、アイスランド、アラブ首長国連邦、ワシントンDC、イタリア、奈良、山口、札幌。
 2009年以降、坂本の「旅=移動」を、断ち切らせる体験が二度あった。ひとつは2011年の東日本震災、もうひとつは2014年にみつかった最初の癌であろう。
 2011年3月11日。あの日、坂本は海外ではなく、日本にいた。どうやら映画『一命』の音楽を東京のスタジオで録音していたらしい。
 重要なことは、ニューヨークに住み、世界中への旅を繰り返していた坂本が「あの日」は日本の東京にいたという事実に思える。私はそこに坂本龍一という人間の「運命」を強く感じてしまった。坂本は2001年9月11日その日もニューヨークで遭遇している。彼は世界の「激変」に近い出来事に二度も遭遇したのだ。
 ともあれ3月11日のあの途方もない震災とそれに続く原子力発電所の事故をその国で体感したということで、彼は自分が何をするべきかという意識をより明確に持つようになったのではないか。
 じじつ「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」でも県陸前高田への訪問、住田町への寄付などが語れる。宮城県名取市にある津波によって泥水を被ってしまって調律の狂ってしまったピアノをひきとったともいう。そしてデモへの参加。

 坂本龍一は震災以降、ともすれば分断しかねない社会をつなぎ止めるように、人と社会にコミットメントしていった。
 この過程のなかで、その言葉の一部だけが切りとられ、激しい批判にさらされた「たかが電気」発言があった。この「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」第3回で、坂本は、そのような批判に対して、当時の発言を全文掲載し、いまでも撤回する気がないとはっきりと断言している。ここでは詳しくは書かないが、気になる方がぜひ「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読んでみてほしい。少なくとも自分は納得できるものがあった(そもそも何が問題であったのか理解できないのだが)。
 坂本龍一にとって3.11、9.11を経てより強くなったのは社会への意識に加えて、環境への配慮だろう。00年代も雑誌「ソトコト」にコミットするなど、環境意識をどう持つかということを伝えていたが、3.11以降はより具体的な「環境」そのものにつながっていくようになったと思う。
 そこにあるのは「自然」と「地球」意識ではないかと思う。「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」には「月」という言葉が出てくるが、そこで対になるのはやはり「地球」だろう。2011年以前からモア・トゥリーズなどの環境活動をしてきた坂本だが、自分にはそこに音楽家としての本能のようなものが強く働いているような気がしてならない。
 地球という重力があり、空気がある環境でしか音楽はならない。少なくとも空気の振動によって伝わる「音楽」ではなくなってしまう。だからこそ環境=音楽の源泉としての意識が強く働いているのではないかと勝手に想像してしまう。


photos:『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.

 『async』には水の音や足音、さまざまな環境音が使われているが、これは「音」へのあくなき好奇心ゆえだろう。音は「ここ」でしか鳴らないという想い。だからこそ「月」という言葉が入った “fullmoon” という曲がアルバム全体のムードを相対化するような、あえていえば「黄泉の世界」からの音のように響いてくる。
 “fullmoon” は、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」でも語られているが、ベルトルッチ監督の「声」を最後に録音したものが用いられている曲でもある。
 生と死。そんなムードが濃厚な “fullmoon” には不思議とこの世界から浮遊するような感覚が横溢している。
 『async』全体はドローン、アンビント作品なので非常に抽象的なムードのアルバムだが、“fullmoon” にはどこか重力から解き放たれようとしているようなムードが感じられたのだ。
 月と地球。重力と生。音楽と消失。声と音響。“fullmoon” には環境と意識と生と死が淡い霧のように音響空間に溶け込んでいる。
 これはアルバム『async』全体にいえることかもしれない。そこに「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」というタイトルを重ね合わせると、70歳を迎えた坂本龍一の現在の人生観を強く感じ取ることができるような気がする。
 『アウト・オブ・ノイズ』は北極圏で坂本が体感したことが、音に具体的に反映されている。『async』は、3.11以降の世界で、地球と自然と人間と感性を音として表現した作品でもあった。私はこれらの音楽に、そして90年代以降の坂本龍一の音楽に「地球意識」とでもいうような真にワールドワイドな感性が息づいているように感じている。
 それは1989年の『ビューティー』、1991年の『ハートビート』あたりからはじまり、1999年のオペラ『LIFE』で一度「歴史的」に総括された。そして00年代以降は、それ以降の世界を見据えるように、よりミクロな世界からマクロな世界を巡っていくのだ。


photos:『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.

 加えてこの連載では、00年代以降の若い世代の音楽家との「出会い」「交流」も語れている。2023年1月号掲載の連載第7回ではフライング・ロータスサンダーキャットOPN、Se So Neon らとの交流が述べられている。坂本の彼らへの目線はとても優しい。
 何よりフライング・ロータス、サンダーキャット、OPN、Se So Neon を知らない読者は、坂本を通じて彼らの音楽との出会いを果たすのだろう。坂本の「旅」と「出会い」は、それを読む(知る)人たちにも「出会い」をもたらすのだ。

 世界への旅も、交流も、出会いも、ミクロ/マクロを往復するような活動だった。音楽的にはよりミニマルになり、しかし行動的には、マクロに=俯瞰的になる。そうやって坂本龍一の音楽と思考はより深まりを見せていったのかもしれない。
 そして2014年以降の癌と2021年の再発というあまりに大変な闘病については赤の他人でしかない自分に語ることはできないので、とにかく「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を連載1回目から読んでほしいとしかいいようがない。癌という病にどう向かうか。自分にとっても、他の誰かにとっても重要な事柄が淡々と、しかしある大きな感情とともに語られていく。
 私も、おそらくは他のどなたかも、いずれは病に伏すときが必ずくる。だからこれは他人事ではない。坂本龍一は重病を超えて生きることの意味を示してくれる。
 3.11の震災、原発事故、自身の闘病によってミクロ/マクロの視点に自然と肉体と科学という三つの柱も加わったように思える。「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は、そんな坂本龍一の10年代が包括されている貴重な記録だ。
 言い換えれば坂本龍一の思考を追体験するようなキュレーションの体験であり、坂本龍一が10年代の電子音楽にどうコミットしていったかを示すコンポジションの記録でもあるのだ。
 来年1月17日、坂本龍一の6年ぶりのニュー・アルバム『12』がリリースされる。このアルバムにもまた彼の「音」が追求されているだろう。そのリリースを心待ちにしつつ、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読み返すことにしたい。


Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc.

Saint Jude - ele-king

 いつだって意志を持った小さな集団に心が惹かれてしまう。それはそんな強い言葉でくくる必要はなくてもっとカジュアルなものなのかもしれないけれど、好奇心を持ちただ自分たちが面白いと思ったことを積極的におこなう、スタートしたときの心をそのまま持ち続け活動しているそんな人たちに自然と心が吸い寄せられるのだ。
 サウス・ロンドンを拠点に活動するレーベル/イベント・オーガナイザー〈Slow Dance〉はまさにそんな集団で、そのはじまりはソーリーのメンバーで Glows(グロウズ)としても活動するマルコ・ピニが学生時代に友人と美術室でジンを作成したところからはじまる。「はじめは僕らのウィークリー・ユースクラブみたいな感じだったんだよね」。〈Slow Dance〉について以前そう語っていたマルコは今年、2022年にリリースしたグロウズの 1st ミックステープ『LA,1620』のインタヴューでその学生時代の思い出をこんな風に話していた。「みんな変なデモを作って SoundCloud にアップしててさ。で、翌日に『おぉ良い曲じゃん!』なんて感じのことをみんなで言ったりして。それでその曲をパーティーでかけたり、帰りのバスで聞いたりして、音源をシェアしてたんだよ」。おそらく、10代の頃のこの感覚/精神をそのまま持っていったものが現在も続く〈Slow Dance〉の年次コンピやあるいは『Slow Dance Presents Late Works: Of Noise』と名付けられリリースされたアルバムなのだろう。
 それぞれのバンドのメンバーとして活躍している友人たちの個人的でカジュアルな違う側面、それらはたとえば DJ Dairy ことブラック・ミディのベース、キャメロン・ピクトンが作ったビートの上でヴォーカル/ギターのジョーディ・グリープがラップするものだったり、ゴート・ガールのロッティの小さなデモ、ブラック・カントリー・ニュー・ロードのサックス奏者ルイス・エヴァンスが学生時代に組んでいたと思しきギルトホール・ミリタリー・オーケストラとして現れる。そこにあるのは自らが良いと思ったものを作り上げ行動するセンスと友人たちとの確かな繋がり、純粋な表現としての音楽で、その感覚の一端を垣間見られたような気分になって胸が高鳴るのだ。

 〈Slow Dance〉と志を同じくするセイント・ジュードがその名前で最初に姿を現したのがそんな〈Slow Dance〉の年次コンピ『Slow Dance’18』だった。サウス・ロンドンを拠点に活動するアーティスト、セイント・ジュードことジュード・ウッドヘッドは元々フォー・テットに影響されたようなクラブ向けのトラックを作っていた。だが10代後半に発症した耳鳴りに悩まされ大きな音が鳴り響く場所にいることができなくなり転換を迫られた。そうして彼はクラブを離れセイント・ジュードを名乗りベッドルームで新たな音楽を作りはじめたのだ。
 2019年にセルフタイトルのEPをリリースした際、ジュードは自らの音楽を「聞いてきたものの全ての中間点みたいなもの。様々なジャンルを寄せ集めたもので、きっとそのポイントは接続性にある」と表していたが、それは2022年現在もおそらく変わっていない。〈Slow Dance〉からリリースされたこの 1st アルバムは様々なジャンルを繋ぎ横断する。ダンス・ミュージックの要素を色濃く残し、そこに影響を公言しているビョークビッグ・シーフエイドリアン・レンカーから来た叙情性が加わったかと思えば、次の瞬間にはそれがUKガラージに変わり、ときたまアトモスフェリックな光が差し込む。根底にあるのは暗い夜のトーンと疎外されたような都市の冷たい空気で、ジュードのその少し硬い歌声はどの場面においても完全に溶け込むことなく悲しく響く。重くまとわりつく空気の中を手探りで進むような “Does”、自身に語りかけるように淡々と進む “Rosa”、エレクトロニクスのビートの上に漂うその違和は鈍く小さな痛みを与え心に静かな波を打つ。

 美しくメランコリックな “No Angels” の中でセイント・ジュードは都市に暮らす人びとの日々が積み重なってできた歴史とコミュニティについて唄う。ロックダウンで静まりかえった街を眺めその場所であった出来事の記憶を思い返す、それをメモしたものがこの曲の出発点になったとジュードは言う。シングルカットされた “No Angels” とともに彼は「コミュニティと連帯は最も重要なものであり、つねに資本と金の勢力に対抗するものである」というメッセージを出していたが、このアルバムを聞くとあるいはそれは自分以外の誰かの声として現れているのではないかとそんな考えも浮かんでくる。
 インタールード的に挿入される “Signal” という同じ名前の3つの曲(そして、この言葉はアルバムのタイトルとしても用いられている)からそれぞれ別の声が聞こえてきてアルバムの途中でこの世界に存在する不確かな他者の存在を感じさせるのだ。イースト・ロンドンのグライムMCトリム、サウス・ロンドンのラッパー、ルイス・カルチャー、そしてリーズ出身のシンガーソングライター/プロデューサー HALINA(ジュードは彼女のアルバムに共同プロデューサーという形で関わっている)、それぞれのシグナルがたまたま掴んだ海賊放送のラジオように流れていく(それは違う世界との接続だ)。あるいは最初の曲 “Does” の中に聞こえる〈Slow Dance〉のエクスペリメンタル・アーティスト Aga Ujma の小さな叫びや “Halfway”、“Feedback Song” のトラック全体を柔らかく印象づける陽光のようなサラ・ダウニー(ドラッグ・ストア・ロメオズ)の歌声、デラウェアのヒップホップ・アーティスト Zeke Ultra の声がセイント・ジュードの世界の中に異なった色彩を加えていく。

 街の記憶の中にはいつだって他者の存在があり、思い出の中に誰かの声が聞こえてくる。6人の仲間の声を借りて作り上げられたセイント・ジュードの 1st アルバムは孤独と憂鬱の抜け出せない世界の中に差し込んだ光を感じるようなそんな瞬間がある。それは遠くに見える街の灯であって、途切れた雲から覗く月であり、ゆらめくロウソクの火のようなものなのかもしれない。他者の存在は何かを照らす光になりうる、〈Slow Dance〉、そしてそこに所属するセイント・ジュードはロンドンのアンダーグラウンド・シーンの中で確かな土壌を作り上げ、それがいまここに広がっている。消えない光がそこにあり漏れ出た光がまた誰かを照らす、そんなコミュニティ、そして音楽に心が惹かれていく。

R.I.P. Terry Hall - ele-king

野田努

 「テリー・ホールの声は、まったくレゲエ向きじゃない」と、ジョー・ストラマーは言った。「だから良いんだ」。ザ・クラッシュの前座にオートマティックスを起用したときの話である。たしかに、テリー・ホールといえばまずはその声だ。ダンサブルで、パーカッシヴで、ポップで、エネルギッシュな曲をバックに歌っても憂いを隠しきれないそれは、最初から魅力的で、忘れがたい声だった。

 12月18日、テリー・ホールが逝去したという。この年の瀬に、悲しいニュースがまた届いた。10代のときからずっと好きだったアーティストのひとりで、とくにザ・スペシャルズの『モア・スペシャルズ』(1980)とファン・ボーイ・スリーの『ウェイティング』(1983)、UKポスト・パンクにおける傑出した2枚だが、ぼくにとっても思い入れがあるレコードだ。これまでの人生で何回聴いたかわからない類のアルバムで、この原稿を書いているたったいまはFB3のファースト(1982)をターンテーブルの上に載せている。
 ザ・スペシャルズの功績や「ゴーストタウン」(1981)の重要性についてはすでに多くが語られてきているし、ぼくも書いてきているので、サウンド面でも歌詞の面でも、「ゴーストタウン」の序章としての『モア・スペシャルズ』、その続編としてのFB3についてこの機会にフォーカスしてみたい。
 そもそも、エネルギッシュなスカ・パンクとして登場したバンドの2作目にしては、『モア・スペシャルズ』はじつにダークで空しく、苛立っている。アルバムは、ドリス・デイの50年代のヒット曲のカヴァー“Enjoy Yourself (It's Later Than You Think)”にはじまり同曲で終わっているが、この「君自身が楽しめ」をテリー・ホールが歌うと曲名の字面ほど前向きにはならないところがぼくにはたまらなかった。なにせこの曲は、「楽しめ」「遅すぎるけど」と歌っているのだ。楽しむにはもはや遅いかもしれない。それほど事態は最悪のほうに向かっている。アルバムのなかの、とくに“Do Nothing”や“I Can't Stand It”といった曲には耐え難い空しさや苛立ちが表現されているが、それらの感情がサッチャー政権のもたらした貧困と失業の増加、軍国主義、人種差別や性差別が横行する当時のイギリス社会から来ていることは、「ゴーストタウン」を経て始動したFB3の作品においてより明白になっていく。
 ザ・スペシャルズのメンバーふたり(リンヴァル・ゴールディングとネヴィル・ステイプル)と組んだ「楽しい男の子3人衆」は、まったく楽しくない言葉を、非西欧音楽にインスパイアされたそのパーカッシヴなサウンドとしばし陽気なメロディのなかに混ぜていった。「イカれた連中が収容所を支配し、俺の言葉の自由を奪う」などと歌っている音楽においては、「ファン・ボーイ・スリーがやって来る、ファン、ファン、ファン!」という当時の日本盤の邦題は的外れも甚だしいと思われるかもしれないが、しかし、FB3が見かけは明るいポップ・バンドであって、なおかつ彼らの皮肉屋めいた側面を思えばこの邦題もあながち滑っているわけではなかった。
 ファッショナブルで華やかなファンカラティーナの季節にリリースされたそのセカンド、デイヴィッド・バーンがプロデュースしたもうひとつの傑作『ウェイティング』は、翌年登場するザ・スミスよりも以前にイングランドをとことん辛辣な言葉で叩いた1枚で、悲しいことにいまでもテリー・ホールの言葉は通用している。「旧植民地から月を作る/戦争難民のように扱われる/あなたがいるからぼくたちはここにいる/ここがぼくの故郷だ」“Going Home”
 そんなわけでいま、ぼくのターンテーブルには『ウィティング』が回っている。絶対的な名曲“Our Lips are Sealed”(EPのB面はウルドゥー語のヴァージョン)を収録したこのアルバムは、またしても暗いメッセージに満ちている。彼個人が受けた性的虐待を明かした“Well Fancy That”は有名だが、サウンド面でも古びていないこのアルバムにはいまでも考えさせられる言葉がいくつもある。「ヒップなソーシャルワーカーがコーディロイのジャケットに過激派のバッジをつけている/自分の信念を見せるためか?/人は何かしなければならないことをしたのかな?」“The Things We Do”

 こんなリリックの音楽だが、先述したように、FB3はさわやかな衣装を好むメロディックなポップ・バンドだったのだ(FB3の1stでコーラスを担当した女性たちは後にバナナラマとしてポップ・チャートを駆け上がっていく)。こうしたコントラストは、ある程度は自分たちでコントロールしていたのだろう。とはいえトリッキーが、テリー・ホールこそ我がヒーローだとニアリー・ゴッド・プロジェクト(1996)において共演を果たしているように、決して本人がそれを望んだとは思わないが彼は暗くネガティヴな歌を歌っているときこそもっとも輝くシンガーだった。ソロになってからの2枚目の、デーモン・アルバーンやショーン・オヘイガンが参加した、しかもある意味ソフトロックめいた『笑い(Laugh)』(1997)は、笑顔どころか涙で溢れている。

 テリー・ホールは、1999年には日本のサイレント・ポエツのアルバム『To Come...』に招かれているが、21世紀になってからはゴリラズとデトロイトのヒップホップ・チーム、D12とともび911へのリアクション「911」を2001年に発表し、続いてゴリラズの『Laika Come Home』(2002)でも2曲歌っている。で、2019年にはザ・スペシャルズのメンバーとして『Encore』を発表。2021年には過去のプロテストソングのカヴァー集『Protest Songs 1924-2012』(ゴスペルからレナード・コーエン、ボブ・マーレー、イーノ&バーンの曲までカヴァーしたこの選曲は面白い)をリリースしている。テリー・ホールの声は「イギリス人の声だ」とジョー・ストラマーは言ったが、結局彼は、コヴェントリーというイングランドの自動車工業で栄えた労働者の街の子孫として、自分の信念から大きくぶれたことなどなかったといえる。
 没年63歳とは、しかし早すぎる。とはいえ、彼がザ・スペシャルズやFB3でやったことは、これからも我々にインスピレーションを与えてくれるだろう。この先良くなる気配の感じられないようなきつい時代に、では我々は何をしたらいいのか、何を歌うべきなのか、もし迷うことがあったらテリー・ホールの声を温ねたらいい。「君自身が楽しめ。もう遅いけど。元気があるうちに」

 なお、現在ロンドンにいる高橋勇人は、どういうわけかそのご子息であるフェリックス・ホールと友だちになった。在英中の日本人DJ、チャンシーとも交流のある彼はいま〈Chrome〉レーベルを運営しつつロンドンのアンダーグラウンド・シーンには欠かせないレゲトン/ダンスホールのDJとして活躍している。

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三田格

 それまでの輝かしい功績の数々に比べて94年にリリースされたテリー・ホール初のソロ・アルバム『Home』はあまりパッとしなかった。オープニングからミシェル・ルグランの影響が窺え、彼のキャリアのなかではカラーフィールドを受け継ぐシンプルなギター・ロック・サウンドが中心。アンディ・パートリッジやニック・ヘイワードとの共作が目を引くものの、全体的にはクレイグ・ギャノンやプロデュースを務めたイアン・ブロウディの色が強く出たのか、10年遅れのザ・スミスといった仕上がりに。ジャケット・デザインはとても彼らしく、初のソロだからといって虚勢を張るポーズではなく、床にしゃがみこんで体育座りをしている。わざわざコンセプトはホール自身だというクレジットも入っている。デーモン・アルバーンをフィーチャーした「Rainbows EP」を挟んで続くセカンド・ソロ『Laugh』(97)も同じくで、前作よりは厚塗りのサウンドでゴージャスな面もあるものの、ジャケット・デザインはやはりオフ・ビート的なユルいポートレイトが選ばれている。この時期は肩の力を抜きたかったということなのだろう、“Misty Water”などは安全地帯“ワインレッドの心”にも聞こえるし、エンディングはトッド・ラングレン“I Saw the Light”のカヴァー(シングルのカップリングではジョン・レノンやカーペンターズも取り上げている)。 

 さすがだったのはそれから6年後にファン・ダ・メンタルのムシュタークと組んだジョイント・アルバム『The Hour Of Two Lights』。ファン・ダ・メンタルはレイヴに対するリアクションとしてトランスグローバル・アンダーグラウンドやループ・グールーなどと共に現れたコンシャス・ヒップ・ホップで、スペシャルズの理念を受け継いだ人種混淆ユニット。同作ではアラブ音楽に多くを借りながらマッシヴ・アタックを思わせるブレイクビートにエスニックな要素をふんだんに盛り込み、ファン・ボーイ・スリー“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”が重みを増したようなサウンドになっていた。これをリリースしたのもデイモン・アルバーンで、彼が後にイギリスのプロデューサーたちを大挙してコンゴまで引き連れ、DRCミュージックによるチャリティ・アルバムを製作した際のモデル・ケースとなったことは想像に難くない。『The Hour Of Two Lights』にはシリアやレバノン、アルジェリアやポーランドのジプシーなどマイノリティで、しかも子どもや障害者のミュージシャンが多数招かれ、それだけで強いメッセージを放つものになっていた。そう、テリー・ホールのキャリアは70年代のスペシャルズに遡る。白人と黒人が一緒にグループを組んだことで知られるスカ・リヴァイヴァルのグループである。

〈Two-Tone〉以前にイギリスで白人と黒人が一緒に音楽を演奏をしなかったわけではない。トラフィックにはロスコ・ジーやリーバップがいたし、ラヴにもジョー・ブロッカーがいた。しかし、白人と黒人が一緒に演奏することをレーベル・デザインにまでしたのはなかなかに強い主張であった(鮎川誠がデザインを見て「スカッとしている」とTVでダジャレを言っていた)。テリー・ホールの訃報を伝える記事にも「いまストームジーがやっていることを、かつてやっていたのがテリー・ホールだった」という見出しがあったほどである。スペシャルズの詳細は野田努ががっつり書くだろうから、簡単にするけれど、“Gangsters”と“International Jet Set”のことは書いておきたい。“Gangsters”のイントロはいま聴くと大したことはないけれど、当時は一体これから何が始まるのだろうと思うようなもので、これとポップ・グループ“We Are All Prostitutes”、そして、PIL“The Cowboy Song”は10代の僕が3大トラウマになったイントロダクションである。スペシャルズが分裂する原因になったとはいえ、スカとラウンジ・ミュージックを融合させるというジェリー・ダマーズのアイディアが炸裂した“International Jet Set”も本当にヘンな曲で、スペシャルズに影響を受けたというバンドはこの後、続々と出てくるけれど、この曲だけは誰も引き取り手がないままいまだに宙をさまよっている。また、コヴェントリーの自動車産業が衰退していく様を題材にした“Ghost Town”が普遍的な価値を得たことについてテリー・ホールは、後に「若気の至りで書いた曲だけど、いまだに説得力があるのは悲しいことだ」とも話していた。

 “Ghost Town”はスペシャルズにとって2枚目の12インチ・シングルだった。よくアナログ・レコード世代という言い方があるけれど、僕は自分のことを12インチ・ジェネレーションだと勝手に思っていて、スペシャルズからファン・ボーイ・スリーへと移り変わって行ったプロセスがまさに12インチ・シングルのポテンシャルが発揮され出した時期に当たっていた。方向性の違いでスペシャルズを脱退したテリー・ホール、リンヴァッル・ゴールディング、ネイヴィル・ステイプルズの3人で新たにスタートを切ったのがファン・ボーイ・スリーで、デビュー・シングル“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”はスカではなく、アフリカン・ドラムを基調にしたブリティッシュ・ファンクにエキゾチック・サウンドを取り入れた変化球。ラウンジ・ミュージックを巡ってジェリー・ダマーズと袂を分かったとはいえ、彼のアイディアが部分的に生かされている気がしないでもない。バス・ドラムがゆっくりと全体をドライヴさせていく感じはそのままマッシヴ・アタック“Daydreaming”につながるし、“Daydreaming”もブリティッシュ・ファンクのワリー・バダルーをサンプリングしているのだから似ていて当たり前ともいえる。テリー・ホールが『Laugh』をリリースした頃だと記憶しているけれど、イギリスの音楽誌でトリッキーがテリー・ホールと対談するという企画があり、その席でトリッキーは緊張しすぎて完全に舞い上がっていた。トリッキーにしてみればサウンド面では明らかにパイオニアだし、彼のような次世代がファン・ボーイ・スリーに会うというのはそういうことだったのだろう。

 “The Lunatics Have Taken Over The Asylum”のカップリングは同趣向の“Faith, Hope And Charity”。驚いたのは高木完がハウス・ミュージックが台頭してきた時期に“Faith, Hope And Charity”はハウス・ミュージックになると話していたことで、実際に同曲はFX名義でハウス・ヴァージョンがリリースされたこと。手掛けたのはドイツのフェリックス・リヒターで、“Faith, Hope And Charity”はものの見事にアシッド・サマーに溶け込んでいた。続く“It Ain't What You Do..”は意表をついて30年代のジャズ・クラシックをスカでカヴァー。一気に彼らの音楽性が挑戦的になり、コーラスにはまだシヴォーン・ファーイが在籍していたバナナラマをフィーチャー。ここまではアルバム・テイクと12インチ・シングルは同じもので、カップリングとなる“The Funrama Theme”でロング・ヴァージョンが初めて試される。てんやわんやのヨイヨイヨイみたいな曲をダブにしたお遊びである。そのオリジナルにあたる“Funrama 2”が収録されたデビュー・アルバム『The Fun Boy Three』がついに82年3月にリリースされる。現代風にいうとトライバル・ファンクの宝庫で、様々な方向に向かい出していたニュー・ウェイヴのなかでもとりわけ猥雑さにあふれ、同時期に様式美を追求していたニューロマンティクスとは対極にあると感じられた。ここから“The Telephone Always Rings”がカットされ、初めてAサイドにダブ・パートを入れたロング・ヴァージョンがフィーチャーされる。転調を繰り返す構成やテリー・ホールの歌い方は“Ghost Town”に揺り戻したようなところがあり、リズム・ボックスの重い響きはあまりほかでは聴いたことがない。

 ファン・ボーイ・スリーはライヴを観たことがなかったので、ユーチューブにライヴがアップされた時は、そのユニークなバンド構成に目を見張った。白人の男はテリー・ホールだけで、リンヴァル・ゴールディングとネイヴィル・ステイプルズは当然ながら黒人、そしてバックを固めていたミュージシャンはドラムから何から全員が女性だった。ダイヴァーシティのダの字もなかった80年代初頭のことである。学校のクラスは3分の2が黒人だったとテリー・ホールは話していたことがあったから、彼にとっては特別なことではなかっただろうし、パンクが女性の表現と共にあったことを思うと、それも自然な流れだったのかとは思うけれど、それにしても面白い映像だった。このライヴ映像は何度観たかわからない。“The More I See (The Less I Believe)”で始まるので、セカンド・アルバム『Waiting』がリリースされた頃のライヴなのだろう。あれだけリズム・コンシャスな音楽をやっていながらテリー・ホールが最初から最後まで直立不動でビクとも動かないのも興味深く、ステージでも楽屋でも笑顔はほとんど見せない。対照的にリンヴァル・ゴールディングとネイヴィル・ステイプルズは時に楽器も触らないでステージ狭しと踊りまくっていたり。2人が“We're Having All The Fun”でちょこっとだけ歌うシーンもある。クライマックスはなんとスペシャルズの“Gangsters”。つーか、またしても全編観てしまった。

 スペシャルズにはゴー・ゴーズやプリテンダーズのクリッシー・ハインドがコーラスで参加し、ファン・ボーイ・スリーにもバナナラマがいて、テリー・ホールのまわりにはいつも女性たちがいるという印象だけれど、テリー・ホールはセカンド・アルバムに収録された“Our Lips Are Sealed”をゴー・ゴーズのジェーン・ウィードリンと共作し、波に乗っていたゴー・ゴーズのヴァージョンはあっさりと全米チャートを駆け上がる。ゴー・ゴーズの“Our Lips Are Sealed”があまりにもアメリカン・ロックの王道だったので、これを追ってファン・ボーイ・スリーのヴァージョンを聴いた時は最初はどんよりと淀んだ曲に聴こえたぐらい。しかし、粘っこいリズムが癖になってくると、だんぜんファン・ボーイ・スリーの方がいい。この曲も12インチ・ヴァージョンは10分を超える2部構成で、ファンク・テイストを前面に出し、中盤はほとんどプリンスと同じ、さらにはウルドゥー語ヴァージョンまで収録するという凝り方だった。デヴィッド・バーンがプロデュースにあたったセカンド・アルバム『Waiting』は長い間、不思議なタイトルだと思っていたけれど、どうやら「あなたのような人を待っている」という意味らしく、「あなた」というのはこのアルバムを聴く人ということなのだろうかと疑問はいまだに続いている。『Waiting』は60年代の映画「ミス・マープル」シリーズの主題歌“Murder She Said”のカヴァーで幕を開け、先行シングル“The More I See (The Less I Believe)”や“The Pressure Of Life (Takes Weight Off The Body)”はやはりジェリー・ダマーズともめたはずのジョン・バリー調、タンゴに取り組んだ“The Tunnel Of Love”を先行シングルとしてカットし、なかでは、最後に収められた“Well Fancy That”が最大の問題作だろう。この曲の歌詞をかいつまんで訳してみる。

あなたはフランス語を教えてくれるといって
僕をフランスに連れていった
10時に集合だとあなたは言った
僕は12歳でまだナイーヴだった
あなたは旅行の計画を立て、僕はあなたの車に座っていた
僕の初めての海外旅行
フランスに行くんだ
信じられないよ
週末はフランスにいるんだ
信じられないよ
ホテルを見つけてチェック・インし、荷物を解いた
長い1日だった
あなたはベッドに入ろうと言った
あなたが僕を観ていると僕は感じた
僕はベッドに入り、あなたは本を読んでいるフリをしていた
灯りが消え、僕は眠り、驚きで目がさめた
あなたの手が僕の体を触っていた
僕は声を出すことができなかった
僕は横を向いて泣いた
フランスで最初の夜
信じられないよ
あなたは僕を怖がらせる
僕は眠りたかった
信じられないよ
朝が来てフランスを離れ、僕は家に帰った
フランスへの旅
信じられないよ
あなたはいい時間を過ごした
セックスを犯罪に変えて
信じられないよ

 これは実話だそうで、12歳の時に学校の先生に誘拐されてフランスまで行き、ナラティヴに綴られた歌詞にある通りペドフィリア(小児性愛)にいたずらをされ、なんとか最後は力づくで逃げ帰ってきたのだという。これが原因で元の生活には戻れず、14歳で学校もドロップ・アウト、掟ポルシェのように様々なアルバイトを転々としながらパンク・バンドで歌っていたところをジェリー・ダマーズにスカウトされてスペシャルズに加わることができたという。前述したムシュタークとの『The Hour Of Two Lights』をリリースした翌年にもこの事件のことが原因で鬱になり、自殺未遂を起こしている。このことについて話すポッドキャストを聞いていたら、12歳の時に精神安定剤漬けになってしまい、それをまた誤って服用したことがトリガーになったらしい。“Well Fancy That”を書いたことで少し軽くなったろうと思いたいけれど、テリー・ホールがここまで黒人や女性たちとバンドを組んできたこともこういったことが影響はしているのかなと。そして、ファン・ボーイ・スリー解散後に彼は初めて白人の男性だけで結成したカラーフィールドに歩を進める。

 カラーフィールドはなぜかマンチェスターで結成され(バンドにマンチェスター出身はいない)、深刻な雰囲気のギター・ポップ“The Colourfield”で84年にデビュー。続く“Take”の12インチにはミシェル・ルグラン“Windmills Of Your Mind”のカヴァーが収録され、この選曲がある意味ですべてを物語っていた。60年代をストレートに振り返るノスタルジー・ポップスやスウィンギン・ロンドンに焦点を当て、テリー・ホールは泣きに力を入れて歌い始めたのである。スペシャルズとファン・ボーイ・スリーには音楽的な連続性があったけれど、それがスパッとここでは断ち切れていた。すでにテリー・ホール信者となっていた僕に戸惑いはなく、時代もスキゾフレニアを推奨していた時期である(ポール・ウェラーという例もあった)。“Windmills Of Your Mind”を換骨奪胎したような“Castles In The Air”やデビュー・アルバム『Virgins And Philistines』の冒頭にも置かれていたサード・シングル“Thinking Of You”もとても素晴らしく、懐古調を僕もとても楽しんだ。なかではザ・ローチェス“Hammond Song”のカヴァーは群を抜いた優しさを運んできた。セカンド・アルバムではそれが、しかし、早くも崩れることになる。当時、イギリスのヒット・チャートは同じシクスティーズでも、ユーリズミックスやスクリッティ・ポリッティはそれをエレクトロニック・ポップの文脈でリヴァイヴァルさせていた。カラーフィールドも『Deception』でプログラム・サウンドへの移行を試みるも、そのような変化を必要としていたサウンドには聞こえず、彼らの良さをすべて失ってしまったように感じたものである。

 次から次へとバンドを立ち上げていくテリー・ホールが次に組んだユニットが、そして、テリー、ブレア&アヌーシュカ。黒人2人と組んだファン・ボーイ・スリー、白人男性2人と組んだカラーフィールドに続いて、今度は女性2人と組んだわけである。ブレア・ブースはアメリカの役者で、アヌーシュカ・グロースは宝石を扱う人らしい。『超近代的子守唄(Ultra Modern Nursery Rhymes)』と題されたアルバムはダスティ・スプリングフィールドを思わせる曲が多く、やはりスウィンギン・ロンドンには心を残していたのかなと。カラーフィールドよりもタイトで、繊細さはなく、もしかするとゴー・ゴーズに近いサウンドだったといえる。さらに2年後にはユーリズミックスのデイヴ・ステューワトとヴェガスを結成し、このユニットが一番記憶に薄く、時期的にもレイヴに飲み込まれて存在感はまったくなかったと思う。いま、聴いてみても『Deception』をもう一度繰り返しているという感じで、新しい発見はなかった。そして、冒頭に挙げたソロ・ワークへと続き、近年はデイモン・アルバーンとの親交が深かったようで、ゴリラズに参加したり、ヴェテラン・レゲエのトゥーツ&ザ・メイタルズが様々なヴォーカリストをゲストに迎えた『True Love』で歌うなど細々とした活動を続けていた一方、07年にはついにジェリー・ダマーズ抜きでスペシャルズを再結成。スペシャルズはその後もメンバーの交代が激しく、13年にはネヴィル・ステイプルズがいち早く脱退。テリー・ホールとネヴィル・ステイプルズが違う道を進むのはこれが初めてとなる。スペシャルズは、そして、19年には『Encore』、20年にもプロテスト・ソングばかりをカヴァーした『Protest Songs 1924-2012』と新作まで完成させたのはなかなかにスゴく、次にレゲエ・アルバムの準備を始めたところでテリー・ホールのすい臓がんが見つかったという。昨年、自身のソロ・アルバムをリリースしたばかりのネヴィル・ステイプルズはテリー・ホールの訃報に触れてファン・ボーイ・スリーのレコーディング状況を回想しており、レコーディング慣れしていないテリー・ホールに力が発揮できるようデヴィッド・バーンが努力したことを明かしている。

 テリー・ホールという人はとにかく一貫性がないし、人々の記憶に残る場面もきっとバラバラなのだろう。ユニットの組み方がとにかく多様で、彼よりも前に同じようなことをやったミュージシャンはきっといないに違いない。テクノ以降にはそれも普通になった印象はあるけれど、ロック・ミュージックがまだ主流の時代に多面体として活動できる前例をつくり、デヴィッド・ボウイが1人でやっていたことを、ある意味で、どんな人と組んでもやってのけたといえる。さらにはナショナル・フロントに目を付けられる一方、単に感傷的な歌を熱唱するだけだったりと、共通しているのは彼の歌がエモーショナルだということぐらいだった。そう、彼のヴォーカルはいつもまっすぐに僕の胸に飛び込んできた。テリー・ホールのまっすぐな感じが僕は好きだったな。TOO YOUNG TO DIE。R.I.P.

※12月26日に原稿の一部を修正
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