「K Á R Y Y N」と一致するもの

編集後記(2023年12月31日) - ele-king

 一年前のいまごろはまだマスクを装着するのが大多数にとっての日常だった。新型コロナウイルス感染症の5類への移行が今年の5月8日。もちろん、すでに2022年の時点でいろんなものがリスタートしていて状況は整いはじめていたし、ヨーロッパなどではもっと早くからそうなっていたわけだけれど、2023年は日本でも前年とは比較にならないほどたくさんのライヴやパーティ、フェスが催され、多くの人びとが外での興行を楽しんだのではないかと思う。パンデミックへの反動がこの列島でも本格的に爆発したのが2023年だったのではないだろうか。とくに若い世代のあいだでダンス熱が高まったことは記憶にとどめておきたい事象だ。
 ということはしかし、じきそのカウンターも訪れるということにちがいない。それがどういったかたちになるのか予言することなど不可能ではあるものの、もしかしたら2024年は新たな音楽の波が押し寄せてくるかもしれない。ともあれこの「カウンター」という考え方は、なんでも「 “サブ” カル」扱いされる現代にあって、けっこう重要なんじゃないかと思う。
 振り返れば今夏はひとつの出来事が起こったのだった。テイラー・スウィフトのヴァイナルにプレスミスがあり、まったくべつの音源が収録されていたのだ。かわりに盤に刻まれていたのはロンドンの〈Above Board Projects〉による90年代半ばのUK産エレクトロニック・ミュージックを集めたコンピ『Happy Land』。冒頭キャバレー・ヴォルテールを聴いたスウィフティーズのひとりは大いに戸惑い、事態をSNSに投稿、それを見たフォロワーが「呪われているから止めろ」と助言するにいたる。
 なにもかもが並列化されフラットになり、そこに優劣はなく、各々がそれぞれの趣味を追求すればいい時代──そんなふうに言われるようになって久しいけれど、じつはそうではなかったということをこの事件はほのめかしている。多文化相対主義の行きつく果ては結局、市場で圧倒的な力を持っている「コンテンツ」を楽しむ感受性こそが正しいものとして、勝者として君臨する世界だった、と。でなければ「呪われている」なんて単語は出てこない。これは逆にいえば、まだ「呪われている」ことが有効でもあるということで、つまりオルタナティヴな世界を想像することはいまなおじゅうぶん可能だということではないだろうか。
 つい先日90歳で亡くなったイタリアの哲学者はこんなことを言っている。
 

芸術は、価格に還元された単一性にさまざまな特異性からなるマルチチュードを対置するという意味において、反市場なんだ。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』廣瀬純+榊原達哉+立木康介訳、月曜社、2007年、106頁)

 専門用語があってよくわからないけれど、でもなんとなくわかる。市場の感受性に還元されない音楽だってありうるんだ、と。そんなわけでわれわれはオルタナティヴな音楽をサポートするメディアとしての役割を来年もしっかり果たしていきたい。2024年はどんな音楽と出会うことができるのか、いまから楽しみでならない。

 2023年、ele-king books は27冊の本を刊行している。協力してくださった多くの方々、購読してくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。2024年もele-kingならびにele-king booksをよろしくお願いします。

 それではみなさん、よいお年を。

♯1:レイヴ・カルチャーの思い出 - ele-king

 2023年、少し嬉しいかもと思ったのが、日本におけるレイヴ・カルチャー再燃(しているらしい話)だった。え、まさか、ほんと? 人間歳を取ると無邪気さが減少しシニカルになり、老害化することは自分を見ていてもわかる。文化とは、上書きされ、アップデートしていくものだし、ぼくはこんにちの現場を知らないから、そもそも「再燃」について何か言える立場ではない。しかしぼくにも言えることがある。いまから30年以上前の、オリジナルなレイヴ・カルチャーの話だ。当時のリアル体験者のひとりとして、その場にいた当事者のひとりとして、それがどんなものだったのかを(ある程度のところまで)記しておくことも無益ではないだろう。
 かつて、それがレイヴかどうかを判断するのは簡単だった。足がガクガクになるほど踊ったあとの朝の帰り道に、あるいは数日後に、「ところで誰がDJだったの?」、これがレイヴだった。たとえば、クラブでもフジロックでもなんでもいいのだが、そこに行ったライターないしは匿名SNSユーザーがレポートする。●●のライヴは素晴らしく、とくに●●をやってくれるのは良かったとかなんとか。レイヴ・カルチャーは、業界で慣習化された「お決まりの」解説には収まらない。なぜなら、レイヴにおいては、誰のDJが良かったとか、あの曲が良かったとか、そんな男性オタク的な価値観などどうでもいいし、そもそもDJはロックスターではなかった。固有名詞で重要なのは、強いて言うなら、そのパーティ名であり、さもなければ、いっしょに踊った●●や、名前も知らないけどハグし合った●●のことのほうなのだ。
 こう書くと、アホみたいに思えるかもしれないし、実際、レイヴ・カルチャーのような、音楽に対する肉体的な快楽反応を卑しくみる向きは、当時もあったし、いまだにある(なぜだろう)。ほんとうの意味での知的な音楽を作るのは困難だが、同じように、いやひょっとしたらより難しいのは、いろんな種類(階級/人種/ジェンダー)の大勢の人間をいっぺんに快楽主義のどつぼにはめることのほうかもしれない。レイヴ・カルチャー黎明期に、NMEのあるライターは、ディオニソス精神の塊(ハードコア)のようなこの文化を極めて暗示的に、そしていかにも左派的ではあるがことの本質を次のように紹介した。「我々は、喜びをもういちど、国家に対する犯罪としなければならない」

 「みんな」といっしょになって、ぶっ飛んで、無心に踊るということ、レイヴ・カルチャーとはなんともシンプルな話であって、しかもじつはすべてが新しいわけではもなく、古い文化の応用でもあった。スガイケンではないが、民俗学的にいえば、それは日本古代における酒の力を借りながらの精霊との夜通しの踊り(通称花祭)に源流があるのだろうし、当然のことながらそのための音楽を提供してくれたアメリカ北部の三都(NY、シカゴ、デトロイト)の黒人ダンス文化には大いに借りがある。あるいは、「週末の夜ために生きる」UKの70年代ノーザン・ソウルなどは明らかにそのアーキタイプと言える。もっともよく混同されるのが、ディスコ/クラブ・カルチャーとどこが違うのかという点だ。たとえば、ベルリンのベルグハインの話を聞いたとき(話でしか知らないのだが)、いまいち共感を覚えなかったのは、レイヴは客を選別しなかったからだ。ダンス・カルチャーという同じ分母を持ちながら、レイヴはクラブ・カルチャーにありがちな徒党性や選民意識をもたなかった。レイヴ・カルチャーの論客のひとりにサイモン・レイノルズがいるが、彼は1992年に〈Warp〉がリリースした『アーティフィシャル・インテリジェンス』について、あのウィットに富んだアートワークで重要なのは、アンビントを楽しんでいるリスナーが「ひとり」である点だと指摘した。すなわちそれ(彼の皮肉を込めた言葉でいえばアームチェア・テクノ)は、「レイヴによる大衆的な交わりや社会的なミキシングを諦めた、あるいは卒業した人たちのためのサウンドトラックだ」と苦々しい感想を述べている。
 こうした意見は、レイノルズやマーク・フィッシャーのような左派の、オウテカやミカ・ヴァイニオなら認めるが“アシッド・トラックス”のとんでもないミニマリズムやハードコア・ジャングルの実験性をアートとして認めることのできないでいる人たちへの憤りを内に秘めた、レイヴの側からの一方的な見解にみえるかもしれないが、レイヴ・カルチャーにおいて、庶民(common people)を巻き沿いにしたことがこの文化のラディカルな核心部分であったことは間違いない。ここ日本でも、1992年に新橋に集まった経験をお持ちの御仁たちにはわかるだろう。作品性や作家性という、クラシック音楽的ないしはロック評論的な基準からは一億光年離れたところにあって、真の意味で主役は人びと(common people)であるという解放感と喜び。パンクは大衆文化史においてもっとも重要な出来事だったと思うが、ひとつ問題点があったとしたら、否定の先にある理想とする社会を描くことがおろそかにされたことだった。ヒッピーは理想とする社会を描いたが、怒りを欠いた(パンクによって否定された)ブルジュア・ボヘミアンへの道も準備している。パンクは、ヒッピーをあまりにも嫌ったばかりに理想に対するシニシズムの回路を補完してしまったが、ポスト・パンクへと展開するなかでより身体的な音楽、ダンス・ミュージックをどん欲に取り入れていったことはあとから大きな意味を持った。レイヴ・カルチャーが革命だったのは、それ以前のふたつの革命(ヒッピーとパンク)をいっきに繋げてしまったからである。

 しかしながら、歴史が教えるとおり、われらE世代の革命はそんなうまいこと話は進まず、短命に終わった。AIシリーズ以降とはまさにポスト・レイヴの時代、自意識過剰なアート志向とパラノイアックなダーク志向、さもなければファンク(デトロイト)と官能(シカゴ)を欠いたトランス化、サイケ化、ニューエイジ化、幼稚化の時代へと突入する。群島化したそれぞれの島にはそれぞれの魅力もあったが、上記のすべてを包含していたのがレイヴだったと言えるのだ。庶民(common people)は、ロックやジャズやヒップホップと同じ、主役の座を退いてただのオーディエンスになったし、アナキストにもラディカリストにもなれなかったぼくは作家性と作品論という旧来の世界に結局は戻った。その終わり方についてはまた別の機会に書くことがあるかもしれないけれど、とにかくまあ、それはいちど終わった。

 終わったけれど、それを経験できなかったのちの世代のリスナーには、AFXやBrialがいまでもアルバムよりEPにこだわっていることを思い出して欲しい。彼らはアルバムが作れないのではなく、作らないのだ。レイヴ・カルチャーは音楽界におけるアルバム単位の評価という制度もどきを相対化し、より手頃で生なシングル(12インチ)主義によって成り立っていたからだ。リチャード・D・ジェイムスはもともとはコーンウォールのレイヴDJだった(だから “ディジュリドゥ”を作れたのだ) 。リアルタイム世代ではないBrialにいたっては、レイヴを彼なりに思弁的に表現しているではないか。彼らがいまでもジャングル(レイヴが生んだ最高の音楽スタイル)と匿名性(スターはいない)に執着するのは、古きレイヴへの敬意であり、捨てきれない夢をそこに抱いているからだろう。日本でも、再開した〈Metamorphose〉や〈Rainbow Disco Club〉のような野外イベントには、多かれ少なかれ、なんらかのカタチでその精神が継承されている。
 いまにして思えば、ほんの一瞬のできごとではあったが、我々はたしかにあの時代、そこにいる全員と心の底から生きている喜びを分かち合える、都市のなかの解放区、コンクリートに包まれた桃源郷の一部だった。しかし、繰り返すが30年前のレイヴ・カルチャーは終わった。だが、その「夢」は終わっていない。レイヴ・カルチャー再燃、ぼくは引退して久しい、アポロン的でソフトコアな、アームチェア・テクノに興ずる老人だが、OBとしてちょっと嬉しい。

music for Gaza : パレスチナを考える - ele-king

 パレスチナ問題にまつわる痛ましいニュースが日々目に飛び込む2023年、今年は暗澹たる気持ちを抱えたまま年を越すことになりそうだ。それでも、ガザ地区への連帯を示し少しでも行動しようとするのであれば、バンドキャンプなどでリリースされているいくつかのドネーションを目的としたコンピレーション・アルバムに耳を傾けてみてはいかがだろうか。
 2023年12月6日に〈naru records〉よりリリースされたコンピレーション・アルバム『A Better Tomorrow For Palestine』は、日本人もしくは日本を拠点に活動するアーティストの協力のもと制作された。SUGAI KEN、Mars89、食品まつり a.k.a Foodman、Prettybwoyなど錚々たる面々が参加し、若手からは〈PAL. Sounds〉を主宰するE.O.U、〈みんなのきもち〉の中核的存在Ichiro Tanimotoも連帯を示している。また、オンライン上でDJミックスやポッドキャストなどを展開するプラットフォーム・radio.syg.maによる『IN SOLIDARITY WITH PALESTINE』には愛知のエクスペリメンタル・デュオNOISECONCRETEx3CHI5が参加。ここ日本でも、たしかにパレスチナの惨状に寄り添う試みが広がっているようだ。
 ほかにも、フランスのアーティストを中心に立ち上げられたコンピレーション・アルバム『Free Palestine VA01』、イタリアのアーティストを中心に結成された〈International Artists For Gaza〉によるシリーズ『IAFG - Vol. 1, 2』など、DIYでの営みのなか自然に育まれてきた世界中のバンドキャンプ・コミュニティでこのような支援の形を発見できる。ぜひ一度目を通してほしい。

naru records『A Better Tomorrow For Palestine』(日本)

2023年12月6日リリース
https://narurecords.bandcamp.com/album/a-better-tomorrow-for-palestine

SARAB | سراب『IN SOLIDARITY WITH PALESTINE』

2023年12月19日リリース
https://radiosygma.bandcamp.com/album/in-solidarity-with-palestine

V.A『Free Palestine VA01』(フランス)

2023年12月11日リリース
https://freepalestineva.bandcamp.com/album/free-palestine-va01

International Artists For Gaza『IAFG - Vol. 1』『Vol. 2』(イタリア)


2023年11月30日、12月20日リリース
https://iafg.bandcamp.com/album/iafg-vol-1
https://iafg.bandcamp.com/album/iafg-vol-2

KOD Vol.1 TRACKLIST - ele-king

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world’s end girlfriend - ele-king

 命を賭して音楽に向き合っている人が好きだ。ここで言う命というのは、埃や小銭にまみれた決してきらびやかではない、暮らしそのものを指している。「命を懸ける」というのは刹那的に燃え尽きることではなく、ひたすら続く人生のすべてを費やすということで、人生を薪にくべて音楽を生み出すようなある種の狂気性に裏打ちされた行動をひたすら取り続けることだと僕は考えている。

 そういったことを粛々と遂行し続けられるアーティストは、いつか歴史に対し垂直に立ち、記念碑的な作品をたびたび生みだす。2023年9月9日、7年ぶりのフル・アルバムとして満を持して世に放たれたworld’s end girlfriendの新作『Resistance & The Blessing』はその条件を満たしていると確信できる内容だった。たとえ YouTubeの有名音楽レヴュアーが本作に最低点の1点を与えようと、その素晴らしさは揺るがない。もちろん好みや時代の要請によって、本作をどう捉えるかは大きく変わってくるだろうけれど。

 ショート・レングス全盛の、わかりやすさこそ正義とされる時代と相反する約144分、35曲入、LP4枚組/CD3枚組の大作というパッケージングもさることながら、(2020年代にまったく異なる形で復権を果たした)ブレイクコア、(こちらも姿化を変えて復活した)トランス、ボーカロイド、グラニュラー・シンセシスといったトレンドを包摂しつつも、それらとは相反するプログレッシヴ・ロックやシンフォニック・メタル、モダン・クラシカルといったような、現行のヴァイラル・チャートとは距離のあるジャンルが本作の美学を主柱として支えている。

 そう、本作『Resistance & The Blessing』のサイズは、2020年代のインディ電子音楽の地平にとってあまりにも巨大である。とてもカジュアルには向き合えそうもない(だから、最低得点?)。けれど、『Resistance & The Blessing』にはworld’s end girlfriend=前田勝彦氏の命が込められているはずだから、作品が重さを帯びるのは当然のことだ。なにしろ、7年もの間ライヴ活動を休止し、ひたすら作り続けられたアルバムであり、本人をして “最高傑作” と断言する大作である。怪作と受け取る人が出現するのも無理はないだろう。本作は隙間なく敷き詰められたひとりの音楽家の美学と全身で向き合うことを余儀なくされるような作品なのだ。もちろん、そのような要素を抜きにしても、音像そのものを遺跡を見にいくような感覚で誰もが楽しめるはずなのだけど。

 サウンドデザインの面に目を向けると、本作にはジャンル/美学を含む、広範にわたる要素が散りばめられている印象を受ける。それはまるでworld’s end girlfriendが辿ってきた足跡すべてを回想するように。とはいえ、僕の「WEG体験」は非常に断続的で、ずっと追い続けてきた人々のそれと比べて乏しいものだ。どちらかといえば、world’s end girlfriendそのものより、ひとりの愛好家のCD棚を見せてもらうような感覚で〈Virgin Babylon Records〉のリリース作をバラバラにダウンロードしていくうちに、たびたび現れるオーナー本人の作品、といったような距離感で接していた。最初に触れたのは、BandCampでName Your Price配信されている『dream's end come true』(2002)と『Hurtbreak Wonderland』(2007)あたりだったろうか。ブレイクコア~ポスト・ロック~アンビエントをシームレスに繋ぐようなそのサウンドスケープを、コロナ禍で沈みきっていた時期にたびたび求めた。

 だから、「そういう人間がWEGのすべてが込められた『Resistance & The Blessing』を評してよいものか?」という葛藤があり、それが9月発売の本作をこうしていま取り上げている一因になっている。本作と向き合うことの難しさに大きなプレッシャーを覚え、心中の感想はどれも独立してまとまらない。それでも何度も振り返り、整理を続けていくと、「エピック・コラージュ」とされるジャンル群との結びつきが徐々に浮かび上がった。

 「エピック・コラージュ」とは、デコンストラクテッド(脱構築)・クラブから派生した非クラブ・ミュージック的なサンプリング・ミュージックを指すジャンル定義であり、数多のサンプルを文脈から切り離し新たな文脈を創り出すような音楽性を持つ作品群に適用されるものだ。そこにはたとえばアンビエント、グリッチ、ノイズ、映画音楽、ニューエイジ、非音楽などさまざまな文脈を持つものが重層的に重なり合っており、そして「エピック」という語句が指すようにしばしば壮大なスケールを感じさせる。

 また、近いものに「プランダーフォニックス」と呼ばれるジャンルがあり、こちらも成立こそ1980年代ごろまで遡るものの、2023年現在はサンプリングを主としたその技法(もしくは精神性)だけが取り残され、また新たな枠組みができあがりつつある(デスズ・ダイナミック・シュラウド.wmvやウラ、そして日本からは冥丁やMON/KUといったアーティストの作品が、音楽レヴュー・フォーラムのRate Your Musicにより分類されている)。こういった定義に本作『Resistance & The Blessing』を当てはめてみると、アプローチ的にはかなり近しいものを感じた。プランダーフォニックスはその名称に、Plunder(略奪)とPhonics(音声)という「剽窃的サンプリング」といった負のニュアンスを帯びているジャンルであり、もちろん『Resistance & The Blessing』にそのすべてが当てはまるというわけではない。けれど、2016年末のウェブ・インタヴューにて「world’s end girlfriendを変えた5枚の音楽アルバム」として、プランダーフォニックスの先達とされるDJ シャドウ『Endtroducing.....』が紹介されていたりと、(おそらく)WEGの音楽を構成する一要素として考えられるはずだ。

 メタルやプログレッシヴ・ロック、エレクトロニカ、ブレイクコア、シューゲイザー、グリッチ、脱構築、そういった物事すべてを通過して向かった先がどこであったのかはいまだ結論が出ないというのが正直なところだ。けれども、本作が我々に与える音と奔流は、インスタントな喜怒哀楽を超えたなにかを心の奥底に焼き付けようとする。クラシカルなピアノの演奏に始まり轟音のスーパーソー(トランス・ミュージックの肝であるシンセサイザー・サウンド)に終わる “FEARLESS VIRUS” から “Dancing With me” のグリッチ・ベースとも呼ぶべき脱構築的サウンドに突き落とされる中盤の流れや、“Ave Maria” のラスト1分の痛いほど耳を刺す轟音のフィードバック・ノイズはもはや快楽というより苦悶に近い。しかしその先にはたしかな解放感が待っている。

 なお、この作品の基本設定は

「人間がこれまで幾千幾万の物語で描いてきたふたつの魂、それらの物語が終わったその先の物語」
「ふたつの魂が何度も何度も輪廻転生し続ける物語」

とworld’s end girlfriend本人より説明されている。そして、

「これらの魂は男女、同性、親子、友人、敵、様々な姿で、様々な時代と土地を生き、出会いと別れ、生と死を繰り返し、物語は続きます。」

とも明言されている。だから1曲目は “unPrologue Birthday Resistance” で、35曲目は “unEpilogue JUBILEE” なのだろう。誕生を喜ぶことも、終わりを迎えて救済されることも両方拒んでいるアルバムというわけだ。人にも音楽にも、続きがあるということだろうか。苦悶に近い陶酔の果てに現実へと突き放されるような本作の視聴体験を、厳しさと捉えるか優しさと捉えるかでまた、聴いたあとに見えてくる景色や考える物事も変わるような気がする。僕はこの大作を前に、結局音の先に人を見出してしまった。エピックな大作でありながら、個々人の持つ美意識や感情=つまりは生に訴えかけるパーソナルなメッセージを独り発信するworld’s end girlfriendのことが、さらに好きになった。

みんなのきもち - ele-king

 東京の若きトランス・パーティー・クルー〈みんなのきもち〉が、環境音楽とアンビエントに特化したレイヴ・シリーズ〈Sommer Edition〉の第三弾を新年1月3日に東京・新木場某所の倉庫を舞台に開催する。

 〈Boiler Room Tokyo: Tohji Presents u-ha〉への出演も話題となったが、活動の主軸は完全自主で不定期開催するレイヴである。匿名通話アプリを用いたシークレット開催(〈Sommer Edition〉のような特定の催し以外、今後の開催は地下化するともアナウンスされている)や、今回のようなアンビエント・レイヴなど、その内容は決して「ハイパー」という惹句ではひとくくりにできない2020年代以降の電子音楽の可能性を提示するものだ。

 〈Sommer Edition〉はトランス、ヒップホップ、ポスト・クラブ(デコンストラクテッド・クラブ以降の脱構築的・実験的なクラブ・ミュージック群)など様々なジャンルをアンビエント/環境音楽というフォーマットに落とし込む実験的なレイヴ・パーティー。クラシックのコンサートから着想を得て、ダンス・ミュージックやクラブという文脈から離れた場で新たな音楽鑑賞のスタイルを提案することを目指しているとのこと。寝ても座ってもいいし、踊ってもいい。個々人がサウンドスケープの膜に包まれながら、気ままに過ごせる集いの場を日の入り/日の出の時間にあわせて提供する。現在ベルギーより来日中のポスト・クラブ・アーティストBugasmurf(f.k.a buga)のほか、ヘッドライナーとなるアーティストの出演もアナウンスされている(こちらは1月1日に追加解禁)。

 目まぐるしいスピードで移り変わり続ける世の中だからこそ、速度のベクトルには回収されない音楽が自然と求められる。ユースの熱意と感性が新たに掴み取ったアンビエント・ユートピアに興味を抱いた方は、新年のはじまりを彼らに委ねてみてはいかがだろうか?

〈みんなのきもち〉Sommer Edition Vol.3
Wednesday January 3rd, 2024 3PM
東京都江東区新木場3-4-7 / 3-4-7 Shinkiba, Koto-ku, Tokyo-to, Japan
ADV ¥3,000 / DOOR ¥4,000
Ticket link: https://0103se3.peatix.com

Lineup (A to Z)

Secret Guest (1月1日公開)
ast midori
Bugasmurf (BE)
botsu vs nul
gpu Angel Nyx
堀池ゆめぁ
LSTNGT
Shu Tamiya
VIO-SSS

※このイベントは違法に、またはその可能性がある上で開催されるものではありません。安心して参加してください。
※開催後の中断/中止があった場合の返金対応はいたしません。ご了承ください。開催前の中止については返金対応を行います。
※薬物、その他違法性のあるものの持ち込み禁止。見つけ次第警察に通報します。
※会場、および周辺での事故、事件には責任を負いかねます。
※未成年の入場可。

〈みんなのきもち〉

東京を拠点に活動するレイヴ・クルー。実験音楽からヒップホップ、ボーカロイドまでをもルーツに持ち、トランス・ミュージックを主軸としたさまざまな要素を取り入れ新しいスタイルを確立。イベント・オーガナイズの他に、DJや照明演出も手掛ける。2021年の発足以来、ブリュッセルやベルリンのインディペンデント・レーベルとのコラボ・ショーケースや、シンガー・松永拓馬のリリース・パーティーなどを開催。またDJユニットとしても様々なイベントに出演し、〈Boiler Room〉からアンダーグラウンドのパーティーまで幅広い場所に出演。

□Peace Is Not The Word To Play

山崎:前回の続きになりますが、まずB面の1曲目から。

水谷:このネタはMFSBの「T.L.C. (Tender Lovin' Care)」ですね。

山崎:これもカッコいい使い方をしていますね。イントロの部分を分割してる感じはすごいですね。

水谷:ゆったりした部分を使っているのにこんな疾走感のある曲に仕上げている。

山崎:イントロのビートはMilly & Sillyの「Getting Down For Xmas」を使ってます。
原曲もめっちゃカッコいいクリスマス・ソングですね。

水谷:この鈴の入ったビートの感じはラージ・プロフェッサーはよく使います。

山崎:この鈴が入ると疾走感が倍増するというか、勢いが出ますね。

水谷:話が『Breaking Atoms』から脱線しますが、彼の手掛けたNASの「Halftime」でもこの感じを出してますね。そっちはAverage White Bandの「School Boy Crush」のビートですが。

山崎:De La Soulは「D.A.I.S.Y. Age」で同じ曲のギターのフレーズ入りを使ってますが、ラージ・プロフェッサーはよりネタ一発にならないような部分を使用し、そこに『Hair - The Original Japanese Cast Recording』の「Dead End」にフィルターをかけて重ねている。ここではベースラインを使用してますが、当時のサンプラーでできることを120%駆使してまとめる技がすごいですね。一つのトラックとして調和が取れています。

 

水谷:これはNASのデビュー・アルバム『Illmatic』リリース前の曲ですね。『Illmatic』にも入っていますが、『ゼブラヘッド』という映画のサントラに収録されている曲です。『Illmatic』についての解析もまたどこかでしましょう。

□Vamos A Rapiar

山崎:曲名はスペイン語ですね。意味は「ラップをしよう」です。

水谷:これはピート・ロックとの共作なんですよ。ピート・ロック主導のせいなのか、ネタをあまり重ねていないですが、ピート・ロックが活動を始めた初期の仕事です。

山崎:これはThe Three Sounds一発ですね。一番単純なサンプリング方法を使用した曲かもしれません。

水谷:ラージ・プロフェッサーは有名なネタであればあるほど原曲の形跡を残さないのですが、“分かりやすい”ネタをそのまま使っているのはこのピート・ロックとの共作だけ。でもピート・ロックもここでラージ・プロフェッサーから学びを得て、その後SP-1200(初期サンプラーの名機)の操作技術が向上するんですよ。

□He Got So Much Soul (He Don't Need No Music)

水谷:これはラージ・プロフェッサーにしては珍しい、ネタ一発な使い方の曲ですが、Lou Courtneyの「Hey Joyce」、1967年に7インチでリリースされた作品です。同時代ではこのネタを他に使っている人はいませんし、チョイスはずば抜けていますね。ここでも60年代ソウルをサンプリングしています。Main Sourceの特徴的な部分です。

山崎:確かに前述の「Vamos A Rapiar」と違って切り取り方にセンスを感じます。

□Live At The Barbeque

水谷:Melvin Van Peeblesの『Sweet Sweetbacks』のスキットのイントロからVicki Andersonの「In the Land of Milk and Honey」で始まる。

 

山崎:この始まり方も違和感がなく、スムースに切り替わる感じが印象的ですね。

水谷:この曲はもちろんこのイントロの使い方も凄いのですが、もっと衝撃的だったのはビートが実はBob Jamesの「Nautilus」だったって事なんです。

山崎:サンプリング・ネタとしては古くから有名な曲ですよね。

水谷:そうなんですが、普通はあの有名なイントロを使いますが途中のブレイクを使用しています。ここでも他の人のやっていることとは違う事をあえてやっている感じがある。ラージ・プロフェッサーのプライドが垣間見えます。

山崎:これは全然Bob Jamesってわからないですね。けど確かにこのブレイクはかっこいい。そこに目をつけるのはさすがです。

□Watch Roger Do His Thing

山崎:この曲はベースとオルガンは演奏していますね。ドラムはFunkadelicの有名なネタ曲、「You'll Like It Too」です。

水谷:このベースを弾いているアントンていう人がキーマンでして、本名、Anton Pukshanskyって言うんですけど、白人のロック系のエンジニアでレコーディング・スタジオの人だと思うんですけど、HIP HOP系では馴染みの深い人ですね。

山崎:確かにレコーディングのクレジットにも入っています。

水谷:この曲はアルバムリリースの前にシングルで出ているんですよ。その前に「Think」と「Atom」という曲のカップリング・シングルが89年にリリースされていて、これはわりとランダムラップに近いサウンドなのですが『Breaking Atoms』には収録されていません。で、90年にでたこの曲が2ndシングル(B面は「Large Professor」)で、これらは全てActual Recordsからリリースされています。このレーベルは Sir ScratchとK-Cutのお母さんが経営しているレーベルです。Main Sourceの活動はこのお母さんがかなり主導権を握っていたようで、息子でないLarge Professorはその部分で揉めたことが原因で脱退したようですが。

 

山崎:駆け足でBreaking Atomsの収録曲のサンプリングを解析しましたが、総じて言えるのは仕事が細かいってところですね。

水谷:ラージ・プロフェッサーはチョップ・サンプリングの先駆けかもしれません。チョップで有名なDJプレミアは、誰もラージ・プロフェッサーから影響を受けたって言っていないですが、時代を遡ると、この刻んだ感じはラージ・プロフェッサーが最初だと思います。そして重ねる技術や展開も上品で、音楽的です。

□Fakin' The Funk

水谷:それとラージ・プロフェッサー脱退前の超重要曲は「Fakin' The Funk」です。

山崎:映画『White Men Can't Jump』のために作られた曲ですね。レコードはそのラップだけを集めた『White Men Can't Rap』に収録されています。

 

水谷:『Breaking Atoms』のリリース後に(シングルも)出たのですが、メイン・ソースの到達点は前述のNASの「Halftime」とこの曲かもしれません。

山崎:メイン・ソース・ファンにも人気の曲ですね。

水谷:そうですね。この曲、Kool & the Gangの「N.T.」のサンプリングから始まりますが、「N.T.」の原曲を聴くとすごいところから取っているのがわかります。

山崎:普通に「N.T.」を聴いていてもそのまま流してしまいそうな部分ですが、ここをサンプリングしてループするとこんなにかっこいい。しかも一瞬使ってすぐに次のサンプル、The Main Ingredientの「Magic Shoes」に展開している。サンプリングって言わば既存曲のコラージュだと思うんですが、ひとつの曲として完成している。

水谷:常人ではできない組み合わせですよ。デタラメに組み合わせてもこんな曲は生まれない。この2つの組み合わせは簡単なようで、とてもハイレベルだと思います。もはや魔法です。

山崎:そして「Looking At The Front Door」でも触れましたが、やはりコーラスの使い方がうまい。

水谷:ラージ・プロフェッサーはこの後、メイン・ソースを脱退してしまうのですが、その直前に手掛けたのが『The Sceince』です。1992年の『The Source』に2ndアルバムのリリースについての記事が出たんですね。それを当時見て、気持ちが昂ったことを覚えています。でもお蔵入りになってしまった。

山崎:2023年のヒップホップ50周年に『The Sceince』がようやくリリースされた事は大きな話題になりました。そしてここでは「Fakin' The Funk」の別テイクが収録されていますが、ここではESGの「UFO」のイントロを使っています。この曲、ヒップホップのブレイクの定番曲で、回転数を45RPMから33 1/3RPMに下げて使用するのが、ヒップホップのセオリーですがその通りに使用しているのも良いですね(Ultimate Breaks & Beatsにもその回転数で収録されていることは有名)。

水谷:これを最初に聴いたときはテンションが上がりましたね。

山崎:シンプルな使い方ですが、その分ラップが前に出て、彼らはラップも素晴らしいことがよくわかります。

水谷:やはり全方位でレベルが高いんですよ、この頃のメイン・ソースは。もう後にも先にもこんなグループは出てこないかもしれません。

山崎:VGAでは『The Sceince』のテスト・プレスもごく少量ですが販売中です。このアルバムのサンプリング・ネタの解析も、いつかこのコーナーでしたいと思います。お楽しみに。


Main Source / Breaking Atoms
https://anywherestore.p-vine.jp/en/search?q=main+source


MAIN SOURCE / THE SCIENCE Limited Test Pressing
https://vga.p-vine.jp/exclusive/vga-5012/

Waikiki Champions - ele-king

 街。ポップ・ミュージックと街は切っても切り離せない関係なのではないかと思う。新しいバンドを知らせる紹介文に躍る文字、そこには必ずといってもいいくらいに街の名前が記されている。ロンドン、ブリストル、ベルリン、フィラデルフィア、アムステルダム、ソウル、パリ、音楽を聞く前、聞いた後、限られた情報の中で僕らは街の匂いを思い浮かべ、そこで生まれたバンドの姿を想像する。もちろんそれが全てではないというのはわかっているけれど、その音が鳴っている場所はどんなところなのかと考える。それはきっとポップ・ミュージックの楽しみの一部だ。いつの間にか積み重ねられてきた歴史がそこらかしこに刻み込まれた街の空気が反映されて、そうして音楽が生み出されていく。スポーツ・チームに冠される都市名だってそれはきっとただの記号ではないはずだ。

 仙台を拠点に活動するバンド、Waikiki Champions の新しいアルバム『街~Machi』を聞いてそんなことをぼんやりと考えた。得体のしれない路地の前に立つ不安と好奇心が入り交じった心を現したようなサウンドスケープ、タイトなドラムとベースが作り出すグルーヴ、暗く細い道に手招きし誘いかけるようなギターのリフ、遠くで遊ぶ子どもの声のような不明瞭でそれでいて確かなイメージを残すヴォーカル、不安に絡みつき好奇心をあおるサックス、オープニング・トラック “Jusco” を再生した瞬間に小さく胸が高鳴っていく気配を感じた。Jusco とはおそらくスーパーのジャスコ(あのピンク色の看板の店)のことであり、もちろんいまは存在していないイオンによって塗り替えられた店の名前でもある。そこにノスタルジックな思いを抱くかといえばそうではなく、曲を聞いて感じるのは失われてしまった店が持つ怪異が起こりそうな雰囲気だ。そこはかとなく恐ろしく何かが起こりそうな予感がしてワクワクする。だから危険だとわかっていても足を踏み入れる。そう、この音楽はまるで誘いかけるように恐ろしげで楽しげなのだ。ドラムとベースのグルーヴを中心に組み立てられるどことなくアンダーグランドの匂いが漂ってくる音楽にニューヨーク、ブルックリンのバンド P.E の2022年のアルバム『Blue Nude(Reclined)』やカナダのル・セキュリティが今年23年に出したアルバム『Stay Safe!』が頭によぎったが、Waikiki Champions はそれらよりももっとずっと湿気があっておどろおどろしい。祭りばやしという言葉だって浮かんでくる。これを地方性という言葉で片づけるのは短絡的だけれど、国や街、培われてきた場所の歴史や空気が影響しているのは間違いないだろう(心地よく感じるスィートスポットとは相対評価のコントラストで生まれるものだろうから)。
 そして Waikiki Champions はひとつの場所にとどまることはなくステップを踏み練り歩く。仙台を拠点とするMC、Misz をフィーチャーした “Miserarete” でどこにでもあるような、しかしだからこそ特別な街の情景をオレンジ色したベッドルーム・ミュージックのマナーで描き、“Katateni Syuryudan” を冷たいノーウェーヴの空気で突き抜けたように、Waikiki Champions は雑多に交わり、ふとした瞬間に浮かび上がってくる街の違った側面、漂う空気を描き出すのだ。

 そうしてこの街にはサウナがある。Bo Ningen の Taigen Kawabe がフィーチャーされ紡がれる “Neppa”(これはおそらくサウナの歌だ)においての 言葉はサウナの熱波の中でボーとした頭に次々に浮かんで消えるイメージのように感じられる。緩やかにゆがむシンセ・ベースの音と交わり意味があいまいになり、ボーとした頭に浮かびあがり伝わってくるような感覚としての言葉。冗談の雰囲気で大まじめなスタンスだからこそ伝わってくる感覚というものがあってそれにまったくやられてしまった。はっきりとした物事じゃないからこそ真理に近づく(かもしれない)ような、ふざけていて、だからこそ繰り返せ、そこに意味を見つけることができるようなスタンス、大げさかもしれないけれどポップ・ミュージックの魅力のひとつはこういう部分にもあるのではないかとかと思う(それと同時にいきなりしゃんとしたようにギターがかき鳴らされ、あぁここで水風呂に入ったんだな、なんて考えられたりもする。こうしたユーモアと格好良さが交じり随所に織り込まれているのもこのバンドの魅力のように思える)。ギターのフレーズがループして、サックスの音と共にうねりそしてサイケデリアにたどり着く素晴らしい最終曲 “Vibes” は心地の良い抑圧とそこから解放され広がっていく感覚があって、それがなんとも気持ち良い(根底にあるのは “Neppa” と同じものなのではないだろうか)。食品まつりのリミックスもまた違った角度で新たな朝へ向かっていく “Vibes” を感じられアルバムのエピローグみたいに思えた。

 場所、歴史、人、記憶、文化の集まり、Waikiki Champions の『街~Machi』は整然としたものではなく、いろんな匂いが混じってそこらかしこから漂ってくる。角を曲がり、違った通りに出ればそこに何か面白いことが待っていそうな、そんな感覚がなんともワクワクさせてくれるのだ。

Squid - ele-king

 ロックの死については、勝利のときも、嘆きのときも、度々宣言がなされてきたが、それはまだ死んではいない。何が起こったかといえば、ロックは、ポピュラー・カルチャーの中心としての立ち位置を失い、ジャズやカントリーのように、音楽の多数のニッチのひとつに落ち着きはじめ、ブランド志向のポップ・スターが利用する一連の記号や象徴となってはいるが、もはやスターたちが煌めく星座の中心に位置するものではなくなったのだ。

 これには多くの含みがあり、そのひとつが、威張って闊歩するようなロック・スターの伝統的な感覚は、ますます不条理に見えはじめていることだ。死んだ時代の寂しい遺物は、手に入れたパワーとシンボリズムにしがみつくが、それらが自らの指の間からこぼれ落ちるのを目にしながら、過去へと遠ざかっていく。

 スクイッドは、この立派で新しい世界には理想的なバンドなのかもしれない。ステージ上では5人がフラットな形で一列に並び、フロントマンにもっとも近いのは、歌うドラマーのオリー・ジャッジだが、その玉座は他のバンド・メンバーと同じ高さにあってそれ以上には上昇せず、どのメンバーも真の中心的な存在であることを示そうとはしない。ジャッジはロック・スターとしての存在感を、フリックするような軽いたたきや、華麗な身ぶりで表現するが、それも音楽の絶え間なく変化するダイナミクスに気を引かれて観客の意識がステージ上を行ったり来たりする瞬間に、通り過ぎてしまう。

 たまに音楽家が口にする、「音楽だけがすべてだ」という、用心深さからくる、回りくどい主張がある。それは決して真実ではないし、達成するのが不可能で矛盾した純粋さであるかもしれないが、おそらくスクイッドは、誰よりもこの主張が似合うバンドではないだろうか。彼らのライヴ・セットは、5人のメンバー全員がリズムを奏でることからはじまり、ベース、ドラムスとパーカッションに何層にも重なる強烈な焦点が当てられることで、観客の注意を、彼らが音響的にどのようなことをしていて、次の70分ほどをどう設定するかの役割を担っていることに向けさせる。徐々に役割分担が変わっていき、ひとつのセットでひとつの楽器に留まる者はおらず、ときには1曲中に2回、3回と楽器を持ち替えることもある。彼らは皆、自らをマシンの交換可能な部品として、ステージ上でのエゴよりも音楽に奉仕するのだ。

 絶えず繰り返される役割分担の変化による副次的な影響として、バンドにはもったいぶったロック・スターのフロントマンや、名人芸を披露するギター・ヒーローも存在しない。それは決して、このバンドが緊密なプレイをし、必要なときには爆発的な力を発揮することができないというわけではない。彼らは、その音楽性を売りにしているわけではなく、その激しさと、完全無欠に訓練された編成による、絶妙なバランスを売りにしているのだ。

 このことが、スクイッドを冷血なマス・ロックの音楽エンジンのように見せているとしても、UKで過剰なほどの宣伝がなされ、〈Warp〉のようなレーベルがバックにいるバンドにしては、限りなくクラブに近い体験ができるほど小さな会場に詰め込まれた観客からは、そのような反応は感じられない。オープニングでの強烈なリズムで観客を魅了したバンドは、一度も彼らに直接呼びかけることなく、ほぼセットを通して、彼らを乗せていく。かわりに、ダイナミックな変化とギア・チェンジを頼りに、錯乱したカーディアックスのヒステリックなプログ・パンクから、恍惚としたアンビエント・ウェーヴまでの広い範囲の先端に触れていく。スクイッドに、いわゆるロック・ヒーローのような役回りの者がいないことが、複雑で絶え間なく変化する音の波の中で、私たち全員を彼らとともに音楽に乗せていくのに役立つのかもしれない。ステージ上での集団的なダイナミズムは、私たちをロック・スターのキリストのような人物の受け身なフォロワーへと導くのではなく、ギャングとしてプレイしているゲームの中へと誘い込むのだ。

 もちろん、彼らのバンドとしての成功もその助けになっている。デビュー・アルバム『Bright Green Field』が、爆発するようなアイディアと音楽的な野心との間の、鋭さと厳しいコントラストの中で、自分たちのコントロールが効かないことを楽しむ若いバンドのサウンドだったのに対し、ニュー・アルバム『O Monolith』は、自分たちのツールをよりよく使いこなす(楽器とソング・ライティングの両方で)アーティスト集団であることをさらけ出している。ステージ上では、それが音楽の両極間で、そのつなぎの部分をほぼ感じさせずに観客を翻弄するというパワフルな才能へと転化される。曲たちは融合し、キャッチーなヴォーカルのリフレインは、実験的なシークエンスから飛び出し、インダストリアルな激しい鼓動の中からフックが立ち現れて、馴染み深い曲の到来を告げる。

 とはいえ、スクイッドは、いまでも全く “音楽だけがすべて” というわけでない。重要なのは、音楽が何をするかであり、彼らの場合は、衝撃的で、眩暈を起こすほどの強烈な、フィジカル(身体的)な体験を生み出すことなのだ。そして、スクイッドのメンバーが、派手なプレイをするのを控えたとしても、彼らは舞台裏に隠れて見えないような操り人形的なグループからはほど遠い。むしろ、彼らのパフォーマンスの多面的な相互作用は、マシンをより人間的で、歓迎され、より楽しく、孤独ではないものにしていく。それは、現代のロック・スターをも嫉妬させてしまうかもしれない。

Squid at Shibuya WWWX
on 27th November 2023

written by Ian F. Martin

The death of rock music has been proclaimed many times, either in triumph or lament, and it’s not happened yet. What has happened is that rock has lost its position at the heart of popular culture and started to settle into position as one of music’s many niches, like jazz or country — a set of codes and symbols for the brand-driven pop stars to draw from, but no longer a core part of that constellation of stars.

This has many implications, but one of them is that the idea of the rock star in the swaggering, traditional sense begins to look more and more absurd — a lonely relic from a dead age, grasping for a power and symbolism that is visibly slipping between his fingers, away into the past.

Squid might be a band ideally suited to this brave new world. Lined up onstage in a flat row of five, the closest thing they have to a frontman is singing drummer Ollie Judge, raised up on his throne only to the same elevation as his bandmates and no higher, and no individual member presents as a true focal point. Judge communicates his rock star presence, such as it is, in flicks and flourishes that blink past in a vanished moment as your attention flickers back and forth across the stage, tugged this way and that by the music’s constantly shifting dynamics.

There’s a cagey and circular claim that musicians sometimes make, that “it’s only about the music”. It’s never true, and might be an impossible and contradictory sort of purity to achieve, but Squid could perhaps make as good a claim as anyone. Their set opens with each of the band’s five members on rhythm, the intense and layered focus on bass, drums and percussion forcing the crowd’s attention onto the what they’re doing sonically and the role it plays setting up the next seventy minutes or so. Gradually, they begin to shift roles, no one sticking to a single instrument for the whole set, sometimes changing two or three times within a single song. They make themselves interchangeable parts of the machine, serving the music ahead of any onstage ego.

One side-effect of this constant shifting of roles is that, just as there’s no strutting rock star frontman, there’s no virtuoso guitar hero either. That’s not to say that the band aren’t tight, and explosive when needs arise, but it means that they don’t sell themselves particularly on their musicianship but rather on this fine balance of intensity and immaculately drilled organisation.

If this makes Squid seem like a cold-blooded math-rock musical engine, it doesn’t feel like that from the crowd, packed into a venue small enough to provide something as close to a club experience as you can get — at least for a band with such UK hype and a label like Warp behind them. Having hooked the audience in those opening, intensely rhythmical moments, the band carry them along for nearly the whole set without once stopping to address the crowd directly. Instead they rely on the dynamic changes and gear shifts, ranging from hysterical prog-punk that touches the deranged peaks of the Cardiacs to blissed-out ambient waves. Squid’s lack of anyone in any of the obvious rock hero roles might even be what helps them bring us all along with them through such complex and constantly-changing sonic tides, the collective onstage dynamic inviting us into a game they’re playing as a gang rather than leading us as passive followers of some rock star Christ figure.

Their own growth as a band surely helps too, though. Where debut album “Bright Green Field” was the sound of a young band delighting in the edges and harsh contrasts between their exploding ideas and musical ambitions, luxuriating in their own lack of control, new album “O Monolith” reveals a group of artists with greater command of their tools (both in instruments and songwriting). Onstage, that translates into a powerful ability to tease the audience between the music’s extremes while barely seeing the join. Songs merge together, catchy vocal refrains bounce off experimental sequences, and hooks emerge out of throbbing, industrial pulses to announce the arrival of familiar songs.

That said, Squid are still far more than “just about the music” because what matters is what the music does — in this case create an electrifying, dizzying and intensely physical experience. And while Squid’s members might shy away from showboating, they’re far from a group of puppeteers, invisible behind the scenes. Rather the multifaceted interplay of their performance makes the machine more human, more welcoming, more fun, and less lonely. A modern day rock star might even be jealous.

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