Home > Regulars > 編集後記 > 編集後記(2023年12月31日)
一年前のいまごろはまだマスクを装着するのが大多数にとっての日常だった。新型コロナウイルス感染症の5類への移行が今年の5月8日。もちろん、すでに2022年の時点でいろんなものがリスタートしていて状況は整いはじめていたし、ヨーロッパなどではもっと早くからそうなっていたわけだけれど、2023年は日本でも前年とは比較にならないほどたくさんのライヴやパーティ、フェスが催され、多くの人びとが外での興行を楽しんだのではないかと思う。パンデミックへの反動がこの列島でも本格的に爆発したのが2023年だったのではないだろうか。とくに若い世代のあいだでダンス熱が高まったことは記憶にとどめておきたい事象だ。
ということはしかし、じきそのカウンターも訪れるということにちがいない。それがどういったかたちになるのか予言することなど不可能ではあるものの、もしかしたら2024年は新たな音楽の波が押し寄せてくるかもしれない。ともあれこの「カウンター」という考え方は、なんでも「 “サブ” カル」扱いされる現代にあって、けっこう重要なんじゃないかと思う。
振り返れば今夏はひとつの出来事が起こったのだった。テイラー・スウィフトのヴァイナルにプレスミスがあり、まったくべつの音源が収録されていたのだ。かわりに盤に刻まれていたのはロンドンの〈Above Board Projects〉による90年代半ばのUK産エレクトロニック・ミュージックを集めたコンピ『Happy Land』。冒頭キャバレー・ヴォルテールを聴いたスウィフティーズのひとりは大いに戸惑い、事態をSNSに投稿、それを見たフォロワーが「呪われているから止めろ」と助言するにいたる。
なにもかもが並列化されフラットになり、そこに優劣はなく、各々がそれぞれの趣味を追求すればいい時代──そんなふうに言われるようになって久しいけれど、じつはそうではなかったということをこの事件はほのめかしている。多文化相対主義の行きつく果ては結局、市場で圧倒的な力を持っている「コンテンツ」を楽しむ感受性こそが正しいものとして、勝者として君臨する世界だった、と。でなければ「呪われている」なんて単語は出てこない。これは逆にいえば、まだ「呪われている」ことが有効でもあるということで、つまりオルタナティヴな世界を想像することはいまなおじゅうぶん可能だということではないだろうか。
つい先日90歳で亡くなったイタリアの哲学者はこんなことを言っている。
芸術は、価格に還元された単一性にさまざまな特異性からなるマルチチュードを対置するという意味において、反市場なんだ。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』廣瀬純+榊原達哉+立木康介訳、月曜社、2007年、106頁)
専門用語があってよくわからないけれど、でもなんとなくわかる。市場の感受性に還元されない音楽だってありうるんだ、と。そんなわけでわれわれはオルタナティヴな音楽をサポートするメディアとしての役割を来年もしっかり果たしていきたい。2024年はどんな音楽と出会うことができるのか、いまから楽しみでならない。
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2023年、ele-king books は27冊の本を刊行している。協力してくださった多くの方々、購読してくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。2024年もele-kingならびにele-king booksをよろしくお願いします。
それではみなさん、よいお年を。