Home > Regulars > 編集後記 > 編集後記(2020年12月31日/野田努/小林拓音)
「いや、あのさ、書くことがないんだよね」、昨晩、つまり12月30日の夜である、ぼくは小林に弱音を吐いた。「だってさ、コロナや日本のボンクラ総理のことを書いたって気が滅入るだけだし、かといって、自分から取材をしたいと言いながら(テープ起こしを編集でやったにも関わらず)原稿を落とした某ライターのことをここで愚痴っても自分の気持ちが荒むだけだし、なんかこう、年末だしさ、ちっとは希望が見えるようなことを書きたいんだけど、そのひとつは、アレかな、アンダーグラウンドで思い切りディープな音楽を作っている人たちは、いま、配信によって毎月そこそこ稼げるようになっているってことかな。これは90年代にはなかったことだよ。国内でCDを売ってもせいぜい三桁しかいかなかったような作品が、いまではその音楽に独創性と魅力があれば、フィジカルに頼らなくても、ある程度は金になる。ことエレクトロニック・ミュージックを作っている人たちには夢がある時代だよな」
それからぼくは小林に、90年代の日本のテクノ(とくにダンス系)の音楽的な拙さがどれほど重要だったかを説明した。何故かと言えば、ちょうど紙エレ年末号でその手の特集があり、ぼくは92〜93年ぐらいのUKのテクノと同時に日本の90年代も聴いていたのだけれど、いや、「俺たち何もわかっちゃいなかったんだな」ということをあらためて認識していたというか、そしてその「何もわかっちゃいなかった」がゆえのパワーというものもあらためて確認したばかりでもあったのだ。技巧的によくできただけの音楽になんてどれほどの価値があろうか。少なくとも10代のガキどもを踊らせるほどの、有無を言わせぬ求心力というものは、ただ上手い/洗煉されている/独創性に富むだけの音楽では不充分だった。再評価や再発見というアプローチはもちろん重要だし、敬意を払うべく過去があることも知っている。当時はさほど騒がれなかったが、自分の意志を貫いたがゆえあとから評価されることは僥倖などではない、しかるべきときが来たということにほかならないだろう。だが、と同時に、歳月のなかで色褪せようとも、その瞬間において強烈なパワーを放っていた音楽のことも忘れてはならいということだ。それは若さの特権である。
だがな、小林、スリーフォード・モッズは若くない、40過ぎのオヤジがやっているからこそ意味があるんだぞ。ジェイソンが若くて昔のポール・ウェラーみたいな二枚目だったりしたら、スリーフォード・モッズの意味は変わってくる。わかるか、スリーフォード・モッズは緊縮財政にも資本主義にも人種差別にも階級社会にもエリートにも怒っているが、アンチエイジングやルッキズムにもむかついているんだよ。
小林に唯一無二の点があるとしたら、スリーフォード・モッズがいかに素晴らしいのかを日本でもっとも聞かされているということが挙げられるだろう。あのな小林、スリーフォード・モッズが『オーステリティ・ドッグス』を出したとき、UKのあるメディアは「政治家たちの虐殺ショー」とまで評したんだぞ。俺に言わせればな、いまスリーフォード・モッズを聴かないのは、90年前後にザ・KLFを聴かなかったに等しいんだ。UKの知性派/論客たちがどれほどシリアスに彼らを論じてきたか、ぜんぶ訳して紹介したいくらいだ。あれは、いわば進化したタイマーズのようなものだ。こうした言葉を小林は、この半年だけでも最低10回は聞いているはずである。不憫な男よのぉ。
「今年大変な世の中になり、皆さんの生活のなかでサッカーが本当に必要なのか、エスパルスは本当に必要なのかという状況になったと思います」、これは清水エスパルスの最終戦における、チームキャプテンである竹内涼選手の試合後の挨拶の冒頭の言葉である。同じことが音楽にも言えるだろう。経済的な窮地にある企業の後ろ盾のない個人経営のライヴハウスやクラブ、リハーサル・スタジオの現場スタッフの心中は、察するにあまりある。だが、巨視的に見れば、このパンデミックは「生活のなかで音楽が本当に必要なのか」という問いも突きつけている。とくに新しい音楽はそうだ。それはいまこの瞬間において強烈なパワーを放っていなければならない。Saultやスピーカー・ミュージックがそうだったように、オウテカの新譜がそうだったように。もちろん同様の問いは我ら音楽メディアにも向けられている。「生活のなかで音楽メディアが本当に必要なのか」
がんばらないとな、続けられているうちは。これは小林ではなく、自分に言い聞かせている。2021年もよろしくお願い申し上げます。
野田努
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冷徹なループが頭のなかをかけめぐっている。スリーフォード・モッズがいかにすばらしいか、この半年だけでも最低10回は聞かされている。犯人たる工場長同様、コロナをめぐるあれこれについては書かない。うんざりするだけだろうし、みなさんもいまさらそんなこと読みたくないでしょう。
2020年は、かつてないくらいの勢いで音楽のレジェンドたちが旅立っていった。この追悼ページをざっと眺めるだけでも、ペースがものすごいことになっているのがわかる。個人的にいちばんショックだったのはアンディ・ウェザオールだが、彼については年末号で追悼特集を組んでいるので、ぜひご一読いただければ幸いです。
そしてもうひとり、音楽家ではなく人類学者だけれど、デヴィッド・グレーバーとの別れ。ぼくの力量不足のせいで彼の追悼文を掲載できなかったことは、2020年最大の心残りだ。精進するしかない。
ところで彼はよく「ケア」ということばを用いていた。それは「想像」のことだと、ぼくは解釈している。他人へのケアがないこと、想像が及ばないこと、それはこの未曾有の一年を振り返るとき、ひとつ貫徹するものとして抽出できる要素ではないだろうか。
日本政府だけではない。音楽だってそうだ。たとえば海外の動向、SNS主導(?)の日本とは異なる観点からの批評、それらを見向きもしないこと、それもケア=想像の欠如だと思う。冷徹なループが頭のなかをかけめぐっている。スリーフォード・モッズがなぜすばらしいのか、しっかり日本で語っているひとがどれほどいるというのか? メディアとして ele-king は、ちゃんとそういう「内輪」の外からの視点も提供できるようにしていきたい。
2020年、ele-king books は27冊の本を刊行した。昨年とおなじ話になってしまうが、どの本も時流を見すえつつ、独自の視点やアティテュードを呈示できるようつくっているつもりだ。来る2021年もいろんな企画が控えている。なので、楽しみに待っていてください。
それでは、良いお年を。
小林拓音