Home > Regulars > 編集後記 > 編集後記(2018年7月12日)
ワールドカップは別名、ジュール・リメ杯といって、同名のフランス人が国際サッカー連盟(FIFA)会長時代にはじまった。なので、フットボールの母国であるイングランドは、当然のことながらそんな団体には所属しなかった。イングランドにとっては世界最古の大会=FAカップのほうが重要だったので、何年ものあいだフランス人がはじめたW杯なんぞには参加しなかった。そういう歴史的な因縁もあるので、決勝はフランスとイングランド戦を期待していたけれど、クロアチアの勝利への意欲がそんな妄想を霧散していった。
眠い。2日連続で、午前3時前に起きて試合を観て、そしてまた寝るというのが老体にこたえないはずがない。延長戦はなおのこと。どうしてこんな馬鹿なことをしているのだろうと思うけれど、マンションの窓の外を見れば、同じように灯りのついているアディクトたちの部屋がひとつやふたつではなく、いくつか確認できる。
世界中のファンが同じ時刻にひとつの試合を観ているというのは、音楽という細分化された宇宙群を彷徨っている自分には名状しがたい不思議な感覚だ。もちろん蹴球なんどには興味がない人/リーグ戦にしか惹かれない人だって多くいることは知っているけれど、ひとつ言えるのは、この地球上のさまざまな人種や民族や国の人たちが、本当に素晴らしいプレイが観れたときには、ふだんは悪く言っているような国のチームだとしても拍手することだ。こういう考えはひどくナイーヴでロマンティックに思えるかもしれないが、世界でもっとも多くの人がひとつのことに関心を持って、それに歓喜したり悲嘆したりする機会は、いまのところW杯以外にありえない。
たまに国家的な狂騒を危険視する知識人がいる。こうした大がかりなスポーツ大会というものが政治的に利用されてきているのほ事実だが、アルゼンチンやイタリアが優勝したときにそれが当時の軍事政権/独裁政権のおかげだったなんて思っていたファンの記録をぼくは見たことがない。人びとが憶えているのは、勇敢な部隊めいた選手入場ではなく、純粋にそのプレイのみだ。
フットボール・ファンにとっての夏はもうすぐ終わろうとしている。今回のW杯で、もっとも無様だったのは誰が見てもドイツだろうが、もっとも勇敢だったチームはベルギーではないだろうか。フランス戦おいても攻撃的なフットボールを貫いたが、W杯は優勝経験国しか優勝できないという神話(ジンクス)にならって言えば、ルカクの大砲を封じたフランスがしたたかだったということなのだろう。ぼくは個人的には耽美的なフットボールが好きなのだけれど、今回はそんなデカンダンスな瞬間はなく、よりタフな試合が多かったような気がする。ま、それでも充分に楽しめたけどね。今週末の残り2試合で、この夏、この眠気ともおさらばだ。