Home > Regulars > 編集後記 > 編集後記(2019年3月27日)
昨晩のDOMMUNEは最高にクールだったな。状況によってはビートルズさえも余裕で否定するワイドショー的価値観に対して、文化やアートからの見事な反論だったと思う。宇川直宏をはじめ、出演したDJもみんな素晴らしかったけれど、90年代にマニアック・ラヴに通っていたような古いファンにとっては、WADAさんとケンイシイが電気グルーヴだけをかけるというのはものすごく意味があることで、彼らのなかの強い気持ちを感じないわけにはいかなかった。また、40万人を越えた視聴者数というのは、電気グルーヴのファン以外の大勢の人たちも注目していたからで、今回のピエール瀧逮捕をめぐる報道のされ方や悪意あるSNS、そして回収処分などになにかしらの違和感、疑問を抱いている人たちが多数いたということでもあるのだろう。まあ、アンチも混ざっていたようだけれど、おおよそツイッターが人びとの気持ちを分かち合うために機能していたことも良かった。
が、しかしそれにしても、辛気くさくなってもおかしくないような状況のなかだからなおさらそう感じたのか、彼らの音楽には妙な破壊力があるものだとあらためて思った。数日前の石野卓球のツイートからは彼の音楽への衰えぬ情熱を感じたし、逆境のなかでむしろ電気グルーヴは自らの存在感を強めているように思えるのだが、この先まだまだ困難があるにせよ、それがどんな名義になるにせよ、次作が楽しみにも思えてきた。ニュース番組から流れる“Shangri-La”を久しぶりに聴きながら、あらためて良い曲だなーと思ってしまったし、今回の件は6月末発売予定の紙エレで、自分なりの考えをまとめてみようと思っています。