Home > Interviews > interview with Ben Watt - 31年目のメランコリー
もっと、メランコリックで綺麗なものだったんだ。でもそこによりエッジを加えて、ただ美しい音だけではないものにしたかった。もっと泥臭い、荒さのあるものにしたかったんだ。
Ben Watt Hendra ホステス |
■『ヘンドラ』はシンプルなフォーク・ロック・アルバムだと思います。 ジャズやボサノヴァでもありません。『ノース・マリン・ドライヴ』という30年前の作品と比較するのは無茶だとは思いますが、『ヘンドラ』のシンプルなフォーク・ロックという方向性について教えて下さい。
BW:とにかく自分自身に自然に降りてくるようなレコードが作りたかったんだ。あまりプロダクション面のことを考えたり、エンジニアリングやスタジオについてのことを考えたくはなかった。だからユアン・ピアーソンにそういう部分を一任した。僕自身はただギターを持って曲を書いて、自分が自然に感じる方向へ向かいたかった。それにおそらく、10代の頃の自分に影響を与えたものとの繋がりみたいなものをどこかで意識していたのかもしれない、トレイシーと会う前の自分自身にね。そういうものって永遠に消えないと思うんだ。14歳や15歳の頃、ジョン・マーティンやニール・ヤング、ブライアン・イーノ、ニック・ドレイクとかの音楽をよく聴いていて、彼らの音楽は僕のなかにすごく強い印象を与えた。そしてたぶん今回、そういった音楽の影響が浮かび上がってきたのかもしれない。
■原点回帰したというか、1960年代のフォーク・ロックに立ち返ったと 言ってもいいのでしょうか?
BW:わからないな、それは他の人が言うことであって、僕が決めるわけじゃないよ。このアルバムを作るとき、いま挙げたような自分に影響を与えた音楽を振り返っていた部分はあるかもしれないけど。そもそも曲を書いている時点ではまだそれらの曲は発展途上で、自分でもどういう方向性のものになるかはわからないんだ。今回の作曲中には、ギターを普段とは違うチューニングにした。だからそれが曲に独特の、美しく物憂げな、印象主義的な音を与えていると思う。でも同時に歌詞はかなりダークなものなんだ。だから、音楽自体にもよりダークなエッジを加えたいと思った。それでバーナード・バトラーに声をかけたんだ、彼のギターにはもっとブルーズでロックな要素があるからね。もっとディストーションのかかった音さ。それが今回のアルバムのバランスに重要だったんだ。
通訳:バーナード・バトラーが参加する前のアルバムのサウンドはもっと明るいものだったということですか?
BW:いや、明るいとかポジティヴとは僕は言わないかな(笑)。でももっと、メランコリックで綺麗なものだったんだ。でもそこによりエッジを加えて、ただ美しい音だけではないものにしたかった。もっと泥臭い、荒さのあるものにしたかったんだ、バーナードのギターはそういうサウンドだからね。ミック・ロンソンがデヴィッド・ボウイと一緒にプレイしたのと同じようなことさ。
■あなたは、主に70年代の音楽に影響を受けたという話を聞いたことがありますが、デイヴ・ギルモアは、ひいてはピンク・フロイド は、あなたにとってどんな存在なのでしょうか?
BW:彼とは本当に偶然に、アルバムを作りはじめる前に出会った。パーティで紹介されて、彼の自宅に行って、彼の作ったデモを聴かないかって訊かれたときには驚いたよ。そこでイエスと返事をして、彼の家で1日過ごして、意気投合した。
彼の音楽を聴いて、音楽についての話をしたりランチを一緒にした2週間後だった。僕がスタジオで“The Levels”のレコーディングをしていたとき、彼のギターの音がこの曲にぴったりなんじゃないかと思った。それで彼に電話でこの曲のためにギターを弾いてくれないか訊いたら、彼の返事は「イエス」だった。そんなシンプルな理由さ。
正直言うと、僕は特別ピンク・フロイドのファンってわけじゃないんだ。彼のギタープレイが好きなんだよ。それに彼の歌声もね。彼の歌い方って、とてもイギリス人っぽいんだ、アメリカンな感じとは対極にある。だから、ピンク・フロイドのデイヴのファンだったというより、彼自身が好きなんだ。
■先ほど、メランコリックと言いましたが、たしかに『ノース・マリン・ドライヴ』は、とてもメランコリーな作品です。あのメランコリーについて、いまいちど、あなたなりに解説していだけないでしょうか?
BW:うーん、とくに解説することはないよ……ただ自分に正直な表現をしているだけさ。自分の頭の中に聴こえるものをそのまま曲に書いているんだ。僕のやる事に特別な技巧やトリックはなくて、自分の感じる物事をストレートに表現しているだけだよ。
通訳:そういったメランコリックな感覚を持つようになった要因や環境など、無意識下での影響などは思い当たりますか?
BW:うーん……(沈黙)……思い当たらない(笑)。さっきも言ったように、自分の音楽がどこから来ているかとか、あまり自問をしないんだ。ただ直感に従って曲を書こうとしているだけさ。子供の頃から、そういう風に音楽が「聴こえる」なかで育ってきたし、曲を書くときもそういう方法で書きたい。『ノース・マリン・ドライヴ』の曲なんかは、10代特有の怒りだったり、若いラヴソングだったり、どれも若い頃には誰でも経験する典型的な物事についてさ。ただそれが僕なりの形で出てきたっていうだけだから、それを解説するっていうのは難しいな。あまりそこを深く考えたくないというか、それに名前をつけてしまいたくはないんだ。
■では、なぜデビュー当時のあなたやトレーシー・ソーンはアコースティックな響きの音楽性にこだわったのでしょう?
BW:わからないな、本当に自分でも知らないんだよ(笑)。自然といろいろなことをやりながら成長していくのさ、音楽を聴いてその影響を吸収して、自分のなかで音楽が聴こえてきて、それが座って曲を書き出すと出てくるんだ。もっと詳細を話せたらいいんだろうけど。
■他のバンドからの影響はありましたか? オレンジ・ジュースとか?
BW:うーん、僕が思うには、トレイシーは若い頃に彼女の兄が持っていた70年代初期のロックなんかのレコードを聴いたり、父親のジャズだったり、その後には自分でディスコやパティ・スミス、アンダートーンズ、バズコックス、それにオレンジ・ジュースなんかを発見して聴いてきたから、彼女の側にはそういう影響は少なからずあると思う。
僕のほうはちょっとそれとは違っていたね。僕の父親がジャズ・ミュージシャンだったからジャズをたくさん聴いたり、10歳くらい年の離れた兄や姉が持っていた60年代後半から70年代前半のレコードを聴いたりして育ったんだ。ルー・リードやロイ・ハーパー、サイモン&ガーファンクル、ニール・ヤングとかね。そして10代の頃にジョン・マーティンの音楽に出会って、それが僕のギタープレイにかなり影響を与えた。その他にはさっきも言ったブライアン・イーノの70年代半ばの『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』とか、その後にはニック・ドレイクやロバート・ワイアット、ケヴィン・コインとかのイギリスのアウトサイダー・フォークみたいな音楽も発見してよく聴いたな。だからその辺の音楽が当時の影響だったとは言えるかもしれないね。
■あのアルバムや「Summer Into Winter」の収録曲で、いまでもとくに好きな曲を教えて下さい。
BW:『Summer Into Winter』の“Walter And John”はとても好きだね。あとは『ノース・マリン・ドライヴ』のタイトル・トラックも好きだよ、あのアルバムでいちばん良い曲だと思ってる。それと“Some Things Don't Matter”も好きな曲だよ。
質問:野田努(2014年5月21日)