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たとえば4曲め“ゴールデン・レイシオ”のイントロを聴いて、『ノース・マリン・ドライヴ』に収録されている“サム・シングス・ドント・マター”を思い出した、という人もいるだろう。たしかにこの曲のボサ・ノヴァ調のアコースティック・ギターは、31年前にリリースされ、いまなお定番として聴きつづけられているあのファースト・ソロの2曲めの風合いによく似ている。結局ベンはジョアン・ジルベルトに魅せられてギターを手にし、ジャズ・ミュージシャンだった父の影響でコール・ポーターを聴くようになった第一体験に帰っていったのだ、という見方もやむなしだろうし、かつてロバート・ワイアットをゲストに呼んだ10代のマセた少年が、50代にしてこれまたかつてのヒーローなのかデイヴ・ギルモアを招いたりしている事実からは、エヴリシング・バット・ザ・ガールを中断させてまで心酔したここ20年ほどのDJ、リミキサーとしてのアグレッシヴな活動を打ち消しているかのようだ、という感想が聞こえてきても仕方がない。
だが、クラブ・ミュージックなどとはいっさい縁のない、曲によってはフォーク・ロックのようでさえある本作が伝えているのは、決して原点回帰などではなく、むしろ年齢を重ねていくことの真理ではないかと思う。音の指向は変わっていなくとも、ベンの歌声には明らかな枯れがうかがえるし、メロディと歌に纏わっている特有のダークな色彩もどっしりとした重みが増している。これは成熟なのか? いや、そんな都合のいいもんじゃないだろう。単純に「老い」だ。もっと言ってしまえば「死」への道程だ。それならそれで、いっそ31年前の第一歩と同じスタイルでその老いを思いきり赤裸々に見せてもいい。音的な情報量の多くはないこの作品でベンがやろうとしたことは──それは無意識なのかもしれないが──そんなやや自虐的な行為、老いを恐れない勇気ある行為ではないだろうか。
人はいつか死ぬ。実の妹を喪い、年老いた両親についての本を執筆、出版したことで時の流れを実感したというベンがたどり着いた結論がこうした厭世的なものなのかどうかはわからない。だが、50代を迎え、うぶな心持ちなど自然となくしてしまったベンの言うに言えない淋しさと、それゆえのしたたかさは間違いなくここから聴き取ることができる。そういえば、ベンは小津安二郎の『東京物語』を見て深く感銘を受けたという。日本人からも愛されているあの映画をパートナーのトレイシー・ソーンと見ていたのかどうかは知らないが、若い世代と接することで、いずれ訪れる死と別れをどこかで意識しながら、ベンはこの作品の制作に向かったのかもしれない。デイヴ・ギルモアだけではなく、後輩世代のバーナード・バトラーが本作に参加していることが、より一層、そんな気にさせるのだ。
岡村詩野