Home > Interviews > interview with Levon Vinent - 大統領もホームレスも、そして君も同じハウスを聴く
これは世界中の醜いアヒルの子、つまり白鳥のための音楽だ。もし君がくだらないラット・レース(出世争い)に夢中で、他のネズミたちと一緒に権力争いをしていたとしても、もちろんこのアルバムを聴いてくれてかまわない。でもこの音楽は君のためのものじゃなくて、君に対する反抗なんだってことを肝に命じておいてくれ。
──2015年のアルバム発表に際してレヴォン・ヴィンセントが綴ったメッセージ
■今年、あなたはフェイスブックに自身が音楽理論を解説するいくつかのヴィデオを載せています。個人的には特にホールトーン・スケールの解説のなかで、序列のない音階と社会との関連性について触れているものが興味深かったです。
LV:音階についての概念的な議論はもうずっと昔からあるもので、大学時代に俺もそれについて学んだことがある。あのヴィデオで話したのは、後にシュルレアリズムに繋がるホールトーン理論の側面だ。各音階が持つ音程を市民にたとえ、そのつながりが形成するものを社会として捉えるんだ。西洋で使われる音階には、主音となる音程が存在していて、そこには音の序列があって、社会における階級序列にも類似する。上下関係から、特定の因子同士が特定の行為を生むような関係まで様々な解釈ができる。各音程が等間隔で配置されるホールトーン・スケールにおいて、各音には序列がない。つまりある種の人間関係の平等がそこ見ることもできるんだ。もっと視点を広げれば、いま世界で使われているチューニングの基準はドイツで作られたもので、そこに隠された「陰謀」のようなものについての議論もミュージシャンたちの間では行われてきたんだよ。
■なぜ自分でそういった考えをヴィデオで伝えようと思ったのでしょうか?
LV:ここ最近、俺はインタヴューに対して疑問に思うことが多くてね。君とのこのインタヴューはかなり久しぶりに行うものなんだ。そのオルタナティヴとしてヴィデオの投稿をはじめたんだけど、カメラの前では率直に意見を言えてやり易いと感じたね。それが自分には合っていると思えたし、反応を含めいろいろとうまくいているよ。
■SNSのがここまで発達した現代、利便性もある一方、誹謗中傷や「炎上」も頻発しています。あなたはインターネットの特性をどのように理解していますか?
LV:インターネットには、周知の通り善悪の面がある。ときとして人は他人をけなし、安全性も確保されているわけじゃない。俺のヴィデオ投稿は、人との繋がりを作るという意味で自主的なパブリック・リレーションズ(PR)行為だ。これは良い関係を作ることができる反面、面識のない人びとから罵倒される可能性もある。ユーチューブ上の子猫のヴィデオにだって、ひどい言葉が浴びせられたりするだろう? 一対一の直接的なコミュニケーションじゃそんなことはまずありえない。あれは明らかに「モビング(集団による個人への攻撃)」だ。だからミュージシャンたちはソーシャルメディア上で責任感を持つことが必要になってくる。
俺がフェイスブックとヴィデオを使って、自分のオーディエンスとダイレクトにコミュニケーションを取るもうひとつの理由は、モビングや誹謗中傷を避けて、リスナーに音楽そのものについて考えてもらうためだ。例えば、その昔、音楽雑誌でミュージシャンがファッションについて語ることはあっても、曲の作り方を話ことはほとんどなかった。ミュージシャンと音楽は別物として意識されることが多かったんだ。でもいまはそのギャップを自分で埋めることができる。つまりコミュニケーションのあり方をデザインできるようになった。それにもしかしたら、俺のヴィデオの投稿が若手に音楽の作り方のヒントを与えるかもしれないしね。
■2015年の1月に、あなたは同様にヴィデオを使って自身のアルバム・リリースの告知をしました。映像はニューヨーク発ベルリン着の架空の電車にあなたが乗っているかのような編集がされています。そのコンセプトを教えていただけますか?
LV:俺が育ったニューヨークのストリートで生まれたサウンドと、90年代のベルリンのスタイルの対話が、自分のやっている音楽だと思ったからだ。あの映像で、ニューヨークを出発した電車が到着するのは、ベルリンのクラブ、ベルグハインの最寄り駅のオストバーンハーフなんだよ。
Levon Vincent – Launch Ramp To The Sky
■アルバムには予期せぬ展開を遂げる曲がいくつかあります。例えば “Launch Ramp To The Sky”。この曲は終盤でビートが止まり、それまでとは異なったメロディが展開されていきます。いわゆるダンス・ミュージックのマナーを無視した進行でびっくりしました。
LV:実はビートが止まるときに流れているメロディはホールトーン・スケールでできているんだよ。ダンス・ミュージックの本質はもちろん人を踊らせることだろう? その点を守りつつも、アルバムを作っているときには、他のミュージシャンとの接点も考えていた。あれを聴いて、予想外」と捉える作り手もいれば、「これは自分にもできる」と考える者もいるはずだ。アルバムの利点は、そうやっていろんな層の人びとにアプローチできること。シングルは片面の十数分で、ダンス・ミュージックのダンスの部分にフォーカスしなければいけない、と俺は思っている。やはり、アルバムではそれとは違ったクリエイティヴな部分を出せるよね。
■前回、ジョーイ・アンダーソンが東京でプレイしたときに、彼はこの曲をフル・レングスでかけたんですね。ビートが止まった瞬間、フロアの人々が戸惑っているようにも見えたんですが、徐々に音の展開に彼らが惹きつけられていくようにも見えたんです。あなたの言う、ダンスさせることにとどまらないアルバムのクリエイティヴィティは、ダンスを必要とするフロアでも功を奏しているようです。フルでかけたジョーイもすごいですけどね(笑)。おまけに、そこから彼は再びダンス・チューンに戻っていったんですよ!
LV:それは知らなかった! ジョーイには感謝しないとな。俺もフルでかけたことはないよ(笑)。彼は素晴らしいミュージシャンであり、真のアーティストだと思う。ジョーイは型破りなことをするのに躊躇しないからね。彼の音楽は一種の場所だ。聴くたび違う場所に連れていってくれる。言うなればコズミック・プレイスだね。
■“Anti-Corporate Music”も強烈なダブテクノで幕を開け、美しいメロディが徐々にはじまりますが、これもアルバムを意図したものですか?
LV:その曲ができたのは、アルバム制作の開始よりずっと前のことだったんだ。その昔、学校のオーケストラでトランペットを吹いたことがあってね。その経験から、単音でできたメロディが俺はとても好きで、そういった構成の曲を多く作ってきた。だから俺はみんな楽器を演奏するべきだと思うのかもしれない。それが作り手や聴き手の音楽に対する姿勢に影響するからね。
■先ほどベルリンの音楽のスタイルについて触れていましたが、都市としてのベルリンからもインスピレーションは受けているのでしょうか? “Junkies On Herman Strasse”という曲もあります。
LV:ドラッグの問題は現にベルリンで起きていることだからね。現在のベルリンは80年代のニューヨークに似ていると思う。ベルリンはグラフィティで溢れているけれど、あの美学はニューヨークに由来するものだ。この文化の対話について俺は考えることが多かったね。
■最後の曲“Woman IS An Angel”は、2009年に発表した“Woman Is The Devil”の続編のようなものですか?
LV:続編というよりも、コインの面と裏の関係のようなものだね。“Angel”の方も何年も前に書いたものなんだ。完成させるのに6年もかかった。だからその2曲を思いついたのはほぼ同時期だ。もともとはレコードのA面とB面にデビル・サイドとエンジェル・サイドを収録するというアイディアだったんだよ。
■このアルバムからクラフトワークやロン・トレントの影響を思ったりもしました。
LV:俺は本当にロン・トレントが好きだよ。その比較は聞いたことはないけれど、俺にとっては名誉だね。彼はシカゴ出身だけどニューヨークにも長いこといたんだ。〈Prescription〉も好きだけど、彼がニューヨークで関わっていた〈Giant Step〉のリリースもとてもよく聴いていた。
いろんな存在に影響されていることは間違いない。でも、音楽の作り方にもいろいろあるから、影響がどう出てくるかはわからない。音楽をカタルシス的に作るときもあって、それは瞑想のようなものだ。機能的な面を考えてハウスを作るときは、それとはまったく異なる。はっきりと言えることは、音楽は俺の人生で最良の友人だということ。いつでも近くにいるし、状況が良いときも悪いときも音楽をやっている。そして、自分の人生で最も一貫して続いていることでもある。
■アルバムを発表したとき、あなたはリリースの詳細だけではなく、世界にむけてメッセージも残しました。あの言葉の意図とはなんだったのでしょうか?
LV:世界は大衆、探求者、社会病質者に分けられると俺は思っている。大衆は探求者にリーダーシップを求める。でも大抵の場合、探求者は人類史に大きなインパクトを残すことがあるものの、大衆を操ることには興味はない。マハトマ・ガンジー、マーティン・ルーサー・キング、マヤ・アンジェロウのような人びとがその例だ。でも探求者のせいぜい全体の5パーセントしかない。その一方で10パーセントの社会病質者がいて、残りの大衆を管理しようとする。この暗黒の三角関係が歴史上存在してきた。それをラット・レースと『みにくいアヒルの子』の物語を例に表したんだ。俺に関わるDJやダンスフロアの人びと、リスナーは「みにくいアヒルの子」だ。残りの85%のなかで周囲に惑わされず、彼らは美しい白鳥に成長する存在だと俺は思っている。
取材・文:髙橋勇人(2016年12月26日)