タグ「OgreYouAsshole」が付けられているもの

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 取材で出張版「RECORD YOU ASSHOLE」を聞いていたところ、出戸学が重要なことを言ったことを、わたしは聞き逃さなかった。Pファンクふうの下卑たシンセサイザーが鳴り響くローファイなアフロ・ファンクをかけながら、出戸はこういった。「僕らの音楽もよく〈引き算している〉って言われるんですけど、作っている身としては、これでちょうどいいと思ってやっているんです」(https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/23052)。イベントが終わってからも、その一言が頭の中でぐるぐると回り続けていた。

「引き算をする」とはダブの発想でもあり、先日立ち会った取材でエイドリアン・シャーウッドはそれを「less is more」といっていた。音と音の空隙が、音が鳴らないことが、残響と反響が多くを雄弁に語る、ということ。「新しい人」というこのアルバムのタイトルがフィッシュマンズのヘヴィなダブ・ソングをフラッシュバックさせるとしても、あくまでも音楽的には「これでちょうどいい」と考える OGRE YOU ASSHOLE のこころみは、それとはまたちがう。

 あるいは、ミニマル・ミュージック。もちろん、「minimal」とは「最小の」を意味する形容詞である。一般論をいうなら、「ミニマル」であることは、楽器の音の少なさ以上に「静的」であることが重要だ。つまり、おごそかで、ドラマティックで、耳が訓練された者にとって聞き心地のよい「動的」な機能和声をあからさまに無視し、和音を進ませないこと。同じ和音にとどまり、それを反復し、執拗に繰り返すこと。それは、西洋古典音楽が築き上げてきた大伽藍の否定形のひとつでもあった。

 だがしかし、「引き算をしている」かのように聞こえる OGRE YOU ASSHOLE の曲からは、たいていポップスやロック・ミュージックとしての和声の展開を聞くことができる(独自に変形し、奇形化した J-POP やこの国のロック・ミュージックなどと比べれば当然、ひじょうに簡素なものではあるが)。さらには、2本やそれより多くのギター、ベース、ドラムス、ヴォーカルが、「きちんと」聞こえてくる。またこの『新しい人』の多くの曲では、シンセサイザーやパーカッション、さらにはドラム・マシーンが鳴っている。ということは、「引き算」はされていないのではないか。OGRE YOU ASSHOLE は、音を少なくすることで多くのことを語ろうとするのではない。あるいは、ポップスとしての和声を放擲して、それらを否定してやろうというのではない。

 しいていうなら、楽器の音が重ならないようにして音が鳴らされていることは、たしかである。だから、「引き算をしている」かのように聞こえるのだろうか。OGRE YOU ASSHOLE の曲は、かみあわせのわるいパズルのピースがむりやり組み上げられているかのように、それぞれの楽器が順々に音を発し、ときにだらしなくかさなりあうことでできあがっていて、きちっとした音の咬合感、心地よさをあじわわせてはくれない。そうして、出戸の「これでちょうどいいと思ってやっているんです」という言葉にまた立ち返ることになる。どうどうめぐり。

 だから OGRE YOU ASSHOLE の音楽は、まるみをおびた音色のきわめて自覚的な選択もあいまって、研ぎ澄まされているというよりは、なまぬるく、まぬけですらある。とあるインタヴューでバンドのギタリスト、馬渕啓が「チョーキングしてもどこか無表情」と語っていたように(https://www.cinra.net/interview/201910-oya_ymmts)、OGRE YOU ASSHOLE の音楽においてギターの弦をくいっと指でもちあげることによるピッチの上昇が、なにかしらの情感やムードの変化を生むことはない。あるいはそれは、『新しい人』の音楽的なトピックであるアナログ・シンセサイザーの重用にしても同様で、“さわれないのに”や“過去と未来だけ”では、シンセサイザーがごくシンプルなリード・メロディをふぬけた単音で奏でているが(ロックやポップでシンセサイザーが試用されはじめた黎明期のころの音楽をほうふつとさせる)、機械的であるのではなく、ただひたすらにけだるい。“さわれないのに”のシンセサイザーのうねり、“自分ですか?”のモジュレーション、“朝”のスライド・ギターにしてもまたおなじである。ただそれらを耳にしても、あっ、なんかちょっとピッチが上がったな、なめらかにピッチがうつりかわったな、メロディっぽく聞こえるな、くらいの、微温の感想をせいぜい覚えるくらいのもの。まるで、道ばたに落ちているくしゃくしゃになったコンビニ店のビニール袋をちらっと見るくらいの感覚で。

 では、OGRE YOU ASSHOLE が引き算しているものとはなんなのか。それは、きわめてありがちで、おもしろみのない、そして抽象的な回答ではあるものの、エモーションである、というほかない。出戸は表題曲で、「新しい感情が生まれてくる」と、ぬるっと歌う。そこには、「新しい感情が生まれてくる」気配やムードは、からきしない。そもそもミシェル・ウエルベックの『素粒子』をリファレンスにしたという“新しい人”の詞は、2019年を生きる者にとって理解しえない、(そして、むこうにとってもこちらを理解しがたい)「新しい人」からの視点で書かれているのだという。この「新しい人」とは、「現代社会の苦々しい部分」を「克服した高次の存在」で、「遠い未来の人類」だと。つまりそれは、共約不可能な、まったき他者、ということである。そんな他者を想像し、ましてやその視点から歌うことなど、できないはなしなのではあるが、OGRE YOU ASSHOLE は、出戸は、それをやってみようとしている。そのためになされたことは、エモーションを極限までうすめ、なくすことである。いうなれば OGRE YOU ASSHOLE の引き算された(ように聞こえる)音楽とは、そして彼らのミニマリズムとは、「エモーションレス」といいあらわすのが近い。

 しかしそれは、たとえば「ひとの感情の機微を描いた」といった、わかりやすく経済的なキャプションには回収されない。「わかってないことがない」という二重否定の、二度目の否定が顔を現す寸前にがくっとずっこけ、しずみこむ、解決の延期とサスペンション。「さわれないのに」という逆説における、次のセンテンスの不在感。こうした「なにかがない」感覚は、繊細で微妙なエモーションですらなく、繊細さや微妙さも抜け落ちた、たしかな欠損感である。あるべきところになにかがない。なにかがすっぽりと、確実に抜け落ちている。しかし、その抜け落ちたものがなんなのかわからない。さらには、その欠損箇所がどこなのかもよくわからない。こういった、きわめて現代的で奇妙な感覚を、OGRE YOU ASSHOLE は奏で、歌っている。

『新しい人』は、たしかに OGRE YOU ASSHOLE の、現在のところの最高到達点である、と言ってしまおう。サイケデリアでもメロウネスでもなく、確実な欠損を(もしその欠損がエモーションというかたちになるとすれば、それは「かなしみ」であると、わたしは思う)、彼らは音楽にした。不在感がただあること、『新しい人』ではそれが鳴らされているのだ。

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 取材で出張版「RECORD YOU ASSHOLE」を聞いていたところ、出戸学が重要なことを言ったことを、わたしは聞き逃さなかった。Pファンクふうの下卑たシンセサイザーが鳴り響くローファイなアフロ・ファンクをかけながら、出戸はこういった。「僕らの音楽もよく〈引き算している〉って言われるんですけど、作っている身としては、これでちょうどいいと思ってやっているんです」(https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/23052)。イベントが終わってからも、その一言が頭の中でぐるぐると回り続けていた。

「引き算をする」とはダブの発想でもあり、先日立ち会った取材でエイドリアン・シャーウッドはそれを「less is more」といっていた。音と音の空隙が、音が鳴らないことが、残響と反響が多くを雄弁に語る、ということ。「新しい人」というこのアルバムのタイトルがフィッシュマンズのヘヴィなダブ・ソングをフラッシュバックさせるとしても、あくまでも音楽的には「これでちょうどいい」と考える OGRE YOU ASSHOLE のこころみは、それとはまたちがう。

 あるいは、ミニマル・ミュージック。もちろん、「minimal」とは「最小の」を意味する形容詞である。一般論をいうなら、「ミニマル」であることは、楽器の音の少なさ以上に「静的」であることが重要だ。つまり、おごそかで、ドラマティックで、耳が訓練された者にとって聞き心地のよい「動的」な機能和声をあからさまに無視し、和音を進ませないこと。同じ和音にとどまり、それを反復し、執拗に繰り返すこと。それは、西洋古典音楽が築き上げてきた大伽藍の否定形のひとつでもあった。

 だがしかし、「引き算をしている」かのように聞こえる OGRE YOU ASSHOLE の曲からは、たいていポップスやロック・ミュージックとしての和声の展開を聞くことができる(独自に変形し、奇形化した J-POP やこの国のロック・ミュージックなどと比べれば当然、ひじょうに簡素なものではあるが)。さらには、2本やそれより多くのギター、ベース、ドラムス、ヴォーカルが、「きちんと」聞こえてくる。またこの『新しい人』の多くの曲では、シンセサイザーやパーカッション、さらにはドラム・マシーンが鳴っている。ということは、「引き算」はされていないのではないか。OGRE YOU ASSHOLE は、音を少なくすることで多くのことを語ろうとするのではない。あるいは、ポップスとしての和声を放擲して、それらを否定してやろうというのではない。

 しいていうなら、楽器の音が重ならないようにして音が鳴らされていることは、たしかである。だから、「引き算をしている」かのように聞こえるのだろうか。OGRE YOU ASSHOLE の曲は、かみあわせのわるいパズルのピースがむりやり組み上げられているかのように、それぞれの楽器が順々に音を発し、ときにだらしなくかさなりあうことでできあがっていて、きちっとした音の咬合感、心地よさをあじわわせてはくれない。そうして、出戸の「これでちょうどいいと思ってやっているんです」という言葉にまた立ち返ることになる。どうどうめぐり。

 だから OGRE YOU ASSHOLE の音楽は、まるみをおびた音色のきわめて自覚的な選択もあいまって、研ぎ澄まされているというよりは、なまぬるく、まぬけですらある。とあるインタヴューでバンドのギタリスト、馬渕啓が「チョーキングしてもどこか無表情」と語っていたように(https://www.cinra.net/interview/201910-oya_ymmts)、OGRE YOU ASSHOLE の音楽においてギターの弦をくいっと指でもちあげることによるピッチの上昇が、なにかしらの情感やムードの変化を生むことはない。あるいはそれは、『新しい人』の音楽的なトピックであるアナログ・シンセサイザーの重用にしても同様で、“さわれないのに”や“過去と未来だけ”では、シンセサイザーがごくシンプルなリード・メロディをふぬけた単音で奏でているが(ロックやポップでシンセサイザーが試用されはじめた黎明期のころの音楽をほうふつとさせる)、機械的であるのではなく、ただひたすらにけだるい。“さわれないのに”のシンセサイザーのうねり、“自分ですか?”のモジュレーション、“朝”のスライド・ギターにしてもまたおなじである。ただそれらを耳にしても、あっ、なんかちょっとピッチが上がったな、なめらかにピッチがうつりかわったな、メロディっぽく聞こえるな、くらいの、微温の感想をせいぜい覚えるくらいのもの。まるで、道ばたに落ちているくしゃくしゃになったコンビニ店のビニール袋をちらっと見るくらいの感覚で。

 では、OGRE YOU ASSHOLE が引き算しているものとはなんなのか。それは、きわめてありがちで、おもしろみのない、そして抽象的な回答ではあるものの、エモーションである、というほかない。出戸は表題曲で、「新しい感情が生まれてくる」と、ぬるっと歌う。そこには、「新しい感情が生まれてくる」気配やムードは、からきしない。そもそもミシェル・ウエルベックの『素粒子』をリファレンスにしたという“新しい人”の詞は、2019年を生きる者にとって理解しえない、(そして、むこうにとってもこちらを理解しがたい)「新しい人」からの視点で書かれているのだという。この「新しい人」とは、「現代社会の苦々しい部分」を「克服した高次の存在」で、「遠い未来の人類」だと。つまりそれは、共約不可能な、まったき他者、ということである。そんな他者を想像し、ましてやその視点から歌うことなど、できないはなしなのではあるが、OGRE YOU ASSHOLE は、出戸は、それをやってみようとしている。そのためになされたことは、エモーションを極限までうすめ、なくすことである。いうなれば OGRE YOU ASSHOLE の引き算された(ように聞こえる)音楽とは、そして彼らのミニマリズムとは、「エモーションレス」といいあらわすのが近い。

 しかしそれは、たとえば「ひとの感情の機微を描いた」といった、わかりやすく経済的なキャプションには回収されない。「わかってないことがない」という二重否定の、二度目の否定が顔を現す寸前にがくっとずっこけ、しずみこむ、解決の延期とサスペンション。「さわれないのに」という逆説における、次のセンテンスの不在感。こうした「なにかがない」感覚は、繊細で微妙なエモーションですらなく、繊細さや微妙さも抜け落ちた、たしかな欠損感である。あるべきところになにかがない。なにかがすっぽりと、確実に抜け落ちている。しかし、その抜け落ちたものがなんなのかわからない。さらには、その欠損箇所がどこなのかもよくわからない。こういった、きわめて現代的で奇妙な感覚を、OGRE YOU ASSHOLE は奏で、歌っている。

『新しい人』は、たしかに OGRE YOU ASSHOLE の、現在のところの最高到達点である、と言ってしまおう。サイケデリアでもメロウネスでもなく、確実な欠損を(もしその欠損がエモーションというかたちになるとすれば、それは「かなしみ」であると、わたしは思う)、彼らは音楽にした。不在感がただあること、『新しい人』ではそれが鳴らされているのだ。

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 嬉しいお知らせです。9月4日、オウガ・ユー・アスホールが3年ぶりのニュー・アルバムをドロップします。心機一転、新たにスタートしたレーベル〈花瓶〉からのリリース。タイトルは『新しい人』ということで、どうしてもフィッシュマンズを思い出してしまいますが、いったいどんな想いが込められているのでしょう。
 なお全国ツアーの開催も決定しており、9月末から11月頭にかけて全国6都市をまわります。ちなみに新たなアーティスト写真は、撮影を塩田正幸が、アート・ディレクションを紙版ele-kingでおなじみの鈴木聖が担当しているとのことで、ヴィジュアル面にも注目です。ひとまずは8月7日に先行配信される新曲“さわれないのに”を待ちましょう。

[8月7日追記]
 ついに来ました。新曲“さわれないのに”が本日リリース、MVも公開されています。配信はこちらから。

[9月13日追記]
 先日発売されたばかりのニュー・アルバム『新しい人』、そこに収録された“朝”のライヴ映像が公開されました。バンドは9月29日から11月4日にかけてリリース・ツアーをおこないます。詳細は下記より。

半分現実 半分虚構
OGRE YOU ASSHOLE の新しい感覚の音楽。
三年ぶりとなる NEW ALBUM にして最高傑作『新しい人』発売決定。

メロウなサイケデリアで多くのフォロワーを生む現代屈指のライブバンド OGRE YOU ASSHOLE の三年ぶりとなる NEW ALBUM 『新しい人』が9月4日にリリース決定。
それに伴い全国6カ所をまわるリリースツアーの開催も決定。
ツアーファイナルはEXシアター六本木にて開催。
また8月7日にはアルバム発売に先立って収録曲“さわれないのに”の先行配信とMVが公開。

本作には、シンセポップ、ファンカラティーナ~ミュータント・ディスコのエッセンスを含んだ多幸感と虚無感が共生するダンスサウンドやメロウでメディテーショナルなスローナンバー等が収録。
心地よいサウンドスケープに無意識に引き込まれ、たどり着く先にある世界は……
サウンド・歌詞共にバンドの可能性を更に広げる最高傑作が完成。
レコーディング、ミックス、マスタリングは前作同様、バンドを熟知するエンジニア中村宗一郎が担当。

同時に初公開となる新しいアーティスト写真は撮影を塩田正幸、アートディレクションを鈴木聖が担当。

OGRE YOU ASSHOLE
新しい人
2019年9月4日 (水) 発売
金額:¥2,700 (税別)
Label:花瓶
品番:DDCB-19005
収録曲:後日発表

収録曲『さわれないのに』8月7日 (水) 先行配信

OGRE YOU ASSHOLE『新しい人』release tour

9月29日 (日) 松本ALECX
 前売 ¥3,900 / 当日 ¥4,400 (ドリンク代別)
 松本ALECX:0263-38-0050
10月6日 (日) 梅田TRAD
 前売 ¥3,900 (ドリンク代別)
 GREENS:06-6882-1224
10月12日 (土) INSA福岡
 前売 ¥3,900 (ドリンク代別)
 BEA:092-712-4221
10月22日 (火・祝) 名古屋 CLUB QUATTRO
 前売 ¥3,900 (ドリンク代別)
 JAILHOUSE:052-936-6041
10月26日 (土) 札幌 Bessie Hall
 前売 ¥3,900 / 当日 ¥4,400 (ドリンク代別)
 WESS:011-614-9999
11月4日 (月・祝) EX THEATER 六本木
 前売 ¥4,200 / 当日 ¥4,700 (ドリンク代別)
 HOT STUFF PROMOTION:03-5720-9999

◆オフィシャルHP先行 (e+ / 1人4枚まで)
https://www.ogreyouasshole.com/
7/19 (金) 22:00 ~ 7/29 (月) 23:59

◆PG(各イベンター)先行
後日詳細発表

◆一般発売
松本、大阪、福岡公演:8/10 (土)10時~
名古屋、札幌、東京公演:8/24 (土)10時~

OGRE YOU ASSHOLE Profile
出戸学 (Vo,Gt) / 馬渕啓 (Gt) / 清水隆史 (Ba) / 勝浦隆嗣 (Dr)

メロウなサイケデリアで多くのフォロワーを生む現代屈指のライブバンド OGRE YOU ASSHOLE。
00年代USインディーとシンクロしたギターサウンドを経て石原洋プロデュースのもとサイケデリックロック、クラウトロック等の要素を取り入れた『homely』『100年後』『ペーパークラフト』のコンセプチュアルな三部作で評価を決定づける。
初のセルフプロデュースに取り組んだ前作『ハンドルを放す前に』ではバンド独自の表現を広げる事に成功し高い評価を得る。
2010年 全米・カナダ18ヶ所をまわるアメリカツアーに招聘される。
2014年 フジロックフェスティバル ホワイトステージ出演。
2018年 日比谷野外音楽堂でワンマンライブを開催。
https://www.ogreyouasshole.com/

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 嬉しいお知らせです。9月4日、オウガ・ユー・アスホールが3年ぶりのニュー・アルバムをドロップします。心機一転、新たにスタートしたレーベル〈花瓶〉からのリリース。タイトルは『新しい人』ということで、どうしてもフィッシュマンズを思い出してしまいますが、いったいどんな想いが込められているのでしょう。
 なお全国ツアーの開催も決定しており、9月末から11月頭にかけて全国6都市をまわります。ちなみに新たなアーティスト写真は、撮影を塩田正幸が、アート・ディレクションを紙版ele-kingでおなじみの鈴木聖が担当しているとのことで、ヴィジュアル面にも注目です。ひとまずは8月7日に先行配信される新曲“さわれないのに”を待ちましょう。

[8月7日追記]
 ついに来ました。新曲“さわれないのに”が本日リリース、MVも公開されています。配信はこちらから。

[9月13日追記]
 先日発売されたばかりのニュー・アルバム『新しい人』、そこに収録された“朝”のライヴ映像が公開されました。バンドは9月29日から11月4日にかけてリリース・ツアーをおこないます。詳細は下記より。

半分現実 半分虚構
OGRE YOU ASSHOLE の新しい感覚の音楽。
三年ぶりとなる NEW ALBUM にして最高傑作『新しい人』発売決定。

メロウなサイケデリアで多くのフォロワーを生む現代屈指のライブバンド OGRE YOU ASSHOLE の三年ぶりとなる NEW ALBUM 『新しい人』が9月4日にリリース決定。
それに伴い全国6カ所をまわるリリースツアーの開催も決定。
ツアーファイナルはEXシアター六本木にて開催。
また8月7日にはアルバム発売に先立って収録曲“さわれないのに”の先行配信とMVが公開。

本作には、シンセポップ、ファンカラティーナ~ミュータント・ディスコのエッセンスを含んだ多幸感と虚無感が共生するダンスサウンドやメロウでメディテーショナルなスローナンバー等が収録。
心地よいサウンドスケープに無意識に引き込まれ、たどり着く先にある世界は……
サウンド・歌詞共にバンドの可能性を更に広げる最高傑作が完成。
レコーディング、ミックス、マスタリングは前作同様、バンドを熟知するエンジニア中村宗一郎が担当。

同時に初公開となる新しいアーティスト写真は撮影を塩田正幸、アートディレクションを鈴木聖が担当。

OGRE YOU ASSHOLE
新しい人
2019年9月4日 (水) 発売
金額:¥2,700 (税別)
Label:花瓶
品番:DDCB-19005
収録曲:後日発表

収録曲『さわれないのに』8月7日 (水) 先行配信

OGRE YOU ASSHOLE『新しい人』release tour

9月29日 (日) 松本ALECX
 前売 ¥3,900 / 当日 ¥4,400 (ドリンク代別)
 松本ALECX:0263-38-0050
10月6日 (日) 梅田TRAD
 前売 ¥3,900 (ドリンク代別)
 GREENS:06-6882-1224
10月12日 (土) INSA福岡
 前売 ¥3,900 (ドリンク代別)
 BEA:092-712-4221
10月22日 (火・祝) 名古屋 CLUB QUATTRO
 前売 ¥3,900 (ドリンク代別)
 JAILHOUSE:052-936-6041
10月26日 (土) 札幌 Bessie Hall
 前売 ¥3,900 / 当日 ¥4,400 (ドリンク代別)
 WESS:011-614-9999
11月4日 (月・祝) EX THEATER 六本木
 前売 ¥4,200 / 当日 ¥4,700 (ドリンク代別)
 HOT STUFF PROMOTION:03-5720-9999

◆オフィシャルHP先行 (e+ / 1人4枚まで)
https://www.ogreyouasshole.com/
7/19 (金) 22:00 ~ 7/29 (月) 23:59

◆PG(各イベンター)先行
後日詳細発表

◆一般発売
松本、大阪、福岡公演:8/10 (土)10時~
名古屋、札幌、東京公演:8/24 (土)10時~

OGRE YOU ASSHOLE Profile
出戸学 (Vo,Gt) / 馬渕啓 (Gt) / 清水隆史 (Ba) / 勝浦隆嗣 (Dr)

メロウなサイケデリアで多くのフォロワーを生む現代屈指のライブバンド OGRE YOU ASSHOLE。
00年代USインディーとシンクロしたギターサウンドを経て石原洋プロデュースのもとサイケデリックロック、クラウトロック等の要素を取り入れた『homely』『100年後』『ペーパークラフト』のコンセプチュアルな三部作で評価を決定づける。
初のセルフプロデュースに取り組んだ前作『ハンドルを放す前に』ではバンド独自の表現を広げる事に成功し高い評価を得る。
2010年 全米・カナダ18ヶ所をまわるアメリカツアーに招聘される。
2014年 フジロックフェスティバル ホワイトステージ出演。
2018年 日比谷野外音楽堂でワンマンライブを開催。
https://www.ogreyouasshole.com/

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 OGRE YOU ASSHOLEが9月17日、東京・日比谷野外大音楽堂にて初のワンマン・ライヴを開催した。サウンド・エンジニアに佐々木幸生、サウンド・エフェクトには中村宗一郎(THE SOUND OF PEACE MUSIC STUDIO)というお馴染みのふたりを迎え、今回は複数のスピーカーを用いた「クアドラフォニック・サウンドシステム」を導入しての公演となった。

  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE

 この日は朝からよく晴れ、思わず「オウガ日和!」とツイートしてしまうくらいの陽気だったのだが、昼過ぎから徐々に雲行きが怪しくなっていた。このところ、夕方になるとゲリラ豪雨も頻繁に勃発していたため、いざというときのためウィンドブレーカーをカバンに突っ込み野音へと向かう。今日は、サラウンド音響を存分に楽しむため、佐々木と中村が待機するPAブース付近で観ることに。定刻を20分ほど過ぎて、メンバー4人がステージに現れたときにはすでに上空に重たい雨雲が垂れ込めていた。

 まずはメンバー全員がアナログシンセに向かい、電子ノイズを思い思いに発信していく。それがステージ左右のスピーカーと、会場後方に設置された2台のスピーカーをグルグルと行き来する。その立体的なサウンドスケープに驚いていると、2011年のアルバム『homely』から“ロープ”で本編がスタートした。馬渕啓(Gt)による、宙を切り裂くようなファズギターが響き渡り、極限まで削ぎ落としたミニマルな勝浦隆嗣(Dr)と清水隆史(Ba)のリズム隊がそれを支える。続いてセルフ・タイトルのファースト・アルバムから“タニシ”を演奏した後、現時点では最新アルバムの『ハンドルを放す前に』から“頭の体操”。掴みどころのないコード進行の上で、まるで人を食ったような出戸学(Vo、Gt)の歌声が揺らめく。

 さらに、ダンサンブルな“ヘッドライト”、ピクシーズの“Here Comes Your Man”を彷彿とさせるオルタナ・ポップ・チューン“バランス”、3拍子の名曲“バックシート”と、旧作からの楽曲を披露。その間にも雨は降ったり止んだりを繰り返していたのだが、“ひとり乗り”を演奏する頃にはいよいよ本降りに。しかしほとんどのオーディエンスは、手早く雨具を取り出し動じることなくライヴに集中している。さすが。

 筆者ももちろんウィンドブレーカーを羽織ったが、強まる一方の雨のせいでチノパンはあっという間にぐしょ濡れ。関係者エリアは見る見るうちに人びとが退散していき、気づけば周りに誰もいなくなっていた。雨除けのフードを被ったものの、これだと四方八方に音が広がる「クアドラフォニック・サウンドシステム」の威力を100パーセントは楽しめない。そう思ってときおりフードを脱いでみるものの、ものすごい勢いで雨に打たれてすぐに被り直す。

 “ムダがないって素晴らしい”や、“素敵な予感”が演奏される頃には、雷鳴が響き渡るほどの土砂降りに。もはやサラウンド効果を体感することは諦め、フードを被ったまま滝のような雨に打たれて踊り狂っていた。“素敵な予感”では、オリジナル・ヴァージョンからオルタナティヴ・ヴァージョンへといつの間にか移り変わり、そのアブストラクトな音像が雨で乱反射する照明と混じり合う。豪雨によって周囲から遮断され、そんな幻想的な光景に没入し反復するリズムに身体を委ねているうちに、意識は完全にトランス状態となっていた。

  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE
  • OGRE YOU ASSHOLE

 ライヴはいよいよ終盤へ。トライバルなドラミングに出戸と馬渕のギターが絡み合う“フラッグ”は、引きずるようなテンポで焦らしに焦らし、出戸のシャウトと共にリズムがガラッと変わる。その瞬間、目の前の光景がグニャリと歪むような感覚に襲われた。後半、ヘヴィな展開ではまるで豪雨までも操っているかのように会場の空気を支配していく。その証拠に、“見えないルール” “ワイパー”で本編が終了する頃には、雨も野音から遠ざかっていたのだった。

 アンコールに登場した出戸が、「雨、やみましたね……。僕らが演奏しているときだけ降っていてすみません」と挨拶すると、会場から大きな笑いが起きた。そのまま“ロープ”のロング・ヴァージョンと、9月7日に配信リリースされた新曲“動物的/人間的”を演奏。平成最後の夏を名残惜しむような楽曲で、この日の公演は全て終了した。

 アンコール含め、新旧バランスよく並べた全16曲。これまでのオウガのキャリアを総括するようなこの日のライヴは、決して忘れられない体験となった。

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 オウガ・ユア・アスホールが9月17日、日比谷野外大音楽堂での初のワンマン・ライヴをやることになった。しかも……日比谷野音としても初の試みとなる、複数のスピーカーを用いた「クアドラフォニック・サウンドシステム」を導入。彼らのサイケデリック・サウンドがとことん体験できるというわけだ。サウンドエンジニアはオウガのメインPAエンジニアである佐々木幸生(サカナクション、BOOM BOOM SATELLITES、ゆらゆら帝国など)、サウンドエフェクトは中村宗一郎が担当。まさにエクスペリエンス(体験)!

受付URL:https://www.ogreyouasshole.com

OGRE YOU ASSHOLE
at 日比谷野外大音楽堂
ー QUADRAPHONIC SOUND LIVE ー

日程:9月17日(月・祝)
会場:日比谷野外大音楽堂
時間:16:15開場 17:00開演
チケット:前売り 4,500円
チケット一般販売:7月15日(日)
info:HOT STUFF PROMOTION 03-5720-9999

※チケット オフィシャルweb先行受付
6/1 (金)21:00~6/11(月)23:59
受付URL:https://www.ogreyouasshole.com

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 オウガ・ユー・アスホールの『ハンドルを放す前に』、あのアルバムの変態ダンス・ミュージック“頭の体操”、そして“なくした”の2曲がヨ・ラ・テンゴのジェイムズ・マクニューによってリミックスされた。ジェイムズ・マクニューが『ハンドルを放す前に』を高く評価していることから、この話にいたったそうだ。
 7インチEP「頭の体操/なくした」は10月4日発売。完売必至なので、早めにどうぞどうぞ。

 また、これらリミックス・ヴァージョンは、アメリカでのリリースも決定している。リリース元は、コナー・オバースト(ブライト・アイズ)と彼のマネージャーのネイト・クレンケルによって設立されたニューヨークのレーベル、〈ティーム・ラヴ〉。来年、それぞれのオリジナル・ヴァージョンを収録したCDとカセットの2フォーマットでリリースされる予定。

《ライブ情報》
「tour 2017」~2017年・ワンマンツアー

OGRE YOU ASSHOLE tour2017 名古屋公演
2017.12.8 (fri) 伏見 JAMMIN'

OGRE YOU ASSHOLE tour2017 東京公演
2017.12.17 (sun) 恵比寿 LIQUIDROOM

OGRE YOU ASSHOLE tour2017 大阪公演
2017.12.22 (fri) 大阪 Shangri-La

新作リリース記念 - ele-king

 10月19日に『TOSS』をリリースしたトクマルシューゴと、11月9日に『ハンドルを放す前に』をリリースしたOGRE YOU ASSHOLEの出戸学。ほぼ同じタイミングでアルバムを発表したこのふたりは、実は古くから交流があるそうです。この絶好の機会を逃すわけにはいかない! ということで、おふたりに対談していただくことになりました。これまで聴いてきたもの、これまでやってきたこと、音楽に対する熱意や誠意……互いに似ているところや逆に異なっているところを、思う存分語り合っていただきました。


「俺がソロ弾くから、ブルースのスリー・コード弾いてろ」みたいに、シークエンサーとして使われてた(笑)。それに乗せて親父が熱血ソロを弾くみたいな感じだったね。(出戸)


トクマルシューゴ
TOSS

Pヴァイン

Amazon Tower


OGRE YOU ASSHOLE
ハンドルを放す前に

Pヴァイン

Amazon Tower

おふたりが最初に出会ったのはいつ頃なのでしょうか?

トクマルシューゴ(以下、トクマル):僕とミラーとタラ・ジェイン・オニールのツアーが2004、5年にあったと思うんですけど、その時に松本にライヴをしに行ったんですよ。その時に一緒に出ていたのがオウガ・ユー・アスホールで、それが初めてでしたね。めちゃくちゃかっこいいバンドだなと思って、それからの付き合いだからもう10年以上になるのかな。

初めて会った時のお互いの印象はどうでしたか?

出戸学(以下、出戸):ギターをディレイで重ねたり、いろんな意味でギターがすごくうまくて、そういう感じで弾き語りをするというのを初めて観て、それまで弾き語りってフォーク・ギターで歌う感じだと思っていたので、びっくりはしましたね。何をやっているんだ、という感じはありました。

トクマル:東京にも当時いろいろなバンドがいたんですけど、それとはまた違った概念で活動しているバンドがいるなと思って、すごいびっくりした記憶があります。やっていることもめちゃくちゃ面白くて、それこそ「普通じゃないロック・バンド」でした。今のオウガの形とも全然違うんですけど、相当面白かったので東京に帰ったあとにいろんな人に吹聴した覚えがありますね(笑)。

出戸:本当?(笑) 当時の僕らは今と比べて何も考えていなかったんですよ。変なことをしようというか、聴いたことのない感じにしようとは思っていたんだけど、それをどうやってやればいいのかがわからなくて、高い声を出してみたり、変なフレーズや展開を出してみたり、頭じゃなくて肉体的に聴いたことのない感じをやろうとしていた頃だね。

トクマル:まだCDを出してなかった頃だよね。5曲入りのCDをもらった記憶はあるんだけど。その後ってどうなの?

出戸:その後にファースト・アルバムを出したのかな。それは吉本興業の〈R&C〉というレーベルから出たんだけど、小室哲哉のスタジオで録ったんだよね。ファースト・アルバムを録ることになった時、ちょうど小室哲哉が吉本興業に入っていて、なぜか彼のスタジオでレコーディングすることになった。ポップスを録るスタジオだったから、ファースト・アルバムは独特の音なんだよね。変なことをやろうと思っているのに、録り音がポップスっていう、今聴くと余計ねじれたものになっていて(笑)。当時はなんでロックっぽくならないんだ、と思っていたんだけど、今一周回ってから聴くと面白かったりするんだよね。逆に今は録れない音だよね。

おふたりはそれぞれ違うタイプの音楽をやられていると思うのですが、お互いの作品を聴いて刺戟されることはあるのでしょうか?

トクマル:僕はGELLERSというバンドもやっていて、ロック・バンドなんですけれども、そちらの方ではいろいろなバンドのサウンドを研究して、取り入れてみたり真似してみたりしているんですが、オウガのエッセンスを取り入れてみようとしたこともあるんです。いかんせんGELLERSというバンドがとても難しいバンドで、そういうことを一切できないバンドなので(笑)。やろうとしても、一切できなくて、それが歪んだかたちになってGELLERSというバンドになっていくので。そういうことはあったかもしれないですね(笑)。

出戸:僕らはGELLERSとよく対バンしたりしていたから、(バンド・メンバーの)みんなGELLERSは好きだった。トクマル君の新譜も欠かさず聴いていますね。会った頃からずっと。

トクマル:僕も全部聴いていますね。全部マスタリング前段階のものばっかり聴いている気がする(笑)。先に聴いちゃっていますね。

音楽をやろうと思ったきっかけはいつ頃までさかのぼりますか?

トクマル:僕(のきっかけ)はあんまり面白くなさそうなんですけど、出戸君は面白そうだなと思っていて。そもそも育ちがおかしいじゃないですか(笑)。僕は徒歩10分で小学校に通えるような都市部に住んでいたんですね。でも出戸君はたぶん違うんじゃないの? その時点で音楽を知っていたというのはすごく不思議に思っていて。

出戸:まあ親(の影響)だよね。家に楽器がある状態だったから、自然と中学1年生くらいの時にビートルズのコード・ブックを見ながら“イエスタデイ”とか“レット・イット・ビー”をギターで弾くところから始めたね。

トクマル:それまではギターとか弾いてなかった?

出戸:弾いてなかった。(ギターが)あるな、と思っていたくらい。いくつくらいから弾いてた?

トクマル:俺はピアノをやっていて、音楽は元々すごい好きだったんだけど。

出戸:俺もピアノはやってた。

トクマル:ピアノは難しくてやめて、ギターをやりたいとは思っていたんだけど、(自分では)持っていないし家にもなくて。でもコード譜を買ってきてエアーで練習して(笑)、いつか弾いてやるぞと思っていた。14、5歳の時に自分で買ってきて弾いたね。

出戸:エアーはすごいね(笑)。何を最初に弾いてたの?

トクマル:その頃はパンクが大好きで、パンクのコードがわりと簡単だったこともあって弾いていたね。あとはビートルズとかも一通りやってたかな。

出戸:速弾きに目覚めたのはいつなの?

トクマル:目覚めたってわけではなくて(笑)、ギターが大好きでギターの世界を追求しようとするとどうしてもそっちへ行くというか。『ギター・マガジン』を買うと、タブ譜に数字がたくさん書いてあったりするんだよね。曲は知らないんだけどその数字を追うのが楽しくて、「これ、どういう曲なんだろうな」と思ってその曲を買いに行くと「こんな速いんだ!」と知って頑張ってみるという。ギターはそうやって続けていたね。ギターはお父さんに教えてもらったりしたの?

出戸:いやあ、教えてもらうというか、「俺がソロ弾くから、ブルースのスリー・コード弾いてろ」みたいに、シークエンサーとして使われてた(笑)。それに乗せて親父が熱血ソロを弾くみたいな感じだったね。

ライヴをやろうと思ってバンドをやり始めたね。(出戸)

僕は別にライヴをやらなくてもいいし、一緒にいられるならいいやというバンドかな(笑)。(トクマル)

初めて買ったレコードやCDを教えていただけますか?

トクマル:たぶん子ども(向け)の童謡を買ってもらったんだと思いますね。あとはピアノを弾いていたのでピアノのレコードとか。CDが流行りだして、「レコード屋」(という呼び方)があったのに、みんな「CD屋」ってあえて言うようになってきた時に、駅前のCD屋にみんなで行って、当時流行っていたチャゲアスを買ってきたことがありましたね。

出戸:俺は子どもの時に親から買い与えられたものもあるけど、自分のお小遣いで初めて買ったのはビートルズの『ヘルプ!』だったな。白いジャケに4人が立っているアルバム。廉価盤でちょっと安くなっているようなCDだけど。街まで降りて、本屋とCD屋が一緒になっているようなところで買ったね。

自分が音楽をつくる側になって、これはすごいなと思った作品などはありますか?

トクマル:難しいですね。自分はこういうことをやりたかったんだなと思い返せたアルバムはありますね。僕はレス・ポールという人が大好きで、「レスポール」(というモデル)はギターとしてすごく有名なんですけど、レス・ポールという人自体が発明家として面白いんです。その人のアルバムを聴いた時に、これがやりたかったのかもなという発見があったんです。そもそも僕が(初めて)ギターを買った時に、なぜこんな形をしているのかとか、なぜギターは音が出るんだろうとかギターの構造自体に興味をもっていたんですけど、その構造を作った人のひとりであるレス・ポールの音楽がめちゃくちゃ面白くて、編集も凝っていたりしていたので、それは衝撃を受けた1枚かも。しかもある楽器フェアにたまたま来ていたレス・ポールと握手をして、2回くらいすれ違ったことがあって(笑)。その思い出もあって、いまだにすごく尊敬していますね。

出戸:それこそ最近、馬渕(啓)がミュージシャンの方のレス・ポールがいいとなぜか急に言い出したんだよ。偶然だね。じゃあトクマル・シューゴ・モデルのギターは作らないの?

トクマル:作りたい。木から作りたいですよね(笑)。

出戸:俺は何かなあ。ひとりに絞るのは難しいですね。

トクマル:ビートルズのあとに聴いていたのはなんだったの?

出戸:ベックとかニルヴァーナとか90年代のバンドだね。ベックが〈K〉レーベルから出してた流れでUSのインディは聴いていたけど、だから初期はUSインディの感じなのかな。ちゃんとしてない音楽がけっこう好きかも。ジョー・ミークみたいな感じの。〈K〉レーベル周りでも、ちゃんとしていないようでちゃんとしている人たちがいい。ジョー・ミークも演奏としてはちゃんとしているんだけど、どこかネジが外れているし、そういう音楽が好きかな。ひとりには決められないんだけど。

音楽を制作していく上で、技術的な部分や精神的な部分で、お互い似ていると思う点や、逆にここは全然違うという点はありますか?

トクマル:音楽に対する考え方というか、音楽に対する接し方が似ているとは少し思うかも。付き合う上でも楽だし、やっている音楽が全然違っても、互いに普通に接することができるのは、(音楽に対する接し方が似ているから、というのが)あるかも。

出戸:表面的なことで言えば、違うところのほうが多いのかもしれないけどね。

トクマル:なんでライヴをやろうと思ったの?

出戸:ライヴをやろうと思ってバンドをやり始めたね。

トクマル:そっか。初めてライヴをやったのはどこ?

出戸:もうなくなったけどトクマル君ともライヴをやった松本のホット・ラボというバーみたいなところで、高校生の時に(初ライヴを)やったね。

トクマル:文化祭とかじゃないんだ。

出戸:頼まれてギターでは文化祭に出たけど、歌ったのはホット・ラボが初めてかな。

トクマル:元々オリジナル曲をやろうということになっていたの?

出戸:そうそう。GELLERSはライヴをやろうと思っていなかったの?

トクマル:思ってなかったかも。いつも(メンバーで)集まっていて、たまたまみんながギターを買いだして、俺は参加していなかったんだけど、中学生の時に彼らが文化祭に出ると急に言いだして(笑)。文化祭に出るということはライヴをやるんだよ、と僕は言ったんだけど、それもよくわかっていなかったのかもしれない(笑)。ベースもギターもふたりいて、ヴォーカル、ドラムがいるという編成もよくわからないし、なんでも良かったのかもしれない。とにかくみんなで一緒にいたくて、僕も一緒にいたかったから照明として参加してた(笑)。(ライヴには)出てないんだけど、照明を良いところに当てていたね。だからみんなは違うのかもしれないけど、僕は別にライヴをやらなくてもいいし、一緒にいられるならいいやというバンドかな(笑)。グループ? サークル?(笑)

[[SplitPage]]


めちゃくちゃ辛いんですね、登山。辛いし、登り始めるとやめたいと思うんですけど、でも上まで行って帰ってくると「また行きたいな」と思うようになっているのが、僕のアルバム作りとすごく似ていて。(トクマル)












トクマルシューゴ

TOSS


Pヴァイン


Amazon
Tower




OGRE YOU ASSHOLE

ハンドルを放す前に


Pヴァイン


Amazon
Tower


音楽をやっていて良かったことはなんですか?

トクマル:たいがい良かったことかもしれないですよね(笑)。悪かったことを探す方が難しいかも。音楽をやってなきゃよかった! ということはないかもしれないですね(笑)。音楽をやらなきゃ良かったな、と思う瞬間ってある(笑)?

出戸:うーん。なかなかないかもね。でもレコーディングからミックスまでひとりでやっていて辛くならない? たまにトクマル君げっそりしてるな、と思う時があるからね。

トクマル:単純に体力がなくてげっそりしているんだと思う(笑)。精神的にはずっと安定はしていて、面倒くさい作業はあるしそういうのは嫌になるけど、作ることにおいては別にストレスはなくて。

出戸:(トクマル君の)新しいアルバムを聴いて、表面上はアッパーで、賑やかな曲が多くて、大団円でみんなが肩を組んで「わーい」みたいな祝祭感があるんだけど、これをひとりで作ったと思うとちょっとゾッとするというか(笑)。そういう感じはして。

トクマル:たぶん、ひとりの世界に入り込むと鬱々としてきて暗くはなるよね。

出戸:普通はそうなりそうなのに、めちゃくちゃ人がいてすごく幸せな空間ができているじゃない。(トクマル君)本人も知っているからさ、あれが怖いよね(笑)。

トクマル:不思議なんですよ。自分でもそれはわからないですね。

音楽をやっていて困ることなどはありますか?

トクマル:僕は車とかで音楽を聴かなくなりましたね。ここ10年くらい同時に音楽を聴くことができなくなって、「ながら聴き」ができないんだよね。どうしても音楽に耳をもっていかれて疲れちゃう。同時にふたつ以上のことをやるのが苦手で、どうしてもコードとか音響とかを聴いてしまったりするんだよね。だから音楽を聴くときは、「よし、聴こう!」という感じで聴きますね。

出戸:俺も読書しながら音楽を聴くのが無理なんだよね。本が入ってこなくなっちゃう。あと、困りはしないけど、リサイクルショップとかレコ屋とかがあると寄っちゃうというのはあるね。それはバンドをやっている人はけっこう多いと思うんだよね。別に困りはしないんだけど、周りが困っているんじゃないかな(笑)。

トクマル:なるべくレコード屋を出戸君たちに見せないようにしないと(笑)。

音楽以外にやる趣味などはありますか?

トクマル:なんかある?

出戸:ない。

トクマル:ははははは(笑)。僕もね、なかったんですよ。最近ね、急に山登りを好きになってしまって。僕は機材がすごく好きで、道具がめちゃくちゃ面白いんだよね。そこには知らない世界が広がっていて、素材とかいちいち細かくて、機能性がすごいことになっていたりするのが面白くてしょうがなくて(笑)。

出戸:へえ。じゃあ最近はアクティヴになってるんだ。

トクマル:そう。前作を作った時に体がボロボロになってしまって、「これはいかん、なんとかしないとな」と思いながら何もしていなかったんだけど、今年急に思い立って「登山はいいな」と思ったね。

SPACE SHOWER TV ディレクター:登山のどんなところが音楽と通じますか?

トクマル:いろいろあるんですけど、まずは機材ですよね。機材がカッコいい(笑)。あとは計画を立てないと何も達成できないというところですかね。達成感も似たようなところがあって。めちゃくちゃ辛いんですね、登山。辛いし、登り始めるとやめたいと思うんですけど、でも上まで行って帰ってくると「また行きたいな」と思うようになっているのが、僕のアルバム作りとすごく似ていて。アルバム作り中はやっぱり、途中で辛くなるんです。作りたいけどやめたいというか、なんでこんなものを作ろうと思っちゃったんだろう、っていう。もっと簡単なものにしとけば良かった、とか思うんですけど。でもそれを目指したくなっちゃう。すごくエクストリームなものに対する憧れというか。(山の)頂上に着いても別に大した達成感はなくて、降りてきて安堵すると「ああ、良かった」ってなるのが、アルバム作りもそうなんです。完成して、(アルバムが)出て、一通りツアーが終わって、落ち着いて家に帰ってくると、「はあ、終わったー」ってなるのとすごく似ている(笑)。



トクマル君は、ひとりでここまでやるという忍耐力がすごいと思うので、そこは見習いたいような見習いたくないようなところではあるんですけど(笑)。(出戸)



僕は子どもの頃、自分の机に「忍耐」と書いたことがあって(笑)。(トクマル)

今度出るオウガの新作がセルフ・プロデュースで、トクマルさんもご自身でプロデュースされていますが、自分で楽曲をプロデュースするということの魅力や大変さを教えてください。

トクマル:元々(オウガで)セルフ・プロデュースをしたことはなかったんだっけ?

出戸:ファースト・アルバムの時は一応セルフ・プロデュースなんだけど、プロデュースもできていないというか、何もわからないで、エンジニアの人のそのままの音で録れているから、何も注文していないんだよね。セカンドは斉藤(耕治)さん、そのあとずっと石原(洋)さんとやってたから、本当の意味でプロデュースしたのは今回が初めてかもね。

トクマル:何が大きく違うの?

出戸:トクマル君にとっては当たり前なんだけど、全部の決断を自分でしなきゃいけないことだね。

トクマル:じゃあ全然外部に意見を求めたりしなかったの?

出戸:バンド内だけ(で完結)だね。あとはエンジニアの中村(宗一郎)さんとのやり取りだけだね。今までは(自分たちの)意見がそのまま通るにしても、プロデューサーのハンコが押されるか押されないかで気分が違っていたんだけど、今回はずっとハンコを誰にも押されないままずっと積み上げていかなきゃいけないから、トクマル君にとっては当たり前かもしれないけど、その違いはあったかな。だから(制作は)長くかかったね。

トクマル:最終的な決断は全員で「よし、これで行こう」という感じなの?

出戸:そうだね。基本的に俺と馬渕とエンジニアの中村さんがオーヴァー・ダビングの現場にいるから、その3人のうちの誰かが「ここどうなの?」と言ったら、また3人で考え出すという感じで、3人が良いと思うところを決めていったね。でも(トクマル君は)全部ひとりで決めるんでしょ?

トクマル:ひとりです。

出戸:でも、今回の最初のとっかかりみたいなものは違うんでしょ?

トクマル:そう。とっかかりはフワッとしたものがあって、それをチョイスしていくという方法で、むしろ今回はセルフ・プロデュースしなければ良かったなと思っていて。というのは、辛かったから(笑)。例えば、誰かが弾いてくれたものとか出してくれた提案をチョイスするんだけど、なんで俺はそれをチョイスしたんだろうという自問自答に入るというか、自分のセンスを疑うというか、そこですごく悩んでしまったんだよね。なんでこれが好きなんだっけなとか、本当に好きなのかなあとか思いながらやっていたかも。それはわりと辛くて、誰かが選んでくれたら楽だったのにとは思うけど、それをしたら自分の作品じゃなくなっちゃうからやらなかったね。

出戸:そもそもなんでそういう作り方にしたの? 異常でしょ、作り方が。

トクマル:うん。初めは、正直な話、楽をしたかった。でも、楽じゃなかった(笑)。バンドみんなで「演奏するぞ、せーの、バン!」で録って、持って帰って、それを出そうと思っていたんだけど、そんなにうまくいくわけはなくて、それ(録音素材)をチョイスして曲にするという作業になってしまったんだよね。

出戸:曲がなかった時点でレコーディングしたんでしょ? それ、どういう現場なのかすごく気になるんだけど(笑)。

トクマル:やっぱり無(の状態)ではあるし、僕の注文が「普段やっていないことをやってくれ」という感じだったから……

出戸:「普段やっていないこと」って言って、みんな何を演奏したの?

トクマル:(手で拍子をとりながら)とりあえずテンポを出して……テンポを出すときと出さないときがあって、出すときは(手拍子をしながら)「ハイ!」みたいな感じでやっていく。

出戸:キーとかも決まっているの?

トクマル:決まってない。音をくれ、という感じ(笑)。

出戸:それは勝手にアンサンブルになっていくの?

トクマル:ならないです。アンサンブルにする必要はないという感じにして。

出戸:(演奏するのと)同時に録っているの? 

トクマル:同時には録ってる。

出戸:じゃあ不協和音が鳴りっぱなしになっていたりするってこと?

トクマル:する。だから音楽って難しいんだなと(笑)。

出戸:でも、そういう過程を経ているけど、全体的にはトクマル君って感じになっているよね。今までのアルバムの流れではあるというか、ぶっ飛んで変なものになっているというよりも、ちゃんとその流れでトクマル君の新しいアルバムという感じになっている。

トクマル:わりと悩んだ挙句、自分がチョイスしたらやっぱり自分の曲になっちゃうんだな、と思う。それがやってみて面白い点だったかも。

出戸:編集権がある人が、結局いちばん個性が出るというか。

トクマル:オウガの新しいアルバムを(バンド・メンバーの)みんなで聴いたことがあって、うちのドラマーが気づいたんだけど、絶対にシンバルを打つだろうというところで「なんで打たないんだろう?」って話題になって。自制心が働いているのかわからないけど、「タカタカタカタカ、ツッツッタッ」って、「そこ(シンバル)打つだろう」というところで打たないんだ、って(笑)。ああいうのをどうやって決めているんだろうなと思っているんだけど。

出戸:レコーディングの最中とかプリ・プロの時点で決めているんだけど、今回はあまりはじけた感じにはしたくないと思っていて、ドラムがライド(シンバル)とかをバーンと叩くと空間が埋まっちゃうんだよね。それを補う音をあとで考えようと。ドラムって強力だから、ドラムのパーツを少なくしたり、スネアを入れない曲もあったりして、わざと曲を構成しにくいところから始めてみようと。それなりに全部(のパーツが)が(曲に)入ってしまうと、曲として安定感が出てよく聴いた感じのものになるから、それにはドラム(の影響)がけっこうデカいんじゃないかなと思って。当たり前のことをカットして。曲として成立するかしないかギリギリのところで止めようと。バスドラムとコンガだけとかあまり聴いたことがないから、そういうのはチャレンジでもあった。

トクマル:ドラマーとしてドラムを始めた人って、普通にシンバルを叩きたくなっちゃうよね(笑)。「タカタカタカタカ、ジャーン」みたいなやつね(笑)。

出戸:それはやりたがっていたけど、やめようということにしたね。

トクマル:バンドとしてそれが成立するのはカッコいいよ。

出戸:ドラムの音色も曲ごとに変えたりしたね。今回のセルフ・プロデュースというのは大変でしたね。

トクマル:オウガは1個1個の音がちゃんと作り込まれているから、聴き応えがあって。1音1音がちゃんと大切に作られているというのがすごくわかるアルバムだし、特に今回の(アルバム)は、なぜかはわからないけどすごく聴きやすくて。

出戸:エンジニアの中村さんのやり方なんだけど、あとで加工しないっていう。録ったときの音で、ミックスのときにEQをなるべくしない。よっぽどはまらない時はやるけど、音作りは基本的に録っているときに決める。今だとエフェクトとか、あとでリヴァーヴかけようとか、あとでディレイかけようとか、音色そのものをモジュレーションで変えたりするのかもしれないけど、それも全部その場で、エフェクターとかを通して音を作ってその場で決めていくというやり方にしたいって、中村さんに言われて。それですごく時間もかかったと思う、音色ひとつ選ぶだけで。音色選びの、機材繋ぎ直しの大変さ(笑)。音色がひとつ違うだけで急に本格的なレゲエっぽくなったり、こんなはずじゃなかったというくらい曲の像が変わったりして。1音でほどよい自分の思っていたフィールドに落とせるのか、全然違うレゲエのところにいっちゃうのかというのは、今回いろいろ試していて「ここまで違うのか」というのは発見としてあったなあ。

SSTVディレクター:自分にはない、相手から学びたい魅力は何でしょう?

トクマル:僕は(オウガの)メンバーが全員大好きなので、精神面的なことをわりと学んでいますよ(笑)。学んでいるというか尊敬するというか、いいなあと思うポイントがいっぱいあるかも。人柄的なこともあるし、近くにいて欲しいタイプのバンドではあるかもしれないです。

出戸:トクマル君は、ひとりでここまでやるという忍耐力がすごいと思うので、そこは見習いたいような見習いたくないようなところではあるんですけど(笑)。やったら最後、自分で耐えられるかわからないような追い詰め方をしている感じがするので、それは見習うべきなんだろうけど、近寄りたくないなという感じもある(笑)。

トクマル:僕は子どもの頃、自分の机に「忍耐」と書いたことがあって(笑)。

出戸:そりゃひどい(笑)。

トクマル:俺はこの十字架を背負って生きていく(笑)。

出戸:そういうのが好きなんだね。だからそういう意味だと登山は向いているんじゃない?

トクマル:たぶん向いているのかもしれない(笑)。

出戸:俺は「忍耐」とは机に書いてないなあ。書いていないし「忍耐」じゃないなあ。

トクマル:違うと思うよ(笑)。

※今回の対談の一部が動画としてSPACE SHOWER NEWSにて公開されています。下記よりチェック!

interview with Ogre You Asshole - ele-king


Ogre You Asshole
ハンドルを放す前に

Pヴァイン

Indie RockKroutrockExperimental

Amazon

 世界に激震が走った……とニュースが言っている。ブリグジットに次いでトランプ勝利という波乱。マスコミや識者の予想もあてにならないという事実も明るみになった。そんな世界で、オウガ・ユー・アスホールを聴いている。
 以下のインタヴューで、新作『ハンドルを放す前に』とは、何かが起こる前の感覚を表していると説明している。起きてしまったときの感覚ではない。起こる前の感覚だと。ぼくはこの話を聞いたとき、彼らに意図はなくても、それは現在の社会/自分たちの生活を反映しているのではないかと、そのときは思った。何かが起きることの手前にいる感覚。
 だが、どうして、なんで彼らは……アルバムには、“かんたんな自由”という曲がある。リバタリアンの台頭、リベラル弱体のいま、充分に深読みできる。「かんたんな自由に/単純な君が/関心もなく ただ立っている/(略)/なんだっていいよ/勘だっていいよ/なんてことになっている/そんな自由が/かんたんな自由が/こんな ピタッと合っている/そうやってここにも/だんだんといきわたり/問題になり出している」

 こうした世の中との関連づけは、バンドが望むところではないことはわかっているが、この音楽が、ただのお楽しみのためにあるとも思いたくはない。なにせ新作は、出戸学の歌がいままで以上に入ってくる。と同時にアルバムでは、これまで試みてきたオウガの実験が、じつに洗練され、開かれ、そして滑らかな音楽へと結晶している。
 誰がどう見たっていまはロックの時代ではないだろう。それをわかったうえで石原洋は自らの拭いがたきロックへの幻想──それはありきたりのロックの美学とは異なる極めて独特なヴィジョンではある──を彼らに托し、バンドはそれを受け入れたわけだが、吐き出し方はドライだった。ゆらゆら帝国よりもずっと乾いていた。とにかく、2011年という年において『homely』は、日本の他の音楽のどれとも違っていたし、それから『100年後』(2012年)があり、そして『ペーペークラフト』(2015年)と、石原洋とのロック探索作業は続いた。
 新作『ハンドルを放す前に』は、石原洋との3部作を終えてからの、最初のセルフ・プロデュース作である。いったい世界はどうなってしまうのだろう。とてもじゃないが“寝つけない”……、そう、“寝つけない”、それがアルバムのはじまりだった。

このアルバムのなかで劇的なことは本当になにも起こっていなくて、ぜんぶがその予兆だけで終わっていくんですよね。

石原洋さんがいなくなってから最初の作品ということで、逆に気合いが入ったと思うのですが、『ハンドルを放す前に』を聴いていて(石原さんが)いるのかいないのかわからないくらいの印象でした。アルバムはどのようなところから始まったのでしょうか?

出戸:この(前の)三部作はコンセプトありきで作っていたのですが、今回はプロデュースを自分たちでやるかどうかも考えていなくて。どういうコンセプトでやるかということも考えず、僕と馬渕で好き勝手に1曲ずつ作ってお互いに聴かせあうというところからはじめましたね。

ゴールを決めずに作ったんですね。その、ある種リラックスした雰囲気は音楽にも出ていると思います。

馬淵:好きな音像をどんどん作っていくというのが、レコーディングの前までにしたことですかね。

出戸:ただ、実際にセルフ・プロデュースということが決まったときからリラックスはしていないんですけどね。

馬淵:むしろ石原さんがいるほうが、石原さんがいるってことでリラックスしていたね。

はははは、そういうことか。

出戸:責任は自分たちに来るし、セルフ・プロデュースだとつまらなくなった、という話になりかねないじゃないですか。そういった意味で僕はいつもより気合いが入っていましたけどね。

最初にできた曲はどれですか?

出戸:ちゃんと歌詞までできたのは“寝つけない”かな。

この“寝つけない”って言葉はどこから来たのですか?

出戸:あまりコンセプトがなくて歌詞を書いていて……、最終的には自分なりにこのアルバムは『ハンドルを放す前に』という単語に集約されるとわかったんですけど、その前までは「なんで寝つけないことを俺が書くんだ」と深追いはせず、書きたかったから書いたという感じですね。最後に全部(曲が)できたあとでこういう分析をしてみたというのはありますけどね。

清水:どうでもいいですけど、出戸君はすごく寝つける人なんですよ。

(一同笑)

ああ、そういう感じですね(笑)。僕はその真逆で寝つきがとても悪いので、自分のことを歌われている気持ちになりました。

出戸:僕はめっちゃ寝るんですよね。

それは言われなくてもわかります。

(一同笑)

寝つけない現代人はとても多いと思います。これは風刺なんですか?

出戸:いや、そこは風刺してないですよ。何かがはじまる前に次の未来のこととか先のことを考えていて、いまリラックスできないって感じがあるじゃないですか。その感じがこのアルバム全体にあって、なにかの一歩手前の感じというか、そういうことを歌いたかったんじゃないですかね。

その“なにか”というのは前向きな“なにか”ですか? それとも後ろ向き“なにか”ですか?

出戸:僕のなかでそれはどっちでもないんですね。何かが起きる前の感じ、ってのがよくて、それがポジティヴでもネガティヴでも起こっちゃったら今回の作品のテーマじゃなくなっているというか。(なにかが)起こるちょっと前の感じ。注射を打ったときより打つ前のほうが打つときよりも怖い(感じ)というか、遠足に行く前の日のほうがワクワクするというか。そういう感じなだけで、それが感情の陰か陽かということはどっちでもいいんですよ。

はぁー。出戸君の歌詞はすごく独特じゃないですか。久しぶりに振り返って(オウガのアルバムを)聴いてみたのですが、歌詞を書く際のスタンスが基本的にはそんなに変わっていないのかなと思いました。“100年後”とか

出戸:大幅には変わっていないですけど、今回の“頭の体操”とか“移住計画”はいままでと違った書き方だと自分のなかでは思っています。いままでは行間に「クエスチョン・マーク」がつくような幅をもたせて想像力を湧かせるような書き方もあったんですけど、今回はまったく行間がなくて“頭の体操”のことをただただ歌っているというか、それ以上でもなくそれ以下でもない歌詞にしましたね。でもそれをやることによって、なんでそれを歌っているんだという大きい「クエスチョン・マーク」ができるということに気づいて、その2曲に関しては自分のなかでは、いままでとちょっと違った書き方なんです。

[[SplitPage]]

あんまりガツガツしすぎるとだんだん疲れてきちゃうし、ガツガツしている人を見るのも疲れるじゃないですか。自分がげんなりしない程度にはいろいろ嫉妬とかガツガツしたりもしますけど、自分があとでダメージをくらわない程度ですよね。


Ogre You Asshole
ハンドルを放す前に

Pヴァイン

Indie RockKroutrockExperimental

Amazon

みなさんは出戸君の歌詞に関してはどのような感想をもっていますか? 何について歌っているのか聞いたことはありますか?

馬淵:ありますよ。今回はけっこう(歌詞について)話していたかな。

出戸君の歌詞は二通りの捉え方があると思います。ひとつはシュールレアリズム的な捉え方と、もうひとつは世のなかに対するアイロニーという捉え方。「なんて屈折した世のなかの見かただろう」と思うような、後者の捉えられ方というのもとてもあると思います。“100年後”とかそうでしょう?

(一同笑)

「これまでの君と これからの君が 離れていくばかり」とか。たしかに出戸君本人が言ったように「クエスチョン」が立ち上がりますが……。

馬淵:勝浦さんは「自分のこと歌われている」って言っていたじゃないですか(笑)。

(一同笑)

アイロニーとして感じたことはないですか?

勝浦:たぶんもっと根っこの部分がそういう感じで、僕は本人(出戸)が思ってもいないままそういうふうになっていると思っています。だから本人は「アイロニーを歌ってやろう」とは思っていないと思います。

そのとおりだと思います。

出戸:だからいわゆるアイロニー的な感覚で作品で作りたいとはあまり思ってないんですよね。社会を風刺してやろうとかそういう思いはなくて、もっとフラットに作品をどうしようとか、この言葉の感じと歌を合わせたらいいなあとか、好みで選んでいるつもりなんですけどね。

“頭の体操”なんかは解釈次第では「なんて意地の悪い歌なんだろう」って思えるような歌詞でしょう?

勝浦:思わなかったですね(笑)。

馬淵:中村さんは言っていたけどね。

出戸:中村さんは「頭の体操をしろ」という上から目線の歌詞にも感じるって言っていました。

(一同笑)

出戸:そんなつもりはまったくないんですけど(笑)。

勝浦:なんてカッコ悪い歌詞を作るんだろうなあと思って、それがいいなと思ったんですけどね(笑)。“頭の体操”ってすごくカッコ悪い響きの言葉を使うのが出戸君らしいと思いました。

そうなんだ。世のなかを皮肉っているとしか言いようがないですけどね。

清水:本人は意識してないと思うんですけど、出戸くんには批判的な視線というのが常日頃からあると思うんですよね。わりと世のなかとか外界というものを批判的に見ているというか。

出戸:いや、自分に対しても批判的ですよ!

清水:出戸くん自身に対しても批判的だよね。なんというか外界をぜんぶ批判的に見ていて、そういう人だから、どうしても時代というものと無関係じゃなくなってしまうんです。今回のアルバムの何かがはじまる前の感覚というのも、いつからなのか、ずっとそういう時代が続いているのと無関係ではなくて。破滅しそうなしないような、ハッピーになるようなならないような、そういう中を生きてるような時代感があると思っていて。

ああ、そうですね、いま清水くんが言ったことは本当に頷けます。

出戸:俺はかなり楽観主義ですよ。そういった皮肉とか批判する視線もありますけど、半分はなんだかんだ良くなるかもしれないし、という気持ちもありますよ。

勝浦:どっちのスタンスかということじゃなくて、たぶん日常とか現実からの距離が人と違うんですよ。すごく離れているから、どっちの立場ということではないと思うんですよね。

清水:時代がどうなろうと確固とした自分があるから、出戸くんは揺るがないんだと思う。対象と距離が取れているから、現実がどう変わっていこうとそれを見つめ続けられる強さがすごく出てくるというか。そういう感じがするけどね。

3.11があって、ぼくはその年の夏に『homely』を聴いたんですよね。そのときのオウガは、日本がんばれとかいろいろあったなかで、ある種の居心地の悪さを絶妙な音で表現していたというか、その感じがぼくにはすごく引っかかったんですよね。クラウトロックとかなんとかいう註釈は後付けであって。

出戸:もちろんまったく関係ないとも思っていないですよ。社会とか、いまの時代の空気感と離れすぎてもいないですけど、野田さんが思っているほど近くないというか。どこがポイントなのか自分でもよくわからないんですけど。

歌詞を書くときはどういうところから書いていくのですか?

出戸:曲ありきで歌詞を書いていますけど、なにかひとつアイデアがあったらそれを元に絵を(頭に)浮かべて描いていくという感じですね。

『ハンドルを放す前に』というタイトルは、なにかが成し遂げられる一歩手前の感覚という話でしたが。

出戸:そうですね。でも感情とかそういう話ではなくて。ピサの斜塔って倒れそうだけど、多分あれを見て悲しいと思う人はいないじゃないですか。あんな感じのアルバムというか(笑)。

(一同笑)

勝浦:「運転する前に」じゃなくて「放す前に」なんだよね。

おかしい言い方ですよね。

出戸:「運転する前に」というか「放棄する前に」という(感じですね)。

でもその先には「放棄する」というのがあるわけですよね。

出戸:いや、それは放棄する予兆だけ、でまだハンドルは持ったままの状態でしかないです。このアルバムのなかで劇的なことは本当になにも起こっていなくて、ぜんぶがその予兆だけで終わっていくんですよね。

たしかになにも起こっていない感じはすごく音に出ていますね。でもなぜそのなにも起こっていない感じをこんな緻密な音楽で表現しようとしたのですか?

(一同笑)

出戸:そういう置物が好きだったとしか言えないですね。ちゃんと立っているやつより、斜めに立っているものが欲しかっただけです。

それはわかりやすく言ってしまうとオウガ的なメッセージというか、すごくオウガらしいですよね。ロックというのは常になにかが起こっていなければいけないし、常に物語があるじゃないですか。それは彼女との出会いかもしれないし、あるいは社会であるかもしれない。とにかくなにかが起きているということに対して、本当になにも起こっていないというスタンスですよね。

出戸:でもさっきの注射を打つ前の話とか遠足に行く前の日の話とかのように、予兆というのはいちばん重要なポイントなんじゃないかと思っていますね。

勝浦:SF映画で宇宙人が出てくる前は良いけど、出てくるとがっかりするとか、狂気の前のなにかが起こりそうな感じとか、たしかにそこが一番ピークといえばピークだよね。

出戸:ピークだし表現のしようがある場所というね。

なるほど。今回のアルバムは歌メロが違うのかな、と感じたのですがどうでしょうか?

出戸:あまり意識はしてないんですけど、これまでの三部作より全体のミックスで歌が大きくなってます。

1曲目(「ハンドルを放す前に」)や“はじまりの感じ”、“移住計画”といった曲にあるようなメロウなメロディはいままであまりなかったじゃないですか。

出戸:そうですかね、“夜の船”とかありましたよ。

簡単な言葉で言ってしまうと、“はじまりの感じ”はとてもポップな曲に思えたし、そこは今回挑戦した部分なのかと思ったのですが、どうでしょうか?

馬淵:“はじまりの感じ”は、もともとシングルに入れたヴェイカント・ヴァージョンの方をアルバムに入れようと思っていたんですけど、(結局入れたのは)わかりやすいアレンジのほうになりましたね。アルバムに入れた“はじまりの感じ”が、今回では一番バンドっぽいですよね。普通のロック・バンドがやっている演奏って感じの曲ですね。でも出戸のメロディに関しては、結局あまり変わってないと思うんですけどね。あとは歌がシングルっぽいですよね。

それは録音としてでしょうか?

出戸:録音ですね。いままではダブリングといって2回録音した歌を重ねてにじんだ声にしてヴォリュームも小さかったのが、(今回は)歌が生々しくて、わりとにじみが薄くて1本でドンとある感じで(ヴォリュームも)でかいという歌に耳がいっちゃうような作り方になっていますね。

それには出戸君の歌を聴かせたいという意図があったのでしょうか?

出戸:最初はいままでどおりのミックスで進んでいたんですけど、最後のほうで中村さんから「もうちょっと歌(のヴォリュームを)上げてみませんか」という提案をもらって、それで上げてみたらそっちのほうが奇妙で面白かったという感じです。いままで聴きなじんで当たり前だったものよりも新鮮に聴こえたというか。

馬淵:バックが無機質で上モノの音とか飛び出してくる音が少ないんですよ。そこに声を(上げて)入れてみたらバコンときたから、その対比が面白かったんです。

出戸君の歌詞というものをさっ引いて音としてメロディを聴くと、「お、いいヴォーカルじゃん」と思いました。ある意味でオウガのスタイルというものを作り上げている感じはするのですが、今回のアルバムは人によって好きな曲がバラけるのかなという感じもしました。メンバーとしてはどの曲が好きなのですか?

出戸:僕は「はじまりの感じ」のシングルにしか入っていない(アルバムから)外されたヴァージョンが好きでしたけどね。

(一同笑)

清水:詞とか含めて3曲目が好きかなあ。あとは“寝つけない”も好きかな。曲調がバラバラだから、どっちが良いってのは考えにくくて、全部好きなんですよね(笑)。個人的に今回はどれも違う味で、どれも美味しいという聴き方ができるんですけど。あえて言うなら“寝つけない”とか“なくした”が好きって感じです。単純に自分の好みですね。

勝浦君はドラマーの立場からどうでしょうか?

勝浦:僕は最初に馬渕君が“寝つけない”のデモが来たときから、今回はうまくいくなと思ったんですよね。あとは4曲目の“あの気分でもう一度”もメロウで好きですね。

馬渕くんは?

馬淵:僕も“寝つけない”ですね(笑)。いい曲ですね。

では“寝つけない”が最初にシングル・カットされたのは、みなさんが好きだったかななんですね。

出戸:そうですね。最初にできたからというのもあるし。

馬淵:12インチだったしね。

清水:みんなが(“寝つけない”を)好きというのが、いま明らかになったね(笑)

出戸:そうだね(笑)。

これまでは石原さんがいたからソースとして頼りになっていたことがあると思うのですが、今回のアルバムを作っていくなかで音楽的にどのようなところからインスピレーションを得ていたのでしょうか?

出戸:最初にコンセプトをもうけていないから、普段自分たちがいろいろ聴いて消化したものが出てきているので、これという取っかかりになったような作品は、バンド内であまり出てきていないですね。日常生活であれがいい、これがいいというものはあるんですけど。なにかあります?

馬淵:モンド感とかエキゾ感を散りばめようとか、そういったようなことはチョロっと話したような気がするけど。

勝浦:たしかに最近馬渕君の車に乗るとエキゾっぽい曲がかかっている気がするね。

馬淵:あと僕はバンドがやっているという感じではなくて、人がいなくて機械がやっている感じがいいなと思っていました。ちょっと冷めていているけど、ロボット達が血の通ったことをやろうとしているような感じをイメージしてましたね。

[[SplitPage]]

石原さんの基本には多分、ペシミスティックな感覚があって、それが独特の美意識にもつながっているんだけど、もともとオウガが強く持っているものではないから、今回はペシミスティックでデカダンな感じが希薄なのかもしれません。


Ogre You Asshole
ハンドルを放す前に

Pヴァイン

Indie RockKroutrockExperimental

Amazon

どのバンドも長いことやっているとマンネリズムの問題があると思うのですが、オウガはそういうようなことはなかったのでしょうか?

出戸:昔はそんな感覚もありましたね。でも『homely』以降はないですね。“ロープ”をライヴでやりすぎて飽きてくる、とかはありましたけど(笑)。レコーディングに関しては新曲をもってくるときに「またその曲かよ」とみんなのテンションが下がることはいまのところないと思います。

清水:今回の新譜のために曲作らなきゃという話をふたりがしはじめてから、ボツになった曲がけっこう沢山あるんですよね。ライヴでやってからボツになった曲もあるし、練習だけしてやらなくなった曲もけっこうありました。でも、二人からたくさん(曲が)出てきて、それが尽きないという感じがあった。そこからどんどん削ぎ落としていくという作業が、僕の知っているなかではいちばん激しかったと思います。だから、すごく磨きこまれた感じがあるんですよね。曲が採用されるまでに戦いがあったというか。

馬淵:勝浦さんとのね。

(一同笑)

清水:やってみて、「これはやめたほうがいいんじゃない?」ってことはあったよね(笑)。

バンドを続けていくうえでのモチベーションは『homely』の頃から変わっていないですか?

出戸:そこはまだ疑問視もしてないくらい。

(一同笑)

焦りもない(笑)?

出戸:あるはあると思うんですけど……。それはありますよね。

清水:でもはたから見ていると出戸くんも馬渕くんも曲作りとかで困る状況をけっこう無邪気に楽しんでいるというか(笑)。

出戸:あんまりガツガツしすぎるとだんだん疲れてきちゃうし、ガツガツしている人を見るのも疲れるじゃないですか。自分がげんなりしない程度にはいろいろ嫉妬とかガツガツしたりもしますけど、自分があとでダメージをくらわない程度ですよね(笑)。

(一同笑)

それは長野にいるということも一つにはあるのでしょうね。

出戸:住んでいるからというか、だから長野に住めるんだと思いますけどね。もっとガツガツしていたら東京にいなきゃダメでしょということになって、(長野に)いれないと思いますよ。なにもない日々が続く感じなので。

(一同笑)

オウガは音楽的を追求するバンドですが、音楽リスナーのみんながそこまで音にこだわっているわけではないですよね。そういったことに不満やストレスといったものはあるでしょう?

馬淵:僕はないですね。リスナーの人もそうだけど、好きに聴いてもらえればいいと思っているし、わかってほしいと思う近しい人に伝わっていれば満足できるというか、自分がすごいと思っている人にいいと言ってもらえたら嬉しいというのはありますけどね。どう?

出戸:うーん……。

この沈黙はやっぱりちょっと思っているところがあるんだ。

(一同笑)

清水:ふたり(出戸、馬渕)の作品作りは、すごくよくできた椅子とかコップとかを作っているのに近いなと思っているんですね。飾り気もないんだけど実用性はあって、歴史も踏まえていて、いまの時代にあって日用雑貨として使いやすいんだけど奇をてらっていなくて、そんなふうに考えてキッチリ作られた家具とか、そういうものに近い感じがしてて。色々踏まえてきっちり作ってあるから楽しむ人は楽しんでくれるし、合わない人もいるとは思うけど、作った職人さんは「合わないよね」くらいに思うだけで、ただいいものを作ろうとして作っているだけだという。だからユーザーに対する不満なんか、職人さんは特に持ってない。そんな境地じゃないの?

出戸:大衆に向けて作ろうとしていないと言っているけど、それよりさらに(対象が)狭いかも。信頼している人が何人かいるからそういう人たちの顔は見えるけど、あとは自分のなかで(完結していて)、外部といったら10人くらいかな。「あの人はどう思うのかな」というのはちょっと思ったりしますけど。野田さんの話もたまに出ますよ。

馬淵:これは野田さん嫌いでしょ、みたいな(笑)。

(一同笑)

出戸:これは野田さんが好きそうとか、よく名前は出てきますよ(笑)。知っている人の範疇でしか想像できないからね。

清水:でもその向こうにはいっぱい人がいるわけでしょ? 野田さんの向こうにはいっぱい人がいて、その集約として野田さんがいるという感じがしますよね。

出戸:そういう意味ではお客さんに対しては(不満は)ないですけど、ライターの人とかにちょっとイラッとするときはありますね(笑)。でもそれはこっちの説明不足というのもあるし。多分誰しもがあることですよね。

さきほどアイロニーの話をしたときに出戸君が「自分に向けても」と話していましたが、歌詞のなかに自分が出てくることはあるのですか?

出戸:自分が出てくることもありますね。自分の気分が歌詞になっているから、舞台に自分を立たせているかはわからないですけど、歌詞の感じが自分の気持ちに似た雰囲気をもっていると思いますね。だから登場人物として自分がでてくるというニュアンスよりも、監督としているという感じかな。

自分のエモーションを歌うということはありますか?

出戸:ないかも。感情の出し具合というのもあると思うんですけど、すごく号泣している人を見ても一緒に泣けないというか、むしろ引いちゃう感じがあるじゃないですか。でもロボットが泣いていると「どうしたんだ」と思う感じもあるというか。

清水:ええ(笑)?

出戸:俺はそういう感じ(笑)。

清水:そもそもロボットが泣いているというシチュエーションがすごい(笑)。

勝浦:出戸くんはあんまり情動がないんだと思います。短期間の激しい上がり下がりはなくて、長くてゆるやかな変動はあるけど気分という感じなんですよ。歌詞も気分はよく出てくるけど、感情とかそういうのは歌詞に出てこないですよね。波風が立っていない海みたいな、そういうイメージですね。

はははは、すごいイメージ(笑)。勝浦君が一番付き合いが長いのですか?

勝浦:いや、馬渕君ですね。

馬淵:高校から(の付き合い)ですね。

ずっとこういう感じでした?

馬淵:いや、どんどん冷静な感じになっていますね。

(一同笑)

さすがに高校時代はそうでもありませんでしたか?

馬淵:それは若いからいまよりありましたけど、みんなそうでしょ? まあ、でも冷静ですよね。

勝浦:冷静すぎて腹が立つときもあるよね。

(一同笑)

勝浦:なにか言ってすごくまともな答えを返されたりして、合っているんだけどこっちがすごくみっともない感じがして(笑)。もうちょっと動揺してよ、と思うくらい安定しているというんですかね。

内に秘めているタイプですよね。

出戸:でも勝浦さんを見ていて「すぐ怒るなあ」と思うけどね(笑)。

(一同笑)

勝浦:この感じなんです(笑)。

勝浦君は感情の起伏が激しいのですね。

勝浦:僕は情動ですね。

清水:二人とも極端で、どっちも普通じゃないというか(笑)。

ちょうどバンド内のバランスがとれているのですね(笑)。ドラムはとてもミニマリスティックなのにね。さて、これまでコンセプチュアルな作り方をしてきて、今回のアルバムはゴールを決めずに作ったような話でしたが、最終的になにをゴールとしたのか、どうやってアルバムをまとめあげたのでしょうか?

出戸:最後まで曲順を決めるのに難航してどの曲順もしっくりこない感じがあって、曲を入れかえたり、アレンジが違うものを入れかえたり、曲をボツにしたり、削ったり尺を変えたり、最初に好き勝手に作った分まとめるのに苦労したんですけど、「ハンドルを放す前に」を1曲目にしたところからようやくまとまりそうな気配がでてきたという感じでした。それ以前はなにがどうなるのか、自分たちでもよくわからなかったですね。

どうしてアルバムができるまで2年かかったのでしょうか?

出戸:レコーディングのスケジュールを長めに取ったりしていたら、自然とそうなったんですけどね。

ではとくに難航したということでもなく?

出戸:レコーディングはもともと1ヶ月半くらいで終わる予定だったんですけど、さらにその倍の時間がかかってしまいましたね。(今回は)最初から音決めを丁寧にやっていて、ずっと中村さんに「これで本当に終われるんですか?!」って言われてたよね(笑)。

(一同笑)

出戸:(それくらい)丁寧にやっていたので、難航したというよりも積み重ねるのに時間がかかったという感じですね。

ひらたく言えば、前作より聴きやすいアルバムになったと思います。それは意図せずそうなったのでしょうか? 前作が実験作であったので、比較するのも変な話ではあるのですが……。

出戸:ミックスの感じで聴きやすくなっているというのはあるよね。いままでは聴き手側が「聴くぞ」と思ってちゃんと(聴き)取りにいく感じがあったと思うんですが、今回ももちろんそういう聴き方もしてほしいんですけど、そうじゃない聴き方でも聴けるミックスになっていると思いますね。

なんかリラックスしているというとそれは違うという話ですが、たとえば、“見えないルール”のような曲のテンションとは違う感覚を打ち出しているアルバムですよね。

清水:たぶん(三部作とくらべて)悲壮感が薄いんです。石原さんの基本には多分、ペシミスティックな感覚があって、それが独特の美意識にもつながっているんだけど。(その悲壮感は)もともとオウガが強く持っているものではないから、(今回のアルバムは)ペシミスティックでデカダンな感じが希薄なのかもしれません。だから、リラックスしたわけではないんだけど、比較的リラックスしているように聴こえるのかなと思いますね。(今回は)悲観でも楽観でもない中間に浮かんでなにもない真空みたいな感じになっていると思うんだけど。意識としてはリラックスはあまりしてないよね? 

出戸:でも重くしたくないというのはありましたよね。重くて大仰じゃないアルバムを作りたいと思っていましたね。

清水:最後の曲順とかアレンジを考えているときまでそれは話していたよね。重くなりすぎないようにとか、大仰にならないようにとか、(曲が)ほとんどできて並び替えとか曲の長さを決めているときにも話した気がする。

なぜ?

出戸:今までと違うことをしたかったからですよね。

(一同笑)

なるほど。じゃあそんなところでいいかな。

(一同笑)

『homely』はしばらく聴いていないですよね?

出戸:レコーディング中に聴きました。

あのアルバムをいま聴くと、ずいぶんトゲがありますよね。それに比べると、今回のアルバムはすごく滑らかなサウンドですよね。

勝浦:この前ちょっとひさしぶりに(『ハンドルを放す前に』を)聴いたら、おこがましいんですけどヨ・ラ・テンゴのような雰囲気を感じて、それが野田さんのおっしゃっているリラックスというかスルメっぽい感じというか、表面のゴテゴテがなくて、いままでより奥にあるものに近づいた感じがしていて。

カンでいえば『フロウ・モーション』ですよね。

勝浦:こういう感じでやれたら長くい続けられるんじゃないかなと思ったんですよね。

出戸:「後期のカンっぽい」って言っていう感想もあったなあ。

オウガもいよいよ成熟に向かったかという感じで。

出戸:残念ですか(笑)?

もっと成熟していくように思いますね。

勝浦:みんなですごくたどたどしくやっているという感じで、そのたどたどしさを僕はいいと思うんですよね。ああいう成熟した人たちって演奏もうまいし、かたちになっているんですけど、自分たちのはインディーズ感がありつつ落ち着いているというのが面白いバランスだと思いましたね。

(了)

アルバム発売記念・全国ツアー・14公演
「OGRE YOU ASSHOLE ニューアルバム リリースツアー 2016-2017」

11/26(土)  仙台 Hook
11/27(日)  熊谷 HEAVEN’S ROCK VJ-1
12/03(土)  札幌 Bessie Hall
12/09(金)  長野 ネオンホール
12/10(土)  金沢 vanvanV4
12/11(日)  甲府 桜座
12/16(金)  岡山 YEBISU YA PRO
12/17(土)  広島 4.14
01/14(土)  福岡  BEAT STATION
01/15(日)  鹿児島 SRホール
01/21(土)  名古屋 CLUB QUATTRO
01/22(日)  梅田  AKASO
01/28(土)  松本  ALECX
02/04(土)  恵比寿 LIQUIDROOM ※ツアーファイナル

interview with Ogre You Asshole - ele-king


Ogre You Asshole
ハンドルを放す前に

Pヴァイン

Indie RockKroutrockExperimental

Amazon

 世界に激震が走った……とニュースが言っている。ブリグジットに次いでトランプ勝利という波乱。マスコミや識者の予想もあてにならないという事実も明るみになった。そんな世界で、オウガ・ユー・アスホールを聴いている。
 以下のインタヴューで、新作『ハンドルを放す前に』とは、何かが起こる前の感覚を表していると説明している。起きてしまったときの感覚ではない。起こる前の感覚だと。ぼくはこの話を聞いたとき、彼らに意図はなくても、それは現在の社会/自分たちの生活を反映しているのではないかと、そのときは思った。何かが起きることの手前にいる感覚。
 だが、どうして、なんで彼らは……アルバムには、“かんたんな自由”という曲がある。リバタリアンの台頭、リベラル弱体のいま、充分に深読みできる。「かんたんな自由に/単純な君が/関心もなく ただ立っている/(略)/なんだっていいよ/勘だっていいよ/なんてことになっている/そんな自由が/かんたんな自由が/こんな ピタッと合っている/そうやってここにも/だんだんといきわたり/問題になり出している」

 こうした世の中との関連づけは、バンドが望むところではないことはわかっているが、この音楽が、ただのお楽しみのためにあるとも思いたくはない。なにせ新作は、出戸学の歌がいままで以上に入ってくる。と同時にアルバムでは、これまで試みてきたオウガの実験が、じつに洗練され、開かれ、そして滑らかな音楽へと結晶している。
 誰がどう見たっていまはロックの時代ではないだろう。それをわかったうえで石原洋は自らの拭いがたきロックへの幻想──それはありきたりのロックの美学とは異なる極めて独特なヴィジョンではある──を彼らに托し、バンドはそれを受け入れたわけだが、吐き出し方はドライだった。ゆらゆら帝国よりもずっと乾いていた。とにかく、2011年という年において『homely』は、日本の他の音楽のどれとも違っていたし、それから『100年後』(2012年)があり、そして『ペーペークラフト』(2015年)と、石原洋とのロック探索作業は続いた。
 新作『ハンドルを放す前に』は、石原洋との3部作を終えてからの、最初のセルフ・プロデュース作である。いったい世界はどうなってしまうのだろう。とてもじゃないが“寝つけない”……、そう、“寝つけない”、それがアルバムのはじまりだった。

このアルバムのなかで劇的なことは本当になにも起こっていなくて、ぜんぶがその予兆だけで終わっていくんですよね。

石原洋さんがいなくなってから最初の作品ということで、逆に気合いが入ったと思うのですが、『ハンドルを放す前に』を聴いていて(石原さんが)いるのかいないのかわからないくらいの印象でした。アルバムはどのようなところから始まったのでしょうか?

出戸:この(前の)三部作はコンセプトありきで作っていたのですが、今回はプロデュースを自分たちでやるかどうかも考えていなくて。どういうコンセプトでやるかということも考えず、僕と馬渕で好き勝手に1曲ずつ作ってお互いに聴かせあうというところからはじめましたね。

ゴールを決めずに作ったんですね。その、ある種リラックスした雰囲気は音楽にも出ていると思います。

馬淵:好きな音像をどんどん作っていくというのが、レコーディングの前までにしたことですかね。

出戸:ただ、実際にセルフ・プロデュースということが決まったときからリラックスはしていないんですけどね。

馬淵:むしろ石原さんがいるほうが、石原さんがいるってことでリラックスしていたね。

はははは、そういうことか。

出戸:責任は自分たちに来るし、セルフ・プロデュースだとつまらなくなった、という話になりかねないじゃないですか。そういった意味で僕はいつもより気合いが入っていましたけどね。

最初にできた曲はどれですか?

出戸:ちゃんと歌詞までできたのは“寝つけない”かな。

この“寝つけない”って言葉はどこから来たのですか?

出戸:あまりコンセプトがなくて歌詞を書いていて……、最終的には自分なりにこのアルバムは『ハンドルを放す前に』という単語に集約されるとわかったんですけど、その前までは「なんで寝つけないことを俺が書くんだ」と深追いはせず、書きたかったから書いたという感じですね。最後に全部(曲が)できたあとでこういう分析をしてみたというのはありますけどね。

清水:どうでもいいですけど、出戸君はすごく寝つける人なんですよ。

(一同笑)

ああ、そういう感じですね(笑)。僕はその真逆で寝つきがとても悪いので、自分のことを歌われている気持ちになりました。

出戸:僕はめっちゃ寝るんですよね。

それは言われなくてもわかります。

(一同笑)

寝つけない現代人はとても多いと思います。これは風刺なんですか?

出戸:いや、そこは風刺してないですよ。何かがはじまる前に次の未来のこととか先のことを考えていて、いまリラックスできないって感じがあるじゃないですか。その感じがこのアルバム全体にあって、なにかの一歩手前の感じというか、そういうことを歌いたかったんじゃないですかね。

その“なにか”というのは前向きな“なにか”ですか? それとも後ろ向き“なにか”ですか?

出戸:僕のなかでそれはどっちでもないんですね。何かが起きる前の感じ、ってのがよくて、それがポジティヴでもネガティヴでも起こっちゃったら今回の作品のテーマじゃなくなっているというか。(なにかが)起こるちょっと前の感じ。注射を打ったときより打つ前のほうが打つときよりも怖い(感じ)というか、遠足に行く前の日のほうがワクワクするというか。そういう感じなだけで、それが感情の陰か陽かということはどっちでもいいんですよ。

はぁー。出戸君の歌詞はすごく独特じゃないですか。久しぶりに振り返って(オウガのアルバムを)聴いてみたのですが、歌詞を書く際のスタンスが基本的にはそんなに変わっていないのかなと思いました。“100年後”とか

出戸:大幅には変わっていないですけど、今回の“頭の体操”とか“移住計画”はいままでと違った書き方だと自分のなかでは思っています。いままでは行間に「クエスチョン・マーク」がつくような幅をもたせて想像力を湧かせるような書き方もあったんですけど、今回はまったく行間がなくて“頭の体操”のことをただただ歌っているというか、それ以上でもなくそれ以下でもない歌詞にしましたね。でもそれをやることによって、なんでそれを歌っているんだという大きい「クエスチョン・マーク」ができるということに気づいて、その2曲に関しては自分のなかでは、いままでとちょっと違った書き方なんです。

[[SplitPage]]

あんまりガツガツしすぎるとだんだん疲れてきちゃうし、ガツガツしている人を見るのも疲れるじゃないですか。自分がげんなりしない程度にはいろいろ嫉妬とかガツガツしたりもしますけど、自分があとでダメージをくらわない程度ですよね。


Ogre You Asshole
ハンドルを放す前に

Pヴァイン

Indie RockKroutrockExperimental

Amazon

みなさんは出戸君の歌詞に関してはどのような感想をもっていますか? 何について歌っているのか聞いたことはありますか?

馬淵:ありますよ。今回はけっこう(歌詞について)話していたかな。

出戸君の歌詞は二通りの捉え方があると思います。ひとつはシュールレアリズム的な捉え方と、もうひとつは世のなかに対するアイロニーという捉え方。「なんて屈折した世のなかの見かただろう」と思うような、後者の捉えられ方というのもとてもあると思います。“100年後”とかそうでしょう?

(一同笑)

「これまでの君と これからの君が 離れていくばかり」とか。たしかに出戸君本人が言ったように「クエスチョン」が立ち上がりますが……。

馬淵:勝浦さんは「自分のこと歌われている」って言っていたじゃないですか(笑)。

(一同笑)

アイロニーとして感じたことはないですか?

勝浦:たぶんもっと根っこの部分がそういう感じで、僕は本人(出戸)が思ってもいないままそういうふうになっていると思っています。だから本人は「アイロニーを歌ってやろう」とは思っていないと思います。

そのとおりだと思います。

出戸:だからいわゆるアイロニー的な感覚で作品で作りたいとはあまり思ってないんですよね。社会を風刺してやろうとかそういう思いはなくて、もっとフラットに作品をどうしようとか、この言葉の感じと歌を合わせたらいいなあとか、好みで選んでいるつもりなんですけどね。

“頭の体操”なんかは解釈次第では「なんて意地の悪い歌なんだろう」って思えるような歌詞でしょう?

勝浦:思わなかったですね(笑)。

馬淵:中村さんは言っていたけどね。

出戸:中村さんは「頭の体操をしろ」という上から目線の歌詞にも感じるって言っていました。

(一同笑)

出戸:そんなつもりはまったくないんですけど(笑)。

勝浦:なんてカッコ悪い歌詞を作るんだろうなあと思って、それがいいなと思ったんですけどね(笑)。“頭の体操”ってすごくカッコ悪い響きの言葉を使うのが出戸君らしいと思いました。

そうなんだ。世のなかを皮肉っているとしか言いようがないですけどね。

清水:本人は意識してないと思うんですけど、出戸くんには批判的な視線というのが常日頃からあると思うんですよね。わりと世のなかとか外界というものを批判的に見ているというか。

出戸:いや、自分に対しても批判的ですよ!

清水:出戸くん自身に対しても批判的だよね。なんというか外界をぜんぶ批判的に見ていて、そういう人だから、どうしても時代というものと無関係じゃなくなってしまうんです。今回のアルバムの何かがはじまる前の感覚というのも、いつからなのか、ずっとそういう時代が続いているのと無関係ではなくて。破滅しそうなしないような、ハッピーになるようなならないような、そういう中を生きてるような時代感があると思っていて。

ああ、そうですね、いま清水くんが言ったことは本当に頷けます。

出戸:俺はかなり楽観主義ですよ。そういった皮肉とか批判する視線もありますけど、半分はなんだかんだ良くなるかもしれないし、という気持ちもありますよ。

勝浦:どっちのスタンスかということじゃなくて、たぶん日常とか現実からの距離が人と違うんですよ。すごく離れているから、どっちの立場ということではないと思うんですよね。

清水:時代がどうなろうと確固とした自分があるから、出戸くんは揺るがないんだと思う。対象と距離が取れているから、現実がどう変わっていこうとそれを見つめ続けられる強さがすごく出てくるというか。そういう感じがするけどね。

3.11があって、ぼくはその年の夏に『homely』を聴いたんですよね。そのときのオウガは、日本がんばれとかいろいろあったなかで、ある種の居心地の悪さを絶妙な音で表現していたというか、その感じがぼくにはすごく引っかかったんですよね。クラウトロックとかなんとかいう註釈は後付けであって。

出戸:もちろんまったく関係ないとも思っていないですよ。社会とか、いまの時代の空気感と離れすぎてもいないですけど、野田さんが思っているほど近くないというか。どこがポイントなのか自分でもよくわからないんですけど。

歌詞を書くときはどういうところから書いていくのですか?

出戸:曲ありきで歌詞を書いていますけど、なにかひとつアイデアがあったらそれを元に絵を(頭に)浮かべて描いていくという感じですね。

『ハンドルを放す前に』というタイトルは、なにかが成し遂げられる一歩手前の感覚という話でしたが。

出戸:そうですね。でも感情とかそういう話ではなくて。ピサの斜塔って倒れそうだけど、多分あれを見て悲しいと思う人はいないじゃないですか。あんな感じのアルバムというか(笑)。

(一同笑)

勝浦:「運転する前に」じゃなくて「放す前に」なんだよね。

おかしい言い方ですよね。

出戸:「運転する前に」というか「放棄する前に」という(感じですね)。

でもその先には「放棄する」というのがあるわけですよね。

出戸:いや、それは放棄する予兆だけ、でまだハンドルは持ったままの状態でしかないです。このアルバムのなかで劇的なことは本当になにも起こっていなくて、ぜんぶがその予兆だけで終わっていくんですよね。

たしかになにも起こっていない感じはすごく音に出ていますね。でもなぜそのなにも起こっていない感じをこんな緻密な音楽で表現しようとしたのですか?

(一同笑)

出戸:そういう置物が好きだったとしか言えないですね。ちゃんと立っているやつより、斜めに立っているものが欲しかっただけです。

それはわかりやすく言ってしまうとオウガ的なメッセージというか、すごくオウガらしいですよね。ロックというのは常になにかが起こっていなければいけないし、常に物語があるじゃないですか。それは彼女との出会いかもしれないし、あるいは社会であるかもしれない。とにかくなにかが起きているということに対して、本当になにも起こっていないというスタンスですよね。

出戸:でもさっきの注射を打つ前の話とか遠足に行く前の日の話とかのように、予兆というのはいちばん重要なポイントなんじゃないかと思っていますね。

勝浦:SF映画で宇宙人が出てくる前は良いけど、出てくるとがっかりするとか、狂気の前のなにかが起こりそうな感じとか、たしかにそこが一番ピークといえばピークだよね。

出戸:ピークだし表現のしようがある場所というね。

なるほど。今回のアルバムは歌メロが違うのかな、と感じたのですがどうでしょうか?

出戸:あまり意識はしてないんですけど、これまでの三部作より全体のミックスで歌が大きくなってます。

1曲目(「ハンドルを放す前に」)や“はじまりの感じ”、“移住計画”といった曲にあるようなメロウなメロディはいままであまりなかったじゃないですか。

出戸:そうですかね、“夜の船”とかありましたよ。

簡単な言葉で言ってしまうと、“はじまりの感じ”はとてもポップな曲に思えたし、そこは今回挑戦した部分なのかと思ったのですが、どうでしょうか?

馬淵:“はじまりの感じ”は、もともとシングルに入れたヴェイカント・ヴァージョンの方をアルバムに入れようと思っていたんですけど、(結局入れたのは)わかりやすいアレンジのほうになりましたね。アルバムに入れた“はじまりの感じ”が、今回では一番バンドっぽいですよね。普通のロック・バンドがやっている演奏って感じの曲ですね。でも出戸のメロディに関しては、結局あまり変わってないと思うんですけどね。あとは歌がシングルっぽいですよね。

それは録音としてでしょうか?

出戸:録音ですね。いままではダブリングといって2回録音した歌を重ねてにじんだ声にしてヴォリュームも小さかったのが、(今回は)歌が生々しくて、わりとにじみが薄くて1本でドンとある感じで(ヴォリュームも)でかいという歌に耳がいっちゃうような作り方になっていますね。

それには出戸君の歌を聴かせたいという意図があったのでしょうか?

出戸:最初はいままでどおりのミックスで進んでいたんですけど、最後のほうで中村さんから「もうちょっと歌(のヴォリュームを)上げてみませんか」という提案をもらって、それで上げてみたらそっちのほうが奇妙で面白かったという感じです。いままで聴きなじんで当たり前だったものよりも新鮮に聴こえたというか。

馬淵:バックが無機質で上モノの音とか飛び出してくる音が少ないんですよ。そこに声を(上げて)入れてみたらバコンときたから、その対比が面白かったんです。

出戸君の歌詞というものをさっ引いて音としてメロディを聴くと、「お、いいヴォーカルじゃん」と思いました。ある意味でオウガのスタイルというものを作り上げている感じはするのですが、今回のアルバムは人によって好きな曲がバラけるのかなという感じもしました。メンバーとしてはどの曲が好きなのですか?

出戸:僕は「はじまりの感じ」のシングルにしか入っていない(アルバムから)外されたヴァージョンが好きでしたけどね。

(一同笑)

清水:詞とか含めて3曲目が好きかなあ。あとは“寝つけない”も好きかな。曲調がバラバラだから、どっちが良いってのは考えにくくて、全部好きなんですよね(笑)。個人的に今回はどれも違う味で、どれも美味しいという聴き方ができるんですけど。あえて言うなら“寝つけない”とか“なくした”が好きって感じです。単純に自分の好みですね。

勝浦君はドラマーの立場からどうでしょうか?

勝浦:僕は最初に馬渕君が“寝つけない”のデモが来たときから、今回はうまくいくなと思ったんですよね。あとは4曲目の“あの気分でもう一度”もメロウで好きですね。

馬渕くんは?

馬淵:僕も“寝つけない”ですね(笑)。いい曲ですね。

では“寝つけない”が最初にシングル・カットされたのは、みなさんが好きだったかななんですね。

出戸:そうですね。最初にできたからというのもあるし。

馬淵:12インチだったしね。

清水:みんなが(“寝つけない”を)好きというのが、いま明らかになったね(笑)

出戸:そうだね(笑)。

これまでは石原さんがいたからソースとして頼りになっていたことがあると思うのですが、今回のアルバムを作っていくなかで音楽的にどのようなところからインスピレーションを得ていたのでしょうか?

出戸:最初にコンセプトをもうけていないから、普段自分たちがいろいろ聴いて消化したものが出てきているので、これという取っかかりになったような作品は、バンド内であまり出てきていないですね。日常生活であれがいい、これがいいというものはあるんですけど。なにかあります?

馬淵:モンド感とかエキゾ感を散りばめようとか、そういったようなことはチョロっと話したような気がするけど。

勝浦:たしかに最近馬渕君の車に乗るとエキゾっぽい曲がかかっている気がするね。

馬淵:あと僕はバンドがやっているという感じではなくて、人がいなくて機械がやっている感じがいいなと思っていました。ちょっと冷めていているけど、ロボット達が血の通ったことをやろうとしているような感じをイメージしてましたね。

[[SplitPage]]

石原さんの基本には多分、ペシミスティックな感覚があって、それが独特の美意識にもつながっているんだけど、もともとオウガが強く持っているものではないから、今回はペシミスティックでデカダンな感じが希薄なのかもしれません。


Ogre You Asshole
ハンドルを放す前に

Pヴァイン

Indie RockKroutrockExperimental

Amazon

どのバンドも長いことやっているとマンネリズムの問題があると思うのですが、オウガはそういうようなことはなかったのでしょうか?

出戸:昔はそんな感覚もありましたね。でも『homely』以降はないですね。“ロープ”をライヴでやりすぎて飽きてくる、とかはありましたけど(笑)。レコーディングに関しては新曲をもってくるときに「またその曲かよ」とみんなのテンションが下がることはいまのところないと思います。

清水:今回の新譜のために曲作らなきゃという話をふたりがしはじめてから、ボツになった曲がけっこう沢山あるんですよね。ライヴでやってからボツになった曲もあるし、練習だけしてやらなくなった曲もけっこうありました。でも、二人からたくさん(曲が)出てきて、それが尽きないという感じがあった。そこからどんどん削ぎ落としていくという作業が、僕の知っているなかではいちばん激しかったと思います。だから、すごく磨きこまれた感じがあるんですよね。曲が採用されるまでに戦いがあったというか。

馬淵:勝浦さんとのね。

(一同笑)

清水:やってみて、「これはやめたほうがいいんじゃない?」ってことはあったよね(笑)。

バンドを続けていくうえでのモチベーションは『homely』の頃から変わっていないですか?

出戸:そこはまだ疑問視もしてないくらい。

(一同笑)

焦りもない(笑)?

出戸:あるはあると思うんですけど……。それはありますよね。

清水:でもはたから見ていると出戸くんも馬渕くんも曲作りとかで困る状況をけっこう無邪気に楽しんでいるというか(笑)。

出戸:あんまりガツガツしすぎるとだんだん疲れてきちゃうし、ガツガツしている人を見るのも疲れるじゃないですか。自分がげんなりしない程度にはいろいろ嫉妬とかガツガツしたりもしますけど、自分があとでダメージをくらわない程度ですよね(笑)。

(一同笑)

それは長野にいるということも一つにはあるのでしょうね。

出戸:住んでいるからというか、だから長野に住めるんだと思いますけどね。もっとガツガツしていたら東京にいなきゃダメでしょということになって、(長野に)いれないと思いますよ。なにもない日々が続く感じなので。

(一同笑)

オウガは音楽的を追求するバンドですが、音楽リスナーのみんながそこまで音にこだわっているわけではないですよね。そういったことに不満やストレスといったものはあるでしょう?

馬淵:僕はないですね。リスナーの人もそうだけど、好きに聴いてもらえればいいと思っているし、わかってほしいと思う近しい人に伝わっていれば満足できるというか、自分がすごいと思っている人にいいと言ってもらえたら嬉しいというのはありますけどね。どう?

出戸:うーん……。

この沈黙はやっぱりちょっと思っているところがあるんだ。

(一同笑)

清水:ふたり(出戸、馬渕)の作品作りは、すごくよくできた椅子とかコップとかを作っているのに近いなと思っているんですね。飾り気もないんだけど実用性はあって、歴史も踏まえていて、いまの時代にあって日用雑貨として使いやすいんだけど奇をてらっていなくて、そんなふうに考えてキッチリ作られた家具とか、そういうものに近い感じがしてて。色々踏まえてきっちり作ってあるから楽しむ人は楽しんでくれるし、合わない人もいるとは思うけど、作った職人さんは「合わないよね」くらいに思うだけで、ただいいものを作ろうとして作っているだけだという。だからユーザーに対する不満なんか、職人さんは特に持ってない。そんな境地じゃないの?

出戸:大衆に向けて作ろうとしていないと言っているけど、それよりさらに(対象が)狭いかも。信頼している人が何人かいるからそういう人たちの顔は見えるけど、あとは自分のなかで(完結していて)、外部といったら10人くらいかな。「あの人はどう思うのかな」というのはちょっと思ったりしますけど。野田さんの話もたまに出ますよ。

馬淵:これは野田さん嫌いでしょ、みたいな(笑)。

(一同笑)

出戸:これは野田さんが好きそうとか、よく名前は出てきますよ(笑)。知っている人の範疇でしか想像できないからね。

清水:でもその向こうにはいっぱい人がいるわけでしょ? 野田さんの向こうにはいっぱい人がいて、その集約として野田さんがいるという感じがしますよね。

出戸:そういう意味ではお客さんに対しては(不満は)ないですけど、ライターの人とかにちょっとイラッとするときはありますね(笑)。でもそれはこっちの説明不足というのもあるし。多分誰しもがあることですよね。

さきほどアイロニーの話をしたときに出戸君が「自分に向けても」と話していましたが、歌詞のなかに自分が出てくることはあるのですか?

出戸:自分が出てくることもありますね。自分の気分が歌詞になっているから、舞台に自分を立たせているかはわからないですけど、歌詞の感じが自分の気持ちに似た雰囲気をもっていると思いますね。だから登場人物として自分がでてくるというニュアンスよりも、監督としているという感じかな。

自分のエモーションを歌うということはありますか?

出戸:ないかも。感情の出し具合というのもあると思うんですけど、すごく号泣している人を見ても一緒に泣けないというか、むしろ引いちゃう感じがあるじゃないですか。でもロボットが泣いていると「どうしたんだ」と思う感じもあるというか。

清水:ええ(笑)?

出戸:俺はそういう感じ(笑)。

清水:そもそもロボットが泣いているというシチュエーションがすごい(笑)。

勝浦:出戸くんはあんまり情動がないんだと思います。短期間の激しい上がり下がりはなくて、長くてゆるやかな変動はあるけど気分という感じなんですよ。歌詞も気分はよく出てくるけど、感情とかそういうのは歌詞に出てこないですよね。波風が立っていない海みたいな、そういうイメージですね。

はははは、すごいイメージ(笑)。勝浦君が一番付き合いが長いのですか?

勝浦:いや、馬渕君ですね。

馬淵:高校から(の付き合い)ですね。

ずっとこういう感じでした?

馬淵:いや、どんどん冷静な感じになっていますね。

(一同笑)

さすがに高校時代はそうでもありませんでしたか?

馬淵:それは若いからいまよりありましたけど、みんなそうでしょ? まあ、でも冷静ですよね。

勝浦:冷静すぎて腹が立つときもあるよね。

(一同笑)

勝浦:なにか言ってすごくまともな答えを返されたりして、合っているんだけどこっちがすごくみっともない感じがして(笑)。もうちょっと動揺してよ、と思うくらい安定しているというんですかね。

内に秘めているタイプですよね。

出戸:でも勝浦さんを見ていて「すぐ怒るなあ」と思うけどね(笑)。

(一同笑)

勝浦:この感じなんです(笑)。

勝浦君は感情の起伏が激しいのですね。

勝浦:僕は情動ですね。

清水:二人とも極端で、どっちも普通じゃないというか(笑)。

ちょうどバンド内のバランスがとれているのですね(笑)。ドラムはとてもミニマリスティックなのにね。さて、これまでコンセプチュアルな作り方をしてきて、今回のアルバムはゴールを決めずに作ったような話でしたが、最終的になにをゴールとしたのか、どうやってアルバムをまとめあげたのでしょうか?

出戸:最後まで曲順を決めるのに難航してどの曲順もしっくりこない感じがあって、曲を入れかえたり、アレンジが違うものを入れかえたり、曲をボツにしたり、削ったり尺を変えたり、最初に好き勝手に作った分まとめるのに苦労したんですけど、「ハンドルを放す前に」を1曲目にしたところからようやくまとまりそうな気配がでてきたという感じでした。それ以前はなにがどうなるのか、自分たちでもよくわからなかったですね。

どうしてアルバムができるまで2年かかったのでしょうか?

出戸:レコーディングのスケジュールを長めに取ったりしていたら、自然とそうなったんですけどね。

ではとくに難航したということでもなく?

出戸:レコーディングはもともと1ヶ月半くらいで終わる予定だったんですけど、さらにその倍の時間がかかってしまいましたね。(今回は)最初から音決めを丁寧にやっていて、ずっと中村さんに「これで本当に終われるんですか?!」って言われてたよね(笑)。

(一同笑)

出戸:(それくらい)丁寧にやっていたので、難航したというよりも積み重ねるのに時間がかかったという感じですね。

ひらたく言えば、前作より聴きやすいアルバムになったと思います。それは意図せずそうなったのでしょうか? 前作が実験作であったので、比較するのも変な話ではあるのですが……。

出戸:ミックスの感じで聴きやすくなっているというのはあるよね。いままでは聴き手側が「聴くぞ」と思ってちゃんと(聴き)取りにいく感じがあったと思うんですが、今回ももちろんそういう聴き方もしてほしいんですけど、そうじゃない聴き方でも聴けるミックスになっていると思いますね。

なんかリラックスしているというとそれは違うという話ですが、たとえば、“見えないルール”のような曲のテンションとは違う感覚を打ち出しているアルバムですよね。

清水:たぶん(三部作とくらべて)悲壮感が薄いんです。石原さんの基本には多分、ペシミスティックな感覚があって、それが独特の美意識にもつながっているんだけど。(その悲壮感は)もともとオウガが強く持っているものではないから、(今回のアルバムは)ペシミスティックでデカダンな感じが希薄なのかもしれません。だから、リラックスしたわけではないんだけど、比較的リラックスしているように聴こえるのかなと思いますね。(今回は)悲観でも楽観でもない中間に浮かんでなにもない真空みたいな感じになっていると思うんだけど。意識としてはリラックスはあまりしてないよね? 

出戸:でも重くしたくないというのはありましたよね。重くて大仰じゃないアルバムを作りたいと思っていましたね。

清水:最後の曲順とかアレンジを考えているときまでそれは話していたよね。重くなりすぎないようにとか、大仰にならないようにとか、(曲が)ほとんどできて並び替えとか曲の長さを決めているときにも話した気がする。

なぜ?

出戸:今までと違うことをしたかったからですよね。

(一同笑)

なるほど。じゃあそんなところでいいかな。

(一同笑)

『homely』はしばらく聴いていないですよね?

出戸:レコーディング中に聴きました。

あのアルバムをいま聴くと、ずいぶんトゲがありますよね。それに比べると、今回のアルバムはすごく滑らかなサウンドですよね。

勝浦:この前ちょっとひさしぶりに(『ハンドルを放す前に』を)聴いたら、おこがましいんですけどヨ・ラ・テンゴのような雰囲気を感じて、それが野田さんのおっしゃっているリラックスというかスルメっぽい感じというか、表面のゴテゴテがなくて、いままでより奥にあるものに近づいた感じがしていて。

カンでいえば『フロウ・モーション』ですよね。

勝浦:こういう感じでやれたら長くい続けられるんじゃないかなと思ったんですよね。

出戸:「後期のカンっぽい」って言っていう感想もあったなあ。

オウガもいよいよ成熟に向かったかという感じで。

出戸:残念ですか(笑)?

もっと成熟していくように思いますね。

勝浦:みんなですごくたどたどしくやっているという感じで、そのたどたどしさを僕はいいと思うんですよね。ああいう成熟した人たちって演奏もうまいし、かたちになっているんですけど、自分たちのはインディーズ感がありつつ落ち着いているというのが面白いバランスだと思いましたね。

(了)

アルバム発売記念・全国ツアー・14公演
「OGRE YOU ASSHOLE ニューアルバム リリースツアー 2016-2017」

11/26(土)  仙台 Hook
11/27(日)  熊谷 HEAVEN’S ROCK VJ-1
12/03(土)  札幌 Bessie Hall
12/09(金)  長野 ネオンホール
12/10(土)  金沢 vanvanV4
12/11(日)  甲府 桜座
12/16(金)  岡山 YEBISU YA PRO
12/17(土)  広島 4.14
01/14(土)  福岡  BEAT STATION
01/15(日)  鹿児島 SRホール
01/21(土)  名古屋 CLUB QUATTRO
01/22(日)  梅田  AKASO
01/28(土)  松本  ALECX
02/04(土)  恵比寿 LIQUIDROOM ※ツアーファイナル

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 ライヴ盤だが、歓声はない。そういえば、トーフビーツはライヴ盤でもないのにそれを最初に持ってきていたが、OYAときたら、その真逆。ライヴ盤であるのに関わらず、熱狂を、あたかも隠蔽するかのようだ。このライヴ演奏の録音物は、現場で聴いている印象とはずいぶん違って聴こえる。
 冒頭の曲“ROPE meditation ver.”は、ライヴでは、わりとピッチが速く、クラウス・ディンガー的な、つまりノリの良いミニマル・ビートを基調に演奏される曲であり、フロアの温度を上げる曲だが、しかしどうだろう、この静かなはじまり、この地味なはじまり、渋いはじまり、ある意味寂しいはじまり、言ってしまえば孤独な姿……は。
 それはこのバンドが望んだ姿でもる。
 72〜73年ぐらいのクラスター/クラフトワーク/ノイから2015年のOYAは繫がっている。時間軸を突き抜けて、この素晴らしいアートワークが暗示するように、暗い宇宙の惑星へと着陸したのだ。
 “見えないルール”もライヴでは踊りやすい曲だ。本作においてもそのグルーヴは伝わるが、出戸学の歌詞からは、やはりどうしても「醒め」を感じないわけにはいかない。性格的なものもあるのだろうが、しかし、まあ熱いとは言えない。そして、「醒め」こそがOYAであることはいまさら言うまでもないだろう。醒めながらにして燃える……
 OYAのライヴは、いくら気持ちが高揚して、いくらフロアが沸騰しても連帯感などは、まあ生まれない。みんな勝手に盛り上がれと。そう、勝手に、だ。泣けるくらいに空しい“夜の船”……。

 このライヴ盤は、彼らにとってはひとつの節目なのだろうが、ある意味2015年を象徴しているのかもしれない。音楽に関して言えば、わりとおとなしかったこの1年。若いDJも相変わらず昔のハウスを探している。ジェイミー・XXのソロ・アルバムも、バック・トゥ・ベーシックなこの時代の産物だ。かつての高波もいまや穏やかに岸辺へと達して、ぼくたちも恐る恐るそこに近づく必要はない。
 
 だからなのだろうか、このライヴ盤では出戸学の歌がフィーチャーされているように感じる。クラウトロックは最終的に「言葉」よりも「音」だったが、OYAは「歌」も「音」もどちらも聴かせたいのだろう。ならばその「歌」は、彼らの新しいアドヴェンチャーにおいてどのような意味を持つのだろうか。
 それを知るのは楽しみでもあり、ちょっと恐くもあり……本当に、どこに向かうんだろうなぁ。とりあえずいまは、アルバムの最後から2曲目の“ROPE long ver.”の、そう、現代に生まれた“星空のドライヴ”と敢えて言おう、この曲のどこまでも目の前に広がる未知の景色にワクワクしていればいい。大丈夫、着陸したロケットにはキミも乗っている。だが、ロケットがこの先どこに向かうのかは、まだ誰にもわからない。

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 ライヴ盤だが、歓声はない。そういえば、トーフビーツはライヴ盤でもないのにそれを最初に持ってきていたが、OYAときたら、その真逆。ライヴ盤であるのに関わらず、熱狂を、あたかも隠蔽するかのようだ。このライヴ演奏の録音物は、現場で聴いている印象とはずいぶん違って聴こえる。
 冒頭の曲“ROPE meditation ver.”は、ライヴでは、わりとピッチが速く、クラウス・ディンガー的な、つまりノリの良いミニマル・ビートを基調に演奏される曲であり、フロアの温度を上げる曲だが、しかしどうだろう、この静かなはじまり、この地味なはじまり、渋いはじまり、ある意味寂しいはじまり、言ってしまえば孤独な姿……は。
 それはこのバンドが望んだ姿でもる。
 72〜73年ぐらいのクラスター/クラフトワーク/ノイから2015年のOYAは繫がっている。時間軸を突き抜けて、この素晴らしいアートワークが暗示するように、暗い宇宙の惑星へと着陸したのだ。
 “見えないルール”もライヴでは踊りやすい曲だ。本作においてもそのグルーヴは伝わるが、出戸学の歌詞からは、やはりどうしても「醒め」を感じないわけにはいかない。性格的なものもあるのだろうが、しかし、まあ熱いとは言えない。そして、「醒め」こそがOYAであることはいまさら言うまでもないだろう。醒めながらにして燃える……
 OYAのライヴは、いくら気持ちが高揚して、いくらフロアが沸騰しても連帯感などは、まあ生まれない。みんな勝手に盛り上がれと。そう、勝手に、だ。泣けるくらいに空しい“夜の船”……。

 このライヴ盤は、彼らにとってはひとつの節目なのだろうが、ある意味2015年を象徴しているのかもしれない。音楽に関して言えば、わりとおとなしかったこの1年。若いDJも相変わらず昔のハウスを探している。ジェイミー・XXのソロ・アルバムも、バック・トゥ・ベーシックなこの時代の産物だ。かつての高波もいまや穏やかに岸辺へと達して、ぼくたちも恐る恐るそこに近づく必要はない。
 
 だからなのだろうか、このライヴ盤では出戸学の歌がフィーチャーされているように感じる。クラウトロックは最終的に「言葉」よりも「音」だったが、OYAは「歌」も「音」もどちらも聴かせたいのだろう。ならばその「歌」は、彼らの新しいアドヴェンチャーにおいてどのような意味を持つのだろうか。
 それを知るのは楽しみでもあり、ちょっと恐くもあり……本当に、どこに向かうんだろうなぁ。とりあえずいまは、アルバムの最後から2曲目の“ROPE long ver.”の、そう、現代に生まれた“星空のドライヴ”と敢えて言おう、この曲のどこまでも目の前に広がる未知の景色にワクワクしていればいい。大丈夫、着陸したロケットにはキミも乗っている。だが、ロケットがこの先どこに向かうのかは、まだ誰にもわからない。

 3月29日の晩、代官山ユニットは超満員。オウガ・ユー・アスホールマーク・マグワイヤは初めて対バンした。この鼎談は、ライヴの翌日に収録したもの。
 ミュージシャン同士、それも国が違う者同士が話し合いあうと、面白い発見がある。たとえば、マーク・マッガイアの、オウガの音楽に「ソウル」、つまり、ブラック・ミュージックからの影響を感じたという感想は、いままで日本の音楽メディアで見られなかった。「ノイ!だ」と言うと思っていたのだが、マーク・マグワイヤは「シュギー・オーティスだ」と言った。
 それでは、前口上はこのぐらいにして、どうぞ楽しみを。ちなみに、彼らから最高のプレゼントもある。ライヴのアンコールでの、オウガの「ロープ」にマーク・マグワイヤがギターで参加した当日の動画だ。正直、この演奏を聴いたとき、ele-kingからまた12インチで出したいと思ったほどだったが、彼らは無料で公開しようと言った。なので、いま、みなさんは、この鼎談の最後に、そのブリリアントな演奏を聴くことができます。

オウガ・ユー・アスホール(出戸学、清水隆史、馬渕啓)×マーク・マグワイヤ
司会:野田努=■
通訳:高橋勇人=△


マーク:まだ知ったばかりのバンドだったけれど、一緒にやっても絶対にうまくいくなという確信もりました。一緒にやった曲の音階も好みでしたね。メジャーがきてマイナーがきて……、何という音階かはわからないんですけどね。

出戸:僕たちもわからないです(笑)。

まずは、なぜ今回オウガ・ユー・アスホールの方からマークさんと一緒にやりたいと思ったのかという話しを聞きましょうか。

出戸学(以下、出戸):ホットスタッフの松永くんという僕たちの都内でのライヴの制作をやってくれているひとと、代官山ユニットとの共同で今回の〈””DELAY 2015””〉をやったんです。対バンのツーマンで〈””DELAY””〉という企画をやっていこうと思っていて、それで誰がいいか相談したんですよ。みんなで会議をしていろんな候補が出たときに、「マーク・マグワイヤがいいんじゃないか?」「何とか日本に呼べるかも」ということになったんです。

マーク・マグワイヤ(Mark Mcguire以下、MM):実現してくれて本当に嬉しいです。

清水隆史(以下、清水):音もすごいディレイだし。

MM:ハハハハ。いつもですよね(笑)。

出戸:実際にやってみてどうでしたか?

MM:音も空間もいい会場でしたし、素晴らしいバンドとプレイできて光栄でした。実ははじまるまで少し緊張していたんですよ。ひともたくさん入っていましたからね。アンコールで一緒にオウガ・ユー・アスホールのみなさんとステージに立ったときは、自分の音が大きくなり過ぎないよう、バランスに常に気を使いました。自分ひとりでステージにたつときは、音が全部ミックスされてモニターから聴こえるから音の調性が容易にできます。でも、バンドとなるとその聴こえ方も全然違いますよね。

一緒に“ロープ”をやることはいつ決まったの?

出戸:前日くらいですね。

清水:前々日くらいから一緒にやる?って話がきて、ずっと迷っていたんだよね。

馬渕啓(以下、馬渕):どの曲でやるかということも話してましたね。

俺はたぶん共演するんじゃないかと思っていたけどね。 “ロープ”しかないだろうって。

マークさんはいつ曲を最初に聴いたんですか?

MM:どの今日をやるかはほんの数日前に聞ききました。そのとき僕は大阪のホテルにいて、ギターを弾きながらアイディアを練りました。

マークさんはライヴをやる前にオウガの音楽を聴いたことがあったんですか?

MM:新しいアルバムはまだ聴いていなかったんです。でも最近出た曲を聴かせてもらいましたよ。とても滑らかでサイケデリックなサウンドがとても好きです。まだ知ったばかりのバンドだったけれど、一緒にやっても絶対にうまくいくなという確信もりました。一緒にやった曲の音階も好みでしたね。メジャーがきてマイナーがきて……、何という音階かはわからないんですけどね。

出戸:僕たちもわからないです(笑)。

オウガは自分たちの大きなインスピレーションのひとつにクラウトロックがあって、そこがマークさんと共通するところなのかなと思います。

MM:そうなんですね。たしかに僕にとってもクラウトロックが重要な要素です。とても形式的で衝動的な部分もあり、それなりに技術も必要ですよね。

清水:クラウトロックはずっと聴いていたんですか?

MM:最初にクラウトロックを発見したときはとにかくたくさん聴きました。19歳のときだったと思います。当時に比べたらいまはそこまで聴いてはいませんが、自分自身の重要な核になっています。
きのうオウガのみなさんと話していたんですが、最近はシュギー・オーティスのようなソウルやファンクからもインスピレーションを感じます。

清水:きのうの夜にソウルの話をしたんですよね。

出戸:僕らも黒いのにハマってますからね。

MM:僕がはじめてオウガ・ユー・アスホールを聞いたときにブラックミュージックの要素を感じたんですよ。もちろん、それはひとつの要素に過ぎず、いろんな影響が交ざり合っていて、それらがクリエイティヴなサウンドを織り成しているんだと思います。一緒に“ロープ”を演奏したときには曲や歌から、様々な影響が生み出すダイナミズムを感じましたね。
 きのうも僕がシュギー・オーティスを感じた曲を演奏していたんですが名前が思い出せない……。ギターが印象的でテンポは遅い曲なんですけどね。

清水:なんだろうな“ムダが無いって素晴らしい””かな。

出戸:最近、僕も清水さんからシュギー・オーティスを教えてもらって聴いているんです。

清水:定番というか、再発見系ですよね。

90年代にデヴィッド・バーン発掘したんだよね。オウガはマークさんと一緒にやってみてどうでした?

清水:演奏がすごく丁寧ですよね。

出戸:ギターがすごく上手いと思いました。アンプを使わないでラインで音を出していることにもびっくりしました。そのギターの音色がやっぱり独特なんです。僕らもレコーディングでラインはかなり使いましたけど。

馬渕:ライヴだとやっぱりラインの音は異質感があって面白かったです。

出戸:ラインだけでギターを弾いているひとのライヴって初めてみたかも。

MM:実験的な音楽を演奏するようになってからはずっとラインで弾いていますね。自分はトーンに拘るタイプだったんですが、ラインのトーンに慣れてしまったのでアンプに戻ることはありませんでしたね。それでできたのがいまのスタイルです。

出戸:なるほど(笑)。とても綺麗な音でしたね。

僕もあなたのギターの音が好きです。とくにロングトーンがシンセサイザーみたいに聴こえるんですよね。

MM:ギターと他の音をミックスして出したりもしています。でも基本的にはギターだけでギターだとは思えないような音を作っていますね。よく僕のアルバムを聴いたひとが「あの部分はシンセを使っているんだよね?」って聴いてくるんですが、だいたいはギターだけで作った音なんですよ(笑)。

出戸:映像も自分で作っているんですか?

MM:そうですよ。自分で作った映像と見つけてきた映像を組み合わせて編集しています。映像と音楽を一緒に作るのは映画を作るみたいな感覚です。その異なるふたつの要素がうまく組合わせるのが楽しいんですよ。

出戸:じゃあ映像もバラバラではなくて同期させてセットで流しているんですか?

MM:はい。なので映像の長さに合わせて自分の曲の長さも調性することもあります。きのうもギターを弾きながら後ろをちょくちょく振り返って映像を確認していたんですが、そのためです(笑)。

では映像をコントロールしているひとがいたわけではないんですね?

MM:いません(笑)。映像が決まったときに再生されるようプログラミングをしているので、ちゃんと映像がはじまるのか気を使いますね。

最後の映像がすごかったよね(注:水爆実験や第二次世界大戦の映像、政府を批判するスピーチなどが引用されていた)。オウガは観てたの?

出戸:最後、見てました。

清水:激しい終り方でしたね。

MM:あの映像と曲を作っているとき、歴史的な出来事の裏で政治や宗教がどのように動いていたのかに関心がありました。たくさんのひとびとが様々な形でひとつの瞬間に関わっていたわけですからね。そして、そのなかで多くの考えや憶測が生まれました。あの映像のなかでは9.11は裏で大きな工作があったんじゃないかというスピーチも引用しています。
 ひとびとに学ばれる歴史は戦勝国などの大きな権力をもった者が作り出したものです。僕はアメリカ人でアメリカの教育を受けてきました。だからこそ、アメリカが他の国々にどんな影響を及ぼしたのかとても興味があるんです。2013年に広島の原爆ドームに行って深く感銘を受けました。過去を振り返ることによって明らかに間違いだと思うこともたくさんあり、そういうものを自分で学んでいきたいんです。(日本語で)コノオンガクヲヘイワノタメニ。

一同:おー!

[[SplitPage]]

マーク:僕がはじめてオウガ・ユー・アスホールを聞いたときにブラック・ミュージックの要素を感じたんですよ。もちろん、それはひとつの要素に過ぎず、いろんな影響が交ざり合っていて、それらがクリエイティヴなサウンドを織り成しているんだと思います。

出戸:ギターがすごく上手いと思いました。アンプを使わないでラインで音を出していることにもびっくりしました。そのギターの音色がやっぱり独特なんです。僕らもレコーディングでラインはかなり使いました。

マークさんがはじめて来日したときのライヴはもっとアンビエント・フィーリングが強くて、きのうのライヴとは違う感じだったんだよね。もっとマニュエル・ゴッチング的だったというか。

MM:そのときに比べると、使っている機材にも変化があったので当然サウンドも変わっているでしょうね。サンプラーやドラムマシンなどを使かうようにもなりました。でも、「単に成長しているだけ」という風には捉えられたくはなかったので、またギターだけのスタイルに戻って新しいアイディアを試しつつアンビエント・テイストの曲を作ることはいまでもしますよ。そうやって違ったことにチャレンジしていきたいんです。

清水:マークさんはライヴとアルバムでアレンジを変えていますよね? きのうのライヴでやっていた曲と新しいアルバムに入っていた曲を比べてみても、どの曲が一致しているのかわからなかったりしました。

MM:レコーディングとライヴは別物ですからね。レコーディングは音のパーツのたくさんの層のように積み重ねていますが、ライヴをその単なる再現にはしたくないんです。それに再現してみても決して同じものにはならないでしょう。だから意識的にライヴをレコーディングとは違うものにしようと思っています。

エメラルズもそうだったけどマークさんの以前の作品はわりと自然がテーマだったりしたんだよね。リリースの形体自体も、アナログ盤とカセットテープしかないものもすごく多くて。たとえば『ギター・メディテーションズ』(2008年、〈Wagon〉)というアルバムはカセットでしか出ていないんですよ。それがすごくいい作品なんですけど、いまだにカセットでしか手に入らない。

MM:現代社会の毎日の多忙な生活から抜け出すためにアンビエントや自然は役割を果たしていると思います。たとえばヨガの瞑想にしてみても、現在ではなくて過去の意識を呼び起こすような効果がるので同じことが言えるでしょう。音楽にも自己の存在が消えてしまうような感覚をもたらすことがありますよね。

きのうのライヴは過去のものと比べたら、すごく抽象的な言葉で言うと力強いものを感じたというか。

MM:アグレッシヴな曲も最近は作っているんですが、さっきも言ったようにアンビエントな要素とのバランスも考えたうえで実験的な試みをやっています。ライヴに来てくれたお客さんにとってもそっちの方が変化があって面白いでしょうからね。

きのうみたいにライヴを一緒にやって、最後にギターを一緒に弾くことはアメリカではよくあるんですか?

MM:そんなに頻繁にあることじゃないですね。僕は基本的にいつもひとりでライヴをやるので、自分が演奏しているときに誰かがステージに入ってくるのは嫌なときもあります(笑)。

下村A&R: マークはアフガン・ウィッグスと共演しましたよね。

MM:そうですね。彼らのアルバムに参加していくつかライヴもやりました。フル・バンドで演奏したことはかなりためになりましたね。昨晩、オウガのステージに立てたことも同じです。素晴らしいエネルギーを感じることができました。曲を聴いているときの感覚と、実際に演奏してみる感覚とではやはり大きく異なるんですね。

清水:オウガもライヴで誰かと一緒に演奏するのは初めてだったんじゃないかな。メルツバウとやらせて頂きましたが、楽器を使ったセッションとは少し違ったし。

マークさんはメルツバウを知ってますか? オウガはいままでメルツバウとしか共演したことがないんですよ。

MM:はい、もちろん! ハハハハ。それはすごいですね。きのうは彼と同じくらいラウドにはプレイできませんでした(笑)。

清水:マークさんは共演することにむしろ慣れていると思っていました。

出戸:リハーサルのときの方がもっとアグレッシヴに弾いていたんですよ。本番のときは抑えていたんじゃないかな。

MM:本番は緊張しちゃったんです。リハーサル、すごく楽しかったですよね(笑)。リハーサルをするまでは、プレイヤーで曲を聴きながらしか練習をしていなかったので、僕のプレイを評価してくれたのはすごく嬉しいです。

音源を出してほしいですね。オウガは日本のなかですごく特殊というか、ある意味では孤立しているというか。

清水:そうですか(笑)。

アメリカのインディ・シーンにはエクスペリメンタルな音楽をやるひとやレーベルもたくさんあります。

MM:アメリカのシーンでも僕はある意味ではオウガと同じ状況にいますよ。僕のサウンドはエクスペリメンタル・シーンに完全に合うものでもないし、インディ・ロックに当てはまるものでもありません。どこに自分はいるべきなんだろうと居場所を探している感じがするんです。オウガの音はとてもユニークで様々な音楽の影響を隠さずに表現しているので、僕と同じようにどこにもフィットしないんでしょうね。
 アメリカのリスナーには自分が聴いている音楽をカテゴライズしたがる傾向が少なからずあって、未知なる音楽に出会ったときに「これは面白い曲だ!」ではなく「これは何ていう音楽なんだろう?」と反応するひとが多いんです。ジャンルが交ざり合うことを嫌うひともいますからね。それに対して日本のリスナーは音に対して心が広くて、「ジャンルで分ける」聴き方をしないひとが多いような気がしました。

清水:なるほど。ジャンルにこだわってはいないよね?

馬渕:わかりやすくジャンルが別れているロックって日本にあるのかな?

出戸:ヴィジュアル系くらいじゃないかな。

ガレージ・ロックとかポスト・ロックとかね。

MM:アシッド・マザーズ・テンプルを聴いてみても、やっぱりジャンル分けするのは不可能ですもんね。でもそれがいいところだと思うんです。

出戸:そうかもしれないけど、日本では逆にシーンが見えにくいということがありますよね。

清水:世界的な目で見たら、日本自体が全体的にサブカルチャーっぽいもんね。

MM:少し前のバンドですが、ファー・イースト・ファミリー・バンドは「ジャパニーズ・サイケデリック」というシーンを象徴するような存在です。そういうひとたちもいるにはいるんですけどね。

柴崎A&R:アメリカではジュリアン・コープが書いた『ジャップロックサンプラー』がすごく影響力が強いんですよ。

MM:僕も読みましたよ。

日本のなかで有名な日本のバンドと、海外で有名な日本のバンドって違うんだよね。

柴崎A&R:いわゆる、はっぴいえんど史観がないですからね。

もっと言うと、はっぴいえんどは海外ではあまり知られていないからね。

MM:細野晴臣はYMOのメンバーなので聴きましたが、はっぴいえんどのことはあまり知りません。日本の音楽の独自性みたいなものはYMOにも表れていると思いますね。海外の音楽を単なるコピーではなく、自分たちのオリジナリティを持ったミュージシャンもしっかりといるということです。そういうひとは海外で影響力をいまでも持っているんですよ。YMOもそうですがアメリカのシーンにはボアダムスみたいになりたいひとも多いです。多過ぎるくらいですね(笑)。

出戸:逆にいまの日本ではYMOのフォロワーはそんなにいないですよね。

清水:たしかに。はっぴいえんどは多いけどね。

今度はマークさんを長野に呼んだ方がいいんじゃない? 東京から車で2時間くらいかかるけど、自然がすごく綺麗な場所らしいですよ。

清水:出戸くんなんか標高1300メートルのところに住んでるんですよ。

出戸:家の前で鹿が寝てますからね。

すごいね(笑)。彼らはそこにスタジオを持っているんですよ。

MM:素晴らしいところですね! 是非行ってみたいです。

ジム・オルークさんも彼のスタジオによく行くみたいですよ。マークさんはジムさんと仲がいいんですよね。

MM:初めて日本に来たときにジムさんとは知り合ったんですよ。

出戸:ジムさんは新宿の飲み屋で会ったって言ってましたね。

MM:そうなんですよ。ピス・アレイ(ションベン横町)で会いました(笑)。

清水:英語でピス・アレイって言うんですね(笑)。汚くて治安が悪そうな名前ですね(笑)。

出戸:マークさんとジムさんが出会った飲み屋には僕らもたまに行きます。

MM:そうなんですか! 食べ物も美味しくて素晴らしいお店ですよね。

絶対に長野に呼んだ方がいいよ。

出戸:じゃあ次は呼びますね。

そこでセッションして曲をつくるとかね。

MM:実現したら最高ですね。(日本語で)ソンケイシマス。

今回、マークさんは大阪と新潟までギターを持ってひとりで行って、新潟から東京に戻って来たんですよね。

MM:はい。

清水:すごいな。よくわかりましたね。

MM:日本語が読めるわけではないんです。初めて来日したときにひとりで地下鉄に乗ったんですが、パソコンで事前に調べたり標識に書いてある言葉を携帯で調べたりして頑張りましたね(笑)。日本は標識がたくさんあるから比較的親切ですよ。

日本に住んでいてもたまに標識に迷うことがあるけどな(笑)。

清水:すごくマジメですね。

オウガにピッタリなアメリカのレーベルって何だと思いますか?

MM:良いレーベルはたくさんありますからね。うーん。自分は多くのレーベルに関わっているわけではないですが、〈ドラッグ・シティ〉なんかはやっぱり合っているんじゃないでしょうか? あのレーベルにはかなり幅広いスタイルのミュージシャンが所属していて、しっかりとサポートもしてくれます。ミュージシャンがどのような路線に進んだとしてもそれをしっかりと受け入れてくれるのは素晴らしいですよね。ジム・オルークも〈ドラッグ・シティ〉のことを評価していましたね。ジムさんはいろんな経験をしているから、やっぱり彼の意見は参考になりますね。僕も大きいレーベルと仕事をしたことがありますが、やっぱり小さいインディペンデント・レーベルの方が柔軟に対応してくれるんです。

清水:しかし……そもそもオウガ・ユー・アスホールって名前ですからね(笑)。

MM:名前の由来がすごく気になっていたところです(笑)。

それってUSのインディバンドからきてるんだよね?

出戸:前のドラマーが高校生のときに来日したモデスト・マウスのライヴに行ったんですよ。そのときに腕に「オウガ・ユー・アスホール」ってサインをもらって、それがバンド名の由来なんですよ。ちょうどそのときが自分たちのライヴの直前だったんですけど、名前を付けてなくて「あのサインでいいんじゃない?」ってなってから10年以上ずっと同じ名前です(笑)。

MM:すごいエピソードですね。とても目立つ名前だなと思っていました(笑)。初めて名前を見たときには「一体どんなサウンドなんだろう?」と想像力をかき立てられたのを覚えています。「オウガ」(「鬼」の意味)という言葉からラウドな演奏をするバンドなのかなとか思っていました(笑)。

清水:よく「パンク・バンドなの?」とか言われるんですよね。

今回の来日でレコードは買いましたか? 普段からよくレコードを買うそうですね。

MM:今回はレコード屋さんに行けていないんですよ。僕のレコードコレクションはいまのところ2、3000枚くらいですかね。初めて日本に来たときはJポップをとてもたくさん買いました。1枚200円くらいで買えるのに驚きましたね。一緒に行ったひとからは「そんなのお金のムダだよ!」って言われましたが(笑)。YMOや各メンバーの作品もけっこう買いました。日本以外のものでも安く売っているのは助かります。アメリカでは西海岸に住んでいたころはいつもレコードを買っていました。ですが引越をしたときにあまりにも荷物が多くなることに気付いて、最近は前に比べたらあまり買っていないんですよ(笑)。いまは故郷のクリーヴランドに住んでいます。

クリーヴランドは北東部なので西海岸とは全然違いますよね?

MM:大違いですね。かなり冬は寒いです。あとパンクの精神を持って、髭を生やしてに革ジャンを着たひとが多いと思います。ノイズ・ミュージックのシーンもあったりするんですよ。湖に面した地方都市で物価が安いのも特徴です。そして何より自分が生まれ育った場所なのでとても落ち着きます。あまりこういう街はアメリカにないので、この街の人間であることを誇りに思っているひとは多いですね。

出戸:長野も似たところがありますね。冬も寒いし、デカい湖もあるし(笑)。でもパンクとノイズのシーンはないですね(笑)。ヒッピーとかもいるんですけど、あんまり接触はしないです。

MM:西海岸に居た頃はポートランドやロサンゼルスによく行ってたくさんのヒッピーに会いましたけど、クリーヴランドにはそんなにいませんね。

そういえば最近マークさんには赤ちゃんができたんですよね?

MM:そうなんですよ。だからクリーヴランドに戻ったんですよね。この子です(携帯の写真を見せる)。

かわいいですね! いま何歳なんですか?

MM:いま生後6週間なんですよ。だから早く帰ってあげないといけませんね(笑)。

馬渕:昨日もその写真見せてもらったんですよ。でも生後6ヶ月だと思っていました。

MM:ブランニュー(超新しい)ですよ(笑)。面倒を見なきゃいけないので、ツアーの期間もいつもより短いんです。このツアーの間に奥さんから子供の動画が送られてきたんですが、離れてまだ5日しか経っていないのにすごく成長しているように感じました。

[[SplitPage]]

マーク:とても目立つ名前だなと思っていました(笑)。初めて名前を見たときには「一体どんなサウンドなんだろう?」と想像力をかき立てられたのを覚えています。「オウガ」(「鬼」の意味)という言葉からラウドな演奏をするバンドなのかなとか思っていました(笑)。

清水:よく「パンク・バンドなの?」とか言われるんですよね。

エメラルズは解散してしまいましたが、マークさんはまたバンドをやらないんですか?

MM:ご存知かもしれませんが、エメラルズは昔からの友だちと自然な流れで結成したバンドでした。だからバンドが終ってしまったのも自然なことだったのかもしれません。もうエメラルズとして演奏することはないと思うと残念な気持ちにもなることもありました。バンドでも活動はやはりソロとは全く違うものなので、再びバンドをはじめてみたい気持ちもあります。バンドが解散してからいろいろと試してはいるんですが、まだまだバンドの「ケミストリー」を探している途中ですね。ちなみに、オウガのみなさんはバンドをはじめる前から知り合いだったんですか?

清水:馬渕くんと出戸くんが高校の同級生で、勝浦くんと自分が大学の先輩・後輩って感じですね。

そこはエメラルズみたいだね。

MM:音楽をはじめる前の関係ってやっぱり大事なんですね。エメラルズが解散した理由のひとつには、メンバーと友だちのままでいたいっていうのがあったんです。バンドを組んでいると、どうしても関係がぎくしゃくしてしまうこともありますからね。いまはそれで良かったと思います。仲の良い友だちと音楽や音楽ビジネスについて話せるんですからね。オウガはもう10年以上バンドを続けてきたわけですが、バンドを存続させるためのアドバイスみたいなものはありますか?

出戸:うーん、なんだろうな。あんまり会いすぎないとかかな。

ハハハハ。

出戸:バンドでたくさん会っていますからね。

清水:そうかな(笑)? 割と一緒にいる方だと思うけどね。みんなで暮らしてはいないけどね(笑)。

MM:わかります。ツアーとかではいつも同じ場所にいることになりますから、一緒に住む必要はないし、「どっかいけよ!」って言いたくなるときもありますよね(笑)。

出戸:あとバンドってマンネリ化してくるとダメになる感じもするから、メンバー間で刺激を与え合うような関係を心がけていますね。

MM:なおかつインスピレーションやアイディアを共有できる関係ですよね。

出戸:マークさんはいまもひとりでレコーディングをしているんですか?

MM:そうですね。毎日自宅で録音していますよ。楽器も全部自分で演奏しますね。

出戸:バンドだと刺激し合えて自分が考えてもないことができるわけじゃないですか?  でもひとりでやっているとそこには限界があるというか、自分から出てきたものしかないですよね。

MM:たしかにそうですよね。ギター以外の楽器を弾いてもそこから生まれてくるメロディーやリズムが自分っぽいなと思うことがあります。でも他人と演奏すると想像もつかないような展開を見せることがあります。

その「制限」はあなたにとってネガティヴなものなのでしょうか?

MM:必ずしもそうであるとは限りません。バンドでしかできないことがあるということは、ひとりでしかできないことも同時にあるということですよね? バンドとソロって全く違うフォーマットのものです。エメラルズのメンバーたちはバンド以外のところで次の段階に進みたいと思っていました。いまの僕がやりたいのはソロの可能性をとことん追求することなんです。

出戸:ひとりでやっているとどこがOKなのかわからなくなりそうだけど、自分の作っている曲が完成したとどのように確信が持てるんですか?

MM:自分がやっていることを客観的に見るのってひとりではすごく難しいです。だからアドバイスをくれるひとが近くにいることってすごく重要ですよね。
 僕の場合はひとりで曲を作っていると、そこから次の曲のアイディアが生まれてきたりするんですが、それを繰り返している気がします。(アイフォンの作曲中リストを見せながら)いまも何十曲を同時並行で作っている状態なんですよね(笑)。うーん、曲を完成したと判断するのは難しいです。とにかくできることをやりつくすのみですね。

そこはオウガと反対だね。オウガの場合は終わりはどうやって決めるの?

出戸:レコーディングの期間がだいたいきまっているから、そのなかで出たアイディアを使うんですよ。

馬渕:時間があったらあったでいっぱい作り過ぎちゃうんですよ。

MM:ちゃんと締切を作ると目の前のことに集中できますもんね。締切がなかったらなかったで、ガンズの『チャイニーズ・デモクラシー』みたいに自由になりすぎてヒドい作品ができることだってありますからね(笑)(このアルバムは制作に約14年をかけている)。

清水:また来日する予定はあるんですか?

MM:戻って来たいです。山田さん(プロモーター氏)のような日本での父親もいますからね(笑)。考えてみればこれで4回目の来日になるんですね。日本はもうすっかり僕のお気に入りの場所です。

次はオウガが長野に呼んでください。

山田:初来日のときに野田さんがオウガを勧めてくださったんですよね。

誰もが思うことだろうけど、オウガとマークさんは絶対に合うと思っていたんですよ。

清水:今回の対バンにはそんなに長く時間がかかっていたんですか(笑)。

本当に実現するとは思わなかったよ。

出戸:本当に一緒にできてよかったです。

マークさんから最後に何かありますか?

MM:昨日は同じステージに立てたし、こうして対談もすることができてとても嬉しいです。貴重な体験ができてリフレッシュすることができました。ソンケイシテイマス。





マーク・マグワイア、最新作情報。

Mark McGuire
Noctilucence

Dead Oceans/インパートメント

Amazon

interview with Ogre You Asshole - ele-king


OGRE YOU ASSHOLE
ペーパークラフト

Pヴァイン

RockPsychedelic

【初回限定盤】 Tower HMV Amazon
【通常盤】 Tower HMV Amazon
Review

 歴史が終わったあとのロック。それでも、つづいていくロック。「まだまだ続く/終わるはずの場所も/終わらず遠くでかすんで見える」という“ムダがないって素晴らしい”の印象深いセンテンスは、『ペーパークラフト』に通底するどこまでも終わりのないようなミニマリズムと同期しつつも、もう少し広い意味で解釈することもできるだろう。そう、オウガ・ユー・アスホールというバンドの評価を決定的なものにすることになったこのアルバムには、ロックという音楽に対する極めて冷静な批評的距離と、深い愛情に満ちた盲目的とも言える没入が両立されている。そのギリギリのバランス感覚は、出戸学、馬渕啓、勝浦隆嗣、清水隆史という4人のメンバーに加えて、プロデューサーの石原洋とエンジニアの中村宗一郎を合わせた6人が緊張感を持って育て上げてきたものだと言える。

 思い返せば、彼らの挑戦的な三部作は、フランスの批評家であるロラン・バルトの写真論『明るい部屋』を、『homely』の一曲めのタイトルに引用することからはじまっていた。このことの意味は決して小さくないだろう。一義的な理解で言えば、バルトが写真の偶有性のなかにこそ美しさを見出したのだとしたら、“明るい部屋”のあの不穏なイントロが示唆するように、オウガ・ユー・アスホールはその写真論のネガとポジを反転させてみせる。つまり、日常にありふれた「普通のもの」のなかにこそ、暗黒郷へとつづく取り返しのつかない変化の兆候を見出してしまうような、そんな想像力だ。おまけに、この三部作で徹底的に敷衍されたミニマリズムは、その「取り返しのつかなさ」を助長するかのようだ。わかっちゃいるけどやめられない、そんな、なし崩しのムードを催眠的に助長する。なぜなら、ぼくも、あなたも、その「取り返しのつかなさ」の一部だから。「居心地がいいけど悲惨な場所」で暮らす、紙の城の住民の一人だから。そして周知のように、“明るい部屋”のあの不吉なイントロのノイズは、三部作完結編である『ペーパークラフト』の最後、“誰もいない”で再度リフレインするのだった――。

 もちろん、オウガ・ユー・アスホールはポストモダンの理論派ではない。むしろそういった説明的な要素をほぼ完全に排除することで、すべての細部に意味を持たせているとすら言える。あるいは、すべては筆者の深読みに過ぎないのかもしれないが。取材を前に、筆者はバンドにとって最初の転機となった08年の『しらないあいずしらせる子』を聴き返していた。俗っぽい言い方をすれば、ずいぶんとエモく感じる。ものの数年で、バンドはここまで遠い場所に来たのだ。彼らの現在の代表曲は“ロープ”という。繰り返す、“ロープ”だ。これをポストモダンと言わずになんと言おう。いわゆるポスト・ロックと呼ばれる音楽が、ロックの相対化を図るどころかひとつのマイクロジャンルとして埋没してしまった惨状を遠目に、オウガ・ユー・アスホールはその歴史の上をたゆたう。

 以下の取材は、スカイプを介して行われた。インターネット回線が安定しないため、映像はカット。音声だけが長野県某所の練習スタジオ、田我流いうところの「アジト」から届いてくる。4人はいたってひょうひょうとしていた。

出戸学(Vo,Gt)、馬渕啓(Gt)、勝浦隆嗣(Drs)、清水隆史(Ba)の4人からなる日本のロック・バンド。2005年にセルフ・タイトルのファースト・アルバムをリリースし、2009年には〈バップ〉へ移籍しメジャー・デビューを果たす。2008年制作の『しらないあいずしらせる子』以来は現在に至るまでプロデューサーの石原洋とエンジニアの中村宗一郎がレコーディングを手がけている。2012年の5枚め『100年後』などを経て、2014年に〈Pヴァイン〉より最新アルバム『ペーパークラフト』を発表した。


少なくとも、『フォグランプ』のときの煮詰まり感はないですね。作品を作ることの楽しさをこの三部作で学んだ感じです。(出戸)

レーベルが変わって、アルバムをリリースして、慌ただしい一年だったと思いますが、アルバムへの反響はどうでした?

一同:うーん。

勝浦:ない。

一同:ははは(笑)

本当ですか?

出戸:いや、ないこともないんですけど、あんまり耳に入ってこないんですよね。

『ペーパークラフト』の完成度ってすごいじゃないですか。自分たちで聴いて、どうですか?

出戸:それはまあ、いままでのなかだったら……。

勝浦:いちばんですね。

出戸:そうなるよね。

変に褒められすぎるのも嫌で、地方に留まる若いミュージシャンもいますが、そういうノイズをシャットアウトするために長野にいるというのもありますか?

出戸:いや、僕たちの場合は、バンドをやりやすい場所を選んでいたら自然と長野になった感じですね。メンバーで話し合って、意見をきいて。もちろん、プロモーションとかのことを考えたら東京とか、名古屋にいた方がよかったのかなと思うこともあるんですけど、前にいたレーベルが「東京じゃなくてもいいよ」と言ってくれたこともあって。メジャーのレーベルがそう言ってくれるなら、東京に行く理由もそんなにないかなと。自分たちで練習スタジオを持てるということが大事で、時間のこととか、お金のことを気にせずに練習できるというのが僕らにとっては大きいんだと思います。メンバーそれぞれが長野に縁があって、知らない土地じゃないというのもあるし。

2011年の『homely』、2012年の『100年後』、そして今回の『ペーパークラフト』で三部作が完成したわけですが、同時に音楽性も大きく変わりましたよね。そこの出発の部分を改めてお訊きしたいのですが。

出戸:2009年の『フォグランプ』というアルバムで、それまでのUSインディらしさみたいなものを出しきったみたいなところがあって。なにか新しい刺激を注入しないと、バンドの空気もグズグズしそうだなっていう予感があったんですよ。それまではセッションで曲を作っていて、「せーの」で録ったものをみんなで聴き返して、「ここがよかったから使おう」みたいな感じの作業だったのをまず変えてみようと。それで、10年の『浮かれてる人』から僕と馬渕で曲を作るようになって、手法を変えることで少しずつ視界が開けてきた感じですね。

『homely』以降のオウガって、「プロデューサーの石原洋さんとエンジニアの中村宗一郎さんと組んでから急激に変わった」みたいな、非常にざっくりとした認識を持たれているのかなという気もするんですけど、あのふたりと合流したのは2008年の『しらない合図しらせる子』で、もう何年も前のことなんですよね。

勝浦:バンドが変わった大きな理由として、石原さんと中村さんの存在があると思うんですけど、最初は僕らのUSインディ感をもっと尊重してくれてる感じで、もうちょっと距離があった。

出戸:『浮かれてる人』くらいのときから石原さんが自分で作ったミックスCDをくれるようになって。そこで聴いたりするものが影響しはじめたっていうのもあるかもしれない。

たとえばどんなものをくれるんですか? 僕が名前を聞いてもわからないかもしれませんが……。

出戸:いや、たとえば「夏用」だったりとか、そんな感じのもありますし、「フレンチ・ポップのベーシック」とかだったらゲンスブールなんかも入ってるし。あとはサイケだったりとか。

清水:ニューヨーク・パンクのコンピとかもあったよね。ノイズもあったし。

勝浦:ノイズもあったし。

出戸:ノイズとか、エクスペリメンタルとか、本当にいろいろです。

そういうのって、石原さんの気分なんですかね?

馬渕:どうなんですかね。一曲聴いているあいだに次の選曲を決めてるって言ってましたけど。

出戸:そこで聴く音楽が影響しはじめたっていうのもあるだろうし。それまでは石原さんもわりと押し黙ってる感じだったんですけど、『homely』の曲を作っていって、スタジオで聴いてもらったときに、「今回のアルバムはイケる」って初めて言ってもらえて。そこから少しずつ歯車がかみ合いはじめた感じかな。

リスナーの反応はどう見てました?

出戸:お客さんはどちらかと言うと、昔の僕らを望んでいるのかなとは思っていたんですけど、僕らは『homely』の先をもう少し研究してみたいというのがあって。やりたいことと求められることがマッチしてない感じはありましたね。

三作品を作り終えて、どうですか?

出戸:3作品を作るなかで、自分たちのやりたい音楽を理解してもらえたんじゃないか、とは思っていますけど。少なくとも、『フォグランプ』のときの煮詰まり感はないですね。作品を作ることの楽しさをこの三部作で学んだ感じです。

ロックなんだけど、同時にロックから離れるためのもの、というか。ロックなんだけど、ロックじゃなくなりたいというか。(勝浦)

2013年のライヴを何度か観ていたんですが、当時の印象ではノイズ・エクスペリメンタルな方向に行くのかな、と思っていたんですけど、ばっさり切り替えたのには驚きました。だって、〈Shimokitazawa Indie Fanclub 2013〉のライヴとか、怒ってませんでした? せっかくのフェスなのに、2曲やって帰るっていう(笑)。

出戸:とくに苛立ってはなかったですよ。あのときはたしか、「素敵な予感」のオルタナティヴver.と、「ロープ」のロングver.の2曲しかやらなかったので無愛想に見えたかもしれないですけど、あのときはバンドがそういうモードだったんだと思います。

勝浦:むしろ、おもしろがってました。

出戸:そうそう、おもしろがってた。

ああいうモードには飽きてしまったんですか? インストのロックでもぜんぜんいけるというか、ある意味ではボアダムス的な方向にも行けるんじゃないかと思ったんですけど。

出戸:飽きたとかではなくて、あのモードをCDに作品としてパッケージしようとするときに、作品が自分で想像できなかったというか。全編ノイズみたいな作品は自分でもあまり聴かないですし。基本、歌モノから出られない、みたいなところはありますね。

そこは今回、訊きたかったポイントなんですけど。

出戸:うーん。

勝浦:でもたしかに、それはポイントかもしれません。出戸くんとかはとくにそうで、自分のやっていることに責任を持つ傾向があると思うんですよ。

責任?

勝浦:やりたいことにポンポン手を出す人は逆にいま、すごく多いと思うんですけど、出戸くんは自分のなかにちゃんと根づいているものを継続させていくタイプなんですね。聴くものがガラッと変わったとしても、それまでに聴いてきたものを否定したりはしなくて、自分のなかに根っこを持っている。それが責任というか。そういう根っこがないと、そっちでずっとやっている人の作品に比べて嘘っぽくなると思うんですよ。

出戸:そうですね。とくにノイズとかって、その人の生きざまが出ると思うんですよ。仮に同じような音が出ていたとしても、その音のなかにどういう人がいて、そこに思想があるのかとか、そういうものに大きく左右されるジャンルだと思うので。僕らにはそういうのはまだ早いというか、根っこが備わっていないというか。

勝浦くんのリズム感にはミニマルにハマるものがあって。人間が機械に近づこうとするんだけど、どうしても揺らぐじゃないですか。その揺らぎが好きだっていうんですよね。(清水)

なるほど。そこで出てきたのが、「ミニマルメロウ」だったわけですが。

出戸:去年末の〈リキッドルーム〉のワンマン・ライヴの打ち上げでその言葉が出たのがはじまりです。

勝浦:あれはその言葉を聞いてすぐに「よさそうだな」と思いました。

音よりも先に「ミニマルメロウ」というコンセプトが先にあったパターンは初めてだったんでしょうか?

出戸:そうですね。音の面で、そういう架空のジャンルみたいな言葉が先にあったのは初めてだと思います。

「ミニマルメロウ」っていうのも、本当に微妙なバランスでの組み合わせですよね。あんまり対立させて考えたことがない概念というか、実際に出されてみて、「なるほど」という驚きがありました。

出戸:対立する要素というふうに考えていたわけでもなくて。自分たちのなかにあるメロウな要素と、ミニマルな要素を混ぜ合わせてみたことがなかったから、うまくいくのかわからなかったんですよ。それで、一度やってみようと。

言葉をばらしてお訊きしたいのですが、「ミニマル」というとアート全般にまたがる広い概念ですけど、オウガにとってはどういう概念なのでしょう?

出戸:そこはじゃあ、うちのミニマル担当から(笑)。

勝浦:音楽のことで言うと、ロックなんだけど、同時にロックから離れるためのもの、というか。ロックなんだけど、ロックじゃなくなりたいというか。ふつうのロックをふつうに演奏してもおもしろくないので、リズムの持つ文脈を変えてしまう概念ですかね。ミニマリズムというとよく「テクノ以降」とか言われると思うんですけど、たとえばカンがそうであるように、ロックなんだけどロックではない文脈からも聴けるというか。

清水:あと、ミニマリズムっていうのは、勝浦くん個人の特性でもあるんだよね。勝浦くんは生活の中の趣味というか、服装とか家具とかもミニマルだし。

勝浦:うーむ。

清水:それに、勝浦くんには「機械になりたい」という名言があるからね。

勝浦:それ、言った覚えがないんですけどね(笑)

清水:勝浦くんのリズム感にはミニマルにハマるものがあって。人間が機械に近づこうとするんだけど、どうしても揺らぐじゃないですか。その揺らぎが好きだっていうんですよね。それも、揺らぎ放題というのでもなくて、あくまでも機械に近づこうとしているせめぎ合いから生まれる揺らぎが好きだっていう。それを地で行っている人だから。

[[SplitPage]]

出戸くんの声とか、馬渕くんのメロディ・センスがもともと資質としてメロウだと思うんですよね。叙情的というか。ミニマルとメロウ、その両方の要素がバンドのなかにもともと存在していた。(清水)

勝浦:それを聞いて思い出したんですけど、最初バンドに入ったときに、当時のUSのインディ・ロックをぜんぜん聴いてなくて、いまのロックがどうなっているのかってことをまったく知らなかったんですよね。僕は淡々とリズムを刻みたいのに、AメロとBメロでドラムのパターンを変えろって言われたりとか。「なんだそれは」と。「ドラムは一定のものだ」と(笑)。それはわりと昔から思ってたんですけど、それが『homely』以降になって、めちゃくちゃやりやすくなりましたね。

それは勝浦さんのどういう思想とつながっているんですか?

勝浦:何なんですかね。もともとメロディがない人間なので、機械っぽいとはよく言われるんですけど。

出戸:資質なんでしょうね。

勝浦:そうかもしれない。生まれ持った体質ということにしておいてください。わりと繰り返したりするのが好きなんですよね、昔から。ただ、最近のライヴを録音して聴いてみたら自分で思っている以上に揺れてたんですよ。それがすごいショックで。

一同:ははは(笑)

勝浦:まだまだ正確ではないです。

では、「メロウ」の方はどうですか?

清水:それはもう、出戸くんの声とか、馬渕くんのメロディ・センスがもともと資質としてメロウだと思うんですよね。叙情的というか。ミニマルとメロウ、その両方の要素がバンドのなかにもともと存在していたし、そういう意味ではもともとミニマルメロウなバンドだったのかもしれないけど、それを意識的に混ぜ合わせたことがなかったってことだと思います。

なるほど。ただ、たとえば正確なリズムだったら機械で打ち込めるだろうし、いまなんてそのちょっとした揺れさえもプログラムできるんじゃないかと思うんですよ。だとすれば、オウガ・ユー・アスホールがそれでもロック・バンドという形態にこだわるのはなぜですか?

勝浦:「ロック・バンドとしてはじめたから」という答えになるんだと思います。さっきの出戸くんの責任感の話といっしょで、自分たちを少しずつ変えていくことに面白味を見出しているから。

清水:もう、職人と同じだよね。モノを作るときに機械をどんどん導入する人もいるかもしれないけど、手で作ること自体によさがあるというか。彫刻やっている人に「なんで手でやるんですか?」って訊くようなもので、端的に「やりたいから」っていう。

出戸:もともとロックを聴いて育ってるっていうところも大きいですけどね。テクノとかも多少は聴きますけど、リスナーとしての主軸がロックにあるというのが僕の場合は大きいかな。

彫刻やっている人に「なんで手でやるんですか?」って訊くようなもので、端的に「やりたいから」っていう。(清水)

わかりました。話は一気に変わるんですけど、『homely』の1曲め、“明るい部屋”というタイトルは、ロラン・バルトの引用ですか?

出戸:そうですね。

その引用の意味みたいなものって、説明できますか?

出戸:うーん、意味かあ。あれは石原さんとふたりで考えていて、ロラン・バルトの引用はどうかという話をしていたことは覚えているけど、意味って訊かれるとなあ。どうなんだろう、難しいですね。

なるほど。出戸さんはそもそも、「自分の作品を自分で語る」というのはあまり好きではない方ですか?

出戸:なかなか難しいですよね。どちらかというと苦手な方だと思います。

音楽で表現する以上の言葉が見つからないという感じですか?

出戸:そうですね。「言葉の人」って感じではないですね、僕は。

ロラン・バルトっていうと、いわゆるポスト・モダンの批評理論みたいなものを意識して引用したのかな、とも思ったのですが。(注:「明るい部屋」は、ロラン・バルトの最後の写真論である。)

勝浦:そんなに理屈っぽく言葉を選んでいる感じじゃないんですよね、僕から見ていると。

出戸さんの曲名とかって、短いセンテンスで印象的な曲名をつけるじゃないですか。その威力がすごいなと、いつも思うんですけど。

勝浦:あれってフィーリングでつけてるんじゃないの?

出戸:フィーリングなのかな。順番としては歌詞のあとに曲名をつけることが多いし、何かを考えてつけてることは間違いないんですけど、何を考えているかを言葉にするのは難しいですね。

では、歌詞を書くのは好きな方ですか?

出戸:いいときはいいんですけど、嫌なときは嫌ですね。

一同:ははは(笑)

自分の歌詞が評価されているとは思いますか?

出戸:『homely』以降はまだ考えて書いているので、わかってもらえてればいいなとは思いますけど。

「表面だけ立派で、綺麗にみえるけど、じつはペラペラ」みたいなものについて考えたりしていました。「居心地がいいけど悲惨な場所」というイメージを意識的にも無意識的にもずっと考えていたように思います。(出戸)

今回のアルバムの歌詞を書いていく上で、アルバム・コンセプトのようなものはありましたか?

出戸:「表面だけ立派で、綺麗にみえるけど、じつはペラペラ」みたいなものについて考えたりしていました。また『homely』から『100年後』、そして今回の『ペーパークラフト』を通して、「居心地がいいけど悲惨な場所」というイメージを意識的にも無意識的にもずっと考えていたように思います。

『ペーパークラフト』で綴られた歌詞が、怒っているか、諦めているかのどちらかに分類されるなら、どちらだと思います?

出戸:どちらでもないですね。

でも、怒りや憂いみたいなものがないと出てこない歌詞だと思ったんですよ。

出戸:何かに白黒つけてるわけじゃないんですよ。日常的にも、楽しいけれど心のどこかでそれを嫌だなと思っていることとか、あるじゃないですか。そこはすごく微妙なもので。個人的にもすごく怒ったりとか、すごく悲しんだりとかしない人間ですから。だから、ひとつの強烈な感情を描いているわけではないですね。

わかりました。メンバーのみなさんは出戸さんの歌詞は気にしますか?

馬渕:気にしなくていいところがいいんですよね。たゆたっているというか。

勝浦:前はたゆたっていて、意味を感じにくかったんです。いまは、歌詞のなかにちゃんと芯がありつつ、なおかつたゆたってる感じかな。そこが最近の進化だと思う。

出戸:たゆたう感じが好きっていうのは根底にあって、聴いている人の耳に何も意味が残らないような歌詞をわざと書いていたような時期もあったんですよ。文法とかもわざと間違ってみたり。音に溶けこむのがいちばんだと思っていたから。でも、意味のない歌詞を書いたつもりでも、そこから嫌でも浮き出てしまうものがあって。言葉ってそういうものじゃないですか。どんなに消そうと思っても消せないものがあるという。だからいまは、言葉の意味と音の関係性の中から出てくるものっていうのは、昔よりは意識して絞っていますね。

評論によっては「ポリティカル」、つまり政治的という言葉が出てきますし、僕もいまの日本の状況を反映したような歌詞だなと思ったのですが。

勝浦:うーん、政治的なわけではないよね。

出戸:僕らが、というよりは、いまは世の中が政治的なのであって、そういう世の中にも順応できるアルバムだと思ってもらえればいいんじゃないですか。でも、政治的な事柄が薄まった世の中になれば、そこでもぜんぜんちがった聴かれ方をされたい。具体的に何について歌っていると感じるかが、聴く人や聴く時代によって少しずつ変わっていくような、鏡のような作品になればと思ってますね。

「オウガ・ユー・アスホールは(おもに詩作の面で)震災以降に大きく変化したバンドのひとつだ」という評論があるとしたら、出戸さんは反論しますか?

出戸:たまたま震災がバンドの変化と重なっているので、そう見えても仕方ないと思います。でも『homely』に収録されているほとんどの曲は、震災前に作られているんですよね。

[[SplitPage]]

1960年代って真空管の音だと思うんですけど、僕らはそれよりも後の、70年代的なアナログっぽい音が好きなんだと思います。トランジスタのディスクリート回路というか。(勝浦)

『ペーパークラフト』を聴いて、ザックリと「70年代感」みたいなものを感じたのですが、あの時代の音楽に惹かれてるっていうのはとくにありますか?

出戸:それはありますね。

勝浦:最近はとくにそうですね。

あの時代のどういうところに惹かれるかって言葉にできますか?

出戸:音質だと思います。

清水:81、82年あたりから、録音の機材が大きく変わってくるんですよね。どんどんデジタルの機材が普及していって。

出戸:たとえばシンセひとつとっても、アナログ・シンセとデジタル・シンセではぜんぜん音色がちがってくるんですよ。

勝浦:1960年代って真空管の音だと思うんですけど、僕らはそれよりも後の、70年代的なアナログっぽい音が好きなんだと思います。トランジスタのディスクリート回路というか。

清水:そうだね、トランジスタだね。

たとえば“他人の夢”の間奏のギター・パートなどはどのようなアイディアだったのでしょうか?

馬渕:あれは最初、ブルースっぽいギターを入れてほしいという話だったんですけど、いいフレーズが思い浮かばなくて。ミニマルっぽいフレーズを重ねていくのはどうですか、と逆に提案してできたパートですね。

出戸:あそこはいいよね。

馬渕:あれ、12弦のアコギなんですよ。それがまたいい味を出しているんだと思います。

今回はヴィンテージ機材のリストがついていたりとか、使う楽器の種類を増やしているのも意識的なことですか?

馬渕:機材に関しては、前から中村さんの持っているものを出してもらっているものがほとんどなので、今回に限った話ではないんですけどね。いろいろ勧めてくれるんですよ、「これどう?」みたいな。

出戸:それも、小出しにね。最初から全部教えてくれるんじゃなくて、「じつはこんなのもあって」みたいな。

馬渕:そうそう。「こんなものも持ってたんすか!」みたいな(笑)。いまだに驚くことが多いです。

中村さんとの仕事は石原さんよりも早かったと思いますが、どういう経緯だったのですか?

出戸:マスタリングを一度お願いしたことがあって、それで顔を知っているというのもあったんですけど、直感で選んだ部分もあります。当時は僕らにもそれほどレコーディングの経験がなかったので、スタジオやエンジニアによって音がどうちがうのかとか、マスタリングによってどう変わるのかとか、よくわかってないまま頼んだ部分もあったので。それで、最初は思うような音になかなかならなかったんですよね。

自分たちが頭のなかで思い描く理想の音とズレている感じですか?

出戸:中村さんて、バンドが鳴らしている音をそのまま録るんですよ。イコライザーいじったり、パソコンで音を整えたりってことをしないんです。僕らが未熟だったら、未熟なものがそのまま録れるっていう。僕らがいまいるスタジオがそういう場所っていうのもあります。いいところも、恥ずかしいところもそのまま出るスタジオだと思いますね。

勝浦:実際は、ヘタなまま録れるという(笑)。

僕も中村さんのマジックみたいなものがあるのかと思ってました。

出戸:いまって、プロ・ツールスとかを使って補正するから、多くのバンドが似通った音になりがちだと思うんですよ。そういう意味では、バンドの音をそのまま録ってくれる中村さんみたいな存在はすごく珍しいんです。中村さんの場合、マジックがないように見えるのにいい音に録るのがマジックなんだと思います。僕らのわからないところですごく色々やってるんでしょうね。


中村さんて、バンドが鳴らしている音をそのまま録るんですよ。僕らが未熟だったら、未熟なものがそのまま録れるっていう。(出戸)

それはいい話ですね。また話が変わるんですけど、『ele-king』も毎年恒例の年間ベスト号が出る季節なのですが、みなさんが2014年の作品でベストを挙げるとすると、どうなりますか? 気にしているリスナーも多いと思うのですが。

一同:……(沈黙が訪れる)。

出戸:今年観たもの、聴いたものでもいいですか?

大丈夫です。

出戸:映画は、ポール・トーマス・アンダーソンをDVDで全部観たりしてました。音楽は、サンタナの弟がやってるディスコのレコードがよかったです。

清水:ああ、あの女の人のピンクの水着のやつね!(注:Jorge Santanaの1978年のアルバム『Jorge Santana』のことだと思われる。)

勝浦:僕は、イタリアのプログレをよく聴いてたな。アレアとか、オパス・アヴァントラとか。

出戸:あれはよかったなー。

普段はどこでレコードを買うことが多いですか?

一同:ディスク・ユニオン。

やっぱりそうなるんですね!

出戸:やっぱり種類が多いし、価格も地方とかに比べると安かったりするので、どうしてもそうなっちゃいますね。地元にも、長野市のGoodTimesさんとか、松本のほんやら堂さんとかはたまに行きます。

『タイニー・ミックス・テープス』という批評サイトがアリエル・ピンクを評論するときに、「レコード・コレクター・ロック」という言葉を使っていて、オウガにも当てはまる言葉だと思ったんですね。要は、レコードをたくさん集めている人の作るロックというものがあると。逆を言うと、ロックのフォーマットは過去に出つくしていると思いますか?

出戸:手法はある程度、出つくしているとは思いますけど、その組み合わせにはまだ試されていない領域があると思うし、あとは同じ曲でも歌う人によってぜんぜんちがう曲になったりするじゃないですか。組み合わせとか、伝わり方という意味では、「新しく感じられるもの」はまだまだ作れると思う。

勝浦:今回の「ミニマルメロウ」というのも、そう思えたわけだしね。


受け取る側にも、受け取りに行く姿勢みたいなものがあってほしいし、そうでないと通じない部分もあるとは思いますね。(勝浦)

なるほど。とすると、オウガ・ユー・アスホールは、リスナーには一定のリテラシーが必要だと考えますか?

出戸:どういうことだろう?

つまり、アートに関する知識というか、作品を理解したり、解釈する能力だったりをリスナーに求めるか、という質問です。

出戸:自分たちの音楽が完全にアートだとは思ってないんですよね。ライヴだったらグルーヴとか、ビートだけでも伝わるものはあると思うから。

勝浦:でも、ある程度は知識というか、自分から受け取りにいく姿勢みたいなものがないとね。たとえば、子どもはマクドナルドがいちばん好きだったりするじゃないですか。そのままでは煮物の渋い味わいとか、複雑な味っていうのはわからない。だから、J-POPのわかりやすい泣きの進行とか、みんな好きだったりすると思うんだけど。そういう意味では、受け取る側にも、受け取りに行く姿勢みたいなものがあってほしいし、そうでないと通じない部分もあるとは思いますね。

清水さんの2005年くらいのインタヴュー(https://idnagano.net/interview/2005/10/vol02.php)を拝読したのですが、「わかる人だけ来ればいいっていうのではなくて、良いものを解るお客さんを増やしたい、育てたいと思う気持ちが強いです。偉そうですけど、何が面白くて何が高度な表現かっていうのをわかってほしい」と語られているのが非常に印象的で、いまのオウガもそのような役割を担う側に来ているんじゃないかと思うんですが。

清水:まあ、あのときは「ライヴハウスの人」って立場で話していたので、そういうこともちょっと言ってみたんですけどね。いま聞くと恥ずかしいです。でも、作り手としてそういうことを言葉にしてしまうと格好悪いというか、説教くさい感じがしますよね。それはちょっと格好つけて言うと、後ろ姿で伝わればいいことだと思うので。

なるほど。では、質問を変えましょう。そういう役割をオウガが担えているとしたら、うれしいことですか?

清水:そりゃあ、うれしくなくはないですけど……。

勝浦:まあ、ぜんぜん担えてないと思いますけどね。

出戸:うん。それに、たとえばクラウト・ロックをリスナーに教えるためにバンドをやっているわけじゃないですからね。そこを目的にしちゃうのはちがうと思うし。あくまで結果として、僕らを好きになってくれた人が、僕らの音楽から派生してクラウト・ロックなり、他の音楽を聴いてくれることはあるかもしれないけど、そこは目的じゃないと思う。

勝浦:それはもちろん、そうだね。

清水:「RECORD YOU ASSHOLE」みたいな番組をやってることもあって、そういう「教育者」みたいな立場で話を訊かれることが増えているのかもしれない。でも、教育者ってかんじでもないしね。

勝浦:教育なんてできる立場にない(笑)。

出戸:もっとすごい人たちはいくらでもいるので。


他のバンドがやっていることにそれほど興味がないのかもしれないですね。(馬渕)
(同世代のアーティストについては)歳が近いからこそ、嫌な部分が見えちゃうことが多いのかもしれない。自分を鏡に映して見るような気分になってしまって。(勝浦)

国内のミュージシャンで、リスペクトできる存在といえば?

出戸:ROVO、メルツバウ、山本精一さん、ヒカシューなど、いっしょにやらせてもらった中でもリスペクトできる人はたくさんいます。

では、下の世代、たとえばいわゆる「TOKYO INDIE」と括られるバンド群って、気にしていますか?

勝浦:気にしてないですね。

出戸:森は生きているみたいに、対バンする機会があれば聴きますけど……。あまり詳しく知らないので、何ともいえないです。

馬渕:「TOKYO INDIE」に限らず、他のバンドがやっていることにそれほど興味がないのかもしれないですね。

清水:憎んでるでも、避けているわけでもないんですけど、たんに縁がないっていうか。まあ、作り手なんでそんな感じでいいように思いますが。

馬渕:長野にいるので、そういう最新の情報とかも自分で求めないかぎりは入ってこないしね。

同世代とのヨコの連携もあまり見ない印象なので、孤独じゃないのかな? と思ったりもするのですが。

出戸:田我流とかがいるかな。彼はすごいリスペクトできますけど。

勝浦:あとはなんていうか、歳が近いからこそ、嫌な部分が見えちゃうことが多いのかもしれない。自分を鏡に映して見るような気分になってしまって。70年代の人とかだと、対象化できるくらい遠くに離れているから、関心を持つうえでの条件もいいんですよね。

なるほど。超然としているというか、『ペーパークラフト』にしても、2014年という尺でどうこう、という作品ではないですよね。そういうものを感じます。

勝浦:いまっぽいやつって、2~3年で飽きちゃうことが多いんですよね。いま、CDを整理して売ったりしているんですけど、発売した当時に流行っていたものにかぎって、全滅に近いほどの買取価格なんです。逆に、家に残るのは時間の経過のなかで生き残ってきた作品が多いですね。

馬渕:あと、作った時代がわからないものを作りたいっていうのはあるかもしれないですね。リスナーとしても「これ、いつの音楽で、いったい誰が作ってるんだろう?」みたいな音楽に惹かれることが多いし。


守りに入るくらいだったら思い切って黒歴史を作りたい、とは思っています。(出戸)

この三部作でオウガ・ユー・アスホールは何を達成したと考えますか? あるいは逆に、やり残していることはどれくらいありますか?

出戸:やり残していることがあるかはわからないですが、今回の『ペーパークラフト』ではとくに、コンセプトを深めるのとレコーディングを進めていくことが同時に、すごく自然にできたと思っています。それに、ジャケットやアートワーク、MVやアーティスト・フォトなどを総合的に作ることができたと感じています。そういうやり方ができるようになったのは、この三部作を通してだと思います。

あえて名前を出しますが、ゆらゆら帝国が『空洞です』を作ったあとに、何年かライヴをやって、「『空洞です』の先にあるものを見つけられなかった」「ゆらゆら帝国は完全に出来上がってしまった」と言って解散してしまったことがトラウマになってるリスナーも少なくないと思うんですよ。

出戸:まだ次のことは考えてないですけど、少なくとも「これ以上のものは作れない」という感じではないよね。

勝浦:それもそうだし、次のアルバムで思いっきり失敗してもいいと思うんですよ。予測のつく範囲で守りに入ってしまうよりは、失敗したら失敗したでまたその次にいいものを作れればいいし。

出戸:もちろん、失敗したいわけじゃないですけどね。ただ、煮詰まって何もできなくなるよりはいいですよね。それに、何をもって失敗と言うのかっていうのもあるし。

たしかに。

清水:リスナーの立場になってみても、考え過ぎて袋小路にいくよりは、いろいろなことをしてみてほしいよね。失敗作を聴くのも楽しかったりするし。

出戸:失敗したくはないですけどね。

一同:ははは(笑)

出戸:80年代にやらかしてる大物のミュージシャンもけっこういるじゃないですか。でも、それでそのミュージシャンがリスナーに見放されたかというと、そんなこともないわけで。そういう意味で、守りに入るくらいだったら思い切って黒歴史を作りたい、とは思っています。

 大阪を皮切りにスタートした『ペーパークラフト』リリース・ツアーはすでに大盛況のうちに3公演を終了。来る12/27(土)には、恵比寿〈LIQUIDROOM〉にて東京公演が開催されます!

ツアー日程一覧はこちら
https://www.ogreyouasshole.com/live.html

■OGRE YOU ASSHOLE
ニューアルバム・リリースツアー “ペーパークラフト”

OPEN / START:
18:00 / 19:00

ADV / DOOR:
¥3,600(税込・ドリンクチャージ別)

TICKET:
チケットぴあ [241-735]
ローソンチケット [71374]
e+ 岩盤

INFO:
HOT STUFF PROMOTION
03(5720)9999


OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

静かな、しかしけっして止むことのない怒りの音楽竹内正太郎

 これは悪い夢なのだろうか、と思うことがある。数年前にはとても考えられなかったようなことが、いま、この国で実際に進行している。しかし、ある人にとってそれがどれほど悪夢のような世界に思えても、同時にそれは、他の誰かが夢にまで見た理想の世界でもあり得る、ということ。そして、その強烈なアイロニーを受け入れながら、同時に、徹底的な俯瞰でその全貌を描いてしまうこと。もし、そんなことをやってのけるロック・バンドがいまの日本にあるとすれば、それがオウガ・ユー・アスホールというバンドだろう。新作『ペーパークラフト』の一曲め“他人の夢”において、出戸学は「あー/ここは他人の夢の中」と歌っている。前作『100年後』で築いたあのムーディーなサイケデリアの照り返しの中で、ゆったりと、とても大らかに、まるでラヴ・ソングでも歌うような柔らかさで、彼は歌っている。

 さらに、この“他人の夢”という曲は、ここ数年のライヴや、セルフ・リメイク・アルバム『confidential』の中で極まりつつあったノイズ・エクスペリメンタルな傾向からはひとまず切り離された、『ペーパークラフト』が新たに提示するある意味ではニュートラルな、それでいてポップスの常道からは逸脱したような(それこそ、詞の中で「ここにあるすべてが少しづつ変だ」と表現されているような)世界を象徴する曲でもある。とくに、1分を超える間奏パートに敷き詰められたコズミック・ギターのカーテンは、技術のひけらかしではなく、むしろ無言のままに、その雄弁な沈黙でもって聴き手の耳を圧倒するだろう。「希望や夢が一人一人を狂わせているよう」という言葉すらものみ込んで。

 もし、オウガ・ユー・アスホールというバンドに不幸な点があったとすれば、転機となった意欲作『homely』のリリース・タイミングが、ゆらゆら帝国の退場とあまりにも綺麗に連動してしまったことだろう。正直に言えば、筆者もあのときに素直ではない反応を示してしまったリスナーの一人である。しかし、緩やかな韻律と、大さじの皮肉がなみなみと注がれる2曲めの“見えないルール”には、このバンドの覚悟を見い出さずにはいられない。もちろん、彼らの音楽を本当の意味で鍛え抜いたものが、仮に、3.11以降のこの国で起こったあれこれであったとすれば、僕はそれを喜んでいいのかわからない。ひとつ、確実に言えることがあるとすれば、『100年後』の一部楽曲を除いて、オウガ・ユー・アスホールの音楽でこのようなジレンマに陥ることはなかった、ということである。
 その意味で言えば、この『ペーパークラフト』というアルバムの卓越した練度と問題意識は、ゆらゆら帝国の『空洞です』の完成をもって一度は放棄されてしまった日本語ロックのその後の可能性と(2010年の解散声明に「結局、『空洞です』の先にあるものを見つけられなかったということに尽きると思います。ゆらゆら帝国は完全に出来上がってしまったと感じました」と記されたショックを僕はいまでも忘れられない)、ceroの『My Lost City』という作品、とくに“わたしのすがた”に刻印された震災後の日本への真摯な問題意識を堂々と引き受けるものと言えるだろう。どう聴いても流行りの音楽ではない。優しい言葉のひとつもない。が、孤独は慰め合うものではないということを、この音楽は教えてくれる。

 もちろん、『ペーパークラフト』は単なる生真面目さに縛られた作品というのでもない。“いつかの旅行”に見られるインディ・プログレ(?)とでも言うべき、まるでレトロなSF映画のSEをサンプリングしたようなプロダクションには豊かな遊び心が、また、いわゆるロックのイディオムからは遠く離れた、“ムダがないって素晴らしい”で乱舞するパーカッシヴなリズム・プロダクションには、忍耐強いリズムの探究がある。レコーディングのクレジット欄には、それを実現可能にしたアナログのヴィンテージ機材の数々が、記載しきれないほど列挙されている(“誰もいない”に吹き込まれるサックスの、あの叙情的な響きときたら!)。たとえば、とりあえず音圧上げて4つ打ち、というふうに、「敷居を下げることがポップである」と誤解されつづけているこの国で、彼らの試みがより多くの驚きを集めることを願う。
 言葉の面で言えば、タイトル・トラックである“ペーパークラフト”が決定的だろう。もちろん、前提として断っておけば、彼らのメタフォリカルな言葉はいまでも一定の抽象性を守っているし、本稿に記されているのはあくまでひとつの解釈に過ぎない。だが、それでも、本作での言葉がこれまでにない強度を備えているのは気のせいではないと思う。あの震災を受けて、「これで日本もよい方向に変わっていくかもしれない」という一時的な希望を持ってしまった私たちの、皮肉めいたその後を描いたのが“他人の夢”だとすれば、他方では、ハリボテの街での生活もそう簡単にはやめられない、その意味では誰しもがある意味では共犯者なんだ、というパラドキシカルな意識がこの曲、ひいては『ペーパークラフト』全体に通底しているようにも思える。しかも、そのような複雑さを伴う作業を、彼らは極限までシェイプされた言葉でやってのけるのだから!

 とはいえ、なにも僕は、「ロックとは何か/どうあるべきか」というウンザリするような定義戦争を仕掛けたいわけではない。が、この作品は、そんな徒労にもう一度だけ首を突っ込んでみたくなるような誘惑に満ちている。たしかに、僕たちは世界を変えることができないかもしれないし、世界も僕たちを変えることができないかもしれない。だが、あなたが好むと好まざるとに関わらず、世界を変えようとしてしまう人たちがどんなときにも存在する、ということは思い出すべきだろう。気づけば他人の夢の中で踊らされてる、なんてことになる前に。

 少し大きな話になってしまうが、イマココの現実を相対化するために、「あり得たはずのもう一つの現実」を生み出すフィクションの力を、この国においてもサイケデリック・ロックが担ってきたのだとすれば、人々が暮らす街をひとつの霊廟として、しかも紙作りの霊廟として見てしまう『ペーパークラフト』の超然とした想像力は、トリップしながらも覚めている。それも凶暴なまでに。それは単なる厭世ではないだろう。そう、これは静かな、しかしけっして止むことのない怒りの音楽である。ある種の文学と、ロックという表現の可能性をいまでも信じる人に、どうか届いてほしいと思う。

竹内正太郎

»Next 三田格

[[SplitPage]]

積極的にどっちつかずでいること三田格

 物憂げでトゲトゲしい。しかもどこか青臭くて、迷ってもいる。トゲトゲしいといっても、それは歌詞=ヴォーカルだけで、サウンドは真綿のように優しく、いつしか……いや、いつのまにか息苦しさを増していく。上がりもせず下がりもしない。一定のテンションを保っているほうが残酷だということもある。「そういったもののなかにしばらくいたい」と思ってしまう自分はどういう神経をしているのだろうか。誰かとケンカでもした後で、その感情を反芻して泣いたりするのがおもしろいとか、そういうのともちがう。イギリス人がザ・スミスを聴くと、こういう気持ちになるのだろうか。でも、あれほどネガティヴに振り切れた歌詞ではないかもな。相変わらず積極的にどっちつかずで、あまりにも引き裂かれ、ロック的な皮肉からは少しかけ離れている。孤独を盾に取ったようなところがないからだろうか。

 耳が歌詞に行きすぎるので、言葉がわからないようにヴォリウムを下げてサウンドだけを聴いてみた(そうすると低音の太さがより一層際立った)。デヴィッド・ボウイ“レッツ・ダンス”風にはじまる“見えないルール”でコールド・ファンクかと思えば、ヤング・マーブル・ジャイアンツが(編成を変えずに)ボサ・ノヴァをやっているような“いつかの旅行”、そして、マガジンが昭和の歌謡曲をカヴァーしているようにも聴こえなくはない“ちょっとの後悔”などポスト・パンク期のサウンドが目白押しのように感じられた。一時期、彼らの特徴だと言われていたクラウトロックの陰は薄く、ペレス・プラドーの浮かないマンボをカンが演奏すればこうなるかなという“ムダがないって素晴らしい”に残像が焼きついているという感じだろうか。それでも、どの曲もOYAに聴こえるのだから、何をどうやったところで彼らは一定のトーンを編み出しているということなのだろう。「他者」というのは、よく知っていると思っていた人が別人のような顔を見せた時に立ち上がるものだという定義があるけれど、ここには少なからずの他者性があり、いわゆるツボには収まってくれない快楽性がある。控えめなパーカッションが効いている〈クレプスキュール〉調の“他人の夢”から ブライアン・イーノとローリー・アンダースンがコラボレイトしたようなタイトル曲まで、これだけの振り幅を1枚にまとめたのはけっこう大したもの。ガラっと変わるのはエンディングだけで、その“誰もいない”はオープニングの“他人の夢”と対をなしている曲なのだろう。「自分の夢」ではなく“誰もいない”である。ようやく孤独が見えてきた。

 ラテン・アレンジが目立つわりに全体にじとーッとしていて、最後だけカラッとさせるのはテクニックというものだろう。最後の最後にトゲを残さないのも一種のスタイルとはいえる。おそらく、それほどトゲは強くなく、対象のなかに食い込んではいなかったに違いない。悪く言えばOYAはこれまであまりにもヴィジョンのなかったバンドで、他人の描いた夢に乗っていたことを『ホームリー』で自覚しただけに過ぎず、初めて孤独を手に入れた瞬間を「誰もいない」と歌うことができたと考えられる。「他人の夢」を見ていた時期を右肩上がりの日本社会に喩えたり、社会の絶望を個人の希望に読み替える歌詞だと解釈したり、“いつかの旅行”を動物化に対する葛藤ととっても悪くはないかもしれないけれど、基本的にOYAは自分の位置しか歌にしてこなかったと思うと(紙『ele-king vol.4』)、過去を思い出して「バカらしい」と同時に「愛らしい」と感じたり、そのように言葉にできるということはシンプルに成長だと思うし(“ちょっとの後悔”)、忌野清志郎による主観性の強い歌詞が好まれた80年代に戻っているような印象を残しながらも、決めつけるような言葉は周到に退けつつどこか探るような言葉で歌詞を構築していくあたりは自我が周囲に散乱しているのが当たり前、いわゆるSNSや承認論が跋扈する現代のモードに忠実だともいえる。言葉を換えて言えば、ミー・ディケイド(トム・ウルフ)に対する反動から「ひとりよがりのポスト・モダン」(ザ・KLF)を取り除こうとした90年代を経て他人が介在する余地を残さざるを得なくなっているのが現在の「縛り」となってしまい、孤独になるのはかつてなく難しい課題になっているとも(忌野清志郎のために少し言葉を足しておくと「一番かわいいのは自分なのよ」と彼が歌った背景には全共闘による滅私の考えにノーを言おうとしたからだというのがある。松任谷由実の責任転嫁を肯定する歌詞はそれを異次元緩和したようなもので)。

 忌野清志郎がかつて持っていたような過剰なほどの被害者意識がここにはまったくといっていいほど存在していないので、返す刀のような考え方=トゲが他人に対してだけ向けられるものにはなりにくく、自分とは異なる価値観の上に成り立つものも「意外と丈夫にできている」(“ペーパークラフト”)と、妙な譲歩にも説得力がある。忌野が初心ともいえる“宝くじは買わない”(1970)と同じテーマを歌った“彼女の笑顔”(1992)で、「何でもかんでも金で買えると/思ってる馬鹿な奴らに」と切って捨てるような立場をOYAは確立し損なったわけである。OYAがこの先、それを再構築するために「自分の夢」を描く方向に行くのか、それとも「積極的にどっちつかず」でありつづけようとするのか。もちろん、後者のほうがおもしろいですよね……(忌野清志郎のために少し言葉を足しておくと、80年代には「金は腐るほどあるぜ 俺の贅沢は治らねえ」(“自由”)と、彼は物事の二面性を歌うのがホントに巧みだった)。

 言葉がわかるようにヴォリウムを上げて、もう一度、聴き直す。歌詞の意味よりも声だけに耳が行く。出戸学の歌詞はまだ出戸学の声に追いついてないと思った。

三田格

OGRE YOU ASSHOLE、新作MV - ele-king

 この音、この言葉、なんて説明すればいいのだろう。10月15日に発売されるオウガ・ユー・アスホールの新作『ペーパークラフト』は傑作である。来週、ele-kingでもレヴュー2本載せるぞ。お楽しみに。
 思えば、僕は、この1年、このバンドのライヴを4本見ている。そのすべてにおいて、バンドは堂々としていた。僕は“見えないルール”を歌いながらロードバイクを飛ばす。30キロ・アヴェレージを目標に(あくまでも目標)、およそ3時間ほど、朝の清々しい空気のなかを走る。すれ違う女性がみんな美人に見える。そして朗報が……。
 『ペーパークラフト』の収録曲“ムダがないって素晴らしい”のMVが完成。出戸学が自ら監督・制作・撮影したクレイ・アニメ作品である。

本MVは、OGRE YOU ASSHOLEのオフィシャルwebトップ、〈Pヴァイン〉のYouTubeチャンネル、同日同時放送でバンドが運営するUstream番組「Record You Asshole」内にて公開される。

今回のミュージック・ヴィデオは、ヴォーカル/ギター担当でOGRE YOU ASSHOLEの中心人物である出戸学が自ら監督・制作・撮影・編集全てを手がけた、究極のセルフ・メイドとなっています。

今夏のレコーディング終了後に急遽発案され、約90日をかけて試行錯誤が繰り返された結果、ジュール・ヴェルヌやドイツ表現主義などのレトロSFムービーを彷彿させる、キッチュで不可思議な映像作品が完成しました。
遠い未来の異国のような、あるいは夢で見た風景のようなモノトーンのアナザー・ワールドで起こる様々に無益な事象が、ラテン・パーカッションとドラムスが産み出す反復ビートと重なって、ミニマルで謎めいた陶酔感を生み出しており、つい何度も再生したくなります。

アルバムのジャケットやアーティスト・フォトの細部に至るまで、全てバンドメンバー自らが企画・制作した「ペーパークラフト」からの初MVに相応しく、これまで何度かOGRE YOU ASSHOLEのMVを監督・指揮してきた出戸が、初めて自ら全てを手がけた意欲作です。

前々作「homely」、前作「100年後」から通底するテーマであった「居心地が良いが悲惨な場所」を、手作業の暖かみとミニチュアが持つ硬質感が融合したレトロ・フューチャーな映像で表現した、OGRE YOU ASSHOLEの最新MV「ムダがないって素晴らしい」を、ぜひともご覧ください。
(レーベル情報より)

PヴァインYoutubeチャンネル:
https://www.youtube.com/user/bluesinteractionsinc

Record You Asshole by OGRE YOU ASSHOLE:
https://ototoy.jp/feature/index.php/2012083000

official web:https://www.ogreyouasshole.com/
twitter:https://twitter.com/OYA_band
FB:https://www.facebook.com/ogreyouassholemusic

■OGRE YOU ASSHOLE 『ペーパークラフト』
発売日:2014/10/15
発売元:P-VINE RECORDS

収録曲:
1.他人の夢
2.見えないルール
3.いつかの旅行
4.ムダがないって素晴らしい
5.ちょっとの後悔
6.ペーパークラフト
7 誰もいない

<初回限定盤>
・完全初回限定生産
・特別ボックス仕様
・CD+エクスクルーシブ・セッションを収録したカセット・テープ付属(シリアル・ナンバー入りダウンロード・コード付き)
品番:PCD-18775
値段:¥3,330+税

<通常盤>
・1CD仕様
品番:PCD-18776
値段:¥2,550+税


■OGRE YOU ASSHOLE
ニューアルバム・リリースツアー “ペーパークラフト”

2014.12.13(土)  大阪  CLUB QUATTRO
2014.12.20(土)  山梨  CONVICTION
2014.12.21(日)  長野  ネオンホール
2014.12.27(土)  東京  LIQUIDROOM

2015.01.10(土)  札幌   KRAPS HALL
2015.01.16(金)  名古屋 CLUB QUATTRO
2015.01.17(土)  広島   4.14
2015.01.24(土)  新潟   CLUB RIVERST
2015.01.31(土)  鹿児島 SRホール
2015.02.01(日)  福岡   Drum Sun
2015.02.07(土)  仙台   HOOK
2015.02.08(日)  松本   ALECX (※ツアーファイナル)


OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 いま現在、私を完璧にトランスさせることのできる日本のバンドは、オウガ・ユー・アスホールであります。『homely』以降の彼らのライヴは、「ドリーミー」なんて生やさしいものではない、まさしく「サイケデリック」そのもの。「ロープ」という曲は、ヴァージョンによっては「ドープ」と呼ばれているけれど、私はライヴで演奏されるこの曲を世界中の人に推薦したいと思う。ライヴ会場で聴かなければ、この曲の真実は伝わらないし、そして、20分にもおよびであろうこの演奏を聴いたら、その日たとえどんなに嫌なことがあったとしても、1日のうちに2回以上も電車のダイヤルが乱れても、満天の星のなかをドライヴできる。初めての人は、日本にこんなバンドがいたことに驚きを覚えるでしょう。日本にもこんな、強いてたとえるなら、初期ピンク・フロイドとカンが混ざったようなバンドがいるのです。最新号の紙ele-kingの表紙も飾っています。
 というわけで、12月28日恵比寿リキッドルーム。今年最後のフリークアウトを楽しみましょう!


オウガ・ユー・アスホール - ele-king

 飄々としながら、ほとんど同じテンポで繰り返される『100年後』は、退屈さえも受け入れようとするオウガ・ユー・アスホールらしい開かれ方をしたアルバムだ。はったりはなく悲観もない、そして実はとんでもなく無理してはったりをかまし、悲観しているとも言えるが、たやすく涙に流されることをここまで拒んでいる作品はない。
 そんな問題作『100年後』から"素敵な予感 different mix"、12インチ・アナログ用の別ミックスのPVです。メンバーが企画制作すべてをてがけた意欲作。ele-king先行公開!



interview with Ogre You Asshole - ele-king

E王
OGRE YOU ASSHOLE
100年後

バップ

Amazon iTunes

 あのさ、と彼は言った。9月になったら世界恐慌が起きて、日本もギリシャみたいになって、それから......と彼は続けた。医療制度から原発問題にいたるまで、ひと通り。そして9月になって、オウガ・ユー・アスホールの新作『100年後』がリリースされた。
 『100年後』は実に興味深いアルバムだ。これを失敗作と言う人がいても不自然ではないと思えるほど、バンドは、ある意味では、思い切った賭けに出ている。もしここで『homely』をもっとも象徴する曲を"ロープ"のロング・ヴァージョン(12インチ・シングルに収録)だとするなら、『100年後』はあの曲のスペース・ロックめいた恍惚、清々しいまでの残響から自ら離れていったアルバムだ。
 気晴らしに徹することができたらどんなに楽だろう。結局のところ『homely』で最高に気持ちが良いのは、"ロープ"のロング・ヴァージョンの長い長いインストの箇所かもしれない。もうひとつ、『homely』を象徴する曲"フェンスのある家"で歌われている「嘘みたいに居心地が良い場所(comfortable lie)」が具体的にはどこを指しているのかバンドからの説明はないと思われるが、はっきりしているのは、オウガ・ユー・アスホールには離れたい場所があったことだ。
 バンドは音楽的に多様なスタイルを身に付け、ここ数年で、聴覚的な面白味を具現化している。石原洋と中村宗一郎によるそれ自体がアートの領域のようなミキシングを介して生まれる刺激に満ちたサウンドは、『homely』の最大の魅力である。出戸学の歌詞は、ほとんど断片的な言葉で組み合わされている。受け取り方によっては、パラノイアックにも思えるし、アイロニカルで、そして感情的な空想を駆り立てている。それらが一体となったとき、いかにもシャイな青年たちによるオウガ・ユー・アスホールは最高の高揚に達する。「わな?  居心地よく 無害で/笑っていた ここはウソ/飾るためのドア/つかれた彼も/心地よく呑まれていた」"作り物"

 アビヴァレンツなムードが『homely』以上に際立っているのは、『100年後』が異様なほどにリラックスしているからだ。『homely』が"マザー・スカイ"なら今回は『フロー・モーション』とも言えるが、『フロー・モーション』ほどリズムをテーマにしている感じではない。それでも『100年後』には、快適さや楽観性と並列して恐れや懐疑がある。メロウで弛緩しながらも、ところどころでささくれている。その点では『フロー・モーション』的と言えるだろう。
 そして、この面倒な混線のあり方は、たしかにわれわれのいまを表しているのかもしれない。わけわかんないって? しかし、それでは、ガイガーカウンターの音でもサンプリングすればいいのかという話だ。
 オウガ・ユー・アスホールは、彼らの催眠的な演奏を控え目にしながら、多様な思いを、複雑な感情をある種チルアウトな場所へと持ってく。感情の垂れ流しではない。僕は、このアルバムの感覚は、フライング・ロータスの新作やエジプシャン・ヒップホップのアルバム、ないしは今日のアンダーグラウンド・ミュージックにおけるアンビエント志向ともそれほど遠くはないと思う。なんとかして、落ち着きを取り戻しているのだ。ひどく引き裂かれながら......。
 『100年後』はなかばトロピカルなゆるさとともに、こういう歌い出しからはじまる。「これまでの君と/これからの君が/離れていくばかり」"これから"

『homely』がほんとに自分たちでは完成度の高いものができたなと思ってるんで、それに恥じないものを作ろうと思ってました。でもそれの延長上もイヤだったんで。その最初のきっかけがどういうものになるかっていうのがもっとも重要な点でしたね。

『homely』のあとの方向性として、チルアウトな感じっていうかメロウな感じ、もしくはエクストリームな感じか、っていう風には思ってたんですよ。それで、どっちに行くのかな、っていう興味があって。結果を言えば、エクストリームな方向性っていうのをあそこまでライヴで実現しておきながら、捨てたじゃない? すごくもったいないなと思ったんですよね(笑)。

出戸:ああー(笑)。でも、エクストリームな方向に行くと、『homely』の延長上になってしまう気がするんですよね。

もちろん、もちろん。

出戸:そこはまあ、作品の連続性があるなかでも、ベクトルは変えたいなと思って。

ただ、『homely』であれだけ自分たちのサウンドを作ったわけだから、もう1枚ぐらい続けても良かったんじゃないのかなっていう。そういう気持ちは少しぐらいはなかった?

出戸:そういう気持ちも、ほんとに半々でスタート地点でどっちに行こうかっていうので僕も迷ってて。でも最初に作った曲が、1曲目の曲なんですけど。

あ、1曲目の"これから"が最初だったんだ?

出戸:それができたときに、「こっちだな」っていう風に思って。

ああ、なるほど。あのイントロにはたしかにやられました。でも、いや、『homely』の続編を1枚作れば、ひょっとしたらゆらゆら帝国が行けなかった領域に行けたかもしれないのに、と思って。

出戸:そうなんですか(笑)?

ゆらゆら帝国フォロワーって言われるのは自分では抵抗ありますか?

出戸:ありますね。

100パーセント抵抗あるって感じ?

出戸:それはしようがない部分があるのはもちろんわかってるんですけど、僕個人としては、フォロワーっていう気分では作ってないっていうか。それはプロデューサーが同じだから、石原(洋)さんの色とかみたいなもので共通項はあるだろうけど。まあ言ってみればメンバーがひとりカブってるようなものだと思ってるから。フォローをしていくっていうつもりはあんまりなくて。

フォロワーってちょっと僕の言葉が悪かったね。

出戸:影響は受けてると思います。石原さんと一緒にいて、喋る時間とかも長くなってるんで。そういった意味では、あるのかもしれないですけど。

僕はゆらゆら帝国も最近のオウガ・ユー・アスホールも大好きなんですけれど、ゆらゆら帝国とオウガ・ユー・アスホールの違いを僕なりに言うと、ゆらゆら帝国はドライなことをやろうとしていながら自分たちのウェットさから逃れられなかったという感じがするんですね。たとえば"つぎの夜へ"って曲があったじゃないですか。ああいうある種の感傷がばっと出てしまう瞬間があったでしょ。そこが魅力でもあったんだけど、そういうところがオウガにはない。

出戸:ないですね。

今年見たライヴなんかは、そのさばさばしたドライな感じとサイケデリックなトリップ感がものすごくうまくなった感じがあって。とくに"ロープ"のライヴ演奏とかすごかったじゃない。だからあの路線をもう1枚続ければ、ゆらゆら帝国が行けなかった領域に行けたんじゃないかって僕が勝手に思ったんだけどね、すいません(笑)。

出戸:なんですかね、まだどうなるかわからないですけど、自分のなかには構想があるんで(笑)。

そう(笑)。それで、新しいアルバムの『100年後』、出戸君の発言を拾い読みすると、「100年後を想像したときにすごく楽になれた」って話じゃないですか。それっては諸行無常ってことだと思うんだよね。ある種の無常観、つねに物事は終わっていくっていう。だけど『homely』はそういう無常観とは違うものだったよね。ちょっとパンク・ロック的な感覚もあったと思うし。パンクっていうか、100年後を想うことのある意味では対極かもしれないんだけど、たったいまこの瞬間だけを一生懸命生きるっていう感覚が。無常観っていうのもひとを楽にさせるとは思うんだけれども、たったいまこの瞬間のことだけを考えるっていうのも重要なことじゃないですか。

出戸:その熱さみたいなものもの、熱を持ちつつ、一回冷やした状態で曲を作りたかったみたいなのはあって。

それはどうして冷やしたかったの?

出戸:なんだろう、『homely』の続編を作るときに......なんですかね。まあもともの性質でもあるんですけど、僕そんなに「いまを生きる」熱さみたいなものはないのかもしれない。ライヴのときはあるかもしれないですけど。本質的にそんなにガツガツした感じではない(笑)。

それは見てて非常によくわかる(笑)。でも、「いまを生きる」って熱さでも冷たさでもなくてさ、考え方じゃないですか。気持ちのありようっていうか。そういう「いま」の連続性が、音楽でいうとミニマリズムみたいなことかなって思うんですけれど。僕もオウガから熱さは感じないからさ。

出戸:ですよね(笑)。

だからこそ、続けるべきだったんじゃないでしょうかね(笑)。

出戸:えー、今回のは、いまを生きているって感じはないってことですか(笑)?

だって今回は『100年後』だから。

出戸:まあそうですね。

それは何かきっかけがあったの? 今回のコンセプトに行き着くような。

出戸:『homely』の終末観みたいなものは自分のなかではあったんですけど、それが重くなりすぎた感じがして、僕のなかで。『homely』が。

ええ、そうなの。僕は逆になんかね、すごく軽くしたっていう風に思ってたんだけどね(笑)。あれはでも重かった?

出戸:はい。それで次はもっと軽くしたいなっていう。テーマ的にはそんなに変化はないんですけど、もっと軽く表現したいなって思ったんです。

なるほど。そういえば、ぜんぜん話飛んじゃうんだけどさ、レコーディング中にジム・オルークさんが乱入したっていう話を聞いたよ。

出戸:レコーディングっていうかライヴの練習中ですね。練習中に入ってきたんですね。

それは何? スタジオが同じだったの?

出戸:いや、僕らの持ってるスタジオが長野にあるんですけど、そこの近所で石橋(英子)さんたちがレコーディングしてて、そこのスタジオのオーナーが僕の知り合いで、それでたぶん連れてきたんですね。急に「うるさい!」って言って入ってきたんですね(笑)。

はははは。面白いね。

出戸:そのとき石橋さんも一緒にいて、って感じでしたね。

[[SplitPage]]

『homely』の終末観みたいなものは自分のなかではあったんですけど、それが重くなりすぎた感じがして、僕のなかで。『homely』が。それで次はもっと軽くしたいなっていう。テーマ的にはそんなに変化はないんですけど、もっと軽く表現したいなって思ったんです。

E王
OGRE YOU ASSHOLE
100年後

バップ

Amazon iTunes

なるほどね。なんかね、『100年後』を一聴したとき、すごくリラックスしているアルバムだなと思ったんですね。その感じが僕にはとても良く思えたんですよね。恐怖を煽るような感じじゃなくてさ、腹の括り方というか。それは自然に自分たちから出てきたものなの? それとも、ある程度コントロールしてそういう世界を作ったって感じ?

出戸:そうですね、『homely』が重さとか緊張感とかがあったので、最初にそれとは違うベクトルのものを作っていこうってなったときに、まあ単純にそうなったっていうのもあるし。もともと僕のなかでそういうものが聴きたいっていう欲求もあって。

1曲だけ"黒い窓"ってダウンテンポがあるけど、他は曲のテンポがみんな近いじゃないですか。テンポ的に追えば、アルバムのなかであんま起伏がないっていうか、ある種のフラットな感じもあって、そこは意図した?

出戸:そうですね、意図してますね。

ああ、やっぱ意図的だったんだ。さっきも言ったけど、1曲目のイントロがほんと最高でした。あの何とも言えないメロウなニュアンスっていうのが、自分たちでは今回のアルバムのイントロダクションとして最高に機能できるものだっていう?

出戸:そうですね、はい。1曲目にふさわしいとは思いましたね。あのイントロの音は。

出戸くんは最初に曲を作って後から歌詞を乗せる?

出戸:そうですね、逆のことはまずないです。

じゃあ「100年後」って言葉も後から出てきたんだ?

出戸:いちばん最後、全部ができた後にアルバム・タイトルをつけました。

その「100年後」って言葉には、出戸くんなりのちょっとした諧謔性、ユーモアっていうのもあるの?

出戸:ユーモアっていうか......「なにもない」っていう言葉、いまあるものがない、僕が死んでるとか、そういう終わることを、恐怖心を煽る感じで言いたくないなと思ったときに、100年後っていうのがユーモアではないけど、自分のなかではそういう言葉がハマったっていうか。

なるほど。1曲目で「諦めて/おいで」って言葉が出てくるじゃないですか。その「諦める」っていうのは何を意味してるの?

出戸:うーん......何だと思いますか(笑)?

ははははは(笑)。いろいろと考えちゃうよね(笑)。あのー、出戸くんは歌詞もすごく特徴があって。直接的な言葉やわかりやすい言葉遣いを避けてるじゃない? その理由は何なんでしょう?

出戸:なんかガッツリ音を聴いたときに、こう言葉が入ってくると単純に踊れないとか、そういう音楽を邪魔する部分ってあるじゃないですか。素直に音に入っていけなくて、そっちの文脈に頭が行っちゃって歌詞を追うようになっちゃうっていうので、あんまり入ってこないようにはしたいけど、まったく意味のないものにもしたくないというか。その中間で歌おうとすると、こういう感じになったっていうか。

出戸くんは、表に出さないだけであって、実は苛立ちであったりとかさ、憤りを抱えている人でしょう? ぎゃあぎゃあ言わないだけで。やっぱどこかにささくれだったものを感じるもん。

出戸:苛立ちみたいなものは多かれ少なかれあるとは思うけど、ぎゃあぎゃあ言うのは性に合わないっていうか。友だちとはそういう話はしますけど。歌詞では、わかるひとにはわかるぐらいの発信の仕方っていうか。

どちらかと言うと誤解されてもいいやぐらいの感じじゃない。だっていまの「諦めて」っていうのもさ(笑)。

出戸:(笑)そうですね、でも誤解されてもいい。音楽が......。

語ってくれると。

出戸:そう思うんですけど。

さすがですね。"黒い窓"って曲のなかでさ、「ふつう」って言葉が出てくるんだけど、出戸くんは自分のことを普通だと思う?

出戸:まあ普通になりたいとは、子どもの頃から思ってた。

ここ数年ぐらい普通ってことをすごく強調するひとたちが目につくようになったでしょ?

出戸:そうですか?

「そんなの野田さん普通ですよ!」とか言って(笑)。

出戸:はあ......(笑)。まあその歌詞で言う「ふつう」っていうのは、ちょっと死体のような感じのニュアンスもあるかもしれないですね。どっちかって言うと生気のないひとのことを表しているような気もする。

ああ、なんかそういう感じだよね、あれは。あと、AORっぽい曲で、"すべて大丈夫"って曲があって、あのなかで「似ていく/正しいことも/間違いも」って言葉が耳に残るんですけど、これはどういうことなんですか?

出戸:これはまあ、感覚が麻痺した状態っていう意味で。終わりかけの麻痺感に近いのかな。

あと、今回はポップスってことをすごく意識してるなと思って。"記憶に残らない"って曲なんかはね、変な話、懐メロっていいますかね。

出戸:懐メロですか(笑)。

レトロ・ポップス的な要素を入れてるじゃない。あのコーラスとか。

出戸:はいはい。まあ敢えてって部分もありますね。そのコーラスの部分は。

懐メロっぽいことをやりながら、「記憶に残らない」っていうさ。ある種パラドキシカルな言葉をつけているのも面白いなと思ったんだけれども。

出戸:ああ、でもそれはあんまり意識してなかったですね。たまたまですね。

この「記憶に残らない」っていうのはさ、負の意味で言ったんですか? それとも正の意味で?

出戸:まあどちらでもいいんだけど、負に捉えたほうが面白いかなっていう。

皮肉が含まれてる?

出戸:皮肉っていうか、まあそう素直に思う部分もあって、っていう。でもどっちに取られてもいいような状態にはなってると思いますけどね。

『homely』のときもそう思ったんですけれども、ただ今回のほうがより抽象性は高いと思う。

出戸:そうですかね。

自分ではどう?

出戸:自分では、今回のほうがより焦点がわかりやすくなってるかなと思ったんですね。

ほお。出戸くんは歌詞はスラスラけっこう書けてくほう?

出戸:スラスラ書けるときと、書けなかったら書かないみたいな感じですね。ひとつのテーマが思いついたらけっこう早いっていうか。

音楽性の追求ってことで言えば、インストの曲だってできるバンドだと思うんだけど、やっぱ日本語の歌っていうものに対してこだわりがあるわけでしょう?

出戸:まあこだわりって言ったらあれですけど、でも自分が歌い上げてって言うよりは、やっぱり楽曲のなかでそんなに邪魔でないものであってほしいとは思ってますけどね。

長野で生まれて、名古屋に出てきて、で、また長野に戻って活動しているわけだけど、自分たちが長野の地元にいるってことは、オウガ・ユー・アスホールの創作活動においてどのような影響を与えてると思う?

出戸:うーん......いまのプロモーション期間とかは、ほんと毎週東京に来てて。その距離の問題で、僕に疲れを与えている。

はははは! ......すいません。

出戸:(笑)。

昔よく絶対聞かれたと思うんだけど、自分たちが名古屋の学校を出た後に、そこでまた地元に戻ったっていうのはごく自然な選択だったの?

出戸:みんなで話し合った結果、どうしたいっていう話のなかで、選択肢は名古屋に戻るか、東京行くか、長野に戻るかっていうので。そういういろんな可能性を話した結果、長野ってことになったんですけどね。

長野はどんな場所なの?

出戸:場所は、周りにほとんど家がなくて、森のなかで砂利道をこう、500メートルぐらい舗装道路じゃない道を行ったところにある場所なんですけど。そこでスタジオで音が出せる環境があって、楽器とかも広げたら次のライヴまでそのまま片づけなくていい、みたいな感じで。

牧歌的な感じ?

出戸:牧歌的って言うよりも、なんですかね、夜とかはひとがいなさすぎてちょっと怖い。冬になると「ひとが住む場所じゃないな」みたいな(笑)。

出戸くんの歌詞のなかに出てくるさ、「なにもない」っていう言葉っていうのはそこから来てるのかな?

出戸:でもそこは、牧歌的感とはあんまり結びつけてほしくなくて。もうちょっとこう、追いつめられて気が狂ったひとの歌みたいな気分で、自分は書いてて。

あ、そうなの!?

出戸:で、妙に明るいみたいな。いままで終わりに向かって歌ってたのに、急に妙に明るく「なにもない」って言ってる感じが、自分のなかではちょっと発狂に近いようなニュアンスで書いたつもりなんですけど。

なるほど。心の叫びとも言える?

出戸:心の叫び(笑)。

いや、そんなもんじゃない(笑)。でもやっぱり、暮らしやすいですか?

出戸:いまは夏なんで暮らしやすいですね。夏は標高が1200メートルぐらいあるんで、単純に涼しいっていう意味では暮らしやすいですけど、東京のひとで毎日とか週2~3とかでひとと飲んでてワイワイやってるひとには耐えられない空間だって(笑)。

なんで? 何もないからってこと(笑)?

出戸:ひとと会わないし、あんまり。ひとに会えない。会うときはこっちがよっぽど遠くに行くか、向こうが来てくれるかぐらいなんで。

ちょっと想像しにくい場所だね。

出戸:うーん......。

そういうところはきっとオウガっていうバンドのエッセンスとして関わってるんだろうね。

出戸:うーん、僕らがそこにいるっていうポリシーで作ってる曲はないから、自分としてはそこから何か発想を得てるっていう気はないですけどね。

スタジオって自分たちでお金をかけて作り上げたって感じ?

出戸:多少はお金使ったんですけど、レコーディングはできないんで。

リハーサル・スタジオなんだ?

出戸:リハーサル・スタジオなんで、そんなにお金かけることもなくて。防音と吸音ぐらいで。あと機材、マイクとかスピーカーとかぐらいで、そんなに莫大なお金はかかってないです。

[[SplitPage]]

夜とかはひとがいなさすぎてちょっと怖い。冬になると「ひとが住む場所じゃないな」みたいな(笑)。そこは、牧歌的感とはあんまり結びつけてほしくなくて。もうちょっとこう、追いつめられて気が狂ったひとの歌みたいな気分で、自分は書いてて。

E王
OGRE YOU ASSHOLE
100年後

バップ

Amazon iTunes

大滝詠一さんが昔の日本の音楽は分母には世界史があったと、しかしその分母がニューミュージックの台頭で内面化されて、どんどん世界が隠蔽されていったという話があって、僕もそうだなと思うんですけど、日本の音楽、とくにロック・バンドとかさ、その多くがなんで音的な視野を狭めちゃったんだと思う?

出戸:まあキャラクター商売だと思ってるひとが多いかなって思いますね。キャラとして確立されれば、音はどうでもいいと思ってるんじゃないかって。

ああなるほど。でも、キャラを売るって昔からずっとあったと思うんだよね、とくにポップ・ミュージックの世界では。

出戸:もしくは、ロック・バンドって、「自由にやることがいい」みたいな。「自分たちの好き勝手にやるのがいい」っていうのが美学になったのが、こう何ですかね、間違って捉えてほんとに自由にやってて、ファンがいいって思うことと自分がいいって思うことが一緒になって混ざっちゃって、っていうのがあるのかもしれない。そこで手綱を引き締める、批評をしなくなるっていうか。

ある1曲がファンから強烈に愛されてしまうと、その曲から自分たち自身が逃れられなくなっちゃうってこと?

出戸:っていうのと、あと自分たちの作品に批評性を持ってない。自由にやるっていうのが、それを持たないで自由にやってる感じがするっていうか。だから「俺、すごい」っていうパターンか、ファンに迎合してるパターンの2パターンっていう風に見える。それで自分に対しての批評を持たずに作品を作ってるひとが大半で。

そういう意味で、同世代だとトクマルシューゴみたいなひとには共感がある?

出戸:トクマルくんが4つか5つぐらい上なんですけど。まあ昔からの知り合いっていうのもあって。

みたいだね、なんかね。

出戸:トクマルくんがツアーに出たとき初めてのツアーが長野で、そのときに対バンで僕らが呼ばれてて。そこで初めて僕らが知って、みたいな。それが6、7年前とかそんな感じなんで。対バンとかはあんまりしてないですけど、プライヴェートではちょこちょこ喋ることがあって。

まあ、トクマルくんもそうだけど、オウガ・ユー・アスホールも理屈っぽい音楽ではないでしょ。かといって感情を思い切り表に出していく感じでもないし......。さっきも訊いたけど、出戸くんはポップっていうことはどんな風に意識している? ポップスというか。

出戸:ポップスとまでは行かないですけど。でも今回は『homely』が持ってたちょっとアヴァンギャルドな感じとかを......

トゲがある部分を。

出戸:トゲがあるもの、その要素も持ちつつもうちょっと歌の存在感はある、みたいな。『homely』のときに歌がそんなにないような感じだったんで。もうちょっと歌を前に出そうかなぐらいは思ったけど、そんなポップスほどまでは考えてなかった。

"記憶に残らない"とかもそうなんだけど、"すべて大丈夫"とか、けっこうオウガ流のポップスみたいなものを考えてるのかなっていうか。"すべて大丈夫"なんてさ、タイトルからしてオウガらしくない無理な感じはあるじゃないですか(笑)。

出戸:まあ敢えてつけてますね。

バンドにとって今回もっとも重要だった点っていうのは何だったんでしょうか。

出戸:『homely』がほんとに自分たちでは完成度の高いものができたなと思ってるんで、それに恥じないものを作ろうと思ってました。でもそれの延長上もイヤだったんで。その最初のきっかけがどういうものになるかっていうのがもっとも重要な点でしたね。違うベクトルであり、『homely』にも恥じないというか、そういうものをどう作ろうっていうのはけっこうありました。

やっぱり前作を超えなければいけないっていうね。

出戸:延長上だと、たぶん『homely』は超えられないんですよね。音楽を作ってる経験上。

なるほど、ストイックだねえ。

出戸:いやあ(笑)。ストイックなんですかね(笑)。

ははははは。やっぱ『homely』的な激しさっていうのは、本来の自分たちの限界を超えたっていうか、ちょっとこう、跳躍してみた感じっていうのがあったんですね?

出戸:そうですね、かなり異次元のものを作ってやろうっていう意気込みが最初にすごくあって。自分たちも捉えられないようなものとか、そういう要素を。レコーディング期間とかもけっこうあったんで、わけわかんないものをとりあえず入れといて、ミックス作業で意外と自分たちのなかではけっこう抑えたというか。ミックスしてみると収まったという感じですかね、どっちかと言うと。だからレコーディングしてるときは「これ成立するのかな」っていうぐらいで作ってたんで。そういった意味では、今回はそういうのはなかったかもしれないですね。でも今回も3、4曲目とかはどうなるかわからないスリルみたいなのはありましたね。

『homely』よりもさわりはゆるい感じですが、今回はより深みはあるっていうかね。またライヴが楽しみです。


「100年後」リリースツアー 10/13 松本ALECX(ワンマン)
日時:2012年10月13日(土)OPEN 18:30/START 19:00
出演:ワンマン
TICKET:
一般発売日:8月18日(土)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:FOB新潟 025-229-5000

10/19 新代田FEVER
日時:2012年10月19日(金)OPEN 18:30/START 19:00
出演:ゲスト、石橋英子
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:Livemasters Inc. 03-6379-4744

10/21 横浜F.A.D
日時:2012年10月21日(日)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:Livemasters Inc. 03-6379-4744

10/27 札幌cube garden
日時:2012年10月27日(土)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:WESS 011-614-9999

11/3 新潟CLUB RIVERST
日時:2012年11月3日(土)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:FOB新潟 025-229-5000

11/4 仙台MA.CA.NA(ゲスト有)
日時:2012年11月4日(日)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:G/i/P  022-222-9999

11/9 福岡DRUM Be-1
日時:2012年11月9日(金)OPEN 18:30/START 19:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:BEA 092-712-4221

11/10 広島ナミキジャンクション
日時:2012年11月10日(土)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:夢番地広島 082-249-3571

11/17 名古屋CLUB QUATTRO
日時:2012年11月17日(土)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:10月6日(土)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:ジェイルハウス 052-936-6041

11/18 大阪BIGCAT
日時:2012年11月18日(日)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:10月6日(土)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:グリーンズ 06-6882-1224

11/24 「100年後」リリースツアー 渋谷AX
日時:2012年11月24日(土)OPEN 18:00/START 19:00
会場:SHIBUYA-AX
TICKET:
一般発売10月6日(土)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:Livemasters Inc. 03-6379-4744

Ogre You Asshole | Dry & Heavy - ele-king

 最初に出てきたのはオウガ・ユー・アスホール。およそ20分にもおよぶ"rope"のロング・ヴァージョンからはじまる。まったく素晴らしい演奏。反復の美学、どんどん進んでいく感覚、クラウス・ディンガーのモータリック・サウンドをアップデートしたドライヴ感、出戸学のギターはリズムを刻み、馬渕啓はじっくりと時間をかけながら熱量を上げていく。やがて出戸学もアクセルを踏む。もうこのままでいい。このままずっと演奏し続けて欲しい。魅惑的な疾走感。もう誰にも邪魔されないだろう。ところどころピンク・フロイドの"星空のドライヴ"のようだが、支離滅裂さを逆手にとって解放に向かう『homely』の突き抜けたポップが広がっている。
 なかば冷笑的な佇まいは、心理的な拠り所を曖昧にして、オーディエンスを放り出したまま、黙々と演奏を続けている。それでもエモーショナルなヴォーカルとバンドの力強いビートが心を揺さぶる。そして、右も左も恐怖をもって人の気を引こうとしているこの時代、"作り物"の胸の高まりは前向きな注意力を喚起しているようだ。それにしても......こんなに気持ちよくていいのかと、そばでガン踊りしている下北ジェットセットの森本君の肩を叩く。が、彼はもうすでに手のつけられないほどトランスしている。
 オウガ・ユー・アスホールは、昨年の秋、赤坂ブリッツでのワンマンを見て以来だった。あのときも書こうと思っていたのだが、諸事情が重なり書けなかった。ようやく書ける。間違いない。90年代なかばのボアダムス、90年代後半のフィッシュマンズ、00年代のゆらゆら帝国、この3つのバンドの領域にオウガ・ユー・アスホールは確実に接近している。要するに、誰がどう考えても、彼らこそいまこの国でもっともスリリングなライヴ演奏をしうるロック・バンドなのだ。
 ちょうどライヴの翌日、彼らの新しい12インチ・シングル「dope」がリリースされている。"rope"のロング・ヴァージョンもそこで聴ける。同シングルのA-1は"フェンスのある家"の新ヴァージョンで、いわばキャプテン・ビーフハート的賑やかさ。語りは英語のナレーションに差し替えられ、管楽器によるジャズのフリーな演奏で飾り立てている。コーネリアス風のコーラスが不自然な入りかたをして、曲を異様なテンションへと導いている。

 オウガ・ユー・アスホールが終わると、ステージの中央にはいかにも重たそうなベース・アンプが置かれ、やがてドライ&ヘビーが登場する。向かって左にはドラマーの七尾茂大がかまえ、そして秋本武士をはさんで反対側にはキーボードとして紅一点、JA ANNAがいる。彼女は4年前、ザ・スリッツのメンバーとしてライヴをこなしつつ、バンドの最後の作品となったアルバム『トラップド・アニマル』でも演奏している。なんとも運命的な組み合わせというか、ドライ&ヘビーの鍵盤担当としてはうってつけだと言える。
 再活動したドライ&ヘビーは主に1970年代のジャマイカで生まれた曲をカヴァーしている。この日の1曲目はジャッキー・ミットゥーの"ドラム・ソング"だが、その音は『ブラックボード・ジャングル』のように響いている。最小の音数、最小のエフェクト、そして最大のうねり。ダブミキシングを担当するのはNUMB。そう、あのNUMBである(そして会場にはサイドラムもいた)。
 演奏はさらにまた黙々と、そしてストイックに展開される。ブラック・ウフルの"シャイン・アイ・ギャル"~ホレス・アンディの"ドゥ・ユー・ラヴ・ミー"......。ドライ&ヘビーの魅力は、ジャマイカの音楽に刷り込まれた生命力、ハードネス/タフネスを自分たち日本人でもモノできるんだという信念にある。その強い気持ちが、ときに攻撃的なフィルインと地面をはいずるベースラインが織りなす力強いグルーヴを創出する。気安く近づいたら火傷しそうだが、しかしだからといってオーディエンスを遠ざける類のものでもない。ドライ&ヘビーは、アウトサイダー・ミュージックというコンセプトがいまでも有効であること、"フェイド・アウェイ"や"トレンチタウン・ロック"といった名曲がいまでも充分に新しいということを身をもって証明しているのだ。
 僕は彼らと同じ時代に生きていることを嬉しく思う。

 追記:まとめてしまえば、オウガ・ユー・アスホール=クラウトロック、ドライ&ヘビー=ダブというわけで、『メタルボックス』時代のPILのようなブッキングだった。

Ogre You Asshole - ele-king

 サイケデリック・ロックほど欧米と日本との文化状況の違いを感じるジャンルはない。この国で"Music For All The Fucked-up Children"が普及しない理由は、欧米の現場に行ったことがない人でも想像に難くないだろう。日本のロックの多くが音よりも言葉に酔せる傾向にあるのも、こうした文化と無関係ではない。もっともそうした不自由さのなかで、日本からはずば抜けたサイケデリック・ロックが生まれてもいる。ボアダムス、コーネリアス、スーパーカー、ゆらゆら帝国などといったバンドは、"ファックド・アップできない子供たち"を"ファックド・アップ"させるよう、自らの好奇心を優先させ、音の追求を怠らなかった。そうしたバンドは、ワールズ・エンド・ガールフレンドが分析するように、日本的な情報量の多さとその編集能力、緻密な折衷主義によって音の独自性を磨いていった。オウガ・ユー・アスホールは、いま、その系譜にいるんじゃないだろうか。
 『homely』のオープニング――クラウトロック的なスペイシーなミニマリズムによる"明るい部屋"から"ロープ"への展開は拍手したくなるほど見事だ。夢とストイシズムの絶妙のバランスのなかで反復するベースとドラム(誰もがカンを思い出すだろう)は、ゆっくりと、そして力強いグルーヴを創出する。リズミックなバンドのアンサンブルには自由に動き回れる空間があって、控えめなギターとシンセサイザーはその空間を面白いように走る。
 バンドはリスナーを当惑させるような、シュールな言葉を好んでいる。言葉は抽象的で、なかなか方向性をはっきりさせない。思わせぶりな歌詞の朗読からはじまる"フェンスのある家"は、しかし、16ビートのリズム・トラックの乾きが象徴的な言葉の重さを消去する。こうした手の込んだテクスチャーは、このバンドの大きな魅力のひとつに思える。バンドの言葉(歌詞)は、たとえ暗い予兆を思わせるものであっても、リスナーを抑えつけるようなことはなく、あたかも空気のようにふわふわしているのである。
 "作り物"は、そうした彼らのユニークな軽さによるキャッチーで、そして感動的な曲だ。「わな? 居心地良く無害で/笑っていた/ここはウソ」――日本語による美しいメロディラインに乗せて、部外者としての疎外感や憂鬱、怒りや絶望、悲しみをOYAはどこか涼しげに、スーサイドとテレヴィジョン・パーソナリティーズの溝を埋めるかのように、ヘタしたら爽やかに歌ってみせる。
 "ロープ"、"フェンスのある家"や"作り物"といった周到にデザインされたような、つまり抜け目のない曲からすると、"ライフワーク"や"ふたつの段階"のようなエモーショナルなロック・ソングはやや見劣りしてしまうかもしれない。が、ヴェルヴェッツ・スタイルの"マット"を聴いたらこのバンドに対する期待は、もはや隠せなくなるだろう。この頽廃と甘美は最高潮に達したときのフィッシュマンズの領域に迫っているかもしれない。クローザー・トラックの"羊と人"は、このバンドらしい屈折した曲と言えよう。たっぷりと皮肉が注入された歌詞を、うそぶくように、洒落たポップスとして表している。曲のエンディングのサックスの切なさは、予定調和をせせら笑い、アイロニーとしての余韻を残すようだ。プロデューサーの石原洋とエンジニアの中村宗一郎は、元ゆらゆら帝国チーム。我々はいま素晴らしいアルバムと出会っている。この強力なアートワークも、不自然さや不条理、意味と無意味をちらつかせるような、このバンドの音楽をよく表している。

1

ã‚¿ã‚°