Home > Columns > Oneohtrix Point Never 『Tranquilizer』- 3回レヴュー 第一回目
文:till Nov 07,2025 UP
気づけば、どんな話題にも「美学」という言葉が入り込んでいる。K-POPのファンダムでは「〇〇コア」という呼び方が定着し、ファッションでも、写真でも、何かしらの“感じ”に名前がついていく。
いま、誰もが美学の話をしている。「Aesthetics Wiki」には既に千以上のページが生まれ、今やリミナルスペースは人気のフォト・スポットである。
美学は孤独を説明するのだ、とぼくは思う。
「Y2K」「Dreamcore」「Liminal Space」──それらの言葉は、あなたの指先にあるもの、足元に転がっているものをもってして、あなたが一人ではないことを示す。
それはあなたの「コア」であり、私たちのものでもあるのだ。
「コア」を所有すること。それは孤独を共同所有物へと変えることだ。
しかし、Oneohtrix Point Never、このどこまでも加速し続ける音楽家はそうした戯れにほとんど興味を示していないように見える──決して誰の手にも収まらないまま、彼は進み続ける。
メディウムを変え、声を変え、時には名義も変えながら、ただ残響だけが、その軌跡を指し示す。
Photo: Aidan Zamiri
今作の創作のきっかけとなったとOPNが語る商業用オーディオ・キットは、単なる素材であるからして、鳥の鳴きも「悲しげな」ピアノの旋律も──そのままでは一切の意味を持っていない。
いや、持たないように設計された「マテリアル」であった。
それらは音楽家によって分解され、加工され、成形され、楽曲を構成するパーツとなる。
そのときに初めて、鳥の鳴き声は鳥の鳴き声として機能し、悲しげなピアノの旋律は悲しげなピアノとしての役割を得るのだ。
精神安定剤(Tranquilizer)。
「安定させる」という言い方をするのなら、そこにあるものはひどく不安定であったということだ。
大量のマテリアルを触っては投げ捨て、その果てにやっと完成した一応の形も、彼はやや大ぶりな身振りでどこかへ投げ捨て、また次のマテリアルへと手を伸ばしていく。
安定と不安定の往復。トラックを作りながら次のサウンドを“ブラウジング”している音楽家の姿がぼくには見えてくる。
彼は安定を捨て、均衡を崩し、もっともらしさを軋ませて……そうまでして、何かを探し求めている。
山積みになったマテリアルをある瞬間旋律と和声で拾い上げて、その底に眠っている、ひどく重たく、歪なままのものに触れることを試みるのだ。
安定などとうに失った世界で、誰かが夢見た別の未来の残響が、その奥からまだ微かに響いているのではないか。
OPNが触れようとするそれは沈没船の宝箱か、固く閉ざされていた、地獄の蓋か。
その鳥が卵をひっくり返した。
卵は巣をひっくり返した。
巣は鳥かごをひっくり返した。
鳥かごは敷ものをひっくり返した。
ジョルジュ・ペレック『さまざまな空間』水声社
クレーン車、どこかのレコードショップ、キーボードを叩く手……。
アルバムから最も早く公開されたこの曲のビデオは、一見すると無関係なシーンが次々に移り変わる、落ち着きのない4分ちょっとの映像であった。
ちかちかするシンセサイザーと環境音のなかで、繰り返されるハミング。それは何か主題めいたものを伝えようとしているようにも思えるが、実のところ、それ自体は何も語ろうとしてはいない。単なる「イメージ」の蓄積。データとして加工された音声ファイルがただ暫定的な居場所を与えられているにすぎない。
しかし、私たちはつい聴き取ってしまう。何を?
ビデオでは最後に、不明の撮影者が誰かに呼ばれて家を出ようとする。
外は明るい。山を切り開き、そこに意味を持たせた農園風景。何度も現れる宇宙のモチーフ。表面温度という情報にのみ還元された私。
残ったもののために(For Residue)。
サンプル・ライブラリの喪失を創作のインスピレーションとする本作のイントロであるこの曲は、柔らかなノイズから始まって、「For Residue」と楽曲名を呟く声が現れる。そしてその後に弦楽器とシンセサイザーの和声で幕が開く。……その身振りはやや大袈裟で演技じみているように思えてくる。
だが、聴いていけばすぐに、そのハリボテめいた演出こそが、本作を理解するキーとなっていることがわかった。シンセサイザーのループは中途半端なところで繰り返し、それは明らかにメロディラインとしての佇まいではない。同じように、鳥の声は環境のレイヤーには配置されず、むしろハイハットやタムドラムのようにただ用いられている。
いちどマテリアルとなった音声は、全てその機能のために並べ替えられる。
この楽曲に「でこぼこしている」(Bumpy)というタイトルが付いていることが非常に重要だ。
その動きは非常にスムースだ。こぼれ落ちそうなサンプルを次から次に和声と旋律をもってして拾い上げる。動き続けるメロディを組み合わせて見事なソフト・ランディングを見せる終盤の流れも素晴らしい。
だが、完璧な滑らかさのなかでこそ、いかにこの楽曲が「でこぼこ」であるかを感じさせられる。整いすぎた表面を撫でながら、私たちは音の下にある微細な凹凸を確かに感じ取る。
落ち着きのない楽曲構成の中でぼくに見えてきたのは、彼が「ブラウジング」...何かを探し求めて、音声ファイルを次から次に配置していく姿であった。
飛び回るドローンが世界を捕捉する。あらゆるマテリアルは管理可能な対象へと変わる。そして空間上に現れるのは「美しい」風景群だった。
この楽曲の特殊なところは、明らかに作品の「進行方向」が強く意識されている点だ。
トラックの再生開始地点から終了地点へという意味ではない、つまり「力の働く方向」が確かにそこにあるように感じられる。
楽曲を通して使われているピアノリフがその最も顕著なところである。ダブの響きを思わせる深い音響効果のなかで、この旋律はフィルターのオープンとクローズでその身体を何度も引き裂かれようが、ループの中に引き込まれようが、そこからどうにか戻ってきてまた進み続ける。
楽曲のヴィデオはとりわけ奇妙で、木々や家、街といったイメージがカットが変わるごとに姿を変えて、ついには現実と非現実ですらいくつものレイヤーに分解されたうえでないまぜになる。彼がクロッシュの中の何かを家へと運んでゆく、その力の「進行方向」だけは決して最初から最後まで変わらない。