Home > Interviews > interview with Yoshinori Sunahara - 夜よりも暗く
聴いている人が楽しめないものにしたいわけじゃないないから、もうちょっと楽しめる要素で、自分がそれを妥協しないで受け入れることができるものがあるなら、それは取り入れたいなと思うんですよ。いつもそう思ってやってます、これでもね。
砂原良徳 / liminal キューンレコード |
■手法的な話だけど、90年代はサンプリングという手法にこだわっていたじゃない。それを『ラヴビート』でやめてしまった。それでも『ラヴビート』にはそれまでの砂原良徳の音楽の魅力のひとつであるメロウネスがあったと思うんだよね。『リミナル』の驚きというのは、自分の音楽の魅力であるメロウな感覚をも削いだってことなんだけどね。それがすごいなと思ったんだよね。
砂原:音楽って、曲って、人から人に対するコミュニケーションじゃないですか。でもね、人が言ってることとか、個人が出すものとか、もう白々しいし、限界があるなと思ったんですよ(笑)。それを考えたときに「音楽のはじまりってどうだったのかな?」、「人から人に向けたものが音楽のはじまりだったのかな?」と、「いや、そうじゃないだろう」と思ったんだよね。風の音を聞いてなんかいいなと思ったり、波の音を聞いてなんかいいなと思ったり、あるいは動物の鳴き声であったりとか、そういうものが音楽のはじまりなんじゃないかと思ったんだよね。で、風の音や波の音のような意識的なものではない要素を自分の音楽に取り入れたいと思ったんだよね。でも、意識的に取り入れないと音楽にならない。で、意識と無意識のグラデーションとか考えているうちに、メロディとかそういう人が作ったものではない領域に踏み込みたいと思ったんだよね。それがメロディが少なくなった理由です。
■ふーん、すごい話だなぁ(笑)。まあ、とにかく削ぎ落とそうと思ったわけではないんだね。
砂原:違う。削ぎ落とそうというのは、基本的に毎回やっていることだし。そうではなくて、もっと無意識の音というか。
■ただ、まりんの音楽はエレクトロニック・ミュージックであり、そういった風や波の音とは違う次元の音じゃない。
砂原:いや、でも、突き詰めていくと、意外と近かったりするかもしれないんだよね。たとえばコンピュータで乱数的なプログラムを作って音を鳴らすと、風鈴の音と近かったりとか、つまり次にどういう風に鳴るのかっていうことが予測できない。そういうことはコンピュータでも作り出せるから。
■もともとまりんの音楽は、良い意味でサーヴィス精神に溢れていたと思うのね。腕の良いコックが......
砂原:気の効いた料理を(笑)。
■そう、気の効いた料理を、見た目も華やかにデコレーションしてテーブルまで持ってくる感じがあったんだけど、そういう観点で言っても、もう『リミナル』はその対極とも言える作品だよね。俺は、まりんの本来の資質は、アヴァンギャルドというよりもポップのほうにあると思っているんだけど、『リミナル』を作っているときに、自分のなかにあるポップの価値観みたいなものとのせめぎ合いみたいなものもあったわけでしょ?
砂原:それはあるね。
■"ブルーライト"や"ボイリング・ポイント"みたいな曲はポップとは言えないと思うんだよね。
砂原:ぜんぜん言えない(笑)。
■それでもこうした曲を収録しなければならなかったわけだよね。
砂原:メロディやコード、キャッチーと言われるものって、ある文化圏において前提のものとに鳴らされている音だと思うんですよ。たとえばいま日本でヒットしている音楽をアフリカ大陸で生活している人のところにもっていってもわからないかもしれない、でも、ビートは違うだろうと。ビートにはそれはないだろう。そう考えたんだよね。だから、それ以外のもの(メロディやコード)がなくなっても、それはある前提のものであって、そうではないところまで音楽を戻すって言うのかな、そういうことをしなきゃならなかったんですね。
■ビートね。
砂原:そう、ビートは違うんじゃないかって。
■ビートがコンセプトだっていうのはよくわかる。
砂原:コンセプトというよりも、共通言語として成立するんじゃないかと思った。
■なるほど。で、ノイズが断片的に聴こえる"ナチュラル"はひとことで言えば暗い曲じゃない。
砂原:明るくはないよね。
■個人的には大好きな曲だけどね。それで、"ブルーライト"~"ボイリング・ポイント"と続いて、"ビート・イット"に来ると、これはもう怒っているとしか思えないんだよね(笑)。
砂原:ハハハハ。いや、ていうか、聴いている人が楽しめないものにしたいわけじゃないないから、もうちょっと楽しめる要素で、自分がそれを妥協しないで受け入れることができるものがあるなら、それは取り入れたいなと思うんですよ。いつもそう思ってやってます、これでもね。
■そういう意味で言えば、『リミナル』は曖昧ではないと思うんだけど。よりクリアになっている。
砂原:意識はクリアになった。ただ、クリアになった分、はっきりしたことが言えなくなった。
■ナチュラル"から"ビート・イット"までの展開って、アルバムの大きなポイントだと思うんだけど、今日、話を聞いていて思ったのは、やっぱ感情の赴くままに作っていたんだね。
砂原:そうなの。今回はそこがいままでとは違うんだよね。とくの、いま曲名を挙げたアルバムの中盤にある曲に関しては、日頃、生活しているなかで感じている世のなかの雰囲気や気分をそのまま出してやろうと思ったんだよね。で、それは必ずしも説明しなければいけないことではないと思ったんだよね。
■なるほどね。俺はね、繰り返すけど、『リミナル』からは怒りを感じたのね。で、このところ、音楽から怒りを感じることがあまりなかったので、それが新鮮だったの。とくに、いまのような斜に構えたネット社会では、怒るってことはすごくエネルギーを使うし、大変だと思うわけですよ。怒りっていう感情が出しづらい世のなかになっているんじゃないかと思ってるんですよ。
砂原:そうだね。俺も、自分では意識してなかったけど、怒りっていうのはあるのかもね。
■悲しみに同調するって感じでもないじゃない。
砂原:はははは、そうだね。
■『ラヴビート』と聴き比べるとすごくよくわかるんだけど。
砂原:完成してからまだ『ラヴビート』聴いてないな。
■ライヴではやっているじゃない。
砂原:やってるね(笑)。ただ、間違いなく問題意識は強くなっていると思うよ。
■『リミナル』のデザインを手掛けているムーグ山本さんなんかも、そういうタイプの人だよね。
砂原:そう。ムーグさんとはそういう話、すごくいっぱいする。
■似てるかもね。
砂原:興味の矛先がすごく近いと思う。
■エモーショナルところとかも似てるよ。
砂原:ムーグさんはエモーショナルだよね。一時期、ヘルメット被ってビラ配ったりしていたもんね。
■ハハハハ。言っておくけど俺もエモーショナルだよ。俺は右で左でもないもん。ノンポリだから。
砂原:俺は右翼が来たら左翼と言って、左翼が来たら右翼と言っちゃうタイプだな。
■ハハハハ。それはただの喧嘩好きってヤツじゃないの。
砂原:いや、違う。中立であるってことをヤツに伝えたいというか、気づかせるというかね。
■なるほどね(笑)。まあ、とにかく『リミナル』からはそういう激しいもの、何か強い気持ちを感じたのはたしかだよ。ところで、最初に「次を早く作りたくなった」って言っていたけど、要するに、もうそれは見えているんだ。
砂原:しっぽを掴んだというかね、そんな感じだけど。その先に何かあるかもしれないという。そのしっぽを引っ張れば何か出てくるかもしれないっていう。
■そのしっぽは何なの?
砂原:それはまだわからない。引っ張ってみないとね。何もないかもしれないし。
■なるほど。最後に、これから先の音楽人生っていうものをどういう風に考えていますか?
砂原:まったくわからないね。音楽業界もこういう状況だし、いつまで続けられるかわからないなと思ってやっているよ。10年後のことなんかぜんぜん考えてない。ただ、いまを詰み重ねていくしかないんだよね。
取材:野田 努(2011年3月30日)