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interview with Irmin Schmidt

interview with Irmin Schmidt

カンの現在、そして回想と展望

──イルミン・シュミット、インタヴュー

質問・文:松山晋也    Jun 26,2017 UP

次の大きなプロジェクトは、過去のライヴ音源をリリースすることだ。うまくいけば来年にはリリースできるだろう。実際、カン時代にはたくさんライヴ音源を録り溜めていたものの、音質のクオリティーが低かった。でも今は、その音質を良くする技術がある。ようやくリリースできるようになったんだ。

カンは現在に至るまでずっと若い音楽家たちに影響を与え続けていますが、彼らはなぜカンに惹かれるのだと思いますか。

シュミット:それは、実に複雑な要素が混ざり合っていると思うが、まずはカンの音楽の豊かさ、ということだろう。20世紀に作られた新しい音楽の要素のすべてがカンにあるから。ジャズの文化、ロックの文化、ヨーロッパのクラシカルな文化、そして私が学生時代に勉強していた日本の雅楽……いろんな要素がカンにはあって、それらが実にスペシャルな方法で取り入れられている。20世紀に存在していたコンテンポラリーなアイディアのすべてが詰まっていて、そのおかげで、ユニークで特別な音楽になっているのだろうね。だから何度聴いても、必ず何か新しいものが聴こえてくる……それがカンの音楽であり、カンのミステリーにもなっている。メンバーがお互い意識的に抱いていたミュージシャンシップが一体になり、何か新しいものができたのだと思うよ。
 あと、カンがスタートした頃、メンバーの多くはすでに30代で、若いボーイズ・バンドではなかった。つまり、ある程度成熟したミュージシャンだった。ヤキは経験豊富なジャズ・ドラマーで、私とホルガーはクラシックの経験を積んでいた。ミヒャエル・カローリだけは若かったが、彼もすでに素晴らしいギター・プレイヤーだった。メンバーの音楽的スタイルや性格は多様だったが、それが豊かさとマジックとミステリーを創出したのさ。だから聴くたびに新しいものが見えてくる。そして、ドイツの70年代という歴史も感じることができる。そういうところが、未来へもつながる音楽になったのかもしれないね。

今回のイヴェントにはホルガー・シューカイは参加しませんでしたが。

シュミット:単純に健康の問題だ。彼は転んで腰を悪くしてしまい、病院から退院したばかりだった。だからロンドンに来ることができなかったんだ。

今回、シングル曲だけを集めた『The Singles』が出ますが、2012年には『The Lost Tapes』というものすごい未発表音源集も出ました。あなたは6月29日に80才を迎えますが、カンのキャリアに関してそろそろ総括しておきたいという気持ちがあるのでしょうか。

シュミット:いや、全然そういう気持ちではない。『The Lost Tapes』は、言葉通りの「lost tapes(失われた音源)」だった。長年ずっとアーカイヴに眠っていた音源が多数あったんだが、私のマネージャーでもある妻(ヒルデガルト)が、あのなかにはまだまだ面白い音源が眠っているからいつか何らかのカタチにした方がいいと常々言っていた。で、ようやくそれに着手し、デモを聴き直したんだ。50時間以上の音源があった。カンでは、レコーディングする時にはいつも、実際にアルバムに収録する曲よりも多くの曲を録音していた。でも、録ってみたものの、アルバムに収録されなかった曲がたくさんあった。しかも、その次の作品では新たな方向に進んでいるから、古い音源は使いたくなかった。だから毎回毎回アーカイヴに溜まっていったんだ。未発表のライヴ音源もたくさんあるんだよ。だから、時間をかけて、自らアーカイヴを全部聴き、今でも素晴らしいと思える音楽を再度蘇らせたんだ。妻やミュート・レコーズの力も借りて、あの『The Lost Tapes』はできた。つまり、カンを総括するなどという気持ちではまったくなく、まだ見せていなかったカンの一面を公表したまでだ。
 だが、見せてなかった一面を見せるのは『The Lost Tapes』で終わりだろう。アーカイヴすべてを聴いたなかで、他にリリースするに値するものはなかった。『The Lost Tapes』は最後のアーカイヴ音源ということになる。次の大きなプロジェクトは、過去のライヴ音源をリリースすることだ。うまくいけば来年にはリリースできるだろう。実際、カン時代にはたくさんライヴ音源を録り溜めていたものの、音質のクオリティーが低かった。でも今は、その音質を良くする技術がある。ようやくリリースできるようになったんだ。とにかく、それも含め、カンを総括しているわけではない。アルバムそれぞれが、その時のカンを総括するものにはなるかもしれないが、カンのキャリア全体を総括するものはないだろう。

カンというバンド名を公式に使いだしたのは68年秋だと思いますが、主要メンバー4人(あなた、ホルガー・シューカイ、ヤキ・リーベツアィト、ミヒャエル・カローリ)が揃ってバンドをやる意志が固まったのは、正確にはいつですか。

シュミット:カン結成の話がまとまったのは1967年12月だった。その後、メンバー各々がそれまでやっていた仕事を調整した。ホルガーは学校の教師だったが、その仕事を手放さなければいけなかった。ミヒャエルは法律の勉強をしていたが、彼はそれがすごく嫌いで、やめたいことを親に伝えなければいけなかった。指揮者の仕事をしていた私も、それを諦めなければならなかった。ヤキもケルンで最も有名なフリー・ジャズ・グループ(トランペット奏者マンフレート・ショーフのグループ)のメンバーだったし。それぞれが、当時やっていたことを手放したり調整したりして、バンドとして活動できるようになったのが1968年だ。そしてその頃にはもう、アルバムをリリースできるくらいの曲ができていた。

カン結成に際しては、まずあなたがホルがーとヤキに連絡して誘ったそうですが、ホルガーとヤキに目をつけた理由を教えてください。

シュミット:ホルガーとは同じ学校の仲間だった。自分がグループを結成することを決めたとき、すぐにホルガーのことが頭に浮かんだ。彼はクラシックを専門的に勉強していたし、それに加えてエレクトロニック・ミュージック好きで、ジャズ・ギターも演奏できたんだ。彼は特異で素晴らしいミュージシャンだった。だから、まずは彼を誘った。ヤキに関しては、実は最初、誰かいいドラマーを知らないかヤキに相談したんだ。マックス・ローチみたいなドラマーが欲しいと伝えたら、誰か探してみると彼は言った。まさか彼が自分のフリー・ジャズ・グループを辞めるなんて私は思ってもいなかったから。ところが、ある日私の家に全員で集まった時に、彼の方から「俺がやるよ」と言ってくれたのさ。

最初期メンバーのデイヴィッド・ジョンソン(実験音楽系の米人フルート奏者)は、マルコムの「素人ぽさ」が嫌で脱退したと聞いたことがありますが、本当の事情を教えてください。

シュミット:彼は現代音楽が好きで、カンがロックにアプローチしていることが気にいらなっかった。だからグループを去ったんだ。去ったのは完全に彼自身の意思であり、マルコム云々は関係ない。カンは、結成当初には音楽的なコンセプトはなかった。方向性もリーダーも決めずに、アナーキーに自分たちの音楽を追求する、そう思っていたからね。そして、誰か一人が作曲するのではなく、みんなで共作するという方針だけは決まっていた。だが、やっているうちにロック的な要素がどんどん強くなっていった。デイヴィットはそれが好きではなかったから辞めんだ。

ダモに関しては、まさしく本当の意味でのスポンテイニアスな始まりだった。彼は一度も私たちの音楽を聴かずに、ヤキと出会ったその夜、突然ライヴでステージに上がった。

カンのシンガー、マルコム・ムーニーとダモ鈴木の二人が、カンの表現に与えた影響、そして彼らの特異な魅力について、二人別々に論評してください。

シュミット:二人とも予期していないところから現れたんだ。マルコムと私は、パリに住む共通の友人を介して知り合った。彼は画家として活動していたんだが、その頃私もアート・シーンと関わりを持っており、ギャラリーでの企画をやったりもしていた。私はその共通の友人を通して、パリで活躍していたマルコムをケルンに呼んだ。マルコムがケルンのアート・シーンで活動できるようにしたかったんだ。当時既にカンはスタートしており、ある日マルコムを練習スタジオに連れていった。そこで何気に歌っていたマルコムの歌声がけっこう良かった。それで彼に、ケルンに残ってカンに入らないかと誘ったわけだ。私にとってのマルコムの魅力は、スポンタニティー(自発性・無意識)だった。クラシックの背景を持つ私には、その要素がなかったから、とても魅力的だったんだ。彼はリズムに関しても、すぐさまヤキと息が合った。あっという間にリズム・セクションとして成立したんだ。そして、彼らのその感覚は、カンのロック的要素を創り出した。ところが、あの頃の彼は、ヴェトナム戦争を恐れ、また言葉の通じない国にいることの不安も感じていた。精神的に落ち込み、歌えなくなってしまうこともあった。ちょうどそんな頃に、ヤキがストリートで歌っているダモを見つけ、彼に歌わせてみようということになったんだ。
 ダモに関しては、まさしく本当の意味でのスポンテイニアスな始まりだった。そこが私たちにとてもマッチした。彼は一度も私たちの音楽を聴かずに、ヤキと出会ったその夜、突然ライヴでステージに上がった。彼のヴォーカルはマルコムよりもメロディアスだったから、ギターのミヒャエルとすごくいいユニットになった。マルコムとヤキみたいにね。つまり、マルコムやダモとの出会いから一緒にやることになった経緯こそが、本当にスポンテイニアスだったとも言えるね。

さきほどの発言にも、あなたが若い頃に勉強した日本の雅楽のことが出てきましたが、西洋音楽にはない雅楽の面白さは、どういう点にありますか。

シュミット:大学の頃になぜだかわからないけど、私は雅楽にとても惹かれた。最も夢中になって勉強した科目だったと言っていい。でも、カンの音楽を作る時、実際に雅楽の楽器を使っていたわけではないし、どういう形でカンの作品にそれが現れているのか説明するのも難しい。ひとつ言えるのは、私がキーボードで表現していることにとても影響している。たとえば『Tago Mago』の一番短い曲“Mushroom”におけるオルガンとギターの音。あれなどは、私が自分で感じる雅楽のスピリットだが、といって、意識的に雅楽を再現しようとしたわけではない。雅楽の影響を咀嚼して、自分独自のものとして出していたと思っているよ。

カンは74年の『Soon Over Babaluma』までは2トラックのレコーダーで録音していたそうですが、多トラック・レコーダーと比べて、2トラック・レコーダーを使うことの利点やスリルはどういう点にあると思いますか。

シュミット:単純な話、それは金銭的な問題だった(笑)。2トラック・レコーダーしか買えなかったんだ。私たちはスポンテイニアスな曲作りをしていたから、1曲作るのに何週間もかかった。長ければ何ヶ月もかかった。当然、レンタル・スタジオを借りて、時間制限のあるなかでのレコーディングはできなかったので、自分たちのスタジオが必要だった。だが、自分たちのスタジオ(インナー・スペース・スタジオ)の機材に充てるお金がなかった。だから2トラック・レコーダーを買って、自分たちがやることすべてをレコーディングしたんだ。レコーディングしたものを合体させてエディットし、二つ目のテレコにダビングした。そのテクニックが、結果的に私たちの独自性へと発展した。曲の構成もそうだね。お互いの演奏をよく聴くこと、気をつけること。私たちがレコーディングしている環境ではそれが大事だった。それから、卓を通して録音しないことによって、逆に音にエネルギーが生まれた。私たちならではの音が録れたんだ。当時その手法は実に珍しかった。それがカン独自のユニークさになったんだと思う。

 参考までに、時間切れで答えてもらえなかった質問事項を最後に掲載しておく。

カンの音楽を聴くと、私は、いつも「混沌(Chaos)」と「鍛錬(Discipline)」という言葉が思い浮かべてしまいます。「混沌(Chaos)」と「鍛錬(Discipline)」は、カンの表現においてどういう関係にあると思いますか。

私は昔からカンのことを「大人のパンク・バンド」と評してきました。70年代当時、あなたたちには「大人」であるという自覚はありましたか。年齢的な問題ではなく。

70年代のドイツにはカンの他にも革新的バンドが複数いましたが、そういったドイツのシーンの特異さについては、当時から自覚していましたか。また、(ドイツ・ロック・シーンの)連帯感のようなものは感じていましたか。

70年代のドイツのロックを、英国やフランス、イタリアのそれと分け隔てている最も大きなポイトンは何だったと思いますか。

「E.F.S.」(「Ethnological Forgery Series」)シリーズの作品は、「Nr.108」までは確認できますが、結局何番まで作った(録音した)のでしょうか。

「E.F.S.」シリーズの曲の多くはまだ一般に公開されていませんが、今後まとめてリリースする考えはありますか。

結成50周年記念「カン・プロジェクト」の一環として、日本で何かコンサートをやる予定はありませんか。

亡くなったヤキ・リーベツァイトについて。ドラマーとしての彼の際立った才能、魅力について語ってください。

以前ダモ鈴木にインタヴューした時、「きっとイルミンは俺のことが嫌いなんだと思う」と語ってましたが、ダモに対する感情や評価は、正直なところ、どうなんでしょうか。答えたくなかったら、けっこうです。

以上

質問・文:松山晋也(2017年6月26日)

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松山晋也/Shinya Matsuyama 松山晋也/Shinya Matsuyama
1958年鹿児島市生まれ。音楽評論家。著書『ピエール・バルーとサラヴァの時代』、『めかくしプレイ:Blind Jukebox』、編・共著『カン大全~永遠の未来派』、『プログレのパースペクティヴ』。その他、音楽関係のガイドブックやムック類多数。

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