「IO」と一致するもの

Courtney Barnett - ele-king

 昨年5月にセカンド・アルバム『Tell Me How You Really Feel』をリリースしたコートニー・バーネット。そのときのインタヴューで「日本にまた行ける日が待ち遠しくて仕方ない」なんて言っていた彼女ですが、なななんと、実現しちゃいました! 来る3月、コートニー・バーネットが東京・名古屋・大阪にやってきます。現在、その来日公演にあわせて2016年のフジロックでのパフォーマンス映像が公開中。これを観て本番を楽しみに待っていましょう(3月9日にはタワレコ渋谷にてサイン会もあるそうですよ~)。

コートニー・バーネット、フジロックフェスティバル’16のライヴ映像を公開! 来日公演は3/8より! 3/9はサイン会実施!

セカンド・アルバムとなる最新作『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』を昨年5月にリリースし、3月にジャパン・ツアーを行うコートニー・バーネットが、2016年に出演したフジロックフェスティバルのライヴ映像を公開した。曲は初期の名曲“Avant Gardener”。

■FUJI ROCK FESTIVAL'16 “Avant Gardener”
https://youtu.be/nU6fs5jIlYQ

また来日中の3月9日(土)にはタワーレコード渋谷店にてサイン会を行う。

■サイン会概要

・開催日時:3月9(土)15:00~
・会場:タワーレコード渋谷店 6F
・参加方法:以下の対象商品をご購入のお客様にイベント参加件を配布いたします。
・詳細:https://towershibuya.jp/2019/02/07/130913
(問)タワーレコード渋谷 03-3496-3661

■公演概要
日時/会場

東京
3/8 (Fri) SHIBUYA TSUTAYA O-EAST
open18:00 / start 19:00 ¥6,500 (前売 / 1ドリンク別)
Information: 03-3444-6751 (SMASH)

名古屋
3/10 (sun) Electric Lady Land
open18:00 / start 19:00 ¥6,500 (前売 / 1ドリンク別)
Information: 052-936-6041 (JAILHOUSE)

大阪
3/11 (Mon) UMEDA CLUB QUATTRO
open18:00 / start 19:00 ¥6,500 (前売 / 1ドリンク別)
Information: 06-6535-5569 (SMASH WEST)

チケット発売

東京: e+ (pre:11/16 12:00-19 23:59)・ぴあ(P:131-173) / 英語販売あり・ローソン (L:71252)・岩盤 (ganban.net)
名古屋: e+ (pre:11/16-19)・ぴあ (P:134-665 ) 英語販売あり・ローソン (L:42925)
大阪: e+ (QUATTRO web: 11/17-19, pre:11/17-19)・ぴあ (P:134-638) 英語販売あり・ローソン (L:55208)・会場

お問い合わせ:SMASH 03-3444-6751 smash-jpn.com smash-mobile.com

■コートニー・バーネットまとめ
https://trafficjpn.com/news/cb/

■1stシングル「Nameless, Faceless」(日本語字幕付き)
[smartURL] https://smarturl.it/cb_jpn
[YouTube] https://bit.ly/2Kv613i

■期間限定スペシャル・プライス盤
来日を記念して、オリジナル・アルバム2作(国内盤CD)が期間限定スペシャル・プライスで発売中!

デビュー・アルバム『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』(期間限定スペシャル・プライス盤)
スペシャル・プライス:1,500円(税抜)/ TRCP-182Z

セカンド・アルバム『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』(期間限定スペシャル・プライス盤)
スペシャル・プライス:1,800円(税抜)/ TRCP-230Z

[smartURL] https://smarturl.it/cb_jpn
[amazon] https://smarturl.it/cb_jpn/amazonmusiccddvd
[Tower Records] https://smarturl.it/cb_jpn/tower
[HMV] https://smarturl.it/cb_jpn/hmv
[iTunes/ Apple Music] https://apple.co/2EsIthe
[Spotify] https://spoti.fi/2Hgdoem

■プロフィール

1988年、豪生まれ。2012年、自身のレーベルMilK! Recordsを設立し、デビューEP『I’ve got a friend called Emily Ferris』(2012)をリリース。続くセカンドEP『How To Carve A Carrot Into A Rose』(2013)は、ピッチフォークでベスト・ニュー・トラックを獲得するなど彼女の音楽が一躍世界中に広まった。デビュー・アルバム『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』(Sometimes I Sit and Think, Sometimes I Just Sit)を2015年3月にリリース。グラミー賞「最優秀新人賞」にノミネート、ブリット・アウォードにて「最優秀インターナショナル女性ソロ・アーティスト賞」を受賞する等、世界的大ブレイクを果たし、名実元にその年を代表する作品となった。2018年5月、全世界待望のセカンド・アルバム『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』をリリース。2019年3月、2度目の単独来日公演を東名阪で行う。

https://courtneybarnett.com.au/

第一回 - ele-king

 ちょうど日本に、メジャーなサブスクリプション・サービス(AppleMusic)がやってきた2015年のあの時期を起点として、実を言って私はリスナーとしてある種の虚脱状態に陥っていました。かさばるジュエルケースのなかにあるCDという銀盤、ローティーンの頃から人生におけるかなりの労力と時間を賭して収集してきたそれは、今や自分の以外の誰もがアクセスできてしまう〈データ〉に成り下がったのでした(私のような人間にとって、サブスクリプション・サービスというのは初め、そうやって個人が収集してきた〈秘匿〉が暴かれたような気分にさせるものとして現れました)。
 一方で同じ時期、それへの反動として、アナログ媒体たるヴァイナルへの人気がピークを迎えつつあり、かねてより並行してヴァイナルを蒐集していた私も少なからず歩調を合わせようとしてみたりもしたし、一定の愉しさも味わったのでした。また同時に、数々の〈新しい音楽〉がネット空間に出現し、紹介され、日々そういった胎動を感じてもいたし、便宜も受けていました。しかし、どこか拭い難い、虚ろな感覚は蟠ったままでした(たぶん、多かれ少なかれ、それまで所謂〈音楽ファン〉を自認している人たちのなかで、そういう感覚は朧気に共有されていたように思います)。馴染みのお店でレコードを掘っているとき、ネット上で試聴をしながらオンライン・ショップで情報を収集しているとき、ふといいようのない虚脱感に襲われ、店を立ち去る(ページを閉じる)こともしばしばありました。

 自分の音楽的嗜好を研ぎ澄ませて、新しいものを求めて、いち早く手に取りたい、そういった気持がどんどんと霧消していってしまう……。そんな気怠さのなかに居た私ですが、ある時、何気なくブックオフに立ち寄ったことでいっぺんに状況が変わることになりました。
 それは2016年でした。はじめは古本をちょっと物色するつもりだったのだけれど、これといって興味を惹くものもないので、音楽ソフトの行き着く先、いわば〈音楽の墓場〉を眺めてみようかしらというなかば自虐的な気持ちで、ふとCDコーナーを覗いてみたのです。かつては、洋楽CDの掘り出し物をここでよく探したものだな……(いまではこれらのほとんどがサブスクで聴けるのだけど)という感慨に浸りつつも、ほとんど惰性でJ-POPコーナーにも目を移します。すると、80年代なかばのCD黎明期から90年代の全盛期に特徴的なあのジュエルケース背の定形デザイン、メーカーによってフォントやパターンの決まったあの時代のデザインが数多く目に飛び込んできました。白地に黒文字、青丸をあしらったCBSソニーの盤、黒字に黄色文字のフォーライフの盤。一瞬ノスタルジーに襲われながらも、これまで自分がオルナティヴ・ロック等にうつつを抜かしているなかでただひっそりと、ブックオフのJ-POPコーナーや誰かの部屋の棚から、ときが流れていくのを眺めてきたであろうそういうCDたちの存在が、強烈な存在感と共に眼前に現れてきたのでした。
 ありふれているからこそ隠れてきた、アノニマスな、物言わぬ、〈死んだ〉CDの数々。その瞬間、そういうCDたちがどうにもこうにも愛おしくなってしまったのでした。それらは、これまで自分にとって〈見えていなかった〉からこそ、その存在を意識しだすと気になりはじめて仕方がないものでした。しかもこれらのCDは、おそらくサブスク配信されることは今後も到底なさそうに思えます。なぜなら、いわゆる〈音楽ファン〉からその存在を認知されることなく死んでいったものたちだから……。

 折しもその頃は、数年前からネットのアンダーグラウンドで発展を遂げてきVaporwaveが、その傍系ジャンルであるFuture Funkの快進撃に伴い、より広い階層・あるいは他文化へとヴィールス的に浸透していっているときでした。また、ネット空間を超えた階層でも、国内外での大々的な日本産シティポップ再評価がクライマックスを迎えようとしていました。
 そうした状況に触発された部分も少なからずあって、いまやさらに〈その状況の向こう側〉をもとめて定期的にブックオフに通うようになっていた私は、徐々に深い沼にハマっていくことになりました。これより以前、例えばtofubeatsさんのように、予てからそういった世界を掘っていた(年若の)先達の存在を考えるならば遅い参入なのだけれど、私にとっては、商品経済の墓場たるブックオフ280円CDコーナーにこそ、そのときに感じていた鬱積と倦怠を払い除けてくれる〈夢〉があるように感じたのでした。(チャートアクションを得られなかったことで)芸能としてもまったく顧みられず、もちろん音楽批評の俎上に乗ることなど端から無かった、我が邦の、無名のシンガー/ユニット/プロジェクトによるCD……。そういうものに、ほとんど偶然見つかるレアなグルーヴとメロウネスを求めていくことになったのです。当初は誰ともそのことを共有もしなかったし、共有しようとも思わなかったのだけれど、じょじょにそうやって買ったCDが部屋に溜まっていきました。まさか、CDが終わろうとしているときに、CDをたくさん買うことになるなんて。なんだかとても……楽しい。

 そうやってディグを続けていくなかで昨年、ネット上で大きな出会いをすることになります。いつもながら自分が買った謎のCDについての情報をネットに当たっている際、「90年代シティ・ポップ記録簿」というブログを見つけたのでした。これはハタさんという北陸在住のヘビーディガー(といっても私より年若の青年ですが)が2014年から続けてきたブログで、紹介される盤のほとんどが無名の、アノニマスな、埋もれた作品たちでした。ジャケットはもちろん作詞作曲クレジットや試聴音源、そして非常な含蓄を湛えたリビューテキストが蓄積されています。それまでネット上で見かけることのあった既存世代のものとは一線を隠したセンスを嗅ぎ取った私は、過去エントリーまで一気読みして遡り、すっかりこのサイトに魅了されてしまったのでした。
 そうこうしていると、このハタさんが発起人となり、関西のディガー/DJ(彼らも私よりだいぶ年若の青年たち)であるINDGMSKこと台車さんや、thaithefishことタイさんらを中軸として、2018年5月、「light mellow部」というサークルが立ち上げられ、共同ブログを開始したのです。「休日はいつもブックオフの280円コーナーをあさっているシティポップ好きのディガー集団」と自称するそのサークルプロフィールを見て痛く興奮したのは私だけではなかったようで、それまで個別に「休日はいつもブックオフの280円コーナーをあさっていた」ひとりひとり(*)が、みるみる間にネット空間で交流を深めていくことになったのです。

第二回へ続く……

*light mellow部の部員数は現在も増えて続けており、共同レビューブログ運営はもちろん、ele-kingへの投稿でもお馴染みの捨てアカウントさん主宰のネットレーベル〈Local Visions〉とリアルの場でイベントを共催するなど、注目すべき活動を展開中です。

 また、2018年10月、こうした「休日はいつもブックオフの280円コーナーをあさっている」ひとり、佐藤あんこさん(例によって年若…)によってアップされた「後追いガールポップ」というWEBディスクガイドのインパクトも絶大でした。
 佐藤さんがこれまで掘ってきた日本産〈ガールポップ〉作品の数々から、第一弾として一挙129枚がレビュー掲載され、そのテキストクオリティの高さと優れたアーカイブ性で界隈の話題をかっさらい、まさしく2018年のホットトピックとして記憶されることになりました。


vol.111 : ヴェジタリアン&ヴィーガン事情 - ele-king

 NYにいると、だいたいどこのレストランに行ってもヴェジタリアン& ヴィーガン・オプションがある。NYは人種のるつぼなので、ヴェジタリアン& ヴィーガンの背景には、宗教的なものもあればアレルギーもあれば、健康上の理由、自分のポリシー、たんに好き嫌いなど、様々な事情がある。

 ミュージシャンにはヴェジタリアン、ヴィーガンが非常に多い。理由はさまざまで、動物を食べるのが嫌だという理由もあるし、健康のためというひともいる。肉は食べないが魚は食べるペスカトリアンもいるし、肉は食べないが卵は食べるなど、いろんな人がいる。彼らはだいたいその食生活を長く続けるので、ヴェジタリアンはみんな似たような顔つきになり、最近は顔を見れば、その人が肉を食べるか食べないか、わかるようになった。人は食べ物でできているわけだ。

 でも、その食習慣を変える人もいる。知り合いで、25年ヴェジタリアン(その間5年ほどヴィーガン)だったひとが最近肉を食べはじめた。理由はツアーが多く、自分の希望のものが各地でなかなか手に入らない、ということだった。「そんな長いあいだ肉を食べなくて、いきなり食べて大丈夫?」と聞くと、「最初は変な感じだったけど、だんだん慣れてきた」という。昔より少し顔つきがワイルドになり、なんだか良い気を持っているようにも思える。
 また、別の友だちはグルテン・フリーダイエットをしている。彼女は、いかにグルテンが身体に悪いかと言うことを長々と話してくれたのだが、たしかに会うたびに、顔が白く、不健康そうになっている気がする。健康上のためというが、普通になんでも満遍なく食べるのがいいんじゃないかな、と私自身は思う。アレルギーがある人は仕方がないが。

 話しは変わりますけど、私がやっているたこ焼きイベントに来てくれるお客さんにもヴェジタリアンは多い。オプションにコンニャクを使うのだが、先日間違えてタコの方を渡してしまった。「ごめん!」と謝ったら、彼女は「これタコだったの? 美味しい」と、タコの方をキープした。アレルギーがあったら、とドキドキしたが、食べれるんじゃん、とまあ、そこまで厳しいヴェジタリアンはそうそう多くはいないのだ。なかにはタコが好き過ぎてタコが食べれないというひともいる。アメリカでは、タコはとても賢く神聖な生き物だとされているから。

 とにかく、NYではヴェジタリアン&ヴィーガンレストランがトレンドだ。スウィートグリーンチョップトなどのサラダ専門店は、ピークは過ぎたが、いまはディグインヘールアンドハーティビヨンド寿司など、一貫したポリシーを持つ、個性のあるレストランが人気だったりする。

 アセンスにいた頃、まわりはヴェジタリアン&ヴィーガンばかりで、同じレストランで同じものを頼む友だちに「いつも同じものを食べて、飽きない?」と質問したことがある。彼は、これが好きだし、自分でもいろいろ作るよ、と他の友だちを誘って、ポットラック・パーティを開いてくれたことがあった。豆腐のラザニア、ケールのお浸し、フェイクミートのチキンウィング、マックアンドチーズなど、肉を使わなくてもこんなにバラエティの富んだ料理ができるんだと感心したことがあった。本当に美味しかったから。

 ウィリアムスバーグに引っ越し当初は、champs diner
というレストランによく通っていた。近所だし、美味しくて、来ている人もオシャレで居心地が良かったので通っていた。でも、そこがヴィーガン専門だと知ったのは少し後だった。メニューには、バッファローチキンやフィリー・チーズステーキ、ルーベン、チーズバーガーまである。しかし、それらがセイタンなどのフェイクミートで作られていると知ったときは本当に驚いた!
 ラーメン屋に行っても、ヴェジタリアン&ヴィーガンオプションは当たり前。昨日行ったラーメン屋では、友だちが美味しそうにベジタリアン味噌ラーメンを食べていて、私も味見をさせてもらった。で、自分の鶏ガラベーススープよりも、美味しいと思ってしまった。いまやヴェジタリアン&ヴィーガン=不味いというのは過去の話で、ヴィーガンスイーツなどはたくさんオプションがあり過ぎて困ってしまうぐらいだ。有名なのはエリンさんのbaby cakeベーカリー
 ちなみに、NYのフードブログ のgrub streetがおススメのヴェジタリアン&ヴィーガンレストランを紹介している。いまの私のお気に入りはSuperiority burger。元パンク・ドラマーで、ファンシーレストランのデル・ポストで、デザートシェフを務めていたbrooks hardleyの新しい冒険。いつ行っても行列で、しょうがないのでテイクアウトにするのだが、彼の手先の器用さはドラムさばきから来ているらしい。ツアーのときに、何もないのでバンドメイトに料理を作ってあげたことからフードの世界に入り、あっというまにアワードを受け取るデザートシェフになったという。そして、自分のヴィーガンバーガー屋をオープンして現在にいたる。働いている人もミュージシャンや俳優などで、そうなるとファンも付いている。まるでショーを見に行く感覚だ。ギャング・ギャング・ダンスのブライアンもこの店のファンで、アルバム制作に影響を与えたとか。たしかに、このフードならわかる気がする。



パンク・バンドのドラマーからヴェジタリアンフードのシェフになって成功したブルックスのお店、Superiority burgeの展開です。

Tsudio Studio - ele-king

 80年代は終わらない。よって90年代は訪れない。夢想のなかにある架空の世界のおとぎ話だ。

 この世界では神戸の震災もこない。オウム事件も存在しない。不況の訪れもない。山一証券の破たんもない。悪趣味ブームは訪れない。小室哲哉はTM NETWORKを続け、金色の夢を見せ続けてくれている。フリッパーズ・ギターはファースト・アルバムで解散する。よってヘッド博士は存在しない。ピチカート・ファイヴはファーストアルバムを遺して活動を停止した。渋谷系は訪れない。80年代が継承され、ニューウェイヴが洗練と革新を極めて、AORは都市の夜を美しく彩る。WAVEは閉店せず、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカなど世界中の音楽がいつまでも並べられている。バブル経済ははじまったばかりで、そして永遠に終らない。

 この並行世界では、日本経済は安定成長を続け、雇用は安定するだろう。人びとは高度消費社会を満喫する。世界から輸入された商品たち。おいしい食べ物。美しい芸術。街は煌めく。ウィンクしている。人は笑う。ときに泣く。文化芸術は豊かに存在し、音楽は美しく、映画が心を満たす。デパートに多くの人が訪れ、セゾン文化を謳歌する。ヨーロッパ映画が次々にシネヴィヴァンやシネセゾンで上映され、レコードショップには海外の音楽が次々に輸入される。パステルカラー。品の良いファンシー。ポストモダン。知的な意匠。美しい装丁の本。アート。鑑賞。フリーランスのデザイナー。ライター。カメラマンたち。ああ、空間デザイナー。
 人びとは苦しまない。人びとは生きる。人びとは死なない。微かな悲しみと喜びがプラスティックなムードのなかで炭酸水のなかに消えていく。80年代が永遠に続く。街には小さくて小奇麗なファッション・ショップ、レコード店、文房具屋、クレープ屋、カフェが存在する。ブラウン管のテレビジョンが青く光る水槽のように永遠に光を放つ。虚構の80年代。夢想。いうまでもなく。

 インターネットでTsudio Studio『Port Island』を聴いた。どうやら「架空の神戸」を舞台にした音楽らしい。ここには80年代的なイメージの欠片が、「金色の夢」のように、全6曲にわたって展開していく。私は泣いた。
 リリース・レーベルは、「ele-king」への寄稿でも知られる「捨てアカウント」が主宰する〈Local Visions〉だ。〈Local Visions〉は記憶のなかにあるポップの魔法をヴェイパー的な意匠を存分に受け継ぎつつも、しかし日本独自のポップとして生成し続けていることですでにマニアに知れ渡っており、今年すでにfeather shuttles forever『図上のシーサイドタウン』、Utsuro Spark『Static Electricity』の2作をすでにリリースしている。この速度。まさに時代のムードを象徴するレーベルといえよう。OPNによる悲観的未来とはまた別の電子音楽の現在である。

 Tsudio Studio『Port Island』は、2018年にリリースされたアルバムである。たとえるならエレクトロニックなトラック&エディット・ヴォーカルによるモダン・AORか。10年代後半の洗練されたエレクトロニック・トラックと胸締め付けるコードとメロディと加工されたシルキーな声。都会の彩りを添えるような瀟洒なサックス、ファンキーなベース、軽やかで端正なビート……。たしかに「ヴェイパーウェイヴ」に強い影響下にあるのだろうが、まずもってポップ音楽として美しい。
 Tsudio Studioは「日本のポップ・ミュージックを大胆に引用(サンプリング)するヴェイパーウェイヴ」から影響を受けながらも、日本人として「欧米の強い影響下にあった日本独自の「戦後」ポップ・ミュージック」を再構築するという極めて日本的な「捻じれ」を引き受けているのだ。しかし90年代的サブカルのようなシニカルな優位性を担保するような振る舞いに陥ることもない。希望と夢想の音楽をまっすぐに創り上げている。私はここに感動した。私見だが、このポップへの希求は高井康生によるAhh! Folly Jetが2000年にリリースした『Abandoned Songs From The Limbo 』を継承するような「80年代的なもの」への希求を強く感じた。いや、むろん何の関係もないのだが。低級失誤が手掛けたアートワークも本作の80年代的なクリスタル・イメージを実に見事に表象する。

 本アルバムにはこんなインフォメーションが添えられている。

 このアルバムの舞台は神戸ですが
 架空の神戸です
 不況も震災も悲惨な事件なんて無かった
 都合の良いお洒落と恋の架空の都市

 ああ、もうこの一文で泣ける。トーフビーツの後継者? ピチカート・ファイヴ『カップルズ』の2018年における継承? 失われた80年代を夢見るロマンティスト? いや、それだけではない。ここにあるのは、この音楽を生んだ若い音楽家が、この世に生れる以前に失われた世界の物語であり、夢であり、かつての光であり、ここにあってほしい煌めきでもあるのだ。
 では、この音楽は夢なのだろか。最後の希望なのだろうか。絶望の果てに生れた夢のようにロマンティックな音楽だろうか。ここにあるのはすべて美しい世界だ。哀しみの涙もクリスタルなダイヤモンドの欠片のように、透明な星空のように、ただただ綺麗なのだ。街が美しく、ヒトには人の心があり、やさしさがあり、思いやりもあり、ほんの少しの哀しみがあり、別れがあり、再び朝がくる。

 むろん虚構だ。しかしこんな「世界」が、いまの日本にあれば、私たちは今日も美しい涙と刹那の笑みで生きられた。だが現実は違う。いや、だからこそ、この音楽は生れたのではないか。いま、〈Local Visions〉の音楽が、この国の、この街にあること。Tsudio Studio『Port Island』があること。つまりは希望だ。
 そう、『Port Island』は、極めて同時代的な音楽なのだ。パソコン音楽クラブのアルバムやトラックとの同時代的な共振は言うまでもなく、あの山口美央子の新作(!)『トキサカシマ』と並べて聴いても良い。『Port Island』と『トキサカシマ』には世代を超えた共振がある。また、インターネット経由で海外の音楽ファンにも知れ渡った竹内まりや“プラスティック・ラヴ”と繋いで聴いても良いだろう。

 初期ピチカートをモダンなエレクトロニック・トラックと、AOR的なコード進行で生まれ変わらせたようなM2“Azur”とM4“Snowfall Seaside”。AORとモダンなファンク・アレンジが夢のようにクールで、まるでヴェイパー的に紛れ込んだ角松敏生のようなムードが堪らないM3“Port Island”(サックスが最高!)。80年代の細野晴臣のようなインスト・トラックで、まるで「ホテル・オリエンタル」のロビーで流れる音楽のように響くM6“Hotel Oriental”。

 これらの脳内に溢れんばかりに降り注ぐ架空の都市の光を存分に摂取/聴取して頂きたい。『Port Island』は、ポップ・ミュージックの魔法などではない。魔法と化したポップ・ミュージックの粒子なのだ。

Carpainter - ele-king

 昨年設立6周年を迎え、果敢なリリースとパーティでどんどん新たなリスナーを獲得していっているレーベル、〈TREKKIE TRAX〉。その創設者のひとりでもあるDJ/トラックメイカーの Carpainter が新作となるミニ・アルバム『Declare Victory』を2月22日にリリースする。全体的にレイヴィな感触で、スピーカーでもヘッドフォンでもアガること間違いなしの内容だ。現在“Mission Accepted”が先行公開されているけれど、同曲の Otira によるリミックスおよび、おなじく『Declare Victory』収録の“Sylenth Warrior”がポーター・ロビンソン(ヴァーチャル・セルフ名義)のDJセットにフィーチャーされるなど、すでに海外でも注目を集めている。これは要チェック!

Carpainter - Declare Victory

『仮面ライダーエグゼイド』オープニング・テーマ、三浦大知“EXCITE”を共同作曲・編曲し、オリコン1位を獲得するなど、着実にそのキャリアを歩んでいるDJ/トラックメイカーの Carpainter、彼のニュー・ミニ・アルバムが自身が主宰する〈TREKKIE TRAX〉よりリリース!

本作は Carpainter の得意とするジャパニーズ・テクノの回帰と昇華を引き続きテーマに、テクノ・レイヴ・ブレイクス、そして現行のフューチャーベースともミックスした音源を集めたレイヴィーなミニ・アルバム。

Remix には新進気鋭のテクノ・ミュージック・アーティスト Otira を起用し、ハード・テクノ・テイストの Remix をも収録!

既にグラミー賞でもノミネートした Porter Robinson の別プロジェクト、Virtual Self の最新DJセットにもEP収録曲が2曲もプレイされており、リリース前から全世界から称賛を受ける注目の1作となっている。

Carpainter - Declare Victory
発売日 : 2019/2/22
価格 : 1,350yen

Track List
1. Transonic Flight
2. Declare Victory
3. Mission Accepted
4. Enrichment Center
5. Sylenth Warrior
6. Wut U Tryin
7. Noctiluca
8. Future Folklore
9. Mission Accepted (Otira Remix)

iTunes、Bandcampで発売
Apple Music、Spotifyなどの各種ストリーミング・サービスでも配信!
配信URLまとめ : https://smarturl.it/CarpainterDeclareV

iTunes : https://itunes.apple.com/jp/album/declare-victory/1451190075
Bandcamp : https://trekkietrax.bandcamp.com/album/declare-victory
Spotify : https://open.spotify.com/album/0XMFwTtdAQZW0XpZJGAoCc

Carpainter
横浜在住の Taimei Kawai によるソロ・プロジェクト。Bass music / Techno music といったクラブ・サウンドを軸に制作した個性的な楽曲は国内外問わず高い評価を得ており、これまで自身の主宰するレーベル〈TREKKIE TRAX〉や〈Maltine Records〉よりEPをデジタル・リリース、2015年にはレコード形態でのEPやCDアルバムをリリースするなど、積極的な制作活動を行っている。
またポーター・ロビンソン、tofubeats、初音ミク、東京女子流、カプコンといったメジャーアーティストにRemix提供など行っているほか、人気マンガ家 浅野いにお がキャラクターデザインを務めた映像作品「WHITE FANTASY」では全編において楽曲を提供。2016年には『仮面ライダーエグゼイドの主題歌』である、三浦大知の“EXCITE”の作曲・編曲を共同で手掛け、同楽曲はオリコン・シングルチャート1位を記録した。
その勢いは国内だけにとどまらず、フィンランドの〈Top Billin〉、イギリスの〈L2S Recordings〉〈Heka Trax〉〈Activia Benz〉、カナダの〈Secret Songs〉やアメリカの〈Hot Mom USA〉など、諸外国のレーベルからもリリースを行なうだけでなく、イギリスの国営ラジオ局「BBCRadio1」や「Rinse.fm」「Sub FM」でも楽曲が日夜プレイされている。またアメリカ、オーストラリア、中国や韓国でもDJツアーも敢行した。
2016年からは自身の楽曲により構成されたLive Setもスタートし、ライヴ配信サイト「BOILER ROOM」での出演などを果たしている。
ほかにも、m-flo の ☆Taku Takahashi が主宰する日本最大のダンス・ミュージック専門インターネットラジオ局「block.fm」では、レーベルメイトと Bass Music を中心としたプログラム「REWIND!!!」のパーソナリティも担当しているなど幅広く活動している。

Twitter / Soundcloud / Facebook / Spotify

Nkisi - ele-king

うちゅうろん【宇宙論】
宇宙の起源・構造・終末などについての理論の総称。宇宙を対象とした自然学として哲学や宗教の重要部門をなすが、現在では現代物理学的・天文学的研究をいう。コスモロジー。

 と、『スーパー大辞林 3.0』には載っている。リー・ギャンブルのレーベル〈UIQ〉から、去年のズリ『Terminal』に続くレーベル史上2枚のアルバム『7 Directions』を発表したプロデューサーの意図は、自らがここ数年リサーチを重ねてきたアフリカのバントゥ・コンゴのコスモロジーに着想を得たサウンドの構築にある。
 作り手の名前はアルファベットで「Nkisi」と書いて「キシ」と読む(本人に確認したので間違いない)。「Nkisi」とは、中央アフリカ、コンゴに伝わる、魂が宿るとされるオブジェクトのことである。その名前を自らに宿した作り手の本名は、メリカ・ゴンベ・コロンゴ(Melika Ngombe Kolongo)という。コンゴ出身でベルギーのルーヴェンで生まれ育ち、6年ほど前からロンドン在住。

 アメリカ、ヴァージニア州リッチモンドに拠点を置くチーノ・アモービ、南アフリカのケープ・タウンのエンジェル・ホとともに彼女が2015年に立ち上げたレーベル、あるいは世界に散らばる表現者たちの共同体である〈NON Worldwide〉は、アカデミックな理論、詩、ファッション、チャリティ活動まで様々な表現を横断しまくることによって、音楽シーンに「黒い」衝撃を与え続けている。
 レーベル設立当初のコンセプトをいくつかあげてみれば、「脱中心」、「反バイナリー構造」、「アフロ・ディアスポラ」など、アカデミアで主に使用される言葉が散りばめられている。〈NON〉には中心的リーダーや拠点がなく(脱中心)、白や黒、男と女、正義や悪、といった二元構造(バイナリー)の破壊を希求し、そのパワーの構成員は、奴隷制以降世界に離散していたアフリカにルーツを持った者たちだ(アフロ・ディアスポラ)。よって、〈NON〉は2017年の『Paradiso』で脚光を浴びたアモービのレーベルなどとされることがあるが、それは検討外れであり、個である構成員がその共同体を作り上げている(むしろ、アモービによれば〈NON〉の初期コンセプトの多くを考案したのはキシらしい)。

 キシのここ数年の動きを整理してみる。2015年の〈NON〉の第一弾コンピに “Collective Self Defense”を、2018年の第二弾コンピには “Afro Primitive”を発表している。ソロワークでは、2017年に〈Rush Hour〉傘下の〈MW〉からEP「Kill」を、2018年には〈Warp〉傘下の〈Arcola〉からEP「The Dark Orchestra 」をリリース。そのどれもが高い評価を得ていて、去年の英誌「Wire」年間ベスト・アルバムには「The Dark Orchestra」がEPとしてランクインした。キシの影響元である、ドゥーム・コアやガバがミニマリズムを媒介し、オリジナリティを作り出しており、彼女のDJスタイルにある凶暴性と高速性は、深夜のロンドンのフロアで多くを惹きつけている。
 近年、ロンドンの大学で心理学系の修士課程を修了したキシは写真家やインスタレーション・アーティストとしても活動しており、2018年にはロンドンのギャラリー、アルカディア・ミサで『Resonance (Forced Vibration)』サウンドとオブジェクトを用いた個展を開催している (https://arcadiamissa.com/resonance-forced-vibrations/)。
 そのインスタレーションでもテーマになっていたのが、『7 Directions』も基づいている、冒頭のバントゥ・コンゴのコスモロジーだ。また今アルバムはアフリカ研究の権威であるキムワンデンデ・キア・ブンセキ・フーキオ(Kimbwandende Kia Bunseki Fu-Kiau。著書に『African Cosmology of the Bantu-Kongo: Principles of Life and Living』など)に捧げられている。個展の説明や、先日ロンドンのブリープのポップアップ・ストアで開かれた「Wire」主催のトーク・イベントでの発言によれば、その宇宙の捉え方において、時間は直線系ではなく円系であったり、「見ること」は「聞くこと」であったりと、西洋近代の「宇宙」のあり方とはまったく違うことがわかる。

 今作『7 Directions』はタイトルが示す通り、7曲のトラックで構成され、曲名には「Ⅰ~Ⅶ」の数字が割り振られている。曲順通りに展開していく従来のアルバムの概念をフォローしているというよりは、別々の方向を向いた7つのオブジェクトが序列なく並存している様子が思い浮かぶ。今作のレコード盤のラベルには、レコードの回転方向である「右」とは逆の方向を向いた矢印が、自身の名前をあしらったダイアグラムとともにプリントされており、時間感覚の非論理性が増大されている。特定のコスモロジーを示したダイアグラムはコスモグラムと呼ばれるが、このラベルはそれに該当するだろう。ドレクシアが過去を前方向に押し進め続けているように、キシの円循環は右向きに左の指針を歩む。西洋のコスモロジーが音を立てて崩れていく。そして、そのサウンドとともに聴くものはアフロの宇宙に包まれる。


【『7 Directions』のレコード盤のラベル】

 “Ⅰ”は、ヨハン・ヨハンソンの劇伴を思わせる、霧のかかったフィルターで減退していく持続音ではじまる。同様のアンビエンスのもと、その背後では太鼓が鳴り響き、異なったモチーフのドラムが徐々に追加されていく。メインテーマのシンセとともに、TR-707的タムのビートと、スティックが、プリミティヴな循環を穏やかに描いていく。
 BPMは140に保たれたまま、“Ⅱ”はテープ・ディレイ的な反響音とともに開始。10分にも及ぶトラックの内部において、前半部は楽曲のリズムの骨組みが示されたあと、中盤から一定音を保持したロングトーンのシンセが階層化し、序盤の楽曲構造に最終部では回帰、音像はフェードアウトする。
 “Ⅲ”では速度が上昇し、ここに至るまでに示されたものと類型のリズムを通過したのち、1:44からガバ的な4/4キックが投入される。キシのDJセットで展開される高速のヴァイオレンスへと、自身の音楽的ルーツを提示するようにして、『7 Direction』は接続されてもいるのだ。
 “Ⅳ”では遠方から群衆が攻めてくるのが予感されるようなキックが冒頭で鳴り響き、50秒経過したあと、50-60ヘルツ音域の低音が倍増された低音ドラムが合流し、聴く者の身体を大いに揺さぶる。深いディレイと淡いディストーションがかかったテクスチャーの2種類のメロディ・モチーフが交互に入れ替わって現れる。低域のブレイクはほとんどなく、ドラム・パートの抜き差しが巧妙に行われる。変化と持続と低域の破壊力という意味では、今作最高のダンス・チューンだと断言できるだろう。
 再生される前から楽曲が開始していたことを示唆するようにフェードインではじまる“Ⅴ”は、淡々とループされるモチーフに、断続するスネアがリズムに表情をつける。終部のパーカッションの連打から、シンセ・オンリーのアウトロに息を飲む。
 “Ⅵ”でビートはバウンシーに跳ね上がり、これまでのシンセ・モチーフとの類型がここでも示される。ハイファイにシンセサイズされたパーカッションと衝突を繰り返すスティックがブレイク部分で展開する合奏が、キシ流のダブを彩っている。
 漂流するコードと広域へと押し上げられた金属音で開始する“Ⅶ”では、それぞれが別のリズム軸で進行する歪んだスネアと絃楽器のフレーズが交互に現れ、時にその二つが重なり見事なポリリズムを生む。このアルバムでの標準速度とも言えるBPM140代でトラックは進行し、決して遅くはないスピードであるものの、散発するシンセとポリリズムによって、身体が吸収するその速度感は緩やかになる。僅かなスネアと低域ビートを残し、アルバムは構成上終わりを告げる。

 最近ではベルギー時代の〈R&S〉からリリースされたアフロトランスをフェイヴァリットに挙げているキシだが、典型的なダンス・ミュージックのスタイルは、今作に高い強度を持ったパーカッションの大群に追いやられている。ハイハットもなければ、定位置のスネアもクラップもなく、ビート間のブレイクもほぼない。けれども先日公開された『RA』での彼女のミックスを聴けば明らかなように、『7 Direction』の楽曲はガバやトランスとの混成も可能な潜在性に満ち溢れている。
 現代思想の文脈を鑑みれば、人類学者のフィリップ・デスコラやエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロがアマゾンやアジアのコスモロジーから存在論的転回を起こしたように、我々の宇宙観の「外部」には「内部」を転覆させるような、あるいはその内外の境目など曖昧であることを示唆するような可能性に満ち溢れている。ここではその分析に踏み込むことはできないが、オルタナティヴが無いかのように見える昨今において、多元的な世界を感じる意味を『7 Directions』は日々の視点にも与えてくれるのではないか。

 『ele-king vol.22』のインタヴューで述べられているように、理論を応用し、文化や政治、エコロジーを表現するチーノ・アモービのインスピレーションは日常からやってくる。先日のトーク・イベントでは、それを踏まえた上で「日々の生活はあなたのコスモロジーのどこに位置していますか?」と僕は本人に質問した。彼女によれば、アフリカのコスモロジーは日常の「普通」を疑う自分に妥当性を与えてくれるものだ。コンゴからやってきた両親のもとで、ヨーロッパ社会で育つことは、日常に生活に常に疑問を持つことの連続だったとキシは答える。友人や家族がグローバルに散らばるディアスポラな世界を生きる彼女は、「国境などなくなってしまえばいい」とも力強くいう。キシの日常生活とは異なる宇宙を行き来するメタフィジカルな交差空間だ(彼女のサウンドクラウドに上がっているトラック“Deconstruction of Power”のタグは「metaphysics」だ!)。その意味で『7 Directions』は、異なる宇宙の境目で現代を生きる彼女の宇宙観を示すコスモグラムであるとも断言できるだろう。

The Matthew Herbert Big Band - ele-king

 やはり、きました。2016年の国民投票の結果を受け、ブレグジットに抗議するビッグ・バンドを編成し、各地をツアーしていたマシュー・ハーバート。日本にもおよそ1年前に来日し、ブルーノートで素晴らしいライヴを披露してくれましたが、そのビッグ・バンド名義でのアルバムがついにリリースされます。同作にはEU加盟国出身のミュージシャンが1000人以上(!)も参加しているそうで、さらにはアート・リンゼイの名も。発売日は、イギリスがEUを離脱する3月29日。これまでもさまざまなコンセプトにもとづいて作品を発表してきたハーバートですが、はたして今回、彼はイギリスのEU離脱にたいしどのような試みで対峙しているのか──楽しみです。

The Matthew Herbert Big Band
『The State Between Us』
(ザ・マシュー・ハーバート・ビッグ・バンド/ザ・ステイト・ビトウィーン・アス)
2019.3.29 (金) 発売

★鬼才マシュー・ハーバートがビッグ・バンド名義で約11年振りとなるアルバムをリリース!!
★今回のコンセプトはイギリスのEU脱退に対する抗議! EU全加盟国のミュージシャン、アーティストとのコラボレート・アルバム! 発売日はEU脱退日=2019年3月29日!
★アート・リンゼイ、マルチ・インストルメンタル・プレイヤーであるメルツ、ラヘル・デビビ・デッサレーニ、パトリック・クラーク、ソロ・インストルメンタリストであるエンリコ・ラヴァ、ヴァイロン・ウォーレン、シェイラ・モーリス・グレイ、ナサニエル・クロスら総勢1000名以上のEU加盟国出身のミュージシャンが参加。更に劇作家キャリル・チャーチル、18世紀の英国詩人パーシー・ビッシュ・シェリー、16世紀の詩人ジョン・ダン、更にイギリス独立党の政治家らの言葉が歌詞に仕様されている。今作アートワークにはベルギー出身のフォトグラファー、エヴァ・ヴァーマンデルの写真を基に芸術家サラ・ホッパーがアートワークを制作した。

不動の人気・支持を誇るダンス・ミュージック/サンプリング界の鬼才マシュー・ハーバートがビッグ・バンド名義で約11 年振りとなるアルバムをリリースする。ハーバートは作品毎に設定するコンセプトを基にアルバムを制作しファンを魅了してきた。本作はイギリスのEU 脱退に対して抗議する為に、EU全加盟国のミュージシャン、アーティスト達とのコラボレートで制作された。ハーバートはEU脱退がイギリスの国民投票で決定した後、イギリス、ヨーロッパ、日本をビッグ・バンド編成でツアーしプロジェクトの締めくくりとして本アルバムをEU脱退の日=2019年3月29日にリリースする。

artist: The Matthew Herbert Big Band (ザ・マシュー・ハーバート・ビッグ・バンド)
title: The State Between Us (ザ・ステイト・ビトウィーン・アス)
label: Accidental / Hostess
format: 2CD
cat no: HSU-10288/9
pos: 4582214518947
発売日: 2019/3/29 (金) 世界同時発売
定価: 2,590円+税
■ボーナストラック、歌詞対訳、ライナーノーツ付(予定)

【TRACKLIST】
01. A Devotion Upon Emergent Occasions
02. Fiesta
03. You're Welcome Here
04. Run It Down
05. The Tower
06. An A-Z Of Endangered Animals
07. Reisezehrung
08. Moonlight Serenade
09. Be Still
10. The Words
11. The Special Relationship
12. Where's Home
13. Fish And Chips
14. Backstop (Newbury to Strabane)
15. Feedback
16. Women Of England

https://hostess.co.jp/releases/2019/03/HSU-10288-89.html

【バイオグラフィー】
1972年、BBCの録音技師だった父親のもとに生まれる。幼児期からピアノとヴァイオリンを学ぶ。エクセター大学で演劇を専攻したのち、1995年に Wishmountain 名義で音楽活動をスタートさせる。以降、ハーバート(Herbert)、ドクター・ロキット、レディオボーイ、本名のマシュー・ハーバートなど様々な名義を使い分け、次々に作品を発表。彼の作品はミニマル・ハウスからミュジーク・コンクレート、社会・政治色の強いプロテスト・ポップに至るまでジャンル、内容を越え多岐に亘っている。また、プロデューサーとしても、ビョーク、REM、ジョン・ケイル、ヨーコ・オノ、セルジュ・ゲンズブール等のアーティストのプロデュースおよびリミックスを手掛けている。2010年、本名であるマシュー・ハーバート名義で「ONE」シリーズ3作品(ワン・ワン、ワン・クラブ、ワン・ピッグ)をリリース。2014年には4曲収録EPを3作品連続でリリースしている。そして2015年に『ザ・シェイクス』を発表し HOSTESS CLUB ALL-NIGHTER で来日公演を行う。2016 年、アルバム『ア・ヌード(ザ・パーフェクト・ボディ)』を発表。2016&2017年に開催した HOSTESS CLUB ALL-NIGHTER ではレジデントDJとして2年連続出演、更に2017年にビッグ・バンドとしてモントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン、ブルーノート・トウキョウ(単独2日間)での来日公演を行った。

interview with Masato Matsumura - ele-king

 前衛音楽という言葉を用いることにはどこか抵抗感があった。理由は二つある。一つ目は狭義の「前衛音楽」に関するものだ。そこでは結果の確定できない音楽を指す「実験音楽」と対比されるものとして、音の結果をどこまでも管理する西洋芸術音楽の理性の結晶のようなものとして「前衛音楽」は使われていた。そこに仄見えているある種の思い上がりとも言える優越心に嫌悪感があった。それに進取の精神に富んだ音楽実践であったとしても、必ずしも西洋芸術音楽の文脈に基づいているわけではない。にもかかわらず「前衛音楽」と名指した途端に、こうした理性的表現を追求する西洋由来の価値観に従うことになる。それは音の具体的実践を捉え損ね、ただひたすら権威におもねることになるだろう。そして二つ目は広義の「前衛音楽」に関わるものだ。より一般的に言って、「前衛音楽」とは「難解」「高尚」「奇妙」「異常」などとされる音楽の総称を指している。ここで「前衛音楽」はもはや実質を欠いた記号と化していて、そのラベルが嫌悪の対象に安易に貼られることもあれば──そこには「正統なるこちらの音楽」を安定的に維持しようとする欲望があるのだろうが──、その裏返しとして、この記号に吸い寄せられて個人的嗜好を満たす者もいるだろう。パブロフの犬のように反射的に拒むのも浸かるのもそれとしては構わないのだが、記号へと還元された言葉は内容を欠いて空虚であり、それは当の音楽の実際を示し得ない。どちらの意味においても「前衛音楽」には近寄りがたいところがあった。

 『Tokion』『STUDIO VOICE』にて編集長を務め、各所で尖鋭的な音楽について執筆してきた松村正人による待望の単著『前衛音楽入門』は、こうした「前衛音楽」の意味をあらためて問い直し、その歴史を辿り直していく。むろん本書はまずもって万人に向けて開かれた入門書であり、前衛音楽なるものを知るきっかけとしても、あるいは教科書として学ぶためにも活用し得るだろう。しかし20世紀の前衛を眺めることは単なる懐古趣味ではなく、その核たる部分では、使い古された「前衛音楽」という言葉をもう一度肯定的に捉え返し、これからの時代へと差し向けるように読者を誘っていく。本書では軍隊用語から転用された音楽用語としての「前衛」を、20世紀音楽に特有のモダニズムの一つの系譜として描き出していくものの、見られるようにそこには実験音楽もミニマル・ミュージックもポストモダン・ミュージックも含み込まれている。考えてみれば「形式の絶えざる更新」は必ずしも理性による支配を必要としないのだ。そしてそこから出て来た「前衛」の意味合いは、西洋的眼差しの優越心でも単純化された記号でもない、音のごく楽しげな触れ合いと厳しさを兼ね備えたダイナミズムとして立ち現れることだろう。本書を通して「前衛音楽」という言葉が蘇るのだとしたら、著者の松村にはどのような執筆の背景や目論見があったのだろうか。「前衛」の定義から現状認識、あるいはモダニズムについて、先達の音楽批評家たちについて、そしてなによりも「前衛音楽」の音の悦びについて、語っていただいた。

前衛音楽とは何か

けれどもケージに対する批判も一方からはあるわけですよ。ルイジ・ノーノのように「そこまでいったら音楽じゃないんじゃない?」みたいにいうひとたちも一方にはいた。

これまで現代音楽を中心に書かれた概説書や広義のポピュラー音楽を対象としたもの、あるいはカタログやディスクガイドのような本はあったものの、20世紀全体を前衛音楽というテーマで辿り直した入門書というのは、ありそうでなかったのではないかと思います。どのような経緯で入門書という体裁になったのかといったところからお話いただけますか。

松村:最初は前衛的な音楽、実験的な音楽、それこそポピュラー音楽全般をふくめて、思いつくままに書き進めていきました。私は音楽について書くときに、なるべく対象を作り出した人物はもちろん、時代や政治や文化の状況をふまえたいと考えているのね。だから最初はいろいろなものを織り込んで、しかもメインの事象が登場するまでの前提の部分、『前衛音楽入門』だったら、前衛音楽というものが登場する前提みたいなものから書き起こして、当時の文学や宗教や社会情勢をふまえて書きすすめると、話がぜんぜんはじまらないということに、ある日ふと気づいたの(笑)。200枚書いたのに本題のとば口にも到達していないではないか、この調子だといつ終わるか見当もつかないと。それで編集を担当した野田さんに相談したら、「入門の体裁で、わかりやすく書くのがよいのではないか」と言われて、ああなるほどと。入門書というのは、いわゆる功なり名を遂げた方が書くことで説得力をもつものだと思うのだけど、簡便に語る構えをとれば、迂遠になりがちな私でも論を進められるのではないかということです。そう考えて、うちの書棚をみてみると、伊福部昭の『音楽入門』という本があって、あとがきに「以上、私は不要なことに饒舌にわたり、必要なことを簡略に、あるいはまた全然触れませんでした」の一節があったのを思い出したんです。この名著にして、そのようなことをいうのは、大作曲家一流の韜晦や含羞もあるかもしれないですが「入門とはこういうことかもしれない」とも思ったんですね。カフカの「掟の門」じゃないけど、読者ひとりひとりにそれぞれの門があるにちがいない。著者の役割はとくに聴くことが最終目的である音楽という分野においては門前に誘うことであろう、そう考えたのでした。

『前衛音楽入門』は入門書であり、同時に20世紀音楽の一つの系譜を描いた歴史書でもありますよね。

松村:仮にも入門書であるならば、前後関係ははっきりしていたほうがいい。そうなると歴史を辿る必要があるなと思ったんですね。以前細田くんと話したとき、20世紀の音楽についての本があると便利じゃないかといったら、そんなのダサいですよ、若い子は前世紀なんて気にしませんよ、といわれ打ちのめされたのだけど、私はやっぱりモダニズムが好きなんですよ。ダダとかシュルレアリズムとかロシア・アヴァンギャルドとかバウハウスとか近代文学とか。YouTubeにアップされている昔の歌謡曲の映像についたコメントによく、この時代に生まれたかったってのがあるじゃない。それをいったら、私だって1920年代の東欧で青春を送りたかったよと思うもんね。でも、それをノスタルジーで語るとたんにないものねだりになっちゃうから、そのときそこにあって、いまはもう喪われたと思われているものも、歴史を辿り直すと、21世紀の現在もちがうかたちで見出されるのではないかということですよね。

なぜタイトルに前衛音楽という言葉を付したんでしょうか。

松村:当初は『モダーン・ミュージック』というタイトルを考えていて、それは近代の音楽という意味と、かつて明大前にあったレコード店の名前のダブルミーニングのつもりだったのだけど、羊頭狗肉になりはしまいかと思って止めました。それに近代=モダニズムだと読者もイメージが結びづらいかもしれない。あくまで音楽の本であって、とりあげる対象がアヴァンギャルドな音楽であれば、前衛の呼び名はあるかもしれない。あとがきでも書きましたが、「前衛」という言葉は微妙な位置づけだとも思うんですね。アヴァンギャルドというレコード店の棚の仕切りにはあったとしても「前衛」とは謳わない。要するに死語なんですよ。画数多いしね。わがことをふりかえっても、昔は前衛的な音楽が好きですと合コンでいっていたのがあるときを境にぴったり言わなくなった。その一方で、現代音楽、実験的やエクスペリメンタルという用語は誰もが普通に使っている。オルタナティヴでもいいですけど、それらと前衛とのちがいはなんなのか。そのような言葉の曖昧さの裏には、時代ごとの音楽の形式の変遷と、それにたいする見方のようなものがあるはずで、前衛の語はその原点として働くのではないか。そこから考えると、みなさんがいま聴いているエクスペリメンタルな音楽の実相がより鮮明になるのではないか、目論見としてはそういうのはあったけどね。

本書での前衛音楽の定義を教えてください。

松村:本でも何度か言及していますが、ジョン・ケージは『サイレンス』のなかで、結果が予測できない音楽が実験音楽だといっているじゃない。スコア(譜面)が音楽の見取り図だとすると、見取り図があっても結果がわからない音楽。最終的に実験音楽は見取り図そのものも偶然や演奏家にゆだねたりするんだけど、そこから考えると前衛音楽はどれだけすごい見取り図を描けるかの競い合いなんじゃなかったかな。形式の新しい領域を探すというか、誰も手をつけていない場所に新しい領土を開拓するというか。今回一番難しかったのが、その線引きをどうするかということだったの。マイケル・ナイマンも『実験音楽』で、前衛と実験の区別を慎重しているのだけど、「ケージとその後」が副題のあの本からももう何十年も経っていて、ケージやナイマンの定義はすくなくとも一般的にはぼんやりしてしまったのはあると思う。それは開拓すべき領土ももはや存在しないということかもしれないし、レコードという記録媒体ができたからかもしれない。

取り上げる音楽家や作品はどのように選んでいったんですか?

松村:それこそ最初の見取り図は壮大なものだったよ(笑)。日本や、海外も西ヨーロッパやアメリカ以外の作曲家とか、サウンド・アートやパフォーマンス・アートとか。ノイズや日本のロックについても書こうと思っていたけど、それらの分野には専門の方がおられて、先駆的な本もいっぱいあるじゃない。川崎(弘二)さんや畠中(実)さんだってそうだし、金子智太郎さんの研究もすばらしいと思う。そして書物は特定の形式を掘りさげるにはすごく便利な形式だけど、一方で言葉は羅列的にしか語れない。私は歴史が好きで、学生だったころ、日本史や世界史の教科書をくりかえし読んだのだけど、歴史の出来事で最大の発見ってヨーロッパで宗教改革が起こっていたとき、日本は南北朝時代だったとか、横軸のつながりだったの。「そのころ一方~」の感覚といえばいいのかな。出来事が世界中で散発しているのに想像をいたく刺激される。本だとそれは順番に書かないといけないのだけど、たとえばケージがこう考えていたとき、シュトックハウゼンはこう考えていた、大西洋のこちら側である作品が評判をとっていたとき、反対側ではどういう動きがあった――と書くと、読んでいる時間が巻き戻ったり、重なり合ったりする。一歩すすんで二歩さがる目線には探求的な視点とはちがう風景が映るかもしれない。ひとつの事象を掘りさげるより広がりを描きたいというのがまずあって、でもあまりに広げすぎると分量の問題もあるから、コンパクトにまとまる範囲でということで、このかたちになったの。

コンパクトとはいえ、数多くの音楽家や作品が登場しますよね。100年の歴史を膨大な音盤を聴き返しながら辿っていくという作業もあったかと思われます。

松村:前衛音楽って聴きやすい音楽じゃないじゃない? ブーレーズの全集を頭からお尻まで通して聴いてごらんなさい、しおしおになりますよ。

松村さんにも前衛音楽は聴きづらいという感覚があるんですね。

松村:いや聴きづらいというのとはちょっとちがう。人間が集中して聴けるのは限度があるということだよ。でもたしかにBGMにはなりにくいもんね。三田(格)さんが仕事場に来たとき、松村くんはいつもピキンとかガシュとかいう音をかけているけど、きみは楽しいのかと訊かれたことがあるもん。

「聴きづらさ」というのは、時代の先をいっていたという側面もあるじゃないですか。同時代の人には受け入れ難かったけど、いまとなってはすんなり聴けてしまうという。第1章に出てくるエリック・サティとかクロード・ドビュッシーっていうのは、当時は不協和音だったかもしれませんが、いまとなってはイージー・リスニングと括られたりもしますよね。けれども第2章以降には、いまの耳で聴いてもハードな音楽が数多く出てきます。

松村:アルノルト・シェーンベルク以降だよね。新ウィーン楽派の十二音技法は調性を否定したから必然的に聴きづらい聴感になるのだと思う。調性や自然というのも『前衛音楽入門』のテーマのひとつでした。自然に対する人工は近代の特徴で、調性から逃れようとする意志が前衛を決定づけて、その逃走/闘争の歩みがシェーンベルク以降に明確に始まっていく。すると鋭い印象の音楽になっていく。歴史を辿って聴くとそのことはとりわけわかりやすい。

本書の執筆を通して、前衛音楽というものに対する考え方や捉え方は変わりましたか?

松村:いまシェーンベルクは聴きづらいっていう話になったけど、リズムはそうでもないよね。リズムはものすごくわかりやすい。それがもっと時代を降っていって、オリヴィエ・メシアンあたりになるとリズムも入り組んでくる。さらに降ってカールハインツ・シュトックハウゼンとかピエール・ブーレーズのあたりになると、もっと細かいパラメーターで音楽はどんどん複雑になっていく。一口に前衛音楽といっても、あるいは現代音楽とひとしなみにとらえただけではわからないダイナミックな変化があの時代には起こっていたことに、あらためて気づいたのは収穫でした。それって、特定の対象を押さえるだけだとみえにくいポイントだとも思うの。前衛って先行する音楽のある部分を革(あらた)める、っていうことを突き詰めていくわけじゃないですか。それをたんに進歩史観でとらえるとエリーティズムやアカデミズムに陥ってしまうけど、20世紀前半の音楽家たちの試みが、実験音楽の時代を経て、最終的にポピュラー音楽やクラブ・ミュージック、おそらくは私たちがいま聴いている音楽にも流れ込んでいる、その運動もふくめて、私は前衛的だと思う。

クラバーのための前衛音楽

現在のテクノやアンビエントと形容される音楽の多くは、ミュジーク・コンクレートやミニマル・ミュージックの成果を当たり前に取り入れていますよね。それらがもともといつ頃から出てきたのだろうとか、最初はどういう意図で用いられていたのだろうとか、そういうことを知る楽しみも本書にはあると思います。

松村:いまの音楽にも先人の努力の痕跡というのはなにかしら絶対にありますから、無意識にせよね。クラブ・ミュージックやエレクトロニック・ミュージックから遡行して20世紀の前衛を聴いていくのはけっこう発見があると思いますよ。

「シュトックハウゼンに聴かせるべきはエイフェックス・ツインではなくオウテカだった」という一節も出てきます。

松村:オウテカはテクノロジーを対象化することに長けていると思う。ソフトウェアを更新していって、その力量を引き出しながら彼らの音楽に落とし込むじゃない。おそらくその作業は最初感覚的なものであっても、スタイルやロジックにおとしこまれるのだと思うんですよ。でもエイフェックス・ツインは本能が表現に直結している。

実験的でハードコアな印象もあるいわゆる音響派が、テクノ、ハウス、ヒップホップなどのクラブ・ミュージックをその前提として含み込んでいる、と指摘されていた箇所も印象的でした。

松村:デイヴィッド・トゥープ的といいますか、彼みたいな音楽の聴き方が大きかったと思うんですよ。トゥープの本で『音の海(Ocean of Sound)』ってあるじゃない。あの本はアンビエントが中心だけど、サウンド・アートから実験音楽、ロック、ジャズ、レゲエまでおよそ考えつく音楽をとりあげているのだけど、一方で彼は『ラップ・アタック』というヒップホップの本も書いている。文学やアートへの広範な知見もあって、ビザールでストレンジな表現にも目端が利き、自分でも音楽をやっているわけじゃない。あの博覧強記と横断性は90年代という時代を象徴していた。トゥープが代表する価値観は彼も寄稿していた雑誌の『The Wire』的なものでもあって、前後関係はさておき、それらがクラブ・ミュージックにアヴァンギャルドを接続したのではないかということです。たしか2001年だったと思うのだけど、岸野(雄一)さんにご協力いただいて『Studio Voice』という雑誌で「日本の作曲家」という特集を組んだとき、外からみた日本の音楽への視線という切り口で、日本の音楽家の作品を15枚ずつ選んでレヴューするというコーナーの原稿をジム(・オルーク)さんに書いてもらったことがあったのね。原稿は『別冊ele-king』の「ジム・オルーク完全読本」に転載したので読まれた方もおられるかもしれないけど、同じ主旨でトゥープさんにも原稿を依頼していたんですよ。ふたりのセレクトはおおまかにいえば傾向は同じで、武満徹とか細野さんのように重複するミュージシャンもいたのだけど、同じ音楽家の作品でも、ジムさんは武満徹は『コロナ』で細野さんは『コチンの月』をあげ、トゥープさんは映画音楽集と『トロピカル・ダンディ』をあげたことが、トゥープさんのポピュラー音楽よりの志向をあらわしていて、それがクラブ・ミュージックとアヴァンギャルドを接続したという論拠なんだけど、わかりづらいか(笑)。他方ではね、これも「別冊ele-king」でポストロックと音響派を特集したとき、いろいろな方にご寄稿いただいたなかで、著者ごとに音響派の定義というか、来歴の捉え方がちがうと思ったのもある。大谷(能生)さんと虹釜(太郎)さんの史観はべつのものだし、『前衛音楽入門』の第9章でもふれましたが、佐々木(敦)さんの定義からして、私はむしろその行間を読むべきものだと思う。

[[SplitPage]]

録音と自然について

私はやっぱりモダニズムが好きなんですよ。ダダとかシュルレアリズムとかロシア・アヴァンギャルドとかバウハウスとか近代文学とか。YouTubeにアップされている昔の歌謡曲の映像についたコメントによく、この時代に生まれたかったってのがあるじゃない。それをいったら、私だって1920年代の東欧で青春を送りたかったよと思うもんね。

20世紀のある種の音楽史を描くに当たって、参考にした書物などはありましたか?

松村:それぞれのパートでいろいろな本を参照しましたけど、全体の構想や構造を立てるにあたって参考にした本はあんまりなかったかなあ。それよりもユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』とか、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』とか、ビッグ・ヒストリーみたいなものは意識したかもしれない。歴史とかある程度の厚みのある時間を対象にするという意味でね。でも音楽で歴史を溯るのってむずかしいと思うんですよ。ポール・グリフィスの『文化のなかの西洋音楽史』のように、発祥まで溯ると、音楽は壁画にも遺物にもならないわけだから、語るにあたっては空想にちかくなってしまう。その空想は類型的になりがちで、論証も反論もできない。もちろんそうするしかないにしても、私なぞがいうまでもない。だったら、ネウマ譜の時代からはじめればいいともいえるけれども、それを語る言葉を私はもっていない。もちろん記録がないとダメってことでもなくて、西洋音楽に限定する必要もないのだけど、いまの音楽の状況を考えても、いろんな読者と語り合える点でもそっちのほうがいいかなと思った。クラシック音楽みたいな学校で教える音楽には畏怖も抵抗もあったけど、ロックやジャズやそのほかもろもろの勝手のわかった音楽を語るのも自分が成長しない気がした。たしか保坂(和志)さんがいっていたと思うのだけど、なにかを書くのは、書く前と後で書くひとが変化するためでもあると、私もそう思うから、だったら、それまで聴いてきていても、あまり書く機会のなかった「古典的な現代音楽」って言い方も妙だけれども、そのような音楽をちゃんと聴き直して考えてみたいと思った。話はかわるけど、ポピュラー音楽の批評って、どうしてもロックンロールの発生を起点にしがちで、音楽はそれ以前から連綿とつづいてきたはずなのに、その前と途絶しがちだと思うんですよ。日本の近代のはじまりを明治時代に置いたときに、江戸以前が歴史にくりこまれて不動になってしまうように。20世紀の、ことに前半はポピュラー音楽の読者には遠い過去で、逆にクラシック音楽の愛好家には現代音楽の時代なわけで、両方をつなげて、生き生きと描けたらおもしろいんじゃないかという考え方です。話を戻すと、参考にした本については、音楽の書き手にはそれぞれの分野にすごいひとがいて、参考にした文献は無数にあって、きっと誰かが同じことをいっていると思ったけど、現代音楽もジャズもロックもクラブ・ミュージックも同じ目の高さでみるという意味では、特定の書物を参考にしたというよりそれらのあいだを考えていた気がする。

19世紀と20世紀の大きなちがいの一つに録音というファクターがありますよね。『前衛音楽入門』の序ではミシェル・レリスによる録音装置の描写が引用されています。

松村:そのレリスのくだりはたまたまね、積んでいた本が崩れて付箋がついた箇所を開いて引いただけなのだけど、原稿を書いていると、そういうことがよくあるじゃない。それを読んで、ジョイスの『ユリシーズ』にもたしか蓄音機で音を録音するくだりがあったことを思い出して、20世紀前半に録音再生装置っていうものが記録媒体としてかかわりはじめたときの人々の驚きを再確認したんだけど、それってカセットでもハードディスクでもTikTokでも同じだと思うんですよ。私にとっても録音再生装置の驚きというものはあって。中学生の頃にカセットデッキを親から買ってもらって、ラジオとか喋り声とかを録って遊んだりすると、再生するともとの音とまったくちがう響きになるのがわかる。それは記録すること以上のなにかをもたらすわけです。そうした驚きが音楽そのものにフィードバックしていくのが電子音楽でありミュジーク・コンクレートだと思った。録音の面白さみたいなものは私自身も実感として感じていたから、電子音楽やミュジーク・コンクレートの作曲家の内面を考えてみたらすごく親近感をおぼえた。録音再生装置が紡いできた音楽史というものがあり、近代の芸術ときりはなせないなら、音楽の歴史と録音物の歴史みたいなものをなるべく往還しながら考えていく、というのはごく自然にやってました。

レリスの描写の面白い点は、録音再生装置の描写であるとともに、録音メディアというものが透明な存在ではないということを捉えた文章でもあるところだと思います。つまり再生に伴うノイズだとか、再生することの得体の知れなさが描写されているんですよね。それは自明なものや前提条件にあるもの、いわば自然と化したものに対する自覚を促してくれるんですが、そうした自然なるものから距離を見出していく運動というのが、前衛音楽の歴史でもあるわけですよね。

松村:おっしゃるとおり。

これはたまたま私がいまティモシー・モートンの『自然なきエコロジー』について書いていたからかもしれませんが、『前衛音楽入門』では「自然」が一つのキーワードになっていると思いました。それはドビュッシーによる「自然の音楽はわれわれをすっぽりと包み込んでいます」という言葉から始まり、アドルノの「第二の自然」というルカーチを借用した音楽の捉え方や、あるいは「不自然な即興」という章題にもつながっています。

松村:自然という言葉はふたつの捉え方があると思うんですよね。ひとつは自然=環境というようなものの見方。あらかじめ備わっている、疑うべくもないもの、そういう自然なものに対して懐疑的になるのがやっぱり前衛音楽の勘所だと思った。あらかじめ与えられたものごとに対して「本当にそうかな?」って考える行為。アドルノの「第二の自然」っていう言い方はすごく上手いもんだなと思っていて。音楽って人工物じゃないですか。でも人工物なのに、たとえば調性のようなものは神の摂理みたいに考えられている部分がある。平均律も機能和声もきわめて人工的なものだけど、誰もが当たり前のように思っていて、21世紀のいま、そのことは19世紀より支配的になっている。Jポップをもちだすのはどうかとも思うけど、流行りの音楽を聴くと、メロディの洪水につかれるんですよ。ティモシー・モートンのその本は私は読んでないけど、音楽をひとつの環境とすると、前衛的な人工性より無垢な原初主義に軍配をあげるのは旧来のエコロジー観といえるかもね。問題はそこでいう自然に道徳的なニュアンスがあることで、同時にそれは音楽のルールというものにもつながるのだけど、その外に踏み出したのが前衛音楽であり、即興も既存のルールをのりこえようとする点では不自然だったと思うんですよ。で、自然のふたつ目の意味は言葉そのままの自然、ジョン・ケージ的な非音楽の世界。音楽的には不自然な音そのものの広がりみたいなもの。そういう、何重かの意味が重なっている「自然」っていう言葉は、たしかにすごく象徴的だなとは思います。

音楽批評の先達たち

それをたんに進歩史観でとらえるとエリーティズムやアカデミズムに陥ってしまうけど、20世紀前半の音楽家たちの試みが、実験音楽の時代を経て、最終的にポピュラー音楽やクラブ・ミュージック、おそらくは私たちがいま聴いている音楽にも流れ込んでいる、その運動もふくめて、私は前衛的だと思う。

『前衛音楽入門』のもう一つの特徴として、教科書的な体裁をしているんですが、事実説明的な文章ではまったくないんですよね。パフォーマティヴで物語的というか。文体の強さとも言い換えられるかもしれませんが。

松村:野田さんには難読漢字ばかりで、おまえは小林秀雄かって注意されたんだけど(笑)、私、小林秀雄に入れ込んだことないんだよなあ。まあでも、自分の文章はよくわかりません。文体が強くても弱くても、精一杯書いているとしかいえないのだけど、表現にかまけるのは止めようと思ってきたかもしれない。ひとつには、雑誌編集者をやっていたある日、ポエティックな文章は書き飽きたと思ったから。音楽でそんなことをやると夜郎自大な感想文になっちゃうじゃん。この夜郎自大という四字熟語も注意されてしまうかもしれないけれども、習い性としてお許しいただくとして、表現よりも文の構造と展開が散文の勘所だとは思っているところはあるかも。そのほうが読んでいて、いろいろ考えられると思うんですよ。

そうした点が本書を教科書から音楽批評へと押し上げていると思うのですが、松村さんにとって重要な音楽批評家の先達というのはいらっしゃいますか?

松村:そりゃもうみんなすごいなあって思ってますよ(笑)。90年代末から2000年代初頭にかけては、仕事の関係もあって、三田さんや野田さんの原稿からはいろんなことを学んだし、湯浅(学)さんや佐々木(敦)さんは学生のころから読んでいたし、竹田賢一さんや岸野さんから原稿が届いたときはうれしかったし、松山(晋也)さんは編集者としてもみならっていました。ひとまわり上の世代の書いてきたことを受けて、私は原稿を書きはじめたし、彼らの音楽の聴き方や考え方からは多大な影響を受けてきました。その一方で、文章を書くという点では、私はele-kingでこんな古めかしい音楽と関係のないことをいうのはどうかと思うけど、第二次世界大戦に強迫観念的な執着があって、その手の文献を読み漁ってきたのね。それを入り口に、小島信夫とか島尾敏雄とか庄野潤三とか、第三の新人の本はだいたい読んだけど、あの世代でいちばん好きなのは古山高麗雄かも。編集者だし。

若い頃に読んで価値観を揺さぶられた音楽書とかはないんですか?

松村:あ、そうだ、秋田昌美さんの文章は好きだった。『前衛音楽入門』を書くにあたっても、『ノイズ・ウォー』を読み直しました。あれ絶版なんだよね。もったない。秋山邦晴さんの『エリック・サティ覚え書』が再版になったのはよかった。高橋悠治さんの本はどれをとっても閃きがある。武満徹の本もふくめて、私は音楽をやることと書くことが結びついているひとの文章に惹かれるのかもしれない。でも私の若いころは、音楽の文章というと本にまとまっているのより雑誌に載っているのを読むのがずっと多かったと思いますよ。

『前衛音楽入門』では間章の引用もありますが。

松村:間章の本は私が学生のころは手に入りにくかったからね。妄想が広がって、じっさいの文章はその妄想をも上回るものだったんだけど、私にはちょっと濃密すぎたかな。彼が言及するレコードや、たまに引用するモーリス・ブランショなんかは私も好きなんだけど。

間章と犬猿の仲とも言える平岡正明はどうですか?

松村:平岡正明は、そうだね、私は先に湯浅さんの文章を読んでたんですよね。ふたりはまったくべつの書き方だけど、言い切ることでひとつの世界をたちあげるところに通じるものがあるんじゃないかな。おふたりとも、対象にたいする濃度というか熱量のようなものをもっていて、平岡さんはそこに向かう向かい方が直線的だけど、湯浅さんは面的な気がする。抽象的な印象論ですけどね。直線的な語り方は説話的だけど、面的だと散文的になると私は思っていて、自分には後者のほうがしっくりくる……というか、細田くんはなんでそんな答えにくいことばっか訊くの。

これからの前衛音楽のために

だって嫌いなものを好きになることってあるじゃないですか。そういうふうに考えたら、音楽の聴き方って生理的体験だけではない、ということがわかったのが20世紀だなとも思った。前提にあるものや後に続くものを含めて聴き比べてみたら何か発見もあるだろうし、前衛音楽に対するバイアスも緩むにちがいない。そもそも私、『前衛音楽入門』でとりあげた音楽はどれもキャッチーだと思ってるんだけどね(笑)。

面的で散文的な向かい方というのは重要だと思います。それは開放感と言い換えられるかもしれません。たとえば前衛音楽に開放感をもたらすにはどうすればいいと思いますか。裾野を広げていくというか。この前タワーレコード新宿店の10階に行ったら、ニューエイジコーナーがすべて星野源コーナーになっていたんですよ。時代もジャンルも多種多様な音楽で埋め尽くされていたニューエイジコーナーが、星野源というたった一人のアーティストに駆逐されてしまったように感じて、たいへん寂しい思いをしました。

松村:それは……!? そうなったんだ。あそこよかったんですけどね。現代音楽系の新譜もけっこうとりそろえていて、しかも人がいなくてゆったりみられるからよく行ってたんですけどね。

人がいないんじゃないですか(笑)。これは私の意見ですが、閉塞感の一つの原因として、前衛音楽という言葉が記号化して、「ああ、前衛音楽ね、興味ないや」と見向きもしない人と、「おお、前衛音楽か、聞いてみよう」と飛びつく人に二極化してしまっていることがあるような気がするんです。それは実験音楽とかフリー・ジャズといった言葉も同じように扱われていると思いますが、ともあれ、嫌いだろうが好きだろうが彼ら/彼女らにとって内実はどうだってよいわけですよね。この短絡的な思考が閉塞感を呼び込んでいるのではないかと思います。

松村:やれ難解だとか複雑だとか高尚だとか、そういった短絡化は前衛音楽にはこれまでもあったけど、前衛がひとの口の端にのぼらなくなってから、記号そのものが空洞化したきらいはあるよね。情報化の煽りを喰って、細田くんがいったような状況になっているのだとしたら、その状況は閉塞的というよりもっとのっぺりしたものだと思うのね。ポストモダンを云々するのはわかった気になるからイヤなんだけど、細分化をくりかえして記号がどんどん細かく、軽くなっていく一方で、行き着くところまでいって、揺り戻しが来ているのがいまで、いろんなレーベルから過去の音源も含めて、前衛音楽や実験音楽のレコードが再発されているじゃない。刷られている数はたいしたことはなくても、一定の枚数をうけとるリスナーはいるということですよ。そこで本を書くことの意味はなんだろうと考えてみると、たとえばカタログだと記号の数になっちゃうけど、一冊の本を書き上げていくっていうことは、それがなにがしかの時間の幅を持ったものになっていくことではないかなと思ったんですよね。たとえば『前衛音楽入門』を雑誌の特集としてやることはできると思うわけ。でもそうすると風景があんまり変わらないような気がするんですよね。それは自分が雑誌をずっとやってきたからかもしれませんが、そういう歴史や時間の幅を表現するにはある程度の分量を書かないとダメだろうと思った。そこには当然、余白とか余剰とか、語られていないことがあるわけですよ。そういう幅のなかで前衛音楽という言葉を使っているのであれば、記号の伝わり方がまた変わってくるとも思う。ディスクガイドではないわけで、パラパラと眺めてわかるものではない。著者が「これが前衛だ」というものをどう捉えているのかというのは読まないとわからない。読むとそこには「そうじゃないもの」が行間に入っていることもわかる。そうすれば記号化を緩めることもできるんじゃないか。前衛音楽の外側から滲んでくるものがあったら、少し広がるんじゃないか。それは単なる好き嫌いじゃないですよね。レヴィ=ストロースの『神話論理』っていう全四巻の本があるんですが、その第一巻の『生のものと火を通したもの』の序章では音楽について書いているんですよ。そこでレヴィ=ストロースは音楽を生理に根差しているっていうふうに書く。生理的体験、要するに好き嫌いだと。でも私はそうなのかなって疑問に思うところもあった。だって嫌いなものを好きになることってあるじゃないですか。そういうふうに考えたら、音楽の聴き方って生理的体験だけではない、ということがわかったのが20世紀だなとも思った。前提にあるものや後に続くものを含めて聴き比べてみたら何か発見もあるだろうし、前衛音楽に対するバイアスも緩むにちがいない。そもそも私、『前衛音楽入門』でとりあげた音楽はどれもキャッチーだと思ってるんだけどね(笑)。

それは好き嫌いとは別に、前衛音楽を聴くことの楽しさがあるということでしょうか?

松村:そうです。でも聴くことの楽しさだけじゃなくて、考えることの楽しさもある。そして考えることの楽しさは聴くことの楽しさを損なわないとも私は思うんですよ。聴くことの楽しさと考えて発見することの楽しさって、ちょっとズレがあるじゃないですか。なぜこれがおもしろいんだろう、気に留まるのだろう、っていうことにたいする気づきって、ちょっと遅れてやってくるわけじゃない。それがやっぱりこういう音楽を聴くときのいちばんおもしろいところだと思うんですよね。テキストを読んで作曲家の意図や作品の構造を知ったときの、目から鱗が落ちる感じっていうかね。聴いただけじゃわからなかったとしても、ライナーノーツとかを読んで、意図や構造を知ってからあらためて反復したときに出会う聴くことの楽しさは絶対あると思う。そう考えると前衛音楽は録音物に親和的な音楽だったともいえる。反復聴取に耐え得るから。聴いて、よくわからなくて、それでも聴いて、やっぱりわからなくて、読んで、なんとなく納得して、発見するっていうのかな。そういう意味ではまさしく20世紀的な芸術のあり方ですよね。それってすごくお得じゃないですか(笑)。

他方で音楽の前衛を原理的に推し進めるならば、ゆくゆくは音楽という概念も崩壊させていくことにもなるように思います。しかし『前衛音楽入門』ではあくまでも音楽が取り扱われていますよね。そこには音楽とあえて言い得るものは何かという問題があると思うんですが、松村さんとしてはどのように考えていますか。

松村:また答えにくい質問を(笑)。前衛音楽も当初は音楽そのものの制度や構造を含めて問うていた。「音楽は果たして音楽なのか」という考えがはっきりと出てくるのはケージ以降ですよね。とりわけケージの主著『サイレンス』が邦訳された90年代になると、ケージ礼賛みたいな雰囲気が蔓延していた。けれどもケージに対する批判も一方からはあるわけですよ。ルイジ・ノーノのように「そこまでいったら音楽じゃないんじゃない?」みたいにいうひとたちも一方にはいた。即興音楽でもそうじゃない。楽器に触れるか触れないかが即興だ、みたいなことにまでいくと、果たしてそれでいいのかっていう考え方が出てくる。そのようなせめぎ合いの歴史はどこまでいっても調停することはないんじゃないかな。ケージに対してノーノが否を突きつけて、ブーレーズも最終的には強烈な批判を加えていったように。それら両陣営がせめぎ合っている状態。私自身は態度としてはどちらに肩入れしたいわけでもないし、実験的なものよりも前衛的なものがよいとはいわないし、その逆もまたしかりですよ。その蠕動する部分に音楽の原理があるのだと思う。その状態はとどまらないだろうし、固定されて不動だと思っていた歴史にその解を求めようとしたって、どこからどのようにふりかえるかによって、答えはちがってくる。それらをもとに、聴いたこともない新しい前衛音楽が現れてくるかもしれない。テクノロジーや人間観みたいなものとも、それは関係してくるかもしれない。その意味で、音楽は終わったわけではないし、終わるわけがないのであって、『前衛音楽入門』に登場する20世紀の音楽家たちの問題提起は21世紀にも届いてきますよ、きっと。

James Blake - ele-king

 きみはもう聴いたか? 去る1月中旬、唐突に新作をリリースし一気に賛否両論を巻き起こしたジェイムス・ブレイクだけれど、このたびその新作『Assume Form』の日本盤が発売される運びとなった。いや、これは素直に喜ばしいニュースでしょう。なぜって、ボーナス・トラックはもちろん、歌詞対訳も封入されるんだから!
 もともとダブステップのシーンから頭角を現した彼は、大胆に歌へと舵を切り大きな成功をおさめた後も積極的にアンダーグラウンドとの接点を保ってきた。たとえば一昨年はジェイ・Zやケンドリック・ラマーをプロデュースする一方で盟友マウント・キンビーと共作したり、自身の新曲もドロップした昨年はOPNの問題作『Age Of』に貢献する一方でトラヴィス・スコットの話題作『Astroworld』に参加したりと、メインストリームとアンダーグラウンドのあいだに橋を架けるような活動を続けている。そのトラヴィス・スコットとマウント・キンビーが同居する今回の新作も、そのような往来の賜物と言えるだろう。
 ではそのニュー・アルバムではいったいどんなことが歌われているのか? 昨年は歌詞にかんするツイートも話題になった彼だけに、現在の彼がどのような言葉を紡いでいるのかは大いに気になるところである。日本盤の発売は2月27日。

“形式”を凌駕する“音”の未来形──。
James Blake New album “Assume Form”

ジェイムス・ブレイク『アシューム・フォーム』
2019.02.27発売
UICP-1192 ¥2,700 (税込)
【日本盤ボーナス・トラック2曲収録】

深遠なるエレクトロ・サウンドで世界の頂点に立つ
現代音楽界の至宝、ジェイムス・ブレイク。
意欲的なゲストを迎え新境地へ到達した
孤高の4thアルバム。

2011年の1stアルバム『ジェイムス・ブレイク』で衝撃のデビューを飾り、2013年の2nd『オーヴァーグロウン』で第56回グラミー賞(2014年)の最優秀新人賞にノミネートされるなど、ジャンルを超越した深遠なるエレクトロ・サウンドで全世界を席巻したジェイムス・ブレイク。現代音楽界における孤高の天才とも称される彼が、2016年の3rd『ザ・カラー・イン・エニシング』以来約3年ぶりとなる待望の4thアルバム『アシューム・フォーム』を1/17にリリースしました。トラヴィス・スコット、メトロ・ブーミン、アンドレ3000といった今まで以上に意欲的なゲストを迎えたこの作品、ネット上では“早くも2019年の最重要作品が登場した!”という声も聞かれるなど、さらに進化した独自の音世界が絶賛されている。日本盤CDは、2017年以降にデジタル・リリースされた2曲のシングル「ヴィンセント」「イフ・ザ・カー・ビサイド・ユー・ムーヴス・アヘッド」をボーナス・トラックとして世界初CD収録したファンには嬉しい内容で2月27日にリリース。この2月から3月にかけては全米ツアー、4月にはロンドンやマンチェスターでの公演が発表されているジェイムス・ブレイク、2016年以来の来日にも期待が高まります!

【豪華ゲスト参加】
●トラヴィス・スコット ●アンドレ3000 ●メトロ・ブーミン 他

■ALBUM
ジェイムス・ブレイク『アシューム・フォーム』
James Blake / Assume Form
2019.02.27発売

UICP-1192 ¥2,700 (税込)
【日本盤ボーナス・トラック2曲収録】
配信のみでリリースされたシングル2曲を世界初CD収録!
「イフ・ザ・カー・ビサイド・ユー・ムーヴス・アヘッド」(2018年)
「ヴィンセント」(2017年/ドン・マクリーンのカヴァー)

【収録曲】
01. Assume Form
  アシューム・フォーム
02. Mile High feat. Metro Boomin, Travis Scott
  マイル・ハイ feat. メトロ・ブーミン、トラヴィス・スコット 【リード曲】
03. Tell Them feat. Metro Boomin, Moses Sumney
  テル・ゼム feat. メトロ・ブーミン、モーゼス・サムニー
04. Into The Red
  イントゥ・ザ・レッド
05. Barefoot In The Park feat. Rosalía
  ベアフット・イン・ザ・パーク feat. ロザリア
06. Can't Believe The Way We Flow
  キャント・ビリーヴ・ザ・ウェイ・ウィ・フロー
07. Are You In Love?
  アー・ユー・イン・ラヴ?
08. Where's The Catch? feat. Andre 3000
  ホエアズ・ザ・キャッチ? feat. アンドレ3000
09. I'll Come Too
  アイル・カム・トゥー
10. Power On
  パワー・オン
11. Don't Miss It
  ドント・ミス・イット
12. Lullaby For My Insomniac
  ララバイ・フォー・マイ・インソムニアック
13. Vincent*
  ヴィンセント*
14. If The Car Beside You Moves Ahead*
  イフ・ザ・カー・ビサイド・ユー・ムーヴス・アヘッド*
*: Bonus Tracks for Japan Only (日本盤ボーナス・トラック)


■バイオグラフィー
James Blake (ジェイムス・ブレイク)
2011年の1stアルバム『ジェイムス・ブレイク』で衝撃のデビューを飾り、2013年の2nd『オーヴァーグロウン』で第56回グラミー賞(2014年)の最優秀新人賞にノミネートされるなど、ジャンルを超越した深遠なるエレクトロ・サウンドで全世界を席巻したジェイムス・ブレイク。現代音楽界における孤高の天才が2016年の3rd『ザ・カラー・イン・エニシング』以来3年ぶりに発表した待望の新作は、意欲的なゲストを迎えた2019年の最重要作品と呼び声高い作品である。

■LINKS
◎日本公式ページ 
https://www.universal-music.co.jp/james-blake/
◎海外公式ページ 
https://www.jamesblakemusic.com/
◎海外公式instagram
https://www.instagram.com/jamesblake/
◎海外公式twitter
https://twitter.com/jamesblake/
◎海外公式Facebook
https://www.facebook.com/jamesblakemusic/
◎海外公式YouTube
https://www.youtube.com/user/jamesblakeproduction/

The Specials - ele-king

 偶然だったとしても素晴らしい。2017年、バーミンガムにおけるイギリスの極右団体への抗議の現場を報じたガーディアンのひとコマには、あるイスラム系の女性の姿が写っていた。当時20才だったサフィヤ・カーンの着ていたデニムジャケットの下には、「THE SPECIALS」と描かれたのTシャツが覗いている。さっそくザ・スペシャルズは彼女をライヴに招待した。そして、およそ40年振りのアルバムのなかの1曲でMCをまかせることにした。大役である。なぜなら、彼女が任せられたのはプリンス・バスターのいにしえのヒット曲、“10 Commandmentsl”をリライトすることだった。バスターは、ルードボーイ音楽の王様にして2トーンにとっての英雄、ザ・スペシャルズにとっての巨大な影響だ。が、しかし、“10 Commandmentsl”には露骨な性差別が歌われていた。ザ・スペシャルズは、若き勇敢なフェミニストを起用して、名曲の言葉を書きかえるという大胆なアイデアに挑んだのだった(プリンス・バスターはイスラム教徒でもあるので、イスラム系の若い女性がそれを改稿するというのは、二重の反転がある)。
 ザ・スペシャルズ、さすがである。

 いまさらぼくと同世代のリスナーにザ・スペシャルズの偉大さを説くのは釈迦に説法なので、ここではリアルタイムでは知らない世代に向けて書こう。
 そもそもUKのパンクおよびポストパンクの多くがいまもなお参照点である理由は、彼ら/彼女らがサッチャリズム(新自由主義)に対する若者たちの最初の抵抗だったからだ。それゆえメッセージの多くは現在でも有効だし、音楽性に関していえば、そのメッセージを裏付けるように、彼ら/彼女らのほとんどは妥協なきオルタナティヴだった。
 ザ・スペシャルズは、70年代末〜80年代初頭のポストパンク期におけるスカ・リヴァイヴァルを代表するバンドだった。スキンズが好んだジャマイカのスカを音楽のモチーフにした彼らは、自らも、そしてオーディエンスも人種を混合させ、スキンズとパンクとモッズをいっしょに踊らせた。分断されたサブカルチャーを混ぜ合わせたこと、これがザ・スペシャルズの功績のひとつだ。もうひとつの功績は、新自由主義時代における若者文化の虚無感を実直に綴ったことだった。
 それは1980年のセカンド・アルバム『モア・スペシャルズ』であらわになる。スタジオでの多重録音を駆使したそのアルバムは、ご機嫌なスカを求めていたファンの期待を裏切るかのように、日々の生活における暗い心情が表現されている。それが1981年の傑作12インチ「ゴーストタウン」へと発展して、解散後はまったく楽しくない楽しい男の子3人(ファン・ボーイ・スリー=FB3)へと続いた。

 スカはアッパーでのりのりの音楽だと思われていたし、多くの若者にポークパイハットを被らせたザ・スペシャルズはファッション・リーダー的な存在でもあった。が、ザ・スペシャルズにはのちのマッシヴ・アタックと連なるようなメランコリーがあったし、自己矛盾かもしれないがファッション文化を空虚なものだと見なしていた。『モア・スペシャルズ』の“Do Nothing”(なんもやらない)という曲は、ファッションばかりに金を投じる若者の空しさをこれでもかと表現している。個人的にもっとも好きな曲のひとつ、“I Can't Stand It”(がまんできない)では、私生活から職場にいたる生活のすべてにうんざりしている若者の気持ちが描かれているし、「誰もが着飾ったチンパンジー」と歌う“International Jet Set”はエリート層への嫌悪が歌われている。
 いまの若い人には信じられない話かもしれないが、お洒落というのはある時期までは、お金のない抵抗者たちほど拘っていたものだった。パンクが服を重視したのもそういう事情があったからだ。服は、社会が強制するアイデンティティとは別の、個人が主張するアイデンティティを表現することも可能だからだ(家や車は買えなくても服は買えるからね、と昨年ドン・レッツは言っていた)。それゆえに、パンク〜ポストパンクはなるべくオルタナティヴな服装を選んだ。が、1980年のザ・スペシャルズによれば、ファッションはすでにエリート文化の一部になっていた。そう、このバンドは、オーウェン・ジョーンズの“エスタブリッシュメント”というあらたな上層階級の出現を40年も前に察知し、簡潔な言葉で皮肉っていたことになる。
 「ゴーストタウン」に関していえば、セックス・ピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」に次いで重要なシングルだという声もある。全英1位になったそのヒット曲は、この社会が生き地獄であることを歌っているのだから──。

 新作のタイトルは『アンコール』で、これは本作が『モア・スペシャルズ』からの続きだということを意味している。メンバーは、リンヴァル・ゴールディング(g)、テリー・ホール(vo)、ホーレス・パンター(b)というオリジナルのフロントマンが揃っている。
 『アンコール』は、ジ・イコールズのカヴァーからはじまる。
 ジ・イコールズは60年代に結成されたUKのロック・バンドで、当時としては珍しい白黒混合のバンドだった。のちにレゲエ・アーティストとして有名になるエディ・グラントが在籍していたことで知られているし、ザ・クラッシュは『サンディニスタ!』において彼らの“ポリス・オン・マイ・バックをカヴァーしているわけだが、ザ・スペシャルズが選んだのは、1970年のヒット曲“Black Skin Blue Eyed Boys”だ。この曲に続く2曲目は、今作のためのオリジナル曲で“B.L.M.”……これはもうブラック・ライヴズ・マターということで間違いないだろうし、この2曲の並びをみても本作でのザ・スペシャルズのメッセージのひとつは見えてくる。

 しかしながら、ぼくのような古いファンはノスタルジーを禁じ得ないだろう。3曲目の“Vote For Me”の曲調およびピアノのフレーズは、“ゴーストタウン”を思い出さないわけにいかない。FB3のカヴァー曲もある。ラテン調の“The Lunatics”(狂人たち)は、もともとは“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”(狂人たちが弱者の場さえ支配した)という長い曲名で、FB3のファースト・アルバムに収録されていた。FB3には、“Our Lips Are Sealed”(ぼくらの口は封じられている)という最高のキラーチューンがあるのだけれど、本作で演っているのはへヴィーな曲である。
 気怠いラテンのリズムは、今作のためのオリジナル曲のひとつ、インターネット社会の憂鬱を歌詞にしているという“Breaking Point”でも展開されているが、その曲が終わるとルードボーイ・クラシックのザ・ヴァレンタインズ“Blam Blam Fever”(別名“ガンズ・フィーヴァー”)のカヴァーが待っている。そして、銃について風刺したその曲が終わると、冒頭で紹介した“10 Commandmentsl”がはじまる。このあたりは『アンコール』におけるクライマックスだ。

 8曲目は、“Embarrassed By You”(あんたのおかげで困窮している)という、いかにもザ・スペシャルズらしい曲名のレゲエ・ナンバー。難解な言葉や文学的な言い回しはしない、シンプルで直球な言葉遣いは彼らの魅力のひとつで、それは本作でも変わっていない。そして、座ってでしか音楽を聴いていない連中を嘲るかのように、踊れない曲はつまらない(労働者階級ほど踊る音楽好きである)というアプローチも一貫している。しかしながら、踊れる曲であっても楽しげである必要はないということを実践したのもザ・スペシャルズだった。“The Life And Times (Of A Man Called Depression)”(うつ病と呼ばれた男の人生と時代)は、曲名が言うように物憂げな曲で、UKガラージのリズムが取り込まれている。『アンコール』の最後は、“We Sell Hope”(我々は希望を売る)というアイロニカルな題名の曲で締められる。このなんとも後味の悪い終わり方がいい(笑)。
 そもそもパンクたるもの、アンコールなんてものには応じないのが流儀だった。だからこの『アンコール』には、バンド内でもやや自嘲的な思いがあったのかもしれない。それでもザ・スペシャルズは、その21世紀版としてよくやったと思う。40年前にはできなかったことをやってのけたのだから。ちなみにもう1枚のCDには、ファン・サーヴィスというか、お約束というか、この手のベテラン再結成にありがちなライヴ演奏(2014年、2016年)が収められている。これは、ま、ご愛敬ということで。


追記:ぼくは知らなかったんだけれど、ザ・スペシャルズはテリー・ホール抜きの(もちろんジェリー・ダマーズ抜きの)メンバーで、1996年から2001年のあいだに4枚のアルバムを出している。この時期のオリジナルのメンバーは、リンヴァル・ゴールディングとネヴィル・ステイプルズのふたり(ともに元FB3)。で、これが意外と良かったりするから困る。ザ・クラッシュの“誰かが殺された”や“プレッシャー・ドロップ”のカヴァーなんてかなり良い。主役抜きのバンドが名前だけで続ける──よくある話だが、ザ・スペシャルズのおそろしいところは、それさえも素晴らしいという点だ。テリー・ホールの陰鬱やジェリー・ダマーズの作り込みはない。しかし、ゴールディング&ステイプルズはバンドの魂を保持していたと。ちゃんと聴いておけばよかったな。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467