Home > Reviews > Album Reviews > Mount Kimbie- Love What Survives
ドミニク・メイカーとカイ・カンポスによるマウント・キンビーは、2010年代のビート・ミュージックにおいて常に新しいサウンドスケープを生みだしてきたバンド/ユニットである。いわゆるポスト・ダブステップの先駆的な存在として知られる彼らだが、その音楽性はひとつのジャンルに収束・回収できるようなものではない。ダブステップ、ベース・ミュージック、アンビエント、ヒップホップ、テクノなどの様々なエレクトロニック・ミュージックが渾然一体となってなり、まさにマウント・キンビー的としか言いようのないビート・ミュージックを形成しているのだ。
しかし、である。では「マウント・キンビー的な音とは何か?」と考え直すと、今度は途方に暮れてしまう。なんというか不意にどこかに逃げ去ってしまうような身軽さを感じられるのだ。一時期はジェイムス・ブレイクが共にプレイしていたことでも知られ、2010年代のビート・ミュージックにおいて先駆的な存在である彼らだが、いまだ実体が掴み切れない謎な感覚がある。じじつ、この新作『ラブ・ホワット・サバイブス』でも、彼らはスタイルをまたも変貌させている。
『ラブ・ホワット・サバイブス』は、2013年のセカンド・アルバム『コールド・スプリング・フォルト・レス・ユース』以来、実に4年ぶりのアルバムである。3年の月日をかけて制作された楽曲群が11曲(日本盤にはボーナストラックが1曲追加されている)収録されているが、当然のことながら本作もまた新たなサウンド・モードへと突入しており、安直な自己模倣には陥っていない。その名を知らしめたファースト・アルバム『クルックス&ラヴァーズ』(2010)とも、〈ワープ〉に移籍し多くのリスナーを獲得した『コールド・スプリング・フォルト・レス・ユース』ともまったく違う音楽性へと変貌を遂げている。それでいてやはりマウント・キンビーはマウント・キンビーであるという分母、つまりはビート・ミュージックの実験と現在の追求という点では一貫しているのだ。
では、どういった変化なのか。端的にいって現行インディ的・パンク的というか、非常に開放感に満ちたシンプルでパンキッシュな音楽性を展開しているのだ。と同時に何かに祈るような深い崇高さすらも感じさせる。パンクと崇高。二重性こそ本作のポイントではないかと思う。具体的にはシンプルなビートをサウンドのテクスチャーに気を使いながら組み上げ、シンセサイザーのノイジーな音とレイヤーさせている。じっさい、アルバムは主にコルグ社MS-20とデルタといった2台の古いシンセサイザーを用いて制作されたというのだが、これは自分たちのこれまでのプロセスをいったん払拭し、新たな音楽を生み出すためのクリエイティヴな制限とでもいうべきものであろう。
その結果、アルバムのサウンドは、単に新しいだけでも、単に古いだけでもない独特な質感を生み出すことに成功している。カイ・カンポスは本作を称して「パンクかつジャンキーで、ロバート・ワイアット的な音質」と語っている(アルバムのキーのひとつに3コードのコード進行とパンキッシュなビートがあるように思える)。パンクとロバート・ワイアット。いわば攻撃と静謐か。本作特有の二重性が端的な言葉で語られているといえる。
アルバム前半はパンキッシュなモードでスピード感と開放感に満ちた楽曲を収録している。 アンビエントなイントロから次第に前面化してくる乾いたビートと電子ノイズが気持ち良い1曲め“Four Years and One Day”、前作(“You Took Your Time”、“Meter, Pale, Tone”)にも参加したキング・クルエルの掠れた声のシャウトと、前のめりのハットとビートが焦燥感に満ちているハードコアな2曲め“Blue Train Lines”、70年代のクラウトロックと80年代のテクノポップをミックスさせたような3曲め“Audition”、インディ/エクスペリメンタル・ミュージック界隈を魅了し、そのうえグラミー受賞の映画音楽も手掛けたミカチューを招いたニューウェイヴ/レゲエな4曲め“Marilyn”、そしてトライバルなリズムとパンキッシュでシンプルなコード進行とシンプルなビートをミックスさせたインストである5曲め“SP12 Beat”を経て、アンドレア・バレンシーを迎えた90年代のステレオラブを思わせるエクスペリメンタル・ミニマル・ポップの6曲め“You Look Certain (I'm Not So Sure)”まで一気に駆け抜ける。まるで現代のキッズたちに向けたパンク・ミュージックのように。
そして、インタールード的なピアノ・トラックの7曲め“Poison”を転換点とし、アルバムにはメランコリックなムードが満ちてくる。ロバート・ワイアットがエレクトロニック・ミュージックで復活したようなジェイムス・ブレイクのヴォーカルの8曲め“We Go Home Together”、80年代初頭のニューウェイヴな雰囲気が濃厚な9曲め“Delta”、ドミニク自身がヴォーカルを披露している10曲め“T.A.M.E.D”(彼らはこの曲を「マウント・キンビー版のポップ・ソング、完全にぶっとんでいるポップ・ソング」と語っている)と、シンプルな中にどこか内省的な香りを漂わすトラックを続けて展開するのだ。
アルバム・ラストである11曲め“How We Got By”において再びジェイムス・ブレイクを召喚し、まるで深い祈りのような曲を披露する。ブレイクのシルキーな声と雨粒のような透明なピアノと霧のごとき電子音が交錯し、崇高なムードすら漂わせる名曲である。この曲を持って『ラブ・ホワット・サバイブス』はしめやかな終焉を迎えるわけだ。
このように『ラブ・ホワット・サバイブス』は前半と後半で対照的な音楽を展開している。光と影。動と静。陰と陽。太陽と雨。もしかするとこの二重性はドミニク・メイカーがアメリカの西海岸に移住し、ロサンゼルスとロンドンの両都市を行き来するようにアルバムが創り上げられてきたことにもよるのかもしれない。
そして何よりこの二重性は、希望と絶望が混じり合う2017年以降の都市やストリートのムードに思いのほかしっくりと馴染む。無邪気に未来を求めるだけでもない。しかし単なる懐古趣味でもない。いわば、未来/ノスタルジア。そう、彼らはまたも時代にアジャストするサウンドスケープ/サウンドトラックを作り上げたのだ。
いずれにせよ『ラブ・ホワット・サバイブス』は、2017年におけるビート・ミュージックの転換を刻印した記念すべき作品である。もはやビート・ミュージックはエレクトロニック・ミュージックのクリシェを反復する必要はないと宣言しているように聴こえてくる(今年リリースされたアルバムではジャンルと音楽性の融解/越境という意味において、ローレル・ヘイローの新作『ダスト』に近いかもしれない)。
ジョイフルで、美しく、時代を、都市を、ストリートを疾走し、深い祈りを捧げる「音楽」であること。『ラブ・ホワット・サバイブス』には、そんなアティテュードがサウンド全体に漲っているように感じられた。まるで2017年の大人たち/子供たちに捧げる“キッズ・アー・オールライト”のようだ。
デンシノオト