「Low」と一致するもの

Oneohtrix Point Never - ele-king

 ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが『Again』以来、2年ぶりのアルバムを発表する。題して『トランキライザー(精神安定剤、鎮痛剤)』、つまりわれわれを穏やかにさせてくれるようなサウンドに満ちている、ということだろうか。いやいや、これまでも多くコンセプチュアルな作品を送りだしてきたダニエル・ロパティンのことだ。まったく逆の可能性だってありうるわけで……10月20日にMVとともに公開された新曲 “Lifeworld” と、その前日19日に投下された “For Residue” と “Bumpy” の都合3曲、むむむ、これはどっちだ……!? CDとLPの発売は11月21日、配信開始は11月17日とのことなので、OPNが踏みだす新たな一歩がどのようなものになっているのか、あれこれ想像を膨らませておこうではないか。

Oneohtrix Point Never

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー
ニュー・アルバム『Tranquilizer』を発表!
「For Residue」「Bumpy」「Lifeworld」の3曲が解禁!
アルバムは11月17日デジタル配信、11月21日にCD・LPが発売

現代音楽シーンにおいて、静かに、しかし圧倒的な影響力を持つワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下OPN)が、ニュー・アルバム『Tranquilizer』を発表! 〈Warp〉より11月17日(月)にデジタル/ストリーミングで配信がスタートし、11月21日(金)にCDとLPが発売される。アルバム発表にあわせて、新曲「For Residue」「Bumpy」「Lifeworld」が解禁され、OPNならではの幻想的で超現実的なサウンド世界が姿を現す。

Oneohtrix Point Never - Lifeworld (Official Video)
Youtube:https://youtu.be/YfjsyKFbyqM

「For Residue」「Bumpy」「Lifeworld」の3曲配信開始
https://warp.net/opn-tranquilizer

精神安定剤を意味する『Tranquilizer』の出発点は偶然の光景だった。歯医者の椅子に横たわり、歯に響く振動を受けながら、ふと見上げた蛍光灯のカバー。灰色のタイル天井に貼られた、青空とヤシの木のプリント──安っぽい人工の楽園。その瞬間、OPNは問いかける。この世界の音とは何か。日常と非日常がかろうじて均衡を保ちながら共存する、この薄っぺらな現実の音とは。

さらに、数年前、インターネット・アーカイブから、巨大なサンプル・ライブラリがインターネットから忽然と消えた事件も創作の引き金となった。90年代から2000年代にかけての何百枚ものクラシックなサンプルCD──シーケンス、ビート、パッド、バーチャル楽器。『サイレントヒル』から『X-ファイル』まで、数え切れない作品に陰影を与えてきた音源たちが、一瞬にして闇に呑み込まれたという出来事。それは文化の断絶、時代の記憶を繋ぐ回線が無慈悲に断ち切られるような体験だった。幸いにも、失われかけた音の断片は再び救出され、文化的アーカイブとして息を吹き返す。本作は、過去への逃避とは何を意味するのか、そしてその先に何が待っているのかを問いかけ、超現実的でディープなテクスチャーで聴く者を包み込む。

失われた音の断片をもとに、『Tranquilizer』は音の幻覚を描き出す。静謐なアンビエンスがデジタルの混沌へとねじれ、日常の質感は感情の奔流へと変容する。忘却と廃退に形づくられたレコード。現実と非現実の境界はぼやけ、サンプルはノイズへと溶け込み、夢の中で扉がきしむ音を立てる。今作のOPNは、これまで以上に没入的だ。ノスタルジーではなく、失われた音を新しい感情の器として再構築している。

このアルバムは、かつて商業用オーディオ・キットとして作られた音源群に形を与えた作品だ。陳腐なサウンドの索引を裏返しにしたようなもの。今日の文化の奥底にある狂気と倦怠を最もよく表現できる、プロセス重視の音楽制作へと回帰した作品なんだ。 ──Oneohtrix Point Never

アルバム発表にあわせて解禁された「For Residue」「Bumpy」「Lifeworld」の3曲は、メディアの崩壊、アンビエントな不穏さ、そして儚い美が交錯する、まさにOPNらしい世界が描かれている。

アートワークは、インディアナ州を拠点とするアーティスト、アブナー・ハーシュバーガーによって描かれた絵画で、アブナーが育ったノースダコタの平原を抽象的かつ有機的に再構築している。忘れ去られた素材や農村風景に根ざしたそのビジュアルは、『Tranquilizer』のテーマである崩壊、記憶、クラフト感と呼応する。

過去20年にわたり、OPNは世界有数の実験的エレクトロニック・ミュージックのプロデューサー/作曲家としてその名を確立し、21世紀の音楽表現を刷新し続けている。初期の『Eccojams』はヴェイパーウェイヴを生み出し、『R Plus Seven』や『Garden of Delete』といった作品はデジタル時代のアンビエント/実験音楽を再定義した。さらに、サフディ兄弟の『グッド・タイム(原題:Good Time)』と『アンカット・ダイヤモンド(原題:Uncut Gems)』やソフィア・コッポラの『ブリングリング(原題:The Bling Ring)』の映画音楽を手がけ、今年最も注目を集める映画のひとつであるジョシュ・サフディ監督作『Marty Supreme』の音楽も担当。またザ・ウィークエンド、チャーリーXCX、イギー・ポップ、デヴィッド・バーン、アノーニとのコラボレーションでも知られている。

OPN待望の最新アルバム『Tranquilizer』は、11月17日(月)にデジタル/ストリーミングで配信され、11月21日(金)にCDとLPが発売される。国内盤CDにはボーナストラック「For Residue (Extended)」が追加収録され、解説書が封入される。LPは通常盤(ブラック・ヴァイナル)に加え、限定盤(クリア・ヴァイナル)も発売。限定盤LPは数量限定の日本語帯付き仕様(解説書付)でも発売される。さらに国内盤CDと日本語帯付き仕様盤LPは、Tシャツ付きセットも発売決定。

label : BEAT RECORDS / Warp Records
artist : Oneohtrix Point Never
title : Tranquilizer
release : 2025.11.21
商品ページ : https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15439
TRACKLISTING :
01. For Residue
02. Bumpy
03. Lifeworld
04. Measuring Ruins
05. Modern Lust
06. Fear of Symmetry
07. Vestigel
08. Cherry Blue
09. Bell Scanner
10. D.I.S.
11. Tranquilizer
12. Storm Show
13. Petro
14. Rodl Glide
15. Waterfalls
16. For Residue (Extended) *Bonus Track

CD+Tシャツセット

LP+Tシャツ

CD

LP

限定LP


R.I.P. D’Angelo - ele-king

緊那羅:Desi La(訳:編集部)

 人は大衆音楽における「才能」について、歌声や見た目の特別さを指して語りがちだ。どんなふうに歌い、叫び、あるいは甘く歌い上げるのか、とか。だが、音を「どのように聴いているのか」、そしてさまざまなジャンルの音楽をレゴブロックのように組み合わせ、過去の黄金の瞬間を細かく分解し、それを吸収し、「なんてこった!」と神々しいまでに独自なひらめきにうなずきながら、人びとを椅子から立ち上がらせ、心を動かすようなかたちに再構築する、その才能についてはあまり語られないかもしれない。D’Angeloは、2025年10月14日、わずか51歳という若さでこの世を去った。彼をめぐっては、メディア、共演者、ファン、そして彼のイメージや遺産で商売をしようとするSNS上の人びとから、さまざまな思い出が語られるだろうけれど、彼に正しく敬意を捧げるためには、彼を「ミュージシャン」と呼ぶだけでは足りないと私は思っている。彼はむしろ「技師(エンジニア)」であり、「建築家」だった。プリンスやマイルス・デイヴィス、パーラメントのように音楽を構築した偉大な建築家たちの系譜に属する存在だ。

 インスタグラムを何気なくスクロールしていたとき、私は残念ながら、あの“Untitled (How Does It Feel)”のヴィデオでの一瞬の性的イメージばかりを強調するインフルエンサーたちの投稿を目にしてしまった。彼を性的対象としてしか見ないそうした悪魔的な心性こそが、いくつかある理由のうちのひとつ——彼がキャリアの大部分を通して長く姿を消していた理由のひとつ——ではないのか。あの映像で焼きついた彼の官能的なイメージは、当時の大衆の記憶から決して消えることはないだろう。が、それは彼の真の才能を示すものではなかった。彼を讃えるということは、彼が望んだかたちで見られること、そして彼の激しい努力の結実を讃えることでもある。

 D’Angelo——本名マイケル・ユージーン・アーチャー——はヴァージニア州の生まれで、ファレルと同郷である(ヴァージニアの水にはたしかに何かがあるのだろう)。彼は教会の少年として育ち、ゴスペルを愛し、そしてソウル、ロック、ファンクの黄金時代の巨人たち——アル・グリーン、ジミ・ヘンドリックス、フェラ・クティ、プリンスなど——に憧れた。彼のヒーローもまた、みんな同じく「建築家」だった。音に対する鋭敏な耳を持ち、アレンジ、バンドの選択、そして全体的なプレゼンテーションにおいて非凡なセンスを備えた音楽家たちだ。彼は成長するにつれて、それらの創造者たちの手がけた構造を解きほぐし、彼らがどう音楽を創出しているのかを考究した。とりわけ、プリンスだ。彼がひとりでスタジオとサウンド全体を完全に支配していたその姿に魅了され、「あれが自分だ」と感じたはずだ。

 音楽業界が何かとレッテルを貼りたがるなかで、D’Angeloが『Brown Sugar』でシーンに登場し、最初のすばらしい成功を収めてから、彼には「ネオ・ソウル」という称号が与えられた。1995年のデビュー当時から、そして続いて登場したエリカ・バドゥの『Baduizm』(1997年)などと並び、その呼称は一定の妥当性を持っていたと言える。というのも、ヒップホップはもともとソウル/ファンクに影響を受けており、ネオ・ソウルの進化は、文化的にも経済的にも支配的となったヒップホップからの影響の「フィードバック・ループ」を示していたからだ。セクシーでチルなヴァイブス、しかもストリートの匂いもある。
 じっさいD’Angelo はネオ・ソウルの特徴をすべて体現していた——ヒップホップの影響を受けたタイトなビート、滑らかなヴォーカル、無駄のないプロダクション、社会的意識をもった歌詞、グルーヴに乗った重心の低いフロー、そして技巧に走らないセクシーな歌声……。
 多くのミュージシャンとは異なり、D’Angeloが遺した公式アルバムはわずか3枚のみだ。しかしそのどれもが前作を凌ぐ傑作であり、『Black Messiah』(2014)はまさにその頂点に立つ作品だった。彼が病に倒れる前に取り組んでいた未発表の音楽も、いずれ何らかの形で日の目を見ることになるだろうが、現時点では、『Black Messiah』こそが彼の到達点であり頂点である。もちろんそれは、『Voodoo』(2000)や『Brown Sugar』を軽んじてよいという意味ではない。むしろいまとなっては、これら2作を、音楽だけにすべてを賭けたひとりの男が歩んできた、その進化の道筋としても味わえる。

 もし私が「ブラックネス(黒人性)」という概念を音楽的革命として講義する授業を開くとしたら、『Black Messiah』収録の“The Door”という曲をかけるだろう。70年代的なハーモニーとファンクのリフが全編を覆い、厚みのあるファンク・ベースが鳴り響き、1940年代のブルーズ的スライド・ギターのクレッシェンドでは、スライドが弦に擦れる音までミックスに残されている。90年代的なデジタル録音のようなアンプ・ディストーションはなく、リラックスしたホンキートンク調のビートに乗せたファルセットの歌声。ファンク特有の切れ味あるストップ&スタートのイントネーションがありながら、歌唱技巧を排している。そしてたしかなダウンビートが、教室で机を叩いてビートを刻み、まわりの仲間が手拍子を合わせていた高校時代のあの瞬間を黒人たちに思い起こさせる。そうしたすべてが、この1曲のなかに凝縮されている。
 D’Angelo はまた、「ブラック/アフリカ的な音楽学習法」の価値を体現していた。ブルーズ、ゴスペル、ジャズ、あるいはアフリカの伝統音楽——いずれにおいても、黒人音楽とは共同体的な営みであり、集中して意図的に聴くことによって成り立っている。複数のパートが重層的に動きながらも、汗をかくことなく完璧に同期している。ビートとビートのあいだにはたっぷりとした呼吸がある。「重要なのは何を演奏するかではなく、何を演奏しないかだ」とマイルス・デイヴィスが言ったように。
 デビュー作で成功を収めたにもかかわらず、D’Angelo は資本主義的商業システム——すなわち大手レーベルという獣——の餌食になることを拒んだ。アーティストの首筋に息を吹きかけ、スタジオに押しかけては「早くリリースを」「長いツアーを」「最大の利益を」と迫る連中に対して、彼は「くそくらえ」と言い放ち、ルーツのクエストラヴとともに5年間もの冬眠に入ったのだ。……5年だ! 大学の学位を取るより長い。その「大学」が『Voodoo』であり、さらにそれを3倍にしたものが『Black Messiah』だった。
 反資本主義的な精神を貫きながら、D’Angelo は「ブラック・ヒストリーの音」を追い求め、それに人生を捧げた。彼は、過去の偉大な音楽家たちの独自性の蒐集家であり、各アルバムの制作にあたっては、その音楽を研究し、向き合い、ジャムし、さらにまた向き合い、あらたな協働者を招き入れてはまた向き合い、ヴォーカルだけで2年を費やしてもなお、音楽とともに座り続けた。その結果、『Voodoo』と『Black Messiah』は聴く者の前で雲を切り裂き、天を開く。細部にまでこだわり抜いたサウンド・デザインが機能する要素を徹底的に磨き上げ、極限まで高めている。
 建築家とは機械や建物の「内部構造」を見る者である。それを組み合わせることで以前よりも高い創意を生み出す。構造の逆解析を行い、どの瞬間においても楽曲を「最高なもの」として立ち上がらせる。そのような能力を持つ者。D’Angeloには「駄作」と呼べるアルバムがひとつもない。それは、彼が——良い意味で——あまりにも「良いアルバムを作ること」に執心していたからだ。そして、彼は待ち、さらに待ち続け、それが熟するのを見届けた。

 D’Angelo の壮大さ、彼のパフォーマンス、優しさ、録音作品は、視界の果てまで広がるほどの賛辞の波を呼び起こした。しかし残念なことに、彼を苦しめたある種の悪魔が誘発した逮捕、依存、鬱などが彼の早すぎる死に影響した可能性がある。皮肉なことに、彼を押し上げたその「社会的イメージ」こそが彼の首にかかった重すぎる錨となり、彼はそこから抜け出そうともがいた。注目すべきは、『Black Messiah』がD’Angeloのアルバムのなかで唯一、彼自身の姿がジャケットの表にもその裏面にも登場していない作品であるという点だ。焦点は完全に「作品そのもの」に置かれている。
 彼の焦点は、つねに芸術そのものに向けられていたのだ。そして2025年のいま、私たちはようやくその全体像を享受できるのである。その美しさ——彼の微笑み、その語り口、彼が遺した物語とそこに刻まれた教訓、そして何よりも音楽への絶対的な献身——そのすべてを、ありのままに味わえるのだ。


People often talk of talent as if it`s only a person’s singular singing voice or their particular look. How they sing, shout or croon. But not enough of how they hear and put the Lego blocks of multiple genres of music together, pick apart the golden moments of excellence of the past, take them in and head nod to the “goddamn!” pure heavenly idiosyncrasies and reassemble them in a way that move people from their seats and into their hearts. D`Angelo has left us at the early age of 51 years old this past October 14th 2025. There will be many memories of him from media, collaborators, fans and social media types looking to capitalize on his image and legacy. But to properly give tribute to him, I feel it`s appropriate to knight him not a mere musician but an engineer. An architect. In the vein of other architects like Prince or Miles Davis or Parliament. Doomscrolling on Instagram, I unfortunately ran across posts by influencers only emphasizing his sexuality from that one moment in time with the video "Untitled (How Does It Feel)", but that objectifying demon mind is actually the reason among several others for his long absence for the majority of his career. That image will never disappear from the public conscious of that time but that wasn`t his talent. To honor him is to honor how he wanted to be seen and the result of his intense efforts.

D`Angelo, born Michael Eugene Archer in Virginia, just like Pharrell (I think there is something in the water in VA for sure), was a church boy who grew up with love for the Gospel and love for the titans of the soul, rock, and funk era, i.e. Al Green, Jimi Hendrix, Fela Kuti, and Prince just to name a few. All his heroes were also fellow architects. Musicians with keen ears for sound, arrangement, band selection, and overall presentation. And as he grew up dissecting those creators and how they moved - he particularly was mesmerized by Prince`s one man command over the studio and his sound - D`Angelo said that`s me.

With the music industries need to label, D`Angelo`s entry into the scene and initial success with “Brown Sugar” was given the mantle of Neo-Soul. And to some extent with his debut in the 1995 and other titanic releases in the same period like Erykah Badu`s Baduizm in 1997, this is warranted as hip hop was initially influenced by soul/funk and Neo-Soul`s evolution signaled a feedback loop of influence by the dominance of hip hop culturally and financially. Sexy chill vibes but street.

D`Angelo exhibited the hallmarks of what was to be Neo- Soul; clear, hard hip-hop influenced beats, smooth vocals, uncluttered productions, socially relevant lyrics, in the pocket groove heavy flows, and sexy vocals that avoided theatrical gymnastics.

Until many musicians, D`Angelo leaves behind only 3 official albums. But each one is a classic greater than the one before with “Black Messiah” being the crowning achievement. I`m sure that music he was working on before his previously unannounced cancer disabled him will see the light of day in some way, but for now “Black Messiah” is the apex of his known work. That doesn`t mean sleep on “Voodoo” or “Brown Sugar.” Instead, just enjoy the evolution from a man solely focused on it.

If I could teach a class on blackness as a concept of musical revolution, I might play a song like “The Door” from “Black Messiah.” An unassuming song drenched in 70`s harmonic funk recitations, thick funk bass, 1940`s blues slide crescendos with the noise of the slide gracing the strings left in the mix, no amp distortion a la 1990`s digital recording, falsetto singing to a relaxed honky tonk sing song beat, the crispness of funk stop start intonation leaving out vocal gymnastics, and a solid down beat that gives black people memories of that guy in the class room who banged on the desk in high school to make a fire beat while his friends clapped in unison around. All of this in one song.

D`Angelo also represents the value of the Black / African method of studying music. Black music, whether blues or gospel or jazz or traditional African, is a communal situation filled with intensive intentional listening, focused and deliberate, layered instrumentation with multiple parts moving but in sync without breaking a sweat. Lots of breathing between the beats. “It`s not what you play but what you don`t” as Miles Davis used to say. D`Angelo despite his debut album success, refused to be the meat for the capitalist commercial beasts that major labels often are, breathing down the necks of artists, visiting them in the studio in effort to push them for a quick release, a long tour, and maximum profits. D`Angelo said fuck them and went into a five year hibernation with Questlove of The Roots ..... 5 YEARS!!!! just to produce “Voodoo.” 5 years is longer than

getting your degree in university. In this case though, the university was “Voodoo” and then times that by 3 with “Black Messiah.” Anti-capitalist in his endeavours, D`Angelo rested on his devotion to the “sound” of Black history in his eyes. A collector of the idiosyncrasies among his favorite musicians of the past, in making each album, he studied and sat with the music, jammed and sat with the music, invited new collaborators and then sat with the music, spent almost 2 years just doing vocals and still sat with the music. And it shows cause in particular “Voodoo” and “Black Messiah” separate the clouds from the heavens for listeners, letting loose a sound design meticulous with it`s attention to the things that work and amping them up.

An architect sees the inside of the machine or the building, the innerworks that when put together create greater ingenuity that before, reversed analysis of construction that allows each song to be see at a moment`s notice as great. D`Angelo doesn`t have any bad albums because he was too intent (in a good way) to make a good album. And he waited and waited til it gestated.

Though the grandeur of D`Angelo, his performances, his kindness, his recordings created waves of accolades that rolled exponentially as far as the eye could see, unfortunately certain demons haunted him leading to arrests, addiction, depression and so forth, all of which may have contributed to his untimely departure. His social image, the very thing that propelled him forward became an albatross, too heavy to bear but he did his best to break free. Take deep note that “Black Messiah” is the only D`Angelo album where he doesn`t appear on the cover or back sleeve. The focus was fully on his art. The beauty now of 2025 is we can enjoy the beauty of his smile, his diction, his stories, lessons learned and absolute devotion to music.

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高橋芳朗

 ディアンジェロが逝ってしまった。死因は膵臓癌。51歳だった。かつての公私におけるパートナー、アンジー・ストーンが3月1日に交通事故で他界したのがまだ記憶に新しい中での思いがけない訃報。プリンスと共に彼の最大のインスピレーション源だったスライ・ストーンも6月9日に亡くなったばかりだ。スライの死を受けて、ディアンジェロの諸作を改めて聴き直していた方も多かったと思う。

 ディアンジェロは、1990年代以降で最も強大な影響力を有したアーティストのひとりだ。ただし、彼が30年に及ぶキャリアで残したアルバムはたったの3作。1995年の『Brown Sugar』、2000年の『Voodoo』、そして2014年の『Black Messiah』。もともと完璧主義だったことに加え、2000年代は薬物/アルコール依存、相次ぐ逮捕騒動などで活動が停滞。寡作ぶりに拍車をかけることになった。

 ディアンジェロの3作のアルバムはすべて掛け値なしに破格の傑作といえるが、彼は現在に至る名声を実質最初の2作で確立している。人種差別撤廃を訴えるブラック・ライヴズ・マター運動を背景に作られ、ザ・ルーツのクエストラヴが「俺たちの世代にとっての『There's a Riot Goin' On』」と激賞した『Black Messiah』も強力だが、真のゲームチェンジャーはやはり『Brown Sugar』と『Voodoo』。特に『Voodoo』は決定的だった。

 ビヨンセはディアンジェロへの追悼コメントで彼を「The Pioneer of Neo-Soul」と讃えたが、ディアンジェロが『Brown Sugar』と『Voodoo』によって果たした功績を端的にまとめるならば、それはまさに「ネオソウルの音楽像を作り上げたこと」となる。ディアンジェロが編み出したネオソウル・サウンドの最大の特徴は、J・ディラの作風に着想を得た揺らぎ(ズレ)のあるビート、そこから生じる聴く者をじわじわと引きずり込んでいくような深みのあるグルーヴ。その原点といえる試みは『Brown Sugar』収録の “Me and Those Dreamin' Eyes of Mine” で確認できるが、完成を迎えるのは5年後の『Voodoo』まで待たなくてはならない。

 『Voodoo』のビートの革新性は、レコーディング時の数々の逸話が浮き彫りにしてくれる。たとえば、ギタリストとしてのゲスト参加が決まっていたレニー・クラヴィッツがサンプル・トラックのドラム・パターンに違和感を訴えて「これでは演奏ができない」と辞退したエピソードなどは、ディアンジェロが描いていたヴィジョンがいかにセオリーから逸脱していたかを示す好例だろう。だが、何よりも興味深いのは『Voodoo』の大半の曲でドラムを担当しているクエストラヴの証言だ。彼はレコーディングに際して、ディアンジェロから「徹底的に正確さを削ぎ落としてほしい。絶対にうまくいくから俺を信じろ。グルーヴをキープしつつ、とにかくだらしなく叩くんだ」と要求されたという。

 正確さこそが命であると考えていたクエストラヴはディアンジェロの注文通りに演奏するのに約1ヶ月もの時間を費やしたそうだが、その成果──クエストラヴが言うところの「泥酔しているかのような演奏」──が最も如実に表れているのが以降ネオソウルのひとつのプロトタイプとして継承されていくことになる “Playa Playa”や “Chicken Grease” だ。ここで打ち出されているフィーリングは現在ネオソウルとして紹介されているあらゆる作品から聴き取れるのはもちろん、もはや今日のモダン・ミュージックを語る上で欠かせないものになっている。

 ミュージック・ビデオと併せてディアンジェロのアイコンになっている “Untitled (How Does it Feel)” がたくさんのオマージュ・ソングを生み出し続けている事実も含め、彼と『Voodoo』の遺伝子はいまもなおそこかしこで見つけることができる。ディアンジェロのデビューから30年、『Voodoo』のリリースから25年。これだけの歳月を経ているにもかかわらず、そのレガシーがなんら古びることなくフレッシュなアイデアとして有効性を維持しているのは驚異的と言うほかない。1990年代にデビューしたレジェンドのなかでも、ディアンジェロの音楽は若い世代にとって比較的「近い」位置にあったのではないだろうか。

 でもだからこそ、この世界にディアンジェロがいない現実をなかなか受け止めきれずにいる。ジョージ・クリントンがケンドリック・ラマーやフライング・ロータスとコラボするような未来が、きっと彼にもあったと思うのだ。

Kara-Lis Coverdale - ele-king

 エストニア系カナダ人の作曲家/サウンドアーティスト、カラ=リス・カヴァーデイル。彼女はその新作『A Series of Actions in a Sphere of Forever』で「沈黙の向こう側にある音楽」を提示している。いわば21世紀における新しいノクターン(夜想曲)を提示するこのアルバムは、深夜の静けさを思わせる旋律がゆるやかに漂い、聴き手の感覚に揺さぶりをかけてくれる。「音」と「沈黙」の境界にある感覚を呼び覚ますのだ。

 その独自の音楽観を理解するために、まずカヴァーデイルの歩みを振り返ってみたい。芸術家の家系に生まれたカヴァーデイルは幼少期から音楽に親しみ、5歳でピアノを始めた。早くから作曲や即興の才能を開花させ、何と13〜14歳にはカナダの複数の教会でオルガニスト兼音楽監督を務めていたという。
 その後、オンタリオ州のウェスタン・オンタリオ大学でピアノ、作曲、音楽学を学んでいる。2010年にモントリオールへ拠点を移すと、エレクトロニック音楽制作に本格的に取り組む。あのティム・ヘッカーらとも交流・共演を重ねた。
 2014年に〈Constellation Tatsu〉からカセット作品『A 480』を発表する。翌2015年には〈Sacred Phrases〉から『Aftertouches』を、〈Umor Rex〉からはLXV(デイヴィッド・サットン)との共作『Sirens』をリリースした。2017年の『Grafts』では神話的なサウンドスケープを提示し、『Aftertouches』、『Sirens』、『Grafts』の3作は、2010年代のアンビエント/実験音楽シーンで大きな注目を集め、同時代を代表する作品のひとつとなった。私見ではワン・オートリックス・ポイント・ネヴァーと並ぶ10年代的な電子音楽/アンビエントを象徴するアーティストと思っている。
 だが、アルバムリリースは2017年以降、途切れた。確かに、その後も演奏やインスタレーションなど多彩な活動を展開していたが、アルバムや音源のリリースはほとんどされなかったのだ。私は一ファンとしてリリースをずっと待ち望んでいた。
 そして2025年5月。前作『Grafts』以来、なんと8年ぶりとなる新作『From Where You Came』をノルウェー・オスロのレーベル〈Smalltown Supersound〉から発表されたのだ。しかしこのアルバムは私を少なからず困惑させた。不穏なアートワークと宗教的なアンビエント・シューゲイザーとでも形容したい音がどうしようもない齟齬を生み、どう評価すべきかすぐには分からなかったのだ。
 そのリリースから、わずか4か月後の9月、彼女はピアノ・ソロによる『A Series of Actions in a Sphere of Forever』をリリースした。アンビエントや電子音響を探求してきたカヴァーデイルが、自らの原点である「ピアノ」を通して、改めて「音とは何か」を問い直した作品であった。
 私は『A Series of Actions in a Sphere of Forever』を聴き、初めて『From Where You Came』を理解できたと思った。天国的・神話的な世界からこの苦難に満ちた現実に彼女は「帰還」したのだと思う。
 それゆえ、まず新作を語る前に、前作『From Where You Came』に触れておく必要がある。『From Where You Came』は、パリのGRMやストックホルムEMSで録音され、最終的にオンタリオの田園地帯で完成した本作には、チェリストのアン・ボーンやトロンボーン奏者カリア・ヴァンディーヴァーが参加。弦、管、鍵盤、モジュラー・シンセが交錯し、アニミズムと動物性を往還する全11曲のアンビエント・アルバムとなった。冒頭曲“Eternity”で彼女自身の声が響く。
 「すべては現実、人生は美しい」。それは生の肯定を宣言する言葉であり、喪失や孤独を幻想的な音響叙事詩へと変換していた。その二面性が、不穏なアルバムのアートワークにも刻まれている。
 一方、新作『A Series of Actions in a Sphere of Forever』は大きな転換を示す。収録されたのは9曲のソロ・ピアノ作品のみ。これまで『Aftertouches』『Grafts』『From Where You Came』で電子音響とミニマル・ミュージックの交差を探究してきたカヴァーデイルは、今回はアコースティックの純度に耳を澄まし、ピアノの共鳴そのものに集中する。
 沈黙と静謐への傾斜は一層深まり、その音楽はブラームスのピアノ・ソナタを思わせる後期ロマン派的な気配を帯びる。ここでは「音」と「沈黙」の境界が溶け合い、聴き手は音の生成と消滅の双方に向き合う。
 まさに「沈黙の向こう側」である。天国的な宗教音楽/アンビエト・シューゲイザーからこの世界(現実)にある「沈黙」に耳を澄まし、そこにある「音」を見出すこと。受難と苦難を引き受け、「音楽」そのものを見出すこと。

 オンタリオの冬のスタジオで録音された『A Series of Actions in a Sphere of Forever』の9曲は、一見すると伝統的なノクターンの系譜に連なる。しかしそれはショパンやドビュッシーが描いた夢想的な夜ではなく、さらに深い夜更けに属する抽象的で観念的な「夜」だ。旋律は蜘蛛の糸のように繊細でありながら、濃密な流体を進むような確かな手応えをもつ。「夜を聴く」とは、空気の影に触れる行為なのかもしれない。
 1曲目 “Kõne, Vastu” は沈黙の森を歩くようにゆっくり進み、音と音の間の静寂そのものを響かせる。2曲目 “In Charge of the Hour” では、ショパンが21世紀に甦ったかのような優美な楽曲が展開される。3曲目 “Vortex” は不安定に崩れ落ちる響きが不協和に至る直前で踏みとどまり、ロマンティックな光を放つ。
 4曲目 “Circularism” では翳りの中にわずかな明るさが差し込み、遠くからピアノの高音が滲むように聴こえてくる。ここまでの流れだけでも、カヴァーデイルの作曲家としての力量は明らかだ。通俗的な旋律や単純なミニマリズムに頼らず、モダン・クラシカルの豊かな音楽性を展開している。
 5曲目 “Lowlands” ではプリペアド・ピアノを思わせる響きが現れ、6曲目 “Cumulative Resolution”、7曲目 “Turning Multitudes”、8曲目 “Soft Fold 3/4” と進むにつれ旋律は次第に明確化し、まるで朝霧の森を歩くような音楽が展開される。そして9曲目 “Suspension of Swallowed Earth” で音楽はふいに途切れ、残響だけが静謐に響きながら幕を閉じる。夜の終わり、そして夜明けの光が訪れる瞬間である。
 本作を貫くのはピアノの自然な共鳴だ。電子的処理は最小限に抑えられ、旋律をかすかに滲ませ、倍音を柔らかく重ねる程度にとどまる。演奏者の呼吸音すら取り込み、身体のリズムと楽器の響きが重なり合う。
 演奏は抽象的な音の配置ではなく、生身の呼吸を伴う出来事として立ち上がる。テンポは一貫して遅く、旋律の生成と同じくらい、その消滅の過程に重きが置かれている。減速と抑制の中から立ち上がる情感は、ルネサンス後期の旋法や戦後ミニマリズムの技法、そしてカヴァーデイル独自の音楽体系に支えられている。
 『A Series of Actions in a Sphere of Forever』は、過剰な音響を排し、ピアノという最小の装置を通じて世界を再構築する試みだ。呼吸と残響、発生と消滅。そのすべてが有機的な循環を描き、聴き手を夜の深淵へと導く。このアルバムは「空間におけるハーモニーの探究」であり「沈黙へのアンチテーゼ」なのだ。ロマン派的な響きを宿しながらも同時に現代的であるのは、この音響を姿勢ゆえだろう。

 外界と身体の遭遇による不安と共鳴を描いた『From Where You Came』から、内奥の静謐を追求する『A Series of Actions in a Sphere of Forever』へ。二作を並べて聴けば、カヴァーデイルがいかに「沈黙」に挑み、その向こうにある「音楽」を切り拓いてきたのか、そのさまが鮮やかに浮かび上がるはずだ。

9月のジャズ - ele-king

 英国はレゲエをはじめ、スカやダブ、ダンスホールなどの影響が強い国である。かつて統治下にあったジャマイカからの移民が多く住み、サウンドシステムなどの音楽文化やダブ・ミックスの手法が育まれていくなかで、レゲエやダブはほかの音楽と交配してきた歴史がある。それはジャズの世界においても言えるところであり、今月はそうしたレゲエ/ダブの要素が濃厚な作品が集まった。

Steam Down
I Realised It Was Me

Ganix Recordings

 スティーム・ダウンはマルチ・インスト奏者のアナンセことウェイン・フランシスによって2017年に結成されたグループで、音楽制作からイベント開催など複合的な活動をおこなう。ウェイン・フランシスはかつてユナイテッド・ヴァイブレーションズのメンバーで、テオン・クロスやイル・コンシダードなど南ロンドンのジャズ・シーンのアーティストらの作品にも加わると同時に、ディーゴ&カイディ、IGカルチャー、ポール・ホワイトなどクラブ・カルチャーにも関わってきた。
 ロンドン南東部のペッカムを拠点に活動するスティーム・ダウンは、ドミニック・キャニングなどのジャズ・ミュージシャンからラッパーやシンガーもいろいろと参加しており、ライヴやレコーディングごとにメンバーが入れ替わるコレクティブに近い形態である。2019年にデビュー・シングルの “Free My Skin” をリリースするが、アフロビートとダブステップ、グライムが結びついたエズラ・コレクティヴに近いようなナンバーで、自らをアフロ・パンク・バンドと形容する彼ららしい作品と言える。その後、2020年に〈ブルーノート〉のオムニバス企画『Blue Note Re:Imagined』への参加を経て、2021年にEPの「Five Fruit」を発表。ジャズ、アフロ、ヒップホップ、グライム、R&B、ドラムンベース、ダブステップなどが結びついたストリート・サウンドを展開している。ジャズとクラブ・サウンドの融合具合では、エズラ・コレクティヴ、ブルーラブビーツノイエ・グラフィック・アンサンブルなどに匹敵するか、それ以上とも言える。

 その『Five Fruit』から久々にリリースしたのがファースト・アルバムの『I Realized It Was Me』となる。今回もジャズとアフロやクラブ・サウンドの融合は見られるが、全体に感じられるのはレゲエやダブとの結びつきの深さである。“Sum Of Thing” はボブ・マーリー、ピーター・トッシュ、アスワド、サード・ワールドといったレゲエのレジェンドたちを彷彿とさせる作品で、ソウルやファンク、ジャズ・ファンクと結びついて独特のUKレゲエが生み出された英国の音楽文化ならではの果実と言える。シンガー/ラッパーのアフロノート・ズーをフィーチャーした “Tempest” は、ジャズとダブ、ダブステップを融合した作品でサンズ・オブ・ケメットに近い作品。アフロノート・ズーの歌も、例えばホレス・アンディやビム・シャーマンのような往年のレゲエ・シンガーのそれを彷彿とさせる。“Let It Go” は深みのあるダビーなソウル・ナンバーで、サックスやドラムの即興的な演奏は南ロンドンのジャズらしい。レゲエやダブ・カルチャーと密接に結びついていたマッシヴ・アタックやスミス&マイティーなど、ブリストル・サウンドやトリップ・ホップと近似する部分も見いだせる楽曲だ。


Joe Armon-Jones
All The Quiet (Part 1) / All The Quiet (Part 2)

Aquarii / ビート

 リリースとしては春から夏にかけてだが、ジョー・アーモン・ジョーンズが『All The Quiet』をパート1と2に分けてリリースした。ジョー・アーモン・ジョーンズは自身のレーベルの〈アクエリー〉を2021年にリリースしてから、ジャズよりもほかの音楽的要素の強い作品をリリースする傾向があり、2024年にリリースした「Wrong Side Of Town」「Ceasefire」「Sorrow」という一連の12インチEPは、完全なレゲエ/ダブ集というべきものだった。『All The Quiet』についてはジャズ・ファンク、アフロ、ソウル、ブロークンビーツ、ヒップホップなど雑多な要素が結びついたジョー・アーモン・ジョーンズらしいアルバムであるが、やはり彼の音楽的基盤のひとつであるレゲエやダブの要素も入っている。

 演奏メンバーは全てクレジットされていないが、ヌバイア・ガルシアオスカー・ジェロームといったいつも演奏を共にするメンバーが参加。そして、ウー・ルー、ヤスミン・レイシー、グリーンティー・ペン、ハク・ベイカー、アシェバー、ゴヤ・グンバニらがシンガーとして参加。このなかでハク・ベイカー、アシェバー、ゴヤ・グンバニはアフロ・レゲエやラガマフィン系の歌を持ち味とする人たちだ。ハク・ベイカーをフィーチャーしたパート2の “Acknowledgement Is Key” はディープなテイストのジャズ・ファンクで、ジョー・アーモン・ジョーンズの鍵盤演奏も往年のウェルドン・アーヴィンを彷彿とさせる。楽曲全体にダビーなミックスが施されており、後半のハク・ベイカーの歌はナイヤビンギのようにラスタファリの思想に満ちている。スピリチュアリズムという点ではルーツ・レゲエに通じる作品と言えよう。
 アシェバーをフィーチャーしたパート1の “Kingfisher” は、ブロークンビーツ調のリズムとアシェバーの開放感に満ちたヴォーカルが結びついて、ジャマイカン・ジャズというかカリビアン・ジャズとでも言うような作品となっている。パート1の “Lifetones” は1980年代初頭のポスト・パンク~ニューウェイヴの時代に活動した幻のエレクトロニック・ダブ・ユニットで、近年再評価が進むライフトーンズに捧げた楽曲だろうか。ほかの曲においても大々的にレゲエのモチーフはなくとも、メロディの断片にその片鱗が見られたり、ダブ・ミックスの手法を用いるなど、ジョー・アーモン・ジョーンズにとってのレゲエ/ダブの影響が随所に感じられるアルバムだ。


Ebi Soda
Frank Dean And Andrew

Tru Thoughts

 ブライトン出身のエビ・ソーダも、リーダーのウィル・イートンがトロンボーン奏者ということもあり、ジャズやジャズ・ファンクとレゲエ/ダブを折衷した音楽を一貫してやっているバンドだ。アルバムは2022年にセカンド・アルバムの『Honk If You’re Sad』をリリースしているが、ゲストにヤズ・アーメッドを迎え、重低音の効いたリズム・セクションとホーン群の情熱的な演奏にエレクトロニクスを交え、全体的にはダビーな空間構成がなされた作品だった。そうしたダブの影響下にあるサウンドと、サイケやクラウトロック、ニューウェイヴの要素も交えた混沌とした世界も楽しめるところもあったわけだが、それから3年ぶりの新作『Frank Dean And Andrew』が完成した。

 今回は今まで以上にダブの要素が強い作品集だ。“Bamboo” というタイトルや、中国とベトナムのハーフである英国人ラッパーのジアンボをフィーチャーした “Red In Tokyo” など、日本や東洋に馴染みのある曲が並んでいるが、その “Bamboo” はダビーなサウンド・エフェクトを交えたメロウなジャズ・ファンク。どっしりと低音を支えるリズム・セクション、メランコリックなメロディや空間構築、低音のトロンボーンやトランペットなどの管楽器のアンサンブルなど、全てにおいてダブからの影響が強い楽曲だ。“When Pluto Was A Planet And Everything Was Cool” はダブステップ調のビートを持つダークな楽曲で、リチャード・スペイヴンゴーゴー・ペンギンなどにも通じる。クラブ・サウンドも柔軟に取り入れるエビ・ソーダらしい楽曲だ。“Horticulturalists Nightmare” はサイケデリックで前衛的な側面も持つ楽曲だが、リズム構成やミックスなどにおいてやはりダブの影響が強い。“Grilly” や “Toucan” についても言えるのだが、今作は演奏はもちろんのこと、ことさらミックスにおいてダブの手法が大々的に用いられている点が特徴と言えるだろう。


Nat Birchall
Liberated Sounds

Na-Bi

 マンチェスター出身のナット・バーチャルはキャリア的にはベテランに属するサックス奏者で、ジョン・コルトレーンファラオ・サンダースの系譜に属するプレイヤーである。彼のずっと後輩にあたるマシュー・ハルソールがそのサックスに惚れ込み、自身のバンドで演奏してもらって数々のアルバムをレコーディングしたほか、ナット・バーチャルもマシューが主宰する〈ゴンドワナ〉からリーダー作品を数枚リリースしている。それらは基本的にシリアスなモード・ジャズ、スピリチュアル・ジャズと呼ぶべき作品集だが、一方でブレッドウィナーズというレゲエ/ダブ・バンドを組むプロデューサーのアル・ブレッドウィナーや、スカタライツのドン・ドラモンドの息子であるヴィン・ゴードンなどとコラボして、完全なレゲエ/ダブのアルバムもリリースしている。それもアルバム1枚というわけではなく、数枚のアルバムやダブ・ミックス・アルバム、7インチ、12インチに渡る数々のリリースがあるので、ナット・バーチャルは相当レゲエやダブに入れ込んでいるのだろう。

 新作の『Liberated Sounds』はアル・ブレッドウィナーやヴィン・ゴードンなどの力を借りることなく、すべての楽器演奏(サックス、フルート、ベース、ドラムス、ピアノ、キーボード、ギター、パーカッションなど)とプロデュース、ミックス、レコーディング、マスタリングなど全ての業務をナット・バーチャルただひとりでおこなっている。表題曲の “Liberated Sounds” を筆頭に、1960年代後半にジャマイカからイギリスに渡って広まったスカにインスパイアされたアルバムである。なかでもドン・ドラモンド、トミー・マコック、ローランド・アルフォンソ、レスター・スターリング、ババ・ブルックス、デイジー・ムーア、ロイド・ブレベット、アーネスト・ラングリン、ジャッキー・ミットゥー、ロイド・ニブ、ドラムバゴなどに対するオマージュとナット自身が述べているのだが、こうした面々の名前が上がるところから、彼がいかにジャマイカ音楽に対して知識や愛情を持っているかが伺い知れる。こうしたミュージシャンの多くはもともとジャズ・ミュージシャンで、プリンス・バスターズ・オールスターズ、スカタライツ、ババ・ブルクス・バンド、キング・エドワーズ・グループといったバンドで演奏してきた。そこにはジャマイカにおけるジャズとレゲエの関係性があり、ナット・バーチャルもそこを理解した上で、ジャズなりレゲエやスカなりを演奏していることがわかる。

Witching Hour Archives - ele-king

 いまやYouTubeにおける一大ジャンルとなった、DJやライヴの様子をアーカイヴする数々の配信プログラム。さまざまな観点から世界中で議論が繰り広げられているなか、「クラブ・カルチャーの神秘性を取り戻し、再魔術化を謀る」ことをコンセプトとしたあらたな動画メディア〈Witching Hour Archives〉が始動する。
 初回プログラムとして、首都圏を中心に開催されているハードコア・クィアパーティ〈FETCH〉による2025年6月回の模様が配信。

 動画を再生してみると、DJのキャラクター性にフォーカスする昨今の潮流とは一線を画した、クラブという環境全体を窃視するかのような謎めいた雰囲気が目を引く。〈Witching Hour Archives〉は、まるで監視カメラのようなアングルで撮影されたアーカイヴを継続的に配信することで「クラブ・カルチャーを再び誇れるもの」にしようと試みているのだろうか?

 以下にステートメントとファウンディング・メンバー(当プロジェクトは主導者を置かず合議制で運営されるようだ)にかんする情報を引用する。

―クラブカルチャーの神秘性を取り戻し、再魔術化を謀る―
新動画メディア「Witching Hour Archives」始動

クラブカルチャーの記録を目的とする新しい動画メディア「Witching Hour Archives」がローンチ。

現在、数多くのストリーミングメディアがDJに焦点を当てている一方で、Witching Hour Archivesは異なる信念に基づいて設立された。DJブースはクラブカルチャーのひとつの側面に過ぎないという信念だ。クラブカルチャーの核心にあるのは、DJとダンスフロアの間で循環するエネルギーであり、ブースだけに焦点を当てては捉えきれない。Witching Hour Archivesはクラブ文化をスペクタクルとしてではなく、生きた儀式として記録し、クラブの闇の中で生まれる神秘的なエネルギーの循環を記録することを目的として立ち上げられた。

改造されたカメラと、パフォーマンス的なナルシシズムや「主人公気取り」の行動を引き起こさないよう工夫された設置方法や撮影アングルを用い、フロアの暗さとDJやクラウドの匿名性を確保しながらも、可能な限りフロアのありのままの姿を記録することを実現。SNSでのバズを目的としたものとは一線を画した、文化の記録のためのチャンネルとなっている。

今後、コミュニティーによる自律した運営を継続できるよう、運営費をカバーするためのグッズの展開も予定している。
ロゴのデザインには、「暗闇を記録するためのカメラ」「魔術的な力/マジックサークル」「アンダーグラウンドコミュニティのネットワーク」という3つの意味が込められている。

初回の配信としてローンチと同時に、6月に渋谷のStudio Freedomでコロンビアからラテンコアの旗手CRRDRを迎えて行われた、ハードコア・クィアパーティー「FETCH」のプライドマンススペシャルの記録が公開されており、今後もコンスタントにパーティーを記録し、公開していく予定となっている。
是非InstagramとYouTubeチャンネルをフォローして、今後のアップデートを見逃さないようにしてもらいたい。

Instagram
YouTube

Founding members (A to Z)

DJ POIPOI
glico
kotono in midnight
Mars89
MAYUDEPTH
SUNNOVA
TEI TEI
Yuri Kim
Yusuke Maeno

Art Director : Mars89
Movie Director : SUNNOVA
Sound Engineer : Yuri Kim

BlankFor.ms - ele-king

 インスタグラムのサジェスト欄になにが表示されるかは十人十色だろうが、電子音楽やシンセサイザーに興味を持つ人のもとにはハードウェア・シンセやモジュラー・シンセ、ペダル・エフェクターなどを駆使した60秒未満の演奏動画がたびたび流れてくることだろう。

 そうした世界に出自を持つニューヨークはブルックリンの電子音楽家、BlankFor.msことタイラー・ギルモアが初のジャパン・ツアーを開催。兵庫の〈Tobira Records〉と〈space eauuu〉の2会場での公演ほか、実験音楽やバンド・サウンド、果てはハイパーポップまでを広く受け入れる東京・下北沢のクラブ〈SPREAD〉の3会場を巡るそうだ。

 兵庫公演にはBlankFor.ms のほかLullatone、Tatsuro Murakami、Nekomachi、Molderが出演。〈space eauuu〉での投げ銭制でのライヴにはヴィジュアル・アーティストのKeiji Matsuokaが映像演出として参加。

 東京公演は〈PLANCHA〉サポートのもと開催。ローカル・アクトに、20年代デジコア・シーンでのポエトリー・ラップから大きく飛び出し、4台の中古iPhoneで即興演奏を実施する唯一無二のスタイルへと移行した音楽家・vqが出演。DJには〈悪魔の沼〉でもおなじみの名手、COMPUMAが参加。

 新旧さまざまな価値観が融和し、異なるフィールドから生まれたオブスキュアな感性、そして美しい電子音の調べが堪能できる公演となることでしょう。以下詳細。

BlankFor.ms Japan Tour 2025

10月25日(土) 兵庫 加西・Tobira Records
10月26日(日) 兵庫 神戸・space eauuu
10月28日(火) 東京 下北沢・SPREAD

兵庫公演①
日程:2025年10月25日(土)
会場:兵庫 加西 Tobira Records
時間:TBA
料金:3,000円 (学生2,000円)
チケット:TBA

出演:
BlankFor.ms
Lullatone
Tatsuro Murakami
Nekomachi

兵庫公演②
日程:2025年10月26日(日)
会場:兵庫 神戸 space eauuu
時間:開場17:30 / 開演18:00
料金:Donation + 1 drink order

出演:
BlankFor.ms
Lullatone
Tatsuro Murakami
Molder

Visual:
Keiji Matsuoka

東京公演
BlankFor.ms “After The Town Was Swept Away”
Release Party in Tokyo

日程:2025年10月28日(火)
会場:東京 下北沢 SPREAD
時間:開場19:00 / 開演19:30
料金:前売3,300円 / 当日3,800円 ※共に別途1ドリンク代
チケット: https://www.artuniongroup.co.jp/plancha/top/news/blankfor-ms-japan-tour-2025/

出演:
BlankFor.ms
vq

DJ:
COMPUMA


BlankFor.ms

タイラー・ギルモア(Tyler Gilmore)、別名BlankFor.msは、ニューヨーク・ブルックリンを拠点に活動するアーティスト。劣化したテープ、アナログ・シンセサイザー、そしてスピネット・ピアノを用いて、豊かでテクスチャー感のある音楽を制作している。
これまでにソロ名義で2019年にPuremagnetikからデビュー・アルバム『Works For Tape And Piano』をリリースし、2023年には、ラスベガスを拠点とするアンビエント・レーベル、Mystery Circlesより『In Part』を発表、そして同年ECMのプロデューサー、Sun Chungが設立したレーベル、Red Hook RecordsからJason Moran、Marcus Gilmoreとのコラボレーション・プロジェクト『Refract』をリリース。アナログとデジタルを交差させた繊細で美しい音響作品として高い評価を受ける中、今年9月5日にMatthewdavid主宰のLAの名門Leaving Recordsから最新アルバム『After The Town Was Swept Away』をリリースしたばかりだ。
ギルモアは映画やビデオゲームの音楽も手がけており、アカデミー賞作品賞にノミネートされた映画『Nickel Boys』にも楽曲を提供。また、The Cinematic Orchestra、Arthur Moon、Para Oneといったアーティストのリミックスも行っている。さらにSpitfire Audioとの共同開発により、テープ録音の質感を取り入れたソフトウェア音源「Tape Synths」をリリース。
インスタグラムでは10万人近いフォロワーを有し、SNSを通じて世界中のリスナーと繋がりながら、BlankFor.msは独自の音楽言語でグローバルな存在感を高め続けている。
https://www.instagram.com/blankfor.ms/


Lullatone(兵庫公演に出演)

15枚のアルバムリリースと1億回以上のストリーミングの他、Each Story等の国内アンビエント主要フェスへの出演、また数々の映画やテレビ番組、アート作品のために作曲を手がける音楽家。日々起こる小さいけれど大切にしたい、そんなものごとへのサウンドトラックとして楽曲を制作している。Lullatoneのライブは、いくつもの小型シンセサイザーとロボットドラムを使用し、多彩な音を再現するための小さな実験室のようであると言われる。多くのインタラクティブな要素が組み合わさり、遊び心のあるライブでリスナーを魅了し続けている。


Tatsuro Murakami(兵庫公演に出演)

東京生まれ、ギタリスト・プロデューサー。高校卒業後にブラジルへ渡り、日本人として初めてサンパウロ州立タトゥイ音楽院ショーロ科をクラシックギター専攻で卒業。現地でサウンドトラック制作も学び作曲家としての活動を開始し、現在までにアンビエント系の海外レーベルより5枚のアルバムをリリースしている。約7年間のブラジル滞在の後帰国し、帰国後は国内のブラジル盤リリースや通訳、興行企画等にも携わる。タージ・マハル旅行団(現Stone Music)ギタリスト、USレーベルMystery Circlesの日本支部代表。2025年に最新作”Mita Koyama-cho”をLPリリース。


vq(東京公演に出演)

vqはネカフェやコインランドリー、スーパー銭湯、友達の家を拠点に活動するアーティスト。アニメ『タコピーの原罪』エンディングの公式リミックス、BALMUNG 2025 S/Sでの音楽制作およびモデル出演、ゆるふわギャング主催の「PURE RAVE」や、中国・広州にて開催された626company主催イベント「无题一」など、多様なフィールドで表現の幅を広げている。
最近は先月からハマってしまった雑炊を、作っては食べる日々を送っている。


COMPUMA(東京公演に出演)

ADS(アステロイド・デザート・ソングス)、スマーフ男組での活動を経て、DJとしては国内外の数多くのアーチストDJ達との共演やサポートを経ながら、日本全国の個性溢れる様々な場所で日々フレッシュでユニークなジャンルを横断したイマジナリーな音楽世界を探求している。自身のプロジェクトSOMETHING ABOUTよりMIXCDの新たな提案を試みたミックス「SOMETHING IN THE AIR」シリーズをはじめ、コレクティヴ「悪魔の沼」での活動でのDJや、楽曲制作、リミックスなど意欲的に活動。2022年には初ソロ名義アルバム「A View」2024年には「horizons」をリリース。Berlin Atonal 2017、Meakusma Festival 2018への出演、ヨーロッパ・ラジオ局へのDJミックス提供など国外での活動の場も広げる。一方で、長年にわたるレコードCDバイヤーとして培った経験から、コンピレーションCD 「Soup Stock Tokyoの音楽」の他、BGM選曲を中心にアート・ファッション、音と音楽にまつわる様々な空間で幅広く活動している。Newtone Records、El Sur Records所属。

Cecil Taylor/Tony Oxley - ele-king

 予感。沈黙の縁にぶら下がりながら、同じ旅路を託したその相手がいつ応答するのかを思いめぐらす。セックスよりも自発的に。私はセシル・テイラー(1929年生 – 2018年没)をいちどしか見たことがないが、彼の最大のパートナーが沈黙と予感であることを知っている。セシルは、1956年以来、フリー・ジャズ、あるいはファイア・ミュージック、あるいはファー・アウト・ミュージック——呼び名が何であれ——の背後にある比類なき自然の力であり、ピアノを携えて、またバンド・リーダーとして、セシル・テイラー・ユニット名義や数多くのソロ演奏によってアブストラクト・ジャズの急進的な運動を先導した。セシルの人となりは豪快で知られている。彼のピアノ演奏もまたそうで、旋律と不協和のまったく独自の言語を作り上げた。その強度において彼に比肩しうるのは、サン・ラーの音楽だけである。

 このアーカイヴ音源でのトニー・オクスレイ(1938年生 – 2023年没)は、セシルと息を合わせる共演者、あるいは乗客である。なぜなら、1988年に録音されたこのデュオ作品『Flashing Spirits』においては、未知の領域を切り拓いていくべく舵を取っているのはセシルだからだ。『Flashing Spirits』は今年の7月にひっそりとリリースされたため、一見すると大きな出来事には見えないかもしれない。しかしジャズの連続体のなかで捉えれば、その意義は間違いなく重大であった。1988年は、トニー・オクスレイとセシルの長きにわたる友情と音楽的パートナーシップのはじまりを示す年なのだ。
 このふたりは、すでにそれぞれの国においては高く評価される革新者だった。セシルが1960年代初頭にアヴァンギャルドのピアニストへと変貌した一方で、イギリスではトニーがデレク・ベイリーや、多くの仲間たちとともに「Company」録音やその他の作品に参加し、〈インカス・レコード〉からリリースされた(たとえば1975年に発表された彼自身の名を冠した素晴らしいアルバムのような)数々の作品によって進化を遂げていた。テイラーと同じく、トニーも数多くの輝かしい録音を生み出している。したがって、両者がステージを共有することが、活動開始から20年以上も経ってからであったという事実は、きわめて注目すべきことなのだ。

 1988年の夏、セシルはベルリン市の要請を受けて、ドイツ・ベルリンで1か月にわたる連続コンサートに参加した。そしてトニーと組まされたことで、花火が打ち上げられた。7月17日、彼らは初めて演奏し、その最初の魔法は『Leaf Palm Hand』として解き放たれた。『Flashing Spirits』はそれからわずか2か月後のことである。その事実だけで、彼らの相乗作用がいかなるものであったかを示すに十分であろう。なぜなら「ときおり共演する」という音楽上のパターンは、しばしば物事を新鮮に保とうとする前衛的音楽家たちの選択肢だからだ。
 ゼロから出発し、ゆっくりと構築していく——形が現れはじめるとともに予感の障壁を取り払っていく。その「ことが動き出す」までには、およそ2分半を要する。しかしこの文脈において「動き出す」という言葉は理解しにくい。というのも、そこには激しい綱引きがあり、一定したダウンビートが存在しないからである。

 この録音は単なるドキュメントにすぎない。そしてこれは、はじまりがわかっていて終わりに酔いしれるクラシック音楽でもヘヴィメタル音楽でもない。これは運動体としての、本当に生きた音楽なのだ。そして聴き手は、セシル・テイラーの両手が鍵盤を駆け抜け、明確な旋律がいくつもの音域でピンポンのように反響するのを見ながら、椅子の端に腰掛けて右へ左へと視線を走らせる子どもにならねばならない。セシルは座っているが、完全に座っているわけではない。なぜなら、どんな新しいアイディアも彼を飛び上がらせるかもしれないからだ。彼はトニーに盗み見るような視線を送るが、トニーの方がむしろセシルに注意を払っているだろう。というのも、彼は「このマザーファッカーはクレイジーだ」とわかっていて、セシルがいつ気を変えるかわからないからである。

 あなたがこの音楽にピンこないのないのなら、私は無理に好きになれとは言わない。だが、もしこれがあなたにとって日常の糧であるならば、クール・ジャズのレコードとこれとの違いを、心の奥底ではすでにわかっているはずだ。ひとつは、煙草を吸い、特別な香りのワインを手に恋人とともにくつろぎ、あるいは笑い合いながら楽しむためのもの。だが『Flashing Spirits』のような録音は、まったく別の物語だ。それは、普通の人間が入り込むことのできない場所への入門である。まさにそのために、私は『Flashing Spirits』のようなジャズをひとつのコード(暗号)だと感じる。最初は判読不能だが、集中(そしておそらく多少の献身)をもってはじめて理解することができる。プログラミング言語や宗教的なイニシエーション(入門儀礼)と同じように。入門を果たした者たちは、この録音を持っていることの幸運を知るだろう。そしてなんてことだ、この音の素晴らしさ! ドラムとピアノは驚くほど明瞭で、まるで自分が彼らの目の前に座っているかのように感じられる。私はセシルのレコードを山ほど聴いてきたが、これは間違いなく自分のトップ10に入る作品だ。

 少しのあいだ、私の脳は問いかけていた——なぜだ? なぜこれは良いのか? なぜ私は惹きつけられているのか? いったいなぜ? そして私は再び聴きはじめた。深いリスニングを。特製のノイズキャンセリング・ヘッドフォンをつけ、街を歩きながらフレーズを拾い上げると、セシルの後継者たちを気取る新しいピアニストと、セシル自身との違いを聴き分けることができた。セシルは旋律に囲まれて育ったのだ。ゴスペル、ブルース、クラシック、その他いろいろ。旋律の中心から、セシルはカコフォニー(不協和音の奔流)を抱きしめ、そしてそれを抱きしめたとき、彼は自身に刻み込まれた旋律を一緒に連れていった。これはノイズではない。彼は若き日のすべての旋律をリミックスして、新たなチョコレートケーキへと仕立て上げ、旋律を刻んでは歪めているのだ。だから、あの狂騒と混沌を通しても、私は旋律の断片を次々と、かたまりごとに聴き取ることができる。私の母には決して聴き取れないだろうが、それでまったく構わない。

 これは録音されたのは1988年、英国での〈Outside in Festival〉、そのときセシルは58歳か59歳だった。その事実をもういちどよく考えてほしい。私は、39歳で膝や背中の痛みを口にする人びとを知っている。トニーは少し若く、およそ50歳だった。だが私は、30歳で階段を上るのにも苦労する若者を知っている。このアルバムは、その鮮烈さや旋律的な気迫や激烈さ、あるいは「ジャズ的時代精神」の体現として——ファイア・ミュージックの誕生から20年を経た後で演奏されたにもかかわらず——十分に鼓舞的であるはずだ。仮にあなたを鼓舞しないとしても、より深いリスニングと、そして何より「身体を動かすこと」の大切さを思い出させてくれるだろう。


Anticipation. Hanging on the edge of silence wondering when the person you have entrusted to go on the same journey with you will respond. More spontaneous than sex. I have only seen Cecil Taylor (b. 1929 - d.2018) once but I know that his greatest partner is silence and anticipation. Cecil, the preeminent force of nature behind free jazz or fire music or far out music or whatever you may choose to call it since 1956, spearheaded the radical movement with the piano and as band leader in abstract jazz with numerous releases under his Cecil Taylor Unit and solo performances. Cecil`s personality is known to be brash and so is his dominance on the piano making a totally unique language of melody and dissonance that is only rivaled by Sun Ra`s in its intensity.
For this particular recording, Tony Oxley (b. 1938 - d. 2023) is his focused co-partner or passenger since it is Cecil who is navigating very extraterrestrial terrain here in this 1998 duo recording titled “Flashing Spirits” (Burning Ambulance Music) released this past July. “Flashing Spirits” with its quiet release, doesn’t seem monumental but in the jazz continuum, it was. 1988 marked the beginning of Tony Oxley and Cecil’s long friendship and partnership in music. This despite each of them being highly respected innovators in their respective countries. While Cecil transformed into THE avant gardist pianist in the early 1960`s, over in the UK, Tony was evolving with the likes of Derek Bailey and many others who participated in the Company recordings and other releases put out on Incus Records (like his brilliant self named record put out in 1975) in the late 60`s onward. Like Taylor, Tony created numerous brilliant recordings so it is quite remarkable that neither shared the stage til 20 plus years after they began.

It was the summer of 1988 that Cecil took part in a month long series of concerts in Berlin, Germany at the request of the city and in being matched with Tony, fireworks were set off. On July 17th, they first performed and that initial magic was released as “Leaf Palm Hand.” “Flashing Spirits” was only 2 months later. That alone should illustrate their synergy as the pattern in music of “occasionally collaborating” is often the chosen course for left field musicians aiming to keep things fresh.
Starting from zero and slowly constructing, taking away the barriers of anticipation as the forms begin to appear, it takes nearly 2 and a half minutes before things are “going.” But “going” is a difficult word to understand in this context because there is a vicious tug of war and no consistent downbeat.
This recording is just a document and this is not classical music or heavy metal music where you know the beginning and revel in the end. This is kinetic really live music and you have be the kid sitting on the edge of his seat looking back and forth at Cecil Taylor as his hands wiz past keys and clear melodies ring ping ponging on numerous registers. Cecil is sitting but not exactly, because any new idea might make him jump. He will sneak glances at Tony but Tony is more likely to be paying attention to Cecil cause he knows “this motherfucker is crazy” and may change his mind at any minute.
If you don`t like this music then I can`t convince you. But if this is your bread and butter, then you should already know at heart the difference between a cool jazz record and this. One is for smoking and getting chill or giggly with a significant other over wine with a special scent. Recordings like “Flashing Spirits,” are a totally different story. They are initiations into places the average person cannot enter. It is because of this that I feel jazz like “Flashing Spirits” is a code. Illegible at first, it takes concentration (and maybe a little dedication) to be able to comprehend. Similar to any coding language or religious initiation. Those initiated will know they are lucky to have this recording and damn, the sound for this is gorgeous. The drums and piano are pretty freaking clear and it feels like I am sitting right in front of them. I have listened to a bunch of Cecil records but this is definitely going in my top 10.
My brain for a minute was even was asking why? Why is this good? Why am I engaged? Freaking why? And then I started re- listening. Deep listening. Walking down the street with my special noice-cancelling headphones on picking up on the phrases and I could hear the difference between new pianists that try to sit on the mantle of Cecil and Cecil himself. See Cecil grew up surrounded by melody. Gospel, blues, classical and what not. From the center of melody Cecil embraced cacophony and when he did, he took his engrained melodies with him. This isn`t noise. He is remixing all the melodies of his youth into a new chocolate cake with melodies chopped and screwed. So through the frenzy and the chaos, I still hear chunks and chunks of melodies. I am sure my mother wouldn`t but that`s just fine.
When this was recorded in 1988 at the Outside In Festival in the UK, Cecil was 58 or 59. Please read that sentence again cause I know people who are 39, talking about pains in their knees and backs. Tony was a little younger at 50 approximately. Still I know kids who have difficultly walking up stairs at 30. If this record isn`t inspiring for its vibrancy or melodic swagger or intenseness or jazz zeitgeist nature despite being performed 20 years past the birth of fire music, then it should be an inspiration to practice more deep listening and most importantly, to exercise!

Tomorrow Comes The Harvest - ele-king

 明日こそ収穫の日──トゥモロウ・カムズ・ザ・ハーヴェストとは、もともとはトニー・アレンとジェフ・ミルズによる即興パフォーマンスからはじまったプロジェクトで、現在はミルズ、タブラ奏者のプラブ・エドゥアール(Prabhu Edouard)、ガイアナ出身のキーボーディスト、ジャン=フィ・ダリー(Jean-Phi Dary)によって形成されている。2年前に最初のアルバム『Evolution』がリリースされているが、このたび新曲 “The Happening” が公開された。
 プレスリリースに寄せられたジェフ・ミルズのメッセージによると、同曲は、音楽はただそれを体験して消費できればいい、という考えにたいする挑戦のようだ。“The Happening” のコンセプトは、時間と空間のはじまりと終わり、つまり現実がはじまる最初の点とそれが終わる点だという。「ハプニング」とは、あらゆる生物の生と死、すなわり無限を意味する、と。
 ジェフ・ミルズらしいビートとタブラと鍵盤が交差する美しき9分間の旅、サウンドを聴きながら人生について考えてみたい。

Label: Axis Records
Band: Tomorrow Comes The Harvest
Artists: Jeff Mills, Prabhu Edouard, Jean-Phi Dary
Title: The Happening
Format: Single
Release Format: Digital
Release Date: September 23rd, 2023

downt - ele-king

 新曲“AWAKE”が映画『YOUNG&FINE』主題歌に起用されて話題のdowntだが、彼らの自主企画公演が京都で開催されることになった。これまでつづけられてきた自主企画“WASTE THE MOMENTS”の第4回目にあたるもので、京都では初の開催となる。10月13日(月・祝)、チケットは発売中です。詳細は下記より。

downt自主企画”WASTE THE MOMENT"、初の京都で10月開催決定!

2023年1月よりスタートした不定期開催の自主企画イベント”WASTE THE MOMENTS”の第四回目を、10/13(月・祝)京都にて開催。
同企画としては約2年4ヶ月ぶりの開催となり、会場は京都UrBANGUILDにて行われる。
これまでのゲストアクトには、明日の叙景(第一回)、Subway Daydream(第二回)、DENIMS(第三回)と様々なアーティストを迎え2マンで開催し、チケットは毎回SOLD OUTとなっている。
そして第四回目、今回のゲストアクトには、Qoodow、House Of The Blood Choirの2組をお迎えしての3マンでの開催となります。

【公演情報】
公演名:downt presents “WASTE THE MOMENTS 4”
公演日時:10/13(月・祝)
開場/開演:18:00/18:30
会場:京都UrBANGUILD
出演:downt / Qoodow / House Of The Blood Choir
Ticket:3,000円 (+1Drink)

<Ticket Info>
発売日:9/19(金)20:00〜
TIGET:https://tiget.net/events/430443

downt official link:https://linktr.ee/downtjapan

【リリース情報】
映画『YOUNG&FINE』主題歌シングル『AWAKE』
8cm短冊CDシングル
Release Date:2025.06.27 <完売>
DIGITAL
Release Data:2025.04.23
【AWAKE - Streaming / Download】
https://p-vine.lnk.to/OfwRyN
【「AWAKE」リリックビデオ】
https://youtu.be/jgiel7ppcpY

『ビリーバーズ』のカリスマ漫画家・山本直樹の傑作青春漫画を、新原泰佑主演で奇跡の実写化!!
映画『YOUNG&FINE』
原作:山本直樹
脚本:城定秀夫
監督:小南敏也
出演:新原泰佑、向里祐香、新帆ゆき他
主題歌:downt「AWAKE」(P-VINE RECORDS)
2025年6月27日(金)新宿武蔵野館他より全国順次公開中
©2025 KLOCKWORX・LEONE

【downt profile】
2021年結成。富樫ユイ(Gt&Vo)、河合崇晶(Ba)、Tener Ken Robert(Dr)の3人編成。東京を中心に活動開始。
同年10月1st『downt』(ungulates)リリースを受け、一躍ライブハウスシーンにて注目を集める存在に。翌年『SAKANA e.p.』(ungulates)リリース、FUJI ROCK FESTIVAL’22“ROOKIE A GO-GO”への出演等、その名を各所に響かせた。2023年6月、バンドとしての新機軸となった8分を超える大作「13月」を含むSg『III』を6月リリース、今年3月待望の1stFULL AL『Underlight & Aftertime』をリリース。リリース後、東名阪(沖縄)ツアー、初の海外公演となる中国ツアー、そして9月には台湾公演も成功におさめる。各地野外フェス、大型サーキットフェスへの出演、US、UKはじめ中国、台湾、インドネシア、タイ、フィリピンなどアジア各国の海外アーティストとも数多く共演。もはやカテゴライズはいらない存在感でジャンルの境界線を風通しよく越え快進撃中!
昨年3月、1stフルアルバム『Underlight & Aftertime』(P-VINE)をリリース。東京・名古谷・大阪+沖縄リリースツアー、そして初の海外公演となる中国ツアーを4月、9月に台湾公演を開催、さらに二度目の中国ツアーを11&12月上海・深圳・広州の3箇所で開催し全公演SOLD OUTに!
今年1月東京(渋谷duo MUSIC EXCHANGE)、2月大阪(心斎橋Music Club JANUS)にてANORAK!xdowntxくだらない1日にて開催した3マンはそれぞれのアーティストの現在地をまざまざと示した。
6/27〜新宿武蔵野館を含む全国30館を超える劇場にて公開の映画『YOUNG&FINE』の主題歌をdowntが担当。映画の公開に先駆けて主題歌シングル『AWAKE』を4月23日に配信リリース、そして公開に合わせ新宿・横浜・梅田の上演館3館のみ限定にて8cm短冊CDシングルを販売し瞬く間に完売。
4月26日渋谷WWWにて開催した初のワンマン公演は、チケットは発売早々にSOLD OUTし満員御礼の公演となり、バンドとしての未来を大きく示す一夜となった。

downt:
https://linktr.ee/downtjapan

Qoodow:
https://linktr.ee/qoodow_

House Of The Blood Choir:
https://www.instagram.com/houseofthebloodchoir
https://x.com/Hthebloodchoir

interview with Ami Taf Ra - ele-king

 アミ・タフ・ラという新しいシンガーのアルバムが届いた。北アフリカのモロッコ生まれで、幼い頃からアラブ音楽に囲まれて過ごし、オランダからトルコ、中東諸国など世界中を転々とするなかでシンガーとしての道を見出し、現在はロサンゼルスを拠点とする彼女は、カマシ・ワシントンの妻でもある。世界のさまざまな国で活動するなかでカマシとのツアーもおこない、幾多のフェスにも参加してきた。また、ヨルダンの難民キャンプとコミュニケーションを取り、音楽や絵画のワークショップを開くなど、芸術を通じた社会活動もしている。そんなアミ・タフ・ラのファースト・アルバムが『The Prophet and The Madman』である。

 『The Prophet and The Madman』というタイトルは、レバノン生まれの詩人・画家であるハリール・ジブラーンの著書『The Prophet(預言者)』と『The Madman(狂人)』から名づけられたもので、歌詞にもそれらからの引用が多く見受けられる。パンデミックの最中、アミはカマシとの娘であるアシャを妊娠しており、そうしたなかでアミとカマシが『The Prophet』と『The Madman』を読み、そこからインスピレーションを受けてアルバムの構想が生まれたそうだ。特に1923年に刊行された『The Prophet』は、アメリカにおいては1950年代のビート・ジェネレーションから1960年代のヒッピー・ムーヴメントにも影響を与えた。ジャズで言えばジョン・コルトレーンファラオ・サンダースアリス・コルトレーンらのスピリチュアル・ジャズの世界観や神秘主義にも通じる書物でもあるから、アミやカマシが大きなインスピレーションを受けたというのも頷ける。

 アルバムにはライアン・ポーター、マイルス・モズレー、ブランドン・コールマン、トニー・オースティン、テイラー・グレイヴス、キャメロン・グレイヴス、ロナルド・ブルーナー・ジュニア、アラコイ・ピート、カリル・カミングスなど、カマシのアルバムやツアーでお馴染みのバンド・メンバーが参加し、カマシがプロデュースとアレンジをおこなっている。従って、アミのソロ・アルバムであると同時にアミとカマシの共同作品という色彩も強い。スピリチュアル・ジャズからモロッコのグナワ音楽、ゴスペル、アラブ音楽など、アミが世界を旅するなかで培ってきたいろいろな土地の音楽の融合も見られる。そして、彼女の歌声には世界を旅するジプシーやボヘミアンが持つ独特の個性が感じられる。そんな『The Prophet and The Madman』を生み出したアミ・タフ・ラに迫った。

音楽はモロッコの家庭ではとても重要で。どの家庭でも音楽をかけている。私はモロッコで祖母と一緒に暮らしていたけど、リビングルームでは伝統的なアラビア音楽が一日中かかっていた。だから私は、至って自然に音楽に惹かれていった。

まず、あなたの経歴から伺います。モロッコ生まれで、その後オランダで育ち、再びモロッコに戻ってきたそうですね。あなたはどんなファミリーの中で育ち、ルーツとなるモロッコはどんな国ですか?

アミ・タフ・ラ(以下ATR):モロッコは文化や伝統が豊かな国。心の温かい人たちがいる。モロッコ社会では手厚いもてなしがとても大切だから、モロッコを訪れると歓迎されていることをすぐに感じるはず。到着してから最初の1時間でわかる。豊かな国で、歴史や伝統があって。各都市に独自の伝統や食べ物がある。モロッコの主要言語はアラビア語だけど、アマジグ語というモロッコの先住民語もある。アマジグ語には5種類の方言があるんじゃないかな。アマジグとは自由の民 (people of the free)という意味なの。アマジグ文化はモロッコ北部から南部まで広がっていて、美しい。とても魅了されるし、心がこめられている。
 いまは早くまたモロッコに戻りたいと思っているの。2ヶ月前に行ったばかりだけど(笑)。親戚を訪ねたけど、今度は娘のアシャにモロッコをもっと見せてあげたい。彼女にとってもモロッコはルーツだから。彼女にはモロッコの言語も教えているの。2ヶ月前、アシャと私は1ヶ月間モロッコに滞在したけど、おじさんやおばさんの言っていることを聞いて、結構言葉を覚えていたわ。来月5歳になるけれど、覚えが早いの。ヨーロッパをツアーしたときも、アシャはフランス語の言葉を覚えて、「ボンジュール」「オル ヴォワール」と言っていた。
 私も子どもの頃はよく旅していたけど、彼女には同じ体験をもっとさせている。彼女はたくさんの国を見て来たけど、音楽を通じて旅をしている。私たちが旅をしているとき、彼女は素晴らしい音楽をたくさん聴いているし、素晴らしい人たちと会っているのね。両親である私たちが、娘にそういった体験をさせてあげられるのは素敵なこと。

あなたの母親はアラビア音楽のファンで、幼少期はそうしたものを聴いて育ったそうですね。アラビア音楽は独特のメロディやリズムがありますが、どんなところがあなたを魅了したのでしょう?また、音楽はどのように始めたのでしょうか?

ATR:小さい頃の私はほとんどモロッコで過ごしていたけど、音楽はモロッコの家庭ではとても重要で。どの家庭でも音楽をかけている。私はモロッコで祖母と一緒に暮らしていたけど、リビングルームでは伝統的なアラビア音楽が一日中かかっていた。だから私は、至って自然に音楽に惹かれていった。私が覚えた最初のアラビア語の曲は、シリア人の詩人ニザール・カバニが作ったものだったの。何ていう人が歌っていたのかしら? 彼女の名前を忘れてしまった(笑)。美しいレバノン人のシンガーだった。カセット・レコーダーと一緒に眠って、自分があの曲を歌っているところを想像していた。ヘアブラシを持って鏡の前に立って、その曲を歌っていた。というわけで、私は自然とアラビア音楽に惹かれた。ジャンルは様々で、アラビアのポップスやアラビアのクラシック音楽だった。とても自然だった。

その後オランダに移住して、アムステルダムの音楽学校で本格的に学び、メトロポール・オーケストラなどと共演してプロの道に進むようになったそうですが、どういった経緯でそのようになったのですか?

ATR:11歳のときにオランダに戻って、アムステルダムの音楽学校に通った。私はゴスペル・クワイアーの一員で、そこでハーモニーを歌うことを覚えて。あと私はカヴァー・バンドのメンバーでもあって、このバンドは毎週学校で有名な曲をプレイしていた。こうして、アムステルダムで子どもだった私の音楽生活が始まって。私の継父が学校の送り迎えをしてくれた。
 私はマイケル・ジャクソンの大ファンだった。マイケルはヒストリー・ワールド・ツアーの一環でオランダにやって来て、しかも私の誕生日にライヴを行なった。それで、母親がお誕生日のプレゼントに彼のコンサート・チケットを買ってくれて。詳しい話をさせてもらうと、彼はアムステルダムのグランド・ホテルに2週間宿泊していた。それで私は学校をサボってホテルに通って。彼の部屋は2階だったんで、そんなに高いところじゃなかった。だから彼は、私たちファンを見ることができた。初日は何千というファンがいて。ところが、2日目、3日目になると数がどんどん減っていったんで、ホテルの前にはもう20人くらいしかいなかった。私はそこでいろんな曲を歌った。私の声はすごく大きかったんで、周りのファンに「あなたが歌って! あなたが歌えば、彼が出て来るから!」と言われたの。それで私は超大きな声で歌ったのよ。“We are the world, we are the children”って。そうすると、彼が出て来たの! カーテンの向こう側に来て、親指を立てていいねという態度を示してくれたの。「よくやった、よかったよ!」って。それで私は家に帰ると、「ママ! 私、有名になる! シンガーになるの! 私の声は美しいってマイケル・ジャクソンが言ってくれたんですもの!」と母親に言ったの。私はいつかシンガーになるという想像を彼が掻き立ててくれたのよ。
 実は、YouTubeでビデオを見つけたの! 私はマイケルのファンクラブの会員だったんで、彼がアムステルダムに到着したとき、私たちファンクラブはバスを貸し切って空港に行って彼を迎えに行った。彼の後ろを走ったのね。もちろん、彼にはセキュリティがいて、自家用車があったけど、私たちファンはその後ろにいたのよ。そのビデオでは、空港にいる私が飛び跳ねているのが観られる。学校のリュックを背負っている、13歳の少女がね。すごくおかしかったけど、YouTubeのおかげで自分の姿を見ることができた。

photo by Sol Washington

私はトルコ音楽も聴いて育った。継父はトルコ人だったし、弟と妹はトルコとのハーフだったから。だから、家ではトルコ音楽もよく聴いていた。そしてトルコでライヴをやることになって、そのまま7年間そこで暮らしていた(笑)。

あなたがマイケル・ジャクソンの大ファンだということはわかりましたが、お母さんの影響でエジプトのウンム・クルスーム、アスマハーン、アブドゥル・ハリム・ハーフェズ、アルジェリアのワルダ、レバノンのファイルーズといったアラブのシンガーもよく聴いていたそうですね。彼らからの影響は大きいのですか?

ATR:別に二重生活を送っていたわけではないけど、家では母緒が一日中アラビア音楽をかけていた。でも学校に行くと、これはアムステルダムでの話だけど、みんなMTVを観ていたのよ。当時はMTVがすごく流行っていた。90年代だったから。R&Bやヒップホップやロックもよく聴いていた。でも18歳の頃、西洋の曲をよく歌っていたけど、何かが欠けている気がして。私は毎週歌っていた。音楽学校に行って、英語の曲を歌っていた。そして家に帰るとアラビア音楽を聴いていたけど、アムステルダムでアラビア音楽をやっている人なんて知らなかった。でも、なんとかわたりをつけて、荷物をまとめて、「エジプトに行くから」と母親に言って。当時のエジプトはアラビア音楽ビジネスの中心で、ハリウッドのようなところだったから、アラビア音楽でキャリアを築こうと思ったら、みんなカイロに行ったの。テレビ局や大手ラジオ局がすべてカイロにあったから。
 というわけで、18歳の私はそこで大勢のエジプトのミュージシャンやソングライターと出会って、曲のレコーディングを始めた。アブドゥル・ハリム・ハーフェズがレコーディングしたスタジオでレコーディングして! 〈サウト・エル・ホブ〉というレーベルもやっているスタジオ。いまは別の名前になっているかもしれないけど、私がそこにいると、ウンム・クルスームやアブドゥル・ハリム・ハーフェズもそこでレコーディングしたって言われた。
 当時の私は、アラビア語で歌うと訛りがすごく強かったんで、すごく練習した。中東の大物シンガーたちの真似をして、彼らと同じように言葉を発音しようとした。耳で聴いて練習すると、まるでそっちで暮らしていたように歌えるようになった。私がアラビア語をしゃべると、オランダ訛りだということがわかる。「君はアラビア語をしゃべるけど、こっちの出身じゃないよね」って言われる。だから私はそれを隠して歌わないといけなかった。何年もかかったけど、やらないといけなかった。

プロのシンガーとなってからはトルコを拠点にレバノン、ヨルダンなど中東諸国でもライヴを行い、世界中を旅してきたそうですね。定住を好まず、ジプシーのような生活を送ってきたそうですが、そうした旅の生活が性に合っていたのですか?

ATR:そう。生まれてからというもの、私はずっとそういう生活を送ってきた。モロッコに2年、オランダに2年いて、それから継父がポルトガルで仕事をしていたんで、私も1年間ポルトガルにいた。それからまたモロッコに2年。しょっちゅう旅することは私のDNAに既に組み込まれていたんで、もちろん18歳になると荷物をまとめて、「ママ、エジプトに行く」と母親に言って。母親は許してくれた。私は既にヤングアダルトだったから。
 私は母親を助けて、まだ小さかった3人の妹と弟を育てていた。特に継父が亡くなってからはね。私はトルコ音楽も聴いて育った。継父はトルコ人だったし、弟と妹はトルコとのハーフだったから。だから、家ではトルコ音楽もよく聴いていた。そしてトルコでライヴをやることになって、そのまま7年間そこで暮らしていた(笑)。トルコの文化や言語にも馴染みがあったし、音楽にも馴染みがあったんで、トルコにいた頃はトルコのミュージシャンと一緒によくライヴをやっていた。特にジプシー・ミュージシャンとね。彼らは本当に素晴らしかった。
 そしてスーツケースを持って、トルコからそこここを旅した。私は各国をふるさとにできる。特にいまでは夫と娘がいるから、どの国に住んでいるかなんて関係ない。彼らが一緒にいさえすれば、そこが私にとってのふるさとになる。

その後、ニューヨークを経由して、2021年にロサンゼルスに移住したんですよね?

ATR:ニューヨークで暮らしたことはなくて。ニューヨークでカマシ(・ワシントン)と出会った。私は休暇でニューヨークに2週間滞在していて。そしてそのときカマシと出会ったの。ニューヨークに住んでいたことはない。アメリカで最初に住んだのはロサンゼルスよ。

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アニメ『LAZARUS(ラザロ)』の音楽を依頼されたとき、彼(=カマシ・ワシントン)はすごくハッピーだった。子どもの頃から彼はアニメの大ファンだったから。彼が作った最高の音楽のうちのひとつが『LAZARUS』だった。

カマシとはどのように出会い、またパートナーとなったのですか?

ATR:カマシとはジャズ・クラブで出会った。ありきたりな話よ。オープン・ナイトでジャム・セッションがおこなわれていて、そこで彼と出会って音楽の話をした。そして私たちは友だちになった。最初は友だちで、それが私たちの関係の始まりだった(笑)。それから恋に落ちて、結婚して、いまでは娘がいる!

あなたと彼との関係を見ると、1970年代に〈ブラック・ジャズ〉から諸作を発表したジーン・カーンとダグ・カーンの関係性を思い起こさせるのですが、意識するところなどありますか?

ATR:そうね。彼らも結婚して、一緒に音楽を作っていたわね。その後離婚はしたけど。彼らの曲は大好き。“Infant Eyes” だったかしら? ジーンが夫と一緒に歌った美しい曲だった。とても興味深い。でも実は脅威。私の夫は天才ミュージシャンだから。カマシは本当にすごいの! みんなは彼がリリースするものしか耳にしないけど、彼と一緒に暮らしていると、彼はほかの音楽にも取り組んでいて。常にピアノの前に座って、オーケストラの楽曲に取り組んでいる。「すごい!」って思う。彼がやっていることを、みんなに知ってもらえたらと思う。脅威的よ! 彼は歩く音楽の天才なんだから。彼はつねに音楽のことを考えている。映画を観ている最中でも頭の中では音楽を作曲し、アレンジしている。
 日本のアニメ『LAZARUS(ラザロ)』の音楽を依頼されたとき、彼はすごくハッピーだった。子どもの頃から彼はアニメの大ファンだったから。彼が作った最高の音楽のうちのひとつが『LAZARUS』だった。すごい! 彼の映画やアニメとのつながりはとても深い。脅威的よ! 「なんてこと! あなた、本当に素晴らしい!」って(笑)。たまに、こっちはちょっと不安になってしまうけど。しかも、相手は自分の夫。だから、私たちが話すときは遠慮がない。他人と仕事をするときは、ちょっとは気を遣ってコミュニケーションを図るでしょう? でも、夫と妻が一緒に仕事をすると、考えていることを率直に言ってしまう。だからたまにピリピリするけど、結果は常に素晴らしいものになる。あまりにも素晴らしいんで、私も夫と一緒にやっていける。そしてそれを娘に引き継いでもらう。アシャは両親の音楽を受け継ぐことになる。彼女が早く成長して、自分が赤ちゃんだった頃に私たちが生み出したものを振り返ってくれるのが待ち遠しい。

カマシのツアーで共演する中で、ファースト・アルバムの『The Prophet and The Madman』の制作が始まったそうですね。実際のところ、パンデミックの中でアシャを妊娠しているときに構想が始まり、レバノンの詩人で画家のハリール・ジブラーンの著書『The Prophet』と『The Madman』を読んだことがきっかけと聞きます。どんなところにインスピレーションを受けたのでしょうか?

ATR:私が初めてハリール・ジブラーンの名前を聞いたのは……。私は小説家としてではなく、音楽を通じて彼の作品を知って。ファイルーズが歌ったものすごく美しい曲に “Aateny El Nay We Ghanny” があるけど、その歌詞はハリール・ジブラーンが書いたもの。あと、私が仕事をしたミュージシャンが私に歌詞をつけて欲しいと言ったんで、私は『The Prophet』の “Children” からの言葉を引用してアラビア語で歌った。パンデミックの最中、私たちは人生や詩や映画についての話をしていて、たまたまハリール・ジブラーンの『The Prophet』の話になって、私が妊娠中にふたりでこの本を読み上げた。これを読み終えると、次は『The Madman』を読んで。これを読み終えると、「なんてこと! The MadmanはThe Prophetだったのね!」ということに気がついた。ハリール・ジブラーンが書いたこの2冊に登場する架空の人物には似通ったところがあることがわかったんで、「この2冊の本を元に音楽プロジェクトをやりましょう」ということになった。そうして『The Prophet and The Madman』のアルバム作りが始まった。

アルバムのプロデューサーはカマシが務め、作曲はカマシ、作詞はあなたが行っています。

ATR:プロデューサーは間違いなくカマシだったけど、音楽はふたりで作った。曲のアレンジとプロデュースは全て彼が手掛けたけど、例えば “Speak To Us” のメロディは私が考えた。そして、そのメロディと私が書いた歌詞を中心に彼が全体をアレンジしていった。というわけで、基本的にはコラボレーションだったけど、プロデュースとアレンジは全てカマシが手掛けている。

制作にあたってカマシはどんなアドバイスをしてくれましたか?

ATR:アドバイスというよりは、洞察ね。例えば私が “Speak To Us” をやったとき、私はこの曲を歌って自分のスマホに録音して、彼に聴いてもらった。彼はそれをより高いレベルに引き上げてくれた。“Children” をレコーディングしたとき、彼はそこに壮大なオーケストラ・アレンジを施して。私たちはその編成をすべてレコーディングした。でも聴き返してみると、「カマシ、この曲にはこんなにいろんなものは必要ないと思う。必要なのはギターだけじゃないかしら」と思ったんで、あの曲から全ての楽器を取り除いてギターだけを残した。少ないほうが効果的ってこともあるから。曲をビッグにするために、ビッグなサウンドにする必要はなくて。というわけで、彼は私の言うことを聞いてくれるし、私も彼のアドバイスを受け入れる。お互い様よ。“Children” に関しては彼が同意してくれた。

“Children”の話が出たところで、これはジブラーンからの引用ですが、あなたとカマシの娘であるアシャへの想いも込められているのでしょうか?

ATR:そういうことではないわ。もっと概念的なものね。母親になってからこの歌詞を読んだら、ちょっと恐れを感じた。自分の子どもは自分の子どもじゃないって言っているんだから。最初の文章がそうなのよ。「自分の子どもが自分の子どもじゃないなんて、どういうこと?」って思った。子どもは自分を通して生まれて来るけど、自分からではないんだって。あれは教訓よ。「子どもたちには自分の考えを持たせること」。「新しい世代から学ぶこと」。私はジブラーンからそれを学んだ。自分の考えや経験を子どもに押しつけてしまうことってあるでしょう? でも、子どもたちには自分の考えや意見がないといけない。だから、子どもたちから学べる。子どもたちについて行かないといけないこともある。

あなたから見てカマシはどんなプロデューサーでしたか?

ATR:彼との仕事はいつだって楽しい。プロデューサーとしての彼は、アーティストの言うことに耳を傾ける。彼は私のバックグラウンドを知っている。私は彼と一緒にアラビア音楽をよく聴いていた。彼は私のスタイルを知っている。彼はベストを尽くして彼の世界と私の世界というふたつの世界をうまく引き出して、このアルバムに取り込もうとした。特にモロッコのグナワ音楽とか。彼は間違いなく、音楽を通してアーティスト本来の姿を大事にしてくれる人。素晴らしいプロデューサーね。

photo by Sol Washington

私の音楽は間違いなく、流浪の民のものだと思う。人間は環境によって形成されるもので、私も間違いなく私が訪れた国々や私が暮らした国々で出会った人びとによって形成された。

グナワの話が出ましたが、“Gnawa”はモロッコのグナワ音楽をベースにしています。グナワ音楽特有のリズムとジャズを融合した作品ですが、あなたの作品にはジャズとアフリカ音楽、中東音楽など異文化が融合したものがいろいろ見られます。あなたのルーツもそうですが、世界をいろいろ旅してきたことがそこに影響していると言えますか?

ATR:もちろん! 私の音楽は間違いなく、流浪の民のものだと思う。人間は環境によって形成されるもので、私も間違いなく私が訪れた国々や私が暮らした国々で出会った人びとによって形成された。私が歌えば、それが聞こえて来る。本物だし自然。私の音楽は、私という人間を如実に表わしていて。だからもちろん、モロッコやヨーロッパからの影響が多々ある。オランダやトルコで育ったから、私の中にはトルコの文化も根付いている。レバノンもそう。あともちろん、アメリカもそう。アメリカの音楽は、ヨーロッパでもとても強力な存在感がある。こういった様々なものがミックスされているのが、私の音楽を聞けばわかるはず。あと私は、文化や音楽を通じて橋渡しができるというのが大好きで。境界なんてない。私は境界が好きじゃない。音楽は万国共通語。だから私の音楽を聴けば、私が境界を信じていないことがわかるはず。

“Children”の歌詞ではハリール・ジブラーンの詩を引用したとのことですが、ジブラーンの世界観とあなたのメッセージをどのように同化させていったのですか?

ATR:アルバムに収録された4〜5曲は本から引用したもの。そのほかの4〜5曲はカマシと私が作ったものね。ジブラーンへのトリビュートとして私が作ったもので。“Gnawa” と “Khalil(ハリール)” は私が作った。私が妊娠8ヶ月のときに曲作りを始めたけど、それが “Khalil” だった。ハリール・ジブラーンも境界を信じていなかった。“Khalil” で私がアラビア語で歌っているところは、ユダヤ教だろうがイスラム教だろうがキリスト教だろうが、みんなが祈れば同じときに同じ場所で出会うということ。つまり、境界なんかないと言っているのね。私たちはひとつ。結束している。ハリール・ジブラーンは自らの作品を通じてそのメッセージを打ち出した。

参加ミュージシャンはカマシのバンド・メンバーが中心となっていますが、アラコイ・ピートやカリル・カミングスなどはあなた同様にアフリカがルーツのミュージシャンでしょうか?

ATR:ええ、バンド・メンバーの大半はアフロ・アメリカンだと思う。カマシがライヴをやっているとき、楽屋にいるほかのメンバーはありとあらゆる音楽を聴いていて。影響された音楽や聴く音楽に制約なんてない。彼らはアフロ・アメリカンだけど、世界中の音楽の知識が豊富で。だから、彼らとはとてもやりやすかった。

そうしてみると、『The Prophet and The Madman』はアフロ・ディアスポラによるアルバムと言えるのですが、いかがですか?

ATR:そうね。アフロ・アメリカンは、アフリカのどの国の出身なのか知らない。私はアフリカ生まれだけど、冗談まじりに「あなたの祖先って、もしかしたらモロッコ人かもしれないよ!」ってカマシに言っている。彼は自分がアフリカのどの国の出身か知らないんだから。悲しい話だけど、これが全アフロ・アメリカンの現実で。だから、音楽で私がカマシとコラボするのは、再び互いに交わるようなこと。彼の祖先は、私の音楽を通じて彼に会いに来ている。だから、これってとても詩的だと思う(笑)。私たちは、またつながったわけ。私が西アフリカ出身であることは間違いないし、もちろん私の父親は黒人のモロッコ人よ。だから私のルーツには、マリとかナイジェリアも入っているはず。一巡しているようなもの。私たちの祖先も旅人だった。私たちは、祖先を引き合わせている!

あなたはヨルダンの難民キャンプとコミュニケーションを取り、音楽や絵画のワークショップを開くなどの社会活動もしているそうですが、『The Prophet and The Madman』にはそうした活動と繋がる部分も見えます。特にあなたと縁の深い中東はずっと紛争や戦争が絶えないのですが、そうした国際情勢に対して何かメッセージを込めたところはありますか?

ATR:アーティストや作家、ヴィジュアル・アーティストでもいいけど、何かを生み出すときは、特定の国や宗教の集団のためにそうするわけではなくて。アートを生み出すとき、そのアートはみんなが体験するためのもの。さっきも言ったように、私の音楽には境界がない。ヨルダンやシリアの難民キャンプに行ったとき、そこでワークショップをやったし、私は彼らにカンバスをあげて絵を描くように言った。子どもたちには、世界と共有したいメッセージを描くようにと言った。私は境界を信じていない。音楽は万国共通語だから。音楽はみんなをひとつにできる唯一の表現手段だと思う。どんな宗教かなんて関係ない。国籍や性別も関係ない。音楽は差別のない唯一の表現手段。私はそれを信じている。

最後に『The Prophet and The Madman』について、リスナーへのメッセージをお願いします。

ATR:私のアルバムによって、リスナーがじっくり考える時間を設けられたら嬉しい。彼らが人生に答を見いだしたいと思っているのだとしたら、私の音楽がそれを促したり、その道標になればと思っている。私の曲をストリーミングで聴いたり、アルバムを買ったりしてね(笑)! アーティストをサポートしてちょうだい(笑)! とにかく、私の音楽がみんなの探索の助けになればと思っている。立ち止まって、人生を振り返って欲しい。

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